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試験が終わり、ゼミレポートを提出し、家に戻ってパッキングしたら15.5キロの荷物となり、ルーリードを聞きながら、安酒レッドをあおる。今回も貧乏なんちゃって旅行だ。気分は、複雑で、ちょっと悲しくて、ちょっと嬉しくて、かなり情けない。 翌日、14時10分。大阪伊丹空港へ。16時、20分遅れて大韓航空は出発し、ソウル経由でバンコクに22時半に到着し、夜なので、日本人を4人集めてタクシーでカオサンに向かう。4ヶ月ぶりのバンコク、早速VSクリニックに行く。到着したら南京錠の鍵をなくし、荷物を開けることが出来ない。 翌日、チャイナタウンに行き、糸鋸を買いに出かけ、新たな鍵も買った。宿をチャイナタウンに移し、駅でノーンカイまでの切符を買い、スリクロンの一階で冷房が聞いた中、アイスコーヒーを飲む。・・3ヵ月後、バンコクに舞い戻り、いやはや情けない状態にあった。メモ○やってしまったことはすごくもなんともない。橙色ネオンが好きだ。今も昔のウララのポーズは素晴らしい。二人だけの世界に入った姿を他人が見たら変に見える。いびきは、口を開けっ放しで寝ているからだな。ディズニーランドの眠れぬ王子も悪くない。人が大笑いしている顔を良く覚えていないのは、自分も大笑いしているからか。自分の鼻が見えない人っているんだろうか。ベッドの軋む音は別にいいのだが、バンガローの軋む音はちょっと怖い。トゥクトゥクは蝉だ。扇風機は風の川だ。 カオサンでは毎日、間抜けな日本人がいて、今日も金を全部巻き上げられた日本人がいて、私はガリバー先輩の教訓を得々と説明申し上げると、「何で昨日教えてくれなかったんですか」といわれ、「そうだねえ、多分、今日初めて会ったからだよ」とまた諭すのであった。「まあ、自分の否を認めないのはいいけど、飯食いにいこうや」とハローに行ったが、フライドヌードルウイズベジタブルを食べている途中で腹がいっぱいになった。しまった、2時間前に飯食ったんだった!と思い出したが、後の祭り、飯を珍しく残してしまった。仕方なく、チャート2の冷房の効いた席でビール1本頼んでエディーマーフィーの映画を1本観て、彼と別れたと同時に、カップル2組にいきなり、「生バンドの店行きませんか」と誘われ、トゥクトゥクに5人乗って戦勝記念塔横のジャズレゲエブルースに行く。カップルの一組目は新婚旅行6ヶ月目、二組目はゴアで知り合った札幌の男に大阪の女。何故、急に私が誘われたかについては、不明のままだ。多分、真面目に見えたのだろう。
2013.07.31
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ステック 草々に仕事を切り上げ1週間以上、車検で預けていた車をディーラーに取りにいく。結局また今年も30万円近くの出費で、厳しいカード払いとなるのであった。会社では飲み会をまとめ払いカードでして十数万円、先ほど書籍に7,000円、電車がなくなるまで働き、タクシー代カード払い、おお・・・来月の支払い、大丈夫だろうか・・・ちっとも大丈夫でない。それにまだドアは一つ開かないままだし、窓も1箇所開かないし、いやサンルーフも開かない。まあ、フェラーリ持っている人が、車検は100万円といっていたからなあ。それで、いくつか土産とかあって、実家に向かう。家に近づくにつれて、まあ、いつもそれなりに多少の懐かし感が漂う。原付でこけた場所、原付で警察に捕まった場所、原付で信号待ち知らん人とゼロヨンして、ウイリーしてしまった場所。高校の後輩が働いていたのを知らずに入ったコンビニ、声を掛けられると、当時より2倍のぶくぶくに太った後輩がいた場所。靴屋。友達のパーマ屋。友達の家。友達の寿司屋。なくなったフレンドリー。なくなったラブホテル。震災で押し潰れた病院。お、友達の家なくなっとる。サカキバラ事件の中学校。・・・体に熱がたまったようで頭が痛い。昔は頭痛が痛いといっていたな。
2013.07.30
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しかし、身近でフェイスブックのなりすましが今起こっている。なりすまして、友達全員に友達リクエスト送っていて、確認もせずに30人も40人もの知り合いが何故か、承認してしまい、もう6時間も1件1件、取り消しをしてもらうようにメールとかしている。取り消してもらっても、次から次へと、あ、アカウント変わったんだと、承認してきて困っている。いったいどうなってんだ。ツイッターで前にニュースになったのは、バカ日本人が、前のロマ法王がツイッターを始めてエロイ書き込みしたり、フォローしろと迫ったり殺人予告したり、退位したら老人ホームいけといったり、バカ丸出し。オバマにはフォローしろと命令したり讃岐うどん食いに行こうぜと呼ぶ書けたりなんで犯罪とかバカとかさらすんだろう自己顕示欲っていうのかねえ、ったく。まあこういうのは、はははだが
2013.07.29
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朝にバンコク楽宮にチェックインしたものの、頭の中はビーチと寝不足のことだけであった。この旅行ではまだ泳いでいない。時刻表を見ると、スラタニー行きではなく、コサムイまでの船付チケットがタイ国鉄で売り出されており、180バーツ18時半発である。60バーツの宿代は支払っていたものの、これで行くことにした。しかし、まだ1時間程度の余裕があり、ベッドに転がった。2日間寝ていなかったのが迂闊であり、寝転んだ瞬間に、気を失った。しかし、18時5分に偶然目が覚め、急いでパッキングして帽子をかぶり、駅に向かったのである。思わず、駅前屋台で3バーツ出してココナツジュースを飲み。切符を出そうとすると、部屋にいろいろまだまだ荷物を忘れてきたことに気がつく。私は陸上部であった。何故か、横にいた車掌に、もうどうでもいい気分になり、荷物を見ておいてくれと、なくなっても仕方ない気分になりながら、宿屋まで走った。ペースはない。ホテルのシーツを裏返すと、荷物がババンと出てきた。それを抱えてまた走る。駅に戻ると18時半。車掌は焦っていた。荷物を受け取った瞬間、列車は走り始めた。タイではドアは開いたままなので、走って飛び乗った。あと5秒遅ければアウトだっただろう。席は先頭車両であった。先頭まで行く通路で汗がボトボト出てきて、席に着くと、風が窓から吹いてきた。通路を行き来するカオパット売りからカオパットを購入し、1口食べ、タイを思い出した。
2013.07.28
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バンコクドンムアン新空港1987年(20年そこそこでまたスワンなんとかプーム新空港作ったんだねえ) バンコク夜中1時、カラチより到着。空港が新しくなっていることにビビル。前の国際空港は隣にあり、国内線専用になっている。できて1ヶ月立っていない模様。焦燥感、何故なら、どこに行っても誰も横になって寝ていない。これは座って寝るしかない。しかし、隣のジショウタクシードライバーの行動が怪しくて眠れない。あいつは、泥棒業も兼ねている。これは似もtが心配で眠ることが出来ない。これで眠らなければ2日目の徹夜となってしまう。朝を待った。29番バスに乗った、そのバスが人を轢いた。バイクの後ろに乗っていた女性の足を踏んだ。そして早朝、交通渋滞が始まった。渋滞に巻き込まれて、ファランポーン駅まで空港から2時間半かかり、外に出ると汗が噴き出て目がしゅんだ。スワニーで朝食を採り、楽宮に宿をとった。名物の壁の落書きは消され、娼婦がすぐノックしてくるののが鬱陶しい。シャワーを浴びたら、地図を買い、バスでパキスタン航空のオフィスへ向かう。オフィスの十数メートル前で降りたのはいいが、看板を見落とし、1キロ以上先まで歩いて行ってしまう。戻ってきて、やっと見つけ、「マニラまで」というと、「日本人にフィリピンはビザが9月1日から1日の滞在でも必要になりました」噂では聞いていたのだが、その通りのようである。だからあなたがビザを取得するまで、予約はできません。「そうですか・・・フィリピン大使館はどこですか。」彼女は地図を広げ、「遠いです。バスは45番です。」といい、いそいでフィリピン大使館ぬ向かった。バスは119番である。ビザの申請は午前中である。パキスタン航空事務所を出たのは11時45分であり、焦り始める。バスではもう間に合わない、トゥクトゥクに乗り、タバコを渡して、急いでくれ!と叫んだ。大使館に到着したのは12時である。「ビザを下さい、申請書下さい」「よろしい、申請書を渡します。パスポート見せて。あ、ピクチャーがないですね」「いえいえ、こちらに顔写真あります」「違う、パスポートのピクチャーだ」どうやら、パスポートの残りページがないのであった。「しまった、あ、ここにあります」「きみ、ここは追記だからダメだ」派ウポートを見ると、意味なく、1パージ使って1つだけ入国印が押されているトルコとかがあって、なんだよ、これ、インドならここにでも押してくれるぜ、フィリピンもちゃらんぽらんな国じゃなかったのか・・・「君はパスポートの増刷が必要だ」そすすると、クローズドの看板が下り、30秒もしないうちに職員が食事に出始めた。「君も早く出なさい」私は急いで、地図を広げ38番のバスに乗った。そして昼休みに日本大使館に到着し、入口の警備員に増刷して欲しいというと、彼は力なく笑ったがしばらくして、隣の建物の警備員と判明。日本大使館はがっちり閉まっていた。
