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インドを回るのに以前から決めていたコースがあった。実はこの時期、北のほうから雨季が迫っている。雨に追われる様に、インド東側を南下。ラジャスタン~グジャラート~マハーラシュトラ~カルナ~タカ~ケララ~そしてスリランカ(国外)~もう一度インドケララ~今度は西側を北上タミルナドゥ~アーンドラプラディッシュ~オリッサ~西ベンガル~再びデリーの有るウッタル~今度は北上パンジャブ~カシミール~そしてデリー~再度ネパール。(州の名前です)約4ヶ月の行程。長いと思われるかもしれないが、これでも大急ぎでぐるっと回る感じ。計画通り天候には恵まれる。ネパールにじっくり居すぎて、時間が無くなったなんてわけではない。時間は充分あるのだ。とにかく見たいものが多すぎて、気持ちは早まった。とりあえず3日後タージ・マハールの有るアーグラまでのチケット(夜行)を手に入れる。それまではデリーに有る有名どころを見て回ることになる。MADAMSさんにサリーのこと(インドやネパールの女性の民族衣装)でご質問ありましたので、ここでサリー講座!!サリーとは縦約1m長さ約5mも有る布です。生地はコットン、シルク、ポリエステルなどなど。柄はプリント柄(これは結構madeinjapanが多い)、絣、絞りなどなどです。サリーの前にちびTのようなブラウスを着、足元はブラウスと同色のペチコートを履きます。これは結構無地のものが多いです。生地もサリーに合わせたりします。ほとんどがオーダーメイドで、注文すれば採寸して1~2日で作ってくれます。着方はまずペチコートの横腹あたりにサリーの端っこをぐいっと食込ませ、ぐるっと1周巻きます。次におへその辺りでひだを5~6まい作り、またペチコートのウエストにぐいぐい突っ込みます。このひだをきれいに作ることで、サリーは美しく見えます。長さが5Mと決まっているので、体格により、このひだで調節できるわけです。残った部分は1周して肩に引っ掛け、ピンなどで留めたり、頭からふわっとかぶったりします。文章ではわかりにくいので、一度自作自演で映像UPしようかと思ってるのですが、お見苦しい点があると思うので検討中です。ははは、、、サリーはほんとに美しいです。顔が小さく、べっぴんが多いインドの方にはホント惚れ惚れいたします。
Oct 25, 2001
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デリーに着く。タクシーでニューデリーのバザールへ。まずは今夜の宿探しからはじめる。バザールの近所は何かと都合がいい。ネパールとは違い、人が多く、にぎやかだ。私たちにはうるさいとも感じるくらいである。宿はもちろんゲストハウス(安宿)1泊ツイン250Rs(500円ぐらいかなあ)朝食つき。これでも結構贅沢。本当はレストランが1階にあるホテルにしたかったのだが、あいにく満室。天井にはあまり意味の無い扇風機、そしてあまり美しいと言えないシーツのベットが2個。ただ、バザール沿いに面しているため、窓から見える眺めは結構面白い。町中に流れるインド映画音楽やラジオの音。物売りの声。だらだらと流れる人人人、、。外国人旅行者も多い。荷物を置いた2人は次の行き先を決め、ニューデリー駅へ切符を買うため出かける。ついでにバザールを探索。実は、バザールに出かけたのは訳がある。それは秘密なのでもし聞きたい方は私書箱にお申し込みください。何ちゃってたいしたことは無いのですが、、。「いらっしゃいいらっしゃい!!」「サリーはいかが?」「チャイチャイ!!」「安いよ安いよ!!」(もちろんヒンドゥ語)ネパールとの違いにちょっと目がくらむ。途中まで歩いてなれない雑踏が嫌になり駅へ向かう。3日先のチケットを買うのに並ぶ。窓口で日にちと時間、そして1等または2等を選び、もちろん女性専用を選ぶ。インドでは女性専用部分があるのだ。関東の地下鉄で最近実施されているようだが、インドではこれは当たり前なのだ。
Oct 24, 2001
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3月のホーリーのお祭りの後、ビザも切れるということで、あわててインドに向かうことにした。インドのビザを取りに大使館へ。デリーとカトマンズの往復、その他インド国内の航空チケット2回分、インドからスリランカへの往復の準備。あまり時間に制約されたくない2人はインドへ渡るときだけの日にちを決め、後はフリーにした。荷物は持ってきた量の3分の1にまとめ、後はココの部屋の主人に預けた。実はデイパック1個になった。かなりココでの生活に慣れきったので、最低必要なものだけにまとめることが出来た。慣れというのは恐ろしい。トイレットペーパーがいらない体になっていたのだ!出発の数日前、おなかの具合が悪くなり、行きたくないが病院へ。今度は国立病院へ行った。検査をし長い時間待たされた結果は「腸の中が発酵している」(直訳すると)と言われたがたいしたことは無いようで、薬ももらわず帰る。帰り道おなかが空いてダルバートタルカリを2プレート食べる。「たいしたおなかじゃ」自分で感心する。何の心配も無く世界一の飛行技術であるロイヤルネパールに乗り込み、(世界一ぼろいかもしれない、、、)いざいざインドはデリーへ。
Oct 23, 2001
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パシュパティナートのことを昨日書いたので、思い出しました。パシュパティナートは聖なる大河ガンガー(ガンジス川)の支流パグマティー川沿いにあり、ヒンドゥ教の寺院が立ち並ぶ。ココは沐浴だけではなく、死者をダビに伏す火葬ガートもたくさんある。インドは生身のまま流すことが多いのだが、ネパールは火葬にする。あちこちから煙が上がり、異様な雰囲気である。お葬式の行列は、死者を白い布でくるみ、たんかではこぶ。親族たちの服装は男女とも白いもの。皆無言のままガートにて最後の別れを惜しむ。死者がこの家族とどう言う関係かは一目瞭然。死者の息子は頭を丸め、尻尾のように少しだけ髪を残している。彼の親御さんなのだ。彼は何日か白い服を着、そのままのヘヤースタイルで喪に伏すのだ。悲しみも、つらさも、すべて時間が解決してくれる。そう言っている様だ。気持ちが少し和らげば、みんながその頭をからかい、力付けてくれる、と言うわけで。さてはて、ガートでダビに伏された遺体はと言うと、煙と共に魂が抜け、灰と骨になったところで聖なる川にポイッ。そして永遠にさようなら。日本では骨を拾って持って帰って、お墓を作ると言う話をしたら、みんな怖がっていた。彼らにとって死というものはきっとすべてが無になることなのかも知れない。
Oct 22, 2001
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パシュパティナート シヴァラットリーシヴァラットリーというお祭りが2月半ばにある。ご存知の通りシヴァというのはヒンドゥー教の神様の一人だ。男前で女好きで牛さんを乗り物にし、英雄でもある。シヴァの化身でクリシュナという神様がいるのだが、こやつ音楽が好きでまた男前。モテモテでいつも女性に囲まれ、幸せな神様である。ハーレムじゃ。が、結構こやつスケベだそうだ。こう書いている私もクリシュナのファンである。男前大好きさ!さて、シヴァラットリーだが、その夜シヴァ神はガールハントだかなんだか降臨されるらしい。シヴァファンはこの日寺院の周りにあつまってくる。特にいつもはぽつぽつしか見られなかった、サドゥさん(行者)たちがいっぱい。それぞれがヨガや瞑想、断食、などなど、修行に励む姿がうかがえる。いでたちは、ふんどし1枚、ひげや髪は伸び放題、顔や髪に白い粉を塗っていたりして、年齢不詳的存在だ。だいたいが痩せこけてて、なんか食べたらいいのにと、心配になる。これがヒンドゥー教の実態なのか!これにしっかり浸りたい方は、シヴァラットリーにパシュパティへ、、、、みゃあさま!これはかなり不気味よ~~!!
