moo-moo-ふぁみりぃ★

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ちゅば妊娠



・・・でも、いろりんが「3月4月を乗り越えられるかどうか・・・」とお医者さんから聞いたとき、「どうしても、今、次の子がほしい。」と強く思ってしまった。

そのときぷんぷんは病院でいろりんと24時間いっしょ。子作りなんてできる環境じゃない。でも、今しかない。
「看護師長さんにわけ(ホントのことは言えないから建て前のわけ)を話してちょっと付き添い離れさせてもらおう」
本当はできやすそうな日に家に帰りたかったが、看護師さんの少ない日で手薄だと言われ、しかたなく別の日に帰らせてもらった。
日がずれたのがよかったのか・・・めでたくちゅばは一発でできてしまった(笑)

強く「ほしい」と思ったときにできた、いろんな意味で希望の赤ちゃんでした。

判明したのはいろりんの病室のトイレ☆検査薬だ。
まだ少し生理が遅れた程度だったが確信があった。つわりっぽいし、何となく・・・母の勘だった。
「いろりんがお姉ちゃんになります!」同じ病室の(付き添いしている)ママさんたちに最初に報告したような気がする(笑)
「よかったね~」「おめでとう!!」みんなが喜んでくれた。
あわてたのは看護師長さんだ。いろりんの担当看護師さんに「できました」と報告したのを聞いたのだろう。病室まで来て「おめでとうございます。でもこのままいって、出産のときはいろちゃんの付き添い誰か替われますか?」と言われた。
「え?いろりんそこまでがんばれますか???」と心の中で問いかけた。
私だっていろりんががんばると信じたい・・・でも、そんな先まではがんばれないだろう。今、ここにいる命がいなくなったら自分たちがどうなってしまうか、壊れてしまいそうで怖い。だから、作ったんです。最後まで明るくいろりんを応援するために・・・新しい命が必要だったんです。懸命に自分に言い聞かせていた。いろりんが死ぬことを疑わずに受け入れてしまっていることが自分でも悲しかった。「絶対いろりんはがんばる!」と言い切れないことが・・・いろりんに申し訳なくて、ちゅばを作ったことを正当化するために何度も何度も自分に言い聞かせていた。


そして初めての検診・・・「赤ちゃんが入る袋が見当たりませんね・・・もしかしたら子宮外妊娠の可能性があります。今、6Fで付き添い中ですよね?お腹に激痛が走ったらすぐ5Fの産科まできてください。」とお医者さんに言われた。
「は???子宮外妊娠って?子宮外のを子宮の中に戻すことはできるの?だいたい激痛がきたら自分で産科まで来いって?病院の中なのに?」いろんな疑問がわいたが、それ以上に不安がおそってきた。「いろりんだって今月中にどうなるかわからないのに、この子までダメかもしれないの!?2人も子ども同時に失ったら立ち直れないよ・・・」

とりあえずダンナに報告。付き添い離れて検診に行かせてもらったから、看護師さんも周りのママさんも心配して「どうだった?」と聞いてくれた。「子宮外妊娠かも・・・」泣きそうでそれだけ言うのが精一杯だった。
あとから看護師長さんが来て「子宮外妊娠かもって聞いたわ。でも、まだわからないから、無理はしないようにね。子宮外妊娠だとかなりの激痛が来るから自分で動けないはずだからすぐ呼んでね」と言ってくれた。よかった・・・自分ひとりで産科に行かなくてもいいんだ。頼れる人がいる・・・と安心できた。


かなりの恐怖の中で時間は過ぎて・・・次の検診。「あ、見えますね~。心音も確認できたから大丈夫ですよ(^。^)排卵日がずれただけでしょう。」
よかった・・・やっと実家にも報告した。「いろりんが大変なときに子どもなんて作って」としかられたが、「みんなのためにあえて作ったんだ」と繰り返し説明した。
予定日は11月22日。いろりんの誕生日と近い・・・。同じ誕生日になったらそれもいいね♪なんて想像していた。

そして、次の検診の4日前に・・・いろりんが亡くなった。
春になってお父さんの仕事が忙しく毎日の面会が大変だった。
お腹の赤ちゃんも無事・・・「そろそろいいかな」家族のことを考えて、ギリギリまでがんばっていろりんは逝ったように思えてならなかった・・・

