全16件 (16件中 1-16件目)
1
貸し便お菊のおまけのウンチクでございます。 ~笑左衛門~ ~ 店中の 尻で大家は 餅をつき~ 店(たな)というのは長屋のことで、その長屋には共同便所でございまして、雪隠(せっちん)とか、惣後架(そうこうか)とか厠(かわや)と呼ばれておりました。 江戸の町民はいいものを食べておりますので、出す方のものも肥料として効き目があり、江戸町奉行が下肥の値段を釣り上げてはいかんという通達を何回も出したほど人気がありまして、近在の百姓間で糞の奪い合いになったほででござんすよ。 大便と、小便に分かれていたのは、大の方は肥やしになるが、小の方は肥やしにならないからだそうである。 ~この長屋は35尻でござんすね~ 大人の尻一人前で幾ら、子供の尻一人前で幾ら、 百姓が下肥を買いに来た時に、長屋の人数を尻の数で数えたので、それから、長屋の人数は尻で数えるようになったのでございますよ。 年の暮れになると、来年の糞の前金を納め、農家が大家と契約いたします。その相場が大人の尻ひとつで米一斗、餅にしたら10日分になります。それが、大家の懐に入るのですが、そこは大家といえば親も同然、 その肥やし代で年の暮れの餅を搗き、店子に配ったというのが上の句です。 ~家主に土産 帰って くそをたれ~ 大家はくみ取り料がいい稼ぎになるわけですから。店子たちには、なるべく他所で糞をしないで、長屋の厠で糞を垂れてもらいたいのだが、 評判の悪い大家には、~うちの長屋で糞してやらねーぞ~なんて嫌みの冗談も言われることも、あったそうで、、 ~跳ねる糞 受け身どっこい居合腰(いあいごし~ 江戸珍臭奇談でお馴染みの『でく』は、この雪隠の汲み取り人でございまして、長屋からくみ取った下肥は平田船に乗せます。平田船の船頭は、下肥人が集めてきた、下肥を船の樽に移し、葛西の百姓まで運び、帰りの舟には葛西の菜疏(野菜)を積んできた、一石二鳥の糞船だったのでございますよ。 つまり,江戸も後期になると、百姓が直接長屋に来て、糞をくみ取ることはなく、専門業者ができ、分業が始まったのでございます。 野菜栽培の第一の勤めは糞を集めること、糞がなくては野菜は育たず、~集めた糞一桶に水三桶注ぎ、三日置き、これを混ぜたものを畑に注ぐべし~と、百姓は伝えられていたそうだ。 ~糞こそ命わが命~、糞がなけりゃ野菜はできない。 でも、大丈夫、人間糞製造機でございますから、、 てへへ、、 笑左衛門
2019年10月27日
コメント(0)
江戸珍臭奇談 25 貸し便お菊 15 最終回 貸し便船『お菊の間』、大川を走る 屋敷では奉公人や寺の坊主が忙しく動き、葬儀の準備が進めれれていた。お菊は古着の木綿の着物のままだったので、皆から異様な目で見られていた。 下女の手伝いよりもみすぼらしく見えたので、吾助がいなければ門前払いだったかもしれない。 奥の間で、父は布団に寝かされていた。痩せ細って、まるで骨川筋衛門、逞しく、威厳のあった父の面影は消えていた。 兄の覚之助と姉の美雪、母のお房が顔を突き合わせて、なにやら相談していた。 お菊を見ても、「何しに来たのだ」というような、冷たい目を向けただけで、すぐにひそひそ話を始めた。「だから、二千石の旗本とはいってもね、札差しにはもう来年の切米手形分まで借りてるし、あちこちの商人に借金だらけで、首がまわらないのよ、葬儀代の百両なんてあるはずもなく、それに私はもう梶井家を出た人間で、今は早乙女家なのよ無理よ無理無理、」「そうか、早乙女家も火の車か、旗本御家人などと威張ってはいても、みな貧乏侍だ、ああっ、借金棒引き令でもでもなけりゃあ、、武士はみんな共倒れだ。」「何を情けない、かりにも一千石直参旗本ですよ、恥をかかぬよう立派な葬儀をださなければ、名家の名折れよ、父上が御他界されたというのに」「でも、母上、どこの商人も高利貸しさえ、金を融通してくれと頼んでも、逃げ口上ばかりで、相手にしてくれません。刀や鎧を質に入れれば、何とかなるが、そんなことはできないでしょう。いざ鎌倉となったら、直参旗本が徳川を守るのだ、そのための旗本なんだから、 もし、刀や槍や鎧を質に入れて葬儀代金をひねり出したらなんてことが、そんなことが知れたら、間違いなく、この家は取り潰しになる」「ああっ、八方塞がりだ。吾助、当てにはできぬが、直次郎はいまだに行方はつかめぬのか、なんとかいい案はないものか、」 覚之助は頭を抱えて髷を乱した。お菊はじっとそのやりとりを聞いていた。 美しかった姉の美雪は苦労したのか、げっそりとやせて頬骨が出て、美人の影もなくとげとげしい、兄の覚之助も険悪な表情で切羽詰まった表情を隠せなかった。 兄は今でもお菊のことをへちゃむくれで不幸な女だと思っているらしく、お菊の身なりを見て、金の相談をしても相談するだけ無駄だという顔をしていた。「母上、兄上、姉上、いろいろご心配かけましたけれど、お菊は今、幸せに暮らしています、父上にもそうご報告したくて参りました。おへちゃで汚なくとも、幸せは見栄えじゃない、幸せになれるかどうかは心持だって、母上がいつか言ってくれたとおりでした。産んでくれた母上にも感謝しています。」「しあわせですって?その格好でですか?貧乏丸出しではないですか、武家出としての面子も、誇りも捨ててしまってですか、みっともない。そんな恰好で屋敷内をうろうろされては梶井家の恥です。まったく、お菊は小さいころから汚かったから、」 姉の美雪は葬儀の工面ができぬ悔しさをお菊にぶつけるように言い放った。「いいえ、お菊は今、私たち以上に幸せなのかもしれない、しがらみやら、地位やら、面子やら、容貌やら、お金やら、なんでもかんでも他人と比較しなくては生きていけない私たち武家の世界にいるよりも、そんな事とは無縁に暮らしている様子ですから、私たちよりよっぽど心が穏やかで、しあわせそうですわ、」 母のお房は、お菊の言葉に思わず涙がこぼれそうになって、やっとそれを抑えた。自分たちがこだわっているつまらないことに縛られずに、お菊が強がりではなく、本当に幸せに暮らしているように思えたのだった。 お菊は、腰に巻いた茶渋の滲みのついた風呂敷を広げて、「差し出がましいでしょうが、ここに百両ございます。父の香典としてお持ちいたしました。よければこれをお使いください」 と、母お房、兄の覚之助、姉の美雪の前に差し出した。「お菊、そなた、その金子どうしたのだ?富くじでも当たったのか?」 一同は驚いて顔を見合わせた。「いいえ、貸し便屋で稼いだ金子でございますが、安心してください、銭に臭いは致しませんから、」「お菊、そんな身なりで、この金を出してしまって、明日からどうやって暮らしていくのですか?」「大丈夫です、長屋暮らしでは、金は天下の回りものでございます。それに、本所深川あたりでは”江戸っ子のなりそこない金をため”、なんて言われちゃいますから」 水無月、蒸し暑い夜であった。 涼を求めて、柳の下の川端で団扇を仰ぎながら夕涼みをする手合いも多かったが、 ちょいと景気のいい者は、ちんちんちゃらちゃら三味三味線を鳴らし、大川に遊び船を繰り出し、料理をつまみ、酒を飲み、唄っていた。 提灯の灯りが揺ら揺ら行き交う賑やかな大川の屋根船の間を、『貸し便船、お菊の間』という幟を立てた、平船が忙しそうに動いていた。「ちょいと、はやくきてきて、漏れそうだよ!!」「あいよっ、小便三文、肥やしの素の大便は只だよ、、さっぱりしなせえ!!」 お菊とへの字、いそがしそうだねえ、、 貸し便お菊 おわり、 朽木一空
2019年10月25日
コメント(0)
