FLOWER GARDEN 2

FLOWER GARDEN 2

VOL.001~005

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★第1話 最後の幸福(其の1)

1960年代後半――――――
イギリスでは、公民権運動が暴力で封じられると、IRAはテロ活動を開始し、その活動は一般市民も徐々に巻き込んでいった。

家族の生活は決して裕福ではなかったけれど、そんな暗い世相と関係なく、僕は長閑な北アイルランドはベルファストの片田舎で、花を愛し、鳥を愛し、家族を愛する敬虔なカトリック教徒として心豊かな幼少期を過ごしていた。


だけど、あの日の夕刻を境に僕の、いや僕達の人生は一変した。
僕は一生忘れない……
あの悲劇を……



「ジョージ・オブライエン君!ちょっ、ちょっと待ちたまえ!」

授業を受けた後、ロッカールームへ急いでいた僕の後を、最近、とみに肥満著しい50代前半のロビンソン先生が、額に汗を光らせ、巨体を揺るがしながら僕の後を追い駆けてきた。

「ロビンソン先生!どうされました?」
「こほん。あー、そのぉー、君の隣りの席のエヴァ・アーバインから聞いたのだが……」
「何をです?」
「あー、まぁ、その~。君がだね、ロッカーの中に危険なモノを入れていると……」
ビッグマウス・エヴァ(オオボラ吹きエヴァ)の告げ口に、僕はチッと舌打ちすると、
「そんなもの持っていませんよ」と冷笑した。

それが、気に入らなかったのか、先生は急に毅然とした声で、
「では、君のロッカーまで連れて行ってくれたまえ!」
と持っていたムチを手にしっかりと握り締めた。

「構いませんよ」
僕は肩をそびやかすと、先生と共にロッカーを目指した。

それを見ていた僕の2歳下の妹のアリシアが、小さな坂を転がるように駆け下りてきた。
「ジョージ!どうしたの?」

アリシアはその流れるような美しいブロンドと、大きな翠色の愛くるしい瞳から、8歳にして、多くの信者を獲得していた。
それは、ロビンソン先生を含む他の先生方も密かにその信者リストに名を連ねる程だった。

「先生が、僕がテロ活動をしているんじゃないかって疑っているんだ……」
僕はアリシアの耳に口を近づけると、ボソボソと事情を説明した。
先生はムチを自らの掌に打ちつけながら、「誰もそんなことは言っとらん!」と、声を荒げた。
物騒な世相だったから、今思えばそれも無理は無かったのかもしれない。


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★第2話 最後の幸福(其の2)

アリシアは、僕と先生の後を息咳を切りながら、小走りでついて来ていた。
僕は妹の小鳥のような心臓が今にも止ってしまうのではないかと、ハラハラしながらやや歩を緩めた。
ロッカーの入り口まで来ると、僕はロッカーの扉を開けて中の様子を窺った。
ロビンソン先生も、小さな丸いメガネを持ち上げながら僕の頭の上から、中を覗きこんでいたが、突然、バサバサと音を立てて白いものが飛び出したために、「うわぁっ!!」と叫び声を上げて、しりもちをついた。

「ハト!ハトだ!」

アリシアは嬉しそうに、「おいで。恐くないよ」と言いながら、ハトの後を追った。

「ねぇ、ジョージ!このハトお家で飼うの?」
「いや、飼わないよ」

ハトを無事その腕に捕まえて、自慢の美しい髪の毛をクシャクシャにしながらアリシアは残念そうに言った。

「なんで?あ、あれ?このハトさん、羽の付け根のところ、怪我してるよ!」

ロビンソン先生も、ズボンの汚れを払いながら、再度メガネを掛け直し、ハトをまじまじと見つめた。

「ほぉ~、こりゃ、カラスにやられたんだろう……」
「え?!カラスがハトを攻撃するの?」

アリシアは悲しそうな顔でハトの体を撫でていた。

「まぁ、良くある事だよ。こんな深い傷で良くまぁ生きていられたなぁ」

先生もいつの間にか優しい眼差しでハトの背を撫でていた。

僕は、2日前に学校に行く途中に傷付いたハトを拾い、獣医に見せた事を言った。
「でも、もう離さないと、こいつは自然に戻れなくなってしまうって先生は言うんだ。だから、今日、飛行練習をして自然に帰すつもりだったんだ」
アリシアはすごく残念そうにハトを抱き締めた。
「アリシア、自然のハトは沢山病気を持っているからね。あまり触るんじゃないよ」

