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やっとテレビでもこの問題が議論され始めた。外国人参政権に最も大きな反響がまずは国民みんなでこの法案について反対意見も汲みいれながら話し合っていくべき。その上で過半数が賛成ならば仕方ない。
2010年02月08日
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アメリカも地域によってはこんな感じなのかなぁ。 いくらグローバル化が進んでるといってもまだ時期尚早かな。 人の心がついていけてないよね。 http://www.youtube.com/watch?v=O9HQI3MevvI&NR=1こっちは問題のオランダに関する動画。 実際に外国人の地方参政権を認めている数少ない国。 http://www.youtube.com/watch?v=Sotg-wxvvLc&feature=relatedうちの両親は朝日新聞をとってるんだけどやめてほしいね。 あそこは記事の内容が左翼に寄りすぎて恐い。 さらにもう一つ。 http://www.youtube.com/watch?v=JUGp5mwTRIM&feature=related日本の警察は優しいからね。それで今まではよかったんだけど。 アメリカの警察みたいじゃないのは 日本の警察が情けないんじゃなくて日本人の素行が良いからだと思う。 そういやヤンキーや暴走族もこんな感じだな。けっこう俺は日本の将来に不安を持っているんだけど 特にいまの民主党政権に、 俺は焦り過ぎなのか?心配しすぎなのか? でも残念だけど個人個人の中国人は別として(友達とか) 中国って国に良いイメージ持ってないから あそこからの大量の移民とかもまじで勘弁。 チベットのこととか反日問題とか。 てかマイミク39人しかいないし ブログも特に人気あるわけでもないから 何言っても俺は影響力が少なすぎる orz やっぱ来年のノーベル物理学賞狙うしかないかな、こりゃ(
2010年02月04日
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『ドラゴンクエストV』による外国人参政権反対メッセージの真相 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1099044&media_id=85 以前、ブログでも取り上げたけど この話はどうなっちゃうんだろうね。 特にこのじいさんのコメント 「知らない間に恐い法律がどんどんできていく」 まさにこうなりそうだ。 とりあえず国籍に関する法律を整備するのが正しいんじゃないのかね。 日本人以外は国に帰れとは言わないけど それと参政権は全く関係ないわけである。 民主党は何がしたいんだ? てか高速道路無料化とかで騒いでる場合じゃないだろ。 俺、自民党嫌いだけどこればっかりは民主だめだわ。 どうでもいいけどドラクエ5は神ゲー。 元の記事。 スクウェア・エニックスの看板タイトル『ドラゴンクエスト』シリーズで2008年にリメイク作品として発売された『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(以下、DQ5)が2010年の今、注目されている。 ハードを新たにニンテンドーDSで発売された『DQ5』に、外国人参政権に反対しているとも解釈できるコメントがあるというのだ。インターネットブログや掲示板で問題視されているコメントは次の通り。 ・ラインハット王国 ヘンリー王子のコメント 「よそから来た 他国の者を 受け入れるために 国の者たちが 苦しんでいる?」 「上の者たちは なにを しようと しているんだ!? これは ゆるせんぞ!」 「知らないうちに おそろしい法律が できてしまう!? これは ほっておけないな」 ・老人のコメント 「わしら国民が あまり知らぬうちに おそろしい法律が つぎつぎと できてしまいそうなのじゃ」 確かに解釈次第では外国人参政権に反対していると思えなくもない。しかしストーリーを展開する上でサラリと読み流してしまいそうなコメントだけに、2008年のゲームが今になってどうして注目されたのかと疑問に思ってしまう。 が、それには理由があった。2010年1月26日に発売された雑誌『Will』の対談記事として「堀井雄二・すぎやまこういち ドラクエで取り戻す日本人の絆」が掲載されていたからだと思われる。 対談では『DQ9』のすれ違い通信やマルチプレイで家族の絆が深まったという話、すぎやまこういち氏が『DQ』シリーズと関わることになったキッカケなどが書かれている。 対談のなかでは外国人参政権に関してまったく触れていないものの、同誌では別の記事として「総力大特集! 許すな! 外国人参政権」を掲載している。 その影響もあって『DQ5』のキャラクターコメントが引っ張り出され、話題になったのだと思われる。 『Will』編集部が意図的にキャスティングをして外国人参政権特集が掲載されている号にお二人の対談を掲載した可能性もあるが、対談の内容が外国人参政権に関係ないものなのは確かだ。
2010年02月04日
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魔女の宅急便を見た。と言っても冬休み中に姉ちゃんと一緒に見たばっかだからスキップしながら好きなシーンだけ。好きなシーンというか好きな音楽?何故だろうか。最近はこの映画にやたらと感動する。さっきなんて最初の数分でキキが家を出るシーンですでに目頭が熱くなった。たぶんキキのお父さんの気持ちになったのだろうと思う。あそこであの曲。「お父さん、高い高いして、小さい頃みたいに」将来自分も娘を持つかもしれないしその娘が家をいつかは出て行くだろうしそんなこと考えたら今から泣かないわけにはいかない。そしてその子の心配をし、成長を願う。そんな中、その子はいろんな人間がいる都会で寂しい思いをしつつも多くの暖かい人に出会い人間的に成長していく。そんな観点からこの映画を見るとまたひと味違った感動がある。こんなこと書いてたらまた泣けてきた。ちなみに以前はそうでもなかったけど今はキキが大好きである。一番好きなのはオソノさんと彼女の旦那とジジだけど。冬に日本に戻って本当に実感した。家族っていいもんだな。あ~娘欲しい。俺も老けたなぁ。
2010年01月23日
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Fair Tradeのコーヒー飲んでますか?こちらから勝手に一部抜粋。許してちょ。続きはリンク先で読んでください。5分でもいいから。ちょっと自分が気をつけて次買うコーヒーをFair Tradeのものにするだけで、誰かが少し幸せになるってこと覚えていてくれると嬉しいです。-------------------世界のコーヒー生産の半分以上は、小規模な個人農民たちによるものです。貧しい彼らは、市場への物流、販売ルートを持ちません。そのため、やむなく「コヨーテ」と呼ばれる仲買人たちに生産したコーヒーを売ることになります。仲買人たちは、農民たちの足元を見て買い叩きます。農民が仲買人から受け取るのは、市場価格の半分以下、1ポンドあたり20~40セントです。平均的な生産コストは、70セント以上かかりますから、これでは生産コストの半分にもなりません。 生産者たちは経済的に困窮しているため、子供たちを学校に行かせることができません。代わりに子供をコーヒー畑で働かせるようになります。-------------------日本語で素敵なサイトを発見した。フェアトレードてとは何か?アメリカにいるあなたはプリーズ、ここでお買い物。fair trade online store.日本でもフェアトレードのコーヒーが買えるなんて知らなかった。こっちをクリック。このサイトによると、日本のスーパーでもちょろちょろFair Tradeのコーヒーが売られているらしい。しかし日本での認知度は半端なく低いのだとか。少なくとも自分が日本に帰国しても飲めるコーヒーが存在するのは嬉しい。まあいざとなったらDean's Coffeeを輸入しようかと思ってたけど・・・。俺とふみはFair Tradeでないコーヒーは絶対に買わないんだ。この前間違ってマックで買っちまったけど、あれは寝起きだったから仕方ない。頭が働いてなかった。さらに今日から我が家はチョコレートもFair Trade only生活になるんだ。実はチョコレートの原材料であるカカオ栽培をしている農家はコーヒー以上にやばいらしい。どっかじゃまだ11歳とかの子供が奴隷として働かされているらしい。やっぱりマサチューセッツに引っ越してきて正解だった。きっと何かがあると期待していたけど、やっぱりあった。今日も明日も明後日も俺は毎日うまいコーヒーを飲む。
2009年09月09日
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外国人参政権に反対する会政治ネタは基本的によくわからないからあまり書かないけど、今回民主党が国政を乗っ取ったことを受けてちょっと気になることを書いてみる。細かいことはわからないのだが、自民党以外は外国人の参政権の推進派であるらしい。どこまでの権利をどの範囲の人に認めたいのか知らないけれど、放っておくと外国人の投票権が認められちゃうんじゃないのかと心配する。俺は反対だ。そもそもなんで国民の利益にならないようなことをしたがるのか理解できない。いやね、数分前まで俺は賛成だったのよ、参政権。自分も同じ立場にあって、この前のアメリカの大統領選挙の時だって投票したいな~と思っていたのよ。一応税金払ってるんだし、7年もアメリカに住んでるんだし、いいだろ~けちんぼ~と思っていた。逆にだから日本にいる外国人にも同様の権利をあげてもいいんじゃね?程度に考えていたんだよね。でも、リンク先の外国人参政権に反対する会のサイトをさ~と読んでみて、やっぱりそりゃ無茶苦茶な話だよなと思い始めた。そもそもアメリカでも永住外国人への参政権は認められていないわけで。彼らの反対する理由のページを読んでみるといいかも。俺が個人的に考える一番重要なポイントは3番目のポイントである「私たち日本人は、この日本という国家と運命を共にする存在ですが、外国人はそうではありません。彼らは、いざとなれば帰るべき母国があるのです。そのような人たちに国家・国民の命運を決定する参政権を付与するのは、無責任な行いとしか言いようがありません」ということだ。 そもそも投票をした時点で、人は自分のとった行動に対して責任を負う。もし自分で考えて自民党がいいと思って自民党に投票し続け、自民党が今までのように国の政治の軸となり続けた結果日本という国が住み心地の悪い国なってしまったのなら、それは投票した一人一人にも責任がある。そしてその責任は、その住み心地の悪くなった日本で愚痴をたらしながら生きていくこと、つまり「日本という国家と運命を共にする」ことで残念な結果ではあるが全うされる。ついでに言うと子を生めば、その子供たちも尻拭いをさせられるのだ。自由には責任が伴うとは、中学3年の頃に生徒会長をやっていた当時の俺ですら理解していたことだ。しかし参政権を与えられた永住外国人にはこんなどこの国でも当然のことが当然でなくなる。自分の投票した政党がしょうもない政治ばかりやって例えば日本の教育がとんでもなくひどいものになるとする。そうすると外国人はこう考える、「日本は子供の教育には向いていないから自国に帰って子育てするかな」と。自分が外国人としてアメリカという国に生きていると、日本に住む外国人のメンタリティーも理解しやすいと思う。もちろん中には決して日本に永住するつもりがなくても日本という国が好きで日本の将来を心配して、自分の目先の利益よりも日本という国を優先して考える素敵な人もいるかもれない。住み心地が悪くなってしまっても、「自分が投票したから」と責任をとろうと必死に税金を収めてくれる外国人もいるかもしれない。でも、日本人の中でさえ国の将来を深く考えない人がたくさんいるのにどうしていずれはいなくなってしまう外国人に期待できるだろうか。ただ何も考えずに投票する、もしくは全く投票なんてしないというだけならまだいいが、放っておけば外国人の参政権が悪用される可能性も十分にある。結局のところ参政権どうのこうの議論している暇があったら、二重国籍や日本国籍の取得に関することを先に考えた方がいいんじゃないだろうか。日本人の血が混じっていない人間に日本人になる権利を与える気がないのに、選挙権だけを与えるというのは馬鹿げていると思う。俺はまだそんなに真剣に政治というものを考えたことがないけれど、卒業して日本で就職して日本に永久帰国して家族を持って、日本という国にある意味縛られる身になり将来を心配して政治に関心を持って必死に自分と家族の未来を考えて投票をするとき、すぐ横で20年後の日本の未来なんぞに微塵の興味も示さない外国人も投票なんかしていたら、俺は確実に憤りを感じるだろう。俺は20年後どころか自分のひ孫のことなんかも思って50年も100年も先のことを考えているかもしれない。政権交代はウェルカムな話だけれど、こういった日本の将来を本当の意味で決める重要な問題そっちのけで高速道路が無料になることに一喜一憂しているようでは駄目なのかもしれない。まあそもそも俺は電車派なんでJRの敵である高速道路の無料化は断固反対なのだが。だいたい二酸化炭素の排出量を減らそうとしているこのご時世になんで車の使用を促すような真似をしたがるのかさっぱり理解できん。参政権のような重要な制度がこっそりと高速道路の無料化の裏で決まってしまわないことを願う。そもそもアメリカの真似が大好きな日本が外国人に割りとオープンなアメリカですらあり得ない永住外国人の参政権っておかしくないか?だったら大好きなアメリカみたいに先に日本国籍をもっととりやすくするのが次の段階ではないだろうか。確かに日本で生まれて日本人のように育ったのに両親が外国人なだけに日本国籍を持てず、大人になっても政治に参加できないというのは可哀想な話である。しかしそれだったら参政権うんぬん以前に二重国籍を認めてあげたほうがいいのではないだろうか。日本国籍は決して売らないくせに参政権は安売りしてしまうというのもおかしな話であると俺は思う。日本人だからこそ日本の将来を憂いて政治に参加するのだから、国籍と参政権は切っても切り離せない関係にあるのではないだろうか。
2009年08月31日
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今日は絵本の紹介。2008年も終わり間近。新しい年がすぐそこにやってきている。今年を振り返ると同時にいろいろと大事なことを考え、感じる良い機会でもある。トップページにリンクが貼り付けてある平和の絵本から。絵本だからすぐ読みきれるよ。一輪の花 絵本「一輪の花‐原爆を滅ぼすもの」をお読みになる前に この絵本では原爆・核兵器の廃絶という大変デリケートなテーマを扱っています。あらかじめ以下の点につきご注意ください。 原爆の廃棄というテーマは大人向きのものであり、やや残酷な表現も存在します。もし小さいお子様がお読みになる場合には、保護者の方のご指導をお願いいたします。 筆者は、この絵本「一輪の花‐原爆を滅ぼすもの」でいかなる意味においても、読者の方を[善悪の裁き・錯覚・葛藤]の中へ誘うものではありません。 いかなる意味でもというのは、原爆投下あるいは原爆を投下した人々や国、原爆の被爆者・被害国さらには核保有国を含み、善悪で裁かないということです。 原爆なり原爆投下の関係者なり核保有国なりを善もしくは悪だと裁くことは、問題の本質を曖昧にし、原爆・核廃絶の道を閉ざすことになるでしょう。 もし、あなたが[善悪の裁き・錯覚・葛藤]といった意味につき定かでない場合には、この絵本「一輪の花‐原爆を滅ぼすもの」をお読みになる前に、 本webの他の絵本やメッセージ、「善悪中毒」(東郷潤著 リベルタ出版)を御熟読いただくことを、強くお勧めします。 もしあなたが読み進めて行く中で強い不快感を感じられたら、どうか無理をせず、途中でストップしていただきたくお願いいたします。 このweb絵本「一輪の花‐原爆を滅ぼすもの」は全てフィクションです。 読み終えたらぜひ下のリンクから、他の絵本も読んでみてください。平和の絵本 一年の終わりに今一度、平和ってなんだろ、て考えてみるのもいいかもしれない。
2008年12月14日
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やあみんな、最近やたらとおかしな夢を見るDrSkateでござんす。そう夢をよくみるんだ。しかも意味不明な内容でやたらと疲れるやつばっかり。てか問題は内容よりも夢をよくみるという事実。でもってたいてい目覚ましに起こされる。つまり眠りが浅いような気分なんだよ。てかあせぇ~。だって8時間とか寝てもなんか疲れてるんよね。こんなに調子の悪い睡眠が続いたことは今までなかったんだよな~。ということで最近お疲れ。で、ちょっと理由を考えてみた。運動不足だと眠りが悪かったりするらしいけれど、むしろ先週はラケットボールやりまくって体は疲れていた。そうすると後俺が考え付くのはストレス。でもあんまりストレス感じるタイプじゃないんだよな。今までストレスが蓄積した経験なんてないし。でも思うに勉強からのプレッシャーによるストレスがこのところ溜まってきてるのかも。なんか苛々するし。「このプレッシャーは、シャアか!」て感じか?最近、内容が難しくて一日何回も俺って馬鹿だな~て思ってがっかりするしそれの積み重ねで、俺は今後大丈夫なのか?と焦りも感じるし夏は金もらって研究するはずだけれど、ぶっちゃけ金もらえるほどの仕事はできないだろうし。馬鹿だと思うなら勉強すればいい、と思って問題解消だと思ったら結局思ったよりも量も質もこなせなくて余計に自分て馬鹿だな~と思ってしまいさらに悪循環。あ~俺、人生初の高い壁にぶつかってるかもしれん。今まではうまく回避してきたのだけれど(いやいや乗り越えてはいないんだがな)今回は正面からぶつかっていかないといけないだろうな~。しんどいぜぃ。え、こんな日記を書いている暇があったら勉強しろと?いやいや、こんなん30分もかからないわけで、こういう日々の思いを残すことは大事だと思うんだな。それに今学期始まってからまだ一回もゲーム(RPGだけど)してないんだな。DSのマリオカートは回数に入らん。けっこう真面目にやってるほうなんだけどな。「けっこう」くらいじゃ甘いかな。まあ今学期はあと2週間で終わってしまうんだな。夏休みに入ったらリフレッシュして研究がんばろう。俺って天才だ!俺って馬鹿だぜ!俺ってストロングだぜ!(柔道部物語より)統計物理、意味わからん・・・
2008年05月05日
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欲しいものがある。俺の生活、いろいろ満たされてると思うんだ。結婚してて、大学院行ってて好きな物理を今後も研究できる環境が与えられてておそらく将来、仕事だってそこそこ与えられて、明日には車も手に入る(おんぼろだけど)。住む家もあるし、安給料だけど生きていけるし。まだ欲しいものあるのか!?と自分に聞きたくなるし欲深い自分を責めたくなったりもする。でも、欲しい。そう、あれが。PS2が・・・・???と思ったかい。スリーじゃなくてツー。間違えてないよ。ツー買ってさドラクエ5とFF10やりたい。それからドラクエ8と幻想水滸伝。ドラクエの値段調べたらさ、こいつらアルティメットヒッツとかいって2006年に安く発売されたのね!約4000円あれば5と8が楽しめる。それで半年は幸せだよ、俺は。でもその前にあのスリムちゃんなPS2が欲しい。PS2、別にそこまで高くないと思うんだよね。2年くらい前に買おうと思えば買えたはず。でも買わなかった理由は「絶対に勉強しなくなるから」そう、俺は俗に言うゲーマー。本当に真剣に一度ゲーム始めたらやめられないんよ。夜10時から2時間だけやって寝ると計画する。そしたらたいてい朝5時かそれ以降まで続く。この前はファミコンゲームを徹夜で前日の午後8時から翌日の午前9時半までやって一晩でクリアした。でもそれは冬休みだから。それにスーファミとかファミコンだったらある程度のところでやめようと思えばやめられる。でもPS2はたぶんだめだろうな。やりたい気持ちが強いまま何年も過ごしたからおそらく爆発するだろう。学校始まっても徹夜でやりかねない。コーヒー飲んで生き残るさ!なんて言い訳ばかりしてそう。それが恐い。ちなみに中学の頃ポケモンを250時間やった。最高記録かしら。でもドラクエ7は一回目が100時間かけてクリアして2回目は150時間という表示がでていた・・・とまあ、あげればきりがないほどPS2を買うことが非常に危険であるという証拠が存在する。本当は去年の4月に買えたらよかったんだろうな。3月末に卒業して特にやることなかったから。でもあの時は結婚前でお金とっておきたかったし。そもそもアメリカにいたし。ふぃ~。今年の夏はやることいろいろあるけど、できたら来年の夏にでも買いたい。もはやエミュレーターで小学校の頃にクリアしたゲームを3回も4回もやるのも飽きたわい。もう、PS2やれないからってせめてやってる感覚を味わいたいとオンラインで何時間もレビュー(良い悪いの評価)読んでどんなゲームか想像するのも飽きたわい。そんなことやってる間に冬休みも残り2週間となってしまった・・・
2008年01月14日
