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神のはしため エリザベト・マリア 北原怜子皆様、ご無沙汰しておりました。ずっと更新が途絶えたまま、年も明け、早くも一月の終わりとなってしまいました。汗。最近、ダンナ君からPCを奪われることが多く、また年明けからは、急遽、ダンナ君が長期出張となったりしたこともあり、慣れないこと続きでバタバタしておりました。けれどお陰様で、体調のほうはまあまあ。有難い。なので最近は主日以外にも信仰関係で都内へ足を運ぶことも多くなっています。というのも、主日だけ信徒さんのお家を間借りして行われていた、井上神父主宰の「風の家」の毎週のごミサが高齢の神父の負担ということもあり、昨年末のクリスマスを以って終了しました。同時にその代わり、今度は場所を新たに四ツ谷へ移し月一度、第一土曜日(月によって変更もアリ)に幅広く(今までは収容人数に限りがあるため、誰でもいつでもというワケにはいかなかった)どなたでもどうぞ♪というかたちで、ごミサを今年からはじめることになりました。ですので、これからは毎月、皆さんへここでごミサのご案内をできればしていきたいなあと思います。ごミサは信者、未信者問わず与ることができます。受付などもありませんので、気軽に訪ねてみてくださいね。2月の日程です。南無アッバのミサ2月3日(土) 14~15時幼きイエス会(ニコラ・バレ)修道院聖堂で (JR・地下鉄丸の内線・南北線 四ツ谷駅下車徒歩1分)詳細は「風の家」機関紙のHP「風(プネウマ)」編集室では、大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します。南無アッバ。(追伸)1月23日は「蟻の町のマリア」で知られる北原怜子さんの命日。A教会で追悼のごミサがおこなわれました。私は今年から以前より縁あって度々寄せていただいていた別名蟻の町教会といわれるS教会で主日のごミサに与っています。(*・-・*)
2007年01月29日
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先週、主治医の元へ参りました。 とりあえず、今までの夜の薬を増量し、さらに一種類加わりました。症状によっては、もうこれ以上薬の選択肢がなく、どうにもならないものもあって...もうかなり限界かなあという感じ。 先日のブログに書いてなかったのですが、私を悩ませている症状に「情動性脱力発作」というものがあります。 感情を強く感じると、全身の筋力が脱力し、ガクっとなります。この症状も私の場合、重症でして、薬では完全に抑えきれず、これ以上の選択肢がありません。とりあえずの対策としては、発作が事故につながらないようにすること位でしょうか。 しかし、夜の熟眠困難については、薬を増量したせいか、心なしか眠れているように思います。 そして、そんなこんなするうちに、昨年に引き続き、個人的にお世話になっている、O神父さん同行の下、宣教協力体で毎年企画している「沖縄体験学習会」の日程が迫ってきました。 沖縄の歴史と文化を学ぶ旅。ちょっと今の体調だと、体力に自信がないのが心配です。 先の大戦の折、実際に徹底抗戦で使われていた洞窟(ガマ)には今年も必ず入るはずです。なるべく当時のままの状態で保存しているため、真っ暗で足場も悪く、昨年の私は当時の体験というよりは、転ばないように歩くだけで精一杯でした。 なので感情に左右されて、脱力発作でも起こして転倒したりすると困るので、今回は無理せずパスして、外で祈っていることにします。 でも、身体を適度に動かすと、よく眠れるみたいなので、 旅行は適度な運動にもなるし、気分転換にもなりますから、居心地良い修道院に泊まりながら、無理しない程度に楽しんでこようと思います。 今日から4泊5日の旅...さあ、今年はどんな体験ができるかなあ。 では皆様、ごきげんよう。南無アッバ。
2006年11月16日
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「ミズヒキ」 園芸学部構内にて 更新が途絶え、とうとう月をひとつ越してしまいました。 ここのところ色々、いろいろ、イロイロで...。(^^;ブログの更新はおろか、ネット自体覗く間もなく...。 まずは、今春、あまりよく解明されていない血液の病気を発病、一時は退院したものの、その後、無菌室での再入院、あまり長くないだろうと聞いていた伯父が帰天。 その後は、持病の影響に悩まされる日が多かったりして...。 私の持病『ナルコレプシー』は睡眠を司る脳神経の障害。(wikiでは「精神疾患」となっているが、正確には現在、厚生省の疾病分類ではてんかんなどと同じ「脳神経疾患」に該当する。)特に最近、私を悩ましている症状が「悪夢」と「金縛り」。 私は典型的な重症患者の部類に入り、薬物だけでは全症状を抑えることができません。また、長期間に渡る服用によって耐性ができ、今まで使用していた薬がだんだん効きが悪くなってきたり...。その度に薬をとっかえひっかえしています。 その変更が非常に難しい。 ということで、適当な薬の調整が出来るまで、更新やレスが途絶えがちになると思います。申し訳ありません。ご了承ください。 まあ症状に関しては昔からのことなので、気長に調整していくつもりです。なので時たま皆様のところにはフラッ~と立ち寄ることもあるとは思いますが、どうかその折は、よろしくお願いしまーす♪(*・-・*)
2006年11月02日
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遠藤周作さんの命日でございます。 そのため東京は日比谷のホテルで作家の阿川弘之氏を友人代表として、「没後10年・遠藤周作さんをしのぶ会」と称する、華やかなるぱーちぃーがひらかれまっす。 しかし阿川さん、お元気なんでしょうか。きっと車椅子あたりで来るのではないかしら~。 そして、案内状をみると層々たるメンバーが...企画は「周作クラブ」という同好会が基礎になっているのですが、私は殆ど籍だけおいてるに過ぎないので、何だか非常に場違いっぽく感じ、どうしようかずっと迷っていたのですが、まあ、もう二度とこんな盛大な宴会もないでしょうから、友人と「軽く」行って参りやす。 遠藤さんが長崎を訪れた際は、必ずここからの景色を眺めたといいます。今は緑に囲まれてトンガリお屋根しかみえません。 そのトンガリお屋根の建物とは、 言わずもがな、大浦天主堂です。今年5月20日 ----遠藤周作帰天10年を祈念して----遠藤周作とすべてのキリシタンのためのミサ 大浦天主堂にて。 (後日談)作家の阿川弘之さんは足元もしっかりとして、冗談まじりでお話されるほどお元気でした。(^^;
2006年09月29日
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道内はとにかく土地が広いこともあり、木材資源に富んでいることと、当初ドイツ人司祭を中心に宣教した影響もあってか、木材を上手に利用して作られた教会が多かったです。全国でも行われているのでしょうが、特に道内では受刑者が服役中に木工業に携わっていることが多く、その作品が教会の机や椅子に使われていることも多いとか。旭川五条教会。昨年、新しくしたお御堂。旭川は特に家具製造などが盛んで、ここもあらゆるところに木をふんだんに使っています。 2階、畳敷きの泣き部屋より展望。ここからの眺めが一番素晴しいです。
2006年09月28日
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札幌市内・山鼻教会内に佇むリジューのテレジアのご像。(山鼻教会についてはまた後日改めてご紹介します。) 北海道巡礼旅行は、地元出身で、京都教区司祭のT神父さま同行のもと、年1回4年かけて、道内の教会をすべてまわるという企画モノでして、今回はその第4回目。最終回でした。 旭川から滝川を経由して小樽、札幌付近の教会を巡るコース。 私は単発での参加となりましたが、誘ってくださった私の代母さんは2回目からの参加。 参加者はやはり京都教区所属の方々が多く、中には初回からの皆勤賞の方も5、6名いらっしゃいました。
2006年09月27日
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旭川・神居(かむい)教会のお御堂。祭壇が何だか北海道っぽい感じで面白いでしょう。カトリックセンター併設。(追伸)レス付けがさっぱりでごめんなさい。文章をサラサラ~っと書くのが得意ではありません。レスはのんびりといきます。m(_ _)mただ、今年は長崎地方(二度)・鹿児島・北海道の地域へ(今後も11月に沖縄の予定)団体または、個人で、たくさんの巡礼?(遊び?苦笑。)に恵まれたため、撮影して撮り溜めたままの画像が、たくさんあります。場所によっては、なかなか訪れる機会にない巡礼地もあると思いますので、せめて画像だけでも優先して更新していきますね。それから...私の撮影したものでよければ、お気に召した画像はどうぞお持ち帰りくださいませ♪(でも、これではちょっと小さいですね。汗。元画像はもっと大きいのですけれど...。ブログ用に縮小して掲載しています。)
2006年09月26日
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北海道の巡礼旅行から帰り、やっとひと段落。これで今までくださったコメントのお返事やら、ブログの更新(これはちと怪しいかも。あは。汗。)皆さんのところへの訪問などぼちぼちと出来そうです。こちら、急に涼しくなりました。季節の変わり目ですので皆様、お気をつけて。南無アッバ。祈。北海道・ニセコのそば、倶知安(くっちゃん)教会内にて。全世界の子供のためのマリア(木彫り)
2006年09月13日
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偉大なる教父、アウグスティヌスの記念日。「神学者」の守護聖人。そんな日に生まれたダンナ君。よくお世話になるS教会のIさんちのY君も今日がお誕生日♪お二人共、何だかタイヘンな日に生まれちゃったわねぇ~。笑。とにかく、どちらにしても...『お誕生日おめでとう!』二駅先の知る人ぞ知るケーキ屋さんのデコレーションケーキを用意しました。「マロン・マロン」さて、お口に合いますでしょーか。楽しみだね♪♪♪そうそう、今日はずっと高値で躊躇っていた秋刀魚を偶然安いお値段でGET!致しまして。今年初物です♪(^^)(追伸)ちょっと急にバタバタすることがあったりして、結局のところ、落ち着かないでいます。コメントのお返事が遅れてすみません。元気にはしております。来週の巡礼旅行から帰ってきてから...ゆっくりと。何事もトロい私をお許しください。(//o・ω・)ゞ
2006年08月28日
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鹿児島から無事帰ってきてからも色々と忙しくしていて、すっかり更新をサボっておりました。(´△`)ゞそしたら、あっと言う間にもう8月も後半!?ε=“(・ω・ノ)ノ゛9月初めには、親しくしている方の洗礼式、そして代母さんからお誘いをうけた北海道への巡礼旅行が待っています。それまで、細々としたやるべき事があるものの、とりあえず一息。ε= (´∞` )鹿児島の旅は...それはそれは、お恵みたくさーんで。(^^)暫しの休息の間、鹿児島旅行のことをアップできればなあと。更新もそうですが、レスも遅れていてごめんなさい。ぼちぼちつけていきますので、気長にお待ちくださると幸いです。(*・-・*)鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂
2006年08月22日
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本日から、ダンナ君が夏休みに入るため、一週間ほど鹿児島へ行って参ります。バタバタしていましたが、やっと準備が整った...感じ。(^^;一昨日、日程の殆どを過ごす「祈りの家 マリア山荘」に、確認のため連絡を入れました。神父さま、すっかり忘れていた?感じ。(・∇・)名前を言ったら、「ああ~。思い出した。」って。笑。当日の到着も、何時でも構わないとのこと。当初はあららー、と思いましたが、そのいい加減さ?が、何ともほのぼのとします。(^^)神父さま、どんな方でしょうか。毎朝の御ミサが楽しみです。今年はフランシスコ・ザビエル生誕500年記念の年。ザビエルさんの足跡を辿ります。では、行って参りまーすっ!(追伸)「たくさんの『ありがとう』を。」へのコメントのレスが遅れています。少し関連する紹介したい文章があるので、鹿児島から帰ってからにすることにします。なので、もう少しお待ちくださいね。(*・-・*)
2006年07月29日
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幼子にゃ雨も楽しや回る傘 これも以前、余白さんちで詠んだもの。夕べは何時になくよく眠れませんでした。えーん。悪夢、悪夢、悪夢...病気の症状です。持病には特に日頃から気を遣っているのですが、何せ難病。時として酷く悪さをすることがあります。今夜はよく眠れますように。祈。
2006年07月21日
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私は日々の生活の中で聖書で語られていることが実にさりげなく伝わってくることがあり、それこそが、私にとっては真の「安らぎ=福音」でそれをみつけた時の嬉しさは最高の喜びです。 それは、特別「聖書」のどこから引用しました...なんて示されていることではなく、何となく「!」と私が感じることなんですけれど。 でもそれはよく目を凝らして注意して眺めていると、結構、どこにでもある当たり前のことだったりもするんです。 「ありがとう!」なんて一言だったりね。 最近、私が楽しみにしていたドラマ。NHK土曜ドラマ「ディロン~運命の犬」 仕事に明け暮れ、その心労がもとで倒れ、何もかも自信がなくなっていた主人公が、ふとしたことから、成犬の捨て犬、ディロンに出会います。 その愛らしいディロンに出会ったことで、主人公はディロンと共に色々な世界に遭遇します。老人ホームや小学校...ディロンは特に何ができるワケでもないのですが、とにかく人気がある。 そんなディロンの中に主人公は何か大切なものをみつけました。 一緒に暮らす夫は、初めは犬を嫌がっていたのですが、何故か夫もそのうち、さらに二匹の犬たちが家族に加わり、とまどいながらも、その犬たちに何か大切なものを学んでいきます。 主人公はいつしか、ディロンのようにポイと捨てられた犬たちに新しい飼い主を探す活動をはじめます。 そしてそれから...主人公は,あまり折り合いがよくなかった姑が倒れ、身体が不自由になり、一緒に暮らすことになりました。 姑は犬が大嫌い。でも、ディロンがセラピー犬だということを知って、ディロンが自分のリハビリに役立つだろうと思い込みます。しかし、直接何かしてくれることはないディロン。姑はディロンに向かって怒りをぶつけます。「何であんたはセラピー犬なのに、何にもしてくれないのよ!」と。 主人公はいつも言いにくくしていた、姑に向かって「それは間違っています。」とはっきりと言いました。 「ディロンは高等な教育も受けてない、何にもできない、ただの犬だけれど、でも誰よりも優しい子です。」と。その言葉で姑は何かに気付きました。「私もお別れするまでに、みんなにできるだけたくさんの『ありがとう』を何となく言っておきたい気分になってね...。」 「生きとし生けるもの みんな何かの役目を持って 生まれてくる」んだって。主人公の夫が最後に言うセリフ。 これは私が聖書の中で一番大切にしている箇所。コリント一 12・12の『ひとつの体、多くの部分』と同じです。 ただの捨て犬にも、その犬なりの役割があったはず。飼っている以上、それをみつけてあげるのが、私たち人間の責任ですよね。 ディロンが人気があるのは何故か?言葉は話せないけど、きっとたくさんの「ありがとう」を言っているんだと思う。「ありがとう」という優しさ。 最近の子供たちは、よそよそしいですね。私は高層の集合住宅に住んでいるのですが、エレベーターに先に乗ったら、後から乗ってくる子供たちに「何階?」と尋ねます。でもその時、子供たちは「○○階」とも言わずに、自分で勝手に押していきます。 私の姿は彼らの目には映ってないのかな。「○○階です。ありがとう。」たった一言でいいんです。そのたった一言が有難いことなのに。それはそんなに面倒臭いことなのでしょうか。余計なお世話なのかな...と何となく寂しく感じるそんなひとときでありました。 それでも、私は地上を去るその最期まで、この一瞬、一瞬を大切にして生きたいです。できるだけ、たくさんの「ありがとう」をみんなに伝えていきたいから。 「ありがとう!」ディロン♪ 南無アッバ。
