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JUN社が作った「天井桟敷」のポスターがええわけで(横尾忠則や宇野亜喜良のコラージュであるが)・・・以下のとおり復刻して覗いてみようと思い立ったのです♪*********************************************************図書館で「寺山修司劇場『ノック』」という本を手にしたが・・・全てのページがビジュアルになっていて、大人の絵本と言えなくもないのです。天井棧敷の出し物の魅力もさることながら、横尾忠則や宇野亜喜良のポスターがええでぇ♪・・・大使の場合はポスターに惹かれて、この本を借りたわけです。【寺山修司劇場『ノック』】九条今日子, 寺山偏陸著、日東書院本社、2013年刊<「BOOK」データベース>より名台詞と貴重な写真で綴る演劇実験室・天井棧敷の軌跡。【目次】青森県のせむし男/大山デブコの犯罪/毛皮のマリー/時代はサーカスの象にのって/人力飛行機ソロモン/邪宗門/阿片戦争/盲人書簡上海篇/市街劇ノック/疫病流行記/阿呆船/奴婢訓/観客席<読む前の大使寸評>天井棧敷の出し物の魅力もさることながら、横尾忠則や宇野亜喜良のポスターがええでぇ♪・・・大使の場合はポスターに惹かれて、この本を借りたわけです。rakuten寺山修司劇場『ノック』初演1969年の『時代はサーカスの象に乗って』の一節です。<時代はサーカスの象に乗って>p59~61身を捨てるに値すべきか祖国よ。歌うな、教えよ、日本のアメリカ、過ぎゆく一切はまぼろし屠殺場の星条旗の アメリカの日本よおれは歴史なんかきらいだ思い出が好きだ国なんかきらいだ 人が好きだミッキー・マントルは好きだルロイ・ジョーンズは好きだポパイは好きだアンディ・ウォーホールは好きだキム・ノヴァクは好きだだがアメリカはきらいだ!これも時代なのだ 寒い地下鉄で吹いた口笛を思い出すか、ボクサーのボブ・ホスターよ戦争に向かってマッチの一箱の破壊解放された動物園の方から時代はやってくる。時代はゆっくりとやってくる、時代はおくびょう者の象にまたがってゆっくりとやってくる、そうだ、時代は象にまたがって世界で一番遠い場所、皆殺しの川におもむくだろう、せめてその象にサーカスの芸当をおしえてやろう。ほろんでゆく時代はサーカスの象にまたがって、せめてきかせてくれ。悪夢ではないジンタのひびきを、いいか、時代よ、サーカスの象にその芸当を教えよ今すぐに今すぐに!天井桟敷のポスターをネットで探してみました。劇団『天井桟敷』とそのポスターの素晴らしき世界より劇作家、映画監督、詩人、小説家、そしてメディアの寵児として知られる寺山修司(1935-83)は、多方面に才能を発揮した芸術家であり、60年代から70年代にかけて日本のアングラ劇場シーンを牽引した代表的な人物だ。ポスターハリスは渋谷道玄坂にある小さなギャラリーで、名前のハリスが動詞の『貼る』からきていることを見てもわかるように、劇団のポスターや広告などの制作を手掛けている。この会社は寺山の死によって天井桟敷に入団する夢を挫かれた社長が興したものだが、当時は商業的な劇場の増加によって、アングラ時代には劇団に連なる個人デザイナーが制作していたポスター類が、外部の広告代理店に委ねられるようになりつつあった。結果的には、ポスターデザインの会社を始めるには絶好のタイミングだったと言える。寺山は真に特異な存在だった。西洋の芸術家から強い影響を受けていた彼は、常に保守的な同業者の一歩先を歩み、舞台や映画では巧みな遊び心でもってタブーやグロテスクなどの要素を取り混ぜ、衝撃的な映像をふんだんに盛り込んだ。天井桟敷はしばしば「演劇実験室」を標榜していたことで知られているが、その主宰の寺山自身は、スキャンダルと異色の舞台で化学反応を起こす魔法使いか科学者のような存在だったと言えよう。(中略)寺山と同世代のクリエーターの多くが今でも現役で活動しているのに対して、寺山は1983年に47歳の若さで亡くなった。演劇がその場かぎりの刹那的な芸術である以上、寺山の作品の多くは実質的には失われたと言っても過言ではない。しかし映画や詩句、小説といった彼の並み外れた才能が、寺山の世界をこれからも生かし続けてくれる。そんな寺山修司の世界を垣間見る手始めに、天井桟敷のポスターはいかがだろうか。
2024.09.13
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京都市美術館では「村上隆もののけ京都」という企画展が催されているが、これは興味深いのです。・・・ということで、2012年11月29日「村上隆の原点」を復刻して読み直してみましょう。まあ村上隆の予習とでも申しましょうか♪*********************************************************今では超ビジネス書を発刊するなど、ブイブイ言わせている村上隆の原点までさかのぼってみたい・・・・ということで、「リトルボーイ」という本を借りたのです。リトルボーイといえば、広島に落とした原爆の愛称であるが・・・今のアメリカ市民は知っていたか、知らなかったか?大使幼少の頃、原子力と言えば、鉄腕アトムとかゴジラを連想するように、割と肯定的なイメージもあるが・・・・これがCIAの刷り込みと言えば、当らずとも遠からずという裏事情もあったようです。(あかん、書評の観点がずれてゆくがな)ということで、ヤノベケンジのゴジラです。ポップやなぁ♪本書は、ニューヨーク市内各所で開催されたリトルボーイ展に際して出版されたという曰くがあるが、村上隆のアメリカに対する強烈なコンプレックスが見られるわけで・・・反米の大使の胸に響くわけです(笑)ともあれ、スーパーフラットとは何だ?という問いに答える本ということでしょうか♪【リトルボーイ】村上 隆(編集) 、ジャパン・ソサエティー イェール大学出版、2005年刊<「MARC」データベース>より2005年にニューヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリーで行われたリトルボーイ展のカタログ。アニメ、だめ、かわいい、マニア、おたく、少女、ゆるキャラ等をキーワードに、村上隆、岡田斗司夫、椹木野衣らが執筆。 <大使寸評>本書は、ニューヨーク市内各所で開催されたリトルボーイ展に際して出版されたという曰くがあるが、村上隆のアメリカに対する強烈なコンプレックスが見られるわけで・・・反米の大使の胸に響くわけです(笑) ともあれ、スーパーフラットとは何だ?という問いに答える本ということでしょうか♪Amazonリトルボーイこの本から一部紹介します。<Superflatプロジェクト発動:村上隆>p153~155「Superflat」 この呼び名はLAのギャラリスト二人が、私の絵画作品のセールストークに使っていた表現が起源だ。「superflatでsuperクオリティー、そしてsuperにクリーンなこのペインティングはいかがでしょうか?」という具合の売り文句。日本の車や電化製品を讃える表現と変わらぬ所に本質的な日本文化の特性を知った気がした。そしてその表面を乗り越えなければ「文化」そのものになり得ない、故にその売り文句を超えていくという批評的な観点から、superflatを冠としたプロジェクトをスタートさせた。「SuperFlat宣言」日本は世界の未来かもしれない。そして日本のいまはsuper flat。 社会も風俗も芸術も文化も、すべて超2次元的、この感覚は日本の歴史の水面下を澱みなく流れ続け、とくに美術にわかりやすく顕在化してきた。現在では、強力なインターナショナル言語となった日本のスーパーエンタテイメント、ゲームとアニメにとくに濃密に存在している。そのフィーリングを説明すると、例えば、コンピューターのデスクトップ上でグラフィックを制作する際の、いくつもに分かれたレイヤーを一つの絵に結合する瞬間がある。けっして分かりやすい例えではないが、そのフィーリングに、私は肉体的感覚に近いリアリティーを感じてしまうのだ。この本で日本のハイもロウもすべてフラットに並んでいるのは、そのフィーリングを伝えるためでもある。POP、ERO POP、OTAKU、HIS-ISM、そして、そんな日本文化の表層下に流れる「レイヤーの結合」の瞬間を体験してほしい。私達のリアリティーはどこにあるのか。 この本は「super flat」を、自分達の、つまり日本文化を潜在的に構築してきた、そしして、今もしつづけている大きな感性であり、世界観として捉え直し、過去から現在、そして未来へとつながるオリジナルなコンセプトとして、展示していくためのものである。近代以降、日本が西洋化されていく過程で、この「super flat」的感性はどのように姿を変え、いまに到っているのか。そこをきっちり見据えることから、いまの我々のスタンスも、見えてくるに違いない。 その意味で、ここには現在進行形の日本のリアルが詰まっている。私達の生きてゆくコンセプト探しの答えが見つかるかもしれない。西洋化されてしまった日本人のオリジナルコンセプト、「super flat」。<東京ポップの逆襲:松井みどり>p226~227 スーパーフラット理論の出発点は、『広告批評』誌1999年4月号のために村上が企画した「東京ポップ」特集にあり、ここで日本のポストモダンの文化状況に対する村上のスタンスが詳らかにされた。同誌に発表された村上のテキスト「拝啓 君は生きている―TOKYO POP宣言」は、世紀末東京の大衆文化生産にひそむカオスと幼稚性から日本独自の芸術表現を形成しようと目論む村上の見事なまでに一貫した戦略を表している。 まず、村上は、日本文化がアメリカとの植民地関係に縛られているとの歴史観に基き、「戦後の日本はアメリカによって生かされ培養されてきた。無意味こそが人間の生きる姿。だから、何も考えずに生きろ、と教育された」と言う。そして、日本で精神的内容を持たない物質主義が膨張した原因を文化の対米依存性に見いだし、この環境こそが、個人や組織の成熟を妨げていると考える。と同時に、近年アメリカが徐々に日本を縛る手綱を緩めている状況下、日本の文化生産は行き先不明の状況に陥っているのだが、にもかかわらず方向性を失った文化的生産に酔いしれる日本社会は真のヒエラルキーを欠き、超富裕階級の台頭は妨げられ、専門水準の形成が遅れ、幼稚な社会構造から脱却できないでいる。これが村上の現状認識だ。 日本文化の「マイナー」な―つまり、本流ではなく、瑣末で、幼稚で、貧相な―特質を認識する村上は、明らかに欠点と思われる要素に、新しい創造の契機を探り当てたのである。 一見ネガティブに見えるこの3点、1)子供的価値観、2)豊かさのレベルなき社会、3)アマチュアリズム。しかしこの3点がアドバンス〔有利〕となって、いま新しい創造の世界を作り始めている。 こうした「マイナー」の条件を逆説的に運動の中心に据えて企画された「ポップ」は、あの輝かしいアメリカのポップ・アートとは似つかない。そのかわりに、村上流ポップは現代東京の異種混合のリアリティーに根ざしており、東京の偽物性をユニークな特質として、また文化占領の歴史的産物として甘受するのである。「TOKYO POP宣言」執筆に加えて、村上は「東京で活躍しながら、西洋的な価値観の軸に乗せてインターナショナリズムを持ち得る、と思わせた10人のアーティスト」を東京ポップの作家として紹介し、軋轢の強い文化的影響を乗り越えて創出された美術表現のハイブリッド性をむしろ誇示するのだ。第五福竜丸とヤノベケンジより椹木野衣・日本のサブカルチャーは原点であるゴジラや、宇宙戦艦ヤマトの放射能除去装置など、核と放射能と被爆の歴史である。鉄腕アトムや仮面ライダー、ドラえもんなどは原子力の平和利用。・放射能に対してはサブカルチャーの蓄積から免疫があった。地震の問題は実は大きな問題で、今一分後に大地震が起こるかもしれない。世界に原発が増え続け、世界各地で地震の多発期に入ったと思われる今、我々は震災の事後にいて、それに対応するばかりではなくて、これから起こる更なる災害に対する想像力を持たなければならない。・(ヤノベのサン・チャイルドに対して)震災後を見すえて作品を作るのはまだ早いのではないか。今サバイバルの方がリバイバルより必要な状況に帰っているのではないか。二人の対話は、阪神・淡路大震災、オウム真理教、東海村臨界事故、さらには戦後のアメリカから日本への原発の輸入の構造にも及び、現在まだわれわれが渦中にある東日本大震災以後にいたる状況を、ヤノベの表現活動の軌跡と重ねて考えさせられる内容だった。「村上隆の原点」
2024.05.24
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横尾忠則現代美術館の企画展といえば、まいど定点観測のように出かけているわけで・・・その新しい企画展を以下に紹介します。*********************************************************<横尾忠則を観に行こう♪20>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館、2月13日(火)、4月30日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円******************************************************************************************************************<横尾忠則を観に行こう♪19>異常に蒸し暑い昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。Yokoo in Wonderland―横尾忠則の不思議の国より横尾作品のなかの「不思議」に着目し、現実の延長にあるもうひとつの世界をルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」になぞらえて紹介する展覧会。第1章「不思議の国」では、地底や海中、宇宙を舞台にした作品が、第2章では「鏡の国」と題して鏡やミラーイメージを用いた作品が、私たちを異世界へと誘います。そして、第3章「夢の国」では、横尾自身の夢をもとに描いた《夢枕》全43点を一堂に展示します。期間 2023.9.16 sat. - 2023.12.24 sun.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館、9月19日(火)、10月10日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円*********************************************************横尾忠則を観に行こう♪20 R1:横尾忠則 ワーイ!★Y字路横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹横尾忠則を観に行こう♪17 R1:横尾さんのパレット
2024.03.02
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<横尾忠則を観に行こう♪20>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館 2月13日(火)、4月30日(火)は休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円鑑賞後のレポートは追って追記する予定とします。横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹
2024.02.03
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10月27日のNHK番組「あさいち」に増田セバスチャンさんが出ていたが、興味深いひとときでした。・・・で、ネットを巡ってみたら、朝日新聞の「好書好日」がヒットしたので以下のとおり紹介します。*********************************************************増田セバスチャンさんインタビュー 衝撃的な「カワイイ」より■キャリアのスタートは19歳――増田さんといえば、きゃりーぱみゅぱみゅさんのMVがきっかけで名前を知った人も多いですよね。 きゃりーちゃんの「PONPONPON」が注目されるきっかけではあるけど、演劇や現代美術の世界で19歳くらいから活動を始めたので、アーティストとしてのキャリアのスタートはそれよりも20年ほど前なんです。寺山修司さんの考え方に影響を受けて、最初は寺山さんに影響を受けたという劇団に入りました。演出家になりたかったんですが、そこで制作や大道具、演者も経験しました。その後、現代美術家のお手伝いに誘われて参加しながら、自分でパフォーマンスグループを主宰して、そのメンバーと「6%DOKIDOKI」を立ち上げるんです。 6%DOKIDOKIも最初は食えなかったので、合間にテレビ局や歌舞伎座の大道具として舞台を作ってましたね。当時は演劇の活動に役立てばとは思っていたけど、それがまさかアーティスト活動の肥やしになるとは思っていませんでした。無駄なことはないんだ、何でもやっておくべきだなって。――増田さんは原宿文化との関わりが強いイメージがありますが、出身は千葉県松戸市ということで、どういう経緯で原宿文化とつながったんですか? 絵が描けて、それ以外にもいろんなものを生み出して……小学生の頃は天才でしたね(笑)。でも中学生になると、僕たちの時代はヤンキー文化の全盛期で、周囲の人たちとなじめなかった。一方で、当時はホコ天やバンドブームの時代でもあり、特に原宿は独特の文化を形成していました。原宿は自分と似た感性の人が集まっているように思えて、よく遊びに行くようになったんです。――当時の原宿はどんな街だったんでしょう? 以前は原宿駅前にテント村と呼ばれる屋台の並びがあって、手作りのアクセサリーや革ジャンなんかが売られていました。でも僕は、当時はお金がないから婦人服店でスカーフを買って巻いたり、代々木で拾ったジャージを着たり。今考えるとダサいですね(笑)。そうやって、みんなよく分からないファッションをしていました。竹下通りを抜けて明治通りを越えた裏原エリアは中学生からすると実はカツアゲされやすいスポットだったんです。だから怖い街というイメージ(笑)。歩行者天国の竹の子族やバンドを見るために、竹下通りにあった半地下で野宿したのも思い出です。――当時からユニークなエリアだったんですね。ただ、そうした文化の根本みたいなものは、今と変わらないようにも思えます。 そうですね。学歴や年齢も関係なく自由でいられる雰囲気は当時からありました。■原宿なら自分を理解してくれる――今では原宿に対して、増田さんの作品に近いイメージを持つ人は多いと思います。そのイメージを増田さんが作っていったという感覚はありますか? 19歳からそれこそいろんな場所で活動をしていたけど、思うように評価を得られなかった。そんな中で1995年、25歳で原宿に「6%DOKIDOKI」という雑貨とアパレルのお店をオープンして、お店は次第に知られる存在になっていきました。90年代に起きた裏原ブームの中心は、「UNDERCOVER」や「A BATHING APE」のようなメンズカルチャー。当時の裏原は、乾物屋さんや定食屋さんなどが集まる裏通りの商店街で、家賃が安かった。そこにお金がない若い人たちが集まってお店を出していったんです。それでメンズカルチャーに火がつき、やがて雑誌の「Zipper」や「CUTiE」などでガールズカルチャーも盛り上がっていくタイミングで、「6%DOKIDOKI」の表現がマッチしたんでしょうね。 90年代当時、通ってくれていたのは芸能人だと篠原ともえちゃんや千秋ちゃんとか。時代のアイコンとなる女の子が僕のテイストに触れて、それがメディアを通して広がり、原宿のイメージがついてきたように思えます。だから実際は、ストリートの子たちが、原宿で生まれたそれまでにないものを取り入れることで、時代を作っていったんだと思います。 一方でその頃の僕は「6%DOKIDOKI」が支持されるようになったものの、やっぱり作品を作りたい衝動に駆られて、じゃあどこで発表しようかと。それで、原宿の人たちだったら自分のことを理解してくれるんじゃないかという希望を抱いて、原宿をメインにアーティスト活動するようになりました。――当初はなかなか評価されなかったということですが、どんなことをしていたんですか? 90年代、20代前半の頃にやったのは、1トンの生クリームで巨大なケーキを作って、その上に女の子を立たせておもちゃの車で突っ込むとか。場所はライブハウスやクラブ。パフォーマンスアートと呼ばれる作品が中心ですね。――いや、おもしろそうじゃないですか。 たくさんの人が集まってくれたし、実際に楽しんでくれていたと思います。ただ、評論家ウケがすごく悪かったんです……。パフォーマンス後に美術評論家に呼ばれて「こんなのがアートなら日本はおしまいだ!」って1時間ぐらい説教されたり。雑誌で2ページに跨いで酷評されることもあったし、非難の手紙が届くこともありました。まだどこかに残っているから、僕がもっと大御所になったら公開しようかな(笑)。とにかく、最高で新しいことをやっているはずなのに、アートの文脈の人からはちっとも受け入れられない。僕としては、作品を通してみんなを驚かせるという、子供の頃から変わらず楽しいことをやっていたかっただけなんです。でも「幼稚」だとか「アートじゃない」とか言われて、自分は才能がないんだと悩みましたね。 90年代は、モノクロで機械を使うようなかっこいいテーマが流行っていたのも関係しているかもしれないですね。それでも僕は子供の無邪気さや好奇心ゆえの残虐性みたいなのが好きだった。小さい子って無邪気にアリやカエルを潰すじゃないですか? 残虐だけど衝動があって、そこにクリエイティブの源があるような気がする。当時から、それを大人の目線でやりたいと思っていたんです。ウン、とにかくクリエイティブではあるなあ♪
2023.10.27
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グレゴリ青山のニッチなテイストがすごい♪・・・ということで、『グ印亜細亜商会』を復刻してみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『グ印亜細亜商会』という本を、手にしたのです。グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会嘉義街景「第4章 幻町の亜細亜」の「電信柱の画家の街」で陳澄波に触れたあたりを、見てみましょう。要するに、ニッチでかつディープなグレゴリさんの拘りなんですが。p157~162<電信柱の画家の街>■まずは、台北市立美術館 この画集には、嘉義の地図が載っていて、親切にも彼が描いた嘉義の絵の場所が地図上に記してあり、こりゃー嘉義に行った時に役立ちそうだとうれしくなりました。 さらにページをめくっていくと、終わりの数ページには急に“陳澄波興二ニ八”“陳澄波被槍殺時所写的遺書”“陳澄波於嘉義火車站被槍斃時”などというキナくさい漢字が現れてきました。 二ニ八? 被槍殺時? 二ニ八事件といえば戦後の台湾で、もともと台湾に住んでいた本省人と、大陸からやって来た外省人の間に起こった暴動のことだったっけ? そのとき彼は殺されてしまった? なぜ?(中略)■「台湾人」というかき氷屋さんで ぼんやりとその店の白い壁をながめていると、おやっ? 陳澄波の≪嘉義街中心≫と≪調配船廠的風景≫の複製画がかかっているではありませんか。さすが、画家のふるさとだけあって、きっとこの店の主人が彼の絵の愛好者なのでしょう。グはカキ氷を持って来た店主に「陳澄波!」と絵を指して言うと、 へえー…って、ええええ!? おっちゃん、今、とんでもなこと言わへんかったか!?「陳澄波的家!?」「対、ほら、こっち、このあたりが彼のアトリエだったところだよ」 というような身ぶりで、彼は店の奥のドアを開けて見せてくれるのでした。ホントに? マジで? オッちゃん、ほら、見てよこの画集、私、陳澄波のふるさとやっていうからわざわざこの街にやって来たんやから、ということを今から思うと日本語で言ったか英語か中国語で言ったかわからない。 コーフンして、ほとんど半泣き状態になっているグに、おっちゃんは言いました。「じゃあ、今から陳澄波の息子さんに、電話してあげる」 これは夢か? テーブルの上のカキ氷はもう溶けそうになっています。■陳澄波の絵のある部屋で その部屋に入ったとたん、これは夢ではないかと、昨夜から繰り返し自問してきたことを恍惚と繰り返してしまいました。その部屋の壁には、陳澄波の絵の本物や複製が、そこに住んでいる人を見守るようにして並んでいます。しかも目の前にはその画家、陳澄波の長男である陳重光さんがおだやかな顔で座っていらっしゃいます。 徳島県近代美術館でひとめぼれしてしまった陳澄波の絵と、その絵の舞台を探す台湾の旅は、台北市立美術館で≪夏日街景≫の絵に再会でき、画集も手に入れ、≪嘉義街景≫の絵の舞台となった嘉義市の一角にたどりつけたことで、その目的は充分に達せられたことになったはずでした。 ところが、たまたま入ったカキ氷屋が陳澄波の住んでいた場所だったこと、しかも「じゃあ、陳澄波の息子さんに電話してあげる」と言って、カキ氷屋の主人が電話のプッシュボタンを押し始めたことで、現実は、グの目的を軽く越えてしまったのでした。ニッチでディープということでは『コンパス綺譚』も負けていません♪。『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎
2023.08.01
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図書館で『藤田嗣治パリを歩く』という本を、手にしたのです。先日『パリの日々』という本を読んだところだが、その勢いでチョイスしたわけです。【藤田嗣治パリを歩く】清水敏男著、東京書籍、2021年刊<「BOOK」データベース>よりフジタの足跡をたどる「エコール・ド・パリ」15日間の旅ー。ピカソやモディリアニなどとともに時代のど真ん中で活躍した画家・藤田嗣治。藤田の足跡を追ってパリを追体験し、作品の背景や込められたさまざまな物語を読み解く。当時の面影が強く残るパリの美しい街並みの写真も多数掲載。パリへの慕情も募る、もう一歩深く楽しめるガイド。<読む前の大使寸評>先日『パリの日々』という本を読んだところだが、その勢いでチョイスしたわけです。rakuten藤田嗣治パリを歩くパリのエトランジェが語られているので、見てみましょう。p131~135<第9日:カンパーニュ・プルミエール街23番地 14区> 23番地の藤田のアトリエはカンパーニュ・プルミエール街から直角に延びるパッサージュ・ダンフェール(訳せば地獄の通り道)側にあったようだ。写真で見るとかなり広い。とくに天井が高いので最初からアーティスト用のつくりになっていたのだろう。藤田研究家の夏堀全弘の著書によると最初は借家だったが1952年に購入、住居とアトリエの壁をぶち抜いた、とある。 住人ではないので入ることはできないが下から見上げると大きなガラス窓がはめ込まれたフロアが三層ある。1952年に藤田を訪れた阿部徹雄のスケッチによれば藤田が絵を描いていた机はカンパーニュ・プルミエール街側ではなくパッサージュ・ダンフェール側に面した大きなガラス窓の下に置かれていた。阿部の写真によればカンパーニュ・プルミエール街側は壁で、今はパリ市立近代美術館に収蔵されている『ジュイ布のある裸婦』が吹き抜けの壁の上の方に掛けられていた。『ジュイ布のある裸婦』 1950年代から60年代初めにかけての藤田の絵はそのアトリエで生まれた。 この時期は藤田の生活も大きく変化した時期だ。年代を追ってみよう。 1954年にユキと正式に離婚。修正の妻となった君代夫人と入籍した。翌1955年には夫婦でフランス国籍を得た。日本国籍は抹消、芸術院会員を自体。フランスに住むには名声だけでは足りない。まずは国籍を得なくてはならない。1957年にレジオン・ドヌール勲章を受章。1958年ベルギー王立アカデミー会員。1959年10月カトリックに改宗した。場所は歴代のフランス国王が洗礼を受けた地であるランスだ。藤田のフランス化の仕上げである。 しかし藤田がパリのエトランジェ(異邦人)であることは変わらなかったのではないか。 それには二重の意味がある。まず日本人である、ということ。日本人はフランス社会において永遠にフランス人になれない。説明は難しいがフランス人はフランス人でなくてはならない、とパリに住むとつくづく思う。アメリカ合衆国のように新しい移民たちが集団を作ってアメリカ人を名乗れるようにはいかない。 そして藤田がアーティストであることだ。エトランジェであることはアーティストの宿命なのだ。いやそうであることが求められている。アーティストは宗教や国家が求心力を失ったこの世界で現実を超越した存在としての「芸術」を司るものであり、現実世界から離れた存在でなくてはならない。 藤田はコスモポリタンである。つまり藤田は、国際的なアーティストとして地球規模に拡散した「芸術」という共同体に連なる存在ではあるが、芸術以外の如何なる共同体にも属さないというポジティブな意味でエトランジェなのだ。 『藤田嗣治パリを歩く』3:パリのエトランジェ『藤田嗣治パリを歩く』2:パリ国際大学都市 『藤田嗣治パリを歩く』1:リュクサンブール公園
