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【ビル・カニンガム氏、逝く】心より、ビル・カニンガム氏のご冥福をお祈り申し上げます。吟遊映人ブログの過去記事です。ご覧いただけましたら幸甚です。コチラから
2016.06.27
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【藤巻幸夫氏、逝く】穏やかな陽光と一緒に訃報が届いた。藤巻幸夫氏、当年五十四歳、若すぎる死である。二十年も前の話だ。お互いが同業者で、展示会で名刺の交換をした。藤巻氏は当時「カリスマバイヤー」と呼ばれ、展示会場を颯爽と闊歩していた。接点はそれきりなのだが、同年ということもありそれ以来、私にとって藤巻さんは少なからず意中の人であった。「藤巻幸夫のポジティブ語録」は、その後の2005年に上梓された。少なからず氏を知る者にとって、藤巻氏の人柄があらわれた一冊であると思う。「それは本当に『できない』ことなのか?」氏はそう問いかける。以来は私は、困難に立ち向かうごとに自分の心に問いてきた。そしてこれからも、ずっとそう問いていくことであろう。「何でもできる!声を大きく、明るく、勢いがあれば。」ポジティブ語録より必ずできる、よね。藤巻さん。衷心より藤巻幸夫氏のご冥福をお祈り申し上げる。
2014.03.18
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菊池寛氏に献杯昭和二十三年三月六日、菊池寛が亡くなった。享年五十九歳。画はサザエさんで有名な長谷川町子さんによる。残された菊池寛の写真も楽しいが、この画は実に素晴らしい。なんだか菊池寛の内面まで見えてくる。後日談も多い御仁ではあるが、きっといい人だったことに間違いはない。生前は多くの友人知人のために涙を流した氏である。明日の祥月命日は、一人でも多くの人が氏を偲んでくれること願ってやまない。また願わくは、いまだ活躍中の芥川賞直木賞の受賞作家は、現在あるのは菊池寛のおかげと心得て、氏のために献杯を捧げてほしい。ちなみに氏の葬儀は三月十二日、音羽の護国寺で執り行われた。葬儀委員長に久米正雄、川端康成が弔辞を読み林芙美子が献詩を上げている。氏の人となりについては「天地人」をご参考されたい。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆~東奥日報「天地人」2013年3月6日付 小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が死んだ時、その枕元で泣いた。直木三十五(さんじゅうご)が死んだ時は東大病院で号泣したという。よほど無念だったのだろう。二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、小説家の川口松太郎が書いている。小説家の織田作之助が発病して宿屋で寝ているのを菊池が見舞った時は、織田の方がおいおい泣いたという話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、菊池にまつわる話は心にしみる。旧制一高(東大教養学部の前身)時代、菊池は窃盗事件で友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める父が職にいられなくなる」。友人がそう言って泣くので、菊池は罪を認めさせようという気になれなかったのだ。新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。が、菊池は「前言を翻すのは卑怯(ひきょう)」と、最後まで罪をかぶる。そんな男気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池は京大に進むことができた。文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたという。少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。まるで人情物語のような人生だ。菊池は65年前のきょう59歳で亡くなった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2014.03.05