2006年07月19日
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私が出逢いを通していつも感じることです。神の下散らばる点や線と成り以前、私が余白さんちで詠んだもの。ここ数日、あらためて「つながり」を感じ、ひとりして嬉しくしております♪♪♪(//∇//) 大阪・玉造の細川ガラシアの最期の邸宅となった井戸。そのすぐ脇は聖マリア大聖堂です★
2006年07月18日
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棘とても強さとなりし恵みかな (コリント二 12・7-10)本日、久しぶりに地元の教会にて早ミサに与りました。理由はというと...何となく御ミサで歌いたい気分だったから。(「風の家」の御ミサは歌がない!?ため。)主任の神父さま、歌がお上手です。実は私、歌うの大好き。すっきりして帰ってきました。(*・-・*)♪いーまぞこのよーに~、とどまーりぃーたもう。園芸学部構内にて アガパンサス
2006年07月09日
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我が家には休みが間近かに迫ると、毎度騒ぎ出すお人が約一名おりまして...(・∇・)早くもご本人、そろそろウズウズしはじめ、私は行き先を早急に検討しなければいけなくなりました。Σ( ̄□ ̄ll) 思い始めたが最後。落ち着きのないお人です。こちらの都合があろうがなかろうが、そんなことは、彼には全く関係ありません。「どこに行く?どこにする?早くしないと...。」と私に迫りまくります。これでは子供がいるのと、何ら変わらないよぅー。(― ―) この夏休み計画が整わない限り、わてくしは気が休まりません。今後もひたすら、セッティングに追われまくることでしょう。そーしないと、彼に一方的、且つ、無謀なスケジュールを立てられかねないので。(実はウチはもともと趣味が、全くといっていうほど、一致していないのです。苦笑。) でも、旅行もいいけど、本当はもっとやってしまわなければならないことが、実は我が家にはあるんだよね...orzああ。バタバタする予感...何とかしてけれー。どこか適当な「黙想の家」はないのかなー。目星をつけていた「黙想の家」...あっけなく既に満室でありました。ぐすん。(T□T)(追伸)というワケで、非常に忙しくしております。しばらくめどが立つまで、レスや訪問は無理と思います。どうかご容赦のほど。ごめんなさい。m(_ _)m赤坂界隈にて スイレン
2006年07月04日
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昨日午後から急に、怖ろしくモーレツな眠気とめまいでクラクラ~。さらに夕べは輪をかけて、恐怖の悪夢にうなされ、殆ど眠れず...。(これは持病の症状)どうも本調子でないので、少しお返事遅れますね。心配ないです。いつものことなので。ゆーっくり復活してきますから。南無アッバ。 では皆様、感謝と祈りのうちに。祈。
2006年06月27日
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船越保武 「聖クララ」 八戸市美術館 蔵 昨日から、ダンナ君は職場の旅行?で「十和田湖」へ二泊三日で旅立っていきました。「『十和田湖』もいいけど、『田沢湖』にも行っておいで。」と言っておけばよかったー。 思えば、私が未だうら若き頃、両親が「田沢湖」へ行って、父が田沢湖畔にスッと立つ「たつこ像」の虜になってからというもの、両親はたつこ像の製作者である、船越保武氏の作品は常に細かくチェック...特に1993年から94年まで全国で開催された展覧会「 ---信仰と詩心の彫刻六十年--- 船越保武の世界 」には何と二度も足を運び、今でも私の手元にはその時の図録がしっかりあります。(私がほしくて奪い取ってきた。苦笑。) 「あの金ピカ『たつこサン』のどこがいいんぢゃゃい?」と当時、私は思ってたからに、この展覧会の図録の作品に私は目を奪われてしまいました。 その後私はその展覧会、こっそり当時のクラスメイトとみにいっています。笑。 しかしこの後、まさか私がカトリックで洗礼を授かるとは夢にも思っていなかった頃の話ではありましたが、でもその頃から、船越さんの作品...特に「聖女」は、この世のものとは思えないほどの清らかさが漂っていたことは確かです。 また色々な意味で物議を醸した「病醜のダミアン」やその何とも物悲し気な姿に圧倒される「原の城」、そして、何よりも有名な「長崎26殉教者記念像」...は、信者になって巡礼で長崎を訪れる時は、今ではいつも目にするオブジェとなっています。 父は未信者ですが(というか、お寺の墓に母を入れてしまったので、その墓を守らなければならない。)今でも船越氏の話題はよく出てきます。 父にとっては、特に船越氏の作品は、今でも母との良き想い出となっているようです。 そして私にとっても、船越氏の作品をみに全国を行脚することが、今では巡礼旅行のメインだったりもしています。 それにしても、ダンナ君、どーでもいいのですが、電波が届かないところへ行っているのか知りませんが、電話の一本でもよこしなさーーーいっっ!(`□´)/
2006年06月24日
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一昨日いただいた「ヤマモモ酒」御ミサが終わってから、いつも食事をご一緒する仲間のお年を召されたご婦人のYさん...大学で物理の先生をなさっていたという才女で、八十を遠に過ぎているのですが、三月の平戸・長崎の巡礼旅行でもご一緒するほどお元気です。 しかし、ここのところ、ずっとお逢いしてなく、 先日の記念の御ミサにも顔がみえず、以前お貸していた本は郵送で返却してきたし、お電話してもつながらない...流石に少々心配になっていたのですが、全く心配には及ばず...「ああ。いらっしゃった。お元気でしたかぁー?ずっとお逢いできないでいたから...」と言うと、「貴女こそ、ずっといなかったじゃなーい。」とのお言葉。(・∇・)「!?」そう断言されると逆に、「え、えぇー、そうだったかな?」と自分でも自信がなくなりました。(´△`)ゞ(確かに、あの巡礼以降、他の教会や長崎へ行ったりしてたしなー。) ご本人「元気、元気。忙しくて、家にはいないことが多いの。四ツ谷の記念の御ミサも、行事が重なってて行けなかった。」んだそうです。(^^; ̄U ̄うーむ。Yさんの場合、多少お顔がみえなくても、慌てることでもなさそうです。確かにあのお年で、持病薬はひとつもないだけのことはある。 そしてしばらくして、Yさん、徐にビンを差出し、「これ。山桃酒。今年も季節になったから、去年の余った分取り出したのよ。美味しいから飲んで♪」 「♪(^・ω・^)ブヒィ~!」これからが、果実酒作りの季節なのだとか。ご本人曰く「私は『いやしんぼ』なのよ。」と。いつまでもお元気で。そして、私たちの前をしなやかな姿で歩み続けてくださいね。(*・-・*)
2006年06月13日
