ぴーちゃんの部屋

妹との別れ



12月20日の夜、ぴーはお風呂に入っていました。

突然頭の中に妹の声が飛び込んできました。

「○○おねえちゃん」って・・・。

それと同時に頭の中に妹の小さい頃からの姿がスライドシヨーを見ているように甦ったのです。

いやな予感がしたので急いでお風呂から出ました。

すると電話が鳴っていたのです。 母でした。

まだ8時過ぎ、その日母は職場の忘年会で留守のはずでした。

「どうしたの?」と聞くと「なんだか胸騒ぎがして帰ってきたの」

ぴーは母にお風呂での出来事を話しました。

その時キャッチが入ったので母に待っててもらってキャッチを取りました。

別の妹から「お姉ちゃんの家が燃えてる・・・」

その妹も突然胸騒ぎがして姉(その妹にとっては姉です)の家を見に行ったそうです。

実はそのあたりからぴーの記憶がないのです。

その後、誰とどんな話をしたのか、どうやって実家の福岡に帰ったのか

まるで記憶がないのです。

お通やの事も覚えていないのです。

ただ、翌日の告別式が午後からで、洋服がみんな焼けてしまった妹に洋服を着せてあげたくて

午前中に妹の家に洋服を取りに行った時、ピンポンと郵便屋さんが・・・。

妹が亡くなる前日にぴーは妹宛にクリスマスプレゼントを送っていたのが届いたのです。

まさかこんな形で自分が送った荷物を自分で受け取る事になろうは・・・。

もう受け取ってくれる妹はいないんだ、2度と会えないんだ。

人間ってあまりにも悲しいと、立つ事も出来なくなるんですね。

今まで生きていてあんなに泣いたのはあの時が始めてでした。

本当に立つ事も出来ないくらい泣き崩れました。

母と他の妹たちには亡くなった妹の姿を見せませんでした。

妹たちは最後に会いたいとかなり強くお願いをされましたが・・・。

今でもその事に関しては後悔していません。

焼けてしまった妹の姿を母&妹たちに見せていたらきっと精神がおかしくなっていたと思います。

ぴーは心が壊れました。 あの日からずっと苦しい日が続いています。

年月が流れ、ぴーも歳をとりました。

でも、ぴーの心の1部分だけは5年前の妹が亡くなった場所から動けないままです。

告別式が終わってからまたど~やって千葉に戻ってきたのか、クリスマス&お正月を過ごしたのかまるで記憶がないのです。

ただ何をしていても泣いていた記憶だけです。

外に出たくない、誰にも会いたくない、誰とも話したくない・・・。

そんな気持ちのまま半年くらい過ごしました。

あれから5年、いろんな事がありましたが、妹に会えない事だけは変わらない事実なんですね。




妹の事をこんな風に書く事については悩みました。

でも、読んでくれる人には伝えたい事があったのです。

妹は鬱病でした。 そうです、自ら虹の橋を渡ってしまったのです。

時々TVなどで「自殺をする人は命を粗末にしている」とか、

「死にたくなくても死んでいく人がいるのに罰当たり」だとか言われています。

決め付けないで欲しいのです、妹は決して命を粗末にしていません。

癌が正常な細胞を破壊するように鬱病は正常な精神を破壊してしまう病気でもあるのです。

妹は2年間鬱病と戦いました。

何度も自殺未遂を起こしました、自傷行為は日々続きました。

でも、正常な時は電話口で泣くのです。

「お姉ちゃん、私早く治りたいよ、このままだとわけのわからないうちに死んじゃうよ」

発作の時の記憶はないみたいで、何で自殺未遂になったのかさえ覚えていないのです。

とうとう病に負けてしまいました。

でも、妹は何件も病院に通ったり、治そうと頑張ったのです。

決して命を粗末にしたのではないのです。

鬱病は症状が人それぞれ違うのでコメントは難しいのですが、

鬱病はまだまだ世間から差別の目で見られ、甘ったれ病だとも言われています。

なかなか理解をしてもらうのは難しい事です。

妹は最後まで一生懸命生きていた事を伝えたかったのです。

長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。







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