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今日のBGM Dave Berry - The Crying Gameそういえば、この日記のタイトルは「自然の脅威」と付けたのだけど、普通、自然という枕には「驚異」の方の熟語がくる。しかし、これだと不思議さとか偉大さみたいな意味になって、中身と違ってきてしまうので「脅威」の方にした。「三毛別羆事件」の話に戻る。インフルエンザで寝込んでいる中、この記事を読んで、あらためて、自然と人との関係を考えてしまった。世界第2位の経済大国でも、ほんの100年前まで人は普通に熊や狼に怯えながら暮らしていたのだ。動物に殺されるだけじゃなくて、毎年当たり前のように、洪水で家屋が流されたり、時化で遭難したり、冷害で飢饉になって数千数万の人が餓死することもあった。自然は人間にとって常に身近な脅威だったということだ。そう考えると、最近メディアでよく目にする、全く専門性もない人や団体なのに、環境や自然保護という言葉をやたらと前に出してる風潮が、何となく不真面目に思えてくる。それに、政府や企業のトップが打ち出す環境への見解や対策も、自然に対して上から目線なのが鼻につく。日本には、触らぬ神に祟り無しという言葉があるが、これは日本古来からの考え方を表現していて中々上手い言い回しだと思う。しかし、今、現実的に社会活動をする上で、自然を全く触らないで生活していくことは出来ない。自然災害から人命や生活を守らなくてはならないし、自然自体を維持する為に、人が手を入れていかなくてはならない場所も確実にある。それらの線引きはどこですればいいのか、上手く循環させていくためにどのような方法をとれば良いのかということが、自然や環境の問題を考える上での一番重要なポイントなのだ。そして、それらはこれから果てしなく考え尽くさなくてはならない。そろそろ、最近のエコブームの様な一辺倒なキャンペーンも飽きてきた。しかも、それに便乗して搾取しているケースなんかも増えている様だ。いいかげん、一人一人が危機感をもって具体的に議論していかないと、とてつもなく驚異的な天罰が下ってしまうのではないか、そんな気がしてきているのだった。[吉佐美]
April 7, 2009
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今日のBGM Julia Fordham - Happy Ever After前回の更新から1ヶ月以上経ってしまった。最近このブログでは、ゴミの投棄や廃止されそうな灯台のことなど社会的なネタを更新してきた。社会派ブロガーになるつもりはないのだけど、去年くらいからトレードをやる上で自然や環境のことが市場の中で大きな要素になりつつあって、そういった情報を調べているうちに少し意識するようになってきたのだ。まぁ地球規模ということまでは、考えても解らないし、私が考える必要もないと思う。それでも、自分の仕事や趣味、あと身近な場所に関係する事位は、自分なりに方針を決めて行動したいと思っている前回文末で触れた「三毛別羆事件」は、人がなす術もなく、次々と熊に食べられてしまうという話で、あの時はこの記事をフリにして自分はどんなスタイルで自然と向き合っていこうかみたいなことを書こうと思っていた。しかし、最近になってまた、最新のネイチャーテクノロジーが注目されたり、日本の林業が見直されたりなどナーバスなニュースが目白押しで、それらを見ているうちに、考えがまとまらなくなってしまったのだった。私は、自然が好きだから釣りをやっているのだけど、釣りをするということはそのフィールドにダメージを与えているということになる。私のように自然好きから入ってきた釣り人には、この矛盾をロジカルに整理して凌いでいる人も多いと思う。しかし、私の場合その点は全く開き直っていて、その矛盾を解決するつもりもない。好きなのに傷つけてしまう、といった行動は、むしろ男女間などではありがちなことだ。ただ、自然に対して罰が当たらないように、という感覚は人並み以上に意識している。私は、高校生位の頃から、因果応報というか、天罰みたいなことを結構本気で信じている。今まで自分に降りかかった大きな災難は、大抵自分が悪いことをした直後に起こっているからだ。安部譲二の名言に「全部ばれたら2度死刑」というのがあるが、私も人に言えない秘密をいくつか持っている。それらは刑法上、最近めでたく時効になったのだけど、それなりのツケは自分に返ってきていた。先日このブログで更新した、膝の関節を飛ばしてしまった事故も、実は、それに値するほどの悪事をやらかした直後に起きたことだったりする。自然が関連する大きな事故では、波乗りで強いカレントに捕まってテトラポットに突っ込んだとか、青森の川でウェーダーに水が入って急流を流されたなんてことがあるのだけど、それらにも全て思いあたる節がある。そんな感じで結構びくびくしているので、取材でボーズを食らったり、トーナメントで良いくじを引けないのは(もしかしたら・・・)と、自分が海に対してやった罪の罰なのではないかといちいち思ってしまう。しかし、それをポジティブに考えることもある。釣った中で一番大きな魚をリリースすれば、今度はもっと大きな魚に会わせてくれるのではないかと期待が膨らむし、ボーズだった時、少しゴミを拾って帰れば、次回は釣らせてくれるんじゃないかみたいな気になってくる。だから、これらは自然に向けている事じゃなくて、自分の為にやっていることだ。まぁ日本には神道の考え方が根付いているので、多くの人がこれと似たようなことを普通に考えていたのだと思う。そして、そういった感覚が浸透していることによってモラリティが保たれてきたのだ。しかし、最近はすっかり、物質的な欲が先行している上に、危機感もなくなってきているので、そのバランスが急激に崩れつつある気がする。[吉田]
April 1, 2009
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