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【キュア〜禁断の隔離病棟〜】『我々は病んでいる。病が胆汁のように込み上げ、喉の奥に苦いあと味を残す。テーブルを囲む皆が病んでいる。だが我々は認めないのだ。体が心に反してこう叫ぶまで。私は病気だ!』昔はとにかく日本人の働きすぎる民族性を海外のメディアから非難されたものだ。例えば、都心の通勤ラッシュ時の満員電車なんか、今でこそ外国人観光客に面白がられ、インスタなどにアップされているけれど、昔はこの模様がかなり深刻に受け止められていたのだ。余談だが、学生時代、午後の講義を受けていると、先生の単調な話が子守唄となり、大半の学生が船を漕ぎ出す(笑)すると先生が苦笑いしながら「君たちにもシエスタが必要だなぁ」と言ったものだ。シエスタ(※)とは、スペイン発祥の昼休憩を指す時間帯のことだが、日本の昼休憩が約1時間であるのに対し、スペインはなんと3時間なのだ⁉︎※シエスタの慣習は、EU統合により廃止の傾向が見られる。(Wikipedia参照)もちろん、その国の持つ歴史的背景とか文化があるので、シエスタが良いか悪いかは一概には言えない。ただ、そうは言っても働きすぎることで、人には様々な弊害が生じるのは否めない。(例)過労死・家庭不和・精神疾患・自死etc・・・そんな折、amazonプライムを検索していたら、『キュア〜禁断の隔離病棟〜』という作品を見つけた。これは正に、冒頭からして過労死に対する警鐘かと思った。と言うのも、ウォール街のさる金融商社で、深夜まで働き詰めのビジネスマン(モリス)が、心不全で倒れるシーンから始まるからだ。あらすじは次のとおり。ウォール街の大手金融会社のエリートビジネスマンであるロックハートは、取締役会から呼び出しを受ける。そこではロックハートの不正を追求されるのだが、警察に突き出さない代わりとして、ある条件を突きつけられる。それは、スイスに行ってCEOであるペンブロークを連れ戻すというものだった。ペンブロークは休暇療養のためにアルプス山中にある療養所に入所しているのだが、会社には戻らないという手紙を送って来たのである。ロックハートは、CEOを連れ戻すのなら彼と親しくしているモリスの方が適任であると答えたところ、そのモリスが心不全で亡くなったと一蹴される。仕方なくロックハートはスイスへと旅立つ。スイスへ向かう途中、ロックハートは幼い頃のことを思い出す。かつて、パリパリの金融マンだった父は、心労による精神の崩壊で、車内に幼いロックハートを残したまま橋の欄干から飛び降りてしまった。そんな父の最後を目撃していながらも、皮肉なことに、自分も同じ道を歩むことになってしまった。毎日が仕事漬けでまともに睡眠も取れず、青白い顔をしているロックハート。スイスに到着してさっそく山奥にある療養所に向かうが、タクシーの運転手からその施設にまつわる言い伝えを聞く。それは、200年程前にはバロンという貴族の城があって、高貴な血を絶やさないようにと城主は妹と交わっていたというのだ。近親結婚を忌み嫌った村人たちは、バロンとその妹を火炙りにするという忌まわしい出来事のあった場所こそが、その療養所のあるところなのだと。さらには不思議なことに、その療養所に行く者は年間に何人もいるが、そこから出て来る人はほとんどいないというものだった。ロックハートは一抹の不安を覚えるものの、とにかくNYの本社へとCEOを連れ戻さねばならないと思うのだった。この作品そのものは、かなり評価の分かれるものだと思う。私も一回見ただけでは上手く消化できず、せめてもう一回見てから記事を書きたいと思ったぐらいだ。とは言え、娯楽であるはずの映画を小難しく考えるのも意に沿わないので、私なりのざっくりとした感想を書き留めておくことにした。この作品はおそらく、〝仕事のし過ぎには気をつけろ!〟と言いたいに違いない。あと、〝怪しげな健康飲料(水)には手を出すな!〟とも受け取れる。監督であるゴア・ヴァービンスキーは、日本のホラー映画である『リング』をハリウッド版にリメイクした人物でもあるので、『キュア』のカテゴリにはずいぶんと悩んでしまった。で、結局のところ【サスペンス&スリラー】として分類してみた。(でも本当のところは【ホラー】にも当てはまる)独特のムードがあって、場面ごとに闇を感じさせるのに、ストーリー展開が追いついていない。こういうのを支離滅裂とでも言うのだろうか。(ごめんなさい)なぜなのかは不明。脚本がイマイチなのか?素材が良いだけに、ものすごく惜しいような残念な気持ちでいっぱいだ。(ネタバレごめん)ラストのロックハートとハンナが療養所から自転車で逃げるシーン。2人は自転車をこいで山を下りるのだが、シビレを切らしてCEOを迎えに来た会社の役員連中とバッタリ遭遇してしまう。その役員らはロックハートに自分たちと一緒に戻るよう命じるのだが、それを断り、ハンナとともに走り去って行く。このシーンは、私には決して清々しいものには感じられなかった。多くのレビューでは、ロックハートが笑顔で走り去ると捉えているが、私にはそうは見えなかった。古い映画だが、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』を見たことがある人なら、私の言おうとしていることに理解を示してもらえるかもしれない。ダスティン・ホフマン扮するベンジャミンが、式場から花嫁であるエレーンを連れ出すあのラストはあまりにも有名だ。その後、嬉々として路線バスに乗り込むものの、ふと我に返ったベンジャミンは、虚な表情を見せるのだ。それはまるで、将来への漠然とした不安を暗示させるものなのである。私には、ロックハートがハンナを連れて逃げ出すこの一連のシーンが、どうしても『卒業』のラストと重なって仕方がないのだ。2017年(米)(独)公開【監督】ゴア・ヴァービンスキー【出演】デイン・デハーン、ジェイソン・アイザックス、ミア・ゴス
2024.04.27
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【SWALLOW /スワロウ】「私は・・・(罪を犯して刑務所に入った)あなたと同じなの?」「いや、君はぼくと違う。君は何もしていない。君は間違ってないよ。君は悪くない」皆さんは「異食症」という病名を聞いたことがあるだろうか?「拒食症」とか「過食症」は聞いたことがあっても、「異食症」というのはあまり馴染みのない病名ではなかろうか?ざっくり説明すると、異食症とは「食べものではないものを日常的に食べることを特徴とする摂食障害」である。原因はいろいろとあるようで、例えば妊娠中に起こりやすくなったり、過度の精神的ストレスを感じたときなどに発症するようだ。私がこの病気を知ったのは、表題にもある『スワロウ』を見て初めて世間にはこれほどの深刻な病があるのかと、愕然としたのである。※swallowは「〜を飲み込む」の意。ニューヨークの郊外にある邸宅。プールと広い庭と自然にあふれた美しい住まい。そこに夫と住む新妻ハンターは、いつも浮かない表情をしていた。何不自由のない生活は誰もがうらやみ、悩みなどないはずであった。だが、ハンターは孤独だった。仕事で多忙を極める夫とはろくに会話もなく、夕飯時はせっかく夫婦の語らいの場となるはずなのに、夫はスマホに夢中で会話は中断してしまう。そんな中、待望の子どもができ、夫は大喜びで実家に連絡を入れる。夫の両親も交えたディナーでも、なぜかハンターは疎外感を拭えず、孤独に苛まれる。思わず目の前にあるコップの中の氷に手を出してしまい、人目もはばからずガリガリと食べてしまった。ハンターは自分でもわからないうちに鬱屈した何かを抱え、どうすることもできず、日々を過ごすしかなかった。そんなある日、ハンターの目に留まったのは、小さなガラス玉(ビー玉)だった。なぜか無性にガラス玉を飲み込みたいという衝動に駆られ、抑えることができず、飲み込んでしまう。そして後日、ハンターは自分の排泄物の中からガラス玉を見つけ、それを洗って、まるで戦利品のように鏡台の前に飾って置くのだった。主役のハンターに扮するのはヘイリー・ベネット。『ラブソングができるまで』で映画デビューを飾っている。申し訳ないことに、今回『スワロウ』を見るまで私はこの女優さんの存在を知らなかった。それにしても驚いた。いや、これはホンモノの演技派だ。顔立ちが童顔のせいか、おどおどした表情などついつい庇護欲を誘われる。『スワロウ』での役どころは、出生に秘密を抱え、いつも自分の居場所を求め孤独に耐える主婦。実業家でいわゆるセレブな夫に恵まれ、経済的には何不自由なく暮らすことのできる妻の座は、ハンターにとってはむしろ針のむしろだった。夫にとって必要なのは、見映えが良く、友人知人の前で機嫌良くニコニコしている「お飾りの妻」だったのだ。ハンターはもともと販売員として働いていて、取り立てて教養もなく、話術にも長けていなかった。しょせんホワイトカラーのお坊ちゃんの妻になど向いていなかったのだ。ハンターはレイプ事件によって生まれた子どもだった。母親が敬虔なカトリック教徒で、堕胎は許されず、この世に生を受けたという経緯があった。自分は望まれて生まれたのではないという絶望感がいつも胸の内を去来している。ハンターの中に広がる闇は、やがて食べ物ではない何かを飲み込み、排泄することで、えもいわれぬ達成感を覚える。その異常行為を夫やその両親に知られ、いよいよ自分の心の安寧を失ったとき、ハンターは、レイプという罪を犯した父親のもとを訪ねるのだ。この難しい役どころを見事に演じたヘイリー・ベネットは、フロリダ生まれのオハイオ育ちで、パリパリのアメリカ人なのに、なぜか、探せば日本にもいそうな顔立ちで親近感を覚えた。表情に憂いがあり、オーバーリアクションを良しとする西欧人とは異なる趣きで、視聴者の心を鷲づかみにしてしまう。とにかく素晴らしい演技力だった。この作品は、改めて、分相応という言葉を思い出させてくれるものだった。シンデレラのような立場を羨んではいけない。完璧な幸せなどこの世にはないのだから。自分には自分の立ち位置というものがあり、どんなに理不尽な状況にあっても、必ず手を差し伸べてくれる人がいて、歩むべき道はあるのだと教えてくれる。生き方は人の数だけあるのだから、目に見えるものだけが真実ではないと語りかけてくるようだった。ラストは、公衆トイレでハンターが流産するシーンだが、表情は心なしか晴れやかだ。孤独と絶望の中をさまよい、愛のない夫との間に授かった子どもにも素直に喜べなかったハンターだが、流産したことで人生のリセットが可能となった。やっと一歩を踏み出すことのできるささやかな幸せを噛み締めているように思えて仕方がない。さて、皆さんはこの作品をどう考察するのだろうか?2019年(米)(仏)、2021年(日)公開【監督】カーロ・ミラベラ=デイビス【出演】ヘイリー・ベネット、オースティン・ストウェル※筆頭管理人より蛇足までデンゼル・ワシントンのコチラも(有料ではありますが)Amazonプライムで視聴できます(^_-)吟遊さんには少し前におススメしたのですが(^_^;)・・・流行りというかストライクというか、筆頭管理人としては、そういうのもたまにはおさえてほしいところです。
2024.02.10
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【事故物件~恐い間取り~】去る8月17日に静岡県浜松市では41.1度を観測し、歴代最高気温をたたき出しました!猛暑を誇る(?)群馬や埼玉ではなく、静岡ですよ!※読売新聞から一体全体、日本の夏はどうなってしまったのでしょうか?!この状況、日本に限ったことではなく、世界規模での気候変動なので致し方ありません。せいぜい40度超えの気温になったことを、職場の同僚らとこの夏の話題として記憶に留めておくぐらいでしょうか。さて、当ブログの更新を楽しみにお待ちいただいている読者の皆さま、大変お待たせしました。満を持しての更新ですよ、はい。夏はやはり涼を求めてあの手この手でひと時の悦楽を味わうのであります。私はやっぱり映画に求めるのです。それもジャンルは【ホラー】。背筋も凍るような作品を見て、彼岸の一歩手前に立ち尽くすのです。ところで我が日本の映画館はスゴいですよ!徹底した換気とアルコール消毒、入場者全員の体温チェック、さらには間隔を空けた座席。見事なコロナ対策!!私は安心してホラー映画を堪能しました。難点をあげるとすれば、私の右側に座っていたバカップルが周囲の視線を憚ることなくイチャイチャして、時折、彼女の「やーん!こわいー!」とか「もう泣いちゃう」など、ぶりっ子しちゃってるガールの現場を見せつけられたこと。もう勘弁してよー、と何度喉まで出かかったことか。そんな中、私は『事故物件』を観た。ストーリーはこうだ。お笑いコンビ、ジョナサンズの山野ヤマメと中井大佐は結成から10年が経つものの全く売れないでいた。食べていくのもままならない状況となり、中井は「解散しよう」と切り出す。それまでネタを考え、ジョナサンズを引っ張って来た中井は、放送作家に転身すると山野に告げて来た。一方、唐突に解散を言い渡されピン芸人となってしまった山野は、途方に暮れる。時を同じくして、番組プロデューサーの松尾は視聴率を上げるために様々な企画を考案中だった。ピン芸人として何でもやりそうな山野に目を付けた松尾Pは、お笑い番組への出演を条件に、事故物件に住むようムチャぶりするのだった。そして山野は、考える間もなくその場の流れに乗って、殺人事件が起こったアパートで暮らすことになった。この作品の元ネタになったのは、名古屋テレビで放送されている『北野誠のおまえら行くな』と言うホラードキュメント番組である。リアルな怪奇現象に体当たりでレポートすると言うもので、その一つのコーナーとして〝事故物件住みます芸人〟が誕生した。その芸人こそ松原タニシで、今や『恐い間取り』と言う自身の体験談を寄せた著書が話題となっている。(すでに続編も出版されている。)この松原タニシをモデルにして出来上がったのが本作『事故物件』なのである。私個人としての感想を言ってしまえば、やはりアメリカの実話に基づいて作られた『パラノーマル・アクティビティ』のような戦慄を覚えるほどの恐怖はなかった。なにしろ元ネタである松原タニシのリアルな動画撮影の方が、自然だし臨場感もあるし未知のものへの不安やら恐怖をより一層煽られるものだからだ。とは言え、『事故物件』のメガホンを取ったのは中田秀夫監督である。代表作に『リング』や『貞子』などがあり、ホラー映画界の奇才であり、本作も悪かろうはずがない。今回の作品はおどろおどろしいものではなく、ちょっとコミカルで笑えるホラーを目指した感がある。心理的にズシンと来るものは昨今のトレンドではないことを、この監督はよく理解しているようだ。主人公の山野ヤマメは言わずと知れたKAT-TUNのメンバー亀梨和也が熱演。売れない芸人の役でダサい格好しているのにもかかわらず、カッコいい!本作で見せた演技はとても自然で好感の持てるものだった。先日の〝女子高生モデル持ち帰り〟報道では、相棒の山下智久と同じバーで飲み会を楽しんでいたことで、矢面に立たされた。まだまだ伸びしろのある将来有望なトップアイドルなのだから、今後はくれぐれも自重し、役者として精進してもらいたいものだ。『事故物件』は涼を求めて観に行った私だが、本来は友人やカレシ、カノジョとキャッキャと楽しみながら鑑賞するホラー映画なのかもしれない。ツッコミどころ満載の作品である。2020年8月公開【監督】中田秀夫【出演】亀梨和也、奈緒、瀬戸康史
2020.09.12
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【ジョーカー】「狂ってるのは・・・僕なのか、それとも世間なのか・・・?」「(世の中は)不満が高まってる。人々は動揺して必死に仕事を求めてる・・・生きにくい時代だわ」ちまたは今、新型コロナウィルスのことで、これまでになく騒がしいけれど、ムリもない。今のところ特効薬がないため、罹患してしまったら一体どうなってしまうのか想像がつかないからだ。ならばどうしたら良いのか。そう、予防するしかない。その予防策についても、デマや不確実な情報が多い。そんな中、今自分は何をしたら良いのか、何をすべきかをよくよく考えて行動しなくてはならない。さしあたり私にできるのは、むやみに人混みに行かないことぐらいだ。イオンの食料品売り場で必要最低限の買い物を済ませたら、すぐに帰って来た。いつもの週末とは比較にならないぐらい人はまばらだった。駐車場もガラガラだった。これが一体どういう状況であるのか、ごくごく平凡な一市民でしかない私にもよく理解できる。若い息子も、今回ばかりはフラフラ外出することもなく、在宅。amazonのプライム会員である息子は、時間を持て余したのか『ジョーカー』を見始めた。私はこれ幸いとばかりにこたつで足を伸ばし、一緒にテレビに向かった。他人様に迷惑をかけることもなく、また、かけられることもなく、社会の片隅で生きるしがない親子二人が、束の間の娯楽を分かち合えるひと時となった。『ジョーカー』のストーリーはこうだ。舞台は1981年、アメリカ・ゴッサムシティ。貧困層と富裕層との格差が深刻化し、並行して犯罪も横行し、街は汚く荒んでいた。アーサー・フレックは道化師として日雇いの仕事をしていたが、あるとき、その仕事中にスラム街の少年たちから集団暴行を受け、商売道具をめちゃくちゃにされ、あげくの果てにアーサーは悪くないのに雇い主から「弁償しろ」と叱責される。アーサーはメンタルに問題を抱えていた。とくに楽しいわけでもないのに、発作が起こると突然笑い出してしまうと言う病気だった。そのせいもあり、仕事仲間から気持ち悪がられていて、周囲には馴染めないでいた。ロッカールームで、金銭目当ての同僚から「護身用に」と半ば強引に譲られ、アーサーは返すこともできなかった。ボロアパートに帰ると、精神疾患でまともに会話のできない母親がテレビを見ながら待っていた。二人の生活は社会の最下層に位置し、かろうじて住む場所があるだけマシ、という状況だった。母親は以前、大富豪のトーマス・ウェイン宅で働いていたことを唯一の誇りと考えるあまり、何通もの手紙をウェイン氏宛に書き、救済を求めるのだった。アーサーは、そんな母親をなじるわけでもなく、優しく面倒をみていた。そんな中、不幸は重なるもので、ピエロの格好をして小児病棟を慰問している際、つい忍ばせておいた銃が足もとに落ち、子どもたちの目にさらされてしまった。このことでアーサーは完全に仕事を解雇されてしまう。ピエロの格好から着替える意欲もなく、絶望的な気持ちで地下鉄に乗っていると、若い女性がビジネスマンの酔っ払い3人からからまれていた。見るともなく見ていたアーサーは、そんなときに限って発作が起き、笑いが止まらなくなってしまう。酔っ払いの3人は、大笑いするアーサーに矛先を変え、今度はアーサーにからみ始める。アーサーの中で何かが弾けた。忍ばせておいた銃を取り出し、2人を射殺。逃げるもう1人もこれでもかと言うほど執拗に追いかけ、撃ち殺してしまう。そのときのアーサーに罪悪感など微塵もなかった。恐怖や不安から解放され、えも言われぬエクスタシーが身体中を満たしていったのである。この作品のテーマはズバリ、「最貧困に怖いものなし」であろう。ここからはネタバレになってしまうが、アーサーは単なる貧困母子家庭の延長線上にあるだけでなく、親子そろってメンタルに問題を抱えている。信じていた母親も実は養母であり、アーサーは幼いころネグレクトを受けていた。本当に愛されているのかどうかも疑問である。唯一の頼みの綱であった福祉の援助も、財政難からカットされ、カウンセリングは打ち切りとなり、向精神薬の処方さえしてもらえなくなる。こうなってしまうと人間とは不思議なもので、何も恐れるものなどなくなるのかもしれない。自殺する勇気のある人ならまだ救いようがあるかもしれないが、その狂気が内側ではなく外側に向いたとき、人はどうなってしまうのか。それがこの作品の深いところに流れる混沌としたテーマのような気がする。主人公アーサーを演じたのはホアキン・フェニックスである。代表作に『グラディエーター』『サイン』『ホテルルワンダ』『her 』『アンダーカヴァー』などかある。(彼の兄は言わずと知れた『スタンド・バイ・ミー』のリヴァー・フェニックスである)これまでずっと「リヴァ・フェニの弟さん」と言われ続けて来たであろうホアキン・フェニックスだが、この『ジョーカー』で彼は俳優として本物であることを見せつけてくれた。(いや、これまでももちろん個性的な演技で、魅了されなかった作品など一つもないが)作中の狂気は尋常ではなかった。役作りのために痩せて、あばらの浮いた上半身にさえ絶望の2文字が見えてくるようだった。また、誰に見せるともなく踊るステップに、ただただ自己陶酔と狂信的な闇を見た気がした。私は心の底から不安と恐怖と、そして絶望を感じたのである。こういう作品はヘタな戦争映画を見るより100倍もこたえる。格差社会と言われて久しい現代にあって、あながちあり得ないことではないからだ。今さらだが、この主人公アーサー・フレックこそ、後の『バットマン』に登場する悪のカリスマ〝ジョーカー〟となる。とは言え、『バットマン』を見たこともない私が、この『ジョーカー』を単体で見ても、充分に底知れぬ孤独と狂気の沙汰を感じ得ることができた。この春一番のオススメ作品であるのは、間違いない。※ヴェネツィア国際映画祭にて最優秀作品賞(金獅子賞)受賞2019年公開【監督】トッド・フィリップス【出演】ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロご参考まで《吟遊映人》の過去記事です(^o^)/●グラディエーターはコチラ●ホテルルワンダはコチラ●アンダーカヴァーはコチラ●herはコチラ
