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【 ノック 終末の訪問者 】「レドモンドは〝恨み〟、エイドリアンは〝養育〟、サブリナは〝癒し〟、レナードは〝導き〟。黙示録の四騎士だ。僕らは彼らの死を感じる必要があるんだ」「なぜ僕らが?」「特別なことなんかじゃない・・・わかるんだよ」2011年に起きた東日本大地震による被害者・行方不明者は、2万人を超える激甚災害となった。また、中国は武漢を起源とされる新型コロナウィルス感染症の世界的な蔓延。さらにはロシアによるウクライナへの本格的な軍事侵攻。パレスチナ問題・・・etcそれこそいろいろありすぎて、にわかに信じられないが、これらは全てわずか十数年の間に起きた歴史的事実なのだ。こんな状況が続いていると、オカルトや新興宗教など小指の先ほどの興味もない私でも、「すわ、世の終わりか⁈」と心胆寒からしめる心境に陥ってしまう。こんなときは、もう四の五の言わずに、シャマラン監督の作品を見るしかない、と思って私が選んだのは、『ノック終末の訪問者』なのだ。シャマラン作品の根底には、宗教的なニオイがプンプン漂っている。キリスト教の教義から引用させてもらうと、それはイエス・キリストがその身を犠牲にし、十字架の死を受け入れ、人類の罪を「あがなう」という行為。いわば、その尊い命を代価として神に差し出す代わりに、全人類の罪を赦されたということ。この解釈は、キリスト教圏ではない日本人にはあまり馴染みがないので、理解するのが難しい。日本古来の風習に例えるなら、人身御供のもっと神聖なものとして捉えたらどうだろう?要するに、自然災害などで甚大な被害が出ないようにするなめ、その土地や川を司る神様に、生娘や巫女などが生け贄にされたのである。(女性に限らず僧侶や罪人なども)現代ならそんな風習は科学的根拠がなく、人権侵害も甚だしいと一蹴してしまうところだが、古の人々の考え方はもっと原始的で自然に則っていたのだ。人が勝手に神様の持ち物である土地に築城したり、川に橋を架けたりするのは、神様を怒らせてしまうのも当たり前。「何とぞこの◯◯を生け贄として捧げ奉るので、その怒りを鎮め給え」と、人柱を立てたのである。前置きが長くなってしまったが、自然あふれる人里離れた山小屋に、アンドリューとエリック、それに養女のウェンが遊びに来ていた。もうすぐ8歳のウェンは、外でバッタを捕まえ、観察日記をつけていた。そこへ、スキンヘッドで両腕にびっしりタトゥーを入れた大男がやって来た。見かけによらず優しげな物言いで、ウェンと一緒にバッタを捕まえてくれる。ウェンは警戒心を持ちつつも、少しだけその大男と会話を交わすが、遠くから武器を持った見知らぬ3人が近付いて来るのに気が付いて、慌てて山小屋に逃げ帰る。ウェンには2人の父親がいて、どちらも養親である。アンドリューとエリックはゲイだった。2人は子どもを育てたいと願い、乳児院でウェンと出会った。結果、3人は家族となったのである。慌てて家に帰って来たウェンの話から、アンドリューとエリックはただ事ではないと、すぐに臨戦体制を取るが、結局、アンドリューもエリックも椅子に縛り付けられ、拘束されてしまうのだった。突然訪れた彼らは意外にも神妙な面持ちで、ウェンに対してはもちろん、アンドリューやエリックに対しても、拘束以上のことは何もしなかった。そして、4人の訪問者を代表して、大男のレナードという者が、「世界の終わりを防ぐために来た」と静かに言った。どうやら4人の訪問者たちは、この世界を救うために己を犠牲にする覚悟を決めているようだった。さらには、アンドリューたちにも、家族3人の中の誰かが犠牲となる決断をして欲しいと懇願するのだった。「辛い決断だが、選んだ者を殺さなければいけない。そうしなければ70億を超える人類は滅亡する」1.水が街を沈める(津波)2.未知の感染症が蔓延3.空が落ちる(飛行機の墜落)4.神の手が大地を焼き払う(落雷)ここからは私なりの考察になるが、M.ナイト.シャマラン監督のブレないテーマは「再生」である。これはシャマラン作品のどれを取っても感じられる生と死の宗教的ドラマなのだが、どんなに文明科学が進んでも、信仰に背を向けることはできないのだと断言する。要は、神の存在をクローズアップして、科学では割り切れない超自然的存在と向き合う作品スタイルを構築しているのだ。とは言え今回の作品は、いたるところに張り巡らされた伏線が上手く回収されていないのが気になった。世界の人口が80億を超える中で、なぜ4人の訪問者とエリックが命を賭すことになったのか。彼らを選んだ神の目的は一体何だったのか。そもそもアンドリューとエリックがゲイカップルという設定は必要だったのか。きっとその答えは、この作品を見た視聴者1人1人に委ねられているに違いない。2023年公開【監督】M.ナイト.シャマラン【出演】デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジそして!
2024.06.08
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【ミッドサマー】【出演】フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー【公開】2019年(米)(スウェーデン)2020年(日)
2024.03.30
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【死霊館】『悪の力は御しがたい。悪魔と神は存在する。どちらに従うか・・・人間の行く末は我々の選択にかかっている。』---エド・ウォーレン---ここのところ日中は30度越えする日も続き、いよいよ夏が来たかという実感に浸っている。だからというわけでもないけれど、冷房のない我が家では、涼を求めてホラー作品を見るのが毎年の恒例なのだ。ふらりと出かけたTSUTAYAのホラーコーナーで目に留まったのは、『死霊館』である。何やらタイトルだけはおどろおどろしいけれど、ある意味スタンダード・ホラー(!?)でなかなか良いじゃないのと勝手に判断し、レンタルしてみた。私がホラーを見るときのスタイルは、必ず夜であること、あったかいインスタントコーヒー、それにポップコーンを準備しておく。言うまでもなく、トイレは見る前に済ませておく。劇場で見るのとほぼ同じルーティーンである。そんな中、今回の私はいつもとは明らかに違った。何が?!ポップコーンが全然減らない!たいていは作品の前半が過ぎたぐらいで一袋食べ終えてしまうのに・・・ポップコーンを口にするのを忘れるほど、恐怖の戦慄に震えたのである!! いや、びっくりした。何という恐怖!!これまで見て来たゾンビシリーズや怨霊モノは、子どもダマしに過ぎなかったのだ。『死霊館』の恐怖は本物である。不思議なのは、決して残虐なシーンはなく、グロテスクな描写もないのにこの恐怖感。一体なぜこの恐怖が生まれて来るのか?!ただ一つ言えるのは、この作品が1971年アメリカ・ロードアイランド州で起きた実話を基に製作された作品であるということだ。ストーリーは次のとおり。舞台は1971年アメリカ・ロードアイランド州ハリスヴィル。ペロン夫妻とその子どもたち5人が引っ越して来た。田舎の中古物件だが念願のマイホームである。古くてリフォームを要する屋敷だが、格安で手に入れた。だが入居当日から不思議なことが起きる。愛犬のセイディーが決して屋敷の中に入ろうとしない。まるで何かにおびえているようなのだ。(その翌朝、セイディーは謎の死を遂げる。)さらには鳥が屋敷の壁面に次々とぶつかり、首の骨を折って死んでゆく。また就寝中、三女のクリスティーンの足を、得体の知れない何かによって引っ張られ、眠りを妨げられる。ペロン夫人の体中に原因の分からない青アザができる。屋敷じゅうから物音がしたり、死臭のニオイがたちこめるなど、様々な怪現象に一家は苦悩する。いよいよ一家に命の危機が及ぶに至り、ペロン夫人は超常現象研究家として名高いウォーレン夫妻に助けを求める。ウォーレン夫妻はペロン一家の深刻な状況にがく然としながらも、邪悪な霊力に真っ向から挑むのだった。西洋人が心の底から恐怖するゾンビなど、日本人にとってはあまり恐怖の対象とはなりにくい。文化の違いとも言えるが、現実からほど遠い気がするからだ。一方、正体不明の悪霊などは、西洋人のみならず日本人にも多大な恐怖を植え付ける。日本にも昔から怨霊伝説などがあって、得体の知れない邪悪なものに対する恐怖心は、世界でも有数であろう。極めつけはラストだ。エンドロールが流れる直前には、実在のペロン一家の写真、それにウォーレン一家の写真が映し出される。それは白黒写真で、時代を感じさせ、決して作り話などではないという証拠として披露されるものだ。ジェームズ・ワン監督は中国系アメリカ人で、東洋人ならではの感性がそこかしこに生かされ、恐怖の持続を効果的なものにさせている。『死霊館』がそんじょそこらのB級ホラーと違うのは、出演している子役たちのチャーミングなことだ。とても演技とは思えない素朴で自然なセリフの言い回し。視聴者は、コワいコワいと思いながらも登場人物と一体化して、どんどん引き込まれてしまうのだ。アメリカでは超常現象研究家として有名なウォーレン夫妻が、何万件と調査して来た中で、「最も邪悪で恐ろしい事例」として封印してきた体験談。(ウィキペディア参照)それを基に製作されたのがこの『死霊館』なので、身の毛もよだつホラー作品が好きだという方々におすすめしたい。(なのでくれぐれも心臓の弱い方は付き合いでも見ない方が良いかもしれない・・・)私にとって、これまで見て来たどのホラー作品よりも恐怖を感じた逸作であった。 2013年公開【監督】ジェームズ・ワン【出演】ヴェラ・ファーミガ、パトリック・ウィルソン、リリ・テイラー
2017.06.25
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【キャリー】「女になったのね」「ええ、びっくりしたわ。(中略)どうして生理のことを教えてくれなかったの?」「『最初の罪は性交』『性交は罪』」「私・・・罪なんて犯してないわ!」春の嵐の中、飛ばされそうになる傘を必死で押さえながら、TSUTAYAに出向いた。店に着いたときは足もとはぐっしょり濡れ、髪の毛は山姥のようにボサボサになっていた。それはガラスの自動扉にうっすらと自分の姿が映っているのを見て気づいたのだが、心底驚いた。まるでホラー映画に出て来る得体の知れない何かみたいではないか?!だからというわけではないが、それがきっかけで、よし、今日はホラーを借りよう、そう思った。 2013年にリメイクされた『キャリー』を見ようか、それともオリジナルの方を見ようかさんざん迷ったあげく、やっぱりオリジナルの方から見ることにした。デ・パルマ作品で衝撃を受けたのは、何と言っても『殺しのドレス』である。エレベーターという密閉された狭いスペースでの殺人は、ヒッチコック監督の『サイコ』におけるシャワールームでの殺人を連想させるもので、かなりのインパクトだった。そんなデ・パルマ監督がスティーヴン・キング原作の『キャリー』を手掛けたのは、すでに40年も昔のことだ。なので画的に時代性を感じなくもないが、決してB級モノではなく、最高傑作と言っても差し支えない。 ストーリーはこうだ。ハイスクールに通うキャリーは、地味で冴えない容姿から、いじめのターゲットにされていた。ある日、体育の授業が終わると、更衣室でシャワーを浴びるのだが、その最中、キャリーは初潮を迎える。生理の知識を知らないキャリーはパニックを起こすが、他のクラスメートたちはそれをおもしろがり、キャリーに向かってナプキンやタンポンを投げつける。騒ぎを聞きつけた女性教師が慌ててキャリーをかばい、いじめた生徒らを叱りつけ、事態をおさめる。その後、いじめ問題を重く見た女性教師が女生徒らを呼び出し、高校最後の卒業パーティーに参加したいなら毎日体育の補講に出席するよう突き付けた。そして万が一、その課題を拒否するなら卒業パーティーへの参加を禁止するというものだった。女生徒らは卒業パーティーにどうしても参加したいがため、ブツブツ文句を垂れながらも居残り授業を受けることにした。ところがその補講があまりにもキツイせいで、加害者筆頭のクリスがボイコットする。さらにクリスは、キャリーのせいでこんな目に合ったのだと逆ギレし、キャリーに復讐する計画を立てる。一方、キャリーは学校だけでなく家でも過酷な状況下に置かれていた。キャリーの母は宗教にハマリ、女性の性を憎しみ、呪っていた。初潮を迎えた娘の成長を喜ぶどころか汚れた肉体だと言ってキャリーを虐待する。