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オマーンへの旅、かかった費用を紹介しましょう。飛行機代 1500リアル=45000円 バーレーン ー マスカット往復ホテル 500リアル=15000円 高級ホテル1泊ホテル 30リアル 9000円 高級バックパッカーホテル2泊市内ツアー3時間 10リアル 3000円ニズワツアー1日 35リアル10000円食事と飲み物 20リアル 6000円合計 8万8千円 でした。蘇州からハルピンの旅、桂林の旅が、同様に3泊程度でも、3~4万円ですから、ここは割高です。特に飛行機とホテルが高いです。しかし、日本から、ドバイまでの格安航空券ならば、5万円台で来られるそうですから、サウジからの旅と、日本からの旅も、そんなに変らない費用で旅する事が出来そうです。オマーンの物価は、概ね下記より想像願います。サンドイッチ 0.2リアル 60円インド朝食 0.8リアル 240円ミネラルウォーター 0.2リアル 60円コーヒー 0.2リアル 60円生ビール 1.5リアル 450円マッサージ 5.0リアル 1500円スケベマッサージ 30リアル(一晩) 9000円インドの唄とダンス 1.1リアル 330円(ビール1本付き)オマーンの見所ですが、オマーンの首都、マスカット周辺であれば、 1日目 マスカットの街 見学 2日目 ニズワ方面ツアー 3日目 砂漠ツアー 4日目 バディナ平野ツアーのように、4日あれば、充分であろうかと思います。4日目は省いても構わないと思います。これで、オマーンは充分に知る事が可能です。もっと時間があれば、南部の街、サラーラへ行く程度でしょう。国土は、日本の4分の3程ありますが、人口230万人、シンガポールより少ない人口です。あまり日本人は行かない国ですが、一見の価値ありです。これで、オマーンの旅、レポートは最終回でした。最後に、オマーンの剣を掲載致します。先っぽが曲がっているのが特徴。
2007.03.21
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オマーンでは、本格的なアラブ家庭料理を食べたいと思っていました。街の食堂へ行けば、それを食べられると思っていました。しかしながら、どこもインド料理が多く、アラビア料理に行き着きません。そこで、ガイドのアジズに、「アラブ料理が食いてー」、と言ったら注文してくれたのが、これです。これって、油っぽい、炒飯じゃーないの? ほんとに、アラブ料理?ほんとか、どうか分かりません。何せ、奴は、兄弟と甥も同じえであり、日本は中国の一部と思ってる奴ですから。それから、食事後、こう言うのが出て来ました。何の為か、分かりませんが、アジズが食事の後、これを食べてました。僕も真似して食べて見ましたが、味もなく、うまいものでもなく、カラがあるので好んで食べたいとはい思わない代物です。アジズは、嬉しそうに食べたけど、あっしは、小鳥でもネズミでもねー!っつーの!これは、屋台で売っているサンドイッチです。清潔かどうかは問題ですが、味はよろしいです。0.2リアル、60円です。そして、これがインド料理の朝食。外のテーブルで、空を見ながら食べました。これも、おいしかったです。これが、全部で、0.8リアル。240円。中国に比べれば、どえらく高いですよね。それに中華料理に比べてうまいものでもないし、やはり同じアジアでも、東アジアは、東アジア同士ですかね?
2007.03.20
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又々、ガイドのアジズの話です。子供は何人だとか、奥さんが何人だとかの彼の話を聞いたあと、彼は、日本は、子供を一人しか持てないし、寂しいだろう? とか言うのです。で、いや、少なくなったが、平均1.3~1.4人だよ、と答えると、どうも質問と答えが合致しないような雰囲気であったのです。続いて、彼は言うのです。子供を一人以上持つと、お金が必要だろう? と。それは、当然一人より、二人の方がお金はかかるけど、税金は安くなるし、あんまり問題だとは思わないよ、と答えると、やはり雰囲気がおかしい。この辺りから、どうも何か間違えているのじゃーないかなー、と思い出した。色々と、聞いていると、何と、日本は中国の一部だと認識している模様。日本も、その程度の認識なのですねー。驚きました。結構、世界へ出かけている僕らも、オマーンが地図上のどこにあり、タンザニアが地図上のどこにあるかさえ、定かでないので、アジズの事を、批判出来る立場にありません。日本は、中国の一部、 う~ん、ちょっと残念だな。
2007.03.20
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オマーンは、サウジアラビアと同様、イスラムの国であり、昼寝の国であるのでお店やレストランも午後、16時頃まで、閉じている店が多い。そんな午後、開いていた青空レストランで、遅い昼食を食べ終え、海辺を歩いてホテルへ向かう途中です。こんな海岸を歩いていました。色の黒い、青年のように見える男性が、一人ぽっちで、海を見ていました。僕もつられて、同じように海を見つめました。すると、暫くして、青年が、「魚! 魚!」と、海を指差すではないですか?何かと、思って目を凝らすと、確かに透き通った海水の海面、及びその下を魚の群れが泳いでいました。それを機に、彼と少し話しをしました。そしたら、何だか可哀相になってしまったのであります。彼は、料理人らしいですが、今日が1週間に一度の休みだそうです。インドから来て、ここで働き初めて8年になると言います。そして、妻も、彼女もいないと言うのです。そして、今は、35歳になったと言います。外見は若そうでしたが、もう既に、とっくの昔に、青年の時期は過ぎてしまっています。と言う事は、27歳で、オマーンへやって来て、ずっと一人ぽっちで、働き、休みは海を見つめて8年もの長い間、ここに住んで来たのです。彼は、何を考えながら、海を見つめていたのだろうか?僕たちにも、不満や文句もありますが、こう言う場面に出会うと、今の時代の、日本に産まれて幸せだよなー、としみじみと思います。
2007.03.19
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バハラァ・フォートでは、工事中で見られずがっくりして、今度はあまり期待もせずに、バハラァ郊外にある、ジャブリン城へ行きました。全く、200キロも車で走って、アラブトイレ見ただけか? と思いつつ。しかし、このジャブリン城、仲々、見ごたえのある、美しい城でした。大きいので全景を撮れませんでしたが、こんな城です。12m×43mあるそうです。3階建ての階段を登ります。急で登りにくいです。これが、壁です。分厚いですねー。各部屋は、お祈り室、台所、貯蔵庫、談話室、勉強室などなど、色々とあり、特筆すべきことは、涼しいのです。外は物凄く暑いのに。工夫されているのですね。そして、屋上へ上がりました。ここからの眺めが、抜群です。中東では大切な食料と言う、デーツが採れるナツメヤシの栽培ですね。そして、砂漠、オアシスの街、山々も見えます。ジャブリン城でした。
2007.03.19
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オマーンの世界遺産の、バハラァ・フォートを見られず、残念無念と思っていたら、トイレに行きたくなった。近くにありました。これが、アラブトイレであります。この壷に水を入れて、左手で洗うのでしょう。きっと。見たことないので本当かどうか、分かりませんが・・・。たぶん、そうでしょう。マレーシのトイレも同じようなものでした。壷ではなく桶でしたが。会社のトイレも、同じです。桶や壷がなく、ホースがついています。これが、そうです。オマーンのバハラァより、さすが会社のトイレは綺麗です。ネパールから出稼ぎにきた、マラ君が、毎日、毎日、掃除をしていますので、ピカピカです。アラブトイレは、水洗式だから、身体にもいいですよね?
