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だいぶご無沙汰。その後の共同生活は、それなりに順調。あんなに悶々と騒いでいたトイレ問題は、正月過ぎにあっさり解決。あきらかに!というこびりつきを発見したので、ブイブイ言ったところ、その後なんら問題がなくなりました。コミュニケーションって大切だわ~~~。一緒に暮らしていると、それなりに相手を尊重しなければと思う部分も多く出てくるもので、あんまり面白おかしくここでなんか言うのも何かな~~~、なんて気分にもなるもので、あんまり書かなくなってきていました。ま、話題を変えて…、というのもいいんだけど、最近はいろんなチャンネルが出来てしまい、そっちにあれこれかまけるので手一杯。ま、ちょいちょい書かねばの。ふぉふぉふぉ。
2010年05月12日
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あけましておめでとうございます。トイレ問題に悩んだ年末も年明けのムードに一掃されたのか、だんだんと、悟りの境地に至りつつあります。日常の細かい問題は、たくさんありすぎて、もしかしたら、すべてをなかったことにしてしまった方が、この先楽に生きていけるのではないか…などと思ったりもしました。もっと大きな問題を前にすれば、トイレをこするくらいなんてことはないのだ…そう自分に言い聞かせてみたりしています。年始に会った友人は、古くて大きなお屋敷に住む、なに不自由なく育った独身の女性という同居人の生い立ちと、一度遊びに来てみた印象から、まるで「斜陽」のようだと、コメントをくれました。タイムリーだったので、トイレ問題についても軽く相談してみたり、現状を話題にしてみたりすると、感性豊かな我が友人は、なにもかもが「切ない」と言いました。そうか。こうして、やや面白おかしいエッセイにしているけど、客観的にみつめてみれば、たしかになんともいえない切なさがあるのかもしれない。いやいや。切ないとか、言ってられないから。私は、そこで生きてるんだから。見方によっては、私も切ない立場なのさ。友人は、私がおかしなことにならないか心配してくれているそうだ。まぁ、廃墟に住んだ事もあるから大丈夫だろう。いつかは、また新しい場所に踏み出すさ。それまでは、トイレもこするよ。と、新年もトイレの話題から離れられなかった…w斜陽/人間失格/桜桃/走れメロス
2010年01月07日
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他人と暮らす、という意味では、夫婦生活も似たようなものなのかも知れません。お互いに、やることなすことの違いが目に付きます。それでも男女という関係ならば、自然と役割分担ができていくことでしょう。男性が料理をしなかったり、掃除がへたくそだったり、洗濯してないものを平気で着続けるということは、そのために異常人格者であるというようなそしりを受けたりする要因にはならず、少なからず微笑みすらもって許されてしまうこともあるようです。しかしながら、同世代の同性との生活となると、そうもいかないわけで、どうしても微笑みをもって許すことができない生活のあれこれというものが浮かび上がって参ります。いろいろあるんですがね、特に気になっているけど、どうしたものかと頭を悩ませるのが、トイレ問題です。最近は、夫婦間でもこのトイレ問題を起こさないようにするために、男性が座って用を足すというライフスタイルが定着しつつあるとか…。【ファン急増中】トイレ掃除が楽になる?!トイレターゲットシール(小便飛散防止シール)10枚入りま、それはさておき、悩ましいのは、我が同居人のこびらせたウ●コをしょっちゅう私がこすっているという事実なのでございます。ウ●コをしたあとは、よくよく便器の状態を確認した上でトイレを後にしてほしいものですが、そんなことは40も過ぎた立派な大人になかなか言えるものではございません。どうやら「そこまで見ていない」ようで、よく便器の奥の方にウ●コがこびっているのです。私の場合は、ウ●コの後に必ず便器をチェックしていますので、自分がつけたものではないということが100%わかるのです。自分のチェックをする時に、見つけてしまうので、結局私が同居人のウ●コをこすって落としているのです。時間が経っているので、なかなか落ちません。しかし放っておくともっと落ちにくくなるので、仕方がないのでこするのです。この事実を、同居人に告げるべきか、告げずにこのまま孤独に便器をこすりつづけるべきか、悩ましいところです。【本日ポイント10倍】カラーキューブ トイレブラシ(トイレ掃除/グッドデザイン賞/インテリア雑...
2009年12月28日
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Kのいいところは、おためごかしいことを一切言わないことだ。私自身の歴史の中では、「あなたって素晴らしい」とか「尊敬しちゃう~」とか「頼りがいがあるわ~」とかきわめつけは「あなたのことが大好きだから~」とかいうセリフでおだててくる友人がちょこちょこいたものだ。あんなに私の事をほめそやしていたくせに、そういうセリフを口にしていた友人ほど、今、周りにいない。いずれもどこかに消えていってしまった。まぁ、私もおだてにのせられて調子にのるところがあったから、自身の愚かさを反省するべきなんだろう。Kは、上記のようなことは、一切言わない。個人主義で秘密主義のKという人間が、私という他人に、「自分の家に住んでも良い」という提案をするということは、おそらくかなり信頼してもらっているのだろうと解釈できる。私もまた懐疑的かつ個人主義な人間だから、信頼できる人間でないと共同生活などできたものではない。しかしお互い安心しているかというと、100%安心ということもなくて、むしろやや見張りあっている感じが漂っている。お互いに40過ぎで、人格、性格、クセ、ライフスタイルなどが、すっかり出来上がっているので、相手のやることに、どうも共感できないとか、それはどういうことなのか?と思わされる事がたくさんあるってもんだ。それをイチイチ口に出さずに、自身の鋭い洞察と辛辣な観察力で、それなりに理解して噛み砕いてしまうことが、お互いに出来ている、と思う…。40も過ぎると、甘えがなくなってくるのである。しかも女同士だし。関係を説明すると、なんだか、よくできた夫婦のようだが、男と女じゃなかったから良かったんだろうな。あ、レズビアンじゃないですよ。念のため。激烈に辛辣な観察をする、鋭い二人の40代女が、夜のニュースを一緒に見ながら、このところ大活躍中の蓮舫を応援している。蓮舫、コワイ。コワイけど、良い感じだ。ばっさばっさと切り込んで行く強さがたまらない。すでに「必殺!仕分け人」とか言われてる。ああいう女性は、常に批判され嫌われて圧力を受けるものだ。だからこそ、我々は応援してる。頑張れ!蓮舫!国家機能を立て直すKと私の共通点は、よく他人(たいがい男性)から「コワイ」と言われることだったりする。梶芽衣子 / 修羅の花 / 怨み節 【CD Maxi】
2009年11月27日
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Kは、あまり細かい事を言わない。一緒に住む前は、「掃除は交代でやりましょうね」と言っていたが、掃除があまり好きではない私は、そこのところは深く突っ込まないようにして、いまだ掃除についてのキッチリしたきまり事はない状態を維持している。お互いに、自分の都合で適当に掃除に取り組んでいる状況だ。掃除したからといって、「私、今日どこそこを掃除しておいたわよ」などと恩着せがましい報告もしない。私は、掃除自体は嫌いではない。掃除に使う洗剤や道具にもわりとこだわる。いや、正確に言うと、汚い状態や不潔な状態には耐えられないタチだ。じゃあキレイ好きなんだろうか?というと、「私ってキレイ好きなの~」と言えるほどのキレイ好きでもない。汚れているなぁ、掃除が必要だなぁ、と思えば、掃除をする。それでいい。例えその汚れをつけたのが、自分であっても相手であっても、汚れた状況を改善する行為に躊躇はない。それが正しいやり方だと思う。ツキを呼ぶ「トイレ掃除」「水曜日はトイレ掃除の日」などと、決まり事のように掃除の義務を課されると、非常に苦しい気分になってしまう。決めないでほしいだけだ。面倒なトイレ掃除・・もう不要!ナノシルバー&光触媒&殺菌力で半永久的に便器がピカピカ!ト...多くの人は、例えば、学校や公共機関などにおいては、汚れているのを見ても、自分の責任ではないと思い掃除をしない。掃除当番とか清掃係がやればいいものだと思っている。この掃除当番をなくしたり、清掃係を頼まないようにして、人々の善意に任せて「気がついたら掃除するべし」としたら、果たして清潔な状態は維持できるだろうか。まぁ、無理だろうな。