江戸珍臭奇談 24貸し便お菊 14 しあわせは見栄えじゃなかったとさ、、、 宵の刻、宗兵衛長屋の入り口にある、自身番屋にやってきたのは、年の頃、五十を過ぎた中間風情の男だった。「ここの宗兵衛長屋にお菊さんという方がいらっしゃると聞いたのですが、、」「お菊なら、いるが、あんたいってえ誰でぃ、なん用事だいっ」「はい、直参旗本梶井文左衛門の家の者で吾助と申します。実はお菊様のお父様、つまり、梶井文左衛門様が昨夜お亡くなりになりまして、お嬢様にお伝えしに来たのでございます。そりゃあ、探しました、探しました。昨日から、眠らず食わず、なんとしてもお嬢様にお伝えしなくてはと思い、やっとたどり着いたのでございます。」 疲れ切った顔でそれだけ言うとぐたっと倒れこんだ、宗兵衛が白湯を飲ませた。「お菊が旗本のお嬢様だって?そういえば、ここに来たときにはいい身なりをしてたし、言葉も江戸言葉じゃなかったなあ」「おいっ、への字を呼んで、この方をお菊のところへ案内しろ」「お菊お嬢様、吾助でございます、お久しぶりで、それにしても、このようなみすぼらしい狭いところで、御可哀そうに、さぞ、御苦労されたことでございましょう」「吾助、私は幸せに暮らしているんですよ、心配しなくていいんですよ、生きるってことは見栄えじゃないのよ、」「お嬢様、じつは旦那様が長い患いの上昨夜お亡くなりになりました、それをお伝えしたくて、お菊様を探しました。 嫁ぎ先の日本橋の茶問屋駿河屋甚右衛門のところへ行きましたが、なんと、駿河屋は石原町の三味線の師匠のお鈴という女に騙されて、身上を潰して駿河の国へ裸同然で逃げるようにして帰ったというではありませんか。 お鈴という女の後ろには京都の宇治茶問屋の吉本屋という悪徳商人が付いていて、後ろで糸を引いていたそうな、綺麗な花には棘があるっていいますからね、まあ、それはともかく、駿河屋から三行半を貰って出たお菊さんの行方はぷつんっと糸が切れたように消えてしまいまして、ようやく貸し便屋お菊の間というのが、本所深川で流行っているというのを聞き、もしかしたら、お嬢様は小さいころから頻便だったので、、ところが、その貸し雪隠も取り潰しになり、、、まあ、なんとかここへたどり着いたのでございます。さあ、お嬢様、こんな汚らしい所から出て、お屋敷に帰りましょう、明日は父上の御葬儀でございますので」「わかった、吾助、私はここに戻るけど、父上の御葬儀にはでるわ」 駿河台は懐かしい街並みだった。深川に足を踏み入れた時には別世界のようであったが、深川から駿河台に来てみると、やはり、別世界のように清閑とした街並みであった。同じ江戸の町とは思えない静けさだった。 木々が繁り、道幅も広く、整っていて、歩いている人も背骨をぴんと伸ばし、せかせかせずに、ゆったりとしていた。時間の流れ方が違うようにさえ感じた。 棒て振り人さえも、本所深川とは違って身ぎれいな形をしていた。 品があるといえばそうだが、今のお菊にはなじめない空気のようにも感じられた。つづく 朽木一空
2019年10月24日
コメント(0)
江戸珍臭奇談 23 貸し便お菊 13 尻の穴緩めすぎちゃいけねえな、「 貸し雪隠お菊の間」の隣には「貸し便屋桔梗亭」ができ、貸し便屋を利用する江戸の者は裏の事情も知らずに、便利になったと喜んでいた。 だが、貸し便屋の近くに住む町の人々は憤慨していた。川や堀にうんこがぷかぷか浮いている、嫌な臭いが堀から湧いてくる。「これじゃあ、鯉も泥鰌も鰻も蜆だって、臭くて食えねえよ!」「死ぬのに綺麗も穢ねえもねえが、うんこが浮いてちゃ身投げもできねえやぃ!」「この堀じゃ洗い物もできやしねえ、町役人さんなんとかしてくれ」 掘の近くに住む住民から抗議の声が町役人に寄せられ、町名主は連名で、奉行所に訴えた。 訴えは老中の耳にも届き、水野忠邦は、糞騒動に巻き込まれた南北奉行所の処置に頭を痛めていた。 「幕府がご政道の改革を進めねばならぬ時に、こんな下らぬことで足踏みしおって、遠山、貸し便屋はすべて取り潰せ、喧嘩両成敗にせよ、後々しこりの残らぬように、しかるべき裁定をせよ、よいな、」 北町奉行遠山左衛門尉影元は苦虫を潰していた。囲碁狂いの見廻り同心真壁平四朗が役宅に呼ばれていた。「お主も知っていようが、お菊とかいう女と尻毛の桔梗とかいう女が貸し雪隠をやっているようだが、奉行所に苦情が来ておる。堀にぷかぷかうんこが浮いては町の者も堪らんだろう。なんとか取り締まれぬのか?」「はっ、お菊の間のほうには熊五郎が一枚噛んでいるようで、糞の始末は熊五郎の手で始末してるらいいのですが、、尻毛の桔梗は金無しの音次の色でして、裏では鳥居様が指図しているようで、迂闊に手出しはできそうにもなく、かといって、糞を始末しているお菊の方だけを取り潰しにするのも道理に適わぬことでございまして、」「ふっーん、そうけえ、尻毛の桔梗の方には南町の鳥居が絡んでいたのか、こいつはまた面倒なことになりそうだ」 北町奉行遠山左衛門尉影元はお菊と尻毛の桔梗の両名をお白州に座らせてた。「お前たちが営業している、貸し雪隠は町民から苦情が多数寄せられている。河岸端(かしばた)や下水の上に小屋を作って雪隠としては、掘割が汚れて、これでは、泥鰌も食えぬ、洗い物もできぬ、とな、、」「お奉行様、お菊の間は糞尿はおから村の熊五郎に頼んで回収しております。堀を汚すことはしておりません。汚しているのは垂れ流しの桔梗の間でございます」「お菊の間では糞壺をくみ取っていると申しますが、ぴしゃぴしゃこぼして、掘割を汚しております。それ桔梗亭も葛西の権四郎様にお願いして糞尿の回収の手筈もつけておりますゆえ、もうしばらくの御猶予をいただきますよう、お願いします。」 お菊も尻毛の桔梗もひるまず、異議申し立てをする。「両名の者、よく聞け、江戸市中に貸し便屋の幟があちこちに立ってはみっともない、他国の大名にも笑われている始末だ。糞尿は自宅で済まし、街中を歩くときには尻の中を空にして歩くのが常道というものだ、いつでもどこでも気軽に排便できるなどということは、人民がだらしなく、ふしだらになり、尻の穴がますます緩くなり、始末に負えぬこととなる。そのような風潮は正さねばならぬ。 それに、堀の上とはいえ、そこは町の所有物であり、町が管理しているところである、つまり、不法占拠である。その町役人から苦情がきておるのだ。したがって、貸し便お菊の間も桔梗の間もとり潰しだ、早急に撤去せい!」「しかし、お奉行様、それでは町の人がお困りではないでしょうか」「うむっ、そうじゃのう、そちたちが尻の穴を緩める手伝いをしてしまったからのう。だが、掛け茶屋には必ず厠を用意すること、茶店や神社にも無料で厠を貸すという、厠を用意していない店は営業まかりならぬという触れを出すことにした。つまり、これからは、町中でもようしても、困らぬ江戸にするということだ。」 お菊も尻毛の桔梗も御上の裁定には逆らえなかった。 これにて一件落着!!べんべんべん、かしべん、「貸し便お菊もお終えだってよ、お菊の尻穴、菊模様の肛門様も見納めだいっ!」 貸し便屋取り潰しの瓦版が江戸の町に舞い、江戸っ子はさらっとして笑い飛ばし、暫くして、江戸の町から貸し便屋は姿を消した。 やることがなくなったお菊とへの字は、宗兵衛長屋で、ぽかんっと口を開けて暇していたが、日暮れがやってきて、からっぽな気持ちを紛らわそうと、徳利をぶら下げて、大川の土手へ出た。暮れ六つをすぎて、提灯や行燈をぶら下げた船が行き交い、船の中から賑やかに三味や唄が聞こえ漏れてきていた。「いいねえ、船遊びは、そうだ、長屋の連中で船遊びしようよ、なあ、への字、貸し便屋で稼いだ金がむずむずしてるんだもん、」 お菊は佐賀町の船宿から屋根船を借りて、長屋の連中、もちろん、大家の宗兵衛に見廻り同心真壁平四朗と、手習い師匠の柳井文吾も招待し、大川を両国橋から、花川戸の方まで、船を走らせた。棹捌きのいい若い船頭の着流しの裾が川風に翻るがえり、長屋のおかみさんは、きゃっきゃっと、はしゃいでいた。 三味線と小唄の深川芸者が花を添え、上や下えのどんちゃん騒ぎは浮世の垢を忘れさせてくれた。 お菊の鬱屈していた気持ちも川風で流れていくようで気持ちがよかった。長屋の者も大はしゃぎ、料理も酒もたらふく飲んで食べ、唄い踊って、船が舳先を変えて、佐賀町へ引き帰そうとした頃、誰もが尿意で下腹部を膨らませていた。 男どもは船の障子を開けて、気持ちよさそうに川へ流れ小便でいいが、女はそうはいかない。「ああ、おしっこが漏れそうだ、リンダ、もうどうにもとまらない、」「船べりからしやがれ、誰も腐れ毛饅頭なんか覗きやしねえよ、」「ちゃんと簾を下げといてよ、覗いちゃいやあーん、 」 あれっ、お菊にも久々頻便がやってきた。船には厠がないっ、あれっ、困った。私のは腐れ毛饅頭じゃない。誰にも見せるわけはいかない。その経験から、お菊はあることを思いついていた。「おいっ、への字、また忙しくなるからな」つづく 朽木一空
2019年10月23日
コメント(0)
江戸珍臭奇談22 貸し便お菊 12 雪隠関ヶ原の戦い、 べんべん便便 本所深川の堀をまたぐように、深川八幡宮、州崎弁天、回向院、両国橋の袂、常磐町、六間堀に『貸し雪隠、お菊の間』の幟が立ち、庶民はもちろん、芝居見物や物見遊山のお内儀、武家の奥方に奥女中、寺社参拝のお姫様、中には大名や旗本の行列も利用する、便利このうえない貸し便屋は瞬く間に江戸の人気の場所になった。 駕篭屋には「お江戸貸し雪隠一覧」という地図を配った。 もう、食べたくもない団子や蕎麦を食べて、ついでのふりをして厠を借りる必要もなくなった。江戸の皆から支持されて貸し便屋は大当たりだったのである。 貸し便屋の厠番には熊五郎の手下を借りて雇った。一回六文頂き、糞は一桶二十五文で熊五郎が買い取った。 お菊は毎日、への字を連れて町々の貸し便屋を廻っては銭を回収した。貸し便屋の商いは順調で、うはうはであった。 「への字、上野、浅草、両国橋、日本橋、神田明神、柳橋、湯島天神、芝増上寺、猿若町、にも出したいねえ」 お菊の貸し便屋江戸制覇の夢は大きく膨らんでいた。江戸はもっと良くなる! だが、好事魔多しとはよくいったもので、そうは問屋が卸さなかったのである。 貸し便屋お菊に地虫の熊五郎が一枚噛んでいると、南町奉行鳥居耀蔵に密告したのが、遊女の尻を撫ぜて、熊五郎に金玉を切り落とされた金なしの音次である。 鳥居耀蔵にとっては地虫の熊五郎は縁戚の早乙女角二郎を切った仇であり、おから村を壊滅しようとして逆襲にあい、痛い目にあった憎き男であった。「そうか、貸し便屋に熊五郎が一枚噛んでいたとはな、あの糞野郎がな、」「へいっ、あちこちの貸し便屋の厠番は熊五郎の手下が雇われています。もちろんその糞も熊五郎が回収してます、」「うむむむっ、よし、音次、たしかおめえの配下に、尻毛の桔梗とかいう女がいたな、ほんとに尻毛が生えてるのか?」「へいっ、尻毛は確かに生えてますが、桔梗の華ほどの美人でもありませんが、」「よしっ、その尻毛の桔梗に貸し便屋をやらせろ、いいか、向こうが六文なら、こっちは五文だ、それにな、浅草紙もつけろ、臭い消しの香も焚け、」 そう手短に命令すると、鳥居耀蔵は手文庫から、支度金として、三十両を金無しの音次に渡した。「頼んだぞ、ドジを踏むな、お菊の間の隣にことごとく開業しろ、そして、必ず貸し便屋お菊の間を潰せ!!」「ようござんす、面白くなってきそうで、、尻がむずむずしてきやした、、、」 間もなく、音次の手配で、尻毛の桔梗という女が「貸し便屋 桔梗亭」を開業した。「貸し便屋桔梗亭」は、茶室風の建物にし、臭い消しに香炉を漂わせて、浅草紙つきでおひとり様一回五文である。「貸し便屋お菊の間」にとってはとんでもない、商売敵の登場である。とても勝負にならない。お客はみなお菊の間から桔梗へと流れてしまって、お菊の間には閑古鳥が鳴きはじめていた。 だが、「貸し便屋桔梗亭」の方にも問題があった。糞が川や堀に垂れ流しだったので、鯉や泥鰌は喜んだが、うんこの身投げで、どぼんという音がし、ぱちゃんとおつりがきて、着物を汚すこともあった。 次第に、お客の評判も二手に分かれ、お菊の間も桔梗亭もそれぞれにお客が入るようになっていた。 南町奉行鳥居耀蔵は音次を呼びつけて、「音次、なにをもたもたしておる、銭がかかっているのだぞ、お主の貸し便屋はわしのお墨付きだ、早く、お菊の間を潰さぬか!」 と、発破をかけた。 金無しの音次は、手下の者を朝一番に貸し便屋お菊の間へ入れ、夕方まで厠でしゃがみこませ、客が入れぬように邪魔をしたが、夕方厠から出てきた手下は、ことごとく膝が曲がらぬようになって、そのままひっくり返ってしまった。金無しの音次の作戦は大失敗に終った。 つづく 朽木一空
2019年10月22日
コメント(0)
江戸珍臭奇談21 貸し便お菊 11 おへちゃだって平気だよ、 「でく、そのお方はどこの誰でえぃ」 頬から顎まで髭面で、頬に刀傷をつけた大男の熊五郎がどすの利いた声で、でくに尋ねた。 「へいっ、熊井町の、そ、宗兵衛長屋のおひとで、ま、真壁平四朗様さまの許しをいただきまして、つ、連れてきました、く、熊五郎親分に、ご、相談したいことが、あ、あるそうで、」 「でく、相変わらず、まだらっこしいな、そうけい、同心の真壁様の知り合いかい、ところで御人、このおから島で見たこと聞いたことは決して他所では話しちゃならねえよ、それがこの島の掟よ、そいつだけは守ってもらうよ、ようござんすね」 熊五郎の横には、このおから村には似合わない背筋をぴんと伸ばして涼しい顔をした女が座っていた。 「さ、逆らうと、きっ、金の玉を切り落とされちまう、そ、そこに、すっ、座っているのが、ちん切のお吉さんだよ、あっ、お菊さんには、はっ、はじめから、きっ、金の玉が、なっ、ないんだね」 「でく、馬鹿なことをおいいでないよ!あっち行ってな、」 お吉は黙ってどぶろくを口にし、長煙管から煙をぷかぷかとふかしながら、頬を膨らませ、笑みを浮かべていた。 お菊の心の中で「まさか!」という思いがよぎった。 弟の直次郎が股を切られ、その切った女がちん切のお吉であったことは忘れても忘れられない。その苦労で、父は倒れてよいよいになったのだ。 だが、熊五郎もお吉もまさか直次郎がお菊の弟だとは感づいてはいない。お菊が武家の出であることなど想像もつかないほど、汚れた木綿の古着を着た格好の今のお菊だったからだ。お菊もそのことには触れないでおこうと思った。 今日は熊五郎に貸し便屋に協力してもらうことが大事な要件だった。 お菊は地虫の熊五郎に勧められるまま、甘酸っぱい味のするどぶろくらしき酒を口にしながら、熊五郎に貸し便屋のことを話した。 「面白れえ話だな姉さん、まあ、姉さん一杯やりな、これもおから村の名物料理だ食え食え、蝮の金玉を馬の腸で煮詰めた精力剤だ、股の下がうずうずしてくるで、ぐひゃあははは、ぐひゃあああ」 横ではその得体のしれない煮込みの鍋がぐつぐつ煮えていて、腐ったような饐えたような、臭いが鼻の奥まで染みこんできた。 そんなお菊の表情を熊五郎が面白がって見ていた。「みんな、臭え仕事してるからな、こんな臭いは気になんねえんだ、こういう臭いをいつも嗅いでなけりゃ、昼間の仕事ができねえんだよ。」 おから村の住人は昼間は下掃除人として長屋の厠で糞汲みの仕事を生業としていたのだった。 