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September 22, 2025
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横浜市の歴史博物館の道路を挟んだ向かいには大塚・歳勝土遺跡公園があり、
歴史博物館から陸橋を渡って行ける。
ただ、歴史博物館に行かずに遺跡公園に行くには、
市営地下筒センター北駅の出口から別の陸橋を渡って行った方が近いので念のため。
公園内には大塚・歳勝土遺跡と旧長沢家住宅(復元)が有る。


上の案内図の赤い字の現在位置と書かれた方がセンター北駅に近い陸橋から来た場合で、
右上にはみ出すように書かれた歴史博物館とも歴博通りにかかった陸橋経由で行ける。
昨日のブログで歴史博物館は9月8日から設備工事で2か月間強休館だと書いたが、
遺跡公園は休まずに開かれているので大丈夫。


訪れる人が少ないのか、陸橋に付属する階段は草ぼうぼうで「ちょっとなぁ」的な感じである。
まぁ横浜市は文化面が非常に弱く、予算が少ないので仕方ない。

入って最初に大塚遺跡に行った。
大塚遺跡は「環濠集落」なので周囲は柵と環濠に囲われており、
入ってすぐ左には、その柵の切れ目から「邑」に入る橋が再現されている。
(僕は「村」と「邑」を区別するタイプの人なのですみません。
 邑は周囲を壁、城壁、濠でかこまれた聚落のことで、
 単に人の集まり住んでいる所である村とはちょっと意味合いが違います。
 邑は規模の大きさを除けば「国」に近いかもしれません。)


邑に入る為の橋なので、環濠の上にかかっているだけではなく、
日本のお城で言えば「虎口」のような感じになっています。

許可を得た人間だけが入れますし、
戦争時にはここを通る敵兵は、周囲の周濠には(当時は水が満たされているので)渡れず、
大軍だとしても一度に通れる人数が制限されるので、防御しやすくなります。
なので、この再現木橋はけっこう忠実に作られていると思います。

周囲の柵と環濠も(環濠は少し浅いと思うのだけれども)再現されていました。



このままでは敵兵は柵に足場をかけて容易に乗り越えます。
なので、通常は「逆茂木」と言うとがった木を地面に埋め込んで、
柵を乗り越えても飛び降りることができないようにして、侵入を防ぎます。
(飛び降りることができなければ、柵によじ登った敵兵は弓矢の餌食です。)

<後日追記>
ここで気になるのは「環濠集落」だと言うことは、
付近に「攻め込んでくる相手国」がいたと言うこと。
それって発見されていないけれど、同程度かより大きな敵国が付近に有ったと言う事。
ここの遺跡は弥生時代中期の遺跡らしいのだけれども、
弥生時代中期の遺跡は奴国をはじめとした九州北部だけじゃなく、
日本中あちこちに「環濠集落を必要とする邑=集落」が有ったと言うことじゃん。
弥生時代中期にこの規模の邑が関東でもあちこちに有ったということは、
これでは今の邪馬台国論のように「大きな国が有った」とか言うのを根拠にあげているのは、
もはや意味が無いなと思う。

纏向遺跡が3世紀半ばの遺跡だとしても、
それより100年以上前に、関東でさえもこれほどの邑が有ったのならば、
纏向遺跡は邪馬台国ではなく、別の大きな国の都だとしても何の不思議は無いと思う。
つまり「3世紀半ばの遺跡」であることは邪馬台国の証拠にはならないじゃん。
むしろ魏志倭人伝に書かれた「倭国には100ほどの国が有り」、
「そのうち中国と交易関係にある国が30国」も有ったと言うのが信憑性を増すなと思う。
学者先生の「邪馬台国はここにあった」と言うのはもはや誰も信じないだろうなと思う。

中に入るとこんな感じで、竪穴式住居や高床式倉庫が復元されています。


結構広くて、吉野ヶ里遺跡には及びませんが登呂遺跡(田圃部分を除く)よりも大きいです。
上の写真で橋のすぐそばには住居跡が有ります。


この説明文が、ちょっと違うなと思いました。
一番変なのは奥の2つの溝を「通路」としていることです。
通常の住居では、普通は邑の中の通路側に入口を作ります。
現代の住居でも玄関は道路に面して作るのが普通です。
説明文のように2つの溝が通路ならば、邑の通路とは反対側に玄関があることになります。
また、かまどは通常は屋内では通行の邪魔になるので奥の方に作ります。
説明文のように2つの溝が通路ならば、玄関のすぐ前にかまどが有り邪魔で仕方ないと思います。
なので、論理的に考えれば玄関の位置が逆です。

恐らく2本の溝は環濠の方向に向かって伸びているので、
この付近は地下水位が高いことから、住居の中に水が染み出やすく、
その水を環濠に流す排水溝だと思います。

それは別の住居の復元家屋の中と説明文を見ても分かります。


この住居を見ると屋内に溝が円形にめぐらされており、
そこから周囲に3本の溝が延びています。排水溝だと思います。

登呂遺跡等の他の地域では屋外に溝が掘られ、その溝の内側に住居が造られるのですが、
ここは地下水位が高く、地面から水が沁み出す地質なのだと思います。
それに対する対策だったんだと思います。
なので、一番上の写真の住居跡には家屋の外の溝と家屋の中の溝が2本(2重に)有り、
非常に珍しい形になっているのだと思います。
歴史家や考古学者は古代のことには詳しいのですが、
一般的な庶民の生活や普通の感覚には疎いので、気がつかなかったのでしょう。