それもこれもキャリーの母は、その極端な性格からなのか亭主に愛想を尽かされ、他の女性のもとに去られてしまっていた。そんな環境で育ったキャリーは、いつのまにか自分に特殊な力があることに気付き始めるのだった。 デ・パルマ監督のスゴイのは、ホラーなのにちゃんとサービスカット?!が取り入れられ、冒頭から視聴者の目を釘付けにさせてしまうところである。それは、更衣室で女子高生が賑やかに着替えたりシャワーを浴びたりするシーンだ。何とも言えない瑞々しさと、若さにむせ返るようなカットとなっている。また、思春期のハチャメチャな明るさをかもし出すことにも成功しており、後半の惨劇とのギャップに驚愕する。いじめ問題を扱うにしても、40年前のアメリカにこれほど残酷ないじめがあったのだとしたら、たいへんな社会問題である。スティーヴン・キングがペンの力で警鐘を鳴らそうとした意図が、充分理解できる。深読みしすぎかもしれないが、主人公の母親がいくら神に祈りを捧げ宗教に傾倒したところで状況は何一つ変わらず、反って悪化したところは神の存在の限界さえ表現しているようにも思えた。 デ・パルマ作品における『キャリー』の見どころは、青春の光と影の対比が見事に表現されているところにある。思春期のどうにもコントロールの難しい感情のうねり、ハチャメチャな明るさ。それは、男子たちが卒業パーティーに着ていくタキシードをレンタルしに行く、明るくコミカルなシーンを一つ取っても効果的だし、もう一方で、女子たちがキャリーを明るく陽気に(?)いじめ倒していく残酷なシーンも、青春の闇に迫る仕上がりとなっている。オリジナル版の『キャリー』がこれほどまでに完成度の高いものだとすると、2013年版のものがどうリメイクされているのか見ないではいられない。ホラー好きの方は必見だ!! 1976年(米)、1977年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】シシー・スペイセク、パイパー・ローリー、ジョン・トラボルタ
2017.04.16
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【ヴィジット】「現実を見なきゃ。僕は間違ってない。この家はなんだか変だよ。きっと地下に何かあるんだ」せっかくの三連休をどうやって過ごそうかとあれこれ悩んでみたものの、やはり私は家でのんびり過ごすのが一番性に合っていることに気が付いた。TSUTAYAで洋画コーナーをざっと見渡したあと、深く考えるまでもなく『ヴィジット』を手に取った。私の大・大・大好きなM・ナイト・シャマラン監督作品である。代表作として『シックス・センス』や『サイン』などがある。それらを単なるホラーやサスペンスというカテゴリに括ってしまうのは早計である。シャマラン監督の表現世界観は、一貫して人間の再生ドラマであるからだ。主人公が過去に背負った心の傷とかトラウマのようなものから、いかにして立ち直るのか、いかにして向き合うのか。そういう精神的ダメージからの復活を描いているものがほとんどなのだ。そのテーマを演出するための装飾がたまたま「ホラー」という形を取ったに過ぎない、と私は考察している。 ストーリーはこうだ。離婚し、シングルマザーとして2人の子どもを育てている中、娘のベッカ(15歳)と息子のタイラー(13歳)は、休暇を利用して祖父母のもとへ遊びに行きたいと言う。2人のママは、実は19歳で家出して以来、ずっと実家とは連絡を取っていなかったため悩むのだが、子どもたちのたっての願いだったのでそれを受け入れる。姉のベッカは記録映画の撮影に夢中で、道中カメラを回すことを忘れず、一部始終を撮影した。長い列車の旅を終え、駅に到着すると、2人を祖父母があたたかく出迎えてくれた。駅からさらにへんぴな田舎まで車を走らせると、やっとママの実家である祖父母の屋敷に到着。姉弟は、祖母の美味しい料理やお菓子に大喜びするものの、何か言いようのない違和感を覚える。さらに深夜になると、不気味な物音が響き渡り、人が徘徊するような気配がした。2人の恐怖心はピークに達するのだった。 ネットで『ヴィジット』のレビューをいくつかチェックしてみたところ、だいぶ私の感想とは異なっていた。私は申しぶんなく見事な作品だと思う。これこそ正にシャマラン・ワールドだと言っても過言ではない。視聴者がこの作品に望んでいるのは物凄くおどろおどろしい恐怖だったり、グロテスクなものなのだろうか?だとしたら残念ながらそれは望めない。注目すべきはそこではないのだから!この作品の見どころは、心の傷を負った十代の姉弟が一週間の祖父母宅での恐怖体験から、さまざまなことを学び、勇気を出し、過去のトラウマから再生するドラマなのである。祖父母だと思っていた2人が認知症だろうが統合失調症だろうが、それは映画として完成させるための単なる装飾であり、テーマは「克服」あるいは「再生」なのだ。人は様々な過去のあやまちを悔やみ、絶望するが、それらは許されるものなのである。必ずやり直すことができるのだという宗教的な意味合いも見え隠れする。幼いころ、グリム童話を読んだ記憶のある人などは、「この設定はもしかして・・・」と思ったかもしれない。私は「おかしの家」でくり広げられる恐怖の連続を通して得られる成長を、この作品に見た気がする。そう言えば無名の子役に演技力の有無を問うようなレビューもあったが、そのB級的雰囲気こそが『ヴィジット』をシュールレアリズム作品に押し上げていると思う。賛否両論あるが、私は大好きな作品だ。 2015年公開【監督】M・ナイト・シャマラン【出演】オリビア・デヨング、エド・オクセンボールド
2017.03.19
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【シャイニング】毎日毎日うだるような暑さが続いて、やっと恵みの雨とともにひとときの涼を感じたのもつかの間。再び残暑の厳しさに見舞われている。加齢とともに真夏の異常な暑さと冬の寒さは身体にこたえる。とくに残暑というのは、疲労の蓄積も加算されてうんざりだ。冷房のキンキンに効いた部屋にいて、足腰を冷やすのはイヤだし、冷たい物を飲食して内から冷すというのも短絡的すぎる。さて、そんな折にはどうしたら良いのか? やっぱ映画でしょ!それもホラー(笑)私にはこれが一番の涼なんだな。本当は思いっきりのB級ホラーを見たいところなのだが、こちらの管理人である相棒が、どうもホラーには触手を伸ばしてくれない。(いつもアクションや戦争モノばかりピックアップするんだから、やんなっちゃうよ)そんなわけで、iTunesで一人ひそやかに『シャイニング』を鑑賞してみた。古い作品だが、メンタルを脅かされるような恐怖感を味わえて、本当に良かった! 舞台がコロラド州の雪深い山奥で、冬の間はお客さんの来ないホテルという設定もイイ。さらに、主演のジャック・ニコルソンの狂気に憑りつかれた演技はスゴすぎる!あまりにもリアルでゾクゾクさせられっぱなしだった。 ストーリーはこうだ。コロラド州の雪深い山中にあるリゾート・ホテルは、冬期の間、閉鎖されている。その間、ホテルの管理人としてジャック・トランス一家が住み込みで働くことになった。ジャックは面接の際、支配人から、「このホテルは以前の管理人であるチャールズ・グレイディが家族を斧で殺害し、その本人も自殺したという過去がある」という事実を聞いた。原因は、外界と隔絶された孤独な環境から発狂したとのこと。それでもジャックは了承し、妻と一人息子のダニーをつれて、管理人の仕事を引き受けた。そんな中、ダニーは引っ越すことに気がすすまなかった。友だちのいないダニーは、自分の中にトニーという人物を作り上げていた。そのトニーがホテルに行くことに反対していたからだ。ダニーには不思議な能力が備わっていた。これから起こる惨劇を予測するかのように、ダニーは幻影を見る。それは、エレベーターの扉から滝のように流れ出るおびただしい血の海や、不気味な双子の少女が立ち尽くす姿だった。いざ、一家三人だけの孤独な生活が始まってみると、やはり、ジャックのようすが明らかにおかしくなっていくのだった。 『シャイニンング』の原作はスティーヴン・キングで、監督としてメガホンを取ったのはスタンリー・キューブリックだ。この二人がタッグを組んで成功しないわけがないと思った。事実、興行的には成功している。だが、意外にも原作者であるスティーヴン・キングは、スタンリー・キューブリックを批判したとのこと。(ウィキペディア参照)理由はいくつかあるようだが、ここでは省く。私のように、ホラーを単なる夏の風物として楽しみたい者にとっては、とにかく背筋の寒くなるような内容でありさえすれば良い。その点、『シャイニング』は最高にコワい!何がコワいのかよく分からないのだが、ゾンビやエイリアンが登場するわけでもないし、人が次から次へと殺されていくというものでもない。 とはいえ、ところどころツッコミを入れたくなる箇所はある。「ダニーの超能力が全然発揮されてないし」とか、「ジャックは冒頭から何かやらかしそうでヤバイ感じだし」など。何でもそうだが、結果として楽しめたのだから、そんなちっぽけなことなど問題ないと言ってしまっても差し支えないかも。自信を持って言えるのは、ホラー好きには必見の逸作であるということだ。 1980年公開【監督】スタンリー・キューブリック【出演】ジャック・ニコルソン
2015.08.26
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【ワールド・ウォーZ】『まだ終わりではない。戦いは続く。多くの街を失った。ゾンビ化の原因はまだ不明だ。時間稼ぎはできる。チャンスはある。戦いに道を見つけた者もいる。戦えるなら戦うのだ。お互いに助け合おう。決して油断するな。戦いは始まったばかりだ』暑い夏には、やっぱりコレでしょ!日本に四谷怪談があるのと同様に、ハリウッドにはゾンビがある。公開時期も昨年の8月とのことで、正にこの猛暑を、ゾンビ映画でも見て乗り越えて欲しいという製作者サイドの、優しい思惑(?)が感じられる。その感覚は大当たりだったようで、興行的には成功し、製作費は十分回収できたらしい。ただ、内容の評価に関してはまちまちで、辛辣な批評を下すレビューも多々ある。とはいえ、どんな大作と呼ばれる映画にも、一人や二人難癖をつける評論家もおられるので、好みなんて十人十色。それぞれに意見があり、感想があって良いだろう。 ウィキペディアによれば、この作品を製作するにあたり、かなり現場が混乱したようだ。脚本が別のライターによって何回も手直しされたり、撮影場所をあちこち変更したり、何より、監督とブラピの不仲説なんかもあったようだ。そんな修羅場をくぐり抜けながらも、これだけのゾンビ映画を成功させたのだから、完成度としては合格ラインに決まっている。 ストーリーは、言わなくてもわかるかもしれない。だがあえて、ご紹介しておこう。フィラデルフィアはゾンビの大群に襲われていた。人間を狂暴化させる、謎のウィルスが世界中で流行し、ゾンビに噛まれると12秒後にゾンビ化する状態に陥ってしまった。元国連職員のジェリーは、国連事務次官ティエリーから連絡を受け、家族を安全な場所にかくまってもらうことを条件に、韓国の米軍基地へと出かけることになった。それは、最初にゾンビに関する情報を送って来たのが韓国だったため、ウィルス感染源を特定し、有効なワクチンを作ろうとしたのだ。結局、韓国の基地に着いたとたん、ゾンビに襲われてしまい、優秀な科学者が不慮の死を遂げ、振り出しに戻ってしまった。ジェリーはCIAの元諜報員から、イスラエルではユルゲン・ヴァルムブルンがエルサレムに高い防壁を築いてゾンビの侵入を防いでいるとの情報を得、さっそく韓国からイスラエルに飛び立つことを決意する。 ゾンビ映画の王道とも言える、スタンダードな作りになっている。フツーならB級扱いになってしまうところ、主役はブラピだし、ゾンビは手のこんだ特殊メイクでそれなりに怖いし、うじゃうじゃと山積みされていくゾンビの集団にはCGも施されているため、かなりの完成度を誇っているのだ。監督はマーク・フォースターで、代表作に『007 慰めの報酬』がある。私は個人的にホラーやサスペンスが大好きなので、身を乗り出すようにして楽しませてもらった。ところが、ラスト。この最後の最後に来て、「あれ?」と首を傾げてしまった。WHOの研究施設でジェリーが、保管されている危険性の低いウィルスに自ら感染し、ゾンビを寄せ付けないようにする作戦が見事成功するのだが、その後のゾンビの群れへの反撃がイマイチなのだ。いきなり場面はカナダの難民キャンプに避難していた家族のもとへと帰還を果たすシーンに移る。そこで、ジェリーの独白で終わってしまうというのは、ちょっと違うんじゃないかと思うわけだ。 視覚的なグロテスクさを避け、軽妙なテンポでくり広げられるゾンビたちとの戦いが、中盤までは大成功だったぶんだけ、ラストが萎んでしまった感は拭えない。残念。とはいえ、家族や友人たちと、キャーキャー言いながら楽しむなら充分過ぎるほどの内容だ。夏の定番映画としておすすめです。 2013年公開【監督】マーク・フォースター【出演】ブラッド・ピット