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【フィリップ・シーモア・ホフマン氏を偲ぶ】『25年目の弦楽四重奏』は公開を知り、かつて記事にした(コチラ)。ただ、劇場で見る機会は逸していた。それを三日前にiTunesで購入していたのだ。因縁というか、導かれたというか、まるで香典代わりのようだ。我がパソコンのハードディスクには『25年目の弦楽四重奏』が収まる。今宵はフィリップ・シーモア・ホフマン氏を偲び、じっくり見直してみたいと思う。余談であるが、昨年末にパソコンを新しくしてOSをWindows8にした。そしてはじめて購入した映画が『25年目の弦楽四重奏』である。というか、ずっとDVD派だったもので、はじめてダウンロード購入した映画が『25年目の弦楽四重奏』なのである。そしてクラウド経由でiPhoneでも見てみた。デバイスがつながるという概念を、それから始まる新しいライフスタイルを、私は『25年目の弦楽四重奏』を通して感得した。フィリップ・シーモア・ホフマン氏には何かしらの因縁を感じないではいられない。氏のご冥福を心より祈念申し上げる次第だ。なおご参考まで、吟遊映人ではフィリップ・シーモア・ホフマン氏が出演している作品を記事にしている。ご一読いただけたら幸いである。~フィリップ・シーモア・ホフマン出演作品~◆マネーボール◆チャーリー・ウィルソンズ・ウォー◆M:I-3(ミッション・インポシブル3)◆パンチドランク・ラブ◆レッド・ドラゴン◆マグノリア◆ツイスター
2014.02.04
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あふれる歌心「革新」希求※左からカラヤン、アバド、ラトルの各氏マエストロのクラウディオ・アバド氏が逝去された。享年80歳。このごろは動向を聞くこともなかったが、胃を患われ闘病されていたという。冒頭のタイトルは、産経新聞の『評伝 クラウディオ・アバド氏』のタイトルである。クラウディオ・アバド氏の指揮はまさに歌心にあふれていた。カラヤン氏の後を受けてベルリンフィルの指揮者となったアバド氏としては、それが面目躍如であった。緻密で完璧に仕上がったカラヤン氏と、さほど比較されることなかったのは、アバド氏のあふれる歌心のなせる技があったからであろう。なお、アバド氏の次となったサイモン・ラトル氏は、その情熱的な指揮でアバド氏とは一線を画している。この層の厚さがベルリンフィルの一流と言われる所以であろう、余談まで。加えて、対話協調型のアバド氏はオーケストラに歓迎されたという。前任のカラヤン氏が『帝王』であった分も受け入れられたということであろう。そして冒頭の『「革新」希求』は、アバド氏がプッチーニを演奏しない理由をこう述べたことに由来する。「プッチーニが嫌いなわけではありません。ただ、私は革新にひかれるのです。」『革新』によるアバド氏のマーラーやブルックナーは、すでにベルリンフィルの歴史に刻まれている。クラウディオ・アバド氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げる。追記:フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルの執ったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を、我々は居ながらにして聴くことができるのだ。なんと幸福なことだろう。今宵はカラヤンとアバドを聴き比べてみようか。
2014.01.22
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『自分自身に』他人を励ますことはできても自分を励ますことは難しいだから、というべきかしかし、というべきか自分がまだひらく花だと思える間はそう思うがいいすこしの気恥ずかしさに耐えすこしの無理をしてでも淡い賑やかさのなかに自分を遊ばせておくのがいい 吉野 弘詩集「贈る言葉」より詩人の吉野弘氏が逝去された。享年87歳。『祝婚歌』がつとに有名である。ある程度の年齢の方は、吉野氏の名は知らなくとも、結婚披露宴で『祝婚歌』を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。自分が「まだひらく花」などと口幅ったくて言えやしないが、ときに沸々と湧きおこる情動を持て余すことはある。そんな時は吉野氏の詩にふれ、我が身を行間で「遊ばせて」やろう。吉野氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げる。