2007.03.18
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ニズワの街を通り過ぎて、バハラァにやって来ました。世界遺産の、バハラァ・フォートがある街です。オマーン版万里の長城が12キロもあると言う。期待して居眠りから覚めた目を輝かせていたのです。これが、外観です。し、しかしながら、なんと、工事中で中に入れないと言うじゃーありませんか!ふ、ふざけんな! と怒鳴りたいところではありますが、ガイドのアジズのせいじゃない。入れない、と言う、アジズの言葉を振り切って、中へ入って見ました。こんな建物です。しかし、これは外周の建物で、中は本当に工事中で見学は無理。仕方なく、咲いていた花をカメラに納めて外に出ました。バハラァ・フォートから、外を見た景色です。バハラァ・フォートの外観です。ここが絵葉書などになっています。バハラァ・フォートに来た証拠写真です。と言う事で、世界遺産の中を見られず、トボトボと立ち去ったのでありまする。
2007.03.18
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真面目そうであるが、いい加減なガイドのアジズは、な、何と、オマーンにコをつけた言葉を知っていたのであります。ちょっと書きにくいので、「オマーンにコ」を付けた言葉と書きますが、どうして知っているのでしょうか? これは、助べえな日本人の誰かが教えたのに、違いありません。え? 何故、それが分かったか? ですか?あ、あの、その、それは、そのー、一応ですね、日本の裏言葉としては、結構、有名な言葉ではないですか? 皆さんも知ってますよね?そ、それで、アジズの前で、ちょろっと、言ってみたのです。そのオマーンにコを付けて。そしたら、いつもはゆったり目の、アジズの目が、キョロっと動いて、ちょろっと言った、その言葉を見逃さなかったのです。全く、素早いですねー、そう言う言葉に。参りましたよ。全世界、助べえはいるものです。で、奴は、アラブ語で何と言うか、教えてくれました。こちらの言葉で、「ニョニョ」と言うらしいです。日本でも、ボボとか、メッチョとか、各地で色々と呼び名があるらしいですが、「ニョニョ」も、何となく、それらしいですね。良く見たことないので分かりませんが。と言うことで、本日は、あの言葉でした。
2007.03.17
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ツアーガイドのアジズ、2日目も約束通り、ホテルへやって来ました。背が高く、首も長く、アフリカ系じゃないのかなー? と感じたので聞いて見たら、タンザニア出身だと言う。兄弟を連れて来たと、似てない弟を紹介された。真ん中がアジズです。いい加減な奴で、弟にしては、どうしても似てないから、詳しく聞いてみたら、弟でなく、甥らしい。奴にしてみれば、弟も甥もおんなじとのこと。いずれにしろ親戚だよ、ってなもんです。細かいところに拘らない、すごい奴だ。こいつ、真面目そうなのに、奥さんは二人いるらしいのです。一人は、オマーンで子供6人。一人は、タンザニアで子供2人。それで、奴の月収は、たったの、170オマーンリアル。日本円では、5万円程度。これで、2家族の生活費の面倒が見られるなんて、すごいことですねー。その程度なら、僕だって、5年分以上持ってまっせ!オマーンに移住して、モスリムに改宗して、奥さん4人貰って、4家族面倒見て、優雅に暮らすかなー? サウジでしっかり稼げば、夢でもないかも?如何ですか? 皆さん! 1000万円持ってくれば、奥さん二人、子供8人抱えて、15年は生活出来ますよ!
2007.03.16
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昨日のツアーガイド、タンザニア出身のアジズに、本日もツアーを頼みました。ダイビングに行くか? 砂漠を見に行くか? 内陸部に行くか? この3箇所がマスカットから郊外のツアーであります。ダイビングは用具を持参せず断念、砂漠はいつでも見られる故、優先順位は低い。よって、内陸部にした。バティナ平野の奥、マスカットから、200キロ弱の所に、ニズワと言う都市があります。さらにその30キロほど行くと、バハラァと言う街があり、ここには、世界遺産に登録された、バハラァ・フォートがあると言う。そして、さらに少し先に、美しいジャブリン城があると言う。それらを、見に行く事に致しました。こんな所を走ります。行けども、行けども、こんな景色です。山はあるものの、はげ山です。たまに、オアシスなのか、こんな風景もありました。な~んにもない、こんな所に、急に街が現れます。モスクもありました。ニズワは、まだまだです。マスカットから2時間以上かかります。車の中は、クーラーも効いて、いい気分、景色にも見飽きて、心地よい居眠りの中に、入り込んだのであります。
2007.03.16
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マトラにも、夜がやって来ました。ご存知の通り、サウジアラビアの夜は、面白くも何ともなく、外出もほとんどしないのが普通です。特に僕の住むジュベールは工業地区であり、近隣のアルコバールや、ダンマンなどにも比べて、ショッピングセンターもなく、サウジの東海岸地区でも、さらに面白くない街なのです。で、オマーンでは、飲めると言うビールを求めて、街を、彷徨い始めたのでありました。しかしながら、数あるレストランを廻ってもビールの置いてある所はありません。聞いてみると、やはりここはイスラムの国、外国人が宿泊するホテルにはあるが、普通の食堂には、ビールも置いてないようなのであります。止む無く、高級バックパッカーのホテル、マリーナホテルに戻りました。すると、何と、屋上に素晴らしい眺めの、レストランがあるのです。見てください! これが夜景です。ここで、僕はツボォルグを、相棒は、ハイネッケンを頼んで飲みました。う、うまい! 何とも、うまい! 夜景も綺麗! 相棒が男(コレが唯一やるせない)西欧のカップルや、リタイヤしたと思われる、老夫婦が、ゆったりと食事してます。この夜景を見ながら。ビール2杯飲んだら、良い気持ちになってしまい、ワインまで頼んでしまった。そしたら、ベロベロに酔っ払ってしまったのであります。それでも、夕食は食べる意欲は充分で、近くのレストランへ出向きます。インド料理だろうねー? これ?酔いすぎて、その後は、どこへも行かず、独り寝のベッドへ直行でした。
2007.03.15
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マスカットには、前回紹介したように、高級リゾートホテルも、高級シティホテルもあります。しかし、本格的なと言うか、超安いバックパッカーの宿は見当たりません。バックパッカーの宿の定義として、僕は、宿泊料は1000円以内で、トイレ、お湯シャワーが出るホテルと、規定しています。しかし、マトラ地区には、安宿があります。下記がそうです。 * ナシームホテル (Naseem Hotel) * ミナホテル (Mina Hotel) * コルニーシュホテル (Corniche Hotel) * マリーナホテル (Marina Hotel) * アルファナルホテル (Al・Fanar Hotel)大体、15オマーンリアル程度、約4500円前後で宿泊可能ですが、アルファナルが一番安く、2500円で泊まったと言う、バックパッカーに会いました。ここマトラは、マスカット市内から、10分程度の海辺にあり、海沿いにお店や、ホテルが立ち並んでいます。リゾートではない、雑多な雰囲気を持った街である。マリナホテルに、2泊しました。このホテルです。どうですか? 別に悪くはないでしょう?部屋は、こんな感じです。ベッドは、二人で寝るには大丈夫ですが、如何に愛し合っていても、一晩、一緒に眠るには、ちと無理がある程の横幅です。(意味、分かるかなー?)一応、テレビもあり、300チャンネル位映ります。そして机もあります。一泊目の、Holiday Hotel の三分の一の価格ですから、勿論プールはありませんし、ロビーなど狭いですが、目的に応じて宿泊可能だと思います。
2007.03.15
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シャングリラホテルは、完璧なリゾートホテルです。マスカットの街から、マトラの浜辺を通り抜け、さらにオールドマスカットも通り抜けて、車で走ること、およそ、20分の高台にあります。ここはホテルの50m手前からの風景です。ホテルへ入ってロビーを通り抜けると、こんな所があります。さらに降りて行くと、プールがあります。水着の女性が沢山いたので、写真は遠慮しましたが、プールから海を見た所です。まだ高台です。そして、ホテルのプールから、坂道を降りて少々、プライベートビーチがあります。ここは、全くのプライベートビーチであり、客以外は入れません。え? じゃ、何であんたは、そこにいるの? だって?そこは、ほら、外見が、Luxuryですから、客に見えるのですよ!もう一枚、写真をお見せします。ここは、たぶん、1泊、3万円~4万円程度ではないでしょうか?ま、安いですよね? こんな豪華なんですから。金持ちの彼氏か、天国へもうすぐ行きそうな、お金持ってても使い道のない、おじいさんかに、連れて来て貰って下さいな。じゃーねー。
2007.03.14