ロビンソン先生の言葉に、僕は慌ててアリシアからハトを取り上げた。
そして、僕達2人は飛行訓練をするには取って置きの場所があるというロビンソン先生の後に続き、広々とした小高い丘を目指した。

丘の上に着くと、早速、ハトを放し、訓練を始めた。
ハトは、最初のうちは地面にすぐ落ちたり、ちょっと飛んでは不様に木々に激突していたけれど、やがて、その羽を大きく伸ばして、広い空の風の流れに乗った。
「わー!ハトさん!!もうカラスさんにやられないようにね~!」
アリシアは去っていくハトに無邪気に手を振り、僕もつられて手を振っていた。

ハトよ、飛ぶんだ。
この小さな田舎町で一生を終える運命にある僕の分まで、広い世界を見てきてくれ……

僕は、この時、大きな運命の入り口に立っているとも知らずに、空に力強く羽ばたく生命に憧憬の念を抱いていた。


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★第3話 最後の幸福(其の3)


小さなアリシアは、僕の小指に手を伸ばし、キュッと握り締めると、
「ハトさん、行っちゃったね……」と、淋しそうな声で呟き、クスンと鼻を鳴らした。
ロビンソン先生は、僕とアリシアの肩に手を置くと、夕焼けの空に目を細めながら、微笑んだ。
「君達は善い行いをしたんだよ。ジョージ、さっきは疑って悪かったね」
先生の潔い謝罪に僕は、「将来、僕もこういう大人になりたい」と嬉しい気持ちで首を振った。

先生と別れ、二人で小さな丘を小走りに降りて行くと、途中で偶然、ビッグマウス・エヴァにハタと出会ってしまった。

エヴァは僕と目が合うなり、突然、下を向いてくるりと方向転換し、走り去ろうとした。

貴様、さっきはよくも先生に告げ口したな!
お前のそのでっかな口にこのゲンコツをお見舞いしてやる!
僕は、拳を握り締めると、もう片方の手でエヴァの手首を掴んだ。

その瞬間、アリシアが突然、エヴァに飛びついて、彼女の頬にキスをしたんだ。

「ああ!エヴァ!有り難う!!あなたが先生に言ってくれなかったら、私はジョージの素晴らしい行いを見落としてしまうところだったわ!本当に有り難う!!」
エヴァは真っ赤な顔をして、呆気に取られていたが、僕と目が合うなり、「な、なによ!」と悪態を吐き、目線を逸らした。

殴ってやる!この女!絶対殴ってやる!
僕は再び心の中で拳を握っていた。

「あら、ジョージ。そんな目で見ちゃ、エヴァがかわいそうよ。エヴァはジョージのことが大好きなのに……」

アリシアの思いも掛けない言葉に、エヴァは突然その真っ赤な顔を上げ、動揺した顔を僕に見せた。
僕は驚きに、一瞬、足がカクンと折れた。
へ??エ、エヴァが僕を?!
急に僕にもエヴァの動揺病が伝染してきた。
「……気付かなかったの?ジョージ??」
僕とエヴァの間で、無邪気にスキップをしながらアリシアは「ふふっ。ジョージのドンカ~ン!」とマセタ口を利いた。

エヴァは、耳までに真っ赤にしながら、口をきゅっと結ぶと僕の目を逸らすように、パタパタと走って逃げてしまった。
「かわいそうなエヴァ……」
アリシアはしんみりと言った。

僕は真っ赤になりながら、「な、何を根拠にそんなことを!」とアリシアの手首を掴んだ。
アリシアはびくっとして振り向くと、僕をじっと見つめ、もう一度、「……ドンカン」と駄目押しをした。


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★第4話 最期の情景


僕達は、赤い夕焼けを眺めながら、岐路に着いた。
そして、カタカタと鳴る開き戸の門を開けて、続けて、今にも崩れ落ちそうな小
さな掘っ立て小屋のような家の戸を開け、「ただいま!」と言いながら、バッグ
を置き、上着を脱いだ。
だけど、家の中は静まり返っていた。
「父さんも、母さんもまだ市場にいるのかな?」
僕達は顔を見合わせ、「迎えに行ってあげよう!!」と、はしゃぎながら、もう
一度上着を羽織り、市場へと急いだ。