2014.01.21
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平和の巨星墜つ。昨日の朝、ネルソン・マンデラ氏の訃報が届いた。氏の人物については世界中の知るところだ。南アフリカ一国のみならず、世界の損失である。本当に惜しい人を失った。ご高齢とはいえ残念でならない。『マンデラさんのお顔はとても柔和だ。』その死を悼み、知人と氏の生涯について語りあった。途中、知人が言った言葉である。なるほど、写真や映像で氏のご尊顔を拝するに、氏はとても柔和だ。『そしてお顔から、氏の知性と品格もあらわれている。』これは私の感想である。仏教では柔和忍辱(にゅうわにんにく)を如来の衣とする。経典には「如来の衣を身にまとい人々のために法を説け」と云うものである。マンデラ氏とは信じるものは異なれど、マンデラ氏の生涯は、まさにその通りであった。氏は知性と品格を持ち、平和を阻害するものに柔和に臨んだ。そして何があろうとも忍辱(にんにく)の心で成し遂げたのだ。世界各国で、それぞれの流儀でその死を悼んでいることであろう。我々は衷心からの合掌を捧げようではないか。なお、吟遊映人では過去にマンデラ氏を扱った映画コラムを綴っている。ご再読いただき、マンデラ氏をお偲びいただけたら幸いである。『インビクタス~負けざる者たち~』はコチラ まで。(2010年8月1日掲載)『マンデラの名もなき看守』はコチラ まで。(2009年9月22日掲載)ネルソン・マンデラ氏のご冥福をお祈り申し上げ、心よりの合掌を捧げる。
2013.12.07
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岩谷さんが逝かれた。御歳九十七、大往生と呼ぶに相応しく笑顔で見送りできたらいいのだけれど、昭和の人間にはさみしくて残念でしかたがない。今はただ、岩谷さんのご冥福をお祈り申し上げるばかりである。 岩谷さんに衷心からの合掌を捧げる。 それにしても続く。 『先日、やなせたかしさんに追悼の合掌を捧げたと思ったら今度は天野祐吉さんの訃報が届いた。角界の重鎮が続く。』 これは先日のブログに記したものだ。昭和を代表する人に逝かれると、どんどんどんどん昭和が遠くなっていく感じがする。 降る雪や 明治は遠く なりにけり 草田男の句を、かつては懐古主義と読んでいたが、そんなに単純なものではない。このごろそう思うようになった。というか、私も半世紀と少しを生きて機微の妙たるをわかってきたのかもしれない。 越路吹雪をこーちゃんと呼ぶ最後の世代である。今宵は岩谷さんを偲び、こーちゃんを聴きながらしんみりしよう。
2013.10.30
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平成二十五年秋、やなせたかし氏逝く「詩とファンタジー」創刊号と、やなせたかしさんの遺作となった最新号掲載の「天命」 。 産経ウェブからアンパンマンの作者としてあまりに有名なやなせたかし氏が逝かれた。日本の子供で、そして子を持つ親でやなせ氏を知らぬものはいないはずだ。アンパンマンはそれほど深く我々に浸透していた。やなせたかし氏御歳九十四歳、大往生というに相応しいものであろうが、アンパンマンに慣れ親しんだ我々にはその死が悔やまれる。さみしくもやりきれない気持ちに陥った時、ウェブで『やなせさんの「遺言」掲載 責任編集の季刊誌発売』という記事を見た。画像の詩を読み、やなせ氏の遺言である詩、遺詩に感動した。以下が画像に掲載された全文である。天命見おぼえのある絶望の岸ここまで何度か追いつめられ助からないと思ったが奇跡的に九死に一生なんとか生きのびてきた生きとしいけるものには天命があるもはや無駄な抵抗はせぬゼロの世界へ消えていくでござる拙者覚悟はできているからあせらずしばらくお待ちくだされ欲も得もいっさいない。もはや清らかささえも超越した無の世界である。『ゼロの世界へ消えていくでござる』やなせ氏はそこへ旅立たれたのだ。遺詩を何度も読み返すうち、やなせ氏への悼みは、やなせ氏への敬愛と喜びに変わっていった。やなせ氏は生を全うした。だから『ゼロの世界へ消えていく』ことが出来るのだ。それはやなせ氏の確信であり、それこそがやなせ氏の最高の喜びであり、そして人生の目標であったと、私は信じて疑わない。遺詩は伝える。人は全うに生きれば必ず『ゼロの世界』に到達できるのだと。無上の喜びはそこにある。いまだ欲得にまみれ日々きゅうきゅうとする我が身ではあるが、やなせ氏の『ゼロの世界』を信じ、やなせ氏がそうであったように生を全うするべく、私も励みたいと思うのであった。やなせ氏に大感謝。そしてやなせ氏のご冥福を祈り衷心の合掌を捧げる。なお、季刊誌「詩とファンタジー」24号は19日に発売されるそうだ。子供時代にアンパンマンに慣れ親しみ、長じてやなせ氏の薫陶に気づいた方は、是非手にとってご一読いただいたいものである。