そんな場所で、頼みごとをしている自分が、落ちるところまで落ちたのだとお菊はしみじみ感じていた。どうせ世を捨てた人間だ、こういう場所の方が私にはふさわしいんだと、居直っている自分もいた。 ここなら、醜女もでぶもないおへちゃもない、こんな私でも歓迎してくてるじゃないの、女だと見てくれる目があるじゃないの、 そもそも、美女だ醜女だということは誰かと比べただけのことである。比べてなんぼの問題なんだ。美人こそ差別の元凶であり、美人が罪なのである、美人がいなけりゃ醜女もいないのだ、美人がいなけりゃ醜女も悩まなくて済むのだ。 ここにはそんな差別はなさそうだった。そこがおから村だった。 地虫の熊五郎、毛むくじゃらの腕で膝を叩いて、 「ようし、一桶二十五文で手を打とう、どうだ!」 「ようござんす、よろしくおねがいします、」 話はできた。これで何処でも江戸の人の集まるところで、貸し便屋が開業できる。 お菊はおから村のど真ん中で地虫の熊五郎と対している恐ろしさよりも、貸し便屋ができるうれしさへの希望に胸が高鳴った。 おから村から見る空には江戸の町と同じ青い空が拡がっていたのだった。つづく 朽木一空
2019年10月20日
コメント(0)
江戸珍臭奇談 20 貸し便お菊 10 別嬪が罪だとは、お釈迦様でも知るめえよ、、、、、 豆腐のしぼり汁、滓、いらぬ者、捨てる物、その場所に『おから村』という名をつけたのは北町奉行の遠山影元である。 そのおから村へ渡るには、霊岸島の突先の板を並べただけの橋を渡る、地面がぐにゃぐにゃと揺れて足元がおぼつかない。こんにゃく島ともいわれている所以だ。 橋を渡るとおから村と呼ばれている地虫の熊五郎が支配する無法地帯があった。 でくに案内されてその危なっかしい板の橋を渡ると、異様な臭い、生臭い腐臭が体の中に染み込んでくるような気持ち悪さで、お菊はごぼっごぼっとむせ返った。「おっ、お菊さん、だ、だから言わなこっちゃねえ、でっ、でいじょうぶかえ」「んっ、大丈夫、なんだこんな臭いぐらい、」 お菊は強がりを言って着物の裾で鼻をつまんでおから村の中へ足を進めた。 掘立小屋が互いに支えあってやっと建っていて、いつ崩れてもおかしくはないあばら屋の狭間を歩く。 日焼けなのか、酒焼けなのか、どの顔も浅黒く、裸同然の男たちがにやにやしながらお菊の躰をぎらぎらした卑猥な視線で嘗め回した。 鼻や耳がそぎ落とされた男、片腕、片足の男、二の腕に二本線の入れ墨をした男、どうみてもまともな男たちとはほど遠い存在の人間たちだった。 掘っ建て小屋の陰に女の姿も見えたが、汚れた継ぎはぎの着物を着て、それでも首だけは白く塗っていた。まるで夜鷹の化け物に近かった。 はじめは異様な別世界に集まったように見えた男たちだったが、慣れてくると、みな、やけに明るい表情をしていた。 にやにや、けたけた笑っていて、悩みなんぞとは無用の世界であるようだ。「ねえちゃん、いいケツしてるねえ、たまらねえな」「二十文でどうだい、一発やらせろや」」 おへちゃもでぶもなかった。お菊を女とみて発情してる男たちがいた お菊は産まれて初めて色欲の対象として舐めるような視線を感じて体がうずいた。 ~私も女なんだわ~自分の中でもじもじしている感情がお菊は嬉しかった。 卑猥で、がやがや、あけっぴろげで、脂ぎった男の間をぬけて、でくの後について、地虫の熊五郎親分のいる掘立小屋へ案内された。 小屋の中はむっとする澱んだ空気に包まれていた。毛むくじゃらの大男がギロッと、お菊を睨み付けた つづく 朽木一空
2019年10月19日
コメント(0)
江戸珍臭奇談19 貸し便お菊 9 でくちゃん、はい、金平糖 だが、桜の花は命短し、十日も過ぎれば桜の花は散ってしまい、桜の葉の出番になる頃には、喧騒が嘘のように向島の土手は閑散として、貸し便屋も終いである。 「への字、また、貸し便屋をやりたいねえ」 「お菊さん、あちこち人が集まるところはあるんですがねえ」 花のお江戸ではしょっちゅうお祭りごとがある、浅草三社祭り、神田祭り、あちこちの八幡宮にお稲荷様のお祭り、それに相撲に花火、どこかで祭りごとがないことのほうが少ない。人が集まることが大好きなのが江戸っ子である。 なんとか、移動する厠で一年中商売ができないものか。だが、貸し便屋をするには糞の始末が問題だ、川がなくては糞が垂れ流せない。 狭くて流れの弱い堀では糞尿が貯まって、いざこざのもとになりかねない。 江戸では「水は三尺流れて清し」と云われ、すぐ川下では、米を洗い、野菜を洗い、顔を洗うのだった。お菊はなんとか上手い方法がないものかと思案していた。 お菊が長屋でへの字に爪を切らせていると、ぷーんと、糞甕(くそかめ)を掻き回す臭いが漂ってきた。 「おや、きょうは汲み取りの日だったね、への字、障子を閉めな」 きょうは、十日に一度、宗兵衛長屋の糞汲に、下掃除人の『でく』が来る日だった。長屋の連中は、「さっさとたのむぜ、でくのぼう、鼻が曲がりそうだ、」 などど悪態をついて、長屋から一時避難するか、油障子をぴたっと閉めて臭いを遮断して、我慢の時間を過ごす。「そうだ、!!」 お菊の頭がひらめいた。 でくが大家の宗兵衛に挨拶をして、肥桶を担いで、よっこらしょっと、長屋の木戸を潜ったところで、お菊はしみじみと肥桶の中を眺めて、「ちょいと、でくさん、話があるんだけどさあ」 といって、懐から金平糖を一掴み出してでくの手のひらに乗せた。「こっこっ、こんぺいとう、おっ、おらあ、食べたことねえんだ、きっ、きっれいで、たっ、食べるのもっもっもったいねえ」「いいからお食べ、でくさん、ちょいと聞くがね、その肥桶いっぱいで糞代はいくらになるんだい」 「いっ、一年分、まっ、まとめて、おっ、親分から、あっ、預かってくるから、よっよくわからねえが、にっ、二十文くらいには、なっ、なるんじゃなええかな」 「でくちゃん、その親分のところへ私をつれてっておくれ、ほら、金平糖」 「でっ、でも、親分のいるところは怖いところだよ、おっ、おから村とと呼ばれていて、そっ、外からは誰もこないところだよ」 「おから村ね、大丈夫、ねっ、連れてって、でくちゃん、はい金平糖、」 お菊はまた金平糖をでくの掌の上に乗せた。 甘い匂いがして、でくは思わず、こっくりと頷いたのであった。つづく 朽木一空
2019年10月17日
コメント(0)
江戸珍臭奇談18 貸し便お菊 8 尻の穴から御馳走が降ってきたぞぅ、、、 「への字、いつまでくしゃくしゃ食べてるんだい、早くしないと、おまんま口の中で糞になっちまうよ、早飯早糞芸の内ってんだい、さっさとおしな、天気がいいや、今日も忙しいよ!」 お菊のお姫様言葉も、長屋に住んで二月もたつと、すっかりお江戸のべらんめえ調が板についてきていた。 暗く閉じこもった娘時代、駿河屋甚衛門との夫婦生活で、すっかり明るさを無くしていたが、もともと、お菊はちゃきちゃき、さばさばしたおてんば娘だった。長屋暮らしが、お菊にあの明るいおてんば娘を目覚めさせたともいえた。 「へいっ、糞にならねえうちに食べますでぃ」 平次ことへの字は蜆の味噌汁と飯を交互に腹に流し込んでいた。 貸し便屋を始めてから、平次はお菊の手下となって働いていた。なにしろお菊は財布の中身の心配がないので、気前が良かった。 昼飯は大抵、蕎麦かうどん、たまに鰻、休憩に団子、夕飯は料理屋で、酒も一合ついてきた。への字に文句はなかった。 お菊もいつもにこにこして働くへの字が気に入っていた。 世話を焼いてもらっているお礼のつもりもあったのだろうが、長屋に帰るときには饅頭や煎餅、団子や飴などの土産を買ってきて、長屋のおかみさんに配ったので、長屋でのお菊の評判も上々だった。 