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アメリカは車社会。俺は端っこだけど一応東京都生まれの東京都育ち。珍しく我が家には長いこと車が存在しなかった。移動はもっぱら自転車と電車。数ヶ月前、車の免許をカリフォルニアからマサチューセッツに書き換えた。ここではRMV(Registry of Motor Vehicle)と呼ばれる存在がCAでいうDMV(Department of Motor Vehicle)に当たる。一番近くのRMVは隣町のHadleyにある。そこへいってなぜか91ドルもする手数料を払ってMA免許を作ってもらった。そのあと、ふみちゃんが国際免許を得るためにAAA(triple Aと呼ばれる、日本で言うJAS、JIS?なんかそういうRoad assistanceとかをやってくれる会社)に行きたかったからRMVの人にAAAのオフィスどこですか?と聞いたらああそれなら、そこの道路沿いをまっすぐ行ったところだよ、すぐ近くだよ、と教えてくれた。なるほど、じゃあ歩いていけるか(俺たちはバスでRMVまで来た)と思い、てくてくと歩くことに。でも歩けど歩けどAAAらしき建物は見つからない。途中何度もバスに乗ろうかいやでも、もうすぐかもよ。すぐ近くだってRMVのおばさん言ってたし。そしたらバス代もったいないしなんてことを話しながら歩き続けたら40分くらいしてか、見つけた。(もっとだったかな)これ近くじゃないだろ!?と思っていたけど、そういや~アメリカ人の「すぐそこ」て「車で」だったなぁということに気づいた。似た様なことはサンタバーバラでも何回かあったか。基本、車を持っていることを前提に会話するから車ですぐ近く、と言わずにすぐ近くだよとだけ親切に教えてくれる人がけっこういるのであった。ついでにいうとアメリカはばかでかい国だから「すぐ隣」が日本人の感覚とはだいぶかけ離れているのだ。さらにいうと今住んでいるAmherstは田舎で隣町のHadleyも田舎であるから信号3つ先のすぐそこだよ、なんて言われたけど実はそのRMVとAAAのオフィスとの間の距離だったりする。信号、少ねぇ。そんな俺も月曜からは車持ち。今日は月曜のためにAAAに行って来たのだ。ここマサチューセッツ州は非常に特異な州で自動車保険のルールが他の州とは全然違ったりする。その話は明日にでも。今日の好きな物理用語。quantum-mechanically例)a quantum-mechanically forbidden state (region)など
2008年01月11日
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俺はクリスマスが嫌いだった。今は、好きだったり嫌いだったり。今朝の礼拝はクリスマス礼拝みたいな感じだった。Carolていうのを何曲か歌ったり賛美歌も4曲くらい歌ったりで礼拝中、歌うことがやたらと多かった。そして相変わらず牧師の話は短かった。この教会は信徒たちが作っていくという感じが伝わる礼拝。今朝の礼拝はとてもよかった。こういう時クリスマスはいいなと思う。みんなでクリスマスの曲歌ってイエスの降誕を喜んで感動して意味があって、意義のあるクリスマスだと思った。嫌いなクリスマスは日本のやつ。中学くらいから非常に嫌なものとして見るようになった。一つには彼女のいない自分の状況とカップルの夜、のような感じで売られるクリスマスの雰囲気を比べて嫉妬していのもあると思う。でもそれ以外に意味がわからなかったというのもある。たいてい皆がみんな祝う日というのはある程度、祝う理由があるものだ。正月を日本人みんなが祝うのはよくわかる。だから好きだ。クリスチャン人口1%に満たない日本で何故あっちこっちでクリスマスを祝う?メリークリスマスとか言うのはなんでだ?意味不明だったし、今でも意味不明だ。筋の通らないことは嫌いだ。頼むから祝うんだったら元の意味を少しでいいから考えて欲しい。今俺がクリスチャンだからそう言うのではない。高校の頃もそう思っていた。クリスマスの意味を当日1秒たりとも考えない。おかしくねぇか、それは。中学、高校生ながらにそう感じていた。ちなみにアメリカのクリスマスはまだましだ。確かにクリスチャンじゃない人達も祝う。が、少なくとも家族や親戚が集まって過ごす温かみのある一日だと思う。家族でプレゼント交換したりご馳走食べたりそして昔の思い出を語り合う。そこには家族の間の愛があると思う。そしてイエスは愛についてよく話した。だから家族愛が見られることはとてもいいことだと思う。Mixiのニュース読んでたら聖なるクリスマスという言葉を使っていた。でも俺は突っ込んでしまった。「性」なるクリスマス、もしくは「精」なるクリスマスだろ。デートして浮かれてもいいからさせめてね、ディナー食べて少し時間過ごしてホテルにチェックイン的なことはやめようよねぇ。もうちょっと聖なる愛情を確かめ合える時間にできたら少しはクリスマスを祝う意義があるんじゃないのかね。性こう為(漢字で書いたら禁止されているワードになってしまったよ)は決して「聖」行為とは書けないだろ。ちなみにAmherstは田舎だからクリスマスと新年の二日はバスのサービスが完全に停止するのだ。みんな休みたいんだね。そういうのは悪くないと思う。日本のクリスマスの祝い方は(特にメディアが報じる)信仰持ってる人間に対して、侮辱以外の何でもないよなぁ。
2007年12月23日
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ちょいと前にあった失笑する小話を一つ。UCSBで3年生だったときWalter KornとAlan Heagerという二人の物理学ノーベル賞教授が作ったドキュメントを見た。内容は次世代エネルギーに関してで特に太陽電池にフォーカスを当てていた。(というか話の大半は太陽電池に関して)何年くらい使ったら太陽電池は元がとれるかとか現代の先進国のエネルギー消費量に対してどのくらい太陽電池は活躍できるかとかそれからもちろんそれ自体の構造と今後の課題点なども。ノーベル物理学賞受賞者が作ったということで学校内や地域でも話題になりCampbell Hallという学校内では一番でかくてステージのある所でそのドキュメンタリーを上映した。プラスもちろん彼らのコメントやら一般の人の質問タイムもあった。1000人は観に来たんじゃないかな。といってもあのホールのCapacityがわからんけどあのホールが人で満杯になって座れない人もいたくらいだし。さてこのドキュメンタリーの内容自体もまあまあ面白かったんだけれど内容よりも遥かにはっきりと記憶に残っていることがある。太陽電池で世界有数の企業といえばどこだろうか。実は俺が思うに日本のSharpがトップクラス。というか技術面とかにおいてトップなのかな。まあ定かではないけれどもちろんドキュメンタリーは太陽電池の現在と今後に触れるわけでトップ企業であるSharpが話しにでてこないわけがない。映像は多少古かったがSharpの社長もでてきた。90年代くらいかなぁ。そして社長ともう一人で出てきた日本人がいる。それはどうもよくシステムがわからんのだけれどSharpの会社内の案内係り的な女性。あの、大企業の一階によくいそうな感じの人。その人が今(というか当時)のSharpのいろんな開発した太陽電池やら今後の構想なんかを英語で説明してくれた。英語で・・・ん?と思ってふと画面の下の方を見るとなんとそこにはサブタイトル!!!英語でされるこの女性の企業についての説明に対して英語のサブタイトルが付いていた!それもそのはず、この人の英語、典型的な日本人発音で英語の一単語をそれぞれカタカナで読んでいる感じ。シャープ イズ ア ベリー プログレッシング カンパニーをそのまま読んでいるような。まあこの程度ならまだちょっとクスっと笑ってしまうだけなんだけどさらに追加のダメージが。サブタイトルを読んでいたら実はただのサブタイトルじゃなくてこいつ話されている言葉を“英語”に“翻訳”して表示していた。言ってる言葉とサブタイルの英語が一致してないでやんの。そりゃそうだ。発音だけじゃなくて英語それ自体が日本人英語なんだもの。つまり日本語で文章考えてそれをそのまま直訳して単語を並べただけのもの。同じ日本人である俺は言いたいこと理解できるんだけどおそらくアメリカ人が聞いたらたとえ発音を乗り越えて聞き取れたとしても結局内容は理解できないだろうな~というお粗末さ。文法も間違ってるしそもそもフレーズとか使い方間違ってるし下手に企業説明のために難しい単語(といってもアメリカ人なら高校生でも知ってるけど)を使ってそれのきちんとした用法を知らずに文の中に置いているだけだったし。せめて英語で話すなら発音はともかく文章自体はプロの人に意味が伝わるかどうかを確認してもらうとかさちゃんと日本語の文章をプロの通訳か翻訳の人に直してもらうとかそういうことくらいは大企業なんだからやろうよねぇ。しっかし英語の上に英語のサブタイトルとは・・・これほど無意味でしかも面白い努力もそうはないだろう。これには失笑してしまったという言葉がぴったりだ。周りの人はもちろん普通に見ていたけれど。ちなみにSharpの社長さんの方も英語はサブタイトル付きだった。でもまだこっちのほうがましだったかな~。まあどっちにしろどんぐりの背比べだけどね。さらにちなみに他の海外の人のコメントの場合、けっこう流暢な英語で喋るヨーロッパ人か自分の言語でしゃべって訳が画面下にでるかだった。Sharpさんも日本語で話せばよかったのに・・・まあこの映像は10年以上も前のものだからね今はちゃんとした英語でも喋れるのかしら~ね。どうなんだろ。補足説明日本語で文を考えてそれをそのまま直訳するというのは例えば「俺さぁ、この前財布を盗まれたんだよ」を「I was stolen my wallet the other day」のように訳すること、かな。(俺の感覚では)もしかしたらこの程度の内容だったら意味は伝わるかもしれないけどぱっと聞いただけだったら普通のアメリカ人はえ?と思うんじゃないかな。まあ実際にドキュメンタリーででてきたのはこんなもんじゃなかったけれど。ちなみに上の正解は「I had my wallet stolen the other day」となる。俺の英語があっていればの話しだが。英語だと決して自分自身が盗まれることはないわけだ。日本語だと「この前財布盗まれたよ、くそ~」という彼に対して「俺もこの前盗まれたんだよ~、もしかして同じ人か!?」などと続くけれど直訳すると「I was stolen too」となってしまう。主語を省略することが多い日本語に慣れているとこういう訳をしてしまうかもしれない。まあそもそもこの日本語自体正しいのかどうか知らんけど。きちんと「俺のも」と言ったほうがよいのかな。でも会話の流れだとどっちでも普通に伝わるな。
2007年12月08日
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暇な人も暇じゃない人もこのサイトをみてください。English; http://www.peace-picturebook.org/Atomicbomb/index.html日本語; http://www.j15.org/Picturebook-Atomicbomb/index.htmlTop page; http://www.j15.org/index.html
2007年12月02日
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栄養不足のせいか口内炎ができた。きをつけようと思う。口内炎は嫌だね。気分悪い。俺はばい菌か!なんて思う。話は変わって(替わって?)(相変わらず代える、変える、換える、替えるの違いを明確に理解していないためいつも迷う)昨日の朝いつものように教会に行って思ったことをひとつ。谷本夫婦に会いてぇ~なぁ。よく考えると俺けっこうサンタバーバラで教会行ってたころはあの二人に会えるの、特に俊郎さんに、を楽しみにしてたなと。いや、まあよく考えなくても前からわかってたか。ユースの人たちがお互いに会うのを楽しみに日曜の朝早く起きて教会に来るように俺はあの二人とのちょっとした時間が好きだったな。もちろんユースでわいわいやるのも楽しかったけど普段テンション高い俺は日曜の朝は実はけっこう低めで同世代(みんな俺より年下か?)のノリは日曜の朝の体力的にしんどかったときあるなぁ。そんな中ぼぉ~とコーヒーを飲みながら赤いベンチに座っている俺に(コーヒーアワー中ね)どう、学校は?と聞いてくる谷本先生は実は俺にとってはけっこうな癒しだったり。優しく話しかけてくれる弘子さんもよかったなぁ~。(しかも話も必ずある程度盛り上がるから会話作るのを心配しなくていい。テンションの低い日曜の朝なんでこれ重要)なんかいつも学生達のこと気にかけてくれてよかったしただ、どうよ?と聞くんじゃなくてちょっと助言をくれたりめんどうな話きいてくれたり何かと気にしてくれてるのかなぁと感じる対話がね。というかそういうことをぽろぽろと話せる雰囲気なのもよかったな。まあ共有した時間の長さもあるんだろうけど大抵は「学校どう?」「まあまあです」「忙しい?」「宿題がそこそこあります」といった挨拶的な会話なんだよね、今の教会だと。そのあと、ふ~ん、という顔をするアメリカ人を見てん~こいつ話しかけてきたけど全然俺に興味ねぇな、と感じるのである。そんなんだからこっちも話にくいし質問もしにくいしと困ってる間に会話は進展せず終了。今行ってる教会に日本人のカップルがいるんだけど(ふみちゃん含めて、日本人合計4人でごわす)彼らとも会話は進まないしねぇ。なんか常に遠慮されているというか一歩を踏み込んでこないというか。当たり障りのないこと話して終わりというか。「学校どうですか?」「あ、やっぱりそれなりに忙しいんですか。大変ですね」以上。ふ~ん、まあいいや。俺は基本的に、話しかけてくるならそれなりに会話を作れと思う。だから俺が誰かに話しかけるときは必ず最近どうよ?何してる?楽しいことあった?というより個人的な情報を聞こうとするんだよね。それが無理そうな相手には話しかけないし。てかなんかひとつでいいからちょっとした質問しないとお互いのこといつまでたっても知れないだろうと思うんだよね。学生に話しかえるならさ、せめてテストあんの?とかどんな授業とってるの?とかさあ本人の一週間の出来事の何かを聞いてこそ会話だろうと思うんだけど。何専攻してるの?なんてのはただの挨拶だよな~。ああ、物理、私には無理だな~。とか言われたら会話の流れ悪くね?へぇ~いいね、とか言われたら、そっちはどんな仕事してるの?とかさ(お年寄りの場合は)どんな事してたの?とか聞きたくなるけど。別に学校とか街中とかだったらこんな挨拶程度のものでもいいけどせめて教会ではね、もうちょっとそれ以上のことを共有したいなと思う雰囲気あるといいね。やっぱでかい教会だと、毎度のようにいろんな人に挨拶してるからこうなるのかね。まあそんなことを礼拝中に考えていたら谷本夫婦はよかったなぁ~としみじみ感じたわけさ。今、院でけっこう面白いこと勉強してるしさ。そんなことを谷本先生と娯楽として話したらけっこう面白いことになりそうなんだけどねぇ。まあ、ああいう良い人達にはそう簡単に巡り合えるわけじゃないか。だから今という時間を大切にしてなるべく後悔ないような生き方をしたいね。しっかし、来週はあの教会の人達にどうやって話かけるかな。なんか共通のネタでもあるといいんだけど。とりあえずアイコンタクトから挨拶に移って会話を切り開いていかないとな。会話が盛り上がるように常に気を使うよう心がけるこれ俺の鉄則。だから基本テンション高いんだ。頭の中で次何話したらいいかを考えながら今話してて忙しいからかね。しかし日曜の朝は厳しいっす。特に礼拝後は気分は超まったりですわ。思ったよりも無駄に長くなった。宿題をしよう。
2007年11月19日
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アメリカのミズーリでこんな事件が。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/94652こわいっすね。死刑か。たまに日本でもひどい事件起きるけどやっぱりアメリカのほうがそういう頻度は高いのかな。もちろん人口が多いからそうだろうけれど割合でみてどうなのかな。アメリカ人ていつも上から下まで極端だからすごく常識を逸脱した良い人もいればこれまた一般の感覚とは遥かに離れた異常者も多そうなきがするなぁ。アメリカ人全体に比べると日本人はやっぱり平均的な人間が多いかな。おかげで住みやすいんだろうけれど。多くのことに関して、あることに飛びぬけた人間てのはアメリカ人の中により多くいそう。逆に「下」も多そうだけれど。特に学業がそうだよなぁ。金持ちレベルもそうだなぁ。モラルとか心理的なことになると千差万別て言葉はアメリカ人にあいそうだし。まあ自分が日本人というのもあるだろうけれど日本人てのはある程度、行動の範囲も理解しやすいような。コーヒーぶっかけられて火傷して裁判沙汰になったり喫煙者がタバコ会社を訴えたりなんてのはやっぱり日本じゃ起きないよなぁ。なんか、そのくらいは許しましょうよ、ていうある程度の隠れたルールが日本にはあるけれどアメリカ人の中にはそういうのが全然通じない人がけっこういるような。もちろん日本人にも常識というものが通用しない相手はいるけれどそれでもそういう人に遭遇する確率は日本のほうが低いよな。だからアメリカに住んでいるとアパートの隣に住んでいる人にもあまり関わりたくないなぁと思ってしまう。まあだからってみんな悪人なんじゃなくてあくまで少数が変なんだけれどね。いろいろ考えるとやっぱり将来は日本に住んだほうがいいのかね。といっても妻が将来的には日本に帰りたいと言っているので俺に選択の余地はないのだけれど。アメリカに骨を埋める覚悟でこっちに来たけれど結婚したらそんなの関係ないね。
2007年10月28日
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今日のセミナーはまたBiophysicsだった。この生物物理なるもの最近超Hotな分野なんだよね。だからセミナーによくでてくる。きっといろんな学校がBiophysicistを出迎えて自分たちの学部は最先端のものに目を向けているのだと訴えたいのだろう。しかしみんな本当にそこまで興味あるのか?Biophysicsが増えているのは知ってる。お金もたくさんでるのも事実。医療関係に直接繋がりやすくて場合によっては癌の治療法に繋がるかもなんてケースもよくある。でも俺たち、やっぱり物理屋だよ。物理屋は生物が苦手か嫌いなんじゃないだろうか。そういうイメージが強いんだけどな。俺は頭が古いのかな。なんかすごいとは思うよ。細胞のなかでDNAやSpindleやMicrotubuleという細かいものがごちゃごちゃ反応してひっついて離れて壊してそうやって生態が成り立っているのだから。だから俺も学部の時はBiophysicsやろうと思ったんだよね。院も一応そのFieldに行くつもりで出願したし。でもちょっと冷静になってセミナーを聞いているとだんだん、ふ~ん、という冷めた気持ちになるんだよねぇ。へ~と思いつつ、ふ~ん、なのよ。わかる?実験でもDNAが何してるか必死に見ようとしたりしてでも生き物だからえらく苦労するのだけれどどうも今ひとつぴんとこない。面白さがあと一歩(二歩かな?)伝わらないんだよね。やっぱり高校の頃、赤点とって苦労したのが生物の授業というのが大きいのだろうか。血管とか遺伝とかどうでもいいと思ってたもんな。今もそこまで興味ないしね。生物物理の欠点(好きな人にとっては一番大事なんだろうけど)はphenomenological(現象論的な)なところかな。Introductory biophysics の授業をとると大抵最初はCell biologyをかじり始めるんだよね。いきなり物理にいかないでまずは生物から入って今わかっている現象、構造の名前、などなどを知らないことには新しいことを学べないという観点に立っている感じ。そうやって総合的に勉強した上で自分で興味のある構造や部位なんかを研究しながら深く勉強していくのだろうけど俺はそこにたどり着く前に諦めたよ。UCSBでとったBiophysicsもUMASSで今学期オファーしてるBiophysicsもどっちもまずはCell biologyから始まるんだよね。もうそれが耐えられなくて。それに対して今までどおりのストレートな物理だとたいていその分野における基本の物理から入っていってそれを発展・応用させてより難しい問題にぶつけていく。最初から数学がばしばしでてくるわけだ。やっぱりどうも俺にはそっちのほうが向いているみたいだ。Biophysicsの場合すでに生物学者が多くの現象を発見しているからそこから大きな違いが生じるのかもしれない。どうも全体を説明する物理というより一つ一つの現象を細かく説明することに焦点があわされているのかもしれない。たとえば物性物理の場合はある原点があってそこから派生していくんだよね。そうやって超伝導物理を説明したりXーrayを説明したりSpintronicsやQuantum computationに発展したり。もちろん現在、理論の研究がされているような内容はかなり細かいことである種類の金属に焦点があわされていたりするけれどそれはもっと先に進んだ時点でのことだしな。粒子・核物理やひも理論のような超ストレート物理はもっと数学性が強いしねぇ。生物の場合、ある一つの現象だけを見ることは難しいしね。たいてい他の細胞やらなんやらと反応しながら細胞は進展していくからね。そうすると物理もピンポイントで問題を解けないんだよね。あ、ところで今日Davidovitchという教授が面白い問題を教えてくれた。他の実験の研究にかかわる問題らしいんだけどあまり時間がなくてすぐに解かないといけないみたいだからたぶん俺には無理な仕事だろうなと思う。たった2つの授業でいっぱいいっぱいだからね。でも何か刺激があるのは嬉しい。とにかく俺はそれを自分なりに解いてみたい。答えはあとでその教授に聞けばいいさ。ちなみにこの人が明日会う約束してる人。能力があることを見せ付けられたりしたら来学期からRAゲットなんてことになるんだろうけど今まで授業以外の勉強はしていなかった俺には無理な話だろうねぇ。だから学部時代に真面目に研究しとけと人は言うんだね。ちょっと気持ちが焦るけどとにかく今は目の前のことをこなさないとな。そんなこと言ってる間にもう金曜だよ。宿題始めないとまた来週徹夜になる~。
