きよの世界(アメリカ大学院留学編)

きよの世界(アメリカ大学院留学編)

第二話


第二話
第六章とクリスチャンの結婚概念

   はい、みなんさんこんにちは。第一話ではいろいろとバイスタに関して紹介をしましたが今回は本気(本気と書いてマジと読みます)でバイスタについて書かさせてもらいます。今日はローマ人への手紙、第六章をやりました。はい、ではお手元にある聖書のローマ人への手紙、第六章をお開きください。
   まず初めにローマ人への手紙の著者を紹介。書いた人はパウロさん。この人は熱い!彼は当時クリスチャンに対して微妙なノリだったローマ人への伝道をしようとした人(のはず)。噂によるとローマ人は頭の固いというか賢い人が多かったらしく、そういった人たちに向けて書かれた手紙のせいか、ここでは文章のレベルが非常に高く理解することが難しい。表現堅すぎだろ~と思うことがよくある。とりあえずローマ人への手紙は一人で読んで理解しようとすると高確率で挫折することで有名らしい(てか俺が勝手にそう決めた)。パウロは旧約聖書と対比しながらイエス・キリストが救世主であることを説明することに努力した、んだよね?ここは旧約聖書に詳しいとかなり興味深い話になるのでは。でも残念ながら俺は全然旧約聖書は知りません。新約ですらいっぱいいっぱいだしね。まあまた後で復習しよ~と。
   第六章はまず「恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか」で始まるんだけど実にへりくつだね。三章でも善を表すために悪をしようという意味のわからんことを言っていた人々に対してパウロはがしっと、「否!」と言ってるし。二節で「絶対にそんなことはありません」とまあ言ってる。反語かい、とちょっと日本語の文法につっこみをいれたくなった。二節にある「罪に対して死んだ」ということの意味はイエス・キリストがみんながついしちゃう罪を全て負って死んでくれたことによって、僕らはみんな罪を負って生きる必要が無いという感じにとれる。もうすでに罪とは無関係の我々が罪の中にとどまるてのは意味わからん。小学生でもそんなことわかるわな。だからパウロはまた口をすっぱくして「否!」言ってるし。
   四節はおそらくバプテスマを受けることによってキリストが葬られたのとともに僕ら一人一人の罪は取り除かれたてことを言ってるのではないかな。だから、僕らも、いのちをもって新たな第一歩を踏み出せるのだと。
   基本的にこの章はキリストが十字架につけられたことによって、罪のからだが滅びて、我々はもはや罪の奴隷ではなくなったのだということを言っていると思う。18節を見ると「罪から解放されて、義の奴隷となった」てあるし。ここでの義は神の義てやつね。信仰を持つことだな、たぶん。14節でもあるように僕らは「律法の下にはなく、恵みの下にある」のさ。だから僕らが罪によって支配されることはない。律法の下にいるてことは律法をめっちゃ気にして生きていく人生のことだと勝手に予想。そうするとご承知の通り人間は頭の悪い存在でして、ついついルール違反をしてしまうものでしょ?それは罪じゃん。だから人間は皆罪深いんだし。そうなるとおいらたちの生活は罪だらけになってしまうよね。そうするとみんな不幸なわけさ。でもイエス・キリストのおかげで僕らは今恵みを基本として生きているのだと思う。恵みてのはいいものでルール違反しても仕方ないな~と優しく許してくれるのさ。まるで俺のようだね・・・。はい、ここ笑うところじゃないよ!だからみんな幸せになるじゃん。いちいち自分は罪人だ~と悩む心配もなくなるし。まあとにかくクリスチャンでいるてことは幸せなことなのさ。人生の悩みが減るしね。個人的には神様を信じるてことはある意味楽観的な人生を過ごすことのように感じる。そこがすごい魅力的だと思う。最近俺の人生絶好調だからそう言えるのかもしれないけど。もし今嫌なことが毎日のように自分に起こっていたらどうなんだろうて疑問に思う。そん時にきっと自分の信仰が試されるんだろうね。