Oct 21, 2001
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ホーリー確か春を呼ぶまたは春に感謝するお祭りだったと記憶している。タイで言う水掛祭りみたいなものでしょうか。ネワール人はホリと言う。3月の始めごろかと思う。(ネパール暦はちょっと普通とは違うのでご確認ください)タイのように水をかけるだけならいいのだが、こちらは色粉入り。赤はほとんどティカ(おまじないみたいな物で毎朝おでこにくっつける赤い色の粉)黒はコピー機に使うトナー。そのほかは絵の具類。町中色水を撒き散らし、人にもバンバン飛んでくる。もうどうなってもいいTシャツとjパン姿でもちろん参加。同じあほならおどらにゃそんそん。想像以上の攻撃を受ける。おお!マンガルバザールの日本人がきたあ!と、張り切ってぶっ掛けてくる。顔も、服も、髪もぐしゃぐしゃ。でもなんだか子供のころの泥んこ遊びのようで楽しかった。体はその日のうちに洗って、難なく元の姿に戻れた。が、次の日汚れた服を洗ったが、時間と労力の無駄だった。
Oct 20, 2001
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恐れていたことがついに起こる。ある夜のこと激痛が走る!いった~い!私は胃下垂と胃酸過多の持病があったのだ。この旅を決めてから1年じっくり治療に取り組んだつもりだった。そして治ったつもりでいた。が、しかし根っからの食いしん坊と、それほど辛いとは思ってなかったが、やはり香辛料攻めの毎日。そして強いアルコール。再発しないほうが不思議。少し休めば治る。そう思うようにし、その夜は早めに就寝。でも結局時折襲う痛みに朝まで眠れなかった。翌朝、日本語の達者な人にお願いして町医者に連れて行ってもらった。「女医さんがいいでしょう?」なんと心得ていること。助かる。診察は聴診器を少し当てて、後は問診。めっちゃ簡単なもの。「胃が荒れているのね。穴が開きそうなのよ」ええ!ホンマかいな?とりあえず処方箋をもらい、近所の薬局へ。「薬はイギリス製だから大丈夫。」と付き添ってくれた人は言う。またまたホンマかいな??とにかく薬を買い飲む。それがまた良く効いた。昼過ぎには痛みも無く、なんだかすっきり。おお!ホンマやんかあ!!次の日天気がよく屋上で髪を洗う。大量の抜け毛に腰を抜かす。(このとき髪は腰まであったから結構キショイかった)やはり強い抗生物質だったようだ。恐れをなし薬はやめる。でも快調!!
Oct 19, 2001
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肉くいて~~~!!ステーキ食べた~い!そう思った。そしたらこの旅の相棒様(親友)がにやり。タメルに有る!調査済み。おお!さっすが我が親友!思うところは一緒なのだ。タメルはホテルやおみやげ物屋がたくさんあり、ツーリストには便利なところ。そっか~行こう!と2人いそいそ出かける。ガイドブックには本格派ステーキハウスと書かれている。念願の牛肉のステーキだ。タクシーに乗ってタメルに付く。歩いてでもいけないことは無いが、心が急いでいた。場所はすぐにわかった。長年にわたる食いしん坊の勘は鋭いのだ。いざいざ!!テーブルにすわり注文。値段は約200Rsそこそこだったと思う。「高い!」と思ったがそれはネパール感覚。いつもダルバートを2Rsで食べている感覚では高い。10倍だもの。でも200Rs=約300円。日本だったらコーヒーも飲めないと自分たちに言い聞かせ、たまには贅沢良いじゃあない!勝手に納得。鉄のプレートに乗ってやってきました。じゅーじゅー音を立てて。もうよだれだらだら、待ちきれないとナイフを入れた。その瞬間「あれ?」と思った。口に入れて又、「あれれ?」硬い。これが牛肉かあと思うほど。メニューをもう一度見る。「Baff」って、水牛?ほんじゃあ「Beef」ではないのお!本格派ステーキハウスという文字=Beefと思っていた2人は愕然とした。それでは、Baffの上手な食べ方を!まず、あたりかまわず肉から食うべし。冷めると硬さが増すのだ。野菜などには目もくれず、ひたすら肉を食うべし。味はなかなか良いので、安心してください。うわさですが、この店は今も営業しているようで、最近はインドから牛肉も輸入し出しているそうです。あくまでもうわさなのでタメルに行かれる方は、ご自分でご確認ください。よろしく!
Oct 18, 2001
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以前BBSに「ごみ事情」についてリクエストがありましたので、ちょっとネパールのごみ事情を。そいつは突然やってくる!(もしかしたらごみの日が決まっているのかも知れない)おんぼろトラック!そいつを見かけるととたんに町中が騒がしくなる。「ごみごみ!」そう言われてごみをまとめる。そして道端にぽい!トラック回収!ココまでは日本と変わらぬ朝の風景。「で、このゴミ、トラックで何処に持っていくの?」「さあ??」リングロード周辺にも街中にもゴミ処理場らしきものは見なかった。いったい何処に行くのやら。日本からたくさんの企業や政府の援助が来ている筈なのに。ココにもゴミ処理場が無い!(今は有るかも知れません)ゴミの内容は残飯や野菜、果物の皮など、それから問題のビニールのお買い物袋。残念ながら分別するということはされていない。まあ日本のようにスーパーの食料品がすべてパックされているとか牛乳がパックに入ってるとかレトルトのアルミ加工のビニールとか、空き箱とかが無いのでゴミの量は断然少ない。残飯などは野良犬や野良やぎが処理しにやってくるのだが、ビニール袋はどうしようもない。ダイオキシンの種になるだけ!時々やぎくん紙と間違えてるのかビニール袋を銜え、なにやらくちゃくちゃ。お~~~いそんなもん食べたらしんじゃうよ~~!!ネパールに早く高性能のゴミ処理場を!!