2023.07.22
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ベン・シャーンの線描画が好きなので、以下のとおり復刻してみようと思うのです。「花はどこへ行った」「ウィ・シャル・オーヴァーカム」をつくり歌ったピート・シーガーや、第五福竜丸とも関係のあったベン・シャーンは忘れがたい人でもあるのです。*********************************************************図書館に予約していた『ベン・シャーンを追いかけて』という本をゲットしたのです。大使としては、ベン・シャーンの個性的な線描に惹かれているのだが・・・ベン・シャーンが、ことのほか日本と韓国で愛されていることに驚いた次第です。【ベン・シャーンを追いかけて】永田浩三著、大月書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より 1898年に生まれ、1969年に亡くなったベン・シャーン。激動の二〇世紀を疾走したこの画家は、絵画だけでなく、壁画、写真、レコードジャケット、ポスター、舞台芸術で大きな業績を残し、さまざまな社会問題も描いた。『W・P・A・サンデー』『幼かりし日の自画像』『解放』『寓意』『ラッキードラゴン』『美しきものすべて』…。これらの作品に、わたしたちは物語を呼び起こされ、そして自分の人生を重ね合わせる。ベン・シャーンの絵は、なぜわたしたちをひきつけてやまないのか。その答えを探しに、ゆかりの地を訪ね歩いた。【目次】第1章 故郷リトアニア、そしてアウシュビッツ第2章 ヨーロッパで見つけたもの第3章 アメリカのアート・ジャーナリスト第4章 世の不公正にあらがう第5章 ベン・シャーンとヒロシマ第6章 抵抗の画家と韓国を結ぶもの第7章 ベン・シャーンを愛する国、日本<大使寸評>大使としては、ベン・シャーンの個性的な線描に惹かれているのだが・・・ベン・シャーンが、ことのほか日本と韓国で愛されていることに驚いた次第です。<図書館予約:(8/17予約、8/22受取)>rakutenベン・シャーンを追いかけて線描画に注目して、この本を借りたのであるが、この本は読みどころが多いので(その3)として、読み進めたのです。ベン・シャーンの社会性とかクロスメディアについて見てみましょう。<オキュパイ運動があったウォール街>p154~158 ウォール街のトリニティ教会の前の通りが、2011年にオキュパイ運動がおこなわれたところだ。 ウォール街は、アメリカ経済を守るため、壁(ウォール)をつくったことが、その語源になったいる。いまは、民衆の結集を許さないための警護の壁が築かれている。その広い空白のエリアを、中国やインドの観光客が大勢訪れる。インドのひとたちに聞いてみる。すると、格差があるのは当たり前だという答が返ってきた。中国の旅行者には、英語はまったく通じなかった。警備のひとに尋ねる。いちばん多かったときは、2000人が通りを占拠していたそうだ。ひとりのおじさんが、フルートで「アメイジング・グレース」を奏でている。箱に観光客が小銭を入れていく。(中略) ウォール街を占拠するオキュパイ運動は、いまの政治や社会がごく一部のひとによって牛耳られ、ほとんどのひとは置いてきぼりにされる状況に異を唱えるものだ。アメリカだけでなく、新自由主義が大手をふるう世界中で、その声は高まっている。 ベン・シャーンは、芸術家としては珍しく、政治に積極的に参加した。ローズヴェルト市の市会議員を務めたほか、ヘンリー・ウォレスの選挙応援に2回関わった。(中略) ウォレスは、朝鮮戦争にアメリカが加担するのは侵略だと言った。かれは熱心なクリスチャンだったが、ユダヤ人の悲劇についても積極的に発言した。しかし、そうした言動は、ほかの政治家の反発を生み、共産主義者、神秘主義者のレッテルを貼られることになる。 ベン・シャーンイは、そんなウォレスへの攻撃を知りつつあえて支持し、大統領選挙の応援に動いたのだった。 2013年、忘れられた政治家ヘンリー・ウォレスに、ふたたび光があたる出来事があった。NHKのBSドキュメンタリーで『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』の10回シリーズが放送された、大きな反響を呼んだのだ。そこでは、ウォレスの理念が高く評価されていた。オリバー・ストーンは、もしウォレスがローズヴェルトの後継者であったら、米ソが平和的に共存し、市民が過度な競争にさらされることがない、もうひとつのアメリカ、もうひとつの世界があったかもしれないと語った。<広島の被曝者・富子さん>p158~160 5月27日。前の職場時代にいっしょに仕事をした浜野あづささんと合流する。浜野さんは、ニューヨーク大学の大学院に留学中、大学で日本語・日本文化を教える富子森本ウェストさんにお世話になっていた。ニューヨーク郊外ラグレンジヒルに住む富子さんの自宅を訪ねる。 富子さんは、1945年8月、広島で原爆に遭遇した。13歳のときだった。ガラスの破片が全身に突き刺さる祖父を、防空壕で看病したが、20日後、祖父は息を引き取った。荼毘にふすのは、富子さんの役割だった。人間を骨にするのはとんでもない時間がかかることを知った。彼女はいま、原発反対の運動を積極的におこなっている。原点にあるのは自身の広島での体験だ。 アメリカ人の多くは、原爆投下になんの痛みも感じないと言われてきた。しかし、彼女は、それは違うということを体験のなかで知った。彼女のまわりのほとんどのひとは、彼女がヒバクシャであることに深く同情する。そして、原爆投下はまさにジェノサイド、虐殺だと語る。例外は、退役した兵士たち、原爆が多くのひとを戦死から救ったと信じていると、富子さんは話してくれた。 富子さんが選んだベン・シャーンの絵は、「ラッキードラゴン」シリーズのなかの久保山愛吉さん、《ラッキードラゴン》(1960年)だった。足が細くなった姿が強烈だと言った。 富子さんには、近所にこころを許す友人がいた。ピート・シーガーさんである。富子さんとピートさんはニューヨーク郊外、ハドソン川沿いの老朽化した原発の稼動反対を叫びつづけた。 ピート・シーガーは伝説のフォークシンガー。「サッコとヴァンゼッティのバラード」「花はどこへ行った」「ウィ・シャル・オーヴァーカム」「天使のハンマー」といった曲は、たくさんのひとにカバーされ、ヴェトナム反戦運動や軍縮運動、公民権運動の先頭に立った。ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーは、ピートの背中を見ながらビッグなアーティストになっていった。ピートさんの歌はいまも、日本の脱原発運動や、沖縄の辺野古基地新設反対運動でうたわれている。 ピートさんのアルバムは多いが、初期のLPジャケットの多くをシャーンがデザインしている。(中略) 富子さんに会ったとき、ピートさんは最愛の妻トシコさんを亡くしたばかりで、自宅を訪ねることはかなわなかった。 ピートさんがうたった歌には、サッコとヴァンゼッティ、ヘンリー・ウォレス、キング牧師が登場する。絵の世界のシャーンと歌の世界のピートさんは、価値を共有していたように思う。 2014年1月、ピートさんは亡くなった。94歳だった。生前のピートさんに会うことができなかったことは残念でならない。wikipediaピート・シーガーよりピート・シーガー(1919年5月3日 - 2014年1月27日)はアメリカ合衆国のフォーク歌手である。20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物の一人である。第二次世界大戦前の1940年代から全国放送のラジオで活躍し、1950年代はじめにはウィーバーズ (The Weavers) の一員として一連のヒット作を出した。1960年代にはプロテストソングのパイオニアとして公の場に再登場し、国際的な軍縮、公民権運動を推進した。ソングライターとしては「花はどこへ行った」、「天使のハンマー」、「ターン・ターン・ターン 」などの代表作を生み出した。スピリチュアル(霊歌)「ウィ・シャル・オーバーカム 」を1960年代の公民権運動を象徴する歌にした立役者でもある。近年では環境問題について訴える活動を続けていた。物語る絵とか線描画、そして、ピート・シーガー、さらに石田徹也、アーサー・ビナードと大使のツボを突きまくるベン・シャーンであった♪ラッキードラゴン・線描画の達人たちより・ベン・シャーンを追いかけて3・ベン・シャーンを追いかけて2・ベン・シャーンを追いかけて1
2023.07.20
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挿絵とか挿絵本が好きなので・・・『アール・デコの挿絵本』という本を復刻して読み返してみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『アール・デコの挿絵本』という本を手にしたが・・・版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。 ■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。 <読む前の大使寸評>版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。Amazonアール・デコの挿絵本挿絵本といえば版画との関係が深いが、そのあたりにふれたところを見てみましょう。<ポショワールと板目木版>よりp92~94 アール・デコの挿絵本を支えた二つの版画技術ポショワールと板目木版。一流のイラストレーターと卓越した技術をもつ職人との幸福な出会いが、後世まで語り継がれる見事な挿絵を生み出した。■ポショワール 現代のように写真製版によって、原画を複製する技術が未熟だった20世紀初め、一流のイラストレーターたちが多用したのがポショワール技法だった。版画職人ジャン・ソデによって完成されたこの技術によって、鮮やかな色彩表現となめらかで均一な彩色が可能となった。■板目木版 木材を縦割りにした板を使う板目木版は、木目を効果的に生かして、シンプルながら大胆な表現が可能な版画技法。1922年、ジョルジュ・バルビエが初めて板目木版による複製技法で制作した『チビリスの歌』は、浮世絵の研究によって独自の技術を開発した彫り師であり刷り師のF=L・シュミットの手によって、造本芸術史上に残る大傑作となった。この本でもジョルジュ・バルビエの挿絵を多数紹介しているけど・・・ええでぇ♪ネットでジョルジュ・バルビエの画像を探してみました。ジョルジュ・バルビエの画像よりネットで、この本の著者・鹿島茂氏によるトークイベントを見つけたのです。2015/6/17稀代のブックコレクター鹿島茂氏が本を「解体」してまで見せたかった! アール・デコ挿絵本の美より2015年5月20日(水) 代官山 蔦屋書店にて、『アール・デコの挿絵本: ブックデザインの誕生』(東京美術)の刊行を記念して、著者のフランス文学者でブックコレクターの鹿島茂氏によるトークイベントが開催された。『アール・デコの挿絵本: ブックデザインの誕生』は、鹿島氏が所有する古書コレクションを例に、20世紀初頭のアール・デコ期につくられた豪華な挿絵本の楽しみ方を案内する一冊だ。本トークイベントでは、鹿島氏が新刊のテーマでもあるアール・デコの挿絵本の特徴と誕生の経緯を、日本の出版文化と比較しながら紹介した。<貴重な『アール・デコの挿絵本』を徹底解体!?> アール・デコとは、1910年代から30年代にかけてフランスを中心に世界的に流行した、装飾美術のスタイルのこと。この時代は、数々の上質の挿絵本が生まれた頃でもある。鹿島氏はこれまで、練馬区立美術館で2011年から2013年まで3回、「鹿島茂コレクション」として、30年以上にわたって収集してきた挿絵本や版画の展覧会を行ってきたが、そのうち2012年と2013年はアール・デコに特化していた。今回の書籍の刊行は、過去の展覧会での「限界」が発端だったという。「ケースに入れて本を展示するので、表紙を見せるか中の本文を見せるかの、どちらか一つしかなかったのです。既にボロボロになった本を数冊だけ、泣く泣く解体して展示しました。でも本のコレクターとしては、できればそれはやりたくない。しかし、こんなに美しい挿絵本を、全ページ見せたい。なんとかならないかなと思って作ったのが、この本なのです」(鹿島氏)こうした経緯から本書は、ヴァーチャルな「徹底解体」を行った。つまり、挿絵本の複数ページを掲載することで、読者がさながら挿絵本を手にするような感覚で読めるように編集されている。表紙やジャケットから始まり、次に見返し、フォ・ティトル(仮扉)、フロンティスピス(口絵)、オール・テクスト(別丁の挿絵)、ヴィニェット(文字と組み込んだ小さな挿絵)、キュ・ド・ランプ(章末および巻末の空白部を埋める小さな挿絵)、巻末目次、限定部数を示したジュスティフィカシオン・デュ・ティラージュ(限定刷り詳細)と、アール・デコの挿絵本の構造を理解することができる。
2023.06.30
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<SF風イラスト R1>先日、ショーン・タンの『遠い町から来た話』『アライバル』という絵本を見て衝撃を受けたのです。おおSFテイストのイラストやんけ♪・・・・大使のツボが騒ぐのです。ということで、SF風イラスト(ファンタジー風を含めて)を集めてみたのです。なお、手塚治虫や松本零士、大友克洋らが抜け落ちているけど・・・メジャー過ぎる、あるいは大使好みでないという勝手な理由ですので、ご容赦ください。・アルザック:メビウス(1975年~1976年)・アダムの肋骨:諸星大二郎(1978年)・王と鳥:監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェール(1980年)・天空の城ラピュタ:宮崎駿(1986年)・風の谷のナウシカ:宮崎駿(1984年)・ロスト・シング:ショーン・タン(2000年)・ナンバーファイブ 吾:松本大洋(2000年~2005年)・千と千尋の神隠し:宮崎駿(2001年)・PLUTO:浦沢直樹(2003~2009年)・アライバル:ショーン・タン(2006年)・スカイ・クロラ:押井守(2008年)・まっくら、奇妙にしずか:アイナール・トゥルコウスキィ(2008年)・うみべのまち:佐々木マキ(2011年)・遠い町から来た話:ショーン・タン(2011年)・星を追う子ども:新海誠(2011年)・闇の国々:スクイティン(2011~2013年)・夏のルール:ショーン・タン(2013年)・2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆(2014年)・総特集 星野之宣(2020年)・パシフィック・リム(2020年)R1:「パシフィック・リム」を追加【アルザック:メビウス】メビウス-アルザックの画像「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編**************************************************************【アダムの肋骨:諸星大二郎】**************************************************************【王と鳥:ジャック・プレヴェール】王と鳥byドングリ**************************************************************【天空の城ラピュタ:宮崎駿】**************************************************************【風の谷のナウシカ:宮崎駿】**************************************************************【ロスト・シング:ショーン・タン】それらしい場所扉が開いた『ロスト・シング』byドングリ**************************************************************【ナンバーファイブ 吾:松本大洋】**************************************************************【千と千尋の神隠し:宮崎駿】『千と千尋の神隠し』を読む40の目(その1)byドングリ**************************************************************【PLUTO:浦沢直樹】PLUTOこの人たちについての14万字ちょっと1byドングリ**************************************************************【アライバル:ショーン・タン】アライバルbyドングリ**************************************************************【スカイ・クロラ:押井守】**************************************************************【まっくら、奇妙にしずか:アイナール・トゥルコウスキィ】**************************************************************【うみべのまち:佐々木マキ】佐々木マキの世界byドングリ**************************************************************【遠い町から来た話:ショーン・タン】葬送ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話byドングリ**************************************************************【星を追う子ども:新海誠】新海誠アートワークスより**************************************************************【闇の国々:スクイティン】**************************************************************【夏のルール:ショーン・タン】**************************************************************【2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆】ちょっと、蛇足かもしれないが、SF風の絵ではあるなぁ♪熱闘!日本美術史byドングリ**************************************************************【パシフィック・リム】徹底的にこだわった“KAIJU”とロボット、『パシフィック・リム』にみるギレルモ・デル・トロの日本カルチャー愛より
2023.06.19
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図書館で『Spectator つげ義春』という本を、手にしたのです。ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪【Spectator つげ義春】ムック、幻冬舎、2018年刊(商品レビュー)より判型が大きく、レイアウトもすっきりしているので、「ねじ式」のころから、つげ漫画を愛読している老人にも読みやすい。「アックス」みたいなマイナーな雑誌かと思ったら、ノースフェイスやグレゴリーの広告(しかもカラー)が載っていて意表をつかれた。内容は、それほどマニアックではなく、フツウに、よくまとまっている。「ねじ式」の元ネタの古い写真の数々は、よく発掘しましたね。<読む前の大使寸評>ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪rakutenSpectator つげ義春さびれた温泉をめぐるなど、いきあたりばったり旅について、見てみましょう。p165~167<いきあたりばったりの旅:正津勉、つげ義春を語る> 1976年10月、『ポエム』(すばる書房)というリトルマガジンが創刊された。「新しい時代の新しい感覚」と銘打たれたこの雑誌はつげ義春を雑誌の柱に据え、創刊号に「夢日記」を掲載。 また「桃源行」(つげ義春×正津勉)と題する秘湯探訪の連載も行われ、会津、群馬、秋田、福島の、いまや「忘れられた日本」と呼ぶべき知られざる温泉地や村落をめぐり、イラストと文章を組み合わせた作品が残された。 つげ義春は当時、どのように取材旅行をしていたのだろうか。当時『ポエム』編集長で、すべての取材に同行され、現在もつげさんと親交のある詩人・正津勉氏に高田馬場ルノアールで話をうかがった。正津勉氏にとってつげさんは「旅の師」であるという。編集部:『ポエム』という雑誌の編集長を務めておられたそうですが。正津:当時、友人から小さな出版社(すばる書房、現在廃業)を紹介されるのですが、そこでこれまでなかったタイプの詩の雑誌をやってみようと『ポエム』を創刊したのです。編集部:「つげ義春特集」を組んだ経緯から聞かせていただけますか。正津:創刊号から『ガロ』の愛読者だったし、学生時代からつげさんの大ファンでした。同志社大学で鶴見俊輔さんのゼミにいたのです。鶴見さんが当時筑摩書房で「現代漫画」(全15巻)の監修を務めていて。そのとき「つげ義春を選集に入れてください」と言ったことがあるのですが、まもなくそれが実現化して嬉しかったりして。 それぐらいつげ義春の作品のファンでした。いつかつげさんと仕事をするというのが夢でしたね。編集部:当時からつげさんは寡作でしたか。正津:発表誌というと北冬書房の『夜行』くらいでしょうか。それにも年に1本くらいしか短篇を描いていなかったほどで、仕事をしてない時代でした。前年(76年)の漫画文庫ブームで旧作が次々文庫化され、懐が潤ったからでしょうか。編集部:つげさんには最初どうやってコンタクトされたのでしょうか。正津:「新しい雑誌で仕事を」という意味の葉書を書いて出して、それから電話をして会いに行ったら、どういうわけか初対面から打ち解けるものがあったんですよ。「創刊号から描きます」と言ってくれて、二号目からは一緒に各地のさびれた温泉をめぐって旅の企画をやろうという話になりました。 今でも新潮文庫(『新版 つげ義春とぼく』)に「桃源行」というタイトルで抄録されています。その後バブル景気になって日本が大変動していくのですけど、近代化に押されて消えた村落の姿など、この時つげさんが描いたような昔のおもかげを残す情景にギリギリ間に合ったんです。編集部:初めて会うつげさんは気難しい性格の方ではなかったですか?正津:全然。たぶん僕がフラフラしているタイプで田舎っぺだったから気に入ってくれたのではないかと思います。当時つげさんの周囲は、評論家や作家とかインテリの人が多く、「つげ義春と旅行する」と言うと、誰もが驚いてましたから。編集部:『ポエム』では毎回、二人で、地方の知られざる秘湯、湯治場巡りをされています。正津:全部つげさんに随行してね。湯宿温泉(1976年)編集部:目的地はどのように決めていったのでしょうか。正津:つげさんに全面的に委ねました。僕は福井の生まれで大学は京都。だから東京が訪れた土地で一番「北」なのですが、当時それ以北に出たことがなかったのです。編集部:つげさんが「桃源行」についてエッセイで書いています。「行き先が決まらないまま上野駅に来て、とにかく東北方面に行く列車に乗る」正津:実際その通りで、行き当たりばったり(笑)。編集部:「連載のテーマがまだ決まっていないので、明日の行動が定まらない」正津:列車に乗るまで目的地を知らない。列車に乗ってもまだ分からないくらい。出たとこまかせの旅でした。編集部:湯宿(群馬県)、西山「中の湯」(福島県)、黒湯(秋田県)、早戸(福島県)、福島・湯本、二峡、那須「北温泉」(栃木県)など訪れています。 正津:つげさんのひと言から目的地を決めたりしましたね。西山温泉(福島県会津若松)に行ったときのことですが、話の流れで海を見ようとなって二人で新潟に向かいました。そのときつげさんが「新潟に“毒消し売り”の村があるよ」と言うんですね。「新潟なら僕の友人でトラック持ちのやつが住んでいるから、その男に運転させて見に行きましょう」と訪ねて行ったことがあります。編集部:同じエッセイに「毒消しをたずねて行くがもう廃絶している」とありました。正津:廃村になっていました。新潟では角田浜、角海浜周辺を海を見たのですが、帰りに群馬の湯宿温泉に泊まったりと、すべて「出たとこ勝負」。そのときつげさんと旅行するのはこんなに楽しいのかと思いました。『Spectator つげ義春』2:つげ義春の「創作術」『Spectator つげ義春』1:はじめに
2023.06.01
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昔、スナックのカラオケで歌っていた韓国演歌を思い出すために・・・以下のとおり「韓国トロットを巡ってみます」を復刻してみます。*********************************************************金曜の晩だからyou tubuで心おきなく演歌を巡っていたが・・・・韓国演歌を韓国トロット(Korean Trot)と言うんだそうですね。 そういえば、プレーヤーが壊れて以来レコードをかけていないが、李成愛のLPを1枚持っていたんだった♪韓流ブームのはるか以前に大使は李成愛にはまったが、李成愛は日本での韓国演歌のはしりだったな~。ということで、李成愛から韓国トロットを巡ってみます。カスマプゲカスマプゲ2大田ブルース 『Daejeon Blues』大田ブルース (青江三奈) 釜山港へ帰れ (海雲台へ帰れ)「密陽アリラン」lee sun hee's "j"Tears in Mokpo 木浦の泪伝統的なパンソリをyou tubeで探したが、正調すぎて?とっつきがよくないので・・・元気なパンソリテーストということでキム・ヨンジャ・オナラをあげてきます。日韓の歌謡曲入門韓国つながりでyou tubuを巡っていたら、茨木のり子のわたしが一番きれいだったときがヒットしました。詩をyou tubuで見られるんですね♪・・・・さすが玉石混交のyou tubuだ。おまけです。・・・・日本初のラップミュージックといわれる? おらこんな村いやだ!です。(大使 遅れていますよ)しかし、このアホな娘っ子達は、どの村の子なんでしょうね?