2013.07.27
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コサムイから昨日戻ってきて、ファランポーンバンコク中央駅に荷物を預けて、パキスタン航空事務所に行き、オープンチケットで今日の空席を確認し、予約したあとは、日本は寒くなり始めた季節ではないかと思い、長袖のシャツを買った。ジーンズまで買ってしまった。5番バスに乗って降りて、適当に歩き、20バーツの安いテープを何本か買い、日本人観光局の前を通った。昨年、全ての財産を失い(空港券以外)トラベラーズチェックの再申請でお世話になったことを思い出した。そのあと、マレーシアホテル界隈を歩く。1980年代終わり、マレーシアホテル界隈は空前のともし火である。カオサンロードに安宿の地位を奪われるまではここか、日本人ならチャイナタウインヤワラートが中心だ。カオサンロードも、地球の打たれ方1版には、1ページしか割かれておらず、知り合った西洋人にその存在をチェンマイで教えてもらったほどだ。確かにカオサンには西洋人しかいなかった。(2,3年後には日本人も大いに増えた)マレーシアホテルには、トラベルメイトという旅行代理店があって、カンジャナさんという人と、空港券のやり取りを国際郵便でやりとりしていて、表敬訪問しようと、行ったが、接客中で、外から見るだけで、その横の屋台でちかくでぶっ掛けご飯を食べ、アイスティーを飲んだ。ルンピニー公園で昼寝をしていると、今頃、日本ではドイツ語の授業がなされていることだなあ、と思いながら排気ガスを吸う。しかし30分後スコール。時計台の下に雨宿りに入り、足元に蟻が大量にまとわりつき、片っ端からプッシュする。雨がやみかけ14番バスでそごう前降り、2軒ある日本の本屋で3時間立ち読み。価格は日本の1.5倍である。その後、タイ映画を分からないまま観る。映画の前には国王が現れ、全員起立である。バス40番に乗って、駅に向かう。また大粒の雨が降った。荷物をピックアップして29番のエアコンバスに乗った。雨が漏れてこないようにだ。しかし、窓から水は漏れ、左肩は濡れる。空港には21時に到着し、あと出発まで5時間ある。空港前にあるドンムアン村にいき、カオパットを食べる。荷物は18キロ。空席は十分あり、3席独占し、マニラに向かう。
2013.07.26
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学生時代の数年間で何度スラッタニーを通ったことだろう・・・その日、日本にいる夢を見ていた。とても古い夢だった。目が覚めると、そうすると、蚊帳の中に埋まっていた。波の音が力なく聞こえた。海を見た。そして、これから日本に向かうことにする、と決心し、十数メートル先の海に足をつけた。朝9時になってようやく、コーヒーを飲みに行き、ケーキまで食べた。このビーチのケーキは、普段ケーキなんか食べないのに、やたら美味かった。雲が美しい。10時はチェックアウトの時間である。勿論、9時に、今日チェックアウトすることに決めた、と伝えた。乗り合いトラックに乗って、ポートに行き、昼食のダッグライスを食べる。12B。去年は小さな船でやってきたが、今回は新しいフェリーが就航したようで、その港まで大型バスが出ている。12時、立ったままバスは進む。12時半 船は出港、マレー半島本土にフェリーボートは向かう。冷房のかかったバスの中でじっとしていた。14時。船は到着するが、また立つことにする。15時20分、バスはスラタニー駅前着。節約のため10時にチェックアウトしたことに加え、宿代を浮かすため列車が明日の朝8時頃にバンコクに到着するように、ここで時間調整する。列車内ではメコンウイスキーでも飲むか。17時座っている。18時座っている。19時座っている。19時20分切符を買う125バーツ。19時56分 列車が入ってくる。空席を探して4両歩く。20時は回りに座っている人を巻き込んでメコンパーティ。就寝は不明だが、酔った気がする。前の席は18歳の高校生の女の子、横は大卒インテリの人、斜め前の女性はずっと寝ていた。6時半 バンコク着。胸がムカムカした。朝日を眺めた。同席した人たちにサヨナラをいいつつ、駅のベンチにまず座る。ほんの2時間座る。なんだか胡坐かいている女性多いなあ。駅で荷物を預け、今日の飛行機に乗れるか航空会社に向かった。
2013.07.25
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バンコクから成田に到着。いったいどうやって到着したのか、であるが、トルコ航空でである。なんせ、往路でパドル(オール)だけがイスタンブールに行ってしまいバンコクに停滞1週間を余儀なくされたのであった。4人のメンバーは日交代でドンムアン空港までオールが送り返されたか見に行くという作業をイヤイヤやっていた。そんな過去もあった。ボート35キロに我々二人の荷物が15キロ以内の50キロで追加料金なしで帰ってきたのだ。なしといえば、成田でOと私の合計財産0円。銀行口座にも0円のため、友達に電話をして来月返すからと、成田郵便局受け取り払いで一万円送金してもらう。(関西までは青春18切符あり)上野まで出てきて、マクド前の公衆電話から自宅に電話して卒業できたか確認する。卒業証書を明日の入社式に持っていかないといかないのだ。しかし、その時点で本当に卒業できていたのか不明だった。卒業式当日はボルネオ島の川下りをしていたのだ。オカンに無理を言って学校まで成績表と卒業証書を取りにいってもらっていたのだ。勿論、オカンは何を持って卒業か知らないから、総合何単位か聞いているのに、英語2が60で、とかいっている。違うんだ、単位だよ~。無事、卒業を確認し、上野の高架下で乾杯する。勿論二人で3000円ぐらいの予算だ。鈍行で神戸に戻り、最後の最後はボートをOに渡し、家路に。帰宅、すると、熱が出る。入社式は出たが、翌日から休む。デング熱、41度まで上がる。完全に飛んでいる。1週間後会社に行くと皆が辞めたと思っていた。点滴を打ちに、2,300メートル先の医院まで行くのに、まるで地に足が着いてなくって笑ってしまった。そして、出社当日前借した。
2013.07.24
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ボルネオ島のゴムボートによる川下りが終わって、一人は、ブルネイに行き、残り3人はクアラルンプル経由コサムイ経由でバンコクに戻って来た。3人のうち私と後輩Yは明後日から社会人である。(Yは某凹板印刷に入社し、そして、半年で仕事が嫌になり、辞め、写真事務所の弟子となり、今は、生活に怯えながらも、かなりのんびりした生活、しかし、仕事がある日は徹夜。この前、仕事を発注した。高校大学同級生で仕事をしたのは心斎橋ワタル(の会社)以来2回目である。実は結構感慨深かったけど、ほんまにこいつがいい写真とってくれるのかすごく不安であり、社内外で、写真いまいちといわれたら自分が非難されている気分になるから、冷や冷やものである。でも彼は、渋い写真を撮り、評判は良くて、身内のごとく安心した。学生最後の夜を過ごしたことを今思い出したんだ。)帰国2日前、もう一人のOが第二次自己破産宣告し、金が尽きたといった。翌日、入社式が東京であるという副隊長Y宿代を払わずして帰国。最後は、ビールを飲みながら彼に、土産のクロングテップタバコ1箱を持たせる。彼の時世の言葉「やけに金のない旅でししたね。やけに区切りのない旅でしたね。何本作ったのですか?」ぼろいベッドの上で彼はいい、私は「こんな犯罪的自由な時間は終わりなんだな。次は40年後だぜ、最後、こんなこともいうのもなんだが、おれたち今、センチメンタリズム状態だな、ははは」と力弱く嘯いた。(彼は半年後に仕事辞める)そして、金がないはずなのに、彼はタクシーでドンムアン空港に向かった夜であった。カオサンロードでさえ、まだ土の臭いがした。夜は、さすがに暗かった。コンクリートの地面がまっすぐではないので、テーブルや椅子が安定せず、ビール瓶が倒れない程度にカタカタ鳴った。 そして私の金も尽きる。部屋代と空港税その他諸々の金額を捻出するために行商を始める。ウオークマン等売却、ベルト売却、とか日本に帰る人にテレホンカード売却とか、ランボーの「地獄の季節」を25円で売ったりしてとにかく宿代をウオークマン代で、食費で300円(=60バーツ)作ったんだ。おまけに、このバカOがカオサンでベラベラ若い奴ら(ってもオレ22歳だけど、バンコク14回目ははは)に話するから、知らない奴らが部屋にやってくる。うっといすいいので、ワットアルン、暁の寺が見えるチャオプラヤー川沿いに突き出た川床でビールを飲みに行く。 空港税の足りないまま、35キロのボートを市バスに乗せ、空港に向かい、ビール飲んだり変なものに金使わなければ済んだのにってのは無視して、空港で日本人捕まえて空港税稼ぐために物々行商して、空港税値切れないか交渉して・・・滑稽だが、あのときは必死こいてやってた。