2007年09月28日
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日本の大学受験は嫌だった。CATさんのBlogを読んでいたらそんなことを思い出した。彼は日本の受験制度を瞬発力方と、アメリカの受験システムを持久力型と呼んでいるがまさにその通りだなと思う。アメリカの場合いい大学に行きたかったら高校の間しっかりいい成績をとり続けることが要求されるのに対して日本の場合は高校の成績なんて全くおかまいなし。おかげで俺は高校の最初の2年間遊んでばかりいたら3年になっていざ受験勉強しようと思ったときにはあまりにやるべきことが多すぎて諦めてしまった。(一応少しやったけど補欠でぎりぎり滑り止めの大学に受かったくらい)アメリカで大学に5年間通ったけど大学院のための受験のことを考えてまじめに授業とって良い成績を保った。成績重視の場合、こちらに要求されることが学期をしっかり乗り越えること。苦痛は長くても15週間しか続かないのに対して日本の受験勉強の場合は3年生の部活を5,6月に引退したらやれ受験勉強だ夏休みも返上して受験勉強だ秋に入ったらもっと受験勉強だ冬休みは最後の追い上げで朝から晩まで受験勉強だとあまりにやりこまないといけないと感じた。3年生の時に頑張った友達は信州大の医学部に受かった。アメリカで大学に行ってきつかったのはペーパーの提出をする前日と難しい宿題の前日と当日くらいだった。もちろん徹夜だったからだけど。まあ個人の好みによるんだろうけど5年間じわじわと苦しめられるほうが圧倒的に楽なんじゃないだろうかと感じる。宿題だってたいてい週末にそこそこやれば終わったしテストなんかは宿題の復習みたいな内容だった。月曜から金曜までは真面目に授業でてあとはちょこちょこっと帰ってきて教科書読んだり宿題眺めたり。日本の大学受験とアメリカの大学生活どっちかやるとしたら俺はもちろん4年間まじめに学校に通うことを選ぶな。夏休みに勉強するのは俺には無理だ。といっても比較の対象がちょっと違うけれど。大学で一所懸命勉強する理由は大学院に受かるためで日本の大学院に受かるためにどうすればいいのかは俺はよく知らないんだよね、実は。アメリカの高校のこともよくわからないし。でも楽しく高校生活を終えてそれでバークレーとかに受かった人がふみちゃんの友達の中にいるけれどそんなに異常なほど勉強してた感じではないらいし。それでバークレーなんだからおいしい話のような。日本でけっこういい大学に受かりたかったら・・・おそろしや。でもよく考えたら俺は結局、大学院の受験もだるくなっちゃって行きたい院にはちっとも受からなかったけどね。結局名の知れない田舎の大学に落ち着いたし。そもそも特定の院に行きたかった理由はPrincetonでPh.D.なんていったらかっこいいだろうと考えていただけだし他の州立の大学院もみんなとりあえずランキング見てトップ20の中から選らんだだけだった。で、いざGREの勉強しようと思ったら一所懸命頑張る必要性を見出せなくなってだるくなった。意味なくとりあえず頑張るのは嫌いなんよね。そういや日本の大学受験も途中で大学に行く理由がわからなくなってそうしたら勉強するのもだるくなってやめてしまったなぁ。まあそういうことやっているうちに今は物理を勉強することの意義を見出せたようなきがするけど。しかしまあよく必死に勉強して受かった良い大学に入ってから勉強そこそこに遊びに熱中できるものだな~。難しい大学に行く意味あるのかね。そういう意味でもアメリカの制度のほうが俺は好きだな。
2007年09月22日
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3月21日、11時15分、期末終了。これで俺のUCSBでの最後の授業が終わった。といってもテストだったけど。それにちゃんとクラス全部パスしないとだめだけど。といってもテストの出来ではCかBくらいはとれるんじゃないかと。これで一応俺の留学生活第一段階が完了したことになるな。5年かかったけど、UCSBに来てよかった。よかったのか?まあ細かい不平不満を除けばUCSBはよかったんじゃないだろうか。授業料の高さが問題だけど。もし今俺が高校3年生で進路どうしようか考えている状態だったら絶対にアメリカの大学に行こうなんて思わないだろうな。年間2万4千ドルも払って卒業する価値なんてUCSBにはなし。俺の場合はあくまでもこっちで大学始めちゃったから、始めたんだから仕方ない、終わりにするか、といった流れだったわけだし。だから親父も母ちゃんも授業料払ってくれたしね。しかし5年かぁ~。高校卒業して1年間ふらふらしてその次の年の9月にSBCCはいって3年。それからUCSBで2年(正確には1年半とちょっと)。高校卒業が2001年の3月末だから実に6年も経っているわけだ。5年もアメリカいたわりにはたいしたこと学んだ気がしないのはなぜだろうか。まあでもいろいろ楽しいことあったから良しとしようか。UCSBでの最後の学期だったのに、最後のほうはだらだらだったなぁ。なんとも締まりの悪い大学生活だこと。でも仕方ないね。やるきなかったんだから。ついでに言うと昨日の昼くらいから体調悪くて今朝になったら昨日の喉の痛みは進展してばっちり風邪としてでてきてるし。まじ今朝だるかった。4時半に起きて勉強したけど。ちなみに今日は寝不足で今めちゃくちゃ眠い。大学5年間を振り返って感慨にふける余裕なし。ちょっと昼寝をしようと思う。では。
2007年03月21日
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将来、日本とアメリカ、永住するならどっちだろうか?最近このことをよく考えるようになった。アメリカに留学のために来た時はアメリカの大学を卒業して院を卒業して就職して家も買って、退職もして。残りの人生をアメリカで過ごすつもりで来た。でも最近、それが一番よいのか疑問に思ったりもする。もっといろいろ、長くこっちで生活している人から情報を得たいと思う。けっこう若いころはアメリカが好きだったけど年をとるにつれて日本に帰りたい気持ちが強くなるなんて話を聞くのもまた気になる。もしかして俺もそうなのか?と疑問に思う。だから最近は必死に日本の良いところを考えて少しでも客観的にアメリカと日本の評価を比べたいと思っている。でも正直俺はまだ就職すらしたことないから難しい。アメリカで働くこと、日本で働くこと。その違いが俺にはよくわからん。日本の会社はあれがこれが駄目だとかいう意見はたいてい実際に日本でしか就職したことがない人から聞くかアメリカに留学しているアメリカかぶれの人から聞くか。どっちも長年経験しているなんて人はそうたくさんいるわけじゃないし。だからたいていは、無い物ねだり、のような要素がたくさんある。アメリカでは、きちんと夕方5時になったら家に帰ることができると聞くけどそれはやっぱり能力があることを前提にしているきがしてならない。普通程度の能力だったらそのうち首になるか隠れて残業して周りに追いつく努力をするか。物理やっている人達はけっこう遅くまで仕事してるし土曜日も研究室に行ったりしてるし。日本では、なかなか家に帰れない、休みがとりにくい、なんていう悪い噂をたくさんきくけれど、かわりに、先が見えていて落ち着いているきもする。まあ、これはあくまで会社勤めの人の話なんだよね。俺はできれば大学に残りたい。もしくはどこぞの研究所に仕事を見つけたいと思う。企業は嫌だなぁと思うわけだ。でも大学で研究している人達って実はかなり努力してる。努力しないと教授職に着くのは難しいみたい。まあ天才肌の人達にはいろいろオファーがくるみたいだけど。物理は面白いけど、果たして俺は一日8時間以上働きたいだろうか?一日8時間、週5日じゃ、万年ポスドクだったりするのかなぁ。それじゃいつまでたっても永住権もらえないしな。日本に帰ったら、研究職につくことはできるのだろうか?大学院は確実にアメリカで行くだろう。日本かアメリカか、と言う前にどうやら俺は将来、物理で博士とってから何をするのか、という疑問のほうが大きいようなきがしてきた。でもとりあえず院に行ってみようかなと思う。努力してれば、実力もついてくるだろうし、そしたら日本でもアメリカでも就職の可能性はあるのだろうか。結局のところ、やっぱり俺が思いつくことといったら、「根性」でどうにかしろ、の一言に限るなぁ。俺はやっぱり日本人なんだなぁと思うわけだった。結局、悩んでいても疑問に思っていてもしょうがないわけだった・・・。とりあえず大学院に行ってみようと思うのだった。でも実はちょっと日本で一度就職してみたいとも思うのだけど。高校までの生活じゃ、日本で生きていくてことがどんなことかよくわからんと思うんだよね。就職してみたら、想像してたのと全然違ったりするかもしれないし。でも仕事してみたら、今度はアメリカと日本での老後生活の違いがきになったりするのかもな。老後は日本のほうがいいなんて噂を耳にするし。アメリカで生活するてどんな感じなのだろうか。5年間住んでもちっとも見えてこないのであった。学生て生ぬるいよなぁ。
2007年03月14日
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本当のこと言うとさぁ、めんどくさいよね、勉強。いやまあもちろん普段からめんどくさいんだよ。うん。それは否定しない。でもまあ一応成績ついたりさ大学院のApplicationのためとかいって必死に宿題やって教科書読んで授業行って(はいないか)テスト受けて。いい成績を残せるように心がけてはいたけどさ、もう願書出しちゃったじゃん。これ俺にとって最後の学期じゃん。なんかやる気でないよね。パスできればいいかななんて思っちゃうね。頑張ればHighest honorだかなんかが卒業のときにもらえるらしいけどそれって一瞬名前呼ばれたときについでに付いてくるおまけであって誰がまじできにするよ?俺自身わ~いとかいいつつ別に意味ねぇとか思うんだろうし。なんの使い道もない名誉を得るより今だらだらした生活したほうがよっぽど楽しいようなきがするなぁ。そんなこと考えていたら勉強するきが失せたわけだ。そしたら今度はパスすることすらこのままでは苦しいのではないかという状況になり始めてしまったわけだ。やっぱりせめて宿題は提出しておかないとCreditもらえないかも。何もやらないで授業行ってのほほんとしてパスできるほど甘くはない。暗記だったらちょっとでも覚えたらそれがテストにでるかもしれないけど物理みたいのってちょっと理解しても1点にもつながらないんだよねぇ。逆に一度理解しちゃえばけっこう楽だけど。そんなわけで明日は中間なんだよ。でも週末はひたすら遊んだんだな。今日は少しくらい頑張って70点くらいとれるように努力してみるよ。うん。あ~パスするのって意外とめんどくさいもんなんだねぇ。物性物理だるいな。
2007年02月05日
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今日はブログやっててよかったなと思った。 楽天のことね。 思っていた以上にいろいろな収穫があるなと。 東海岸の大学院に行っている人達から いろんな為になる情報を得られた。 しかもみんな優しくいろいろ教えてくれるんだよね。 ありがたや。 特によくお世話になるのはCATさんのブログ。 ニュースもたまに書いてくれるし いろいろアメリカの大学と日本の大学のこと書いてくれるし しかも見方が普通の人とちょっと違ってて面白いし。 東海岸てのは気候が悪いらしい。 冬になると寒いだけでなく 灰色のどんよりとした空と日々が続くらしいのだ。 東京の冬て寒いけどけっこうからっとしてるんだよね。 太陽は出てるのに寒いみたいな。 そんな感じではないらしい。 さらにミシガンとはだだっぴろいらしい。 山がないのに寒い。 山があったらスノボーし放題なのに。 もったいない。 でも院生の間は貧乏でスキー場に行って遊ぶ金はないか。 大学院、いいプログラムはたくさんある。 特にこれがいいという強い意志が俺にはないから 最近は生活環境という点から見ていこうかなと思っている。 たとえば バークレーとUCSBだったら やっぱりUCSBだよな~と思うわけである。 物理は全般的にバークレーのほうが上のようなきがするけど。 やっぱり生活環境がいいと それだけ余計なことをきにしないで 自分の学業に集中できるかなと。 そこらじゅうでやばそうな目をした人達が うろうろしていたら 落ち着いて生活できないだろうと思うわけだ。 ん~でもやっぱり自然があるのはいいよね。 南カリフォルニアはかさかさに乾燥しているから 森の中に大学ある感じとかないよねぇ。 やっぱりアメリカに留学にきたんだから あの日本にはない広々としていて 自然の多いきれいなキャンパスを一度は味わってみたいよな。 UCSBは悪くないけどけっこう普通だもんな。 植えてある木とか植物のセンスあんまりよくないし。 建物もね。 それからもっと花を増やせといいたいね。 俺は見た目はブラピみたいにかっこいいけど 心は乙女なんだから。 透き通った美しい心で反対側が透けて見えちゃうくらい。 ん、それは心が薄っぺらい証拠だと? 話がけっこう逸れたけど とにかく言いたかったのは 楽天やっててよかったなということ。 また来年どこかの大学院に行くのが楽しみになった。 親切にしてくれる人達、どうもありがとうです。
2006年11月10日
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ちょっと今プロフィールの写真を変えた。「ちょっと」だけね。そしたら、ぷぷぷ、自分の写真見て笑ってしまったよ。俺はアホだけど面白いやつだなぁと思った。
2006年10月11日
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It is always pleasing to see a comment from a friend from high school, you know. Anyway, I still haven't fixed my crappy pc. I really should give myself some time to reinstall and do everything. This is pretty inconvenient. Not too cool...When I woke up this morning, it was already around 1 pm.That killed me.I decided not to go to school today, with some extra excuses.It was a very relaxing day. I did pretty much nothing other than talking and eating.I should have gone to school to do some work though.I'm gonna get up early tomorrow.Hopefully get some programming done.I was thinking about a way to improve your relationship with someone you really like,I mean boyfriend or girlfriend.You never start with "love"You have to remember that.You can say "I like you"NOT "I love you"That would be a lie. You know why?Because love is build up from the relationship you already have.It's nothing like a "feeling".If you feel like you love someone, cut it out.When you love someone, you know it.You just don't feel it, but you know it.It's just like parents loving their kids.They never quit loving.No matter what kids do, the parents love them.If you are dating with someone, and you start feeling like you are kinda bored with this person and checking out other girls(boys), you obviously don't love this person.You just like him(her).The parents don't look for a substitute for their children, right?I never thought there is "the one" for me or anybody.You don't find that special someone.You build your relationship with someone you really like now.It'll turn into a love at some point.Then you can always trust each other.You can always believe that this person will make you happier than ever. I don't know if it the lack of love or the loss of love when people get divorced.At least once, they thought they loved each other.Once two persons are in their love "stage", it seems difficult to stop loving one anotherbecause the relationship is so tight that the two can't get separated anymore, like Crazy Glue.From my experience, if you wanna have a serious relationship with someone, don't lie.No joke, but I hardly lie to Fumi.There are sometimes things that I don't want her to know, or things that I think she shouldn't know.But I tell her what I think, what I have in my mind.She gets upset, of course.But a few hours, or a few days from that, she understands me.She'll accept me.Repeating this process, I start thinking she's going to understand me whoever I am.Then I feel very confortable with her.And I start feeling I'm loved.And now I'm loved.or at least I feel loved.I don't know if you can know that you are loved.I think at maximum I can feel loved.Because none can prove his love toward her.But I think you are capable of knowing you love your special someone if you really pay attention to what you think and what you feel.I can be wrong of course. I'm not an eighty year old man, who has spent his past 60 years with his wife.I might just be in a "mood" to love someone.But I'll do my best to keep my love.Then I'll see if I'm right.Anyway, I just felt like writing this, so I did.Don't complain if I'm wrong.You are gonna have to find your own way of loving someone.