   お、そういえばこれしぶいよ。二十二節の「聖潔に至る実」=「御霊の実」。ガラテヤ五章二十二節を開いてみてください。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」はい、これはもちろんIt’s worth memorizing!でしょ。意味も無く英語使ってみました。アメリカいるんだから文句無しでお願いします。はっきり言って俺はこれ全部完璧だね。この九つ全部俺のためにあるようなものだね・・・。はい、またキヨジョークがでました。ごめんなさい。反省します。
   実は今日の題にも書いてあるとおり結婚の話が熱かった。というか、むしろ離婚の話かな。実は急に谷本先生がクリスチャンの男の人が離婚をして他の女性と結婚したいという話を持ち出したのさ。彼は確かもともとは信仰は持たなかったけれど、結婚した後神様を受け入れたのかな。なんでそんな話を持ち出したのかはわからんけど、離婚問題はかなり真剣です。
まず、キリスト教の結婚の概念を復習しよう。創世記二章二十四節「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」。それからマタイ十九章三節から同じ章の十二節まで。ポイントは結婚は神が結び合わせたもの。九節「だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです」厳し~。これに従うと、多くのアメリカ人は姦淫犯しまくりだね。最近は日本人も似てきたな。おそろしや。だから離婚はとても、う~ん・・・、と思わされること。たまに若い人の中で、あんまり真剣に考えずに結婚して、馬が合わないからとさっさと離婚する人たちがいるけれど、あれはどうなんだろか?このときのバイスタでも二つの意見があった感じがする。ひとつは、やっぱり合わないものは合わないんだから、どうしてもうまくやっていけないときは離婚したほうがお互いのため。もうひとつは、やっぱり結婚は神様が導いたものだから離婚はすべきじゃない。貴、俺は二人して「例えうまくいかないとしても、やっぱり離婚は納得いかねぇ~」と言っていた。なんか二人ともそこまで深く考えていないようなきが。てか、真面目過ぎ?女性の皆さん、俺達みたいな男には十分ご注意を。僕のめっちゃ個人的な意見としては、結婚したあとにやっぱ合わないから離婚するみたいのはすごくまがままだと思う。やっぱり二人が結ばれたこと自体に意味があって、でもそれをちゃんと考えずに適当に結婚というものを捌いてる気がする。なんか、相手をもっと受け入れようという努力をしないでさっさと捨てるようなそんな贅沢なことだと思う。と、いっても自分の奥さんがめっちゃ酒乱で自分達の子供をいじめるような人だったらと思うと、一概に離婚はだめだとは言えないな。そもそも他人の決断を俺が勝手に判断すること自体間違ってるようなきもするけれどね。俺はまだガキだからようわからん、正直。でも相手がいるだけでもうらやましいぞ~、このやろう(泣)。
   ひろこさん曰く「一番不幸なことは後ろめたさを感じて神様から離れていくこと」それは本当に言えてる。都合のいい言い方かもしれないけど、もし離婚した後で本当に「ごめんなさい、でも本当にそれ以外どうすることもできなかったのです」て思えるなら、神様はやっぱり許してくれるかも。だからこそ恵みの神なのだし。やっぱ調子いいかな?ハジメが言ったのは「結婚するときは宇宙人と結婚するつもりでしないといかん」てこと。誰かが言ってたらしい。じゃあ、すでに宇宙人と評判の俺はどうなるのだ~!?今日は泣きまくりの日だな。
   まあ、ともかく結婚の話は本当に考えさせられるね。みんなもちょっと暇があったら考えてみてください。そして気が向いたら意見を述べてください。ちょっとした文章とかをメールかなんかで送ってくれたら、もしオッケーならサイトの方で載せるかもです。宛先はこちら:sk8republic@hotmail.comどしどし応募してください。今度アンケートでもとるかな・・・。長くなってすいませんでした。最後まで付き合ってくださった方、本当にありがとうございます。途中をスクロールダウンして飛ばしてオチだけ読んだ人、あとで後悔するよ。最初にあとがき読んで、あたかも本を全部読んだふりして、他人の前で語ったりしないようにご注意。それじゃ、さいならっきょ。


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