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当番組画像。NHK映像ファイル・あの人に会いたい 「遠藤周作」 6月10日(土) 11:40~11:50 NHK総合本日やってますたー。私はシャワーを浴びて、「もうすぐお昼だからニュースを...」と思ってNHKにチャンネルを変えたら、「あら...遠藤さん!?」Σ( ̄□ ̄ll) 僅か4分程でした。みれたのは... 「もぉー遠藤さんっ!相変わらず『神出鬼没』なんだからっっっ!」(`□´)/みられた方いらっしゃいますかー?「キーワード」を入力したら録画されるビデオデッキが欲しいと思ったひととき。しみじみ。(*・-・*)
2006年06月10日
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今晩の食卓を飾る「イカと新じゃがの煮付け」ひと段落しております。今年はイベント続きでして。この記念の御ミサの二週間前には神父さまと共に歩んできた、同胞の遠藤周作さんの(御ミサも含めた)没後10年追悼記念イベントが、遠藤さんのある意味、故郷でもある長崎で盛大に行われ、(御ミサは大浦天主堂にて長崎教区の司祭5名の共同司式)私は有難いことにその場に立ち会うことができました。本当に深く感謝する次第です。また長崎ではそれ以外にも大切な恵みを与りまして。嬉。その話はまた後日改めて書きたいと思います。そしてこの度の「風の家」20周年記念の御ミサ。私にとって生涯忘れることはないでしょう、本当に感慨深い集いとなりました。感謝!今回の御ミサ、当初から珍しく事前にどこからともなくお手伝いの協力要請がありまして。というのも、現在普段「風の家」は、長年に渡り神父さまの活動に多大な尽力を注いでいる信徒さんのお宅を主日だけ間借りしての御ミサ。この御ミサに関しては、場所的に収容人数にかなり無理があるので、基本的に皆、各自で直接神父さまとコンタクトを取って集まっています。なので私的に近い御ミサの関係上、皆さん各々の信仰を大切にしていることもあり、普段は御ミサで顔を合わせるだけのお付き合いの方が多いです。また、それ以外は四ツ谷で行われる御ミサが中心の方々もたくさんおります。特に私の身近は、ネットや機関紙「風」を通したお付き合いがあり、私はそれがきっかけで、今、「風の家」へ通っています。そんな各自の場で活動していたものが、ここへきて記念の御ミサとあって、ちゃーんと神さまは一同に会して協力する機会を用意してくださるのだから不思議な話です。まさにネットと年代柄、普段バラバラになりがちな設立当初の若手(今はいい年。笑。)の面々とのコラボ。すぐに皆、意気投合、仲間意識も働いて本当に心温まる集い...こんなことが実現するなんて・・・私はもうそれだけで、感慨無量でした。感涙。さて、記念の御ミサは既に私の恩人の方のネット上で聞けることになっています。それなので、あえて内容には触れません。いつになく神父さまらしいお説教であったことは言うまでもありません。(*・-・*)最後に「二〇〇六年六月三日、風の家二十周年を迎えて」の神父さま手作りの「祈りの詩」をご紹介することにします。『「南無アッバ」のこみちをつくっていこう』やすらかなとき、感謝の気持ちがわいたとき、そういうときはもちろんのこと淋しくなったときでも哀しくなったときでも落ち込んでしまって何もかもいやになったときでもいつでも、何処でもまず「南無アッバ」ととなえてみよう「南無アッバ」のこみちをつくっていってみようそうすれば嵐のとき、雷の夕べ、息絶えそうになったとき、そのようなときにこそ、アッバが、このこみちで私たちを待っていてくださり、おみ風さまのあたたかな抱擁のうちでイエスさまにつきそわれた私たちの心に、やすらぎの福音を必ずやとどけてくださるだろう、ね、アッバ、そうですよね、アッバ アッバ 南無アッバするめイカがお安かったので。苦笑。本当は里芋の方がいいのでしょうが、生の里芋はカブレて全身カユカユになってしまうので、これまたお安かった新じゃがで代用。苦笑。美味しく煮えたかな♪
2006年06月09日
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久しぶりにちょっぴり外出をしてきました。いつもの小道を歩いていると、咲いている草木、花々が随分と変化している!?(^^;それから、新緑が眩しいくらい...デジカメを持っていなかったので、おみせできないのが、残念です。目的地の教会には、馴染みの教会の信徒さん、シスターのお顔も...(^v^)今回ご自分の体験談をもとにある社会問題についてお話をした神父さま。「風の家」で親しくしている方とのつながりで、神父さまを知り、不思議とそれがご縁で、今、時折お世話になる教会ともつながっております。神父さま、井上師と負けず劣らずのお年です。ご本人「ワタシハ、ボケマシタネ。」と仰ってましたが、身体は思いの他お元気そうでした。最後ご挨拶。「風」の特別号をお渡ししました。今回、実はダンナ君、ついてきてくれまして。彼を教会で見かけることはかなり貴重なこと、国宝級、いや、世界遺産級です。笑。帰り際、お世話になってる教会のご夫婦にダンナ君を紹介してたら、神父さまがニッコリしながら、「掘リ出シモノダネ...。」(・v・)?一体、こ、これは、誰に対してのお言葉だったのでしょーか?苦笑。また、少しづつ皆さんのところへ遊びに参りますね。。南無アッバ。
2006年05月05日
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†主の平和!皆様、それぞれの想いと共に御復活をお過ごしのことと存じます。この拙いページへのアクセス、またコメント等々本当に感謝です。実は、先週辺りから身体の運動機能が、あまり思わしくありません。また今週に入り、ダンナ君の担当事案に急遽、検察が動き出したため急展開。何しろ未成熟で小さな組織なため、お上からの指示は二転三転。しかも一人であちこちへ動かねばならず、出向の身であるダンナ君、かなり困惑気味。そのため、路線検索や宿の手配などの調べ物、手配の依頼が、私のところへやってきます。というワケで、ダンナ君からの依頼以外はPCに向かう体力に欠けるため、ごめんなさい。挨拶のお礼などは、次の機会とさせてくださいませ。では、感謝そして祈りと共に。。南無アッバ。
2006年04月20日
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田平天主堂(瀬戸山教会)内のステンドグラス(先月訪れた、長崎平戸・大村巡礼の折)「命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」(詩篇23-6)御復活おめでとうございます。今年もアッバや皆様の恵みにより、無事復活祭を迎えられたこと、大変有難く思っております。復活のイエスさまは、私にとっての「恵み」。新しい恵みと共に、私たちに平和がありますように。皆様も、喜ばしい御復活をお過ごしください。。アレルヤ。(追伸)井上師、TV出演の予定です。NHK教育「こころの時代」4月23日(日)早朝5~6時(再放送)4月30日(日)午後14~15時撮影に何と3時間も。神父さま、そんな長時間に渡る撮影に耐えられる体力を未だお持ちだったとは。苦笑。。思いの外、お元気で何よりです。
2006年04月17日
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宿舎の回線の不具合により、PCをつなげずにおります。特にメールチェックが出来ないので、メールで交流している方々にはご不便をおかけします。。ごめんなさい。また、水曜日からは長崎へ巡礼旅行のため、来週明けまで、ネットなしの生活です。今年に入り、今頃、ようやっとほんの少しずつなんですが、楽天にて交流させていただいている皆様に挨拶をしはじめております。私はとにかくのろまなので、日々の徒然どころか、レスさえもあまりぽんぽん~とは出来ませんが、皆さんの文章にだけは兼ねゞ心温まる想いでおります。。感謝です。では、どうか毎度の不義理をお許しください。そしてこれからもどうぞ、こんな私でよろしければお付き合いくださいませ。
