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頼まれていた猫の絵、2か月遅れでようやく仕上がりました。 普段はタブーにしている写真を見て描くという作業は、予想以上に大変でした。 まだ乾いていないので光ってしまっていますが・・・。
2017.04.19
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本日も個展出品作品の中から紹介します。『裸婦』 SM 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.12.03
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さて、本日も個展出品作品の中から紹介します。『猫・まなざし』 SM 油彩(Grisaille on Glassy)モデルは5年前に亡くなった、我が家の愛猫『どん君』です。
2016.12.02
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本日も個展出品作品の中から紹介します。『裸婦』 F4 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.11.29
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さて、今日も個展出品作品の中から紹介します。『梟・記念写真』 FO 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.11.28
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さて・・・本日も個展出品作品の中から・・・。『青の道化・たまご』 油彩 F6
2016.11.26
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さて、今日も個展出品作品の中から紹介します。『裸婦』 F3 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.11.25
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今日も、個展出品作品の中から紹介します。『微睡(まどろみ)』 SM 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.11.22
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おはようございます。雲は多めですが秋らしい凛とした空気の朝です。個展出品作品から今日も一枚紹介します。『猫・肉球』 SM 油彩(Grisaille on Glassy)
2016.11.18
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『裸婦四態』 1991 初めて屏風に挑戦してみた。油絵で屏風は・・・とも思ったのだけれど、『なんでもやってみること』・・・ということで。屏風の木枠も自分で制作・・・溝をついて板をはめ込んだ。製作期間は4ヶ月・・・今では置き場所に困っている・・・(^0^);『裸婦四態』 1991 油彩・板 1500×600(2400) 4面屏風
2014.07.08
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『平和への祈りー折り鶴』 2010 見ての通り、昭和20年8月8日の朝日新聞で折り鶴を折り、それを開いたものを描きました。30cm角のものを116.7cm角に拡大して描いています。99%は本文通りです。グリザイユで描き、一部にfrottageを施して、グラッシーしています。『平和への祈りー折り鶴』 2010 油彩 S50
2013.03.24
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『道化の自画像』 2004 前に紹介した水墨画『我』の元になった自画像のデッサンに彩色したものです。スケッチブックに描かれた膨大な数のデッサンは僕の財産です・・・特に裸婦デッサンは何度も形を変えて作品に登場してきます。裸婦のままだったり、衣装を着て化粧をして道化になったり・・・。『道化の自画像』 2004 油彩 F6
2013.03.02
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『森の詩ー06』 2004 この作品も『Via701』での個展出品作です。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・。梟を描くのは、この作品で最後ということにしましたので、これから描くことはなくなるだろうと思いますが、とても勉強になる題材だったように思います。『森の詩ー06』 2004 油彩 F0
2013.03.01
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『森の詩ー05』 2004 これも『Via701』での個展出品作です。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・。僕にとっての梟は道化の延長上で・・・梟の顔は、まるで道化の顔のようにみえて・・・縁起を意識したわけではないのですが・・・。『森の詩ー05』 2004 油彩 F3
