うきよの月 0
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えー。昨日のアレはペリーヌについてなのか結局手作業しまくってしまったのか焦点がぶれました。ので、ちょっとペリーヌについて語ろうかとw原作は「アン・ファミーユ」もしくは「家なき娘」。家なき娘 上家なき娘 下ワタシはアニメが先で原作があとだったんですがね。ちなみに時代が近い感覚で単語を読みたい場合は岩波文庫のほうを見るべし。アマゾンで取り扱い。微妙に違うから。原作と違い。・母親との旅の場面。これが完全オリジナル。もともとはパリへやってくるとこから始まるんだよな。だから彼女達はそもそも父親と一緒でも写真屋は大した金にならなかったとしてる。それ以前に、誰かに父親が金を盗まれて、仕方なく写真屋をしながら旅をすることにしたということに。・犬のバロン無論原作には居ないどす。ただこの話、かなりの期間ペリーヌは一人で行動するんだよな。その時思ったことを言葉にするのに、相手が無いとアニメでは辛い。だから内心を言葉にするのにバロンがいると「独り言」にしなくて済むんだよな。あと、道端で倒れたペリーヌを見つけるときに、さすがに偶然で見つからないだろ、と思う原作の補完ができてる。・ファブリさん原作ではむしろベンディットさんの方が出てる。だけど画面的に彼という若い大人の理解者が居ることでバランスがとれてるんだよな。・ロザリー一家彼女が食堂の娘という設定と弟が居るというのはもともと無し。フランソワーズおばあさんの孫というのはあり。ちなみにロザリーは小指切断してるぞ……原作ではフランソワーズが下宿を持ってるということになってるんだけど。正直アニメのほうがこの一家に好感が持てるんだよな。だって「その下宿」の状態が酷いわけだから。弟はペリーヌの小島での行動が無言で済まないこととバロンの遊び相手として機能してる。・テオドールと、もう一人社長の甥がいる。どっちもどっち状態だったからより面倒。・屋敷の中の使用人オリジナルwでも皆いい人でよかったよかった。正直、原作より皆大概親切なんだよな。ペリーヌ自身は、原作のほうが無邪気さが少ないですなw13歳?としては大人びていすぎ。内省的。アニメの彼女が他の名作劇場のヒロインより今見て好きなのは、・落ち着いている・だけど時々無邪気・一人で考えて行動する・頭がいい・言葉とか動作が嫌味でなく品がいい・表情がシンプルに見えて繊細・声のトーンかなあ。まあこの「いいとこの出身なんだけど旅で色々経験している」というのは強い。セーラのように視線が無意識に誰かをどっか見下してる感は無い。少なくとも見せない。食事の動作が綺麗、というのが、ロザリーの比較で出てくるんだけど、ロザリーがそれに無邪気に褒めるあたりがいい。ロザリーがまた、ずっと態度が変わらないのがいい。お嬢様になってもこのきょうだいはお友達なんだよな。そういうの好き。目が小さく描かれてるんだけど、眉毛の動きと口ですげえ微妙な表情になるんだよな。言葉は70年代の女性の丁寧な言葉、だから「……ですわ」、というのが今の人からするとアレかもしれないけど。それとたぶん同じくらいの歳の他の名作劇場のキャラより大人びた頭身なんだよな。だから下着を作ったりするシーンにちょっとしたエロティシズムもあるぜ、と。正体を隠して社長のとこに居るときは、何かと複雑な思いが表情に出る。もしくは薄い顔だから、こっちに想像の余地を残させるとか。まあただし、服が最終回まで変わらないというのはwだけど。原作通りに、社長の姉さんのための宴の服を注意されるんだけど、その後別の服を買うという話はないんだよな。まあそこは「同じ服を沢山もってる」という脳内補完しよう。そーすると、最終回で別の服が出てきたのが「お嬢様だから」というのになると。その逆のおめめきらきらな「少公女セーラ」の完結版。これも見たのでついでにw[DVD] 世界名作劇場・完結版 小公女セーラどう編集されてるかなあ、と思ったんだけど、……ラビニア、「靴を履かせる」なんてやってたのか……それと、オリキャラ作ったことで、セーラが自活しようとしたあたりってのもあったのね。だがしかし、正直「憔悴したミンチン先生にアメリア先生がとうとうキレる」部分が無かったのは残念。……ただ小公女はな。原作自体で、セーラが嫌な性格の奴でしかないし、ベッキーが延々「お嬢様」として扱うってのは、確かにあの階級の大人達としては腹立つだろーなーと思うのよ。バーネットは小公子で「屈託のない愛されて育ったいい子」描いて、これはこれでいいんだよな。「秘密の花園」は皆どっか欠けた三人が友情育んでるし、子供は子供、と扱うスーザン・ソワビーの存在が大きかった。んだけど、小公女の場合、もう当初からミンチン先生とか「こういう大人」と見切ってるんだよな。だとしたらまあ、オールドミス姉妹で根性で学院経営してきた苦労人でゆがんでしまった女性としては、そういう視線に敏感だろ、と思ってしまうんだよなー。で、セーラはセーラで、相手に合わせた「堕ちた子供」の姿は絶対にしようとしないからなあ。それと、アニメだとお隣の金持ちと正体を見せ合ったのち、ミンチン先生が乗り込んできたとこで、ミンチン先生がただへたりこむんだよな。だけど原作では、「そこで」セーラは「親切だったことがあったか」みたいなことを言うんだよ。で捨て台詞。で、ベッキーを引き取って、学校には戻らない。その後アメリア先生がついらに堪忍の尾が切れて爆発。嫌な子供だなあ~としみじみ思うわけですよwwwwwあとこの二つの作品を比べると、たぶんペリーヌは自然や風景と音楽だけで結構尺稼げるんだよな。よく見ると、この屋敷や工場はちゃんとモデルになってる場所そのものなんだわ。(原作あとがきに写真があった)ちゃんと取材してる。で、ハイジとか、この時代のがそうだったように、ともかく美術が美しい。だから何度見ても飽きないんだよな。で、この背景を動かすだけで動画が省略できる。コストダウン。上手いなーと思ったざんす。ハイジはまあ、使いまわしの部分も多かったけど。やぎと遊ぶとか……あとびっくりしたのが、絵コンテにトミノ参加してるんだよな……もしかしてハラハラ感があったのはそのせいもあるのか?
2018.02.07
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……いや驚いたわけですよ。あの一年やったものを90分にまとめるという作業をやったということに。んでまあ、世界名作劇場並べてみると。Wiki参照で。「見たことがあるか」「印象」「手元に置きたいか」どろろと百鬼丸/見てない。2歳だもの。さほど興味ないので×。ムーミン/こっちのムーミンは確か目が死んでて絵面が怖かった記憶が。3歳というより再放送の記憶かな。怖い印象だったので×。アンデルセン物語/これは中身ではなく、キャンディとズッコを覚えているかどうかだ。歌は両方覚えている。んで、内容は覚えていない。つまりどーでもいい。ムーミン(新)/こっちは目がでかいムーミン。だが結構いたたまれない話が多かった記憶が。岸田今日子の声のせいかもしれぬ。ので×。山ねずみロッキーチャック/見たこた見た。が、記憶薄い……ので×。アルプスの少女ハイジ/本放送も再放送もさんざん見た……これはスキが無い構成なんで手元に置くなら全巻タイプ。だが散々見たので×。フランダースの犬/これも見たけど最終回をバラエティで見ているあたり、見てられなかったんだと思う。つか貧しい主人公へのイジメが見てられなかったんだよな。×。母をたずねて三千里/見た。フィオリーナは可愛かったねえ。だけどこれ、よく「クオレ」の中の作中話を一年ものに膨らめたよな。すげえ。だからたぶんすげえスキの無い密なものになっていると思うんだけど……明らかに宮崎高畑色強そうなんで、今更全部見る気力がない……×。あらいぐまラスカル/これは本当に結構最初のほうでやめた。評価高いんだと思うけど、地味+動物ものに興味がなかったんだと思う。いやここから地味になったんだよ、顔。……×。ペリーヌ物語/ガキの頃は見てない。これは安く買った台湾版DVDで一気に見た。面白かった!……のだが、たぶん当時だったら面白くなかったんだと思う。大人になって、ライフハックの面白さを知ってからだな。ので、これは持ってる。原作も新旧訳両方買った。今も時々見たい。ペリーヌが賢いけどあざとくないのがいい。○。赤毛のアン/ここでまた絵が変わって。これは親父が好きだったので、ついでに見た。原作読んでたのでまあアレですが。だがこれ上手くできすぎていて、マシュウが死ぬあたりとか辛すぎる。ということで×。トム・ソーヤーの冒険/見てない。原作読んであって、繰り返し読みたいと思う話じゃなかったから、さほどアニメ見たいとも思われなかったと思う。×。家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ/……最後のほうだけ見た記憶が。ただこれはフローネというキャラが好きになれなかったから×。南の虹のルーシー/OPの歌が好きだった。ただこれは最後の辺りのルーシー記憶喪失~大団円に至るまでが本当にしんどいので見てられず適当なことしてたような。もっともこれ、アニメと原作が同時進行ぐらいのテンポだったらしいから、仕方なかったかもしれない。ということで、これは90分版は上手く編集されてる。ただこれとフローネはキャラの顔が長すぎる…… それとルーシーの声はちょっとキンキンして辛い……ので、完結版購入。○。 アルプス物語 わたしのアンネット/これはある程度見たけど、何か……仲直りに至るまでの話というのはなかなか見ていてしんどかった。ということで×。牧場の少女カトリ/これは結構ちゃんと見た。嫌味もなく、淡々と楽しんでいたと思う。というか、この話もカトリが賢い子で落ち着いた声だったってのが大きいな。のでこれも完結版で○。小公女セーラ/確か当時もてこ入れ作品だって言われてたな。最初と最後だけ見た記憶がwいやもう、散々原作好きで読んでたから、下手な改変されたくなかったんだよな。ただしアメリア先生が最後にキレるシーンは大好きwということで、最後に向かってまっしぐら的なダイジェストらしいので完結版で○。愛少女ポリアンナ物語/最初だけ見たかな。4月から家出たから。これも原作知ってたから、あまり変えてほしくなかった話。ただし「少女パレアナ」がこれと気付くに時間かかったwww ×。愛の若草物語/見てない。で、同じく台湾版で見たけど、改変激しいな。ので一応持ってるけど飛ばし見。これはむしろ昔から色々出されてる映画のほうがいい。×。小公子セディ/見てない。……正直どうなってるのか怖いので原作好きとしては見たくない部類。×。ピーターパンの冒険/見てない。……原作もあまり好きではないので×。私のあしながおじさん/見てない。興味はあるけど……これは微妙。見るなら全話見たいけど、気力が。タイミングあったら○。トラップ一家物語/サウンド・オブ・ミュージックなら見たことあるけどこれはなし。時代性とかどうなってるか興味あるけど……全話タイプだな。まあこれもタイミングあったら○。大草原の小さな天使 ブッシュベイビー/見てないし……これは見るなら本当にまっさらだから、まあそこまで。ということで×。若草物語 ナンとジョー先生/上記おなじく台湾版(略)。……ただ印象に残らないんだよな。原作「第三若草物語」もさほど印象が強くないし。×。七つの海のティコ/見てない。……ということで×。ロミオの青い空/見てない。が、一部同人女子に人気あったという噂が。そういう観点で見られる話か?! 原作知らないし、まあどっちでもいい。△。名犬ラッシー/……昔からよくアメリカのドラマではあったけど、興味が持てなかった。……ゆえに見てないし見るつもりもなし。×。家なき子レミ/見てない。ただしこれはちゃんと原作を読みたい話。子供用だと相当うす味になっているらしい。アニメはもうきらきらしている絵になっていたから×。レ・ミゼラブル 少女コゼット/見てない。……このタイトルってことはまあコゼットの話なんだろうな。切り取り方が気になるけど、原作がアレだから、改変具合が辛くなると嫌なんで×。ポルフィの長い旅/見てない。上記略、×。こんにちは アン〜Before Green Gables/見てないし……見たくない的な……すまぬ……×。結局あれか。「賢い女の子が一人でがんばる話」が好きなんだなきっと……ペリーヌが最高どす。でも買ったのは今回は↓。世界名作劇場・完結版 南の虹のルーシー [ フィリス・ピディングトン ]ともかくルーシーが「言葉が少ない」主人公なんだよな。それはいいんだけど、声が辛い……2000円以下。世界名作劇場 南の虹のルーシー <全12巻セット>■原作:フィルス・ビディングトン■(1982) フジテレビ系列■【DVD】【中古】まじで見たい場合は、こっちは中古で8000円弱。さて。
2018.02.04
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これだよこれ!キャシャーンの第一回のテレビマガジンで見たやつ!第一回とニ回でデザインが違って「?」となった記憶が!そんでものすごくリアルで綺麗な絵だったので覚えてるんだよなあ。https://blogs.yahoo.co.jp/y_sirais/24672412.htmlここに答えがありましたわ……ボツ版があったのね……すっきりした!
