うきよの月 0
全7件 (7件中 1-7件目)
1
17年5月号。だんだん落ち着いてきました。本文208ページ。前号から10ページ減りました。表紙。「決戦下の結婚教育号」が今回の特集。「昭南島従軍 石川達三」「大東亜戦争野戦病院記 大嶽康子」目次。綴じ込み「大阪の『ほまれの子の家』カメラ訪問」「兵器を作る婦人部隊」ちょっとこの並びが集合体恐怖症には……***記事の仕分け。・衣 春から夏の更生型 婦人子供ワンピースの作方 109~130/22ページ 更生染色の家庭独習法 163~172/10ページ 和洋衣類の更生法誌上相談/188~189/2ページ 計 34ページ・食 配給制下の栄養経済料理の作方 二十五種 177~183/7ページ 計 7ページ・住(農含む) 素人にも出来る トマト・茄子・胡瓜の多収穫の秘訣 92~94/3ページ 増産日本一の篤農家が発表した馬鈴薯多収穫の秘訣 156~161/6ページ 長期戦下の家庭重宝実験集 184~185/2ページ 石鹸代りの洗濯剤と洗ひ方の秘訣 187/1ページ 計 12ページ・育児/教育 おすすめしたい母と子の良書 51/1ページ 婦人保護司の献身手記(新田倭文子) 57~61/5ページ 第四回健気な「ほまれの子」表彰発表 72~76/5ページ 教育相談 186/1ページ 計 12ページ・医療/健康(民間療法とかも含む) お灸で難病を治した実験集 131~138/8ページ 計 8ページ・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか) 軍神九勇士の母を訪ふ 14~23/10ページ 駆逐艦戦記(○○駆逐艦艦長 ○○少佐) 24~29/6ページ 昭南島従軍記(石川達三) 30~35/6ページ 大東亜戦争野戦病院記(大嶽康子) 52~56/5ページ 日本婦人の道場/大東亜共栄圏建設と人口問題(陸軍中佐 鈴木庫三) 88~90/3ページ 計 30ページ・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか) 決戦下の結婚教育 安井洋博士と細川武子先生の対談 36~41/6ページ 婦人身の上相談 77/1ページ 婦人法律相談 91/1ページ 働く娘が結婚難時代に良縁を得た体験 104~107/4ページ 計 12ページ・小説(2段組) (新)月から来た男(吉屋信子)42~50/9ページ 天翔ける幸福(短編)(堤千代)62~71/10ページ おばあさん(獅子文六)78~87ページ/10ページ 妻の幸福(竹田敏彦)140~149/10ページ(完) 幸福問答(藤澤恒夫)190~198/9ページ(4段組/ユーモア読物) 男女損益勘定(佐々木邦)100~103/4ページ(完) 計 52ページ・経済(お金の貯め方・体験談) 貯金を生み出す家庭増収の実験三十五種 150~154/5ページ 計5ページ***さて実際の記事。鈴木中佐の記事はほぼ連載なんだけど、この回は日本の人口についての記事がなかなか興味深い。……産めよ増やせよ、は後にずいぶん叩かれるけど、確かに何らかの形で奨励しないと少子化してしまうよね、というのは確か。駆逐艦戦記は例のごとく匿名話。以下、石川達三の従軍記。副題シンガポールへの道。洋裁。更生だけどまだワンピース。春夏もの。子供ものも可愛い。更生染色。かなり細かいやり方+自然の草木染めも紹介されつつ。食。配給下での節約の工夫が書かれだしました。このあたりの工夫を、のちに20年にはどれだけぎりぎり感あるものに変わるのか。住。石鹸代りの洗濯剤と洗ひ方の工夫。石鹸が不足しだしたということで。それでもまだ衣類とかの話はのんびりしてますね。つづくっ。
2019.02.23
コメント(0)