2013.02.28
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『森の詩ー04』 2004 この作品も『Via701』での個展出品作です。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・。ちょっと調べてみた・・・Yahoo百科事典 【梟】 owl 広義には鳥綱フクロウ目フクロウ科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの1種をさす。この科Strigidaeには約120種が含まれる。全長14~70センチメートル、体のわりに頭部が大きく、ほかの鳥と違って目が顔の前面についているのが特徴である。多くの種では、目を中心として顔に顔盤とよばれるくぼみが発達している。嘴(くちばし)は短いが頑丈で、全体に鉤(かぎ)形に湾曲している。足も短いが頑丈で、足指には鋭くとがったつめがついている。羽色はどの種も全体にじみで、褐色や黒などからなっている。頭頂部に羽角(うかく)とよばれる長い羽毛をもつ種がおり、これらの種は多くの場合ミミズクという名がつけられている。この耳のようにみえる羽毛は、実際には飾り羽で、耳とは関係ない。耳は顔盤の下に隠れている。フクロウ類の大部分は夜行性または薄暮性である。聴覚および視覚は非常によく発達しており、完全な暗闇(くらやみ)の中でも採食することができる。フクロウ類の外観を特徴づけている顔盤は、集音器として、その下にある耳に音を集めるのに役だっている。耳は大きさ、位置ともに左右不相称で、左右の耳に入ってくる音のわずかなずれを利用して、音源の位置を正確に知ることができる。羽毛は非常に柔らかく、また風切羽(かざきりばね)の前縁がぎざぎざに切れ込んでいるため、飛んでいるとき羽音をほとんどたてない。夜の猛禽(もうきん)フクロウ類は、昼間の猛禽ワシ・タカ類と同様、小形哺乳(ほにゅう)類や鳥などを主食にしている。これらの獲物は、一般に枝上から地上に飛び降りてとらえる。一部の種は魚や昆虫を主食にしている。飛翔(ひしょう)している昆虫を主食にしているアオバズクNinox scutulataなどでは、聴覚による狩りが重要ではないため、顔盤の発達が悪い。繁殖期になると、雄は小鳥のさえずりに相当する種固有の鳴き声を発する。これによって縄張り(テリトリー)を構え、つがいを形成しているものらしい。一部の種では、雌も同様の声を出し、雌雄で二重唱することが知られている。巣は樹洞を利用することが多く、1腹2~5個の白色卵を産む。南北アメリカにすむアナホリフクロウSpeotyto cunicularisは、プレーリードッグなどがあけた地中の穴に営巣する。フクロウ類は南極を除くほぼ全世界に分布し、生息環境も森林から砂漠、あるいはツンドラにまでわたっている。種のフクロウStrix uralensisは、ヨーロッパからアジアの中部、北部にかけて分布し、よく茂った森林にすむ。全長50~60センチメートル、全体に灰褐色の羽色をしており、「ゴロスケ、ホーホー」と鳴く。日本でも一年中みられる留鳥である。 『森の詩ー04』 2004 油彩 F3
2013.02.27
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『森の詩ー03』 2004 写真が光ってしまっていますが・・・この作品も『Via701』での個展出品作です。1998年にも梟を描きましたが、このシリーズは《写実》より《造形》《デザイン化》を重視しました。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・。『森の詩ー03』 2004 油彩 F4
2013.02.26
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『森の詩ー02』 2004 この作品も『Via701』での個展出品作です。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・。『森の詩ー02』 2004 油彩 F6
2013.02.25
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『森の詩ー01』 2004 この作品も『Via701』での個展出品作です。フクロウは《不苦労》に通ずるようで縁起が良いとか・・・そのせいかよく売れました。僕にとっての梟は道化の延長上で・・・梟の顔は、まるで道化の顔のようにみえて・・・縁起を意識したわけではないのですが・・・。『森の詩ー01』 2004 油彩 F6
2013.02.24
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『二人』 2000 静岡市《大道芸ワールドカップ》のボランティアスタッフの娘2人を描かせてもらいました。活き活きとした表情が良かった・・・。『二人』 2000 油彩 F20
2013.02.01