2018.01.06
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はっ……と気がついたらこんな時間やん!いや、アフィ商品で楽天ブックス探してたんだな↓で、宇宙の騎士テッカマン Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 森功至 ]とか破裏拳ポリマー Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 曽我部和行 ]とか科学忍者隊ガッチャマン Blu-ray【Blu-ray】 [ 森功至 ]とか新造人間キャシャーン Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 西川幾雄 ]とかタツノコ作品あるなーと見てたら、放送開始40周年記念企画 想い出のアニメライブラリー 第77集 ゴワッパー5ゴーダム Vol.1【Blu-ray】 [ 安原義人 ]とか出てきて、ゴーダムのOP格好いいんだよなー、一話とかないかなー、と思ってようつべみてたら、ついポリマーの最終回とか、ガッチャマンの90年代OVAとか、テッカマンの抜粋とか眺めてるうちに、グレンダイザーとかグレートマジンガーとか当たっちゃってな。あ、公式で一話だけやってるとこってのがありましてな。東映アニメーション創立60周年公式YouTubeチャンネル とかTatsunokoChannelとか。心ときめくのは何でかと思ったらだな、結構敵に対してえげつないんだよ。擬音とか体液とか。永井豪系が入るともろそれだよな……とりゃずポリマー一話。テッカマン一話。ガッチャマン第一話はまだこっちの歌だったんだよ……タツノコのときめきは、メカだよなー。これでもかとばかりの味方側のメカメカしさと、敵側の曲線異生物系。んで女性も強いんだよなー。ゴワッパーなんぞリーダーがヨーコさんだし。ちなみにポリマーは確かに容赦なかったす。滅茶苦茶。そしてガッチャマンがどーして飛べるのかはやっぱりわからん。竜巻ファイターはあの位置でどうしてああ回れるのか謎。あとこれもときめく。ミクロイドS第一話。ともかく歌の不穏さと不気味なリアリティたまらんぜ。怖いのは小さいものというの…… 原作とは似ても似つかないものになってるけどね。特にアゲハ。グレートマジンガーは最初っからもう前の「Z」と違って戦闘員養成されてる二人がええなあと思うざんす。でも何つかですねー、うん、熱いわー。んでもって、正義の定義がシンプルでよろしい。ちゃんと「子供向け」どす。70年代はまだ闘うのはシンブルにありだったのよ。やっぱりそーするとガンダムか……↓イマココ。うううむ。びみょん。放送開始40周年記念企画 想い出のアニメライブラリー 第77集 ゴワッパー5ゴーダム Vol.2【Blu-ray】 [ 安原義人 ]ゴワッパー5は団地の少年たちという設定。リーダーのヨーコさんが6年生だったねー。
2018.01.06
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朝日新聞の記事。まーさっき高須せんせいの熱弁に煽られて、フリーチベット・ウイグルのツイートしまくってたざんす。並行してキティデザインのアフィと保健所保護犬猫拡散もやっていたんだけど。ついでにこの画像も流しておいたけど、そーそー目につかないだろうな。13分の映画、だし検索にひっかかって来ないから、やっぱりヤミに葬られてしまったかもしれねえな。これは中国が核実験を盛んにやってた辺りのこと。ウイグルですね。明らかに。
2017.12.18
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そう、普通は1年2年と何かしら理不尽な先輩とかいてもだな、3年でいい結果を残せたなら何となく「それなりにいい思い出」として残るはずなんだけど。まあともかく、あのどうにもならなく相性が悪かった先輩達が卒業しましたとさ。だがしかし、やはりパーカッションというパートは人気が無い。仕方なし、他のパートから移ってくれる後輩を募った。で、初心者があっさりと花形楽器のティンパニを取っていきましたわー。ちなみにそれまでシンバルをやっていた同輩がスネアドラム、ワタシは変わらず木琴鉄琴その他という感じ。ついでにマーチングでは大太鼓になりましたよー。何たって、入って「くれた」後輩ちゃん達は皆女子だったのでなあ。ワタシよりでかい子は居なかったのだよ。ま、正直言えばスネアドラムriddim《リディム》 #09 Chestnut Stave 14"x6.25" (shell by koike drums) [Walnut (WN) / Outer & Inner] (Made in Japan)やティンパニ《代引不可》《正規品》《新品》 Pearl (パール) 85H SERIES 85HLL Symphonic Pedal Timpani シンフォニックペダルティンパニやりたかったわな。目立つは目立つけれど、シロフォーンやグロッケンの比じゃない。音階が(あまり)無いから、他のパートからすれば「あーそんなものか」と思われる程度。それにティンパニの音はやはり格好良かった。だがしかしシロフォーン←ともかく音が響く。響きすぎるほど響く。ヤマハ コンサートシロフォン YX-500Rマリンバ←ロール奏法に苦労。YAMAHA マリンバ YM-410D <ヤマハ>【店頭受取対応商品】グロッケン←ピッコロと同じ音階取ること多くて響きまくる。YAMAHA コンサートグロッケン DG-1590B <ヤマハ>【店頭受取対応商品】ヴィヴラフォン←ソロ多い。チャイムの代わりに使ったりした。【送料無料】 こおろぎ(コオロギ) ビブラフォン KV700 37鍵 F33〜F69 ※東北地方は追加送料1,000円、北海道・沖縄県は追加送料2,000円が別途必要となります。 お客様組立だからまあ、ともかく目立つんだよ。だがしかしあいにくワタシは目立ちたくはなかったのだ。ブラスやって目立たなくてナンボだと言われても目立ちたくなかったんだあああああだがしかしこのパート、案外ソロとかあったりする。あったんだよっっっ!自由曲「コラ・ブルニョン序曲」https://www.youtube.com/watch?v=g1iaE17F3xo前年の課題曲「イリュージョン」https://www.youtube.com/watch?v=6Gcitx49u7o&list=PL-NvZK0IJOKt4tl0f64Fwbalzw1hcXxSIなんぞ、テンポ144の16分音符で、もう動くのに必死だったわー。この時は「まだシロフォンがなくてマリンバで代用してた」ときだったので、腕が……腕が……まーなー、今一人で自分のためにソロ活動でこの楽器やれ、と言われたら結構好きだと思うよ。こつこつ練習タイプで。だけど合奏という形態そのものが! な!でまあ。一年が県の西部大会落ち。二年で県大会落ち。三年で何と我々、東海大会に出ることになったんですな。おかげで引退が遅くなった……ちょうど担当の先生が変わった時で、課題曲は「アイヌの輪舞」https://www.youtube.com/watch?v=tD9JhPNq6Rc&list=PL-NvZK0IJOKt4tl0f64Fwbalzw1hcXxSI&index=7で、自由曲はミッチェルの「海の歌」https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/write/だったかな。この「海の歌」。綺麗な曲でな。曲自体は好きだった。盛り上がりもあるし。……だがともかく、冒頭っから「チャイムを使う」のがあった。チャイムは無ぇわ!→……仕方ないビブラフォン(しかも電動無し)でやろう。ということで、この身体に覚えさせるパートで必死こいて木琴鉄琴の間を動き回ったさー。ともかくこのパート、好きになるには時間が足りなさすぎた。誰でもできそうで、実はそうではない。感情入れたり何だりするにしても、音階読めてなおかつそれに身体がついていかなくちゃならないし。見てそのまま鍵盤叩けるほどではなく、たどりたどりしつつ、動きを身体に覚えさせてだんだん早く打てるようにしていくという。で、このパートするには、スネアドラムの叩き方を左右非対称のもので習ったのが仇になってた。こりゃまずい、とティンパニの子には左右対称のスティックの持ち方をさせたけど、自分は既に遅く、どう転んでも右手に左手がついていかない状況でしたわー。くー。……でもまあ、色々しつつ、途中でゴッドマーズを見たいとばかりに日曜遅刻しまくって同級生にどつかれたりとかありましたがー ……今じゃあるまいし、日曜朝8時半にやるなよ……ともかく、何とか勝ち抜いていったわけですー。その間に地元観光地のマーチングとか、暴力反対の作文読まされたりとか、それも色々~はよ時間よ経って、部活から解放されたい~という。なのに何でか勝ち進んでいきまして、行きましたわー泊りがけで長野。善光寺の宿坊に泊まりました。……母親つき。ここの記憶もあまりない……で、大会ですが。ええ、最初のチャイムのとこで嫌な予感はしたんです。指揮してた先生もぎょっとしてましたよ。ビブラフォンの下の管がですね、移動の際に上がって引っかかっていたんですよ。……鍵盤に引っ付いていた。つまり、響かない。かちかち金属の音がするだけ。慌てたわ!このままこれ使ってはまずい、と思って、慌ててグロッケンに固めのマレット使うということに切り替えたけど、それで響くわけがない。ああああああああこりゃもうあかんんんんんんんんんん、とがっくり。東海大会の自分のソロでこれかい!その後はまあさくさく帰った訳ですが~疲れてバスで暗くなった外を眺めていた記憶が……まあそれでよーやく引退できたのさ。秋だよ!最後の思い出が最悪ってのが……なあ……しかし今この曲どっちも検索して聞いてみると、このまんま全部お手本を頭に叩き込みたかったなあ、という感じがある。教える側も中学生の背景理解力みたいの知らずにただ音楽として教えていた様な感もなくはない。だいたいウチとこのパートは譜面まともに読める人のほうが少なかったのだ。だから耳で覚えたかったなよあ。それに全体の音楽の調子が個人練習の時にわからないパートな訳だから、ともかく聞いて聞いて聞いて、頭の中で鳴るくらいにしておけば、また何かやり方も変わったかもしれないけどなー。まあでも、結局はこの楽器自体が一人でどうこうできるものではないし、趣味でできるものではない以上、考えても詮無いものなのね。で、その後、ドラムやってみたい、という心残りもあったけど、実際に一人で練習してみて、やめた。ドラムは一人のための楽器ではないし、ワタシは団体行動はできない。兄貴がバズーンっていう特殊な楽器ではなく、サックスで今も活動しているのとは逆で、ワタシは一つ一つ心残りを潰していって、何が残るか試していったと思うわーそして高校では、「先輩が居ない新設校」「バスを使わず交通費が安い近場」「帰宅部に近い部活」の生活を満喫したのだったー。松尾ジンギスカン 特上ラム400g 【冷凍商品】 ※こちらの商品は冷凍の商品の為、冷蔵品を同梱する場合は別途送料がかかります。【北海道お土産探検隊】【店頭受取対応商品】
2017.11.16
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これは部活に限らないんだけど。ワタシはいい子でいたいクセに、部活だの夕方の運動だのマラソン大会だのはサボりたくて。結構実行しましたのことよ。ただしこの場合のいい子というのは、校則守って勉強はできる、というだけのことだな。前者は。80年代前半の中学だ。制服ないしはジャージで登校しては、ジャージに着替える。体操服を制服の下に着込むのがデフォだったので、上脱いで、下はスカートの下から履いて。当時はスカートが「長いと不良」の時代どす。基本膝下もうちょい下。着替えにはいい目隠しだよな。ということで教室で着替えるわけだよ。帰りも、どうせブラス以外は運動部なわけだ。ブラスだってまた体操服の上に制服を着るだけ。髪型。「前髪は眉より上」。ということで面倒だったので伸ばして、落ちてくる髪がちくちく気持ち悪いのでピンで留めまくった。確か8~9本つけていたよ。2年の真ん中だか3年だかで切るまでこんなんだった。異様な風体だとは思うんだが、「校則にはかなってる」ので文句は言われなかった。そーんな時代。ともかく運動運動運動!部活部活部活!夕方、火曜水曜木曜だったか金曜だったか。ともかく週三日、6時間目が終わると体操服でグラウンドに出るのだよ。準備運動。その後は、「グラウンドのサーキットコース」「三角山(急な近くの丘)をマラソンで回って戻り多少運動」←心臓破りの坂!「3~4キロコースのマラソン」←上り坂最初、下りが割と少ないのどれかだったんだよな。運動部でも同じことをよくやっていたらしい。実は一番ましだったのは、ただのマラソンだった。ともかく走ればよかった。ワタシはすぐに横っぱらが痛くなったり、呼吸が続かなくて歩きになったり、ともかく遅かった。背後から教師が来るんだが、別に動作としてさぼっているわけではないので注意はし辛かったらしい。実際本気で苦しくて仕方なかったんだし。で、ワタシと、もう一人二人が戻る頃にはもう全てが終わって解散して、皆部活に向かってるんだよな。この仕方なさが気持ち的にはしんどくもあり、気楽でもあった。逆なのが「サーキット」だ。休めない。全く。当たり前のように身体をひょいひょい動かせて身体が重くもなく、胸が揺れることもない(デブだったのでこの時点でFカップだった。ので揺れるとマジ痛かった)同級生達が羨ましいことで。ともかく全部が全部、人に追いつけないことを目の当たりにするわけだ。下手にプライド高いワシとしては、もうキリキリと気持ちがきしんだものだ。三角山の上りなぞ、本気で心臓が爆発しそうだ、とよく思った。平気な顔している周囲が不思議で仕方なかった。そうなると、時々さすがに本気で嫌になる。そこで「持病の膝が」出てくる。小学生がワタシの一番の成長期だったのだけど、5~6年辺りで膝がついていけなくて、軟骨が出っ張って痛かったり、色々あった。これはずっと学校時代の持病になり、時々湿布+繃帯をつける羽目になった。最近じゃ変形性関節症になりかけてるよ~と言われたこともある。で、それを利用させていただいた。この運動ときどきと、1年と3年のマラソン大会に。一生懸命やってる人には悪い。が、毎度毎度ご町内の人々に「がんばって~」という目で見られる屈辱感はわかるまい……小学生の時より知らない顔だからまだましだが、その代わり前と空く差の酷さときたら。で、もう一つのサボりだが。二年のときに逆さまつげが最初に見つかりまして。これで眼科に行く必要ができたんだな。休みになったら手術ね、ということで、それまでは診察のために。これでよくバス使って三十分くらいのとこへ通った。運動のあと、部活の時間に。家と逆方向だから、直接。そんでそこからまた部活に戻れ、ということだったけど。やなこった。ということで、できるだけそこで時間を引き延ばした。眼科のある場所より二つバス停越えたとこに、ちょうど本屋があったんだな。そこで時間を潰して次の次くらいのバスを待った。学校近くの温泉地までは、一時間に5本がとこあったけど、学校前まで行くバスは3本弱だった。そこを狙ってだな。ともかくあの部活の空間に居たくなかった。だけどマジで嫌だから休むと、翌日先輩達に罵倒されるのも判ってた。はたかれたりもしたしな。何より皆勤賞狙ってた。休んだら負け的な時代だ。そう、この時期だった。担任に愚痴を言いまくっていたのは。アムカとかも復活していたし。あれはクセになる。ともかく早く三年になることだけをひたすら待っていた。だーかーらー当時はまったんだろな。元春だの銀次だのは。♪声を潜め明日が来るのを待ってた★CD/スターダスト・シンフォニー (紙ジャケット) (完全生産限定盤)/伊藤銀次/MHCL-1194元春の「ロックンロール・ナイト」のアンサーソングと言われてる「ビューティフル・ナイト」では中の人が見ていた少年少女をそう歌ってた。ともかく三年になれば、とずっと願ってた。(つづく)
2017.11.08
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下の記事のクリスマスケーキ特集考えてたら、そーいや自分のクリスマスってどうかなあと思ったら。一応、誕生日とクリスマスにはケーキを食う!という自分への掟はあるんですよww小学生途中までは、何かそれらしいことがあったやうな。起きたらプレゼントがあるという。覚えてるのは、オルゴールが2回。「乙女の祈り」と「魅惑のワルツ」だったな。覚えてるのか怪しいのが、「妙にリアルなままごとセット」かな。マジなお鍋とかのミニチュア。金属製に黒い取っ手のついた奴。……いやそれあまりにもリアル過ぎだろ。なのであまり使った記憶がなく、もう少し経ってからお祭りの夜店で買ったカラフルプラスチックのほうばかり使ってたやうな……いや子供ってそうでしょ! 質もデザインも良くても、明るく目を引くちゃちなものに惹かれるし!わかりやすいし!まあそういうこともあっておもちゃ系より無難にオルゴールになったと邪推。ただその後はもうサンタに疑問は持ったので、「好きなもの買っておいで」系に……情緒ねえ。ちなみに兄貴は同じときに将棋盤貰ってるんですが、盤の裏に明らかに親父の字で「***君へ」そのあとに「サンクロースより」。そこで間違えるなよwwwともかくこの将棋盤ではワタシもずいぶん遊ばせてもらいました。ええ、無論山崩しとかはさみ将棋とか角周りとか!まあその後は「ケーキと鳥の足(焼き鳥のたれ的味)」が楽しみだったかな……高校の時に友人と受験に行った際に経験した家庭のクリスマスについてはいづれ~
2017.11.05