さて、17年4月号。まだ開戦の熱冷めやらずです。本文218ページ。前号と同じ。表紙。「決戦下の家庭教育号」が今回の特集。「比島戦線従軍記 石坂洋次郎」「ニューブリテン従軍記 海野十三」目次。綴じ込み「雪の○○山中 厳たり――― 防空監視哨」「ジャングルを征く」「落下傘部隊の活躍画報」あと3ページ。戦果。前の号は「取れて」ましたが、この号は落丁……「更生実験」のところが2つ入っていて、その一方で洋裁の作り方がやっぱり無い……のでやっぱりそこの辺りは微妙なところで。***記事の仕分け。・衣 春の子供服・婦人ブラウスの作方 111~133?/23ページ? 和洋衣類の更生実験十二種 175~182/8ページ 更生染色の家庭独習法 165~174/10ページ ワイシャツの実物大型紙つき仕立方/198~199/2ページ 計 42ページ?・食 配給材料と調味料を工夫した栄養経済料理の作方 廿五種 187~191/5ページ 計 5ページ・住(農含む) 素人にも出来る春撒き野菜の多収穫の秘訣 102~103/2ページ 計 2ページ・育児/教育 決戦下の家庭教育 42~46/5ページ 子供の教育計画に成功した体験 144~149/6ページ 教育相談 160/1ページ 計 12ページ・医療/健康(民間療法とかも含む) 難病の民間療法実験集 154~159/6ページ 計 6ページ・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか) 決戦訓(大本営陸軍報道課長 大平秀雄) 16~17/2ページ 比島戦線従軍記(石坂洋次郎) 18~25/8ページ ニューブリテン従軍記(海野十三) 26~34/9ページ 潜水艦戦記(○○特務少尉) 36~41/6ページ 日本婦人の道場(陸軍中佐 鈴木庫三) 48~51/4ページ 陥落後のマニラを語る日本人の現地座談会 104~108/5ページ 計 34ページ・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか) 志願して働く娘が徴用と職場の生活を語る座談会 62~66/5ページ 明るい最低生活の建設相談会 68~73/6ページ 台所の心 86~88/3ページ 家庭官報 34/1/3ページ 計 14+1/3ページ・小説(2段組) おばあさん(獅子文六)52~61ページ/10ページ 春の毛糸(短編)(堤千代)76~85/10ページ 永遠の良人(吉屋信子)92~100/9ページ(完) 妻の幸福(竹田敏彦)134~143/10ページ 幸福問答(藤澤恒夫)200~209/10ページ(4段組/ユーモア読物) 男女損益勘定(佐々木邦)150~153/4ページ 計 53ページ・経済(お金の貯め方・体験談) 生活戦下の家庭増収の実験十八種 192~197/6ページ 計6ページ***さて実際の記事。石坂洋次郎は陸軍に派遣されていたことで記事。二段組。……原稿が短かったかもしれん。海野十三は三段。全部載せます。詳しいし長い。「ニューブリテン従軍記」。海野十三は海軍報道班所属。両方載せるだけの……と、海野のほうが描写とか詳しいよなあ、という個人的趣味。家庭官報。郵便料金値上げ。吉屋信子の新連載のお知らせ。戦後にこのひとは散々「あの悲しい戦争で……」を繰り返してたけど、まあ当時は普通にこういうこと書いてました。つかこれが普通の対応。次に「陥落後のマニラを語る日本人の現地座談会」。洋裁。子供服もまだまだ可愛い。つくり変えでもワンピースとか。標準服案というか……当初はこんなものでした。最終的には最後のもんぺになるんだけど。作り直しの一環で染色。まだそういうことができたし、そもそも染色も自分でやるものということで。そしてやはりイカが多い……前号前々号が開戦の関係で結構がちがちなのに対して、ちょっと緩んでおります。つづくっ。
2019.02.16
コメント(0)