善意の人がいくら頑張っても、善意のかけらもない人々が汚して放置するから、いつしか善意の人も疲れ果てるか怒り出す。そして結局掃除当番が出来たり、清掃係にお金を払うようになるのだ。Kと私のふたりは、そういう意味では、善意の二人である。お互いに、それぞれのモラルと価値観に従って掃除をしている。お互いのやることに不満のある場合は、ちゃんと話し合いをすることで解決しようと、入居前に決めた。話せばわかる相手であるという信頼がまずある。とはいえ、Kは、平日は朝から晩まで仕事で不在だし、家に居るのは、もっぱら私という状況。必然的に、家の汚れに気がつく機会も私の方が多い。その流れで、細かい部分の掃除の頻度は私の方がおそらく多いと思われる。入居してから、買いそろえた掃除用品が多い。どうやら、Kは、そもそもそんなに一生懸命掃除をする人間ではなさそうだということが、一緒に住んでからわかった。トイレの洗剤の口の部分は固まっていたし、洗剤1本消費するのに1年以上かかるタイプかもしれない。(たしかめてはいないが)さぼったリングもバッチリ出ている。流しや洗面所の水回りには、古い歯ブラシなどが便利だが、そういうストックもまったく見当たらなかった。台所には、何本もクレンザーや漂白剤があったが、10年前に買ったものかもしれない。色あせて黄色くなった値札がついたままだ。使おうと思うと、買ってきて重複するのだろう。日常使いをしていないと思われる。まぁ、これは、私もそんなに漂白剤を使わないので、よくわかる。Kと話をしているときに、それとなく掃除についての話題を盛り込んだりした。それによるとKは「自分は掃除は好きな方だ」「けっこう掃除をマメにやってる」という自身の立場を主張していた。腑に落ちなかったが、家が広いので、どんな掃除好きでも完全に掃除しきれるものではないから、きっとそうなんだろうと思うことにした。仕事が休みの日には、どうやらまとめて掃除をしているらしい。…などと、細かいことをツラツラ言ってる私も、さほど「マメに」は、掃除していないので、エラそうな事は言えない。エラそうなことが言えない二人、ということかもしれない(笑)。そのうち決まり事が出来るかもしれないが、まぁ、どうなることやら。決まり事をつくろうと、どっちが言い出すか、そこが見どころだ。現状、私がマメに掃除することで、Kが掃除をしなくなっていく可能性が否定できない。「そんなことはありえない」とKは否定するだろうが、人間というのは、自分が「そう見られたくない」一心で事実をねじまげて主張する事があるから、客観的な事実だけで判断した方が正確だ。だから、私が、あまりにも善意の人になりすぎて、掃除に力を入れすぎても、二人の関係にはよくないのだろうと思っている。「掃除している」「掃除は好きな方だ」と言うKだが、そんな自分でありたいのだろう。そういう意思は汲んであげよう。私の家族が新しい家を見たいというので、遊びにくる際、客用のトイレの掃除をしたが、白いタイルばりの壁を、ぞうきんで拭くと、まったく違う白いタイルが現れた。タイルに指で絵が描けるような汚れであった。これじゃ、白い服で壁にこすったら、服が黒くなってしまう。ぎゃ~!壁を全部拭く予定はなかったのだが、結局、タイルを全部拭き掃除して、タイル以外の化粧板も洗剤を使ってキレイにした。あまりに掃除されていなかったトイレに衝撃を受けた私は、Kに、いかに客用トイレの壁が黒かったかを報告した。(掃除してないよね~~~)という嫌味を言いたかったのだが、Kから返って来た答えは、「あら、掃除はしてるわよ!タイルが黒いのは去年のクリスマスにトイレの中でキャンドルを灯していたからススがついてしまったの。だから黒い汚れなのよ」でした…。あくまでも「掃除はしている」という主張だが、今はもう秋。去年のクリスマス以降、1年近く壁を拭いてないことには、変わりない。それを「掃除している」と言われてもね…。まぁ、だから、人間の主張なんて、信用ならないものさ。とりあえず今年のクリスマスは、トイレ内でキャンドルは灯さないように、という取り決めがすでになされた。楽天ランキング入賞!4,184個完売!リラックスタイムに大活躍の全17種類の香りが選べるろうそく...虹色キャンドル癒しのヒーリングタイム★ロウソクで光のインテリアカラーセラピー★間接照明neo...Keiko Lee ケイコ・リー / Tea For Two 【CD Maxi】
2009年11月26日
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「JRの駅まで歩くと15分くらいかな」駅までの時間や、交通の便を気にする私にKは言った。何度か訪問してはいたものの、たいがいKの車で運んでもらっていたので、徒歩での感覚がつかめずにいたのだ。Kにそう言われても、地図をみると15分以上はかかるような気がした。実際に歩いてみたら25分たっぷりかかった。私は、歩くのが早い人間なので、普通の人なら30分だろう。Kもいいかげんなことを言うものだ。これでは調子のいい不動産屋みたいじゃないか。などと思ったが、Kは家から出かけるのには、もっぱら車を使うため、歩きの時間には、まるで頓着していなかったのだろう。すでに感覚が狂っているのかもしれない。家は、小高い丘の上に建っているため、坂道を上ったり下りたりしなければならないのだが、この坂が長くて、勾配もキツい。Kがこの坂を上ったり下りたりする機会は、めったにないのだろうが、これから私は、毎日のようにヒィヒィ言いながら、上ったり下りたりするのだ。新基準対応モデルで登場! 荷物もたっぷり積めて、坂道もパワフル走行出来る電動アシスト三輪...「丘の上の家」なんていうと、見晴らしも良いし、風通しもよく、ステキな環境を想像するものだ。まったくその通りで、住環境としては素晴らしい。だけど、丘の上にあるってことは、上ったり下りたりしなければならないってことなのだ。従って、車を所有していることが当たり前。有る程度の生活水準を満たしていることも、同時に求められる住環境でもある。〈江戸・東京〉坂道物語どんな分野においてもそうなのかもしれないが、単純に憧れている間は、ものごとが簡単かつ単純に理解されているけど、実際にその立場になってみると、ものごとはそう単純ではないということに気がつかされる。なにごとも机上の空想よりも、体験によって学ぶところが大きいのだ。そんなわけで、毎日(でもないが)、急な坂を上ったり下りたりして生活することになった。坂道があって、駅が遠いため、用もないのにブラブラ出歩くということをしなくなった。雨の日などは、特にである。不便な場所である。しかし、落ち着いた静かな住環境、家の前の通りを歩く人々の喧噪もなく、安心して住まえる環境である。便利さをとれば、それらはなくなるし、今の自分には、多少不便でも良い暮らしである。贅沢を言えばきりがない。坂道奇談東京週末「坂道」散歩
2009年11月20日
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引越屋さんをたのむのは初めてだった。過去に家族で引っ越した際には、なにかと父が車で運んで終わらせていたし、初めて一人暮らしを始めたときは、ハイエース1台に全財産が入ってしまったし、友人に手伝ってもらって事足りた。なので、引越屋さんについては、未経験分野だった。とはいえ、数年前に身内の引越を手伝った折に、引越屋さんとのやりとりを見ていたので、なんとなく雰囲気と値ごろ感はわかっているつもりだった。引越屋さんといえば、金額勝負である。相見積もりを取るのがいいだろうと、ネットで数社に見積依頼できるサービスを利用したところ、さっそく電話がかかってきた。どこの業者も、どうやら荷物が多そうなので、実際に見に来て見積もりをしたいとのこと。合計7社にアポをとったのだが、次々に営業マンが来るのかと思うと、ちょっと大変な気もした。まぁ、そこは気合いだ。やりこなそう、と鼻息を荒くしているとさっそく1件目の引越業者がやってきた。若くて爽やかな雰囲気の好青年であった。ざっくりと部屋の中を見回して、見積もりを書き始めた。「このくらいですね」提示された金額は、思っていたよりもだいぶ高額だった。私なりにだいたいこのくらいで決めたいと思う金額が心にあったので、かけはなれた金額を出されて、この会社はないなぁ~、と思いながら「けっこういきますね」などとケチをつけると、「やはり高いですか?」ときた。私が他の業者さんにも見積もりを取ってもらう予定だとわかると、「今ここでウチに決めてくれるなら、この値段でやります」ときた。そこに提示された値段は、私の心づもりとほぼピッタリの金額であった。