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花の色はうつりにけりないたづらに



山科:そば処「萬寿亭橘」に行ったよ


☆『ちょっと差がつく百人一首講座』 バックナンバー☆より



      【2002年3月20日配信】[No.055]
       ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

       【今回の歌】

        花の色は うつりにけりな いたづらに
         わが身世にふる ながめせしまに

                   小野小町(9番) 『古今集』春・113

       ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

        今年は暖冬のせいで、桜の開花日が記録的に早いんだそうです。
       平年並みの昨年なら、大阪・京都・東京で3月30日くらいだった
       んですが、今年は大阪・京都で3月21日くらい、東京で20日くら
       いと平均より1週間以上早くなっています。
        毎年、お花見へ行かれる方も通りの桜を眺めて楽しまれる方も
       ちょっと気に留めておいてください。まごまごしていると、タイ
       ミングを失ってしまいますよ。
        というわけで今回は、はかなくも散る桜の花に自分の衰えた美
       貌を重ねた「タイミング」の一首です。

      ■□■ 現代語訳 ■□■

        桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降
       っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のも
       ろもろのことに思い悩んでいるうちに。

      ■□■ ことば ■□■

       【花の色】
       「花」とだけ書かれている場合、古典では「桜」を意味します。
       「桜の花の色」という意味ですが、ここでは「女性の若さ・美し
       さ」も暗示しています。
       【うつりにけりな】
       動詞「うつる」は花の色のことなので、「色あせる・衰える」と
       いうような意味です。「な」は感動の助動詞で、「色あせ衰えて
       しまったなあ」という意味になります。
       【いたづらに】
       「むだに」や「むなしく」という意味で形容動詞「いたづらなり」
       の連用形です。
       【世にふる】
       ここでの「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という2重
       の意味が掛けてある掛詞です。さらに「ふる」も「降る(雨が降
       る)」と「経る(経過する)」が掛けてあり、「ずっと降り続く
       雨」と「年をとっていく私」の2重の意味が含まれています。
       【ながめせしまに】
       「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思い
       にふけっている間に」と「長雨がしている間に」という2重の意
       味があります。さらに「ながめせしまに → 我が身世にふる」
       と上に続く倒置法になっています。

      ■□■ 作者 ■□■

        小野小町(おののこまち。生没年未詳、9世紀ごろ)
       伝説の美女で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平安初期の女流歌人
       としてナンバーワンとされる人です。小野篁(おののたかむら)
       の孫であるとか諸説がありますが、正確な経歴は分かっていませ
       ん。この歌をタネにして「卒塔婆小町」や「通小町」など、「若
       い頃は絶世の美女と謳われたが、老いさらばえて落ちぶれた人生
       のはかなさ」を表現した謡曲や伝説が多数書かれています。土地
       の美人のことを「××小町」などと言うのも小町伝説の影響です。

      ■□■ 鑑賞 ■□■

        栄え咲き誇った桜の花も、むなしく色あせてしまったわね。私
       が降り続く長雨でぼんやり時間をつぶしているうちに。
        かつては絶世の美女よ花よと謳われた私も、みっともなく老け
       こんでしまったものね。恋だの愛だの、他人との関わりのような
       ことに気をとられてぼんやりしているうちに。
                   ◆◇◆
        非常によく知られている歌で、色あせた桜に老いた自分の姿を
       重ねた歌です。かつて日本の美女を「小町」と言ったように、伝
       説の美女ですが、それは年をとるにつれて衰えゆく「無常な時間
       に敗れゆく美」を歌い上げたからかもしれません。
        ただ単に美しいだけなら、誰の心にも残りませんものね。
                   ◆◇◆
        古今集の撰者だった紀貫之は、その「仮名序(かなで書かれた
       序文)」で、小野小町の歌を評して「あはれなるようにて強から
       ず。いはばよき女の悩める所あるに似たり」と書いています。
        「内省的な美女のような歌だ」といったところでしょうか。
        百人一首と新古今集の撰者、藤原定家は、この歌を「幽玄様」
       の歌としています。幽玄とは、言葉で表している意味を越えて感
       じられる情緒、イメージの広がり、というようなことで、定家の
       父親の俊成は「和歌の最高の理念」としています。
        この歌のもつ滅びの美学、「無常観」といったものが日本的な
       美学の追求にぴったり合ったのでしょうね。
                   ◆◇◆
        ただ、こんなに難しく考えなくても、「若かった頃は、私(僕)
       も綺麗だって言われてちやほやされてたなあ。いつの間に年とっ
       ちゃったんだろ」なんて誰もが考えますよね。
        能などでは、老いさらばえて死んで荒れ野でドクロとなった小
       野小町が、現世に未練を残した幽霊として登場したりします。
        それほどこの歌が与えた影響は大きいのですが、要するに誰も
       が心に思っている「若かった頃にやり残したことへの悔い」をこ
       の歌が表現しているからかもしれませんね。
        年をとってくると時間の過ぎゆくのが早いですからね。若い人
       も相応の方も、遅いなんてことはないですから、今からでもやり
       残したことをはじめてみましょうよ、ね。
                   ◆◇◆
        さて、数々の伝説を残した小野小町ですが、その墓は京都市左
       京区静市市原町の「補陀落寺(ふだらくじ)」、通称「小町寺」
       にあります。京阪電鉄の終点、出町柳駅から叡山鉄道に乗り換え、
       市原駅で下車すればすぐです。
        境内には、小町の墓の他、姿見の井戸など故事にまつわるもの
       がいろいろあるようです。また、小町の邸宅があったとされる山
       科の随心院には、小町の文塚などがあります。3月の最終日曜日
       には小町に扮した少女が踊る「はねず踊り」が行われるようです。
        こちらは京都市の地下鉄東西線小野駅から東へ歩いて5分の距
       離にあります。付近には小町ゆかりの史跡が数多く残されていま
       す。







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