2013.07.23
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その後のことは、アメリカの会社が韓国人操縦士の名前がサム・ティンロンさんと報道し、something wrong(何かがおかしい)みたいに揶揄して問題になっていいるとか、まあ、報道はあてにできない。UA関空行き それにしても、乗客や目撃者にインタビューして、原因まで求めたりなんかして、素人なんだから、様子以外は聞いても仕方ないんだよ、どうせオーマイガー、っていっているだけだから。それにしても、一番覚えているのが、出版物も多く、謎も多い御巣鷹山だが、その次に記憶にあるのが、羽田沖の事件、1982年だ。当時は分裂症と言われていた、それは差別だということかなんかで失調症になったけど、機長はそんな状態で羽田空港滑走路沖に突っ込んだ。そして、涼しい顔して乗客に紛れて出て行ったのだが、その名前が片桐であり、そりゃもう学校で片桐君だけでなく、片岡君までが、あだ名が「機長」になってしまったなあ。当時は、流行語が飛び出したなあ、「逆噴射」「キャプテン(機長)、やめてください!」それにしても、前日ホテルニュージャパンで大火災があって、どうなっちまうんだにっぽん、って子供心に心配したものだよ。大学の時、旅先で知り合った東京のトモダチの家に帰国した際に泊めて貰ったが、翌日、東京案内するけど、どこいく、ニュージャパンでも行ってみる?だった。
2013.07.22
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私から見たら、どうしても政治家になりたい人、政治家、卑しい人というイメージしかないのだが、よく分からないのが、国民に選ばれたのに、ちーとも国民の民意、少なくとも、好い悪いは別にして、多数決で選ばれたのだが、多数の意見が反映されていいわけなのに、そうじゃない、TPPは反対だ、原発は反対だ、それは国民の半数以上が思っているどころか、8割とか9割が思っているわけだから、不参加とか原発廃止になって当たり前なんじゃないの、つまり、ウソついて議員になったってことじゃないの。あるいは、原発推進の少数派が議員に金や恫喝で従わせているってことか。まさにTPPは、アメリカに恫喝されているから、仕方なくなんだけどね。それとも、多数派ってなのはバカなのか。昨年、大飯原発を急いで稼動させたけど、させなかっても電気供給できてることが判明したら、なんだ、いらねえじゃん、ってばれてしまうからじゃないのか。というよりも、今稼働中ってここだけやん、これって間に合ってますよってことやん、電力に足りないから原発が必要なのではなく、他の理由があるのですね!データは不明だが、今すぐ廃止したって電気は回る、原発を勧めるために、他の稼働率を落としているわけだし、原発が電力に閉める割合は低い。そもそも、コストが高い、効率が悪い。しまった、そういう話ではなかった。つまんない選挙でしたね。
2013.07.21
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実は、出発の3日ほど前に、顔半分が腫れて、皮膚科にいくと、これはヘルペスですね、といわれ、そういうのはセイビョーヘルペスしかないんじゃないのか、と思いきや、セイビージャナーイヘルペスもあることを初めて知った。知ったが、また3日後来てくださいねといわれたが、3日後の今、イラク航空の中にいる。結局、顔面眉に傷が残り、もうこれは消えない。今でさえ、成田発のほとんどの航空会社がバンコクまで6時間かかるのに、イラク航空だけは5時間でバンコクに着く。いやはや、学生時代ってエジプト航空、パキスタン航空、イラク航空、成田ではこの3社ばかりだった。1度トルコ航空があったな。しかし、今回は、バンコクで乗り継いで、次はビーマンバングラデッシュ航空だ。 しかし、バンコクでは、ジュライも楽宮も満室で、何故か溢れた日本人4人ほど(全員一人、女性1人含む)がジュライの前あたりで困っていた。みなバンコクは初めてで、とくにポプミン国王に顔立ちの似た男は、海外初めてで、常夏にコートを着ていた。仕方ないので、皆を連れて、トゥクトゥクに5人乗ってカオサンに行った。面倒になって、カオサンVSクリニックに泊まり、早速、クリニック、そんな時代だった。他の4人も私の指導の下、よく分からんが、「貴重な人に会えましたよ」とやたら関心していた。多分、彼は今も私のことを覚えているだろう。部屋は中二階の雑魚寝で、どうみても、部屋が満室過ぎて、従業員の部屋っぽく、電話まであり、やたら電話がなるので、仕方なくとると、「その辺にガーナ人がうろうろしてんんだろ、そいつと代わってくれ」などと、取次ぎ人と化したのであった。そして、ガーナ人を部屋に入れると、「オメエ、明日、映画に出ないか」とまた訳のわからないことを言い出し、明日はインドに行くんだというと、そっか、と残念そうにしていた。翌日、日本人4人は、何故か、残念です、と私との蚊ワレを惜しむほどウブな人たちだった。そうやっている間にボヤボヤしすぎて、ドンムアンに着いたのは出発30分前、何故か当時はまだ乗れたんだよな、成田でも一度20分前にカウンターに行き乗れたからなあ。オマケに荷物チェックインした。今なんか、40分とかのノーショーを確認して、OK!と乗れるぐらいだからなあ。その夜カルカッタに着いた。
2013.07.20
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・・インドに行く。また行く。1年ぶりに行く。地図を持っていく、インド亜大陸の。歯ブラシも持っていく。本体も勿論持って行き、あとはパスポートと金と着替えが1種類。つまり、パンツ2枚、シャツ1枚、ズボン1枚、上着1枚。タオル1枚。まあ、その他もろもろだ。(結論としてこれだけだ)1ヶ月、ショルダーバッグで旅行する。大学の試験の終了翌日にすぐ行くので、試験は困る。試験なくして欲しい。何の使命感も罪悪感も持たずに出かけます。アシュラムにも行く(行かなかったけど)。インナートラベルする(しまくって帰れなくなりそうだった)ネパールも行く(行った)インド最南端カニャマクリ行く(行けなかった)遠足だ、エクスカーションだ。とにかく行く。(試験翌日)落ち込んでも仕方ないが、東京まで、夏の格好で行く。寒い、2枚しか着ていない。それも早く大阪を出すぎた。行き急いでいる訳じゃないんだ。ただ、大阪で会った人と早く別れ過ぎて、名古屋で途中下車したぐらいだ。駅のホームからブリヂストンというネオンが見えた。寒いと何だか惨めだった。5度ぐらいなのに2枚、それも薄々のシャツとTシャツだ。映画を観たが、立ち見だった。立ち見で、見てもどっちでもよかった「レインマン」を見た。ラスベガスまで飛行機で行こうというトムクルーズに、カンタスなら落ちたことがないからいいと、ダスティンホフマンがいう。それだけを覚えている。 鈍行で東京に着き、上野に行った。早朝5時である。日本社会の景気は良い。寒空で震えていると、「兄ちゃん、仕事あるで」と2回声を掛けられる。怪しい手配師を振り切り、高架下の喫茶店に入り、暖をとって外に出るとまた「兄ちゃん、仕事あるで」と先ほどの奴が声を掛けてくる。「インドに今から行くんですよ」私は寝不足で弱った声でつぶやく。インドではなく、成田だろ、私は小声でつぶやく。
2013.07.19
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全く困ったことだ。私は何なんだ、こんなこういう会社のこういう部署にいまして、こんな感じの仕事してます、なんて初めて会う人に自己紹介してないか、不安になる。いや、そういうのが面倒だからできるだけ、新しい人に会いたくないんだなあ、でも世の中は進むから会ってしまうのは、これちっちゃな歴史は進むから。 社内でも呑みに行ったら、もう絶対、後輩だったら、仕事の話はしたくないんだなあ、死後の話ならしていいいけど、仕事の話って仕事なんだから自分じゃないじゃん。 でも、初めて会った人とはなんらか共通点を見つけようとするよねえ。住んでいるところ、家族、趣味、週末や長期休暇の予定、天気、楽しかった思い出、簡単なのか難しいのか。まあ、確かに仕事以外で会った人には、こんな仕事してますなんか、いきなり言わないしなあ。
