『一徹者』

2006年3月3日、6月3日、7月22日や2013年10月23日、11月21日などに書きました
『一徹者』 です。

https://www.dailymotion.com/video/x5gge7r

歌詞は
https://mojim.com/jpy113165x29x5.htm


2006年3月3日分

本来、英五さんには数多くの唄がある中で、
私がブログを書き始めて、私の判断で、
一種の偏った分野の唄を多めに紹介してきています。
「価値観の多様化」から考えれば、英五さんの唄もいろいろな考え方、
とらえ方があるのかもしれません。
それなのに、私の一徹な性格を表現しているブログかもしれません。
そのうち、違った唄も紹介しますが、今までの唄は偏っています。
そんな一徹な私のために作ったような歌が、
『一徹者』 です。

「一徹者でいい そのままでいい
いまさら世間に なびいてもしょうがない
いつもの居酒屋へ 下駄を鳴らせば、
・・・・・・・・・・・・・・・」

「ひたむきでいい まっすぐでいい
愚かに見えるぐらいで ちょうどいい
新しがり屋に何が わかるか
男の仕事は はんぱなもんじゃない
・・・・・・・・・・・・・・・」

「一徹者でいい そのままでいい
幸せなんて 心が決めるもの
・・・・・・・・・・・・・・・」


「幸せなんて 心が決めるもの」って、
面白い表現だと思います。
「幸せ」って、何だ?という答えを
求め続けている私にそう言ってくれているように思います。

オチ(落語用語)の部分

「生きているから いきているから ぬくもりが恋しい」
「生きているから いきているから あしたが恋しい」


この部分がなぜ一徹者の唄に出てくるかは、
わかる人にはわかるし、わからない人にはなんのことか
わからない部分です。
一徹な私は、なんかこんな気持ちになります。
英五さんが一徹者だったかは、定かではありませんが、
一徹者に対する応援歌として、私は捉えています。

2006年6月3日分

一徹者の私は、

「一徹者でいい そのままでいい
幸せなんて 心が決めるもの」


の部分が好きです。

「一徹者は親父ゆずりと
目頭おさえ おふくろが云う」
「一徹者は 親父以上だと
目を糸にして 女房が笑う」
「一徹者は 直りゃしないネ、と
女房が云えば おふくろ うなずく」


この歌詞に、一徹者とその父、母、妻の家族が出てきます。
家族っていいですね。
3月3日から 『一徹者』 について考えてきましたが、
一徹者の私が世間を観察していると
世間のみんなが一徹者だと思えてきました。

2006年7月22日分
2006年06月03日に書きました
『一徹者』No.2 にEigo Forever!さん がコメントを書き込んで下さいました。

英五さんは、『一徹者』だったかは解りませんが、
ポリシー・信念を持って音楽活動、人生を送っていたように
思います。


2013年10月23日分

河島英五さんは坂本竜馬が好きで 『竜馬のように』 を唄ったり、竜馬のような着物姿のポスターを制作したりしていましたが、私は西郷隆盛に興味があります。

西郷隆盛といえば、島流しを2回受けているので、河島英五さんの唄なら、 『孤独の叫び』 を先に思い浮かびましたが、西郷隆盛の人柄もよく、島流し先の島では人気があり、大切にされたそうで、 『孤独の叫び』 まで悲痛ではなかったのではないかと思います。ちなみに、私がここに 『孤独の叫び』 を書く時は、私の叫びで、人生ピンチの時です。

では、西郷隆盛といえば、河島英五さんの唄なら何かと選んだのが 『一徹者』 です。西郷隆盛は下級藩士の時から、薩摩藩のリーダー、明治政府の陸軍大将兼参議になっても、一貫して西郷隆盛さんの意思を貫いたと思います。ということで、 『一徹者』 にしました。