2006年08月03日
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おはよう昨日の失敗を生かして、今日は4時間ほど睡眠をとったから気分も頭もすっきりしているDrSkateでござる。今日のテストは12時からというのが救いてところか。力学のテストだから気が楽だ。まあこけないようにきをつけなくては。それよりも、今日はハチミツちゃんが帰ってくる日なのであ~る。3週間も日本に帰っていたから熊はさびしかったのだ。大好物のハチミツがないなんてね~。熊といっても凶暴な人を襲う感じじゃなくてクマのプーさんをさらに2で割ったくらい優しい感じのクマね。どっちかていうと、クマね、熊じゃなくて。とにかくまあ久しぶりに会えるわけなんよ。俺はテストなんかよりそっちに気がいってしまって勉強どころじゃないわけよ。量子力学のときはぶっ倒れたけど基本的には果報は寝て待てを信じる人間だから楽しみなことがある時はさっさと寝てしまうタイプなんだよね。というか、そのことわざにそっているというよりも、ただ単に寝て時間の早送りをしてしまおうという考え。最近きがついたのだけれど俺はちょっと先に楽しみなことがあるとそれにばかり気がいってしまって目の前のことに全く集中できなくなるタイプなんだよね。てっきり常に冷静沈着に行動して必要とあらば心を鬼にして目の前のことに全力を注ぎ込んで一つ一つ確実にこなしていく堅実な人間かと思っていたけれど以外と子供のような性格をしているのだった。驚き!まるで次の日の遠足が楽しみで手もろくに洗えない、ご飯も落ち着いて食べられないそんな子供のようである。いやだったねふみと離ればなれだった時はさあくよくよしてもしょうがないと自分に言い聞かせて歯を食いしばるような思いでむきょ~!勉強しまくっていたわけよ。それほどに頑張れるならたいしたもんだと普通は思うじゃん。でもさ、ファイナルが近づいてきてさあ、勉強頑張っていくか!なんて思っていたらさワールドカップは1週間後だなんて言われてうずうずしてきちゃったわけよ。とりあえずワールドカップも無事に始まって落ち着いてきたかと思えばふみがアメリカに帰ってくるという事実がど~んと現実になってきたわけよ。そしたらその日が楽しみでさなんかテストなんてどうでもいい気分になっちゃうんよね。勉強なんてしてる暇があったらさっさと寝て時間を早送りしたい!なんて思ってるんだもん。ふと冷静になって考えてみるとあれ~おかしいな、これと思えてくるわけさ。てっきり楽しいことが先に待っているからこそ目の前のテストに対して必死に取り組めるのかと思っていたら逆じゃん!て自分で思ってしまった。とにかく新しい自分を発見してしまったわけさ。いや~前はこんなことなかったと思うんだけどね。気づいてなかっただけなのだろうか??ということでこれからはファイナルのすぐ後とかに楽しい予定を組まないようにしないといかんようだ。ファイナルの一日後とかだと寝ればすぐじゃん!という思考が働くようなので。おっとこんなことをだらだらと書いていたらずいぶん時間を使ってしまった。さっさと勉強に戻りますよ、ええ、はい。ちょっとは集中しないとね。ちなみにお隣で徹夜しているうちのルームメイトが半分寝ながら勉強している。いや、4時間寝ておいてよかった、と思うのだ。あと3時間半でテストなんだけどね。
2006年06月14日
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俺はほぼ毎週土、日曜日、教会のプレイズ(賛美ともいう)でベースをやる。日曜の教会で行われる礼拝の時間ではプレイズなるものがある。これは歌を通して創造主である神に感謝をしたり、神の素晴らしさを言葉にして捧げるというものだ。クリスチャン(自分も含む)はこれを賛美(美しさを褒め讃えるという意味だな)と呼びまあアメリカの教会ではよく英語のプレイズという単語を使ったりするのだがもちろん自分たちの歌が神に届くと信じて歌うのだ。まあ強いて言うなら国歌を歌うようなもの?ちょっと違うかな。でも自分の国の素晴らしさを讃えるし、その国の国民であることを喜び誇りに思いながら歌うという意味ではにてるのかな。ただプレイズの場合は相手が国でなく神だけど。違ってたら訂正求めます。でもだからといって毎回心から歌ってるわけでもなかったりする。歌詞の内容は多くの曲で神の素晴らしさを讃えるものだったりするわけだけどそんなに毎日神に歌詞にあるように真剣に感謝しているほど俺は真面目ではない。だから賛美の時間に歌いながら自分が偽善者であるかのように感じることもほとんどないわけでもない。そいでもって、そんな不真面目な俺は実はその礼拝でやるプレイズをリードする賛美チームなるものでベースを担当している。だって教会という一つの場所に集まってさあみんな思い思いに賛美しましょう言われてもてんでばらばらで意味不明でしょ。やっぱりやるならみんなで何か一つの歌を歌ったほうがいいよね。聖書には信仰者が集まって心を一つにして賛美することを神は喜ぶみたいなことも書いてあるわけだしそれにこれは前からず~とやってることだしね。賛美というとパイプオルガンの音楽を思い出す人もいるかもしれないけどうちの教会は若い連中が賛美リードするから音楽も最近のものだ。アコギがあって、ベースがあって、ボーカルがいて、ピアノがいて、ドラムもいる。人数が多ければエレキなんてこともこっそり俺は狙っている。曲調もポップに近い感じかな~。ちょっと違うけど。で本題に入るけど、俺はベースを普段はやっているわけだけど今日の練習ではボーカルを担当した。前教会来てたやつが久しぶりにサンタバーバラを訪ねてきてついでに明日の礼拝にもでていくからだ。彼は基本的に楽器はなんでもできる人。エレキもめっちゃうまいしドラムも半端なく上手。その上ベースもできるんだからたまげたもんだ。で、彼は楽器を与えないときっと暇するだろうと思ってベースをやったらどうかと誘ってみたわけだ。実は俺は前からベースなしで歌を歌うことだけに集中してみたかったんだ。だから今回はちょうどいい機会だった。なかなかベースをできるやつはいないからね。俺が歌うことに集中したかったことには理由がある。それは、ベースを弾いているとそれに必死になってしまって正直その曲が何を歌っているのか全然わからんということ。曲の流れも大事だけどやっぱりプレイズで大事なのは歌詞。確かに正直歌ってて自分偽善者~みたいに感じる時もあるけどそれだけにやっぱり言葉一つ一つは素敵なんだな。少しでもその曲を作った人と同じ気持ちになりたいと思う。共感できるところはやっぱり一所懸命自分も歌詞を味わいながら歌いたいと思うのだ。やっぱり口にしてこそ信仰は表されると思うし。だから長い間俺にとってベース君は正直お荷物だった。でも普段は他にも歌い人が何人かいるしベースないと今ひとつのりも出ないしと思ってた。でも今日は他にやってくれる人いたし歌うひとも俺ともう一人女の子がいるだけ。だから自分なりに精一杯歌うことができたと思う。歌詞の一言一言を味わいながら少しでも普段からこんなふうに神様ありがと、という気持ちを持って生活できたらいいなと思いながら、たいしたことない俺の歌唱力で少しでも美しく神の耳に響くようにと思って。だから今日はよかった。俺にとっては大きな収穫のある練習だったきもする。でも今こんなに気分が盛り上がってても明日の礼拝になると以外と気持ちはどんより盛り下がってたりするんだよね。だって俺たちプレイズチームは8時に教会に集合しないといけないのさ。8時だよ。毎週日曜日。ありえんでしょ。学生にとってはきついよ、これは。しかもたいてい土曜の夜は寝るのは遅い。いやいや、別にパーティーしてるわけじゃないよ。しかものりのりの気分なんてすぐ冷めちゃうものなんだよね。だから明日の礼拝のときにまた今日の練習のときのようにじっくり味わいながら歌えるかどうかはわからない。でも今日は得るものがあったからちょっとは期待したいと思う。そいでもってこれを通してまた少しだけ自分のこと以外のことも考えて生活できるようになれたらと思うのだ。少しでも礼拝堂の前でマイクもって歌ってる自分がカラオケやってるんでもなく偽善者になってるんでもないように。きれいな言葉を並べることは簡単だし兄弟を愛し、敵を愛そうなんてことは口ではいくらでも言えるけどそれを実行するのは本当に難しい。これはやっぱり普段からの練習が大事なんだな。いつかは賛美している時の自分と普段の自分が同じ気持ちでいれたらと願うのだ。先は長いのであ~る。と、ちょっとキリスト信仰者らしいことを言ってみたりする今日は実はまだまだファイナルのために勉強しないといけないのだ。偉そうなこと言っている暇があったら勉強しろ、てのな。はいはい、そうします。
2006年06月11日
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前回のワールドカップでは俺は警備員を何度かやった。茨城のカシマスタジアムに12日間泊まりこみでいった。宿泊施設はなんとどこぞの体育館。シャワーはついていたけどあれはひどかった。そこに何百枚もの布団があった。正直あんときは家に帰りたいと毎日思ったものだ。朝8時だから7時だかに起きて午前9時から午後9時まで仕事。そして体育館に帰って寝る。まじでそれだけだった。でも友達もできて楽しかったな。日立出身のほんわりした後藤真希似のボランティアの女の子に会えたのも思い出深い。そんな前回のワールドカップからなんともう4年も経ってしまった。俺がアメリカに上陸したのは日韓ワールドカップのすぐ次の月の7月12日だったかな。アメリカに2年目くらいのときは、早く4、5年こっちに滞在してアメリカ留学のベテランになりたいなどと思っていたけれど、きがついたら本当に4年も経ってしまった。なんとあと1ヶ月とちょっとで留学生活5年目に入るのだ。こっちにくる前の自分からは全く想像もできないようなことだ。アメリカ嫌い、英語も嫌いだったのにね。留学案内なんてのが着たときもけっ、留学なんてくだらん、と思って捨てていたものだ。留学することを考え始めたのは実は些細なことからだった。大学受験勉強中の1月だか2月くらいだったかな。数人のクラスメートと放課後、将来のことだか日本の将来のことだかに関して話していたのだ。そこで留学の話がでた。外の世界に行ってもっと視野を広げてみるのも悪くないよな~とかそんなことを通してすげ~大物になれるかもな~とかそんなことだったかな。他の人たちはまあそこで話す程度で終わったんだけどそんときから俺は真剣にアメリカに留学することを考え始めたんだ。最初はドイツ留学なんてのもかっこいいかもと思っていた。ドイツといえばいい車はあるし、親父はひげ剃りはドイツ製じゃ!みたいなこと言ってたし物理学者とかでも有名なやつは何人かいるしとにかくなんとなく科学技術が発達していると思っていたからだ。今になって考えると科学技術が最も発達している国は実は日本だったんだけれどね。でも結局アメリカにした。だってドイツ語しゃべれてもねえ。英語喋れたら世界で通用するし。将来ノーベル賞もらったら英語でコメントしなくちゃいけないかもしれないし。そういえば当時はノーベル賞なんて俺にとって通過点だぜなんて偉そうなこと言っていたような記憶があるな~。で、確か実際に留学に関して調べ始めたのは私立大学の受験の日だったかな。慶応だったか早稲田だったか。受験して、こりゃだめだ、絶対受からん、とか思った記憶がある。帰りに立川のオリオン書房とかいう駅ビルに入ってる本屋でTOEFLのこと調べたり留学手引きみたいな本を立ち読みした。読んでいて感じたのが、けっこう遠い世界の話ではないんだなというものだった。俺は受験勉強しながらずっと思っていたことがある。このままみんなと同じように大学行っていいのかと。そのときは物理専攻だったけど、そこまで物理が好きだったわけでもない。ただなんとなく面白そうだからとりあえずこれでいってみるか、程度だった。だから正直必死に勉強して大学に行く意味が見いだせずにいてそのせいで冬休み明けくらいから一気に勉強する意欲を失ったと思う。俺は夏休み応援団という体育祭のイベントに燃えていてほとんど勉強せずにいた。だから秋から必死に勉強して遅れを取り戻さなくはいけなかったんだけれど大学に行きたい強い理由がなかったからその遅れを取り戻すほどに一所懸命になるのはただの苦痛でしかなかった。しかも自分の高校は進学校だからどいつもこいつも早稲田とか慶応を受けるしで俺も同じ流れでそういう有名な大学を受験するつもりでいたし受かるつもりでいた。まあもちろん俺の考えは甘かったわけだけど。私立大学は確か慶応、早稲田、東京理科大を受験した。実際に受かったのは東京理科大だけ。しかも補欠で。高校受験のとき慶応の1次試験に合格したというしょうもないプライドがあったからかなりがっかりしたのを覚えている。第一志望は国立大学の東京工業大学だった。国立大ではトップクラスに入るこの大学相手の時はさすがにもうだめだと思った。前期試験受けているときに、数学がめっちゃ難しいと感じたのを覚えている。一応後期も受けたけど、受け終わった瞬間に俺の東工大への夢は終わったと思った。後期試験の帰りに本屋に行ってこの前立ち読みした留学のあれこれ的な本を1冊買った。実は後期試験のちょっと前当たりからすでに留学するきでいたのだ。(もちろん親はまだ知らない)だから後期は、試験が難しいのと留学へのあこがれという思いが入り交じってやる気ゼロだった。てか前期の試験受けてあまりに難しすぎてコテンパに叩きのめされたからそれでもう受験はいいやと思ったのかもしれない。まあとにかく、日本の大学に行きたい気持ちゼロだったのと、一年間の浪人生活が嫌だった気持ちがあり、そして何より人とは常に違った道を歩みたいと思っていたから絶対留学して大物になってやると思ったわけだ。今思えばただ受験勉強から逃げたいと思っていただけかもしれない。そんなくだらん思いから始まった留学。そんなわけでまず母親に相談して、それから親父に相談してめちゃくちゃ怒られ、2時間の話し合い(というか半分喧嘩?)の末親父のサポートを得ることができてそれからTOFLゼミナールという留学したい人のための塾に行くことになった。ここでは主にTOEFLの勉強をした。さらに母ちゃんの通う教会にいるTimという南カリフォルニア出身の人に出会い英語を週2回教えてもらうことになった。しかも無料で!彼のおかげで俺はアメリカに来たときにはすでにある程度しゃべれたしそこそこ英語というものに慣れていたのだと思う。まあある程度と言ってもほんとださい英語だったけど一応文章は作れたし会話するときもまず頭の中で日本語つくってそれを英語に訳すみたいなことはしないですんだ。おかげである程度スムーズな英語は喋れたと思う。(発音は除く)そんな感じで勉強してバイトして一年ちょっと待ってワールドカップの警備員をしてある程度がっつりお金を貯めてそして2002年7月に渡米した。今思えば大学受験に失敗したのが大きなきっかけだったかもしれない。俺は基本的にテストというものが好きで高校の試験も数学なんかはけっこう点数よかった。だから大学受験もなんとかなるだろうと思っていたんだと思う。そんなに大きな失敗知らずで生きてきた俺にとって大学受験は大きな失敗だった。それに自分のやる気のなさにもびっくりした。軽く自分に裏切られた気分だった。これが自分のしたいことを見つめ直すいい機会になったんだと思う。俺がしたかったことはいい大学に行くことじゃなかったし英語をマスターして国際派の人間になることでもなかったしノーベル賞をとって有名になることでもなかった。俺のしたかったことは、人と違う道を歩むことだった。周りのほとんどが日本の大学に行くなら俺は外に出て行く。そういうちょっとした世の流れに逆らうのが好きなんだ。今でも周りの人と同じにならないようにきをつけている。それでもやっぱり日本人として育った血は濃いみたいでついつい周囲ととけ込むことで落ち着いてしまうことがよくあるが100人いたら2、3人空気が違うやつらの1人でいたいと思うのだ。でも実際にサンタバーバラに来てみたら他にも日本人の留学生が思っていた以上にたくさんいて愕然としたことを覚えている。なんだよ、けっこう留学て普通じゃん!と思った。そう世の中にはけっこう留学する人がたくさんいるのだ。せめて俺のできることと言ったらAをとり続けてちょっとは周りと違うかな~と自己満足に浸るくらいだった。次に他の人と違うことをやる時はいつだろうかと思う。物理で博士号とってから牧師になるために神学校にでも行ったら今度こそかなり人と違うんじゃないのかな、などとしょうもないことを思うのであった。まあ違かろうがなんだろうか、もうすぐ留学生活4年目が終わりを迎えるのである。だからなんとなく今年のワールドカップは感慨深いのである。きっと俺はもう日本に「住む」ことはないのだろう。アメリカに骨を埋めるなんて、とんでもないことを考えついてしまったものだ。彼女は牧師の娘だし。ま、違うということに関してはそれなりに満足だ。みんなも個性を大事にしよう~。