雑誌整理の関係でこっちをちょっと先に出しておこうと思ったもの。「婦人倶楽部」は講談社から出ていた「倶楽部」ものの婦人向けで、ざっくり見た中では、「主婦之友」より娯楽色が多いものでした。ちなみに終戦までそのままで出し続けられた婦人雑誌は、「主婦之友」「婦人倶楽部」「婦人之友」の三誌だけです。あとはまあ、統合したり名前が変わったり休刊したり、ともかくそのままでは続けられず。で、ワタシは基本吉屋信子研究で蒐集し出したので、彼女が契約していた「主婦之友」がメインで、「婦人倶楽部」はあまり持っていないのですね。その中でも昭和19年のが2冊、あとまあ、後に「終戦時」比較しますけど、20年8・9月号をちょいと。これは昭和19年4月。今後主婦之友もそうですが、19年の目次は表紙裏。全108ページ。凄いのはまだこっちでは裏表紙に広告が出せているということなんですよね。ほとんど薬品会社ですが、それでも出せるだけすげえ。ちなみに主婦之友はもう18年6月号から「空襲時の~」に裏表紙の表裏を使ってます。これは19年10月号。ここになると唐突に60ページになってます。やっぱりこんな目次。さすがにこの時にはもう広告というわけにはいかないようで。で、19年4月の炭坑の記事。炭坑関連は主婦之友にも「あと山さき山」があったので、関連比較兼ねて。この記事は作家が炭坑労働に志願して行って書いているという。↑で先山後山の説明をしてますね。「炭層から掘り出すのが先山」「先山が掘り出したものをざるですくってトラフの中に投げ込むのが後山」。ここいらで半島から来た人々のことも書いてますね。なかなか働かない、言葉が通訳の舎監が居ても手ごたえがわからない、というのがなかなか生々しい。そんで終戦時の号がこれ。表紙込みで30ページ。おまけに合併号。のちに出しますが、主婦之友も9・10月号は合併号でした。もう何というか、内容が痛々しいのが、この時期ですが、それはまたいづれ。
2019.02.14
コメント(0)
さて、17年3月号。まだ開戦の熱冷めやらずです。本文218ページ。更に10ページ減ってますがな!表紙。「大東亜戦争特集」「決戦家庭経済号」「戦ひ抜かう 大東亜戦」(青)「衣類切符体制下の三大特集」(赤)という言葉がついてます。目次。綴じ込み「大東亜戦争地図」真珠湾攻撃の様子。このあたりはまだ戦争が始まったあたりの戦果が多かった頃のですね。***ただしこの号、入手したものが残念なことに123~142が切り取られてまして、実際のところが分かりません。おそらく洋裁の作り方の書いてあったページだと思われます。それと仮定して。記事の仕分け。・衣 春の婦人更生服の作方・実用毛糸編物集 115~122~142?/28ページ? 和洋衣類の更生実験二十一種 175~182/8ページ 計 36ページ・食 配給材料で工夫した栄養経済料理 二十五種 187~192/6ページ 計 6ページ・住(農含む) 丈夫に出来る子供の学用品六種の作り方 70~71/2ページ 日本一の薯作りが発表した甘藷増産の秘訣 72~77/6ページ 配給制下の家庭重宝実験集 198~199/2ページ 計 10ページ・育児/教育 法律相談 29/1ページ 教育相談 53/1ページ 身の上相談 83/1ページ 弱い子を丈夫にした育児の苦心 147~151/5ページ 計 8ページ・医療/健康(民間療法とかも含む) 難病の民間療法実験集 160~163/4ページ 計 4ページ・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか) 大元帥陛下の畏き御日常を拝し奉る 18~19/2ページ ハワイ爆撃記(○○中尉/吉岡中佐発表) 22~28/7ページ 大東亜戦争長期戦必勝の生活 岸商相と主婦代表の一問一答 30~35/6ページ 敵の太平洋作戦とわが国防(大本営海軍部報道部海軍少将 前田稔) 36~39/4ページ 決戦訓(法学博士 穂積重遠) 40~43/4ページ 大東亜戦争に動員された日本婦人(陸軍中佐 鈴木庫三) 94~97/4ページ 計 