弥生、雛祭りを終えると、桜の花見の本番である。向島の隅田川堤の桜も満開で、花見客でごった返していた。 八代将軍徳川吉宗公が~質素倹約ばかりじゃ庶民もつまらぬだろう、何か楽しみもなくちゃ面白くねえ~ということで、墨田堤に、飛鳥山、御殿山に桜を植えたのがお花見の始まりで、今では桜も大きくなり、江戸庶民はこぞって花見に出かけるのを楽しみにしていた。だがねえ、花見客が墨田川の土手を踏んで固めてくるのが吉宗公の本当の狙いだったとはたまげたねえ。さすが、八代将軍の暴れん坊将軍様だねえ、 蕾が膨らんで、花が咲き、すぐに散ってしまうのが桜、またその華やかさと空しさ、潔さよさが江戸っ子の心を掴んでいた。 パッと咲いてパッと散る、人間もこういう生き様じゃなきゃ粋とはいえねええなと、八十を過ぎた老人が後悔してる。 天気も小春日和、隅田川の土手には、ぞろぞろぞろぞろ、花見客がやってきた。ところが、普段は土手には葦や萱が茂っており、その中にしゃがんで、誰憚ることなく、用を足せるのだが、花見となれば、押すな押すなの人込みで立小便でも気が引けるのに、着飾った娘や、おつにすました娘子が大便をもよおしたら、それは地獄なのである。脂汗を流して、もじもじ股を擦りあわせて、えいっ、それでも我慢の限界、恥も外聞もない、出物腫物所嫌わずだが、群衆の中では尻は捲れない。葦の原に駆け込んで、着物を捲り、ぶりっと、人目も草もいとわずに野糞たれの女の野雪隠。 「やいやい、今年の花見はお土産つきよ、粋な姉ちゃんのうんこたれ!!」 悪餓鬼や、破落戸どころか、誰でも女子のうんち姿は覗いてみたいのである。 どこぞの大名の奥方ならば、おつきの人が周りをぐるっと囲んで、隠すが、それでも、ぷーんといい匂いは隠せない。 そこで、頻便のお菊が考えた商売が貸し雪隠である。 両国橋から、水戸様の下屋敷を過ぎれば向島、隅田川の土手には葦簀掛けの茶屋に見世物小屋が所狭しとずらりと並んで、客引きをしていた。 てんぷら蕎麦、醤油の匂いが香ばしい焼き団子、江戸鮨、鰻の蒲焼、変わり飴玉、金平糖、食べ物だけじゃない、楊枝に箸売り、盆栽、、藁細工、かざ車、風鈴、などの物売りもここが商売だとばかりに軒を連ねる。 それに見世物小屋、人魚姫、猫女、ちょいとした空き地ではへびつかいに猿回し、居合抜きに蝦蟇の油売り、両国の広小路が引っ越してきたような賑わいだ。わっしょいわっしょいの商売繁盛である。 桜堤の真ん中あたりに、大きな幟が二本風に揺れている。『貸し雪隠、お菊の間、一回六文』と書かれている。 着飾った女がおつにすまして列を作って、行列は途切れることがない。次々と女が並ぶ。そこだけが、桜の花に負けないくらい艶やかな空気が漂っていた。 花見の客がそこで渋滞する。押すな押すなの大盛況である。 隅田川に杭を打ち込んだ葦簀張りの貸し雪隠の小屋が三つ並んでいた。 厠の下が大川なので、大便小便は垂れ流し、ぽちゃんとやれば、雪隠の下には鯉や鮒、泥鰌までが集まって、ぱくっぱくと口を開けて、女の尻穴を覗いていた。『貸し雪隠、お菊の間』は大当たりだったのである。 つづく 朽木一空
2019年10月15日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 17 貸し便お菊 7 悲しき頻 便 明るい明日 裏長屋の生活はさっぱりしていて、くよくよしない、明日は明日の風が吹くんだよと、お気楽そのもであった。 宵越しの銭は持たねえ、銭を持つから厄介なことが増える、物が増えれば不安が増える、子供が産まれりゃ、心配事が増える、とか、いいながら、どこの家にも子供だけはごろごろしていた。 火事と喧嘩が江戸の華では、家財道具は最小限、物を持たないほうがいいらしい、もっとも六畳一間の長屋では、ものを置く場所もない。釜と茶碗と蒲団があればいいのだ。 どっちみちいつかはあの世へいく、その日暮らしで、身軽に暮らすのが、面白おかしく生きるコツというもんらしい。 断捨離なんざぁ、あたりきしゃりきのこんこんちきよ。 貧乏なのに、不安のかけらも見せない。金は天下の廻りものとでも思っているのか気にも留めていない。 それに、超のつく世話焼きで、困ったときはお互い様、遠慮はいらねえよ、長屋のみんなが家族のような付き合いだった。そうしなければ、貧乏所帯が寄り添って生きてはいけないのかもしれない。 駿河屋甚右衛門のように何でもかんでも算盤勘定で物事を決めるのは江戸っ子の恥とでも言わんばかり、~てっやんでえ、江戸っ子の 生れそこない 金を溜め~ と、金持ちが悪いことのように言い放し、世間の評判や上役のご機嫌ばかりをうかがって地位に齧りつき、体裁ばかりを気にして、食いたいものも我慢して、~武士は食わねど高楊枝~ と威張る武士とは真逆で、食いたいものは女房質に入れても食べるという、威勢のいい、はちゃめちゃぶりが江戸っ子の粋というものだった。 お菊には、そんな江戸っ子の気風が清々しく感じられた。なんだが、こっちの世界でもやっていけそうな気がしていた。 それに、裏長屋の女たちは誰も化粧っけなどなく、すっぴんで、お世辞にも美人とよべるような女は少なかった。 みな、へちゃむくりんのおへちゃであったが、そんなことを気にかけている女はいなかった。 おかちめんこでも、へちゃむくりんでもちゃんと所帯を持ち、亭主の尻を叩き、子供を産んで、~くよくよしてる暇なんぞありゃあしねえよ~、わいわい楽しく忙しそうに生きていた。 お菊はもう、自分がでぶでおへちゃであることなど気にも留めなくなっていた。「あれは、美人と比べるからいけないいんだわ、比べるから苦しむんだわ、」 お菊は、今までの着物を脱ぎ棄て、古着屋で買った洗いざらしの垢染みた木綿の古着を着て、への字に案内させて、深川八幡宮、州崎弁天、回向院、両国橋界隈を毎日のように歩いた。 お菊には本所深川で見る物珍しく、異国のように魅力的に満ちた町に思えた。 江戸の庶民はせせっかしい、蕎麦はするするっとすすり、道を歩くのにも、 ~とっとっと、ごめんなさいよ!~~ちょいと、あぶねえよ!~と、忙しそうに動いていた。お菊もへの字についてそろそろと歩くお嬢様歩きではついてはいけない。 小さいころのおてんば娘が蘇ったように、たったったっと、江戸っ子並の早歩きになってきた。 おかげで、ひと月もすると、ぶよぶよしていた尻も足も豚の足から鹿の足のように締まり、体重も減り、身軽に動けるようになってきていた。「お菊姉さん、この頃躰がぐっと締まって、色気がでてきやしたぜい、」「なにをいいやがるへの字、おだてたって、出るのは屁ぐらいだよ!、」 心の中の汚れたものが落ちていくような快感さえ感じ、重たかった心が随分軽くなってきていた。 だが、お菊の最大の悩みはあの悲しき頻便であった。原っぱなら、への字に見張らせて、落ち着かないが出すこともできたが、 町中では、我慢をして、脂汗をかきながら、商家の厠を借りる、食べたくもない団子を頼み、厠を借りる、肩身の狭い思いをしなければならなかった。 そこで、ふと、お菊は思いついた、この悩みは私ひとりじゃないはずだ、これは人助けにもなることだ。 よし、「貸し雪隠」をつくろう、貸し便屋をやろう。人混みの中で、気楽に大便が出せたら、こんない気持ちのいいことはない。 江戸の頻便の皆様の神様仏様になろう。 ここからが私の出発だ。お菊の眼には見たこともないような明るさが輝いていた。 つづく 朽木一空