2020.03.07
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【ナイブズ・アウト名探偵と刃の館の秘密】更年期による不定愁訴で悩んでおられる方々は、世の中にたくさんおられると思う。私もその一人である。どこがどうと言う症状を具体的に説明することができず、身近な人にその不調を理解してもらうのが難しく、またそれを根気強く分かってもらおうとするエネルギーもない。でもこんなメンタルじゃいけないと、自分を鼓舞する気持ちもある。明日のために、今日、何ができるか?そうだ、好きなことをしよう!私は、もう何年ぶりかで映画館に出かけた。最近はTSUTAYAでDVDを借りて来て見るか、息子がアマゾンのプライム会員になっているため、家にいながら新作を楽しんでいた。だが、私の心がアナログを楽しもうとしている。寒い中、映画館まで出向くのは面倒だけれど、非日常を求めている自分がいる。その前向きな気持ちを大切にして、私は市内のTOHOシネマズに出かけた。映画と言ったらお約束のパンフレット。売店で購入する際、びっくりしたのはその金額だ。「820円?!」たしか、こないだまで400円ほどで買っていた記憶があるが・・・(いつの記憶か定かではない)さらにはポップコーンも買った。今のポップコーンはスゴい。かっぱえびせんもミックスされているのだから!(息子に聞くと、フツーのポップコーンも売っているそうだ)私が見たのは『ナイブズ・アウト』である。まだ1月31日に封切られたばかりのホヤホヤだ。パンフによれば、古典ミステリーへのオマージュ的作品とのこと。アガサ・クリスティー作品を踏襲しているらしい。ストーリーはこうだ。舞台はニューヨーク郊外の屋敷。ミステリー作家として成功したハーラン・スロンビーの85歳の誕生日を祝うため、親族が集まった。その翌朝、いつも通り家政婦が朝食を持ってハーランの書斎を訪れたところ、ソファーに横たわり亡くなっているハーランを発見する。容疑者は、ハーランの誕生日を祝うために集まった家族全員である。ハーランの長女リンダとその夫のリチャード。彼らの息子のランサム。ハーランの長男はすでに亡くなっていて、その妻ジョニと娘のメグ。ハーランの二男ウォルトと妻のドナ。彼らの息子のジェイコブ。ハーランの年老いた母で、すでに認知症を患っているナナ。そして親族ではないが、ハーランの専属看護師であるマルタ。以上が屋敷に集まった顔ぶれである。事件から一週間後、匿名の人物から捜査を依頼された名探偵ブノア・ブランは、エリオット警部補、ワグナー巡査とともに屋敷を訪れる。ハーランの残した土地と屋敷を含めた遺産は、莫大なものであった。ハーランの死を単なる自殺として処理してしまうには、あまりにも謎が多すぎる。ブノアは事件当夜の真相を、徐々に明らかにしていくのだった。映画には「雰囲気」と言うものがある。この『ナイブズ・アウト』はひとことで言うと、とても上品だ。ミステリー作品なのに、斬った刺したの乱暴な描写はなく、始終、優雅で安心して鑑賞することができた。冒頭からしてまるでイギリス・ロンドンの郊外を連想させるような、格調高く、トラディショナルな雰囲気に包まれている。(パンフで「ニューヨーク郊外の屋敷」における事件と言う記述を読まなければ、てっきりイギリスと間違えるところだった)この作品のテーマはとてもわかりやすい。ズバリ、〝移民問題〟である。ハーランの専属看護師であるマルタはウルグアイ系の移民で、学費を稼ぐためにせっせと真面目に働いている。一方、ハーランの子どもたちと、その孫らは、白人の金持ちとしては典型的で、いかにもマルタを家族同様に受け入れていると思わせておきながら、その実どこか偽善的で、移民であるマルタを見下している。富裕層にはありがちなことだが、移民を拒否する一方で自分の屋敷ではメイドや庭師として移民を働かせていると言う矛盾。ここからはネタバレになってしまうが、結果としてハーランは、最後まで自分の面倒をみてくれたマルタに全財産を譲渡すると言う遺言書を残していた。マルタは突然の展開に戸惑い、驚きを隠せないでいるが、最終的にはその幸運を受け入れる。そのシーンは、マルタがバルコニーに立ち、屋敷を追われることになったハーランの子どもたちや、その孫たちを見下ろすラストである。マルタの手に握られているマグカップの柄を見ると、「My House,My Rules,My Coffee!」と書かれている。一体このシーンにどんな意味が込められているのかは、もう、それそのものであろう。アメリカの〝今〟がとてもよく反映されている、とパンフにも書かれていたので、私が今さらとやかく言うまでもないことだが、移民問題については、まだまだ議論の余地がありそうだ。トリックそのものに目新しさはないけれど、英国人俳優ダニエル・クレイグの、スタイリッシュでスマートな身のこなしや、個性的なキャラクターを表現するに相応しいそれぞれの衣装も見ものである。久しぶりに映画らしい映画を堪能した私は、大満足で鼻歌まじりに帰宅した。皆さんも、たまには映画館で楽しいひとときをどうぞ。2019年(米)2020年(日)公開【監督】ライアン・ジョンソン【出演】ダニエル・クレイグ、クリストファー・プラマー、アナ・デ・アルマス
2020.02.09
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【女神の見えざる手】「ロビー活動は予見すること。敵の動きを予見し、対策を考えること。勝者は敵の一歩先を読んで計画し、敵が切り札を使ったあと、自分の札を出す」2016年のアメリカ大統領選では、「まさか」のどんでん返しが起き、トランプ氏が当選した。絶対的な政界内部者であるヒラリー・クリントン氏を打ち破ったのである。と言うのもトランプ氏はそれまで実業家であり、まったくの政界外部の人だったので、全米に「激震」が走ったわけだ。建前的には、既存の政治体制へのしがらみがなく、トランプ氏なら深刻化している様々な社会問題(移民問題、所得・教育の格差、ジェンダー問題等)をどうにかしてくれるのではないかと言うアメリカ国民の期待感の現れとも捉えることができる。だが、当選の理由は果たしてそれだけなのだろうか?今年の秋、いよいよアメリカ大統領選挙が実施される。すでに今、水面下では始まっているであろうロビー活動の勝負やいかに、乞うご期待、てなものだ。※ロビー活動とは、企業や業界が何らかの要望を実現するため、国会議員や官僚などに働きかける行動のこと。(Wikipedia参照)私は『女神の見えざる手』を観た。政治ロビイストとして活躍するエリザベス・スローンを主人公にした作品である。ストーリーはこうだ。エリザベスは敏腕ロビイストとして大企業であるコール=クラヴィッツ&Wにおいて、陣頭指揮を執っていた。しかし、勝つためには手段を選ばず、一切の妥協を許さない仕事ぶりは、クライアントから高く評価される反面、敵も多かった。あるときエリザベスは、圧倒的な資金力を誇る銃擁護派団体から依頼を受ける。それは、新たな銃規制法案に対し女性の銃保持を勧めるロビー活動で、要は廃案に持ち込んで欲しいと言うものだった。するとエリザベスはそのオファーに対し、大きな口を開けて笑いながらきっぱり断る。その傲慢にも見える態度に激怒した上司は、「それなら君にいてもらう必要はない」と解雇を言い渡す。その晩、新聞記者のフリをしてコメントを求める男がエリザベスに近寄って来る。最初は歯牙にも掛けない態度を取っていたエリザベスだが、男が銃規制法案の成立に尽力するシュミットであることを知り、興味を持つ。結果、コール=クラヴィッツ&Wでエリザベスと同じチームとして働いて来た部下を引き抜き、シュミットの会社へ移籍する。そんな中、特に目をかけて来た腹心の部下であるジェーンは、エリザベスと袂を分かち、コール=クラヴィッツ&Wに残ることになった。しかしそのことがエリザベスにとっては大きな痛手となる。ジェーンはエリザベスの右腕として働いて来たため、エリザベスのやり口を熟知していたからだ。その後、エリザベスの戦略により、銃規制法案の賛成派議員を徐々に増やしていくことに成功する。ところが、豊富な資金力に物を言わせる銃擁護派団体も負けてはいない。次々に策を仕掛けてくるのだった。『女神の見えざる手』は、ジョン・マッデン監督の作品だが、代表作に『恋におちたシェイクスピア』がある。どちらにも共通するのは、どことなく感傷的なところがある点だろうか。ジェシカ・チャステイン扮するエリザベスは、クールでスタイリッシュでキレキレのキャリア・ウーマンだが、時折トイレにこもって安定剤を飲むシーンを見ると、強く見えても実はメンタルがすり減っているのだと表現されている。また、プライベートでは彼氏もいないため、ホテルにエスコートサービス(コールガールの男性版)を呼び同衾するのだが、感情の波に溺れる一人の女性の横顔が垣間見える。これも、エリザベスを冷血・非情なだけの女性に見せないための演出かもしれない。作品の根本はアメリカ銃社会に一石を投じるものとするレビューが多く、おそらくそれも当たらずも遠からずだとは思うが、実はロビイストについてフォーカスを当てているような気がする。エリザベスと言うロビイストを見ていてもわかるように、自分の信念や正義を貫くにはキレイゴトだけでは解決しない。結果を出すには義理・人情に囚われず、手段を選ばず、一切の妥協を許さないと言う鉄の意思が必要なのだ。主演のジェシカ・チャステインは私生活でも女性の権利を守るため、様々な活動を行なっている。(Wikipedia参照)思想的にもリベラルな彼女にとって、エリザベス・スローンと言う有能なロビイストは、正に適役だった。日本には「ロビイスト」と言う表立った職業はないが、何か物事を成し遂げるためには戦略家の存在は絶対である。一見の価値あり。2016年(米)、2017年(日・仏)公開【監督】ジョン・マッデン【出演】ジェシカ・チャステイン、マーク・ストロング
2020.01.26
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【アザーズ】「ニコラス、いつもお母さんと一緒はムリよ。一人でも我慢しなくちゃ。ロザリオはある? 怖くなったときは、これをぎゅっと握ってお祈りするのよ。『主の祈り』よ。それで平気。大丈夫、絶対よ。祈れば主がそばにいるからね。だから怖くないからね」いきなりだが以前、何かの本で読んだことがある。それは、人間とは地球という生命体に寄生するガン細胞である、と。一方、私たちは日ごろ、健康で長生きしたいため健康診断にも行くし、健康食品やサプリメントなどを摂取する。なぜなら自分の体内にガンなど(悪性腫瘍)が発症したらイヤだからだ。つまり、立場が変われば我々はガンそのものにもなり得るし、ガンを怖がる一個体にもなり得る。この自分という存在がどんな「立場」にあるのかを冷静に客観的に見つめるというのは、とても難しい。今回、私がレンタルした『アザーズ』は、正に、自分という存在が一体何者であるかをスリラー映画として表現した作品である。 ネタバレになってしまうけれど、主人公らはずっと怪現象に苦悩し怯え続けているのだが、実は自分たちが幽霊であり、生きた人間を脅かし続ける存在だったのだ。 ストーリーはこうだ。1945年、イギリス・チャネル諸島ジャージー島が舞台。古い屋敷には美しい女主人グレースと、日光アレルギーを患う2人の子どもアンとニコラスの3人が住んでいた。子どもたちは日に当たるとたちまちアレルギー症状が出てしまうため、グレースは細心の注意を払い、厚いカーテンを閉め、邸内に光を入れないようにしていた。アンとニコラスは父の帰りを首を長くして待っていたが、出征したまま未だ帰って来なかった。広大な屋敷を維持していくために雇った3人の使用人ミルズ、リディア、タトルが来てからというもの、次々と怪現象が起こる。アンは「ビクターという男の子の幽霊がいる」と言う。グレースはにわかに信じられないが、その証拠に物音がしたり泣き声が聴こえたりする。恐怖を感じたグレースは早朝にもかかわらず、御祓いのため、深い霧の中、教会の神父を呼びに行くのだった。ところが濃霧のため視界を遮られてしまい、立ち往生してしまう。そんな中、出征したきり帰って来なかった夫チャールズとバッタリ遭遇。グレースは我が目を疑うが、幸福感に包まれ、いそいそとチャールズを連れて帰宅するのだった。この作品の見どころは、何と言っても主役のニコール・キッドマンの迫真の演技にあると思う。わけのわからない怪現象に怯える表情とか、ヒステリックなまでに神経を尖らせるシーンなど、とくに惹きつけられる。神様に救いを求め続けながらも、冥界をさまようが如く苦悩から解放されない主人公の背景を知ると、なるほどと納得する一方でその悲劇に胸がいっぱいになる。 スリラー作品の筆頭でもある『シックス・センス』を思わせる結末でもあるわけだが、『アザーズ』には立場が変われば自分が「他者」にもなり得るし別の誰かが「他者」になる、という異次元を鮮明に感じさせるものがある。私はラスト、恐怖というより限りなく寂寥に近い孤独を感じないではいられなかった。 2001年(米)、2002年(日)公開【監督】アレハンドロ・アメナーバル【製作総指揮】トム・クルーズ【出演】ニコール・キッドマン
2017.07.24
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【スイミング・プール】「君はもっといいものが書けるよ」「そうは思わないわ。これが今まで書いた中で、最高傑作なのだから!」梅雨が明けてもいないのに、なんなんだこの暑さは?!我が家の前の路地を歩く人もいやしない。当然だ。まともに歩いたらこの陽射しにやられてしまうだろう。今日は2~3回救急車のけたたましいサイレンを聴いた。きっと熱中症で運ばれたに違いない。嗚呼、この暑さをどうにかして忘れてしまえないものなのか。私は親の仇を打つみたいに、日焼け止めクリームを塗りたくった。顔から首筋から腕までもだ。TSUTAYAに行こう。それで背筋も凍るような恐ろしいやつを借りて来よう。そう思った。 TSUTAYAはいい塩梅で冷房が効いていた。私はすっかりホラー作品を借りるという目的を忘れてしまった。店内をぶらぶら歩いていると、旧作サスペンスコーナーに『スイミング・プール』というタイトルを発見。何やら涼しげではないか。今回はこれにしよう。深く考えもせず、それに決めた。 『スイミング・プール』はフランス映画で、フランソワ・オゾン監督の代表作にもあげられる。フランソワ・オゾンの作品には狂信的なファンがついているせいで、ヘタな感想を言った日には集中攻撃を受けてしまいそうな懸念がある。なので、気の小さい私は今回、あたらずさわらずの記事しか書かないことをあらかじめ申し上げておく。 ストーリーは次のとおり。イギリスの女性推理作家サラ・モートンは、「ドーウェル警部」シリーズの著者であり、人気を博していた。ところが本人はマンネリの兆しに気付いていて、漠然とした不満を抱えていた。出版社の社長であり愛人関係にあるジョンに愚痴をこぼしたところ、君は経済的にも恵まれているしプロットに困っているわけじゃないと、一蹴されてしまう。それでもジョンはサラのご機嫌取りも忘れず、自分が所有するフランスの別荘へ行くよう勧める。環境を変えればまたペンも進むに違いないという配慮もあったのだ。サラはジョンの勧めを聞き入れ、南仏のリュベロンにある別荘へ向かう。雨天の多いロンドンとは違い、陽光が心地よく田舎ののどかな風景が広がる南フランスは、サラにとって正に天国だった。静かな環境の中で、仕事もはかどるはずだった。ところがその別荘に、ジョンの娘であるジュリーも滞在することになったのである。ジュリーは自由奔放で、遠慮を知らなかった。若く瑞々しい体を惜しげもなく披露し、プールで悠々と泳ぐのだった。サラは自分の環境を乱されたと思いイラつくが、ジュリーの美しい裸体に軽いめまいさえ覚える。またある日、ジュリーは年の離れた男を別荘に連れて来た。何の躊躇もなくジュリーは男を受け入れ、喘ぎ声をあげた。男にまたがって腰を振っている最中のジュリーを、サラは思わず注視してしまう。その視線に気づいたジュリーは不敵な笑みを受かべるのだった。こうして二人の奇妙な同居生活が始まるのだが、ある日、事件は起きた。 まずこの作品が【サスペンス】というカテゴリに分類されていることに、ちょっとだけ違和感がある。もちろんミステリアスな内容だけにサスペンスという枠組みに入れてあっても問題ないのだろうけど・・・私個人的には官能映画というジャンルでも充分受け入れられるのではないかと思うわけだ。(その証拠にこの作品はR-指定となっているし。)『スイミング・プール』というゆらゆらと揺れる水面(画面)に映し出されるそのものがあまりに幻想的で、どこまでがリアルの世界でどこからが妄想なのか、線引きにとても迷う。老齢に差し掛かって今や恋愛からも遠ざかりつつある女性と、若くて自由奔放ではち切れそうな肉体を持て余す女性・・・という真逆な二人が織りなすリアルとシュールな世界。でも実際は更年期障害と職業上のスランプに押し潰されそうになった主人公が見た白昼夢を表現しているのかもしれない。 フランス映画はどこか雰囲気を楽しむ傾向もあるので、冷たい飲み物とスフレか何か食べながら堪能すると、また一段と優雅な気分を味わえる。作品についてはそれほど深く詮索する必要はないかも(笑) 2003年(仏)、2004年(日)公開【監督】フランソワ・オゾン【出演】シャーロット・ランプリング、リュディヴィーヌ・サニエ
2017.07.17
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【特捜部Q 檻の中の女】「なぜ捜査をやり続けるのですか?」「俺にはこれしかないからだ!」友人から「コレはおもしろいから絶対レンタルしてみて」と言われ、それなら一つ借りてみようとTSUTAYAに出かけた。ところが私としたことが、聞いたそばから作品のタイトルを忘れてしまったのだ。「何というタイトルだっけ?」と友人にメールで問い合わせると、しばらくして「特捜部Q」というたった一言の返信が来た。味も素っ気もない返事だ。この日は雨天で、裾を濡らしながら傘をさしてTSUTAYAまで出かけたというのに、そりゃないだろうと半分ふて腐れた。私としては、「これからTSUTAYAに出かけるの? 足もとの悪い中、たいへんだね。『特捜部Q』というタイトルなんだけど、期待を裏切らない作品なのでぜひレンタルしてね」ぐらいの返信をして欲しかった。まったく。とはいえ帰宅して見てみると、かなりおもしろかった!ストーリーとしては決して斬新さはないけれど、安心して展開を見守ることができる。正にスタンダード・サスペンスだ。まず設定からして、警察署内でけむたがられてる存在が主人公で、窓際的部署で事件を解決していくのは、ドラマ『相棒』と同じパターンだし。かなり個性的な主人公をサポートしていくパートナーも、いい感じで魅力的だ。デンマーク映画というのは初めてだが、日本人好みのテイストで想像以上の満足感を味わえる。ストーリーは次のとおり。デンマーク・コペンハーゲン警察殺人課のカール・マークは復職したものの、もとの殺人課には戻れず、「特捜部Q」という閑職に就くことになった。というのも、カールは前回の事件で同僚一人を殉職させ、もう一人は障害のある身体にさせてしまい、また自分自身も負傷して休職を余儀なくされていたのだ。「特捜部Q」は過去の未解決事件などの資料整理という形だけの部署だった。助手には人の好さそうなアサドがいるが、たった二人きりの「特捜部Q」だ。資料整理などにやりがいを見出せないカールだったが、そんな資料の中から5年前に世間を騒がせた美人議員失踪事件の捜査ファイルを見つけた。その事件は結局、本人自殺という形で処理されていたが、カールはその捜査に違和感を抱く。カールはアサドとともに、フェリーから投身自殺をしたとされる「ミレーデ失踪事件」の再捜査を始めるのだった。 この作品にはいくつかのテーマを感じる。その一つが“子どものころの過失といえども許されないものがある”という強烈なテーマである。ここから少しネタバレになってしまうが、事件の引き金となったのは、被害者ミレーデが幼いころ車の中でふざけて、運転する父親の目を手で隠したことがきっかけなのだ。娘のいたずらによって父親は他人の車も巻き込む大事故を起こしてしまう。このとき巻き添えをくった側の車に乗っていた少年は、この事故によって父と妹を亡くし、母は下半身不随という重傷を負って、この上もない憎しみをミレーデに抱くのである。こちらに何の非がなくとも、相手のちょっとしたミスに巻き込まれてしまうというトラブルは、多かれ少なかれ我々の日常にはつきものである。笑って許されるものもあれば、そうではない場合もある。この作品における犯人は、自分の受けた理不尽な境遇を憎悪と復讐という手段によって生きる糧に変換させた。この驚愕すべき執着心は、もちろん異常性のなせる業かもしれないけれど、事件のきっかけと過程、そして結果を充分に納得できるものにさせている。主人公の相棒役であるアラブ系と思われるアサドについては、異民族の共生・共存を支持するかのように、好人物に描かれていた。イスラム教徒を見れば、どうしてもテロリストのイメージが付きまとうのだが、それがつまらない先入観でしかないことを思い知らされる。『特捜部Q』は、いろんな含みを内包し構成された脚本であり、ハリウッド・サスペンスとはまた一味違う面白さがあるのだ。 2015年公開【監督】ミケル・ノルガード【出演】ニコライ・リー・カース、ファレス・ファレス