2006年06月06日
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情けないことに今日は苛立って八つ当たりをしてしまった。がこ~ん。最近些細なことで苛々してしまう。エネルギーの無駄だよな。面白くもないし。しかし今朝は本当に短気だった。人に八つ当たりしたうえにさらに物に八つ当たりしたい気分だった。思いっきり何かを蹴飛ばすかランプをぶち壊すか窓を割るか、そんな気分になった。そんでアメリカに来る前の自分に戻った気分に襲われた。こっちきてからだいぶ丸い人間になったんだけどね。あまりいいことないから一応物に八つ当たりするのは我慢したけどなんだかなぁ。いっそのこと馬鹿げたことをやって後悔したほうがよかったかもとも思う。原因は確実に学校のせいだろうと思う。なんか忙しくて落ち着いて生活できない気分だ。まあ実際にはだらだらしているから余計に時間がなくなるし。でもそのくせ休憩してる時だって時間をきにしているから休んだ気にならないし。もうちょっと時間の使い方が上手にならないといけないんだろう。でも木曜に嫌な中間が終わったし金曜に実験のレポートも提出したから本当なら土曜である今日は落ち着いているはずなんだが。そう期待していたからか、今朝いきなり不機嫌になった自分にびっくりもした。一体今日は何回ごめんなさいと言わないといけないのだろうか。謝っても結局また同じこと繰り返すんじゃ頭悪すぎるよなぁ。ださすぎるね。もっと寛大な人間になりたい。
2006年05月07日
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この前いろいろ疑問に思ったことをメモに書こうと思っていてすっかりやらずに時間が過ぎてしまった。たまに日常生活で、あれこれはなんなんだと、きになることがある。あ、もちろん物理の話ね。ふと疑問に思うけど結局自分の頭じゃ答えられないからそのまま答えを出さずに終わってしまう。そういうちょっとした疑問をメモにして時間ができたときにひとつずつ答えていきたいと思うのだ。強いて言うなら小説家が急にストーリーを閃いたらやっぱり何かに書き残しておきたいと思うだろうし音楽家が何かいいフレーズを頭に思い浮かんだらやっぱりそれも忘れる前にメモしておきたいと思うんだよね。たまに疑問に思ったときになかなかいい疑問を持つことがあるんだよね。こういうのはいいインスピレーションだと思うのさ。でもそれにあまりきをとめないと忘れてしまうわけさ。こういう地味な努力とちょっとした好奇心が物理でも意外と大事だったりすると思うんだよね。子供の頃ふと疑問に思ったことを知識が集まってからもう一度考えてみたら新たな発見につながってしまったみたいな。で、もしかしたら俺もきづかないうちにいい質問を自分の中で出しているかもしれないじゃん。だからそれをちょこちょこメモしようと思ったわけさ。ついつい忘れてしまうけど今週から少しやってみようかな。で、夏休みとかの時間があるときに本読んでみたりネットで調べてみたり自分で座って考えてみたりしたら楽しそうだしきになることは実際に実験してみても楽しそうだしね。もしかしたらどれもすでに他の科学者によってすでに答えがだされているかもしれないけどそれでもきっと面白いだろうからメモをとる癖をぜひつけたいと思う。まだまだ人生あるから考える時間もたくさんあるだろうしね。ということを思ったから忘れる前にここに書き残してみた。そんな1日。
2006年05月01日
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来年は大きな変化の年である。今まで住み慣れたサンタバーバラを離れてアメリカの反対側に引越すかもしれない。まだもうひとつさらに大きなイベントがあるかもしれない。でもそれはうまくいくのだろうか。最近どうしたらそれがうまくいくか考えてみた。よくわからない。できることは今を精一杯生きることしかないんだ。何か作戦を考えられるわけでもない。今の状況が全てだから。でも一つ思いついた。祈ってみようと思った。最近忙しくてストレスが少し溜まり勉強以外のことを考えられない状態になっていた。今日も実は教会行かなかった。まあおかげでぐっすり眠れたけれど。でもまあこういうときこそ自分の信じる神に話しかけてみてもいいんではないか。そう思った。何か大事なものを信じるて大切だと思う。心の拠り所になるからかな。クリスチャンになってよかったかどうかと質問されると答えに正直困るのだけれどとりあえず今はお祈りしてみて神が俺をどこへ導きたいのか見てみようと思う。素直な心で自分の状況を見つめられるといいと思う。そんなことを昨日思った。
2006年04月23日
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今書いた日記更新してみたらめちゃくちゃ長い!あ~あ、ひどいね。読む人は途中で休憩でもいれながらお茶でもすすりながらどうぞ。
2006年03月22日
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最近日記のアップが適当になってきたDrSkate、またの名をうんこく星王子、です。今晩は、いかがお過ごしでしょうか?わたくし本日は皆様にご報告があります。じ・つ・は・・・・やっぱり秘密にしておこうと思う。言ってしまうとつまらないのが人生というものだ。ふしゅるるる。期末近いんだよね。まじで。来週。早い。きつい。疲れた。勉強しないと。今週末はしんどい。でも遊びたい。現実逃避はいかがなものか。いかんでしょう、親の金で飯食ってる分際で。いろいろ思う今日この頃。早く結婚したいと思うのだ。なんでって?禿げる前にしておかないとね。ぶへへ。俺将来禿げる可能性大なんで。はげはげはげ~。きっと子供に眩しい~とか言われるのだろうなぁ。まあいいや。頭が光るように心も光り輝く大人になってやればいいさ。結婚て成長してからすべき?それとも結婚してから成長するからさっさとすべき?俺は後者の考えにそって生きている。やっぱり親のすねかじって生きてるのは甘いよね。なんかぎりぎり感がないから気楽でいいけど人として甘いきがする。鋭さが足りない。その点俺のルームメイトなんてしっかりしてるもんね。いろんなことにおいて機転が利くし確実に安全な方法をとるように動くしいかに金をセーブできる日々研究中だし。まあそのセーブしたお金で彼はハーゲンダッツのアイスを大量に食べるのだけれど。それは彼の大事な楽しみのようだ。ということで親に意見を求めてみようと思うのだ。うちの親父はけっこう頭固そうだから何言われるか想像つかないや。お母さんもけっこう保守的なところあるし。しかも親父ときたらあることを目の前にボンと置かれるとパニックになっちゃって切れる性格なんだよね。だから最初の数日は大抵Over reactする。でも賢い人だからそのあと少しずつしっかり考えてちゃんと相手のためになる答えを出してくれるんだよね。だから親父の意見はとても重みがある。俺が留学したいと言った日だってたこのように顔赤くして目が確実に切れてたからね。親父が今にも俺のことを殴りそうだったから慌てておかあちゃんが出てきて仲裁に入った始末。でもちゃんと話したらこっちの言い分も聞いてくれるんだよね。だから少しずつ情報を流していかないといけないのだ。ということで今日の日記を親父が読んでいたらいいなぁと思うわけだけど。それはまずないだろう。さてどうやって話を切り出したらいいものか。俺明日で23才になるんだよね。まあ日本時間ではすでになってるけど。25とか超えたら俺のことだから頭固くなりそうだからそうなる前にまだ柔らかいうちに結婚してその関係から多くのことを学んで成長したいね。30近くなったらなんだか自分の中でプライドとかでてきて頑固者になって人の意見を聞き入れなくなって・・・自分の親父がそんな感じだったからなんとなく俺も似るきがする。でもまあそんな彼も最近成長してるけど。いいお父さんになってきてるわけだ。まあ別に前から悪い親父では全くもってなかったけど。ただ切れたりして怖かったけど。あと理不尽なところが少し目立ったような。まあ親父のことをまた今度にしよう。とにかく期末が近いんだよ。でもやることも思うこともいろいろあるわけさ。多忙だねぇ~。人は。
2006年03月15日
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さっき友達(サッポロに住んでいる)からのメールでGoletaの郵便局で乱射事件があったことがわかった。今ちょっとネットで調べてみたけど6人死者が出たとか。今ひとつ細かいことはわからないけれど一ついえることはサンタバーバラで(正確にはGoletaだけど)発砲事件なんて滅多にないから本当にショックだ。この町は全米でもトップクラスの安全な町なのに。銃はやっぱりいいものじゃないと思う。同じ動機であってもきっとナイフとかだったらもしかしたら重傷者はでても死者はでなかったかもしれない。ちょっと指を動かして狙いを定めるだけで人を殺せる道具がそこら辺で手に入るというのはどうにも気分のいいことではない。今回だけであって欲しい。いつまでもみんなが落ち着いて安心して暮らせる町であって欲しい。
2006年02月01日
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授業の予習・復習をしないと。でも遊びたいな。だらけたいな。さっそく今学期はこの葛藤が起きている。どうなるのか。やる気を保つことの難しさを感じる。
2006年01月16日
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うちの母ちゃんがなかなかはまっているのがこれ。姉ちゃんもはまってるみたい。母ちゃんと話していてどうしておばさん連中が冬のソナタにはまっているかわかった。ヨン様とか言ってるけど実際には冬ソナ自体がいいらしい。自分たちがわかった頃に経験した初恋の味とかそういうのがじわぁ~と伝わってきてそういう若い恋愛を懐かしがるおばさん方がはまってしまう傾向にあるのだと。カウンセラーの夫婦間の仲を取り直す方法に冬のソナタを夫婦で共に見せるものがあるらしい。冬のソナタでの主人公の相手を思い遣る気持ちとかそういうのを見て夫婦二人が自分に足りないものを見つけてもう一度相手を愛することを考え直してみることを促すのが目的だと。最近の夫婦間には愛が足りていない傾向にあるのではないのかなぁと母ちゃんと二人で話していた。熟年結婚というドラマだかが流行ったらしくそれは夫婦間での愛情の行き違いすれ違いを表現していたと。納得。日本人は愛情表現がへたくそな人が多いかもしれない。相手を思い遣る気持ちがどういう行動をもってして相手に伝えられるかがわかっていないかもしれないし本当に相手を愛することをわかっていないのかもしれない。俺はまだまだ愛ということに関して経験が少ないかもしれないけれど少なくとも毎日必死に考え彼女と相談しどういうことで二人の間の愛が深まるかを日々研究している。そういうことを考える時間が多くの人の中で少なくなっているのではないのかなとも思う。今の若い人たちは遊びで付き合ってその延長上に結婚というものがあるように思っている人がけっこういるのではないかな。それもまたいつか愛情表現の足りなさ下手糞さにつながるような気もする。ただ好きなだけじゃだめだしただ自分が勝手に思う相手にとっていいことをしてるだけじゃだめなんだよね。本当に相手の必要としていることを知り心から相手を思い遣る気持ちがないと愛は伝わらないと思う。自分が好かれたいから相手に尽くすということで愛をスタートすることはできるけれどそれがゴールでなく最終的には自分のことを抜きにして心から相手を想う気持ちが最高の関係を生み出すと思う。といっても完全にそれを成し遂げることは難しいことだけれど少なくともそのレベルに至ろうとする気持ち・姿勢をお互いの間に見られればその気持ちだけで十分だよと言えるようになれるのではないかな。そんなことが足りないと人は愛に飢え渇くのかもなと思う。まあ冬のソナタはうちの母ちゃんも見ているわけでうちの両親はとても仲がいいから冬のソナタを見ていること自体が夫婦間の愛の欠如とは言わないけれどそういうことにつながっていることもあるのではないかなとも思う。ちなみにうちの母ちゃんと姉ちゃんが二人でヨン様に燃えて毎晩ドラマを見ていたら何日かしてうちの親父はふてくされてしまったらしい。まあ普通だったら嫉妬しても不思議ではないものだ。その気持ちをちゃんと伝えた俺の父ちゃんに乾杯だ。嫉妬心て女々しいものと思われがちだけれど理由次第では大事な愛情表現のひとつになるのではないだろうか。いろいろ思わされ考えさせられた一日だった。今からいろいろ考えて相談しあって将来仲のいい夫婦になれるように俺とふみも努力していけたらいいなと願うのだった。
2005年12月12日
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けっこう長いから読むなら覚悟してどうぞ。今日はCircuitのクラスのReview Sessionがあった。ピザとかあったらしいけど俺は40分くらい遅刻していったから残ってなかった。ずど~ん。まあCokeとSpriteはばっちり飲んでおいたけど。6時から9時まで続いて俺はたった2時間ちょっとしかいなかったけどまじできつかった・・・さて遅れた理由というのは毎度のごとくルームメイトのキングと話していたから。もちろんただの会話でなく討論的な会話。俺のポリシーは一度自分の主張を相手に出したら余程の用事が無い限り相手が納得するまで説明し話し合い最低限の答えにたどりつくまで話し合いをやめないことだ。俺が「お前そこはおかしいよ」と言っておきながらあ、授業があるから~、と言ってさっさとどこかに行ってしまったら言われた相手は自分のどこがおかしいのかわからず俺が何を言おうとしていたのかも理解できずどう考えても納得しきれないままその日一日を過ごさないといけないと思うんだよね。正しいかどうかはともかく自分が何か意見を言ったらいつまでも付き合うのは礼儀だと思う。まあAmtrackがあと10分で行ってしまうというなら話はもちろん別だが。話していた内容はというと昨日のドキュメンタリー「The Power of the Sun」。キングがあのフィルムでは太陽電池の良いことばかり述べていて正しくないアプローチだと言っていた。ノーベル賞受賞者であるAlan HeegerとWalter Kohnも製作に関わっているのだから科学者らしく良い事も悪いことも述べるべきだと言って批判(批評が正しいかな)をしていた。このことを話していて思ったことはキングの言いたいことはなんとなくわかるけどそうやってScientific factを述べることがあのドキュメンタリーのポイントではないということだ。彼らがあの映画を通してやりたかったことは太陽電池がただどんなものであるかを伝えることでなく太陽電池の利用を一般の人たちに真剣に考えることを促すことが目的だと思った。だから彼らのポイントはGood ArgumentでなくPersuasive Argumentであるのだと思う。Good Argumentはまあ要するに論理的で正しいことを伝える主張であるが説得力のある主張は常に論理的である必要もなく常に正しいことを伝える必要もない。