2014.07.21
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『世界が一変した。やっと見えたのだ。全てがウソだった。母も父も・・・。今の私に残ったのは彼だけ。ピーターは私が疑った時も、傷つけた時さえも、彼に偽りはなかった』この作品の製作会社を見て驚いたのだが、アッピアン・ウェイ・プロダクションで、レオナルド・ディカプリオが代表を務める会社だ。役者として一流のディカプリオが、まさか製作者サイドとして関わっているとは思いもよらなかった。そんなわけで、この作品にはディカプリオが役者として出演することはない。作品はタイトル通り、グリム童話『赤ずきん』をベースにしたものらしいが、オリジナルとはほとんど別モノと捉えた方が無難で、カテゴリもホラーというよりファンタジーに近いものがある。ただ、グリム童話というのは、実はかなり残酷で恐怖を煽るおとぎ話。というのは周知のとおり。おかげでこの作品も全体的におどろおどろしいムードたっぷりに仕上げられている。美しい少女ヴァレリーは、幼なじみで木こりのピーターと好き合う仲だった。だがヴァレリーの母親は、村一番の金持ち一家の跡取り息子であるヘンリーと婚約させてしまう。そんな中、満月の夜、ヴァレリーの姉が何者かに殺されてしまう。それは、人狼のしわざだった。これまでこの村ではずっと動物の生け贄を捧げることで平和を保っていたが、その協定を破られてしまったのだ。激怒した村人たちは、人狼を退治した経験のあるソロモン神父を招くのだった。主人公ヴァレリーに扮したのはアマンダ・サイフリッドで、透明感のある美しい女優さんだ。代表作に『マンマ・ミーア!』などがあり、今後注目の女優さんである。さらに、ソロモン神父に扮したゲイリー・オールドマンもなかなかのキャスティングだ。 この役者さんのスゴイのは、狂信的な役柄を、まるで自分の内在する本質的なものとして演じてしまうところだ。つまり、役作りを超越したリアリティを感じさせるのだから脱帽だ。独特の映像美と、役者陣の申し分ない演技のおかげで完成度としては高い。だがストーリー展開はこじんまりとまとまり過ぎたキライもあり、まずまずと言ったところか。ファンタジー映画を好む方々におすすめしたい作品だ。2011年公開【監督】キャサリン・ハードウィック 【出演】アマンダ・サイフリッド、ゲイリー・オールドマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.07.01
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「あまり信心深くない私がこういうのも何だが、神から授かった能力は使うべきだ」「神から授かった?! 神が私をトラックに激突させ5年もの長い間棒に振らせた! 昏睡から目覚めると、恋人も仕事もなくし、脚はデクのぼう! 神は僕をオモチャにしたのさ!」作品の冒頭から惹き込まれていくストーリー展開で、調べてみたところ、原作がスティーヴン・キングの同名小説であることを知り、納得した。監督のデヴィッド・クローネンバーグは、カナダのトロント大学を卒業し、生化学・生物学から英文学に至るまでの学業を極め、そのせいか映画作品は独特なカラーとセンスで彩られている。代表作に『ザ・フライ』『裸のランチ』『クラッシュ』などがある。『デッドゾーン』は、カテゴリとしてホラーに区分されるものだが、半ばファンタジー、半ばヒューマンドラマとして、胸を熱くしながら鑑賞することができる。5年もの長い間、昏睡状態に陥り、やっと目覚めた主人公には特殊な能力が備わっていたという展開だが、不自然さがなく、あるいは世の中にはこんなこともあるかもしれないと思わせるような、滑らかなストーリーになっている。お見事。ちなみにこの作品は、ヒッチコックサスペンス映画賞を受賞している。ニューイングランドで英語教師をしているジョニー・スミスは、恋人のサラとデートした後、帰宅途中で交通事故に遭ってしまう。命は助かったものの、5年もの長い間、昏睡状態に陥ってしまい、その間恋人のサラは他の男性と結婚し、すでに子どもまで生まれていた。せっかく昏睡状態から目覚めたジョニーだったが、生きる意味を失くしつつあった。そんなある時、ジョニーの世話を担当している看護婦が、ジョニーの額の汗を拭いてあげようとしたところ、突然ジョニーが看護婦の腕を掴む。するとジョニーには看護婦の自宅が火事に見舞われ、幼い少女が泣き叫んでいる姿が目に浮かんだ。他人の手を握るとジョニーには離れた場所で起きていることを感知したり、過去を見通すことのできる特殊な能力が備わっているのだった。出演者の中に、若きマーティン・シーンがいる。この役者さんは、言わずと知れたチャーリー・シーンの実父で、見事な演技を披露してくれる。作中の役柄としては、独裁的な上院議員候補グレッグ・スティルソンに扮している。実に憎々しげに、厭味な政治家として演じているが、この演技のおかげで主人公のジョニー・スミスが、透明感のある人物像として引き立てられているのだ。もちろんジョニー・スミスに扮したクリストファー・ウォーケンの、繊細な演技も際立つものを感じるが、マーティン・シーンの比較対照がなければ存在しえないものだっただろう。この手の作品には珍しいことだが、ストーリーにムラがなく、最後まで安心して観ていられるホラー映画だ。1983年(米)、1987年(日)公開【監督】デヴィッド・クローネンバーグ【出演】クリストファー・ウォーケン、マーティン・シーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.02.05
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「僕を助けてくれ。人間に戻りたいんだ」「どうやって?」「ここに僕が入る。君はあっちだ。そこで解体されて・・・向こうで融合されて出る。君と僕と子どもと・・・皆一緒だ」ホラーというジャンルにもいろんなパターンがあって、例えば『13日の金曜日』シリーズや『エルム街の悪夢』など、殺人シーンを山場にした作品が多数あるが、『ザ・フライ』はそういうホラーとは一線を画す。もっと人間的な悲哀で覆われた、SFホラーと言って良いだろう。端的に言うと、研究に情熱を燃やす科学者が、自分が実験台となり、ふとした過失で蝿男になってしまうという物語だ。この作品を鑑賞して、ついつい思い出されてしまったのが、『オペラ座の怪人』や『シラノ・ド・ベルジュラック』などの戯曲だ。容姿の醜い男が、一人の女性に恋焦がれ、どうしようもない運命の定めに翻弄されていくプロセス。これこそが物語の要である。『ザ・フライ』の作中でも、主人公が醜い蝿男になりつつあるにもかかわらず、恋人のヴェロニカは嘆き哀しみながらも彼を抱きしめるのだ。このシーンは、どんなロマンチックなラブ・ストーリーよりも崇高で美しい。数あるホラー映画の中に、このような悲哀を盛り込んだシナリオは少ない。テレポーテーションと遺伝子組換えの研究をしている科学者のセス・ブランドルは、学会の会場で女性記者のヴェロニカ・クエイフと知り合う。ブランドルは、ヴェロニカを研究室に招き、研究中のテレポッドを見せる。テレポッドは物質転送装置で、科学雑誌の記者であるヴェロニカにとっては、ぜひともスクープにしたい画期的な発明だった。一方、ヴェロニカは、編集長であり元恋人のボランズに愛想を尽かし始めていた。というのも、ブランドルの真面目な研究態度に惹かれ、いつしか男女の関係になっていったからだ。『ザ・フライ』の悲哀が最もピークを迎えるのは、やはりラストだろう。主人公が蝿男となりながらも、最後の人間らしさを振り絞って、ヴェロニカに銃口を自分に向けるようなしぐさを見せるシーンがある。蝿男として生きながらえたとして、一般社会ではとうてい受け入れてもらえない。人間としての生態というよりは、もはや蝿としての機能が強く、醜くなるばかりの自分に絶望していく様子。グロテスクで恐怖を感じさせる点では疑いようもなくホラー映画なのに、なぜか格調高いものを感じてしまう。80年代を代表する傑作ホラーと言っても過言ではないだろう。1986年(米)、1987年(日)公開【監督】デヴィッド・クローネンバーグ【出演】ジェフ・ゴールドブラム、ジーナ・デイヴィスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.11
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「悪魔に勝ったと思うか?」「悪魔ではありません。心を病んだ少女です。神父ではなく、精神科医が必要です」「まだ悪魔に騙されているな」「小道具の入った鞄を忘れずに」この作品の見どころは、アンソニー・ホプキンスの演技、ただこの一点に尽きるような気がする。ストーリーとしては、正直、斬新さに欠け、過去にも似たようなものをいくつか鑑賞した覚えがある。それを踏まえた上で、尚もこの作品を評価できるのは、アンソニー・ホプキンスの気品と知性に溢れる類まれな演技力にある。具体的に言ってしまうと、悪魔祓いの立場であったアンソニー・ホプキンス(ルーカス神父)が、逆に悪魔にとり憑かれてしまうのだが、このあたりからホラーらしくなる。アンソニー・ホプキンスの独断場となり、他者を寄せ付けない見事な狂人ぶりを披露してくれるのだ。アンソニー・ホプキンスの演じるルーカス神父に、一体何が起こったのか?いろんな捉え方はあるが、悪魔にとり憑かれた相手とまともに対峙していくうちに、自らも精神の均衡を崩し、いつの間にか悪魔にとり憑かれてしまう。そこには“魔がさす”という、人間の本能からはほど遠い、意味のない現象によって身を滅ぼしてゆく、不可思議なプロセスが存在するのだ。もともと葬儀屋の息子だったマイケルは、思うことがあって神学校に進学した。だが卒業を間近に控えながらも、神父になる道を捨てようとしていた。そんなマイケルの苦悩を知った司祭は、バチカン公認の正式な職業であるエクソシスト養成講座を勧める。よくよく考えた末、マイケルはローマに留学し、異端とはされながらも一流のエクソシストと謳われるルーカス神父のもとで、悪魔祓いを手伝うことになった。この作品は、ホラー映画というカテゴリに分類されるのだろうが、B級モノに見られる血生臭くてグロテスクなホラーとは一線を画す。演じている役者さんの質の高さにもよるが、それも含めて、史実的にも筋の通った内容だった。ホラーらしいベタなホラーモノを期待している視聴者には、物足りなさを感じるだろう。 『ザ・ライト』から得られるのは、人間の本能さえコントロールしてしまう、史上最悪の悪魔と戦う悪魔祓い(エクソシスト)の真実である。2011年公開【監督】ミカエル・ハフストローム【出演】アンソニー・ホプキンス、コリン・オドナヒュー、アリシー・ブラガまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.09.17