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部活は基本的に中学生をスポーツだの何だのでくたくたにさせて、予習とか何とか以外する程度でばたんきゅーさせてしまうくらいにエネルギーを使わせるもの。と、友人がむかしゆっとりました。ワタシと同じ、教育系大学の学科違い。ワタシは国語、彼女は理科。それ以来30年がとこお友達やってくれている奇特な人どす。ただし彼女はずーーーーーーっと講師ですが。超ベッテランッ中学の講師ですが。(専門は生物なんで文系アタマかもしれないけど)ブランク空くと採用試験には受からないらしいどす。それでも何かもうこれでもかとばかりに仕事が好きでやっている友人どす。そういう彼女曰く……が冒頭のそれですな。ああ理不尽。帰ってからの趣味ライフが三年間全く……ワタシの中学の記憶は、・夕方の全校運動で皆に追いつけない・どう転んでも上手く縫えない被服の実習・部活で貴重な一人の時間が取れなくなったで良いことが思い出せないんですな。二年の時にはあんまり憂鬱そうなワシに、担任が何度か生徒相談室で愚痴を聞いてくれたくらいですが。何せ中二でしたから! そしてまじ気分がしんどかったのだから!結局聞いてくれただけで何にもならなかったんですが。今後また書いてく音楽は別。あれはもう隙間を縫ったうるおいだった。で、その部活。三年間吹奏楽部だったんですが。楽しいと思ったことが無いし、いつもうんざりしていたし、達成感もありゃせんでした。たとえ東海大会に三年では出られたとしても!……普通はここで達成感あるパタンだったんですよ。一年で西部落ち、二年で県落ち、三年で東海、だったんだから。だがしかし。そんじゃ何でそんな部活に居たか、といえば。前提として。ウチの中学には、文化部がとても少なかったのです。吹奏楽。科学。書道。この三つしかなかったのです。あと全部スポーツ。で、この後者二つはですね。「行き場の無い奴の行き場所」という見られ方をしていたのですよ。科学はそれでも、何かしらちゃんとしていた活動をしていたようですが、書道は……正直在籍していた二人の女子は、学校に来ない日が多かったわけで……当時の不登校ってのは、今よりずーっと重い問題、で、当事者がろくでもない奴、と見られてました。いじめじゃないわけどす。ともかく別の特有の理由があって学校にこれない。そして成績も地をはっていた。そういう二人しか居なかったわけです。たぶん所属の受け皿だったんだと思う。だから実質女子の文化部っていうと、吹奏楽しかない、と思い込んでしまったんだな。ワタシはともかく運動あかん人でした。んでもって、小学校時代以上に運動神経がいい連中が中学では合流したわけですよ!んなものついて行けるわけないわ!一番遠い連中は、小学校を毎日数キロ歩いて通った奴等なんどす。ワタシの従兄姉もいたけど。じゃあ文化系! ……どうしようもなかったら卓球(すまぬ。当時はゆるかった印象があったんだ)にでも、と思っていたわけどす。知ってたはずなんですがね。そこが体育会系文化部ということを……何故なら。ウチの兄貴がその部活のOB。しかも花形で。ついでに吹奏楽のために高校選んだ奴。実際奴の高校は全国の常連のとこだった。奴が居た三年間、何かといや迎えに行くとか楽器を買うとか遠征だとかユニフォームだとか何か色々ありやして。高校もそれが続いていたわけで。あーすげー金かかってるよなー、と半目開きで眺めていたというか。全国大会とか、何かの代表団でクリスマスパーティやってる、とかそういう時母親がついてったとか、そういう時に残されたとか、あーウチは貧乏だよなー倹約しなくちゃなーって刷り込まれたとか、まあいいんだけど。←すげえ根に持ってるついでに言えばワタシが最も嫌う「**の妹」という見方もされたわけで。三年の先輩達は奴の直接後輩だったわけなのだ。尊敬してます系の。たぶんそーだったと思うぞ。楽器買う、ってのはまあブラスにはよくあるんだが、……普通バズーン買うか?のちに高校でサックスも買って、何と今でもやってるよ。今年53になるんだが。だから奴にとってはすげえ好きなことだったし、ここで社会性つけたんだねえ、と思うわけさ。だがしかし。ようすんにマイナス要素ばかりだったんですが。練習見学の合奏に惑わされたというか。いややっぱり当初に聞く「じゃーん」は格好よく感じるのよ。でまあ、魔がさして入ってしまったわけだ。明らかに性質に合ってない部活に!だってなー。体育会系文化部ですからー。朝練があって夕練は毎日で土曜の午後と日曜の朝も奪われたわけですよ。それが楽しい人にはいいですが、苦痛な人にはただ苦痛なだけどす…… はやくおうちにかえりたいとばかり思ってましたわ。ちなみにパーカッションでした。理由は楽器買わなくていいからどす。上記の様子見て、楽器買うパートは選べねえ。「ウチは貧乏ですので」。で、入ってみたら人気が無いパートだったので、……一年からレギュラーでした。パートはキーボードパーッション。木琴鉄琴一連の類どす。マーチングの時にはベルリラが無かったから「中太鼓」、先輩が去った後は、「大太鼓」。抱えられる子が居なかったから。ちなみに何でそれだったかというと、単純です。先輩がリズム譜以外読めなかったんですね。ワタシはぎりぎり音符読めたんですよ。細かい音階のある踏が、多少なりとも読めるから、ってことで。まあシンバル(重い!)にさせられた同輩(小柄)よりはましなんですが。何せ三年が居なかった。これは超不運だと思う。ついでに言えば、卒業してった先輩達は優秀だったそうだ…… 兄貴の友人だったり。そして残っていた三人の一つ違いの先輩達は。―――思い出すと今でも憎憎しい。外見のコンプレックスを、多少マシなアタマでプライド保ってたクチなので、さぞ鼻持ちならなかったろーとは思う。それでもだからと言って、後輩に宿題とかさせんなよ。成績悪かったからって。しかも練習時間に。つか後輩ができるようなものができないってどうよ。ちなみに男子二人、女子一人で、男子の方が我々女子二人の一年をパシらせていたのですね。女子の方も別にそれがどうよという感じで。ああ絶対ワタシこの先輩達から嫌われてるよな、というの感じるタイプの。というか、先輩という人種に可愛がられた記憶は結局は無いのですがね。態度がどうしても「偉そう」「ふてぶてしい」らしくて。かと言って好みのタイプになってやる気はないし←このあたり。ちなみにこれは大学時代のイトーヨーカドーのバイトの時に教育係さんを初見で無意識に怒らせたという……いや、その後も「ああこのタイプには嫌われる」というのは、確実にあるんだよな……憂鬱ばかりの話ですまないが、つづく。
2017.11.03
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オフコースはなー……「知らんこれ」から始まった気がする。FM愛知の土曜13時の「コーセー歌謡ベストテン」を毎週聞いていた頃、何か知らないグループの知らない歌が流れてきた。CMで聞いたこともない。テレビでもない。それでもベスト10の中に「愛を止めないで」https://www.youtube.com/watch?v=6FL4E8kdtyQ&list=PLG3dEPd_ROglE2iBsO8hbjlmiXujx7f2jが入っていたんだよな。綺麗な音と、どこか引っかかる歌詞。この「どこか引っかかる歌詞」というのは、その後どんなアーティストでもずっと持ち続けている掴みどころなんだけど。まあ、と言ってもこの時点でもの凄く好きになったというわけではない。ここでまたアルバム、というか「ひるの歌謡曲」さまさまがあったわけだ。するとこの1時間まるまる1アーティストかけてくれる(面倒だったのかもしれないけど)番組は、当時出たベスト盤「SELECTION1973~78」。ちなみに結構ようつべでは規制が激しいようで、見つけるのがチューリップほどたやすくない。その代わり再発盤のほうで大概サンプルがきけるようになっている。SELECTION 1973-78(初回生産限定) [ オフコース ]この中の好きな曲。・やさしさにさようなら https://www.youtube.com/watch?v=vIV0hSzz8mA&list=PLtBdh0mmbgNMrtZfGf28AhXnJ0ZDcAbtO&index=19「誰か他の人のために生きるの 私は傷ついて息もできないほど」から始まるあたり、何この明るい綺麗にメロディに不穏な空気は、となるではないですか。そら最後には、「言葉とメロディ一つになって愛の歌を奏でるように……戻って!」となるけど、この沈んでる女性と主人公の間にどんな関係があるのかわからないという。・通りすぎた夜「好きなようにさせてあげるよ あなたに縛られるなら」これだな。・水曜日の午後 https://www.youtube.com/watch?v=cHzc8yMatcY&list=PLtBdh0mmbgNMrtZfGf28AhXnJ0ZDcAbtO&index=190「どんなに小さくなった自分でも夢さえあれは何とか生きてゆける」。もの凄く凹んだときに優しい曲だった。・眠れぬ夜 https://www.youtube.com/watch?v=7Xo3aivOHuk女に逃げられた男が強がっている、はずなんだけど、どっか微妙におかしい様に感じる。「たとえ君が目の前で膝まづいて全てを忘れてほしいと涙流しても僕は君のところへ二度とは帰らないあれが愛の日々ならもう要らない」(そう流しで聞こえた)愛は自分を縛るもの、だからもう要らない、だけどもしそこまでされたらどう思ってしまうか判らない。……でももの凄く心情として判るあたり。・ワインの匂いこれも第三者視点の「誰かと別れた女の子」を見ている男の曲。個人的「雨を感じる曲」。「私はもう誰も好きになることはない今は ありがとうあなたはいいひと もっと早く会えたら」そう、いいひとポジなのです。彼としてはもう「あの雨の日傘の中で大きく僕がついたため息はあのひとに聞こえたかしら」でしかないという。・潮の香り https://www.youtube.com/watch?v=eenyOWFfBL0&index=197&list=PLtBdh0mmbgNMrtZfGf28AhXnJ0ZDcAbtO鈴木さん曲。と歌。オフコースはもの凄くワタシ的には聞き分けづらいので、歌詞の情景とかで判断している部分がある。空耳もずいぶん起して、「立ち尽くすあなたは懐かしそうに襟元に手をあて私を見つめる」これがなかなか意味が取れなかった。あと葉山とか海岸道路とか、後にブレバタとかNICOに感じる「神奈川県三浦半島系海のうた」なんだよな。湘南ではなく葉山。・秋の気配 https://www.youtube.com/watch?v=dcBw3lIeuwM&list=RDOFGcH1P7y04&index=2秋と共に恋も終わっていくのだ。「こんなことは今までなかった 僕があなたから離れていく」オフコース / 僕の贈りもの 【SHM-CD】これが最初のアルバム。上の曲以外で好きなのが「さわやかな朝を迎えるために」。正直ずっと小田さんが歌ってると思ったよ……Wikiもアルバムごとにすげえ説明ついてるしな。これは歌詞はどうこうというものではなく、サウンドがいい。だがこのWiki情報、うろ覚えだった彼らの経歴だけど……東北大学工学部で建築か音楽か迷ってた……すげえなおい!この道をゆけば(初回生産限定) [ オフコース ]2枚目。……今ひとつこのアルバムには惹かれるものはなく……ワインの匂い [ オフコース ]3枚目。セレクションに好きな「眠れぬ夜」「ワインの匂い」、それに「愛の唄」が入ってしまってるのでこれも今ひとつ感想が持てない……SONG IS LOVE(初回生産限定) [ オフコース ]4枚目。この中では「こころは気紛れ」「めぐる季節」辺りが好きだった。が。個人的にすげえ怖いというか凍える、と思ったのが、「冬が来る前に」https://www.youtube.com/watch?v=zvZpHdYPa34綺麗で盛り上がる曲なはずなのに、歌詞にもの凄く絶望感を感じてだな。「震える肩を抱けば辛くなる」「言葉にしてしまえばあなたを傷つける」「疲れた横顔」「もゆる思いは消えて変わらぬ愛はもう見えない」「嘘の無い優しさに返す言葉もなく」「私はもうむなしく ありがとう ありがとう」「私はこの寒さが好きだから」こんな壮大でうつくしい曲なのに何ですかこのどうしようもない別れは!あんまりに綺麗すぎる終わり辺りに怖すぎてしばらく聴けなくなった記憶があるよ!JUNKTION [ オフコース ]5枚目。「秋の気配」「潮の香り」がセレクションに入っていたな。それ以外では「思い出を盗んで」がまずまず好きだった。FAIRWAY(初回生産限定) [ オフコース ]6枚目。これは「美しい思い出に」が凄く好きだった。何かのB面だったのかもしれない。しかしこれ、ずっと小田さん曲だと思ってたけど、鈴木さん曲だったのか……考えてみれば海っぽいものなあ。隠しに隠されてた音源。https://www.youtube.com/watch?v=X_6ZAywGLrEで、セレクションと同時期のこれですよ。7枚目。Three and Two [ オフコース ]これはもう、一枚通しで好きだった。というかオフコースを好きになったアルバムだから全部好きなのよ。基点。あとはそれに近いか、なんだよな。・思いのままに ・恋を抱きしめよう ・その時はじめて ・歴史は夜つくられる ・愛を止めないで・SAVE THE LOVE・汐風のなかで ・愛あるところへ・生まれ来る子供たちのために「生まれ来る~」は小田さん曲ってことでのちのちまで歌い継がれたわな。でもだいたい小田さん曲は大人しい印象なのだ。このアルバムでは。個人的には鈴木さん曲が好きで、「SAVE THE LOVE」「汐風のなかで」「歴史は夜つくられる」がすげえ好きだった。オフコースなりの力強さ、「海」曲、「夜は誰も見分けはしないさ~♪」。We are [ オフコース ]8枚目。これも好きな曲が多い。のですがピックアップ。「いくつもの星の下で」これは鈴木さん曲。「いつも一人悔し涙流してきた男のことをあなたに聞かせたい僕の全て教えたいそばにいて……」あ、そっか。鈴木さん曲の歌詞っていうのは、基本的に中の人と相手の間に何も無いんだ。小田さん曲の歌詞との違いってそこにあるのか。「海」曲は中の人と相手の海付近でのいちゃいちゃだし。「Yes-No」で、一方小田さん曲ってのは、間に「何か」がある。心の距離だったり、自分以外の誰かとか、中の人と相手をストレートにくっつかせない何か。「君を抱いていいの?好きになってもいいの?」という辺りの感情は。1番は殆ど相手に対する疑問系だもの。over(初回生産限定) [ オフコース ]9枚目。これはもう解散直前。で、鈴木さん曲が殆どない。Wikiによるとこの時点で鈴木さん抜けるつもりだったってことだからなー小田さん曲ばかりなわけだ。この中では何と言っても「哀しいくらい」。「哀しいくらい」https://www.youtube.com/watch?v=hdXnMZlrkZAオフコースの曲の中で自分の中ベスト5の中に入る。ただ、歌詞がいつもにも増して抽象的になっていてな。前半、中の人と相手が何かしらのすれ違いがあるのか何なのか、上手くいかない。で、サビで「だから」「今はこのまま夜よ明けないで 見えない明日は来ないでいい 哀しいくらい君が好きだから 心開いて」―――その先に行くとお互いに別れが見えてしまうから、「この夜」が空けないでほしい。という。何ともいえないもぞもぞとした。あ、ちなみにわかりやすい「言葉にできない」は実はあまり好きではないのだ。わはは。I LOVE YOU [ オフコース ]10枚目。正直シングルの「Yes-Yes-Yes」と「I LOVE YOU」以外ぴんと来る曲がない。んでワタシのオフコースはここで終わる。好きなのは前者。「Yes-Yes-Yes」https://www.youtube.com/watch?v=WVHolwGGpz0小田さん曲のドラマチック展開にしては珍しく「ふりかえらないで今君は素敵だよ 僕の行くところへあなたを連れてゆくよ 手をはなさないで」と前向きなんですが。「Yes-No」とふらふらしていたのが全肯定となっていると。ただいつも思うのは、「君」と「あなた」が並行して存在することなんだよなあ。これが同一他者なのか、別人なのか。それに小田さんの時は、実は性別すらわからないことも多いんだな。中の人は「僕」が多いけど、「君」と「あなた」がいるんだよな。では「君」は誰で、「あなた」はを示してるのか?というと小田和正詞の鑑賞の世界になってしまうけどさ。オフコース/The Best Year of My Life11枚目。これは鈴木さんのいないオフコース1作目なんだけど。「君が、嘘を、ついた」https://www.youtube.com/watch?v=r6ZmEAoHkwkきっつい歌だよな、と思う。好きだけど。案外このアルバムは好きな曲もあって、「気をつけて」「愛を切り裂いて」とかあるんだけど、本当いうと、この曲が好きというよりは、この次に出した↓Back Streets of Tokyo [ オフコース ]全英語に変えたセルフカバー。この中で上記の曲が「HER PRETENDER」「LOVE'S ON FIRE」になっていて、こっちが印象に残っていたから原曲を聞きなおしてみた、という次第。正直この二曲は英語詞のほうが好みだった。ちなみに「哀しいくらい」が「MELODY」、「君が、嘘を、ついた」が「EYES IN BACK OF MY HEART」になってるけど、これは原曲のほうが格段にいい。ただこのアルバムは聞いていて気楽。で、その次のは……ちょつともう聞けなかった。残念ながら。ソロになった小田さんは正直、売れすぎてわけわからん存在だった。ともかくドラマの主題歌とかCMで感動的に使われると、残念ながらさめる……財津さんの場合は、そもそも中の人の最初のスタンスから「見守る男」だったんだよな。鈴木さんの中の人は等身大の男。小田さんの場合、何か「性別のない人」なんだよなあ。だからこそ同調しやすかったんだけど。まあワタシの頭に残ったのがたまたまそういう曲だけだったのかもしれないけど。「自分」と「他者」の距離感が結構大きいんだよな。直接触れ合ってる感覚がない。まあだから、そこに共感していたとすればだなあ……あ、ちなみに前にも書いたが、セレクションと3と2、は小学生の時の悪友がお兄さんがもってる、と貸してくれて、ウチのでかくて古いステレオの前でラジカセに録音もしたのだ。既にその貸してくれた当人も、そのお兄さんも故人となってしまったんだけど、きっかけをありがとう、という感じはある。中学に入ってからはまるで関わらなかったが、小学生の時は天敵な時もあったが、妙に楽しいときもある奴だった。要するにインドアなヤロー同士の付き合いのやうな。お兄さんのほうは過労なのか何なのか、自殺したとか何とか。親父に聞いた話だ。親の方がそれで会社を相手取って裁判沙汰にしてることで、ご町内の人からはあまりいい目で見られていないと聞いた。当人のほうは、腎臓だかどこか悪くして、気付いたら既に居なかったのだから、30代か40代前半とか、そんなところで亡くなったのだろう。つくづくご町内に関心持たなかったからな。そんでもまあ、ともかく彼らはご町内で唯一のオフコース仲間だったんだよなあ、と思うのだわ。本当に当時誰も居なかった。まあ小学生だったからなんだけど。……長くなった。そう、長くなりすぎるのわかってたから、小学生時代の最後にしたんよーーー