2013.07.18
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ダッカから飛んできて、1ヶ月前に作った背広をインド人の店に取りに行き、散髪をする。 先ほど知り合った奴が、同じ近畿圏の大学生で、まあ、信用できそうだったので、金が尽きたというので、あとは日本に帰るだけというので、2000円貸して、空港行きバスを見送った(その後彼からの音沙汰はなくなった。大きなことは言えないが大阪芸術大学の奴だった) こちらも、明日帰国するが、残金は20ドルだ。まあ、東京帰るまでにスッカラカンになるまでには、まだ十分遊べちゃうじゃん、と金の使い道を計算する光速で精緻で隠微な私であった。水シャワーを浴びて、裸のまま、気持ちいいなあとベッドに寝転んでいると、体の至る所を蚊にやられて、いけないと、そのまま波状的に何かに嵌っていった。インドの帰りのたった2泊のタイだったが、インドで時計を売り払ったので、早朝の飛行機だというのに、何時か分からない。昨晩のビールが少しだけ残っている気もしながら、フロントまで何時か確認しに行き、朝の7時であることを確認し、スプライトを飲んだ。インドに比べて、もう日本に帰ったも同然気分になりつつ、部屋に戻り、荷物をひっくり返し、総チェックし、余計なものが入っていないのか確認作業。行き止まりのソイ(通り)の一番奥にあったホテルだったので、大通りのスクンビットまで400メートルぐらいあり、そこまでバイクに乗る。1バーツか2バーツ。バイクはソイを往復して銭を稼いでいる。そこから空港行バスに乗ったが、何か慣れているはずなのに迷い迷って、混乱状態となり、まあ、結論的には遠回りする。しかし、空港行きバスを違うルートで遠回りして行けるとは知らなかった。成田空港を出たのは夜の10時。イラク航空は3時間ディレイした。皆が日本語を話しているのを聞いて面白いと思いながら、池袋から練馬までタクシーに乗り、トモダチにタクシー代を払ってもらうと私を見て「おまえ東北から出てきたのか」と言われた。何せ、バンコクでオーダーメイドで100パーセントシルクの背広を作ったはいいが、それを着て帰ったものだからね。
2013.07.17
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ひねくれ系の私だから、なんだろう、キャリアアップのビジネス書は読んだことがありません。ビジネスに才覚のある人は、才覚があるから、そんな自慢話聞かされても、多分、参考にはなりこそすれ、参考になったつもりになるだけだろう。プライド誇り高き私だから、隠しているけど、10代、20代の頃は、多少精神世界にどっぷりつかったような気がして、本気で、オレも10年宙に浮きたいと、ずっと念じ続けたら浮くんじゃないかと思っていた。しかし、もしソレが本当だとしたら、それが10センチ浮くだけだったらなんて無駄な10年なんだ。でも自在に宙を舞えるとしたら、10年の無駄な時間を取り戻せるほど、余生を楽しめるかも知れないなあ。オレオレ系のオレだから、成功者になりたかったら、成功者の真似をしろ、真似ができないなら、成功者のロボットになっちまえ、まあそういうことかもしれないけど、そういう人は、ゴメンだけど、記憶力がいいとか、親が金持ちとか、とにかくラッキーだったとか、賢いので出身大学とかが違うとか、要は、素が違うんです。自虐的あきらめ系の私だから、それでも成功したいか、この本を読め、俺の言うことを聞け、こういうふうにしたらうまくいくよ、簡単なアドヴァイスというより、全く考え方を変えなくては成功者にならない、しかしまあ、それって、今までを、今までの自分を否定せよ、そりゃ、辛いよなあ。しかし、世の中、もっと格差広がっているんだねえ。厭世主義の人嫌いの私だから、結局、他人に一回も人生相談しないけど、でも結構三木清やトスルトイの人生論にほほーと感銘を受けた大学時代もあったけど、何故相談しないかというと、相談して実践しないからだ。しかし世の中、じゃあ、こうしたら、っていっても、ちーっともそうしないただ聞いただけ、みたいな人、多くない、じゃあ聞くなよ、でも聞くことが大事で答えなんかどーでもいいんだよねえ。
2013.07.16
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車検を出しに行ったんだ。しかし、車検証がなくなっている。覚えは全くなく2年間勿論そんなものを確認下覚えもない、手数料は5,000円だが、自分で再発行で陸運局に行けば数百円だ。半日会社休むかな。どうしようかとネットを観ていると全く同じ人がいた。 車検証がない…!!新住所で車庫証明をとったので、自動車の住所変更手続きをしようと思ったら…自動車検査証が見当たらない!なぜだ?…車検証や自賠責保険、車庫証明は自動車のマニュアル等とともに一式まとめて車に積んであったはずなのに、車検証だけがない。→車検を出しに行ったら、ダッシュボードに車検入れてますよと車屋さんに言って取りに言ってもらうと、ない、なぜだ?…車検証や自賠責保険、重量税領収書等とともに一式まとめて車に積んであったはずなのに、車検証だけがない。昨年ディーラーで車検を受けたとき、翌日先に車だけ戻ってきて、後日新しい車検証とステッカーを送ってもらったことを思い出した。車のウインドウを見ると、確かにステッカーは張り替えてある。ということは、その際に車検証も一緒に送ってもらっているはずなんだが…車検整備の領収書は確かにあるのだけど、やはり車検証だけがない。→確かに2年前ディーラーで車検を受けたとき、翌日先に車だけ戻ってきて、後日新しい車検証とステッカーを送ってもらったことを思い出した。車のウインドウを見ると、確かにステッカーは張り替えてある。ということは、その際に車検証も一緒に送ってもらっているはずなんだが…ソレが入っていた簡易書留の郵送物の封筒も確かにあるのだけど、やはり車検証だけがない。車や家の中をあちこち探しても見つからず、どうにも困り果てて車検を受けたディーラーに経緯を話して相談すると、車検証は本人が認め印を持って陸運局に行けば簡単に再発行できるという。→車やの中をあちこち探しても見つからず、どうにも困り果ててディーラーに相談すると、家で一回探してください、ハイ分かりましたというが、家は、書類で山積みでもうこれは操作不可能である。車検証は本人が認め印を持って陸運局に行けば簡単に再発行できるが代行だと5,000円だという。会社を半日休むかどうか。というか、半日ただ働きと同じだ。そこで、これ以上思い悩むなら再発行したほうが楽かと思い、陸運局へ。かかった費用は、再発行と住所変更の申請用紙とを合わせて50円、印紙が車検証再発行に300円と住所変更に350円。(代書を頼むと両方で3500円ほどかかるらしいが、それはもちろん頼まずに自分で書いた)→陸運局は、実は私の家の近くだ、車があれば、10分で行ける。…実際手続きをしてみると、再発行の手続きはいとも簡単だった。そのあとやった住所変更の手続きの方が、書類も記入すべき箇所も多くて、よほど面倒だった。とはいえ、そう何度もやるようなことではないので、また無くさないように気をつけよう…。 →この2年で走ったのは2000キロぐらい、毎月100キロ程度だ。年間何回かは遠くに出かけるがこれじゃあ、レンタカーかカーシェアしたほうがいいよな、結局、手軽さと見栄だけに、毎月換算して5万円ぐらい払ってんだよなあ。カックン。
2013.07.15