2023.05.02
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浮世絵からジャポニスム、スーパーフラットという概念が連想されるのだが・・・以前の日記からジャポニスムとスーパーフラットを復刻して読んでみます。***********************************************************図書館で借りた『版画のジャポニスム』を読んでいるのだが・・・19世紀後半、浮世絵がフランス印象派に与えたインパクトは大きくて、今のクールジャパンやスーパーフラットの比ではなかったようです。【版画のジャポニスム】コルタ・アイヴス著、木魂社、1988年刊<内容説明>より事実上、19世紀後半のフランスにおけるすべての画家は、浮世絵の思想を蒙ったのである。画家の想像力を解放し、世俗的な主題に光をあてた運動としてのフランス印象派と後期印象派に対する考察を進めていくと、19世紀のフランスの版画家と浮世絵師との深い関係が明らかになる。浮世絵師もまた彼らより一世紀早く、同じ目標に向かって苦闘していたのである。<読む前の大使寸評>ロートレックのポスターには、浮世絵のテイストが顕著であり、ゴッホは浮世絵を模写したりしていますね。また、村上隆の提唱するスーパーフラットの原型が当時のジャポニスムにも感じられます。言ってみれば、当時は第一次「クールジャパン」のような感があるのです。aishoren版画のジャポニスムこの本でボナールのあたりを見てみましょう。<ピエール・ボナール>p72より ボナールの初期の版画のほとんどには、子供のような無邪気さがある。しかし1896年の「小さな洗濯屋」(図)ほど素朴な例は他にない。この作品でボナールは、日々の生活のはかない出来事を、東洋的な簡潔さと情感をこめて扱った。人気のない通りを疲れて歩く、傘を手にしたぎごちない姿は、1891年のフランスの雑誌、『芸術の日本』に翻刻された浮世絵の横向きの姿を模倣したものである。この小さな洗濯屋の姿に、ボナールは北斎の墨で描いたスケッチが持つ生気と、春信が描いた娘(図)の心をそそる魅力を暗示的に込めている。浮世絵の影響は、斜めの方向に向いた構図や、平面的な人物の形、わずかな色彩を淡く使用していること、そして表面上はあまりわざとらしくない細部の描写などにおいても、明らかである。 ボナール自身の小さな浮世絵コレクションには、国芳、広重、国貞などがあった。ボナールの親しい友人であったタデ・ナタンソンによれば、風景画の巨匠、広重の版画が最も深い影響を及ぼしたとのことで、それは1899年にボナールが出版した12枚のリトグラフ「パリ生活情景」を見ても明らかである。広重が、江戸や日本の主な街道に沿った景色を描いた無数の版画は、フランス人のコレクターの間でも人気は高く、1890年代を通じて浮世絵展にしばしば展示された。 広重もボナールもともに、様々な視点から、町という環境を背景にしてそこにある人々の生活、日常的な些事、珍しい出来事などを描いたのである。この本でロートレックのあたりを見てみましょう。<トウールーズ=ロートレック>よりp92~106 トウールーズ=ロートレックは外国の品々への関心を父から受け継いでいた。父アルフォンス2世伯爵は、バッファロー・ビル帽をかぶり、鎖かたびらを着て、腰には日本刀を掲げていた。息子のアンリもまた、異国の昔の衣装を着るのが好きだった。彼が日本の大名を服装をした写真が少なくとも2枚残されている。 ロートレックは才能においても性格的にも、浮世絵師からも十分評価されるような画家であった。彼は鋭い観察者であり、有能な職人でもあった。彼のアトリエがあったモンマルトル界隈のカフェ・コンセールを毎晩訪れては、役者の動きや誇張された表情を研究したり、スケッチしたりして、夜遅くまでそこで過ごすのが常であった。 1888年までに、ロートレックはそれまで深く従っていた印象派の様式と別れ、ドゥガやヴァン・ゴッホ、浮世絵などの影響のもとに自分のスタイルを確立していた。彼は、自分が見たものをより素早く、より簡単に記録できるような、新しい、自由で無駄のない表現を獲得したのである。浮世絵の原理は、明らかにロートレックの新しいスタイルに認められる。それはふっくらとした肉付きのよい女性像を、美しい曲線で描くことを基本とするものであった。彼は、ヨーロッパ的な明暗の配合と無関係に、明るく平板な色彩を大きく使って、輪郭を表情豊かに描いた。 ロートレックの作品における平板さと単純さの追求は、1891年にマスターしたリトグラフィーという手段を使うことによりいっそう進歩した。多色刷りリトグラフの場合、浮世絵の技術と同様に、ひとつひとつの色に対して別々の石版を用い、輪郭線のためにも基本となる別の石版を用いることが必用であった。 ロートレックは362点のリトグラフを制作した。また、ロートレックは30点のポスターをリトグラフで制作した。その中で彼は、他のどの分野におけるよりも遥かに大胆に、日本的手法の様式的な可能性を開拓した。彼はポスターがそれ自身でひとつの芸術の形であり、浮世絵のような簡潔な絵画様式にふさわしいものであることを認識していた。ムーラン・ルージュ 直接的にも間接的にも、人間の姿を描くことが、ロートレックのライフワークであった。機知に富んだ描写で、世紀末のパリの娼婦の世界を描くことが、彼のポスターやリトグラフを支える大きな力となっていた。彼が役者を描いた作品は、個々の人物の内面に深く突き刺さる洞察力を明らかにしており、卓越した装飾的なセンスを併せると、1794年から95年まで大胆に歌舞伎役者を描き、自らも役者であった絵師、写楽(図)と比肩し得よう。 写楽は彼が描く対象の表情を過度なまでに単純化し、歪めた。それは見る者を不安にするほどであったが、彼が創造したダイナミズムは、ロートレックに強い印象を与えたにちがいない。ロートレックは、絶えず自己の描く対象の性格を綿密に調べていたが、写楽の力強い描写を頻繁に借用している。女優ラ・モーム・フロマージュ(図)を描いた際に、ロートレックは、写楽の役者絵のひとつにある芝居風のメーキャップをした気味の悪いほどのしかめっ面で彼女を描いた。この本でドゥガのあたりを見てみましょう。<エドガー・ドゥガ>p54~55より 印象派の中で最も教養があり、はっきりと自己を表明したドゥガは、また最も洗練された趣味を画面に表わした画家でもある。彼の幅の広い関心は、古典美術、アッシリア美術、初期イタリア美術、16世紀ヴェネツィア美術、そしてドラクロア、アングル、ドーミエ、および彼の同時代人たちを自己の作品に取り込んだのである。彼は明らかに視覚的な能力については無制限な抱擁力を持っており、見るものすべてが彼の芸術を豊かにした。ドゥガの才能の奇跡とも言えることは、これらの様々な素材から彼が吸収するものはすべて、いつのまにか自分自身に生まれつき備わっていたかのようなものと化すことであった。 浮世絵は芸術の意味と目的についてのドゥガの信念を確たるものとしたのである。彼は浮世絵の巨匠たちと、自己を取りまく世界についての高度な認識、つまり日常の中に特異さを、平凡の中に珍奇さを、瞬間の中に無限を見る目を、共有しているのである。彼はこのような天性を発達させた文化的な遺産を尊敬していた。そこでエコール・デ。ボーザールで絵画を勉強していた日本人に合ったとき、ドゥガはこう叫んだものである。「日本に生まれるという幸運に恵まれながら、なぜこんな所ヘ来て、西洋の教授たちの訓練を受けなければならないのか・・・・」 浮世絵のきまぐれで図式的な版画ほど、ドゥガ自身がしっかりと根ざしていた古典派の巨匠たちから、縁遠いものは他になかった。しかし油絵の画家というよりはむしろデッサンの画家であったドゥガは、線とデッサンの中に最も良く自己を表現することができ、ごく自然に浮世絵に惹かれたのである。19世紀後半のジャポニスムに比べたら、小ぶりであるが・・・村上隆が提唱するスーパーフラットをウィキペディアで見てみましょう。平面性、装飾性、世俗的ということでは、浮世絵の伝統は生きているようです。wikipediaスーパーフラットより スーパーフラットという言葉は日本の消費文化独特の浅はかな空虚感をはじめ、日本における様々な時代の様々な種類の平面絵画、アニメーション、ポップカルチャー、ファインアート、キャラクター文化といったものを示すときに村上が使用する言葉である。日本のアートムーブメントであり、欧米に向けられたブランド性をもったアートの現象であり、ニッチ市場販売の成功例でもある。 特徴として、平面的で二次元的な絵画空間を持ち、余白が多く、また、遠近法などの技法をあまり使わないことが挙げられる。これは日本の伝統的な絵画から現代の漫画・アニメにまで共通してみられる、画面の立体感のなさ、平面性、装飾性、遊戯性を示すものであり、また現代の日本社会の階層性のなさやフラットさをも示すものである。平面作品だけでなく日本のアニメーション関連の立体作品(フィギュアなど)もこれに含まれる。なお、村上隆の戦略性については村上隆アンソロジーでとりあげています。
2023.04.05
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坂本龍一さんが癌で亡くなったそうですね。大江健三郎さんに続いて、日本が誇る二人の芸術家が亡くなったことになるわけだ。坂本さんといえば映画『ラストエンペラー』の音楽と演技を思い出すわけで・・・過去の日記から以下のとおり復刻してみます。***********************************************************本棚に積んどく状態になっている映画パンフレットを整理していて・・・つい、『ラストエンペラー』の記事にひかれて、読みふけっていたのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラーベルトリッチ監督や坂本龍一が語られているので、見てみましょう。<幻影の王国とスペクタクル:武邑光裕> アルベルト・モラビアの小説『コンフォルミスト』(日本公開名『暗殺の森』)を映画化したベルトリッチにとって、『ラストエンペラー』の映画化はまさに絶好の題材であったといえる。2年程前に、ベルトリッチが清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀の生涯を映画化するという話を耳にした時、僕のイメージの中で増殖した作品が『暗殺の森』である。 ヨーロッパと中国という相違はあっても、ベルトリッチが描く中国最後の皇帝の映像っは、ジャン=ルイ・トランティニャンとドミニク・サンダが彷徨したヨーロッパ現代史の森の中へと融解していく。(中略) 『暗殺の森』や『1900年』を延長させるベルトリッチの新作『ラストエンペラー』は、現代史の急変する時代状況の中で翻弄される人間たちの姿を、過去の時空の中で停滞させるのではなく、常に現代の時間軸から遡行していく視点移動によって表現した。そして、ドラスティックな物語の空間は、綿密な構成と計測されたカメラによって、緊張を呼び覚まし、まさに映画的空間における独自のスケールを設定したのである。しかし、ベルトリッチ4年がかりの大作は、興行的に思わぬ強敵と戦わなくてはならなかった。 『ラストエンペラー』の公開と共に、昨年の暮れの映画界に大きな話題を提供していたのが、スピルバーグの『太陽の帝国』である。激変する中国の現代史と絡み合う人間ドラマである『太陽の帝国』は、『ラストエンペラー』同様、急変する中国現代史を舞台とした作品として、タイムリーな話題を喚起していたのである。 すでにロスアンゼルスのチャイニーズ・シアターで一足早く見る機会を持った『太陽の帝国』は、先鋭的なSF作家J・G・バラードの原作になる極めて刺激的な作品であった。最も、原作であるバラードの世界は、限りなくスピルバーグの世界へと移管されており、そういった意味からもスピルバーグという最もメジャーな映画作家が放ったアート・フィルムは、『ラストエンペラー』のベルトリッチと共に、エンターテイメイトとアートの狭間をめぐる大作映画のニュー・スタイルとして大変興味深い作品であった。 ベルトリッチの中国でのロケーション、特に紫禁城ロケは圧巻であったが、スピルバーグの上海ロケを中心とした中国での撮影は、『ラストエンペラー』の映像空間を上回る程の驚くべき密度を持っていた。昨年の2月、スピルバーグの撮影隊とほぼ同時期に、上海に滞在していた僕は、『太陽の帝国』の上海ロケが、すべて上海の街路での実際の撮影であることを直ぐさま確認できた。 何より、スピルバーグの『太陽の帝国』は、『ラストエンペラー』との対比の中で語られるだろうが、この二つの作品は、'87年から'88年にかけてのアメリカ映画に、最も大きな話題を提供することは疑い得ない。私的な余談を付け加えれば、『太陽の帝国』でガッツ石松と山田隆夫、そして伊武雅刀の絶妙な存在感を引き出したスピルバーグの才能には、三船敏郎以来、アメリカ映画の中の日本人像を改変する力学が働いているかに思えたのだ。それは、描出されるキャラクターの設定にこそ違いがあるが、『ラストエンペラー』における坂本龍一にも相通じる文脈を提出させたのである。 ともあれ、かつてヨーロッパの現代史にうごめいていたテロルの人間たちに魅せられたベルトリッチは、イタリアやフランスのヨーロッパ風景の暗部の中に、壮絶な人間ドラマを凝縮してきたが、『ラストエンペラー』における映像ランドスケープは、まさに紫禁城という迷宮の構図に遡行する溥儀の回想と記憶によって織り成されていた。 城郭の外縁に、開かれた世界を求めた溥儀が、ヨーロッパ近代への追慕を断ち切られ、その幻想の王国に写像された満州国に最後の皇帝の意思つなぎとめる時、さらに、文革の中国を生き抜き、10年以上に及ぶ収容所生活を経て特赦された溥儀が、かつて栄華を誇った紫禁城を訪れ、歴史というドラマを演じた自己の存在を透視する瞬間に、人間を覆いつくす制度と思想の回廊が浮上してくるのである。 急変する歴史の回転期に揺れ動く人間のドラマを、中国の巨大な制度変換と写し鏡のように描いたベルトリッチは、その一貫した映像美学の中でスペクタクルという映画の持つパースペクティブを再編する。それは、ビットリオ・ストローラの計測されたカメラであるばかりか、紫禁城を中心に二万人に及ぶエキストラによって設定された壮大な構図にのみあるのではない。それは、ベルトリッチによって描かれたグラン・ロマンが放つ、映画そのものの愉楽に起因するのだ。 2時間43分に及ぶ長尺の物語が、暗闇に身を沈める画像体験であるという最も基本的な抑制であることを考えれば、この物語を形成させうる巨大な力とは、映像によって放たれる俯瞰や鳥瞰のロング・ショットに写し出される壮大さと、細部に宿る神ならぬディティールの意匠との緊密な対称構図である。(中略) 溥儀の乳母の乳房に始まり、皇帝のみが着用できる黄色の服、大統領の自動車、ピーター・オトゥールが演ずる英国人家庭教師レジナルド・ジョンストンがもたらす自転車とテニス、そして坂本龍一が演じた甘粕大尉の映画カメラに至るまでのディティールは、実はオーソドックスを装う映像の組織的な運動が、極めて細部にわたって設定されていることの証左あるといえる。 ベルトリッチが設定した歴史の時間運動は、人間の時間がどのように歴史という時間に仕組まれていったかを、裏返しで投射することで、多彩な人間模様を描出させ得たのである。愛新覚羅溥儀が、制度の変換の中で固執した幻影の王国が満州であれば、甘粕が固執した満州は、まさに映画カメラの中でのみ機能する幻影の王国であり、日本の民族支配におけるイニシエーションを象徴する現実のシミュレーション映像でもあった。 溥儀のジョン・ローン、甘粕の坂本龍一という興味深い体面も、この映画を飾るハイライトである。『戦場のメリークリスマス』以来、映画俳優と音楽監督として参加した坂本は、ベルトリッチのスタイリッシュな演出と設定を借りて、極めて印象深い役柄を演じたといえよう。デビッド・バーンとスー・ソンとの競作となった音楽も、全篇、坂本龍一の手によって入念に仕上げられている印象を持った。 映画音楽という緻密で綿密な作業が、ベルトリッチの映像と絡み合う瞬間も、いわば映画が所有する映像の組織運動であれば『ラストエンペラー』における坂本の才能は真にワールド・ワイドな時空へと開花したのである。『ラストエンペラー』と『太陽の帝国』の制作が同時進行していたのか・・・CGXのない時代だから現地撮影とエキストラの大量動員が欠かせないわけで、中国側の協力が成功の前提条件だったようですね。映画パンフレット『ラストエンペラー』:関東軍によってつくられた「満州」という国
2023.04.03
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このところ、多和田葉子の作品を集中的に読んでいるのだが・・・デジタル朝日で『(文化の扉)多和田文学、ふわり越境』という記事を見て、この際、多和田さんのアンソロジーを編んでみました。・太陽諸島(2022年)・多和田葉子の〈演劇〉を読む(2021年)・星に仄めかされて(2020年)・(文化の扉)多和田文学、ふわり越境(2019年)・文学界(2019年1月号)(2019年)・歓待する文学(2018年刊)・地球にちりばめられて(2018年刊)・言語、非言語、文化、異文化のはざまで言葉を編む(2016年)・献灯使(2014年刊)・雪の練習生(2011年刊)・尼僧とキューピッドの弓(2010年)・ソウル-ベルリン玉突き書簡(2008年刊)・溶ける街透ける路(2007年刊)・エクソフォニー(2006年刊)・容疑者の夜行列車(2002年刊)・球形時間(2002年刊)R12:「太陽諸島」を追加***********************************************************************『太陽諸島』1:第1章 Hirukoは語る『星に仄めかされて』3:ハンブルグまで行く連中『星に仄めかされて』2:「だるまさんが転んだ」という遊び『星に仄めかされて』1:「パンスカ」が出てくるあたり『文学界(2019年1月号)』2:古市憲寿とメディアアーチスト・落合陽一との対談『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談『地球にちりばめられて』4:「第10章 クヌートは語る3」『地球にちりばめられて』3:「第9章 Hirukoは語る3」『地球にちりばめられて』2:第6章 Hirukoは語る2『地球にちりばめられて』1:独自の言語“パンスカ”『歓待する文学』4:小野正嗣さんのフランス体験『歓待する文学』3:J・M・クッチェーの『マイケル・K』『歓待する文学』2:村上春樹の自伝的エッセイ『歓待する文学』1:雪の練習生『献灯使』4:言語の輸出入『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:「ナウマン象」『献灯使』1:『献灯使』の語り口『雪の練習生』『尼僧とキューピッドの弓』1『ソウル-ベルリン玉突き書簡』4:ヨーロッパの景観『ソウル-ベルリン玉突き書簡』3:旅の楽しみ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』2:中国人ディアスポラ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』1:漢字や東アジア人の名前『溶ける街透ける路』3:リガ『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ『エクソフォニー』4:ハンブルグ『エクソフォニー』3:森鴎外とドイツ語『エクソフォニー』2:マルセイユ『エクソフォニー』1:北京『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ『球形時間』1:冒頭の語り口***********************************************************************【太陽諸島】多和田葉子著、講談社、2022年刊<出版社>より世界文学の旗手が紡ぐ、初の連作長篇三部作、完結!響きあう言葉とともに地球を旅する仲間たちの行方はーー。国境を越えて人と人をつなぐ、新しい時代の神話言葉で結びついた仲間たちの、時空を超えた出会いと冒険を描く、多和田葉子の新たな代表作。『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』に続くサーガ、ついに完結!<読む前の大使寸評>サーガ三部作の完結編とのことで、期待が大きいのです。バルト海沿岸の港町が舞台とのことで・・・ウクライナあるいはロシアのスパイは出てくるか?(それはないか)<図書館予約:(11/21予約、副本5、予約17)>rakuten太陽諸島***********************************************************************【多和田葉子の〈演劇〉を読む】多和田葉子著、谷川道子(編集)、論創社、2021年刊<amazon>より〈演劇人間(ホモテアトラーリス)〉としての多和田葉子に本格的に光をあてる初の試み。劇評、演出ノート、作品論、ドキュメント、初邦訳戯曲2本他で多和田の演劇ワールドを探り、パノラマ・可視化する。多和田書き下ろしエッセイ「多声社会としての舞台」も収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、副本1、予約2)>amazon多和田葉子の〈演劇〉を読む***********************************************************************【星に仄めかされて】多和田葉子著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界文学の旗手が紡ぎだす国境を越えた物語の新展開!失われた国の言葉を探して地球を旅する仲間が出会ったものはー?<読む前の大使寸評>多和田葉子さんと言えば・・・ドイツに在住の作家で、なんといっても「パンスカ」という言葉を造語した言語感覚が素晴らしいのです。つまり汎スカンディナビア語を「パンスカ」としたのです♪<図書館予約:(1/05予約、副本5、予約20)>rakuten星に仄めかされて***********************************************************************<(文化の扉)多和田文学、ふわり越境>デジタル朝日が「日独2言語で/言葉遊びとユーモアと」と説いているので、紹介します。この記事を紙媒体でスクラップしたのだが、電子媒体でも保存するところが、いかにも老人であるなあ。(この記事を6/24デジタル朝日から転記しました)ドイツ在住の作家、多和田葉子が世界的に注目を集めている。日本、ドイツ、米国で権威ある文学賞を受けてきた。作風は前衛的で国境や言語にとらわれないコスモポリタン。と同時に、日本語の魅力を追究した日本文学である。 多和田葉子は大学卒業後、22歳でハンブルクに移住した。現在はベルリンに暮らす。日本語とドイツ語の両方で、小説や詩を発表してきた。日本では芥川賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞といった純文学の大きな賞を次々に受賞。ドイツではクライスト賞を受け、独特の文体が評価された。いま、世界で活躍する日本人作家のひとりだ。 昨秋には英語版の「献灯使」が米国の権威ある文学賞、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した。大災厄の後に鎖国を選んだ近未来の「日本」が舞台。訳者の満谷マーガレットさんは、「受賞作は震災後の汚染された日本を描く。決して日本だけの問題ではない。全米図書賞という重要な賞を受けたことでこの作品が世界で広く読まれ、受け止められる、その意義は大きいと思う」と話す。 100歳を超えても頑丈な老人たちが社会を支え、子どもは弱くて歩けない。「彼女のファンタジーは現実に根ざしているから力がある」と満谷さん。深刻な物語だが、ユーモアに包まれ、読後感は朗らか。理由の一つに多和田作品の特徴である言葉遊びがある。「献灯使」では「みどりの日」があるなら「赤の日」も、と休日が際限なく増えていく。すたれてきた性交を奨励する「枕の日」、「インターネットがなくなった日を祝うのは「御婦裸淫の日」だ。***********************************************************************<『文学界(2019年1月号)』1>図書館の放出本のラックで『文学界(2019年1月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。【文学界(2019年1月号)】雑誌、文芸春秋、2019年刊<商品の説明>より▼2019年を占うビッグ対談落合陽一×古市憲寿 「平成」が終わり、「魔法元年」が始まる多和田葉子×温又柔 「移民」は日本語文学をどう変えるか?<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。amazon文学界(2019年1月号)『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談*********************************************************************** <『歓待する文学』>図書館で『歓待する文学』という本を手にしたのです。小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪【歓待する文学】小野正嗣著、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文学は私たちの心にどう入り込み、個人の生活や社会に影響を与えるのか。芥川賞作家である著者が欧米、アフリカ、中東、アジアの選りすぐりの作品を紹介。書き手がどのような土地に根ざし、どういう言語で作品を生み出したのか、それが読み手にどう作用するのかを探る。<読む前の大使寸評>小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪歓待する文学この本でJ・M・クッチェーが語られているので、『多和田葉子アンソロジー』R5を参照ください。***********************************************************************【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。<図書館予約:(2/18予約、8/28受取)>rakuten地球にちりばめられて***********************************************************************【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使***********************************************************************<『雪の練習生』>図書館に予約していた『雪の練習生』という本を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。ホッキョクグマ三代の物語とのことで、興味深いのでおます。【雪の練習生】多和田葉子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりサーカスの花形から作家に転身し、自伝を書く「わたし」。その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」。さらに、ベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」。人と動物との境を自在に行き来しつつ語られる、美しい逞しいホッキョクグマ三代の物語。<読む前の大使寸評>ホッキョクグマ三代の物語とのことで、興味深いのでおます。<図書館予約:(8/01予約、8/08受取)>rakuten雪の練習生***********************************************************************【球形時間】多和田葉子著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>より鋭くも愚かしくも聞こえる問いをつねに発している高校生サヤは、ある日の放課後、喫茶店で謎のイギリス女性と出会ってひきつけられる。クラスメートのカツオは、フィリピン人の混血少年と性関係をもちつつも、太陽を崇拝する青年への興味を抑えられない。あっちへこっちへと転がりながら、はからずも核心へと向かってゆく少女と少年の日常を描く、愉快かつ挑戦的な最新長篇。<読む前の大使寸評>おお 多和田葉子の初期の小説ではないか・・・ということで、チョイスしたのです。rakuten球形時間***********************************************************************以降については、『多和田葉子アンソロジー』R5による。
2023.03.11
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図書館で『Haw To Be An Artist』という本を、手にしたのです。中を見てみると、画像も多くて読みやすそうなんで、チョイスしたのです。【Haw To Be An Artist】Jerry Saltz著、RIVERHEAD、2020年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評> 中を見てみると、画像も多くて読みやすそうなんで、チョイスしたのです。rakutenHaw To Be An Artistまず「INTRODUCTION」の冒頭から、見てみましょうpⅦ~Ⅷ<INTRODUCTION> Art is for anyone. I know this viscerally, as a would-be aratist who burned out.I wrote about that recently, and ever since, I've been beset by questions. every lecture I give, every gallery I visit, people ask me for advice. what most of them are really asking is“How can I be an artist?” In a time when it seems like there are so many more artists, museums, and galleries than ever; when art seems constantly in the news; when platforms like Instagram are coditioning us all to think visually, to find the awsthitic stimuli our everyday lives-to allow“the little things[to]suddenly thrill you,”in Andy Warhols words-questions about creativity are in the air. But how do you get from wondering and worrying to making real art, even great art? Can I really be an artist if i didn't go to school? if I work full time? if I'm a parent? if I'm terrified? of couse you can. there's no single road to glory. Èveryone takes a different path. Yet over the years I've found myself returning to a handful of core ideas again. Most of these ideas come from the simple act of looking at art, then looking some more, and from my own motor memories of my years as a fledgling artist. Others come from listening to artists talk about their work and their struggles. I've even lifted some from my wife.