僕達は市場の入り口に着くと、いそいそと帰り支度をしている父さんと母さんの
影が遠くに見えて、僕はアリシアの手を引き「行こう!」と駆け出した。
「父さん!母さん!」
2人は僕達の姿に気付いたらしく、ニコニコ笑いながら、手を振ってくれた。

その瞬間、大きな爆発音と共に、巨大な炎が2人を包み込み、僕とアリシアは爆
風に吹き飛ばされた。


「ア、 アリシア……。アリシア?」
僕は、すぐ側に倒れていたアリシアを抱き抱えた。
「ジョージ……」
アリシアの右足からは血が流れていた。
僕は、自分のシャツを裂くと、急いでアリシアの足に巻いた。

市場ののどかな情景は、一変して地獄絵図と化し、辺りはもうもうとした煙に包
まれていた。
市場はたちまち、人々の叫び声で埋め尽くされた。

「ジョージ!父さんと母さんは?!」
僕達はさっきまで父さんと母さんのいた場所に駆けて行った。
レンガの家は吹き飛び、あちこちにべっとりと血のりが飛び散っていた。

僕の背中に戦慄が走った。
「アリシア!見るな!!」
僕は慌ててアリシアの両目を手で覆った。

両親は恐らく即死だったのだろう。
……分からない。
辺りには、完全な人の形をした遺体等なかったのだから。

僕の掌の中を、幾筋もの涙が伝い、流れ出していた。
「父さん……。母さん……。死んじゃったの?」
アリシアを抱き締めると、「そのまま、ずっと目を瞑っているんだ」と言い、彼
女の顔を胸に押し当てた。
僕はしゃがみ込み、再度服を裂くと、父さんの腕だと思われる指に結び付け、腕
時計を抜き取った。



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★第5話 10歳の子供


1972年1月30日。
北アイルランドはデリー市で起きた、市民権を訴えた穏やかな行進デモに対する
英国パラシュート部隊の無差別発砲は、「血の日曜日(Bloody Sunday)と後に
言われるようになった。

そして、その後、各地でテロが頻発し、数多くの名も無き市民が犠牲になった。
僕の両親がそのテロの犠牲になったのか、それは今でも分からない。
ただ、はっきりしていたのは僕達兄妹が、その日を境に誰一人として頼れる身寄
りのない孤児になったということだった。

僕は爆殺事件の夜、アリシアを隣家の老夫婦に預け、ラジオフライヤーと大きな
ビニールシート、そしてカンテラを借りると、1人市場を目指した。

少しでも、両親の遺体と遺品を集めようと、カンテラを翳し、汗を拭いながら必
死に探し回った。
そして、僕は死臭漂う市場の瓦礫を掻き分け、嘔吐しながら、それらをフライヤ
ーに積んだ。

家に帰り、フライヤーを裏の倉庫に隠すと、重い足取りで戸を開けた。
ぐったりと疲れ切った体を壁に預けると力が抜け、ずるずると床に座り込んでし
まっていた。

ガタンとする音に、身を堅くすると、隣りの家に預けていたはずのアリシアが
「ジョージ……?」
と、恐る恐る尋ねながら部屋から出てきた。

アリシアが、電気を点けようとランプに手を伸ばそうとするのが月明かりを通し
て見えた時、
「点けるな!」
僕は思わず叫んでいた。
服に染み付いた血と硝煙の匂いは、異様なまでに僕の精神を昂揚させていた。

そんな僕の気持ちを鎮めようとするかのように、アリシアは、僕に駆け寄り、そ
の温かい手で僕を抱き締めた。
「止めろ!アリシア!」
僕は彼女の手を振り解こうと必死になった。
だけど、アリシアは泣きながら僕を決して離さなかった。

その時、僕は酷く大切な事を忘れていた事に気付いたんだ。

僕は心がボロボロに傷付いたほんの10歳の子供だったのだ。

僕は年下のアリシアの腕の中で、初めて両親を失った悲しみに朝まで大声を上げ
て泣いていた。



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