27ページ・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか) 農村主婦の生活建設 44~47/4ページ 婦人の技能学校入学案内 63/1ページ 長期戦下の結婚と夫婦教育 64~68/5ページ 台所の心 152~154/3ページ 家庭官報 209/1ページ 計 14ページ・小説(2段組) 永遠の良人(吉屋信子)54~62/9ページ おばあさん(獅子文六)84~93ページ/10ページ 流れる四季(丹羽文雄)104~114/11ページ(完) 妻の幸福(竹田敏彦)164~172/10ページ 幸福問答(藤澤恒夫)200~208/9ページ+α(4段組/ユーモア読物) 男女損益勘定(佐々木邦)98~101/4ページ 計 53ページ・経済(お金の貯め方・体験談) 帆足みゆき夫人を囲んで決戦家計の建設相談会 78~82/5ページ 長期戦下の家庭増収の実験 193~197/5ページ 計7ページ***さて実際の記事。昭和の陛下の当時の日常とか。真珠湾攻撃の参加したとされる中尉の口述をまとめた~記事。当時の岸商工大臣との一問一答。教育相談。当時の貧しい子が尋常科のあと、学資無しで行けるところは無いか?という。一方、女性が働くために、促成する学校の紹介も。衣料切符の範囲で~だから、「更生服」リフォームでできる春の服……まだ普通にスーツとかですな。子供服も同様。編み物も、糸は再生糸や真綿糸だけど、それでもデザインはまだ軽やか。「民間療法」案内。ただしこういう体験談は主婦之友では昔から出てます。眉つばものも多いですが、一応医者の助言もあります。再び更生品。服→服に限らず。前号から料理のカラーが無くなりました。配給制上の調理上の工夫。服の更生同様、まだちょっとしたものです。たどん(炭団)は今だったら豆炭が近いかな。家庭官報。軍事郵便の取り扱い。電報料金。防諜関係、厳しくなっていきます。義務教育終了後、「勝手な就職はできなくなった」ということ。さてまた微妙にページ数が少なくなって、様々なものに決戦下とか配給とか衣料切符とかついてきますね……つづくっ。
2019.02.13
コメント(0)
さて、開戦直後の17年2月号。本文228ページ。いきなり30ページ減ってますがな!表紙。「大東亜戦争特集」「決戦生活号」「国運を賭しての戦だ 沈着平静、最後まで頑張れ!」という言葉がついてます。ページ数減は、他雑誌にあった模様。目次裏の広告にある小学館の学習雑誌ですか、統合されてますね。で目次。綴じ込みで「太平洋戦況地図」。そんで裏が「南方資源地図」。状況を把握するにはいいですな。そんで、開戦の詔書と東條首相の言葉。徳富蘇峰も書いてますね。主婦之友社の決議も出てますな。ページの真ん中とかあちこちそういうとこに散らばってますが……***で、この号の記事をまた分けていくわけですが。・衣 実用毛糸編物集 149~156/8ページ 計 8ページこの号は少ないですね。デザイン絵も無いです。・食 配給制下の冬の家庭料理の作方 二十五種 193~202/10ページ 計 10ページ・住 決戦下の家庭重宝実験集 206~209/4ページ 計 4ページ・育児/教育 教育相談 173/1ページ 興亜の聖業と家庭教育 48~51/4ページ 計 5ページ・医療/健康(民間療法とかも含む) 冬の子供の病気の家庭看護法 107~112/4ページ 感冒(風邪ひき)の予防と家庭療法 188~192/5ページ 計 9ページ・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか) 宣戦布告の大詔を拝し奉りて(東條首相) 18~19/2ページ 決戦訓(徳富蘇峰) 20~21/2ページ 大東亜戦争必勝の生活 22~28/7ページ 大東亜戦争と婦人の覚悟(大本営海軍報道部海軍大佐 平出英夫) 30~35/6ページ 決戦下の我が国土防衛(防衛総司令部参謀陸軍中佐 難波三十四) 