2017.11.01
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また台風ですがな。すげえ風雨の時間帯に帰ってきましたよ!。いやーあちこち道路が水溜りすぎて撥ねるはねる。まあ帰りだし濡れる前提の格好だからいいんだけど。あーまた気圧下がってくらくら。ふくらはぎだるだる。さて。いろーんなベストテンで知ったよーん、というニューミュージックの人々は結構ありまして。好きもいまひとつもいろいろ。そんでも、男性のそれよりははまらなかったなあ。どーにもぴんと来なかったのは庄野真代。「飛んでイスタンブール」https://www.youtube.com/watch?v=WDWnPqKdxOs「モンテカルロで乾杯」https://www.youtube.com/watch?v=aTM9yVJA2IQとか。もろ男女恋愛っ! だったので感情移入しにくかったんではないかと。大橋純子。まず「たそがれマイ・ラブ」https://www.youtube.com/watch?v=LzBmWT7TzWU「シルエット・ロマンス」https://www.youtube.com/watch?v=Il4M2V1QftAが有名どこ。「たそがれ・マイ・ラブ」は森鴎外の生涯を描いたドラマ特番で使われたような。狂ったエリスが人形抱いて~な映像に♪しびれた指~のフレーズが絡む予告が。個人的には「サファリ・ナイト」https://www.youtube.com/watch?v=6LnK9G6xdYMは好きだった。たぶんこれが第三者視点だからかな。「シンブル・ラブ」https://www.youtube.com/watch?v=XUftFvJwECs&list=RDXUftFvJwECs&t=5はブレイク前だったのかな? これは好きな部類。ただお洒落すぎて頭からするする抜けてったと思う。桑江知子。「私のハートはストップモーション」https://www.youtube.com/watch?v=ceq87q7QYYw個人的には一発屋だなあ……アイドル的使い方された感じがする。アイドルだったのかもしれない。松原みき。「真夜中のドア~Stay with me」https://www.youtube.com/watch?v=QBJHN8xlDbAこれはパルコのCMだったらしいな。まずまず好きだった。というか、当時としては不思議な曲だった。歌詞がまるで頭に入ってこない類の曲。というか、「歌もの」でない感じがしたのかもしれん。「Jazzy Night」https://www.youtube.com/watch?v=qdxKEg7L1_sこれは好きだった。サビしか覚えてないが格好良かった。「ニートな午後三時」https://www.youtube.com/watch?v=NZ4c6VqMnHYこれは化粧品CM。しかし今聞くと爆笑してしまいそうなんだよな。ニートって当時はまだお洒落単語だったんだから。「悪くない」がこの人に関しては全般。だけど後に角松敏生とか好きになる時の素地だったんじゃないかと思う。竹内まりや。個人的ベストは「Plastic Love」https://www.youtube.com/watch?v=B7WePUFxAvEなんだが、初期はかなり好き。アメリカの大学「っぽい」感じ。「September」https://www.youtube.com/watch?v=T6Khmj1ATX0「不思議なピーチパイ」https://www.youtube.com/watch?v=VCoj7mu6zJoピーチパイはカネボウのCMに使われて、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」https://www.youtube.com/watch?v=F7PpGaZqbuYと張っていた。どっちも名曲。「戻っておいで私の時間」https://www.youtube.com/watch?v=3zgowsjBP7gは杏里の「オリビア~」とごっちゃになってた時期があった。ということでまず渡辺真知子。ともかく歌詞が聞こえる人だったねwwwそれはありがたかった。それだけエネルギッシュだったんだわ。「迷い道」https://www.youtube.com/watch?v=jp8IOVW8Wd0「かもめが翔んだ日」https://www.youtube.com/watch?v=R2vr0KwtgfE「ブルー」https://www.youtube.com/watch?v=our7nCHB8tY三連発。四つ目が「唇~」。「迷い道」は今ひとつ好きになれなかったんだけど、「かもめ」はすげえ好きだった。捨てられた女の歌詞のはずなんだけど、こんだけエネルギッシュだったらwww自分が解放してやった、という風に聞こえるわwwこういう人の歌をガキの頃から歌いまくったのはそれなりに音域伸ばしに役立ったと思う。いやまじ歌い手として素晴らしい。シングルでないもの凄い好きなのは3曲。「うみなり」https://www.youtube.com/watch?v=4ICDsBADCVo「フォグ・ランプ」https://www.youtube.com/watch?v=nRx61FiyVCc」「ワインとあなたと」https://www.youtube.com/watch?v=XJqfUhonKfg一番好きなのは「ワイン~」かな。広がりありまくり。で、おなじくつながりで杏里。彼女はあくまで初期のみが好きというw「オリビアを聴きながら」https://www.youtube.com/watch?v=9H9MO9AM0Xwは名曲だけど、個人的ベストは「スリップ・アウェイ」https://www.youtube.com/watch?v=OvYwcdWSj64「コルドバの踊り子」https://www.youtube.com/watch?v=Rw777nn_tzsこの2曲のためにCD化された最初のアルバム買ったもの。でもこれは、また後に改めて書く尾崎亜美世界が好きだったからなんだろうな、と結局は思うんですがるね。実は「キャッツアイ」あたりからのはさしてぴんと来なくてな。だからあくまで尾崎亜美の曲に合っていた杏里が好きだったんだと思う。……さてもう雨は上がったし。明日は晴れそうだ。
2017.10.30
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さてチューリップときたら甲斐バンドどす。オフコースに行かないのは何となく記憶の関係。思い出したことがあるから。甲斐バンドはもう単純に「HERO ~ヒーローになる時、それは今」。これは春のセイコーか何かのCMで、彼ら自身が出てて格好良かったと思うんだわな。でベストテンに出て知るようになったという。この次のシングル「感触~タッチ」https://www.youtube.com/watch?v=T0D8aRYyCdYは歌本の写真が格好良く感じたというか。ちなみに甲斐さんは「普通のギターを右左逆に持つクセがついている」んだよな。太いのと細いのが逆。で、たぶんNHK-FMで以下のライヴ聞いたんだと思う。当時気に入った曲だいたい入ってるし勢いがたまんねえ。ライヴいいなあと当時思ったか、音源と違う~と思ったかは不明だけど。でも今聞くと、ああ当時会場に居たらすげえ燃えたなあ、と思うのさ。https://www.youtube.com/watch?v=oWHZzxSUnbM1979.9.2・きんぽうげ・テレフォン・ノイローゼ・シネマクラブ・裏切りの街角・らせん階段・安奈・噂・カーテン・氷のくちびる・ポップコーンをほおばって・LADY・HERO・翼あるもの・最後の夜汽車・感触~タッチ~甲斐バンド・ストーリー [ 甲斐バンド ]問題はこの「翼あるもの」なんだよなww♪俺の海に翼ひろげ~ 格好ええやん。当時小学六年か何かで児童会役員だったのよ。後期だから「いい加減なほう」。の書記。当時の「会長」がまた冗談で選出されたような奴で、まあソリが合うんだか合わないんだ判らない男子だった。ただ奴からお兄さんが集めているから、とオフコースのLPを貸してもらったのは感謝感謝だった。たぶん奴もインドアな気があって、でもさして成績がいいわけでもなく、中学になってからもややグレぎみな人々の中に居たから、どっかで共感できるものがあったのかもしれん。そのくらいご町内にそういうインドア派は少なかった。オタクなインドアはもう一人居たけど、中学に入って音楽に開花したり、結局芸大に行ったりだから、そういう類でもなく。つまり今だったら「部屋から出ろ」な類になりそうだったんだと思う。乱暴でなかったら。だがその昔のLPの持ち主のおにーさんは後に過労死だか自殺で親が裁判起したとか何とか、当人は腎臓が悪かったとかで、今現在もうこの世に居ないとか―――まあ記憶に残る奴ではあった。さてそんな児童会が、昼の放送を任させたとき、かけることができる曲といったら、もうムード曲とか大人しいのばっかりだった。そらそーだ小学校だもの。そこにカセット持ち込んでしまったんだよ。「翼あるもの」とか入った、甲斐バンドの。で、それ放送に乗せたんだよなwww いやもうすぐに先生飛んできて怒られましたわー今となっちゃ、小さい子には刺激的すぎるってのあるのわかりますけどね。何せ小6のワタクシは何かもの凄く人生に絶望してたようで、要するにこっそりぐれていたのですがwww親にばれないようにってのがミソで。いやすぐ飲酒喫煙、習慣化しそうだったんでやめたけどwwwそんな時期のワシでしたのでねー。やっちまったぜーな一件。この時期の甲斐バンドがやっぱり一番好きなんだげど、まあぴょんぴょんと好きな曲は出てくる。「ブラッディー・マリー」https://www.youtube.com/watch?v=m_9xTOvnJNA&list=PLGOz2OCM784b4q_NpRM5pqYn4Lfe3bKs7単純に内容もへったくれもなくいい曲だなーと思った。「漂泊者(アウトロー)」https://www.youtube.com/watch?v=1hA6J9ON-ZQ&index=10&list=RDcR-Jp4486u4これは確かテレビ主題歌だったかな。「土曜学園ナナハン危機一髪」。番組自体は知らないけど、時代がツッパリを求めていたというか。♪誰か俺に~愛をくれ~よ~まだ陰湿ないじめではなく、元気に荒れてた次代の名残。族が当然に居たwwWiki/https://ja.wikipedia.org/wiki/土曜ナナハン学園危機一髪「フェアリー(完全犯罪)」https://www.youtube.com/watch?v=ehqhecN2ilk「冷血(コールド・ブラッド)」https://www.youtube.com/watch?v=3k9P_oivqOEこの辺りはのちに萩尾望都がコミックにしたな。80年代的ふわふわした楽しさと危なさが同居してた。「レイニー・ドライヴ」https://www.youtube.com/watch?v=7i-6QOmIJKs個人的「雨」で好きな曲。甲斐さんの声はドライとウェットがどっちも強く混じっているので、こういう歌がもの凄く似合う。途中でコーラスで入るとこが空が白いときに降る雨っぽくて凄く好き。「ビューティフル・エネルギー」https://www.youtube.com/watch?v=cR-Jp4486u4これなー。はっきり言ってヤってる時のことだろ? と聞いた当時から思ってたよ。なのにこれ、化粧品のCMに使われてたんだぜwwいや、いい曲よ。好きだし。でも何だかんだ言って、小学生から高校生までずっと好きだったんだよな。その都度ちゃんと時代の傾向取り入れてきたんだなあと思うよ。その都度格好いい、と思える曲作ってるんだから。甲斐バンド/100万$ナイト 武道館ライヴ(期間生産限定盤)(CD)あ、そーいえばテープに放り込んだ中で、この曲も好きだった。「悲しき愛奴(サーファー)」https://www.youtube.com/watch?v=2dlGyKZiwyMあとなー。これどっかに音源あるんだか、ライヴだけだったのかわからないけど、昔確かに歌ってテープ入れたんだよな。甲斐バンドで。探しても娘ちゃんとのしかねえ……昔こっちでしか知らなくて、ザ・ピーナッツの早いテンポの奴初めてきいたときびっくりしたぜ……「恋のバカンス」https://www.youtube.com/watch?v=QCYlJwuUhgc甲斐さん独特のキーや歌い方で好きになったんで、原曲を聞くとしばらく複雑になったなあ……
2017.10.27
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オフコースとどっちを先にしようかと思ったけど、まあこっち。出会ったのはやっぱりこれだったかな。「虹とスニーカーの頃」https://www.youtube.com/watch?v=XBgbRzllflwコーセー歌謡ベストテンかな。Wikiによると1979年7月ってある。確かにこっちが明星の歌本を見ていた時時期と重なるwともかくFM放送のベストテンに出てくるようになって知った曲。正直、歌詞の意味なぞわからず聴いていたんだけど、まあ半分はわかったというか、頭でわかっていたマセガキというか、という時期だったなあ。で、一つ思い出すのが「やっちまったなあ」という出来事。いや、学校のノートの下のほうに歌の内容→ショート小説を内職というのを当時やっていたんだかな。そのノートを提出せんといけなくてなー。はははは。六年の時に「ヤングフォーク」の来生せつこの歌詞教室で掲載された、というのは個人的嬉しかったことだが、学校でそういうことがあったのはかなりの黒歴史であるwwwつか小学生でそういう黒歴史するなよ、と言いたいが、何のこたない、小学生も3年から4年くらいまで少女マンガなポエマーだったのだ!ポエマーが小説書くようになるまでに時間は要らん!だが素地が無いから、歌のイメージで言葉を足してく小説しかかけなかったんだな。で、当時この「虹~」の入ってるアルバムでなく、「ひるの歌謡曲」でシングルベストみたいな選曲の日があったんだな。それが大いに気に入った……のもあるし、そうでないのもある。まあそんな中から、そしてその後のもので好きなものと言えば。筆頭は「青春の影」https://www.youtube.com/watch?v=LqKxNXMIX1Iここでは1976年バージョンを推したい。切れてるのが惜しい。というのも、この曲あまりに長く歌い続けられてきたから、何度もレコーディングされていて、その都度微妙に歌い方が違うんだよ。で、やっぱり「好きになった時」の音源がベストなんで、それに一番近いの探したらこうなった。ちょっとした伸ばし方とか、音の上下とか、こぶし回しとか、しっとり歌うとことか、ほんのちょっとしたことで財津さんの声ってのはニュアンスが変わってくるから、ここはこの時期をあくまで推す。名曲っていうのもわかるのは、歌詞がどんな風にも取れるって点もあるよな。単に結婚を決意した男女の仲と取ることもできるし、そうでない、もっと違ったものに取ることもできる。広がりがあるのよ。ちなみに別バージョン。……まあ何処でこぶしを回すか、どこで長く伸ばすか、という違いなんですがね。https://www.youtube.com/watch?v=Pki3vghwb-Y(1974)←これはかなり好きhttps://www.youtube.com/watch?v=lQTVKNiZkFM(1979)https://www.youtube.com/watch?v=XcX4TE8Z9r4&list=RDXBgbRzllflw&index=2(1982)https://www.youtube.com/watch?v=8H8VesYAEps(1985)https://www.youtube.com/watch?v=yFa6czilRNUhttps://www.youtube.com/watch?v=8wb3wNByVtY(わりと近年?)「風のメロディ」https://www.youtube.com/watch?v=0ajGSbXeVUA&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP&index=10姫野さんと財津さんの交互のヴォーカル、なのかな。正直当初は彼らツインヴォーカルと知らなかったからなあ。時々可愛い声が混じるなあと思ったけど、二人いると思っていなかったあたりおかしいんだけどwww唐突にサビで転調するのが面白いの。「悲しきレイン・トレイン」https://www.youtube.com/watch?v=WSau1_Wem4o&index=27&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aPこれは誰が歌っているということではなく、曲全体にかかってる、ワタシの中での「雨」イメージに近い、というのがありまして。