とぼとぼ日記

とぼとぼ日記

2008.08.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
新聞に掲載されていた、 仲田千穂 さんという女性写真家
特攻花という記事が目に入りました


63年前の太平洋戦争中、特攻機は
一旦、九州・沖縄の中間にある中継基地
喜界島で給油や整備をし、再び沖縄に向かった。。。


出撃の前に村の娘さんが花を贈り
63年経った今、滑走路周辺に花を咲かす天人菊



特攻隊。。。

19、20歳の自分達には、ものすごく年老いたおじいちゃんでした

教壇で話をされていると、いつの間にか
戦争の話になっていました

特攻隊の生き残り

戦友が旅立ち帰らぬ人になり、自分は生き残った

どんな思いを抱え、友は出撃して行ったか
いつも涙を流しながら語ってくださいました



先生の目。。。
ずっと背負ってられる悲しみ、涙されている姿は
どんなに時間を重ねても、忘れることが出来ません



8月15日 終戦記念日

平和を祈りたいです





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最終更新日  2008.08.15 18:16:31
コメント(6) | コメントを書く


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里沙より  
risa.marimo  さん
そんな時代だったと言えばそれまでですが
なんと悲惨な、残酷な出来事でしょうか
特攻した人はもちろん、その家族の深い悲しみは察しようもありません
残された人は現実を受け止めて、戦争の語り部になって戦争の風化をなくすために生涯を捧げて欲しいです (2008.08.15 18:43:06)

Re:テンニンギク(08/15)  
こんばんは。
私の母方の叔父が特攻の生き残りでした、
大学出でしたから士官だったそうです。
戦時中は召集された村の若者を付き人として
可愛がったりと人の良い叔父では在ったらしいのですが、心は荒んで居た様に聞いて居ます。
何もかも消耗して仕舞う戦争は絶対すべきでは
在りません、平和こそ繁栄ある世を作る源です。 (2008.08.15 19:52:04)

Re:テンニンギク(08/15)  
machichi4765  さん
こんばんは。

私の所も母の弟が突撃して亡くなりました。
悲しい出来事ですよね。
どうしてそんなことが出来たのだろうかと現代に生きる者には分からないことです。 (2008.08.15 21:33:00)

こんにちは  
pippiano  さん
特攻花
初めて知りました。
写真展を見てみたいです

私の両親は戦争体験した世代ですので、ちいさな頃は
いつも、夏になると戦争のことを話して聞かせてくれました。
鹿児島は、特攻隊の基地があった場所ですから
両親から聞く話は、あまりに凄まじく
夜、恐怖で眠れなくなるほどでした。

戦争の記憶
決して風化させてはならないですね
今の世の中、再び
「いつか来た道」へ道が向いてるような気がして
怖くてたまりません。 (2008.08.16 11:44:04)

コメントをくださって皆様へ  
菜々タロウ  さん
同じ道を繰り返さないためにも、決して風化させてはならないですね
本来の授業の内容は忘れてしまったことも多いですが、機会があるごとに聞いた話は、忘れることは出来ません。。。忘れてはいけないことだと思います
(2008.08.16 20:12:49)

Re:テンニンギク(08/15)  
未来159  さん
書いては、消して、悩んでいましたが。。。。。
行きはぐって、残されてしまった先生の悲しさ。    生涯、自分を責め続けて生きてこられた先生の苦しさ。
その深い悲しさ、苦しさを和らげてあげるには、その時代を生きた日本人が、何をしたか、どんな目に合ってきたか、冷静に受け止めなければなりません。
決して、他人事にしては、いけないと思います。
戦争に行かなかった国民の生活。私の母は若い時の写真を1枚も持っていません。戦災に3度も遭い、命一つで空襲の中を逃げ惑ったからです。母は、何も語りません。
今の世の流れが戦前より、戦前に近い。昔は国民が、知らないうちに戦争に巻き込まれてしまったが、今は、確信をもって戦争に向かっていると言われます。怖い事です。 (2008.08.16 21:25:49)

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