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『日輪』 1999 これも銀座『あかね画廊』での個展のために描いた作品です。50号(116.7cm×91.0cm)の大作です。完成まで3ヶ月かかりました。般若心経と日輪を背景に、一人の男と二人の女・・・どのようなことを連想してもらえるのだろうか・・・。『日輪』 1999 油彩 F50
2013.01.30
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『踞る』 1999 この作品も、銀座『あかね画廊』での個展出品作です。この18cm×14cmの小さな作品で、背中が何かを訴えている・・・ということが感じられたら良いと思うのですが・・・。『踞る』 1999 油彩 F0
2013.01.29
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『項垂れる』 1999 この年は、顔を描かずに心の中(心情)を表現する・・・そのようなことに挑戦した年でもありました。知る人の全くいない東京・銀座での個展は、何度開催しても大きなプレッシャーを感じます。地方都市と異なり、銀座の画廊には、著名な美術評論家やコレクターが訪れます。目の肥えた美術愛好家も画廊巡りをしているわけで・・・絵を描くということの難しさを再認識する機会となるのです。小さな作品で、オリジナリティーを明確に描ききる・・・未だに難しい課題です。『項垂れる』 1999 油彩 F0
2013.01.28
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『塔 tower』 1999 この作品も、銀座『あかね画廊』での個展出品作です。昨日も書きましたが、この頃のモデルさんは大変だったろうなぁ・・・と思います。かなりきついポーズを要求する僕のわがままによく付き合ってくれました。おかげさまで、多くの話題を残すことのできる個展になりました。『塔 tower』 1999 油彩 F4
2013.01.27
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『矩形』 1999 この作品も、銀座『あかね画廊』での個展出品作です。今思えば、この頃のモデルさんは大変だったろうなぁ・・・と思います。無理難題のポーズを文句も言わずにやってくれました。『矩形』 1999 油彩 F4
2013.01.26
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『家族』 1999 この作品は1991年に描いたものを、色調を変えて描き直したものです。父として、夫として、家族を守りきれなかった事への反省を込めて描きました。完成させた作品に手を加えるというのは、僕としては異例のことです。我が家の玄関の壁に掛けてあります。『家族』 1999 油彩 F20
2013.01.25
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『マザーmother』 1999 これは、銀座『あかね画廊』での個展の出品作品です。《母性》を表現するのに、このようなトルソのような裸体を描きました。東京のデパートに勤務する女性にお買い上げ頂きました。僕の作品特に裸婦作品は、女性にしか売れない・・・なぜなのでしょうか・・・。『マザーmother』 1999 油彩 F6
2013.01.24
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『裸婦』 1998 この作品のモデルさんは、小さな劇団の女優さんだそうで・・・生活のためにモデル事務所にも登録しているとか・・・。僕が指導していた裸婦デッサン会に来てもらったのですが、翌日個人のモデルとして描かせてもらいました。珍しくモデルを目の前に油絵を描きました。前の晩には、一緒に酒を飲みながら色々な話をしましたが、そのことが描かれた表情などに現れていたようです・・・。『裸婦』 1998 油彩 F6
2013.01.21
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『裸婦』 1998 絵画のモチーフとして、裸婦が一番難しいと言われる・・・ごまかしが効かないからだ。デフォルメと称して、わけのわからない(?)いじくり方をする絵描きさんもいるようだが、デフォルメというものは正確なデッサンから生まれるもので、デッサンのできない人にデフォルメという言葉は無いと思う。チョット生意気を言ってみた・・・。『裸婦』 1998 油彩 F6
2013.01.20
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『焚き火』 1998 実際に焚き火の前にモデルさんを立たせて描いたわけではありません・・・当然ですが・・・。ロウソクやランプの灯り・・・つまり、炎には独特の表情があります。子供の頃、ボーイスカウトで経験した、キャンプファイヤーの炎・・・母の葬式で祭壇に揺れていたロウソクの灯り・・・。人の肌にそれが揺らいで、他の光では得られない表情を見ることができます。『焚き火』 1998 油彩 F6
2013.01.19