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ミラニ・フォートと、ジャラリ・フォートは、オールドマスカットにあります。王宮の後ろのそびえるこの砦が、ミラニ・フォートです。最初オマーン人によって作られたものの、トルコ軍に破壊されてしまい、その後侵攻してきたポルトガル人により、現在の原型が作られ、1610年までに、何度となく増改築が行われたそうです。これが、ジャラル・フォートです。湾を隔てた向こう側にあります。これも、1500年代に建てられたようです。長年、牢獄としても使われていたとか、怖い!ミラニ・フォートの下から、海のすぐ側まで行けますが、あまりに透き通った海水に驚いてしまいました。海の底がばっちり見えます。この辺りの海は、砂漠で雨が降らず、川の水が入って来ないからか、本当に澄んでいて綺麗です。中国とは大違いです。ここなら、潜って見たいですねー。
2007.03.14
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魚市場、マトラ・スークの後、オールドマスカットの、アラム・パレスにやって来ました。こんな広場があります。パレスと言うから、宮殿でしょう。今も王様が住んでいるのか、聞き忘れました。近くの砦には、軍隊がいると聞きましたので、いつもいるかどうかは定かでないものの、使ってはいるのでしょう。この国の建物は、白が多く、色があったとしても、薄いブラウンです。このように、青や、黄色の建物は珍しいです。さすが王宮。廻りには、こんな山があります。見張り台や塀になっています。今回はこれまで。続く。
2007.03.12
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魚市場を後にして、マトラ・スークへ行く。スークとは、アラビア語で、市場と言う意味らしい。定期市もスークと呼ぶらしいが、ここは、常設店舗が並んだスークであります。ちょっと暗いですが、ここがマトラ・スークの一部です。銀製品や土産物、茶道に使えるようなお香、香料も沢山売っています。それから、短剣(ハンジャルと言うらしい)を売っているお店、アクセサリーのお店も多い。僕のブログ名通り、ブラブラ歩いていると、美しい女性用の服のお店に出当たりました。こんな服を売っています。仲々、美しいですよね? こんな服もありました。で、バーレーンでは、アラブパンツが買えなかったので、ここで買えないものかと、探して見ました。しかし、アラブパンツは、見当たりません。ひょっとして、アラブの女性は、パンツを穿かないのでしょうか?それにしても、派手な服装ですよねー! 真っ黒の服と覆面の下には、こんな派手な服を着ているのですね。驚きました。こう言うのもありましたが、これをアラブパンツとは言いませんよね?下着ですかねー? いや、キンキラしたのが付いていますから、これって、パーティ用でしょうか? 良く分かりません。結果、あんこぱんつさんへの、お礼の贈り物が、まだ買えません。残念です。そんなこんなで、ブラブラと、マトラ・スークを歩いて見たのであります。
2007.03.11
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朝早起きして予約したツアーの担当者を、高級ホテル、Holiday hotel にて、待ちました。半日市内ツアー4時間、1名当たり10オマーンリアル(約3千円)と言う事で手を打ったツアー会社であります。約束の時間、9時をそれほど待つことなく、背の高い、白いアラブ服を着たおじさんがやって来ました。説明を聞けば、いつの間にか、市内ツアー4時間が、3時間になっていた。しかし相棒が、了解してしまったので、3時間ツアーに変更。価格は変わりなし。何だか少し、騙されたような気分になったが、勇躍、ツアーに出発。まず、マトラと言う街に向かう。マトラは、海辺に位置した町である。その街の北側には、魚市場がある。船で荷揚げした魚が、そのまま市民に売られる。その魚市場見学が、ツアーの最初の地である。こんなデカイ魚を売っています。これは、マグロ? キングフィッシュとか言ってました。市場の隣は、海です。魚を捕った船がここに来ます。その隣には、野菜市場もあります。ここで食べ物は全て買えそうであります。便利ですね!オマーンまで来て、魚市場を見学するとは思いませんでした。銚子の魚市場に比べたら、規模が小さくて比較になりません。しかし、売っている人や、買っている人たちは、皆、白装束で、異国情緒はあります。とにかく、ツアー初日、まず魚市場から始まりました。続く
2007.03.11
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オマーン3日間の旅、からサウジへ帰国しました。大変、充実した旅でしたが、その内容については、おいおい記載します。本日は、オマーンのマスカット空港から、バーレーンへ一っ飛びの予定でした。しかしながら、マスカット空港に行くと、予約購入済みの、GF153が見当たりません。ここ湾岸では、超有名なガルフ空港です。幾度探せどありません。止む無く、インフォーメーションへ行って綺麗なお姉さんに聞くと、取り合えず、チェックインカウンターへ行って下さい、とのこと。何やら分からず、厳重なセキュリティチェックを通って、ガルフのチェックインカウンターへ急ぐ。するってーと、その便はキャンセルされました、とのこと。おいおい、勝手にキャンセルするなよ!と、むかっ腹立てた顔をすると、そこは、化粧濃い目の綺麗なお姉さん、冷静にガルフインフォーメーションで対処しますので、そちらへ行って下さい、と笑顔で説明してくれたのです。そっちへ行くと、何やら、諸々、色々とやっていましたが、良く分からず、暫く待つ。勝手に予約飛行機をキャンセルされたのだから、インターコンチ程度のホテルに夕食とビール付き位は、ガルフに出させて、明日の便で帰ろう、などとこちらも勝手に思案していました。そうこうしている内に、チェックインカウンターの偉そうな担当がやって来ました。別の便を手配出来た、とのこと。残念ながら、インターコンチと夕食とビールには、有り付けなかったが、バーレーンへいけることになったのであります。この飛行機で帰りました。バーレーン空港です。何故、キャンセルされたのか、説明もありませんでしたが、多分、客が少ないので、勝手に客にも連絡なしにキャンセルしたものと推定致します。お陰さまで、パキスタンからの集団労働者が乗る飛行機となり、異様な雰囲気を味わいながらの1時間20分の空の旅でした。
2007.03.09
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ジョホール水道。マレーシアとシンガポールの間にある、航路です。ここを渡ったのが、先週の12日。車とか、列車で渡るのでは、面白くないので、歩いて渡って見ました。マレーシア側から行きましたが、車は左側の路線なので、左側を歩いて行きました。こんな国境です。シンガポールが見えます。しかし、歩くところ、歩道がありません。怖いなー!と思いながらも、端を歩いていったのです。バイクも車も、ガンガン走り去ります。反対側の車線の端には、歩道があるようで、シンガポール側から、結構多くの人たちが歩いて来ます。そしてシンガポールに近づくと、制服警官が2名、近づいて来ました。えぇ「何だよ!」不法侵入でも何でもないのですが、何だか不安です。「道に迷いましたか?」礼儀正しく、聞いて来ましたが、こんな1本道で道に迷う訳ないじゃないか?「あちらの歩道を歩いて下さい」と、二人が、僕の腕を取り、ビュンビュン走る車を全部止めてくれるのです。さすが、ポリス! と思いながら、無事、反対側へ移動出来た次第です。 親切なポリスさんでした。
2006.08.20
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東京へ帰りました。我が6畳間からであります。昨日は、完全休養だったので、ホテル近辺のナナ駅廻りを散歩して見た。日本食を食べたいと言う希望もあったのであります。結果、ナナ駅付近には、日本食レストランは見つかりませんでした。その代わりに、アラブ人ばかりで、お店もそのようなお店ばかりの地域がありました。なが~いパイプを使った、水タバコと言うのでしょうか? 水タバコ喫茶のようなお店までありました。感じた事ですが、僕はアラブ諸国へ行った経験がないのですが、何だか、不気味な感覚を受けました。女性が顔を隠したりしているからではなく、多分、人種の違いからではないかと思います。ここを、アラブ人街と言うのであれば、日本人街は、タニヤであろうか?日本人街は、カラオケ店と、マッサージ店がほとんどで、まるで売春街であります。しかし、アラブ人街には、そのような雰囲気はありません。これも人種の違いなのか? 日本人だけがスケベじゃないから、どこか別の場所があるのだろうか? 分からんけど、人種や宗教の違いは、垣根があるなー、と思った次第です。どうかなー
2006.08.15
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いよいよ、長期の旅を終えて、帰国の途に着きます。帰国したら、無償で行うと約束した仕事が待っています。たぶん、1週間掛からないで、完了するとは思いますが、4ヶ月半も、プラプラと気楽な旅を続けてきたので、8時間もの緊張を持続出来るか、心配です。中国留学の為に、受診した健康診断書も取りに行かねばならないし、留学の為の、何とかビザ、Xビザだったかなー? それも取らねばならないし、結構、忙しい。前回、帰国した時に、留学許可証とか、ビザ申請に必要な資料が部屋に見当たらなかった。狭い部屋なので、ないはずはないのですが、なかったのです。もしないと、ビザ申請が出来ないので、問題あり。移動移動の毎日なので、無くし物が多い。マレー鉄道のチケットはどこへ行ったのか?結局、出て来なかった。さて、それでは、日本でお会いしましょう