その隣にはこの邑における標準的な家屋が復元されています。


かまどは奥の方に有るのが分かります。

なお、最初の住居跡の説明板のもう一つの(誤りとまではいかないけれど)変なのは、
貯蔵穴です。
多分説明が足らないのだと思います。
いくら古代でも食料を地面に直接置かないと思います。
汚いとか言う話よりも、衛生的な(食中毒などの病気対策)話や虫からの隔離です。
恐らくこの穴には土器を差し込んで貯蔵したのだと思います。
なので「貯蔵した」のは正しいのですが、「土器を使って貯蔵した」が正確なのです。
当時の土器は底が尖っています。何かで支えないと倒れます。
この穴は土器を差し込む穴だったのです。


邑にはリーダーがいます。
そうでないと他の邑から襲撃されたり、邑の中の秩序は保てません。
その邑の長の家がこれです。


何か大きいだけでイマイチだなぁ。もっと特徴は無かったのかなぁ?
吉野ヶ里や三内丸山では首長の家は何か有ったような気がする。

邑には収穫した農産物などを収めておく倉庫が有ります。高床式倉庫です。


吉野ヶ里の高床式倉庫は板壁だったなぁ。
あそこは2世紀の遺跡のはず。ここはそれよりも古いのかなぁ?
台風なんかをワラの壁で防げるのだろうか?泥棒もいるだろうし。
ちょっと違うなと思った。

大塚遺跡をあとにして、次は歳勝土遺跡へ行く。
ここは方形周溝墓である。
方形周溝墓は関東に多い「お墓」である。


歴史博物館に有った「子供の土器棺」はここに有ったらしい。
土器の棺と言えば九州の甕棺が有名で、他の地域には甕棺は無かったと言うのが考古学者だが、
子供の土器の棺(甕棺)が有るのならば、
見つかっていないだけで大人の物も有っておかしくは無いような気がする。
それとも何らかの(例えば宗教的な)理由で九州以外では造られなかったのであろうか?
いつか研究してみよう。
子供の甕棺が有ったのならば有ってもおかしくは無いと思うのだけれども。

<後日追記>
調べたら教育委員会の調査報告書に、すぐ南の地区から「壺棺」が出土したと書かれていた。
やっぱり出土していたんだ。
じゃぁ甕棺は九州のお墓の特徴じゃないじゃん。
「壺」と「甕」の違いは厳密には「首の大きさ」なんだけれども、
人間の埋葬に使うならば芸術品じゃないので、どちらでも同じだと思う。
単なるこだわりだな。
つまり甕棺は九州のお墓の特徴ではなく日本中のどこでも行われていたもので、
地域によって形状の違いはあるが、それは単なるこだわりと言えるのだと思う。

ここでは方形周溝墓の中に木棺が有ったことが確認されている。


そうか、ここは吉野ヶ里等に比べて比較的後世の集落なので、
お墓ももう甕棺は卒業して棺の時代だったのか。
甕棺→石棺→木棺と言う具合に変化したらしいので、もう木棺の時代の遺跡なのか。
近畿でも古い時代は石棺だけれども、平安時代くらいには木棺になっており、
仏教の伝来以降は火葬が増えて、持統天皇以降は皇室でも火葬になったみたいだからなぁ。

歳勝土遺跡をあとにして旧長沢家住宅に向かう。


昔の家は居心地が良いと思う。
九州のおじいちゃんの家はこんな感じだった。
藁葺きで縁の下にニワトリを飼っていた。
便所が外に有り、牛たちのいる先に有って、夜中に行くのは怖かった。

家屋の中も昔のまま。


九州のおじいちゃんの家にも囲炉裏が有って、みんながそこに集まるのだけれども、
床が板敷で、床下は風が抜けるので寒く、僕らは火鉢の有る座敷で遊んでた。
天井裏は無い家も多かったけれども、
おじいちゃんの家は天井裏に色々な物を置いていて、噂では大きな青大将が居たらしい。

家屋を復元しているだけではなく、昔の農家で使われていた器具類も展示されている。


おぉー!「とうみ」だ。火鉢も有る。
関東にも有ったんだなぁ。
これは便利な機械で、米からもみ殻やゴミを除く場合の必需品。
今どきの子供達に見せても意味不明だと思う。

そうそう忘れてた。
玄関を入ってすぐの土間には大きなお釜が有った。


この大きさならば10人以上のお米が焚けそうだな。
この家はお百姓さんだったみたいなので、人手が必要だから、
沢山の家族が居たんだろうな。

そんな感じで、大塚歳勝土遺跡公園を見てまわりました。





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最終更新日  September 29, 2025 04:04:16 AM
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