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寝つきが悪い夜を終えて、一度は7時に起き、チャイを飲んだが、もう一度眠り、正式な起床は9時45分。インドに今回サヨナラを告げる日が来て、日本の自分の部屋の机に座るまで4日かけて帰る、と考えると、何となくもう終わりなのに、終りじゃないと過程を考えると疲れる、その移動にうんざり、と気持ちでは思う。気持ちの逃避的な問題は、やがて忘却によって解決されるだろう。といかく意見はそれ程重要でない、シャダルタの言葉を都合よく受け止めよう。昨晩会ったインド人が、「インドでは、至る所に死が転がっている。ただ死を考えるか、考えないかの問題だ」と端的にいうとそうなのだが、会話の過程を忘れてしまったので、覚えていることにあまり意味がない。ホテルの部屋は3階であり、カラスが鳴く、べスパの音がする、子供たちがお喋りしながら通り過ぎていく、雀、口笛、音の集合体。海が見える、インド的な家、ポルトガル的な家、木、電柱。少しの潮の臭い、インドのトイレの臭い、パーンの臭い、湿ってかび臭い。味、少しふやけたキングスフィッシャービール。出発だ、完全に守りの体勢だ、これから乗り合いタクシー、列車、リムジンバスかタクシー、飛行機、バス、飛行機、バス、トゥクトゥク、飛行機、電車を乗り継ぐ。調子よく行き過ぎたら、調子悪いぞ。例えば、このヨットパーカー、高校の時に購入して、ずっと仕舞われていたが、今回着てきて、ボンベイの乞食に喜捨する。カレーを食って14時、乗り合いタクシー乗り場へ。人数6人揃うまで車内で待つ。駅まで両脇有刺鉄線で挟まれた1本道を駅まで向かう。グジャラート州でここだけが酒の飲める地域、昼間からインド人が酒飲んでいる地。バピ駅15時、列車に乗り込む。車内は、物売りの集団、リンガ(だん根)模様のベルを杖につけた小人の乞食、片足の靴磨き屋、通路いっぱいになるほどの荷物を抱えたスナック菓子屋、チャイ、コーヒー屋、水を売る尻の異常にでかい女、訳の分からぬ草をうる少女、威厳のある顔で寝っぱなしの老人。ある駅で物売りは全員降り、おびただしい乗客が乗り込んできた。近郊になったのだろうか。4時間の乗車時間に汗でべっとりとなる。19時、ボンベイセントラル駅へ、近郊列車でチャーチゲート駅、タクシーでフォート地区へ行く。コフタとチャパティーを食べ3時間程、ボンベイを彷徨い、22時ボンベイ空港に向かう。何故か、かなり暇であった。私から日本人を見て声をかけることは、滅多にないのだが、ぼんやりしている日本人を見つけて、1時間程お茶をして、深夜2時にチェックイン。ゲートでダッカ行ビーマン・バンクラデッシュ航空を待つ。冷房は効いてはいるがやたら蚊が多くて、暇な係員に意味なくパスポートをチェックされたり、インド音楽がかすかに流れていたり、夜中もあって気だるく、不快な夢のよう。 機内に乗ってよいことになったが、席はフリーシート。機内で席を探し、座ると、まだ機内に蚊が飛んでいた。ヨーロッパから飛んできたのか多くの西洋人がうつらうつらして悪い空気を出している。斜め前の西洋人は、タバコに火をつけ手に持ったまま、目が閉じられているAM3時半。 ビーマンは飛び立ち、寝ようとするが、無理矢理起こされ飯を食わさせられる。隣のバングラデッシュ人は、食べ終えた後のプレートや皿を自分のカバンに仕舞った。空が白み始めた頃、ガタンと着陸して目が覚め、ダッカに着いたことを確認した。
2013.07.14
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しかし、これまで韓国に行くのに何度も利用したアシアナ航空である。 今でも、まだ事故調査中なのか、滑走路の向こうにあの機体が置かれているとのことだった。惨事とはなったが、数々のラッキーもあって、爆発するまでに時間もかかったので、よかったようだ。脱出の放送をキャプテンがするまでに90秒ぐらい何故かしなかったので、写真を見ると、キャリーバッグや免税袋持って出ていた。さすが中国人、とは思うものの、90秒も何もなかったらオーバーヘッドピンから荷物出すかもな、まあ、扉も開いて中身飛び出してたかも知れない。 中国人女性三人がサマーキャンプ行く途中で、なくなったが、一人は、救急車に轢かれた後があったりして二次災害もいわれている。ところで、韓国では、ニュースで、わが国の国民でなくて良かったです、と報道、当然すぐ非難の嵐が吹き荒れ、さすが、最近日本と仲が悪くなって、輸出でないと生きていけない韓国は、珍しく国を挙げて速攻で謝罪。関係改善に四苦八苦している。サムスンは凄いが、凄い要因の一つに不本意にウォンが高いからね。価格競争では簡単に日本は負けてしまう。韓国って、前にも書いたけど、ホテル代は高いけど、あとは、東南アジア並みに物価が安い。 あと、対応が遅れたのは、これまた日本の航空会社にもいえるが、英語力もあるのではないか。アメリカ系航空会社は、サービス面ではホントダメだけれども(まあ、ほったらかしにされるのが好きな私にはいいんだけど)、何よりもセイフティだけは、第一にしている。何か、惨事になったときに、英語が出来るパイロットや乗務員がいないと、やばいよね。 それにしてもインチョン経由でこんなけ中国人の富裕層子弟が留学に行くって、やっぱ富裕層は信じてない事情もあるんだろうなあ。中国、やばい状況にあるしな。意外と日本人1人って、もっと地方の人なら仁川経由いるかと思ったけど、そうでもないのか。それにしてもトリプル7は1995年登場依頼もっとも安全な機体で、死者を出したのは初めてなのだ。こりゃあ、何が何でも機長副機長の操縦ミスが原因とされるだろう、ボーイングもアシアナも、評判落としたくないからというシワク思惑も当然働くだろう。
2013.07.13
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まあ、メジャーな国はいいとしよう。 ルーマニア人 ローマ人という意味のこの国、ラテン系で明るく解放的、ではあるが、ながらくの共産圏、チャウシェスクの影響が傷を引いているのか、何となく暗い感じもした。もしかして、ローマ人末裔といいながら東方正教のせいか?ところで、ルーマニアといえばドラキュラだが、たいがい、またかよ、って困惑するのではないか。我々も、オーゲイシャハラキリサムライ、といわれると、はあ、となるのと似た感覚かもしれない。元となったプラドは串刺し公といわれたが、オスマントルコから攻めてきた兵士をそうやってみせものにして、あの地方にいる奴は変態だとオスマントルコをびびかせ、撤退させたルーマニアの英雄だ。 ブルガリア人 ヨーグルト、我々ならそう思うものだが、まあ、あそこはデザートやおかしではなく、スープや上からかけて食べるものである。前にも書いたがブルガリアってのは旧東欧では親ソだった。案外ソレは地理的なもので、ソ連を一番きらったのは、東ドイツで、離れるほど干渉が減って親ソ的になっていくものなのかもしれない。性格もあるのか、世界の火薬庫バルカン半島で珍しく他民族との争いが少ないのは、なんだろうか。89年、東欧が五月雨式に政権の迂回した時も、じゃあ、うちも社会主義やめます、とあっさり政権を放棄、流血沙汰はなかった。それで政権をとったのが第二次世界大戦後退位した元国王が首相、なんと4,50年ぶりじゃん、気長だ。 リトアニア人 なんていうか、バルト三国でワンセットにされるが、私も中途半端にラトビアだけ行ってないのだが、まあそれはいいとして、リトアニアは3国でも昔独立してたし人口も多いので、何となく兄貴分風である。3国では一番ロシアへの反発が強く、アメリカナイズされている。ちなみに、私の勝手なロシア像は、パルナスモスクワの味で、あの曲に近いと感じるほど、ロシアっぽい感じでエストニアはそう思った。子供心に朝から暗い気分にさせてくれるパルナスモスクワの味最高級のCMだ。 ポルとガル人 スペインと違って背が高いよねえ、というのが第一印象だったがハゲも多く、世界でハゲが多いのは、チェコ人かポルトガル人だ、まあ、それはいいんだけど、なんとなく過去の帝国からみたらしょぼい国になって、それが、サウダーデという言葉を生み出しているのかもしれない、なんとなくその国の言葉で、どうも説明しにくい、説明したらマニアックになって本が1冊できてほんま、そうなんかいな、という感じ、日本語で言えば、わびさび、みたいな感じ、の分かるようで分からないような。スペインは派手な衣装のフラメンコで合いの手も入るが、ファドは、まあ、服装も黒っぽくて地味だ。しんみり、サウダーデ気分で静かに聴く。まあ、この国の栄光は大地震で終わった原因もあるので、日本も参考になるんだろうなあ。 アルバニア人 アルバニアって、ソ連にそっぽ向き、中国と仲たがいして、ソ連崩壊までヨーロッパの北朝鮮状態で鎖国していた国で、その分、国が開いたら、速攻でねずみ講で国家が破産するという世間知らず感を表した正直な人々だった。今はどうか知らないけど、まあ、行ってみれば、一角は明るく飲んでいるエリアがあり、価格安いし、他国からのんべいで占領されている。ちなみにアルバニアを訪れる日本人は年間1000人。
2013.07.12
