きよの世界(アメリカ大学院留学編)

きよの世界(アメリカ大学院留学編)

自分を幸せにするもの(続)「事故」



***事故時の写真が他のフリーページに載せてあります***

あれは午後5時くらいだったでしょうか。僕ともう一人の友達は、彼のTOYOTAのPickUp、トラックてやつですか、でもう一つの僕らのグループの後ろを走ってました。このときは5人で温泉に向かっていたので3人が先を行っていました。そんでけっこう急な、おそらく90度以上の深い左ターンに入ったとき、ズズっとトラックの後ろタイヤがスリップして、トラックの先端がなんと左側にある崖に向かってしまったのです。俺は思うのですがこのとき絶対運転手の俺の友達は調子にのってスピードを出しすぎていたと思う。で、あわてて道側、つまり右にハンドルをきって車の向きを道路と平行にしきって乗り切ったと思ったのですが、ちょうど車が止まったとき、実は車体の左半分はすでに道路から外れており宙に浮いている状態でした。止まって「ふ~びっくりした」と安心したのもつかの間、車が左にグワっと傾いて、そのまま斜度45度かそこら、もしかしたらそれ以上の坂というかもはや崖を僕らのトラックは転げ落ちていきました。実に3回転してもう死んだな、と思った瞬間ガシャンと車が木に当たってとまりました。

おそらくその5秒後くらいにハッとして目を開けてみたら僕は下に友達を見下ろしていて、よくみたらポタポタと血がたれていました。あの光景は1年以上経った今でも決して忘れることができません。僕は、あ、こいつ血流してやがる、と思ったのですが友達が「Kiyo, you are bleeding!!」と言っているのを聞いて、自分の血がぽたぽたと頭からたれていることがわかりました。それから友達が車に火が付く前に速く脱出しようと言ったので慌てて車から出ようとしました。しかし最悪なことに僕の右足と左腕はほぼ完全に麻痺状態。最初は混乱しててなぜシートベルトをうまく外せないのかもわかりませんでした。

いったいどうやって出たのかは覚えてませんが、それから車から脱出して、今までの人生で最も辛い光景を目の当たりにしました。トラックの荷台に積まれていた食い物やキャンプ道具はトラックの周辺に散らばっていて、僕らのトラックは90度ひっくり返った状態になっていて、つまり左側が下に右側が上になるように、かなりぼこぼこのぐちゃぐちゃになっていました。そしてもともと走っていた道路は30メートルくらいうえのほうありました。あんときほど「これは夢に違いない。頼むから夢から覚めてくれ!」と思ったことはありません。まるで映画だか漫画だか物語にいた気分でした。僕の友達は頭の後ろを窓ガラスの破片で切ったのか、後頭部からだらだらと血が流れていました。人の頭が血でああいうふうに赤くなっていたのを始めて見ました。実はそんとき、ぼくの頭も血だらけだったらしいですけど、自分の傷の痛みを感じる余裕もないくらい混乱してました。友達も「This must be a dream!」だかなんだか言って大声で泣いてました。彼は後頭部をうったせいでかなり混乱状態におちいっていたようで、結局事故後は事故のことをほとんど覚えてません。

とりあえずもといた道路まで戻ろうと決めた僕らは坂というか崖というかの急な道を登っていきました。上るというきれいな表現をしていいのかわかりませんけど。僕の友達は足は怪我してなかったようで意外とさくさくと上っていってしまいましたが、僕はというと、右足・左腕ほぼ麻痺という状態だったのでものすごくしんどかったです。すごく急な坂で手も使わないといけないくらいだったのですが、左腕が動かないため右腕だけで上りました。しかも片足がだめなせいで、軽くケンケンをしながら、一体斜度がどのくらいなのかわからんけどかなり急な坂を上っていきました。あんときほど辛い瞬間が今までの人生にあっただろうか。でも生き残りたい一心で必死に上りました。坂の途中、店で買ったお気に入りのチップス、緑のドリトス、を見かけてすごく食べたいと思ったのですが、そんなことより今は坂を上って助けを呼ぶほうが大事だと思って急いで坂を上りました。なんであんなことを思ったのかわかりませんが、おそらく自分の最強の食欲とパニック状態が混じった結果ではないかと考えています。

もと走ってた道にきて、たった今起きた事故に呆然としていました。しかも空が少し暗くなってきて、バリバリの山奥で、だれ~も助けが来なさそうな雰囲気だったのですが、なんとその1~2分後に車がきました。彼らはとりあえずタオルやらティッシュやらで少しでも止血しようとしてくれたり、水をくれたりしました。そしてその2分後くらいに今度はサンタバーバラへちょうど向かっていく車がとおりかかりました。運転手のおばさんは快く僕ら二人を病院まで連れて行くことに承諾しました。車に乗るとき僕が言った言葉は「血で座席が汚れてしまうけれど許してください」みたいなことでした。おばさんは、そんなことどうでもいいからさっさと病院へ行くよ、て感じでした。そのとき本当にそのおばさんに感謝しました。てか自分がかなり出血してることにも気づいてかなりびびりました。病院に着く前に死んでしまうかもしれないと思いました。ほんとうに死がすぐ目の前まできてると感じました。こういうときってやっぱり体は眠ろうとするんですよね。すごくぼや~としてきて眠くなるんですよ。で、ここで寝てしまうともう昏睡状態に陥って二度と起きないみたいな話をおばさんがしてくれたので、必死に起きようとがんばりました。俺の友達はすでにやばい状態で、3つくらいのことを繰り返し繰り返し口にしていました。「もうお母さんには電話したのか?」「きよ、ごめんよ」てこととあとひとつは忘れた。僕は僕で眠くなる度に「I'm not going to sleep. I will survive.」とかなんとか繰り返し言ってました。それを見てたおばさんは、あんたは強い人だからきっと生き残るよ、と励ましてくれました。それから学校はどこなの?とか今どこに住んでるの?とか質問して、僕らが寝ないように一所懸命気を使ってくれました。

50分くらい車の中にいたのかな。それでようやく病院に到着しました。ダウンタウンにあるCottage Hospitalです。あの50分はもっともっと長いものだったように感じます。あまり覚えてません。車のなかで僕は何度もおばさんに、ありがとう、と言いました。そしたらおばさんは「Thank God」と言いました。(後で知ったのですがこのおばさんはクリスチャンだったそうです。)その時初めて神様という存在を身近に感じました。死を近くにしたとき、全てを超越した神という存在を感じました。実はうちの母親はクリスチャンで僕も何度も教会に行ったことはあったのですが、物理大好きだった僕は科学以外のことを信じることができない頑固者でした。

病院について緊急手術受けてなんと二人ともあっさりと生き残りました。入院もたった一晩だけでした。手術してくれた人も、事故の状況を警察からきいて、僕らは本当に運がいいよ、と口を揃えて言ってました。毎年あの山道では転落事故があってよく人が死ぬらしいです。というかたいてい落ちた人は死ぬらしい。

続く

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