感情に訴えた方が論理的であるよりよっぽど説得力があったりするものだ。もちろんあのフィルムは俺は正しいことを、事実を述べていると思うけど基本的に太陽光発電に関する悪いことはあまり述べていなかった。たとえば太陽電池の効率は10年もするとだいぶ落ちるわけでメーカーは20年間の保証をしているけれどそれは「動く」という意味での保証であって効率が落ちないことを保証するものではないとか。そういったことがキングの文句の発生源なわけである。で、キングは自分でCritical Thinkingをしてそういう批判がでてきたと言っていたがまず本当にCritical Thinkingをしているならばフィルムの、そして製作者の、意図を見抜かなければいけないのではないかと思う。Critical Thinkingが与えてくれるものとはただいい面も悪い面も両方とも客観的に述べることが正しいと信じ込むことではなく(ある意味科学者的なものの見方)相手の主張の本当のポイントを見抜きその上で相手の主張の仕方がどれだけ説得力があるかどうかを批評できる力ではないだろうか。もし何かを批評したり批判したりしたいならね。そう考えるとあのフィルムでわざわざ太陽光電池の効率の悪さを数字をもってして細かく説明することが必要だとは思えない。あのフィルムでは環境問題とかにも触れていてああいう話は科学的でなくどちらかというと政治的もしくは倫理的な内容であるようなきがする。まずあのドキュメンタリーはScientificではなくEthicsかPoliticalかそこらへんのものであることを理解しなくてはいけないと思う。まあ製作者達は別に政治的リーダーになりたいわけでもないから政治という点は無視してどちらかというと一般アメリカ人にもっと環境問題に真剣に取り組んでもらいたいと感じていたのではないかな。そのSolutionの一つとして彼らは太陽光発電を推すから太陽電池のいいことばかりを言うことが間違っているとは思えない。むしろそれこそ彼らのすべきことだと思う。そうすれば少なくとも一般Audienceの目に太陽電池はいいものに映るからちょっとは考えてみる価値あるかも、という考えを促すことができる。多くのアメリカ人は日本人のように環境問題に敏感でなくどこかで石炭が燃やされて空気が汚くなろうがどこかで核燃料が使われてその残りカスが将来環境を汚染しようが知ったことはないという態度なのだ。環境問題において何が正しいか、一般市民として何をすべきか、を真剣に考えるのが日本人のレベルであるのに対してアメリカ人の多くはそもそも環境問題を気にすらしない傾向にあると俺は感じる。だから生ゴミとビン・缶類が同じゴミ箱に捨てられていることなんて日常茶飯事だ。空気が汚くて近くの山が曇って見えるのにそれでもひたすら運転し続けられるしね。そういう相手に何かをお勧めしたり訴えかけるときわざわざ自分のお勧めしていることの悪い点を細かく述べて相手のやる気をそぐ必要はないだろうと思う。そういう意味ではあのフィルムはどちらかというと感情に訴える熱い言葉などでもうちょっと真剣に考えないとなと思わせるから成功だと思う。そういえば昨日の日記で言った最後にナレーターが「You’re a part of the solution」(つまりあなた方一人一人が環境問題を解く鍵なんだよと言っている)と言ったときAudienceの一部は笑っていたな。あそこで笑う時点でいかに真剣に考えてないかがわかるようなきがする。ご冗談を、それは政府や企業の問題だ、といわんばかりの態度だ。ちょっと話が細かくなりすぎたが何か問題を解かないといけないときや何か批判する時はまず相手の主張が本当に何なのかを理解しなければいけないと思うということだ。ただ自分が「ああであって欲しかった」ということを言うだけでは不平・不満にはなっても本当の意味での正しい批評ではないと思う。キングの場合で言うなら「あのフィルムでは太陽電池の効率が時間が経つにつれて落ちていくことをしっかりと数字を出して伝えるべきだ」という批評はどちらかというと「伝えるべきだ」でなく「伝えて欲しかった」という彼の個人的な望みであってそれは批評・批判としてはあまり面白くないと思う。意味が無いとはもちろん言わないけれどそれが映画のメインポイントではないことをまずはおさえなければいけないと思う。それではキングの批判に説得力を俺は感じられないというわけだ。この彼の批判を通してもう一つ思ったことは映画における製作者側の主張したいことを見抜くということは物理や数学の問題においてその問題が実際に何を要求しているかを見抜く力と関係あるということだ。これはまあ俺の勝手な予測なのだがキングを見ているとあながち見当違いでもないようなきがする。彼が宿題をやっている時問題がちょっと複雑な内容になるとすぐ問題の意図が読み取れなくなってしまうのだ。そして見当違いの方向に進んでわけのわからない答えを得たり使えない公式をそのまま当てはめてみたり俺に対する質問も全く不適切なものだったりするときも実は多々ある。何度もこの学期を通してそういうことを見て最初は「何故そう考える??」と全く理解できずに驚かされたこともあった。残念なことにそういう時の俺の態度も非常に悪いのだけれどね。それは今後の反省点だ。でもこれは彼だけの問題でなく実はUCSBの物理学部の多くの学生の問題だったりもする。いやUCSBだけでなく理系の勉強でこういうことはよくある。SBCCでTutorしていた時も全く見当違いのことをやっている生徒を何度も見た。これは一体どうやったら改善できるのだろうか。キングに問題の解き方を教えることはいくらでもできるけれど実はそれが一番必要なことではないということが最近わかってきた。これはきっと教育者なら必ず直面する問題ではないかと思う。けっこう受験勉強とかだとやり方をがつがつ学んでいって暗記することが多いけれどそれでは見たことある問題は解けるけれど初めて見た問題はまったく解けないんだよね。だから俺はいつもConceptをしっかり理解しろと言うのだけれど。この問題のポイントを見抜く力はどうやったら磨かれるのだろうかと最近よく思う。実際にはこれこそCritical ThinkingやCritical Analysisというものが与えてくれる本当の力ではないだろうか。そしてもちろんそこからLogicが展開していくのだと思う。この力を真に身につけた者はあらゆる分野において活躍するのだろうとも思わされる。まあ長々と書いたけれどこういうことなのだ。といっても全く俺が正しい保証はないのだけれどね。それを見抜く力もまたCritical Thinkingができるかどうかによるのだけれど。ははは。
2005年12月01日
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うちのルームメイトはDr.Lauraファンなのだ。あの彼女の辛口が好きらしい。俺も好きだけど。まあ俺は個人的に相談する連中にアホが多いからあの番組は聴いててうっとおしくなるけれど。うちはテレビつながってないんだよね。だから全くテレビなし。俺はPCがあるから暇潰しや息抜きにPCで遊ぶけどPCすら持ってないキングの楽しみ&息抜きはなんとラジオ。今のご時世ラジオだけどメインに1時間聞く人少ないのでは。大抵は車の中でとかベッドに寝転がってだらだらしながらとか。でもうちのルームメイトはしっかり1時間聞き込む。いやもっと長い時ももちろんある。今は夜の12時だけど彼は床に寝転がってヘッドフォンして聞いているしかもそれ、テープに録音されたもの。カセットテープなんてほとんど使わなくなった今現在彼はラジオをカセットに録音する人なのだ。とてもクラシックな彼はまあつまるところお金がないわけさ。それもいいでしょう。なんかこういうちょっとしたことが彼を修行僧のようだと思わさせる。ちなみに俺が勉強してるときにたまに後ろから「ふふふ」と笑い声が聞こえてきたりする。もちろん彼がラジオを聴いて笑っているのだ。彼を見てると俺はなんて贅沢な暮らしをしているんだろうと思わされる。親のすねをかじれるということは素敵なことなのだ。俺もいつかは自分の子供たちにかじられるのだろうか。好きなようにかじらせてあげられる親になりたいものだ。ちょっと話は替わって、今日やったこと。4時に起きた。飯食べた。ゲームやった。7時から勉強した。9時半から飯作った。10時半から勉強した。12時少し前から日記書いた。以上。
2005年11月27日
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今ルームメイトが哲学の授業のペーパーで創造論を学校で教えることに関して書いている。2週間前くらいに俺はクリスとこのことに関してけっこう長話した。3時間かもっと。で、まあ創造論が正しいか進化論が正しいかという話はおいておいて、今回きになっていることは創造論を小学校の科学の授業で教えようとしていること。確か実際にすでに教えている州もあるんだったっけ?あ、これはアメリカの話だよ。もちろん毎回のごとく俺は詳しいことは知らないから(物理のことなら任せろ!)まあ詳しく知りたかったら自分でリサーチしてくれ。創造論を学校で教えてくれたらよかったなと今は個人的に思う。日本の公立学校では進化論しか教えない(俺の時はそうだった)からこれすら正しいかどうかわからないのにあたかも正しいかのように教えられてずっと進化論信じてた。でも進化論も創造論もどっちもなんかだめなんだよね~。まったく科学としては証明できてなくて役立たずなアイディアだよね。でもどっちかが正しいのかね。それとも他に何かあるのかな。でクリスが言ってたのは進化論は科学として取り扱うことが可能だけれど創造論は結局「信仰だ!」で終わりだから科学の授業で教えるのはおかしいと。俺は進化論のこと詳しく知らないからわからないけど創造論は確かに科学においてある理論が証明される時のステップをたどることができないのかもしれない。もし「信仰」だけで片付けるなら(もちろん細胞が複雑とか言って信仰を支持することはできるけれど)科学の分野においては不適切な話になる。理論ということは理屈にかなってなければならないし。ルームメイトがペーパーに書いていたけれど科学で理論とか学説とか言われるには3つの条件があるらしい。まあ例えば仮説があって結論があって、Observable(観察可能てこと?)であり、さらにあることが完全にその理論を打ち崩すことが可能であることとかなんとか言ってたな。忘れたからまた調べておくね。進化論は欠点やらあやふやなところがたくさんあるけれど一応科学として扱えるのでは?とちょっと思った反面創造論の場合は結局クリスチャンは「信仰によって真実になる」なんて適当なこと言うばかりだから科学の授業で教えちゃうのはまずいのかもねと思ったわけさ。誰か何か知ってたら教えて欲しいな~。俺もちょっと勉強してきてからまた詳しくここに書くチャンスがあったらいいなと思う。個人的にもすごく気になるからね。やっぱ科学者としてここははっきりわかっておくべきことだろうな。でも科学の授業で教えないで倫理かなんかの授業で教えればいいのにね。宗教の授業とかは確か小・中・高校は無理なんだったっけ?アメリカの公立学校はすごく厳しいとかなんとか。進化論も底抜けの内容だから適当に科学の授業で触れてあげて(もちろん正しいと証明されてないことをはっきり述べて欲しいけれど)さらに倫理かなんかの授業でIntelligent Designと一緒に教えればいいのにね。いつも片方じゃなくて両方のものの見方を与えてくれる社会であるといいなと思う。それはアメリカだけじゃなくて日本もだ。
2005年11月21日
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勉強しなさいとは言いたいのだけれどちょっと気になったから読んでた。何って靖国参拝のやつ。ヒート君のところからトラックバックで飛んで誰かさんのごついブログを見たりした。いろいろ言っていた。まあ正論だなぁと。彼はいろいろなことを調べて自分で一生懸命考えて結論に至っている。意見はとにかく態度は素晴らしい。ちなみに俺は靖国の問題なんてどうでもいいと思う一人である。だからもちろんあのブログやってる人とは意見は違うわけである。もちろんまあ理想論でいえば行かない方が話が楽なんじゃないのかとは思う。でも結局小泉首相が個人的にやったことだということは事実だ。あのぶろぐで筆者が言っていたけど相手(中国とか韓国)は嫌だと言っているのだから参拝はしないほうがいいのだと。うんうん、と思ってしまうよね。とても説得力があるような気がする。でもちょっと立ち止まって考えてみよう。本当にそれが正しい物事の考えなのかな?中国や韓国がぶつくさ文句言ってるから、外交が危うくなるから、しちゃいけないよと。でも小泉君はそれでもいいから俺はやってやる、と言っているわけでしょ。実際はその態度は俺はすごく好きだ。信念を持って他がどうのこうの言おうとやってやると思ったらやる。すごく非合理的で利益が少ない態度だとは思う。しかも周りに嫌悪感を与えること間違いなしだ。まるでアメリカ~ンな態度。でもあの態度があったからこそ彼は首相として最初選ばれたわけだよねぇ。もし「はいすいませんでした、ごめんなさい」と言うような首相だったら今までの腑抜けた役立たずの首相と変わりないでしょう。いつも周りの意見を気にしてへこへこして自分というものを確立していない日本人に俺は飽き飽きだ。勘弁してくれ。ブログの筆者はサムライ魂の話もしていて日本は潔くないとかなんとか言っていた。サムライだったら自分の信じたことは周りがどうのこうの言おうと必ず貫き通すんじゃないのかな。周りの意見を聞いて自分の意見を変えちゃうということはある意味で利益だけを追求している打算的な考えだ。小泉君は少なくとも超打算的な考えをする今までの情けない政治家やうざい情けない多くの一般日本人とは違ったものを持っていると思う。まあでも彼がどこまで潔く信念持ってあの参拝する気持ちを貫けるかはもちろん疑問だけど。つまり俺が言いたいのは靖国神社の問題なんてどうでもよくて一番きになるのはそれをああだこうだと文句言っている国民だ。俺はまともに考えもしないでとりあえず韓国・中国に嫌われたくないから小泉に反対する多くの日本人に危険を感じる。必死に考えぬいてその上でやっぱり反対意見に至るならそれも良いと思う。自分の信条を貫くこととそれによって周りに与える不快感の間をとろうとするとどうしても個人で意見はわかれるものだ。でもまあできるもんなら参拝しないで欲しいけど。外交のこととか利益考えていろいろやったりやんなかったりするのはいいけどそれもある程度で慎まないといかんと思う。ある範囲で個人の信念とかを大事にしないと自分が本当に大事にしているものを失ってしまうと思う。ちなみにアメリカは利益追求型だ。とりあえず何か利益がありそうなら首を突っ込むアメリカの態度、非常にうざい。例えばイラク戦争。俺は最初完全に反対派だった。でもアメリカ人の友達とか知り合いで賛成している人間がたくさんいてその人間の中で俺はまじで苦しんだ。こんなに醜い世の中でのうのうと楽しく生きるくらいならいっそのこと死んだほうがいいとも思った。いや真剣にね。もちろんそんな勇気なかったから今ここでタイプしてるわけだけど。でも1年して今はもうあれから2年いじょうになるね。今度はブッシュの実行したイラク戦争は間違いだったと文句を言い始めている民主党派の友達・知り合いを見て俺は疑問に思っている。俺最初反対したんだけど・・・というのはもちろんだけどそれ以上に実際にアメリカが乗り込んだおかげで調子乗ってたフセインをぼこぼにできて喜んでいる人はいるのだ。本当のことは知らないしもちろんニュースとかで見ただけの知識だけどもし彼が本当に自国民をああやって苦しめていたのならそんな輩はこの世から撤去するのは当然正しいことだと思う。その力を持ってして撤去活動にのらなかったらアメリカの軍事能力は本当に自国のためだけでありがっかりだ。例えば第2次世界大戦でヨーロッパを助けたわけだし。その時大量にアメリカ人は死んだわけじゃん。プライベート・ライアンとか見たでしょ。アメリカ人死んでたじゃん。