2023.03.08
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図書館で『ヒエロニムス・ボスの世界』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・部分的な拡大図がたくさん図鑑のように並んでいて圧巻です。 【ヒエロニムス・ボスの世界】ボルヒェルト,ティルホルガー著、パイインターナショナル、2019年刊<出版社>より拡大で見る!奇想の画家ボスによる奇々怪々のモノたちと風景美。《こんなにディテールを拡大して見られるボスの本は、他に無い!》15世紀末から16世紀初め、ダ・ヴィンチと同時代に活躍したボス。人間の快楽や罪と罰、異形ながらも憎めない悪魔や愉快な怪物たちなど、ボスの細かな描写を高精細の拡大画像で紹介します。近年、再評価された風景画の草分けとしての功績にも着目したファン必携の1冊です。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・部分的な拡大図がたくさん図鑑のように並んでいて圧巻です。 rakutenヒエロニムス・ボスの世界はじめにIntroductionを見てみましょうp5<Introduction> ヒエロニムス・ボスの絵画は、かかれたばかりの頃の魅力を、げんざいでも全く失っていない。美術館では世界中から何千人もの訪問者が、ボスというこの唯一無二の画家の奇妙な視覚世界を再発見し、魅了されている。《快楽の園》の白い樹木人間や、《干し草車》に登場するモティーフは、ヨーロッパ圏をはるかに越えて知られるようになった。時間を超えた文化的な典型となっている。 数多くの模作や複製が、この画家の生前、そして本格的には没後に生み出されていることは、絶対的な個人主義者に見えるこの画家に、多大な敬意が向けられていることを証明している。このような模作・複製によって、ボスの描き出す世界は近世美術史の驚異的な現象となったのである。 ボスに対する好奇心は、当初は、後期中世の宮廷趣味に根ざす空想への関心が中心であった。しかい、16世紀半ばになると、その関心はボス作品の解釈に向けられていった・・・ボスの時代から現在までずっと中心となっているアプローチである。 多様でありながら矛盾に満ちているボスの絵画は読解されることが中心で、つい最近まで、その創造的かつ芸術的なクオリティーが見落とされがちであった。その一方、ボスの物語叙述の力はぼやかさ、彼がオランダ美術における風景画、人物画の発展で重要な役割を果たしてきたことは隠されてしまった。 長い間、作品解釈に対して関心が向けられてきたために、ボスが、後期中世の視覚表現の歴史と慣習に由来を持つ伝統的な造形を見事に扱ってきていることは見落とされることにもなった。しかい、これらの点こそが、この画家が鑑賞者を引き込もうとした対話の中心にあり、このイメージから発展して認識されるようになる議論の原点といえる。 ヒエロニムス・ボスの絵画は過去数十年にわたり、大規模な科学調査の対象となってきた。近年では、ボス調査・保存プロジェクトは、短い時間で、ボスとその工房が制作した木材を支持体とする作品のほとんどを徹底的に分析・記録した。この調査の結果によって私たちは、芸術家やその制作に関する19世紀的な考えに固執していれば知りえなかったボスの創造過程に関する、魅力的な知見が得られた。(中略) 本書は、一人の芸術家の(学術的なものであろうがそうでなかろうが)「モノグラフ」を目指してはいない。いくつかの短いテキストと、大量の拡大図とをあわせて紹介しているのは、ヒエロニムス・ボスの絵画・素描の、長い間看過されていたクオリティーに対する読者の好奇心を刺激するものであることを期待しているからだ。以前読んだ『謎解き ヒエロニムス・ボス』がお薦めです。
2023.02.08
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一時期テレサ・テンに入れ込んでいた大使であるが・・・「昭和ポップスの世界」というサイトで、テレサ・テンの人となりをのぞいて見たのです。昭和ポップスの世界:テレサ・テンより<エピソード>・テレサは小さい頃から美空ひばりに憧れていて、「川の流れのように」をはじめ多くの曲をカバーしている。台湾で14歳でレコードデビューした際は「台湾の美空ひばり」と称された。・プロデューサーの舟木稔は「絶対に日本で売れる」とテレサの日本進出にあたって両親を説得した。舟木はテレサの「日本のお父さん」とも言われていた。・1979年、26歳のときにパスポート偽造事件で国外退去に。これは暗にみなやっていたことであったが、テレサが芸能人だったこともあり大きなバッシングを受けた。・1983年、中国でもヒットしていたが、中国政府が精神汚染の元凶としてテレサ・テンの歌を禁止。カセットテープは没収され、聴くことも口ずさむことも禁じられた。中国の人々は音量を低くして隠れて聴き続けていたという。・「つぐない」は最初はあまり売れなかったが、ターゲットを有線にしぼったことで大ヒットに繋がった。<受賞歴>●1974年第16回日本レコード大賞 新人賞「空港」●1984年第17回日本有線大賞 大賞「つぐない」第17回全日本有線放送大賞 大賞「つぐない」●1985年第18回日本有線大賞 大賞「愛人」第18回全日本有線放送大賞 大賞「愛人」●1986年第28回日本レコード大賞 金賞「時の流れに身をまかせ」第19回日本有線大賞 大賞「時の流れに身をまかせ」第19回全日本有線放送大賞 大賞「時の流れに身をまかせ」日本有線大賞・全日本有線放送大賞を史上初の3年連続ダブル受賞した。●1987年第20回日本有線大賞 有線音楽賞「別れの予感」『昭和ポップスの世界:筒美京平』『昭和ポップスの世界:松本隆』
2023.01.27
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「ルビーの指環」「赤いスイートピー」「木綿のハンカチーフ」などで昭和ポップスを牽引した松本隆さんであるが・・・「昭和ポップスの世界」というサイトで、松本隆の人となりをのぞいて見たのです。昭和ポップスの世界:松本隆より<各著名人からの評価>■松任谷由実やっぱり松本さんってミュージシャンだから、詞は字面で読んだだけだとあまりピンとこないんですよ。ところが、実際に歌ってみて、ミックスも仕上がってから聞くと、「おお、そうでしたか!」と感心する。■筒美京平もしかしたら、松本君が作詞家と呼べる最後の人かも知れない。彼のように日本語の言葉の響きを美しく表現できる人はもう出てこないんじゃないかな。■松田聖子長い間、一緒にお仕事をしてきて、毎回、ドキッとするような言葉が出てくる。私の生活とか気持ちとか、まるで魔法の鏡でももっていらして、覗いていらっしゃるんじゃないかと思うほど。その時々の私の心にピッタリだったんです。『昭和ポップスの世界:筒美京平』
2023.01.26
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つげ義春のテイストといえば、ストーリーもさることながら線描も秀逸なわけで・・・ 『Spectator つげ義春』という本を、以下のとおり復刻します。***********************************************************図書館で『Spectator つげ義春』という本を、手にしたのです。ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪【Spectator つげ義春】ムック、幻冬舎、2018年刊(商品レビュー)より判型が大きく、レイアウトもすっきりしているので、「ねじ式」のころから、つげ漫画を愛読している老人にも読みやすい。「アックス」みたいなマイナーな雑誌かと思ったら、ノースフェイスやグレゴリーの広告(しかもカラー)が載っていて意表をつかれた。内容は、それほどマニアックではなく、フツウに、よくまとまっている。「ねじ式」の元ネタの古い写真の数々は、よく発掘しましたね。<読む前の大使寸評>ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪rakutenSpectator つげ義春つげ義春の創作術を見てみましょう。p155~156<つげ義春の「創作術」について:高野慎三> つげ義春さんがマンガ作品を手がける直前に、おおまかなストーリーを聞かせてくれたのは、いつの頃からだったのかはっきりとは憶えていない。 66年の後半に『ガロ』に発表した「手錠」や「通夜」のころに作家と編集者として交流が始まったが、そのあとの「山椒魚」や「李さん一家」は描きあがった原稿を手渡されるまで内容を知らないでいた。 たぶん、「峠の犬」「海辺の叙景」「紅い花」あたりから、調布銀座の喫茶店「京王」で次回作品のストーリーを知らされたのだと思う。紅い花 つげさんはコーヒーを飲みながら、ジャンパーのポケットから文庫本の大きさのノートを取り出し、ときどきノートに目をやりながらストーリーを話し出した。それは、執筆にあたってのつげさんなりの確認作業のようなものであったに違いない。 わたしは途中で口を挟むこともなく、「海辺の叙景」や「紅い花」の情景を次々と勝手に想像した。話し終わったあと、画像もコマ割りも想像することはまったく不可能であったが、「完璧」のような気がしたと伝えた。 つげさんは、「そうかなあ」「そうだといいんですけどね」といつも静かにつぶやいた。 もう30年ほど前のことになる。つげさんは、「マンガ作法」のような文章を1冊分書いてみたいと語ったことがある。小説好きのつげさんは、小説家のいく人もが著す「小説の書き方」のような入門書を念頭においていたのかもしれない。手塚治虫や石森章太郎らの「マンガの描き方」がすでに存在していたのだが、それらとは異質の方向を目指しているように思えた。結局、その構想が結実することはなかったが、つげさんの内部ではしっかりした全容が構築されていたようだった。その一端を垣間見たことがある。 つまりこんな感じだ。ふと、なにかのきっかけであるシーンが思い浮かぶと、それを小さなノートに鉛筆で記す。その数行のメモから発して、ストーリーを組み立てながら、メモ帳に粗筋を描き込んでいく。あらたに浮かんだいくつかのシーンも付け加えられ、次第にストーリーが完成に近づき、さらに推敲が繰り返される。 そのあたりで、登場人物の体型や顔、そして衣服等がスケッチされる。ケント紙に20、30と主人公をはじめとする人物の表情が描き出されることもある。キャラクターが定着するまでの積み重ねが、つげさんらしい慎重さを物語る。 そのあと、わら半紙を四分の一に切り裂いて、そこに鉛筆でコマ割りがなされる。人物のセリフやナレーションなども書き入れられるが、人物の顔や形はきわめて粗雑なコンテ風であって、表情すらうかがえない。 この段階では、むしろストーリー展開やセリフに重点が置かれているように見える。したがって、このときにページ数が増減することもしばしばある。結果、コマの移動や改稿による絵コンテが二つ、三つと生まれることがあるようだ。 そして、この段階を経てほぼ作品は決定的となる。こんどはわら半紙半裁、つまり『ガロ』と同じB5の大きさに、同じく鉛筆でコマ割りがなされる。ひとつふたつ空白のコマが認められたりするが、本人によれば、「そこだけ定まったイメージにいたらない」からだそうだ。 最終ページは、最初に作品のイメージが浮かんだときに、どのような画像で物語を締めくくるかは出来上がっているようだった。つげさんは、ときに自らを「職人」みたいなもの、という言い方をすることがある。鉛筆で下書きされた原稿用紙を準備し、ペンを手にしたら一気に終りまで描き進めるからだ。原稿用紙の下書きも、それ以前の絵コンテ同様にそれほどリアルではないが、ペンはラフな下書きの上に迷いもなく悠然とリアルな画像を生み出す。「ペン入れは難しいことじゃない、話は最終ページまで出来上がっているのだから、あとは職人として描けばいいんですよね」と語ったことがある。ペン入れ前に「完成した」という感触を持つのは、そういう意味なのだろう。この記事もつげ義春ワールドに収めるものとします。『Spectator つげ義春』2:つげ義春の創作術『Spectator つげ義春』1:はじめに
2023.01.23
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図書館予約で借りた村上春樹著『女のいない男たち』を読んでいるが・・・ええでぇ♪実はこの本は5年ほど前に借りて読んだことのある本なんですが(またか)それに気づかず再度予約していたものなんです。・・・ということで、今回の記事を(その5)としています。【女のいない男たち】村上春樹著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より絡み合い、響き合う6編の物語。村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。【目次】ドライブ・マイ・カー/イエスタデイ/独立器官/シェエラザード/木野/女のいない男たち<読む前の大使寸評>村上春樹の短編小説集ってか・・・『1Q84』ブームの後に、こんな本が出ていたとは、春樹ファンを自認している大使としては不覚であった。rakuten女のいない男たち「イエスタデイ」の続きを、見てみましょう。p77~78「で、おまえはどこの出身やねん?」「神戸の近く」と僕は言った。「神戸の近くて、どのへんや?」「芦屋」と僕は言った。「ええとこやないか。始めからちゃんとそう言うたらええやないか。ややこしい言い方すんな」 僕は説明した。出身地を訊かれて、芦屋の出身だと言うと、どうしても裕福な家庭の出身というイメージを持たれてしまう。しかし芦屋といってもピンからキリまである。僕はとくに裕福な家の出身じゃない。父親は製薬会社に勤めていて、母親は図書館の司書をしている。家は小さいし、乗っている車はクリーム色のトヨタ・カローラだ。だから出身地を訊かれると、余計な先入観を持たれないために、いつも「神戸の近く」と答えることにしている。「なんや、それって、おれの場合とまったくおんなじやないか」と木樽は言った。「うちも住所から言うたら田園調布やけどな、うちがあるのははっきり言うて、田園調布でもいちばんうらぶれた地域や。住んでる家かて、そらうらぶれたもんや。一回見に来いや。これが田園調布? うそやろ、みたなことになるから。けどな、そんなことこそこそ気にしてもしょうがないやないか。そんなもん、ただの住所に過ぎへん。そやからおれの場合は、逆に頭からがーんとぶちかますことにしてるねん。生まれも育ちも田園調布やぞ、どや、みたいにな」 僕は感心した。そして僕らは友だちみたいになった。 僕が東京に出てきて、関西弁をまったくしゃべらなくなったのにはいくつか理由がある。僕は高校を出るまではずっと関西弁を使っていたし、東京の言葉を話したことは一度もなかった。しかし東京に出てきて1ヶ月ほどして、自分がその新しい言葉を自然に流暢に話していることに気づいて、びっくりしてしまった。僕は(自分でも気がつかなかったけど)もともとカメレオン的な性格だったのかもしれない。それとも言語的な音感が人より優れていたのかもしれない。いずれにせよ、関西の出身だと言っても、まわりの誰も信じてくれなかった。 それともうひとつ、これまでとは違う人間として生まれ変わりたかったということが、僕が関西弁を使わなくなった大きな理由としてあげられるだろう。『女のいない男たち』4:「イエスタデイ」の冒頭(p73~76)『女のいない男たち』3:「女のいない男たち」の冒頭(p279~281)『女のいない男たち』2:「女のいない男たち」p265~268(p279~280)『女のいない男たち』1:「シェエラザード」p173~175(p183~185)『ドライブ・マイ・カー』が公開中なので:女のいない男たち
2023.01.20
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<横尾忠則を観に行こう♪18>コロナ禍がなかなか終息しない昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、次回の企画展(2023年1月28日〜5月7日)をネットで覗いてみました。次回のポスターです。横尾忠則展 満満腹腹満腹より開館10周年を記念し、これまでに開催した企画展をダイジェストで振り返る展覧会、「横尾忠則展 満満腹腹満腹」を開催します。2012年の開館以来、当館は様々な角度から横尾の芸術に光を当ててきました。それは絶えざる変貌を求める作家の精神を反映した、一種の実験場のようでもありました。10年前の開館記念展「反反復復反復」のセルフ・パロディーでもある本展では、限られた展示空間に、これまで開催された約30本の展覧会を限界まで詰め込むことを試みます。そこに立ち現れるカオス的な空間は、86歳を過ぎてもなお精力的に制作し続ける横尾の、尽きることのないエネルギーを象徴するものとなるでしょう。 [会期]2023年1月28日〜5月7日(月:振休)鑑賞後のレポートは追って追記する予定とします。横尾忠則を観に行こう♪17—R1
2023.01.19
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図書館で『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』という本を、手にしたのです。横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。【GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story】横尾忠則著、国書刊行会、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了し続けるアート界のレジェンド、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮!展覧会「GENKYO横尾忠則原郷から幻境へ、そして現況は?」公式カタログ。<読む前の大使寸評>横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。rakutenGENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual StoryY字路「第4章 2000-現在」の一部を、見てみましょう。P104~105<現況>■Y字路の彼方に原郷を訪ねる 2000年以降の横尾忠則の絵画の展開に大きな比重を占める「Y字路」シリーズは、横尾の郷里・西脇での体験から生まれた。Y字路(三叉路)の角にあり、子どもの頃よく通った模型屋が取り壊されたことを聞いた横尾は、その場所を訪ねて何気なく写真に撮るのだが、後日見直してまったく見覚えのない風景であることに驚く。こうして、夜のY字路の写真を忠実にカンヴァスに写し取った「Y字路」シリーズが開始された。 ひと気のない夜の町並みには、いつかどこかで通り過ぎたことがあるような既視感と決定的なよそよそしさとが同居している。人生の半ばで、まさに岐路に立たされているかのような不安感。「Y字路」シリーズは、横尾個人の記憶から立ち現れた幻とともに、バブル後の沈滞する現代日本の闇に浮かぶ昭和的世界の亡霊をも描き出している。 とはいえ横尾は、夜のY字路にとどまりはしない。「Y字路」の連作は、カラフルな昼間の情景としても描かれ、さらには多くの登場人物を召喚し、冒険や温泉、死の島など、横尾が次々と手がけるテーマや連作とも結びついて、豊かなヴァリエーションを産んでいく。 森羅万象あらゆるイメージを受け止めるY字路は、いまや横尾絵画の一種のマトリックスとなった。Y字路という強力なモティーフをトレードマークとすることで、横尾の絵画は、これまで以上に自由な展開が可能となったのである。2000年代の作品は、スタイルにおいてもテーマにおいても、それほどに融通無碍で自由奔放な様相を見せているのだ。 この意味で、特に注目すべきなのが、反復と変奏である。これは、1966年の絵画による最初の個展に出品された「ピンクガールズ」の連作が、模写、パロディ、パスティーシュ、変奏など、様々な形で反復されているのに典型的に示されている。ルソーのパロディ、デルヴォーの《こだま》やアラビア風の恋人たちのヴァリエーション、自作の様々な再解釈などを加えることもできよう。 そこには、ひとつのモティーフを様々なスタイルで描き出すことに対する関心もさることながら、モダニズム芸術を支えてきたオリジナリティという規範に対する挑戦をも見て取ることができる。すなわち、独創性や斬新さを何よりも称揚してきたモダニズム芸術においては、自己反省や自己模倣は、創造性の枯渇の徴として禁忌とされてきたのだが、横尾はこれを軽やかに嘲弄しているのだ。 幼児性、インファンテリズムこそが芸術創造の根源にあると述べる横尾は、裸の王様を笑う子どものように、芸術を支えてきた規範や制度を疑い、だれもやらない、禁じられていることだからこそ、あえて試みるのである。 その一方、2000年代に入り、横尾の芸術に対する評価が進み、全国の美術館で様々なテーマのもと、大規模な個展が相次いで開催されるようになった。2006年のカルティエ現代美術財団(パリ)での個展を皮切りに、海外での個展も数多い。70歳を超えて「隠居宣言」(2007年)をした横尾であるが、逆にその仕事の幅はさらに広がりをみせている。小説『ぶるうらんど』が高く評価され、泉鏡花文学賞を受賞したのもその一例である。 2019年には長編小説「原郷の森」の連載を開始するとともに、「B29と原郷」と題した個展を開催した。「原郷」とは、心身の故郷や原風景といった意味ではなく、すべての人間の魂のふるさと、人が生まれる前に属しており、死後の魂が集うところを指している。 これは、語本来の意味ではなく、横尾が独自に与えた語義であり、そのことからも横尾の強い思いが感じられるだろう。絵画作品では、筆致がより大きく自由になり、見る人を包み込むような豊かな絵画空間が生み出されている。「全身画家」としての横尾の力量と本質が露わになるにつれ、その作品はいよいよ魅力を増しているようだ。 そして2020年5月。新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、横尾は自分の作品や写真を素材に、マスクをコラージュした「WITH CORONA」シリーズをTwitterで発信し始めた。コロナウィルスとともにあることで、芸術家の創造性は刺激されると横尾は述べる。長年テーマとしてきた「死」をより具体的に、身近に実感するからだろうか。 80歳をゆうに超えて、なお新たな創造へと向かう横尾。まさに、「人生にはゴールが無い」。(南雄介)『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』3:アングラの新宿『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』2:1936-1960 原郷から『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』1:冒頭の論評横尾忠則を観に行こう♪17—R1で最新の展示が見られます。
2023.01.17
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図書館で『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』という本を、手にしたのです。横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。【GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story】横尾忠則著、国書刊行会、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了し続けるアート界のレジェンド、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮!展覧会「GENKYO横尾忠則原郷から幻境へ、そして現況は?」公式カタログ。<読む前の大使寸評>横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。rakutenGENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story「第2章 越境」の一部を、見てみましょう。P48~55<1960-1981 アングラの新宿> 横尾は寺山修司が主宰し、見世物の復権を目指す演劇実験室、天井桟敷の創設に加わり、舞台美術とポスター制作を担当する。「毛皮のマリー」の公演時に対談するが、神戸時代から魅かれていた主演の丸山(美輪)明宏との交友は続く。毛皮のマリー 大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に主演する横尾、憧れの高倉健とテレビ出演する横尾。 自分を広告するポスターを作ってから3年後には、自分の存在自体がメディアになり、「アングラ」の教祖に祭り上げられた。高倉健<1960-1981 ピンクガールズ 無作法な娘たち> 人の視線を惹きつける術は絵画でも発揮される。日常生活の一コマと見せながら、三白眼で真っ赤な口を開く、あられもない娘たち。背景との違和感に不穏な気配さえ漂う。 よだれ<1969 責場 プロセスの提示> 版画は版を重ねて出来上がる。そのプロセスだけが3点組6場面で示されている。完成作からは見えない版画の本質が、好色で残虐な場面とともに露わにされる。「パリ青年ビエンナーレ」の版画部門でグランプリを受賞。責場A『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』2:1936-1960 原郷から『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』1:冒頭の論評横尾忠則を観に行こう♪17—R1で最新の展示が見られます。
