またがってクリこすりつけてアンアン言いながら勝手にイッたぞ(^^;
スゲーと思って見てただけなのに3万くれたしイミフすぎwwwwww
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(2010年01月21日 03時43分42秒)

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2010年01月17日
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カテゴリ: 日記

(mixiの日記より転載したものです。)



ここ数日、暗鬱な内容で申し訳ないです。
しかし、私は自分の書きたいこと書くので、読みたくない方は、読まないで下さいね。
読んでからの苦情は受け付けかねます。


おそらく、しばらくは病状とか、そう言うのをつらつらと書き連ねていきます。
まぁ、祖父の時と同じだと思ってくださってかまいません。(3年くらい前かな?)








16日(15日夜~翌日深夜)くらいが、おそらくのやまだったのだと思います。
16日の朝には数値は落ち着きを取り戻しつつあるようでしたし・・・。

そうすると、大分と数値は良くなっていました。

17日は朝に今後の事(主にお金的な)話しをして、お昼頃に病院へ。
数値はすごく落ち着いていて、本当に寝ているだけのようでした。
点滴は昨日と同じものをしていました。
・栄養剤的なもの(標記から推測)
・病原菌予防的なもの(標記から推測)
あとは、最初からしている血圧を落とすもの。

栄養剤的なものは8時間かけて落としているみたいで、日に3回?しているとか。(お医者さんがおしゃられていた)
あとは、抵抗力が落ちているから、病原菌から守るために定期的に日に何度かしている・・・とのこと。



発症から意識混濁までの状態が、脳幹出血の事例どおりでした。

頭痛→嘔吐→意識混濁→四肢の麻痺→瞳孔の収縮(・・・→死亡)



因みに、14日のお話。

父は、急速な意識混濁は起していなかったと思います。
最低でも、5分ほどは妹と会話らしきものをしていましたし。
頭痛してからの言動が可笑しかったですが・・・。
深夜に頭痛で目が覚め、薬を探しに言って「ないなぁー」とか言って、母の薬置き場を物色していたらしいです。(その周辺に薬がまき散らかされていた)

異変に気がついた妹が起きて来て、身体が傾いた父を支えました。
そのあと、何回かの父と母の問答のあと救急へ電話。
ちなみに、私は自分の部屋でその様子を聞いていたのです。(父と母の問答に入るまで)
その後、電話する母の横で、手早く着替えて必要なものの準備(保険証とか)をして、救急車が到着するのを家の外で待機。
到着した救急隊員の方々がこちらに向かうのが見え(町内の道が狭いので)たので、隊員の方に説明しました。その後、妹と私の声に良くわからない答えをする父でしたが、隊員さんたちが抱えあげる?とぷつりと何も言わなくなりました。
隊員さんたちが出て行く中で、妹に「お祖母ちゃんいるし、家にいてな?」と伝え、母と救急車に向かいました。
救急車が動き出すも搬送先が見つからず、見つかったのは20分くらい(3:10ごろ)でした。そこから搬送先が見つかり、病院に到着。(3:25くらい)だいたい父が倒れて1時間くらいでしょうか・・・。
最初は、頭をぶつけただけの内出血だと思っていて、そこまで酷いものだとはおもいませんでした。
処置室の近くにある待合室に入るも、落ち着かないので、なんとなく近くにあった自販機で水を買いました。母に渡して、そのまま処置が終わるのをただ、待っていました。
すごく、時間が過ぎるのが早く感じて、周りでもいろんな人患者さんのご家族やお医者さんや看護師さんが出たり入ったり。
処置などが終わり、声をかけられたのは4時過ぎくらい。処置の終えた父は、管がいくつかある状態で、心電図の音がやけに大きく聞こえましたよ。
主治医の先生の話で、母はすごくショックを受けていて、少し混乱しそうになってました。私はその後ろで先生の話を聞いてました。
先生に見せられた頭部のレントゲン写真?のようなもので、説明を受け、そして、今後を聞きました。そして“どうするのか”も問われました。
その後、一度待合室に戻り、しばらくすると妹が到着。(待っている間にメールで母が呼んだ)
もう一度、妹を含めて三人でお医者さんから話しを聞き、どうするのか、どうしたいのか、問われました。
延命処置が患者にとっては苦痛でしかないと、言われました。
目を覚ます可能性はほとんどないと、告げられました。
何処までが、生きていると言えるんでしょうか。
私は、母の意志が答えだとおもいました。
父に“痛い”思いはして欲しくない。でも、私たちは父に生きていて欲しい。延命処置は、きっと私たちのわがままなんだ。
そんな中で、母は父よ延命処置をする時が来たらどうするかを、話し合っていたようです。(祖父のことがあったから)
父が自力で呼吸出来ているなら、それは生きている。なら、喉をきり直接酸素を送る状態になるなら、それはしない。自力呼吸の手伝いが出来る範囲での処置。
脳内にチューブを入れたのは、母も少し悩んだのですが、やっぱり生きて欲しくて、眠っているだけでも生きて欲しかったんです。
脳幹出血での意識が戻る可能性は極めて低い。もし安定期が来たとしても、残されている家族にあるのはリハビリを含めた負担だけだと、お医者さんにも言われました。
確かに、現状もかつかつの生活です。それでも、私たちは父が安定期に入る状態を望んだんです。
もし、目が覚めてもどこかに支障が出るし、大変なんだろうけど、母も妹も、どうにかなる、みんなで頑張っていくしかないのだと、思っていたんだと思います。

14日からのここ数日はすごく早くて、気分的には1週間ぐらいたっている気がしました。ついでに言えば、日付と曜日の感覚も薄いです。


人のお話などによると、脳幹出血での死亡って多いんですね。しかも、即死が多いとか。(死亡率70~80くらい?)
そう言う意味では、父はキセキだったんでしょうか。

脳幹の機能なんかで、もし意識が戻ったとしても、後遺症は免れないんでしょうし。
それでも、意識が戻ることを、願ってはいます。

現在は、脳内の水は現在チューブ?で出していっている状態です。
チューブをずっと入れているわけには行かないそうで、1週間~2週間で取り出すそうです。
ぇと、私の情報が間違っていなければ、2週間前後で脳幹からの出血は胎内に吸収されますよね?
ぁ、でも量が多ければ無理なのでしょうか・・・。
血種(かみず?)による脳細胞の死滅とかがあるとも、聞いているのですが・・・。

とりあえず、これからすることは、父の治療費をどれだけ安く出来るか、です。
使える方法を探して、適用されるか調べたり。
あと、父が欠けていた保険なんかも、保険会社とかに電話したり。

ぁー・・・、なんだかぐだぐだなことを書いてしまいました、です。

今日は、とりあえず寝る事にします。

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最終更新日  2010年01月18日 11時22分56秒
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すげぇぇぇぇぇぇ!!  
中野 さん
ちょ!!なんか適当にやってたらマネーもらえたんけど(笑)

(2010年01月19日 07時07分02秒)

ちょっとは木馬隠せw  
乗らない騎手 さん

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