きよの世界(アメリカ大学院留学編)

きよの世界(アメリカ大学院留学編)

自分を幸せにするもの


お金?名誉?人間関係?
僕はなりたてですけどこれでも一応キリスト教信者、クリスチャンです。
自分にとって満ち足りた人生を与えてくれるものってのは実にイエス・キリストの存在です。
やっぱり普段から生活しててやっちゃいけないとわかっていてやってしまうことが多々あります。
友達を傷つけたりとか。
そういう時とても罪悪感に悩まされませんか?
僕もイエス・キリストに出会うまではとてもそういうことで苦悩してました。
どうして自分はうまく人と付き合っていけないのか?とか嫌なことを考えてしまうのかとか。
よく思うんですけど、自分は罪の塊だということ。
罪てのは単純に法律に照らし合わせての有罪・無罪の話だけではありません。
もっとそれ以上に人付き合いのレベルにまで達します。
一つ例をあげるなら、他人のことを勝手に自分なりにJudge(裁く)こともキリスト教では罪です。
確かに勝手に他人のことを、彼はこんな人だから嫌なやつとかって決めちゃうのって結構後で後悔しますよね。
高校の時、よくひどい発言をしたりして周りの人を傷つけたりしました。
俺を知ってる人は、え?て思うかも知れないけど、一応毎回後悔してたんです。
なんであんなひどい態度をとってしまったんだろうとかね。
けっこうDepressedしたときはいっそのこと俺なんていなければ、せめて俺の周辺の人たちはもっと幸せに平和に生きれるのだろうかとまで考えたこともあります。
でもまあ自殺しようとはしなかったけど。
そんな気持ちを解決できぬままほっておいたけど、結局は解決されけっこう落ち着きました。
やっぱ神の導き、てのがあるのかなと思います。
詳細は他のページに書きますけど、実は去年の3月末に事故にあいましてそのときに神の存在てものを身近に感じました。
それ以来、日本語の礼拝のあるBethany Churchというところに毎週日曜日に行くようになりました。
途中から、ギターを弾いて賛美(キリスト教の歌を歌う時間ね)の奉仕をするようになりました。
最初は教会側がギター弾ける人探してて、たまたま僕がギター弾けるから参加したんですけど、だんだん熱くなってきました。
その年の夏には他に5人新しい学生がきて(うち3人はクリスチャンね)さらに青年会(Youth Group)が盛り上がりを見せて、Praise Teamという礼拝の時の賛美を担当する教会のバンドなんてものもできあがり、いろいろやって、聖書もいろいろ勉強している間にもっと神の存在を身近に感じてきました。
まあめんどいから細かいことは、はしょりますけど、イエス・キリストが十字架で死んだことによって、僕みたいにぐだぐだとめんどうなことをやってしまう方々、つまり世の中の全員なんだろうけど、はもういちいちどか~んと悩んでへこみまくる必要がないのです。
あとはイエス・キリストの死というのもを自分の人生の中に受け入れるかどうかが問題なんだと。
それは僕の罪の意識みたいなものをすぅ~と、とまではいかなくても、取り除いてくれました。
そして自分の存在の重要さにもっと自信がもてるようになってきました。
そうとは言ってもまだ完全に十字架の死というものを受け入れることができない自分がいるからまだ洗礼(公に自分はイエス・キリストを救い主として受け入れるという儀式)はうけてないけど。
でもまあそれでも今の僕は常にとはいかないまでも多くのときに満ち足りた気分です。
神に愛されるということを素直に受け入れるだけでも自分の生活に大きなものをもたらすものなんですね。
そんなことで僕はいまもっと聖書に関する多くのことを学ぼうと努力してます。
そしていつかイエス・キリストの死の意味を自分なりに理解できるようになることを願ってます。
いや~クリスチャンもかなり熱いですね。
みなさんも何か熱いものを探してみてはどうでしょうか?

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