36~39/4ページ 山本五十六大将物語 40~47/8ページ 戦乱の欧州より還りて(山田わか) 52~60/10ページ 仏印泰国従軍記(吉屋信子) 96~106/11ページ 米英打倒婦人愛国大会 158~159/2ページ 計 52ページ・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか) 働く娘の結婚促進座談会 82~87/6ページ 夫婦道話 174~177/4ページ 家庭官報 205/1ページ 計 11ページ・小説(2段組) おばあさん(獅子文六/新連載)64~74ページ/11ページ 幸福問答(藤澤恒夫)88~95/8ページ 永遠の良人(吉屋信子)164~172/9ページ 流れる四季(丹羽文雄)178~187/10ページ 妻の幸福(竹田敏彦)210~219/10ページ 計 48ページ・経済(お金の貯め方・体験談) 増税下の家庭増収の実験 75~81/7ページ 計7ページさすがにこの号は特集号だけあって、開戦に当たってのものが多いです。その中でも、報道部の平出大佐の談話。興味深いのは「必ず空襲はある/敵機は来る」とこの時点で言ってることなんですね。で、「食」も「配給下の~」と危機感漂わせてます。この時期よほど配給にはイカが多かったのかもしれません。家庭官報。当局からのお知らせ。・徴用令は誰にも来る・東京府立中等学校の学区制が定りました・決戦下の郵便電報御注意いろいろ・空襲に遭っても郵貯は心身・戦争保険も始まります・女中さん二人以上は認可がいります・出征の歓送を盛んにしませう……たとえば「屋敷にはばあやだけになってしまったわね」的な表現はそういうことから来るんでしょうかね?「住」。この類のアイデア集がこのあとどんどん増えてきます。まだ防空頭巾もモンペのようなものも、「工夫」の一つであるのがこの時期。これが通常状態になるのが翌年。つづくっ。
2019.02.10
コメント(0)
ということで、まずぎりぎり「戦前」の17年1月号。本文258ページ。表紙。髪型が戦時型というか、パーマやめましょうの結果というか。目次見開き。ページの内容比率を考えてみるべく、ちょっとものすごく大きく分けてみます。・衣・食・住・育児/教育・医療/健康(民間療法とかも含む)・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか)・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか)・小説これが基本なんですが、この時期はまだ・経済(お金の貯め方・体験談)が入ってますね。最終的には無くなりますが、まだしばらくは出てきます。ので、まあ巻頭言とか編集日記とか投稿とかはずっと続きますので、それ以外で分類してみます。ただしこの分類自体が微妙にワタシの私的目線であることは念頭に置いといてください。教育と社会とか曖昧な部分もあるし。それにまだ「ただ数えて」いる段階なので、まとめる時には修正するかもです。で、今回が一番多く、だんだなん減っていくと……・衣 洋裁「冬の婦人子供服の作方」 11~36/26ページ 和裁「和服裁縫の独習法(帯と防寒コートの仕立方秘訣)」 191~200/10ページ (上2つカラー・二色あり) 毛糸代用真綿糸 210~211/2ページ 少国民標準服 214~218 5ページ 計 43ページ・食 温い栄養経済料理の作方二十五種 221~233 13ページ 計 13ページ・住 (主婦の生活科学)瓦斯・竃・電気 102~103/2ページ 計 2ページ・育児/教育 急所早わかり 戦時の妊娠・安産・育児法 109~124/16ページ 教育相談 125/1ページ 家庭の鍛錬教育は斯くすべし 162~166/5ページ 計 22ページ ・医療/健康(民間療法とかも含む) 難病の民間療法実験集 143~149/7ページ 計 