私自身が一徹者で、私のために作ったような唄でもあります。

「一徹者でいい そのままでいい
いまさら世間に なびいてもしょうがない
いつもの居酒屋へ 下駄を鳴らせば、
・・・・・・・・・・・・・・・♪」


西郷隆盛さんも下駄を鳴らして走っていたのかな~。

「ひたむきでいい まっすぐでいい
愚かに見えるぐらいで ちょうどいい
新しがり屋に何が わかるか
男の仕事は はんぱなもんじゃない♪
・・・・・・・・・・・・・・・」


西郷隆盛も「まっすぐでいい」というか、真っ直ぐ過ぎて、西南戦争になってしまったのではないかなあ~。

「一徹者でいい そのままでいい
幸せなんて 心が決めるもの♪
・・・・・・・・・・・・・・・」


西郷隆盛が『幸せ』だったかというのも「西郷さんが決めるもの」かな。

「生きているから 生きているから ぬくもりが恋しい♪」
「生きているから いきているから あしたが恋しい♪」


西郷隆盛が島流しにあった時、『ぬくもりが恋しかった』だろうなあ~


2013年11月21日分
10月23日に西郷隆盛について書きましたが、まだ、私は西郷隆盛について調べています。
10月23日に西郷隆盛といえば、河島英五さんの唄なら 『一徹者』 と書きましたが、一ヶ月、さらに西郷隆盛について調べても調べながら、この 『一徹者』 が頭に流れます。
西郷隆盛は『一徹者』だったから、島津久光という地位の高い人にも意見をし、島流しにあいました。島流しは普通悪いことをした人の罰として行うものですが、西郷隆盛の場合は、一回目は幕府から匿うために、二回目は島津久光に対してでも、国のため、薩摩のために意見をして久光が単に西郷隆盛が嫌いだから、島流しにしたようです。
 そして、西郷隆盛は西南戦争で死にます。明治維新の立役者である西郷隆盛が戦争で死ぬとは残念ですが、これもまた、西郷隆盛が『一徹者』だったから、このような結末になったのだと思います。さらに加えれば、河島英五さんのように、人を愛していたためかもしれません。でも、死んではならないと思います。そこまで『一徹者』になってはいけないと思います。現代と時代が違いますので、当時は仕方がなかったのかもしれませんが、、、、、、



2013年12月16日分
午前2時過ぎに、カーリング日本女子代表は、ソチオリンピック最終予選の最終決戦で勝利し、ソチオリンピック出場を決めました。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/131216/oth13121603050003-n1.htm
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2014/other/20131216-OYT1T00103.htm?from=ylist
http://www.asahi.com/articles/TKY201312160001.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131215-00000099-spnannex-spo
おそらく、今朝起きれば、カーリング日本女子がソチオリンピック出場決定をニュースで知ることができるだろうと思っていましたが、私は午前2時過ぎまで、生中継でその決定と喜びの瞬間を観たく、テレビの生放送を観ていました。結果は予想通り勝ちましたが、日本は3―4で迎えた第8エンドで、6点を奪うビッグエンドを作って9―4と逆転に成功しました。カーリングでひとつのエンドで6点を取ることはほとんどなく、たぶん、私にとっては一生で一度だけになるかもしれません。そのビッグエンドを生放送で観られた喜びは人生最高クラスの感動、喜びでした。午前3時にふとんに入っても心は興奮していて、この感動、喜びはどの唄だろうと考えていました。
はじめに浮かんだのは河島英五さんの 『忘れもの』
「勝負が必要ならば 勝ちたいが あたりまえ♪」
という歌詞です。
私自身、『勝つ』ことへの欲望は少ないものの、やはり、オリンピックの出場権をかけたこの一戦は勝ちたいと思いました。ただ、カーリングは相手がミスをすれば勝てるゲームですが、試合中、なぜか相手の奇跡的なショットも期待して観ている不思議な自分に気が付きました。よくいう、両チームが素晴らしいプレーをして、それで日本が勝つことを望む欲張りな感情でした。ただ、この試合のビッグエンドの興奮はただ『勝ちたい』というもの以上の興奮でした。