2006.08.15
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昨日、シンガポールからバンコクへ移動。本日は、バンコクにて完全休養。ホテルは、BTSのナナ駅から歩いて1分の好立地。THAI HOUSE と言って、700バーツです。一応、エアコン、ホットシャワー、トイレ、冷蔵庫、洋服タンスも揃っています。若干、古い感じなので、豪華好きの方には、向かないでしょうが、安く旅をしようとするには良いホテルです。インターネットも使い放題でただです。但し、ロビー兼用の食堂に1台あるだけなので、誰かが使っていたら使えません。しかし、本日は、いつでも、使う事が出来ました。午前中は、部屋でゆったりと中古小説を読み、昼食に出かけただけ。夕食は、今から出かけます。明日は、日本へ帰ります。4月初旬から、四国歩きお遍路、タイ、ミャンマー、カンボジャ、ラオス、マレーシア、シンガポールと、4ヶ月半続けた一連の旅も、明日で、一旦は完結です。こんなに長く、休んで旅したのは、生まれて初めてであり、今後、又仕事に立ち向かって行けるかが心配であります。色んな人と出会い、色んな国、色んな土地を見られて、大変幸せであります。行ったから、見たからどうだ? と問われても、何とも答えようがありませんが、頭の中に、東南アジアの地図が入り、世界が少し、小さくなったような気がします。反面、知らない事が多いなー、もっと色んな事を勉強して知りたいよなー、と言う気持ちもあり、複雑であります。明日は、5時半ホテル発。名残惜しいですが、仕方ありません。
2006.08.14
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予定ではジョホールバルからクアラルンプールへ戻り、飛行機でバンコクへ移動するつもりでいましたが、シンガポールーバンコクの方が飛行機代が安いため、急遽予定を変更してシンガポールに一泊。ここには先輩がとある会社の副社長をしているので、連絡したところ、入っていた予定をキャンセルしてまで歓待して貰いました。家に招待してくれて家庭料理をご馳走になりました。奥様は当地で色んな習い事したり、充実した毎日を送っているとの事で、羨ましい限りであります。中国の大亜湾で働いていた、中国系シンガポール人も帰国しており、その人にも会えました。又インド系シンガポール人(女性)の友人にも会えました。この人は数年前に結婚したのですが、もう既に別居しているとの事で、悲しい知らせでありました。本人は未練があるようで、離婚に同意していないようですが、聞いた限りにおいては、復縁は難しいようです。シンガポールは物価が高く、期待したゲストハウスは全て満員で、結局、日本円で1万円近いホテルとなってしまいました。シンガポールは、バックパッカーにとって、長く居られる国ではありません。今は、タイエアーアジア航空に乗って既にバンコクへ移動し、ホテルで書いております。この航空会社は格安で有名です。飛行機代はたったの、3000円で程度。シンガポールのTAXの方が高くて、3700円もします。合わせて6700円。安いですねー。しかし安いだけあって、機内のサービスは、な~にもなし!水さえ出ない。座席も指定なし。好きな席に早いもん順に座っちゃう。しれでも良いですね、何しろ余分なサービスなくして安いのですから。
2006.08.14
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マレーシアのジョホールバルで、足裏マッサージに行って来ました。今まで、どこへ行っても、時間がある限りマッサージには行っていましたが、足裏マッサージに関しては、ここジョホールバルが最高であると思っていました。で、試しに贅沢ですが、タクシーを飛ばして以前行ったお店に行きました。所が、そのお店はもうありません。残念! と帰ろうとしたら、同じ通りに似たようなお店があったので入って見ました。40分25バーツ(750円)、1時間35バーツ(1050円)。閉店時間ギリギリであったので、40分コース。以前は、すべて1時間で40分などはなかったのに、どうして増やしたのかなー?それで、この手で揉んでくれます。効くと言うか、痛いと言うか、とにかくマッサージをしていると、強く感じます。タイの足裏に比べると、僕はずっと良いと思います。痛いけど、終わったあと、おー!効いた! と感じて来ます。因みに、僕の足は、サンダルの帯の通りに日焼けしております。
2006.08.13
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I am now staying at Changi Airport in Singapore.I moved from Johor to Singapore yesterday. Free internet can be usedhere, but you can not input in Japanese. It is not useful for Japanese.I stayed here only one night. However I could meet my friends.A Japanese who is senior to me invited me to his house.I will write again because hree internet can be on only 15 minute.The power will be off soon.
2006.08.13
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マレーシアに来たなら、「肉骨茶」、これを一度は食べて見て欲しい。「おぉ!これはうまい!」 って言う感じはありませんでした。始めは。どっちかと言うと、「何じゃ? この味は?」と言うような感じであります。ちょっと、薬臭いと言うか、漢方薬の何かが入っているような味なのです。でも、食べていると、回数を重ねると、この味のとりこになって来ます。マレーシアに居た時、3日に1回は、昼食で食べていました。仲間の一人は、この匂いが嫌いで、最後まで食べられなかったものです。こう言う看板が出ています。土鍋に、ご飯と非常にシンプルです。土鍋だけアップにして見ました。見た目もおいしそうではありませんね?肉骨茶は中国系の人が食べます。元々は、中国から、苦力として連れて来られた貧しい中国人が、食べるものもなく、ご飯に豚の骨を入れて食べた朝食であると聞いたことがあります。家庭料理だったのですね。この肉骨茶は、バクティと呼びます。中国語の方言でしょう。味も各お店によって、多少の少程度、異なるのですが、この少が大きく影響します。肉骨茶の食堂が、2軒並んでいたとします。こっちの方がちょっとおいしいなー、と思っていたら、客の数が全く異なり、しばらくしたら、ちょっとおいしい方は大繁盛で、そうでない方は、お店をたたむ始末でした。この写真のお店は、そんなにおいしくなかったです。専門店でないので仕方ないですが、おいしい肉骨茶を食べて見たいものです。「肉骨茶」なので、本来は、急須に入れたお茶と、お猪口のような小さな器が出て来て、お茶を飲むはずなのですが、それさえもなかったです。僕は中国本土で、この肉骨茶、お目にかかった事がありません。
2006.08.12
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2006年8月11日 ジョホールバルに来て、市内のど真ん中の安宿、70リンギット(2100円)に泊まったら、車の音がうるさくて、眠りにくく、且つ、あまり清潔でなかった。で、市内の外れ、と言っても、10分も歩く程度ですが、トロピカルインと言う古くからあるホテルに移動しました。125リンギットで朝食付きです。品質、価格、サービスからして、こちらがお得でした。内装をし直したのか、仲々、綺麗なものであります。そして、眺めが素晴らしい。ジョホールバルの高層ビルの谷間から、ジョホール水道が見えて、その向こうにシンガポールも望めます。夜の夜景も綺麗です。写真写りが悪いですが、実際はもっと美しいです。今夜は、カーテンを開けたまま、この夜景を見ながら、眠ることにします。では、おやすみなさい。
2006.08.11
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田中光二の『大密林』―母なる森の血よ、を読む。たまたま、バンコクBTSのプロンポーン駅にある古本屋で見つけたのがこの本だった。東マレーシア、ボルネオが舞台の小説。仲々、興味をひく内容で一気に読んだ。マレー鉄道に乗って、椰子畑を見ながらボルネオのジャングルを読む。これって、いいのじゃーないかい?環境破壊、少数民族、エイズが主題の本ではないか、と思う。日本人カメラマンの女性が、幻の少数民族の写真を撮る為に、ボルネオに入る所から、話は始まる。ストーリーも面白いが、ジャングルの描写が、さらに興味を引く。バラム河をスピードボートで溯るところは、ラオスでメコン川を走った時を想像する。メコン川のスピードボートより、快適らしい。何故なら、キャビンがあり、窓から外を見ているし、本も読めるなど、僕が乗った爆音と言うべきエンジン音と、身動き不可能な狭い席とは異なる描写であったから。蚊やぶよの大群、蛭、毒蛇などに悩まされる。ハンモックに寝たり、熱帯ジャングルなので、100%湿度であり、服や下着がいつも濡れていて乾かないなど、行って見たい欲望に駆られる小説である。途中、色々とあるのであるが、少数民族に助けられ、目的は果たす。しかし、最後にある種のどんでん返しがあり、最終章まで面白い小説であった。実際にジャングルへ出かけてなければ書けないであろうと思う。僕には出かけても書けないだろうが。ボルネオの少数民族は総称してダヤクと呼ばれるらしい。海岸部に住む者を海ダヤク。内陸に住む者を陸ダヤクと呼ぶらしい。イバン族、カヤン族、ケラビット族、ドウスン族、ケニヤ族、カダサン族、プナン族などが住んでいる。この中でも原始的に、定住地を持たず、食料を求めて、ジャングルを放浪している民族、プナン族が主題であります。
2006.08.11
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やはり、高速バスでジョホールバルに来ました。シンガポールが、ジョホール水道を隔てて見えます。ここは以前、少し住んでいた事があるので、懐かしい限りです。当時、21歳であった彼女も、もう年齢を重ね、子供でもいるかなー?年月を感じさせますが、街は多少変わっていても、骨格は変わっていません。会社員時代に宿泊したホテルは、遠い世界となり、又々、安宿を探して泊まっています。明日は、メイバンクに預金してあったお金を全額引き出す予定です。
2006.08.10
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2006年8月09日マレー鉄道に乗り、13時半頃、バターワースに着きました。丸1昼夜の鉄道の旅、快適でした。ジョホールバルまで、このマレー鉄道で行く予定でしたが、バターワースからシンガポール行きの直行便がなく、クアラルンプールで乗換えが必要。そしてバターワース発クアラルンプール行きが夜の9時半の夜行しかない。しかし、バスは沢山出ています。時間はあるものの、暑い中、8時間も待つのも辛いのでバスで移動しました。バスもミャンマー、ラオスに比べたら信じられないほど素晴らしい。これがその車内です。1列に3席、大型バスで27人乗りですから、ゆったりして、飛行機のビジネスクラス並です。韓国で乗った、ソウルー慶州、ソウルー釜山間を走る高速バスのようでした。窓の外は、パームオイルを取る、アブラヤシが高速道路の両脇にズラ~っと並んでいます。バスの中からなので、良く撮れませんでしたが、こんな感じです。今は、クアラルンプールのホテルにいます。ここは物価が高く信じられないほどです。ラオス、ミャンマーだとビール大瓶が100円程度、バンコクでさえ、240円程度です。しかし、ここは、450円!驚きです。日本と変わりませんか?この高い物価の街ですが、ホテルは安い所を見つけました。2100円程度。窓はありませんが、清潔でトイレ、ホットシャワー、エアコン付き。バックパッカー用の1000円位のゲストハウスもありましたが、トイレ、シャワーが共同で、清潔度もやはり適いません。本日は、ジョホールバルに移動の予定ですが、鉄道で行くか、バスで行くか迷っています。バスの方が圧倒的に便利です。しかし、鉄道の旅も捨てきれず、優柔不断な僕としては、ああでもない、こうでもない、といつもながら迷っている次第です。それでは、クアラルンプールからでした。
2006.08.10
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2006年8月08日マレー鉄道、思ったより数段上の、快適な列車の旅であります。14時45分、定刻にバンコクのホアランポーン駅を出発。1時間ほど、ゆっくりと町並みを通過したが、その後は、のどかな田園地帯と走る。Special Express言うより、鈍行のスピードに近い。夜中の1時頃、左手にタオ島、パンガン島、サムイ島などが見える。(つもりで通過)朝方、4時頃には、右手にプーケット島、そしてクラビーなどが見える。(つもりで通過)夜が明けて、7時半過ぎにハート·ヤイに停車(これは本当)タイのイスラム独立派が、電車に乗り込み、乗客から金を巻き上げる(だったら怖い)8時半、バダンブサールにて、タイ出国、マレーシア入国し、同じ汽車に乗る。13時半、ペナン島の対岸、バターワースに無事到着。と、まぁ、概略こんな感じでした。で、汽車の中ですが、こんなにも綺麗です。座る席もこれで、1人分です。2人は絶対に座れる。ラオスのバスなら、3人は座らされる。ベッドにするとこうなります。普通のシングルベッド並みの広さ。上段、下段の二つの席を持っているカップルがいましたが、下段にて2人で寝てました。(チッキショー)これが乗車券です。これは降りるまで無くしたらいけまへん。マレーシアに入っても検札がありました。1210バーツ。旅行代理店の手数料入れて、1500バーツ。1回紛失しているので、3000バーツ。くそ! 何とも損をしたもんだ。夕食です。メニューを持って注文を取りに来てくれます。180バーツでした。マレーシアに近くなってくると、こんな景色の所を通ります。そして、これが、マレー鉄道の線路。まっすぐで、僕の心のようです。快適な、汽車の旅ではありました、通路を挟んで反対側が、おっちゃん2人。夕刻5時には、隣のおっちゃんたちはもう夕食を食べていました。7時半頃、もうベッドを作りに来る。早いっぺよ! 早すぎるっぺ!隣のおっちゃんたちは、8時には眠りの体制へ。僕はバンコクで買った中古の小説を読む。開いている席でゆったりと。10時就寝。隣のおっちゃんの鼾がうるさい。しかし、汽車の揺れは、眠りのリズムに似ているのか、眠りやすい。鼾がうるさいなー、と思いつつ、夢の中へ。4時過ぎに人声で、目が覚める。隣のおっちゃん達が起きてしゃべっているのです。 このおっちゃん達以外は、全て快適でありました。ご報告終わり。
2006.08.09
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もう出発の時間です。夜行、夜行なので、2~3日、書くこと出来ないかも。 でわ、又。
2006.08.08
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再度、泣く泣く、チケットを購入しました。移動、移動と続いているので、どこに何をしまったか、分からなくなってしまうのでござる。困ったものでござる。4500円損したでござる。本日、14時45分発。タイからマレーシアの国境を渡り、明日の昼過ぎに、バターワースに到着の予定。その後は、多分、クアラルンプールまで行き、そこで乗り換えて、ジョホールへ行く事になろうかと思います。小説も何も持って来なかったので、BTSの駅に日本語の古本屋があるので、今から買いに行って来ます。
2006.08.08
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バンコクに着きました。スクンビット・ソイ22の定宿である、リージェンシーパークホテルです。コーポレート価格で、1950バーツ。ちょっと贅沢ですねー?さて、マレー鉄道のチケット受け取って、ビアバーで80バーツの小瓶飲んで、150バーツの和食のさば定食でも食べて、そして、2時間250バーツの正統タイマッサージをして、心地よい眠りにつきましょう!贅沢な一日であります。でわでわ。
2006.08.07
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失業保険の手続き、就職活動の面接(打合せ)、友人との会食と、日本での日程を完了し、ただ今、成田空港であります。会社員の頃は、ビジネスか、若しくは、JALのグローバル会員で、ラウンジが使用出来ましたが、無職、渡世人亜州の星次郎とあいなってからは、残念ながらラウンジが使えません。で、成田空港から書き込みは無理!と思っておりましたが、ネットカフェがありやした。し。しかも、ですな、何時間使っても無料なのでありやす。何とも有難き話じゃーありやせんかyahooさんが行っているようですが、yahooが全額支払っているのでありましょうか? わかりませんが、何しろ無料。ありがたや、ありがたや。本日は、バンコクに向かいます。明日は、マレー鉄道に乗って、バンコクからマレーシアのバターワースまで行く予定。夜行なので、国境線を越えて明後日の昼頃、着きます。その後は、バンコクで切符を買えないので、予定不明ですが、汽車を乗り継いで2泊3日で、ジョホールバルに到着の予定でありやす。で、ですね、実は、購入した切符を無くしてしまいまして、メールにて依頼し、再度購入したのであります。1500バーツ、およそ4500円の損です。全く、移動ばかりしているので、しまい無くしたり、置き忘れたり、色々と問題続出です。でわ、行って来ま~す
2006.08.07
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ラオス人の女性は、結構大胆である。何が? と言うと、お尻の割れ目を見せるのです。本当でありんす。最近、と言うか、いつ頃からか、世界の多くの女性は、お臍やお尻の上の背中を出す事に全く躊躇していません。ゴルフの女子プロ選手も、臍だしでプレーしています。しかし、お尻の割れ目まで見せてくれる選手はいません。臍だけです。見せてくれるのは、男のイギリス人の労働者だけでした。イギリスは、とても上品で優雅でよろしいが、股上の短いジーンズを穿いて、尻の割れ目まで見せながら働いている労働者は、とてつもなく嫌だ、と日本女性がどこかで書いていたのを覚えています。しかし、これは男性の話しです。女性はいませんねー。少なくとも日本では見た事はありません。ラオスでは、何度も見ました。1回目は、バスで移動する時に一緒だった女性。年の頃、22~23歳。色浅黒く、ラオス! って感じの女性であります。バスで座っていると、ジーンズがずれて、下の方まで見えますが、始めはそれで見えているのだろうな、と思っていたのであります。しかし、泥んこの道で、前の車が動かなくなった時、彼女も外に出ましたが、やはり割れ目丸見えでありました。見せるためか、涼しいからか、わざわざ、下にずらす仕草までしておりましたです。へい2回目は、ウドムサイでの食堂。3人の若い女性が、筍や、何やらをお店の前で、料理準備をしていました。低い椅子に座ってやってましたが、3人が3人共、お尻の割れ目丸見えでありましたです。へい 見たろ って だって見えますやろそんなこんなで、他でも見ましたから、ラオス発、「尻割れ目見せファッション」などと、世界中で流行るかも知れません。因みに、ラオスを闊歩している欧米系の女性陣は、お尻の割れ目まで見せて歩いている人には、会えませんでした。しかし、臍下の下腹部は、皆さん、丸出しで歩いています。今や下腹部丸出しは、世界の共通なのでしょうか?まぁ、別に出して頂けるものに対して、あたしゃー文句言いません。黙って、見させて頂きまする。