2019年10月13日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 16 貸し便お菊 16 おせっかい裏長屋も悪くないかも、、 行く当てもなく、尋ねる人もいない、今夜寝るところもない、今いる場所も地理もよくわからない、お菊の胸に不安が膨らんできた。 お菊はこの下掃除人の『でく』という男が、厠の臭いがするが、人を騙くらかすような悪い男には思えなかった。今夜、寝るところもなかったお菊は思い切って、でくに今日のねぐらを頼むことにした。 「あっ、あるよ、はっ、橋から見える、きっ、きょう掃除してきた、あっ、あそこの長屋なら空いてる部屋があったよ、」 さっき眺めた、狭くてごちゃごちゃして、屋根に石の積んである今にも崩れそうな長屋のことらしい。 どうせ、今までの自分を捨てる覚悟をしていたんだ。この際、落ちるところまで落ちてみようと半ばやけくそになって、でくに連れられて、橋を渡り、また、小さな堀を渡った場所に宗兵衛長屋はあった。 でくはよく見知った場所なのだろう、挨拶しながら長屋の門を通り過ぎ、大家の宗兵衛がいる自身番屋の戸をあけた。「なんだ、でく、こんな時間にどうしたい、厠の掃除はもうとっくに終わったんじゃねえのかい、」 自身番屋には大家の宗兵衛が茶を飲み、囲碁狂いの見廻り同心真壁平四朗と、手習い師匠の柳井文吾が囲碁を指していた。「こ、このひと、お、お菊さんというんだが、き、き、きょう、寝るところが、な、ないんだ、」 でくの後ろに立っている太った女、お菊は神妙な顔つきでお辞儀をした。「訳ありのようだな、今日寝るところもないんじゃしょうがねえ、大工の弥助一家が引っ越していった部屋が空いてるだろう、そこでよかったら、当分の間そこで寝ればいいや、家賃は前金で550文、ほんとは600文だが、厠の横で臭うので50文おまけだ。」 頻便のお菊にとって厠の隣は好都合であった。 お菊は懐から一両小判を出した。「なにもわかりません、よろしくおひきたてのほどお願いします、」「うへええ、こんな銭久しく見たこともねえ、おめえさんお武家さんのお内儀かい?」 一両小判を見て、そこにいた、みんながあっけにとられていた。見廻り同心真壁平四朗と、手習い師匠の柳井文吾が顔を見合わせた。 本所見廻り同心真壁平四朗は仕事柄、小判を出した女が気にはなったが、縋るようなお菊の目に怪しい雰囲気も、危険な臭いはないと判断した。同心の勘である。「まあ、宗兵衛、何か訳もあるんだろうが、ここは詮索せずに、その銭を預かって、おめえが請け人になって、いろいろ面倒見てやりな、でくもご苦労だったな。」「わかりやした、ちょうどいいや、おいっ、への字、仕事もしねえでぶらぶらしてんだ、当分おめえが面倒見ろ、押しつぶされねえように気をつけな、」「へいっ、合点承知の助でござんす、心配しねえでおまかせくだせえ、姉さん、」 への字と呼ばれた男は平次という名だが、仕事もせずにぶらぶらしていて、店賃も払えず大家の宗兵衛や長屋の連中に面倒をみてもらっている怠け者である。だが、いつもにこにこしていて、喧嘩もしたことのないお人好しなのである。お人好し過ぎて世間と折り合いがつけなったのかもしれない。 大家の宗兵衛はお菊が太った女だったので、これなら、厠にもたんまりと糞がたまりそうだと、にんまり笑った。 住めば都とはいうけれど、お菊の今までの生活とは、雲泥の差があった。 隙間風は抜ける、雨漏りはする、隣の声は筒抜け、厠の臭いはする、それに何より六畳一間きりのの狭さ、こんな狭いところで本当に生きていけるのだろうか。 長屋の最初の夜は、うとうとしては目が覚めての繰り返しで不安な朝を迎えた。 どうしたらいいのか戸惑っていると、への字が早速やってきた。「ああ、お菊さん、朝飯だ、向かいのお勝さんが作ってくれたよ、お勝さんは、飯炊き名人だ、うまいよぉ、」 隣には裁縫をしてるお絹、向かいは船頭の女房のお勝、斜め前にはは大工の女房のおまん、金魚売りの茂平の女房のおきち、鍋・釜を修理する鋳掛屋(いかけや)の女房おたよ、長屋のかみさん連中は珍しさもあったのか、入れ代わり立ち代わりやってきては親切なのかおせっかいなのか区別のつかない世話を焼いた。 嬉しいような、面倒なような、戸惑っていたお菊だが、それがなかったら、お菊は長屋生活はできなかったのだ。 感謝してますよね、お菊さん、長屋のかみさん、ありがとう。 つづく 朽木一空
2019年10月11日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 15 貸し便お菊 5 くよくよしてる暇なんぞあらやぁしねえよ、 お菊の堪忍袋の緒が切れたのはいうまでもない。 手鏡を叩き付け、台所のふかし芋を三本食べ、箪笥から、持参金として持ってきた三十両を懐に入れて、駿河屋の店を飛び出した。 何処ぞといくあてもなかったのだが、何かを振り切るように江戸城を背にして歩いた。日本橋の町屋を抜け、八丁堀の同心屋敷を過ぎ、とにかく歩いた。 大川に架かる大きな橋があり、人々が忙しそうに行きかっていた。永代橋であった。お菊は大川の向こう側には、まだ足を踏み入れたことがなかった。 ~渡ろう!渡ってしまおう!渡るんだ!~ 自分に言い聞かせた。渡れば何かが吹っ切れるそんな思いがした。 永代橋の一番高いところで躊躇いが足を止めた。橋の上からは江戸の町並みが見渡せた。江戸城の北側が旗本屋敷だろうか、そこに父上母上がいて、私のことを心配しているのだろうか。里心がおきた、が、もう、帰らない、私は、帰れない。 そして、今までの自分と別れを告げるように、早足で橋を渡った。そこが深川という場所で、江戸の内ではあったが、お菊には今まで暮らした江戸とは別の世界のように見えた。 これからどうしようという当てもなく、日が暮れて、西方から空が鼠色に暗く塗られてきたが、なぜか不安な気持ちにはならず、心は晴れ晴れとしてもいた。みんな捨てて、新しい自分になるんだという、希望のようなものが心を包んでいた。 あんなところに人が住んでいるのだろうかと思えるようなごみごみとして、屋根に石を乗せた長屋が橋の下に見えた。ここが深川というところなのか。お菊が産まれ育った駿河台あたりは、武家屋敷と寺と坂道で人影もまばら、まして盛り場の騒音も聞こえなかった。 大川には帆を上げて、船が行きかっていたし、海と川がぶつかるあたりには廻船が碇をおろし、小舟が忙しそうに行きかっていた。褌一丁で、ほっかぶり、褐色に日焼けして、筋肉隆々のたくましい男の裸の姿も初めて見る光景だった。 こんな逞しい男は今まで見たことはなかった。私は籠の鳥だったんだわ。 橋の下の船着き場にお穢船が係留されていて、そこへ、糞尿の入った肥桶が積み込まれていた。 「まあ、あのうんちはどこへ運ばれるんでしょう」 じっと、肥桶が船に積み込まれるのを見ていた。それがいけなかった。連鎖反応だろうか、頻便のお菊は急にもようしてきた。 「あらっ、こんなときに、どうしましょう」 だが。お菊の心配を無視するかのように、糞は胃から腸へどんどん下って肛門を開けようとしていた。こうなったらしかたがない、お菊は橋の下の葦の河原にしゃがみ込み、着物を捲って「ぶっー」と放ってから尻を下げた。 「痛い!!!」折れた葦の茎が尻に刺さった。出すものを出すと、その痛みに、もんどりうって転がった。しばらくそのまま動けない。 しばらく唸っていると、葦の茂みを分けて、にゅきっと目玉がふたつ現れた。 「どっ、どうした、だっ、だいじょうぶか」と、声をかけてきた。 慌てて、着物の裾を直して、声のほうに目をやると、ぼそっーとして、半纏を広げて、越中褌をつけた若い男が立っていた。 「そなた、私の大事なものを見たね、そなたは誰だ、名を名乗れ、うむっ、そなた臭うな、厠の臭いがするぞ、」 「おっ、おら、でくというんだ、下肥を運んでいるだ、いっ、痛がってる声がするから、心配して声をかけただけだよ、の、覗いたって面白くはねえから覗きやしないよ、」 ぼそっと、立ちすくんで、ぼんくらな顔をしていたが、悪そうな男には見えなかった。 お菊は一安心した。この男ならこの辺りの町には詳しいだろと思った。 つづく 朽木一空