河島英五さんの 『一徹者』
「幸せなんて 心が決めるもの♪」
という歌詞があります。
『幸せ』とは何かと考えている私が感動して、喜んでなかなか眠られないという状態、これが『幸せ』かとかみしめました。やはり、『幸せ』はお金とか出世とかではないということを確信していました。

『出発』
「本当の幸せと本当の喜びを捜し求めよう♪」
という歌詞がありますが、『これが本当の幸せだ』と思いながら、寝ました。



2015年3月26日
河島英五さんが 『一徹者』

「一徹者でいい そのままでいい
いまさら世間に なびいてもしょうがない
いつもの居酒屋へ 下駄を鳴らせば、
・・・・・・・・・・・・・・・」

「ひたむきでいい まっすぐでいい
愚かに見えるぐらいで ちょうどいい
新しがり屋に何が わかるか
男の仕事は はんぱなもんじゃない
・・・・・・・・・・・・・・・」

「一徹者でいい そのままでいい
幸せなんて 心が決めるもの
・・・・・・・・・・・・・・・」

と唄うから、一徹を通していますが、
やはり、一徹は大変です。
「幸せなんて 心が決めるもの」
と唄っていますが、
こんな一徹を通しておれることは幸せかもしれませんが、
これは私が思う幸せではありません。
一徹も程ほどにしようかなあああ


2015年7月18日分
河島英五さんの唄に 『一徹者』 という唄がありますが、英五さんも英五さんのお父さんも一徹者というか凝り性だったらしいです。
英五さんのお父さんは砂糖が身体に良いと聴いて、毎日、ご飯の上に砂糖をのせて食べ、糖尿病になったとか。
英五さんはどんな時でも走ると決めたら、毎日毎日、走り、ある日、疲れて、道に倒れたとか。
私も一徹者であり、頑固で、趣味に関しては凝り性で、今はトレーニングジムに行きだしたら、閉館日でなければ、毎日毎日通い、無理して、1週間で腰痛になり、それでも、上半身の筋トレとか歩行とか腰に負担がないトレーニングをやりに毎日毎日行っています。
そんな一徹な私のために作ったような歌が、 『一徹者』 です。

「一徹者でいい そのままでいい
幸せなんて 心が決めるもの♪」


私は私の好きなように生きられて、幸せです。


2016年6月20日分
2016年06月19日の『そうだったんだね父さん』Vol.4にニコラス さんが次のコメントを書いて下さいました。


たれぱんださん、こんにちは。
息子よりも、私。
私よりも、お父さん。
お父さんよりも、おじいちゃん。
おじいちゃんよりも、ひいおじいちゃん。
気のせいか、
昔にさかのぼる程、
昔のお父さんの方が、
厳しく、怖いけど、
立派なお父さんだったように
感じてしまいます・・・。
(2016年06月20日 07時15分34秒)


昔は父親に尊厳や厳格があったように思います。そして、いい意味で 『一徹者』 だった感じがします。
河島英五さんのお父さんも英五さんも 『一徹者』 だったとMCで話されていました。

河島英五さんの 『一徹者』
「一徹者は親父ゆずりと
目頭おさえ おふくろが云う」
「一徹者は 親父以上だと
目を糸にして 女房が笑う」
「一徹者は 直りゃしないネ、と
女房が云えば おふくろ うなずく」


この歌詞に、一徹者とその父、母、妻の家族が出てきます。
「一徹者は 親父以上だと
目を糸にして 女房が笑う♪」
一徹者の父親でも家族は許している。
一徹者でも尊厳があったのだと思います。
河島英五さんも奥さんや子供たちに尊敬されています。



頂いたコメント

頑固一徹の人だからこそ 訪ねてもいいかいさん
頑固一徹の人だからこそ、ほっと息つく時、ぬくもりが恋しかったり、明日が恋しかったりするのではないかと。ここで一徹者だからこその人間味のある部分をさしてるような気がします。なかなか、上手な表現ができなくてごめんなさい。言いたいことが少しでも伝われば良いのですが・・。(2006年05月09日 21時16分20秒)