2017.07.08
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【パイオニア】『1970年代、大規模な油田が北海で発見された。深海に囲まれたノルウェー、難題は石油の輸送だった。パイプラインを敷くためのテスト潜水が繰り返された。米国のダイビング業界が安全な潜水技術を提案した。建設事業の受託者には巨大な利益が見込まれていた。これは実話を基にした話。』先日、久しぶりに遠方の友人と会っておしゃべりに花を咲かせた。話題が次から次へとあふれ出て来て留まることを知らない。しまいには日本の乏しい資源の話になった。原発はごくごくフツーに稼働していたら安全でクリーンだけど、いざ何かトラブルがあった日にはだれも手をつけられないからやっぱり廃止すべきだ・・・みたいな内容である。お互い、JK時代には恋バナ一本だったのに、ずいぶんと大人になったものである。今じゃ原発問題を話題にできるのだから。「日本にも油田があったらねー」どちらからともなくリッチな石油産出国の豊富な資源を羨ましがり、やがて話題は嫁姑問題にシフトして行った。 そんなことが頭のどこかに残っていたこともあり、今回TSUTAYAで借りたのは『パイオニア』である。北海油田が舞台となる作品だ。『ミレニアム』シリーズのローン・コースランドが製作総指揮を手掛けており、正真正銘のノルウェー映画である。だがこの作品の重厚さに目をつけたアメリカ・ハリウッドがリメイク権獲得のため交渉中とのこと。(映画com.参照)ジョージ・クルーニーがプロデュースするらしい。 ストーリーは次のとおり。1980年代前半のノルウェー、北海油田が舞台。北海では膨大な量の石油とガスの存在が判明し、空前のオイルブームに沸いた。海底500メートルにパイプラインを敷設する政府の一大プロジェクトに、ダイバーのクヌートとペッターの兄弟が選ばれる。この作業はノルウェーとアメリカが共同で行う深海プロジェクトで、国家の代表となった二人は意気揚々と訓練に望んでいた。ところがある日、テストダイブの最中、トラブルに見舞われクヌートが絶命する。ペッターは一方的に事故の責任を負わされるが、上層部の説明にどうしても納得がいかない。その後、ペッターは自分なりに調査をし、事故の真実を追求するのだった。 この作品のレビューを読んでいたら、私と同じ感想を持っている人がいてちょっぴり嬉しかった。私は決して他人の容姿についてとやかく言うタイプではない。ニキビだらけだろうがハゲていようが、それはその人の個性として捉えることにしているからだ。とはいえ、映画の主役を務めるほどなら、それなりの花のある役者が良いと思うのだ。日本の役者で例えるなら、斉藤工とか西島秀俊ぐらいのポジションだろうか。(あくまで私個人の考える花のある俳優だけど)その点、『パイオニア』の主役に扮した役者さんは、何というか、ちょっとくたびれた感じがするのだ。本国ではきっと演技派として名のあるスターなのだと思う、思うんだけど・・・私の勝手な希望だが、もう少しイケメンをキャスティングしても良かったのではないかと思った。 『パイオニア』の見どころは、気圧カプセルの中での訓練風景はもちろんのことだが、テストダイブとして300メートルぐらいの深海で作業するシーンである。なんだかこちらまで耳鳴りしそうな物凄い水圧を感じるのだから不思議だ。作品が作品なだけに、色恋沙汰はない。だが、主人公の兄が不審死のあと、主人公と残された兄嫁とその子どもたちとのビミョーな関係に、親族以上の情愛を感じてしまう。本来ならノルウェーとアメリカの共同プロジェクトに隠された利権をめぐる陰謀とか、ダイバーの中にてんかん発作のある人物がいた理由などをあれこれ考えながら見ると楽しいのかもしれない。とはいえ、何となくぼんやり見てるだけでも充分スリリングを味わえるので、サスペンス好きの人におすすめしたい。臨場感あふれる深海サスペンスである。 2014年公開【監督】エーリク・ショルビャルグ【出演】アクセル・ヘニー
2017.07.02
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【バタフライ・エフェクト】『小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側で台風を起こすこともある。』--カオス理論より--2000年代の初めは、記憶喪失をテーマに扱ったものがトレンドだった。『バタフライ・エフェクト』もその一つで、主人公が短時間の記憶を失くす症状があり、精神科で治療を受けているのだ。カテゴリとしてはSF的な要素も含まれたり、あるいはラブ・ロマンスと言っても過言ではないストーリー性に富んだものだが、あえてTSUTAYAの商品カテゴリを参考にし、サスペンスとして捉えておくことにした。ここのところやたらとシリアス系な作品ばかり視聴してきたせいか、脚本や演出で一般的に評価の高いものが見たくなった。その点、『バタフライ・エフェクト』は公開時にアメリカで初登場1位を記録したとのこと。(ウィキペディア参照)しかもシリーズ化されていて、今では『バタフライ・エフェクト3』まで公開されている。今さらだけど、そんなことを知ったらがぜん興味が湧いた。さすがにみんなの評価が高いだけのことはある。おもしろい!ラストの、何とも言えないせつなさも、映画の醍醐味ではある。ただ若干、感傷的な気がしないでもないが・・・ ストーリーはこうだ。小学生のエヴァンは、時折記憶がブラックアウトしてしまう少年だった。母親は、エヴァンが精神病で入院中の夫の体質を遺伝してしまったのではと心配し、精神科の医師に相談する。医師は治療のため、エヴァンに毎日の出来事を日記につけるよう勧める。エヴァンが13歳になったとき、事件は起きる。エヴァンは幼なじみのケイリーとその兄トミー、それにレニーらとつるんで遊んでいた。不良のトミーは気の弱いレニーに爆弾を持たせ、それを知らない家のポストに入れて木っ端みじんに吹っ飛ぶのを眺めようと企んだ。しかしエヴァンの記憶にはその瞬間にブラックアウトが起き、気が付いたときには森の中で倒れていた。すぐそばにはショックのあまり倒れてしまったレニーと、レニーを抱きかかえようとするトミー、それに泣いて震えるケイリーがいた。エヴァンは何が起きたのかまったく思い出せないでいた。その後、エヴァンは母と二人その街を離れる。7年後、すでにエヴァンは大学生となっていた。心理学を専攻するエヴァンは成績優秀で、幼いころの記憶はすでに遠い昔のこととなっていた。だがある日、エヴァンは自分が書き綴っていた日記を見つけてしまう。懐かしさから読み耽っていると、しだいに過去が昨日のことのようによみがえって来た。この作品における主人公とヒロインの役に扮したそれぞれの役者さんは、本国のアメリカではそこそこ知名度があるようだが、日本ではさほどでもない。そのせいか公開当時、あまり話題にならなかった覚えがある。とはいえ、「記憶喪失」という当時のトレンドをテーマにしたことと、幼き少年の一途な恋心が幼なじみ(彼女)の将来を大きく変えるというラブ・ストーリーは、年齢男女問わずすんなりと受け入れられるストーリー展開となっている。レビューはどれも高評価で、あえて私などが後からつけ加えることもなく、自信を持ってお勧めできる作品だ。何度となく過去に戻って軌道修正し、未来を変えていくというストーリーは、マンガやアニメの世界では決して斬新な世界観ではない。だが、実写の中でこれだけ感動的に心の琴線を震わせる内容に成功させたのは、ひとえに脚本の良さと言えるかもしれない。難解なサスペンスが苦手の方でも充分に楽しめる作品なのだ。 2004年(米)、2005年(日)公開【監督】エリック・ブレス、J・マッキー・グラバー【出演】アシュトン・カッチャー、エイミー・スマート
2017.06.18
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【メメント】「自分の外に世界はあるはずだ。たとえ忘れてもきっと何かしらやることに意味がある。目を閉じててもそこに世界はあるはずだ。本当に世界なんてあるのか? そうだ、記憶は自分の確認のためなんだ」冷蔵庫の中身をチェックしていたら、玉子が一個もないことに気が付いた。玉子料理の大好きな私にとって、玉子のない冷蔵庫なんて致命的だ。買い物に出かけたら、いの一番に玉子をカゴに入れなくてはと思った。私は近所の大型ショッピング施設に出向き、まずはパン屋に寄った。大好きな米粉パンやカリカリのメロンパンをゲットすると、もうそれだけで気分は盛り上がった。その後、何か冷たい物でもと、マックでサンデーストロベリーを注文し、ささやかな幸せをかみしめた。さて、生鮮食品売り場で食材を買って帰ろうと、私はいつもどおりの順路でスムーズに買い物を終えたのである。帰宅して私は冷や汗が出た。言葉も出ない。あろうかとか、肝心な玉子を買い忘れていたことに気付いたのである。一体何のための買い物だったのか?!よもや若年性認知症なのか?!いや、単なるもの忘れに過ぎない。だがこの記憶の喪失感をだれに訴えたら気が晴れることだろう・・・ 私はTSUTAYAで『メメント』を借りた。これは、前向性健忘という記憶障害に見舞われた男が、愛する妻を殺害した犯人に復讐する物語である。 ストーリーはこうだ。ロサンジェルスで保険の調査員をしていたレナード。ある日、浴室の方から物音がしてくることを不審に思い、おそるおそる様子を見に行く。するとそこには愛する妻が何者かによってレイプされ、殺害されようとしていた。レナードは慌てて現場にいた犯人の一人を銃で撃ち殺すが、犯人の仲間に殴られ、そのときの外傷がきっかけで10分間しか記憶が保てない前向性健忘になってしまう。レナードは愛する妻を殺害された復讐心だけを支えに、犯人捜しを始める。自身のハンデを克服するため、ポラロイドカメラで写真を撮り、メモをし、さらには重要なことを忘れないために自分の体にタトゥーを刻んだ。こうしてレナードは少しずつ手がかりを追って犯人に近づいていくはずだったが・・・ 『メメント』のレビューを読んでみると、皆一様に「難解だ」というコメントが多かった。リピーターが多いのも、おそらく一度見ただけでは理解できないという理由から、二度三度と視聴される方が多いのであろう。思い出すのは、2000年代の始めは記憶喪失をテーマに扱ったものがトレンドだったということだ。『ボーン・アイデンティティ』などがその筆頭である。『メメント』は時間軸を解体し、結論から逆行していく構成など斬新だったかもしれない。だがそこにばかり注目してしまうと、作品のテーマを見逃してしまう。 私が注目したのは、次から次へと入ってくる情報に翻弄されながらも、たった10分間という記憶のある瞬間を生きるしかない主人公の姿である。本来、人間というものは過去の記憶に囚われつつも、新しい環境にゆっくりと順応していく生きものである。だが現代の情報化社会では、過去を消去し、次から次へとアップデートしていくことがスタンダードとなっている。ならば過去の記憶などゴミ箱に捨て、絶望感さえ忘れて生きてゆけと訴えているような気がするのだ。『メメント』は、今を生きるしかない現代人の姿を投影しているようにしか思えない。アイデンティティの崩壊さえ感じられるこの作品を、みなさんはどう受け留めたであろうか。 2000年(米)、2001年(日)公開【監督】クリストファー・ノーラン【出演】ガイ・ピアース
2017.05.14
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【アイデンティティー】「幼年期の虐待は心に大きな傷を残し、その結果人格が分裂することがある。マルコム・リバースがそうだった。いわゆる多重人格障害だ。この言葉は知ってるね?」「一体、僕に何が言いたい?」「君は彼の複数の人格の一つなんだ」こんなことにお金を使って良いものかとあれこれ悩んだあげく、でもどうしても欲しいと思って購入を決めた。今ならTSUTAYAで『ベルサイユのばら』デザインのTカードを作ることができるのだ!(¥500税抜)「ベルばら」と言えばその昔、乙女たちは胸を焦がしながら読み耽ったものである。池田理代子の描くキラキラした瞳のスタイリッシュでスマートなキャラクターは、そのどれもこれもが乙女たちの憧れだった。私はこのTカードを財布にしまっておくだけで幸せな気分を味わえる。ちなみに今なら『シン・ゴジラ』のTカードも、希望すれば発行してもらえる。(もちろん有料だけど)興味のある方はTSUTAYA店舗までどうぞ。 ところで私はTカードの宣伝をするためにこんな話をしたわけではない。一つの例として、「ベルばら」のTカードを持つことでモチベーションの上がる私という自我を持つ個人がいることの証明をしたかったのだ。(まわりくどい話だが)「ベルばら」が好きなのはこの私であり、他のだれでもない吟遊映人の管理者の一人である。「ベルばら」のTカードを持つ人=(イコール)吟遊映人の管理人=(イコール)私すべて同一人物である。今回見た『アイデンティティー』は、登場人物が11人いるけれど、その各々にキャラがあって人格は違うのに、本体は一人でしかないという複雑極まりない世界観である。ざっくり言ってしまえば、重度の統合失調症の疑いがある死刑囚の、頭の中に存在する人物たちのお話なのだ。 ストーリーはこうだ。土砂降りの中パンクさせてしまったジョージは、車を路肩に停車させ修理をしていた。必死で修理する夫に傘をさしかけている妻アリスが、突然車に跳ね飛ばされてしまう。アリスを轢いてしまった車はすぐに停まり、運転していたエドが慌ててアリスに駆け寄る。エドは女優キャロラインのお抱え運転手であり、今も後部座席にキャロラインを乗せ、彼女のヒステリーに付き合わされていたのだ。あいにくの道路の浸水とケータイの充電切れのせいで救助を呼ぶこともできず、さびれたモーテルに駆け込んだ。事故に遭ったアリスとその夫ジョージ、それにその子であるティミーをモーテルにいったん預けると、エドは助けを呼びに再び車で出かける。(モーテルの電話も通話不可だった)ところが道路は洪水状態で寸断され、引き返すしかない。途中、水商売風のパリスから、雨で難儀しているから乗せて欲しいと頼まれたため乗せてやるのだが、エドの車も洪水にタイヤを取られてしまう。そんな折、新婚カップルのルーとジニーの乗る車が通りかかり、エドとパリスは便乗させてもらい、どうにかモーテルまで引き返すことができた。その後、モーテルには護送中の警官ローズと、凶悪犯のメーンがやって来た。辺りは漆黒の闇、降り続く豪雨の最中、モーテルには11人の男女が偶然にも居合わせることとなった。そして、惨劇の火ぶたが切って落とされたのだ。『アイデンティティー』は、決して密室殺人などの推理モノとは違うのだが、土砂降りの夜、国道沿いに建つさびれたモーテルが舞台となるのは、さしあたりヒッチコックの代表作『サイコ』を彷彿とさせる。*ここから先はネタバレ結果として犯人は精神疾患者なのだが、その原因は幼年期の親から受けた虐待のせいとのこと。というのも、作中、度々挿入されるマルコムという死刑囚についての審議の場面がカギとなっている。最初はこのマルコムが一体何なのか、まるで見当がつかなかった。もしや犯人はエドかもしれないなどと推理してみた。(ジョン・キューザックが演じているし)あるいは、いかにも犯人役で出演しそうなレイ・リオッタも、「きっとコイツが真犯人だな」と思って見ていると、肩透かしを食らってしまう。なぜならそれらはマルコムの頭の中で作られた人格の一人であり、実在の人物ではないのだ。 よけいな詮索だけれど、完全なる“あちら側”の人には複数の人格が存在して、自分という存在がないのだろうか?それともその複数の人格の中に、本来の自分が存在するのだろうか?いずれにしても『アイデンティティー』は、実際におこなわれた複数の殺人が、11人もの人格を持つたった一人の男による犯行だったというサスペンス・スリラー映画である。ちなみに2003年公開当時、アメリカでは興行成績1位を獲得している。なるほどそれだけのことはある作品なので、ぜひともみなさんにもお勧めしたい逸作なのだ。 2003年公開 【監督】ジェームズ・マンゴールド【出演】ジョン・キューザック、レイ・リオッタ
2017.04.23
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【ナイトクローラー】「君の提案はありがたいが僕の目標達成には一人がいい」「おい、少し考えろよ」「いや、他の人を雇ってくれ。僕の気が変わるのを待つことはない」以前から『ナイトクローラー』のことが気になっていたのに、TSUTAYAに行って「な」のコーナーを見ると、いつも誰かに先を越されてがっかりした気持ちになった。今回、ようやくレンタルする機会に恵まれ、金曜日の夜、我が家はさながら独占シアターになったようだった。まずポップコーンの袋を開け、マグカップになみなみとコーヒーを注ぐ。よぶんな照明もすべて落として、よし、準備万端だ、と言った感じ。(笑)やっぱりこの作品はみんなが次から次へとレンタルしていくだけのことはある。見ているうちにしだいにぐいぐいと引き込まれていくのだ。 主人公のルイス・ブルームに扮するのはジェイク・ギレンホール。この役者さんは『ミッション:8ミニッツ』においても主役を張っているのだが、ものすごい演技力である。一度でもこの人の演技に触れると忘れられない何かが視聴者を虜にしてしまう。これを存在感というのだろうか。常軌を逸していく主人公のようすが、画面からじりじりとこちら側に伝わってくるのだから不思議だ。この作品のテーマをざっくり言ってしまえば、「成功するってこういうことなのか? 自己実現とは何ぞや?」みたいなものだと思う。主人公ルイスは人脈も学歴もない。だがネットで様々なことを勉強し、学習能力は高い。口も達者で話術に優れている。ルイスに欠けているのは金と名誉。それらを手にするためにはいかなる手段も択ばない。そのため、単なる人間嫌いというよりは、人を人とも思わない人格破綻者なのだ。ストーリーはこうだ。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスが舞台。夜の工事現場で、売れそうなものを物色するルイス・ブルームは、フェンスを盗もうとした。それを警備員に見つかるが、ルイスは顔色一つ変えずに対応する。冷静に警備員の持ち物を見ると、高級そうな腕時計をしている。ルイスはためらうことなく警備員に襲いかかると、腕時計を我が物とする。その後、盗んだフェンスを売りに行き、値段の交渉に食い下がるものの、二束三文にしかならない。さらに、仕事を求めていることを告げ、自分を売り込もうとするが、相手はフェンスが窃盗品であることをさりげなく見抜いており、「コソ泥を雇う気はない」と拒絶される。帰宅途中、ルイスは自動車の事故現場に遭遇。興味を持ったルイスは周辺をウロウロしていると、フリーのカメラマンが悲惨な事故現場を撮影している。さらにはその動画がテレビ局に高く売られていることを知り、欲望が疼く。ルイスは、フリーのカメラマンなら自分にもできるという気が起こる。だが、彼にカメラなどの機材を買う余裕はない。考えた末、競輪用自転車を盗み、それを売った金を元手にカメラと警察無線受信機を手に入れるのだった。その後ルイスは悲惨な事件現場のようすを撮影したものをテレビ局に売り込む。ニュース番組のディレクターであるニーナは、ルイスが撮影したショッキングな動画をチェックすると、購入を決める。さらにはフリーカメラマンとしては新人のルイスに、局が求めている映像とはいかなるものかをアドバイスするのだった。 ナイトクローラー=(イコール)パパラッチの呼称と考えて良い。日本でもスマホのおかげで、たまたま事故現場にいた一般人からの動画が局に寄せられたりしている。だがアメリカはそんなもんじゃない。それが仕事として成立するのだからコワい。ショッキングな動画であればあるほど、テレビ局は視聴率アップのために飛びつくし、高額取引で購入する。ナイトクローラーは味をしめ、さらにエスカレートしてムリな撮影を試みようとする。社会性に欠如しているのか人格破綻者なのか、人を人とも思わない主人公が、己の成功のため、自己実現のために突き進んでいく姿が気味悪い。(成功へのプロセスならもっと心地よいもののはずなのに・・・)ロスの夜の街を、自己顕示欲の塊みたいな真っ赤な車で疾走するシーンには度胆を抜いた。ハリウッド的カーアクションはさすが!単調にならないための仕掛けもさることながら、スリリングなストーリー展開に久しぶりの高揚感を覚えた。サスペンス好きの人はもちろん、カーアクション好きの人にも受け入れられる作品かもしれない。必見の作品なのだ。 2014年(米)、2015年(日)公開【監督】ダン・ギルロイ【出演】ジェイク・ギレンホール、レネ・ルッソ
2017.04.09