Oct 17, 2001
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パタンの町中でまたもやぼ~~~と暇そうにしているので、はじめて訪れたときに会った青年が、「サイクリングに行こう」と、誘ってきた。私も特に行くところがないのでもう一人の友も誘ってみたが、疲れがたまってるらしく、青年と2人で出かけることにした。コースはカトマンズをぐるりと囲むリングロード。たいした距離ではないと甘く見た。のが、間違いの元。自転車は昔なつかしト~フ屋さんの使っていたタイプ。重い、、、。これで走るのか、、。ちと不安。そして的中!リングロードは当時出来たばかりの道で、もちろん砂利道。いずれは舗装されるというのだが、出来れば舗装されてから走りたかった。お尻が痛い、、。リングロード周辺は何も無くのっぱら。時々干しレンガを作っている場面に出会う。後は町外れということで、小さな民家がある。街中の暮らしとはまったく違いかなり質素な感じ。見て解る通り貧富の差が大きい。子供は砂ホコリまみれで、服もぼろぼろ。「おいおい顔を洗えよ。服もつくろってもらいなよ」そう言いたいところだが、小さな子が水をアルミの水がめに入れて、毎朝井戸から運ぶ姿を見ていると、水は貴重品。そうそう簡単には使えまい。糸だって針だってココの生活には高価なものである。籠にのら牛(牛はあっちこっちでのらのらしている)の糞を集め、壁に張り付け乾燥させて燃料にする。それを売って生活している、と、言う姿もまだまだ珍しくない。ココでリングロード情報。資料によると15~6kmぐらいの距離で、私が走った頃はでこぼこ砂利道でした。自転車で2~3時間走りました。途中ズルをしたので、実際はもう少し時間がかかるかもしれません。カトマンズは標高約1400Mのところにあります。空気が薄いなんてことは感じませんでしたが、結構きつかったです。当時のっぱらでしたが最近ではリングロード周辺は新興住宅街になっているそうです。いやあ、どうなっているのか是非見に行きたい。
Oct 16, 2001
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又、いやなニュースがテレビで流れていました。小1の女の子の事件です。こういう時ってなんだか考え込んじゃって、旅日記書けません。ごめんなさい。3日連続オサボリ、、、、で、HPがなんだか込み合ってきたので、いろんなページに行きやすいように、topを改良。これから元気になるために、皆様のところにお伺いします!!元気ください!!
Oct 15, 2001
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すみません。運動会です。実は今日、保育園の運動会でした。わが相棒は4っつ参加しました。はじめは「運動会の歌」ちなみにこの歌を練習したのは1回だけでした。一時保育のため仕方ありません。「うんど~か~いチャチャチャ、、、よわむしな~んかいるもんんか~~しろはたチャチャチャえい!えい!お~~~!」と、習ってきた日から何度も歌っていました。なんと短い歌だ!と、思っていたのですが、彼女が覚えていたのがそれだけだったのでした。ちなみに「白旗」ではなく「白組」でした。次は、「やさいのチャチャチャ」という体操。これも1度きりしかやったことが無く、周りを見ながら必死で付いて行ってました。楽しいはずが、顔が真剣で怖かった。次に「かけっこ」。仲良しのお友達とおててつないで走ってました。今年は逆走しないだけましか、と思ってみてました。もちろんドン尻でした。お次は「はらぺこくまさんうさぎさん」という親子障害物競走!親はもちろん初めてでした。はじめに先生が見本を見せて、これなら出来る!と、安心しました。いろいろな障害物を乗り越え、ゴールの前でにんじんならウサギさんに、りんごならくまさん(作り物です。本物だったら怖いか、、はは、、)に食べさせてあげるのですが、わが相棒ココでりんごにするかにんじんにするか迷ったようです。しばらく考えて、「とまと、無い?」と言って、にんじんを取りました。「とまと?」相棒はトマトをくまさんにあげたかったようです。まあ良いかと、にんじんを手にしたのですが、くまの前で又悩み、「やっぱりうさぎさんやねえ」といってウサギの口ににんじんを入れました。やっとゴール出来、景品におもちゃとにんじん、たまねぎ、ジャガイモが入った袋(これは本物)をいただきました。それを手にした瞬間、私は「今夜のメニューは「カレー」に決定」と心の中で叫びました。野菜を景品にするなんて、なんと面白いことをかんがえるんじゃあ。うれしい。本日、わが子が1番を走る姿は見ることが出来ませんでしたが、真剣な顔をしてがんばる姿。「おお、成長したなあ、、うるうる、、」と親は大満足!!!。はじめの開会式で園長先生が、「必ず3っつはほめてあげてください」というコメントをされていました。3っつだけではなく、もっといっぱいほめてあげたい!私って「超親ばか」でしゅ。我が相棒はお疲れか、午後8時より爆睡!もう蹴飛ばしても起きない。
Oct 14, 2001
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今日は又、フリーマーケットに出店して来ました。メンバーは前回と同じ3人組です。今回もなかなかやる気満々で、メンバーの一人は2~3日前から息子君が熱を出していたので、フリマ当日熱が出ないように前日まで幼稚園を休ませたそうです。(息子君は幼稚園が好きなのに、悪いかあちゃんですね~~!)お天気も良く、暑かったです。収穫はぼちぼち。いや、良いほうです。朝一から子供服をしっかり手に入れようと、母さんたち、力が入ります。今回は前回のnonnoと違い、年齢もまちまちで圧倒的に多いのが赤ちゃんを連れたお母さんでした。成長が早い時期ですので、リサイクルのものを安くで手に入れるとは、なかなか賢い母さんたちです。ご期待に沿えるよう、子供の服、(ヒス、ムチャチャ、mini-kなどなど人気ブランドも多数格安で有ったんですよ~~。)靴、靴下、帽子、小物すべて取り揃え、何でもござれ状態で望みました。その甲斐あって、売り上げも上々!「ぐるっと回ってきたけど、ココのが一番かわいい!」といわれ、ついつい値下げ。アクセサリーなどは若い方ばかりでなく、結構年配の方にも人気が合って、ぼちぼち売れました。良かった良かった。今度は何処でフリマやろ~かなあ~~~ところで明日は運動会。どうしていつも2日連続で行事が重なるんでしょう。最近年のせいか、パワ~を持続させることが難しくなりました。でも、がんばるべ~~~。早朝、弁当作りに励みます。おっと!もうひとつ忘れてました。明日は近所の神社で布団太鼓のお祭りです。運動会が終わったら行こうかと思ってますが、からだもつかなあ、、、、、、しんどそう、、、