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『二つの顔』 1998 こちらは、銀座『あかね画廊』での個展の出品作。作品のテーマはひょんなことから生まれることが多い・・・『二つの顔』というのは、テレビドラマかなにかのタイトルだったように思う・・・なんと安直な・・・。いつもは、顔に道化化粧をするのですが、仮面をしていた設定でその仮面をとった素顔を描いてみようと思ったのです。でも・・・その顔にも化粧が・・・。『二つの顔』 1998 油彩 SM
2013.01.18
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『記念写真』 1998 そう・・・この年、梟を描くため、上野動物園の特別企画『夜の動物園』に参加したのでした。夜行性の動物たちの夜の生態を見る・・・というものでした。多くの人は猛獣の檻の見学を楽しんでいたようでしたが、僕は係員さんに事情を話して、ほとんどの時間をフクロウの前で・・・。普段見ることのできない『夜の動物園』楽しいものでした。殆どは子供連れのお父さんお母さんでしたが・・・。『記念写真』 1998 油彩 SM
2013.01.13
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『器(うつわ)』 1998 この作品のモデルは、画廊の常連さんでもあり僕の絵のお弟子さんでもあるYさん。かなり個性のある良い絵を描く女性です。画廊で抹茶を立ててお出しした時にデッサンさせてもらいました。手に表情があると感じたので、器を持つポーズで描かせてもらいました。『器(うつわ)』 1998 油彩 SM
2013.01.12
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『海の声が聴こえる』 1998 この作品のモデルさんは、まさに海さんです。そう、名前が海さんなのです。当時経営していた画廊によく来てくれていた、日大三島の学生さんでした。映画関係の仕事に就きたいと言っていましたが、今はどうしているのか・・・結婚してお母さんになっているのか・・・。15年経っていますから、もう30台半ばになっているんですねぇ・・・。『海の声が聴こえる』 1998 油彩 SM
2013.01.12
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『仮面舞踏会への誘い』 1998 これが梟を描いた最初の作品だと思うが、何故こんなタイトルをつけたんだろう・・・。このあとも梟は何点か描くことになるのですが、最初は擬人化を狙っていたと思うのです。2004年の個展で『山の詩シリーズ』を発表するのですが、珍しく数点が売れました。後でわかったことなのですが、梟は縁起が良いのだそうです・・・不苦労につながるとか・・・。『仮面舞踏会への誘い』 1998 油彩 F4
2013.01.10
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『パンドラの壺』 1998これもまたギリシャ神話から・・・ 【パンドーラーの箱】プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るよう神々に命令したという。 ヘーシオドス『仕事と日』(47-105)によればヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々はあらゆる贈り物(=パンドーラー)を与えた。アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて箱(壺ともいわれる 詳細は後述)を持たせ、エピメーテウスの元へ送り込んだ。ヘーシオドスは『神統記』(570–615)においてもパンドーラーについて触れ、神々からつかわされた女というものがいかに男たちの災いとなっているか熱弁している。 美しいパンドーラーを見たエピメーテウスは、兄であるプロメーテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚した。そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて箱を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。しかし、「ἐλπίς」(エルピス)のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその箱を閉めてしまった。こうして世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった。ヘーシオドスは、「かくてゼウスの御心からは逃れがたし」という難解な言葉をもってこの話を締めくくる。 バブリウス『寓話』は、これとは違った物語を説く。パンドーラーは神々からの祝福が詰まった箱を与えられる。しかしエピメーテウスがこの箱を開けてしまう。祝福は飛び去ってしまったが、ただエルピスだけは残って「逃げてしまった良きものを我々に約束した」という。 この神話から、「開けてはいけないもの」、「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句として「パンドラの箱」という言葉が生まれた。パンドーラーはその後、エピメーテウスと、娘ピュラーと、ピュラーと結婚したデウカリオーンと共に大洪水を生き残り、デウカリオーンとピュラーはギリシア人の祖といわれるヘレーンをもうけた。【箱か壺か】先述の通り、箱に関しては壷という説もある。ヘーシオドスの著書『仕事と日』の文中では、「壷(甕、ピトス)」という表記がされている。これがパンドラの箱について触れられている最古の書物だと言われる。 最初に「箱」(ピュクシス)という表記が用いられたのは、ルネサンス時代、ロッテルダムのエラスムスによる記述であり、これは誤訳により甕が箱になってしまったと言われる。『パンドラの壺』 1998 油彩 F0