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「どうしてこの実験にオレを誘ったんですか!?」「臆病な人ほど疑心暗鬼になって、いい働きをするから」「だったらなんでオレを助けたんだ!?」本作は、あまりにも現代的で、あながちあり得ないことではなさそうな気がした。これほどケータイやらPCが普及した社会なら、いつでもどこでも暇つぶしのように情報を収集して、他人を管理し、また自分も管理される。ゲームは今や若者だけのアイテムではない。年齢を問わず、片手間に楽しむ娯楽の王者として君臨している。ゲームの中では、簡単に人を殺し、殺され、リセットすれば再び生き返る。バーチャルな世界では、ごく当たり前のことだ。だが実際、リアルな空間で殺人ゲームが行なわれ、監視カメラによって世界中にその模様が配信されていたらどうだろう?また、その行為がビジネスとして成り立っているとしたらどうだろう?普通の精神構造の持ち主ならば、尋常ではいられまい。仕事を探そうと躍起になっていた結城は、コンビニで目の覚めるような美人から声をかけられる。その女性は須和名祥子といい、ケータイの求人広告を見せ、「ある人文科学的実験の被験者になると、時給11万2千円」という眉唾ものをどう思うか訊ねて来た。結城は、求人内容についてあれこれ考えるまでもなく、祥子に半ば一目惚れのような形で、その怪しげなモニターに応募することにした。当日は、山奥の隔離施設のようなところに、年齢も性別も様々な10名が集まった。結城はラクして稼げることで深くも考えず、施設内に入ってしまうが、それから7日間のうちに次々と残酷な事件に巻き込まれていくことになるのだった。本作「インシテミル」の原案となったものは、おそらく密室における殺人というトリック・ミステリーだと考えられる。こういう密室殺人を扱った小説というのは、正直、はいて捨てるほどあるのも事実である。だが、ある意味SF的色合いから殺人ゲームに仕立てて行き、それがビジネスとしてなんでもないことのように金で解決されているという着想が斬新ではないか。被害者にボーナス、解決した探偵にもボーナス、そして犯人にもボーナス。つまり、ばく大な金額の動くマネーゲームでもあるのだ。主人公の結城に扮するのは藤原竜也で、舞台仕込の演技がこの作品では大いに成功している。また、岩井役の武田真治も然り。二人とも蜷川幸雄の演出による「身毒丸」の舞台を好演しており、鬼気迫る演技を披露してくれる。広義のミステリー好きには、一定の評価を受けられそうな作品なのだ。2010年公開【監督】中田秀夫【出演】藤原竜也、綾瀬はるか、北大路欣也また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.06.18
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「(残念ながら)あなたはやっぱり生きてた」「お前は捜しやすい。衛星システムがあるし、今どき飛ぶ者は少ない。しかもお前は常に仲間を求める。友情を大事にしすぎる」「バイオハザード」シリーズも、実に息の長い作品だ。興行的にも成功を収めているということは、つまりそれだけ大衆から支持されていることに他ならない。ゲーム好きの世代にはたまらない世界観が、そこに広がっているのかもしれない。そもそも“バイオハザード”とは何なのか?簡単に言ってしまえば、ものすごく危険で、そこらじゅうに広がり易い危険物、という意味合いだ。例えば、昨今話題になっている遺伝子組み換え作物などがそれだ。『サイエンス』誌によれば、遺伝子組み換え作物は、原子力事故と同じ危険性を持つらしいのだ。文系の吟遊映人は、科学的なことに詳しくないので上手く説明できないのだが、どうやら遺伝子組み換え作物というのは、将来的に、長いスパンで考えた時に、発がん性を伴うらしいのだ。余談になってしまったが、とにかく“バイオハザード”というのはそういう危険物で、本作はそれと戦う女戦死の話なのだ。早い話が。東京の都心の地下に、巨大な要塞を作り上げたアンブレラ社は、尚も健在だった。元アンブレラ社特殊工作員で、超人的な身体能力を持つアリスは、自身のクローンを引きつれ、地下要塞を破壊する。その後、アリスはウィルス感染の及んでいない“アルカディア”を目指すものの、そこに人の気配はなかった。ところが不意にアリスは何者かに襲われる。捕まえてみると、その人物はなんと(前作で)人類の生存者を率いていた“クレア軍団”のクレア・レッドフィールドであった。そこでアリスとクレアは、自分たち以外の生存者を求めて、飛行機でロサンゼルスに向かうのだった。“バイオハザード”というとてつもない恐怖が、バーチャルなゲームの世界だけのことなら、いくらゾンビが出現しようと何をしようと、きっとアリスが助けてくれることだろう。殺されては生き返り、殺されては生き返り・・・それが無機質に繰り返されていく非現実的な世界から、ある日突然、我に返るのだ。原子力事故という“バイオハザード”と、我々は面と向き合っていかねばならないからだ。そして、一たび汚染された土壌と海は、容易には元に戻らない。目には見えない敵に翻弄され、戦いを挑むこともままならない。本作「バイオハザード4」を観終わった時、ああこれが映画の世界で良かった、と思ったのは、吟遊映人だけであろうか?2010年公開【監督】ポール・W・S・アンダーソン【出演】ミラ・ジョヴォヴィッチ また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.04.13
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「なぁ、そこの保安官夫妻よ。楽しみだろ? わかるか。最悪な奴らがやって来るぞ」 「(この男は)脅かしてるだけよ」「いや、そうじゃないよ」本作のメガホンを取ったのはイギリス人監督で、ヴァンパイアが登場するゾンビ映画を得意としているようだ。「30デイズ・ナイト」の製作者の一人として、サム・ライミが携わっていることも見逃せない。サム・ライミこそ本命の人で、カルト映画界の天才なのだ。「スパイダーマン」シリーズの大ヒットは周知の通りで、コミックの世界を実写化するという特殊な才能は、“この人でなければ”という定評があるらしい。無論、本作も同名コミックを実写化したものである。サム・ライミが最初に脚光を浴びたのは、「死霊のはらわた」で、何やらおどろおどろしい内容に思えるが、実は単なる恐怖映画ではない。低予算映画ながら、ライミのオリジナリティーを感じさせる、一定の賞賛を受けた出世作となった。そんなサム・ライミがプロデュースする「30デイズ・ナイト」は、なかなかどうして、侮れない作品に仕上がっている。アラスカ州バロウが舞台。冬は30日間、日が昇らない極夜の始まる時、事件は起こった。それは、何者かによって飼い犬が惨殺されるというものだった。街の保安官であるエバンは、妻のステラとギクシャクしていて暫くの別居生活を考えていた。そんな中、街が突然停電し、電話まで不通になるという事態が発生。エバンは急遽、発電所に向かい、様子を見に出かけたところ、なんと作業員の惨殺死体が見つかった。主役のエバンに扮するのはジョシュ・ハートネットだが、この役者さんはなぜか薄幸なキャラクターがピッタリなのだ。本作においても、ラストまで鑑賞するとその意味に納得がいくと思うが、とにかく“明るく陽気で満面の笑みを浮かべた”役柄からは程遠い。いつも何かしら苦悩を抱えていて、たまにハッピーなことがあっても、そう長くは続かない。自分の身の丈に合った人生を全うする、そういう地道なキャラクターが正にハマリ役なのだ。そんなジョシュ・ハートネットは、自分の適役を冷静に見極めており、本作でもアラスカ州の小さな街の保安官という役柄を熱演している。「30デイズ・ナイト」では、街の保安官が市民を守るために必死で職務に殉じる姿がすばらしい。本来はホラー映画で、恐怖を楽しむことが先行するのだが、東日本の状況を考えると、本当の恐怖とは何であるかを突き付けられて、ホラーをホラーとして楽しむこともままならない吟遊映人なのであった。2007年(米)、2009年(日)公開【監督】デヴィッド・スレイド【出演】ジョシュ・ハートネット、メリッサ・ジョージまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.04.01
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「お前は母親の死に深く傷ついた。母親のあんな姿を見れば無理もない。あの夜、お前が私たちを見さえしなければ・・・私の言うことを信じてくれ。私はお前の母親を心から愛していた。彼女と共に私も死んだ。今でも夜、城をさまよい、彼女を捜している」邦訳するとそのまま“狼男”となるわけだが、この手の作品は欧米諸国に限らず、日本においても魅了される題材かもしれない。例えば日本においては、河童や座敷童、雪女などの妖怪、あやかしの伝承が数多く残っていて、いつまで経っても眠りに就かない幼い子どもたちのための寝物語として愛されて来た。(もちろん、もっとおどろおどろしい部分を秘めているものもあることは確かだが)ところが西欧の狼男や魔女などはもっと切実で、そのルーツは宗教が絡んで来るので根が深い。昔は今ほど精神医学が発達していないため、知能障害を患った人物が月に向かって絶叫したり、精神錯乱を起こしたりすると、それはすぐさま天罰とされたり、あるいは悪魔の呪いとされてしまった。【ウィキペディア参照】こうしたところから物語は膨らみを帯び、人が満月の夜に獣に変身するという発想が生まれたのかもしれない。1800年代後半のイギリスが舞台。芝居の巡業中の合い間に、役者であるローレンス・タルボットのもとへ、故郷ブラック・ムーアから客人が来る。それはローレンスの弟ベンのフィアンセであるグエンであった。グエンが言うには、ベンがずっと行方不明で何か手掛かりが欲しい、ベンの行方について心当たりはないかとのことだった。ローレンスは巡業中という立場もあったが、それより何より、忌わしい過去に囚われ故郷を半分捨てたような形であったため、本来なら弟のことなど放っておきたかったが、情にほだされローレンスはブラック・ムーアへ帰郷するのだった。本作では準主役のような立ち位置にある、アンソニー・ホプキンスに注目した。やはりこの役者さんの存在感と言ったら並々ならぬものを感じてしまう。英国人俳優ということもあってか(つまり、舞台における役者としての起源を持っているということ)、アンソニー・ホプキンスは台本を重要視する。そのため、何度も何度も繰り返し台本を読み込むことで役柄を体得していくという形態を取っている。これは、表面的なスタイルから入っていくロバート・デ・ニーロとは対極にある演技で、その辺りも注目してみる価値がありそうだ。「ウルフマン」は、中秋の名月には持って来いの西欧ファンタジーなのだ。2010年公開【監督】ジョージ・ジョンストン【出演】ベニチオ・デル・トロ、アンソニー・ホプキンスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.09.25
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「隠れてる時間はないの。今すぐケインの居場所へ(連れてって)」「教えるから自分で行って」「君は?」「・・・行けば殺される。向こうから来たあなたたちも。ソルが去ってから父は人を信じない。父に逆らう者は皆なぶり殺しよ」ついこないだまで寒い日が続いて、こたつもしまっていなかったというのに、ここのところ急に気温が上昇。連日のように夏日が続いている。今年は春を通り越して、いきなり夏がやって来そうな気配だ。そんな中、観る映画も毛色が変わる。うん、夏はやっぱりホラーだな。吟遊映人は、夏を先取りするべく、本作「ドゥームズデイ」を鑑賞した。B級だなどと侮ってはいけない。恐れ多くも、本場イギリスのホラー映画なのだから!スプラッター一つにしても、甘めでどこかクール(?)な残虐性を感じるというものだ。 アクションに至っては、むやみやたらなムダを無くしたエコな格闘で視聴者を安心させる。とにかく、大英帝国を背負った優雅な(?)ホラー映画なのだ。スコットランドのグラスゴーで、突如として謎のウィルスが発祥。感染者は生存できず、“死のウィルス”として恐れられた。政府は、蔓延するウィルス感染を食い止めようと、イングランドとスコットランドの間に巨大な壁を作り、壁の北側に住む人々を隔離してしまう。時を経て2035年の近未来。すでに忘れ去られていた“死のウィルス”がロンドンの街にも発祥。政府は苦渋の決断により、抗ウィルス剤を求めて壁の北側にエデンたち精鋭部隊を送り込むのであった。見どころをどこか一つに限定することの出来ない難しさ。とにかくどこもかしこも面白かった。しかしあえて言うなら女戦士エデンが、暴徒化された住民たちのリーダーらしき男に捕まり、両手を縛られ天井に吊るされたシーンであろうか。いよいよ拷問を受けるのかと、肝を冷やしつつ恐る恐る観ていた。吟遊映人は、純粋にホラー作品を借りて来たつもりであったが、これはどうやらカテゴリ初の“ピンク”(←ポ○ノとも言う)を追加せねばと思ってしまった。が、違った。拷問と言っても大したことはなく、やはりそこは紳士の国イギリスなので、甘めであった。とにかく何が言いたいのかと問われれば、このテイストは観た者にしか分からない不思議な魅力のある作品なのだ。モノはためしとの言葉もある。皆様、一度この世界観を体感してみたらいかがでしょうか?(笑)2008年(英)、2009年(日)公開【監督】ニール・マーシャル【出演】ローナ・ミトラまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.05.29
