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この映画について何かを書くってほどのこともないんだけど・・これはだいぶ前に録画して、途中まで見てそのままにしてた。今朝、何となく見て、と言うか眺めていて、それから午後の仕事の前にちょっとスーパーまで車を走らせてたらなんか回りの景色が緑が映えてて気持ちいい。木立といい、その陰といい、田んぼにそよぐ緑の苗やらこの昼前後の太陽の光線自体が何やら違う。質感を持ってると言うか・・ つまり「コレクションする女」で見れる風景や色合いやそれから味わえるものと似たようなものを、(そりゃあ違いますよ。そりゃあ南仏(多分)と比べるのは無理がある)今日のあるひととき実際に感じられて、非常に心地良かった。このロメールの映画は例によってダラダラとした内容。海辺の別荘を舞台に、休暇に来た男女のダラダラとした日々。何だかんだ小難しい事を言うものの、結局は女をモノにしたいオッサン達と結局はそのオッサン達を振り回してる若い娘の・・まあどうでもいい話。ロメールの映画では心地いい時間が流れるけども、こっちの見る側に精神的なゆとりがあると、更に至福の時間が持てる。この映画では残念ながらそういう感じはあまりない。ここでは、単に風景や西日でもかかったような光の具合や色彩そういうのが好きで、ほんとに眺めてるって感じ。実は感動とかとは別の意味での精神衛生上、実用的な面で見させてもらってるロメール映画。これからこの夏を乗り切るためにも、「海辺のポーリーヌ」や「レネットとミラベル 四つの冒険」なんかを見るべかなあ。
2007年06月23日
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ポンセのエストレリータが聴きたくてずっと聴きたかったんだけど・・特に暑い季節になるとCD店に行っても、なかなかギターのコーナーに足が向くこともなかったがこの間、思い出してやっと買ってきた。名曲集あたりを探せば何種類かあるかと思ったら、意外に目に付かなかった。うだるような暑さの中で(まだそうでもないけど)、ポロンとこの曲が流れると一瞬にしてトロピカルな空気に包まれて、ギターの音色にとろけそうだ。こういうスパニッシュなギター音楽のメランコリックな雰囲気は、クラシックや欧米のポップスでは味わえない。アントニオーニの「さすらいの二人」ってわけの分からない映画の特に分からないラストシーンの後、夕暮れのスペインの灯りのともった戸口を背景に流れてたギター・・ 何の曲か知らないが、あれも良かったなあ。スペインや中南米の暑い国で、涼しげなギター音楽が発達したってのは分からないではないなー。長いこと音楽を聴いてると、純粋に聴くだけじゃなく時には実用的な目的で聴いたりする。暑い時、寒い時、運転中死ぬほど眠い時(寝たら死ぬ)。夏にはボサノヴァがいいですねー。ドビュッシーの「フルート、ヴィオラ、ハープのソナタ」や一連のソナタは暑さを凌ぐと言うよりも、物憂いけだるい雰囲気に身をまかせる感じ。リヒテルの弾くグリーグの「叙情曲集」。北欧の(もちろん行ったことありません)白樺の間をぬって、爽やかで透明な空気感が伝わってくるようだ。これが秋になって深まるとヤナーチェクの「草陰の小道を通って」になり更に深まるとブラームスの「間奏曲集」 かなあ・・ギター曲のCDの他に買ったのはペルルミュテールのモーツァルト。(ラヴェルも聴いてみたい)デジェー・ラーンキのラヴェル。この人、最近聞かないけど、昔レコードで持ってたストラビンスキーが好きでCD欲しいが見当たらない。ベロフもあるがリズムが良くない。たまたま見つけたこのラヴェルは良くなかった。
2007年06月19日
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漱石もおおかた読んで、「三四郎」にはさほどのモノもないだろうと思って2,3ヶ月かかって、合間々々にのんびり読んだ。美禰子(みねこ)が何となく「虞美人草」の藤尾を思わせたので似たような小説かと思ったらそうでもなく、他の漱石作品に比べても小説らしい小説だった。これが「それから」、「門」と続いて三部作ってのがよく分からない。気があるのかないのか良く分からない、美しい美禰子に翻弄される三四郎の青春の日々は、以降の漱石作品に比べて分り易いタッチで書かれている。ずるずると想いを断ち切れずにいる三四郎の失恋の瞬間が、これぞ漱石の醍醐味と思わせる文章で描かれる。ハムレットの芝居を美禰子と離れた席で観ていた三四郎。「幕が又下りた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来て見ると、二人は廊下の中程で、男と話をしている。男は廊下から出入りの出来る左側の席の戸口に半分身体を出した。男の横顔を見た時、三四郎は後へ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。 本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。 夜半から降り出した。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けと云う一句を柱にして、その周囲(まわり)にぐるぐる低回した。広田先生も起きているかも知れない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋っているに違いない。」元々、心の内を細かく描写するってタチじゃないけど、肝心な所で唐突なぐらいの寡黙さは余計に身につまされる。「先生はどんな柱を抱いているだろう」なんてグッと来る。先日からずっと見つづけているアルゲリッチのバルトーク3番。ちょうどテレビ付けながらこの箇所読んでいて、画面見たらアルゲリッチが指揮者を見ながら大きく息をハアーっと吐いていた。何回も見たけど初めて気づいたこのしぐさ。容貌には老いが見えるけど、演奏は一段と冴えて超人ぶりを見せているこの人の見なれないしぐさが、何故かこの本のこの箇所に一枚絡んで来た気がした。美禰子はこうで・・三四郎はこう広田先生は・・与次郎は・・でアルゲリッチは・・美禰子という女香水の香りの付いたハンカチを自分で嗅いで、さらに三四郎の顔の前に持っていったり耳元で「ストレイシープ(迷える子)」とささやいたり・・あんまりいそうにないな。 特に明治の時代に・・緒川たまきだったらこんな感じかなあ(笑)。いずれにしても、オレにとって、三四郎や広田先生、与次郎はこっち側の人間で美禰子やアルゲリッチや沢尻エリカ(笑)はいつまでたってもあっち側の人間 てことかなあ。新潮文庫の漱石の解説で、今まではピンと来ないものばかりだったけどここでの解説、と言うか漱石自身の言葉らしいが(特に「草枕」に関して)「写生文」とやらを提唱していて、ことさら筋があるとかではなく「言葉が自ずから動くなかで或る俳味、禅味を一瞬在らしめることをめざす」てことらしい。オレの読み方でまんざら間違ってはいなかったんだ。
2007年06月10日
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