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まあ、メジャーな国はいいとしよう。 ウクライナ人 ウクライナ人の女性は、行っても分かることだが、有数の美人国家である。そして人口が極端に減りつつある国である。当時はソ連に併合されたが、かつてはキエフ公国(今の首都ネ、キエフ)でキリスト教国だが、それはイスラムは酒が飲めネエからこの寒い国、それじゃあ、やってけねえよ、ってことで、大雑把にいえばイスラムが入らなかった。そうえばゴーゴリもウクライナ人だ。ソ連人じゃない。でも、本当は、ウクライナのこと良く知らないんだ、3,4日いたんだけど。何故だか分からないんだけど。 ポーランド人 割と宗教チックで、ヨーロッパの北部では珍しいカトリックの国で、さすがヨハネパウロ二世を生んだ国である。私がかつてファンだったナスターシャキンスキーのように、なんとかスキーさんが多く、あ、多いんだよね。マアチャイコフシキーはロシア人で、チェルピンスキーは東ドイツだったけど。わりと早起きの国で、確かに朝散歩してたら通勤客とかパン買う店が満員だった。まだ7時ぐらいだったのに。仕事は8時~16時くらいらしいよ。でも酒が好きだから飲んで夜更かしして慢性寝不足の国らしいよ。早起きするから1日4食の人も多いらしいよ。親日家と聞いたが分からない。基本ロシアを取ったら隣国になる国は親日家の国だからねえ。 スロバキア人 チェコと円満離婚したスロバキア、いいとこ持っていかれて悲しい国とされているが、かつてはチェコに対抗心燃やしてナチスに協力しちゃったんだよねえ。パッとしない農村の国だが、「おお牧場はみどり」これはスロバキアの歌である恋の歌である。でも残念ながら私のスロバキアの印象は、ウーンだ。インターネットできるのに、言葉が通じないからできませんといわれ、店でたら、後に座っている人がネットしてたの見たから。あのババア・・・まあしゃあないか。 スロベニア人 要は、スロバキアと意味はおなんじスロバキアの人だ。ユ-ゴスラビア分裂の、経済のいいちころだけを持っていっていち早く独立しちまった要領のよさ、チトーを生んだ国ってな感じで、したたかだ。そして非常に綺麗で掃除好きなのかという感じで、何となくドイツのような几帳面さを感じ、その分少々退屈だ。 ハンガリー人 ハンガリー人は姓名の順である。海外に住む人も多く数学者も多いって、なんだか、大道芸人券数学者兼ハンガリー人のピーターフランクルを思い出すよね。あとは、今のコンピュータはノイマン型、これはハンガリー人の名前だし、ルービックキューブ発明した国もそうだよねえ。ロバートキャパもそうだったな。まあ、ハンガリーはワインだ、ソレもトカイワイン、貴腐ワイン、でもあれむっちゃうまかったけど、あれワインじゃないよ。
2013.07.11
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アジアに旅行に行った昔、様々なヨーロピアンに出会ったが、まあ、今考えたら彼らは例外ぽい部類だ。東南アジアやインドが好きなヨーロッパ人だから、それにシンパシーを感じている奴らで、それでも、何人か知り合って、彼らの本国に行ってちょと違うなということは多々あった。 イギリス人はまあ、不潔であった。足を洗え、という感じで、いや体を洗えという感じだった。スペイン人は、おもろかった、白人なのに、英語が話せず、白人の輪の中でシーンとしてた、まるで日本人のようであった、が、洗濯なんかは鼻歌を歌って実は陽気だった。ドイツ人は、倹約家はそのとおりなんだが、まあ、なまけものであった、いやはや、アジアに来るヨーロッパ人は基本的に怠け者のはずだ。今は、お金持ちになったので、さっぱり分からないが、昔は安宿で、宿帳には国籍を書く欄があって、西ヨーロッパとアメリカ人がががーっと書かれていて、時々、ブラジルとかオーストラリアとかニュージーランドとかあって、まあ、1980年代とか1990年代前半だよ、アジア人は、必ず日本人だけだった。あとは中国メインランドに香港人がいたぐらいだ。でも日本人自身を持て、私を含む過去の栄光のシャイな奴らが今もアジア各地に好印象を残している。タイでもマレーシアでもインドネシアでも、飲んでうるさい韓国人や、常に自国中心の中国人と違って、まあ、日本人は現地に溶け込むし、優しいよ。東南アジアでは、旅行者がダントツに多い、中国人や韓国人より日本人は好印象だ、間違いない。日本人はアホなんだ。植民地には、どうしようもない奴を派遣するのだが、満州にも韓国にも台湾にも日本のえりーとを送り込んで、何故か借金までしてちっとも搾取になってねえ。なんだろうね、コノメンタリティ・・・あ、しまった、本題に入る前に終了だ。
2013.07.10
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実は3はないのである。直前空席状況を確かめるのは、スカイスキャナーである。個人旅行者にお勧めサイトだ。昔は、一歩海外に出るともう『連絡』つかないぞ、フリーだ、であったが、今は便利なのか不便なのか、チートモ分からない状況。機内WIFIもある。そんな時代にネットしようとは思わないのだが、ちなみにJALは1時間1200円、24時間2200円プランらしい。でもそのうち、これも無料になるかも知れないねえ。そしたら太平洋上とかシベリア上空からあなかにメールか何かしてみるよ。それで、へーこんな時代になったんだねえ。と返答があって、それで終わり。A380の売れ行きが悪いらしいね。ルフトの東京発ビジネスクラスは2階がオールビジネス、これってほんまエコノミーってな感じに見えるよねえ。シンガポールのチャンギ空港は常にいい空港トップ3に入るが、トランジットで何時間かあれば無料の市内かんこうつあーがあったり映画館とかプール、庭園があるわけだけど、まあそれはそうとして、仁川や香港に併せて羽田国際空港も健闘して、いるらしいよ。アメリカの大手航空会社は、厳しいよね、各国は国がバックについているけど、アメリカって国、おまえら独自に頑張れや、競争社会だからな、そんな訳で過酷な経営状況が、アメリカの問題であり、全部経営困難なので、これが当たり前と思ってしまうほど、アメリカの国内線は大変だ、が、まあ、バスとか列車と同じような移動手段にしか過ぎないと思えば、まあ、それでいいか、って感じもする。アメリカ、6時間飛んで、まだアメリカ?そらそう思うわ。ありゃバスだ。鉄道も昔、石油会社が徹底的に潰したからね。ほんま邪悪な奴らだ。ところで、昨日のアシアナのサンフランの事故、滑走路にいたのはユナイテッド航空関空行きだけだったとのこと。あれが着陸したら飛び立つ予定だったらしい。しかし、少し間違えると、破片が飛んできたり、体当たりされて、多くの日本人も犠牲になっていたかもしれない。
2013.07.09
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ネギキムチである。青ネギは私の大好物なのであるが、ネギキムチはおおよそ10センチ刻みぐらいになっており、ネギの宿命で、歯にひっつき噛み切るのが難しい。事前に包丁でもうちょっと細切れにしておいたらよかったのであるが、それは面倒なのでせずに、食べると、なかなか切れない、いいえままよと食べると、食道と口の中でネギがつながり、苦しい状態となった。これはなかなか苦しい。縄文人である。あるってどうか知らないが、聖徳太子以降1500年というのに、縄文時代は1万年、これは文献がないからざっくり1万年なのか、ずっと1万年大きな争いがなくうまく機能してきたから続いたのか、は知らないが、原始時代よりは、よっぽど高い文明で生きてきたのだろう。そんで、何を食っていたか、というと、それはおせち料理である。プリミティブなもの、あこがれる。この前、久しぶりにイタリアン(サイゼリア)行って、初めてハンバーグ食べたら、なかなかまずかった、でもすごいよなあ、厨房に包丁がないって。こりゃ、マクドみたいに、皿洗いの仕事なくしたのと同じだよねえ。そうなんだよなあ、イノベーションは新たな仕事を生み出すこともあるけど、仕事を奪っちゃう場合も多く、あげくに、教育や技術がなければ、世界中の低所得者と同じ競争に巻き込まれる。厳しいなあ。そういえば、ほんま、どっか、美味い店ないの、ネットでパンパンパン、評価が勝手に書かれたり、自作自演したり、それは勝手だが、残念、どうしようもない利便性だけが取り得だった店がどんどん駆逐され、なんでこんな店が存在するのだ、でもまあ、駅前やからしゃあないかあ、のような店は昔は利便性で満足していたが、なんとなく、それなりにおいしい店ばかりになって寂しい気がする、だって、美味いまずいは評価でなく、その人の好みだからねえ。実際、いわゆるエスニック料理なんかは、随分現地とは違う日本人向けの味になっていて、これじゃあ、物足りないぜ、もっと臭くないとダメ!とかいっても、それは、評価で駆逐されていっているのかも知れない。
2013.07.08