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【マッチポイント】「運はとても大事だ」「運よりも努力の方が大切よ」「もちろん努力も大事だが、運を軽く見ちゃいけないよ。科学者によれば、この世の出来事はすべて偶然によって決定するのさ。証明済みだ」もともとコメディアンだったウディ・アレン監督だが、なりゆきからか(?)役者となり、映画監督となり、今では名匠とまで呼ばれるほどに成功を果たした人物である。代表作に『おいしい生活』や『ギター弾きの恋』などがある。どの作品にも共通しているのは、せつなさの中にちょっとした笑いがあることである。(さすがはコメディアンだ。)ところが『マッチポイント』においては、そのコメディ・タッチを完全に封印している。このDVDを借りる前にいろんな方々のレビューを拝見してみたが、“新境地”と表現する感想が多かった。この作品を見て、ようやくその意味がわかった。たしかにこれまでの作品の流れからして、軽い皮肉を交えたコメディ感覚は薄れ、ものすごくブラックな、ある意味深刻さのただよう内容となっているのも見逃せない。思い出したのは名作『太陽がいっぱい』の、全体からかもし出されるヒリヒリとした痛みのような感覚である。 ストーリーはこうだ。舞台は英国、ロンドン。元プロテニス・プレイヤーのクリスは、特別会員制テニスクラブのコーチとして就職した。アイルランド出身でしがないテニスコーチでしかないクリスにとって、エリートの集まりであるテニスクラブは上流階級との出会いのチャンスでもあった。あるとき、富豪の御曹司トムのコーチを依頼されたところ、思いのほか二人は意気投合した。トムは、苦学してプロテニスプレイヤーとなったクリスに尊敬の念を抱き、自宅へ招待するなどしてますます仲良くなっていく。トムには、一途で純情な妹クロエがいたが、トムからクリスを紹介されたとたん、たちまち一目ぼれしてしまう。クリスも大金持ちのトムの妹ということでクロエを気に入り、二人は交際するようになる。一方、トムもアメリカ人女性ノラと婚約していた。ノラはハッとするほどの官能美を備え、男性を虜にするような魅惑的な女性だった。女優を目指してオーディションなどを受け続けているのだが、なかなか芽が出るようすはなかった。クリスとクロエ、トムとノラは、四人で食事や映画、週末の休暇などを共にするようになる。ところがあろうことか、クリスは美貌の持主ノラに夢中になってしまう。クロエには感じられないセクシーなノラを自分のものにしたくてたまらなくなる。そしてある日、クリスは大胆にもノラと激しい情交に及ぶのだった。 『マッチポイント』はアメリカ人監督によるイギリス映画となっているが、見事な出来栄えである。上品で優雅な、しかも育ちの良いトムとクロエの兄妹に対し、しがないアイルランド人青年クリスと女優志望でアル中ぎみのアメリカ人ノラ。この富と貧の差がスゴイ。 ノラ役に扮したスカーレット・ヨハンソン、これは適役。大胆でエロスにあふれた演出はお見事。けだるそうにタバコを吸うシーンは官能的だ。ウィキペディアで調べたらユダヤ人とのこと。敬虔なクリスチャンかと思いきや、なんと無神論者なのだとか。やはり人は民族性とか見かけだけでは計り知れないものなのである。 『マッチポイント』のテーマはズバリ、「人生とは運である」と私はとらえた。もちろん他にも「浮気は良くない」とか「愛欲は身を亡ぼす」とか、とらえ方は様々だが、ラストを見たら「人生とはすべて運によって支配されているんだなぁ」と、実感してしまう説得力がある。このラストが気に入らない方々もたくさんいると思う。私も半分は納得がいかない。だが、すべてがすべて法に守られフェアな世の中かと問われれば、そうではないのも確かである。かなりブラックな結末ではあるが、サスペンス好きのみなさんのジャッジを期待したい。お勧めの逸作である。 2005年(英)(米)、2006年(日)公開 【監督】ウディ・アレン【出演】ジョナサン・リース=マイヤーズ、スカーレット・ヨハンソン
2016.10.02
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【ミレニアム2 ~火と戯れる女~】「テーマは人身売買です。(中略)数人の高官が彼女たちの顧客となった証拠があります。中には買春規制法案に携わった法務省の役人まで、、、公安警察官と風紀取締官を含め、警察官も3人、弁護士が5人、裁判官と検事も関係してました。犠牲者の少女たちは、、、社会の底辺にいて、法にさえ守られていません」波乱の幕開けとなった都知事選だったが、どうにか落ち着くところに落ち着いて良かった。私は都民ではないので関係ないと言ってしまえばそれまでだけど、4年後の東京オリンピックを控えて、首都の代表がだれに決まるのかは他府県の者にとっても大いに興味をそそられる問題だった。 それにしても鳥越俊太郎には驚いた。週刊文春や新潮がスクープした内容がどこまで事実なのかは分からない。とはいえ、女性の人権を侵害し、あからさまに無視して来たその破廉恥なる行為について、何の弁明もなかったのはいかなる理由なのか聴いてみたい。「火のないところに煙は立たない」と、いにしえの先人らは言う。文春や新潮があえて危険を冒してまで全くのデタラメを記事にしたとは思えない。ジャーナリストという肩書きを持つ以上、もっと赤裸々に自分をさらけ出す必要があったのではなかろうか? 前作に引き続き『ミレニアム2』においても、社会派雑誌「ミレニアム」の発行人ミカエルが活躍する。今回は人身売買組織の実態に迫る特集号を発行するための準備を進めている最中、事件が起きる。見どころは、東欧の人身売買について取材する若いジャーナリストが惨殺され、その犯人と疑われてしまった主人公リスベットの悲劇と、真の敵に迫っていくミカエルの行動力である。 あらすじはこうだ。リスベット・サランデルは、幼少期に受けた虐待のせいで、他人を信じ甘えることができなかった。身長150センチ、体重40キロという小柄な体型で、背中には一面のタトゥーを入れ、耳・鼻にはピアスをいくつも施していた。そんなリスベットを受け入れたのは、社会派雑誌「ミレニアム」の発行人ミカエルで、大富豪ヴァンケル家の少女失踪事件を2人で解決したものの、現在リスベットは姿を隠していた。その後、「ミレニアム」では東欧の人身売買組織の実態に迫る特集号を発行しようとしていた。ところが担当する若手ジャーナリストが何者かに殺害されてしまう。一方、リスベットは海外からスウェーデンに帰国し、久しぶりに友人と旧交をあたためていた。娼婦まがいの仕事をしている友人を条件付きでリスベット名義のマンションに住まわせ、自分は別のマンションに住むことにした。そんな中、電柱に貼られた指名手配犯の写真を見て、リスベットは驚愕する。なんとその写真は自分の顔写真だったのだ。無実にもかかわらず、ジャーナリスト殺害の犯人にされてしまったのだ。 作中、問題にしている東欧の人身売買についてだが、ターゲットとされるのはほとんどが幼い子どもや女性である。(ウィキペディア参照)すべての原因は文化・伝統による女性の地位の低さ、そして何より貧困であろう。ここではその詳細を省くが、社会的身分も高く地位のある男性が、女性の人権を無視し、侵害するということの卑劣極まりない行為は、決して許されるべきものではない! 『ミレニアム2』で明らかになった主人公リスベットの異母兄ニーダーマンだが、この男、不死身なのか?!先天性無痛症という難病らしいのだが、プロボクサーから強烈なパンチをくらっても蹴り上げられてもへっちゃら。ニーダーマンは涼しい顔をして、相手をボコボコにしてしまうのだからコワい。リスベットもこのニーダーマンから酷い仕打ちを受け、半死半生の体になってしまう。 ところどころ、思わずツッコミを入れたくなってしまう場面もあるが、そこはスウェーデン映画ということで、とりあえずスルー。興行的にも大成功した『ミレニアム』シリーズは、サスペンスとしてもバイオレンスとしても充分楽しめる作品に仕上がっている。『ミレニアム3』も、乞うご期待! 2009年(瑞)、2010年(日)公開【監督】ダニエル・アルフレッドソン【出演】ノオミ・ラパス、ミカエル・ニュークヴィスト※ご参考「ミレニアム」三部作の第一作「ミレニアム~ドラゴン・タトゥーの女~」はコチラ
2016.08.07
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【万能鑑定士Q モナ・リザの瞳】「あ、万能鑑定士QのQって、どういう意味ですか?」「取材はお断りします。絶対に答えません」「えっ、それくらいいいじゃないですか、Qの意味・・・」「それは言いたくないんです!」「いや、名前の由来くらい教えてくれてもいいんじゃ・・・」このお正月に見ることになった作品としては、ちょっと軽すぎた。前回が『セッション』でメンタルを痛めつけられるハードな内容だっただけに、今回見た『万能鑑定士Q』はお茶の間向けドラマにも思えてしまった。原作は松岡圭祐で、数年前からその名を度々見かけるようになった人気作家である。『ダ・ヴィンチ』ブック・オブ・ザ・イヤー2015とか『本の雑誌』、あるいはブックリスタ年間ランキング2015などで見かけるヒット・メーカーだ。(ウィキペディア参照)松岡圭祐の作品は入試問題への採用も多いらしく、受験生の皆さんにとっては要チェックの作家であろう。とはいえ、今回は原作を読んでいないため、映画としての評価、感想を言わせていただくことにする。 キャスティングを見ても、決して重々しい作品ではなく、むしろ万人受けするように明るくユニークなテイストに仕上げられている。もちろん内容はミステリーなのだが、そこにこだわりは見受けられず、徹底してお茶の間を意識したものに感じた。 ストーリーはこうだ。万能鑑定士Qとして働く凛田莉子のもとに、ルーヴル美術館アジア圏代理人兼調査員である朝比奈がやって来た。朝比奈は、莉子の卓越した鑑定眼を見込んで、臨時学芸員の採用試験を受けるよう推薦に来たのだ。というのも、フランス・ルーヴルが所蔵するレオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』が40年ぶりに来日することとなったからだ。冴えない雑誌記者の小笠原悠斗は、さる事件で莉子の天才的鑑定眼に興味を持ち、密着取材を続けるが、莉子の渡仏を知り、自費で追って行く。パリでは見事試験に合格し、莉子はもう一人の合格者、流泉寺美沙とともに研修を受ける。そんな中、莉子は講義を受けているとしだいに体に変調を来たし、持ち前の鑑定眼が狂っていくのだった。一方、来日した名画『モナ・リザ』は、陰謀を企むフランス人窃盗団に狙われていた。 「日本映画として初めてルーヴル美術館での撮影に挑む」というふれ込みだったので、かなり話題になった。ルーヴル美術館でのロケは、『ダ・ヴィンチ・コード』以来というから凄い。日本映画もなかなかやるじゃないかと褒めてやりたい。興行的にもまずまずだったようなので何より。好き嫌いがあるから、一方的な批評はしないつもりだが、パンチの弱いサスペンスはせめて演技力でカバーするかどうにかして欲しい気がした。いろんな制約があるのかもしれないが、フランスの街並とかスタイリッシュなムードをもっと押し出しても良かったように思える。日本のどちらかの美術館を貸し切ってルーヴル的なセットをこしらえたように見えるのでは意味がない。ルーヴル美術館のかもし出す、格調高く優雅な雰囲気がそこかしこから漂う映像美を期待していただけに、残念でならない。とはいえ、キュートで屈託のない綾瀬はるかや、粗削りだが野心の見え隠れする松坂桃李ファンにとっては、必見の作品であろう。 2014年公開【監督】佐藤信介【出演】綾瀬はるか、松坂桃李
2016.01.09
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【サボタージュ】「あんたは俺たちの心と魂なんだぜ」「今回ばかりはヤバかったがな」「弱気になんかなるな。こうして再会できたんだし。俺たちは生き残れたんだ。チームとしてな」先日見た『フューリー』と同監督がメガホンを取っているので、いくらか期待してしまったのがマズかった。出演者が豪華なだけにまだ良かったけれど、この作品は一歩踏み違えたらB級スレスレの安っぽさしか残らない。見終わった後の充実感が皆無というのも珍しい作品だ。これだけボロクソに言ってしまうと、なんだか申し訳ないような気になり、どこかまともに評価できるシーンなどなかっただろうかと、もう一度思いめぐらしてみる、、、が、やっぱり思い当たらない。『ターミネーター』シリーズのアーノルド・シュワルツェネッガーとしてのキャラが、ちゃんと生かされていたのだろうか?あるいは年齢的なものなのか、アクションにもキレがなく、寄る年波には勝てないと言ったあんばいだ。これだけケチョンケチョンに言ってしまってなんだが、『サボタージュ』のストーリーはこうだ。 ジョン・ウォートン率いる麻薬取締局(DEA)の特殊部隊は、ブリーチャーという異名でその筋の者たちから怖れられていた。とはいえ、ジョン・ウォートンは仕事柄アメリカ国内外の凶悪な麻薬組織を相手にしていることから、愛する妻を残虐な殺害方法で失っていた。妻の悲痛な叫び声が忘れられず、救出できなかった自分の無力さに苦悩する日々だった。ある日、ジョンのチームは麻薬カルテルのアジトに踏み込み、2億ドルの闇金から1000万$をネコババする計画を立てた。摘発の際、押収金の一部を隠し、夜になって再びチームは隠し場所にやって来たものの、金はすでに何者かに持ち逃げされていた。そんな中、麻薬取締局では押収金が足りないことから、ジョンのチームに疑惑の目が注がれた。ジョンの指揮するチームは、それぞれがワケありで粗暴な荒くれ者揃いだったからだ。チームの者たちは1000万$ネコババして、後から山分けするつもりだった計画が崩れ、さらには局内の信用を失い、仕事も取り上げられてしまいクサクサする。そうこうしているうちにチームのメンバーが一人ずつ殺害されていくのだった。 ウィキペディアによると、この作品はアガサ・クリスティーの小説『そして誰もいなくなった』をもとにしているらしい。私はこの小説を読んでいないので、原作については何とも言えないが、少なくとも『サボタージュ』のストーリーについてはツッコミどころが満載で、「えーっ」と声を出さずにはいられない。どこがどういうふうだったら良かったとか、この役者さんのこんな演技がすばらしいだとか、そういう感想もない。残念すぎる作品なのだ。 2014年公開【監督】デヴィッド・エアー【出演】アーノルド・シュワルツェネッガー、サム・ワーシントン、テレンス・ハワード
2015.11.15
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【ゼロの焦点】「思い切って、一思いに突き落としてよ」「どうしてあなた、そんなことを、、、?」「どうしてって、、、? おまえにできないわけがないだろ。あの人が死んで、ついでにあたいが死んじまえば、差しあたっておまえの汚い過去を知っている者はだれもいなくなるじゃないか。大きな会社、有り余るお金、立派な屋敷。おまえの不幸せは暗い過去だけだからね」松本清張の代表作でもある『ゼロの焦点』は、これまでにも何度となく映画やテレビドラマなどで放映されて来た。2009年にも、松本清張生誕100周年記念とかで、広末涼子が主演の『ゼロの焦点』が公開された。だが今回、私はあえてオリジナルを見ることにした。1961年公開の、しかも白黒画像のものだ。この作品は小説の持つ、暗く陰鬱で、太平洋戦争の消えない傷痕を色濃く反映した作風となっている。殺人の動機も営利目的ではなく、知られたくはない暗い過去を抹消するための行為という点が、ますます切なさを誘う。というのも、加害者は戦後十数年経って社長夫人の座におさまったものの、実は、敗戦後米兵相手の“パンパン”だったのだ。生きるためのやむをえない選択だったにしろ、そのことは過去の汚点の何ものでもなかった。 あらすじはこうだ。禎子は、広告代理店に勤務する鵜原憲一と見合い結婚をした。憲一はもともと金沢支社に在籍しており、結婚を機に東京本社に栄転となったのだ。結婚してわずか一週間後、仕事の引き継ぎをして来ると言って金沢へ出張することになった。禎子は、上野駅まで憲一を見送りに行くのだが、生きた夫の姿を見るのは、これが最後となってしまった。予定を過ぎても帰らない夫を心配して、禎子は勤務先や憲一の実兄に連絡を取る。会社側も北陸で行方不明となった憲一を捜索するため、警察の協力を得ることにする。そんなある日、禎子のもとに、憲一の兄嫁から「うちの主人も行方不明なの」という連絡が入る。急遽、禎子は兄嫁のもとに駆け付けると、金沢の警察から憲一の実兄が殺されたという電報が届くのだった。 作品のあらゆるところで感じられるのは、女性の社会的地位の低さとか、偏見による差別である。敗戦後のどさくさに紛れて、忌まわしい過去を持った女性が死にもの狂いで、現状を維持するために、殺人を繰り返していくのだ。 主人公・禎子役は久我美子である。さすが華族出身の令嬢なだけあって、上品な身のこなしが美しい。室田佐知子役に高千穂ひづる。宝塚歌劇団出身の売れっ子女優ならではの、気品の中に気高ささえ感じさせてくれる名演技だ。田沼久子役に有馬稲子。今さら言うまでもないが、名女優の名演技である。白黒画像なのにまったく違和感もなく、むしろ作風のどんよりとした暗さがそこはかとなく効果的に表現されている。監督は『砂の器』で有名な野村芳太郎。音楽は芥川也寸志。(龍之介の息子)脚本は橋本忍と山田洋次というそうそうたるスタッフで固められている。 作品ラストの冬の能登半島の断崖で、強風に煽られながら、主人公が加害者を追いつめていく演出は、この映画が原型らしい。(ウィキペディア参照)まったく欠点の見つからない見事なサスペンス映画だった。 1961年公開【監督】野村芳太郎【出演】久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子※ご参考吟遊映人過去記事 広末涼子主演の『ゼロの焦点』はコチラまで
2015.09.12
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※諸般の事情により文章を画像にしてアップしました。お見苦しい点はご容赦ください。
2015.08.03
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【グランド・ブダペスト・ホテル】「君はなぜロビーボーイになったのかね?」「なぜって、、、誰もが憧れるグランド・ブダペストですよ、名門ですからね」「実に結構」見始めてからすぐに、まるで童話の世界へと引きずり込まれてしまったような感覚に陥った。回想シーンはスクリーンが狭くなるのだが、回想シーンそのものが主なストーリーとなっているため、過去が過去ではなく、現在進行形として感じられるのが不思議だ。主人公のホテル・コンシェルジュであるグスタヴ・Hに扮したのは、レイフ・ファインズである。この役者さんは『ハリー・ポッター』シリーズの悪役として知られていると思うが、私個人としては『愛を読むひと』に出演していた時の印象の方が強い。とはいえ、レイフ・ファインズのゴシップ記事を読むと、なかなかの好色のようで、スクリーン上のイメージとは違うことを今さらながら思い知らされる。それぞれチョイ役だが、F・マーリー・エイブラハム、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、ジュード・ロウなど豪華キャストで固められていて、驚いてしまう。 ストーリーはこうだ。ヨーロッパ某国の国民的作家が、過去のミステリアスな事件を語り始める。1968年、若き日の作家はグランド・ブダペスト・ホテルを訪れる。かつての繁栄は薄れ、すっかりさびれてしまった。そんな現在のホテルのオーナーであるゼロに対し、作家はこの上もなく好奇心を抱いた。それを知ったゼロは、作家に、我が身に起こった人生を、ありのまま語り始めるのだった。ゼロの回想によれば、1932年、ホテルにベルボーイとして雇われた時のこと。当時は富裕層の客ばかりでグレードが高く、また、ホテル全体が活気で満ちていた。さらに、伝説のコンシェルジュ・ムッシュ・グスタヴ・Hが、ゼロをことのほか愛してくれた。究極の顧客満足を信条とするグスタヴは、マダムたちの夜のお相手も完璧にこなし、最高のおもてなしを提供することで定評があった。ところがある日、長年懇意にしていたマダムDが、何者かによって殺されてしまう。訃報を知ったグスタヴは、取るものも取りあえず、ゼロをつれてマダムDの自宅を訪れる。そこでは弁護士からマダムDの遺言が発表されようとしていた。なんとその内容は、貴重にして高額の絵画「りんごを持つ少年」をグスタヴに譲るというものだった。その遺言により、グスタヴはにわかに容疑者にされてしまうのだった。 内容は淡々としているわりにとてもコミカルで、退屈さを感じさせない仕上がりだ。端的に言ってしまえば、最高の顧客満足を追求するコンシェルジュが、大切な得意客のために真犯人を捜す姿を、後にゼロの口を借りて作家に話し、さらにはその事件を後年、作家が執筆するという構成になっている。ちょっとややこしいが、これはウェス・アンダーソン監督の愛嬌であり、テクニックでもある。一見コミカルなのに、実はノスタルジーなまでの過去の記憶がテーマとなっている。もっと突っ込んで言ってしまうと、どんな栄華も繁栄も永遠にはありえないし、必ず滅びる、という『平家物語』における序文を彷彿とさせる。人生とは喪失の連続で、再生のできない虚しさを表現しているように思えた。豪華キャストの顔ぶれを楽しむだけでも、一見の価値あり。 2014年公開【監督】ウェス・アンダーソン【出演】レイフ・ファインズ、F・マーリー・エイブラハム、エイドリアン・ブロディ
2015.07.11