つまり、最初の見積金額から大幅に下げたのだ。(下げ過ぎじゃね?)と思ったが、もともとの提示が高すぎだったのかも。(そういう作戦なのか)さすが営業、やることがあざとい、などと感心していると、営業マンのさらなる攻勢が…。「そのかわり」彼は言った。「他の業者さんを全部断ってください」(え~?相見積もりしようと思ったのに)「他社さんと見積もりを比べてから連絡をいただいても、この金額までの値下げはしません。これは今決めていただくことが条件の金額です」ときた。(ひぇ~~~~~~!なにそれ~~!強気~~)7社に見積もりを出してもらうつもりで、びっしりアポ入れてたのに、1社目で決断を迫られている。どうするべきか迷っていると、私の迷いを察したのか、他社よりも、いかに自分の会社が優れているかを語り出した。というか、他社がいかにダメかを語り出した。「●●●と▲▲▲は、スタッフの質が悪いし仕事が荒い、時間に遅れてくるし、一日に2回まわすから、とにかく雑。×××は、引越だけじゃなくて宅配もしてるから、引越についてはなかなか値下げしてくれませんよ、■■■は、老舗で丁寧な仕事をするけどスタッフの年齢層が高いからスピーディーさに欠けますよ、時間かかってしょーがないですよ」(すげ~~~)なかなか面白い興味深いトークであった。業界大手のプライドを感じさせる語りであった。見積もりだけで競争させたら、彼がけなしてる会社の方が確実に安い値段を出してくるのは、目に見えている。こちらが10と言えば9を出し、8といえば7を出して、なんとかして仕事を取ろうとするのだ。だからこそ、相見積もりを取って価格勝負させて引越料金の負担を軽くしようというのが、消費者の魂胆なのだが、そんなことは100も承知の営業マンは、こう言った。「もう、うんざりなんですよ、相見積もりで価格競争させられるのには、つきあいたくないんです」なるほど。迷ってる間に、次の業者が見積もりにやってきた。今、どうするか非常に考え中なので、ドアの外で待ってもらった。ずっと待たせるわけにもいかないから、ここでどうするか決めなくちゃ!おそらく、他者の見積も似たようなものになるだろう。結果、落ち着く金額というものが、おそらく営業マンの提示している金額になる可能性が極めて高い。今、ここで決めてしまえば、他の業者とのわずらわしいやりとりもゼロになるから、その方がいいかもな。というわけで、1社目で決定。外で待ってる他者の営業さんには、どう対応したものか、などと思案していると、「なんなら私が断ってきます」というのでお願いした。(いーのかなぁ、そんなことしてもらって)と思ったけど、「こんなことは日常茶飯事ですよ」と言われた。しかも、断りついでに名刺交換までしていた。引越業者同士もなんだかスリリングな関係ですね。そんなわけで、心変わりをしないようにという呪縛の意味もあるのだろうが、その日にダンボール箱をどっさり置いて、引越屋さんは帰っていった。スリリングだった。のんべんだらりとした日常に、激しくスパイシーな出来事だった。その後、友人がやはり引越す事になったので、私が使った引越業者さんをオススメした。友人は、相見積もりを取るから、オススメの業者さんは、2件目に来てもらう事にすると言っていた。1件目で値ごろ感を得て、2件目で決めようという心づもりなのだろう、なかなか上手いやり方だ。ところが、友人は1件目に来た業者さんに決めてしまった。話をきくと、やっぱり同じように「今この場で決めてくれたらこんだけ値引きする」と言われてきめちゃったそう。どうやら、引越業界では「即決値引き」というのがあるらしく、どこもやり方は同じみたいだ。てことは、最初に見積もりに来た業者に分があるな。いかに最初に呼ばれるか、これにかかってるっぽい。引越屋さんを利用する側も、ここにお願いしたいな、と思ってる会社を一番に呼ぶべきだね。いろいろ勉強になった。
2009年11月10日