2006年03月12日
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月一のノートルダム清心女子大の山根道公先生による井上師著書の聖書講座・遠藤周作講座にて、「風の家」出身の広島の写真家、荒木則行さんの個展開催のお知らせが紹介されました。荒木則行写真展「潜む森」日程:2006年1月17日(火)~2月28日(火)場所:キャノンギャラリーS 開館時間:10時~17時30分 休館日:日・祝日 入場無料 昨年末にはポーランドにて「日本の美」を紹介する個展として開催。今月一杯ということで、もうあと何日もないのですが、もし機会がありましたらどうぞ♪ちなみに私は行ってきます。。楽しみです。荒木さんのサイトhttp://homepage.mac.com/arakiphoto/
2006年02月22日
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年末に訪れた徳島・鳴門「大塚国際美術館」館内にてほーんと、ご無沙汰してしまいました。(´△`)ゞ12月に入りバタバタしだしたと思ったら、いつの間にやら年も明け...その後は、風邪を引き・・・(T□T)とゆー感じで、人よりもかなーり、のたのたーとしている私ですので、年明け後、先々のスケジュールがようやっと定まり、お陰様で久しぶりの更新となりました。昨年末から声をかけてくださった方々、ここを訪れてくれた皆さん、ろくな挨拶もできずにごめんなさい。改めて少しずつ皆さんのところへご挨拶にいきますね。いつもありがとうございます。。謝謝。また今年もひっそりとはじめたいと思います。どうかよろしくお願い致します。
2006年02月22日
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昨日は病院。。薬、新しいものが増えました。気になる症状があったもので・・・別の病気からきていると困りものだなと思い・・・なので久し振りということもあり、脳波以外の脳検査について相談してみたら、やはり私の場合、はっきりとした原因をつきとめるのは、簡単にはいかないとのこと、その場合、先に検査するよりも、まず持病の方を丹念にみていくのが無難だろうということで。長期に渡る服用のため「耐性」がついてきてる薬の影響かもしれないし。ただ、もうこれ以上増量は、リスク大。とゆーことで、代わりに新しいものを追加。薬の副作用の可能性も充分あり得る。ただ、やはり生活上必要な場合は、即減薬というワケにもいかず。特に私の持病の薬は、多種類に及ぶのと、昼と夜の薬は全く正反対の効果のものだから、どの薬の副作用か判断しにくいし、また、かえって効果があり過ぎると調子が悪くなる。そのバランスが、ひじょーに難しい。 ̄U ̄ウーム...新しい薬の効果は・・・分かりません。さてこの薬、『吉』とでるか、『凶』とでるか...南無アッバ。。(-人-)オネガイ偶然なのですが、病院の前のバスに乗って少し行くと、私の教会籍のあるカテドラル(関口教会)の目の前に着きます。待ち合わせまで時間があったので、お御堂で一礼して、(丁度オルガンの調律してた。)図書室で面白そうな本がないかと、暫し物色。結局、売店で急に読みたくなった本をみつけ、衝動的に。。また買ってしまったー。(´△`)ゞ帰りにレジにて「御言葉おみくじ」をもらいました♪『愛は自分のいちばん近くにいる人から始めるものです。』(ヤコブ・アルベリオーネ「大きな願いごとより)うーん。。まさに的確なお言葉。笑。
2005年11月25日
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昨日は紀宮さまの結婚式。一日中、式での様子が流れる。お母様の美智子さまの何とも言い様のないほほえみ。ああ。娘を送り出す母とはこういうものなのか...と。 私は紀宮さまと同い年である。。結婚して8年。しかし、私の式には、母の姿はもうありませんでした。母が生前私に宛てた手紙には「一人娘の貴女の花嫁姿が、みれなくて残念です。」と書いてありましたっけ。 今頃、母はどうしているだろうか。最近母を想い出すことも大分少なくなってしまったが、昨日ばかりは、美智子さまの顔が母の顔とダブってみえた。 「お母さん。。わたし、何とかやってるよー。」
2005年11月16日
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ずっとお硬い文章が続いたので、ここ最近私が虜になっている話題をば。それは、「個人運営サイトとしてはアクセス数日本一」という糸井重里さん運営のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」をゴソゴソと覗いていた時のことでした。そんな時出逢ったのが「はじめての中沢新一。」面白いんです。。とにかくめちゃくちゃ。中沢新一さんって独特な発想する方でそんな中沢さんを象徴するようなエピソードが。ウチは夫婦揃って元東大教授の西部邁さんが好きなのですが、その西部教授が中沢さんを東大へ呼ぼうと思ったら、教授会から「発想に問題がある」という理由で否決。怒って教授自らも東大辞めてしまったという話。。苦笑。実は最近、ふとしたきっかけで時々お世話になっている教会の主任神父さん主宰で、「沖縄体験学習会」がありまして。4泊5日で戦跡・文化を学んできたのですが、それに出発する前にこの記事に出逢ったというワケだす。私は本土より「うちなんちゅう(沖縄のお人のこと)」のお方は、「縄文人」の血が濃いような気がしてたのです。しかしこれを読んで、さらに確信に至ってしまいました。私の「独断と偏見」に他ならないのですが。。汗。とにかくこの世の中、世界情勢は益々混迷をきたしていて、私にはよく分からないことだらけなんです。。そー思いません?そんな時、たまにはふるーい時代に遡って眺めてみるのも、これからのこと考えるのに役立つんではなかろーか、と思いまして。まあ、いくら遡るといっても「縄文時代」まで遡ってしまったってのも・・・何なんですが。。あは。でも、たーまにはいいですよねー。。こんなのも。(^-^A;この記事読んでいたら、もういてもたってもいられなくなり、中沢さんの著書「アースダイバー」を求め、すぐさま書店へ駆け込んだというワケです。こうして新たなる発想もプラスされ、沖縄の旅が一段と有意義なものとなったのは言うまでもありません。まあ、詳しい沖縄の話はまた次回ということで。。てへ。いつかー分かりませんが。。私自身ですら。汗。読谷村立歴史民俗資料館(よみたんそんりつれきしみんぞくしりょうかん)
2005年11月09日
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「沖縄・与那原教会お御堂の聖母子像」ある方のページを読んでいて、ちょうど最近、頻繁にメールをかわす仲間とのやりとりの中から私が話したこと、それから私自身のことも含めて、ある方のページへ書いたもの、がひとつにつながるような気がしたので、まとめてみました。 最近、人の想いとは様々なものであり、 その中で、共感できるものをなるべくみつけて、「信頼」を共にすることが、私たちにとって一番大切なことでは・・・と思うばかりです。 それには、より接点をもてるように「すり合わせ」することが大切だし、今までの自分のあり方を当然と思わず、ふとした日常生活の中で湧き上がる素朴な「?」について色々な視点から考えていきたいです。 それしはじめると、結構、私たちって如何に、何も知らないで過ごしているものなんだなーと。そして、世の中には本当によく分からないことが多いことに気付かされます。 実はここ最近、流れるニュースに世相の荒廃を感じてなりません。一昨日、ついに「障害者自立支援法」が成立してしまいました。 ただ、私はすでに解散前の状況で予想がついていたので、あまり驚いてませんが、でも、現行法をかなり後退させるようなものと感じています。 支援対策での疾病・障害をひとつにしたと言っても、あくまでも指定された疾病について言われているもの。