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【ブラッド・ワーク】「妹の命は人を救ったの。それで充分だわ」「いや、俺は心臓はもらったが、本当に生き返ってはなかった」「どういう意味?」「俺は何かをなくした。だが君と出会い、調査を始めてから、その何かが戻って来たんだ」現代ドラマなのに西部劇のイメージが色濃く残るクリント・イーストウッド。だが、それもこの役者さんの持ち味である。クリント・イーストウッドが一部の映画ファンだけでなく、大衆にも認知されるまでに押し上げたのは、『ダーティハリー』シリーズだ。乱暴で無骨な男ながら、徹底的に悪を憎み、正義を貫くというキャラクター設定に成功している。このキャラクター像こそ、イーストウッドの生涯一貫した映画人としての生き様につながるものかもしれない。 『ブラッド・ワーク』においても、そのキャラクターは生かされている。主人公のテリー・マッケーレブという人物は、命を懸けて犯罪者に挑み戦う姿が、ほとんど西部劇におけるヒーローにしか見えない。この人物は、心臓発作を起こしたことで心臓移植手術を受けており、FBIを退職後は港に停泊した船上でのんびりと余生を過ごすはずだった、、、なのに、己の正義感がそれを許さなかったのだ。 ストーリーはこうだ。元FBIのベテラン心理分析官テリー・マッケーレブは、港に停泊する船を自宅代わりにして余生を過ごしていた。というのも、現役時代に犯人を追う最中、突然の心臓発作に見舞われてしまったからだ。不幸中の幸いにもドナーが現れ、心臓移植手術を受けることができ、何とか寿命を延ばせた。そんな中、マッケーレブのもとに、妹を殺した犯人を探して欲しいという女性グラシエラが現れる。マッケーレブは、「探偵業はやっていないから」と一度は断るが、よくよく話を聞いてみると、何と、マッケーレブに心臓を提供した女性が事故や病気などではなく、不可解な事件によって殺されたことを知る。マッケーレブは、若くして亡くなったグラシエラの妹を不憫に思う気持ちと、持ち前の正義感から独自に捜査を始めるのだった。 クリント・イーストウッド作品には、度々男を支配しようとする女性が登場する。これが何を意味するのかは視聴者の考え方しだいだが、『ブラッド・ワーク』においても女性のドナーのおかげで心臓移植手術を受け、その執刀も主治医である女医によって行われ、さらにはグラシエラという女性との恋愛によって主人公マッケーレブは救われている。「救い」というものが、誰かの「支配」のもとに差し伸べられる行為だとしたら、「支配」という圧力的な意味合いの言葉にも、絶対的な神の存在が感じられる。クリント・イーストウッドは女性に対し、尊敬と畏怖の念を強く抱いているのかもしれない。『ブラッド・ワーク』は、実は、繊細で紳士的な側面を持つ男のドラマだ。 2002年公開【監督】クリント・イーストウッド【出演】クリント・イーストウッド、ジェフ・ダニエルズ※吟遊映人のクリント・イーストウッドの過去記事は以下をご参考ください。『許されざる者』『ヒアアフター』『スペース・カウボーイ』『インビクタス~負けざる者たち~』『アイガー・サンクション』『J.エドガー』『ダーティーハリー』『ダーティーハリー2』『ダーティーハリー3』『ダーティーハリー4』『ダーティーハリー5』『真夜中のサバナ』『ザ・シークレット・サービス』『チェンジリング』『ファイヤーフォックス』『夕陽のガンマン』『荒野の用心棒』『トゥルー・クライム』
2015.06.27
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【アルゴ】「僕の仕事は人を救出することだ。これまで見捨てたことなど一度もない」「できればあなたを信じたい、でも、、、」「僕の本名はトニー・メンデスで、出身はNY。父は建設作業員で母は教師だ。妻と10歳の息子がいる」「・・・・」「今日、僕らとともに来てくれたら、明日必ず出国させる、、、!」さすがにアカデミー賞受賞作品のことだけはあり、見ごたえ抜群である。舞台が1979年のイラン革命の頃ということで、髪型から服装までそのまんま当時を再現している。映像もアナログっぽく撮られていて、臨場感にあふれている。監督のベン・アフレックという人は、役者として演じるのを見ていると、どうも大味な感じが否めない。決して演技がヘタなわけではないけれど、同期のマット・デイモンなんかと比較すると、その差は歴然としている。だが監督としてメガホンを取ると、ベン・アフレックは本領を発揮するのか、良質な作品をどうだと言わんばかりに披露してくれるし、まずハズレがないから不思議だ。とにかく優れた映画人なのだ。 『アルゴ』は、1979年にイランで起きたアメリカ大使館人質事件を扱った作品である。ストーリーはこうだ。 1979年、テヘランにおいて過激派がアメリカ大使館を占拠し、パニック状態に陥った。そんな中、アメリカ人外交官の6人は脱出を果たし、どうにかカナダ大使の私邸に逃げ込んだ。だが残った52人の大使館員は人質となってしまう。過激派側の要求は、ガン治療のために渡米した前国王の引き渡しだった。大使館員らはギリギリまで機密文書や名簿、写真などを破棄するべく奔走したが、間に合わなかった。シュレッダーによって裁断された書類が過激派によって復元されれば、草の根分けても脱出した大使館員らを探し出し、処刑されることが目に見えていた。救出のため国務省はCIAに応援を要請した。人質救出のスペシャリストである、トニー・メンデスに白羽の矢が当たった。メンデスはこの難局に、6人をカナダの映画クルーに仕立て上げることで出国させるという計画で立ち向かうことにした。 時代はカーター大統領の頃だから、もうずいぶんと昔のことだ。私はまだ小学生だったけれど、カーター大統領→レーガン大統領になったのは何となく覚えている。史実にどれほど忠実かは分からないけれど、カナダ大使館員の友情とか正義感には恐れ入る。アメリカ人外交官をかくまっていたことがバレたら、カナダ大使もどうなっていたか分からないのだから。ホンネはともかくタテマエ的にはカナダ様々というわけだ。 『アルゴ』は、アメリカ人にとってもカナダ人にとっても、両国の友好に納得の作品に仕上げられている。作品の後半、脱出のスリルは最高!メンデスと6人の外交官を載せた飛行機が離陸するまで、手に汗握るハラハラ感はパニック映画にも通ずる。アメリカ史をほんのちょっとかじるつもりで見てみても良いかも。おすすめのサスペンス映画だ。 2012年公開【監督】ベン・アフレック【出演】ベン・アフレック、アラン・アーキン、ジョン・グッドマン
2015.04.20
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【プレステージ】「不可能を可能にしたいんだ」「人は言う。“現実は想像に及ばない”とね。だが違う。“人間は想像を超える”んだ。ところが世間というものは急な変化を好まない。最初に世界を変えたとき、私は先見者だと賞賛されたものだ。そして次のときは、、、引退を勧められたよ。でも今は引退を楽しんでいるがね」ストーリーは全体を通して、暗く、憂鬱なものだ。『奇術師』という小説を映画化したものとのことなので、オリジナルの方は分からないけれど、サスペンスというより男の嫉妬みたいなものをあぶり出しているように感じた。二人のマジシャンが良きライバルとして高め合う存在なら良かったのだが、お互いを意識するあまり憎しみやら復讐心やら、負のエネルギーで満ちているのだ。 久しぶりに目を見張ったのは、デヴィッド・ボウイの登場である。ビジュアル系ロック・ミュージシャンの先駆けとして旋風を巻き起こしたデヴィッド・ボウイも、今は気取りのない真摯な演技を見せてくれる、良き役者さんとなった。そのデヴィッド・ボウイが演じたのは、ニコラ・テスラという科学者の役である。この人物、実在した人である。発明家エジソンとは宿敵でもあった。エジソンとの確執は有名な話のようであるが、私はこの作品を見るまでテスラの名前さえ知らなかった。 さて、あらすじはこうだ。19世紀末のロンドンが舞台。若きアンジャーとボーデンはマジシャンを目指して、ミルトンのもとで修業をしていた。ある時、ミルトンのマジックの助手をしていたアンジャーの妻は、水槽から脱出するマジックに失敗し、溺死してしまう。その原因は、ボーデンがいつもとは異なる結び方でロープを縛ったからであった。愛する妻を失ったアンジャーは、ボーデンに対して憎悪を抱き、復讐を誓う。やがてアンジャーは、ボーデンのマジックを失敗させ、ボーデンの指2本を欠損させる大ケガを負わせることに成功した。そんなめに遭ったボーデンは、アンジャーに対して激しい憎しみを抱き、アンジャーに仕返しするのだった。こうして二人は互いに邪魔をしながら、復讐を繰り返していくのだった。 私が注目したのは、二人の主人公の生い立ちである。アンジャーは育ちが良く、貴族の出身。エンターテイナー性に優れるものの、マジックの発想や独創性に欠ける。一方、ボーデンは孤児として育ち、出自が明らかとなっていない。だがマジックのセンスは抜群で、卓越したテクニックを持っていた。もともと水と油のような関係の二人だったことから、貧しいボーデンがお坊ちゃん育ちのアンジャーに嫉妬心がなかったとは言えまい。下積み時代、すでに可愛らしい妻を持っていたアンジャーを、何とかして貶めてやりたいと思っていたかもしれない。そしてアンジャーの妻を意識的か無意識のうちか、水槽の脱出マジックで溺死させてしまうのだ。 アンジャーが瞬間移動のトリックを成功させるために、天才科学者であるテスラにその装置の製作を依頼する件がある。私は正に、アンジャーとボーデンの関係を、テスラとエジソンにかけようとしている製作者サイドの意図に気付いた。確執からは何も生み出さないことの証明。あるいは、二人の男の醜い嫉妬の行き着く先を表現した物語のようにも思えた。 2006年(米)、2007年(日)公開【監督】クリストファー・ノーラン【出演】ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、スカーレット・ヨハンソン
2015.01.17
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【スリーデイズ】「あきれた。昨日はあなたのお父さんの誕生日よ」「僕の誕生日にオヤジは何をしてくれたのさ? 不機嫌そうに唸っただけじゃないか。うれしくて泣けちゃうよ」「あなたも早く大人になってちょうだい」気のせいかもしれないが、ここのところ「○○○デイズ」というタイトルが多い感じがする。ちなみに同名タイトルをネットで検索してみると、まずヒットするのが韓国ドラマの『スリーデイズ』というやつだ。内容は知らないけれど、韓流ファンには必見の作品なのだろう。だが、今回私が鑑賞したのはラッセル・クロウ主演の『スリーデイズ』である。ほんのチョイ役でリーアム・ニーソンが出演しているのも見逃せない。 『スリーデイズ』はもともとフランス映画で、それをリメイクした作品とのこと。ウィキペディアによれば賛否両論あり、まずまずの評価らしい。私個人の感想としては、ビミョーなところだ。全体的な作りは悪くないと思うけれど、脚本はイマイチのような気がする。でもどうだろう、サスペンスとしてなら問題ないのかもしれない。 ストーリーはこうだ。大学教授であるジョン・ブレナンには、美人で知的な妻と可愛い息子がいた。日々をつつがなく過ごす、ごく一般的な家庭だった。そんなある日、ブレナン宅に突然警察が令状を持って突入して来た。なんと、妻のララが殺人容疑で逮捕されてしまったのだ。ジョンは一人息子を育てながら、妻の無実を立証するために弁護士に掛け合い奔走するものの、裁判では覆ることなく殺人罪が確定してしまう。ララは全てに絶望し、獄中で自殺未遂を起こしたところ、ジョンは切羽詰まった状況に陥ってしまう。このままではララも自分も将来はないと思い、ある決断を下すのだった。 フランス映画のオリジナル版を知らないので無責任なことも言えないけれど、愛に生きる男性の象徴とも言えるフランス人男性なら、こういうのもアリかと思える。つまり、愛する妻のために地位も名誉も財産も失い、どこまでも逃げて行く生活。世界中を敵に回しても愛さえあれば、火の中水の中、どんな苦境にも立ち向かってゆくエネルギーが漲るのだ。当然、こういうロマンスは現実にはありえそうもない。だからこそ評価が分かれるのもムリはない。映画という娯楽の中のお話ではないかと、割り切ってしまえばそれなりに楽しめる。とはいえ、投獄された妻を脱獄させて、緻密な計画で出国し、どこかよその国で家族3人の生活を楽しむ、、、という設定に、ちょっと共鳴できない自分がいるのだ。そんな中、ストーリーそのものを受け入れられなくても、警察の追及を巧みにかわして逃げていく展開はおもしろいと思った。この逃走劇に限って言えば、実にスリリングで息もつかせないほどのアクション性にあふれている。興味のある方のみに、おすすめしたい作品だ。 2010年(米)、2011年(日)公開 【監督】ポール・ハギス【出演】ラッセル・クロウ、エリザベス・バンクス、リーアム・ニーソン
2014.12.28
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【THE GREY 凍える太陽】「もう一度闘って 最強の敵を倒せたら その日に死んで 悔いはない。 その日に死んで 悔いはない」久しぶりに文学の香りが漂う作品に出合った気がする。一見、パニック・ホラーと見紛う内容だが、この作品は、生と死の狭間を表現したヒューマン・ドラマである。生きるということは、死に直面するその瞬間まで生をあきらめない、それこそが実は美しい死に際であると、作品は訴えている。というのも、吹雪のアラスカ山中に飛行機が墜落したところ、せっかく生き残った6人だったが、一人また一人と死んでゆく。そのシーンは、自然との闘いに敗れて無様な姿をさらすのが目的ではなく、燃え尽きる命の崇高な輝きを見せるのがテーマとなっているのだ。 私は、主演のリーアム・ニーソン以外の役者さんは全く知らない顔ぶれだったけれど、むしろこの作品に有名無名は関係ないと思った。タイトルは『THE GREY』だが、おそらく一面の灰色の雪山、灰色の極限状態(マイナス20℃の過酷な状況)などを意識し、総称したものかもしれない。 ストーリーはこうだ。石油採掘現場で働く作業員らが、休暇で現場を離れることになった。酒場で安酒をあおり、飛行機に乗り込んだ一人にオットウェイがいた。オットウェイは、最愛の妻を亡くしたあと惰性で暮らしていた。仕事といえば、この現場の作業員らがオオカミに襲われることがないように雇われたスナイパーだった。休暇と言ってもオットウェイには帰りを待つ家族もなく、常に死にたいと望んでいた。そんな中、オットウェイや荒くれの作業員らの乗る飛行機が、アラスカ山中に墜落してしまった。どうにか生き残ったオットウェイが見たものは、雪に覆われた山にバラバラとなってしまった機体、それに顔の判別すらつかない死体の数々だった。それでもオットウェイの他にも生存者がいて、とにかく暖を取るために火を起こした。激しい吹雪に見舞われた極寒の地には、獲物を狙うオオカミの群れがオットウェイたちを取り囲んでいた。救助の望みも薄く、このままではオオカミの餌食になってしまうと考えたオットウェイは、南を目指して森の方に移動することを提案。だが、皆の体力の消耗は著しく、一瞬の油断が死へと直結していた。一人また一人と息絶えてゆくのだった。 主人公を演じたリーアム・ニーソンが実に良かった!愛する妻を、おそらく病気で亡くしたであろうことが終盤で分かるのだが、リーアム・ニーソン演じるその男が日々を絶望的に暮らしていて常に自殺を考えていたところ、墜落した飛行機の乗客の生存者として生き残ってしまったのである。そこから主人公は再生する。天から与えられた生をまっとうするのだ。 私が感動したのはラストである。確実な死を目前にしながらも、あきらめないのだ。その鮮烈な生き様は、見事としか言いようがない。「一生懸命は美しい」のである。でき得る限りの努力を果たした後、自らの限界を知り、死を選択する。これは決して、決して闘うことを放棄しているのではない。燃え尽きる命の気高さ、崇高な生き様なのである。 『THE GREY』生と死の狭間を見つめさせてくれる、秀逸な映画なのだ。 2012年公開 【監督】ジョー・カーナハン 【出演】リーアム・ニーソン
2014.09.21
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【シャッターアイランド】「ここにいると考えるんだ」「どんなことを?」「どっちがマシだと思う? モンスターのまま生きるか、それとも善人として死ぬか、、、」この作品が公開されたのは2010年のことなので、すでに4年も前の話である。それにしても当時は、テレビCMでもバンバン放送されていたし、心理的に煽るような触れ込みでかなり話題になった。私も気になって、一刻も早く見てみたかったのに、結局は今ごろとなってしまった。巨匠マーティン・スコセッシ監督がメガホンを取ったというだけでも、期待外れなわけはありえないし、タッグを組んだのがレオナルド・ディカプリオということで、これはもう傑作に決まっている。そしてその予想は、正に当たった。この完成度の高さと言ったらない!原作を読んでいないので、映画化に際して、どこが忠実でどこが脚色されているのか分からない。だがこの作品にこのシナリオは全く申し分のない出来映えだと思った。 『シャッターアイランド』は、カテゴリ的にはスリラーサスペンス映画であろう。とはいえ、視聴者は単なる犯人さがしやトリックを暴くのに躍起になってはいけない。スコセッシ監督作品の、これまでのテーマを覚えているだろうか? テーマはズバリ、“罪深き人々の魂の救済”である。 『シャッターアイランド』についても、同様のテーマを感じ取ることができる。 ストーリーはこうだ。1954年。連邦保安官のテディは、相棒のチャックとともにボストン沖の孤島にある、精神を病んだ犯罪者を収容する病院に捜査のためやって来た。この病院からレイチェル・ソランドという女性患者が、隔離された病室からこつ然と姿を消してしまったため、その行方を追うためであった。だがテディには、この収容施設に来た目的が他にもあった。テディの妻は、放火犯による火災で亡くなっていたのだが、その放火犯レディスが、この病院に収容されていたので、亡き妻の復讐を遂げたいと企んでいた。そんな中、失踪中のレイチェルが発見されたという知らせがあり、すぐに面会するものの、事件の真相にたどりつくことができず、テディは苛立ちを隠せないのだった。 ◇ここからは、テーマに関する私なりの感想を述べて行くため、ラストにも触れさせて頂きます。 主人公のテディは、テディであってテディではない。つまり、精神を錯乱させている状態であり、現実から逃避しているのだ。というのも、彼は過去に様々な罪を犯していた。そんな自分を赦すことができず、架空のもう一人の自分を作り上げ、まじめで立派なテディという人物になりきっている。彼こそ、このシャッターアイランドにおける患者で、二度とは島から出られることのない精神疾患者であった。 だが、ようやく狂気から目覚め、現実という壁に直面した時、改めて絶望の淵に追いやられてしまう。たとえ正常な精神に戻ったとしても、常に過去の罪に苛まれ、苦悩し続けていかなければならないという現実。そんなモンスターとして生き続けることに、どんな意味があるのだろう?それよりは、人が畏れて拒絶するロボトミー手術を受け入れることで、自分というものを完全に消し去ってしまいたい。これこそが名俳優レオナルド・ディカプリオが、タバコをふかしながらさりげなく言ったセリフ、 「モンスターのまま生きるか、それとも善人として死ぬか」 の意味につながっていくものだと確信する。映画のラストで、ロボトミー手術の行われるという灯台が映し出されてエンディングとなるのだが、これはおそらく、永遠から永遠に渡る人間の魂の救済を表現しているのかもしれない。『シャッターアイランド』は、マーティン・スコセッシ監督の最高傑作と言っても過言ではない、見事な作品である。 2010年公開【監督】マーティン・スコセッシ【出演】レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ
2014.09.14