実は好きな割には歌詞の記憶があまりないという。つまりは財津さんのコーラスの入ったサビが雨っぽくて好きだったのか?「愛は戻れない」https://www.youtube.com/watch?v=frkCNTIZR48&index=11&list=RD45WvVlKRHhMこれはちょっと情けない男かもしれないww ただし情けなさはちゃんと目の前に出してるな。「娘が嫁ぐ朝」https://www.youtube.com/watch?v=siZyl2XgFe0&index=28&list=RD45WvVlKRHhMこれは背景が辛い。既に妻が無くなっている父親が嫁ぐ娘を見送る歌。んで同時に妻との日々を思い出してるとこが、実に綺麗なメロディになっているから悲しくってしかたない。「I am the Editor」https://www.youtube.com/watch?v=EE1B8LebmW8&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP&index=24普通に別れのうた。恋愛を映画に見立てた歌詞。「この映画のラストシーンは僕には作れない」なんだけどね。これはシングル。「Someday Somewhere」https://www.youtube.com/watch?v=LKcF_TOlsp8&index=16&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP……えー、まあ、クリスマス前に恋人と別れてしまった幼馴染だけど好きな相手に思いを持ちつつそれは口にしない、という。ともかく身に染みたなあ。別に失恋したわけではないけど、ともかく意味もなく(本当に意味も無く!)孤独に苛まれていた時期だったので。「いつかどこかできっと誰かが君を待っている」ってのは、やっぱり何か凍り固まった気持ちに心地よかったんだなあ。だもので、「今はまだじっと窓を閉めて待つだけ」という時間をくれる感じ、というか。それにしても基本的に財津さんの描く男性像は、結構当時多い―――もしくは美学づけようとしていた「情けない格好付け」ではなく、「優しく見つめる第三者」視点というものだったなあ。まあだから対「嫁ぐ娘」な歌を作ったりする、要するに父親や兄目線だったりするわけで。どっちもちゃんと居たけど、そうでなくとも、冒険に出る若者、という不特定対象であっても、見守る視線であることが多いんだな。「さよなら道化者」https://www.youtube.com/watch?v=u3v9k8jMr8A&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP&index=18これはもの凄く悲しいうた。さだまさしの「みるくは風になった」とタメ張る部類。「死ぬほど好きだといえばよかった」って過去形はとてもとても悲しい。この曲が入ってる「THE LOVE MAP SHOP」は一週間系のエアチェックでゲットしてよく聴いていた。タイトル曲「THE LOVE MAP SHOP」https://www.youtube.com/watch?v=M_lXCuSLzY4&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP&index=48【送料無料】 チューリップ / THE LOVE MAP SHOP 【CD】これは普通に人生をどうやっていくのがいい? という感じの問いかけ的な曲。こういう曲で肯定されることを求めた結果www「迷ったらここで自分の地図を買っていく」というあたり、せかさない辺りが嬉しかったのかもしれない。財津さんソロとしては、何と言っても「WAKE UP」https://www.youtube.com/watch?v=av7h27v0HCg&list=PLzu6brJ8v1AmcZ_c7QkcwSb7aSpbAh7aP嫁ぐ娘に向けて視線、という「娘が嫁ぐ朝」と近い部分はある。んだけど、ワタシの個人的記憶からするとこの曲は新年第一発目にセイコーのCMに使われた、っていう印象が強いわけだ。長距離トラックがアメリカのハイウェイを走っていく光景と一緒に記憶をよぎるんだよな。だから嫁ぐ娘が~というより、目覚めよ、という印象が個人的には出てきてしまうのだわ。これが入ってるアルバム(LP)財津和夫/I NEED YOU AND YOU 【中古】ってタイトルはそのタイトルそのもんがすげえ気に入った。CDが楽天には入っていないのでアマゾン貼って置く。I need you and YOU ビクターエンタテインメント https://www.amazon.co.jp/dp/B002XYKAWY/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_dlF8zb2RZ2VT6 ちなみにタイトル曲「I need you and YOU」https://www.youtube.com/watch?v=fSnTcwGMJr0は「曲」と「歌詞」の関係について歌っていたな。この中で「誰もが悲しいから悲しいメロディに悲しい歌詞は似合わない」「悲しいメロディには明るい歌詞を明るいメロディには悲しい歌詞をいつも心がけています」はずーっと残っている。つか確かにこのひとの曲ってのはそういうところが多いんだよな。曲が明るいので安心してはいけない、という。それにしても、ソロの時の言葉の使い方がなかなか素晴らしくて。「逃避行」https://www.youtube.com/watch?v=rccZMgYR4qs「居留守番電話」「虚心未遂」「あなたはだれ」なんてタイトルだけでぞくぞくするんですが。それにしてもご病気大丈夫かな。寂しいときに安らげる曲をずいぶんとくれた人だし、長生きしてほしい。
2017.10.27
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先日出したTINNAなんだけど、ベストテンに入るわけではない程度にはヒット曲がある。「マンディ・モーニング・レイン」https://www.youtube.com/watch?v=xV_Ql4kwRWEこれは確か朝のニュース/お天気番組の中で使われていた、らしい。この時期その局を見ていなかったか、その部分を見る前に学校に行ったのか判らないけど、ともかく番組では見たことがない。しかし「ペーパー・ドール」https://www.youtube.com/watch?v=u3JNpca89hI&list=RDTQ1q8Wsxj5gの生歌映像が見られるとは。すげえな。保存していた人。で、先日も書いた「もう一つの心」https://www.youtube.com/watch?v=TQ1q8Wsxj5g&index=1&list=RDTQ1q8Wsxj5gこの曲大好き。例のごとくFMで聴いてテープにおさめていたんだけど、この時もちょうどライヴをまるまる録音できた、ということも。それが実はあがってて感動。1980年の中野サンプラザだったそーな。だからこそワタシがエアチェックできたんだな。でないと時期的に興味持っていないと思う。https://www.youtube.com/user/uz3288kid/videos感謝感謝。後になって音源キープしておきたかったので、LP盤入手しましたよ。で、レコード→データに通して一応バソには入れてある。4枚くらいあるかな。F1とのタイアップとか、なかなか色々やってた。まあワシの彼女達の原点はこのライヴの音なんで、あとはその曲がどこに入ってるか、だったんだが……このあたりの曲の流れがワタシのキープしてあった奴らしい。「FEEL IT」https://www.youtube.com/watch?v=xJcoE6Wj4OA「二人の時代」https://www.youtube.com/watch?v=kZk18lyLHSM「VIDEO KILLED RADIOSTAR」https://www.youtube.com/watch?v=BbszvVi4G7o「Sailing on my dream」https://www.youtube.com/watch?v=srkMf2qIeKc「Little daring~Money Tree」https://www.youtube.com/watch?v=6AboiDwRK0E「Monday mornihg rain」https://www.youtube.com/watch?v=uZkvRirShAE英語詞が中心なんだけど、「二人の時代」は情景がもの凄く好きだった。少なくとも当時の日本感が無かったwwwアメリカかどっかで暮らしてる印象の曲で。まあ憧れというものですわ。「VIDEO~」はバグルスのコピー。だけどこっちを先に聞いてしまったからなー。どうしても先に聞いて好きになったほうが自分の根底に入ってる。ちなみに帰国子女、さすがな英語。「Sailing~」は英語だけど歌えるスピードだったので、歌詞カードが入手できたときには歌ったなー。夢の中を自力で泳ぐ、戻れない、でも、って感じが。今だったら聞き取れるけど当時は()何かですね、当時から妙に「自由だけど孤独/にぎやかだけど不自由」という命題に対しては「自由」という答えしか出せなくてですね。あれですよ。今でもそうなんだけど、「人と暮らせない」。気ままな暮らしとテンポでやっていくのに、どうにも誰かが近くにいる図が想像できなかった。もう小学生の時からそうだったから、筋金入りなんですが。まー体質もあるんでしょうが、「聴きたくない音」が「不意に」立てられるのが辛い。だから少し後のウォークマン流行るより前の辺りでも、ともかく人を遮断して何かやっていたいときには、音楽流しっぱなしだった。一軒家万歳ですね。で、同じ曲リピートしまくる。ちなみに大学の寮で後輩に困られたくらいだから、相当なものだったと思う(いわれるまで気付かなかった辺り……)。この繰り返し再生のせいで、音楽が頭の中で周囲の音と同時にそのまま再生されるようにはなったけどね。だからカラオケとか行くと、「歌い易い音」では無理。原曲キー以外無理なんだよな。外せない。「Money Tree」は歌詞の中の状況が面白い。マネートウリー、金のなる木の男を探す、だからあなたはいい男だけどサヨナラ、というバイタリティある女のうた。そう、バイタリティある二人の女、だったんだよな。外見知らないままに、そういう二人の曲が。だ・か・ら!ホントにCDになってほしいんだけど、某NICOとかREICO同様無理な人々の一つなんだよなあ……とりゃずは、レコード→データができるようになったのはありがたい時代だと思うざんす。
2017.10.25
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ワタシが小学生だったのは、基本、昭和50年代だった。履歴書に書く時、卒業が昭和55年春ってことだから、義務教育は大半50年代と言っていい。さて。いい記憶と悪い記憶はどちらが残りやすいかというと、断然悪い記憶である。悪貨は良貨を、じゃねえが、日々の楽しいことが、一回の悪い記憶で相当思い出せなくなる。それだけいい記憶は日常の単純な繰り返しにあり、悪い記憶はアクシデントなんだ、ということなんだろうけど。でもまあ言えるのは、・休み時間の室内遊び・ときどき外遊び・体育以外の成績・図書室で座り込んで読書はいい記憶の部類だな。室内遊び。まず記憶にあるのは「せっせっせ~のよいよいよい」で始まる手合わせかな。「八十八夜」「アルプス一万尺」「みかんの花が咲いている~」「おちゃらか」が定番。特に「おちゃらか」途中じゃんけんを挟むやつだけど、これがどんどんスピード上げていくという。次にあやとり。これは中学年から高学年にかけて、編み物するようになると出てくるんだけど。何だかんだ言ってワタシは「*段橋」「ゴム」「ほうき→庵」「ばったんぼうき」「蝶」「指ぬき」とかやってたな。あと二人でやる「網→川」系の二人あやとりを一人で延々繰り返す奴。ワタシの時代、珍しく最低で24人一クラス、という時代だったので、(で2クラス)半分後ろが空きまくっていた。そうなると……まあ、するわな。ほうきとかで野球もどき。体操服で一日過ごすガキどもは汚れることに躊躇はなかった。外遊び。基本ワタシは運動神経鈍くてついていけないのだけど、ボール遊びはよくやったような。グランドに紐で10メートル正方形があちこち張られていまして、そこを四分割しての、ボールをワンバンさせて手首あたりで打つ、通称「ガッター」。何でそういう名だったかは不明。四分割系だと真ん中に四辻を作ってそこに鬼が居て、通らせないという遊びもあった。あれは何だったっけ。……まああとはあまり記憶にない。のでお察し。体育以外の成績。これはまー、幼稚園の頃からマンガ雑誌読みふけっていた辺りからお察し。読書家は勝手に国語はできる。のでまあ、「よくできる」「できる」「がんばろう」の三段階なんだけど、フツーの学科はまず「よくできる」だった。図工と音楽と体育は微妙だった。体育は……まあ何というか。なのでここで苦しむことはなかった…… が、夏休みの「自由研究」は困った。当時「研究=理科」だったから、もうテーマがさっぱり浮かばない。社会とかの選択肢が欲しかったなあと思う。図書室。たぶんここが一番好きだったんだと思う。特に皆が滅多に読まない―――滅多どこじゃねえ、まず誰も読まないぶ厚い「少年少女世界名作文学」をこれでもかとばかりに読んだなー。あと「マンガ日本の歴史」。これはワタシがざっくり日本の歴史の流れを覚えるのに役立ったなよー。伝記もわりと好きだった。逆に好かなかったのは、その他の当時のフツーの「児童文学」。超つまらなかった。本ってのは、現実から逃避でも浮遊でも何でもいいけど、ともかく離れるべく読むものだった。だから何でまた自分達と似た境遇の連中の話? と思ったもんだ。何かしみったれた感が強かった。まあ、生活綴り方の延長線上の日本児童文学だとしたら、そりゃつまらねえわ。人があまり出入りしないから、他の教室よりワックスが減らなくて床がつやつやしてた。ちなみにこのワックスをかけるのが、土曜日だった。半ドンってのは何だかんだでわくわくさせてくれるものだったと思う。……小学校までは。いつもと違う時間配分、そして時々最後の時間に入る「非日常」な行事。それはたとえば、避難訓練のあとの集団下校だったり、ワックスがけだったりしたわけだ。(まあようすんに集団登校も下校も特別なものだったってこった)ワックスがけは、部屋の机も椅子も全部廊下に出して、皆で固まりワックスを体操服のままでひたすら雑巾でかけるわけだ。終わったときにはその雑巾は処分。そして手は油だらけw着替える暇は無いから体操服で帰る。記憶の中のそういう日は大概お天気で、特有のにおいのする中、(好きだった……)「もう帰っていいんですかー」「まだー」とかやってようやく帰ることができる。これはいい記憶。というより「美しい記憶」のほうかな。*************悪い記憶wwwいやもうこれは色々出てくるさ。前提として。ワタシは幼稚園時代からでかかった。というかワタシの身長の成長期は殆ど小学校で完結している。中学はそれにちょっと足し、程度だった。そして横幅もあった。足は遅い、幼稚園のドッジボールではBチーム、自転車に乗れるのも周囲よりは遅かった。ということで最初から可愛げの無い子供だった。+三つ上に兄貴が居た。彼がまた、まあガキ世界の中で必死だったのだろうが、給食の配膳で低学年当たったとき、こっちを無視するタイプだった。ということで対してこっちも奴の妹と見られるのは嫌だった。まあ家では二年くらいまでは一緒にボードゲームもできたが、さすがに彼が高学年となるとな。サツカー少年団もあったし。そう。この運動系なこと。これがまずあかん。三年までは何もなかった。だが四年から男子は何故かサッカー少年団、女子はミニバスケットボールか合唱部に入ることになっていた。運動あかんワシはもうそら、合唱部しかないわな。まあ歌を今でも覚えているくらいだから、そーんなにこの部活は悪かったわけじゃない。ただ別に好きというわけではないから、図書室経由で遅刻はしていたような。で、いつも凄くこの部活で困ったのは、先生の求める合唱的な声がさっぱりわからなかったことだと思う。でもまあ、それでもそれほどではない。困ったのは、五年から強制的に参加させられる「陸上部」(秋)と「水泳部」(夏)だった。ただし「陸上部」は、もう最初から持久走の最後でぶっ倒れた。これは今でも確信犯だったことを記憶している。で、「こいつはあかん」というふうに持っていかせた。だが水泳部はそうもいかない。プールを利用する放課後とかだから。そう簡単にリタイヤはできなかつた。運動系で楽しんできた友人は「苦しさの果てのやりきった感」とか言うんだけど、ともかくこのヒト耐性が無かったんだよな。25メートル泳いだあと、次の番が来るまでに回復できない程度にスタミナがなかった。だからこれは凄く嫌だった。ただし強制とはいえ、30分間回泳は良かった。強制的な運動といえば、冬のマラソン。カードでマス目を埋めるタイプだった。低学年中学年高学年と一周のルートが変わった。無論、足が遅かったので遅々としていた。……が、一人で走ること自体はそうキライではなかった。これは大学でダイエットのために走っていたときに気付いたんだけど、結局「一人で走る」ことには全く嫌気は無いのだ。何が嫌だったかというと、「皆で」走らされることだった。これはもう、通常の持久走しかり、マラソン大会しかり。皆が既にゴールしまくって、もう終わったことになってるときに、ようやくへろへろになってゴールする。周囲誰も居ない。そういう足の遅さというのは、どうしようもなく暗澹とした気持ちになるんだよな。これは中学も同じ。おそらくはその原因である肥満も、幾度となく無意識に……なあ。その中でも一番今でもトラウマになっているのが、「肥満児体操」。わざわざ昼休みに呼び出されて、体育館で太ってる子だけ運動させられた。で、いつの間にかフェイドアウト。少なくとも記憶ではフェイドアウトなんだよ。だったら何でそんなことしたんだと言いたい。嘘でもいいから可愛いとかここが好きとか多少太っていても好きだ、的な言葉や行動があったら、と思う。「太っているから」好きだ、というのと上記のそれとは微妙にニュアンスが違ってな。結果として、「それを気にしない」態度を作るほうにシフトするしか選択肢がなくなってしまった。まあ自分の場合は下手に少女マンガスキーだったことから、ある程度以上の美意識っーものがあったんで、「ああ無理だ」と見限ったのが早すぎたというのもあるが。それでも小さな頃に親だの身近なひとに言葉を惜しまれないことは大切だよなと思うんだよ。どうしようもなく。ところでその肥満の原因は必ずおやつがあったとか、家と学校が超近かったとかあるんですが。まあともかく。給食ってのもあるよな。正直これも結構あまりいい記憶がなくてなー。生トマトが青臭い奴、1/4ごろん、だったり、千切りキャベツがただ置かれてるだけとか、何っか味が合わない大和煮だの和風ものがどうにも合わなかった。で、まあずるい子供としては、よく「白湯のためにもってくるコップ」にこっそり入れて残したものだ。でないと、給食室で昼休み~掃除の時間まで食わせられた。つか、そういうことがあったから、ずるい方法に目覚めたんだが。プリンとかは好きだったけど、「カロチンゼリー」でにんじんが苦手なの拍車がかかった……一見くだもの系かと思ったら、にんじんゼリーかい! と騙された感がトラウマだったんだろうな……あ、あと当時何故かよく出たサラダ。このフレンチドレッシングが本当にワシ的には口に合わなかった。今ならたぶんフツーに食える。当時の味覚にあわなかったんだよな。ああもう、悪い記憶なら幾らでも出てくる。いい記憶の中に入っているはずの遊びの中でも、丸太を飛び越すときに転んだとか、太鼓橋を渡るのが怖かったとかジャングルジムには高所恐怖症で上がりきれなかったとかそういう……結局ソロ活動が一番好きで、「早くうちに帰りたい」がこの時点で既につくられていたのだったのだ……これが中学になるとだな、もうどうしようもなくぐだぐだなので、それはまたそのうち。
