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坊主は坊主頭でなければだめだということは、本質的なことなのか?奈良の大仏様は、「螺髪(らほつ)」今で言う天然パーマだし、観音様は結髪して冠を被っている。お地蔵様は坊主頭かもしれないが螺髪や結髪は仏像では、むしろポピュラーですらある。勿論、特定の教団に入門するとき、その規則に従って剃髪するというのは、嫌なら止めればいい契約であって理不尽なことではない。いちいち髪を気にしているようでは修行などできないから、出家=剃髪でも不思議はない。でもしかし、お釈迦様は修行しているとき果たして坊主頭だったのだろうか?20年近く前、インドのガンジス川上流にあるリシュケシという山沿いの日本風に言えば温泉場のような(残念ながら温泉は出ないが)雰囲気の街にいったことがある。ヨガやヒンズー教の聖地であり、修行者が沢山住んでいた。彼らのための庵や宿坊も沢山あるところだ。そこの修行者達は、皆瞑想したり、書物を読んだりしていたが、誰もが頭はモジャモジャのキリストのようか、短い天然パーマの螺髪のようなヘアスタイルだったのを鮮明に覚えている。修行者=坊主頭というわけでは、決してないのである。ちなみに私は在家のまま坊主になろうということなので剃髪はしないのであるが。。。
2004年10月29日
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私の言うお経とは、あの漢字だけで書かれた仏教の教典のことである。多くの日本人にとってお経を聞く機会が、お葬式だけになったのはいつ頃からだろうか。少なくとも江戸時代までは、日本人のほとんどは、どこかのお寺に属していた。お寺の檀家だったわけだ。徳川幕府のキリスト教禁止令を遵守させ、隠れキリシタンを取り締まるために、庶民の戸籍をお寺に届けさせたことによる。この戸籍のない者は、無宿人であり非人であった。盆と春秋のお彼岸は当然として、季節の歳時にお寺に行っていた。寺子屋は、その名の通り、当初は檀家の子弟が寺の坊主に読み書き算盤を習ったのが語源になっている。家庭でも年寄りは、仏壇に般若心経などをあげていたはずである。お経を聞く機会は、日常であった。幕府と仏教界とのこの関係が、明治維新で一変し、明治政府は神仏分離令を施行して、民衆と寺を離そうとした。奈良時代以来日本宗教の伝統であった神仏を合体して考え、神と仏を同時に信仰する日本人の宗教観を否定し、代わって天皇家の祖先である天照大神を中心とする国家神道体制をつくろと企画したのである。神仏分離令後の廃仏毀釈は、貴重な文化財である寺や仏像などを破壊したり、海外に流出させる原因となった。明らかな官制文化大革命であり、信仰という極めて個人的な問題にまで踏み込んで、江戸幕府の封建体制を破壊しようとしたのである。もっともその目論見ははずれ、明治維新から百三十年以上たっても、多くの日本人は神仏を前に手を合わせている。年末年始は特に忙しいのである。仏教にとって最大の危機だったわけだが、仏教界は従来の伝統を変えることはなかった。仏教伝来以来、延々と中国からの輸入品である漢文の教典を、ただそのまま、日本語に読み下すこともなく、唱え続けていたのである。この状況は現在も変わらない。外来語を有り難がるのは今も同じだが、日本語に翻訳された教典を布教や日常の法事に使うことはなかったのだ。それでもまだ、江戸時代や明治時代、いや戦前くらいまでは、漢文を読む教育が徹底されており、たとえ漢文のお経でもある程度は意味を理解することができたのかもしれない。僧侶の説法や法話を聞けば、もっと理解できたのかもしれない。しかし現在では、寺に行く機会も少なく、ましてお経を聞いたり、僧侶の話を聞く機会も少ない。ほとんどの若者は漢文を読み下す能力もない。しかし、我々が日常目にするお経は、漢文のままである。仏教界の人は疑問を感じないのだろうか。日本語訳では、宗教に必要な神秘性や有り難みに欠ける? 誤解を恐れて? 中国の仏教者は、パーリ語やサンスクリット語(梵語)という古いインドの言葉で書かれていたお経を中国語に翻訳して伝えている。孫悟空で有名な玄奘三蔵も苦労して持ち帰った膨大な教典を残りの半生で中国語に翻訳している。日本語は、情を伝えるのには優れた言語だが、理を伝えるのに不向きだと? キリスト教の聖書は、世界の書物の中で一番多くの言語に翻訳されているという。普通の日本人が聖書をユダヤ語やラテン語で読むことがあるのだろうか。日本の教会で牧師や神父が、日本人を前に聖書を外国語で読み上げて、布教活動や儀式を行うのだろうか。実は仏典の研究では日本は長い歴史と蓄積があり、漢文からの翻訳や原典である梵語からの翻訳も多く出版されている。ただ僧侶が表向きにはほとんど使わないだけだ。日本の仏教だけなんか変だと思わないか。信者である一般庶民を、教えを理解できない愚者として馬鹿にしているのだろうか。お経の日本語訳とその解説を読めば、素晴らしい『仏の智慧』が沢山載っているのに誠に残念だ。葬式仏教にしとくのはもったいない。ホントは、よく生きるための智慧なのに。