ヨーロッパのどこぞで・・・話はずれたけど、もちろんアメリカはその戦争一つ一つに利益を見出したから参加したんだよね。国民はそんなこと知らず正義のためという理由だけを信じたりするけれど。で、今のアメリカは・・・けっこう他国から嫌われてるねぇ。September 11thなんてのもあったりして嫌われ度満タン。利益追求してばかりだとこうやって嫌われるわけだ。そのくせに今の日本人はアメリカ好きだよね~。理由はわからんけどアメリカは理想の国という幻想を信じているんだ。ブッシュのこと文句言いながらもアメリカ人やその文化に無駄に憧れたりするし。金髪・青目が黒髪・茶目の日本人よりかっこいいと思い込みおってからに。俺はブロンドファンじゃ。子供の頃から自分とは違ったものを持っていてかっこいいと思っていた。でもアメリカにも日本にもいいこと悪いこと両方あることをはっきり認めている。それにさぁ、自国の首相の靖国参拝のことは文句言うくせにさぁアメリカのいんちきな歴史認識を素直に信じているのはどういうわけ?なんで原爆が広島に落ちたか知ってるのかお前ら。日本は悪魔でアメリカは仕方なく正義の鉄槌を振り下ろしたなんてことを学校で教えるのはやめろよ。アメリカはそこに利益を見たから落としたんだよ、爆弾。ソ連が危険なことにきづいていて威嚇したかった時にちょうど日本がおお暴れしていたから日本を叩き潰してソ連対策に占領したんだよ。原爆だって俺たちはこんなすごいもん持ってるぜと見せたかったから落としたんだよ。日本政府の中では実はそろそろ降参しようかという話も持ち上がっていたのにその数日後には原爆どか~んよ。そりゃあんた諦めるきにもなるよ。真珠湾だって実際は別に奇襲されたわけでもなんでもなくアメリカにはめられただけなんだし。とら・とら・とらだったっけ?暗号じゃねぇよ。アメリカ軍は日本軍が真珠湾を攻めることは事前に知っていてわざと攻撃させたんだから。でももちろん自国を初めて襲撃された国民はびっくりして怒って日本を危険な存在と感じるさ。ええ、戦争なんていいよ、ビジネスしようよと思っていた国民だってさあこりゃいい加減うちらも重い尻を持ち上げて戦争するしかないねとも思うわけだ。そんなアメリカよ。しかもそれを知ってるアメリカ人は少ないわけさ。だけど実はそれを知ってる日本人はもっと少ないんだよ。どういうこさ、これは。お前ら自分の国の首相の文句言うのもいいけどちょっとは自分たちが騙されてたという事実にもきづけよ。と俺はアメリカから見て思ってしまうわけだ。話しを戻すとさ、そりゃもちろんね信念を持ちながらもそれを柔軟に変えていける人が首相だったらそれが一番だよ。国会ではびびらずにしっかり自分の意見を言うけどいつも諸外国のことを考えて行動できる万能人間が最高だけどそんなのは理想でしかないわけさ。現にどれだけの日本国民がそこまで優れた能力を持っているのさ。そういう点なら俺のほうがよっぽど優れてるよ。頑固だけど頑固親父よりよっぽど他人の意見を聞いてるさ。日本人は(というか一般的に人は)どうしてそうやって他人の文句は立派にぎゃぁぎゃぁ言えるくせに自分のできてないことには気づかないかね。もっと真剣に人生に関して学ぶ気あるなら小泉の態度からいくらでも自分のことに関して学べるのにさ。別に俺は靖国参拝の批判をするなとは言わないよ。ただもうちょっと広く深く物事を見れるようになったほうがいいんじゃないのかなぁ。広くと言えば実際のところ小泉みたいな考えをしている人が世の中にはまだまだいるということも忘れちゃだめだよね。別に彼と政治家だけが異分子で外交を悪化しているんじゃないということ。今日本人の中でどれだけの人が中国人や韓国人を上から見下ろしているかも忘れちゃいかんのではないかね。俺は正直言って今の若い連中は年よりはましだけれどそれでも少なからず差別意識を持っていると感じる。その差別意識を認めたくないからこそ今ああやって韓国ブームになってみたりワールドカップの時は一生懸命応援してみたりして自分は差別したくないんだよと主張しているように思える。実際にワールドカップの時は少なからずそういう雰囲気を感じた。別に実際に周りの人に聞いたわけでもないからわからないけど。それにこんなこと言うと善良な日本人は俺のことぎゃ~ぎゃ~文句言うだろうし。実際のところ俺達みたいに外にでて対等な立場で共に学校に行ったりして時間過ごして初めて差別意識というのが無くなっていくように感じる。もしくは相手の国にいってそこでの文化に触れ人と交わりを持ったり。日本の外に出たこと無い、韓国に1週間くらいしかいたことない、そんな多くの日本人が本当に差別意識に溢れている日本国内で育って差別・偏見を持たないで生きているとは信じがたい。とりあえずああだこうだ言うのなら欧米人をとにかく崇拝する態度も変えろと言いたい。だいぶ話がずれたようにも感じるけれど、これが俺の靖国参拝問題から得たレッスンだ。日本にいて(4年とか前ね)朝日新聞読みながら「小泉はけしからん!」と文句言っていた自分。三国人(だっけ?)とか言って批判されながらも人気だった都知事である慎太郎を好きだった親父と嫌いだった母ちゃん。今は彼はいけてると思う自分。イラク戦争を反対していた自分と今は賛成なのか反対なのかわからない自分。朝鮮人は馬鹿だとよく言っていた韓国嫌いな親父を持った俺。いろんな人と出会っていろんな国のことを学んで今も学んでいる最中の俺。そういったいろんな自分と周りを見ていると一つ一つの問題を自分に反映させて考えられる。そうするとあまりぎゃ~ぎゃ~他人を責められないなと思う。まあそれもあって俺は政治を今は気にしていないのだけれど。もうちょっと学ばないと文句を言えないさ。ただ批判するんじゃなくて根本的な問題はなんなのかも考えたほうがいいんじゃないのかと思ったわけである。ちなみにこれはもちろんぐちゃぐちゃなライティングである。俺の意見も全てのせたわけじゃないからわけのわからんこととか、混乱をよぶ表現もあると思う。だって別に出版するわけじゃないから。
2005年11月19日
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昨日実験のTAが言っていたことを書こう。「成績を心配するくらいならそのクラスをとらないほうがいい。成績よりむしろ自分が学んでいるかどうかを心配すべきだ。成績はしっかり学んでいれば自然についてくるものだ。」ああ、それもそうだなと思わされたわけさ。最近多少成績をきにしながら勉強してるからね。まあそれが逆に良いMotivationになっているからそれも悪くはないけれど。ただもっと学ぶことに注意を払わないとなと思わされた。と言っても俺はしっかり学んでいるけど。週末つぶしてたった2つの宿題しか終わりにできないけれど毎回確実に新しいことを学んでいるし意地でも自分で解くことにもだいぶ慣れてきた。たとえ宿題満点でもそれが全部他人に質問したり解答を見てやったものなら意味が無いと思う。まあ質問するのはそこまで悪くないけれど俺のルールはとりあえず一つの問題に1時間半から2時間かけてまだ解けないなら先生に聞くである。一週間は7日で1日は24時間しかなくてそのうち6~8時間は睡眠とりたいところだしご飯も食べたいし休憩もしたいしということを考えると2時間を超えると時間が足りなくなる。でもまあ少なくとも1時間は悩むようにしている。この前ある問題で4時間かけてやっと答えに辿りついたのに一点ももらえなかったけれど。まあその4時間を時間の無駄遣いというかどうかは人次第だ。俺は無駄だとは思ってないけれど。まあつまり俺はそうやって学ぶことを十分に意識しながら授業受けているということだ。でも授業のなかで自分が本当に学びたいことはなんだろうかと最近疑問に思うが長くなるからそのことはまた今度。
2005年11月10日
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特に日記に書くことないようなきがする。まあ今日何したかをだらだら書こうと思えば書けるけどそれじゃあまり書いてて面白くないしな~。と思ったらそういえば今日のPhysics Colloquimに関して書きたい。今日のお題はGravitational Lesing and its powerとかなんとかいうAstrophysicsネタ。Astrophysicsは個人的に好きだからけっこう楽しみにしていたのだけれど実際に行ってみると・・・終わってみて・・・なんだかなぁ~。微妙、というかむしろつまらなかった。寝そうになった。隣に座ってた教授はまじで寝てた!全体的に楽しんでいない雰囲気がバリバリ出てた。Audienceが集中してないというか。理由はなんだろうか。一つ:俺にとっては話が難しすぎるんじゃ!なんだかかなりTechnical Termが出てきて参りましたよ。2つ:たぶんあのスピーカー喋るのが速過ぎる喋る速度の問題じゃなくて一つ一つのことを説明するスピードが速かったということ。次から次へ情報を与えてくれるのはありがたいのだけれどちょっとあの短時間で理解できる量ではなかったような。もちろんAstrophysicistにとっては問題ない量だったんだろうけどいたって普通の物理屋はそこまで知らないですからねぇ。俺なんてDark Matterが何かも今ひとつわかってない状態だったし。Presentationが終わったに質問していた人たちもおそらくみんなAstrophysicist達だと思う。何人か俺が知ってる教授が質問してたし。ああいうPresentationはいかんなぁと思った。さらに彼(スピーカー)Nativeじゃないのが説明するスピードに拍車をかけたというか。Einstein Radiusとかなんだよ、まったく。それだっておにゅーな情報なのにそれを15秒くらいで説明しおってからに。結局40分で話終わってたし。普通は1時間くらいかかるもんだけど。やっぱり時間配分は大事だなと思わされた。彼英語のアクセントはばっちりあったけどしっかりしゃべれてたからもう少しゆっくり喋ればもっと理解しやすかったんじゃないのかなと思う。アクセントあってもしっかりコンセプトを説明できるだけの英語力があるのは非常に羨ましい。俺もそのうち人前で話さないといけないだろうから頑張らないといかんね。物理も英語もまだまだあやふやだ。
2005年11月09日
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午前5時40分である。さっき50分計ってPractice Midterm(つまり過去問)をやったら全部時間内に解けた。一つしょうもないAlgebraのミスをしちゃったけどまあいいさ。普段はだらだら宿題やるけどテストになると人が変わったかのように集中する自分は好きだ。かなり体全体に力が入ってる感じがする。首も肩もこるなぁ。ところでさっき日本にいる彼女と話していたとき、こう質問された。「最近きよの日記は学校のことばかりで普段何してるんだろうと不思議に思っているんだけど・・・」そうきたか~。実はワタクシ、勉強しかしてないんです!ごめんなさい、同じ内容の日記ばかりで。だって正直今はがり勉なんだもん。そうするとやっぱり勉強しかしてないじゃん。本当に朝から晩まで勉強なんだよねぇ。他に何もしてないし。強いて言うなら暇がある時にRichard Feynmanの本を読むくらい。これは面白い。ちょっと中を読んですぐに買ったくらい気に入った。英語だからちんたら少しずつ読んでいる。あとは・・・ベースかなぁ。一応一日30分やりたいと思っているんだけど今週は忙しくてだめだな。今週末からまた頑張りたい。とりあえず俺の一日は寝ること・勉強・学校の3つから成り立っている。勉強と学校はほぼ同じだから結局2種類。しかも学校では授業中眠りに落ちることが多いからこれもまた睡眠とかぶる。いや~俺の今の人生、もし外側からじぃ~と見ることができたらがり勉してるな~と思うんだろうな。しみじみと。でも学んでる内容は種類豊富なんだよ。濃いし量も多いし。ということで俺の人生は今はもっぱら物理だ。あと日記を更新すること!で、こういう日記を書いている側から一言。明日9時の授業があるからもう寝るね・・・
2005年11月04日
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Mixiなるものにちょっとはまっていたこの週末。今日は月曜日。なんだかもう飽きている自分がいるようなきがする。今週末あたりには「で、日本にいる人たちと連絡とれたからどうしたんだ?どうせ日本ほとんど帰る気ないんだから家族だけで十分だろ」と心の中でつぶやいている自分がいそうだ。やっぱり会わないとだめだよねぇ。人間関係なかなか続かないよ、こりゃ。でもまめに連絡取り合っていたらひょんなことから再会したりお世話になったりなんてことになったりもするかも。そう期待してるんだけど、やっぱり目の前のことがきになる俺は地球の反対側にいる人たちのことなんてそう気にはかけないよ。まじで。よほど特別な相手でないかぎり。まあ俺はそんな人間であるなと思うわけさ。でもだからといって誰に迷惑かけるわけでもなさそうだしいいか。俺に忘れられて困る人はそんなに多くはいないよね。まあみんな一人一人が自分の与えられた環境で良い関係を持って生きていければそれで十分なのではないかなと思うわけさ。逆に日本に帰ったら遊ぶ友達たくさんいるけど今住んでいるアメリカに遊ぶ友達がいなかったら寒いだろ、ということさ。なるべく俺は前を向いて歩いていきたいのさ。その結果がまあ過去の人間関係を多少大事にしないことに繋がってもそれは仕方ないと。最近サンタバーバラを出て新しい土地に行くことがとても楽しみだ。そろそろ行きたい大学院のリサーチも始めないとな。
2005年11月01日
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昨夜キング(ルームメイト)と話していたら流れは忘れたけど彼のお気に入りのDr.Laura(ラジオですよ)の話の中で面白いのがあったと聞かせてくれた。ちなみにキング君、ラジオを録音してしまうほどのDr.Lauraファン。こんな感じの話。「My 'best friend’が6ヶ月で結婚するのですがパーティーがあってMe and Herフィアンセとそれから他にたくさんの人がいて(この時点で先が読めてしまう・・・)We were drunk and we had a sex。2ヶ月後に自分が妊娠していることを知って彼に知らせたら絶対にその子(つまり彼の彼女さ)にだけは教えないですぐに中絶しろと。My ’Best Friend’に悪いことをした、私は・・・」そこでDr.Lauraの鬼切り。ずぱぁぁ!「No, she is not your best friend, not even a friend, Friends don't do that」・・・その通りです。この女の子の馬鹿さ加減に話を聞いているこっちは苦笑。とまあそのあとうだうだ話すんだけどその後この女の子とその元親友の間柄がどうなったかは誰も知らない。個人的にはいまだにその友達のことをBest Friendと呼んでいる時点で責任感に欠けているというか罪悪感に欠けているというか状況をしっかり把握していなく現実を見ていないか。それか彼女にとって友達とはそんなものなのかと。まあいかにも典型的なお馬鹿なアメリカ人大学生だなぁと。ちなみに彼女は20歳。Dr.Lauraは「あんたはその友達に嫉妬していたから彼とセックスしたのよ。酔っ払っていたからだなんて言わないでちょうだい。ベッドに乗ってお互い裸になってるんだから自分が何をしていたか二人共わかっていたはず。」ごもっとも。もし本当に酔っ払っていて自分が完全に何をしているかわかっていなかったらおそらく覚えていないだろうし(ちなみにIVではよくあるパターン。朝起きたら隣に記憶にない女の子が寝ている!なんてこと)そこまで状況判断できないことはまずないんじゃないのかね。なんだかすごくアメリカ人ぽくてこっちに来たばかりの時は呆れてしまったけれど今はもう笑えてくる。Typical American。どんな薬も効かない馬鹿な方々だ。I was like...Oh my god...bla bla bla etc.