2017.10.23
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低気圧~すぎ~なので~身体がだるすぎ~です~ついでに仕事中からずーっと胃腸がきりきりで力が入りません。日本茶より麦茶が美味しく感じるということは。ここはもう全て台風のせいということにしておきましょう。いやまじ気圧にすげー敏感体質なんでな。気象病って言い方が最近出てきてありがたい。昔は相手にされなかった……http://www.mag2.com/p/news/151799https://ja.wikipedia.org/wiki/気象病https://style.nikkei.com/article/DGXKZO88513720V20C15A6W13001?channel=DF140920160919極端な例がhttps://momonestyle.com/the-poor-physical-condition-due-to-the-low-pressure【第2類医薬品】【エーザイ】トラベルミン1(ONE) 3錠【酔い止め薬】酔い止めをのんでおく、というアドバイスがありますな。選挙のほうは個人的な推しは何とかなったし、全体の政局もまずまずだったし。でも比例で(涙)。気を取り直して。**ニューミュージック(鍵盤)ではなく(ギター)の人々は、正直気取っていた。と今では思う。一番いい例が松山千春だよな(笑)。当時テレビに出ないことがポリシーとか言っていたけど、とうとう出ることになったときも、あくまで自分の考えを述べて、「季節の中で」を歌うだけ、という。何をつっぱってやがるこのヤロー、と当時思ったわけではないけど、何だかなあ、とは感じたらしい。まあこういう状況があったらしいwwwhttps://www.youtube.com/watch?v=nkaTpndPt70まあ情報の全てが全てホントであるとは限らないけど。うーん、当時は「テレビなんかに出られるか」という感じだった気がするのね。ファンへのメッセージも、そういう感じに聞こえたんですが。まあ単にワシあまりこの曲好きではなかったというのもあるんだけど。ただし山田さん(動画の中の人)、コンサートとかで……かもしれんけど、ブレイクしたのは明らかにCFのおかげだぞ。そのあたりを飛ばしてはあかんと思う。当時、フォーク系ニューミュージックは結構CMに使われてブレイクしたってのが多かった。さわやか系菓子のCMとかな。岸田智史が一番いい例だ。ドラマ出演+挿入歌でブレイクした。「きみの朝」https://www.youtube.com/watch?v=KKZduYqN4so&list=PLOOleS5s-AmKCoU3uc2R74mtxlMC1UeM6まーこのドラマ、「愛と喝采と」という業界もので、「木曜日の10時」「岸田は主人公ではないけど、ヒロインが売り出す歌手」「その中で大ヒットする曲」という設定があったんですね。個人的にはこの主題歌のほうが好きだった。声も曲も歌詞も全部。理解できていたわけではないと思うけど。TINNA「もうひとつの心」https://www.youtube.com/watch?v=TQ1q8Wsxj5gこの人達のことはまたいづれ。無茶苦茶好きなのだ。ただしこのデュオの一人、惣領智子は少し前の時期の同じ時間帯のドラマ「愛がわたしを」というのがあって、そのテーマを歌っていた。さすがにこのドラマは見ていられるほど長く起きていられなかった。そういう歳。「終わりのない歌」https://www.youtube.com/watch?v=jV5Pk3xHFigで、フォークギター系は結構その後も出てきましたな。結構一発屋が多かったのは、やっぱりCMソング使いのせいだと思う。その曲しかヒットはしていないという奴ね。岸田智史の場合は、一応挿入歌と、ドラマで使われたってことから、桜中学シリーズに出演したりしていたな。ちなみに円広志も売れた人なんだが、このひとはギター持ちではなかった。団体もありましたな。NSPとかいい例。この辺りはどっちかというとAMラジオで知ったクチ。でも今この動画探したら、何ってことない彼らのポプコン系かい。NSP「八十八夜」https://www.youtube.com/watch?v=oYcfx7jZDigあと、アリスが出てきたのち、オフコースとチューリップ、そして柳ジョージとレイニーウッドが入ってきた。ただしアリス以外は見た記憶が無い……とはいえ、彼らは好きだった。ただし「エスピオナージ」までだし、あくまでアリスであって、単品ではない。アリス「冬の稲妻」https://www.youtube.com/watch?v=j1EQy38mwL8まあこれはフォークとロックの中間って感じだったんだと思う。ちなみにこの頃文化放送で「セイ・ヤング!」という番組がありましてな。深夜放送でずいぶんぶっちゃけていたらしい。というのも「聴いたことはな」く、ただミニ本でその内容読んで爆笑していたという記憶があるだけだからだ。アリスとばんばひろふみが基本で、ばんばなぞ、よく奥さんの平山ミキとのことをえらくやばいエリアまで茶化されていた。「天才・秀才・バカ」だったかな。個人的に歌詞が好きだったのは「涙の誓い」https://www.youtube.com/watch?v=6lIUImfW7Sk&list=RD6lIUImfW7Sk&t=29だったかな。まあやっぱり「手首の傷跡」とか出てくるしww「チャンピオン」https://www.youtube.com/watch?v=FtP-RQFpRtcは、ストーリー性があってよかった。これは「エスピオナージ」にも通じるよな。ちなみに結構ワタシ、谷村と堀内の声の区別ついてませんでした。でまあ、こういうギター系の人々は、アルバム曲にまで手を伸ばさなかったなあ。歌詞のせいもあったかもしれない。フォークすぎる人々の場合、演歌のフォーク化、という感じの無闇に女々しい視点とかになる場合もあった。そうでなくとも「おいおい」というものもあったし。まあ単純にこの世界観がきにくわなかったのか知らないけど。ともかく別冊マーガレット愛読者の何とやらにははまらなかったってことですな。アルバムに手を出すのはフォークではないニューミュージックなグループに関してだなあ。ただしツイストはまだ早かった。それにあれは「歌謡ロック」色がやっぱり強かったり、個人として歌詞に惹かれるものがなかったんだと思う。格好よかったとは思うけどね。まじにアルバム曲を集めたバンドになるのは、サザンオールスターズからだわ。ただし彼らに関しては、初期曲が好きで、アルバム「タイニイ・バブルス」がベスト。それ以上はない。ときどきいい曲はあっても、ワタシにとっての彼らはそれがベストだった。……ところでサザンに関してはカバーしか出てこない。管理すげえな。ので、ぎりぎり「叩いてみた」で、個人的にその中でも一番好きな「ふたりだけのパーティ」https://www.youtube.com/watch?v=mXSCHPeKYFs「お願いDJ~C調言葉にご用心」https://www.youtube.com/watch?v=ozWXOOjPLLs「涙のアベニュー」https://www.youtube.com/watch?v=7bQjS_R2rus「シャ・ラ・ラ」https://www.youtube.com/watch?v=mwTRK7AFqDY「シャ・ラ・ラ」だけは少し後になるんだけど、これはサザンのクリスマススペシャルみたいな番組がFMで企画されて、その中で印象的だったというのが。まあその時の「クリスマスはそれがあるというだけで贈り物」という意味の言葉が今でも残っている。別にどういう起源でも何でもいいけど、誰かのことを思ったりやさしい気持ちになったりすることができるきっかけになる一日、それ自体が贈り物なんだ、という。ちなみに語っていたのはヒロシだった気がするんだが。彼は彼で「松田の子守歌」はいい味だったなあ。原由子の「私はピアノ」はみづえがカバーしたが、ワシはオリジナルの方がだんぜん好きだ。ちなみに桑田と原さんが結婚したときびっくらしたことも事実どす。ほほほ。だってそういう感じ全然見えなかったし。だからガキだったんですって。あ、そーいえば彼ら、ホモセクシュアルな人々を歌ったことあったよ。B面だったけど。「ブルースへようこそ」って曲でな、当時歌詞カードが記号だらけでわかんねーの。カバー https://www.youtube.com/watch?v=zIFoE53XZN0歌詞(今は出てるのね!)https://www.joysound.com/web/search/song/56164歌詞読んでみて、腐女子。すぐ意味わかると思うから。いやーよくまあ当時書いたよなあwwwwwwwwwwwwwああそれにしても足だるいよ~はよねろ、という啓示であらう。
2017.10.23
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今日のお題は「共同浴場」。「銭湯」と微妙に違う。ワシの育った及び現在住んでる町のはなし。ウチの町は糸偏的に栄えた時期ってのが昭和30年代~40年代にあった。で、たぶんその時期にきっちりできたのが、「共同浴場」。本当に、ただ大風呂に入りに行く場所。自治会で管理していて、北地区・西地区・中地区(仮名)に一つずつあった。少なくともワタシは三つ知っていた。ところでワタシは家を出るまで、住居に風呂があるという状態を経験していない。そのあとの大学寮も掃除当番は半年に一度回ってくるだけだった。風呂掃除の習慣がいい加減なのもその辺りが(おっと)。天井にカビがあっても(おい)。とにかくまあ、「行けば入れる」風呂を、一人暮らしをするまでずっと使っていた。そこは夕方6時~夜10時くらいまで開いていた。季節によって微妙に30分くらいずれはあったけど、だいたいそのくらいだった。ということで、風呂に毎日入りたいと思えば、10時までには必ず帰っていなくてはならない。もしくは夜遊びする連中はその後にする。そういうことだったと思う。ワタシは基本「はやくおうちに帰りたい」人だったので、高校卒業までは夜遊びの記憶は無い。中学に入るくらいまで、北地区の風呂に通っていた。だけどその辺りから、町内で自宅風呂を作るところが増えてきた。本当にガキの頃は、もの凄く混んでいたときも記憶にあるのに、最後の頃は早めに行ったら独り占めということもよくあった。今でもビジュアル的に思い出せる。名前は「朝日湯」だった。男が右、女が左。建物の前に、でかいソテツが男女それぞれに植わっていた。すりガラスの入った両開きの戸。これが本当に重かった。開けるのにコツが要った。夏になるとのれんがついて開きっぱなしだった。冷房なんて入っていない。扇風機のみだった。ほんの小さな頃、男湯に行ったこともあるけど、そこには小さな飲み物の入った冷蔵庫があったかもしれいが…… これは胡乱だ。冬は寒いのですぐに閉めた。戸の前には目隠しの衝立?が立っていた。開けても中の人々が見えないようにするものだろう。時々何かポスターが貼られたりしていた。なのだが、基本的には見える見えないなんてことには大らかだったと思う。女湯側からだと、入るとすぐに番台があるんだが、そこに入浴券を刺すものがあった。20枚綴りくらいでまとめ買いする。最終的な値段としては、一回120円くらいだったろうか。当時東京の銭湯に行ったとき、その三倍くらいで、何って高いんだろうと思ったくらいだ。ただしその分、サーヴィスもへったくれもない。自治会管理なのだからしかたがない。番台のおばーさんの背後には手書きの洋品店の広告が貼られていたり、カオスだった。上がってすぐのところに体重計があった。ヘルスメーターではない。あのひどく重い鋼鉄製の奴だ。人から目盛が丸見えの。竹製の、茣蓙が敷かれたベッドが鏡の前に置いてあった。赤ちゃんを寝かすものだった。鏡は何処かからの寄付だろう文字が書かれてた。その上に首振り扇風機があって、夏活躍する。……冬、ストープだったかな……これは記憶にない。で、夏に外で涼む、というとこがあって……ええ、まあ出たまんま首の辺り程度までのトタンで囲われた「だけ」のとこに、皆平気で出てました。まー見られたとこで大したことはなかったんでしょう。実際、この屋上に自治会館の一つがあったんだけど、ところどころ下の鉄でできた屋根?的な部分のやぶれから、浴室をのぞけるようなとこはあちこちあった。ガキはまー、一緒に来た両親がなかなか出てこないと、外遊びするものだったし。ちなみに鏡は右側。中心に向かってか。その奥、出入りの足ふきの右側に水道があって、ここでよく出た後ののどをうるおした。中に入ると、中央に浴槽。段差があって、座ることができる。基本的に湯は熱かった。入れないくらいだった。最初に入ったらまず水を出しまくって少しでもぬるくするという役目があったwwぐるりと蛇口。と言っても「押す」タイプだった。しかも力が要った。これはある程度使うのに適した温度のものが出た。それで熱いと思ったら、わざわざ水の出る蛇口から汲んでこなくてはならなかった。床は四角の小さなタイル。浴槽もタイルだった。余裕がある時は皆蛇口を使ったが、ないときには浴槽の湯で洗った。というか面倒だったらそうした。入ってすぐそこに一つだけシャワーがあったけど、まず誰も使わなかった。ちなみに椅子はなかった。皆床に直に座っていた。これは三つとも共通だ。べだん、と。今考えてみればまあ、抵抗力はそういうとこからついたんかい、という感じだ。そもそも当時、一日二日風呂に入らなくとも別に何も言われなかった。生理のときなど、はじめの頃はその期間は行かなくてもいい、とも言われたものだ。まあこれには、今考えると二つ理由が考えられる。一つは自分のもので周囲が気分悪くする、もう一つは感染だろう。それこそ直座りなんだから。なので、小学生の時は何日経つと内巻きだった髪が外はねになるか、なんて暢気にやっていたものだ。まあさすがにチャリ漕ぎまくる中学高校になったり、そもそも人が減った時期になったら、その辺りは構わず行くようになったが。浴槽には何故か、目を洗うときの?水が出るところがついていた。我々は基本的に水のみ場と理解していた。大人の入浴時間は長い。子供は暇になるのだ。ちなみに。当初はワタシは母親と通っていた。ミニサイクルの後部に乗せてもらっていた状態だ。一番近い朝日湯でも、自転車が必要な程度な距離だった。今現在のゴミ捨て場にも思うんだが、ともかく多少の距離がある。多少だが。なのでともかく小学一年の時には自転車に補助輪をつけて乗り、二年の時には取って乗れるようにはなっていた。少なくともワタシの生活には必需品だった。まあその話はまた今度詳しく。で、出ると着替えて外に出ると涼しい。心地よい。これは冬でも相当温まっているので、ちゃーっと帰るくらいは充分熱が保った。ところで風呂上りに何か買う、という行動はなかなかしなかった。というか、できなかった。当初は親と一緒だったし、自転車で一人で行くようになっても、金など持っていない。入浴券だけだった。まあ駄菓子屋はあることはあった。駄菓子オンリーのところと、駄菓子も扱っているところと。当初はすぐ横にある小さなところで買ったものだった。そこの老夫婦が閉めてしまうと、もう一軒に行くようになった。どちらの店でも、今で言う「遠州お好みやき」があって、結構憧れだったりした。兄貴は文房具やの方で食ったこともあったらしいが、定かではない。この北地区の湯がとても好きだったのだが、最初に閉めたのはここだった。利用者が居なくなり、ああ、湯を沸かしなおししているよな、とわかるときもあった。あと、ある日唐突に恐ろしい異臭がして、それが数日続いた。皆それは知っていたが、だからと言ってなかなか行動は起さなかった。しばらくして床下を探ったら、猫の死骸が出てきて、消毒のために数日休みになった。正直、今思うとどうしてこの臭いが死骸のものだと大人達が気付かなかったのかと思う。彼らは少なくともワタシよりずっとそういうものは知っていたはずなのだ。時代的に。ワタシが自転車をとっとと覚えた理由の中に、当時はまだ野犬が多かったから、というのがある。当時から重たく、運動神経が鈍く足が遅いワタシの逃げるための必需品だった。ともかく当時の野犬というのは、ひたすら追ってきて非常に怖かった。まだそんな名残があったのだ。大人達は、当時の両親世代でも充分死骸の臭いを知っていておかしくはなかった。ただすぐに動かなかったのは、それが彼らには大したことではなかったのではないかと、今になっては思う。やがて朝日湯は閉まり、次に中地区の「東湯」に行きだした。ここはやや小ぶりで、そろばん塾の近くだった。だがそこもやがて閉鎖して、西地区の「浪速湯」へ行きだした。で、何とか高校時代まではそれで通した。ワタシが大学に行ってのち、二年から四年の間で、とうとう我が家も風呂を作らざるを得なくなったらしい。らしいというのは、その間の経緯がわからないからだ。ワタシは大学四年間のうち、耐震工事のせいで夏休みが二ヶ月まるまるあった一年時以外、何か妙に意地になって実家に泊まることをしなくなった。正月当日にやってきて、日帰りするのを三年間続けた。そして最初の職場で思いっきりあかんくて半年で辞めたのち、実家に戻ったときには既に風呂があったという次第だった。そしてこの時、うちの母親は某アム*ェイにはまっていたので、掃除はワタシにはさせなかった。……し、余裕もなかった。というか、家事は彼女のテリトリーだったので、手出しができなかったと言っていい。洗濯と自室の掃除以外はやるのを躊躇われた。それがたとえこれでもかとばかりに埃がたまった一角であろうと!今でもでかい共同風呂はいいなあと思う。ただし実用的に一番良かったのは、学生寮のステンレス浴槽になったときのものだ。所詮あとはノスタルジイに過ぎない。