2013.01.09
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『ナースキャップ』 1998 この作品のモデルはカミさんです・・・若かったなぁ・・・。30代の頃、肖像画も随分描かせてもらっていたので、久しぶりに描いてみました。『ナースキャップ』 1998 油彩 SM
2013.01.09
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『たまご』 1998 以前、この作品と同じ構図の作品を紹介しました。『道化』 1995 F10です。その作品は、黄色いボールを抱きかかえたものでしたが、こちらは大きな卵を抱いています。この卵に秘密があるのです・・・写真ではわからないと思いますが・・・。絵かきはこんな遊びも試みるのです・・・僕だけかもしれませんが・・・。『たまご』 1998 油彩 F6
2013.01.08
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『レダ』 1998 昨日の投稿に引き続き【ギリシャ神話】から・・・ゼウスはレダを愛し、白鳥の姿に化けて彼女を誘惑した。鷹から逃れるために、白鳥の姿のゼウスはレダの腕の中に隠れた。密通によってレダは卵を産み、卵からヘレネーが生まれた。ヘレネーは後に「トローイアのヘレネー(トロイのヘレン)」として知られる美女になる。 同じ卵から、または別の卵からカストールとポリュデウケースが生まれた。2人はディオスクーロイ(ゼウスの子の意)とも呼ばれる。また、クリュタイムネーストラーが生まれた。 伝承によっては誰が誰の父親だったかは異なるが、一般的にはヘレネーとポリュデウケースはゼウスの子であり不死で、カストルとクリュタイムネーストラーはテュンダレオースの子であり死の運命があるとされる。 レダはテュンダレオースの子であるほかの娘も産んでいる。ティーマンドラー、ポイベー、ピュロノエーである。 ほかの伝承では、ネメシスがヘレネーの母であり、やはり白鳥の姿のゼウスによって孕まされたとされる。羊飼いがその卵を見つけてレダにあずけ、卵がかえるまでレダは注意深く胸に収めたという。卵がかえると、レダはヘレネーを娘として育てた。ゼウスはヘレネーの誕生を記念して、天空にはくちょう座を創造した。『レダ』 1998 油彩 F10
2013.01.07
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『イカロスの海』 1998 【ギリシャ神話・イカロス】ダイダロスはイカロスの父で、細工の名人であった。ダイダロスがミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を造った。ダイダロスは後にミノス王から見放され、息子のイカロスと共に、ある塔に閉じ込められてしまった。その塔を抜け出すために、鳥の羽を集めて、大きな翼を造った。大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋(ろう)でとめた。翼が完成した。二人は翼を背中につけた。父ダイダロスは、息子のイカロスに言う。「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」二人は飛んだ。農作業中の人々や羊飼いたちが二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思った。イカロスは調子に乗ってしまった。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまった。太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまった。イカロスは羽を失い、青海原に落ちてしまった。以後、その海はイカロスと名づけられた。『イカロスの海』 1998 油彩 F10
2013.01.06
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『夢』 1996 この作品もモデルはどん君・・・大活躍でした。ドン君が逝ってから1年半になりますが、ドン君の餌場だったダイニングの済には今でも遺影とお水が置かれています。カミさんは毎朝お水を交換しています。『夢』 1996 油彩 F3
2013.01.05
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『赤いネクタイ』 1997 この作品はニュージーランドの個展リストにはないので、銀座『あかね画廊』に展示したものだと思うのだが・・・。やはり、あらゆるものを記録しておく必要があったと、今更ながら思う・・・。こうして、記憶をたどりながらの投稿も、自分自身の足跡を確認するような作業なので、とても時間がかかる・・・。『赤いネクタイ』 1997 油彩 SM
