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最近バーで、またよくバッティングするようになったI氏は、山岳救助のマンガを描いている→Check 以前、そのI氏と伊豆半島にエギングに行った帰りの道中でのことだ。会話が盛り上がってきて、アホみたいに打ち込んできたお互いの道楽の告白話がI氏→「俺は山がこれ位好き」VS「俺は釣りがこれ位好き」←私みたいな、軽いディベートに発展した。まぁ、こんなのは、お題も土俵も種目も違うので、比べられる筈がないのだが、寝てないのから来るハイテンションと、子供みたいに一日遊んでしまった余韻を引きずっているのもあって、無理やりに言い競ってみたのだ。彼は、学生時代、イリノイとカルフォルニアに留学していて、北米各地でクライミングをしていことがあったそうだ。2年だったか3年間だったか忘れたが、とにかくたった独りで、毎日山や岩に登っていたそうだ。しかも、登る苦しさや、楽しさ、登った喜びなんかも、聞いてくれる友人はいないし、当時はそれを話す英語力もなかったらしい。それでも、ひたすら毎日毎日登っていたそうだ。情けないことに、この立論の時点で、私は早くも負けを感じてしまった。このケースは相当好きじゃなきゃ出来ないし、そしてそれは当時の私にとって、一番の弱点だったからだ。「マッチョ哲学」というのがある。これは、私の小学校からの友人K君が、私達が未だ10代の時期から唱えていて「肉体を鍛えるのは本来、活動する為であって、人様に見せる為のものではない。知識や教養も同じで、本来は自分自身の生活を豊かにするものであって、それを自ら←(ココポイント)外に向かって発信するのはダサイ」←みたいな感じの考え方だ。この歳になってもこの思考は、常に私の脳内にあって、自分のマッチョな部分をなるべく縛ろうと努力しているのだった。釣りには、色んな楽しみ方があって、それは一本道でも複合でも人それぞれ百様にある。私の場合は、餌でもルアーでも特にショアゲームに拘っていて自然な条件の中で、自然を、あるときは味方として利用し、あるときは回避したり耐えたりしながら、脳も体もフルに使って狙いの魚を手にする←みたいなトコロが何しろ一番面白いと思っている。しかし、そのことに集中して取り組んでいても、どうしても邪念というか、たとえば、人様に釣果を自慢したくなったり、苦労してやっと喰わせたまでのプロセスを、誰かに話したくなったり、などしてしまうのである。ひどい時には、それらが釣り続けるモチベーションになっていることもあった。出来れば、そんなのは一切捨てて、自然だけと向き合って、自分の中だけで満足したいのだ。そのレベルにまでなれれば、好きな釣りで嫌な思いをすることもグッと減ってくるのではないか、などと悩んだりもしていた。やはり、釣りに対してマッチョな自己顕示さえも捨てられない私は、娑婆を絶って岩に登り続けたI氏にはかなわない。その時はそんな風に思ったのだった。しかし、よく考えてみると、その、ひたすら脇目も振らず黙々と山に登っていたI氏は「その当時、感じたこと、誰かに伝えたかったことを、今、マンガに描いて、全国的に発信している」のである。まぁ結局、何というか、私と、大して変わらなかった。はは。LSDをしていると、βエンドルフィンが作用し、少しずつ脳内がクリアになっていく。そして、断片的な記憶が、こんな風にイビツながらも繋がっていくのだ。この感じはミシン目の紙切れというよりも、むしろ冷たい方に近いのである。[小松の海岸線]
May 31, 2007
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ここのところ、私は毎日LSDだ。LSDといっても、ミシン目の入った紙切れの方ではない。Long Slow Distance←長距離を低負荷でチャリをコぐ←6月にヒルクライムのレースがあって、少しでも順位を上げたいのでトレーニングしているのだった。毎日100kmも200kmも一人で黙々と自転車をこいでいると、何だか人様と話がしたくなってくる。海辺のサイクリングロードでは、お父さんがNEWなMTBに跨る息子の勇姿を撮っていたので「並んだとこ撮りましょうか?」などと声をかけ、写真を撮ってあげたりした。道路の真ん中に真新しいサングラスが落ちていたので、さっきすれ違った思い当たるランナーの所まで、Uターン&ダッシュで渡してあげたりした(ランナー=男)「迷子犬」の張り紙を見たので、軽く探しながら走ってみたりもしてみた。恥ずかしい話なのだが、こんな私でもコミュニケーションに飢えてくることで、「よい人に変身する」位のレヴェルにまでキてしまうのである。どんなに好きな事でも、人様の目も気にせず、ストイックに打ち込んでいくというのは、性格的に難しいというか私には無理みたいだ。かつて、釣りでもそのようなことで悩んだりしたこともあった。そんなことを考えていると、前に一緒にエギングに行った漫画家I氏との話を思い出した。[屏風ヶ浦]
