音楽・ピアノ・テレビ・映画 雑ノート

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2011年11月30日
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カテゴリ: テレビ


さんざん、ここに書いてるように
映像や音楽や演出、演技などドラマを成してるモロモロの要素が
(ストーリーはそう重要視しない)
心地良く融合されたものとしての、特にシーンを楽しむには
全くオレ好みのドラマだった。
(映画とはまた違うが・・ より親しみやすい)
柔らかなドラマだった。

そんなシーンに拘るオレが、最も大事なラストシーンに感動出来なかったのは


感動出来なかったのは、それが単に想像してたものとは
違ったからなんだろうか・・
ドラマが意図したもの、思惑は、オレの期待したものとは
違ったようだ。
死出の旅立ちと捉えられてもおかしくない。

オレはもっと躍動する江を見たかった。
輝く太陽の下での、この素晴らしき世界に
人生の最後を謳歌する江のラストラン・・
そんな風だったじゃないかと人は言うかもしれないが
オレにはまるで違った。

多分、劇中で初めて(で最後)出会う江とメインテーマ・・

秀忠の「私の希望だ」で、突如音楽が切り替わり、立ち上がるピアノのテーマ。
この瞬間のビビッと来た感じが、そのあと続くことはなかった。

音楽は耳に聴こえてこないばかりか、市の陳腐なナレーションはどうでもいいが
江のラストメッセージも耳に、胸に届いてこなかった。
音も映像もすべてがバラバラに見えてくる。



(一部強引に)
秀忠に最後の言葉を投げかけた時点で、江のこの世の存在は
その期限を終えたのかもしれない。
実体としての最期の姿かもしれない。
青々と澄み切った風景は、そこから後、黄昏の黄金色の世界に
色を変える。
もはや彼岸の領域にも思える。
回想と市の出現によってたびたび分断、遮断される江の姿は
過去の映像に紛れ込み、その一部に同化しようとしてるかのよう。
最初の方でこそ、笑みをたたえているが
既に実体を成してないかもしれないやや曖昧な表情は
黄昏の色彩を帯び生気を削がれる。


ことによると江と秀忠、二人してくつろいでいる静寂に包まれた高原自体が
既にあの世への1丁目なのかもしれないが・・
でも「思うまま、在るがままに生きる。今日をその最初の日と致します」
という言葉にその影はない。
納得いかないラストシーン、最低限譲っても(回想を入れても)
短いと感じざるを得ないのは確かだろう。


最後の最後は、思う存分夕日を浴びてくれればいいと思えるそのラストカット
(やや不明瞭ではあるが)笑顔でこの世界を一気に駆け抜けていく江は
やり遂げたことには悔いを残さない、振り返らない(やっぱ女だしw)
上野樹里その人のようだ。

そこに拘泥して先へ進めないオレを残して・・w
行ってしまった。





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最終更新日  2011年11月30日 21時54分34秒コメント(0) | コメントを書く
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