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【サイド・エフェクト】「患者にはこう言ってやるんだ。“未来の行動は予見できる”とね。“過去の行動で分かる”と」「でもあなたにもう患者はいないわね」「君も病気の女と手を組むのは大変だな。なかなか治らないし。ファザコンの美人は特にね」「残念だけど、あなたの言うことなんて信じられないわ」ハリウッドが得意とするのは、派手なアクションやドンパチ殺戮・破壊するシーン、さらには本物と見紛うようなCGであろう。それはそれで娯楽としての映画を堪能させてもらえるものであり、見ごたえのある作品に違いない。だが、今回私が鑑賞したのは、その手の定番活劇ではない。主人公が極度の心理的ストレスにさらされ、どうしようもない状況にまで追い詰められながらも、「いや待てよ、これは何かがおかしい」と、自力で真相を解明していくというストーリー展開である。このサイコ・スリラーがたまらないのだ。 『サイド・エフェクト』は、申し分なく質の高いスリラー映画であった。メガホンを取ったのはスティーヴン・ソダーバーグ監督その人で、さすがに非の打ちどころがない。ヒッチコック作品を彷彿とさせるような、静かで、だけど恐怖の崖っぷちに立たせられる心理的圧迫感を堪能することができる。主役の精神科医に扮するのは、ジュード・ロウ。この人の演技を今さらとやかく言うまでもない。スタイリッシュでクール、取り乱すことはないけれど、内心フツフツと怒り心頭に発する表情など、演出とは思えない迫力。お見事。 ストーリーはこうだ。インサイダー取引で服役中のマーティンが、4年経ってやっと釈放された。妻のエミリーは、マーティンとともに新たな一歩を踏み出そうとしていた。マーティンが出所したことで、明るく幸せな家庭を築き上げるはずだったのに、エミリーの心は塞いでいた。異変は、エミリーが地下駐車場から車を出そうとした時に起こった。正面のコンクリート壁に、思い切り車を衝突させたのだ。病院で診察を担当したのは、精神科医のバンクス医師だった。事故現場にブレーキ痕がないことから、自殺を図ったおそれがあると推測されたからだ。結果、エミリーは鬱病を再発させていた。その後もエミリーは、地下鉄のホームで自殺しようとしたところを駅員に阻止され、未遂で済んだ。エミリーのセラピーに当たっていたバンクス医師は、かつてエミリーの主治医だったシーバート医師のアドバイスを受け、新薬を処方する。エミリーの鬱状態は、一時的には改善されたように思えたものの、ある日、とんでもないことが起きてしまった。薬の副作用のせいで、エミリーは夢遊病となり、脳が眠ったままの状態で身体が勝手に反応し、夫であるマーティンをナイフで刺し殺してしまうのだった。新薬を処方したバンクス医師は、世間から激しく糾弾され、しだいに追い詰められていく。 この脚本は素晴らしい!精神科を受診することや、抗鬱剤などの薬を服用することが一般的になっているアメリカならではの、社会派サスペンス。そこに秘められた陰謀、甘い罠に、視聴者は釘付けにされる。シーバート医師役に扮した、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。この女優さんは、ソダーバーグ監督のお気に入りなのか、『オーシャンズ12』その他にも出演。『サイド・エフェクト』では、ジュード・ロウを陥れていく女医として好演。 ソダーバーグ監督作品の何がいいかって、それはもうやっぱりラストでしょう!何とも言えないカタルシスを味わえるからだ。世間から糾弾され、医者としての名誉を半ば失いつつ、家庭さえ崩壊してしまったバンクス医師が、調査を重ね、謎解きをし、やがてシーバート医師とエミリーに逆襲していくプロセスは、大いに盛り上がる。これぞ本物のサイコ・スリラーだと言いたい。物語に深みがあって、質の高い作品なだけに、ぜひとも多くの方々におすすめしたい作品である。 2013年公開【監督】スティーヴン・ソダーバーグ【出演】ジュード・ロウ、ルーニー・マーラ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ※ジュード・ロウ主演の『スターリングラード』はコチラから
2014.08.24
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【スパイ・コード 殺しのナンバー】「フラッグレグだ」「どうぞ」「局が襲撃された。撤収したい」「了解を取ります。お待ちを、、、撤収を承認しました」「応援は?」「4時間後には局を確保します。送信係は“職務を退任”です」「え? もう一回たのむ」「暗号が漏洩しました。送信係は“退任”です」洋画といえばたいていハリウッド映画を思い浮かべてしまうところだが、この作品は違う。アメリカとイギリスで共同製作したとのこと。どおりで映像が暗い気がしたわけだ。イギリスのスリラー映画は特にそうだが、画面が暗く、全体的に物憂い雰囲気が漂っているのだ。 『スパイ・コード 殺しのナンバー』は、敵がどういう相手であって、何を目的としているのかは全く明かされない。謎の武装集団による襲撃を受け、間違った暗号をCIAエージェントらに送りつけてしまうことを阻止するという攻防戦である。要は、秘密を知り過ぎた場合、仲間と言えども、人を人とも思わずに始末していくCIAの体質に、怒りを覚えた男の戦いのドラマと言ってしまって良いだろう。主役を務めるのはジョン・キューザックである。最近では『2012』においても“らしさ”を発揮して主人公を好演。『殺しのナンバー』も同様だが、ジョン・キューザックが筋金入りのリベラルとのことで、より一層ナイス・キャスティングに思えて仕方ない。 あらすじはこうだ。CIAエージェントとして活動しているエマーソンは、元CIAで現在はカフェ・バーを営む男の暗殺を実行した。ところがその際、現場を目撃した男を取り逃がしてしまった。エマーソンはすぐに自宅まで追跡し、その男を射殺したものの、その場にいた男の娘までは殺すことができなかった。ところが同行していた上司が、迷わず少女を射殺。エマーソンは絶望的な気持ちになる。エマーソンは心理カウンセリングを受けた結果、最前線の任務からはずされ、イングランド東部の片田舎にある送信局へと左遷されてしまう。そこでのエマーソンの任務は、暗号作成のプロであるキャサリンの護衛と、駅までの送迎であった。そんな中、いつものようにキャサリンとともに基地のゲイトをくぐって出勤したところ、人っ子一人いない。怪しんだエマーソンが様子を見ようと車外へ出たところ、いきなり何者かに銃を乱射される。エマーソンは、キャサリンを守るため、必死に局内に逃げ込むのだった。 テーマは、おおざっぱに言ってしまえば、CIAの行き過ぎた行為に対する批判と疑問である。ジョン・キューザックが狙った相手に、冷静な視線を投げかけるのと同時に射殺してしまうところなど、見事な演技に目を見張るものがある。ハリウッド映画にはない微妙な間の取り方や、殺伐とした雰囲気を演出するためのものなのか、モノトーンに近いような映像が、かえって重厚感をかもし出していた。地味な作りとなってはいるが、こういう作品は大変好感が持てる。見ごたえのある、サスペンス・スリラー映画だ。 2013年公開【監督】カスパー・バーフォード【出演】ジョン・キューザック、マリン・アッカーマンジョン・キューザックの『真夜中のサバナ』はコチラから
2014.08.03
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【真夜中のサバナ】「もう一つだけ質問させてほしい。あの夜、本当は何が起こったんだい?」「友よ、真実は芸術と同じだ。見る者によるんだ」この作品を鑑賞した直後、急いでジェンダー論について書かれた新書を手に取ってみた。 だがしょせん、付き焼き刃に過ぎない勉強は、まるで身につかない。面目ない。イーストウッド監督の手がける作品の傾向としてよく見られるのは、ジェンダーの壁についてであろう。この地球上には人間の性別として、男と女の2種類しかないのだと、誰から教わったわけでもないが、そういうものだと思い込んでいた。だがそれは医学上のことでしかない。実際、男の体を持っていても、心は女であったり、またその逆もあるし、あるいは完全な男でも同じ男しか愛せないタイプも存在する。このような特殊な傾向は、やはり差別の的となり、長きに渡って異端視されて来た。十把一絡げに“同性愛者”と言ってしまって良いものなのか、非常に判断に悩むところだが、『真夜中のサバナ』では、男色の大富豪ジムやレディ・シャブリのような歌って踊れるニューハーフが登場する。そういうマイノリティーの立場にある者を、色眼鏡で見ることなく、果たして世間は正当な判断を下すことが出来るのであろうか?ジョージア州サバナでは、まだ社交界が残る保守的な土地柄だった。ジャーナリストのジョン・ケルソーは、サバナの大富豪であるジム・ウィリアムズ主催のパーティーを取材させてもらえることになり、さっそく訪問する。ところがその晩、屋敷に出入りしていた美青年のビリーが、ジムによって撃たれるという事件が起きる。ジムは殺人の容疑者として逮捕されるが、正当防衛を主張。ジョンは急遽、事件の真相を突き止めることで、その取材記事を出版したいと申し出るのだった。この作品を鑑賞していてつくづく感じたのは、イーストウッド監督は、ジャズを始めとする音楽に関しても造詣が深いということだ。パーティーで披露されるピアノ楽曲や、ナイトクラブで小気味良く歌うシーンなどが度々出て来て、もうそれだけで製作者サイドの豊かな音楽性を感じさせられる。それはともかく、この作品のテーマを探ってみると、やっぱり重ね塗りされた油彩画がポイントになっているようだ。X線写真でも撮らなければ、キャンパスに描かれた下絵の存在には気付かないのだが、いみじくもそれについてはジムが、「知らぬが花さ」と言っている。つまり、真相を暴くことよりも、今を生きている者にこそ目を向けることが大切だとでも言うのか。捉え方は十人十色あるだろうが、全体を通して文学的な香りがそこかしこから漂う映画だった。1997年(米)、1998年(日)公開【監督】クリント・イーストウッド【出演】ジョン・キューザック、ケヴィン・スペイシー※予告 ジョン・キューザック主演『スパイコード』は近日掲載予定です(^^)v こうご期待♪
2014.08.01
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【あるいは裏切りという名の犬】「なぜ“面会に来るな”と言ったの?」「怖かったんだ」「何が?」「お前の帰っていく後ろ姿を見るのが・・・」 フランス映画というのは、昔から主人公の破滅や、退廃的で暗い作品を得意とする傾向がある。そこには登場人物の支配欲であったり、裏切りが絡み合って、どことなく陰気な雰囲気を隠せない。例えばそういう傾向の強い、日本の代表格で言うと、北野武監督があげられる。仁侠映画とは違い、バイオレンスと欲得が複雑にリンクして、どうしようもない結末が用意されていることが多いのが特徴だ。他にはヒッチコックの一部の作品として、「めまい」などがあげられる。本作「あるいは裏切りという名の犬」は、正にフランス映画の面目躍如とも言える、犯罪映画かもしれない。舞台はフランス。オルフェーヴル河岸36番地のパリ警視庁では、BRIとBRBという二つのグループから組織されていた。そのため、ことあるごとに、BRIとBRBは事件の指揮権のことで対立していたのだ。パリ市内では、現金輸送車強奪事件が頻繁に起きていた。1年半で7件、9人が殺され、200万ユーロが奪われるという大事件になった。犯人逮捕のため、長官はBRIの警視であるレオ・ヴリンクスに指揮を命じる。そして、BRBの警視ドニ・クランは、ヴリンクスの指令の下、その補佐として務めるよう命じられる。だがクランは、ライバルでもあるヴリンクスの下で仕事することに納得がいかなかった。 この作品に登場する主役二人、ダニエル・オートゥイユもジェラール・ドパルデューも、フランスを代表する名俳優である。特に、この作品では悪役を演じたジェラール・ドパルデューは、「シラノ・ド・ベルジュラック」でも世界的に有名になった、一流俳優なのだ。そんな演技派が夢の共演を果たしているのだから、否が応でも絶賛され、フランスでは名誉ある賞を受賞している。ただ日本においてはどうだろう。日本人にとっては、少し感傷的に思える節もあるし、「権力のためならそこまでやるの!?」と、驚く場面も多々ある。勧善懲悪とは趣が違い、現実の世界をシニカルに捉え、フランス流の退廃的で憂鬱なムードを程好く中和させたような、犯罪映画であった。2004年(仏)、2006年(日)公開【監督】オリヴィエ・マルシャル【出演】ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデュー
2014.07.15
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【パニック・ルーム】「一体、金庫に幾ら入ってるんだ? ・・・おい、俺の質問に答えろ!」「わかったよ。とにかくデカい額だ」「俺たちにそれを秘密にしてたのか?」「今更、関係ねぇだろ? 全部忘れな!」ジョディ・フォスターという女優さんは、少女時代から今日までトップ・スターの座を射止めるまで、着実に右肩上がりで歩んで来た人だと思う。衝撃的だったのは『告発の行方』で、レイプ被害者の役を演じた時の、あの迫真の演技だ。その後、『羊たちの沈黙』では、女性FBI捜査官クラリスの役で、名俳優アンソニー・ホプキンスと互角に渡り合った。だが『コンタクト』に出演したころから少しずつ雲行きが怪しくなって来るのだ。こういうキャスティングはいかがなものかと思うような、素人目から見ても違和感は隠せなかった。だがこの『パニック・ルーム』では完全にジョディ・フォスターの持ち味が復活したように思われる。夫の浮気が原因で、離婚を余儀なくされたシングル・マザーという設定は、正にジョディ・フォスターのハマり役でもある弱者だからだ。メグは、夫の浮気が原因で、11歳の娘・サラをつれて離婚。慰謝料としてニューヨークの大邸宅を夫に購入させ、そこに親子で引っ越すことにする。 その晩、強盗が侵入。緊急避難用の密室である、パニック・ルームへ逃げ込む。だが、強盗らの目的は、そのパニック・ルームに隠された財産だったのだ。この豪邸の前の持ち主は資産家で、莫大な財産を屋敷に隠してあったため、それを知っていた強盗らは人手に渡る前に財産を奪うことを計画していた。しかし、メグたちがこの屋敷に引っ越して来たことで、強盗らの計画が大きく狂ってしまったのだ。さすがにフィンチャー監督の手がけるサスペンス作品には、鬼気迫るものがある。ブライアン・デ・パルマ作品にも似て(あるいはヒッチコック監督かもしれない)、ストーリーを重視せずに、密室でのパニック状態をこれでもかこれでもかと、煽るのに成功している。強烈なインパクトという点ではやや弱いかもしれないが、11歳の少女サラが、持病の糖尿病の発作のため、一刻も早くインシュリン注射を打たなくてはならない時の緊迫感は、申し分ない。娘を守ろうとする必死な母親と、顔面蒼白になり、痙攣に苦しみながらも耐え忍ぶ健気な娘に、思わず感情移入してしまう。手に汗握る映画とは、こういう作品のことかもしれない。正統派のサスペンス映画だった。2002年公開【監督】デヴィッド・フィンチャー【出演】ジョディ・フォスター、フォレスト・ウィテカー
2014.06.10
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【さらば、ベルリン】「なぜ彼は私を追わなかったのか? 恐れたのよ。本気で私が彼を撃つと思って・・・タリーと同じように殺されると思ったのよ。男は皆、自分の腕の中で泣く女が好き。でも私は泣かない冷酷な女になってしまった・・・」1945年という時代設定のためか、全編モノクロの撮影だ。そのせいか、登場人物の誰もが暗く、影を落としていて、謎めいている。監督はあのスティーヴン・ソダーバーグだが、この人は本当にチャレンジャーだなぁとつくづく思う。そもそもこの作品『さらば、ベルリン』は、『カサブランカ』へのオマージュだと思われるが、あれほどの名作を意識しての映画製作は、どれほどのプレッシャーだったか、想像を絶する。『カサブランカ』と言えば、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンというゴールデン・コンビネーションが、全米を涙・涙のナイアガラにさせた超一流の名作である。一方、『さらば、ベルリン』においても、ジョージ・クルーニーとケイト・ブランシェットという演技派を揃えたものの、存在感という点においてだけでも『カサブランカ』にはとうてい及ぶものではない。とはいえ、第二次世界大戦時の混沌とした世相と、規制と弾圧にもがいた時代背景を知らない我々には、充分雰囲気の伝わって来る出来映えとなっている。『カサブランカ』を意識せず、『さらば、ベルリン』単独に鑑賞するならば、私たちの心の琴線に触れずにはいられない哀愁を帯びた作品だ。舞台は1945年のベルリン。ジャーナリストのジェイク・ゲイスマーは、ポツダム会談の取材のためベルリンにやって来た。空港からジープに乗ってホテルへ行くことにするのだが、ジープの運転手は気立ての良さそうな青年タリー伍長だった。ところがこの人物はしたたかで、こっそりジェイクの身分証と財布を盗み、油断のならない男だった。また、金のためなら誰でも裏切り、寝返るという性根の腐り果てた人物だった。とはいえ、ジェイクはタリーが裏で何をやろうと無関心だったが、タリーの情婦が、なんとジェイクの昔の恋人であることが分かり、尋常ではいられなくなる。ジェイクの昔の恋人・レーナは、今や売春婦となり、その日のパンにも事欠くような荒れた生活に身を落としていた。ジェイクの記憶に残るレーナとは、とうてい同一人とは思えないほどの変わりようで、ジェイクは愕然とする。しかしそれは異常なことではない。敗戦国であるドイツのベルリンで、生き延びるためには金や権力のためにどんな裏切り行為でも、屈辱的なことでも甘んじなければならなかった。残虐極まりない戦争は、人間性すら容赦なく変えてしまうものだった。古風な美しさで魅了するケイト・ブランシェットは良かった。影のある売春婦というのはなかなか難しい役どころだと思うが、揺れる心情がモノクロの画面からひしひしと伝わって来た。また、タリー伍長役のトビー・マグワイアも、一見、好青年を装いながらも、影では見下げ果てた金の盲者というギャップを、上手に演じていたと思う。全体的には、可もなく不可もなくと言ったところだ。変り種が好きな人におすすめかも。 2006年(米)、2007年(日)公開【監督】スティーヴン・ソダーバーグ【出演】ジョージ・クルーニー、ケイト・ブランシェット
2014.05.22
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【スルース】「彼と会って二人で何をしたんだ?」「ゲームをした。」「ゲーム?」「ナイフと銃のゲーム。」「命懸けの?」「ただの遊びだ。」「(わかった)それがただの遊びだとして、彼が会いに来てゲームをした。ナイフと銃で銃声が3発、そして失踪・・・彼は今どこにいる!?」 冒頭から興味をそそられた。そこかしこに取り付けられた監視カメラに映し出されるモニター画面。玄関に入ると、無機質な現代アートで飾られたインテリア空間。そこに独り住む初老の作家。もうこの時点で英国の香りがプンプンして来る。吟遊映人の眠っていたサスペンスに対する感性が、“ピクピク”とよみがえって来た。 このタッチは・・・そう、正にヒッチコック監督を彷彿とさせるものだった。例えば「ロープ」では全編室内シーンで、犯罪が起こってそれを隠蔽し、さらにそれらを推理し暴いていく場面が全て同じ空間なのだ。「バルカン超特急」ではそのタイトル通り、列車とサスペンスを結びつけた作品で、一部を除くほとんどのシーンが列車の中・・・という特殊な設定になっている。このように、トリックと心理的な扇情効果による良質なサスペンス映画は、イギリスのお家芸と言っても過言ではない。バイオレンスとカーチェイスとFBIだけがサスペンスだと思ってはいけない。閑話休題。さて本作「スルース」は、ロンドン郊外の邸宅を舞台とし、出演者はわずか2人という動きの少ない空間の中でくり広げる、緻密で意外性のある設定となっている。ロンドン郊外の豪邸に住む犯罪推理作家アンドリュー・ワイクのもとへ、妻の浮気相手マイロ・ティンドルが訪れる。マイロはアンドリューに離婚するよう迫るが、アンドリューは首を縦に振らない。そんな中、アンドリューはあることを提案する。それは、100万ポンドの保険がかけられている高価なネックレスを、アンドリューの金庫から盗み出して欲しいと言うものだった。イギリスの大物俳優二人が演技のバトルをくり広げるのだから、釘付けにならないわけがない!ゲームを仕掛ける者、仕掛けられる者、甘い誘い、罠・・・それもこれも全て、引き金は“男の嫉妬”である。マグマのようにどろどろとしたもの、つまり嫉妬が、感情を支配し続ける限り、ゲームセットはない。カメラワーク、音楽、そしてセリフの言い回し、全てにおいて合格点である。実に完成度の高いサスペンス映画であった。2008年公開【監督】ケネス・ブラナー【出演】マイケル・ケイン、ジュード・ロウ
2014.04.06
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【ジャッカルの日】「射撃距離は?」「多分、100メートル強だろう」「動く相手を狙うのか?」「いや」「狙うのは頭か胴か?」「頭だ」「2発目はどうする?」「多分撃てまい。自分が逃げるのでやっとだ」 1973年公開の映画なので、ずいぶん昔の映画だ。派手さはないし、アクション・シーンもないし、BGMがやたらうるさいこともない。 それなのに惹きつけられる! 画面を一時停止にしてトイレに立つのも惜しいぐらいに夢中になってしまった。主役に扮したエドワード・フォックスが良かったのだろうか?英国人らしく背筋がしゃんとして、小柄なのに堂々としていて抜け目ない。風になびくブロンドと、スタイリッシュでクールな雰囲気がたまらないのだ。あるいはルベル警視役のマイケル・ロンズデールが魅力的だったのだろうか?普通のおじさんに見えるのだが、仕事面では抜かりなく、じわじわとジャッカル(暗殺者の暗号名)を追い詰めていく。“能ある鷹は爪を隠す”を地で行くようなキャラクターで、好感がもてた。役者陣の見事な演技もさることながら、作品全体を覆っているムードもまた素晴らしい。 どう言ったら良いのか? とにかくリアリティを感じる。監督の演出によるものなのか、ドキュメンタリー・タッチに表現されているのだ。1960年代のフランス・パリが舞台。仏大統領のド・ゴールは、これまでに6回もその命を狙われており、いずれも未遂に終わっていた。それらは全て秘密組織OASによる仕業だった。アルジェリアからのフランス撤退政策を断行したド・ゴール大統領に反対し、抵抗する勢力だった。その後、政府側の圧力もあり、OASの活動はいったん沈静化するも、国外に拠点を移したOASの幹部・ロダン大佐は、暗殺者を雇ってド・ゴール大統領を亡き者にしようと目論む。暗殺者の条件としては、外国人で、しかも政府側には顔も名前も知られておらず、それでいて腕の良いスナイパーでなければならなかった。その条件にあてはまる男が一人いた。その男は英国人で、しかも腕利きのスナイパー、暗号名はジャッカルと言った。だがジャッカルは、契約金として50万ドルを要求して来たのだ。本格的な演出だと思って注目したのは、ジャッカルが特注の狙撃銃を使って練習するシーンだ。森のようなところに出かけ、一本の木に西瓜のようなものを吊り下げる。そこからかなり離れたところで銃を構え、西瓜を目掛けて発射しながら微調整を繰り返すのだ。なんだか細かい演出だが、私はドキドキしながら見入ってしまった。古い映画なので、もちろんCGなど使っていないが、とにかく見ごたえがある。映画らしい映画に大満足だ。1973年公開【監督】フレッド・ジンネマン【出演】エドワード・フォックス、マイケル・ロンズデール