2006.08.03
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東南アジアにも、日本のお茶らしきものが売られています。これがそうです。ラオスのルアンパバーンのバス停で買いました。「Green Tee」、と記載されております。拡大して見ますと、下記のような文字が見られます。 * 味 * OISHI * おいしい緑茶 * ○の味これは明らかに日本のお茶を意味しています。で、最後の「○の味」の○ですが、緑でしょうか? 楽でしょうか? 分かりません。このお茶は、タイで製造されているようですが、砂糖入りでとてもあまくて、日本人には、飲める代物ではありません。中国にも同様にありますが、砂糖なしのお茶の方が見つけにくかったと思います。ニュージーランド人のおばさんが言うには、キャップの黄色いのが砂糖入りで、緑のキャップが砂糖なしだとか。ほんとかなー? 今度調べて見よう。備考ビエンチャンからバンコクへ移動しましたが、バンコク空港から市内へ向かう高速道路から、「味 OISHI」と言う大きな看板を見ました。やはりタイで生産されているようです。
2006.08.02
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昨夜、ビエンチャンからバンコクに到着。ゲストハウスでなく、きちんとしたホテルにチェックイン。バスタブもあります。そして、早速お湯を満たし、ゆったりと入る。う~ん、気持ちいい!最高! 天国!別にシャワーで済ませている時、何とも思わないが、こうやってお湯に浸ってみると、なんと気持ちいい事か?日本人に生まれて、そしてこの時代に生まれて良かったと、東南アジアの国々を廻ってそう思うが、風呂に入ると、もっとそう思う。いつも、夜中に数度は目が覚めるが、昨夜は、一度トイレに起きただけで、朝までぐっすりと眠れた。 風呂の効用かなー?会社勤めしていた頃に比べて、良く眠れるようになったが、昨夜はさらに格別であった。本日は、ゆったりして、明日、日本へ一時帰国でありやす。
2006.08.01
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ポーンサワンで、朝、暇だったので市場へ行って見ました。野菜など沢山の物が売られていました。民族衣装を着てラオス! って感じです。果物も売られています。マンゴスティン、ランブータン、パパイヤ、マンゴ、などなど、おいしそうです。が、僕も食べた事のない、果物がありました。これです。何じゃこれ? って思いませんか?ぶつぶつのお化け見たいじゃないか!で、おばさんに、ジャスチャーで何これ? って何度も聞いたら、一つを取り出して食べて見ろと言いました。で、食べたら、種はあるが甘くて結構おいしい。そんじゃ買おうと言ったら、7個で100円と言う。そんなに食べられるかよー!おばさ~ん!と言ったら、1個10円で良いと言う。何か得した気分で1個購入しました。ジャール平原ツアーで一緒になった、ウェールズから来た、二人組みのお姉ちゃんに聞いて見たら、そんな果物見たことねぇー、と言ってました。イギリス方面にはない果物のようです。中を開けるとこんな感じです。若干、マンゴスティンに似たような味ですが、さすが果物の女王には及びません。見た目も、女王には敵いません。この果物の、名前を聞きましたが、ラオス語なので、参考にならないと思っていたら、忘れてしまいました。
2006.07.31
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2006年7月30日本日は、前回見られなかった郊外の、ワット・シェンクアンへ行って来ました。バス発着所まで歩いて、路線バスで出かけました。4000キープ。45円程度。トックトックで10ドルと声を掛けられましたので、バスは安いです。それもそのはず、1時間も掛かる工程ですが、席はなし。おまけに米や野菜やらが通路一杯に置いてあり、立つのは良いのであるが足の置き場に困る。開閉ドアを開けて、ステップに自分の立場を見つけて、やれやれと思っていた。そしたら、わずか3分程度の所で、若い女性二人が乗り込んできて、僕の立つ場所を乗っ取られた。止む無く、又、米や野菜や、座っている人の足の間に自分の足の位置を見つけてようやく立っている有様。入り口のステップを乗っ取った女性は涼しい顔。しかし、残念ながら、又、新たな乗客が来る。ステップの女性も通路へ。すぐ僕の前ですが、僕はもう後ろに下がれない。彼女は、お尻でぐいぐい僕を押します。困りましたねー。立つのは辛いが、別の場所まで立って来ては、ちとと言うか、大いに困りまする。つり棒の手を離せば倒れてしまうし、どうにも手の打ち様がありません。困った、困った、と思いながら、さらに25分。4~5名が、どっと降りました。助かりました。後半30分は座って行けました。で、ワット・シェンクアンですが、ブッダパークとも呼ばれているそうで、多くの仏体が置かれています。取り合えず、写真を見て下さい。こんなのがあります。こんなのもあります。これは仏像かなー?これも、どうも仏像かどうか怪しい。仏像でこんな手をしたのあったか?こんなのもありました。アンコールトムの4面顔に似ています。こんなのもありました。そして、最も大きい、寝仏です。頬杖ついた寝仏ってありましたか?そして、これが概ね、全景であす。入り口にあるカボチャのような塔の上から撮影したものである。如何でしたでしょうか?何か、ふざけた感じもして、仏陀に祈る気持ちが何故か起きてきませんでした。バンコクのエメラルド寺院や、ミャンマーのシュエダゴン・パヤーなどと比べると祈る人もおらず、瞑想する人おらず、やはり人種は違っても同じような感覚を受けるのかなーと思いました。
2006.07.30
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2006年7月29日何とも不思議な魅力のジャール平原に、別れを告げて、ビエンチャンへ。ほんとは、もう一泊して、明日の日曜日に移動の予定であったが、飛行機が飛んでいない。Lao Air しかなくて、且つ週4便しかありません。このジャール平原をもう少し味わいたかったのですが、残念ながら、バイバイです。え! バスはないのか? って? あります。10時間です。しかし、いつもいつもバスにばかり乗っていて、いい加減飽きて来ました。ラオス国内の移動はこれが最後なので、大奮発して、飛行機のしたのであります。この飛行機に乗りました。ポーンサワン別名シェンクアンの飛行場です。ニワトリが散歩しております。何とも、のどかな飛行場ですねー。飛行機53ドル、バスだとたぶん10ドル。この値段の差は大きい。しかし、時間の差と、身体の楽な差も激しく大きい。わずか30分でひとっ飛びであります。43ドルの差があってもよろしい、と思います。が、考えると、これで、ゲストハウスに10泊は出来るので、もったいないなー、とも思います。まぁ、たまの贅沢でありんす。ジャール平原からビエンチャン間も山又山です。飛行機の窓から見る景色は、山ばかりでした。これだけ山ばかりだから、多種族の民族が住み、言葉も多くの方言があって然るべきであろうかと思われます。民族間の交流もほとんど出来なかったでしょうから。
2006.07.30
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2006年7月29日ジャール平原の、拠点、ポーンサワンを散歩していたら、日本にいる錯覚に陥りました。何故かと言うと、この写真です。何と、郡山運送の車です。何故?そして、前を見ると、現地ナンバーが、きちんと付いています。すみません、ナンバーが光って見えません。しかし、間違いなく現地ナンバーでした。ISUZUの車の方です。そして、隣の三菱FUSOの助手席の横には、熱と誠で未来をひらく 中部工業株式会社 の車であります。ラオスでも宣伝してくれてますねー。中部工業さん、廃車にしたのか売ったのか知りませんが、ラオスで宣伝してくれているとは、知らんでしょうなー!知っている人がいましたら、教えてあげて下さいね。ミャンマーは走ってる車の90%以上が、日本の中古と言うような印象がありました。ラオスはそれほどじゃないですが、やはり日本の中古車が活躍してます。山一運輸倉庫の車もありました。日本製でないトラックは、何と、途中でエンジンを分解して修理点検を行っていました。日本では絶対に見られませんね。
2006.07.29