2019年10月09日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 14 貸し便お菊 4 三行半(みくだりはん)頂けますか、 お菊を北側の暗い部屋に閉じ込めておいて、駿河屋甚右衛門は、寄合だ、商談だ、打ち合わせだと、口実をつけては、店を開け、外泊することもしばしばだった。 亭主の甚右衛門は深川佐賀町に囲った若い妾に夢中になっていたのだった。 若いときには働いて働いて、女遊びも我慢して、ようやく日本橋の大店の主になった苦労人にはよくあることだ。若いときに遊べなかった青春を取り戻そうとして女遊びに走る。別段、それほど珍しいことでもなく、大店の旦那衆は妾を持っているのが男の甲斐性とでも思っていたのか、ごく普通のことだった。 お菊は腹もたったが、あくまでも自分が本妻なのである。子が授かれば、そんなことは子供可愛さでふっとんでしまうとたかをくくっていた。 ところが、毎日が十日置き、一月置き、三月置き、ついにはこの頃では甚右衛門とお菊が床を同じくすることもなくなり、これでは子が授かることなど不可能である。 甚右衛門とお菊はまぐあうあことのない、仮面夫婦になっていたのだ。 お菊はなすこともなく、終日部屋に閉じこもり、大好きな芋や、かりんとう、金平糖を齧(かじ)っては、うつろな毎日を暮らしていた。 そして、いつもの悲しき頻便がやってきた、お菊は糞がここぼれぬように、尻を押さえて雪隠へ行こうと、慌てて廊下を歩いていると、思わず「ぷっー」と、屁が漏れてしまった。 「誰じゃ、雷さんでもあるまいし、落し物の正体は!うっふっふ、お鈴かえ」 甚右衛門の声が障子の向こうから聞こえてきた。 「あたしじゃありませんよ、ほっほっほっ、まあ、臭うこと、、、」 続いて若い女の声がした。甚右衛門の部屋から、甚右衛門と若い女の声が聞こえてきたのだ。こりゃあ一大事だ! お菊は尻を押さえて、じっと障子に耳をあてた。 あろうことか、甚右衛門は自分の部屋に妾の女を入れて乳繰り合っていたのだ。 「家の奥で、豚を飼っている。その豚がよく肥えておる、」 「あらっ、まあ、奥方でいらっしゃるのに、」 「なに、そのうちに追い出すさ、役にも立たぬ豚はすこぶるぜいたく品だ、」 お菊は思わず障子に手をかけ、荒々しく開けた。甚右衛門と妾のお鈴はびっくり顔でその場を繕う。お菊は赤く充血した眼で甚右衛門と妾のお鈴を睨みつけた。 「何を見ている、ここにいるのは深川の三味線の師匠のお鈴さんというひとだ。きれいな人じゃろう。それに比べて、お菊、お前の顔、手鏡でよくみてごらん、ひどいものだよ、それでも貰ってやったご主人様を敬ってほしいね、わたしもね、男だからねえ、きれいな女の人の顔が見たいんだよ、」 甚右衛門はしゃあしゃあとして、その場を繕うこともしない。 お鈴は確かに色気満々の優雅な顔立ちで、気品の高さも滲ませ、修羅場でも涼しい顔をしていた。並みの女ではない雰囲気を醸し出していた。 お菊はお鈴と張り合うのは諦めた。男はみんなきれいなものが好きなのだ。これから先、駿河屋甚右衛門の家で我慢して暮らしても、惨めな思いをするだけだと思った。 「わたしがおへちゃで申し訳ございませんでした。もう、我慢がなりません、旦那様、三行半(離縁状)を書いていただけますか、」 「おお、お菊も物分かりのいい女だ、いつかそういう日が来ると思って、とっくに書いてあるよ、」 待ってましたというばかり、甚右衛門は箪笥の引き出しから三行半(みくだりはん)の書かれた半紙をお菊に手渡した。 「そのほう事、この度離縁いたし候、しかる上は向後何方へ縁付き候とも差構えこれ無く候、どうぞご自由に!!」 お菊はその三下り半を懐に仕舞いながら、唇の端に笑みを浮かべた。 今に見ておれ、甚右衛門、、 つづく 朽木一空
2019年10月07日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚13 貸し便お菊 3 覚悟しろ、ちん斬りのお吉でぃ、 お菊が駿河屋甚右衛門のところへ嫁いで一年もしないうちに、どえらいことがおきてしまったのだ。 お菊の弟の直次郎が深川の芸者のお吉に男の股間を斬られるという前代未聞の不祥事を起こしてまったのだ。痛いなんてものではなかった。そらあそうだけど、、 瓦版屋は~チン斬りのお吉でぃ~と、ばかりにこの事件に飛びついいて、 ~深川芸者のお吉が鬼瓦組の旗本の腐った股間を切り捨てた!~ と、面白おかしく書きたてたものだから、江戸中の者が知ることになり、当然のことながら、江戸城内でも噂にのぼり、旗本梶井家は大いに笑われた。 梶井家の次男の直次郎は長男の覚之助より、頭も切れ、剣術も優れ、何より色男であったのだが、悲しいかな旗本の次男坊に産まれたのが運の尽き。家督を継げるわけでもなく、明日への道筋が見えぬまま、悶々とした生活を過ごすうちに、お決まりのように愚れて、旗本の次男三男が群れる鬼瓦組という狼藉者の仲間に入り、町を徘徊しては悪さをしていたのだ。どうしてお吉という女と揉めて、股間を斬られたのかは定かではないが、その話は尾鰭をつけて江戸中を駆け巡った。 梶井直次郎はいたたまれなくなって出奔し、無宿者になってどこへ姿をくらましたのか、生き方知れずのままだし、父の梶井文左衛門はそれを苦にしたのか、脳卒中で倒れ、体が不自由な、よいよいになってしまった。 家督は兄の梶井覚之助に引き継げたものの、賄い方の番頭のお役目からは外され、小普請組に入れられた。無役同然の身であった。 駿河屋のお茶を江戸城御用達にして貰うのが、お菊と所帯をもった目的だった駿河屋甚右衛門は、目算外れになった途端、お菊にさらに冷たくあたり、じめじめした北側の部屋をお菊にあてがい、下女と一緒に朝から晩まで、お茶の選別をやらされた。 おかみさんどころではない、ただの下働きの女中同然の扱いだった。 みじめな奥方様、じっと耐えるだけの生活がお菊には続いていた。 つづく 朽木一空
2019年10月05日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 12 貸し便お菊 2 駿河のお茶の皮算用 だが、天はお菊を見捨てはしなかった。二十歳を過ぎ年増にかかり、いよいよ売れ残りという時に、父の用心である吾助の計らいで、日本橋の茶問屋の駿河屋甚右衛門から、ぜひお菊を貰いたいとの話があったのだ。 駿河屋は甚右衛門が駿河の国から出てきて、丁稚の修行から番頭にまで上り詰め、暖簾分けして店を持った苦労人であった。 商売一筋で、商いの才覚にも長けた努力家で、店も、裏店から、今や日本橋の大通りにでんと店を構えてていた。 甚右衛門の前妻のお里は寝る間もなく働きずくめのまま、流行病で死んで、甚右衛門は独り身だった。 甚右衛門は背は低く、もっこりとした体躯で、髪の毛も薄く、けっして伊達男の部類の人間ではなく、見栄えの悪い五十男だったが、なにしろ蔵にはたっぷりと銭を貯め込んだ資産家である、梶井家では結納金も期待できた。お菊の父母は、娘が売れ残っては困る、渡りに船とばかりに、お菊にこの縁談を強引に進めた。 もう何十回も断られ続けているお菊の縁談である。不承不承ながら、お菊は駿河屋甚右衛門に人生を賭けてみることにした。