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★ ディーノ (vm) DINO
本名エウジニオ・ザンベルリ (Eugenio Zambelli)1948年5月3日ヴェローナ生。

ヴェローナ美術研究所の職員の息子で、良い発声法で知られていました。子供の歌手として最初のコンテストに参加し、同郷で同い年のジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)と知合いになります。チンクェッティはディーノを見て歌手になることを幼心に決めたと言われています。1959年初めて子供のためのオペッレッタに出演し、2年後ミーナの大ヒット曲"青い泡がいっぱい(Le mille bolle blu)"を「金の小さなピノキオ(Pinoccietto d'oro)」で歌い1位となりました。
61年エンジェルズ(The Angels)バンドが結成されメンバーはエギター・ソロのエンニオ・オットファーロ (Ennio Ottofaro)、リズム・ギターのダリオ・デ・サンティ (Dario De Santi)、ドラムスのフランコ・ブシーニ (Franco Busini)、ベースのマルチェロ・ブットゥリーニ (Marcello Butturini)でした。最初はロック・ン・ロールを演奏していましたが、すぐにイギリスのビート・グループの曲をするようになります。彼らもヴェローナ・ビートといわれるバンドの一つとなっていました。しかしこのバンドはヴォーカルが弱点でした。
その年の末、エンニオは13才で既によく知られているエウジニオ・ザンネルリ(ディーノ)バンドに誘い、ベースのマルチェロをダミアーノペランダ(Damiano Pelanda)に交代、キングズ(I Kings)として再出発しました。63年テディ・レーノがアリッチャで開催する新人発掘コンテスト「名もなき者のフェスティヴァル(Festival degli sconosciuti di Ariccia)」に参加しました。
テディ・レーノはエウジニオの歌の上手さに惚れ込みRCAイタリアーナに作ったばかりの新人開発レーベルARCと契約させました。そして芸名を仇名のディーノとしました。この名前は叔母が交通事故で死んだボーイフレンドにエウジニオが似ていたので、その名前を彼に仇名として付けたと言われています。
64年ロークスのシェル・シャピロ(Shel Shapiro)作曲、エンニオ・モリコーネ編曲の"過去の友情(Eravamo amici)"でデビューしました。なんとこのデビュー曲は第3回カンタジーロ・ジローネBで2位となり年間ランキング36位の大ヒットします。
AN-4005 (1964年 ARC - RCA Italiana) Eravamo amic (過去の友情)/Così come sei
AN-4005
AN-4023
AN-4023 (1965年 ARC - RCA Italiana) Te lo leggo negli occhi/Cerca di capire
65年になり2枚目のシングル"Te lo leggo negli occhi"はローマの第1回バラのフェスティヴァルで第3位、これが年間ランキング31位になり、3枚目彼の代表作ともなる"コンパスの踊り(Il ballo della bussola)"は第4回カンタジーロ・ジローネAで9位となり、年間ランキング43位になりました。B面はライチャス・ブラザーズの"フラレた気持"イタリア語版です。
AN-4044 (1965年 ARC - RCA Italiana) Il ballo della bussola (コンパスの踊り)/Ma c'è un momento del giorno (YOU'VE LOST THAT LOVIN' FEELIN')
AN-4044
AN-4060
AN-4060 (1965年 ARC - RCA Italiana) Sai sai sai/Il ragazzo di ghiaccio (氷の少年)
65年(最後の)3枚目"Sai sai sai"は年間ランク95位に入り、出したシングルすべてランク・インするヒットになりました。このシングル両面とも映画に挿入された曲です。しかし66年に入ると年間ランキングに入るヒットはピタッと止まってしまいます。66年のカンタジーロ・ジローネにはポール・アンカの書いた"ぼく以上の人 (Chi più di me (CAN'T GET ALONG VERY WELL WITHOUT YOU))"が8位になった曲と年末のカンツォニッシマ「王の階段」(Scala reale)で歌った"Piccola mia piccola"を出しました。
67年も2枚のシングル盤を出しています。1枚目がカンタリーロ・ジローネAで4位になった"昼に目覚めて(Io mi sveglio a mezzogiorno)"とスティーヴィー・ワンダーの"太陽のあたる場所(A place in the sun)"のイタリア語カヴァー"Il sole è di tutti"でした。この"太陽のあたる場所"は久々に67年年間ランキング88位、同68年74位に入るヒットとなりました。
カンタジーロには常連のディーノですが、この勢いで68年サンレモ音楽祭に初出場しています。日本ではサンレモ音楽祭に出場していないとなかなか国内盤が発売されず、ディーノもサンレモ音楽祭に出て年間ランキング52位になり、初めて日本にも紹介されました。しかもウィルマ・ゴイクのパートナーとして"ささやく瞳"を歌ったこと、その後トム・ジョーンズが英語でカヴァーし世界ヒットになったのも幸いしたと言えます。
翌69年の夏にディスク・フェスティヴァルには"シモーネ・シモネッテ(Simone Simonette)"を歌ったものの入賞できず、復活の波に乗り切れませんでした。もう1枚シングル盤"Bye Bye City"はフランスのピエール・グロコラの曲でした。この後しばらくシングル盤を出さず、71年にレーベル変更でRCAイタリアーナから"Notte calda"を出します。極めて民謡色の濃い曲、B面がロネッツの"ビー・マイ・ベイビー"とチグハグ感のあるカップリングです。これを最後にRCAイタリアーナを離れ、アリストンに移籍します。
アリストンから72年"Che strano amore"、73年夏のディスク・フェスティヴァルに"テレーサのほほえみ(Parla chiaro Teresa)"で参加しました。彼のレコード・リリースの最後となりました。その後石油会社の幹部になりましたが、オイル・スキャンダルに巻き込まれ、80年代になって芸能界に復帰しています。
ディーノの国内盤
SS-1804 (1968年5月5日 RCA - 日本ビクター) ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI) /パッサーノ(PASSANO I)
SS-1804
SR- 829
SR- 829 (1973年8月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 夏のディスク・フェスティヴァル1973 (UN DISCO PER L'ESTATE 1973)10. テレーサのほほえみ (PARLA CHIARO TERESA)
KICP- 61 (1990年8月21日 SEVEN SEAS - キング) CDサンレモ・ヒッツ・コレクション (C'ERA UNA VOLTA DI FESTIVAL)11.ささやく瞳 (GLI OCCHI MIEI)
KICP- 61
FKCP-30739
FKCP-30739 (1997年 SEVEN SEAS-THE CD CLUB - キング) CD 想い出のヨーロピアン・ポップス (EUROPEAN POP HITS) 特販物
20.
ささやく瞳
(GLI OCCHI MIEI)
BVCM-37063~72 (2000年3月23日 RCA - BMGファンハウス) 10 CD Boxエンニオ・モリコーネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES)6-19.氷の少年 (IL RAGAZZO DI GHIACCIO)
BVCM-37063~72
BVCM-37154~5
BVCM-37154~5 (2000年8月23日 RCA - BMGファンハウス) 2CDザ・ヴェリー・ベスト・オブ・エンニオ・モリコーネ (ENNIO MORRICONE CHRONICLES)1-8.氷の少年 (IL RAGAZZO DI GHIACCIO)
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