7ページ・社会1(軍人の寄稿とか体験談とか現地報告とか時局とか) 南方基地仏印現地報告(吉屋信子) 48~57/10ページ+α アメリカの臨戦態勢を語る引揚げ日本婦人の座談会 104~108/5ページ 戦地で迎えたお正月 182~183+α/1+αページ 計 16+αページ ・社会2(結婚とか婦人とか生き方とか) 東條夫人を囲む若い主婦の生活建設相談会 58~64/7ページ (日本婦人の生活)新しい生活の建設 66~69/4ページ 婦人の徴用と働く娘の生活を語る座談会 80~85/6ページ 穂積重遠先生と三宅正太郎先生の新春対談 86~91/6ページ 法律相談 1ページ 薩摩女 150~153/4ページ 家なき子の「母」の記録 184~190 7ページ 結婚論 202~205/4ページ 計 39ページ・小説(2段組) 幸福問答(藤澤恒夫)70~79/10ページ 小野寺十内の妻(吉川英治)92~101/8ページ 永遠の良人(吉屋信子)126~135/10ページ 妻の幸福(竹田敏彦)172~181/10ページ 流れる四季(丹羽文雄)240~249/10ページ 計 48ページ・経済(お金の貯め方・体験談) 子供を抱へて職業に成功した未亡人の体験 子供を抱へて再婚に成功した未亡人の体験 繋がっているのでまとめて 154~160/7ページ 経済計画を実行して家庭の経営難を切抜ける主婦の苦心 167~171/5ページ 月給生活者の妻の内職の実験 234~237 4ページ 計 16ページで、その中でも興味深い記事をまんま載っけていきたいと。表紙裏にはまだ広告がはなばなしく。化粧品比率高いですね。照宮様(昭和天皇第一皇女)の図から1ページ目。横の広告はページに入っていません。次のページは今上陛下のお小さいときの御写真。だけど横には「わかもと」。まだこの時期の洋裁のページもワンピースとかですね。子供服も。かわいらしいものが多いです。「経済的」な燃料の使い方のための科学的説明とか。「経済な」つまりは安くできる、経済的な、という意味が含まれるんですが、それでもちゃんとこういう形を作れる中での「工夫」ですな。*で、時局的なものとして、最もこの時期喫緊の話題としての座談会。これが二つとも興味深かったんですね。「アメリカの臨戦態勢を語る引揚げ日本婦人の座談会」ロサンゼルスでは日本人と仲良くなりたい、戦争は好まない西部は戦争に無関心日本よりドイツに関心が強い・恐れている日本は弱いと思っているリンドバーグでは反対演説をしていた/政府では躍起になって抹殺しようとしている経済封鎖戦をやって長期戦に持っていけば必ず勝てる、という米国の見込みただドイツに本気になっていない「この間ソ連援助のために極東に油を送った」親達は戦争をしたくない、ホワイトハウスの前でデモもした二世は日本と戦争をするのは苦しい日本人は信用がある「日本に対しての嫌がらせも多分に入っている」資金凍結令→自分のものは一切失くなってしまった→引き揚げざるを得ないこの時点ではまだ米国に居ても大丈夫だろう、と楽観的な予測これが「11月21日」。対談参加者の何処までが本音かは分からないし、編集もあるかもしれないけど、興味深い証言ではある。もう一つ対談。「婦人の徴用と働く娘の生活を語る座談会」。……徴用という言葉があれこれ言われておりますが! 当時の解釈が出てますぜ。ポイントはここ。↑「うんと情勢が変化して、男の人がもっと足りなくなる」「その時に女性に出てもらうために」「16~25歳の女性を登録」「すぐに徴用するわけではない」。ただしこのように日給より電車代のほうがかかる場合も……ちなみにこれが11月17日。まだ食料とかもまずまずあった、男性が「これからいなくなる」といういう状況の、「家事手伝い」とかの女性にもっと働こう、と言っている座談会ざんす。そもそも働きまくっている農村の女性とかそういう方々むけじゃございません。とまあ、ぎりぎり開戦前の17年1月号でした。つづくっ。