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Kの家は広い。何度か遊びに行ったが、初めての時は、その広さに驚いたものだった。軽く10帖超えたくらいの広いリビングに、広々とした使いやすそうなキッチン、玄関ホールも広く、大理石なんかがあしらわれてる。セレブなお宅とはこういうものか、と感じ、財産家とは、こういう人なのだなぁと、Kについても、他の友人達とはちょっと違う何かを感じていたのだった。Kは、おだやかな人柄で、話し方もおだやか。立ち居振る舞いもゆったりとしており、心の中の状態を他人に見せないタイプ。例え心臓がバクバクするほど焦っていても、ポーカーフェイスでゆるやかにしゃべるだろう。それはKの育ち、教育、環境、そして背負ったものがKにそうさせているのだろうと、私は考えていた。大きな財産を持っているKは、「無責任」という言葉から、もっとも遠いタイプの人だった。それゆえ、付き合う上での安心感があった。たまにKの意図が読めないこともあったが、だからといって困る事もなかったし、こちらもKについて、ことさら追究する気もなかったので、親しいけれど、大人のつきあいをしていた感がある。つまり、Kとは、いわゆる「親友」とかいう間柄ではなく、あくまで「友人」のひとりであった。Kは、私が家に住むなら、このくらいの家賃で、電気水道などの光熱費は折半という、ざっくりとだが、具体的な案を提示した。現状私が払っている家賃よりも安くなるが、家が大きいため、光熱費は驚きの10倍くらいになりそうだった。差し引きしても、今より負担が軽くはなる。Kの申し出から数日後のある朝、大きなゴキブリとの戦いのあと、私は申し出を受ける事を決意した。他人と暮らすということは、チャレンジであるが、さほど無理な事もないだろう。それよりも、このままゴキブリに脅かされて生活することのストレスには耐え難い。なわけで、あっさり気持ちは固まった。憧れの「広くて大きくてモダンなお家」に住めるチャンスなんて、この機会を逃したら一生ないかもしれない。迷ってる必要はないような気がした。そして私は、引越屋さんに見積もりをとるべく連絡をしたのだった。つづく
2009年11月02日
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一人暮らしの部屋は、広めであったが、なにしろ台所が狭かった。小さなシンクのすぐ横に電熱式のコンロがひとつ。まな板を使うときは、シンクの上をわたすようにして作業する。狭い。野菜や材料を置くスペースなどないので、フランフランで買ったお洒落なワゴンを使っていた。だけど、料理をするような台所ではない。台所のすぐ横に洗濯スペースと玄関がある。食器を洗っていると、スポンジの泡液が、ビュッと飛んで、玄関の靴を濡らしてしまうこともしばしばであった。大切な靴は玄関に置きっぱなしにしてはいけない。台所の向かいにはバスルームがあり、トイレと風呂が一緒になった、これまた実に狭いユニットバスがあった。台所で作業をしていると、背後にはトイレ、風呂場、横には玄関と洗濯機。いったいここは、キッチンなのか、バスルームなのか、それとも玄関なのか、…わからなくなってしまう。そうだ、これが一人暮らしの部屋というものだ。風水なんて、いくらやっても無駄と思われるような構造を持った独身者向け住宅。独身である限り、この狭苦しい混沌の中に住まわねばならないのだ。そんな現実には、ちょっと悲哀が漂うが、それでも自分なりに住みやすくアレンジしたり、創意工夫でうまくやっていける自信はあったのだ。その自信を崩壊させたもの、それは、ゴキブリであった。10年目を越えたあたりから、ゴキブリがひんぱんに出るようになった。それも大きいヤツ。ゴキブリばかりは、いくら対策をしても出るものは出るので、仕方がなかった。長く住んでいるうちに周囲の住人は、独身の20~30代男性ばかりになっていた。以前は、ひんぱんに引越を目撃したが、最近は不景気のせいなのか、誰も出て行こうとしない。もしかすると、近隣住人の部屋がゴキブリを繁殖させているのかもしれない、そんな疑念もわき上がるが、確かめることはできないし、ゴキブリに対しては、受け身でいる他なかった。これは、つらい。夏のはじめには、目にする黒いものは、なんでもゴキブリに見えてしまうまでに、精神的に追いつめられていた。遺品整理屋は見た!!もう限界だ。なにがなんでも、引越しよう。そうだ引越だ。考えてみれば、長く住んで、何もかもが傷んできている。そろそろここを引き払う頃合いなんだ、そうなんだ。なにも、あえてこんなボロい部屋に住み続けることはない。