その分、医療費は重度・軽度に関わらず、すべてにおいて一割負担。 それから、今まで精神科医療に関しては、従来の精神障害に対する偏見を考慮してか、申請した患者はすべて5%という法律がありました。(通称32条)これも今回で、廃止。 もともと、国の医療制度には、「身体障害」と「精神障害」と「知的障害」と区分けされているところがありまして。これが所謂、医療機関で精神科医療を隔離していたものなんです。 これは、ハンセン病ほどではないけれど、差別につながる、今までの日本の医療制度の重大な汚点だと私は思っています。 だから、32条はせめてものその苦しみの支えとなっていました。もちろん、その32条を利用するってことは、自らの烙印を押すようなものだから、軽度の人だと差別されたくない。という理由で利用しない人もたくさんいた。 しかし、ここ数年、精神的病に陥る人が殺到して、32条を利用する人が急増しはじめたのです。 政府は慌てました。そして今回、廃止。その代わり「躁うつ病・統合失調症・てんかん」の重度の人のみ、支援対策があるそうです。 ところで、既に私の持病は数年前突然、32条の適用から除外されてしまっていました。何でも厚生労働省の採用する疾病分類が、ナルコレプシーは、「精神の病」から「神経の病」に変更されたからだそうです。 でも、通院している標榜科は相も変わらず、「精神科」には全く変わりないのですよ?私の病気は研究者が少ないので、その辺の医者では的確に対応することは無理と思います。だから、患者の大部分が昔から、専門的にやっている「精神科」でしか対応されてないと思う。それなのに、疾病分類で対象から外すとは・・・この時点で、何かおかしなものを感じていました。 しかも、患者団体が強い疾病だけは、特別に保護されている。「てんかん」はナルコと同様に神経の疾病だけど、患者団体から抗議があったんでしょう、特別に32条適用継続。「てんかん」の患者組織は政治的に非常に強力な力を持ってまして、厚生労働省には、「てんかん」の担当職員という人がおられるそうです。 よく分からないでしょう。本当によく理解できません。別に「てんかん」の患者団体が悪いとは思ってません。むしろ今までの団体の設立の苦労からすると立派だと思う。 ナルコレプシーの患者団体は非常に弱体化しています。その大きな理由は症状の程度やそれぞれの事情により、意見がまとまらないからです。 ナルコレプシーはその症状の特異な点により、この病独特の対応を受けることが多いです。その多くは診断不明。病気として認めてもらえない...等々。 そして、すぐ治療にたどり着けなかった苦しみに対して、誰かしら、何かしらに対して、恨んでいる場合が多いので、非常に「被害者意識」が強い。しかも被害者意識の強い人に限って、辿りついて薬物療法により症状が改善されたにも関わらず、自分の病を研究する医者が「精神科」に所属していることを非常に嫌がります。それは「精神科」の対象となる他の疾病に対しての偏見があるから。 下手すると、ナルコレプシーという診断基準にあてはまりにくい患者さんたち、けれど、ほぼ同じ処方をされているその方たちのことさえも、排除しようとします。 また、処方される薬は依存性が高く、(処方通り服用していれば何の問題もありません。)巷では「合法ドラッグ」として高値で取引されていることもあり、同病者以外の薬の使用や依存者への偏見には並々ならぬものがあります。 要は自分の病以外は別の「苦しみ」に対しての理解は全くないのです。患者同士でのグチにはじまり、被害の比較。そして最終的には対立。こんなこと繰り返してばかりいるので、患者会にいるとうんざりします。結局、それが元で意見が対立し、まとまらず弱体化していきます。 まあでも、どこの患者会でもこんな話は、似たり寄ったり、結構よくある話なんでしょうが。 というワケでとにかく、私がよく分からないなーと感じていることは・・・ 「医療・福祉」などといっても、何故かちゃーんと「市場経済原理」が働いているということなのです。儲からない医療は研究されないし、儲からない福祉は着手されません。 でも、それが悲しいかな事実だから、今まである程度は仕方がないと思っていました。 だけどせめて、「障害者手帳」の一本化だけは、今回の改革で私がささやかながら望んでいたことだった。 障害者手帳は、先ほどもいったように「身体障害」「精神障害」「知的障害」とに分かれています。 けど、その尺度が手帳の種類によって違うのです。「身体の障害」は目にみえるかたちでの「障害の程度」。「精神の障害」は「疾病による分類」。(「知的障害」は説明を省きます。すみません。)と分かれています。 ということは、この手帳から漏れて、対象にもならない疾病・障害がたくさんあるということなのです。ナルコレプシーも「神経疾患」になったということで、病状の程度・負担に関わらず、手帳のすき間へ落ちてしまいました。 それに気付いた時、改めて手帳の不自然さを思い知りました。だから今回の改革では、手帳を一本化して、私が恩恵を受けるか否かは別として、すべての疾病・障害を同じ土俵の上くらいには載せて欲しかった。みんなで少しずつでも、それぞれの痛みを共感できるように・・・ そして、今回の報道があまりにされていないのにも、落胆の念を感じ得ません。たとえ今、健常者であっても、将来、誰もが病気や障害を持つ可能性は大いにありうるだろうに・・・何ともやりきれませんが、国民に主権があるのには変わりがないので、今は従うしかありません。でも、私は今後も「物事をみつめる」ことを絶対にやめないし、諦めません!それが私の「希望」の原点であり、アッバから与えられた「信頼」という賜物なのですから。 「宗教」にしろ、「政治」にしろ、何事も色んな視点からの物の見方は大切です。それには自分が受けている恩恵を忘れ、当たり前と思うことこそ、愚かなものはありません。森を見ないで木のことばかり気にしていると、知らぬ間に沼地にはまりこみます。時には、大きな視点からみることも必要でしょう。 たとえ想いがそれぞれ別々だったとしても、なるべく共感・尊重できるものをみつけていこうとすること...それにはやはりお互いの「信頼」が大きな原動力となっていくものだと私は思っています。
2005年11月02日
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藤城清治「銀座と平和の鳥」本当にご無沙汰しております。お陰様で私は何とか恵みのうちに支えられております。。謝謝。最近益々、ひっそりとしていたくなり、ブログの更新や他のサイトのROMも随分減ってしまいました。ですから、ご無沙汰している方もたくさんおりまして、本当に不義理で申し訳ありません。さて、更新するきっかけがこういう内容なのには少々不本意なのですが、近頃の世の中とは、どうもギャップを感じることが多くなり、自分自身、何故かよく理解できないことが多いです。特にダンナ君の勤める国家公務員への風当たりは強く、すっかり、世の中の不満の矛先が向かっている状況...何でこんなに「バッシング」を受けにゃーならんのかと。「削減」「削減」と何を根拠にそんなことを言うのでしょーか。国の借金を減らすのは、他にも方法があるはずですし。 事実、人口に対しての公務員数は、諸外国と比べても非常に少ないです。例えば、人口千人に対し、フランスは97人。日本は38人。『総務庁史』(2001年、ぎょうせい)より(もちろん他の国との比較もあります。興味のある方はお調べください。) それに少なくとも公務員は、自分の利益のために仕事をしているワケではないし、ウチみたいな末端の役人は民間のサラリーマンと同じです。 しかも、公務員ということで、労働者としての「労働基本権」を奪われています。(私は両親からこう教わってきました。)公務員はストライキひとつできないのです。あと、プライベートで交通事故ひとつおこしただけで、(たとえこちらが悪くなくても)新聞に実名が掲載されることが多いです。これは公務員の職務柄、非常に重要な「汚点」となります。私は戦前の祖父の代から役人できましたから、役人が国のために翻弄されてきた歴史を目の当たりにしてきています。