Oct 13, 2001
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以前、この国では殆どがお見合い結婚をすると紹介したことがあった。法律にはもう無いのだがやはりカーストの影響は大で、同じカーストだと一生食いっぱぐれはない。旦那様は家業を継いでいけばいいのだ。その世の中でお付き合いしているカップル発見!彼らの仲間がこっそり教えてくれた。これはすごいことなんだけど結構居るらしい。もちろん表向きは全くわからない。だって、デートだって2人は5Mぐらい離れて歩いてるんだもの!手を繋いだり、自転車の相乗りなんてしたらもう大変!町じゅうのうわさになりお互いの家族は大騒ぎするだろう。そのただいまデート中の2人を呼んでくれ、と、言われ呼び寄せた。外見は日本人が2人の知っている子に声を掛けた。日本人つながりで、この3人は話をしているのだ!が、しかし実態は私はニコニコしているだけでこのラブラブの2人が話をしているのだ。はは、、私は出汁である。
Oct 12, 2001
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パタンに戻る。「お帰りなさい」「ポカラはどうでしたか?」「山に行きましたか?」、、、、もう日本語練習台のいいカモが戻ってきた!とばかりに日本語の質問の嵐!おいおい、観光客は他にもたくさん居るよ~。私達なら怪しまれず気を使わず、安心して話せるのだろうが。ネパリ気質は結構シャイで気を使う。人の表情や行動に敏感で、ちょっと変な顔をすると「どうしたの?」と心配して声を掛けてくれる。だから彼らもよほどのことが無い限り、いつもニコニコ。日本語で「世話をする」の「世話」はネワール語でも「セワ」だ。「よく食べる」の「よく」も「ヨク」だ。「やめて!」も「ヤメテ」まだまだ有るらしい。言葉も似たところがあるが、性質も結構似ている。ただ、日本では隣人さえもよくわからなくなってしまったが、ここネパールでは隠し事など出来ないくらいヨク知っているのだ。私達のことはまず町じゅうの殆どがご存知だったのではなかろうか。
Oct 11, 2001
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今日は朝方から良く降りましたね。寒いくらいビュンビュン風も吹いて。そちらはいかがでしたか?我が子は先日買ったばかりのカエルの絵の傘をさしたくてうきうき!「かえるのりんちゃん」状態でした。(わかる方にはわかる!)それでは旅日記はじまりはじまり~~~!翌朝、やはり回りの景色が気になりまずは外にでる。やっぱり山は(ヒマラヤ)前にナガルコットで見たよりも近くて大きい!雪のくっ付いて輝いているいる部分と谷になって影になっているところがくっきりわかる。ここから一番近くて高く見えるのがマチャプチャレ。「魚の尻尾」という意味だそうで、もっと近くから見ると山頂が二股に分かれているそうだ。もちろんそれは見てないのだが、ここから見える三角形の形はとてもきれいで凛々しい!アンナプルナ、ダウラギリ、、、現地で色々説明してもらったのだが、見ているだけで幸せだったので殆ど上の空???ここまで来るのでも結構大変だったので、あそこに登ろうとは思わなかったがこの景色は是非また見たいと思った。トレッキングは山だけでなく、パタレ・チャンゴという滝のあるところや、ペグナスという湖や、寺院などもある。今回は歩くのが苦手な2人だったのでおおちゃくかまして行かなかったが、訪れる方があれば是非チャレンジしても後悔しないと思う。ここでお詫び申し上げます。昨日トンパという粟酒の話をしましたが、何処で記憶し間違えたか、、トンパを飲んだのは後日東ネパールのヒレという町に行ったときのことでした。ごめんなさい。後で日記と当時のガイドブックを見ていたらあらやだ!間違ってる!ということに気付きここでお詫びいたします。言い訳:15年前の記憶というのはいかにいいかげんなのか、、、ほんとにごめんなさい。ここで推薦!ヒレのトンパは最高です。(正確にはトゥンバと言うそうです)で、ポカラからトレッキングに来て1泊した先の地名はダンプスでした。そう、ここはダンプス。
Oct 10, 2001
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いやあ!今日は暑かったですね。もう10月の半ばだと言うのに半そででも充分OK。思わず扇風機を回してしまいました。今は雨が降っています。きっと明日はぐっと涼しくなるのでしょうね。さてさて、旅日記行きま~す。歩いて歩いてチベット人の村につく。ここで1泊することになる。もう、夜もふけていたので、周りの景色は明日の朝見るとして、まずは腹ごしらえ。チベット料理は餃子とそっくりのモモ、ラーメンとそっくりのトゥクッパ。そして粟のお酒トンパ。このトンパは木をくりぬいた直径15cm高さ25cmくらいの器に醗酵した粟を入れその上からお湯を注いだもの。蓋をするのだがその蓋の真中にアナが開いていてそこに竹製ストローを突っ込んで吸って飲む。味は酸味があり口当りが良くガボガボのめる感じ。無くなるとまたお湯を入れてくれる。美味しい美味しいとガボガボ行くと、フラフラになるのでご注意。このお酒もなかなかなのだが、器が最高に良い。凝ってる物は彫刻が施されなかなか美しい。現地で知り合ったJOCBの方はMYトンパボトルを持っていた。私もほしい!!頼めば新しいのを譲ってくれるとのこと。しっかりお願いして、彫刻の美しいものを分けて頂いた。(値段は忘れました。実はここの地名も忘れてしまって、、ごめんなさい)チベット系の方の村ならまたカトマンズでもチベット料理のお店ならトンパは必ず有ると思いますので、是非お試しください。トンパ、トンパ、トンパ、、、ああ懐かしい、、、
Oct 9, 2001
