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2014.09.20
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カテゴリ: 読書案内
【海音寺潮五郎/天と地と(中)】
20140920

◆血を分けた兄弟間の争いはいつの世も同じ
私の知り合いの某さんは、男ばかりの三兄弟だった。
実家は祖父の代から続く老舗の仕出し屋で、当然のことながら三兄弟のうち長男が跡を取ると思われていた。
というのも、三兄弟の父親は、すでにこの世の人ではなかったからだ。
経営者である祖父亡き後は、祖母が経営の全てを掌握していたのだが、直系の孫である三兄弟を見る眼差しは、優しい「おばあちゃん」ではなく「代表取締役社長」としてであった。

「長男は人の上に立つ器じゃない。二男を後継者とするわ」

という鶴の一声で、三兄弟のうち二男坊が経営者となった。
跡取りの座を二男に譲らなくてはならない長男の心情はいかばかりかと、こちらが心配になるのもよそに、当の長男はサバサバとしたもので、代表という重圧から逃れられたことをむしろ喜んでいる様子さえ見られた。
それにしてもこの時の祖母の決断は正しかった。
長男は体が弱く、若くして夭逝してしまったからだ。

長年、その気質・性格を見続けて来た者にだけ判断のできることだったのであろう。

前置きが長くなってしまったが、越後の長尾家でも、何やら兄弟間できな臭いものが漂っていた。
私の知り合いの三兄弟とは違って、もっとドロドロとしている。

『天と地と(中)』において、とりあえず長男・晴景が長尾家の当主となり、新守護代となったものの、凡庸な器量ゆえか、合戦で武名を挙げるということが一切なかった。
翻って異母弟である景虎には、利発さや勢いもあり、数々の合戦で味方を勝利に導いたのである。
弟の活躍がおもしろくない晴景は、景虎を目の敵にし、いよいよ兄弟関係が悪化する。
結果、兄弟間の熾烈な跡目争いの形を取るのだが、この戦いはあまりに晴景の分が悪すぎた。
威勢が良かったのは最初だけで、勝ち目がないと分かるやいなや、命乞いの姿勢を取った。
越後の守護代ともあろう長尾晴景は、不安と恐怖でおそれおののくばかりだった。
もともと景虎に兄殺しの不義の弟となるつもりはなく、とにかく兄には政から一切手を引かせ、隠居の上、春日城から去ってもらえればそれで良かった。
こうして兄に勝利した景虎は、若干二十歳で長尾家の当主となり、越後統一を実現させるのだった。


生涯独身でいたことと何か関係があるかどうかは分からないが、どうも度々鬱々とした心理に苛まれていたようだ。
その虚無感に襲われた時は、その都度堂内の毘沙門天に礼拝し、救いを求めた。
名僧と謳われた徹岫宗久からは、

「人間の生れながらの知恵才覚や善良な心などというものは、頼りないものじゃ。一にも打座、二にも打座、三にも打座。坐ること以外にはござらぬ。坐りなされ」

と助言を受けた。

結局、景虎は高野山へと向かう。

“禅宗の信者でも、天台宗の信者でも、一向宗の信者でも、それはかわりはなかった。おかしな話ではあるが、日本人には神様にたいする信心と弘法大師にたいする信心は宗派信仰とは別なのである”

そのとおり。
景虎がそうであったように、古来日本人のほとんどが、高野山を救いの場としている。
それは理屈などではなく、日本人としての魂が欲する清涼な空間が広がっているのだ。
今を生きる私たちも、景虎の迷いは他人事ではない。
鬱として晴れない時、心を正常に戻したい時、いつも心の中の高野山に手を併せたくなるのだ。

『天と地と(中)』海音寺潮五郎・著


☆次回(読書案内No.144)は海音寺潮五郎の「天と地と(下巻)」を予定しています。



20140913
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★吟遊映人『読書案内』 第2弾は コチラ から



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最終更新日  2014.09.20 05:36:26
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