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「(あんたの)息子が心配だな」「離れ離れになったが、ボストンで会える・・・。あんたも・・・大切な家族を(失ったのか)?」「皆、死んだ」日本人の感覚からすれば、この手のパニック・ホラー的映画は、夏を舞台に繰り広げられるものだ。しかし、ハリウッドを動かす巨匠ともなれば、季節感よりも危機感、圧迫感、そして何より恐怖感を優先させる。真冬の凍てつく川に放り出される人々や、ぞろぞろと歩く人々の吐く息の白さに驚かされる。これは正に、冬を舞台にした氷のように冷たいホラー映画なのである。スピルバーグ監督は、何と言っても恐怖の正体を徹底的に見せ、そして語る。得体の知れない未知の生物も披露してくれるし、凄惨な殺戮シーンもいびつにならない程度に表現している。それが一体何を意味するものなのかは視聴者各人の捉え方にもよるが、一つにはやはり、世界最強の国と謳われた米国の落日を遠回しに象徴しているようにも感じられる。一介の労働者であるレイは、別れた妻が里帰りのためボストンへ行く間、息子のロビーと娘のレイチェルを暫らく預かることになる。子どもたちと上手くコミュニケーションを取ることもままならず、苛立ちを隠せないでいる中、外では異変が起きていた。嵐とも竜巻とも思えない暗雲が立ち込める中、突然稲妻が光った。そうこうするうちにアスファルトにひびが入り始め、地中から見たこともない三本足のマシーンが現れるのだった。本作「宇宙戦争」の魅力は、何と言ってもそのキャスティングにあるだろう。ややもすればB級になりがちなホラー映画を、名だたる俳優陣が体当たりの演技で作品を盛り上げるのだから、おもしろくないわけがない。レイチェル役のダコタ・ファニングの、健気で他を寄せ付けない迫真の演技は、大人顔負けなのだ。また、チョイ役でティム・ロビンスが出ているのも見逃せない。代表作に「ショーシャンクの空に」や「あなたになら言える秘密のこと」などがある。 本作におけるキャスティングにはちょっと勿体ないような大物俳優なのだ。凍えるような冬の夜、あったかいリビングで大切な人と肩を寄せ合い観ていただきたい・・・そんな作品なのだ。2005年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】トム・クルーズ、ダコタ・ファニング、ティム・ロビンスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.12.07
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「あなたの協力がないと家族の命が危ない。なぜ病院にあった鏡は執拗なまでにあなたの行方を捜すんだ? ・・・お願いだ、(あなたの)助けがないとこの世で一番大切な家族を失ってしまう」「お掛けになって。鏡はただ世界を映しているだけ。私を捜しているのは鏡ではなく・・・鏡に閉じ込められているもの」やっぱり夏はコレでなくちゃ、うん。ドラキュラに狼男、ジェイソンからゾンビまで海外のモンスターは確かにコワイし気持ちワルイ。だが、なんと言うのか“見せる恐怖”にはホラーとしての限界があるような気がするのだ。その点、本作「ミラーズ」は東洋的なホラーのニオイがそこかしこからプンプン漂う。 “何だかわからないが、目に見えない何かが自分に襲ってくる”的な恐怖・・・これこそが“見えない恐怖”としての圧倒的な演出である。吟遊映人がオススメするホラー映画としては、願ったり叶ったりの作品がこの「ミラーズ」なのだ。元N.Y.市警のベンは、誤って同僚を射殺して以来、情緒不安定な日々を送る。アルコール依存症のせいで、愛する家族とも別居を強いられ、妹のアパートで居候生活を余儀なくされる。社会復帰のために夜警の仕事に再就職をしたところ、巡回するのは火災で廃墟となったデパートであった。内部は荒れ放題であったが、何故か鏡だけは傷一つない。不思議に思ったベンは・・・。主役のキーファー・サザーランドは久しぶりに見たが、ますますワルな持ち味に磨きがかけられているようだ。なにしろ出世作の「スタンド・バイ・ミー」では、不良グループの番長役で、とてもじゃないが演出とは思えない自然体の演技であったからだ。そんなキーファー・サザーランドも、長い年月をかけてこれほど切ない役柄を演じるようになった。「ミラーズ」のラストでは(視聴者各人の受け取り方があるだろうが)、すでに自分が死んでいることも理解できず、街をさまよう霊となって現れる。やがてそれは社会を映し出す鏡の一部となって存在する・・・というくだりである。この時の、納得のいかない表情を浮かべるキーファー・サザーランドの熱演ぶりはすばらしい。正に、ホラー映画としては一級品に入るのではなかろうか。2008年公開【監督】アレクサンドル・アジャ【出演】キーファー・サザーランドまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.21
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「お前が未来だと思ってた。(だが)違ったよ。この私こそ未来だ」「アハハハ・・・! いいえ、あんたはただのゲス野郎よ。お互いここで死ぬ」もともとはゲームの中で展開された物語だと言うが、すっかり原案を越えた映画の様相を取っている。しかも日本のプレイステーション用ゲームが、ここまでアメリカ的“見せる恐怖”に発展しようとは思いもしなかった。さらに驚くべきは、単なるゲームとは侮れない大衆への影響力。そこから派生するストーリー、音楽などは、もはや若者を中心にしっかりと市民権を得ているのだ。本作「バイオハザード3」は、前作の続編であり完結編でもあるが、何がすごいのってとにかく行く場所行く場所に現れるゾンビの群れと、ヒッチコック作品の「鳥」を彷彿とさせるカラスの大群である。死にもの狂いで生き延びようとする人類は必死に抵抗するが、それでも死傷者は後を絶たないのだ。ラクーンシティのみのT-ウィルス汚染であったが、結局その威力の前に人類は無力で、全世界へと蔓延してしまう。事件の発端であるアンブレラ社も地下深くに潜み、ゾンビに対する血清などの研究を続けてはいるものの、失敗に終わっていた。一方、特殊な抗体を持つアリスは砂漠化した各地を転々としながら一人旅を続けていた。 そんな中、バイクに給油するために立ち寄ったガソリンスタンドで誰かが書き残したノートを見つける。そこには、入念な調査とアラスカが安全であるとの記載があるのだった。「バイオハザード」シリーズでは、とにかく映像と編集のテクニックによって生み出される緊張や恐怖を堪能して欲しい。そして、アリス役のミラ・ジョヴォヴィッチの迷わず抹殺していく戦闘シーンを楽しんでもらいたい。現実社会では適わぬ殺人も、「バイオハザード」の中ではそれこそが生き延びるための最終手段として表現されているからだ。正に、ゲーム感覚で楽しめるアクション・ホラーなのだ。2007年公開【監督】ラッセル・マルケイ【出演】ミラ・ジョヴォヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.17
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「殺せ! 止めを刺せ!」「イヤ! ・・・イヤよ!」「自分の価値を知れ。彼は怪物だが君は細胞にT-ウィルスを取り込み、適応し、変化させた。君は正に奇跡だ」「私も怪物よ」「いいや、変異ではなく、進化だ」ここのところ妙に女性が活躍する作品ばかり観ているような気がする。泣いたりすねたり甘えたり・・・の女々しさは微塵も感じられない。汚染された街から一刻も早く脱出しようとする勇敢なヒロインを中心としたホラー作品なのだ。それにしても前作に続き、女優ミラ・ジョヴォヴィッチの涼しげな表情と澄ました物腰はどうだ!何事にも動じない強靭な精神力、そして超人的な肉体。こんな見事な武器があれば、どんな怪物が現れようと彼女の鉄拳で一撃に違いない。ラクーンシティにあるアンブレラ社の地下秘密研究所“ハイブ”において、バイオハザード事故が発生して以来、街中はゾンビの群れで壊滅状態に陥っていた。一方、問題のT-ウィルスを開発したアシュフォード博士は、その身柄をアンブレラ社のもとに半ば拘束されるような形となる。だが博士はたった一人の愛娘であるアンジェラを救い出そうとしていた。アンジェラはアンブレラ社によって小学校から連れ出されたものの、その途中で交通事故に遭い行方知れずになっていたのだった。身動きの取れない博士は、何とかして娘を助けようと街に生存する者にコンタクトを取ろうとするのだった。本作は、前作よりさらにストーリーがドラマチックになっていて、単なるホラー映画とは一線を画している。俊敏で賢いはずのドーベルマンもゾンビ化することで単なる肉食獣と化し、手に負えない動物として描かれている。また、前作の登場人物であるマットに人の手が加えられ、生物兵器となってしまったネメシスは、醜い容姿や図体の大きさとは裏腹に知性を兼ね備えた殺人マシーンという設定になっている。このような緻密なキャラクターセッティングや、T-ウィルス感染の異常なまでの速さなどは、我々視聴者に恐怖心を煽る上で大きな役割を果たしている。ホラー映画として非常に完成度の高い作品なのだ。2004年公開【監督】アレクサンダー・ウィット【出演】ミラ・ジョヴォヴィッチ また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.15
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「別れがつらいぜ」「(あんたの)カレシはクソッタレだね」「ロックを撃ちやがった。クソ野郎が逃げおおせるとは」「(コンピューターの声)それはムリね。私っていけない子なの」こういう作品をチョイスした時点で、「ああ、夏が来た」と実感する。もちろん冬に観るのがマズイわけではない。だが、ドキドキハラハラ時折背筋がゾーッという案配の作品は“涼”を求める夏には持って来いのような気がするのだ。吟遊映人が気に入っているのは、なにも映画のジャンルうんぬんだけではない。主人公アリス役のミラ・ジョヴォヴィッチの非情な美しさとでも言うのか、とにかく媚びない容姿、スタイルがこの作品にぴったりとハマっている点だ。出世作でもある「ジャンヌ・ダルク」を勇ましく、格好良く、そして神々しく演じたあのミラ・ジョヴォヴィッチが本作でも健在なのだ。次々と襲い掛かる悪夢のようなゾンビたちを、表情一つ変えずに打ちのめしていく姿は、正に「ジャンヌ・ダルク」そのものである。アンブレラ社は表向きは家庭用医薬品メーカーで、アメリカではナンバー1を誇る大企業である。しかし実際にはウィルスや細菌兵器の開発による暴利を貪っていた。ある日、ラクーンシティにあるアンブレラ社の秘密地下研究所“ハイブ”において事故が発生。この事故によりハイブ内の所員は全員死亡。事故の原因は研究中のT-ウィルスが何らかの要因で漏れ出し、ハイブ内にウィルスが蔓延したことによるものであった。このため、アンブレラ社の本部は急遽ハイブの制御コンピューターである“レッドクイーン”をシャットダウンさせるべく、特殊部隊を派遣した。アメリカンホラー映画は、やっぱり何と言っても“見せる恐怖”であろう。顔がグチャグチャ。指が破損、欠損。あるいは身体がさいの目状に切断など、こういう豪快なスプラッターものは、ある意味博打だ。下手をすればすぐにそれが作り物であるとか、細工されていることがバレバレだからだ。 しかし、アメリカはやっぱりスゴイ。特殊メイクを施すのはお手の物なのだ。おかしな言い方かもしれないが、安心して(?)楽しむことのできるホラー映画、それがこの「バイオハザード」である。2002年公開【監督】ポール・W・S・アンダーソン出演】ミラ・ジョヴォヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.08.12
