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『食の人類史』5

<『食の人類史』5>
図書館で『食の人類史』という本を、手にしたのです。
狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。
要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。


【食の人類史】
食

佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。

<読む前の大使寸評>
狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。
要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。

rakuten 食の人類史

草原

第4章「麦農耕ゾーンの生業」からモンゴルの遊牧を、見てみましょう。
p193~197
<モンゴルを旅する>
 2010年8月上旬、わたしは同僚の小長谷有紀さんの案内でモンゴルを旅する機会に恵まれた。彼女はモンゴル調査のエキスパートで、同時に国立民族学博物館の初代館長であった梅棹忠夫の最後の弟子でもある。こうしたこともあってわたしははじめてのモンゴル旅行に心躍らせていた。

 出発前、わたしは夏のモンゴルの気候がどうであるか、問い合わせた。返事は、寒暖の差が激しく、また氷雨が降ったりもするとのことであった。半信半疑であったが、とりあえずウィンドブレーカーをスーチケースに詰め、ソウル経由で首都ウランバートルに入った。

 モンゴルは遊牧民の国である。遊牧民は家畜の群れを追い、暮らしをたてる人びとである。家畜たちは草原の草を食べて生きているわけだから、モンゴルは草原の国であるともいえる。わたしが事前に持っていた知識はこの程度のものだったが、実際、はじめてみたモンゴルの大地は草原の大地、それも今までにみたこともない見渡す限りの草原の大地であった。

 むろん、随所で森をみかけはした。だがそれはなだらかな山々の北斜面などに局在し、大きな広がりを持つ森ではない。とくに、高原の南のほうは乾燥が卓越しゴビと呼ばれる砂礫の砂漠へとつながってゆく。

 ウランバートルの東の郊外を回った調査初日には小雨が降った。ウランバートルから西に進んだ2日目から4日目にかけては、冷たい雨に加えて強い風が吹いた。
(中略)

 暑さ寒さの絶対値より、落差が大きいのだ。気温だけではなく、降水量についても同じことがいえるようだ。ある土地が、昨年雨が降って草の生育がよかったから今年もそうかというと、必ずしもそうではない。年ごとに考えれば、不安定なのだ。
(中略)

 こういう環境下では、ある土地を私有してそこに投資を行ない、次の生産を拡大しようというモチベーションはほとんど働かない。この不安定さのゆえに、人びとは土地に投資することをしないのだ。

 旅の途中で、わたしたちはいくつかのゲルに立ち寄った。多くは、小長谷がその長い調査の間に知り合った人びとである。いろいろな食べ物も食べさせてもらった。チーズはヒツジヤヤギのミルクで作られ、あるものは酸味が強かった。乾燥し、なかにはぼろぼろと砕けるような食感のものもあった。ヨーグルトも味わうことができた。酸味が強く、かつ匂いも独特だった。おそらくその性質は乳酸菌の種類によるものであろう。馬乳酒も経験できた。
(中略)

 高緯度で降水の少ない地方では、いったん失われた森はなかなか回復しない。それがいつの時代のことか明らかにすべくもないが、この地に最初に入ったであろう狩猟・採集民たちの活動の結果でであったか、あるいは気候の変化によるものであったか、森は失われ代わって草原が広がった。そして、できた草原に適応できた人間の集団には遊牧以外の選択はなかったのであろう。


『食の人類史』4 :照葉樹林文化(続き)
『食の人類史』3 :照葉樹林文化
『食の人類史』2 :三大穀物の登場
『食の人類史』1 :狩猟・採集民の暮らし


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