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えー、パート2はどこから始めるか、というと、それは決まってないわけで、パイロットにやくちゅうが多いとされているのが、ライアンエアならぬライオンエアである、このまえバリで着陸失敗したインドネシアのLCC。それも、LCCで忙しすぎて目がシャッキとするMAMエーの使用度が高いという、ああ、タイでもトラック運転手にヤーバーが流行ってたよね、覚醒系のね。ところで、日本で一番近い航路は南大東島と北大東島、お馴染みの天気予報登場島であるが、登場時間は5分程度だが、世界ではスコットランドにあるらしいね、1分ぐらいの。なんぼやろか。ちなみに、世界一長いノンストップ路線は、有名なんだけど、シンガポール航空によるシンガ-ニューヨーク(ニューアーク)だ18時間半。でも、橋なるらしいよ、そうなると、シドニー-ダラスのカンタスになるらしいよ、カンタスっていえば、もうイメージはゲイ、すみません。まあ、前にも書いたけど、空港の世界共通語は英語なんで、技術は別にして、安全な航空会社は英語圏の会社なんだけど、まあそういう意味でJALとANAは結構やばくて、海外では、管制塔の英語を聞き間違えたのか無視して着陸してしまうことが多々あるらしいのだが、もっとやばいのが中国系だ、なんせ、急成長しすぎて英語がおぼつかないパイロットが増殖中。結構、自己中心的に着陸するらしく、迷惑されているらしい、おまけに、パイロットが足りないのでガンガン、外国人を採用、その外国人パイロットが技量不足、こわいよー。でも安全度ランキングは掲載する雑誌によって評価点が全く違うからアテにならない。あてにならないといいうなが、ワーストに入っていたのが高麗とアフガニシタン航空、なんとアフガンのカーム航空、アヘン密輸疑惑まで。最近、ネットが発達したので、ほんま、LCCでなくても、航空券を代理店通さず直接買ったほうが安い場合が多いし、多少高くてもマイレージがしっかりついたり、座席できたりするので、油断せず、いろいろチェックすることが必要である。そういえば、サモア航空は、あの国はデブが多いからかも知れないが、体重別運賃を導入、そういえばエアバスでは肥満席設ける提案も。座席数同じでは、その分、やせっちの席は狭くなる。まあそれは、航空会社の事情だ。航空会社は、荷物もさることながら、いかに軽く飛ばして燃料費を節約するかということも、命題だ。 この前、空席あるのに、ウエイト&バランスで搭乗拒否されそうになったけど、当方体重60キロである旨を大主張して、最後の最後に乗れたという苦い経験もある。タイでは、オカマさん、いっぱいいるよね、前にも書いたけど、LCCのPCエアー、これトランスジェンダーの集まり、積極的に採用。いやはや、そういえば、滑走路のことをランウエーっていうけど、2年ぐらい前にファッションショーの通路もランウエイということ知った。ユニフォームだが、クリスチャンラクロアのエールフランスも層だが、日本でもLALは丸山啓太、ANAはディレクハニフがデジャインするらしい。1980年代、大韓航空に乗ったら、ほんま城や青や赤の原色チマチョゴリだったし、タイ航空も民族衣装アエインディアもサリー(今もか?)だったなあ。そんでもって45年間ユニフォームを変えていないのがシンガポ航空。でもシンガポ国内では、体のラインがピッチリしているんで、職業の評価が低いらしいよ。なりたい人は周りの説得に大変らしいよ。LAX(ロサンゼルス)空港も広がるらしいね。とかいっていると、今日サンフランでアシアナがえらいことになりました。
2013.07.07
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昔、アメリカではパンナムとトランスワールドが2大勢力であったが、どちらもつぶれ今は、アライアンスの競争となっている。スターアライアンス、ワンワールド、スカイチームで全旅客の6割だ。今どこに入るかどうするのか注目されているのがエティハドだ。今度乗ってやろうとは思っているが、やはり同じ国の航空会社エミレーツと一緒になるのか、エミレーツは実質オーストラリアのカンタスを手中に収めたような感がある。ちなみにカンタスの男性乗務員のほぼ100パーセントはゲイだ。その他の航空会社の先進国の男性乗務員は、それよりは更に低く、私の経験では8割程度がゲイでしかない。2割ぐらいのストレートの男性は、接客業が好きでたまらないのか。まあ、最近、ワニが輸送の檻から逃げ出したけど。カンタスは国内線は、黒字だが国際線は赤字で、エミレーツと資本提携したってわけだが、昔、なんだっけ、ダスティンホフマンとトムクルーズの映画で、ホフマンが自閉症だが、数字の記憶が凄い人で、ラスベガスで大もうけ・・・ああ、レインマンだ。成田まで鈍行で行く時、数時間早く家を出たので、名古屋で途中下車してレインマンを見たんだ、それも立ち見でまいたな、という映画の中で、カンタスだけは飛行機が落ちたことがないと言っていた。 LCCもアメリカのサウスウエストが1970年代の前半に登場し、遂に日本もピーチ、エアアジア、ジェットスターなどLCC元年みたいなのを迎えたが、純日本流のピーチだけがいち早く黒字を出しそうだという。それは決め細やかさだというが、なんだろう、まだバス、電車感覚がないのか。思った程伸びていないらしい。まあ、世界髄一の空港使用料の高さ(パーキング代やね)かねえ。でも安ければといいのだ、というが受けているのが、茨城空港だよね。何セ、東京までバスが500円。これが受けているらしいね。東京から成田まで成田エキスプレスで3000円コースだから、なんや得した気分になるやろね。あっこは春秋航空だったっけ。皆さん、ところで、どうですか、私、すぐ、空港と航空、言い間違えます。当たり前のように間違えるのです。さっきも春秋空港って3回もキーボードを打って変換してしまいました、順番力が弱いのです。それは、まあ、仕事も人生も順番が簡単に逆になってしまうんです、ヨーク考えても間違えるんです、それが人生。どれがや。そうだ、朗報もある、今年五月でアメリカでX線ストリップ検査終わった、らしい。6月以降いってないからな。悪名高き人権侵害全身透視スキャナー、両手上げてハダシになって、おれもシュウタイをさらしたよ、10回以上はね。でも、あれ結構検査早いんだよなあ・・・イライラより、いい感じも、男性の場合は思うかもなあ・・・。面倒になってきたので2回に分けることにする。
2013.07.06
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下ではタイ式蹴鞠をしているようだ。今まで何回、勝手に蹴鞠に参加して恥をかいたか。やたら迷っている。起きるかどうかさえ迷っている。さえ、というか、他に何を迷うのか。昨日、終わりし標にと私は自転車を海に沈めた。揺れていた。自転車は短い付き合いと短い人生を嘆いて泣いていた。私は、海から自転車を引き上げ、暫く自転車で波際を乗りまわす。車輪は水を割る。そして、宿に持って帰り、宿の主に、どこで売れるか聞いてみた。主は俺が買いたいといいだした。数泊の宿代と相殺してもらうことになった。何故自転車がいるのだろうか分からないまま、昼、駅前の市場を散歩した。相殺も何故か、私が計算、そのあたりがよく分からない。 宿屋の主が駅の近くでリキシャにまたがり、客待ちをしていた。彼は、念願の宿を開いたばかりで、西洋人向けコテジというのに、まだほとんど英語が話せず、資金も足りないのか昼間はリキシャの運転手をしていたのであった。自転車を引き取ってもらった意味が少し分かった。 その後、ほんの少し泳ぎに出かける。四時間程。 意外と早く夕方になり、コテジの二階から卵屋の行商を呼び、二つ買った。そして、メコンウイスキーをドイツ人と飲む。ドイツ人はタイ語をひとつしか知らなかった。ありがとうの男性形だけだ。スコールが激しくなり、これが止めんでも急ぐことは何もなかった。これが止めば、飯も食おう。狂気の処女よこんにちは。狂気の処女よこんにちは。陶酔のときよ来給え。歪んだ顔がくるくる回ってる回ってる。 四時間のビーチタイムで、渋谷でタイ料理を経営している人と出合った。君は、いつもいい子にしているんだろうなあと含みある言葉を彼はいい、私ははにかんで曖昧な対応をした。若さだけが私の勝るものであった。完敗でなくて良かった。味にある人になりたい。味付けできる人になりたい、そう思わせてくれる。安泰な生活ぶっ壊してえ。不必要に清潔なのは許容できない。危険だ。そのときが来れば、一番にくたばってしまう。臆病は長生きの素で、引き下がらぬは早死に、頭のいい奴は生き延び、筋を通す奴は死に、狡猾な奴は生き延び、正直な奴は死に絶える。それはそれで良かった。何もしてくれるな、おせっかいを。時代の流れが速すぎて付いていけないなら、早目に抜けたほうがいい。不良は格好よくなければ、不良とはいえない。少しひねくれて、少し反抗する奴には、少し優しくしてやれ。少し反抗するから、少し優しくしてくれ。少しつけあがるから、少しおとなしくしていてくれ。結局、優しさに嫌気がさして収拾がつかなくなったら、暫く、ほっておいてくれ。しばらくして、ニコニコしていれば、それでイッツオーケーだ。すまない。安全という無菌の管理下で育ったお陰で、すっかり洗脳されているものだから、ここで少し唱えるよ。利用されないように。断固、愛すべきもの以外のために死なないように。生命の危機を刺激的に、結局、安全な中で求めたがっている。退屈な天国で。欲望が少なければ、パワーの方向を有り余らせている状態で、満足も少ないのか。楽あれば、更に楽あり、苦あれば、更に苦あり、というのが我侭でよい。よい、というより現実か。美の欠点は美し過ぎて一点の曇りが目立ち過ぎることか。美しくあり続けなければならないことか。差異に、落差に人は笑う。 南へ。あと、四日ある。サムイ島の時間まで。地図を広げて、マレー半島を見る。百キロ先にプラチュアプキリカーンという海沿いの街がある。明日はここに行くことにする。今は頑張らなくてもいい。夜になった。海と空の境界線を今から見に行く。・・・追記それから社会人にもなり、10年近くが経過し、渋谷のその店に行ってみた。私は飯を食った。オーナーは体を壊し療養中とのことで、10年たって、私なりの答えを用意していったのだが、遅すぎたと後悔する。それから更に3年後、行ってみると、バリのお寺風の建物がそのまま個人宅になっており、店はなくなっていた。そして2年後、ふと立ち寄ってみると、建物自体なくなっていた。