実際、祖父は公務のために、シベリアに抑留されたワケですし。それでも、不満も言わずに国のために働いている。祖父も両親も親戚も。。ダンナ君だって同じです。 国民の皆さんは、あまりにも「無知」と思います。それは自分の利益以外は「無関心」ということにもつながるかも。例えば、飛行機はパイロットさえいれば、民間の航空会社さえあれば、簡単に飛ぶだろうと思っている人が多いのでは。その間にどれだけ、公的なサポートが入っているか気付いてもいないと思います。 私の父は航空管制官でしたが、現役の頃、年々飛行機は各航空会社の競争で過密ダイヤになり、ちょっとした管制官のミスが、大事故につながると思うと予断を許せないとよく言っておりました。それには、空港を広くして滑走路を増やしたり、管制システムや人員の改善をしていかねばならない。 ですから、先のJR西日本の脱線事故などは「民営化」が一番の原因だと私は思っています。きっと資金面でそういうことに投資できなかったのでしょうし。 何ともやり切れません。。ホント辛いですぅー。これも時の流れでしょうか...こうして、これからも翻弄され続けるのだろうな。 でも、最終的にしわ寄せを被るのは、我が家も含めて、国のサービスに頼らねば、生きていけない人たちだと思います。「愚民」となること...これは一番問題なことだと思います。人間、「考える」ことをしなくなったらおしまいです。目にみえる部分やイメージだけで安易に判断し、あとはお任せ...結果、思い通りにならなかった時の「怒り」は正常な「理性」をも奪っていきます。ああ。神さま、こんな私たちをどうかお赦しください。。祈。
2005年10月08日
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先週は平日の間、特別問題もなく過ごしていたのですが、土曜日の夜半頃から、どうも少し喉が痛いなと思っていたら、やはり朝になったら、扁桃腺が腫れていて、若干微熱気味。今週は少なくとも、持病の薬を取りに火・木のどちらか持病の診察に絶対にいかねばならないのと、土曜日は術後の経過の診察・患者会があるので、泣く泣く昨日の御ミサは大事を取って休むことに。GW後、急性扁桃炎で高熱をだしてから、抗生剤を飲むと一時的に良くなるも、投薬をやめると、またぶり返す状態を未だに続けています。炎症には気をつけているはずなのに、こうも頻発するのに我慢ならず、地元の割と大きな総合病院へ。診察までの待ち時間が辛い。院内のアナウンスがやけに頭に響きます。耐え切れず、処置室で横にならせていただきました。結局、精密検査となりました。結果は木曜日以降だそうです。とにかく持病の診察だけは、いかないと薬がなくなり、生活できないので、今週はそれを目標にがんばります。人事異動があり、ダンナ君は再び中央へ戻ることとなりました。しかも今度はしばらく所属省庁を離れることになったので、全く先の見通しが立ちません。これから先は、休日出勤や外泊は当たり前だし、一度勤務に出たら、全く連絡取れない日々だろうから、医療機関へは何としてでも、自分だけで対処しないと。あとはアッバに支えてもらいます。どうかよろしくお願いー。。祈。(追伸)しばらくレスが遅れるかもしれません。毎度のことで申し訳ありません。。お許しください。
2005年07月04日
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鼻提灯が...ノ◇" あーん。。なんと微笑ましいのでしょう!動物写真家・岩合光昭さんの猫の写真は、子供時代偶然に目にしたことがきっかけで、大好きになり、それ以来、特別意識しているワケではないのですが、折に触れ出会うことが多く、そのたびにみょーに懐かしくなります。今回の写真集もたまたま、ある駅構内の本屋の店先を通りかかった時、ふと目に留まり即座に一目惚れ~♪その時は急いでいたので買えませんでしたが、今度本屋に行く時は・・・と楽しみにしてたのです。(=`ェ´=) むふ♪いつも岩合さんの写真は、スタジオ撮影みたいな造りモノの中ではなくて、実際の日々の生活空間に何気なく溶け込む猫たちの姿が、非常にリアルで身近に感じるというか。気ままな姿の中に、猫たちの力強さを感じます。あとで気がついたのですが、どうやらこの写真集は、今まで大切に取り溜めてきた写真の中からの特に選りすぐりの作品ばかりだとか。岩合さん、猫写真の集大成。帯には安野モヨコさん(少女漫画家さんみたいです)のコメント。『ネコと 日なたで ねころがって いるような 気持ちになる 写真集です。』『ちょっとネコぼけ』岩合光昭/写真・文税込価格 : \1,470 (本体 : \1,400)出版 : 小学館サイズ : 18×19cm / 1冊(ページ付なし)ISBN : 4-09-681831-3発行年月 : 2005.5
2005年06月27日
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久しぶりの御ミサ。お御堂代わりのお部屋は、いつもながらゆったり~とした時間が過ぎていきます。部屋の奥で、スタッフのSさんが嬉しそうに迎えてくださいました。お身体が弱くいつも互いの体調を慰めあうことの多いご婦人Mさんのお顔も久しぶりにみえました。思わず二人して、「ああーよかった。お元気ですか?」「うーん...何とか。でも、来ると癒されるから何とか来たわー。」「私もです。」「やっぱり同じね♪」そして、神父さまとぱっと目が合い、思わずにっこり。いつも神父さまを目の前にすると、何故かあまり言葉らしい言葉は出てこず、ただただ、お互いにこにこ~として、特別会話らしい会話もなく。。でもそんな感じがほっこり~とします。福音朗読はマタイ10・37-42。話の流れで身近に大切な方を失った時の話になりました。別れとはやはり辛いもので、亡くなった直後はその死に納得がいかず、アッバへ恨み言のひとつも言いたくもなりましょう。でもその後、それをいつまでも引きずるよりは、そこはやはり、自分の大切な方はアッバの元にいかれたのだから、いつまでもその方をアッバと取り合いしてないで、アッバにお任せしましょうと。自分もいつか、アッバの元で再会できるのですから...思わず前方に座っておられた昨年、最愛のご主人を亡くされたKさん、溢れる涙をハンカチで押さえてらっしゃいました。私の前を過ぎ去っていった私の大切な人たち...みんなみんな、天国にいるんだよね...いつしか私も涙が頬を伝っていました。。感涙。祭壇に飾られた、ホタルブクロが静かに微笑んでいました。(追伸)こんな拙いページですがいつもいつも、皆さんには、温かく見守ってくださり言葉になりません。そして言葉にならずに、言葉足らずに終わることが多く、個別にお返事ができずに本当に申し訳なく思うばかり・・・しかし思うばかりで、肝心の筆がすすみません。。汗。そんな不器用な私ですが、どうかお許しください。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。。謝謝。
2005年06月26日
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早く外に出れるようにならないかな。今日は一日中読書。。自分の過去が重なり合い、泣きながら「深い河」を読む。色々と深く考えさせられた一日。。今週は何としてでも、御ミサに授かりたい。
2005年06月23日
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樹木の根に取り込まれ、埋もれた仏像の頭部に、かえって自然の雄大さを感じるのは、私が日本人だからでしょうか。
2005年06月16日
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緑深き遺跡。。古都アユタヤー。最も栄華を極めた17世紀には、ヨーロッパ諸外国や中国などの東西を経由する国際都市として繁栄し、山田長政なども活躍しました。また、日本人として初めて聖地エルサレムを訪れローマで司祭となり、禁教の日本で殉教したペトロ・カスイ岐部神父が、祖国へ向けて旅立つ前に中継地として滞在した場所でもあります。今でもタイのバンコク経由だと、世界中どこへでも飛行機でとべるというのは、その名残でしょうか。