子どもの忌引きは5日だけ。学校からの電話で「お子さんが亡くなると育休も終わりなので5日後から復帰してもらいます。」と校長から言われた。
5日?たったそれだけ???何事もなかったかのようにあの学校に戻るのか?ただでさえ不安定な気持ちの中に仕事の心配まで舞い込んできた。

・・・なぜなら、いろりんを妊娠したときから学年主任と合わず精神的に追い込まれて病休→産休→育休の状態だったのだ。
「あいつらはそこにいるだけでいいんだ。お前は指導しようと思うな。」なんて言われて何をしに学校へ行けばいいかわからなくなったのだ。子どもたちの力を伸ばしてあげたい・・・それだけなのに、「しなくていい」と言われるともう自分がいる意味がないような気がした。養護学校は教員が楽するための場所じゃない!なぜ子どもたちの大事な時間が大人の都合で、ただなんとなく過ぎているのか我慢できなかった・・・でも自分は何もさせてもらえない・・・お腹に子どもがいるのに「死にたい」と授業中に思ってしまい「もう限界だ」と感じた。
精神科での診断は雅子さまと同じ「適応障害」。
「原因がはっきりしてるから休めばすぐよくなりますよ。赤ちゃんが生まれるまで仕事休みませんか?」そう言ってくれたお医者さんはあとから知ったのだが、大学の卓球部の同期だった(笑)7年ぶりの再会で気づかなかったのだ。

話は戻って・・・そんな風に精神的に追い込まれて休んだあの学校に、子どもを亡くした状態ですぐ復帰するのは明らかにきつかった。あの学年主任にはどうしても会いたくない。「せめて職員室での席は彼が視界に入らない位置にしてほしい」といろりんの焼香にきた新しい教頭に頼み込んだ。

そして、復帰・・・。病休で突然休んだ先生の子どもが病死・・・周りからすごく気を遣われているのがわかった。「次こそ元気な赤ちゃんを」と気遣われるほど、妊婦の自分にはできることがなくなって申し訳なかった。重複障害の子どもたちのクラスの担任になったが、オムツ交換、車椅子への乗り降り・・・みんな力の要る仕事で他の先生が替わって忙しそうにしていた。校外学習では車椅子を押すことすら「妊婦には危ないから」と他の先生が替わってくれた。せっかくの気遣いなのに「また自分にはやれることがない・・・」と殻に閉じこもりそうになるのを必死に抑えた。自分が今できるのは子どもたちに語りかけることだけ。できることを精一杯やろう。いっぱい話した。いっぱい接する中でみんなの笑顔にいっぱい助けてもらった。こうして1学期はあっという間に過ぎていった。仕事を終え、帰り道はいろりんのことばかり考えて運転しながら大泣きしていたが(行きはさすがに大泣きできなかったので、涙をこらえて学校に向かっていました☆)、夏休みには泣かずに運転できるようになっていた。

夏休み・・・なるべく有給をつかい家で過ごした。のんびりダラダラの毎日☆
インターネットで子どもを亡くした人のホームページを探しては共感して大泣き。泣いてすっきりしての繰り返しで毎日が過ぎていった。


そして・・・


<8月9日(火)>  25週に突入
「う~ん・・・」検診で先生がだまりこんだ。「胎盤の血流が悪いです。赤ちゃんは今は元気ですが、これから弱っていくことも考えられます。次の検診で大きさを見て、大きくなっていなかったら大学病院にいきましょう。大丈夫。今回は前回のお子さんとは事情が違います。25週で640gあれば助けますから!」と先生は言ってくれた。

でも不安で仕方ない・・・今度はインターネットで子宮内胎児発育遅延や未熟児のホームページを次から次へとのぞいていった。だいたいどんなことが待ち受けているか、イメージできるほどになっていった。

その間にいろりんの新盆。毎日離乳食をお供えし、いろりんが生きていたら食べたかもしれないお菓子も買ってお供えした。
来年の今ごろは・・・こんな風にお腹の子の離乳食作ってるのかなあ?
このころからやっといろりんのことばかりじゃなく、お腹の子のことも考えられるようになっていた。(考えざるを得ない状況だったのだけど☆)

27週の検診でやっぱり胎盤の血流が悪く、子宮内胎児発育遅延の疑いあり。
大学病院を薦められる。
ネットで「誕生死」の本の存在を知る。いくつも本屋をめぐり、ようやく発見。翌日の大学病院での検診の荷物にこの本も入れた。
(念のための入院準備だった。)








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