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2006年7月28日ジャール平原、最高でした。ラオスは、自然と人々の底抜けに明るい笑顔以外、それほど見所がないなーと感じていたが、ここは素晴らしい。こんな事なら、ルアンパバーンから、もっと早く来るのでありました。写真で見るとその良さが分からないと思いますが、掲載します。その前に少し、説明を。ここには、巨大な石の壷が沢山あるのです。その目的が未だに分からないと言いますから、ナスカの絵文字に匹敵するミステリーであり、イースター島のモアイ像に匹敵する石であると思われます。未だに作られた目的がはっきりしないとの事ですが、下記のような有力説があるらしいです。酒壷説 2世紀前後に、支配者部族のチュアンが戦いに勝利した時に石壷に酒を注ぎ、兵士達が浴びるように飲んだとの説。米壷説 戦時の貯蔵品として、米を蓄えた。石棺説 火葬された骨と、副葬品も見つかっており、棺桶として使われた。現在は、石棺説が最有力との事であります。多くの発見場所があるらしいですが、ツアー客が行けるのは、サイト1、2そして3と言う、3箇所で、その3箇所とも行って来ました。まず、サイト2の石壷です。丘を登ってその頂上にありました。壊れて、穴の開いたものもあります。身長より高いので、2m以上あります。サイト2には、もう一つの丘があります。このように、見晴らしは最高です。ニュージンランド人のおばさんが、羊を置いたら、我が祖国と同じ景色だと、言っておりやした。次は、サイト3です。麓の掘立小屋で、「フー」を食べて、それから、小さな川にかかる竹の橋を恐々渡りました。ウェールズから来た、デブの二人組のお姉さんが、竹製の橋を渡っているのを見て、壊れるんじゃ、ないかと不安でドキドキしておりやした。そして、田んぼの中の道を歩いて、そして丘を登るとサイト3に着きます。丘の中腹にありますが、木々の中に置かれています。小さめの石壷です。ここも見晴らしの良い所にあります。そして、最も、石壷が多いとされる、サイト1です。ここもやはり丘の上にありました。これが一番大きな石壷です。壊れた石壷もありました。丘の上の石壷の間から、下の平原にも沢山の石壷が見えました。近くに行って見ました。ほんとに沢山の石壷です。彫り物の入ったのもありました。見えるかなー?何故か蓋が置いてあるのもありました。これが別の丘から見た、石壷群です。それぞれ、丘の上にあり、見晴らしは最高で、涼しい風も吹き、もし石棺であるならば、さぞかし、気持ちの良い、死後であったでしょう。スケジュール変更して、ジャール平原に来た甲斐がありました。昨日のバスで一緒になった、20歳前半と思われる日本人男性、何と、このポールサワンに宿泊しながら、ジャール平原を見ないで、ベトナムへ行きました。バス8時間の車中、何も食べていなかったようですし、宿も最低の2ドルに泊まり、何とも、逞しいと言うか、変わったと言うか、この素晴らしい場所を通過だけして可哀相な気がしました。何故、分かったかと言うと、夜は何もする事ないので、21時半に寝てしまい、朝は、5時には目覚め、6時前に散歩していたら、調度トゥクツゥクに乗って出かける所に出会ったのでありました。漫才の、「おぎやはぎ」でしたか?あの向かって左側の方に、雰囲気が似てました。
2006.07.28
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2006年7月26日湯沸ポットが壊れてしまいました。安いゲストハウスに宿泊の為、湯沸し設備などなく、水さえない所も多い。従って、日本から持参した、海外旅行携帯用の湯沸しポットは重宝していた。SANYO製の、TABIGARASUと言う商標です。僕は、発病以来、色んな医者と薬を試して見たが、これと言って効いたと思われる薬は、デパスと、中国の雲南省から取り寄せた漢方薬、そして毎朝の生姜紅茶でないかと思っております。生姜紅茶は、僕の病気に直接効いたのかどうかは、分かりませんが、生姜紅茶を飲み始めて、一度も風邪をひいてないのです。思わぬ効果であったので、ずっと飲み続けています。で、朝のお湯は必須であります。で、湯沸ポットも必須となる訳であります。何故壊れてしまったかと言うと、電源を繋いでお湯を沸かそうとしていました。そして水を貰いに、ゲストハウスの受付に行ったのであります。そしたら珍しくも、日本人があり、又、その人が、話好きでありまして、うっかり、お湯のことを忘れて、話しこんでしまったのであります。かれこれ、1時間も話した時に、はっと、電源入れてお湯を沸かしている事を思い出しました。が、しかし、時既に遅く、サーキットブレーカーが飛んでしまって、電源が入らなくなってしまったのであります。残念!この日本人の方は、とある県の教師さんでありまして、正月にラオスに来て、ある部落の結婚式に出会い、写真をバチバチ撮ってあげたので、それを持参し、手渡す為に、わざわざ、やって来たとのことでした。結構、色んな国を廻っており、旅行だけでなく、教育論にまで及び、話がはずんでしまったのです。実は、この朝、何故バスに乗れなかったかと言うと、出掛けに話しかけられて、ゲストハウスの出発が少し遅れて、それで、バスが満席になってしまったのです。考えてみれが、この先生のお陰で、バスには乗れず、1泊余分に宿泊する羽目になり、湯沸ポットは、壊れてしまうわ、散々な疫病神であります。
2006.07.27
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2006年7月26日参りました、ジャール平原行きのバスに乗れず、又、サウナ完備のゲストハウスへ逆戻りです。旅行代理店の言う通り、出発の30分前、8時にはバス停に着き、予約券を、バスチケットに変えて、バスに乗り込むとほぼ満席。空いている席も、荷物が置いてあり、客がいる模様。何人か知らないが、席番号がチケットに記載されているはずだ、と教えてくれた。35番。確かにあった。しかし、その席には、荷物が置いてあった。それをどけて座っていると、地元のおばちゃんが、そこは私が獲った席だ、と元気良く、僕をたしなめる。良く分からんが、チケットを見せて、「この席は僕のだ!あんたのチケット見せて見ろ」、と言うと、どこかに行ってしまった。これで安泰と思いきや、ヨーロッピアンがどんどん乗り込んできた。彼らは席がなく、通路に寝転ぶ奴や、立っているものもいる。「おかしいなー」と思って、隣のお姉さんにチケットを見せて、「これ席の番号だよね?」と聞けば、そうだと言う。疑心暗鬼ながらも待つこと、20分。出発定刻10分前。通路の客に、風呂場の椅子のような物を配り出した。そこへ、おばちゃんが帰って来て、「あたしが獲った席だ!」、とわめく。みんなが僕の方を見るし、どうなってのだろう、とさらに不安増。係りのお兄さんがやって来て、席は速いもん順だと言う。良く分からないが、あっさり納得して、本日の移動を断念した次第です。途中、41番は俺の席だと、ヨーロッピアンが地元の人をどかすシーンもあったし、僕の隣に来た奴も36番だったし、なんか変であるが、争う気持ちもなく、さっさとバスを降りた。明日のチケットに変更する手続きをしたが、その係りのお姉さんも、席は決まっておらず、速いもん順であると言っていた。何か、良く分からんが、「さもありなん、ここはラオス」と思って、諦めた。又々、ルアンパバーンにてゆっくりする事と相成り申した。
2006.07.26
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2006年7月23日ラオスでは、レストランなどへ行っても、日本のティッシュのようなものがなく、トイレットペーパーを、箱に入れて、それを千切って使うような所が多い。しかし、昨夜行った中国系の経営者のお店に行くと、このようなティッシュをくれた。ちらりと見ると、何と「花の恋」と書いてあるではありませんか!何故、「の」が入っているのか? もしかしたら、日本の会社との提携で作っているのか? しかし、紙質は良くない。試しに、完全中国品と思われるのも買って見ました。こちらは「菊香」です。何とも、いい名前じゃーありませんか!しかし、やはり紙質は良くない。良く比べて見ると、「花の恋」の方が、「菊香」よりふかふかでなく、しっかりしている。「花の恋」の方が、ちと上質かなー?感覚的なもので、あんまり変わりはないようですが・・・。それで、トイレットペーパーですが、ティッシュより、もっと紙質も悪く、ティッシュ代わりに使うと、手にくっついてしまします。そして、巻紙にきちんと巻いてなくて、巻紙とトイペの間に隙間があります。一応、あるだけで感謝せねばならないと思いますが、まだまだ技術が不足しているのでしょうね。日本なら返品です。これらは中国からの輸入品ですが、宇宙ロケットを飛ばしたりする技術を持ちながら、こう言った製品は、まだまだ技術不足なのですね。すぐに改良して、日本に追いつくとは思いますが。こう言う所を見ると、日本の技術は素晴らしい。日本のティッシュを持って来て、見せれば良かった。きっと目を丸くして驚くでしょう。もしプレゼントしたら、使わないで、飾って置くかもしれません。それほど、紙質が違います。トイレットペーパー、ティッシ情報でした。
2006.07.24