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ポカラから超ミニミニトレッキングをやってみた。とにかく日本での不健康な生活が影響してか、長い距離を歩くと言うのが苦痛なためポカラから川沿いをジープでいけるところまで行く。(不健康=別に遊びほうけていたわけではない。仕事がハードだっただけである)ジープを降りるとそこからは車の通れる道は無い。ひたすら歩くのみ。エレベストを登山する方もこうして大荷物をかつぎ、はるかかなたの高峰を目指すのだろうか。こりゃあ大変だ。かなり遠いよ。とりあえず1泊2日でちょっと高いところにある村々をめぐる感じのものを実行!やってみると結構楽しい。道はごつごつの荒れたものや、砂利道。そして、山は段々畑が広がる。とても急勾配なので作業に困るだろうな。ネパールにエンジンつきの農作業器具は使い物にならないだろう。やはり牛が効率的。時期が悪いのかそれともこれが実態なのか、山肌の木々はさほど大きなものではなく、うっそうともしていない。どちらかと言うとちょっと荒れているようにも思えた。もっと歩けば素晴らしい景色に出会えたかもしれないが体力が付いていかないので断念。途中村に入ると学校なども見かける。小さな教室が1つ有るだけの粗末なものだ。生徒はみんな教室には入れないので外で勉強している。この村には学校があるが全ての子供が行っている訳ではない。家での家事を手伝い行けない子供もたくさんいた。子供の身なりも砂ほこりだらけで、いつ洗濯したのか??と言う感じ。日本にもちょっと前なら公園や建築資材置き場を遊び場にし、ガキ大将達がこんな身なりで遊んでいたのに、今はそんな子供を見つけるほうが大変である。子供と話をしていると「うちへ来て!これから食事なの。一緒に食べよう!」と言う。ここで遠慮すればよかったのに彼の強引な誘いに乗ってしまった。家に行くとカトマンズの家とは全く違う平屋の掘っ立て小屋のような家だった。これは行けない!家がみすぼらしいからではない。私達がここで食事をすると、ここの家族が食べることが出来なくなる。子供はおおらかであるからついつい誘ってしまったんだろう。家からお母さんが出てきて、「是非いっしょに」と言われ断りきれなくて家の中に入る。食事はチューラにダルスープ、そして肉も有った。久しぶりにお肉が手に入ったらしく、今日はご馳走だと言う。なおさら恐縮、、。そんなにお腹はすいていないから少しでいいと遠慮する。お母さんは「これからまだ歩くんでしょう!たくさん食べなさい」とがんがん入れる。帰りにご馳走様を言い、たくさんご馳走になったので食事代を支払いたいと申し出ると受け取った!あとは、旅で愛用していた3色ボールペンを差し出し、これはお礼の気持ちですと手渡した。これは子供のものになりそうだ。やっぱり大変だったんだ。でも、やっとの思いで手に入った肉まで全く他人の旅行者に振舞ってくれるとは、もう!無理しなくていいのに、、、、。心の大きな母さんだ。あんまり簡単に誘いに載るのはやめようと思った。
Oct 8, 2001
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なんでポカラなのか?やはり有名所だからか、山岳にもトレッキングにも興味の無い2人がまずカトマンズ盆地から出た先がポカラだった。ナガルコットを引きずっているのかはたまた神々の思し召しか?何の目的も無くナイトバスに乗り込んだ。出発は22時ぐらいだったと思う。オンボロバスである。初めてのナイトバスは結構苦痛。日本のナイトバスなど夢のまた夢。座席は狭く寝ることなんてとうてい出来ない。でも、このバスはmade in japanだそうだ。荷物は最小限デイパックに詰め、残りは信頼の置けるパタンの部屋の主人に預けた。このくらいでないと動きが取れないからだ。途中休憩があってポカラについたのは朝9時ぐらいだったか。まずはねぐら探し。高級ホテルなんて始めから求めていなかったので、ぺワ湖周辺から外れたところで探す。1階にレストランがある小さなゲストハウスに決定。腹が減っては!朝からしっかりダルバートタルカリ+マス(肉)で元気をだす。おかわりができるので2皿ぐらい食べたかもしれない。こう言うときにレストランがそばにあると便利だ。腹ごしらえも済まし荷物を置き部屋に例の南京錠をしおまけに自前のものも掛け散策に出かける。まず目指すはぺワ湖。ぼちぼち歩いて15分ぐらいのところだろうか。少し山はご機嫌斜めでヒマラヤはかすんで見えなかった。でも自然に抱かれたここの風景はほっとさせてくれる。日本の観光地のように人はたくさん居ることが無いので、またここでぼ~~~~としてしまいそうになる。「ボートに乗りませんか?」(しゃれではない)ネパールの少年に声を掛けられる。これが彼のお仕事あなんだろうけど悪いがここでじ~~~としていたかったのでお断りした。そうするうちになんだか雲行きが悪くなってくる。突然ぼたぼたとものすごい音がして白いものが降ってくる。「雪???」違う!直径3cmぐらい有りそうなヒョウである(漢字がわからない、、情けない)あったったらかなり痛いだろうな。すぐさま近くのやねのある船着場へ避難。大阪であんなでっかいヒョウは見たことが無かった。2~3分のことだったと思うが結構長い時間ぼたぼたと音を立てていたように思った。
Oct 7, 2001
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毎日毎日ぼ~~~~とすごし、無駄に時間を使いすぎてとうとうネパールのたくさんの神々から天罰を食らう!いつものように夕食を済ませ、真っ暗な夜道をねぐらに戻る途中、私達は王宮内にある警察の見張り場へ連行される。「ちょいとこっちに着なさい」およよよ?なんでしょうか?何も悪いことをした覚えが無い。王宮の2階にある警察官の溜まり場である。薄暗くてなんだかや~~な感じ。良く目を凝らしてみると警察官達はお酒を飲んでいる。やばい!危ない!私達はまだお嫁にも行ってないのに!ちょっと待ってよ。警察官だってちょっと信じられないところもある。そこへ天の恵み登場!私達に部屋を貸してくれている主人が来てくれた。この神のようなご主人様、ネパールにやってきた日本人に誠実さを気に入られ日本に留学する。保証人になってもらい日本の高校を卒業し、それがきっかけで旅行会社、おみやげ物屋、あげくの果てに花博のネパール館館長として日本にやってきていると言う結構大物!ネパールでは国の代表的存在。私達の行動をたまたま見ていた人が、彼に知らせてくれたのだ。大声で「この子達が何をしたんだ!私はこの子達の保証人だ!いいかげんにしろ!お馬鹿!」と言ったかどうか?ネワール語は理解不可能。とにかくすごい剣幕で怒鳴っていた。とりあえず私達は無事開放された。後で「警察は何故私達を呼んだのですか」と聞くと「旅行にきたのにどこにも行かないから、不信に思って呼んだと言っていた。でもそれは口実です。気をつけてください。」私達はこの言葉を違う意味でも理解していた。その夜、私達は話し合った。「明日、ポカラに行こう。」パタンの町にきて1ヶ月はたっていたと思う。
Oct 6, 2001