2017.10.22
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先日八神純子を話題に出したけど、この同時期には結構「鍵盤の弾き語り」系の歌い手が出てきた。その一人が久保田早紀/久米小百合であり、もう一人が原田真二だったなあ。越美晴も。のちにコシミハルって名になったけど。あ、鍵盤の、というのはピアノとは限らなかったからね。で、久保田早紀。ワタシは一枚目のアルバムのエキゾチックさは好きだった。まあ「異邦人」https://www.youtube.com/watch?v=Ic6S7t3kSkEで出た人ではあるんだけど、(凄い美人……)正直このB面に入っていた「星空の少年」https://www.youtube.com/watch?v=iYnmLMqJfS4の方が好きだったし、他にもファド歌いの「ギター弾きを見ませんか」https://www.youtube.com/watch?v=QyFg89QGMbIとか、北欧っぽい「白夜」https://www.youtube.com/watch?v=61jkILgi8H8とか、♪どこでもいいから私を飛ばして~の「夢飛行」https://www.youtube.com/watch?v=3Pzyt18GJY4とか好きだったんだよな。ただし84年のフェアウェルライヴだとずいぶん歌い方が違うな。最初の時期のが一番好き。夢がたり [ 久保田早紀 ]古くならないいい曲が多いと思う。このかたは久米小百合名義になって、賛美歌とかそっちうたう人になった記憶。……でもこういう動画もあるからよくわからないなーどんどん人って変わっていくというか。https://www.youtube.com/watch?v=sMXNIMcShwg越美晴は「ラブ・ステップ」https://www.youtube.com/watch?v=qqnELya3eK4がヒット。次の「マイ・ブルー・サマー」https://www.youtube.com/watch?v=9sXgo9CpyYo以降はいまひとつテレビで見た記憶はない。実際上手い人だったと思うんだけど、二曲目からの印象と、アルバム曲をよく聴いていなかったので、「恋はファニー・フィーリング」くらいしか覚えていない。のちにコシミハルとカタカナ名前になって、85年にはこういうアルバム出してるから、ホントに声楽系のひとだったのかなー。https://www.youtube.com/watch?v=kWRV3iurSmI2003年のがhttps://www.youtube.com/watch?v=HvSe9wfuf44ゴシック?でもともかく音楽畑なのね。で、原田真二。いやーあのもじゃもじゃカーリーヘアは結構当時は居たね!クリスタルキングの高い声のひとが一番目だってたけど、原田真二も当初は凄かった。ゴールデン☆ベスト 原田真二 OUR SONG 〜彼の歌は君の歌〜 [ 原田真二 ]だいたいこのアルバムに初期のは入ってるのよね。「キャンディ」https://www.youtube.com/watch?v=bbSAoWEzqA0&list=PLlDhqkJxyfSGadrx6LCy48aOboVQvaPAPでブレイクしたんだけど、ワシ的にはその前の「てぃーんず・ぶるーす」https://www.youtube.com/watch?v=5p7dz5Km-9I&list=PLaMt_6LO9BpdkeysWNQDNZnVfRcjVIZY3が好きだった。曲の展開が今になってみると面白いんだよな。「シャドー・ボクサー」https://www.youtube.com/watch?v=W7MPlEC_xJI何でシャドー・ボクサーなのかが最後でわかるんだよな。ロックだよ。今聞くとちゃんと。「タイム・トラベル」https://www.youtube.com/watch?v=PrHAaO1vtscこれは歌詞の勝利。ちゃんと物語になってるんだよな。すげえ広がる。SF。ファンタジー。「サウザンド・ナイツ」https://www.youtube.com/watch?v=jfH5Xacb0Vkこれはタイトル通りアラビアン・ナイト。楽しい曲。「OUR SONG」https://www.youtube.com/watch?v=adtj5XBOswkこれはちょっと毛色が変わったというか、この辺りからテレビ受けを気にしなくなった曲つくりになったよなーという感じ。どうもこの時期のロックの人は安らぎとか愛とかスピリチュアル系に走る人が多かったのかどうなのか、その気が感じられた。ただこの曲は、何故かチョコレートのCFとメイキングでピアノ叩いてる図、というのが印象に残ってる。あと「SWEET BABY」https://www.youtube.com/watch?v=zTjXuVAo5WA&list=PLbAXqKBLRBbST6JCl6uX1Uv4XFebP5Psw&index=17原田真二はここまでが一時期、という感じなのね。歌番組ではそうそう見なくなった。ただ音楽活動はずーっとやっていて、どんどんサウンドはロックになってった。一方で曲の提供も熱心になって、たとえば「パイナップルアイランド」https://www.youtube.com/watch?v=N4BYcQRGFNYを松田聖子に書いたり、「フライデーナイトレビュー」https://www.youtube.com/watch?v=ZdeFYFl-dag(これは吉川音源)を吉川晃司に書いたりだな。セルフカバーがありましてな、やっぱり彼が歌うと彼らしくなる。ゴールデン☆ベスト 原田真二ー1992〜1996 SHINE THE LIGHT COLLECTION- [ 原田真二 ]バンドも組んで、「原田真二&クライシス」でも活動。この中では「Natural Stream」https://www.youtube.com/watch?v=DDPzpcPrybEがいい。……だが個人的にこの曲と似た路線の「Carry on」https://www.youtube.com/watch?v=4jQHvulmMRIがあとあとの彼の曲はではベストなんだよな。……内容は何かもう世界の終わり的な感じなんですが。つかよくこの動画あったな。【ゆうメール発送可】【中古】【中古CD】原田真二&クライシス/ゴールデン☆ベスト原田真二&クライシスLIFE〜ポリドール・イヤーズ1980-1981[スペシャル・プライス]【レンタルアップ】でもまあ、このお三方に居えるのは、元々が音楽やってた人々が「弾き語り」とむいう形で出ることで、アイドルとは違う路線で出て、そのあとも様々な形で音楽やってったってのは強いと思う。作曲でも企画ものでもバンドでも賛美歌でも。あくまで、音楽。
2017.10.21
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ちなみにURLまんま貼り付けなのは、リンク仕様にするのが面倒だからです。基本見てくれるのはパソの人だろーかなという予想から。違ったらごめん。さて昨日は八神純子はアルバムカセット二個入手したと書いたわけですが。当時入手したのは彼女だけでなく、これがありましたよ。ゴダイゴ。時期は「OUR DECADE」【CD】OUR DECADE 紙ジャケット仕様ゴダイゴ [COCP-51090]。シングルなら「はるかな旅へ」https://www.youtube.com/watch?v=GQdwLLGghJs&list=PL5_KKjclU2H_QLvvgb1TtdqMnb8EB8Adrの頃。いやーこれは全曲英語でしたよ!テレビでやるゴダイゴってのは、たとえば「ビューティフルネーム」「999」なんかの時には、一番は日本語、二番で英語にするってパタン。それでも何つーても元々このバンド基本全部英語歌詞でしたから!だからこういうまとめができるように、プログレバンドとして格好良かったんですよ。はい。https://www.youtube.com/watch?v=vbT0P27BQGo「モンキー・マジック」とかのコミカル曲だけでなく、「デッド・エンド」https://www.youtube.com/watch?v=eduYQQkzjRk歌詞/http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E02133とかの内容シビア(「ここは袋小路!」)なのとか、組曲とかもあって壮大だったのですよ。カセットにも対訳つき歌詞カードがありましたので、これは歌い込みましたよ。ええ、今でもそらで歌える曲があるほどに!思うと、かなり歌詞そのものはわかりやすい英語なんですけどね。ともかく英語なんて、塾で習い始めたばかりの小学六年には速さについていけるかどうかの問題。そのあとまあ、「DEAD END」 が入った新創世紀 [ ゴダイゴ ]「CMソング・グラフィティ」CMソング・グラフィティ・ゴダイゴ・スーパー・ヒッツ/GODIEGO[CD][紙ジャケット]【返品種別A】「走り去るロマン(タケカワユキヒデのソロ)」(LP)タケカワ・ユキヒデ/走り去るロマン 【中古】「マジック・カプセル(ライブ盤)」「マジック・カプセル」 [ ゴダイゴ ]を入手したけど……よく買ってくれたなあ。まあ服より本とか音楽、という子供だったからなあ…… 正直私服は本当にマジメに買った記憶がない。二択なんだよな、こういうのは。文化的嗜好物と洒落るための服と天秤にかけたら、前者のほうが物凄く重かった。「OUR DECADE」では何と言っても「Try to wake up to the morning」https://www.youtube.com/watch?v=r1ta1H8vkm8「Lighting man」https://www.youtube.com/watch?v=ljwZcOa0H58前者は今でもそらで歌える。歌詞がよかったのよ。それとあまり速くない。……まあ、今となっては、「目を覚まして、そしてちゃんと現実を見つめて」の意味だから……わははははは……組曲「新創世記」の中では、B面思いっきり使った壮大な組曲。組曲「新創世記」1 https://www.youtube.com/watch?v=60Xul88eDVs2 https://www.youtube.com/watch?v=ryk_qoIgnWoちなみに全部そのあと安くCD化してくれてありがたかった。CD文庫のシリーズね。ただCDになると、組曲はすげえ長いのに「一曲」扱いされるから、その中の一曲聞きたい、とか思うと曲の中で探すはめになる。しかし映像で見ると、ミッキーもトミーも歌ってたんだなあ。トミーが歌ってたのは他でもあるけど、ミッキーもだとは思わなかった。ふーむ。しかし今聞いてもすげえロック組曲だよな。個人的には最後の「釈迦の歌」がすげえ好きなんですわ。いや、まじこれ歌詞も良くてですね、後々えらく凹んだときとかにも結構癒されましたわー。歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E02132After running from this worldIt caught up to me in the endIt was only then, I found the wayI'm forever, ever,ever,ever,be free in this worldですから。 この続きというか、締めのように「御国」という曲があってだな。これも格好いい。のちのちの映像。年食ったね……https://www.youtube.com/watch?v=DEKYWnaS4kgLet your heart flyFly high, let it go freeLeave your body far behindLet it love once moreForever be freeって続くわけよ。いやよーく歌詞読むとそれはそれで怖いんですがね。解脱系だし。まあ凹んでいたのよ。若かったし。今だって凹むとこういう曲はすげえ心地よい。まああとCMソングで格好いいのが「スプリンター・リフトバック」。車のCM。まじ格好いい。https://www.youtube.com/watch?v=hqBXYWlHFgM&index=15&list=PL5_KKjclU2H_QLvvgb1TtdqMnb8EB8Adrその他CMに使った奴ではhttps://www.youtube.com/watch?v=BOuUY0otbc0&list=RDBOuUY0otbc0&t=28のライヴで。味の素もあったりしたけどな。♪赤いシャポーの味の素とか。音源は動画ではじめて聞けたけど存在は知っていたのが、「平和組曲(威風堂々)」。クラシックをうたうのはビリー・ジョエルの「This night」がベートーベンとか、有名どこでは「ジュビター」とかありますが、その先駆だよなー。すげえ格好いい。https://www.youtube.com/watch?v=XZR4mO2QN14&index=66&list=PL5_KKjclU2H_QLvvgb1TtdqMnb8EB8Adrあとまあ忘れちゃいけない「999」のB面だった「テイキング・オフ!」https://www.youtube.com/watch?v=4uN-CfEUw98この動画はどっちかというと999映画が中心ですなww……つかよくまとまってるよなあ……すげえ。タケカワユキヒデのソロでは、「僕のドリーム」https://www.youtube.com/watch?v=q7w4mmnrz0U「走りさるロマン」https://www.youtube.com/watch?v=hlS8iLJkMhcが好きだったかな。でも結局意味もよく判らず歌っていたという。前者は「自分の心から思うことを歌いたい」だから後々もの書くときに思ったけど、後者は「写真のように過ぎていく自分の思い出」だからまたこれは時代によって違うし。ちなみにこれ1976年なんだぜ!ライブ盤の「マジック・カプセル」は、ジャケットが当時のベンザカプセルのCFとコラボwhttps://www.youtube.com/watch?v=A0-IUCH1CJsこっちだと日本語歌詞だけど、こっちはライブ盤とは違う音源なのかな。歌詞が違う。https://www.youtube.com/watch?v=1DCdWn4Q6roでもまあ、オープニング曲としてすげえ格好いい。てなわけでまるまるゴダイゴ。いやまじ小学6年のときにはまっていたんですってば。これで結構英語のテンポが掴めた感はあった。……思っただけかもしれないけど。うわ、すげえ最近では当時の音源をコピーするツワモノが出てきていたよ!つまりやっぱり彼らの音楽は古くならない類だったのね……一例。https://www.youtube.com/watch?v=AbDcUwhOIII
2017.10.20