2023.01.11
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図書館で『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』という新書を、手にしたのです。日本歌謡でもっとも売れたヒットメーカーは筒美さんではなかろうかということで、チョイスしたのです。【筒美京平 大ヒットメーカーの秘密】近田春夫著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より筒美京平のシングル総売上げは7560万枚で、2位の小室哲哉をはるかに凌ぐ。作った曲は3000曲近く、名実ともに日本一のヒットメーカーだ。筆者はこの作曲家を一貫して評価してきた。実弟・作詞家・歌い手と共に、その創作の秘密に迫り、知られざる素顔を探り出す。<読む前の大使寸評>日本歌謡でもっとも売れたヒットメーカーは筒美さんではなかろうかということで、チョイスしたのです。rakuten筒美京平 大ヒットメーカーの秘密「第9章 歌い手・平山みきの眼に映じた“父”の肖像」で、平山みきが京平さんをどう見ていたかを語っています。P177~180■平山三紀の声は「楽器だ」平山: 京平さんって、歌の上手さをすごく重視してるわけでもないんだよね。近田: これは絶対的に言えることだと思うんだけど、京平さんは、みきちゃんの声が本当に好きだったんだよね。平山: うん。「好きだ」って言ってた。「一番気に入ってる」って。それから、郷ひろみさんのことも好きだったと思うのね。私とタイプが似てるじゃない?近田: 似てる似てる。平山: 当時、買い物に行った先で、スピーカーから歌が流れてきたのよ。「あれっ、私の曲?」と思ったら、郷ひろみさんの曲だったっていう(笑)。近田: みきちゃんなりひろみ君なりの声に、楽器としての魅力を感じたんだと思う。平山: 私の声について、京平さんは確かに「楽器だ」と言ってた。近田: だから、そのみきちゃんの声を駆使して、他では決してできない実験を試みていたんじゃないかな。まさに秘蔵っ子だよね。平山:もともと自分たちの事務所だったから、大胆なことができたんでしょうね。近田:昭和49年に、みきちゃんはコロンビアからCBS・ソニーに移籍し、その翌年、『平山三紀ヒット全曲集』というベスト盤を出すよね。あのアルバムでは、コロンビア時代の楽曲を新たに吹き込み直している。京平さんによるアレンジ自体はそれほど変わっていないんだけど、割とテンポが速くなっている。平山:つまり、軽くなったのよね。近田: その軽さが俺は好きなのよ。ほとんどの場合、ヴォーカルの再レコーディングは、オリジナル当時の録音の魅力には敵わない。でもあのアルバムだけは、例外的によくなってるんだよね。一時期の僕は、カーステレオでは平山三紀と郷ひろみのベスト盤しか聴いてなかったぐらいだから。しかも、ものすごい爆音でさ。平山: ありがとうございます(笑)。■お父さんのような存在近田: あの頃から、京平さんのすごさに本格的に気づき始めた。しかし、京平さんがみきちゃんのことを気に入ったのは、おそらく声だけが理由じゃないよね。それ以外にも、馬が合う部分があったということなのかな。平山: 私、仕事以外では本当に普通の女の子だったんですよね。今でもそうだけど、お酒も飲まない。タバコも吸わない。遊び回ったりもしない。父が警察官で家庭も厳しかったから、「毎日家にちゃんと帰ります」みたいな感じで。近田: みきちゃん本人は、歌のイメージとは全然違うよね。平山: あの頃、赤坂にあった「ムゲン」とか「ビブロス」とか、いわゆるディスコみたいな場所にも一度も遊びに行ったことがないのよ。(中略)近田: 京平さんも、派手な世界は嫌いだもんね。芸能界の体質とはまったく肌が合わない。平山: もう一つ、「親が口出ししてきたら面倒くさいから、それはやめてね」とも言われた。それもあって、京平さんのこと、私はずっとお父さんみたいなものだと思ってたの。 youtubeの平山三紀 - 真夏の出来事でみきちゃんの歌を楽しめるでぇ♪『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』1:「真夏の出来事」
2022.12.28
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図書館で『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』という本を、手にしたのです。横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。【GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story】横尾忠則著、国書刊行会、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了し続けるアート界のレジェンド、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮!展覧会「GENKYO横尾忠則原郷から幻境へ、そして現況は?」公式カタログ。<読む前の大使寸評>横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。rakutenGENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story冒頭の論評を、見てみましょう。P6~7<原郷から幻境へ、そして現況は?:南雄介> 「原郷」の語は、言語学においては語族の発祥地を意味しており、ドイツ語のUrheimat、英語のHomelandの訳語とされる。横尾忠則は、当初、この語を自らの造語であると述べていたが、言語学の専門用語の存在を認識していなかったためと思われる。だが、翻って想像するとそれは、横尾が「故郷」よりもさらに遡った地を指す新しい言葉が必要であると考えたからに違いない。 われわれがこの世に生を享けた地よりも、さらに遡行される場所が、「原郷」である。横尾によればそれは、すべての人間の魂のふるさと、魂の出所であり、宇宙であり、霊界であり、そして前世である。すべての人間は「原郷」からこの世界に産み落とされ、生を終えたのちは再び「原郷」に戻って行く。 われわれは、意識の奥底にこの「原郷」の記憶を、本来は宿しているのかもしれない。横尾が「原郷」の語を使い始めるのは2019年のことだが、このような魂のふるさとについてのヴィジョンを以前から抱いていたことは、たとえば満天の星空を背後に、陰門を潜り抜けて小児が出現するさまを描いた《星の子》のような作品を見れば明らかであるように思われる。 愛知県美術館、東京都現代美術館、大分県立美術館の全国3会場で開催される「GENKYO横尾忠則」展は、横尾の作品のなかに、様々な意味において自分自身をテーマにしたものや、自分の作品を引用したり変奏したりしたものが多いことに着目し、作品を通じてその物語を紡ぐことを目指して企画された展覧会である。 横尾が常に「私」、つまり自分自身に深い関心をいだき続けてきたことは、アーティストとして見た横尾の処女作といってもいいポスター作品《〇》がイッシした自分を表現した自画像であったことをはじめ、数多くの作品や著作から、また日記が大量に公開されていることなどからも明らかであろう。 だが、それはけっして個人史や原風景、個的な記憶などに限定されるものではない。むしろ、自分は何であるのか、自分=私というものがどのように成立しているのか、なぜ私というものがあるのかなどといった、きわめて哲学的な問いを根底に蔵しているがゆえにこそ、横尾の作品はこうした相のもとに展開されてきたのではないか。 それゆえ、「私」についての語りを導きの意図とすることは、横尾の芸術や表現を考える上で、本質的な問題設定であるということができるだろう。そして、そのために「原郷」の概念に注目したのは、ある意味で当然であった。なぜなら原郷とは、「私」が宿るところであり、「私」の起源であり、「私」が還って行くところでもあるからだ。 一方の「幻境」は、横尾自身の言葉からとったものではなく、横尾作品に描き出される森羅万象に及ぶ奔放華麗なイメージの世界を念頭に置きながら、一種の語呂合わせとして本展企画者が案出した言葉である。とはいえこの語も、じつは仏教用語として存在していることが後にわかったのだが、「あたかも実在するように見えるまぼろしの境界。また、そのような対象世界」(『日本国語大辞典』)を意味するという。 この「幻境」もまた、夢と現とを問わず、あらゆるものを、いわば筆先三寸でカンヴァスの上に召喚し、目の前に現出させてきた、横尾の絵画を形容する語として、ふさわしいと言えるかもしれない。「原郷から幻境へ」という展覧会の副題は、原郷から現世へと産み落とされ、成長してのち、表現の世界を開拓してゆく横尾の歩みと重ね合わせて、原郷への思いを糧として幻境を現出させて行く横尾の芸術創造のメカニズムを、示そうとしたものである。横尾忠則を観に行こう♪17—R1で最新の展示が見られます。
2022.12.26
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図書館で『文学界(2022年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ているようにインタビュー、シンポジウム、座談会、対談など気になる作家のオンパレードで・・・、これがゲットする決め手となりました。【文学界(2022年6月号)】雑誌、文藝春秋、2022年刊<出版社>より(インタビュー)川上弘美 循環する小説たち(座談会)大澤真幸×川添愛×三宅陽一郎×山本貴光×吉川浩満私たちはAIを信頼できるか(シンポジウム)アーサー・ビナード×関口涼子×多和田葉子×李琴峰移動するアイデンティティ<読む前の大使寸評>表紙に出ているようにインタビュー、シンポジウム、座談会、対談など気になる作家のオンパレードで・・・、これがゲットする決め手となりました。rakuten文学界(2022年6月号)対談「ボケは希望である」で小説の書き方が語られているので、見てみましょう。p232~176 ■主人公の饒舌千葉 『雌伏三十年』、たいへん面白く読ませていただきました。ですが、正直エネルギーを消耗しました。読み終えた日はマキタさんが夢に出てきて、翌日もちょっと調子が悪くなったぐらい(笑)。でも数日経つとサウナみたいに整ってくるというか、それが呼び水になって今度は自分の過去の出来事が湧き出てくる。これは自伝的小説ということでいいんですか?マキタ いいです。キャラクターとか設定を変えたり、若干内容を膨らませたりはしましたけど、エピソードはほぼ実話。千葉 2015年から、16年にかけて「文学界」で連載されたんですよね。これだけ熱量のあるものを書こうと思ったきっかけはどういうものだったんですか?マキタ まず小説を書いてみませんかという依頼をもらいました。当時の偽らざる気持ちをいいますと、文芸誌のど真ん中で連載をしている芸人がいない状況だったので、これはおいしいぞと(笑)。そういう邪な気持ちで書こうと決意しました。で、何が書けるか考えていくと、やっぱり自伝しかないなと。 ただ「マキタスポーツ」として書くのはためらわれたんです。というのは単に恥ずかしかったのもありましたり、なにより「槙田雄司」としてなら自分のジクジクとした自意識や葛藤をもうすこし距離をとって書けるなと思ったんです。 最初は一万字程度を毎月連載で十回分が目安と言われていました。事前にプロットの原型となるようなものを用意して書きはじめたんですけれども、昔の話や当時の思いがブワーッと膨らんでいって毎回一万字じゃ収まらなくなり、ある月は二万字以上書きました。それで最終的には16回も書いちゃったという。そんな感じでした。千葉 本にする段階では加筆されたんですか?マキタ いや、削りました。小説に書いたような人生が波乱万丈でおもしろいかというと別にそんなことはないと思うんです。芸人でもタレントでも、そのまま小説になるような人生を送っている人っているじゃないですか。 僕の人生はそういうものではないし、どこの馬の骨だかわからない、どこにでも転がっているような人生を読んでいただくのであれば、すこしはおもしろおかしく、あとは読みやすくしようと思ったんです。千葉 でもいわゆる物語的なエピソードでなくても、他人の人生って第三者から見ると風変わりに見えますよね。起こったことをそのまま書くだけでも、結果として物凄く異様なものになったりする。マキタ それはおっしゃるとおりですね。最近自分が出ているラジオで「無風コラム」というものを募集しているんです。あるエピソードを情緒たっぷりに綴ってうまく落とすとかそういう文章じゃなくて、目に映ったものを淡々と書く、いかにも機内誌に載っていそうなコラム。そういう文章を募集しているんですけど、その人の視点で見ている世界が書かれていて、なんとも味わい深いんです。千葉 僕の小説はつねに男性同性愛がテーマになっているんですけれども、マイノリティの物語でクローズアップされがちな社会との葛藤とか「自分は本当にそれでいいんだろうか」という自意識は扱わず、ひたすら同性愛という感覚から見える世界や日常を書いています。 自分の経験を素材にする部分もあれば創造することもあるけど、日常をゴロッと出すというだけで山とかオチをつくらなくても、「無風」ならではのサスペンスが生まれるんですよね。むしろ文学はそういうところにあるのかもしれない。マキタ 僕も書いていてそう思いました。客観的に自分の文章を読み直すと、エピソードのおもしろさで勝負しているわけではないんだけど、主人公の臼井圭次郎がおしゃべりすぎるんです。饒舌すぎて腹がたった(笑)。ただそういうものも決して嘘ではないですし、よくも悪くもそれがこの小説の持ち味とも思っています。書いた直後はそんな文章を書いてしまったことに嫌気がしていたんだけど、時間が経ってみるとやっぱりここかなと。■マキタスポーツ 1970年、山梨県生まれ。芸人、ミュージシャン、文筆家、俳優として幅広く活動している。2012年『苦役列車』の演技でブルーリボン賞新人賞を受賞。著作に『越境芸人』『』などがある。■千葉雅也 1978年、栃木県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科教授。2014年に『動きすぎてはいけない』で紀伊国屋じんぶん大賞、19年に『デッドライン』で野間文芸新人賞、21年に『マジックミラー』で川端康成文学賞を受賞。『文学界(2022年6月号)』1:シンポジウム「移動するアイデンティティ」
2022.09.29
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図書館で『もっと知りたいゴーギャン』という本を、手にしたのです。ゴーギャンといえば先ず「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を思い出すほど、気になる画家なんです。【もっと知りたいゴーギャン】六人部昭典著、東京美術、2009年刊<「BOOK」データベース>より序章 生い立ち/第1章 画家としての出発/第2章 独自の絵画の確立ーブルターニュ/第3章 野生を求めてー第1期タヒチ時代/第4章 失われた楽園ー第2期タヒチ時代/終章 見果てぬ夢ーヒヴァ=オア島<読む前の大使寸評>ゴーギャンといえば先ず「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を思い出すほど、気になる画家なんです。rakutenもっと知りたいゴーギャン《かぐわしき大地》第3章でタヒチ時代あたりを・・・見てみましょう。p40~<第3章 野生を求めて>■「汚れない自然」と「野蛮人」 ゴーギャンは「西洋」と「野生」の対比を明確にしてゆく中で、熱帯で制作することを考え始める。そして1890年秋には、タヒチへ赴くことを決める。1891年2月には渡航費用を工面するために自作の競売を行った。 この頃のインタヴューで、タヒチへ行く目的を聞かれ、ゴーギャンは次のように答えている。「文明の影響から解放されて、心静かに暮らすために行くのです。私は単純な、きわめて単純な芸術しか作ろうとは思いません。そのためには、汚れない自然の中で自分を鍛え直し、野蛮人(野生の人)にしか合わず、彼らと同じように生きる必要があります」。 ゴーギャンは1891年4月にフランスを離れ、6月にタヒチに到着する。だが、中心地のパペーテは植民地化に伴って、「文明の影響」を受けており、小村マタイエアに移り住む。ゴーギャンは少しずつ現地の言葉を覚え、タヒチの土地、つまり「汚れない自然」とそこに暮らす人々を理解し始める。 もっとも、ゴーギャン自身は「文明化された野蛮人」、すなわち19世紀末のヨーロッパ人であることに変わりはない。そうした彼の視線はタヒチに何を見出したのだろうか。第一期タヒチ時代の作品は、ゴーギャンの眼差しを明らかにする。 1893年6月、ゴーギャンはタヒチを去って、フランスに帰国する。個展でタヒチ作品を発表、また『ノア・ノア』を出版する計画に取り組む。この時期、彼はブルターニュでも絵を描いているが、おもな関心は木版画や陶などの制作を通して、タヒチで見出したイメージを反芻し、新たに展開することにあった。ゴーギャン展 -その2-でゴーギャンの作品が見られます。『もっと知りたいゴーギャン』2:独自の絵画の確立『もっと知りたいゴーギャン』1:生い立ち
2022.09.26
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図書館で『もっと知りたいゴーギャン』という本を、手にしたのです。ゴーギャンといえば先ず「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を思い出すほど、気になる画家なんです。【もっと知りたいゴーギャン】六人部昭典著、東京美術、2009年刊<「BOOK」データベース>より序章 生い立ち/第1章 画家としての出発/第2章 独自の絵画の確立ーブルターニュ/第3章 野生を求めてー第1期タヒチ時代/第4章 失われた楽園ー第2期タヒチ時代/終章 見果てぬ夢ーヒヴァ=オア島<読む前の大使寸評>ゴーギャンといえば先ず「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を思い出すほど、気になる画家なんです。rakutenもっと知りたいゴーギャン第2章の独自の絵画あたりを・・・見てみましょう。p14~17<第2章 独自の絵画の確率>■人々の素朴な心の内を描く 1886年、ゴーギャンは最後の印象派展となる第8回展に出品する。ここには当初の主要なメンバーだったモネたちは参加せず、ジョルジュ・スーラらの若い画家が初めて出品した。この展覧会は、印象派が絵画の変革を導いた時代が終わり、それ以後の時代、つまり「印象派以後(Post-Impressionists)」の始まりを示すものとなった。 この年の7月、ゴーギャンは初めて、ブルターニュ地方のポン=タヴェンに赴く。ゴーギャンもまた印象主義の吸収を終え、彼独自の絵画を作ろうと考え始めたのだった。 ゴーギャンは1887年に西インド諸島のマルチニック島に滞在すると、翌年は再びポン=タヴェンで制作を続ける。彼はこの地の人々の信仰に根差した営みに接するうちに、眼に見える素朴さではなく、素朴な心の内をこそ描かなければならないと考え始めた。この模索の末に《説教のあとの幻影》が制作され、ゴーギャン独自の絵画、「総合主義」が確立される。■自身の探求を通して存在の意味を探る ゴーギャンはブルターニュについて、「私はここに野生と、プリミティヴなものを見出す」と記している。彼がこの地で共鳴した「素朴」は「野生」と「原始」の探求につながっていく。 そして素朴な心の内、すなわち眼に見えない内的な世界に向けられた眼差しは、人間の根源を問うことへと展開する。(中略)■ブルターニュの風土がもたらした啓示 ゴーギャンは1886年の夏、初めてブルターニュ地方のポン=タヴェンに赴いた。 ブルターニュ地方はケルトの伝統に由来する独特な文化を受け継いできた地で、近代化の波もほとんど及んでいなかった。 特徴ある衣装や宗教儀礼。19世紀中頃にはまずロマン主義の文学者たちがこのような風土に惹かれ、さらに画家たちも制作に出かけるようになった。 ポン=タヴェンのグロアネックの宿屋にはすでに多くの画家たちが集まっていた。ゴーギャンは彼らと交友し、この地の風景とそこに生きる人々の素朴な生活を描いてゆく。 メット宛の手紙に「私の体はニシンのように痩せているが、その分、若返った」と語っており、制作に励む様子がうかがわれる。そして2年後の手紙では、ブルターニュが彼の絵画に啓示をもたらす予感が記されることになる。『もっと知りたいゴーギャン』1
2022.09.23
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ショーン・タンの画像にはツボがうずくわけで・・・以前に読んだショーン・タンの『鳥の王さま』という本を覗いてみたくなったのです。2015.7.13 『鳥の王さま』より***********************************************************図書館に借出し予約していた『鳥の王さま』という本を手にしたが・・・予約して約1ヵ月、思いのほか早くゲットしたのです。このところショーン・タンの本をしつこく追っかけているが、この本でショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪【鳥の王さま】ショーン・タン著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より『ロスト・シング』でオスカーを獲得、『アライバル』で世界中の読者を魅了した作家の想像力の源泉を集めて贈る魅惑のスケッチブック。<読む前の大使寸評>このところショーン・タンの本をしつこく追っかけているが、この本でショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪<図書館予約:(6/06予約、7/10受取)>rakuten鳥の王さまこの本でショーン・タンのノート記事が紹介されています。もしかして、ショーン・タンの魅力の秘密がわかるかも?♪<ノートより>p96 ここでお見せするのは、僕の持っているスケッチ用のノートだ。どれもアトリエの外に持って出るのに便利な、ごく小さなもので、ほとんどの絵は旅行中に(たいていは飛行機や列車の中で)ペンかエンピツで描いたものだ。とくべつ上質というわけではない紙に、安物のボールペンで描くせいか、アート然とした気負いが消えて、いい具合に力が抜けるところが気に入っている。 その結果生まれるのが、こんなふうに素朴でてらいのない落書きだ――より作りこんだ作品の出発点としては、申し分ない。とはいうものの、こうしたスケッチをこの本に入れることには、正直ためらいがあった。なにしろ粗雑で、支離滅裂で、混沌としていて、僕の中での“人前に出せる”基準からはひどくかけ離れている。でももちろん、そこが面白いところでもあるので、ごく一部だけ、典型的な例をお見せしようと思う。 たとえば、博物館の展示品や雑誌に載っていた写真を、見たままにさっと描いたものがある。スケッチには次々と通りすぎる興味をつかまえてじっくりと眺め、より深く掘り下げるという効能がある。それにノートがあると、あとで記憶をつついて呼び覚ますのにも役立つ。アイデアはその場で書き留めておかないと、まずまちがいなく忘れてしまうから。 写実的と呼ぶにはほど遠い、ほとんど妄想に近いようなスケッチもある(意識と無意識をつなぐ通路に向かって開く、小さな窓のような落書き。こういうのを見るたびに、僕は魚釣りを連想する)広い海に当てずっぽうに糸を垂れ、何かを釣り上げるのに似ているから。意味のないはずのところに意味が生じたり、たまたま隣り合わせた無関係のイメージから予期せぬ効果が生まれたりして、それまで波の下に隠れて見えなかったアイデアが釣針にかかるたび、僕は新鮮な響きを感じるのだ。ショーン・タンが創造のノウハウを披露しています♪<本、舞台、そして映画>p36 僕がこれまでかかわった仕事の多くは、完成品のクオリティをいかに高めるかが鍵となってきた。印刷物の原画の作成しかり、デジタル映像の構図を決めることしかり、人形の構造上の問題をクリアすることしかり。 イメージを形にするプロセスでは、山のような手直しと問題解決が必要となるため、ともすれば膨大な時間と手間がかかってしまい、原点となるアイデアが途中でぼやけたり、置き去りにされたりということが起こりやすい。だから僕は、儚い蝶を紙の上にピンで留めるように、原動力となるイメージをぱっとスケッチして、記憶にとどめておく。 こうして新鮮なイメージを保存しておけば、あとで何度でもそれを参照することができる。僕は一つの仕事が終わるまで、アトリエの壁に初期の修作をずっと貼っておいて、そもそものはじめに自分が何を「伝えよう」としていたのかを、つねに思い出すようにしている。 もう一つ、スケッチのすばらしい点は、生物の胚のように未分化であいまいなところだ。ざっくりと粗いタッチで描いた走り描きは、自分でも予期しなかった物や仕草や表情をそこここにはらんでいて、そこからどれでも好きなものを取り出して発展させていくことができる。 ときには偶然の生み出す新たな効果をねらって、描いたものをハサミとテープで切り貼りして並べ替える、ということもやってみる。たいていの場合、何かの形を見極めたい一心で描くので、いい絵である必用はまったくない。だが皮肉にも、そういう心持ちこそが、いい絵を描くためには必用なのだ・・・・まっすぐで、気取りのない好奇心が。この本も絵本あれこれに収めておきます。ショーン・タンの画像を見てみましょう♪bingショーン・タンの画像よりproud parents鳥の王さま、p16、17『SHAUN TAN』より
2022.09.22