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2006年7月23日ここルアンナムターには、旅行代理店のようなお店が、1軒しか見つからない。そこを訪ねて見たが、少数民族の部落を訪ねるツアーとか、トレッキングやカヤックも含めて、誰も申込者がいないとの事。一人参加では、費用がべらぼうに高くなるので、ツアーは断念。独力でアカ族の村を訪ねることにした。旅行代理店は、自転車では無理、トレッキングでないとダメと言っていたが、強行した。こんな道を、鼻歌を歌いながらゆっくりと進みます。雨が降らなければ良いなーと思いながら。お! もうアカ族の部落か? と思いきや、ちょっと近すぎました。これは、タイ族の部落らしく、ラオ酒の製造など、行っていました。ここラオスは、本当に動物たちと共存しています。至る所に動物だらけです。ますは、牛。牛追いの人たちが追っていたり、誰もいないのに牛だけいたりします。鶏の親子、2家族です。アヒルや色んな鳥が野放しに飼われています。羊の親子もいました。ここは羊は少ないと思います。牛の大群です。この後に写真を載せますが、子供たちが餌を食べさせに移動させている所です。豚さんです。小屋に飼われていたり、こうして野放しにされているものもいます。子供たちが、細い竹ざおの糸を付けて魚釣りに行くのを見たので、一緒について行きました。小さな魚をすぐに釣り上げていました。日本のように家でゲームをやっているより、よっぽど、健康的であります。この娘は、子守をしているようで、魚釣りを見ていました。先ほどの牛の移動です。後ろの方で傘を差したりしている子供たちが、この牛の大群を管理しています。自転車を降りて、転がしながら一緒に歩きました。道が途切れて、川が出て来ました。川の向こうに道が見えるので、いつもは、道なのでしょう。牛も慣れているのか、浅瀬を見つけて歩いて行きました。子供の牛は、顔以外は、水の中に入ってしまって苦しそうでしたが、無事、向こう岸に着きました。僕も自転車は諦めて、ズボンの裾を太ももまで捲り上げて、横断に挑戦。何とか、無事渡りました。牛を管理している子供たちです。僕は子供たちと仲良くなれる素質を持っているのか、どこでも仲間として認めてくれます。知能程度が一緒なのか?ま、嬉しいことではあります。そして、見えました。アカ族の村です。牛追いの子供たちは、ここの村ではないと言っていましたから、タイ族の子供たちなのでしょう。部落の1軒へ寄って見ました。お母さんと赤ちゃんです。小学生程度以下の子供たちは、男も女もみんな、裸で走り回っています。が、悪いので写真は撮らないでいました。この赤ちゃんも、下半身は何も付けてなく、おしっこ垂れ流しでした。このお母さんに、腕飾りを買わないかと持ちかけられ、1本、20円で購入しました。その前に、干してあったピーナッツの茹でたのを、ご馳走になっていたので、断るのも悪く、必要もないのに、買った次第です。その後、写真を撮らせて貰ったら、写真代、50円くれ、と言ってました。やだよ、と態度で言ったら、20円でも良いと、譲歩しましたが、僕は20円もあげないで、早々に退散しました。ここルアンナムターより、60キロほど北にあり、中国国境まで、10キロ程度の所にある、ムアンシン近くでも、少数民族と観光客の間で、写真のトラブルがあるようです。確かにプライベートの写真をバチバチ撮られて、タダってのも、撮られる方は、いい気分しませんね。何かを買って、その見返りに写真を撮らせて貰うってのが、良いとは思うですが。こう言う問題は、難しいものであります。
2006.07.23
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2006年7月22日昨夜、宿泊したゲストハウスはあまり良くないので、朝早くチェックアウトした。宿を何軒か見て廻っている内に、8時半頃から雨になる。止む無く、食堂に入り朝食。雨も仲々止まず、パソコンに入っている写真や動画を店の人に見せたり、ゲームを教えたりして暇をつぶし、11時半。まだ雨止まず。午後1時半頃、ようやく雨もあがり、チャリを半日50円で借りて、タイ部族の村へサイクリングに出かける。25キロコース。舗装された道路をすいすいと走る。すると、あちこちで魚取りの姿が見える。夕食のおかずでしょうか、そして女性の仕事なのか、女性の姿が多い。 こんな所でも、魚取りしています。 大きな川でも、同様に獲っています。その釣果です。4~5cmの小さな小魚が主ですが、中にはうなぎのような魚や、10数cmの大きな魚もいます。 田園風景がのどかです。そよ風を頬に受けて走ります。途中で知り合った、地元の4人の娘さんと、30分ほど一緒に走る。この辺りは、どこでも誰でも知り合いなのか、会う人会う人に挨拶し、途中の家ではこうして自転車を降りて、しゃべったりしていました。典型的な部落の家。涼しそうですね。そして又、綺麗な舗装道路を走りました。そしたら、牛がのんびりと歩いていました。田んぼでは、田植えをしています。部落のある家。牛がねそべっています。そして、どこの家でも鶏が沢山放し飼いにされていて、ひよこがピヨピヨと親について廻っています。その横には犬もいます。日本なら、犬が鶏を食べてしまうだろうけど、ここでは共存です。橋から飛び込んだり、子供たちが大勢で遊んでいました。20人以上いたでしょうか?皆、いい顔してますよねー! そして良く笑います。小さな子供は、年上の子供が面倒みています。小学校位なのに、2~3歳の子供を背負って面倒見ている子供もいました。日本では見られない光景です。
2006.07.23
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2006年7月21日ファイサールからシェンコックへは、誰もスピードボートで行かないとの情報を旅行代理店から得た。僕も無論、2度とスピードボートに乗らないと思っていたので、沢山の人が行っても、ジョインしないが。検討の結果、シェンコック、ムアンシンへ行くのは止めて、ジャール平原へ行く事に予定変更。ここにはミステリアスな石の壺が沢山あるので有名。ここへも行きたかったが、旅程の検討の結果、止む無く我慢した土地である。シェンコック、ムアンシンへ行かないとすれば、日程に余裕が出来て、ジャール平原へも行くことが可能になったのである。おまけに、昆明女子大生からメールが入り、ジャール平原へ行くことを検討中、との連絡も来た。又、会えるのか?本日は、バスでファイサールから、ルアン・ナムターへ移動した。ツアリストは少なく、中国系マレー人のカップル二人と僕だけ。後はローカル。一応は、大型バスであります。屋根にはモーターバイクが積んであります。しかし、客と荷物とが半々と言う程度、荷物が多い。バスの通路には、荷物が一杯で、歩くのも困難。何と、エンジンらしきものも置いてありました。そして、道と言えば、山又山の連続。途中、舗装されている所もあったが、大半は、泥道。ぬかるみに埋まり、動けなくなる。そしてパワーシャベルに引っ張って貰って、無事脱出。この間20分。そして、順調に行くも、前の車が動けないでいる。バスも当然、ストップ。ここはかなり時間がかかり、乗客は、小便に行ったり、川で身体や顔を洗ったり、適当に時間をつぶす。その他、車が動けず、待機状態が数回あり、そんなこんなで、11時半に出発したが、もう夕暮れとなった。しかし、オンボロバスであるが、クッションは効いている。そして、座席が壊れて、少し前へ出ており、それが又、乗り心地を良くしてくれる。乗客は多くないので、二人席を一人で独占出来て、山の景色も新鮮で、とても心地よいバスの旅であった。あの魔のスピードボートを経験しているので、最高とも言える。ガタガタ道で、バスの中からなので、景色はあまり撮れなかったが、次のような景色です。30分か1時間に1回ほど、部落が突如現れます。数十軒単位の部落で、子供が棒切れで遊び、犬は寝そべり、その脇で、ひよこを従えた鶏が堂々と歩く。とてものどかな風景です。そして、夜8時半、ルアンナムターに到着しました。マレーシア人カップルと共に、真っ暗な中、宿探し。やけに星が綺麗な夜道を歩きました。そして、1泊3ドルのゲストフハウスを見つけてチェックイン。ピンクの蚊帳で何とも悩ましい。
2006.07.22
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2006年7月20日本日は、完全休養の予定であったが、あまりに暇なので、散歩に出かけた。メイン道路から外れて、山の方へ向かって登る。ちょっと失敗したかなーと、思ったのは、昼時なのに、食事をして来なかった事である。このラオスでは、タイなどよりもっと貧困なので、外食の習慣がないそうで、食堂もほとんどないとガイドブックに書いてあった。ビスケット6枚と、ポットのお湯で何とか、我慢するか? と思って歩いていたら、こんな所がありました。近所の子供たちが集まって昼食を食べているのかと思い、そしてどんな食べ物か見てみたいと思って声をかけて寄って見ました。英語は全く分かりません。試しに、「ハーンアハーン?」と聞いてみたら、頷くではないか! ここは食堂なのであります。ハーンアハーンとは、興奮して声を出しているのではなく、ラオス語で、レストランと言う意味です。で、早速頼んで見ました。すると手づかみで、麺をお椀に入れて、すぐに目の前へ。味は異なりますが、ソーメンのような麺でありました。めんつゆを持ってくれば、全くソーメンと変わらないと思います。意外とおいしいです。カァォプンと言う料理と聞きました。この娘さんが、14歳ですが、店主です。そして、最年長で15歳の子供たちです。カァォプンを、お代わりして2杯食べ、拙いラオス語で、名前や年を聞いたりして、地元の子供たちと、お話して、散歩に移りました。こんな家が、あります。田舎らしく、僕は好きな家です。しかし、こんな立派な家もあります。こんな風景の所を歩きました。山の方へどんどん歩いて、帰りが心配になってきた頃、このような道路が現れました。そして、その向こうに大きな川も見えます。山へ登っていると思っていたのに、いつの間にか、メコン川に戻っていました。何とも、方向音痴な散歩でありました。
2006.07.22
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