アート引越センター全員野球の経営さぁ、引越だ!と、思って物件を探すものの、同じ広さを求めると、家賃がぐっと上がってしまう。家賃を上げない事を条件に探すと、築年数が激しく古いとか、交通が不便だったりして、なかなか条件が合わない。私は、広い家に住みたいのだ。苦肉の策として、持ち物を減らす事にした。家が広くないのだったら、持ち物が少なければ、相対的に広くなるではないか。そうすれば、今よりちょっとばかし狭い部屋に移ったって、さほど苦しいこともないだろう…。それにしても、なかなか良い物件はないものかの~。と、煮え切らずにいた時、友人にゴキブリ・ストレスの話と引越したい話をした。友人は、「フリフリさん、ウチに住めば?」と、言った。この友人はKという。Kの家は、ファミリータイプの大きな家だ。私が憧れてやまない広い家に、Kは一人で住んでいた。私は、Kの申し出にかなり戸惑った。Kと一緒に暮らすなんて、できるんだろうか?他人と暮らすなんて、最も自分の性格と合わない行為なんじゃないか?Kとしては、家族がみな他界してしまい、自分も独身を貫くつもりだから、40過ぎの独身女性同士、共に暮らすことは、メリットが大きいし、大きな家にも住人がいた方がいい、という考え方のようだった。私たちの住居学私は、悩んだ。考えた。つづく
2009年10月28日
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静かな夜、静かな朝、静かな住宅街の静かな暮らし。ずっと手に入れたかった憧れの生活が、実現することがあるなんて、ちょっと前なら思いもしなかった。子供の頃から、広いお屋敷に住みたかったのだ。ウサギ小屋と言われるような日本の住宅に住むのは、心の底からイヤだった。20代前半の、夢も希望も満ちていた頃には、どんどん出世してお金持ちになって大きな家を買うのだとか、本気で思っていたし、まぁ、そんなに出世しなかったとしても、いずれ出会いが訪れたら、それなりのお金持ちに嫁いで悠々自適なお屋敷ライフを手に入れるのだ、なんてことも密かに野望を抱いていたものだった。私の「広い家願望」はおそろしく強いものだったので、週に1回は、広いお屋敷を舞台にした夢を見たりもしていた。毎回、出てくるお屋敷は違っていたし、時にはモダンなマンションだったり、都会の商業施設風のガラス張りの大きなフロアだったり、舞台は、常に万華鏡のように変わりながらも、「広い居住空間」ということだけは一貫していた。夢から覚めるたびに、自分の願望をたしかめた。普段からインテリア雑誌を眺めては、「こんなのムリ」とため息をついていたけど、頭ではわかっていても、強い欲望は消せはしないものなのだ。夢は相矛盾した事柄に決着をつけてくれるようでもあり、ともすれば、あきらめがちな欲望の炎を消さないように維持してくれているようでもあった。ELLE DECO (エル・デコ) 2009年 10月号 [雑誌]ハイクオリティなインテリアデコレーション誌【年間購読】ELLE DECO結婚しなさそうな30代を越え、ついに40歳をまたいだ時には、自分という人間の限界も見えてきた。会社という組織に向かないこと、フリーランスになっても、がむしゃらに働くタイプではないこと、天才ではないこと、絶世の美女ではなかったこと、世の中に私と結婚したい男性は希少らしいこと、希少だから出会える可能性は少ないこと、この先、まったく見えない人生になっていること、将来という言葉と絶望という言葉が重なってくること、そして、大きな家を買うなど自分の力では無理なことも…。おひとりさまの老後おひとりさまの「法律」特にネガティブにならなくても、現実を見つめるだけで、かなりしんどいことになってきている。それでも一人暮らしにしては広い部屋を借りていたし、それなりに満足はしていたのだった。私などは、この程度で満足しなければいけないんだ、とも思っていたし、「あきらめ」を知ることも大事なんだと思うようになってきていた。これを成長というのか、老化というのか、よくわからないけど、いくら頑張っても、ダメなものはダメってことが、わかるのが40代かもしれない。つづく
2009年10月28日
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