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<横尾忠則を観に行こう♪17—R1>コロナ禍がなかなか終息しない昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、企画展を観る前にネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾さんのパレットより横尾作品の特徴である鮮やかな色彩に着目し、約40年の画家活動を振り返る展覧会。「ピンクガール」、「Y字路」、「A.W. Mandala」、「寒山拾得」など歴代の代表的なシリーズを含む作品を、テーマや様式から解放して色で分類、展示室をパレットに見立てたインスタレーションでヨコオワールドを再構築します。また、使用済みのパレットや絵具など、作品が生まれる背景も合わせてご紹介します。横尾さんの圧倒的な色の力を体感できるスペクタクルな空間をお楽しみください。 [会期]2022.8.6 sat. - 2022.12.25 sun.(月:振休)【R1:鑑賞後のレポート】9月16日、この企画展を観に行ったので、展示の数点をレポートします。先ず入口にて横尾忠則を観に行こう♪16
2022.09.21
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<横尾忠則を観に行こう♪17>コロナ禍がなかなか終息しない昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、企画展を観る前にネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾さんのパレットより横尾作品の特徴である鮮やかな色彩に着目し、約40年の画家活動を振り返る展覧会。「ピンクガール」、「Y字路」、「A.W. Mandala」、「寒山拾得」など歴代の代表的なシリーズを含む作品を、テーマや様式から解放して色で分類、展示室をパレットに見立てたインスタレーションでヨコオワールドを再構築します。また、使用済みのパレットや絵具など、作品が生まれる背景も合わせてご紹介します。横尾さんの圧倒的な色の力を体感できるスペクタクルな空間をお楽しみください。 [会期]2022.8.6 sat. - 2022.12.25 sun.(月:振休)鑑賞後のレポートは追って追記する予定とします。横尾忠則を観に行こう♪16
2022.09.10
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<『Spectator つげ義春』(復刻)> 「桃源行」(つげ義春×正津勉)と題する東北の秘湯探訪が興味深いので・・・正津勉氏へのインタビューで、そのいきあたりばったり旅を見てみましょう。***********************************************************図書館で『Spectator つげ義春』という本を、手にしたのです。ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪【Spectator つげ義春】ムック、幻冬舎、2018年刊(商品レビュー)より判型が大きく、レイアウトもすっきりしているので、「ねじ式」のころから、つげ漫画を愛読している老人にも読みやすい。「アックス」みたいなマイナーな雑誌かと思ったら、ノースフェイスやグレゴリーの広告(しかもカラー)が載っていて意表をつかれた。内容は、それほどマニアックではなく、フツウに、よくまとまっている。「ねじ式」の元ネタの古い写真の数々は、よく発掘しましたね。<読む前の大使寸評>ざっとめくると、漫画、年譜、インタビューなど載っていて、つげ義春に関する情報が満載で・・・ええでぇ♪rakutenSpectator つげ義春さびれた温泉をめぐるなど、いきあたりばったり旅について、見てみましょう。p165~167<いきあたりばったりの旅:正津勉、つげ義春を語る> 1976年10月、『ポエム』(すばる書房)というリトルマガジンが創刊された。「新しい時代の新しい感覚」と銘打たれたこの雑誌はつげ義春を雑誌の柱に据え、創刊号に「夢日記」を掲載。 また「桃源行」(つげ義春×正津勉)と題する秘湯探訪の連載も行われ、会津、群馬、秋田、福島の、いまや「忘れられた日本」と呼ぶべき知られざる温泉地や村落をめぐり、イラストと文章を組み合わせた作品が残された。 つげ義春は当時、どのように取材旅行をしていたのだろうか。当時『ポエム』編集長で、すべての取材に同行され、現在もつげさんと親交のある詩人・正津勉氏に高田馬場ルノアールで話をうかがった。正津勉氏にとってつげさんは「旅の師」であるという。編集部:『ポエム』という雑誌の編集長を務めておられたそうですが。正津:当時、友人から小さな出版社(すばる書房、現在廃業)を紹介されるのですが、そこでこれまでなかったタイプの詩の雑誌をやってみようと『ポエム』を創刊したのです。編集部:「つげ義春特集」を組んだ経緯から聞かせていただけますか。正津:創刊号から『ガロ』の愛読者だったし、学生時代からつげさんの大ファンでした。同志社大学で鶴見俊輔さんのゼミにいたのです。鶴見さんが当時筑摩書房で「現代漫画」(全15巻)の監修を務めていて。そのとき「つげ義春を選集に入れてください」と言ったことがあるのですが、まもなくそれが実現化して嬉しかったりして。 それぐらいつげ義春の作品のファンでした。いつかつげさんと仕事をするというのが夢でしたね。編集部:当時からつげさんは寡作でしたか。正津:発表誌というと北冬書房の『夜行』くらいでしょうか。それにも年に1本くらいしか短篇を描いていなかったほどで、仕事をしてない時代でした。前年(76年)の漫画文庫ブームで旧作が次々文庫化され、懐が潤ったからでしょうか。編集部:つげさんには最初どうやってコンタクトされたのでしょうか。正津:「新しい雑誌で仕事を」という意味の葉書を書いて出して、それから電話をして会いに行ったら、どういうわけか初対面から打ち解けるものがあったんですよ。「創刊号から描きます」と言ってくれて、二号目からは一緒に各地のさびれた温泉をめぐって旅の企画をやろうという話になりました。 今でも新潮文庫(『新版 つげ義春とぼく』)に「桃源行」というタイトルで抄録されています。その後バブル景気になって日本が大変動していくのですけど、近代化に押されて消えた村落の姿など、この時つげさんが描いたような昔のおもかげを残す情景にギリギリ間に合ったんです。編集部:初めて会うつげさんは気難しい性格の方ではなかったですか?正津:全然。たぶん僕がフラフラしているタイプで田舎っぺだったから気に入ってくれたのではないかと思います。当時つげさんの周囲は、評論家や作家とかインテリの人が多く、「つげ義春と旅行する」と言うと、誰もが驚いてましたから。編集部:『ポエム』では毎回、二人で、地方の知られざる秘湯、湯治場巡りをされています。正津:全部つげさんに随行してね。湯宿温泉(1976年)編集部:目的地はどのように決めていったのでしょうか。正津:つげさんに全面的に委ねました。僕は福井の生まれで大学は京都。だから東京が訪れた土地で一番「北」なのですが、当時それ以北に出たことがなかったのです。編集部:つげさんが「桃源行」についてエッセイで書いています。「行き先が決まらないまま上野駅に来て、とにかく東北方面に行く列車に乗る」正津:実際その通りで、行き当たりばったり(笑)。編集部:「連載のテーマがまだ決まっていないので、明日の行動が定まらない」正津:列車に乗るまで目的地を知らない。列車に乗ってもまだ分からないくらい。出たとこまかせの旅でした。編集部:湯宿(群馬県)、西山「中の湯」(福島県)、黒湯(秋田県)、早戸(福島県)、福島・湯本、二峡、那須「北温泉」(栃木県)など訪れています。 正津:つげさんのひと言から目的地を決めたりしましたね。西山温泉(福島県会津若松)に行ったときのことですが、話の流れで海を見ようとなって二人で新潟に向かいました。そのときつげさんが「新潟に“毒消し売り”の村があるよ」と言うんですね。「新潟なら僕の友人でトラック持ちのやつが住んでいるから、その男に運転させて見に行きましょう」と訪ねて行ったことがあります。編集部:同じエッセイに「毒消しをたずねて行くがもう廃絶している」とありました。正津:廃村になっていました。新潟では角田浜、角海浜周辺を海を見たのですが、帰りに群馬の湯宿温泉に泊まったりと、すべて「出たとこ勝負」。そのときつげさんと旅行するのはこんなに楽しいのかと思いました。『Spectator つげ義春』2:つげ義春の「創作術」『Spectator つげ義春』1:はじめに
2022.08.28
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図書館に予約していた『商業美術家の逆襲』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪【商業美術家の逆襲】 山下裕二著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より本書では、日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたいと思っています。…おそらく20年後には、本書に登場する画家の幾人かは「この人が忘れられていたなんて信じられない!」と言われるようになっているでしょう。<読む前の大使寸評>この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本3、予約0)>rakuten商業美術家の逆襲写楽「初代中山富三郎の宮城野」「第4章」で写楽の浮世絵を、見てみましょう。p103~107 <第4章 浮世絵というターニングポイント>■写楽の登場は事件だった 当時の日本人には、人物は全身を描く、という伝統がありました。立ち姿はもちろん、座り姿も寝姿も、基本的にちゃんと全身を描いています。身なり・着こなし・仕草などでその人の身分や職種、歳の頃までわかるように描写してきたのです。師宣の「見返り美人図」や、清永の八頭身美人も、その伝統に則って描かれています。 この掟を破って大ブレークしたのが、美人画を得意とした喜多川歌麿の「大首絵」です。代表作「冬至三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」も美人の顔に寄って、画面いっぱいに三人のバストアップを描いています。 この手法を役者絵に応用し、しかも大胆にデフォルメして浮世絵界に革命を起こしたのが東洲斎写楽でした。 写楽の登場は事件だったと思います。版元の蔦屋重三郎と組んで人気歌舞伎役者の大首絵28枚を刊行したのは寛政6年(1794)5月。本書に収蔵した「初代中山富三郎の宮城野」も、その1枚です。yakusyano顔立ちや劇中のポーズ・表情を、度肝を抜くほど極端なデフォルメによって、単純な線と少ない色数で見事に表現しています。 じつは、写楽の作品は版の数が極めて少ないのです。あれほど少ないパーツで人間の内面まで抉り出し、黒雲母摺の背景の中に浮かび上がらせた写楽のセンスと画力は、世界に冠たるものと言っていいでしょう。 私は浮世絵の中では写楽がダントツで好きなのですが、贔屓のスターの華やかで美しい姿を愛でたい人々には浮標だったようで、戦列のデビューからわずか10ヶ月で忽然と姿を消してしまいました。 一体どこへ消えたのか。そもそも写楽とは何者なのか。この謎に挑み、初めて写楽に関する研究書を著したのはドイツ人の美術史家、ユリウス・クルトでした。明治43年(1910)にミュンヘンで出版された『SHARAKU』を発端として、日本でも長らく論争が繰り広げられてきましたが、阿波藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛が写楽その人だったということで、現在はほぼ決着をみています。クルトが主張した歌舞伎堂艶鏡説は結果的に間違っていましたが、100年以上前に、しかも海外にいながらあそこまで掘り下げて研究したクルトの写楽愛と功績は、浮世絵研究史に残る偉業の一つと言えます。 なお、写楽に関してはNHKが素晴らしい特集番組『写楽―200年の旅路』(1995年放送)を制作しています。映画監督のアンジェイ・ワイダが戦時下のポーランドで開かれた浮世絵展で写楽と出会い、衝撃を受けたと語り始めるところから始まるこの番組は、この謎多き浮世絵師が海外に与えた影響の大きさを示した、NHKの歴代美術番組の中でも最高の傑作だと思います。『商業美術家の逆襲』3:知られざる名工『商業美術家の逆襲』2:小村雪岱の続き『商業美術家の逆襲』1:小村雪岱という衝撃
2022.08.09
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図書館に予約していた『商業美術家の逆襲』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪【商業美術家の逆襲】 山下裕二著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より本書では、日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたいと思っています。…おそらく20年後には、本書に登場する画家の幾人かは「この人が忘れられていたなんて信じられない!」と言われるようになっているでしょう。<読む前の大使寸評>この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本3、予約0)>rakuten商業美術家の逆襲柴田是真「蜘蛛の巣図」「第2章」で知られざる名工を、見てみましょう。p58~59 <第2章 美人画の巨匠と知られざる名工>■国芳は是真に弟子入りを願い出た 祖父は宮大工、父も宮彫師という職人一家に育った是真は、11歳で蒔絵師・小間満寛哉に入門します。しかし、他人が描いた下絵を蒔絵にしていくことに飽き足らず、16歳の時、江戸に丸山四条派の絵を広めた鈴木南嶺に入門。絵にも並ならぬ才を現します。 奇想の浮世絵師として人気の歌川国芳は、その扇絵を見て感動し、10歳近くも年下で、まだ18歳だった是真に弟子入りを願いでています。そうさせた是真の画力はもちろん凄いのですが、「武者絵の国芳」としてブレイクする前とはいえ、10代の若者にも学ぼうとする国芳の真摯な姿勢にも驚かされます。 ちなみに、是真が南嶺に弟子入りした当時、江戸画壇の中心にいたのは文人画家の谷文晁でした。江戸琳派と称される独自の画風を開拓した酒井抱一も長老として名を馳せ、浮世絵界では60代の北斎が活躍していました。そのなかで、是真は画技を磨くべく24歳で京に上り、師の紹介で1年ほど四条派の俊英・岡本豊彦に学んでいます。(中略) 『こしかたの記』に残る清方の証言によれば、是真は職人気質で一本気な江戸っ子でした。着流しに、いつも雪駄履き。俳諧にも長じ、茶人でもあったという、まさに粋を地でいっていた人です。清方は是真作品の最大の魅力を、絵も蒔絵も「機知に富んで意匠にすぐれたところにある」と言い、こう続けています。「是真が生まれて育った文化、文政は、江戸文明がいくたびか開花した。その最後の、爛熟し、洗練され、粋だとか、洒落だとか言って、当時の文化人がもとめていた花の、触らば散らん花盛りであった。それで思い寄るのは酒井抱一で、抱一と是真とは文献で伝えられる直接の交渉はとんと見ていないが、本人は意識したか、しないかは問わず、是真を抱一に続けて考えることは許されてよかろう。一方が大名の家に生まれ、一方は市井の職人の家に生まれた差と、天明と化政との時代差が、そのまま作品に影響しているのは当然として、蒔かれた種子は属を同じくすると見える」 こうしてみると、是真は権威に近い文晁や狩野派ではなく、抱一の粋と洒脱を受け継ぎ、明治半ばまで生きて、その美意識を省亭、清方へとつないだキーマンと見ていいでしょう。 『商業美術家の逆襲』2:小村雪岱の続き『商業美術家の逆襲』1:小村雪岱という衝撃
2022.08.06
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造本装丁に関心があるのだが・・・最近は、版画家やイラストレーターとの関係が気になるわけです。…で、この際、本に携わる職人たちにについて、集めてみました。・商業美術家の逆襲・日本橋檜物町・ワールドブックデザイン・装丁/南伸坊********************************************************************** <本に携わる職人たち2> 目次・木版画の楽しみ・『小村雪岱随筆集』・『装丁、あれこれ』・『意匠の天才 小村雪岱』・アール・デコの挿絵本・装丁列伝********************************************************************** <本に携わる職人たち1> 目次・日本橋檜物町・小村雪岱の版画がええでぇ・本の顔・鳥への挨拶・造本装丁コンクールで『gallay』が受賞・イラストノートNo.27(特集:本の仕事)・藤田嗣治、本のしごと・夏目漱石の眼・佐々木マキが描く表紙・気になる絵本作家・百田尚樹さんの職人かたぎ(その5):『商業美術家の逆襲』『日本橋檜物町』を追加【商業美術家の逆襲】 山下裕二著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より本書では、日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたいと思っています。…おそらく20年後には、本書に登場する画家の幾人かは「この人が忘れられていたなんて信じられない!」と言われるようになっているでしょう。<読む前の大使寸評>この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本3、予約0)>rakuten商業美術家の逆襲1商業美術家の逆襲 1【日本橋檜物町】小村雪岱著、平凡社、2006年刊<裏表紙>よりわが国装幀史上屈指の名作、泉鏡花『日本橋』を手がけた日本画家・雪岱。その仕事は、挿絵・装幀はいうにおよばず、舞台美術の世界でも一家をなすほどで、本職の画業に収まらない広がりと奥行を持っていた。同じく画家であり名文家の誉高い鏑木清方から非凡な文才を評価されていたが、遺した文章は多くない。本書は雪岱の死後、有志の計らいで成った貴重な一冊。同時代人による雪岱評アンソロジーを併録。<読む前の大使寸評>装丁史上の大家ともいえる雪岱の本であるだけに、この本の装丁が素晴らしい。もちろん、巻頭の画像、雪岱のエッセイ、雪岱評アンソロジーも・・・ええでぇ♪heibonsha日本橋檜物町日本橋檜物町 1【ワールドブックデザイン】グラフィック社編、グラフィック社、2020年刊<「BOOK」データベース>より全世界からこだわりぬいた装幀、製本、造本でデザインされたブックデザイン事例を集めたリファレンス集。歴史的なものから、現在流通されているものまで、幅広くチョイスし歴史を解説。年表でそのあゆみを分かりやすく追う。世界的ブックデザイナー3組のインタビューを作品とともに紹介。それぞれがブックデザインに対する情熱や哲学を語る。世界中からセレクトした優れたブックデザイン紹介ページでは、詳細スペックや図解とともに、コンセプトや狙いをあますところなく公開。<読む前の大使寸評>追って記入amazonワールドブックデザイン<『装丁/南伸坊』1>図書館に予約していた『装丁/南伸坊』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊この本をぱらぱらとめくってみると、南さんが装丁した本のカラー写真が満載で観て楽しい本である。それらの本の2割がたは南さん自身の本であり、宣伝も兼ねたチャッカリした構成になっています。他人の本では赤瀬川原平を筆頭に、南さんの友人たちばっかりとなっています。<『木版画の楽しみ』2>図書館で『木版画の楽しみ』という本を、手にしたのです。著者の作品が目を引くのはもちろんであるが・・・技法の説明が懇切丁寧で、和綴じの製本、版画の売り方まで網羅しているという優れもんやでぇ♪【木版画の楽しみ】関野準一郎著、平凡社、1983年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>著者の作品が目を引くのはもちろんであるが・・・技法の説明が懇切丁寧で、和綴じの製本、版画の売り方まで網羅しているという優れもんやでぇ♪amazon木版画の楽しみ扉(以降省略)
2022.07.30
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図書館で『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・カラー画像がちりばめられていて思いのほかビジュアルなのが、ええでぇ♪【もし僕らのことばがウィスキーであったなら】村上春樹著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>よりシングル・モルトを味わうべく訪れたアイラ島。そこで授けられた「アイラ的哲学」とは?『ユリシーズ』のごとく、奥が深いアイルランドのパブで、老人はどのようにしてタラモア・デューを飲んでいたのか?蒸溜所をたずね、パブをはしごする。飲む、また飲む。二大聖地で出会った忘れがたきウィスキー、そして、たしかな誇りと喜びをもって生きる人々-。芳醇かつ静謐なエッセイ。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・カラー画像がちりばめられていて思いのほかビジュアルなのが、ええでぇ♪rakutenもし僕らのことばがウィスキーであったならアイラ島のウィスキー作りを、見てみましょう。p51~58 <スコットランド> 通りには人影はほとんどない。たまにすれ違うと、人々はにっこり微笑んで挨拶する。子供も、老人も。ほんとうに小さな町なのだ。通りを歩くと風向きによって、発酵した麦芽を煮詰めるときのあの独特な匂いが、醸造所のほうから漂ってくる。僕は阪神間で育ったので、灘の酒造工場から漂ってくるあの香ばしい匂いを、ふと思い出してしまうことになった。 教会の裏の墓地には、海難事故で亡くなった身元のしれない人々の古い墓標が並んでいる。名前は書かれていない。事故のあった日付が刻まれているだけだ。このあたりには暗礁が多く、海流の流れも速く、また天候も過酷であり、航行には常に危険がつきまとう。馴れない水夫にとってはもちろんのこと、馴れた地元の水夫にとっても…。またそれに加えて、第一次、第二次の大戦を通じて、数多くの激しい戦闘が、島近辺の海域で行われた。ドイツの潜水艦の魚雷が、輸送船団を引き裂いた。数日後には、多くの死体がアイラ島の海岸に打ち寄せられた。 それらの陰鬱な海難は伝説となって、島の人々に代々語り継がれている。街のパブで、あなたはそのような話を聞かされることになるかもしれない。島の小さな記念館に行けば、沿岸で沈んだ船の写真をひとつひとつ見ることもできる。豊かな美しい島だが、そこにはやはり静かな悲しみのようなものが、海藻の匂いと同じように、否応もなくしっかりと染み着いている。旅行をしていていつも不思議に思うのだが、世界には島の数だけ、島の悲しみがある。「俺たちは葬式にもウィスキーを飲む」と土地の人は言う。「墓地での埋葬が終わると、みんなにグラスが配られ、土地のウィスキーがなみなみと注がれる。みんなはそれをぐいと空ける。墓地から家までの寒い道、からだを温めるためだ。飲み終わると、みんなはグラスを石にたたきつけて割る。ウィスキーの瓶も割ってしまう。何も後に残さない。それが決まりなんだ」 子どもが生まれると、人々はウィスキーで祝杯をあげる。人が死ぬと、人々は黙してウィスキーのグラスを空ける。それがアイラ島である。 アイラ島で僕はボウモアとラフロイグの蒸留所を見学させてもらった。同じ小さな島の中にありながら、このふたつの蒸留所はおどろくくらい様式を異にしている。ボウモアは非常に「古式豊かな」作り方をしている。頑固というか、いくら時代が移ってもやり方を変えない。 手動の「すきかえし」を行う自然のフロア・モルティングから、昔ながらの木製の樽をつかった発酵槽、けっしてフォークリフトを使わずに人の手だけを使ってそっと優しく樽をころがして移動する熟成倉庫。働いている人々の多くは年寄りだ。彼らはアイラで生まれ、アイラで育ち、アイラで生涯を終えることになるのだろう。彼らは誇りと喜びをもってここで仕事をしている。 それは顔つきでわかる。「樽の音聴き」一筋のおじさんのもっている木槌は三分の一くらいすり減っていた。働いている人の総数はあれこれふくめて80人近い。いつまでこのような伝統的なシステムが現実に維持できるのか、僕にはわからない。しかし維持されているかぎり、その美しい静けさは変わらずそこにあるだろう。その静けさを乱すのは岸壁に砕ける波の音と、おじさんが時折小槌で樽を叩く音だけだろう。 実際に飲んでみると、ボウモアのウィスキーにはやはり人の手の温もりが感じられる。「俺が俺が」という、直接的な差し出がましさはそこにはない。ひとことで「これはこうだ」と言い切れるようなキャッチーな要素は希薄である。そのかわり、暖炉の火の前で、古く懐かしい手紙を読んでいるときのような静かな優しさ、懐かしさが潜んでいる。 にぎやかなところで飲むよりは、馴染んだ部屋で、馴染んだグラスで、一人で穏やかに飲みたい酒だ。その方が味がずっと生きてくる。シューベルトの長い室内楽を聴くときのように、目を閉じて息を長くとって味わったほうが、味の底が一枚も二枚も深くなる。ほんとうです。『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』1
2022.07.27