2004年10月28日
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ところで青学前を歩いていたら、くらくらするファッションモデルのような女性が、3歳くらいの可愛い、これもモデルさんのようなセンスのファッションを着た女の子を、とっても大きな声で叱っていました。女性の怒鳴り声にめっぽう弱い小生は思わずビビッて振り返ってしまいましたが、驚いたことに娘の方も全く負けずに、お相撲さんのように大きく足を踏み鳴らして、何事か喚きながら本気印で怒っていました。 恐、怖いですね~~。。。MCC2002/04/12より
2004年10月27日
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超大型台風が次々に来襲、秋雨前線に乗って、ちょうど日本列島を縦断する形になって、豪雨や大風をもたらし、日本各地で甚大な被害を与えている。被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。地球環境は、もう取り返しのつかないところまで来ているのでしょうか? でも危険な極限状況に陥りながらも助け合った人々の話も沢山伝えられている。世の中捨てたもんじゃないね。一方、山のドングリが流れて食糧不足になり、冬眠前の熊さんも散々な目に遭っているが、熊の美談はまだ聞かないなあ。
2004年10月23日
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実は私も11月の中旬に得度をして真言宗の僧籍に入ることになりました。といっても、出家をするわけではなく、従って頭を丸めるわけでもなく在家のまま、これから修行です。今更職業としての僧になりたいわけではなく、人の役に立てる人間になるための、あくまでも自己修養のためです。真言宗では、弘法大師以来の高野聖の伝統があり、現世の娑婆にあって人の役に立つ菩薩行を尊ぶところがあり、在家のままの僧侶への得度を許してくれるのだそうです。内緒かもしれないのでお寺の名前は言えません。生業は、今まで通り、マーケティング・コミュニケーションのコンサルで、宗教的なお布施で食べていく気は毛頭ありません。私の年齢は人生の後半戦どころか、49歳、昔流の数え年では50歳!?人格が浅薄なので、若くは見られますが。。。後は余生みたいな、ということは、人の役に立ちたいなどと思い立ったわけです。慈善事業とか、自分探しとかいうメンタルな理由ではありません。自分という個を確立し、存在を確認するために、社会や人の役に立つという積極的な理由です。
2004年10月20日
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来月14日、寺で得度を受け、僧名をいただくことになった。出家するわけではなく、僧という職業に就くわけでもない。在家にあって人のためになるような人間になりたいと誓う、といったような動機である。もちろん得度を受け僧名を貰ったからといって、人の役に立てるわけではないので、一から修行ということである。親から貰った名前で49年生きてきた。母の胎内で生を受けてから数えれば50年である。これまでの生き方も自堕落な生き方で、人に生き方をどうこう言える立場ではない。20年近くサラリーマンをやってきて管理職になり、人に偉そうに言っている自分に気がついて会社を辞めた。そして人の役に立つ仕事をしようと、コンサルタントになったが、またクライアントに偉そうに言っているのではないか?人生も旅だとすれば、四国八十八箇所のお遍路さんのように、そろそろ人のために祈り、自分と正面から向き合って生きたいと願う。生活のために仕事は従来通り続けるが、お金をいただくためだけではなく、ほんとうに一所懸命、人の役に立てるよう頑張ろうと。残りの人生を人のためにも生きることができれば、なにより自分のためだと、私は仏弟子になることに決めた。そうだ 坊主になろう! お笑い種だが、私は本心そう思う。
2004年10月16日