2019.02.06
コメント(0)
……と題してみたのですが、まあ単品だと「この時代の雑誌はとんでもねえ!」と言われる昭和20年の「主婦之友」の状況を弁護したいよなあ、というのが動機どす。単品での批判というか、「トンデモ本」という感じで語られることが多いこの時期の「主婦之友」ですが、まあたとえばこういう奴ですね。↓……なんですが、これが載ってる20年1月号の表紙。↓ここから表紙は二色刷りになってるんですね。そして19年11月号(12月号だけが入手できないんで困ったものですが)までは(確実に)「本文60ページ」だったのが、この1月号でいきなり「本文52ページ」になっているわけですね。このページ数について「のみ」今回はざっくり。本当に開戦したのちというなら、17年2月号からなのですが、まあキリがいいので、17年1月号から。本文最後のページ数を記していきます。17年(「目次」はページ数に入らない/見開き目次)1月 2582月 2283月 2184月 2185月 2086月 2087月 1988月 1989月 19810月 19811月 19812月 19817年だけで60ページ減。18年1月 -(……あるはずなので見つけたら)2月 1883月 148(目次が見開きから1ページになる)4月 1485月 118(目次が表表紙裏になる)6月 108(裏表紙の広告が無くなる)7月 1128月 1209月 11610月 11611月 11612月 10818年で80ページ減。19年1月 106 2月 1063月 1064月 1065月 76(「必ず回覧してください」と回覧用升目が入る)6月 607月 608月 609月 60 10月 6011月 60 12月(未入手)19年で更に40ページ減。20年(この年の表紙は二色刷りか、本文と同じ紙に一色刷り)1月 52 2月 52 3月 52 4月 50 5月 506月 32(表紙同紙) 7月 30(表紙同紙・印刷所爆撃につき静岡新聞社で印刷) 8月 30(表紙同紙・終戦直後) 9月 10月 66(表紙2色ボール紙に戻る・9月と合同) 11月 6612月 6420年は出せるかどうかのぎりぎりラインですね。途中で表紙がボール紙で出せなくなったり、インクが3色から2色になったり、印刷所が使えなくて新聞社に頼んだりしています。終戦後、翌年3色には戻りますが、しばらくはこのくらいの調子が続きます。21年の表紙は「風景」せいぜい「子供」。女性がにこやかに~という調子に戻るのは23年くらいです。ちなみに最盛期の、たとえば昭和12年10月は596ページです。既に戦争の始まる頃には、最盛期の半分以下になっています。この紙の減り方に関しては、以下の(二次ですが)資料があります。……というより、ワタシの気力と探索力では手がかりがこの本にしかなかったという。この時代に関してはちょっと引用ページ多いけど、以下。ワタシは本にづけづけ線を引くタイプなんですが、その部分がポイントということで。ここいらからが、戦中の紙の統制について。ここからは「板紙(ボール紙)」事情。20年6月から本文用紙と同じもので表紙を作らなくてはならなかった理由はここにあるかと。そんで戦後。ともかく石油とパルプの不足が。石油は戦時中からだったけど、パルプは樺太と満州が無くなったことも大きかったようです。あとはGHQの出版統制の問題もありましたか。ついでに。戦後、もの凄く悪い紙の本が大量に出回った訳ですな。仙貨(花とも書かれる)本ブームです。これで戦前の本が復刊されまくったんですが、ここで検閲対策が取られたのは、吉屋信子の欄で。まあそんなわけで、ちょっとこの限られたページの中でどれだけの比率で記事が書かれていたかをしばらく見ていきたいと思います。
2019.02.04
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1