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パタンの町に居るときは、毎日何をするともなく時々店番をしたり、買い物に行って料理をしたり、土産物屋で観光客の接客をしたり、まるでそこで生活をしているような状態だった。町の音やざわめきを楽しみ、毎日どこかで行われている祭りごとに参加したりすることもしばしばあった。その中でも珍しい祭りごとを紹介いたす~~。女の子はある時期が来ると1週間ほど(2週間だったかもしれない)家の中の1室に閉じ込められる。真っ暗でそこでじっとしているのだ。男の人はたとえ親兄弟でも会えない。母親や姉妹が食事などを運び世話をするのだ。この長い時間をその少女は何を考え、何を思うのだろう。そしてその間家族は何を思うのだろう。時間が過ぎやっと日の当たる場所に出てくる。その姿は化粧をし赤いシルクに金刺繍の入ったサリーを着、さながら花嫁のような姿で現れる。年のころは10歳前後。彼女は大人になったのだ。暗い部屋の中、これから先自分はどう振る舞いどう生きるか。そんなことを彼女なりに考えていたのかもしれない。なんだか顔つきもしっかりとし笑顔もとても素敵だ。そして家族や周りの人たちも彼女が閉じこもっている間に、これから彼女にどう接するべきか、どう守ってやるべきかそして、どう愛するべきかを考えていたに違いない。彼女を迎える姿は大きな愛とやさしい笑顔でいっぱいだ。こういうことってもう日本ではあまり考えないのかもしれない。それだけ重みがなくなっているのかもしれない。ちょっとそう感じた。自分の欲望だけを前面に出し、人を大切に思う気持ちを忘れかけている。そんな日本の風潮の中にいた私にはちょっと刺激的な行事であった。文章がつたないので意味がわかっていただけるかどうかわかりませんが理解してください。重たくなりましたが、、、、。まあ、例のごとくその夜はご馳走をみんなに振る舞いお祝いをします。彼女にそっと心の中で伝えた。「これからも自分を大切にして自分を愛し続けてください」伝わったかしら?彼女はもう結婚して子供を何人か育てているかもしれません。きっとたくさんの愛にはぐくまれ幸せでしょう。
Oct 4, 2001
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↑感涙編!私達が居心地がいいのでここの生活にどっぷり使って、毎日ぼ~~~としていたら、周りが「どこかに観光に行かないのか?」と言い出した。確かにカトマンズやパタン周辺の町には出かけたが、あまり遠出はしなかった。たまりかねて「ナガルコットに行こう!」と誘ってくれた。ナガルコット?実はあまりぼ~~~としすぎてそこに何があるのか全く下調べしていなかった。パタンからタクシーをチャーターして夕方七時ぐらいに出かけた。なんでこんな時間に出かけるのかもちろんわからなかった。近所の子達を引き連れ総勢6名。ナガルコットまで約1時間半。真っ暗で何にも見えない。部屋が開いているロッジを探し1室でみんなで雑魚寝となる。こんな窮屈な思いをしてまでこんなところに何故やってくるのか??「明日早いから!」誰かがそう一言いって就寝、、、、zzzz。夜が明けかけたころ、「起きるよ」で起床!外に出てみたら想像しても見なかった絶景が飛び込んできた。「凄い!」ヒマラヤの山々が高くそして近くにあった。はじめは薄暗くぼんやりしていたが日が昇るに連れて色も次々と変化し、切り立った尾根も雪の積もった谷も良く見える。何よりも凄いと思ったのはこんなに高くこんなに大きいとは!私の部屋から生駒山地が毎日(そりゃァ山は動かないから毎日見える)見えるのだが、それとはけた違いのスケールと力強さを感じた。来てよかった。ネパールに来てこれを見逃したらなんで来たのかと、言われそうだ。資料によると山は10月から3月、夜明けか夕刻が最も美しいそうだ。私が行ったのが2月頃。ちと寒いが一見の価値あり!山の名前はわからないが、一番高いのがエベレスト(サガルマータ)だってことはすぐにわかった!お知らせ←に「ぶつぶつ独り言」をUPする予定です。お時間が有れば、またこっちにも行ってみてください。よろしくお願いいたします。
Oct 3, 2001
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「子供の♪ためなっら~♪なんでもできる~~~♪」(芸の為ならんニョウボも泣かす~~♪)心当たりのある方はご一緒にご唱和ください。特別企画第2弾!幼稚園編。旅日記をお楽しみにしていただいてる方には申し訳ないと心から思っております。でも、これを私の中から排出しなければ、先へ進めません。そういう性格なのでご勘弁してください。10月1日は幼稚園願書受付日です。うちの近所には幼稚園が少なく、唯一有る幼稚園が結構有名園で遠いところから来る人も多く、競争率が激しい。おまけに定員180名なんだがかなりの希望者があるため、早い者勝ちとされています。うちからは徒歩8分と言うことで、私としても入園希望!頑張るしかない!9月30日フリマが5時に終了し自宅へ6時半に帰ってきました。良い子でお留守番をしていた娘にチュ~して、シャワ~を浴び、食事をし、8時ごろ友人から電話を受けました。今晩行く幼稚園の願書受付順番取りのことでした。情報によると夕方5時の時点でもう50人近くの人が並んでいたとのこと。(おいおい又、人人人かい!)「ひえ~~~」11時(もちろん夜中です)くらいに行く予定にしていましたが、9時(もちろん夜です)に切り上げし、大雨の中でかけました。ずっら~~~と人、人、人、、。もうやだ~~!雨と言うことで園内の講堂に入れてもらい、寒さからは逃れました。しかし、床は板の間。座布団でも持ってくればよかったと後悔しました。昨夜からろくに寝ることも出来ず、フリマの疲れもあるせいか、夜中2時ごろから4時まで寝てしまいました。目覚めると腰が痛かったです(TT)。並んでいる人は、殆どがお父さんで、聞くと有休を取って来ているのだそうです。後はおばあちゃん。いくら旦那様や奥さんが大変だといっても、ちょっとかわいそうでした。一番元気なのは現役主婦。賢く荷物だけが順番待ち徹夜をし、本人は明け方やってきました。賢い!で、誰も文句を言わない。何故かと言うと、周りは余裕の順番だからだ。朝5時に整理券が配られ、私の番号は103番。いったい1番の人は何時から並んでいたのでしょう。それではご一緒に!「子供ンの~♪ためなっら~♪なんでもできる~♪」ありがとうございました!明日から「インド・ネパール友連れ日記」に戻ります!ところで今日は十五夜です。私の部屋から今まん丸お月様が光光と輝いてます。美しい!そちらはいかがですか?世の中いろいろあって騒がしいですが、今くらい心安らかに過ごしましょう。
Oct 2, 2001
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本日、特別企画な~~んて、昨日からの私の行動と乾燥?いや感想をばちょいと書き込みます。いやあ~参りました。実は9月30日nonnnoという女性誌企画のフリーマーケットが大阪ドームで行われました。これは面白いと思い1ヶ月ほど前から出店を決め、元アパレル系の友人2人に声をかけていました。彼女達も子持ちの主婦でお仕事をしていたときに買い込んだブランドなどの服や雑貨がかなり眠っていると言うことで、即決。当日一人は息子君の運動会と言うことで、前日から雨乞いをし、てるてるぼ~ずを逆さにつり、延期を祈ると言う力の入れよう。祈りが通じ当日は雨、、、。運動会は午前中で中断。うひひ!とばかりドームにやってきた。(息子君ごめんな~ひどい母ちゃんだぜ)私ともう1人の友人は朝7時から荷物を積み込み出発!現地ではnonnnoのスタッフの方に手伝ってもらい山のような荷物を搬入。(私はライフと言う軽自動車に乗っている。後部座席を倒し、後ろが全く見えないくらいの荷物になった。)ブースに着き慌てて広げる。さて10時。外は雨だからお客さんもすくなかろ~~と油断したがなんのその!雨にも負けず風にも負けず!中高生の女の子は強い!商品目当てか、モデルブース目当てか、はたまたブランドブースか、ゲストの人気モデルさん目当てか??とにかくすごい数のお客様でした。人が切れない、、お昼なのにぞろぞろ続く。ブースの数が500あり、それにもたまげたが、人の数には圧倒された。外ではとうとう入場制限をしていた。中高生と言うと私にとっては娘みたいなもの。(年がばればれ)値切り捲る彼女達にやっぱり甘い。「持ってけどろぼ~」状態!まあ、その甲斐あって、売り上げは50000近くになった。うひひひ!やったぜ~~~!フリマはこれがあるからやめられませ~ん。フリマの楽しいところはそれだけじゃあない。人と接することの少ない主婦にとってはこういう場所は楽しいのだ。しっかし、大阪の子はなんと値切り上手なんでしょう。中学生でも上手くお買い物しています。以前フリマをやったとき東京から遊びに来ていた人は1円も値切らなくて思わずおまけを付けてしまったことがあります。恐るべし大阪人根性!子供のころから鍛えられてるのお~。参りました、、、、、!
Oct 1, 2001
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えらくダラダラと長くなってしまった。でもまだまだ続くのでお付合いください。花婿が迎えに来たら、これで家族とはお別れ。近所に嫁に行くと結構行き来してるんだけど、遠くだとそう再々帰ってこれない。近所に行くのでも道端で親兄弟、花嫁が泣きじゃくる。もうすごい騒ぎである。おいおい泣くのだ。大げさなくらい。花嫁の弟は車にしがみついて「お姉ちゃんいかないで~~」と、泣き叫んでいた。やはり兄弟が多いせいか、赤ちゃんのころからお姉ちゃんに何もかも世話をしてもらっていた下の子は特別な思いがあるんだろうと思う。でもこの光景、誰の結婚式でも見るので、ちょっと儀式的だとも思った。弟はごね役、引きとめ役なのだ。「こんなに大事にしていた娘なんだ!だいじにせ~や」と言わんばかりに。さて、花婿に迎えられ車で花婿の家に向かう。やはりドンチャン♪奏でながら、、。花婿宅に到着。ここで初めて2人そろってお坊さんをよんで結婚の儀が行われる。赤い粉を米粒と水を混ぜお祈りしながらおでこにはっ付けたり、水を手にかけたり、、、意味も何にもわからないけどなんだか厳粛な気持ちにさせる。忘れてた!花婿の衣装は頭にトッピーと言う織物で作った帽子をかぶり、白いワイシャツ、伸縮性の無いおしりの部分がガボガボしたステテコのようなズボン、背広、首には花輪や金の飾り、と言う感じである。ちょっと奇妙ないでたちではあるが、これが男性の正装だ。儀式も終わり、翌日またもや大パーチィ~!これを最近ではホテルの大きな部屋を借りてするカップルも増えてきたそうだ。どっちでもいい。たらふく美味しいものが食べられるなら!実際はホテルより自宅の中庭でわいのわいのやる方がなかなかいいのだ。お~食べた食べた!飲んだ飲んだ、、次は誰が結婚するのかな~。なんて、、、、ね。(^^)ほんとに貧乏旅行者にはありがたい時期です。15年前の記憶を穿り返しているので、少々内容が抜けているところがあると思います。ごめんなさい。違う!こうやで~~なんてお話、bbsでお待ちしてます!これから渡ネパールを考えられている方、あまり期待しないでくださいね。その方がきっと楽しい!!
Sep 29, 2001
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結婚式!のお話。ネパールで私が参加させていただいた結婚式は2パターンあって、わりと近代的にホテルの1室を借りてするものと、昔からの方法で自宅の前の中庭を利用してするものとがありました。どちらも約3日から5日間の式。5日間もいったい何をするかと言うと、第1日目は新郎新婦とも別々に各家で家族との挨拶や、その家の宗教のお坊さんにお祈りや儀式をしてもらう。花嫁は真っ赤なシルクに金の刺繍を施したサリーに身を包み、べっぴんさんにお化粧をし、(ネパールで普段化粧をしている女性は少ない。ちょっとでも何かしようもんなら、「ああ!女優さんだ~~~」とからかわれるのだ~~)両手には指が曲がんないだろうと思うほどの金の指輪とブレスレット。重たくて耳たぶがちぎれてしまうのではと思うほど大きな金のピアス。(実際既婚者の中には穴が伸びちゃってる人もいる)足にもジャラジャラとアンクレット。全て花嫁の持参金となる。手のひらから手首にかけて、きれいな模様が書かれている。(マジックでないよ。草木から作る染め粉を練ったようなものだった)そして目には何よりも美しい真珠の涙、、やはりどの結婚式もお互い相手をあまり知らないまま結婚する若い(10代後半から20代始め)カップルが多いのだ。その涙はうれしい反面まだまだ親から離れるなんて、、悲しいの気持ちもあるだろう。しかし、生活はかなり保障されている!カースト制度のおかげだ。(差別はいけないけど)たとえ旦那に2人目の奥さんが出来ても離婚されたり、いじめられたりすることは無い。同じだけの愛情と生活が約束されるのだ。(実際はどうだかわかりまへん)主婦としてもさほどきつくないはず。なんせ、家族には主婦がたくさんいるのだ。旦那様の兄弟の奥様とか、旦那様のお父様の兄弟の奥様とか、、、当番せいになってるのだか、役割分担されてるのだかは不明だが、結構楽そうだ。(私の参加した結婚式の花嫁は、嫁に行った次の日から「お昼からは暇なの~」と言って実家に帰ってきてた)2日目は親戚縁者、友人達との大パ~チィー。家の前の中庭で地べたにずら~っとすわり葉っぱのお皿に次から次から料理やお酒が振舞われる。