2014.04.04
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【アンダーカヴァー】「少しは眠れたか?」「・・・父さんは?」「(父さんの)遺体を確認した」「(号泣)親父が死ぬのを見たよ・・・」「大丈夫だ・・・大丈夫だから」80年代というと、日本でもバブルに沸いていた時代である。猫も杓子も浮かれ騒いでいた半狂乱の歴史が刻まれてしまった。一体あのころは何だったのだろう・・・?今はただ、古き良き時代として記憶の片隅に追いやるしかない。本作「アンダーカヴァー」も80年代後半が舞台となっており、ナイトクラブのむやみやたらな浮かれ騒ぎの一方で、陰鬱なコカイン製造過程やら、胡散臭いマフィアの連中が登場する。物事には全て表裏があり、光と影が存在するということの証しなのか。そんな中、優秀な兄を持ち、劣等意識に苛む主人公の心理描写はこの時代にピタリと当てはまり、暗く憂鬱なムードを効果的に反映させていた。この比較対照こそが作品の完成度を高いものにしたと言っても過言ではないだろう。1988年のN.Y.が舞台。警察の幹部である父と優秀な兄を持つボビーは、ナイトクラブの店長として働いていた。 裏社会で暮らすボビーに、兄のジョゼフがマフィアの麻薬取締の件で協力を求める。だがボビーは、ナイトクラブのオーナーである人物に恩義を感じていて、警察のイヌになるのはイヤだと断わる。そんな中、麻薬取締班の指揮官である兄が、マフィアから銃撃を受ける。さらにその後、父親までも危機が迫るのであった。主人公のボビー役に扮したホアキン・フェニックスは、今は亡きリバー・フェニックスの弟である。人相風体からはすぐに兄弟とは判断しづらいものの、両者とも実に味のある役者なのだ。 本作ボビーというキャラクターについても、内面に抱えるコンプレックスに苦悩しつつも、どこかで家族を愛してやまない優しい男として描かれている。この役どころをホアキン・フェニックスは実に見事に演じており、型通りのサスペンスモノに終わらせず、一段高いヒューマン・ドラマへと転向させている。80年代のニューヨークの香りをプンプンと漂わせる、質の高い作品なのだ。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】ジェームズ・グレイ【出演】ホアキン・フェニックス、マーク・ウォールバーグ
2014.03.07
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【フライトプラン】「機長! 聞いて、私は法を破り運航を妨害した。でも娘は見つかる・・・娘は見つかる! 機長として娘に謝って。」「やめろ、プラットさん。送金は要求通りにした。小型ジェットも待機している。・・・子供の話はもう無用だ。」「何の話・・・?」これからのサスペンス作品は、過去の秀作を乗り越えていかなねばならないプレッシャーもあって、かなりの努力とか独創性を強いられることになるであろう。鑑賞する側として批判することは簡単だが、製作者サイドの血のにじむような映画作りのプロセスを考えたら、むやみやたらな論評は避けたい。この作品の冒頭部は、これから始まる悲劇を暗示するかのような、暗く陰鬱な雪の街ベルリンが効果的に映し出されていた。その後、舞台は飛行機の客室に移った。さて、ここからがサスペンス映画としての本領を発揮するところだ。当管理人はヒッチ映画の大ファンであるため、密室における事件に関しては、アクションこそ欠けるものの、退屈どころか多いに興味をそそられる設定であった。限られた空間の中で、人一人が忽然といなくなる。これほどまで謎めいたサスペンスツールが他にあるだろうか?不慮の事故で夫を亡くしたカイルは、ニューヨーク行きの飛行機に搭乗していた。6歳の愛娘ジュリアと二人で傷心を引き摺りながらも、実家のあるニューヨークで養生するつもりだった。精神的に疲労困憊していたカイルは、数時間前に服用した安定剤が効いたせいか熟睡してしまう。眠りから覚めたカイルは隣りの席にいるはずの我が子の姿が見えず、慌てふためく。しかし、乗客の誰も目撃しておらず、乗務員も心当たりがないと言う。カイルは航空機設計士という職業柄、娘が何者かに誘拐されたのではと、懸命に捜索するのであった。本作のテーマは、ひとえに“無関心な人々”であろう。社会が複雑化すればするほど人々は己の身を守るのに必死となり、他人に対して粗雑になる。同じアパートの隣同士と言えども、顔すら知らないという都会のそれだ。面倒なことに巻き込まれたくないという心理が大衆規模で働き、無関心であることが当たり前のようになってしまうのだ。他人に対してむやみやたらな干渉が良いとは言えないものの、適度な相互干渉は希薄となった人とのつながりを緩やかに修復することになり得る。身近なところで誰かが、社会の孤独で冷徹な波に呑み込まれてしまう前に、無関心であることの危険性を学ばねばならない。2005年(米)、2006年(日)公開【監督】ロベルト・シュヴェンケ【出演】ジョディ・フォスター
2014.02.28
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【ホワイトアウト】「(あなたは)3人の命を奪った。私の指も・・・信じてたのに」「・・・指はどうだ?」「痛むわ」「しばらくは痛むだろう。(指を)切り取ってもまだある気がする」「あなたを逮捕する」プロットとしては、実におもしろいと思った。閉ざされた極寒の地、南極を舞台に殺人事件が起こるという奇抜な展開は、サスペンスには持って来いだからだ。ある意味、密室における完全犯罪のように、ホラー感覚も楽しめる。タイトルの「ホワイトアウト」という意味合いも、そんなミステリアスな内容と本来の気象状態を兼ねたものなのであろう。ちなみにホワイトアウトとは、雪で視界が白一色となり、方向・高度が識別不能となる現象を言うらしい。【参照:ウィキペディアより】舞台は南極、アムンゼン・スコット観測基地。基地駐在の保安官キャリーは、女性ながら、以前とある事件で心の傷を負い、過去を忘れるために志願して南極に赴任していたのだ。ある日、キャリーに死体発見の一報が入る。医師のフューリーやパイロットのデルフィらと現場へ駆けつけると、地質学者ワイスの変死体が見つかる。キャリーは、南極初の殺人事件と向き合うことになる。サスペンスモノを観て、いつも楽しませてもらうのは、登場人物の誰が真犯人なのか目星をつけることである(笑)ラストまで全く分からずじまいの時もあれば、最初から「この人あやしい」と、すぐに分かってしまう時もある。本作「ホワイトアウト」においては、主役のキャリーが死体解剖の際の縫合と自分の切断した指の縫合を照らし合わせて、真犯人が誰なのかに気付く。だが、自慢ではないが吟遊映人は、医師のフューリーが登場した時点で目星がついた。 セリフによれば、フューリーがろくな理由もなく突然の帰国を宣言し、どこぞで開業医として働くなどと言い出したところ、「あれ?」と思ったわけである。とは言え、どんなサスペンスにも二転三転のどんでん返しがあり、真犯人は最後まで断定できないものである。本作も、次から次へと怪しむべき人物が登場し、よもや己の推理が外れたのかと、肝を冷やす思いで鑑賞した。ミステリー、あるいはサスペンスドラマとは、やっぱりこうでなくちゃいけない、と思わせる作品なのだ。2009年公開【監督】ドミニク・セナ【出演】ケイト・ベッキンセイル
2014.02.23
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【トレイター~大国の敵~】「俺のひと声で50人は動く」「お前のために? 命を賭けて? 誰が?・・・俺の同胞に手を出したら命はないと思え」本作「トレイター」は、正直なところ娯楽性には欠けるかもしれない。ドキドキハラハラするような刺激的アクションもなければ、謎解きらしいミステリアスな部分もさほどないからだ。じゃあ一体何をテーマにしているのかと問われれば、これはあくまでも吟遊映人の独断と偏見だが、共存・共栄の精神を訴えかけているような気がしてならない。なにしろアメリカという国は、多種多様な民族がひしめき合う国土であり、そのせいで信仰する宗教も思想も相応に異なるわけだ。世の中には過激な思想を持っている族(やから)も少なからずいて、自らの信じる神以外の宗教を弾圧し、果ては抹殺を企てたりするのだから手に負えない。正義のためなら多少の犠牲も厭わない、という大義名分の下にテロが横行したりする。 テロリストなりの正義というものが存在するのだから、一体何が正義なのか計り知れない。そんな中、様々な主義と思想の統一を計るのではなく、お互いが独立したものとして捉えることにより、共存していこうではないかという主張、それこそが本作のテーマではなかろうか。中東のイエメンにおいて、元軍人で爆弾技術者であるサミールは、投獄されていた。ひょんなことから服役中に、テロ組織の幹部であるオマールと親しくなる。ある日、刑務所内で爆弾が爆発し、そのどさくさに紛れてサミールらは脱獄を計る。脱獄に成功したサミールは、オマールのテロ組織の一員となり、プラスチック爆弾を設計するのだった。サミール役のドン・チードルは、「オーシャンズ」シリーズにも出演しており、その陽気で愉快な役柄のせいか、本作では余りのシリアスなキャスティングに驚いた。そのギャップと言ったら天と地ほどの差があり、だがそれゆえに演じる役者さんにとってはやりがいのある仕事だったのではなかろうか。真摯に取組むドン・チードルの演技は、見事であった。作中、サミールとつかの間の友情に花を咲かせるオマール役のサイード・タグマウイは、どこからどう見てもイスラエル人(?)なのだが、実は列記としたフランス人である。彼の巧みな英語は、日本人である吟遊映人には、フランス訛りかどうかなんて分かるはずもない。本作は、主義・思想に囚われることなく、平凡な日常生活を送ることが何よりなのだと、改めて思い知らせてくれる。そして、他者を理解しないまでも互いに並立し、共存するのが望ましいのだと訴えかけているのだ。2009年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ジェフリー・ナックマノフ【出演】ドン・チードル、ガイ・ピアース、サイード・タグマウイ
2014.02.12
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【クロッシング】「聖ミカエル、戦う私をお守りください。悪魔の計略に勝たせてください。神が悪魔を退けますよう伏して願います。天軍の総帥、神の力によって、悪魔と悪霊を地獄に閉じ込めてください。魂が損なわれませんように」本作「クロッシング」の見どころは、何と言ってもイーサン・ホークの際立つ演技力にあると思う。無論、リチャード・ギアの淡々とした二枚目的演技や、ドン・チードルの生真面目で真摯な演技もなかなかだが、イーサン・ホークのとり憑かれたような迫真の演技は、他の役者さんたちを完全に食ってしまっている。それは見事で、目を見張るものがあった。作品は、リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードルたち3人が演じる警官の、三者三様の生き様が、ある時、成り行きで交叉するところまでを描いている。その3つのストーリーに、一体どんな意味があるのかは視聴者があれこれ想像を膨らませるものだが、興味深いのは、イーサン・ホーク演じる麻薬捜査官サルの人間性であろう。サルは、子だくさんで、妻はまた妊娠している。だが公務員の安月給では、妻子たちになかなか思うような良い環境を与えてやることができない。金さえあれば・・・と、サルの苦悩は、家族を愛するが故に追い詰められてゆく。敬虔なクリスチャンでもあるサルは、懺悔を繰り返しながらも、金のために、犯してはならない一線を越えてゆくことになる。サルの金に対する激しい欲望と、家族に対する優しい愛情との二面性、このギャップの描き方はお見事。舞台はN.Y.のブルックリン。スラム街で警官による強盗殺人事件が発生する。ニューヨーク市警は、マスコミを恐れて犯罪多発地区の見回りを強化する。定年退職を一週間後に控えたエディは、あまりの事件の多さと己の無力感からか、全てに事勿れ主義を押し通していた。そんな中、エディは危険地帯の見回りと新人警官の研修教育も任されるのだった。一方、麻薬捜査官のサルは、重いぜん息を持病に持つ妻と、子どもたちを抱えていた。 家族のために、庭付きの広い新居への引っ越しを考えてはいるが、サルの安い給料ではどうにもならなかった。また、黒人の潜入捜査官であるタンゴは、ストリート犯罪者の中に紛れ込み、内偵するという過酷なおとり捜査に従事していた。そのため、結婚生活は破綻し、心身ともに疲れ切ってしまうのだった。本作のメガホンを取ったのは、アントワーン・フークァ監督だが、代表作に「トレーニング・デイ」などがあり、イーサン・ホークも同作品に出演している。この監督の得意とするジャンルなのだと思われるが、正義の側に立つはずの警察組織の、暗い闇の部分を抉り出そうとしているのかもしれない。あるいは、警官と言えども人間であることの赤裸々な露出を試みようとしているのかもしれない。いずれにしても、全体的にトーンの低い犯罪サスペンスなのだ。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】アントワーン・フークァ【出演】リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードル
2013.11.24
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【シリアナ】「彼らは卑怯だ。信心深いイスラム教徒を過激派に仕立て上げる。彼らは言う、“紛争の目的は資源獲得と軍事支配だ”と。そんな言葉を信じたら思うつぼだ。後悔するのは我々だぞ。ありえない! 人間の本質的な欲求を自由貿易による現代生活で満たすなど・・・。宗教と国家はひとつ。コーランでは・・・2つは切り離せない。コーランでは王の統制も奴隷の服従もコーランにはない」この作品はちょっと難しい。ここへ来てにわかに自分の教養不足が情けなくなる思いだ。 あらましはなんとなく分かるような、分からないような・・・。どなたか中東問題に詳しい方に、解説を願いたい。もともとは『CIAは何をしていた?』という原作があり、それをベースに制作されたものらしい。(ウィキペディア参照)この元CIA諜報員が告発する内容によれば、あれだけの組織力と実力を持ち合わせるCIAが、何故9.11を阻止できなかったかという点にスポットが当てられている。翻ってこの映画に関して言えば、中東の石油利権をめぐる駆け引きの舞台に、CIA、弁護士、王族、石油会社の幹部らが登場する。そのCIA諜報員バーンズ役をジョージ・クルーニーが好演。腕利きであるはずのバーンズが、工作活動に失敗し、CIAそのものからその身を抹殺される崖っぷちに立たされてしまうというものだ。さてタイトルの『シリアナ』だが、これは架空の国名となっている。だが、実際はCIAが中東再建プロジェクトを指す時の専門用語とな。(真偽は不明)中東の石油産出国のナシール王子は、石油事業の運営をアメリカだけに依存しない政策を推し進めていた。一方、ナシール王子の弟・メシャール準王子は、アメリカ企業と結託し、ナシール王子の失脚を目論んでいた。CIAは、ナシール王子一派を反米組織と見なし、暗殺を計画。メシャール準王子を王位に即けることでアメリカ企業の安泰を図ろうと画策するのだった。この作品を見ていて、分からないなりにも衝撃的だったのは、パキスタンから出稼ぎに来ている若者が、イスラム神学校に集い、徐々に洗脳されていく場面だ。食事や教育などを提供されるボランティア組織などと思ったら大間違い!イスラム原理主義を説教される場所なのだ。つまり、過激派テロリストとして生まれ変わる教育機関というわけだ。こういうくだりは、以前見た戦争映画にも出て来るので、それほどの新しさはない。だが、現在進行形の中東問題を抱える世界にとって、こういう生々しい現状は、たとえ映画と言えどもショックは隠せない。CIA諜報員役のジョージ・クルーニーの陰惨な最後を見届けるだけでも、この映画の価値はあるのではなかろうか?業界アナリスト、ウッドマンの役であるマット・デイモンが、全てを失って最後には家族のもとへ帰る姿も見逃せない。この作品は、見る人を選ぶタイプのものかもしれない。2005年(米)、2006年(日)公開【監督】スティーヴン・ギャガン【出演】ジョージ・クルーニー、マット・デイモン
2013.11.10
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~映画「ソルト」と秘密保護法案~想像はしていたが、「日本版NSC(国家安全保障会議)」は思った以上にはかどらない。その前提となる「秘密保護法案」がいよいよ審議入りなのだが、左右取り混ぜもう一度原点にかえってほしい。映画「ソルト」は二重スパイを扱った作品である。話題になったのでご覧の方も多いはずだ。はたして「ソルト」は飛躍の話であろうか?これは我々に発せられた警笛ではないのか、私はそう受け止めている。事実(現実)と虚構(映画)をゴッチャにするなというお叱りは甘んじて受けつつも、事実を歴史から学び希望や願望とは別に論じなければならい、と返したい。度々あげている「孫子の兵法」である。現代においても為政者と軍の士官以上で「孫子の兵法」を学んでいないものはいないはずだ。つまり国家運営の思考と行動の規範となっていると考えて間違いはない。先日、用間篇のあらましについて記した。コチラをご覧いただきたい。これは間諜(間者、スパイ)について具体的に示している。(※水野実先生の「孫子の兵法」より引く)『間を用うるに五有り。因間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。』「間者を用いる法は五種類ある。それは因間、内間、反間、死間、生間である。」それぞれについて水野先生はこう説明する。1.因間:敵地の民を自国の間者に使用する。2.内間:敵国の官吏を自国の間者に使用する。3.反間:敵国の間者を自国の間者に使用する。4.死間:敵国に虚偽の情報を持ち込み、敵国を罠にはめる手引きをし、最終的に敵国に殺される。5.生間:敵国に潜入して諜報活動を行い、それを自国に報告する。そして注目すべきは孫子がこう説いていることだ。『五間倶(とも)に起こりて、其の道を知る無し。』「五種類の間者が一斉に活動していても、その活動経路を互いに知ることはない。」薄識をもってしても、古今の戦が間者を無くして語れないことはわかる。近くは先の戦で日本が負けたのも、そしてその前の日露戦争の勝利も、因の元は間者にありといって過言ではなかろう。そして映画「ソルト」は用間篇・五間を彷彿させるものである。私ははじめて「ソルト」を見たとき、五間を思わないではいられなかった。原点に戻る。我々はこの平和を維持しなければならない。国家も国民も平和維持の為に責任をはたさなければならないのだ。すべては平和維持の為に。すべては平和維持に通ず。だから憲法も法律も目的は平和維持であり、そのための存在なのだ。それを忘れてはならない。くれぐれも、目的は「平和維持」にある。だから、まずは皆で平和について現実に即しながら論じなければならないと思うのだ。現代における平和とは何か。理想と現実のギャップはどこにあるか。世界はどうなのか。どうやったら平和を維持できるのか。等そして、我々は平和維持の為に今なにをなすべきなのかを、よくよく考えるべきだ。肝心なのは想像力である。そしてそれを構築するのは人生観であり歴史観であり、また宗教観(宗教論や宗旨論にあらず)である。つまりその人の人格と学問と見識を総動員したものが想像力である。だから想像力をもって平和を論じるとは、とりもなおさず論じる人の生きてきた証しであり、その成果を問うことに他ならないというわけなのだ。私は今こそ、想像力をもって平和維持の為に我々が何をなすべきかを考えなければならない、そう思う次第だ。それはそうと、マスコミは「国民の知る権利」をかざす。だがそれはマスコミの「私たちの知る権利」ではないのか?私は恣意的な誤謬にほかならないと思うのだが・・もしくは一流の偽善か?ともかくも、我々の目的は「平和維持」にある、そのことだけはゆめゆめお忘れなきように!