2005年06月15日
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やはり明るい色の花は映えますね。。キンシバイ。
2005年06月14日
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梅雨に入ると、早くも実のなる季節となりますね。。「クワ」の実。
2005年06月11日
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花粉が少なくなったようで、いつもより楽です。 『しとしとと 恵みの雨に 安堵する』
2005年06月10日
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ヤグルマギク 別名 矢車草私の大好きなとこへ行ったら、私の大好きな花が咲いていました。。嬉。 『野の花と 共に委ねり プロシアの皇子』
2005年06月09日
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抗生剤の投薬治療により熱も下がり、回復したなと感じたので、先週の後半から普段の生活に戻り、外出などしていたら、また昨日辺りから、喉の痛み・発熱がぶり返してしまいますた。今回の「急性扁桃炎」...きっかけはヒノキ花粉のアレルギー症状にあると思います。思い起こせばこの数ヶ月間、色々なアレルギー反応がどこかしらの炎症をおこす結果となり、その度ごとに断続的に抗生剤を投与してきました。普通の健康体なら、炎症にまでならないところが、どうやら胃の術後、栄養摂取が悪いためか、全身の抵抗力が落ちているようです。また、自宅療養だと、ついつい、何かしら動いてしまい、完全に完治せずに、普段の生活に戻ってしまうことが、ダラダラと長引く原因につながっているようにも思います。そういう状況下でこれ以上、断続的に抗生剤を投与しながら、自宅で治療する仕方に、私自身、正直不安が募り、結果、かえって短期的に集中入院する方が身体への負担も少なく、早く回復するように感じまして。近くの病院に入院してもいいのですが、特殊な手術をした身体で色々と面倒なこともあり、手術した主治医に相談しましたら、すぐに承諾がおりました。。ありがたや~♪ヽ(´ー`)ノただベットが個室しか空いてなくて、ちとお金がかかります。。困。でも、何よりも「健康」には代えがたいですしね。明日から短期間、できれば週明けに戻れるといいなと。。願。来週の火曜日、代母さんと久しぶりにお逢いする予定なので。どうか週明けには帰ってこれますように。。祈。
2005年05月31日
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突然、高熱・喉の痛み・頭痛に見舞われまして。。何の兆候も無く。「急性扁桃炎」だそうです。。特別、無理してた記憶もないのですが。投薬すると症状が良くなるので、「大丈夫だな。」と思って起き上がると、また熱が・・・Σ( ̄□ ̄/)/医者には「炎症酷いので、すぐには無理。」と言われますた。。しょぼん。しかし、一日中寝床で過ごすのは、ひじょーに退屈です。。暇。それにしても、何でこう私は年がら年中、具合悪くしてるかなー。。情けなや。ああー早く治ってくれー。。南無アッバ。
2005年05月24日
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鉄骨上の「スカイ・トレイン」 Siam駅のプラットホームにて
2005年05月17日
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首都バンコク(今度サッカーやるとこです)の繁華街。上の鉄骨は、昨年開通したばかり、「スカイ・トレイン」。 バンコクは「水の都」と言われてたほどで、昔から街中は鉄道や地下鉄などは、あまり発達してませんでした。だから、道路がだけが頼り(昔はもちろん水上ボートだったんだろうな)なので、道路の渋滞は日常茶飯事。東京よりも酷いです。 でも、昨年、「スカイ・トレイン」「地下鉄」が出来て、だいぶ様変わりしました。道路も心なしか渋滞が少なくなったような・・・
2005年05月16日
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モジズリ(捩摺) 別名、ネジバナ(捩花)『みちのくの しのぶもじずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに』古今集 河原左大臣 聖霊降臨の祝日、おめでとうございます。聖霊は風(プネウマ)とも申しますので、「風の家」にとっても特別な日です。「風の家」も発足19年を迎え、今日は神父さま、ご自身の霊性を語るのに最もふさわしい日となりました。神父さま本日の朗読箇所でもある、コリント一・12章はお若い頃からのお気に入りの箇所だそうでして、それを元に自分の心象体験を通して語られました。生きとし生けるものすべてが、大地の元でひとつとなり、それぞれに見合った役割を決して比較されることのない神様の赦しの愛(アガペー)に包み込まれ、生きている...そんなことを感じながら、私も聖霊の風(プネウマ)に身を任せる一輪の花となりたいなー。と神父さまは仰っておりました。思えば、私の神父さまのイメージは「風のようなお人」でして、いつも私の前を、あの何ともいえない微笑みと共に「風に揺られてフラッと現れ、いつの間にやら去っていく」ような感じ。まさに神父さまの霊性にぴったりです。。あるがままで。本日東京地方、祝日にふさわしく?野分の風が吹きぬけていきました。 では、最後に私の拙い句をひとつ詠みまして 「風の祝日」のお祝いとさせていただきます。。祈。 風任せ 大地を包みて 南無アッバ
2005年05月15日
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旅の途中、立ち寄ったぞうさんの病院&保護センターにて先週末、タイ放浪の旅からやっとこ帰って参りました。。ふぅー。暫らく振りに帰宅してみると、官舎前の大学構内に咲く花があれれ?出発時と違う...しかもやけに涼しいし...こんなに涼しかったっけ?そうです。タイは雨季直前。。あ゛つ゛い゛ー゛。そんな中、ぞうさんの水浴び。。本当に気持ち良さそうですた。(追伸)こちらへ書き込みしてくださった方。静かに見守り続けていてくださってる方...本当に失礼ばかりしております。。すんません。相変わらず、私はのたのた~でササーッとお返事できる性質でないのですが、皆さんのとこへは、できる限り順々にご訪問する予定でおります。それまで、気をもむでしょうがご容赦くだしゃい。
2005年05月13日
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花粉の影響覚めやらない中、夏からまた多忙な職場に復帰?しそうな気配に今のウチに休暇をたくさん取ったダンナ君と共にTHAILANDにしばらく放浪の旅に参ります。昨日は最後の準備のため買物行く道すがら、地元の教会に駆け込み、誰もいないお御堂でひとりでお祈り...何だか私らしいですね。。苦笑。(^-^;A相変わらずバタバタしていて、本当にごめんなさい。この旅が終われば、やっとゆっくりできそう?と思いまつ。ではでは。。(´・ω・`)ノシ
2005年04月23日
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申し訳ありません。花粉症と、もともとの鼻炎が併発して大変つらく、一歩も外に出られない状況です。パソコンの操作も苦痛になってきました。
2005年04月10日
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