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小学5年でラジカセ、は当時としては破格だったかもしれないな。でもまあ、その前からラジオでAM/FMは聞いていて、ニューミュージックも出だした頃で、そして何といっても、いちいちレコードを買えるような時代でもなかったんだよな。ちなみに最初に作ったマイカセットに入れたのは、兄貴のラジカセで録ってもらったテレビの古谷一行の主演の「金田一耕助シリーズ」のテーマ「まぼろしの人」と、オリビア・ニュートン・ジョン「ハロー・ミスター・サンシャイン」だ。40年前だよ。しみじみ。でまあ、当時ワシは「畳が入っていない作りかけの部屋」に何年か陣取って、そこでエアチェック→カセット貯めるという行為に耽っていたわけさー。並行して、十歳違う従姉から別冊マーガレットを十年分くらい貰っていたので、それを年毎に並べては、繰り返し繰り返し読んで。時には親父の部屋(これも内装がまだ)から、何年分か貯めた「毎日小学生新聞」を持ってきては、連載マンガをまとめて読んだりしてだな。カーテン無し(これは実は今でもそう/レールを何故かつけてくれなかった)で休みの日なんか籠もってたもんだわ。日曜は親父がポール・モーリアとかレーモン・ルフェーブルとかがんがん大音量で流していたのがうるさかったけど……(それでこのテのものは苦手になった……)当時本当にぽつんと一軒家だったので、どんだけでかくても平気だったんだよな……まあそれでも、平日は夕方~夜と、FM愛知とNHK-FMでずいぶんといろーんな曲を入手したもんだ。で、エアチェックということは、歌詞カードが無い。明星とかの歌本は役立ったけど、アルバム曲はそうはいかん。あと、明星のテリトリーに入っていないもの。後に「ヤングフォーク」とかの存在は知ったけど、それまでは気に入ったニューミュージックの歌詞はもうカセットで聞き書きするしかなかった。……無論空耳しまくりでしたよ……で、当時はアルバムはレコードかカセットで売ってたんだけど、ワシは確か小学校の時に八神純子は二本買ってもらったな。カセット。[CD] 八神純子/素顔の私(SHM-CD)思い出は美しすぎて<リイシュー>/八神純子[Blu-specCD2]【返品種別A】この二つ。ホント今じゃ何かと昔の音源出してくれてありがたいよ。じゃ何で八神純子か、と言えば、「みずいろの雨」がヒットしたからなんだけど、その前に「ヤマハのポプコン出身」というのがあるんだよな。ヤマハが主催した「ポピュラーソングコンテスト」通称ポプコンがあって、そこから「世界歌謡祭」があって、何かそれでヤマハからレコードデビュー、というルートがあったと思う。クリスタルキングは逆にこの縛りでなかなか解散できなかったらしいが、まあ基本的にはそれでデビューしたってのは結構当時、売り出すときのステイタスだったと思う。自分的にはツイストあたりから現実味あったな。チャゲアスもワシの中ではここ出身のせいでしばらくはフォーク枠だった。で、それ関係の番組を見たり聞いたり。テレビでは「コッキーポップ」ってのがあったし、FMでは「ポプコン・サウンド・スピリット」というのがあったと思う。サザンも一応出てるんだけど、彼らのデビューはむしろ「イースト・ウェスト」だった気がするんだが。で、このあたりのニューミュージックを漁っていたわけだ。テーマ曲になった門あさ美とかは後でちゃんと聞きなおした感。下成佐登子がのちにアニメ「小公女セーラ」のテーマ歌ってびっくり、とか。アラジンとかはもう「ああこんなん今は出てるのねー」的感覚だったかな。で、色々聞くんだけど、アルバムの曲全部聴きたいなー、という気にだんだんなってくる。そこで重宝したのがNHK-FMでお昼から一時間、延々一人のアーティストの曲をかけまくる「ひるの歌謡曲」っていう番組。これをタイマーがてんとう虫しかない時代だったので、……母親に頼んだ。今考えるとすまぬ。いや、テープは基本「60分」だと、30分でひっくり返さないといかんのよ。まだオートリターンなんてなかった時代だ。テープの種類も多くなかった。46分(レコードの一枚分)よりは、60分がメインだった時代だ。それで「切れたらひっくり返してね」なんだからまー、面倒なこと押し付けたよな、と思い出したわ。ぎゃあ。もう一つ、アルバム一枚分欲しいときの方法に、FM愛知のほうで、月曜~金曜の夜2245~2300で、一日2曲だけ流して、一週間で10曲、アルバム一枚、という「ユア・ポップス」という番組があった。これをまた新聞のFMの一週間番組表をキープしてチェックしてきちんきちんと聞いてキープしたざんすよ。ただしこの頃は、「短いバージョン」ってのがあって、時々本来どっちなんだ、という自体に陥って歯噛みしたことがある。土曜日の「コーセー歌謡ベストテン」なんかで、フェードアウトするのでぱなく、一番だけでまとめたバージョンという奴が使われたんだけど、時にはそれがユア・ポップスでも使われたかもしれん。サザンの「タイニイ・バブルス」みたいに10曲じゃ収まらないものもあったから、あとで知った曲もあったなあ……一方で、「サウンド・スピリット」でポプコンへの応募曲ってのも結構紹介されてだな。これもなかなかいい曲が多かった。たとえば、「ボヘミアン」https://www.youtube.com/watch?v=kWiFNN-Uqp4「マイ・イエスタディ」https://www.youtube.com/watch?v=lsW_-FGTmhwとか「トランプ人生」って応募曲は見つからなかったわ……残念。デビューした中では、相曽晴日の「コーヒーハウスにて」https://www.youtube.com/watch?v=xiCyqAZpdhw&list=PL8FBBC65D20C2A7D8&index=41杉山清貴のいたきゅうていぱんちょす「乗り遅れた747」https://www.youtube.com/watch?v=fxVDugIDmkQつか皆さんよく音源や映像持ってたよな!相曽さんは当時うちの市でもミッションの私立に通ってて、よく出たなーと思ったものだったわ。杉山清貴に関しては、あとできゅうていぱんちょすだったって知ってびっくりしたけど。この曲はすげえ好きだったなー。「ゴスペルの夜」https://www.youtube.com/watch?v=Uo3uDBtEJMM もいい曲だった。つかたぶん名曲としてはこっちのほうが知られてるんじゃなかったかな。当時。とはいえ、中学になると、番組自体が聞けなくなってポプコン関係からは遠ざかっていったような記憶が。ここからはもうユア・ポップスや、夜の番組だの、サウンド・ストリートが頼りになってくるのだった。
2017.10.19
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微妙なんだよな。いやいつも知識として知ってたし見てたし。たぶん他の子達よりテレビっ子だったから。ただ10歳くらいまでは静岡県はテレビ静岡(フジ)とSBS(TBS)しかなかったんだよね、民放。そのあとけんみんテレビ(朝日)と第一テレビ(日本)ができて。テレ東系はちょうどウチでは電波が入らないテレビ愛知になってしまう。これはBS入れた時に見れるようになったけど、光ケープルにしてまた見られなくなった。と言っても最近はテレビ見てないからいいんだけど。で、物心ついたときにまず居たアイドルといえば。フィンガー5.これは好きだった。積極的に好きだった。つかたぶん見た目にインパクトあったんだよね。5人組きょうだいで、トンボめがねってのは。で、歌とか、下が広がったパンツとか、アメフトコスチュームとか。↓アメフトコスチュームって何で流行ってたのかな。ゴワッパー5ゴーダム https://www.youtube.com/watch?v=Jv_EnH6kFUE や(揃いの海賊風帽子が可愛い)UFOロボダイアポロン https://www.youtube.com/watch?v=KZ0LLFCVCPw&t=3s とかの戦闘服って基本アメフトだわな。(参照は後半のEDのほう。少年団の格好)↓……はっ、思わずようつべのオープニング映像色々に見耽ってしまったぜ。ダイアポロン→バビル二世→ライディーン→グレートマジンガー→昭和ウルトラマン ←イマココそして009……↓もとい。ともかくフィンガー5は覚えて歌いまくっていた幼稚園だか小学生だった記憶が。で、次に女性アイドルで。アグネスと浅丘めぐみをよく歌ってた記憶があるな。ただしアグネスだと「草原の輝き」だったり、浅丘めぐみだと「アルプスの少女」だったあたり、ややずれているというか。で、その「アルプスの少女」と、「炬燵用の炭をトラックで買出しにいった」が映像記憶で結びついたり、桜田淳子の何かの曲と、左腕骨折したときに通院のためにやっぱり親父のトラックに乗ってった記憶とかと重なったり。で、通院→水野英子の「ブロードウェイの星」前後編は最初に買ったコミクス、ということも連想で出てくる。コミクスといえば藤原栄子の「うわさの姫子」の5巻だかの一冊だけ持ってたとか、わたなべまさこの「ばらの中のリザ」の前編だけあったなあとか、引きずられる記憶。さて桜田淳子が出た時点で、百恵ちゃん淳子ちゃん昌子ちゃんですが。一番曲として好きだったのは桜だ淳子だったという。曲によるけど。「リップスティック」https://www.youtube.com/watch?v=L14L5lXoTIk が一番好きだったな。松本隆・筒美京平。「しあわせ芝居」https://www.youtube.com/watch?v=9poFdzU99es や、「追いかけてヨコハマ」は中島みゆき。この辺りは明らかに曲の好みだ。松本隆的世界とか、中島みゆきの不幸そうな世界とかに惹かれたんだろな。百恵さんが阿木・宇崎夫妻の曲だったのに比べて、内容が個人的っぽい感じの。あと、ニューミュージックへの架け橋だったんだと思うな。……すいません。昌子さんは演歌系だったのでそれだけでアウトでした。百恵さん曲は凄い、と思うけど「好き」とはいまひとつ言えなかったのは、職人的だったからかな。同じ三人でも新御三家。ヒデキひろみゴロー。……正直全部歌手としては基本的にアウトでした。ヒデキは声質。なのでこれがあとでBOOWYでひっかかったこと……ヒムロックすまぬ。でもヒムロック→GLAYのテルという流れからすると、まあこの歌い方自体が何かロック的ポップなのかなあと思うしかない。曲は「若き獅子たち」とか好きだったと思うんだけど、ヒデキの声と歌い方でアウトだった。ひろみは……このひとはどっちかというとワシにとってはカックラキンや「ムー」のひとなんだよな。のちになってヒロミゴー、だったけど、基本歌手ではなかったんだよな。でも「ムー」「ムー一族」の拓郎(……宅浪だからってひどいネーミングだが)はよかった。ただやっぱり声質と歌い方がアウトだった。残念。ゴローは……その意味では一番このひとが聞きやすかったけど、「青春の一冊」https://www.youtube.com/watch?v=_XbqKGsKW6wこの曲くらいかなあ……今も記憶にあるのは。でもこの曲が出てくると、何故か柳ジョージ&レイニーウッドの「微笑の法則」https://www.youtube.com/watch?v=wpN5q-zgQlAが頭に出てきて、そのあと柳ジョージで個人的ベストな、「青い瞳のステラ、1962年夏…」https://www.youtube.com/watch?v=v021fFuquac が出てくるんだよな。1962年って言えば昭和37年。柳ジョージ的世界だと横浜だか横須賀だか、そういうとこに居たGIと一緒に来た女性が次第に歳食ってった一人暮らしで、そこに少年時代の彼がよく遊びにいったのかなー、という感じの風景が浮かぶのがいいんだよな。二十年後くらいの「現在」はもうもう亡くなってしまったという。で、ここかせ柳ジョージ版「テネシー・ワルツ」に移行して。頭の中の音源に近いのはこのバージョンかな。https://www.youtube.com/watch?v=g7jVwOUTvvY↓飛びすぎた。で、キャンディーズとピンクレディーが途中入ってくるんだけど。ピンク・レディーは音楽というよりは、小学校でのコミュニケージョンツール、って感じだったなあ。皆知ってて振り付け知ってて、という。曲として果たして好きだったかというとわからん。↓で、これといって無茶苦茶好き、というのが無いままに小学5年のときにラジカセを買ってもらいましてー。兄貴が中学に入ったときに買ってもらってヤマトのサントラとかここからFMのエアチェック、ニューミュージックへと突き進んでいくのだった。と、同時にインドアなひとになっていくので中学の部活は地獄感極まりなかったけど。「早くおうちに帰りたい!」これは基本的に今でも一緒だな……
2017.10.18
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昨日今日が仕事。で今日はばたばたしていたので、頭の中で音楽が回りっぱなしでしたどす。で。何故かそれがキャンディーズだったわけですよ。キャンディーズ。昭和のアイドル。ピンクレディーの一つ前的な。ちょうどシングルコンプリートがあったんでその中で記憶に強い奴~GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション/キャンディーズ[CD]【返品種別A】曲目があなたに夢中/そよ風のくちづけ/危い土曜日/なみだの季節/年下の男の子/内気なあいつ/その気にさせないで/ハートのエースが出てこない/春一番/夏が来た!/ハート泥棒哀愁のシンフォニー/やさしい悪魔/暑中お見舞い申し上げます/アン・ドゥ・トロワ/わな微笑かえし/つばさとあるんですが。ワタシの記憶では結構飛んでおりまして「年下の男の子」の前は意識してなかったみたいだわ。と言っても、これで売れるまでは今ひとつだったらしい、と当時の小学館の学習雑誌にあった「キャンディーズ物語」に出てた気がする。真偽はわからんが当時はそういう公式だったやうだ。「ハートのエースが出てこない」からが意識して聞けるようになったかな。彼女達のテレビの露出が多くなったというのもあったけど。特にドリフ系。ちなみにワタシの好きなのは「夏が来た!」「哀愁のシンフォニー」「わな」「つばさ」だったりするとこが、メインからややずれているというか。「微笑がえし」は歌詞の秀逸さで。「夏が来た!」はまあ空耳アワーしすぎたので後でwwhttps://www.youtube.com/watch?v=aSJUDR8Ewi4&index=10&list=RDm5BLbJhXvFw「哀愁のシンフォニー」もややその気はあるけど、言葉通りに聞くと結構おかしかったという記憶。正直まだ小学生には歌詞の内容の奥なんざ読み取れるわけがないわけで。♪胸の奥の湖に涙の石を投げた愛の深さにおびえるの~小学生はこういうの、字面通りにとらえてだな……https://www.youtube.com/watch?v=m5BLbJhXvFw動かない……ねえ。今更だけど。「わな」は珍しくミキちゃんが真ん中という曲。正直歌詞は記憶にあまり無いんだけど、♪でも あいつはしくじった~はもの凄く記憶に残ってる。何つか、ランちゃんが型にはまったような甘い声だったのに対し、えらくクールだったのが気に入ってた気が。https://www.youtube.com/watch?v=Yxz1L_iKED4……小柄だなあ。今見ると。あ、でもいい曲だ。「つばさ」は最後の最後の曲だったんだけど、単純に最後のお別れ的な感動曲だったので好きだった。「微笑がえし」は、シングル曲のタイトルを歌詞に折込みまくって、ちゃんと一つの世界になっているという技巧がすげえと思った曲。https://ameblo.jp/welcome-elohim/entry-11503051414.htmlここのブログに説明+引用されていたことが凄い。凄すぎる。確かにコーラスグループとしてものすこいと今聞くと思うんだよな。https://www.youtube.com/watch?v=XDBUa-man9kよく聞くと、春一番-わな-ハートのエースが(でてきた)-年下の(人)-やさしい悪魔-アン・ドゥ・トロワが織り込まれてて。まあちゃんと聞くともっと入っているかもしれないけど、「年下の男の子」と一緒に暮らしていた、というストーリーがあったとしたなら、きちんと収まっていて凄いと思うの。で、「夏が来た!」なんですが。この曲に関しては、ともかく情景がなかなか理解できなかった子供だったんだ……と今更よにして思うんだよな。いや正直今さっきフル聞くまでこの曲が少年目線だって気づいてなかったよ……ううううううううで。♪緑が空の青さに輝いて部屋のカーテンと同じ色になってもすこしどこかが違うのはきっと生きてるからだろうなんて考えてなぜか君に会いたい(略)こんな不思議な出来事があっていいものかと思うくらい幸せな雲が風におどるよ♪この部分だけでも結構な空耳をしてましたな。しょっぱなから。何せ母親に「暗い幸せって何?」と聞いてたからなー。すると母親、「誰かを犠牲にしても得る幸せじゃない?」という意味のことを言ってたような。いやその答えをするアナタもアナタだったと思うけど。あとその前の情景が、どうにもわからなかったというのがありましてな。ところでついでに70年代動画あさっていたら、ジュリーのが結構出てきたけどw「サムライ」格好いいー。当初はこの「入れ墨」姿だったんだよな。https://www.youtube.com/watch?v=JZ4LbVhahvAしかしええ声や。そして今聞いても格好いいぜ。感情もストーリーも感じるぜえ。まあこの入れ墨バージョンは途中でクレームが来て、ベストテンとかでナチス格好になったと思ったんだけど、その映像が見つからない。今だと逆にまずいんだろうなー。個人的にジュリーのベスト曲ですがな。https://www.youtube.com/watch?v=2N1vhGBPfGUそーいえば、「LOVE抱きしめたい」と「ヤマトより愛をこめて」https://www.youtube.com/watch?v=MhLJqh6gNxE……ヤマトのほうは歌詞に全くヤマトのやの字もなかったからガキのワタシは何でこれが?と思ったもんだ。そして忘れてはいけない「TOKIO」。https://www.youtube.com/watch?v=ce-C2ilhWlU今見るとイントロと間奏、あんな表情だったんだなー気づかなかったよ。「ロンリーウルフ」もたまらんぜ。https://www.youtube.com/watch?v=CSxhT5ahF14……でもなーやっぱり「サムライ」の動画のコメにあるやうに、腐女子になる要素はやっぱりこの時点からあったんだなwwwwだって御三家とか「を」好きになるというよりは、ジュリーの歌の感情とか歌詞の世界のほうにはまっていた→同調していたんだから、そらまあ、……なあ。ロイヤル・ストレート・フラッシュ [ 沢田研二 ]沢田研二/ローヤル・ストレート・フラッシュ2(初回限定) 【CD】
2017.10.16
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