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「これはやつらの策略だ。お前が危険な男だと宣伝してる。これでヴァンパイアだけでなく、世界中と戦うことになる。」「心配しすぎだぞ、ジイさん。」「だから生き延びてきた。お前の歳より長く戦ってる。お前は息子も同然だ。俺も歳をとった。(お前が)敵に囲まれ一人で戦う姿を見てるのがつらい。(お前には)仲間が必要だ。」「ブレイド」の初回のストーリー展開からして、すでにウィスラーの娘や妻はヴァンパイアによって亡きものにされ、てっきりウィスラーは天涯孤独の身だとばかり思い込んでいた。が、違った。やっぱり思い込みは良くない。ウィスラーの娘アビゲイルはちゃんと生存していて、しかもヴァンパイア・ハンターとして草の根運動を果たしていたのだ。ウィスラーも高齢だし、万が一のことだってあり得る。その時はブレイドがたった一人で切り盛りしていかねばならないのかと、実は心配していたのだ。だからウィスラーの継承者が一人でもいてくれて安心した。ちなみにこのアビゲイル役はジェシカ・ビールで、実にチャーミングな女優さんである。 「NEXT」では、ニコラス・ケイジと共演。ニコラスと二人だけのラブラブ・ワールドを披露してくれた。(←もちろん演技上。) シリアの砂漠ではピラミッド型の古代遺跡に、いそいそと向かう怪しい面々。彼らヴァンパイアは、種の存続をかけて元祖ヴァンパイア・ドレイクを復活させようとしていた。一方、ヴァンパイア・ハンターであるブレイドは、彼らの罠にはめられて人間を殺してしまう。連続殺人鬼として指名手配されたブレイドは、アジトを突き止められFBIに捕まってしまうのだった。今回はまたまたパワーアップした。何がアップしたかと言えば、ヴァンパイアの最終兵器(?)が出現してきたので、それをパワーアップと表現してみたのだが。(汗)それは・・・元祖ヴァンパイアなのだ!!元祖ヴァンパイア・ドレイクの変身した姿のなんとおぞましいことか!「エイリアン」制作委員会も恐らく真っ青だ。こんなに恐ろしい怪物が古代地球に幅をきかせてのさばっていたとすると、それをピラミッドに封じ込めた人間ってスゴイと思った。素朴な疑問なのだが、これまでさんざん暴れ回ってたわりにブレイドの存在って認知度が低く、人間にはバレていなかったのか・・・?今回初めて人間を殺してしまい、FBIに追われる身になったのだが、わりと簡単に捕まってしまった。(汗)リアルに考えれば、人間ほど知的でコワイものはないということか。良い意味で不意をついたストーリー展開で、妙におもしろいホラー映画であった。2004年(米)、2005年(日)公開【監督】デヴィッド・S・ゴイヤー【出演】ウェズリー・スナイプスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.01
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「どうしたの?」「銀とニンニクが効かない。」「知らなかった。」「知ってたら教えたか?」「隠しごとはしてないわ。」「(だが)やつは君を助けたぞ。」面目ない。吟遊映人の読みは、まだまだ浅かった。てっきり前回で死んだとばかり思っていたウィスラーは、ヴァンパイアのところでどうにか生き長らえていたようだ。ウィスラーはとてもわかり易い立ち位置で、むしろ安心感のある存在なのだ。日本の「仮面ライダー」を思い出していただきたい。ほら、“オヤジさん”が出て来るのを覚えていないだろうか?確か、仮面ライダーを影ながら支えてあげる唯一の理解者だ。端的に言ってしまえば、ウィスラーの存在はこの“オヤジさん”である。それから驚いたことはまだある。2作目はもの凄いことになってしまった。なんと、ヴァンパイアさえ無差別に襲う、新種のウイルス・リーパーズというやつが現れてしまったのだ!恐るべしリーパーズ!そんなわけで考えられないことが起こってしまった。それは、フツーのヴァンパイアからブレイドたちハンターのもとへ、休戦協定が申し入れされたのだ。なにしろブレイドとフツーのヴァンパイアたちが、いつも通り戦っている場合じゃなくなってしまったというわけだ。とりあえず和平を結び、お互い手に手を取り合って、同じ敵であるリーパーズを倒してからその後にでも本来の戦いを再開しようではないか・・・みたいな段取りになった。日夜ヴァンパイアと戦い続ける男ブレイドは、前回フロストとの決戦の際、殺されたはずの盟友ウィスラーがヴァンパイアのアジトに囚われの身となっていることを知る。ブレイドは決死の覚悟で潜入。無事にウィスラーを救出する。ブレイドはウィスラーのいない間、スカッドという相棒を得て新しい武器の開発やマシーンの改良を重ねていた。こうして3人のハンターたちがチームを組むことになった。そんなある日、ブレイドたちの前にヴァンパイアの大君主ダマスキノスの愛娘ニッサとその仲間たちが現れる。なんとそれは休戦協定の申し入れであった。これはお世辞でも皮肉でもないのだが、ますますおもしろくなって帰って来た2作目、という感じがする。なんだろう、この感触は・・・そう、「スターウォーズ」と「エイリアン」と「プレデター」を丸ごと足して2で割った、そんな超大作なのだから!さらにさらに、本作「ブレイド2」ではこれまでの強いヒロインから脱却し、強がらない女性が登場した。ラスト、日の光を浴びてヒロインが死んでいくシーンなのだが、セリフがスゴイ。「私、(フツーの)ヴァンパイアとして死にたい・・・。」リーパーズに感染して得体の知れない生きものとして死にたくなかったのであろう、このけなげなセリフって・・・。(涙)ここで申し上げたいのは、“ヴァンパイアとして死のうが、リーパーズとして死のうが、50歩100歩じゃん”などと冷めたことを口にする人たちにはこの作品は観て欲しくない。あくまで正義を愛する人たち、そしてマンガの実写版を心から喜ぶ世界のアメコミファンに捧げたいと思う。(←映画製作者サイドの胸の内を代弁してみた。)2002年公開【監督】ギレルモ・デル・トロ【出演】ウェズリー・スナイプスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.02.27
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「怖い顔してどうした? 最近男とやってないのか? ブレイドじゃ満足できない? 俺なら(君を)ほっとかないね。・・・きれいな肌だ。君を満足させたい。」「(私に)吸血鬼になれってこと?」「(お前を)殺してもいいんだぞ。」「さっさと(私に)咬みついたら?」国民性というものが多分に含まれていると思うが、アメリカ人はとにかく“いわくのある正義のヒーロー”が好きだ。しかもヒロインは気の強いインテリジェンスでなくてはならない。日本人が好みがちな、薄幸そうなか弱き乙女ではストーリーが成り立たないのだ。ヒーローがピンチの時、女だてらに敵を蹴散らす肝っ玉と根性の持ち主でなくてはならず、しかもお色気ムンムンが求められるから不思議だ。日本でもアニメとして放映されている「スパイダーマン」や「トランスフォーマー」は、言わずと知れたマーベル・コミックというアメリカのマンガ出版社から人気に火が点いた。(※)本作「ブレイド」もマーベル・コミックから出版されたマンガが原作で、1998年に映画化された作品だ。例外でなく「ブレイド」における主人公ブレイドも、いわく付きの過去に苦悩し、それでも悪と真正面から向き合う正義のヒーローなのだ。そしてヒロインも、血液学を専門にする女医で、鼻っ柱が強く逆境に負けない強靭な精神力の持ち主なのだ。そのくせ妙にお色気ムンムンで、男性の視聴者を意識したカットが多いのもさすがだと思った。母親が妊娠中にヴァンパイアによって殺されたところ、生まれて来た子どもにはヴァンパイアとしてのDNAが組み込まれていた。彼は成長すると吸血鬼ハンター・ブレイドとして、ヴァンパイア退治を行なう。ブレイドは日々血清を打ちながら、人間としての尊厳を保ちつつ、世界制覇をもくろむフロストらを倒すため戦い続けるのだった。ヴァンパイアはやっぱり西欧のモンスターなんだろうか?グロテスクで残酷なシーンが多いものの、恐怖に打ち震える・・・的な描写はなかった。 そう、この作品を「リング」や「らせん」など超一級のホラーと比較してはいけない。 あくまでホラーは作品の演出であって、要は“悪と戦う正義のヒーロー”なのだから。 相棒を亡くし、たった一人で悪と立ち向かうブレイドの雄々しい姿を支持しなければいけない。休日、こたつにゴロンと横になって家族と楽しみたい作品であった。※管理人の不注意で記事中に不足事項がありましたので、加筆訂正をして本日あらためてアップさせていただきました。1998年(米)、1999年(日)公開【監督】スティーヴン・ノリントン【出演】ウェズリー・スナイプス、スティーヴン・ドーフまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.02.24
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「(博士)なぜ火曜の朝8時33分に突然始まり、翌朝9時27分に突然終わったのでしょうか?」「では正直に答えましょう。自然界の出来事は完全にはわかりません。」「博士、多くの考察がなされています。なぜ北東部だけに起きたのか・・・どうです?」 「個人的な意見ですが、これは前兆であり、最初の発疹のような危険信号です。人間が地球を脅かしていることへの警告です!」ごめん! やっぱりコレ好きだわ。(←だれにあやまっているのか不明。)何が好きかって、もちろんこの手の映画。そう、サスペンス・ホラーモノである。ジャンル的にこれらはB級扱いされて来た歴史もあり、びっくりするほど評価が低い。 サスペンスの神様ヒッチコックでさえ初期のころは酷評を受け、常にB級観を拭えなかったようだ。だが、これら一流サスペンス・ホラーに感じられるシュールレアリズムを理解せずに芸術の何たるかなんて分かろうはずもないではないか。超常現象を鼻先で笑うやかまし屋に、ロマンは語れまい。リアリティと合理性を重んじる族に、愛は不要なのだ。今回観た「ハプニング」は、シャマラン・ワールド全開の世界観だ。この監督は、目に見えない不気味な何かをモチーフにすることを心がけているようだ。 思うに、ミステリアスでショッキングでアンニュイな語り口を得意とし、ラストは視聴者に全てを委ねるようなスタイルを確立したように思える。悲劇はニューヨークのセントラルパークから始まった。大勢の人々が突然立ち尽くし、その後、奇異なことに自らを殺傷し始めた。一方、工事現場では作業員らがビルの上から次々と身を投げ、地面に叩きつけられる音が辺りに響く。メディアは一斉にテロによる有毒ガスの攻撃ではないかと報道するものの、一向に原因が分からず、人々は恐怖と不安に怯えるのだった。「ハプニング」のテーマはズバリ、“警告”だ。全ての現象を科学的に割り切ろうとする人間に対する警鐘。さらに、“環境問題”だ。実に世相を反映していて好ましいテーマではないか。ちなみに作中、科学の授業で“全米各地からミツバチが消える(※)”という問題を扱う場面があったが、これは実際に起きていることで、現在進行形の未解決の問題なのだ。情報の氾濫する現代社会において、非現実的で超常的なものを敬遠するキライのある昨今、シャマラン監督の提示するスピリチュアルでモラルを問う作品を、我々はどう捉えるのか・・・そのあたりがポイントになりそうだ。※2006年秋~現在にかけて、ミツバチが一夜にして大量に失踪する現象が米国各地で起こっている。この現象を「蜂群崩壊症候群」(CCD)と呼び、日本では別名「いないいない病」とも呼ばれている。【参照:ウィキペディア】2008年公開【監督】M・ナイト・シャマラン【出演】マーク・ウォールバーグ また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.02.01