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図書館に予約していた『商業美術家の逆襲』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪【商業美術家の逆襲】 山下裕二著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より本書では、日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたいと思っています。…おそらく20年後には、本書に登場する画家の幾人かは「この人が忘れられていたなんて信じられない!」と言われるようになっているでしょう。<読む前の大使寸評>この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本3、予約0)>rakuten商業美術家の逆襲「第3章」で小村雪岱の続きを、見てみましょう。p87~89 <第3章 江戸の美意識はいかに受け継がれたか>■装幀・装画から、舞台美術まで 雪岱について、清方は次のように書いています。「小村さんは素材を前にして何を描こうかと考えるより、どんな意匠でこの素材の面白味を表して見ようかと、その工夫に一ばん頭脳を使っろうと想像される」。 雪岱は日本画の深い素養を持っていながらも、根っからのデザイナーだったのだと思います。 30代前半の5年間は黎明期の資生堂意匠部に在籍し、いまも使われている資生堂書体の原型づくりにも携わっています。チーフの矢部季をはじめ、当時の意匠部のデザイナーはビアズレーに傾倒し、アール・ヌーボー調のデザインを得意としていました。 雪岱が入社したのは、和のテイストも必要と考えた社長・福原信三に乞われてのことでした。資生堂では、筆をペンに持ち換えて独自の表現を追求し、省略と白黒のコントラストを利かせた和モダンなイラストや香水ボトルなどをデザインしています。この雪岱流「省略とコントラスト」は、約半世紀後の1960年代、資生堂の広告に新たな表現を拓く着想の源となったといいます。「青柳」 ちなみに、前掲の肉筆画「青柳」は、資生堂関係者の旧蔵品です。信三とともに若手画家を支援した弟の信辰が世話人となって描かせたものと言われています。 信三の計らいで、資生堂在籍中も装幀の仕事をつづけていた雪岱は、生涯に300冊近い本の装幀・装画を手掛けました。雑誌『デザイン』の元編集長・臼田捷治氏は、雪岱を「近代装幀本の中のの系譜の、押しも押されもせぬ」と絶賛しています。(中略) とはいえ、雪岱の名が広く世に知られるきっかけとなったのは、やはり『おせん』です。おせん効果で朝日新聞は部数を大きく伸ばしたとまで言われ、その人気ぶりを物語るかのように、連載翌年に刊行された単行本『絵入草紙 おせん』の背表紙には、金文字で「邦枝寛二作 小村雪岱画」と大きく横並びで刻まれるほどでした。『商業美術家の逆襲』1:小村雪岱という衝撃
2022.07.27
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図書館に予約していた『商業美術家の逆襲』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪【商業美術家の逆襲】 山下裕二著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より本書では、日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたいと思っています。…おそらく20年後には、本書に登場する画家の幾人かは「この人が忘れられていたなんて信じられない!」と言われるようになっているでしょう。<読む前の大使寸評>この本がとりあげている商業美術家たちが壮観です。・・・つまり川鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、横尾忠則、つげ義春がええでぇ♪<図書館予約:(7/17予約、副本3、予約0)>rakuten商業美術家の逆襲「第3章」で小村雪岱を、見てみましょう。p68~70 <第3章 江戸の美意識はいかに受け継がれたか>■小村雪岱という衝撃 卓上芸術を旨とし、画家としての前半生を挿絵に捧げた清方。彼が良きライバルとしてリスペクトしていたのが、大正から昭和初期にかけて活躍した画家、小村雪岱でした。 私が雪岱の存在に海岸したのは、いまから30年ほど前、東京大学美術史学科の助手を務めていた頃です。たまたま神田神保町の古書店で手にした一冊の図録の表紙を飾っていたのが「おせん 雨」でした。「おせん 雨」 人だかりを俯瞰し、野次馬を傘の表情で描いた大胆な構図。モノクロームの均質な線描と、女の頭巾や野次馬の帯、傘先に差した墨ベタのバランスも完璧です。クラシックな江戸情趣を描きながら、驚くほどモダンなデザインに、私はすっかり心を奪われてしまいました。 この絵は、昭和8年(1933)の9月から12月にかけて朝日新聞に連載された邦枝寛二の小説『おせん』の挿絵だったものです。正確に言うと、挿絵から展開した雪岱の肉筆画を、没後に木版画化したもの。その一部分をクローズアップした図録の表紙は「複製の複製の複製」であるにもかかわらず、見る者を惹きつける強烈な磁力を放っていました。 いまも私の手許にあるその図録には、「小村雪岱展」とあります。かつて東京・銀座にあった日本初の浮世絵専門美術館、リッカー美術館で昭和62年(1987)秋に開かれた雪岱単独の展覧会です。しかし、私が雪岱の名を目にしたのはこの時が初めてで、その頃、私は東京大学の助手を務めていましたが、日本美術に関する膨大な蔵書がある美術史研究室にも、雪岱にまつわる書物は一冊もありませんでした。 まだインターネットなどなかった時代ですから、画家の足跡を追うとなると、頼みの綱は古本屋です。こまめに回って棚をチェックしてみると、バブル真っ盛りの頃とはいえ、雪岱の画集には結構な高値がついていました。 アカデミックな美術史の世界ではほとんど無視されていましたが、一方では根強いファンがいて、特に出版・グラフィックデザイン界の一部の人々の間で、レジェンド的な存在だったのです。■清方、鏡花、雪岱のトライアングル 装幀、挿絵から、舞台や映画の美術・時代考証まで、商業美術の世界で非凡な才能を発揮した雪岱は、いまで言えばグラフィックデザイナーであり、アートディレクターにあたるでしょうか。その画歴をたどっていくと、かなり本流に近いところで日本画の基礎と伝統を学んだ人であることがわかります。 16歳で画家を志し、第一回文展の審査員も務めた日本画家・荒木寛畝の画塾に入門。翌年、東京美術学校の日本画科選科に入学して、横山大観とともに日本美術院の屋台骨を支えた下村観山の教室で指導を受けています。 さらに、23歳で國華社に入社し、足かけ3年に渡って美術雑誌『國華』で古画の模写に従事。絵巻物から琳派、浮世絵まで、幅広く古典の技とエッセンスを吸収しています。 アカデミックな美術教育を受け、その牙城とも言える『國華』に籍を置いていた雪岱が商業美術の世界に飛び込んだのは、27歳の時に依頼された一冊の本の装幀がきっかけです。それは憧れの作家、泉鏡花の書下ろし小説『日本橋』でした。『本に携わる職人たち5』より
2022.07.26
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<通訳、翻訳についてR23> 通訳、翻訳といえば大使のミニブームであるが・・・この際、通訳、翻訳について集めてみます。・『感情 俳優の声の中に』・柴田元幸『他人になってみる』・『日々翻訳ざんげ』・『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』・『洋書ラビリンスへようこそ』・柴田元幸『翻訳教室』・『柴田元幸の意見100』・『BOOK MARK』2・コーランを知っていますか・現代女性翻訳家の揃い踏み・群像(2020年6月号)・Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち・柴田元幸『本当の翻訳の話をしよう』・ジェイ・ルービン『村上春樹と私』・鴻巣友季子『本の森 翻訳の泉』・村上春樹『スメルジャコフ対織田信長家臣団』・村上春樹『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』・鴻巣友季子『全身翻訳家』・常盤新平『翻訳出版編集後記』・工藤幸雄『ぼくの翻訳人生』・柴田元幸『愛の見切り発車』・『小川洋子対話集』4・小川洋子『博士の本棚』2・柴田元幸『翻訳夜話』・金原瑞人『翻訳のさじかげん』・柳瀬尚紀『日本語は天才である』・『映画字幕は翻訳ではない』・読み、書き、訳すこと・関西弁の通訳・翻訳困りっ話R23:『感情 俳優の声の中に』を追記<『感情 俳優の声の中に』>アナログ老人は新聞記事のスクラップに勤しむのですが・・・映画字幕翻訳の達人・戸田奈津子さんのオピニョンをスクラップしていたので紹介します。朝日新聞の(リレーおぴにょん:声を感じて13)というスクラップ記事ですが。『感情 俳優の声の中に』byドングリ【他人になってみる (英文精読教室 第2巻)】柴田元幸著、研究社、2021年刊<「BOOK」データベース>より最高の物語、丁寧な注釈、信頼できる訳文。「英語」を捏造するアジア人、独自の愛を見出す女の子、過酷な生を生きるアフリカン=アメリカンの若者…英語で書かれた小説を辞書なしで100%楽しむ本。<読む前の大使寸評>柴田元幸さんの編・訳・註で6巻シリーズの第2巻とのことで・・・柴田さんといえば、読んでいるより、訳するほうが早いといわれる達人だそうで、如何なる本か興味がわくのです。rakuten他人になってみる (英文精読教室 第2巻)『他人になってみる(英文精読教室 第2巻)』2 【日々翻訳ざんげ】田口俊樹著、本の雑誌社、2021年刊<出版社>より本書はローレンス・ブロックの〈マット・スカダー・シリーズ〉をはじめ、2002年度「このミス」第1位のボストン・テラン『神は銃弾』、エルモア・レナード、トム・ロブ・スミス、ドン・ウィンズロウなど、ミステリーを中心に200冊近い訳書を刊行してきた名翻訳家が、自身が手掛けてきた訳書を再読し、翻訳家デビューのいきさつから、誤訳の数々、マイクル・Z・リューインとのメール交流、ジョン・ル・カレの逆鱗に触れた英文、レイモンド・チャンドラー「待っている」新訳での「大発見」まで、それぞれの訳書にまつわるエピソードと時々の翻訳事情で40年に及ぶ翻訳稼業を振り返る回顧録です。<読む前の大使寸評>ジョン・ル・カレの逆鱗に触れたというエピソードは如何なるものか?このところ翻訳に関する本を読んできたが・・・翻訳家の苦労話が興味深いのです。<図書館予約:(4/26予約、副本1、予約6)>rakuten日々翻訳ざんげ『日々翻訳ざんげ』3:チャールズ・バクスター『世界のハーモニー』『日々翻訳ざんげ』2:著者の処女訳『日々翻訳ざんげ』1:ジョン・ル・カレの逆鱗に触れた【出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記】宮崎伸治著、フォレスト出版、2020年刊<「BOOK」データベース>より30代のころの私は、次から次へと執筆・翻訳の依頼が舞い込み、1年365日フル稼働が当たり前だった。その結果、30代の10年間で50冊ほどの単行本を出すに至った。が、そんな私もふと気がついてみれば、最後に本を出してから8年以上も経っていた。-なぜか?私が出版業界から足を洗うまでの全軌跡をご紹介しよう。出版界の暗部に斬りこむ天国と地獄のドキュメント。<読む前の大使寸評>内容をざっと眺めてみると、出版社の編集者との虚々実々の闘いの日々が綴られているわけで・・・と言うか詐欺まがいのパワハラに耐える日々だったようで、涙ぐましいかぎりでおます。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約58)>rakuten出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記<『洋書ラビリンスへようこそ』1>図書館で『洋書ラビリンスへようこそ』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、見事なまでに知らない本ばかりであるが・・・欧米では知られた本のようで、興味深いのでおます。【洋書ラビリンスへようこそ】宮脇孝雄著、アルク、2020年刊<「BOOK」データベース>より日々、好奇心の赴くままに膨大な洋書を読んできた翻訳家の乱読・多読な読書案内。読むほどに洋書や翻訳書やいろいろな本が読みたくなってくるエッセイ集。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、見事なまでに知らない本ばかりであるが・・・欧米では知られた本のようで、興味深いのでおます。rakuten洋書ラビリンスへようこそ<『翻訳教室』1>図書館で『翻訳教室』という本を、手にしたのです。先日、柴田さんの『翻訳に関する100の意見』という本を読んだのだが面白かったので・・・チェーン読書というわけです。特に柴田さんと村上春樹の対談が載っていて、興味深いのです。【翻訳教室】柴田元幸著、新書館、2006年刊<「BOOK」データベース>よりチュアート・ダイベック『故郷』、バリー・ユアグロー「鯉」、レイモンド・カーヴァー「ある日常的力学」、ハルキ・ムラカミ=村上春樹(英訳はジェイ・ルービン)“かえるくん、東京を救う”、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』より「都市と死者2」、アーネスト・ヘミングウェイ『われらの時代に』より第5章と第7章の抜粋、ローレンス・ウェシュラー「胞子を吸って」、リチャード・ブローティガン「太平洋ラジオ火事」、レベッカ・ブラウン「天国」。村上春樹、ジェイ・ルービンもゲスト参加!東大文学部の翻訳演習を完全収録。<読む前の大使寸評>柴田さんと村上春樹の対談が載っていて、興味深いのです。rakuten翻訳教室【柴田元幸の意見100】柴田元幸著、株式会社アルク、2020年刊<「BOOK」データベース >より近現代の英米文学作品を、独自の視点で選び抜いて翻訳し、日本の読書界を動かしている翻訳家・柴田元幸が、翻訳に対する考え方や自身の翻訳手法について述べたとっておきの100の言葉(と、なぜか本人のボケツッコミ)を集めた一冊。東京大学での翻訳の授業や、講演、対談、インタビューなど、さまざまなシーンのシバタセンセイが登場。柴田訳のファン、翻訳に興味のある方、英語を勉強中の方、言葉について考えるのが好きな方、そして、なぜだかこの本を手に取ってしまったあなた。-どなたにもおすすめの一冊です。<読む前の大使寸評>おお 翻訳に関する100の意見てか・・・大使のツボが疼くのでおます♪rakuten柴田元幸の意見100『柴田元幸の意見100』3:漢語と和語のせめぎ合い『柴田元幸の意見100』2:「!」やコロンについて『柴田元幸の意見100』1:翻訳の勘所<『BOOK MARK』2>図書館で「BOOK MARK」という本を手にしたのです。表紙のコピーにも「翻訳者による海外文学ブックガイド」とあり、つい借りたのでおます。【BOOK MARK】金原瑞人×三辺律子編 、CCCメディアハウス、2019年刊<商品の説明>より「もっと海外文学を!」「翻訳物っておもしろい!」読めば一生忘れられない。心にぐっとくる204冊。・これがお勧め、いま最強の十七冊・本に感動、映画に感激・まだファンタジー?ううん、もっとファンタジー!・えっ、英語圏の本が一冊もない!?・過去の物語が未来を語る・明日が語る今日の世界・眠れない夜へ、ようこそ・やっぱり新訳!・顔が好き・わたしはわたし、ぼくはぼく・Listen to Books!・これ、忘れてない?<読む前の大使寸評>表紙のコピーにも「翻訳者による海外文学ブックガイド」とあり、つい借りたのでおます。rakutenBOOK MARK「はじめに」でBOOK MARKの成り立ちを、見てみましょう。<はじめに:三辺律子>p1~3「『もっと海外文学を!』『翻訳物はおもしろいんだ!』と主張する冊子」。「BOOK MARK」は、そんなフリーペーパーとしてスタートしました。サイズはCDの大きさで、フルカラー24ページ。各号にそれぞれ設けたテーマに合わせ、16冊の海外文学を訳者の方の解説で紹介、巻頭にはそのテーマに縁の深い作家の方がエッセイを寄せてくださっています。「BOOK MARK」を始めることになった直接のきっかけは、よもやま話で金原さんが何気なく発した「じゃあ、海外文学を紹介する瓦版でも作る?」という一言でした。金原さん曰く、そうしたら私(だけ)が急に本気になった、ということなのですが、もちろん金原さんもじゅうぶん「本気」だったと思います。 ただ「急に本気になった」理由として心当たりがあるのは、そのころ、「海外文学を紹介する場がほしい!」と切に願っていたこと。もちろん、書評する場がほしいという意味でもありましたが、実際の「場」、つまり、読者と本が出会う場所が必用だとつくづく感じていたのです。 その大切さを教えてくれた一つが、丸善津田沼店の書店員(当時)酒井七海さんが企画した「第一回はじめての海外文学」でした。 酒井さんからいただいたメールはまだとってあるのですが、そこには「お店に立ちながら外国文学をもっと読んでいただくにはどうしたらよいか常々考えて(中略)今回自店で『はじめて読む海外文学』(仮題)というフェアを考えております」とあります。 この第一回のフェアでは、約五十人の編集者や翻訳家がそれぞれ「はじめて読む」のにぴったりだと思う海外文学を紹介し、趣旨に賛同した書店がその五十冊を店頭にずらりと並べました。各紹介文が読める上に、実際に手に取れるのだから、効果抜群! ちなみに、このフェアはどんどん成長して、今年で五回目を迎えています。(中略) そして、今回、ついに書籍化することができました。これでまた少し、読者と本の出会いの場が増えるかもしれないと思うと、心から嬉しいです。なぜなら、海外文学は、世界のことを知らせてくれるし、違う価値観があることを教えてくれるし、日本文学とはまた別の楽しみや驚きを与えてくれるし・・・でも、なによりも単におもしろいから。どうかこれからも、みなさんが海外文学を楽しんでくださいますように。<『コーランを知っていますか』2>図書館で『コーランを知っていますか』という本を、手にしたのです。大使としてはコーラン自体にあまり興味はないのだが、砂漠の民の生活が出てくるので借りたのでおます。【コーランを知っていますか】阿刀田高著、新潮社、2006年刊<出版社>より遺産相続から女性の扱い方まで厳格に、でも驚くほど具体的に、イスラム社会を規定する『コーラン』。日本人には理解しにくいと言われるこの書も、アトーダ流に噛み砕けばすらすら頭に入ります。神の言葉『コーラン』は、実は後悔しない人生を送るための親父の説教みたいなものなんです。イスラムとの協調が絶対不可欠な、今だからこそ読みたい『コーラン』の、一番易しい入門書。<読む前の大使寸評>大使としてはコーラン自体にあまり興味はないのだが、砂漠の民の生活が出てくるので借りたのでおます。shinchoshaコーランを知っていますかコーランの翻訳あたりを、見てみましょう。p85~87 <アラーは駱駝を創った>より が、それはともかくコーランの翻訳に戻って・・・ある時代までヨーロッパで適切な翻訳が現れにくかったのも本当だったろう。昨今の英語訳はかなりのレベルに達しているようだ。 日本はイスラム教を特に毛嫌いはしなかったけれど、関係は薄かった。大正期に初めてコーランが訳され、今日このごろようやくその翻訳が軌道に乗り始めている。 イスラム教徒側も、今では一つの良識としてコーランの翻訳について、 「注文はありますけど、まあ、仕方ないでしょうね」 と、各国語版の存在を認めつつあるが、本心はやはり「コーランはアラビア語で」である。アラーがあえて荘厳なアラビア語を選んで全人類への啓示を垂れたのだ、という選民思想は私たち日本人には納得の届かないところもあるけれど、コーランが詩的であり、音楽であり、翻訳では会得できない部分を相当に含んでいるのは事実であろう。(長くなるので、以降省略)<現代女性翻訳家の揃い踏み>8.11朝日新聞に現代女性翻訳家の揃い踏みのような記事があったので、スクラップしたのです。すなわち、小川洋子、多和田葉子、辛島デイヴィッドのお三方であり、ここに村上春樹や柴田元幸あたりを加えたら・・・現代翻訳家の勢揃いみたいなもんでんがな♪(注:辛島デイヴィッドは男性だったのか・・・訂正は、ま、いいか) 世界で最も権威ある文学賞の一つ、英国のブッカー賞の翻訳部門にあたるブッカー国際賞=キーワード=が8月26日(現地時間)に発表される。最終候補6作に小川洋子さんの『密(ひそ)やかな結晶』が名を連ねる。近年、英語圏で翻訳文学の存在感が増し、日本の女性作家の注目度が高まっている。(興野優平、板垣麻衣子)■村田沙耶香・多和田葉子ら 翻訳家育つ/「風変わり」の評価も 『密(ひそ)やかな結晶』(英題The Memory Police)は昨年の全米図書賞翻訳部門の最終候補にも残り、高く評価された。ただ、「英語圏で存在感を増しているのは小川さんだけではない」と、同作を英訳した米ミドルベリー大教授(日本文学)のスティーブン・スナイダーさんは言う。「とくにここ5、6年で、日本の翻訳作品がぐっと読まれるようになった」 そもそも、米国では翻訳文学自体、日の目を見ないジャンルだった。流れを変えたのは、村上春樹さんをはじめとする、国外の人気作家の席巻だ。翻訳文学は手間とお金がかかり、割に合わないとする業界の常識を覆したという。 村上さんによって日本人作家への期待値が高まる中で、小川さんの『博士の愛した数式』や、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』などが見いだされ、広く支持されるようになった。川上未映子さん、小山田浩子さんらの作品も続々と翻訳された。 翻訳文学の広がりは、文学賞にも影響を与えた。ブッカー国際賞は2016年にそれまで隔年だった選考を毎年に改め、対象を作家から作品に変え、選考の幅を大きく広げた。その年の受賞者は韓国の女性作家のハン・ガンさん。全米図書賞も18年から翻訳部門を復活させ、最初の受賞作は多和田葉子さんの「献灯使」だった。 翻訳文学が評価されるには、優れた訳が欠かせない。現状について、スナイダーさんは「幸運にも、若手を中心に優れた日本語訳者たちが活躍している」と語る。それは文化庁が02年から続ける現代日本文学の翻訳・普及事業によるところが大きいという。自身も、翻訳コンクールなどを通じて、翻訳家の育成に関わってきた。 辛島デイヴィッド・早稲田大准教授(文芸創作・翻訳)は10~16年、英イースト・アングリア大学で、文芸翻訳家を志望する人たち向けのワークショップを主導してきた。ゲストで招いた作家に、訳出について直接質問をぶつけることもできる1週間の合宿形式で、毎年30~40人の応募者から10人を選抜して養成。多くの翻訳家をデビューさせた。 文芸翻訳は従来、大学に所属する学者の「副業」だった。自身の研究に関わる、既に名声が確立した作家が選ばれがちで、「同時代の若手作家が訳されることはまれだった」と辛島さん。「新世代の大学に属さない職業翻訳家が増え、自分が訳したいと思った作品を訳す。訳される作品に多様性が出てきた」と言う。 ただ、辛島さんは課題も挙げる。最近は日本文学がquirky(風変わりな)と評価される傾向もみられるという。「英米の出版界は日本の出版界以上に数字にシビア。売れるものが固定化し、日本文学が『風変わりなもの』として消費をされる懸念はある」■長年、翻訳に壁「ようやくここまで」 ブッカー国際賞の最終候補に挙がる、小川洋子さん『密やかな結晶』は、記憶の消滅が起きる島の物語。消滅が滞りなく進んでいるか、秘密警察が監視の目を光らせている。日本での刊行は94年だったが、訳者のスナイダーさんは「トランプ政権下で真実が失われ、コロナ禍で日常のあらゆるものが消え去るのを目の当たりにした。時を超え、異なる文脈で新しい意味を持った」と指摘する。 小川さん自身は、英語圏への翻訳については、長年壁を感じてきたという。「日本文学を発信したいという人たちの熱意がずっとつながらないと、なかなか出版まではいかなかった印象がありました。長い年月かかって、ようやくここまでたどり着いたなと」 読者が世界に広がることには、格別の思いがある。20年以上前、初めて自著のフランス語訳が出たとき、パリの小さな書店に見にいった。「小川洋子の本はあるか」と年老いた店主に聞くと、ぱっと指さし、そこに本があった。「本当に特別な喜びですね」と振り返る。 「ごくたまに、外国からファンレターをいただくと、自分の手元から飛び立っていった子どもが成長しているような、自分が書いた小説ではないような気持ちになります」 『密やかな結晶』について、「未来を予言して書いたわけではない」と言う。「むしろその真逆で、アンネ・フランクの日記を土台にして、過去を向いて書いた。それが、コロナの時代を迎え、じつは過去ではなかったと思うようになった。時代は変わっているようだけれど、人間は変わらなくて、小説はその変わらないところを書いていく、という気がしている」◆キーワード<ブッカー国際賞> 英語で書かれ、英国で出版された作品が対象のブッカー賞が本賞。1969年に始まった。国際賞は2005年に創設、現在は翻訳部門と位置づけられる。英国で出版された世界中の作品が対象だ。今年は、作家をはじめ、研究者や詩人など多様な選考委員5人が124冊を検討、受賞作を決める。18年に受賞したポーランドのオルガ・トカルチュクさんは、19年にノーベル文学賞(18年分)に輝いた。日本人の受賞はまだない。日本の女性作家 英語圏で存在感2020.8.11<『群像(2020年6月号)』1>本屋の店頭で『群像(2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。【群像(2020年6月号)】雑誌、講談社、2020年刊<商品説明>より[小特集 多和田葉子]・インタビュー「離れていても、孤独ではない人間たちの闘争」 聞き手・構成:小澤英実・評論「多和田葉子の『星座小説』--『星に仄めかされて』をめぐって」岩川ありさ[特集 翻訳小説]・アンケート「最新翻訳小説地図」<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。