2005年10月21日
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今日はLAに進化論と創造論に関するセミナーに行ってきた。期待してはいたけれど予想を上回る面白さだった。講義した人は見た目は普通の背の小さなおばちゃん。中身は生物学の博士号持ちだけれど。その生物学博士が進化論はおかしいだろ!と言っているらしいのでどういう風にそう説明するのかに興味があった。結果は・・・進化論はやっぱり99%、いやもうちょっと100%に近いくらい苦しいものがあるだろうという印象を得た。もともと進化論はうさんくさいとは思っていたけれど。中学の頃、人は昔は猿みたいな生き物だったと教えられてそれを不思議とも思わずふ~んと受け取ってしまったことがちょっと恐い。当時では仕方なかったことだけれど。だって学校の先生がそう教えるんだもん。とても印象的だった、安藤先生(博士ね)が言ったこと:進化論は実際は「論」でなく「説」。彼女はそれを「進化仮説」と呼んでいた。なるほどと思った。仮説と理論の違いはわかるだろうか。進化仮説という表現はつまり科学的に全然根拠がないことを意味するのだと。進化論というとそれはすでに自然の法則として「科学的に」認められていることを意味する。ここで注意してもらいたいのは、どのように認められているかだ。「科学的に」認められることと「公に」認められることで大きな違いがあるのだ。特に日本での進化仮説の受け取られ方は90%以上の人がそれを信じているわりには実は多くの科学者はそれを信じていないという状態。ここでも言葉の表現にきをつけなければならない。俺は今「信じる」という言葉を使った。決して「知っている」のではないのだ。進化論、というか進化仮説は、あくまで仮説であって証拠が足りなく知識に値しないのかもしれない。むしろそれは多くの日本人が意識することすらせずに「事実と思い込んで」いる「信仰」なのである。うすうす俺もそういうことに気づき初めていたけれど今日安藤先生が論理的かつ科学的に(まじで、いろいろ生物学の視点から話してくれた)説明してくれてすっきりしった。彼女は特に聖書を使って反論するわけでもなく、ただ創造論を支持するために何度かは引用した。しかし、聖書を理由に「進化論を否定したのではない」ことにきをつけてもらいたい。特別な知識がないキリスト信仰者は、やはり進化論はいんちきだ。何故なら聖書が神がこの世を創造したと言っているからだ。となりがちだ。もちろんそうでない人も多くいるとは思うけれど。今日の大きなポイントは:日本では、創造論はキリスト教が勝手に持ち上げて信じているものであり反対に進化論は科学的に裏付けされているしっかりとした科学理論である。と捉えられていることが多い(というかほとんどがそう信じ込んでいるだろう)けれど実際の生物学者(科学者)から見ればむしろ創造論のほうが科学的であり進化論は非科学的であるということだ。ちなみに多くの物理学者や天文学者も、創造主の存在を認めている。もちろんそれがキリスト教の神である証拠はどこにもない。ただ多くの科学者が実際に偶然にこの世ができ偶然に猿が人間に進化したのではないだろうということに気づいているのだ。どこぞの有名な生物学者は実際に100年以上前に人が偶然ぽこんとできあがることは有り得ないことを証明したとも安藤先生は言っていた。ちょっと詳細は忘れたが。何故ならいろいろメモを残しておいた紙が無くなっていたからだ・・・がっかりである。捨てられてしまったのだろうか。今日安藤先生の講義に出席してどれだけ進化論が科学的に危ういものかがわかったのは良かった。よく人は神が存在する証拠はあるのか?この世を神が創造したという証拠はあるのか?と聞くけれども今度は俺が反対に聞き返したい。で、進化論の証拠はあるのか?単細胞生物からああだこうだと生物が進化し猿を経て人間になっと証拠はどこにあるのか?と。ちなみに猿と人間の細胞は99%が同じだからなんて答えはだめだ。実はこの最後の1%に大きな大きな謎があるからだ。先生はそれも少しだけ説明していたけれどちょっと話しが難しくて俺の意識は遠のいてしまっていたのでそこは残念だけど説明できない。DNAだかなんだかの構造のちょっとした差がどうのこうのと言っていたけれど・・・そうそう、こんなことも言っていた。生物学の世界では生物が「偶然に」存在を持つことは決して有り得ないことは当然のことして勉強を初めて時に学ぶことであってもし生物が偶然この世に生まれたことを主張する学者がいたらその人はきっともぐりの生物学者だろうと。冗談ぽく言っていたけれど偶然に存在する確率を実際に数字として見せられると納得もいく。ちなみにその確率は1/(10^40000)とか言っていたかな。とりあえずものすご~~~くゼロに近い数字だった。ちなみにそれは「科学的」にはゼロとして扱われるのだ。今日こうやって改めて自分が子供の頃学校で教えられてことがいかに怪しげなものであったかを理解することができてよかった。別に進化仮説を中学だかなんだかで教えても構わないけれど、それなら等しく創造論も真剣に教えて欲しいものだ。どちらも完璧に真実として立証することは不可能だ。でもせめて両方とも教えてもらえていたら多くの日本人が自分でどちらを信じるかを選ぶことができる。この選択権は大事なものだと思う。安藤先生が言っていたけれど「私はみなさんに答えをあげるつもりはない。ただみなさんが自分で考え自分で何を信じるかを決める手助けをしたいだけだ」と。もちろん正しい答え、絶対的に正しいとされる真理、を与えることは不可能だ。なぜなら彼女が信じている創造論だってあくまで信仰の一部であって完璧な証拠がないからだ。今人間が持っている科学で分析する限りでは進化論はかなり不確かなものであることは言えるけれどだからといってそれが創造論が絶対に正しいということを意味するわけでもない。そこのところをしっかり先生はわかっていた。とても論理的であり科学的なものの考えである。素晴らしい科学者でありまたキリスト信仰者であると思わされた。PS:この文章を読んで慌てる人、心が落ち着かない人もいるだろうと思う。でも決して真理の追求をやめないで欲しい。納得がいかないのなら何故納得がいかないのかしっかり自分の信じている事に向き合って欲しい。その上で自信を持って進化論を信じるのであればそれはそれでいいのではないだろうか。
2005年10月16日
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さきほどコメントを残してくれた方がフリーページのほうの改行をしたほうがよいのではと言ってくれました。今さっきページを確認してみたら・・・めちゃくちゃ読みにくい!前はあれでも平気で読んでいたのだけれど一度この改行になれてしまうとだめなもんだね。たった一年ちょっと前に書いたものだけれどこの一年自分の中でいろいろあった。もちろんそれは外からは見えないものであって、人格の変化といってもいいと思う。この変化のきっかけは哲学を大きかったようなきがする。あれ以来物事を真剣に考え自分の知っていること信じていること当たり前と思っていることいろんなことに質問を自分でしてみるようになった。そういうことをしているうちに他人へより的確なアドバイスができるようになったし何よりも自分自身のためになった。考えることの大事さをこの1年を通して実感したようなきがする。自分の考えていることがはっきりわかってくるとそれが言葉や行動に表れる。ただ感情だけで息巻いてフガフガ怒ったりするのでないから他人からの信頼も自然と得られるようになる。他人との信頼関係を築き上げる上でつい、相手にどう接したら信頼してもらえるだろうか、など相手にばかり意識がいってしまうことがある。でもまずは自分が自分のことをしっかりわかることが大事なんだと思う。自分でわかってなくてどうして相手が自分のことをわかってくれる。信頼関係とはまずお互いのことを知ったうえで築かれるもののはずだ。まあ相手を知ってしまったがために余計信頼できなくなることはあるけれど。それは仕方ない。そういったマイナス要素を含めた上で人間関係なりたつものだ。あることでは信頼できなくても他の事では信頼できるなんてこともよくあるし。とにかく大事なのは自分というものをよく考えて、その自分らしさというか、自分そのもので生きていくことが大事だと思う。自分の心がやりたいと思っていることを頭で考えて押しのけてしまうのではない。自分を知るとはある意味心が訴えるものを見極める作業かもしれない。人助けしたいと思うなら周りの目なんて気にしないで行動する。正直に生きたいなら次のことを考えてついつい嘘をついてしまったりしない。頭で考えだす目先の利益でなく自分らしさから得られる利益のほうがよっぽど価値があるものだと思う。頭が自分の心を邪魔するのならその頭を自分の本当の正しい判断でどかせるように。といっても判断するのも頭なんだけれど。嘘をつくとき、そのときはまるで自分の思考が先を考えて嘘をつくように導くような感じするけれど、実はそれはどちらかというと感情ではないのかな。あ、怒られたくない、という自己防衛だね。そんな時本当に頭で考え逃げる自分を押さえつけること。考えるだけならいけるかもと簡単そうに聞こえるけれど実は以外と訓練が必要なんだよね。これが。あれ、ていうかいつのまにこんな話に。まあとにかく1年いろいろあったわけさ。前にも改行してくれとコメントした人がいたけれどその人に対してある事情から俺はぶち切れたりもしたさ。言い方て大事だよね。今回の人は気軽に言ってくれたからそうだなと素直に聞く気になる。前回の時はなんか余計な説教文句みたいのがコメントにひっついていたから切れた。つい説教ぽくなる大人にだけはなりたくないなぁ。でも俺はやばいな、可能性が。きをつけなくては。
2005年10月03日
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ついさっき友達とチャットをしていた。その子が「頑張って愛せる人を探します」と言ったから俺はこういった「人を愛せる自分を探すんだ」と。これって実は感動の台詞?いやいや、お恥ずかしい。口だけは達者なもので。でもそれが今俺が実際に努力していることだと思う。本来人は他人を愛する能力というかなんというかがあるのだと信じてる。そして周りには愛せる人がたくさんいるんだと思う。でも自分はその人たちに余計なものをたくさん引っ付けて評価し、結果愛せないと思い込んでしまう。たった一つの相手の失言・失敗だけでもその人を愛せなくなってしまうのだ。利己心がそうさせるのかもしれない。傲慢さかも。どういう言葉がふさわしいかわからないけど、人はそういったもののせいで愛のない存在になりがちだと思う。本当の自分をそういう自分勝手さによって隠されてしまっているのかも。もしくは目隠しをされている状態なのかもしれない。だから他人を愛すことが何かを考え、実行に移そうとすることで愛に溢れた自分をみつけられると思う。無理だったら・・・まあその時があったらまたその時に考えるさ。奇麗事だけどそれが人間のあるべき姿だと俺は思う。そうすればみんな本当に幸せに生きられるんじゃないかな。俺は偽善者ではない。愛することができていないかもしれないけど、でもそれなりの努力はしているのだから。もしただ名言を残したいがために言っているのなら俺の口は必要ないだろうな。少しでも他人の参考になればと思う。
2005年09月18日
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今日は許すことに関して話し合い機会があった。ルームメイトが言っていたことでおもしろいことがあった。許すには4つの条件がある:1、相手が責任をとること(take responsibilityだね)2、相手がすまないことをしたという気持ちを持つこと(remorseという言葉を使った)3、相手が償おうとすること(repair)4、相手がもう二度としませんと誓うこと(not repeat it again)3番は例えば窓を割ってしまったのならそれを修理することとか。許すには条件があるということを今日学んだきがする。たまに人がいいよ、許すよ、ととりあえず言うことがあるけれどそれは実際には許しているのではなくてただ忘れようとしているだけに近いという結論に至った。加害者が反省の色を見せないのに許すことはできないだろうという流れ。まあ相手が「ごめんね」と言ってもそれを素直に許すことが難しいのだけれどね。それから謝罪しつつ3と4のステップをとらなかったらそれは信頼にかける。そういうときは大抵1の責任感にすら欠けているものだ。1と2があるなら自動的に3と4はきそうな感じだが。ただ繰り返すということに関しては、その加害者が繰り返さない保証はないのだけれど。2回3回同じことをやられると許すのが難しくなってくるのも仕方ない。将来自分に子供ができ、自分の娘がある男に強姦されたとき、もしその男が1から4のステップを全てとったら俺はどうするだろうと思う。もしその男が泣きながら謝り損害賠償などをしっかりしても彼を許すことは難しそうだ。許すのでなく忘れることはできるかもしれないけれど。その時の悔しさや憎しみを忘れることはできるかもしれない。でも心から相手を許すことができるのだろうか。ん、そもそも1から4のステップを踏まないと許すことは不可能なのだろうか。もし誰かがある会話の流れで、俺のことを馬鹿にしたとしよう。でもそれは明らかな流れでなく、俺を除いて誰一人それが俺に対する侮辱だということにきづかないとする。そうすると俺の心の中で葛藤が起きるかもしれない。むきぃ~!!と腹を立ててその人を憎むこともできるし心を落ち着かせてその人を許そうと努力をするかもしれない。今日の会話の流れだとこの場合「許す」という言葉はあっていないわけだ。1~4全てのステップが無視されているわけだから。ということは俺は何に関して努力をしているのだろうか。そのことを忘れるために努力しているのか?でも、忘れるといっても、そう簡単に忘れることはできないものだ。そもそも自分の中でこういうことが起きるだろう。「あの人は何も悪気があって俺を侮辱したわけではない。結果としては俺に対する攻撃だけれど、あの人にそのつもりは全くないんだ。だから俺は彼のやったことを許すべきだ」あれ、やっぱり許そうとしてる。変だな。この状況だと許すことはありえないんだろう。じゃあ忘れようとしているのか。何を忘れようとしているんだ。その起きた出来事、つまり侮辱、を忘れることはそう簡単にできない。だってそもそもそれが起きたからこそ許そうとかいう気持ちがでるのだから。じゃあ一体こういうとき、俺は一体何を許そうとしているんだ。何を忘れようとしているのだろうか。やはり憎しみ・嫌悪感だろうか。むきぃ~~!!!というあの気持ちだろうか。いやでもあの気持ちをわすれるわけではない。忘れるのでなくその気持ちを横にやる感じだ。自分の中にある相手に対する憎しみを自分の優しさ・愛でもって包み込んであげる感じだろうか。この場合はあの4つのステップとは別に例外として扱うべきなのか。じゃあもし、自分の娘を強姦した人が自分のやったことが悪いことだという呵責の気持ちが無かったらどうなるのだろうか。う~ん・・・まあでもそんなことはないだろうから悩んでもしょうがないか。な~んにも気づかずに人を殺すことなんてないよな。でも人の心を殺すことはあるか。殺さなくても半殺しくらいのことはあるかも。心の根元のほうから傷つけられた時なんてそうだ。俺にはそんなことめったにないけど。そういうときの相手を許そうとする人の葛藤は何と言うべきなのだ。許そうと努力しているのでなければ何なのだろうか。ちなみにこの4つの条件のことは今朝ルームメイトとBible Studyをしている時にでてきた話題。キリスト教における「神の許し」が何であるを話し合っていた時のこと。やっぱりさっきの侮辱の状況は例外かもしれない。だって人は大抵遅かれ早かれ自分の悪いところにきづくものだから。ただそれを無視して生きるか、それに対して向き合って生きるかの違いはあるけれど。場合によっては自分の罪を正当化してしまうときもある。なんだか頭がごちゃごちゃしてきたからこれで。
2005年09月18日
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この楽天。というかブログ全般。基本的に匿名希望のようなものだから一人一人が本当の自分を曝け出す(さらけだす、を書くの知ってた?)ことができる。だからいろんな人に会うことができる。世の中には本当にたくさんの人がいるのだと感じさせられる。実際に会うとそういう姿を隠すからみんな似たような人間に見えるけれど。心に傷を持っている人もたくさんいる。それも実際に会うとわからない。でもブログだとその心の痛みを教えてくれる。インターネットはこういう使い方もあるのだなと思う。ただコメントを残そうとすると、どうしても短い文章だとうまく自分の言いたいことがいえない。誤解される可能性もある。そういうことにきをつけながらコメントしようとする。短い文で大事なポイントを掴んで心にくるコメントを書くのは能力が必要だ。以外と文章力の修行になることも面白い。ただ思うことは会って軽く話した程度では相手の本当の姿を知ることができないのだ。だからそういう時言葉遣いにきをつけないといけないのだ。いたって元気そうな相手だからと軽はずみなことを言って、実は相手は心に傷を持つ人だったら、あ、すいません、知りませんでした。では済まないのだ。調子にのってしまう傾向にある自分ににもう少しきをつけないといけないと思うのだった。
2005年09月01日
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今日はバイスタ(Bible Study)の時間に夫婦間の愛を考える機会があった。だから少しここで自分の思うことを整理しようと思う。だけどなんだか今日は疲れているのだ。ということでまたいつか。バイスタはたった3人しかいなかったけれどかなり濃い内容だった。今日のようなスタイルは悪くないと思う。3節読んでそこで何がなんでも一つ質問するという形式。そうすると読む人はみんな必死に書いてある内容を理解し理解できないことを質問しようとするからいいのである。ただ時間がかかって疲れるとは思ったけれど。それから3人という少人数もよかった。どうも6人以上になると話がそれる傾向にある。一人一人が思い浮かんだことを口にするからどんどん話が脱線していくのだ。3人は討論するにはいい人数であると思う。4人くらいが限界かな。5人なると反対意見が押しつぶされる可能性がでてくる。本当に一人一人から率直な意見・質問を聞くことが難しくなるとは思う。ビリヤードは集中力を要するスポーツだ。上手になりたい。
2005年08月27日
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貼ってみました、「みんなのプロフィール」なるものを。一体どんな効果が出るのかはまだ不明。コメント欄で宣伝されてしまったのでつい参加してしまった。一つ面白そうなのは同じアメリカ留学生のブログが見つけられること。しかも年齢を絞って検索できるのがいい。こういうのはいつも最初は抵抗あるものだ。どうしてもだめなんだよね。やっぱり頑固な親父を持った人間である。でもそのうち頑固ぶりより好奇心のほうが勝ってしまう。今回もそのケースだ。そのうちランキングなるものもきっと挑戦してみるのだろう。でもすぐ飽きるだろう。要はなんでも試してみることが大事なのだ。その中で続くものもあれば続かないものもある。よく私は飽きっぽい人です、という台詞があるけれど、そんなのは嘘だ!世の中これだけ物事のVarietyに溢れているのだから一つ、二つはのめりこめるものがあるはず。つまり飽きっぽい人とは実のところ、興味を持つ対象が普通とかけ離れているだけなのかもしれない。普通というはここでは例えば読書、音楽、スポーツなどである。音楽といっても普通といえばギター、ピアノなどである。もしかしたら飽きっぽい人は三味線が好きかもしれない。そんな可能性を秘めているかもしれない。でも人生で三味線に出会い人って今の世の中そうはいないよね。面白そうだな、とは思っても実際にやる勇気がなかったりするものだ。だって普通とちょっと違うから・・・そういう普通をここでは定義する。まあつまるところ、飽きっぽい人とは実は興味のいくところがまあ平均から少しずれている可能性を大いに持つ人、とも言えるということだ。飽きっぽい人、そんなあなたは普通じゃないのだ~!!そんな君がかっこいい。それに飽きっぽいと言ってる人が実はもう結婚20年目だったりして・・・同じ相手と20年人生共にしていればそれは飽きっぽいとはいえないと思われる。むしろしつこい位。ということはほとんどの人は遅かれ早かれ結婚して落ち着くわけだからほとんどの人はしつこいということだ。はっはっは。まあここではそのしつこさは良いこととしておこう。しつこいディフェンスとか・・・一之倉のスッポンディフェンスとかね。山王に買われるくらいだからすごくいいのだろうね。このネタがわからない人はぜひスラムダンクをお読みください。そういや普通てなんなんだろう。普通の人てどんな人?そこのお母さん、説明してくださいよ。ちょっと先生、逃げないで教えてくださいよ。さてところで、今日はいつもとちょっと違ったスタイルで日記をお送りしているわけですがいかがでしょうか?別に意図的にやっているわけではなくただ頭に思い浮かんだように書いているだけなので明日も同じスタイルだという保証はないのだ。明日はもっとねちねちとしつこい内面を持った日記であるかもしれない。明日は学校に行く予定。授業料払うかも・・・むふふ。教科書をオーダーするのも間近だ。早く見たい!むふふ。
2005年08月22日
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