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【村上龍/長崎オランダ村】『長崎オランダ村』のハードカバー(初版本)を手にしたとき、そのカバー絵に度胆を抜いた。シュールレアリズムと分類される絵画は大好きなので、嫌悪感みたいなものは全くないのだが、その意味するところが理解できないと少々不安になってしまう。百聞は一見に如かずなので、本当はみなさんにぜひ見てもらいたいのだが、ざっくり説明すると、海上で戦争をしている船を背景に、洗面台が砂浜から空に向かっていくつも浮かんでいる。さらには一番手前に見える洗面台には水が張っていて、その上に小さな船が3隻浮かんでいるというもの。一体なんなんだろう??あまりに超現実的すぎて理解不可能だ。作者はロブ・スホルテとのこと。(詳しく知りたい方は、ネットで検索してください。) 今回は村上龍の『長崎オランダ村』を再読してみた。出版されたのはすでに30年も昔なので、時代を感じる。佐世保のハウステンボスのルーツとなった施設でもあり、最盛期には長崎観光の新しい目玉として話題をさらった。(ウィキペディア参照)村上龍はタイトルにある長崎オランダ村について、とやかく書いているわけではない。そこを舞台にはしているが、様々な人間模様を酒の肴に楽しんでいるような気がする。 あらすじはこうだ。“ケンさん”と呼ばれる「私」は小説家をしていて、故郷の長崎で講演をすることになった。ナカムラという後輩が長崎でイベント会社を経営しているため、そのナカムラからの依頼だった。講演はナカムラとの対談形式で無事に終わった。打ち上げにフランス料理の店に連れて行かれそうになったのを「私」が断り、地元の和食の店に行くことにした。そこでは、旨い食事を前にナカムラが何かを話したがっていることに気付く。「私」はナカムラが自閉的な息子を持つ親としての悩みを打ち明けたがっているな、と思った。「私」にも小学生の息子がいるものの、黙っていても分かり合える親子などいないので、ましてや他人の子どもの気持なんてわかるはずもない、と思う。ナカムラは、ワールドフェスティバルでの多種多様の人間が集合したときの苦労話を始める。イタリア、メキシコ、アメリカ、インドネシア、スペイン、トルコ、コートジボアール、ブラジル、タイ、韓国、フィリピン、上海、フィジー、アルゼンチン等々が、それぞれの正統な、あるいは我儘な主張をスタッフに訴えるのだと。言葉も文化もバラバラなので、主催国である日本の段取りなど守る者は一人もいない。「私」とナカムラは、これでもかと言うほどの料理を腹一杯に食べながら、延々と喋り続けるのだった。 『長崎オランダ村』に登場する「私」は、ほぼほぼ村上龍ご本人で、ナカムラというのはパパズミュージックの社長・中村氏とのこと。モデル小説なので、奇想天外なハプニングがあるわけでもなく、始終淡々としているけれど、バブル期の香りがどこからともなく漂って読後は何とも言えない感傷的な気分にさせられる。多国籍の人種が集まるところで日本人が最も苦手とするのは主張することなのかとつくづく感じる。というのも、自分に向き合うという歴史を持たない民族なので、とにかく周囲と円滑であることを良しとする風土がそうさせてしまうのだ。村上龍の言う「自分と向かい合うのを許さないかのように、みんなが仲良しであることを強制してくる」という一文に膝を打った。 世の中、空気を読めない人を悪者にするし、非常識だと非難する。こんな状況では本当の意味で自分と向き合うなんて、まず不可能だ。「自分に向き合うというのは、正確には、根底から自分を疑うということ」長い歴史を持つ日本だが、移民もいないし、混血の歴史もない。だが今後はそうはいかない。時代の流れには逆らえないからだ。我々は和を以て貴しとする民族性を内包しつつも、真っ向から自分に向き合える精神的な強さを持たなくてはならない。そんな耐え難い苦しみの向こうに、負の部分と向き合わなくて済む表現方法を見つけることができるのだ。それは人によって様々だが、宗教かもしれないし、芸術、あるいはスポーツかもしれない。日本人が少しずつ変わる必要に迫られているのは間違いない。 村上龍はすでに30年も前から小説という表現方法を借りて、警鐘を鳴らしている。『長崎オランダ村』は読み易いこともあるので、若い人たちにおすすめしたい。これからの日本を担っていく世代には、きっとヒリヒリするような刺激を与えられる一冊となるに違いない。 【補足】大人は自分と向き合うことで鍛えられる存在だが、子どもは絶対に自分と向き合ったりしてはいけない。子どもに必要なのは哲学ではなく、楽しいと思える時間なのだ。 『長崎オランダ村』 村上龍・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2018.04.24
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【高村薫/マークスの山】ミステリー小説が好きな方は、必ず一度は手にするのが高村薫ではなかろうか。松本清張にも似て社会派で、森村誠一のようにドラマチックなところは、年齢性別問わず評価されるゆえんであろう。『マークスの山』は1993年に早川書房より単行本として刊行されたものだが、その後、文庫本化もされており、100万部を超える大ベストセラーとなった。(ウィキペディア参照) 高村薫は大阪出身で、国際基督教大学卒。言わずと知れた直木賞作家で、超の付く売れっ子女流作家である。どれもこれも売れているので代表作はほとんど全てだが、『レディ・ジョーカー』は中でも第一級の逸作だ。 『マークスの山』は映画化、テレビドラマ化されており、原作を読んでいなくても内容は知っているという方々も多いのではなかろうか。どんな感想を持つかは人それぞれだが、私個人としては『レディ・ジョーカー』の方が数段おもしろかったように思える。とは言え、警視庁警部補である合田雄一郎を主人公としたシリーズの第一作に当たるので、まずは『マークスの山』を読んで手ごたえを感じなくてはなるまい。 あらすじは次のとおり。岩田幸平は学もなく、手に職もなく、中学を出て上京すると山谷をうろついたあと、土木建設会社の作業員となった。二度目の女房に逃げられてからは、南アルプスの作業小屋に寝泊まりするようになった。酒浸りの日々で、脳の機能がおかしくなるのは当然のことで、晩秋の南アルプスの夜、小屋にやって来た登山者を熊か何かと間違え殴り殺してしまうのだった。一方、そのころ南アルプス夜叉神峠付近の路肩で、一家心中する神奈川ナンバーの乗用車が発見された。排気ガスを引き込んだ車内で男女は絶命していたが、現場から離れたところで九死に一生を得た子どもが見つかった。だが、その子ども、水沢裕之は一酸化炭素中毒のために重度の統合失調症を患うこととなる。水沢はそんな精神疾患のために入退院を繰り返した。一時は遠縁の豆腐屋夫妻の養子となり、社会生活を送っていたものの、やはり病気が病気なだけにうまくいかず、養子縁組も解消してしまう。定期的に精神に変調を来す水沢は、まともな医師や看護師のいない病院でベッドに手足を拘束され、自分の排泄物にまみれ、唸り声を発して暴れていた。とくに、山崎という看護師は最低の男で、暴れる患者を手あたりしだいに殴って歩くのだった。水沢の中のもう一人の人格である「マークス」が、そんな山崎を許すはずがなく、殺害に至る。こうして水沢は「マークス」の意思なのか、それとも本当の自分の意思なのか、絶望と葛藤を繰り返し、殺人を繰り返すようになる。 ざっくり言ってしまえば、様々な人物がそれぞれの思惑から引き起こす殺人と、その動機と証拠をかき集めて犯人を追う合田雄一郎ら刑事部捜査一課の面々、とでも説明しておこう。ウィキペディアによれば、最初に単行本として刊行されたときと、文庫本化されたあとではかなり内容に相違があるらしい。著者による加筆や修正が入ったのだと思われる。私が読了したのは初版なので、文庫本化されたあとのものと読み比べて、どこがどう変わっているのか知りたい。刑事らが、血と汗と涙を流しながら捜査を進めていくプロセスは、驚くほどの臨場感に溢れていて見事である。まるでドラマを見ているように東京のビル群がそびえ立ち、スクランブル交差点を行き交う人々が脳裏に映し出される。喧噪と騒音の最中、犯人の抱く得体の知れない闇を突き付けられる思いだ。ただ残念なのは、ディテールにこだわりすぎて間延びしてしまっていることだ。(もしかしたら、そのあたりはすでに修正されているのかもしれない。) 『マークスの山』は長編ということもあるので、GWのような長期の連休を利用し、くつろぎながら読みたい作品である。手に汗を握る本格ミステリー小説を、ぜひとも多くの方々に楽しんでもらいたいものだ。 『マークスの山』 高村薫・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2018.04.08
