常緑樹2 出会い、弟子として…


(平成12年春号 2000/3/5)

三十年程前のこと、自らの道を定めきれず、旅の中で何かを考えようとしたことがあった。

佐渡島のあるおばあちゃんに、美味しいお茶をご馳走になった時、お盆に布巾がかかり、その刺繍が素朴で美しかった。
人との会話に飢えていたから、そのことで話が弾んだ。
今ではもうできないかもしれないが、目を輝かせて、話を聞いたに違いない。
その場を辞する時、彼女が「これ持っていきな」と恥ずかしそうに手渡してくれた。
彼女も久しぶりにたくさんの言葉を口にしたこの出会いを喜んでくれたのかもしれない。
その後何年も私の宝物であった。

信州松本市に寄宿したことがあり、そこで畑仕事や蔵の整理を手伝い、食事や風呂にありつくのが楽しみだった。
ある時「蚕を飼っているが一人きりなので、おまえ手伝ってこい」と町はずれのおばあちゃんを紹介された。
都会育ちの私は蚕を見たく、腹も減っていたので早速訪問。
蚕小屋に入ったとたん、桑の葉を食べる生命力に満ち溢れた大きな音に驚いた。
ふと足元を見るとたくさんの蚕が棚から落ち、蠢いていた。
気持ち悪くはなく、かわいそうだとの思いで、蚕を拾い上げた。
それを奥から現れたおばあちゃんが見ていたらしく、私が顔を上げたら目が笑っていた。
できそこないの都会っ子が冷やかしに来たと身構えていたのかも知れないが、その所作で全てを許してくれたらしい。
彼女が大切に慈しみ、育てている「お蚕様」を無心に素手でつまんだのが良かったのだろう。
汗をかきつつ手伝い、漬物と味噌汁の夕食をいただいた。
二人だけの食卓だったが温かく、とても美味しかった。

彼女たちはもう亡くなった。
しかし、この出会いは今もくっきりと覚えている。
短時間だったが、大切なことを教えてもらった。
一所懸命付き合えたと思う。もちろん尊敬する先輩に対し、教えを乞う弟子として、そしてなにより同じ地平に立つ人間として。

読者の皆様からたくさんの反響をいただきました。
編集部にもお見えいただきました。感謝しています。
前回書かせていただいた「玄冬」に関して、ある方からご指導をいただきました。
「黒い冬」という意味だけではなく、玄米、玄関など、玄という文字には「始まり、元の、すなわち母の胎内」という意味があるらしく、悪いイメージばかりではないそうです。
従ってこの本では玄冬を始まりととらえ、素晴らしく、実のある「白秋」を目指していくことにします。
                      悠悠人555

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: