PR
Keyword Search
New!
StarTreesさんComments
Freepage List
新マンガ日本史「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)」。
日本全土で戦が相次いだ室町時代中期以降、実践で役立つ剣術は発展しました。
剣の腕を磨いた剣豪たちがしのぎを削り、多くの流派が生み出されました。そして剣豪達は、自らの極めた剣の力で、大名などの各地の実力者に取り立ててもらうことを目標とし、大名たちもより強い剣豪を家来として迎え入れようとしました。
が、戦乱の時代に大いに注目された剣豪たちも、時代が平和に向かう中、役目も終えようとしていました。
そんな時代、平和の世に役立つ剣を求め、それを成功さあせ、剣豪から大名に出世していったのが、柳生宗矩でした。
1601(慶長6)年、宗矩は家康の息子・秀忠の剣術指南役を命じられ、柳生新陰流は将軍家の御流儀となりました。剣術を戦の手段ではなく、幕府や諸藩を支える武士たちの修養の手段と位置づけた宗矩の理論はこそ、平和の時代を治めようとする将軍家に必要なものでした。
大阪夏の陣の翌年の坂崎成正の事件を解決した宗矩は、秀忠や幕府の重役たちからその政治手腕を大きく買われ、秀忠の引退後も、3代将軍に・家光を陰から支えていきます。
柳生新陰流の極意。「剣禅一致」。剣と禅の一致、心の重要性を唱える。 「一つの悪を殺して万人を救うもの」であり、また「剣は人を殺すものではなく、活かすもの」である。
わかぎみ 2022.08.19
北条義時と鎌倉幕府がよくわかる本 2022.03.09