TOKER’S PARK

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前向きに諦める




 僕が好きな言葉のひとつです。

 諦めるというと、なんだか駄目なような気がします。けどただ諦めるのではなく「前向きに諦めるの」です。

 なんでもそうですが、ある程度のところで妥協することが大切だと思います。研究職などの職業は諦めたらお終いですが、それ以外については言える事だと僕は思うのです。

 僕はすべてのこと(単純な事から世界の真理まで)について答えは出ないと思っています。答えが出たと思っても、それは答えが出たと思い込んでるだけだと思ってるからです。ここでひとつ例を挙げて説明しましょう。

 上の記述を読んだ時に『「1+1=2」は答えが出てるじゃないいか!』と思った方もいるかもしれません。しかし、よく考えて下さい。


 「1」って何ですか?
 「+」って何ですか?
 「=」って何ですか?


 ということをもう一度よく考えて下さい。もしかしたら説明出来る方もいるかもしれません。しかし、もっと考えて下さい。その事を説明する時に使う「言葉」、いま僕が使っている、もしくは書いている「言葉」、皆さんが普段使っている「言葉」、というのを説明出来る人はいるのでしょうか?

 いま使っている言葉は生まれた時から存在したもので、多少新しい言葉も増えましたが基本的にはかわっていないと思います。かわっていたとしても日本語なら「あ~ん」の50音、英語なら「A~Z」の26音はかわってないはずです。それをひとつずつ説明することが出来るでしょうか?

 このように「そこに在るからあたりまえ」ということで説明できないことってたくさんあると思います。もうひとつあげるなら、いま皆さんが読んでる文字は白だと思います。というか白のはずです。しかしその「白」という色はあなたにとっては「白」かもしれませんが、他の人にとっては「黒」かもしれないのです。なぜなら、あなたはこの色を「白」と教わっただけで、周りの人が見てる「白」とあなたの見ている「白」は言葉は一緒でも、見えてる色は『違う』かもしれないからです。

 しかし残念ながらこのことを確認する手段は僕の知る限りないです。しかし重要なのはそこではありません。そういう矛盾だらけの世界で僕逹は生きているということなのです。つまり僕逹が生きていること自体が「前向きに諦める」ということなのでしょうか?

 だからといって皆さんが抱える惱みなどが解決するわけでもありません。しかし「生きる」という根夲的なところですでに解決することのできない「惱み」を抱えているのです。このことで惱んで自殺を考える人はあまりいないでしょう。僕の場合でいえば、このようなことで惱み、本気で自殺を考えました。けど今は『前向きに諦め(る)』て楽しく人生を送っていなす。

 皆さんもいま抱えている惱みなどをそんなに深刻に考えなくてもいいのではないでしょうか?もちろん悩むことは大切ですから、最初から惱むなと言っているわけではありません。ある程度のところで「前向きに諦める」ということも大切なのではないか!っということです。

 「生きる」ということは惱みの絶えないです。人はみな少なからず惱みを抱えて生きていくものです。けどすべての惱みは、上記したことのように突き詰めるとこまで突き詰めたら答えは出ないのです。


 「前向きに諦める」


 この事を心において生きてゆけば楽しい人生が送れるはずです。

 保証は出来ませんが、あとはあなた次第だと思います。






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