Re:もしかしたら・・・(03/03) @たれぱんだ@さん
訪ねてもいいさん
ヒントありがとうございました。
「ほっと息つく時、ぬくもりが恋しかったり」というのは、なんかわかります。
私の場合、「ほっと息つく時」を忘れる一徹者だったようです。
「ほっと息つく時」を忘れる一徹者だから、
休憩しているうちに、「明日が恋しかったり」する。
なるほど、なんか、英五さんが、私にそう言っていたんですね。
なんか、私にピッタシなヒントでした。
(2006年03月12日 13時44分39秒)

『一徹者』 Eigo Forever!さん
私はよく、
「偏屈な頑固者は嫌だ!」なんて、
言う事がありますが・・・・

しかし、周りの方々からは、
私の事を「ポリシーの強すぎる奴!」
なんてよく言われます・・・

たれぱんださんの言われるように、
なんだか、世間のみんなが一徹者みたいですよね!
もちろん、私自身も含めて!!(2006年07月22日 01時30分22秒)

Re:『一徹者』(06/03) @たれぱんだ@さん
Eigo Forever!さん、こんにちは

「ポリシーの強すぎる奴」
policy:方針、政策、保険証書、考え方、規定、方策、手段、やり方、政略、知略、機略
ポリシーがない方が不思議ですね。
私も強すぎるのかもしれません。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言いますが、
ポリシーを持って生きたいですね。
という私は、今、現在、ポリシーを貫き過ぎて、
極地に追い込まれかかっています。
確かに、「過ぎたるは及ばざるがごとし」を実感中です。
(2006年07月22日 07時34分38秒)


Re:『一徹者』Vol.15(07/18) たかあき さん
「一徹者」
ちょっと羨ましいです

私は、アマチュア無線に凝った
 と思えば
バイクが欲しくなり
子供のために買った
ウクレレに、はまってしまったり

趣味が多彩 というよりも
熱しやすく冷めやすいタイプで
すぐに 飽きてしまいます。

「一徹者」
かっこいいです。 (2015年07月19日 07時20分53秒)


Re[1]:『一徹者』Vol.15(07/18) @たれぱんだ@ さん

たかあきさん
>「一徹者」
>かっこいいです。
私はかっこいい訳ではありませんが、
『一徹者』です。
(2015年07月19日 12時08分27秒)


Re:『一徹者』Vol.16(06/20) ニコラス さん

たれぱんださん、こんにちは。

この度は、私のコメントを、
ブログ本文に紹介して頂き、
ありがとうございました!

私の祖父ですが、
孫の私には、とても優しい
おじいちゃんでしたが、
私の父母が子供だった頃は、
とても厳しく怖い
お父さんだったそうです!

尚、私の祖父の父、
即ち、ひいおじいちゃんも、
若かった頃は、
もっと、厳しく怖い、お父さんだったと、
孫の私に話してくれました。

厳しく、一徹者だった
河島英五さんのお父さんも、
おじいちゃんになって、
孫の、あみるさん、アナムさん、翔馬さん
には、やはり、優しいおじいちゃん
だったのでしょうか?

そして、おじいちゃんに
なった河島英五さんも、
英五さんの孫である、
あみるさん、アナムさんの子供たち
には、きっと優しいおじいちゃん
だったのだろうなぁ・・・
って思っています。

おじいちゃんになった河島英五さん
きっと、カッコいいおじいちゃん
だった事は、間違いありません!
(2016年06月20日 17時04分26秒)
返事を書く



Re[1]:『一徹者』Vol.16(06/20) @たれぱんだ@ さん

ニコラスさん、こんにちは。
>おじいちゃんになった河島英五さん
>きっと、カッコいいおじいちゃん
>だった事は、間違いありません!

私の連想が間違っていたかもしれません。
英五さんは一徹者でしたが、
『厳しく』はなかったようです。
英五さんは子供に対して、
子供と扱わず、子供も対等に接した子育てだったようです。
いわゆる子供の人権をちゃんと認めて接したようです。
私も子供の人権を認めましたが、
結果的には甘やかしたようです。 (2016年06月20日 21時08分31秒)



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