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「ここは文明社会よ!」「都市が機能していればね。でもひとたび闇の中に置かれ恐怖を抱くと、人は無法状態になる。・・・粗暴で原始的に。」無条件に好きな作品というものがある。巷では様々な評価が飛び交う中、当管理人にとってはお気に入りの一作なのだ。ホラー作家スティーヴン・キングの小説を、ダラボン監督らしい格調高い脚本に仕上げてくれた。この監督は「エルム街の悪夢3」や「ザ・フライ2」などの脚本も手掛け、ホラーとかパニック映画の醍醐味をよくご存知の上、しかも得意とされているのが理解できる。やっぱり映画はこうでなくちゃ。意外性のある結末に喜んでいるわけではない。“絶対的な悲劇”とか“不透明な決断”とか、そういうテーマは正に今風でおもしろいと思ったからだ。嵐の被害は凄まじく、ディヴィッドのアトリエの窓ガラスはなぎ倒された大木のせいで無惨に割れてしまった。翌日、外へ出てみるとボート小屋も倒壊し、湖には濃霧が発生していた。ディヴィッドは息子のビリーをつれてスーパーへと買い物に出かける。すれ違う軍のジープやトラックの多さに不安を覚えながらも、無事に店に到着。だが店内は食料品を買いあさる人々で溢れ返っていた。賛否両論あるところだが、ラストは実にすばらしかった!主人公らは冷静な判断のもとに行動したつもりが、燃料切れで車は立ち往生。いつ得体の知れない怪物に襲われるともしれない。ならば恐怖を味わいながら死んでいくのではなく、いっそのこと一瞬のうちに自害してしまおう、と思う。だがこれほど冷静で正気だと思っている判断さえ、結果として間違っていたというわけだ。4発の銃声が辺りに虚しく響く時、嘆きの鎮魂歌が静かに流れる。(BGMとして)残されたディヴィッドが半狂乱になって車外に出たところ、しだいに霧は晴れ、軍によって救助された市民が次々とトラックの荷台に運ばれていく。この人間界の不条理さ!これぞ正に「平家物語」の冒頭にある“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”というものである。鑑賞後はどっぷりとこの悲愴感に暮れ、日ごろは目を背けがちな現実の落とし穴を今一度再確認するのだ。2007年公開【監督】フランク・ダラボン【出演】トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.09.30
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「地球には60億の人々がいた。致死率90%のクリピン・ウィルスで54億人が死んだ。・・・全身から血を出してね。免疫者は1%以下。俺たちと同じ健康な生存者が1200万人、残りの5億8800万人が“闇の住人”と化した。腹が減ると人々を殺し、それをエサにする。・・・皆殺しだ!」別に夏だからこの作品をチョイスしたわけではない。でも結果としてこの感覚はモロに夏向きであると感じてしまった。静まり返った大都市N.Y.の街並み、この何とも言えない寂寥感はどうだ!孤独に耐えかねてのことなのか、主人公ネビルがレンタルDVD店の店先や店内にマネキン人形を配置したらしいのだが、それらに名前をつけて呼び掛ける様を見て、せつなさのあまり悲しくなってしまった。一体、この街に何があったんだろう?!視聴者は観ているうちにどんどん作品に引き込まれてゆくのだ。廃墟と化したN.Y.で、愛犬サムとどうにか生存していたネビル。彼は元軍人であり、科学者でもあった。2009年にガンの特効薬として開発された薬が、実は危険なウィルスK.V.であることが判明。そのウィルスは太陽光の耐性を失い、夜間に行動を起こさせ、恐ろしく獰猛な生きものと化すものだった。N.Y.がK.V.の感染源となったことで軍が出動しN.Y.は封鎖したものの、致死率90%の空気感染の脅威にさらされたため、生存者はネビルと愛犬サムだけになってしまったのだ。そんな中、ネビルは科学者として必死で血清の開発に努めるが、ついに家族同様の愛犬サムも失ってしまう。作中半ばで、愛犬サムを失ってしまうあたりからどんどん悲哀を帯びていく。主人公ネビルのやみくもな行動はほとんど自殺行為に等しく、埠頭で新たな生存者に危機一髪のところを助けられたものの、最終的にはその母子を守るために自己犠牲となる結末もかなり胸が苦しい。アナの狂信的な信仰心に対し、科学者であるネビルの“全ては人間がつくり出したもの”という思考の対立。作品のそこかしこから人間の苦悩が読み取れる。さらに、全て納得づくでの“神の存在”は、人類の至高なる精神、理想なのだと説いているような気もする。正に、“信じる者は救われる”というものなのか。決してB級ホラーなどではない、重厚な見応えとセンスの感じられる作品なのだ。2007年公開【監督】フランシス・ローレンス【出演】ウィル・スミスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.09
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「もうじき着くソラリスには軍隊が7隊。装備だって優れてる。今は手を出すな。」「私が必ず倒す。」「生け捕りに(するんだ)!」「断る。私のジャマをするな。」「報酬を考えてもいい・・・金銭的な報酬だ。」「私への報酬は乗組員の安全のみ。」毎日お暑うございます。皆さまいかがおすごしでしょうか。夏と言えばホラー、ホラーと言えば夏。スプラッター映画がおいしい季節ですね。(笑)「13日の金曜日」シリーズが、すでにPART10まで続いているなどとは、つゆと存じませんでした。ジェイソンの生い立ちなどはすでに遠い過去の記憶となり、今やジェイソンは近未来のモンスターとしての風格も具わり、ホラー界に君臨するようになったのであります。どんな手段を講じても死んでくれない不死身の体、無敵のモンスター。我々、一般ピープルはどうやって恐ろしいジェイソンと対峙したら良いのでしょうか?!何百人もの殺害を繰り返したジェイソンは、様々な処刑を受けるが、絶命しない。→某研究所でとりあえず冷凍保存されることになる。(要は処分に困っての苦渋の選択か。)→金儲け主義者が冷凍は取り止めにして生きたまま引き渡すことを要求。(もちろん研究所の職員は大反対。)→ジェイソンは研究所内の職員らを次々と殺害。→勇気ある女性研究員が、ジェイソンを冷凍することに成功。(しかしその代償として自分もケガをし、冷凍保存の巻き添えを食らってしまう。)→その後、四百年以上が経過。ジェイソン復活、大暴れ。これだけの猛暑に、思考力を要する映画は酷であろう。こういう時こそ頭をカラッポにし、町内会の納涼祭にありがちな、お化け屋敷に入る気持ちでホラー映画を楽しもうではないか。作品が一生懸命恐怖を煽る一方で、どこか滑稽さを感じるこの手の映画は、実は最も大衆的で、娯楽映画の王道をゆく王道なのかもしれない。2001年公開【監督】ジム・アイザック【出演】ケイン・ホッダー、レクサ・ドイグまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.31
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「(エンジンが)動かない!」「クラッチに足を(置くんだ)。合図したら足を離せ。(いいかい)スタジアムまで行くんだ。」「・・・・(うなずく)。」「伏せてろ。・・・向こうで会おう。」やっぱり夏はこれだな。背筋も凍るような不気味な作品、そう、ホラー映画である。うだるような暑ささえ忘れさせてくれる、に違いないから。だが実際は寒気を催すほどの不気味さというのには、なかなかお目にかかれない。どちらかと言うとスプラッター的で、かろうじて目まいに襲われる感覚に近いものがある。「28週間後」は、R-指定映画ということもあり、なかなかきわどいシーンもあるのだが、なにより発想がおもしろかった。モンスターと化した人間に“弱点”が設定されていないからだ。例えばドラキュラには十字架、ゾンビには頭を撃って脳を破壊、山姥には三枚のお札。 とにかくモンスターには致命傷を与える有効手段が必ずある。だが、「28週間後」にはそれが存在しない。なんの解決策も見つからずに空しく人命が失われていくのだから、その恐怖たるや想像を絶する。感染したら最後、吐血と同時に凶暴性を引き起こし、正常な人間に襲いかかるという新種のウイルス“レイジウイルス”がロンドンに蔓延する。11週間後になると、米軍主導のNATO軍がイギリスに上陸し、隔離措置を取る。18週間後になると、ついにレイジウイルスは根絶されたと発表される。24週間後になると、イギリス国民は都市の再構築を始める。しかしある時、二人の姉弟が安全区域内から密かに脱出し、危険地帯にある自宅に戻ったところから悲劇は始まる。なんと、死んでしまったと思っていた母親が生き残っていたのだ。それは、28週間後のことだった。この作品のすごいところは、現実味のないモンスターなどを登場させることなく、ウイルス感染により人間が人間を襲い、さらには感染者を駆逐させるために軍が民間人を皆殺しにするという狂気の沙汰を表現した点だ。この、“コード・レッド”(緊急事態発令)はまんざら在りえないことでもなさそうなのだ。人は我が身を守るために、愛する人を見殺しにできるのか?愛する人が豹変した時、あなたならどうする?悲しんでいる暇などない、生き延びるために殺す。この冷酷非情な選択が、あなたにはできるだろうか?そもそも人間は何のために生きているのだろうか?我々の前に突き付けられた主題は、あまりにも重い。2007年公開【監督】フアン・カルロス・フレスナディージョ【出演】ロバート・カーライル、イモージェン・プーツまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.18
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「ゾーイが落ちても無事で二人で大笑いしたけど、もし私が落ちたら・・・きっと一生歩けなくなる。」「そう考えちゃダメ。人にはそれぞれ才能が(あるのよ)。ゾーイは“体”よ。」いつのころからだろう。タランティーノ作品を観ることが、映画好きにとってこの上もなくカッコイイことのように思われ始めたのは。なにしろ、映像美あふれる格調高い何たるかを真っ向から覆す、いわゆる“ポップ・カルチャー”に徹した鮮烈な印象を与える映画なのだ。タランティーノ監督は、足しげく映画館に通って大学で芸術映画を勉強して・・・という映画人とは一線を画し、レンタル・ビデオ世代特有の家でまったりビデオ鑑賞を楽しんで来た人物だ。好きなビデオソフトを繰り返し観続け、マイブームの極みを築き上げた人でもある。そんなタランティーノ作品は、どれも彼独自に愛する過去の映画の引用やオマージュにあふれた内容に仕上がっている。舞台はテキサス州の某田舎町。ジャングル・ジュリアは、女友だちとバーに出かける。だが、不気味なシボレーに乗る男(スタントマン・マイク)が、彼女たちをつけねらう。 彼女たちは、強い酒を仰ぐように飲み、ハッパを吸い、挑発的なダンスを踊り、しだいにスタントマン・マイクへの警戒心を緩めていってしまった。しかし、謎の男スタントマン・マイクは、性のはけ口として車を暴走させ、女性を追い詰め、破壊することでエクスタシーを感じていたのだ。この作品はタランティーノ監督の考案で、グラインドハウス映画(※)を復活させようと試みたものらしい。70年代の雰囲気を出すために、傷んだフィルムの質感を再現したり、ジュークボックスの使用で当時流行のサイケデリックな音楽を取り入れたりと、かなり手のこんだ作風になっている。若さあふれる女性四人組のガールズトークは、生き生きとしていて、無鉄砲で、屈託がなかった。途中、スプラッター的場面が展開されるが、それもタランティーノ監督のご愛嬌とも思え、くどさは感じられない。鮮烈な暴力描写は本作でも健在だが、強くたくましく生きるモンスターのような女の子たちをイヤミなく表現していて、クールな作品に仕上げられていた。※グラインドハウス映画とは、70年代のインディーズ系低予算映画のことで、いわゆるB級映画を指す。2007年公開【監督】クエンティン・タランティーノ【出演】カート・ラッセルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.05