2013.07.05
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バブル期は三高といわれていて、今は三低という時代が来ているという。低収入、低脳、低級ではない。低リスク、低姿勢、低依存らしい。私はバブルの頃は、まあ年齢がばれるから言わないけど、学生時代だったので、なんと、その頃から三高だったのだ。高収入、高身長、高学歴だ。勿論当時の小学生と比較してだ。とにかく、多分、高校生より、身長以外は、誰よりも学歴が高く、まあ、収入もたいていは、高かったと思う。いや、今だって、自分の会社内では、20代の社員の誰よりも高収入であり、ほんの身長や学歴が負けているぐらいだ。おまけに20代の同社社員の誰よりも税金を払っている日本国家からみたら、社内で20代のだれよりも有用な人間なのである。はっきりいって自信をもっていえる。いえるが、仕事量や、才能や、効率や体力では、同社20代社員の誰よりも負けているが、そういうことはあまり問題ではない。ただ、いまのところ、定年退職前の人の誰にも収入面で勝てないところが珠に瑕だ。そんなこといって、三低時代。低収入、低脳、低級でだったら、低級ぐらいしかとりえがないが、実際の、低リスク、低姿勢、低依存であれば、なかなか私は優秀である。確かに低リスク、・・なんだこれ。低姿勢、まあ、コレは胸を張っていえる。それに低依存もである。いやはや、なんと言うか、あ、低リスクって、安定収入のことだな。低姿勢は、暴力振るわないこと、低依存は、いてもいなくても一緒ってことかな。 格差社会が叫ばれて、見えないというのは、分かる。見えないのだ。
2013.07.04
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私の場合、幸運にもサラリーローンマンをしているが故に、寸志と称するボーナスが至急される。要は、お金をくれるのだ。勿論、それは、現在社会がゆえ、頂けるのは、数字である。銀行からその数字を引き出して、一度はその厚みを確かめる、ことはなくって、ここから毎年、半年分の家賃とか半年分の駐車場代をまとめて払うようにしている。そうすることによって、前払いで心証をよくしようと、最初は考えてはいたのだが、実際は毎月払うのが面倒なだけだ。半年分も前払いしてくれて、何ていいタナゴなんだ、と最近まで思っていたが、ふと、支払先は老人であることに木がついた、これは、年金代わりの副収入ではないか、だったら毎月、チョビチョビ入ったほうが嬉しいのではないかと。それに一気にビッグマネーが入ると、すぐに賭け事(例、パチンコ、マージョン、競馬)に一気に使ってしまうのではないか、老人の計画人生に狂いを生じさせるのではないか、と心配になるのであった。毎月、ありがたくちょびちょび払ったほうがいいのではないか。ふと、自分を振り返る。私に入る不動産収入は、それは微々たるものであるが、今はサラリーローンマンがゆえ、それに依存しているわけでは全くない、どころか、口座暗証番号まで忘れてしまったのである。つまり、そこから管理費とかも引いているので、不払いになると数ヵ月後に残高が0になり、えらいことになるのである。今のところなっていないということは、真面目に家賃を払ってくれているのだ、という証拠である。少なくとも数ヶ月前までは。私は真摯であり、真面目なので、借りてくれている人に携帯番号を教えているばかりか、毎年、年賀状まで出している。それもオカンが作った年賀状に住所を記入しているのである。それに、まだ会った事はないのだが、それは理由はあって、支払先の人間が自分より年下の若造であるということだ。きっと、相手先は年金暮らしのおじいちゃんに家賃を支払っていると思っているのではないか。何故そういうことが分かっているかというと、よく覚えていないが保証人がアニキで、何故かそこに年齢があったのか、その保証人の年収をみて、(保証人は大手の会社でイメージがついた)私と同い年くらいだと感じたからだ、あれ、感じただけか、あてにならないな。そうじゃないな、はっきりとした年齢がどこかにあったのだ、要は、忘れちまった、というか、家賃収入の引き出し方が今だ分からない、私でありますってことであります。
2013.07.03
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今日は、いや、今日も一体ナニをしていたのか、考えてみた。行きの電車の中で「写真で見る20世紀」みたいな本を20分で終えてしまう。途中地下鉄で、北朝鮮の本を読んでいて、降り過ごす。 年に3回程度。寝過ごすのと同じ程度の回数のまま9年が過ぎた。 お客様と面談するが、口紅の色が特殊な色だなあ、と思う。 記憶なし。 別のお客様と面談するが、顔がにこやかで、口調が怒っているなあ、と思う。 記憶なし。 62歳の人と話をしているが、よく喋る。ホント、世の中の多くの人はよく喋るし、声の大きい人が多々勝つし、かしこいなあと思う。何故私は、長く話していたら、最初に話していたことを忘れ、起承転結がなくなるのかなあと思う。パソコンに向かっていたら仕事している感じになるけど、何面も画面を出して、疲れたら次の画面の仕事をして、ナントも集中力がないなあと思う。業者と打ち合わせしたら、何でこんなに話を聞くのが億劫になるのだろうかと思う。 変わらず。 今日は用事がありますからなんて言って、先に帰りながら、今日は早く終わったなあと思いながら、古本屋に寄っててなんだかなあと思う。そんでもって読みもしないのにまた10冊程度本を買ってしまい、カバンがパンパンに腫れてかわいそうだなあと思う。 あれからカバン2回ぐらい変えて、多分、またあのときのカバンを使っているような気がする。理由はいっぱい入るから、それだけ。 3日ほど連続で忘年会だったが、つくづく飲みに行くの飽きたなあと思う。若い頃は家に帰るのが面倒で、飲みに行くとすぐ電車の時間が終わり、血管が破裂しそうになりながらサウナで一人我慢大会していたが、今なら本当に破裂するかも知れないなあ。 サウナも飽きた。熱い。 銀行振り込みの収入って、数字だけで、リアリティがないなあと思う。 今なんか給料日も知らない。25日ではないんだ、だから分からないんだ。 若いのに家でゴロゴロしてたら何だか気が滅入るし、親も苛々したり心配するから旅に出たのかあと思う。無責任になれるからなあ。 今も1週間休みがあって家でごろごろしてたら暇だから旅行にでも行くって感じかな。一生、休みになったら、一生どっかいかないといけない。 物事をやってみるって、なーんだこんなものかって実感するためだっていうのが多々あるよなあ。大学なんて最たるものだ。で、実際、凄いことを成し遂げたら、その時点で自分にとってそのことは全然、すごい事じゃなくなってしまうんだなあ、と思う。クリーニング代、よく考えたら毎月、5000円以上は使っているんだなあ、なんだかなあと思う。 昔は自分でカッターシャツしてたんだけど、5分1枚、クリーニング代100円とか200円・・・もうクリーニングだそう、そういう気分になっちゃう、それなら寝ていたい、睡眠五分100円、あ、あるビルの一角に昼寝屋ってあったなあ。マッサージ屋みたいな感じなんだろうなあ。マッサージ師が来ないだけで、地べたに敷いた布団で寝るんだろうな、薄いカーテンで隣と仕切られていて、じゃないか。実は、本に熱中する以外にも、地下鉄で寝てしまい、降り過ごしたんだなあ。秘密だよ。 揺られるってことは何年たってもつらいよ、座ったら起きていることができない。 9年たってもそういうものだよ
2013.07.02
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よく考えたら急所からだった。
2013.07.01
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