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【沢木耕太郎/凍】人生を山にかけるクライマー山野井泰史・妙子夫妻の生き様先日は春分の日だというのにあちこちで積雪が観測され、凍えるような一日となってしまった。我が家の温風ヒーターはあいにく灯油が尽きてしまい、こたつで丸くなって暖を取った。治りかけのしもやけがぶり返しそうな不安に襲われた。だが、この程度の寒さでへこたれてなどいられない。 私はこの一週間、偶然にも沢木耕太郎の『凍』を読んでいた。この作品は山野井泰史という登山家が、2002年に登ったヒマラヤ山脈の中のギャチュンカン峰から奇跡的に生還するまでを綴ったノンフィクション小説である。山岳小説と言えば新田次郎を思い浮かべるところだが、沢木耕太郎の淡々とした筆致も臨場感に溢れていて、見事なものである。山野井泰史が凍傷で手足の指を切断する場面など壮絶なもので、私のしもやけなどかすり傷にも匹敵しない。読み進めるほど「なんでそうまでして登るのか?」という疑問がむくむくと湧いて来る。「そこに山があるから」というシンプルなものともちょっと違う気がする。その辺りは読者が出来得る限りの想像力で考えるしかない。納得はできなくても、そういう生き方もあるのかと理解は示せるだろう。 あらすじはこうだ。山野井泰史は、9つ年上の妙子と奥多摩の自宅で慎ましい生活をしている。二人とも登山家で、優れた技術とカンを備えていた。とくに妙子は実務能力も兼ね備えており、英語の書面で入山許可を申請したり、登山に必要な諸経費を計算するなど几帳面に雑務をこなした。そんな妙子は、ヒマラヤ・マカルーに挑戦した際、重度の凍傷を負ってしまい、手の指を第二関節から十本失い、足の指は二本残して八本すべてを失っていた。さらには、鼻の頭も失ったのだが、後に移植手術を受け、なんとか一部の復元に成功した。それでも妙子は登ることを辞めない。その妙子をパートナーに、山野井泰史はいよいよ夢にまで見たギャチュンカン峰を目指すことになった。ギャチュンカンに登頂するためには、六千メートル級の無名の山で、高度順化していく必要がある。ところが妙子は順化の早い方ではない。今回の妙子の体調はあまりに悪すぎた。頭痛に吐き気が加わり、体が思うように動かない。その上、耳鳴りやめまいも出始めた。妙子はムリをして夫の足手まといになるような素人クライマーではなかった。だが山野井がソロで登るとなれば、それはそれで全く違う危険が伴うのである。そんな中、妙子の体調が回復したこともあり、ギャチュンカン峰へのアタックに踏み切ることとなる。二人は、固い雪や氷の表面に鋭利な刃を叩き込み、アイゼンをつけた靴を蹴り込み、尺取り虫のように少しずつ登っていくのだった。 登山という行為を、私のような凡人はどう捉えたら良いのか分らない。趣味と言えばあまりに過酷なものだし、仕事と言うには少し違うような気もするし・・・惨めなのは過酷な登山の際に催すことだ。重装備をしているので脱げないまま間に合わず、大便や小便を漏らしてしまうというくだりがある。体を大便で汚し、小便で濡らしたまま零下30度、40度の山に挑むなんて・・・想像を絶する。それでも尚、登山を続ける意味とか意義とは?? 私は正直言って「スゴイ!」と称賛する気持ちにはなれない。百歩譲って有事の際、クライマー本人の遭難だけで済むならまだしも、救助に駆け付ける者たちにも危険を強いることになる。また、親族や関係者たちの絶望的な気持ちを想像すると、いたたまれない思いだ。「ほぼ日」を読んでいたら、山野井泰史のインタビュー記事が掲載されていた。そこで彼は次のように語っている。 「頑張らなきゃとか努力してるわけではないですよね、まったく。やっぱりぼくは、ただただ登るという行為がおもしろいから登り続ているんだと思うんです」 なるほど、そうだろう。そうでなければ大便小便を垂れ流し、手と足の指を凍傷で失っても懲りないという理由に合点がいかない。さらに『凍』の中に「この絶望的な状況の中でも、二人は神仏に助けを求めることはしなかった」とある。ここでの「絶望的な状況」というのは、登山中、何回も雪崩が発生して、いつ山野井夫妻を奈落の底に叩き落とすか知れないという危機的状況下のことである。そんな切羽詰まったときでさえ、神仏に助けを求めたりはしないと言う。私はこの一文に溜飲を下げた。人にはそれぞれ生き様というものがある。どのような生き様を選ぶかは自分しだい。この春、社会人となるフレッシャーズに、「自分さがし」の一冊として紹介したい著書だと思った。 ※『凍』は、第28回講談社ノンフィクション賞を受賞している。 『凍』 沢木耕太郎・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2018.04.01
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