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「おかしいわ。ギリアム広場は町のど真ん中よ。(奴らに)取り囲まれるわ。」「何が言いたい?」「大佐はウソを(ついてるわ)。」「政府はウソをつかない!」「軍がまず考えるのは被害拡大の防止よ!」アメリカン・ホラーのおもしろいところは、圧倒的に“見せる恐怖”という点である。 例えば、「エイリアン」などはこの世の者とは思えないグロテスクな外見を持ち、残虐極まりない攻撃力を持つ、未知なる生命体なのだ。対照的に、ジャパニーズ・ホラーは“見えない恐怖”を視聴者に植えつけるのを得意とする。それは言わば、“なんだかわからないけれど、とにかく何かが襲って来る”という丸腰の恐怖である。この異なる恐怖のうち、和洋どちらのホラーが自分に合っているかを比較してみるのも一興であろう。プレデターの宇宙船の中で、一体何が起こったのか。それはエイリアンがプレデターに寄生し、その体内から飛び出てくるシーンからストーリーは展開する。エイリアンに寄生された宇宙船は、コントロール不能となり、コロラド州の森へと墜落。 宇宙船に潜んでいた無数のエイリアンたちが一斉に飛び出して行くのだ。一方、プレデターの仲間が宇宙船の異変に気付き、エイリアン駆逐のために動き出す。 ここにエイリアンとプレデターの、本格的な戦いの火蓋が切られるのだ。作中、「エイリアン」シリーズに登場するリプリーに代わる(?)女性が出て来るが、リプリーほどの勇ましい活躍は見られない。だがこの作品にリプリーは必要ないだろう。あくまでエイリアンズ対プレデターであり、人間は彼らの戦いの巻き添えを食ってしまったに過ぎないのだから。とにかく、知能派プレデターと本能派エイリアンとの壮絶な格闘をご覧いただきたい。 アメリカン・ホラーのテイストを、存分に堪能することができるだろう。2007年公開【監督】コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス【出演】スティーヴ・パスカル、レイコ・エイルスワースまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.27
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「人はこの世に自分の足跡を残したいと思う。私が死んでも社の株価が12%下がるだけ・・・。その程度さ。」「誰かさんと同じね(苦笑)。父はレイニア山の頂上目前で足を骨折した。私たちが止めるのも聞かずに登り切ってシャンパンを開けた。4392メートルの頂上で父と乾杯したの。でも下山中、足の血栓が肺に移動し・・・ベースキャンプまで20分の所で死んだわ。」「死ぬ間際、お父さんは苦痛より・・・娘と乾杯した喜びに満ちていたはずだ。私は行く。」きっとこの作品の企画を立ち上げた人物は、根っからのモンスター好きに違いない。とにかく不気味でグロテスクで、しかも人間の強さなんて比にならないぐらいの強力な生き物を登場させて戦わせてみる。差し当たり繁殖能力旺盛なエイリアンと、高度な知的生物のプレデターを土俵に乗せてみようじゃないか、と。この人気2大モンスターを同じ土俵に上げたことで話題性は充分あったし、マニアの間では伝説にもなったことだろう。大企業ウェイランド社の人工衛星が、南極に大規模な熱源を発見。ウェイランド社の社長は、急遽、各界のプロフェッショナルから編成された遺跡調査チームを結成し、南極へと派遣する。場所は、100年前に住民の全てが謎の失踪を遂げたとされる捕鯨基地。正確に30度の傾斜で掘られた巨大な穴を発見する。調査チームはそこから地下へと降り、巨大な地下構造物を目の当たりにする。地下構造物内部で、冷凍保存されていたエイリアン・クィーンが、みるみるうちに解凍されて目覚めるシーンは背筋が寒くなった。さらに、無数に産みつけられたエイリアンの卵が、不気味に孵化していくシーンなど思わず目を背けたくなってしまったほどだ。一方で、女性登山家のレックスと、今回はエイリアンを駆逐するヒーローのような立ち回りを演じるプレデターのやりとりが実におもしろかった。ラストは、人間とプレデターとの奇妙な友情すら感じてしまうから不思議だ。これから夏にかけて熱帯夜を少しでも心地良くすごすために、南極を舞台にしたこのホラー映画を楽しむのも一興だろう。ハラハラドキドキしながら、大切な人と寄り添うようにご覧いただきたい。真夏の蒸し暑さも忘れてしまうはず。2004年公開【監督】ポール・W・S・アンダーソン【出演】サナ・レイサンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.26
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「どうしたんだ? 父親が心配か?」「なぜそれを(知ってるんだ)?」「病気なのは明白だ。ガンは長く人を蝕み、家族をも苦しめる・・・ジョニー、私が治してやろうか?」「どうやって?」「方法は関係ない。私が彼の病気を治して、健康な体に戻せるなら・・・私と取引するか?」「値段は?」「私が欲しいのは・・・君の魂。」「ゴーストライダー」は、言わずと知れたアメリカン・コミックの実写化である。「スパイダーマン」や「バットマン」と同系列に考えれば、それなりに楽しめる作品だ。 だが、いかんせん人にはそれぞれ好き嫌いがある。ポテチをつまみながら、素直にアクションを楽しみ、オカルトを堪能できるタイプもいれば、作中の様々な矛盾点や脚本の弱さにがく然とする者もいることだろう。17歳のライダー、ジョニーは父親とともに危険なバイクショーを生業にしていた。しかしある日、父親がガンに侵され余命いくばくもないことを知ってしまう。そんな時、ジョニーの前に悪魔メフィストが現れる。父親のガンを治す代償として、ジョニーの魂を要求するのだ。ジョニーは、愛する父親の命を救うため、ろくに考えもせず彼の魂を売ってしまう。しかし、結局父親はガンを完治するものの、バイク事故で死亡。絶望したジョニーは恋人ロクサーヌとも別れ、一人バイクで旅に出る。30歳になったジョニーは、ますます危険なバイクショーを披露することで有名になっていた。まるで死に急ぐような危険な技を続けるジョニーだったが、ある日、TVレポーターとなったロクサーヌに再会。さらに、忘れもしない悪魔メフィストも再びジョニーの前に現れるのだった。この作品をホラーコメディと表現して良いだろうか。ジョニー役のニコラス・ケイジが涼しい表情で、グラスに入ったゼリービーンズを飲むようにして食べたり、コーヒーポットに直接口をつけてがぶ飲みしてみたり、口笛でバイクを呼んでみたりするシーンは、もはやマンガチックそのものだ。また、ジョニーが炎のライダーに変身して倒すべき敵は悪魔メフィストの息子とその仲間たちなのだが、それぞれが“土”“風”“水”を支配する悪魔たちであり、メフィストの息子が堕天使であるという設定も多少宗教色を感じる。しかし、同じオカルト色の強いアクション映画なら、「コンスタンティン」の方が数段優れていて、作品として格調高いものに仕上がっているように思えた。いずれにしても、スターぶらずに伸び伸びと楽しげに演じているニコラス・ケイジには注目だ。2007年公開【監督】マーク・スティーヴン・ジョンソン【出演】ニコラス・ケイジ、ピーター・フォンダまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.22
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「最近、悪魔たちの動きが怪しい。寿命を延ばしてくれ。悪魔退治が必要だろ?」「まだ(あきらめずに)天国へ行こうと?」「チンピラ悪魔どもを地獄へ送り返した功績は?」「何度も言ったはず。そういう問題ではないと。」「まだ(善行が)足りないのか? どうすれば?」「普通のことを(するのです)。自己犠牲、神を信じること。」「信じてるさ。」「(いいえ、あなたは)神の存在を知っているだけ。(霊が)見えるから。」70年代、80年代は、空前のホラー、オカルトブームで、映画界でも世紀末をテーマにしたものが大ヒットした。世界の終わりを予見してのものなのか、「地球滅亡」とか「世界崩壊」など人間社会の終末願望あふれるものが映画界を賑わした。しかし、ミレニアムを過ぎても世界は存在した。それがどのように影響しているのかははっきりと言えないが、ホラー映画と呼ばれる作品の様相が変わって来ているのは確かである。「コンスタンティン」は、ホラーと言うよりオカルト作品であろうか。悪魔祓いの特殊能力を持つエクソシスト、ジョン・コンスタンティンは、人間界に潜む悪魔を地獄へと送り返し続けている。だが、ジョンはヘビースモーカーのため肺を侵され末期の肺ガンと宣告される。そんな中、ジョンは天国と地獄の均衡が崩れかけていることを察知。できるものなら延命を請い、少しでも多くの悪魔祓いを施したいと願う。一方、女性刑事アンジェラは、双子の妹イザベルの自殺に不審を抱く。アンジェラはイザベルの自殺の真相を探るため、ジョンに協力を求める。作品の舞台はロサンゼルスの貧困街なのだが、混沌としていて、犯罪に満ちていて、日本的に言うならば、「おどろおどろしい」雰囲気たっぷりである。根底にキリスト教の崇高な精神が脈々と流れているため、鑑賞には多少の知識が必要かとも思われるが、完成度の高い脚本のおかげでキリスト教に無知でも充分に楽しめた。ただ、一点押さえておきたいのは、キリスト教(カトリック)の教義では自殺イコール大罪であり、この罪を犯したる者は決して天国にはいけない、という思想を踏まえておいた方がいいだろう。また、作中に登場するガブリエルは、四大天使の一人(大天使ガブリエル)とは別ものと捉えた方が良い。この作品はすでに冒頭部から成功している。メキシコで「運命の槍」を掘り当てる場面のカメラアングルと言ったら、不穏な暗示をかき立てるにふさわしい捉え方なのだ。視聴者サイドの視点は上から捉え、悪魔の視点はまるで地獄の闇から覗いたように真下からのアングルなのだ。さらに、主役のジョン・コンスタンティンを演じたキアヌ・リーブスは、スタイリッシュでクールで、どこか薄幸そうなムードがこの役柄にピタリとマッチしていた。この主役は彼以外に誰も思いつかない。残念だったのは、ヒロインを演じたレイチェル・ワイズ。チャーミングな女優さんだけに、悪魔の化身と化した醜い形相には閉口してしまった。 ラストにはありがちなラブ・シーンもなく、淡々としていて逆に好評価。意外だったのは、スタッフやキャストが流れた最後の最後になって、不慮の死を遂げたジョンの運転手チャズが、天使となって天界へ飛んで行くシーン。キリスト教で言う「自己犠牲」が報われた瞬間を見たような気がした。2005年公開【監督】フランシス・ローレンス【出演】キアヌ・リーブス、レイチェル・ワイズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.16
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「なぜいつも僕をリードする? もし踊りたければ君を誘う。もし話したければ自分から話をする。誰もが話をさせたがる。“君ばかりを想ってる”と言葉にして何になる? 君のことで頭が一杯で考えることも仕事も手につかない。言葉にしてどうなる? 僕が何より恐れるのは、君が危険な目に遭うこと・・・だから僕は今このポーチにいる。君を守ってあげたいから。」その監督のキャラが強ければ強いほど、作風に漂うカラーは鮮明になる。「ヴィレッジ」を観た時、ピンと来た。これは「シックス・センス」の前振りに似たものがあるなぁ、と。そして、どちらの作品も同じ監督がメガホンを取ったことを知り、多いに納得した。内容を端的に説明する。舞台は19世紀のペンシルヴァニア州。深い森に囲まれ、外界から隔絶された小さな村。しかもその村には昔から忌わしい伝説がある。森の中に入ってはならない、なぜなら正体のわからぬ化け物が棲んでいるからなのだと。 その証拠に、皮を剥がれ丸裸にされた家畜が無残な姿で村のそこかしこに横たわり、家の扉には赤い不吉な印が残されていた。一方、目の不自由な娘アイヴィーは、無口だが村で一番勇敢な青年ルシアスと恋仲になる。しかし知的障害を持つノアは、アイヴィーを独占したいがためルシアスを刺してしまう。 重傷を負ったルシアスを救うためには、化け物の棲む森を通り、町まで出て薬を買いに行かねばならない。アイヴィーは愛するルシアスのため、一大決心をする。シャマラン作品をホラー映画と一括りにしてしまうのは、あまりに短絡的過ぎやしまいか。「シックス・センス」にも言えることだが、この監督は超常的なモチーフにこだわるのが特徴的である。そしてお気づきのように、宗教色とモラルに彩られた作風をかもし出している。それはいわば、陰残な事件に巻き込まれた被害者の遺族たちが、何をもってしても埋めることのできない空洞を、神への信仰に求め、結果として超自然的存在と向き合う構造になっているのだ。「ヴィレッジ」の根底に流れるもの、それはすなわち、身近な存在の死を乗り越えるために再生へ向かうプロセスがキーワードになっていると思われる。2004年公開【監督】M・ナイト・シャマラン【出演】ブライス・ダラス・ハワード(アイヴィー)、ホアキン・フェニックス(ルシアス)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.21
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