May 16, 2007
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着いた。
May 5, 2007
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朝早くから利根川のサイクリングロードを100km位下り、昼前には海に出た。海に出ると必ず思うことがある。それは「やっぱ来てよかった」ということだ。そして、海に出ると必ず脳内に流れるメロディーがある。加山雄三サンの「海その愛」だ。「うーみよーオレのうーみよー」という歌だ。いい歌なのは解っているのだけど、出来れば、何というか「もっと他のがあるだろ!」といつも思う。変えられるのなら、ビーチボーイズとか、今だったらジャックジョンソンみたいなのを希望なのだ。何故「うーみよー」なのかは大体解っている。私は10代の頃に、助平心だけで女のコ20人位の規模の店でボーイをやっていたことがある。その店の常連客に「海その愛」を熱唱するオヤジがいて、その歌声が、今でもウザく耳にはり付いているのだ。そしてもうひとつの理由は真鶴の入り口にある「加山雄三ミュージアム」の野立看板だ。伊豆釣行の道中、海辺に出て、テンションが上がって、そしてとりあえず目に入るものそれは→「加山サンの笑顔」なのだ。そして→「うーみよー」のフェイドイン...そのルーティンを何百回と繰り返すうちにすっかり脳内に刷り込まれてしまったのである。私は、仕事で、野立サインの企画やデザインもよく受けるので、作り手目線で見てしまうのだが、あの看板は、シンボリックというか、ホントによく出来ていると思う。あの看板をディレクションしたクリエイターも、加山サン本人も、まったく「恐るべし」としか言いようがないのである。[銚子港と海]
May 2, 2007
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今、「外川駅」が気になっている。外川駅は千葉県銚子市を走る銚子電鉄の最終駅だそうだ。最近の鉄道ブームのせいか「タモリ倶楽部」→「日本経済新聞」→「立ち読んだ雑誌」と、このひと月に3連荘で「外川駅」の情報や写真を目にした。私は鉄チャンではないのだが、中学の頃から写真をやっている私の周りには、常に鉄道マニアがいた。そのせいなのかは解らないが、鉄道は崇高で素晴らしい趣味だと思っている。アイドルとか2次元のヲタとは別格だと思っている。メディアは静かにしてあげて欲しい。具体的に言えば、ジャニタレのドラマとかやめて欲しい。「外川」といえば10年位前、外川や黒生、長崎などの犬吠崎周辺の磯に、何度かクロダイ狙いで釣行したことがある。このエリアは、高速を使わず、しかも私の家から利根川沿いに信号も殆どなく行けて、フカセを一日やっても、込み込み5千円で遊べる釣り場なのだ。私にとっては、お金がない時の磯上物釣りの練習場だった。当時は、銚子の安藤さんや栗林さんが書いた雑誌のポイント紹介を参考にして手探りで回ったものだ。これは、私個人の感想なのだが、このエリアでクロダイを手にするには、のっこみのコアなシーズンで、程よい薄曇りで、程よい濁りで、程よい波立ちで、程よい潮周りみたいな条件が合致しないと、ちょっと希望薄な感じなのだ。どちらかというと、サナギとかコーンのブッコミでじっくり腰を据えて待つようなスタイルの方が効率がよい気がする。まぁ、正直、私はこのエリアでクロダイを手にすることがとうとう出来なかったのである。「外川駅」「犬吠崎」←どうしても行きたくなってきた。でも釣りは厳しい。多分私には釣れないだろう。ここは逃げてしまおう。そんな訳で今回は、釣り無しで、ゆっくりと自転車で行ってみることにした。[早朝の利根川で青魚を狙う釣人]
May 1, 2007
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