2013.11.08
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【ライフ・オブ・デビッド・ゲイル】「これはオフレコだけど」「いいわ。オフレコで」「ルーマニアの秘密警察の手口だ。手錠をかけ鍵を呑ませ、口にテープ、ビニール袋で窒息死させる。口を割らない者へのやり方だ。死んでいく者に悟らせるんだ。“自由への鍵は、結局、自分自身の中にあった”ってことをね」 今さら言うまでもないことだが、この作品は死刑制度に反対している監督が、「冤罪での死刑はありうるのだから、死刑は廃止するべきだ」とする立場で製作したものだ。日本のような小さな島国と違って、アメリカは多民族で形成された国家である。しかもキリスト教主義が根底にあるので、宗教上からも死刑の存廃については、大きな影響があるに違いない。まかり間違って無実の人が死刑を宣告を受けることなどあってはならないが、そういうことがありうるのだから死刑制度なんて即撤廃、という結論は早計のような気がする。ただ、昨今の警察官の汚職やわいせつ行為、さらには捜査能力への不信感を考えると、やはり人間のやることに完璧なものなどないのだと、改めて痛感せざるを得ない。とすると、あるいは死刑囚の中に冤罪で命を落とすことになる者もいるのではないかという疑問も生じてしまう。そんな中、死刑制度の存続に賛成する人たちに、一石を投じた作品となっている。死刑判決の下されたデビッド・ゲイルは、多額の報酬と引き換えに独占インタビューに応えることになった。ゲイルは、女性敏腕記者のビッツィーを指名し、無実の罪であることを主張する。罪状は、ゴウカン殺人だが、ゲイルには身に覚えがないとのこと。元大学教授で、死刑廃止運動に携わっていたため、死刑賛成派の過激派が仕掛けた罠ではないかと訴える。最初は半信半疑でゲイルの話を訊いていたビッツィーだが、しだいにゲイルは冤罪なのではと疑問を抱き始めるのだった。主人公のデビッド・ゲイル役に扮したケヴィン・スペイシーは、とにかくカッコイイ。 インテリでクールで、その甘い声も役者として効果的だ。今回のデビッド・ゲイルという複雑なキャラクターも、見事なハマリ役で申し分ない。 女性敏腕記者ビッツィー役のケイト・ウィンスレットも、女性らしさを失わず、それでいて芯の強い熱血ジャーナリストを演じていた。内容としては、賛否両論あるところだが、どこまでも冷静さを失わないケヴィン・スペイシーと、熱く勢いのあるケイト・ウィンスレットの対比が面白い。思想的なものに捉われず、社会派サスペンスとして鑑賞するのがおすすめだ。2003年公開【監督】アラン・パーカー【出演】ケヴィン・スペイシー、ケイト・ウィンスレット
2013.11.03
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トム・クランシーさんのご冥福をお祈り申し上げます。■米作家、T・クランシー氏が死去 日本でも人気「レッド・オクトーバーを追え」などの小説で知られる米国のベストセラー作家、トム・クランシー氏が1日、米東部メリーランド州ボルティモアの病院で死去した。66歳。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)などが伝えた。死因は分かっていない。1947年、ボルティモア生まれ。高度な軍事技術を駆使したハイテク時代の戦争サスペンス小説を数多く発表し、日本でも人気が高い。保険代理店を営む傍ら執筆したデビュー作「レッド・オクトーバーを追え」や、CIA情報分析官を描いた人気シリーズ「ジャック・ライアン」などは映画化された。~共同通信~(10月3日)氏が原作を執った作品の映画はみているが、残念ながら私は原作を読んではいない。それでも映画を見るにつけ、原作が骨子頑丈な上作であることはヒシヒシと感じ、取材の苦労は容易に推察できた。秀作「レッド・オクトーバーを追え」は保険代理店を営む傍らに執筆されたという。二足のわらじがいかほどのものか、私は吉村昭氏のエッセイ「私の文学漂流」で知った。トム・クランシー氏の努力も並大抵のものでないことは想像するに難くはない。氏に謹んで敬意を表し、ご冥福を心よりお祈り申し上げる次第である。合掌。ご参考まで、米誌フォーブスが氏を評した一文を添える。「クランシー氏が彼の名前を著作に付けるだけで、ベストセラーが保証される。」なお吟遊映人では過去に『レッド・オクトーバーを追え!』と『今そこにある危機』を掲載した。ご覧頂きたい。【レッド・オクトーバーを追え!】はこちらから。【今そこにある危機】はこちらから。
2013.10.06
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【砂の器】『ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者は、もうどこにもいない』〈作品ラスト字幕より〉私がこの作品を初めて見たのは中学生の時。町の公民館で、“町民映画劇場”という月に一度の上映時に見た。母からもらった500円でチケット代を支払い、小さなホールの大きなスクリーンで『砂の器』を食い入るように見たのだ。思えば私は、『砂の器』を鑑賞することでどれだけ多くのことを学んだか知れない。世の中、人は皆平等なのだと、誰からともなく教わっていたのだが、そんなものは幻想に過ぎないのだと知った。必ず優劣が存在し、それによって、実は世の中がバランスを保っていることをこの『砂の器』という作品から学んだのである。そして、たいていのことは努力によって改善されると思いがちだが、人は皆、生まれながらの宿命というものを背負っていて、それはどんなふうにしても変えられない、重い楔のようなものだということ。キレイゴト抜きにして言わせていただくなら、どれほど血の滲む努力と、奮闘と、あらん限りの情熱を注いだところで、変えられない人間の業というものが存在することを知ったのである。ストーリーはこうだ。国鉄蒲田操車場構内において、男性の死体が発見される。被害者の所持していたトリスバーのマッチから、前日の深夜に被害者と若い男性が酒を飲みながら話し込んでいたことが判明した。バーのホステスの証言により、被害者にはひどい東北訛りがあることが分かり、東北は秋田の羽後亀田に調査が及ぶ。警視庁の今西刑事と、西蒲田署の吉村刑事は、必死に手がかりを捜すものの、捜査に何の進展もなかった。被害者の身元を特定するものが何もなく、捜査が行き詰っていたところ、岡山県から被害者の親族と思われる者が上京。死体を確認後、間違いなく岡山県在住の三木謙一であることが分かった。一方、吉村刑事が読んでいた新聞の記事に、気になるコラムが掲載されていた。それは、“紙吹雪の女”と題された、旅の紀行文のようなものだった。その記事によれば、女が列車の窓から細かく切った紙を散らす様子が書かれていた。吉村刑事はピンと来た。もしもこれが被害者の返り血を浴びた加害者の衣類だとしたら?その処分のために列車の窓から散らしていたのではなかろうか?さっそく吉村刑事はルポライターに連絡を取り、その女の居所を突き止めることに成功。 女は、銀座のクラブに勤めるホステスで、名前を高木理恵子と言った。この高木理恵子は、世界的にも有名な音楽家である和賀英良の情婦であった。こうして捜査は、意外な局面へと突き当たる。この作品のメガホンを取ったのは、野村芳太郎監督である。慶応義塾大学卒のインテリで、黒澤組の助監督を長年経験している。当時、黒澤監督から「日本一の助監督」だと絶賛されたようだ。(ウィキペディア参照) 特徴としては、社会派サスペンスを数多く手掛けていることであろう。左翼思想の松本清張作品を多数映画化しており、とりわけ『砂の器』においては、興行的にも大成功を収めている。映画と原作では、ところどころ違っているが、原作者である松本清張が、小説の世界ではとうてい表現し得ないものを見事に表現したものだと、野村作品に賛辞を送っている。私も、視聴者の一人として感想を言わせていただくと、思春期の鋭敏な魂を揺さぶるものとして、これほどまでに衝撃を受けたものは、後にも先にも映画では『砂の器』、読書では『金閣寺』だけだ。そういう作品が常に私自身に寄り添っていることを、ひしひしと感じる。『砂の器』は、なるべく若い世代の方々に見ていただきたい。言われのない差別が、つい最近まで、いやこの現代にも存在することに愕然とするであろう。だが、そこから目を逸らしてはいけない。我々が不平等意識を持って当然であることの所以を知れば、「自分だけではない」というささやかな希望と、励ましをも感じられるだろう。この作品は、昭和における名作中の名作なのだ。1974年公開【監督】野村芳太郎【出演】丹波哲郎、加藤剛、森田健作
2013.09.29
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【ブラック・ダリア】「お前が必要とするものはある」「つまり? 俺みたいな間抜け? それが必要か?」「何を言う・・・」「エリザベス・ショートを殺し、偽装したな。ポルノ映画もあんたが撮った。セットを見たよ。証拠も全て揃ってる」「銃を下ろせ」 ポスト・ヒッチコックと表現したものか否か迷うところだが、本作を手掛けたデ・パルマ監督は、かなりヒッチコック作品の影響を受けておられる。それは、さりげなく目を向けた窓の向こう側の捉え方や、ブラインドを下ろさずドア越しに見えてしまう情事の模様など、カメラの捉え方に類似性を感じてしまうからだ。だが全てが全て、意識的な模倣なのかと言えばそれは違う。明らかに違う。デ・パルマ監督のスローモーションによる時間の引き延ばし、インパクトの加味は独特のものなのだ。さて、ここで“ブラック・ダリア事件”について少しお話しておく。この事件は実際に起きた、1947年ロサンゼルスにおける猟奇事件のことである。被害者は女優志望のエリザベス・ショート。死体には激しい損傷があり、胴から二つに切断という残虐な事件であった。無論、今なお未解決である。元プロボクサーのバッキーは、ロス市警の警官として働いていた。警察の好感度アップと昇給嘆願のためにボクシングの試合に出場したバッキーは、対戦相手であるリーと仕事上でもコンビを組む。ある日、胴から二つに切断された若い女性の死体が発見される。被害者は女優志望ながら夢破れて娼婦まがいの生活をおくるエリザベス・ショートであった。バッキーとリーは、事件の究明に乗り出す。吟遊映人は、もともとサスペンスものが大好きである。特にヒッチコック作品には十代のころから傾倒している。イギリスの生んだ“サスペンスの神様”ヒッチコック監督は、恐怖という感情を次のように表現している。『自分が安全だと思えば、むしろ味わってみたくなるもの』なるほどと思った。たとえどんなに血生臭い本を読んだとしても、恐怖映画を観たとしても、『ランプの傘の下に広がる甘く暖かな雰囲気や、私たちが座る心地良い柔らかな肘掛椅子のありがたさを改めて思い知らせてくれる』のだ。そう考えれば、吟遊映人が「ブラック・ダリア」のようなサスペンス映画を観てドキドキハラハラさせられても、その作品を観終わった後の至福のひと時を味わいたくて、再びサスペンスものに手が伸びてしまうのも理解できる。本作「ブラック・ダリア」では、デ・パルマ監督の演出やカメラワークもさることながら、その錚々たる役者陣の顔ぶれも素晴らしい。スカーレット・ヨハンソンやヒラリー・スワンクの古典的な美貌は、相当なスクリーン効果がある。個人的な好みを押し付けることを好しとしない吟遊映人ではあるが、デ・パルマ監督はヒッチコック作品の後継者として実に見事なサスペンス・スリラーを披露してくれる人物である。ぜひともこのような質の高い作品をご覧いただき、日常の幸福を改めて実感していただきたいのだ。『人間が本当に興味を持つのは自分自身か、自分の心を動かす物語だけだからだ』(アルフレッド・ヒッチコックの自伝より)2006年公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】ジョシュ・ハートネット、スカーレット・ヨハンソン
2013.04.02
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【ゴールデンスランバー 】「人間の最大の武器は何だか分かるか?」「さぁ・・・」「習慣と信頼だ」「習慣と信頼・・・」ド派手なアクションと、完成度の高いCGの施されたハリウッド映画を見慣れてしまっている方々には、邦画なんてヤワでチャチな代物に思えるだろう。だがそんな邦画の世界でも、驚愕するような脚本の出来栄えと、出演者の見事な演技合戦で秀作は生まれるのだ。原作は伊坂幸太郎だが、このサスペンス小説は他の犯罪・推理モノとは一線を画す。本作に登場する警察庁警備局総合情報課というのは、いわゆる公安のことで、国家を揺るがす陰謀やテロ行為に立ち向かう組織である。作中、あまりクローズアップされなかったのは、なぜ、金田首相が暗殺されたのか、ということだ。考えられるのは、国民から絶大な人気を得る金田首相が、思想的に左寄りだったのではなかろうか、それゆえ公安が秘密裏に動いた、という推理である。これに近い発想を探していくと、ケネディ大統領の暗殺犯とされているオズワルド、いわゆるオズワルド事件にたどり着く。ケネディ大統領というのは、周知の通り、思想的にも反戦主義者で、かねてよりCIAから目をつけられていた、という噂がある。そこでCIAは、オズワルドという一青年を犯人に仕立てあげ、ケネディ大統領の暗殺を謀ったというものだ。オズワルドはその後、ジャック・ルビーによって射殺されるが、このジャック・ルビーも獄中、不審な言動を繰り返し、最終的には病死という顛末でこの事件は幕を閉じられてしまった。※ジャック・ルビーはCIAと接触があったという一部報道もある。つまり、「ゴールデンスランバー」という物語は、公安による首相暗殺計画のために、一般市民が利用され抹殺されようとしているプロセスを描いている、と思われる。吟遊映人が評価するのは、このプロットを考えた著者は、おそらく公安やアメリカのCIAについてかなり深いところまで勉強したであろうことがうかがえる点である。安易な犯罪・スパイ小説に小さくまとまらず、これだけのおもしろい作品に仕上げたのは、著者の実力に他ならない。舞台は宮城県仙台市。宅配便のドライバーをしている青柳雅春は、学生時代からの友人・森田から久しぶりに釣りに誘われた。ところが森田は、再会を喜ぶ節も見られず、いぶかしく思う青柳。二人は路駐した車内でジャンクフードを食べているが、同時刻、仙台出身の金田総理大臣のパレードが盛大に行なわれていた。そんな中、森田は自嘲気味に自分のことを話し出す。自分が社会人になってすぐに結婚し、子どもを儲けたこと。妻がパチンコにハマってしまい、多額の負債を抱え込んでしまったこと。さらに、怪しげな人物から、青柳を現在地まで連れ出すように指示されたことも、打ち明けるのだった。作中、副首相の存在も何やら公安の動きに一枚かんでいるような節もあったが、この辺りは視聴者がそれぞれに想像をめぐらして推理を楽しめば良いだろう。参考にすべきは、キルオのセリフにもあったように、我々の何気ない電話は、誰かによって盗聴されているのは間違いない。それが公安か何かは、分からない。ただ、プライバシーなんてあってないようなものなので、それを踏まえた上で、あまり過敏にならず生活していこうではないか。本作は、ベールに包まれた向こう側を、ほんの少しだけシルエットで垣間見たような、圧倒的ファンタジーに彩られた作品であった。2010年公開【監督】中村義洋【出演】堺雅人、竹内結子、吉岡秀隆、劇団ひとり※ただいま公開中の『ひまわりと子犬の7日間』では堺雅人の好演が話題(^o^)この役者、これからも目が離せない存在である!
2013.03.19
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【天使と悪魔】「奴らはいつもこういう仕事を俺に依頼してくる。“神の仕事”を引き受けるからあらゆる宗教に頼まれる。・・・奴らは正しい。神に復讐心があるから俺が生まれた。お前らを殺さないのは・・・丸腰で殺せと言われてないからだ。だが俺を追えば話は別だぞ。・・・用心しろ、相手は神の僕たちだ」本作「天使と悪魔」は、言わずと知れた「ダ・ヴィンチ・コード」の続編である。しかし実際の原作では、「天使と悪魔」がシリーズ第1弾の作品となっている。舞台となるのは、イタリアはローマ市内にあるヴァチカンである。ヴァチカンは、その規模の小ささから考えられないことだが、正統な独立した主権国家である。例えばそれを日本の本土に置き換えて考えてみると、真言宗の総本山でもある高野山が独立した主権国家であるようなものだ。(※ちなみにヴァチカンはカトリック教会の総本山である)余談になったが今回の作品は、宗教色は意外にも強くなく、サスペンス性を全面に打ち出している。例えばそれは、科学と宗教の対立という近代の忌わしい弾圧には大して触れず、逆にリベラルな立場を通す教会側を批難する場面が出て来る。つまり、科学の探求そのものが神を否定する行為になるのだと、作中にある殺人の動機を定義付けている。そしてその狂信的な信仰心のある聖職者こそが、今回の犯人として設定されているのだ。 欧州原子力核研究機構において、核エネルギーを凌駕する反物質の生成に成功した。ところが同研究所の科学者が何者かによって殺害される。さらに、反物質も犯人によって盗まれてしまう。そこでイタリアの警察から、ハーバード大学のロバート・ラングドン教授に白羽の矢が当てられ、事件解決のための助力を求められる。一方、ヴァチカンでは新しい教皇を選出するためのコンクラーベの真っ最中であった。 そんな中、次期教皇の有力候補とされる4人がいずれも失踪。なんと、秘密結社・イルミナティを名乗る者による犯行で、その失踪した4人を1人ずつ殺害していくのだった。吟遊映人は、自他ともに認めるサスペンス好きということもあり、ユアン・マクレガーが登場した時点で「あ、この人怪しいかも」と、ピピッと来た。(無論、本作の犯人である←ネタバレご容赦)「スター・ウォーズ~エピソード1~」では、若きオビ=ワン・ケノービ役を演じ、一躍大スターにのし上がった。その端正な顔立ちもさることながら、知的で穏やかな物腰は、主役のトム・ハンクスを完全に食ってしまう勢いを感じた。「天使と悪魔」は、実にミステリアスでスリリングに富んだ名作なのだ。※前作「ダ・ヴィンチ・コード」の記事はコチラまで(^^)2009年公開【監督】ロン・ハワード【出演】トム・ハンクス、アイェレット・ゾラー、ユアン・マクレガーなお、毎日新聞の余録(2013年02月21日付)で、コンクラーベのわかりやすい説明がありましたので、以下に掲載させていただきます。ご参考くださいな♪ローマ法王を枢機卿(すうききょう)の3分の2の多数決で選ぶことになったのは12世紀である。その100年足らず後には「コンクラーベ」、つまり「鍵をかけた部屋」に枢機卿を集める密室選挙方式がグレゴリウス10世の回勅(かいちょく)によって公布された。目的は枢機卿に監禁の苦痛を与えることで選出を早めるためだった。というのもグレゴリウス10世選出には2年9カ月もかかり、怒った人々が枢機卿を厳寒の野外に引き出してようやく決めさせた経緯があったからだ。だから回勅の定める枢機卿たちの待遇も厳しい。会場に入室後3日で決まらねば、次の10日間は1日2食、次はパンと水とワインだけの食事になる決まりだった(利光三津夫他著「満場一致と多数決」)。外部との連絡が禁じられるのは同じだが、夜は宿泊所で寝るなど条件は緩和された今日のコンクラーベである。今月で退位するベネディクト16世の後継を決めるコンクラーベは来月後半の予定を大幅に繰り上げて行われる見通しという。老齢を理由に異例の退位表明で世を驚かせた法王だが、激変する時代に全世界のカトリック教会を率いる心身の負担は余人には計り知れない。ベネディクト16世は退位表明後にバチカン内部の対立を戒める発言をし、教会改革を後継者に託したかたちだ。さしあたり後継候補にはここ2代法王を出していないイタリアの有力候補が取りざたされる一方、南米など初の非欧州出身の法王誕生への期待も語られる。前回コンクラーベでは2日目に法王が決まり、会場外に白い煙の合図で知らされた。またまた12億の信者が息を詰めて見守るシスティーナ礼拝堂の煙突である。~追記~それにしても、コンクラーベは枢機卿も結果(煙のゆくえ)をじっと見守る信者もご苦労だ。なるほど、これが「根競べ」という所以でしょうかね(^^)vそれはそれとして、近日、実際にコンクラーベが見られるのは、クリスマス信者でもおおいに興味津々である。
2013.02.25
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【マーシャル・ロー】「私が騙されていたのね」「金のせいだ。“資金で力が買える”とね。信念が力を生むんだ」「テロに資金を出したわけね?」「皮肉なもんだ」この作品には度肝を抜いた。私はてっきりアメリカ同時多発テロをモデルにして製作されたと思っていたら、なんと公開は1998年だった!テロが起きたのが2001年なので、この映画は完全なフィクションだったわけだ。恥ずかしながら私はリアルタイムで『マーシャル・ロー』を見ておらず、遅ればせながら今ごろになって目を白黒させてしまった。『マーシャル・ロー』の内容はこうだ。サウジアラビアのアメリカ海兵隊駐留基地が、爆弾テロにあった。アメリカを震撼させたその事件後、すぐさまクリントン大統領は記者会見を行う。それを傍聴していたアメリカ陸軍のウィリアム・デヴロー将軍は、その会見内容を曲解したのか、ただちに行動に移す。それは、テロの首謀者とされるシークを拉致することだった。一方、ニューヨークのブルックリンで、白昼、路線バスが何者かにバス・ジャックされてしまう。犯行声明によると、急進イスラム派の教祖であるアフメッド・ビン・タラール(シーク)を、即刻釈放しなければ、人質もろ共バスを爆破するとのこと。FBI特別捜査官アンソニー・ハバードは、人質を解放するようテロ犯に要求するが、それも虚しくバスは爆破されてしまう。その後、ハバードは、テロ犯検挙に躍起になるのだが、ある女性が現場で爆弾に関する調査をしていることに気づく。そこでハバードは、女性に尾行をつけ、よくよく調べたところ、女性はCIA諜報員で、アラブ系アメリカ人社会にコネクションを持っていることを知る。こうして過激派のテロ行為を阻止するために、FBIとCIAがそれぞれに奔走し、そこにまたさらにアメリカ陸軍が動き出すのだった。この作品では、アメリカ陸軍のデヴロー将軍役にブルース・ウィリスが扮している。ちょっとクセのありそうな軍人なのだが、こういう厳つい男たちによってニューヨークが物々しく占拠されたら、NY市民の安全と引き換えに自由が奪われてしまうと表現しているようだ。つまり、テロ撲滅のために軍部の力を借りれば、その徹底的な手段により、過激派と関係あるなしにかかわらず、アラブ系の若者たちを完全に隔離し、外部との接触を禁じることで極端な緊張が生じてしまうわけだ。このあたりの描写はとても説得力があり、国家に異常なまで傾いているブルース・ウィリスの右傾ぶりがよく表現されていたと思う。また、主人公ハバード役のデンゼル・ワシントンに至っては、完璧の一言で、この役者さんはとても自分を冷静に観察している人だと思う。立ち位置をわきまえた役者さんは、分相応のキャスティングを望み、それ以上もそれ以下も引き受けやしないのだろう。正に、デンゼル・ワシントンがその人だ。終始一貫して演技に乱れがなく、誠実で好感の持てる演出だった。最近、北アのイスラム教圏においてテロがあり、日本人技術者たちも何人か犠牲となる事件が起きてしまった。痛ましい限りである。この『マーシャル・ロー』を見ることで、世界に起きているテロ事件をさらに身近なものとして捉えるきっかけとなれば、この作品の意義はいっそう増す。対岸の火事だと油断することなく、いつも危機感を持って世界を捉えることが必要なのだと、改めて痛感した。老若男女問わず、一見の価値あり。1998年(米)、2000年(日)公開【監督】エドワード・ズウィック【出演】デンゼル・ワシントン、ブルース・ウィリス
2013.02.10
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【チャイナ・シンドローム】「電燈をつける時は、10%だけ原子力発電所のことを思い出してくれないか」「なんで?」「我が社の供給電力だからだ」東日本大震災の影響を大きく受けた被災地の現状は、まだまだ十分な復興とは言えないものであろう。特に原発事故の修復は、半年とか1年と言った短期間に決着のつくものではない。私たち素人には見当もつかないような、遺伝子レベルでの危機を感じさせるし、どうしようもない不安に襲われる。そもそも原子力発電とは、自然エネルギーではない。他の火力、水力、風力、太陽光から得る自然エネルギーとは大きく異なり、作り出した人間でさえもろくに理解出来ていない、未知の魔物なのだ。ではなぜ原発に依存しようとするのか?それはもう皆さんご存知のとおり、利益追求に他ならない。“クリーンで安全”なんて建前で、本音は“金(カネ)”だ。昨年1月24日付、信濃毎日新聞の「今日の視角」に興味深い記事が掲載されている。それによれば、福井県敦賀市の「もんじゅ」は、日本人が独自に設計・開発した原子炉とのこと。だが核分裂が制御できないのでずっと停止状態というではないか。もし爆発したら、福島の比じゃない。関西圏は壊滅状態になると。それからもう一つ、「ふげん」という原子炉があるのだが、これなど着工から40年たっても実用化からは程遠く、実質的には廃炉とのこと。これらの開発にどれほどばく大な予算がついたのか、そこまでの記述はされていなかったが、思わず呆然としてしまう。前置きが長くなってしまい恐縮だが、1979年に公開された『チャイナ・シンドローム』は、原発事故の恐ろしさを描いたサスペンス映画だ。この作品は、爆発後の惨状を連想させるシーンなど一切なく、では何が恐ろしいのかと言えば、原発管理者サイドのあくまで利益追求の姿勢を崩さない態度だ。金儲けのためなら手段を選ばず、暴力すら辞さないという悪質さなのだ。ストーリーはこうだ。ロサンゼルスのテレビ局の人気キャスターであるキンバリーは、カメラマンのリチャードと、録音係のヘクターと共に、ベンタナ原子力発電所の取材に出かけた。3人がコントロール・センターで見学していると、何やら地震のような震動が起きる。 一体何が起きたのかは分からないが、コントロール・センター内の職員は皆が大騒ぎしている。カメラマンのリチャードは、コントロール・センターは撮影禁止区域にもかかわらず、こっそり撮影し始めるのだった。コントロール・センター内では、技術者のジャックが計器の異常に気づき、原子炉の緊急停止命令を出した。こうしてジャックの機転により、危ういところで大惨事は免れたのだったが、原発管理者サイドはろくに検査もせず、すぐにも再稼動させようと目論むのだった。この作品から分かるのは、何が怖いかってやはり人間が一番怖いのだ。どんなトラブルに見舞われようと、まずは金儲け。儲けるためには人の命など惜しくはない。なるべくコストを抑えて暴利を貪るという手法だ。内容が極端だという意見もあるかもしれないが、今後の原発問題も踏まえて鑑賞してみてはいかがだろうか? 一見の価値あり。1979年公開【監督】ジェームズ・ブリッジス【出演】ジェーン・フォンダ、ジャック・レモンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2013.01.14
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