この縁談を断れば、貝に蓋をしたまま、一生女として日の目を見ることがない気がしたのである。 駿河屋甚右衛門は実直そうな仮面の裏で抜け目なく算盤をはじく、駿河の国の商売人である。お菊と所帯を持ったのも、計算づくの上の駆け引きだった。 お旗本の姫君を内儀にしたとなれば駿河屋の店に箔がつき、身分上でも格が上がるというものである。 それに、今江戸は、老中水野様の天保の改革で、贅沢を廃し、質素倹約を進めよという号令が幕府全体にかかっている時期である。 お菊の父は一千石の直参旗本梶井文左衛門である。賄い方の番頭というお役目についていた。 ~質素倹約には、安くてうまい駿河屋のお茶こそがご時世にふさわしい、御改革に沿ったお茶でありまする、大奥の茶まで駿河茶にすれば、年間二百両もの節約になるのでございます~ と、梶井文左衛門に力説し、なんとか、江戸将軍家御用達のお茶にしてもらおうという魂胆があった。いや、魂胆というよりはお菊の嫁入りとの取引に近かった。 そんなお菊の知らぬ裏事情もあったのだが、めでたく、婚儀がおわった。 だが、お菊にとって駿河屋の奥方は幸せな生活とはいえなかった。 亭主の駿河屋甚右衛門は ~すまぬが、我慢してくれ、こうしないと、まらがゆうことをきかぬのだ~ と言って、お菊の顔に手ぬぐいを被せて、まぐあうのだった。 「ああ、店にはでなくていいのだよ、家の奥のことをよく頼む」 お菊はお姫様で育ってきたのだ、店先でぺこぺこ頭を下げ、お客におべんちゃらをいうのはできそうになかった。奥の仕事は丁度いいと思っていた。 だが、甚右衛門がお菊を店に出したくない理由は他にあった。お客は嫁に来た旗本家のお嬢様はどんなにか別嬪だろうかと顔を見たがるが、おへちゃで、でぶのお菊に店で対応され、嗤われて、茶まで不味く思われたら台無しになるからだ。 家の奥の仕事は掃除、洗濯、それにお台所、だが、自慢ではないが、お姫様として育ったお菊にはやったことがないことばかりだった。 ~なんにもできない人だねえ、~ まめに働いた前妻のお里と比べると、月とすっぽん、甚右衛門は武家の子女にほとほと呆れて、奥方としての扱いをしてくれなかった。それでも、お菊は我慢して、そのうちに子でも授かれば甚右衛門の態度も変るだろうと思っていた。 つづく 朽木一空
2019年10月03日
コメント(0)
江戸珍臭奇譚 11 貸し便お菊 1 見栄えが悪けりゃ、女じゃねえってさあ、、 「ああいやだ、もうたくさん、もう無理、私は何も悪いことなんかしていないのに、生まれつきのこの容姿が憎い!!」 お菊は亭主の甚右衛門から貰った鶴の絵柄の入った高価な手鏡を、がしゃんと、庭石に乱暴に叩き付けた。 「もう我慢がならない、なんだい、ちんけなお茶屋のくせに、馬鹿にしやがって、もういい、耐えているだけの人生はもう御免だ、我慢だけの生活はもう限界だ!」 お菊は悲しみと怒りの混ざった涙をぼろぼろこぼしながら、ふかし芋を口に入れてむしゃむしゃと食べ続けた。 お菊は直参旗本千石取りの梶井文左衛門の娘だった。 広いお屋敷の庭で犬を追いかけて駆けずり廻り、樫の木に登る、おてんば娘で、しゃきしゃきして、明るい子だった。 それに比べると、姉の美雪はおしとやかで、きれい好き、一緒に遊んでも、お菊の顔には泥が付き、着物も破き、汚れ放題だったが、姉の美雪は着物にちょっとでも泥が付けば拭き、決して泥で顔や手を汚すようなことはしない上品な娘だった。 「美雪お嬢様はおしとやかで、優雅で、ほんとに別嬪さんだわねえ、それに比べて、お菊お嬢様の方は、まあ、活発で、利発で、明るくて、たくましいこと、」 などどおべんちゃらを言われて、お菊はけらけら笑っていたが、春に目覚める年頃になると、鼻ぺちゃで、でぶで、へちゃむくれのおへちゃそのもであることに気づかされて、微妙に姉と自分に対する他人の目が違うことに気づいていた。 姉の美雪の容姿と見比べる度に、お菊は悲しくなった。姉の美雪が努力したわけでもないのに姉は、白い肌に綺麗な髪、切れ長の涼し気な眼で、鼻筋が通った美人顔だった。どうして、私とこんなに違うのかしら、おまけに、姉の名前には美がつく美雪なのにどうして私の名前は美菊じゃなくて、ただの菊なのかと思ったりもした。 僻みは妬みになり、捻くれ、やがて恨みに変わりお菊の性格も年を経るごとにだんだんと陽の当たらなくなる日陰の谷のように暗くなっていた。 ~娘十八番茶も出花~の頃になると、自分の容姿に男の冷たく嗤う視線が胸に突き刺さり、外を歩くのが苦痛になり、ひがな部屋に閉じこもるようになった。 浮いた話のひとつもなく、むろん恋の味などしるよしもなかったお菊は、男たちに囲まれて、華やかにはしゃぐ姉の美雪に嫉妬し、姉の悲劇を望むようにさえなっていた。 ~美人の面の下には鬼が住む~と言われる通り、姉は我儘で、他人を下に見る冷たい女であったのに、男たちは姉の見栄えだけでちやほやした。 「女子(おなご)は見栄(みばえ)じゃないよ、きれいな心が一番だよ」 「お菊、人間には、もって生まれた器量というものがあるの、それを恨んでも仕方がないじゃないの、人はそれぞれ違うもの、幸せは心の持ちようだわ、あなたはあなたらしくて母上は好きですよ」 母のお房の慰めの言葉も受け入れられなかった。宥めや煽ての言葉が嘘であると感じたお菊は、かえって悲しみを増加させた。 世の中の男は見てくれだけで女の価値を決めている。女は顔じゃねえ、心持よなどと、慰めの嘘っぱちを言う。 女は顔なのだ、姿かたちなのだ、浮世絵だって、茶屋だって、芸者だって花魁だって、遊びも、女房選びも、同じ条件なら必ず容姿のいい女を選ぶのが男だ。いや、女だって同じだ。ぶ男より二枚目、男前にあえば、頬を赤らめ、くらくらしてる。 こんなことを恨んでもしょうがないことはわかっていたが、自分の産まれながらの定めに釈然としない思いだった。 崖っぷちで堪えていたお菊が突き落とされたのは、、眠れぬ夜に、月を見ようと庭で佇んでいた時のことだ。こともあろうに、屋敷の中間部屋から、破落戸まがいの身分の低い足軽や中間たちがお菊のことを 「美雪お嬢様はほんとに綺麗になったけど、お菊様のほうはねえ、ばけべそのあの顔じゃ、かわいそうだが、おいらのまらも立ちそうにもない」 と、酒を飲んで笑いながら話しているのも立ち聞きしてしまった。美雪の膝はガクガクと崩れ落ちた。 やがて、美人の姉の美雪は高い身分の三千石の大身旗本、早乙女家の若様に請われて嫁いだ。美貌所以である。今ではお世継ぎも産まれ、二人の子に囲まれて、麹町のお屋敷で優雅に幸せに暮らしている。 ところが、お菊は何度お見合いをしても、「ご容赦願いたい」と、断られた。父の政治力をもってしても及ばなかった。理由はひとつである。この容姿だ、見栄えが悪かったのである。空しかった。お菊が努力してもどうにもならぬことであった。お菊が世を儚むのも仕方がなかった。 部屋に閉じこもり、手当たり次第に煎餅に饅頭、芋に落花生、金平糖、暇さえあれば、涙を流しながらむしゃむしゃと焼け食いした。 おかげで、体重はゆうに二十貫(75キロ)を超え、立派な大でぶ、立ち上がるのにも、「よいしょ!」と、掛け声をかけるほどだった。 食べすぎのお菊にはもうひとつ悩みが増えた。食べる量は他人の三倍だ、その分出すほうも三倍である。 大概の人は大便は一日一回なのに、お菊は三回はいいほうで、五回六回という日もあった。頻便になってしまった、それも、時間がまだらなのである。外に出かけない理由の一つにはこの「悲しき頻便」もあったのである。 つづく 朽木一空
2019年10月01日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1