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最近インターネットで出会った自殺志願者達が、車に練炭火鉢を持ち込んで、集団で一酸化炭素中毒死をする事件が相次いでいる。極めて古典的でアナログチックな死に方だが、苦しまないで死ねると思われているらしい。実際には一酸化炭素のせいで息ができなくなって死ぬのだから、相当苦しむらしいが。。。歴史上、集団自決や心中事件は数え切れないほどあるが、自殺するという以外に何の共通の価値観も関係性も無い者同士が、社会的に追い込まれるわけでもなく、極めて個人的な理由から、赤信号みんなで渡れば怖くない式に、集団自殺するというのは、単なる流行ではすまない末世的な現象である。世に自殺の名所が沢山あるが、これは死にやすい場所であるという共通点があるだけで、同時に一緒に死ぬわけではなく、それぞれ個人的に死んでいくのである。個人的な自殺とは、そういうものではなかったか?人生の中で、特に思春期や人生の岐路に立たされる時期には死にたいことがあるのは理解できる。しかし道連れがないと一人で死ねないというほど、人恋しいのであれば友達でも作ればいい。インターネットもそうした使い方をするならば結構役に立つツールだ。それでも自殺するというなら、潔く一人で死んでくれ。南無阿弥陀仏と弔いの言葉でも言ってやるぞ。
2004年10月14日
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アントレプレナーオブザイヤーでファイナリストに選ばれたもう一人、株式会社ハンディネットワーク代表取締役 春山満氏を紹介したい。16年前(24歳で)首から下が全く動かなくなる難病(進行性キンジストロフィー)に見舞われた。(段々に動く手足を)失い、やがてすべてを失っていった。でも人としての尊厳は絶対に失われないし、金も稼げると生き抜いた。失ったからこそ見えてくることがある。健常であったなら見つけにくい価値と本質を知り、ビジネスに生かした、ということである。そして今では、医療・介護機器の開発販売、医療法人のコンサルティング、高齢者向け住宅や街づくり開発プロジェクトなどの事業を展開、2003年米国ビジネスウィーク誌に「アジアの星」25人に選出されるほどの活躍をされている。テレビで紹介された車イスの社長をご覧になった方も多いと思う。余分なものを捨て去ってこそ、本当の価値や本質が見えてくるというのは、お釈迦様の悟りと同じだよね。失うモノが何もないはずの私でも、煩悩とお荷物が多くて悟れない、トホホだねぇ。。。
2004年10月07日
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アントレプレナー・オブザイヤー2004の表彰式が開かれ、古本屋チェーンのブックオフ坂本孝社長が、日本代表に選出された。坂本氏は受賞の挨拶の中で、この事業を思い立ったときは49歳、立ち上げは50歳からの出発だったと語った。再販制・委託販売制など規制の多い出版業界にビジネスチャンスがあると考え、古本の流通に目をつけたそうだ。起業は若い方がいいと言われるが、人生50年を迎えてリスタートをするというのも、人生を二度生きるようで面白い。そういう私も今49歳、なんかしたいねえ。アントレプレナー・オブザイヤーは世界規模で行われているベンチャー起業家の表彰制度で、日本では今年で4回目、私も推薦部会委員の末席にいる。来年応募したい人は、言ってくださいね。
2004年10月05日
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先日、箱根の宮ノ下堂ヶ島温泉に行ってきた。大和屋ホテルという古い旅館に逗留した。旧街道沿いから早川渓谷の底へと「夢のゴンドラ」という古めかしいロープウェイで降りていくと、まさに深山幽谷の別世界が広がり、その中に大和屋はあった。時間の流れが止まった異空間で、街道沿いの車の騒音も全く聞こえない。スティービーワンダーなど芸能人もお忍びで来るそうだが、頷ける。客室は純和風で、何故かとっても落ち着ける。 泉質は無色透明の弱アルカリ泉で、源泉は60度と熱く、肌がつるつるになった。渓谷にある露天風呂付き岩風呂や大きな露天風呂は太閤湯といい、その昔豊臣秀吉が小田原北条氏攻めの際に立ち寄り入浴したことに因んでいるそうだ。 今年も長野渋温泉、伊豆下田温泉、高知足摺温泉などに行ったが、ここもまた行きたい温泉の一つになった。
2004年10月02日
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新橋の直営店で銀河高原ビールを飲んだ。私は本来ビールが嫌いだが、何故か地ビールは好きだ。銀河高原ビールはもはや地ビールとは言えないほど一般化したが、旨味が深く酵母が生きていてお腹が張らないところがいい。ヴァィツェン、ピルスナー、スタウトなど一通り飲んだ。体に栄養!焼酎や日本酒だけでは体がもたないよね。
2004年10月01日
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