2013.01.04
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『情念』 1997 ニュージーランド・オークランド市での個展のために描いた作品です。『和』を表現しようと描いたのですが、最初は髷を結った髪型でしたが、現代の日本への誤解を避けるため、このような髪型になりました。個展では、来場者から多くの質問をいただいた作品です。『情念』 1997 油彩 F10
2013.01.03
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『しゃぼん玉』 1997 球体の立体感としゃぼん玉の透明感に挑戦した作品です。マチエールに注意して描いたことを思い出します。『しゃぼん玉』 1997 油彩 F3
2013.01.02
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『おっとっと・・・』 1997 明けましておめでとうございます。今年最初の作品紹介です。チョットおめでたい道化作品・・・。今年もよろしくお願い申し上げます。『おっとっと・・・』 1997 油彩 SM
2013.01.01
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『籐椅子の裸婦』 1996 この年には何人のモデルさんに来てもらい、何枚の裸婦を描いたのだろう・・・。まだ、三島市にアトリエを借りていた頃だったので、モデルさんも呼びやすかったんだろうな・・・。《第一美術画廊》に掲示していた《モデル募集》のポスターの効果もあったのだろうけど・・・。『籐椅子の裸婦』 1996 油彩 F10
2012.12.31
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『裸婦ー記念碑』 1996 思い出深い作品です。銀座『あかね画廊』での個展で、大手新聞社4社に取り上げられ紹介された作品です。このような小さな作品が記事になるのは異例のことということでした。ちょうど取材のときに来ていた、東京のOLさんが買ってくださいました。この個展では、『裸婦』の油彩作品が数点売れるという、珍しい現象もあり・・・やはりマスコミの力は大きいと感じたものです。『裸婦ー記念碑』 1996 油彩 SM
2012.12.30
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『裸婦』 1996 SM(サムホール)の『裸婦』が続きますが・・・このサイズ、慣れると描きやすいのです。縦横の比率が良い塩梅で・・・P型のキャンバスに近い比率なので、人物画の全身像にはちょうど良い感じなのです。ちなみに・・・F型はフェイス型、P型はピクチャー型、M型はマリン型の頭文字です。『裸婦』 1996 油彩 SM
2012.12.29
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『裸婦』 1996 エロティシズムと猥褻の境目はどこにあるのだろうか・・・ジャン・ジャンセンのように、究極のエロティシズムを追求した画家もいますが、とても難しい問題だと思います。昔、ある画廊で個展を開いたとき、ショウウインドウに『裸婦』を展示しようと思ったのですが、画廊店主に「裸婦をショウウインドウに展示するのはどうも・・・」と、拒否されたことがあります。残念ですが、美術に携わる画廊店主でさえそうなのですから、一般の方は理解できないものがあるのだろうなぁと思います。『裸婦』 1996 油彩 SM
2012.12.29
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『裸婦』 1996 まだまだ裸婦が続きます。この年は多くのモデルさんをお願いしたようです。こうして振り返ってみると、驚く程の多くの絵を描いている・・・47歳かぁ・・・若かったんだなぁ・・・。『裸婦』 1996 油彩 SM
2012.12.28
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『裸婦』 1996 裸婦モデルをやろうという女性には3種類くらいあるように思います。Aお金のため。 プロのモデルさんは当然このグループに入ります。 本人も絵を描くという女性も多いようです。 実際に美大生の女性もいました。美大はお金がかかりますから・・・。 元々写真のモデルだった女性が、年齢を重ねて絵画モデルになるのが多いようです。 アマチュアでも、アルバイト感覚で脱ぐ娘も多かったように思います。B裸を見てもらいたい。 ちょっと変な表現ですが、実際に何人かのモデルさんはそうだったようです。C若いうちに、記念に描いておいて欲しい。 先方から描いて欲しいと頼まれてモデルにしたことも数回あります。 お母さんが、自分の娘を描いて欲しいと言ってきたこともあります。 この時は、モデル代は支払わず作品を差し上げました。ちなみにこの作品のモデルさんは、AとBの両方・・・バイト感覚で脱ぐのも平気・・・といった感じでした。『裸婦』 1996 油彩 F10
2012.12.27
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