「プギョプギョ、(満足満足)ペットポリョ(お腹がいっぱいになったよ~)もうなにもはいらないよ~~」としつこく断らないと、しつこく入れてくれる。お酒も同様。お客は満足したら家の中にいる新郎または新婦にお祝いを持って挨拶に行く。ああ!お祝いの話忘れるところでした!お祝いの品はやはり生活必需品が多く、サリーやストール、最も多いのは銭なんだが、私は銭プラスおなべにした。(ごめんなさいたいしたことではありません)おなべも結構ランキングとしては上位のほうらしい。家の中の花嫁の周りは、護衛するかのように友人達が囲っている。どんな話をしてるんだか(ネワール語は全くわからない)、多分「どんな人」「良くわからん」「幸せにネ」「で、明日何時」な~ンテたわいも無い会話なんだと勝手に想像する。同じことが花婿のところでも行われている。次の日、花婿さんは車に乗って(または徒歩で)太鼓やラッパの楽団を先頭に大行列で未来の奥様を迎えに来るのだ。演奏される音楽はそのころに流行っているインド映画のテーマや民俗音楽だ。これが町中ダラダラと練り歩くので、直ぐに「お!ご近所で結婚式がある!と、直ぐにわかる。
Sep 28, 2001
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BBSにネワール料理のことが出たので、UPしてみようと思いました。私達がネパールを訪れたのは1月で、この時期毎日どこかで結婚式をやっている。貧乏旅行者の私達でも、日本人が式にいると何かと話題になり、楽しくなると言う理由もあり、結婚式には何度も招待された。ちゃんと招待状もくれる正式なお客さんだ。でも、新郎新婦の顔も知らない。式には100人いや、もっと招待客が来る。こっそりまぎれて入っても誰も気づかないかもしれない。式は約5日間ぐらい行われる。なぜこの時期に集中するかと言うと、寒いからだ!ネパールではまだまだテレビや冷蔵庫など電化製品が一般家庭には普及してない。冬は大量の料理を保存できる時期だかららしい。この時期が本格派ネワール料理にありつけるチャンスなのだ!結婚式のお話は次回に廻すとして、お料理お料理!まずはチューラ、お米(もしかしたらお米じゃあないかも知れない)をぺしゃんこにして乾燥したようなもので、とにかく硬い。そして香ばしい。汁物を混ぜると少しふやけてやわらかくなるが、私はそのまま食べる方が好きだった。ウォー、卵と野菜のお好み焼き。まあまあかな。スクラ、水牛のお肉をスパイスで味付けしたもの。硬い。でもかんでると味が出てくる。するめの様だ。同じような感じでカシ(ヤギ)も食べた。アル(ジャガイモ)のカレー風味。これはいける!鶏肉のカレー。もちろん美味しい!(ミートチャ!)ダル(豆)のスープ。ダヒ(ヨーグルト)アチャール(漬物)ああ、お腹が空いてきた、、。お酒はチャン(どぶろく酒みたい)かロキシー(焼酎みたい)。チャンは酸味があり、口当たりが良くてがぶがぶ飲めるのだが、飲みすぎると後でふらふらになる。ロキシーはアルコール60度ぐらいのお酒で、か~~~!と喉が焼ける。でも、美味しい!あ~~~もうだめ、飲みたい!まだ有る。デザートは生野菜!大根やにんじん、たまねぎのスライス(結構厚みあり)が出る。これは消化を助け、毒消しもするため理にかなってるのだ。ス~きり!結婚式にはあまり出なかったけど、モモ(蒸し餃子多分チベットの影響を受けているんだと思う)肉が入ってて肉汁がジューシー!これはバザールには必ずモモ屋さんがあって、いつも、もうもうと湯気を上げているので直ぐにわかる。マンガルバザールのモモが一番好きだった。普段の食事はダルバートタルカリと言って、ダルは先程の豆スープ、バートは普通に炊いたご飯。タルカリ(野菜)はカリフラワーやじゃがいもなどをカレー風味に味付けしたもの。マス(肉)アチャール(漬物)もある。メニューを見てわかる通り、ご飯と味噌汁と野菜の煮つけと漬物そのもの、、。各家庭の味に多少辛かったり、ものすごく辛かったり、違いはあるが、まず、美味しくいただける!と、言うとあっちこっちでたかってたと思われそうだが、実はたかっていたのだ!うひひひ!ああ食べたくなってきた。もし、1月にネパールを訪れることがあれば、そして運良く結婚式の招待状を手にすることがあれば、是非是非お呼ばれしてください。ただし、お祝いを忘れないように!何がいいかって?それは結婚式の話をUPするときまでないしょ~~~!って、じらすほどではないのですが、、、
Sep 27, 2001
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先日からPCの調子が悪くて、NETのつながりが悪くて、、、、。色々やってみましたが改善しません。で、もしかしたらこれはwindowsの故障の前触れか!と思い、朝からせっせせっせと大事なものを保存していました。以前にぶっ壊れたラップトップがたまたま今日退院して帰ってきたので、早速繋いだのですが、ちょいと疲れましたのでインド・ネパール友連れ旅日記はずる休みします。ごめんなさ~~~い。あの、、見捨てないで下さい。続きはまたUP致します。それでは!!
Sep 20, 2001
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皆様のおかげでアクセスも800を越えました。ありがとうございます。ところが、そろそろネタもなくなってきました。ネタはいつか尽きるものと、あきらめていただきます。(これは強制です)で、来週から「インド・ネパール友連れ日記」として新シリーズをはじめようと思います。とは言うものの実はもう15年ぐらい前のお話を記憶の奥の奥をほじくり出して記載しようとしてるので、どこまで出来るかわかりませんが、頑張ってみようかと思います。これからインド・ネパールあたりへ行こうと思ってる方、ちょっと資料としては古すぎて参考にならないと思いますので、ご了承ください。今回インドネシアのことを記載して、バリ島ファンがたくさん居られることがわかりとてもうれしいです。バリ島ファンの方!お話はインド・ネパールになりますが、エナエナを見捨てないで下さい。寂しいから、、よろしくお願いいたします。又、BBSなどにバリ島のこともカキコしてください。お待ちいたしております!!私が再度バリ島に行った暁には、また報告と言うことでここで綴らせて頂きます。それでは又来週~~~~!!!(^^)/~←「インドネシア子連れ旅日記」は少しずつこちらに移動中です。是非ご覧下さい!
Sep 15, 2001
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