2013.10.17
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山崎豊子さんのご冥福をお祈り申し上げます。巨星落つ。社会派作家の山崎豊子さんが亡くなられた。残念な限りである。あのペンの代者はいない。山崎さんの、特に後期の作品を読むにつけ、その徹頭徹尾で時に冷徹なるまでの取材を推察するに難くはない。売れっ子社会派作家の裏で、どれほど孤独でつらい作業を地道に続けてこられたことであろうか。謹んで敬意を表し、山崎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる次第である。吟遊映人では『読書案内』で過去に【山崎豊子/花のれん】を掲載した。こちらからご覧いただきたい。また映画評では山崎さんが原作を執った『沈まぬ太陽』を掲載した。合わせてこちらからご覧いただきたい。
2013.10.01
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志ん生に会えると春の黄泉の道 変哲(小沢昭一)師走としては近来稀に見る寒波に覆われた雪の日に小沢昭一氏は逝かれました。多才多芸で有名な氏は「変哲(へんてつ)」という俳号を有し、面白い句を残されていますが、掲句は数ある(笑)辞世句のうちのひとつです。この期に及んでどうなるかわからないからと、あらかじめ辞世を詠んでいるところが実にアッパレではありませんか!掲句の「春」は氏が望んでいたからです。「人間は生まれた日に死ぬべきもの」といい誕生日の4月6日を黄泉に旅立つ日と「想定」していたそうな。だからこういう辞世句もあります。出来すぎと思うわが世の春惜しむとはいえ小沢昭一なる御仁は、こと最期に及んで慌てるような薄っぺらな方ではありません。うかがい知る限り、氏は抜群の行動力と博覧強記なわけで、大胆力はそれによって具わり、そしてあの軽妙な語りが出来上がった、そういうことだと思います。中日新聞(中日春秋)に面白い記事がありました。『ある日、学習院高等科の生徒たちが一人芝居を見に来た。あまりに観劇マナーがいいので、数人を楽屋に招き入れた。いつものくだけた調子で応対したら、中の一人が帰りがけ小声で、「僕、アヤノミヤです」「母がファンです」。殿下と知りさすがに内心慌てたが、態度を豹変するのも…とそのままの口調で、「そうかい、じゃ、オッカサンによろしくね」。』こういうのを本当に胆が据わった人というのでしょう。「そうかい、じゃ、オッカサンによろしくね」このひと言は、あたかも光秀に命をとられんとする信長がまさにその時に別段慌てる風もなく、「是非もない」そう語ったのに比肩するほどの、後世に語り継ぐべき「ひと言」であり、大胆力を示す言葉だと思うのです。ところで、辞世に志ん生をひいてくれた事が私にとってはうれしい(^o^)限りです。志ん生はもちろん五代目古今亭志ん生のことであり、私が最も敬愛する落語家なのです(^^)いまごろ小沢さんは、彼岸で志ん生師の落語を聞いているのかなぁ。「師匠、むこう(此岸)で、演目を考えてきたんですがね」そういいながら懐から赤を入れた演目のリストを取り出して志ん生師に見せたりしてね。考えてみれば、むこう(彼岸)には志ん朝さんもいるわけだから、小沢氏にとってはまさに天国というわけです。談志が小さん師にたてついたら、やんわりと意見したりしてね。何だかむこう(彼岸)は楽しそうだぞぉ~ここはイッパツ「明日は天国のココロだぁ!」とほえてくださいね、小沢さん♪小沢昭一、享年八十三歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。~追記~「大声で歌う歌に、文化的な香りのするものはありませんな」小沢さんのひと言、時節柄「歌」を「演説」に置き換えてみると含蓄の深さがわかります♪
2012.12.13
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