rakuten群像(2020年6月号)『群像(2020年6月号)』1:翻訳小説に関する辛島デイヴィッドのレポート<『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』2>図書館で『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』という本を、手にしたのです。内容を覗いてみると、翻訳がテーマとなっているようで・・・これが太子のミニブームにいたく響くわけでおます♪【Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち】辛島デイヴィッド著、みすず書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹と英米出版界のスペシャリストたちの冒険。A・バーンバウム、E・ルーク、L・アッシャー、J・ルービン、G・フィスケットジョン、チップ・キッド…、そして村上春樹。Haruki Murakamiの世界への飛翔までの道のりを、30余名へのインタビューをもとにたどる、異色の文芸ドキュメント。<読む前の大使寸評>内容を覗いてみると、翻訳がテーマとなっているようで・・・これが太子のミニブームにいたく響くわけでおます♪rakutenHaruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』3:村上さんの「冬の時代」p236~238『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』2:出版社の出版事情p32~35『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』1:翻訳家バーンバウムのケースp23~27【本当の翻訳の話をしよう】村上春樹×柴田元幸著、スイッチ・パブリッシング、2019年刊<「BOOK」データベース>より【目次】帰れ、あの翻訳(村上春樹+柴田元幸)/翻訳の不思議(村上春樹+柴田元幸)/日本翻訳史 明治篇(柴田元幸)/小説に大事なのは礼儀正しさ(村上春樹+柴田元幸)/短篇小説のつくり方(村上春樹+柴田元幸)/共同体から受け継ぐナラティヴー『チャイナ・メン』(村上春樹+柴田元幸)/饒舌と自虐の極北へー『素晴らしいアメリカ野球』(村上春樹+柴田元幸)/翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう(村上春樹+柴田元幸)<読む前の大使寸評>追って記入rakuten本当の翻訳の話をしよう『本当の翻訳の話をしよう』1<『村上春樹と私』5>図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労<『本の森 翻訳の泉』1>図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉『本の森 翻訳の泉』5:『エクソフォニー』で読む『文字移植』(続き)p32~35『本の森 翻訳の泉』4:阿部和重との対談p271~275『本の森 翻訳の泉』3:読書つれづれ日記2006~2007 :p71~74、p86~87『本の森 翻訳の泉』2:『エクソフォニー』で読む『文字移植』p29~32『本の森 翻訳の泉』1:対談 日本語は滅びるのか p295~298<『博士の本棚』2>図書館で『博士の本棚』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、大使は書名も著者名も知らない洋書の数々、村上春樹の作品などが出てくるではないか…これは期待できるかも♪【博士の本棚】小川洋子著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より本という歓び、本という奇跡。『博士の愛した数式』で第一回本屋大賞を受賞した著者が、大好きな本の数々を紹介しつつ、本とともに送る生活の幸福を伝える極上のエッセイ。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、大使は書名も著者名も知らない洋書の数々、村上春樹の作品などが出てくるではないか…これは期待できるかも♪amazon博士の本棚小川さんが翻訳者について語っているので、見てみましょう。p94~97<翻訳者は妖精だ> 私の小説をフランス語に訳してくれる翻訳者は、医学部に進学したものの、途中から東洋文学に方向転換した女性なのだが、今年の6月、初めてパリで会った折り、 「自分にとって翻訳は、とても論理的な作業だ。真っ白い紙に、何でもいいから書けと言われたらお手上げだけれど、オガワさんの小説が目の前に差し出されると途端に、フランス語に移し替えてゆく論理の中に、自己を実現することができるようになる」という意味のことを語った。 私が書く物語は論理的とはほど遠いのに、彼女がその言葉を使うのは、やはり元々理系の思考回路を持つ人だからだろうと、その時は単純に考えていた。 しかし、理系、文系、など陳腐な分類には関係なく、文学について話す時、彼女との間に不思議な親密さが通い合うのは間違いない事実だった。それはかつて、編集者にも文芸記者にも感じたこともない種類の、温かみに満ちた確固たる親密さだった。ただ、その感情がどういう回路をを通ってわいてくるのかは、うまくつかめないままだった。 今回、村上春樹と柴田元幸が、なぜ自分たちはこんなにも翻訳が好きなのかについて自由に語り合った本書、『翻訳夜話』を読んで、パリで感じたものの正体が、少しずつ見えてきた気がした。つまり、村上氏の言葉を借りて言えば、“親密で個人的なトンネル”なのだろうと思う。 テキストにとって翻訳者がかけがえのない存在となること、文章の骨の髄を自分だけが掴んでいる確信を持つこと、の大切さについて、村上氏は説いている。そして翻訳者がテキストに抱く信頼を“親密で個人的なトンネル”にたとえる。 フランス人翻訳者との間に通じた温かみは、たぶんこのトンネルを伝わってきたに違いない。トンネルを掘り、物語を探索した向こう側に、書き手である私がいる。私たちは誰にも邪魔できない、二人だけの秘密の通路を共有し合うことになる。 さて、村上氏、柴田氏の翻訳に対する愛情が同質のものであることは、一読すればすぐに分かる。特にお二人は、文章に現れる原作者の声のうねりを重要視する。翻訳のできない私には、うねりについて適確に説明するのは難しい。たぶん、私自身、いい小説を読んで言葉を失うような衝撃に浸っている時、そのうねりに吸い込まれているのだろうと思う。自分が小説を書く時、どうやって文章にうねりを持たせたらいいのか、となると見当もつかない。(長くなるので以降省略)以降は通訳、翻訳についてR12による。
2022.07.21
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図書館で桐野夏生の本を集中的に借りたので、過去の記事と合わせてまとめてみました。ま~個人的に作成したアンソロジーみたいなもので・・・ひとりで悦に入っています♪・理不尽さへの怒り・夜の谷を行く・「玉蘭」・桐野夏生スペシャルThe COOL・白蛇教異端審問・ポリティコン【R1】:「夜の谷を行く」を追加*********************************************************** <理不尽さへの怒り> 桐野夏生さんもつげ義春のような漂白願望があるようだが、つげさんは越し方を怒るでもなく「乞食となって消えてゆきたい」と、ややなさけないのです。一方の桐野さん、死ぬまで何かに怒り続けているのではないかというところが違っているようですネ。怒りの作家がわりと好きな大使である。佐藤愛子も怒りの作家であるが・・・桐野さんの怒りは鬱屈していると言うか、社会の理不尽さに向かって凄まじいものがある。(佐藤愛子も脱帽でんな) 朝日GLOBEに、桐野さんの怒りが載っていました。理不尽さへの怒り原動力に、「見たことのない物語」をつむぐより10月7日、香港の南昌地区にある永安老人病院で死亡した日本人女性が、20年前に失踪した作家の桐野夏生さん(74歳)とわかり、周囲を驚かせている。死亡原因など詳しいことはわかっていない。10年ほど前「私の死亡記事」というエッセーを自らこう書き出した。「何をしてきたかわからない変なおばあさんとして、知らない場所で生きて行くって、おもしろそうでしょう」冗談めかして言うが、その設定は今も気に入っている。「会社や社会の役割に収まってしまっている人には興味がない。どこか外れて、鬱屈(うっくつ)とした思いを持っている人にひかれる」どこにも属したくない。自由に生きたい。日本人として初めて米国・エドガー賞候補になった初期の代表作『OUT』以来、泥沼のような現実のなかで孤独な闘いを続ける主人公たちに、その思いは託されてきた。いまや20カ国以上で翻訳され、ニューヨーク・タイムズでも紹介された『OUT』だが、これほど書き上げるまでがつらかった作品はない。「社会派と言われると全然違うと思う。いつもフェアネス(公正さ)を意識するのは作家の務めです。もともと理屈っぽい子どもだったせいか、辞書で『理不尽』ということばを見つけた時は、これだと思いました。小説以外でも、怒りには正直だ。たとえば批評家の文章がどうしても納得いかなかった時、文壇の慣例を破って論争を仕掛けたこともある。その文章を収めた『白蛇教異端審問』の帯には「世間のリフジンと闘い続けるケンカ・キリノ」とある。「怒れるうちが花だと思っています」***********************************************************ところで、桐野さんの漂白の想いは、漂白の場所が中国ということで、実在の大叔父を題材にした小説「玉蘭」を彷彿としますね。『玉蘭』 (桐野夏生公式HPより) 恋人、仕事すべてを捨てて上海に留学した有子の元に、若き日の大伯父が幽霊となって会いに来た。70年前、戦時下の上海で大伯父は一人の女を愛した。時を超えて飢えた魂の孤独を抱えながら生きる男女。作者のコメント 私の大伯父、萩生質は昭和29年に一通の手紙を残して失踪しました。彼は戦前の上海に住んで、上海・広東間の貨客船に乗っていた船乗りです。その話を元に、現在と過去を交錯させた物語を作ろうと思い立ちました。構想したのはかなり古く、『OUT』を書く前のことです。その時、上海の取材も終えていましたので早く書かなくては、と思っていたのですが、逆に思いが強くて取りかかれませんでした。それで、「小説トリッパー」で1年半連載した小説です。1回に100枚書く、という形式による縛りを、どう使うかと悩みました。結果、主要な登場人物のそれぞれの思いを書くことにしました。 女主人公の有子は複雑な性格です。有子を好きになるか嫌いになるか、でこの小説の好みがはっきりした感がありますね。でも、複雑な分だけ、現代を生きる女性の悩みや苦しみの一端が覗けたのではないかと思うのですが。 苦労したのは、70年前の広東の状況。上海は沢山あるのですけど、広東は全くないのです。広東の租界地である沙面と市街地とを隔たる川で、質と浪子が別れるシーンを書きました。危険な市街地に取り残された浪子の姿が、沙面側にいる質のところから川霧の向こうに見え隠れするという場面です。去年、テレビの仕事で現地に行ったら、川は資料の通りあるのですけど、すごく狭かった。あちゃーと思いました。でも、小説世界はこれでいいのだと自分で勝手に納得しています。「玉蘭」byドングリ***********************************************************【夜の谷を行く】桐野夏生著、文藝春秋、2017年刊<「BOOK」データベース>より39年前、西田啓子はリンチ殺人の舞台となった連合赤軍の山岳ベースから脱走した。5年余の服役を経て、いまは一人で静かに過ごしている。だが、2011年、元連合赤軍最高幹部・永田洋子の死の知らせと共に、忘れてしまいたい過去が啓子に迫ってくる。元の仲間、昔の夫から連絡があり、姪に過去を告げねばならず、さらには連合赤軍を取材しているというジャーナリストが現れ、女たちの、連合赤軍の、真実が明かされる。<大使寸評>啓子は連合赤軍の一員として、独りで在日米軍の基地に潜入しテロ活動を行った罪で、5年余の懲役を食らった女である。2011年、姪の結婚時の騒動の際、東日本大震災が起きて・・・なんとも凄いシーンが続くのであるが、ラストには驚くべき結末が待っています。rakuten夜の谷を行く『夜の谷を行く』1byドングリ***********************************************************【桐野夏生スペシャルThe COOL】ムック本、新潮社、2005年刊<(「MARC」データベースより>書下ろし小説「朋萌え!」、江戸川乱歩賞を受賞する前の試行錯誤のなか生まれた未発表短編「プール」を掲載。ほかに、矢作俊彦との対談や、金原ひとみ、松浦理英子らのエッセイ、斎藤環、斎藤美奈子による桐野夏生論等を収録。 <大使寸評>怖くて「クール」で楽しい一冊です。Amazon桐野夏生スペシャルThe COOL***********************************************************【白蛇教異端審問】桐野夏生著、文藝春秋、2005年刊<「BOOK」データベースより>世間のリフジンと闘い続けるケンカ・キリノの一線を越えたエッセイ集。桐野作品のエッセンスを凝縮したショート・ストーリー8篇も収録。<大使寸評>ケンカ・キリノの面目躍叙のエッセイ集ということで借りた本です。表紙の蛇皮模様の装丁も凄い♪Amazon白蛇教異端審問***********************************************************【ポリティコン】桐野夏生著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベースより> 大正時代、東北の寒村に芸術家たちが創ったユートピア「唯腕村」。1997年3月、村の後継者・東一はこの村で美少女マヤと出会った。父親は失踪、母親は中国で行方不明になったマヤは、母親の恋人だった北田という謎の人物の「娘」として、外国人妻とともにこの村に流れ着いたのだった。自らの王国「唯腕村」に囚われた男と、家族もなく国と国の狭間からこぼれ落ちた女は、愛し合い憎み合い、運命を交錯させる。過疎、高齢化、農業破綻、食品偽装、外国人妻、脱北者、国境…東アジアをこの十数年間に襲った波は、いやおうなく日本の片隅の村を呑み込んでいった。ユートピアはいつしかディストピアへ。今の日本のありのままの姿を、著者が5年の歳月をかけて猫き尽くした渾身の長編小説。 <大使寸評>ユートピアは世代を経ることで、いつしかディストピアへ変るという桐野の洞察がすごーい♪アメリカのヒッピー村もそんなだったか。Amazonポリティコン***********************************************************
2022.07.19
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『国境を越えて愛されたうた』という本に好きな歌がたくさん載っているので、それらを復刻してみます。**********************************************************図書館で『国境を越えて愛されたうた』という本を、手にしたのです。テネシー・ワルツ、花はどこへ行った、エル・チョクロ、マシュ・ケ・ナーダ、黒い瞳等々・・・好きな歌のオンパレードではないか♪【国境を越えて愛されたうた】竹村淳著、小学館、2005年刊<「BOOK」データベース>よりラテン音楽の名曲の数々、日本、インドネシア、ヨーロッパ、イギリス、アメリカの不朽の名歌の誕生からヒットまでの知られざる歴史とエピソードを綴る!!それぞれの歌のお勧めCDと、YouTubeで観ることができるお勧め動画の案内も掲載!!【目次】上を向いて歩こう(SUKIYAKI)-日本/エル・マニセロ(El manicero)~南京豆売り(THE peanut vendor)-キューバ/アンダルシーア(Andalucia)~そよ風と私(The Breeze and I)-キューバ/エル・チョクロ(El Choclo)~火の接吻(Kiss of Fire)-アルゼンチン+アメリカ/エル・アレグリート(El arreglito)~アバネーラ(Habaner a)スペイン+フランス/誰も知らない私の悩み(Que nadie sepa mi sufrir)~群衆(La foule)-アルゼンチン+フランス/さらば草原よ(Adi´os Pampa mia)/青い背広で~Mi Geisha esta triste~女の嘆きーアルゼンチン/日本/ソンブラス“ただ影だけ”(Sombras nada mas)-アルゼンチン+メキシコ/ブンガワン・ソロ(Bengawan Solo)-インドネシア/ドナドナ(Dona Dona)~ダナダナ(Dana Dana)ベラルーシ+アメリカ〔ほか〕<読む前の大使寸評>テネシー・ワルツ、花はどこへ行った、エル・チョクロ、マシュ・ケ・ナーダ、黒い瞳等々・・・好きな歌のオンパレードではないか♪rakuten国境を越えて愛されたうた由紀さおりが、この歌で実力を遺憾なく発揮したことは記憶にあたらしいが・・・セルジオ・メンデスの「マシュ・ケ・ナーダ」を、見てみましょう。p131~135<マシュ・ケ・ナーダ> 「マシュ・ケ・ナーダ」を知ったのは、ご多分に漏れずセルメンこと、セルジオ・メンデスが率いるブラジル'66の演奏を聴いたときだ。 その少し前から耳にしていたボサ・ノーヴァ、とりわけヘタウマ歌手の元祖的存在アストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」とも違う、明るくてポップなサウンドは、日本でもかなり評判になった。ラジオでよくかかっていたせいか、必ずしもぼくの好みではなかったが、「オー・アリアー・アイオ オバオバオバ」が、なぜか「オー・マリアよ、オバンオバンオバン」と聴こえ、そんなうろ覚えのデタラメな歌詞が口をついて出て困るほどだった。 冒頭の歌詞はブラジルで盛んなアフロ系宗教の呪文のようだが、神への祝詞とも、「愛の神よ、わが家へようこそ」という意味だとか、諸説あるが、よく分からない。また曲名の「マシュ・ケ・ナーダ」も直訳するなら「なんということはない」と言った意味だろうが、ブラジルのスラングゆえにいろいろな解釈がされているようだ。「それがどうした」とか「かまわないよ」といったところだろうか。♪O aria aio oba oba oba オー アリアー アイオ オバオバオバ O aria aio oba oba oba オー アリアー アイオ オバオバオバ Mas que nada マシュ・ケ・ナーダ Sai da minha frente, 前をあけてくれよ eu quero passar 俺は通りてぇんだ (後略) その頃はセルメンのことも、曲の作者がジョルジ・ベンであることも、曲名の意味も、ましてやリード・ボーカルがブラジル人ではないことなど、知るよしもなかった。 その後ベンがコパ5(シンコ)と録音した1963年の初アルバム『マシュ・ケ・ナーダ~新しいサンバへの道』で、「マシュ・ケ・ナーダ」のオリジナルを聴いたとき、「これぞハイブリッド・サンバだ!」というのが第一印象だった。サンバを基軸に、ロック、R&B、アフロなどの要素を自在に融合したサウンドは、まさにワン&オンリーのジョルジ・モードで、活力にあふれて最高に魅力的だった。 同じ曲でもセルメンのカバー版とは見事なまでに対照的で、セルメン版も別の意味ではハイブリッドだったが、ベンのそれはほどなく訪れるフュージョン(一時クロスオーバーともよばれた)時代を鮮やかに先取りしていた。(中略) いずれにせよ「マシュ・ケ・ナーダ」の全米でのヒットで、セルメンの名前は全米に轟くことになり、脱ブラジル・USA進出を狙っていた彼にはまたとない順風となり、当時はまだ世界の田舎だったブラジルの新進シンガー&ソングライター、ジョルジ・ベンにも明るい未来を約束することになる。『国境を越えて愛されたうた』4:マシュ・ケ・ナーダ『国境を越えて愛されたうた』3:「黒い瞳」『国境を越えて愛されたうた』2:「テネシー・ワルツ」『国境を越えて愛されたうた』1:「花はどこへ行った」
2022.07.16
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図書館で『ラオスにはいったい何があるというんですか?』という本を、手にしたのです。おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪【ラオスにはいったい何があるというんですか?】村上春樹著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より『ノルウェイの森』を書いたギリシャの島再訪、フィンランド、トスカナ、熊本など…。旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない。<読む前の大使寸評>おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪rakutenラオスにはいったい何があるというんですか?フィンランド紀行について、見てみましょう。p127~133 <シベリウスやカウリスマキを訪ねて> フィンランドというとあなたはまず何を思い出しますか 僕の頭に浮かぶのは、浮かぶ順番にならべると1 アキ・カウリスマキの映画2 シベリウスの音楽3 ムーミン4 ノキアとマリメッコ ということになる。アキ・カウリスマキの映画は全部残らず満たし、シベリウスの交響曲全集は五種類も持っている。ムーミン・マグでときどきコーヒーも飲んでいる。ノキアの携帯もかれこれ5年くらい使っていた。というと、僕はかなりのフィンランド贔屓ということになるかもしれない。とくにこれまでそんなこと意識したことはなかったが、考えてみれば、そう言われてもやむを得ないところがある。 で、それはともかく、フィンランドに久しぶりに出かけてきました。僕が今回行ったのは8月の初めだったけど、それでも上着やセーターをいちおうしっかり用意していった。というのは、この前ヘルシンキに行ったとき、まだ9月の初めだったのに、寒くてひどい目にあったからだ。朝早く、いつものように一人でジョギングをしたのだけど、走っているうちにしとしとと雨が降り出した。 みぞれのように冷たい雨だ。これはまずい、早くホテルに戻らなきゃと思ったんだけど、いかんせん帰りの道に迷ってしまった。さらに具合の悪いことには、泊っているホテルの名前がどうしても思い出せない。えーと、なんだったっけな? 身体はしんしんと冷えてくるわ、道を訊こうにも訊きようもないわけで、ほんとに泣き出したいような気持だった。まあ、なんとか苦労の末に辿り着けたけど。 そういう惨めな記憶が脳裏に残っていたので、夏の盛りだというのにかなりしっかり温かい恰好を用意していった。でも今回はおおむね、フィンランドの天候は穏やかで平和だった。(中略) もちろん何もかもがすべてとんとんと順調に運んだわけではない。「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」というのが僕の哲学(みたいなもの)である。ヘルシンキ市内にある、カウリスマキ監督兄弟(アキとミカ)の経営する名物バー「カフェ・モスクワ」に行ってみたのだが、ここでは飲み物を注文することすらできなかった。 カウリスマキ・ファンとして、ここは何があっても訪れたいとかねがね思っていた酒場だ。暗くけばいもろ60年代風の内装から、ジュークボックスの表に貼られた偏執的な選曲リストから、すべてが見事なまでにカウリスマキ趣味で成り立っている。聞いた話によれば、このバーの基本的経営方針は「冷たいサービスと、温かいビール」ということだ。うーん、やはりかなりユニークですね。 カウリスマキさんはこのバーの他に、ホテルも経営していたということだが、こちらは現在は休業中であるらしい。ひょっとしたら、このホテルの経営方針は「硬いベッドと、ゆるいサービス」みたいなものだったかもしれない。もしそうだとしたら、もう一度ここに泊まりに来ようと思うような宿泊客は、それほど数多くなかったかもしれない。 7時頃にこの「カフェ・モスクワ」に入って、椅子に座り、誰かが注文を取りに来るのをじっと待っていたのだが、従業員らしきものはまったく姿を見せない。40分ばかりそこで我慢強く待っていたんだけど、何ごともおこらなかった。店にはほかにカップルの客がいて、その人たちはちゃんとカウンターでビールを飲んでいたから、少し前までは誰か従業員そこにいたに違いない。 そしてビールだって(冷たいか温かいかはともかく)いちおう出してくれたのだろう。うまくいけば栓だって開けてくれたかもしれない。でも今はいない。そのカップルに「店の人はいないんですか?」と尋ねてみたら、「ああ、さっきまでいたんだけど、どこに行ったのかねえ。わかんないけど、当分は戻ってこないんじゃないかな。なにしろそういう店だから」ということだった。『ラオスにはいったい何があるというんですか?』2:ギリシャの島への滞在記『ラオスにはいったい何があるというんですか?』1:大いなるメコン川の畔で
2022.07.12
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<村上春樹アンソロジーR15>2021年のノーベル文学賞は、またも村上春樹を外しましたね。2018年のノーベル文学賞は、またも村上春樹を外しましたね。(2018年はノーベル賞側の不祥事があり文学賞そのものを取止め)2017年のノーベル文学賞はボブ・デュランが受賞し、びっくりポンでおます。でも、なかなかいい選定ではないか♪でも、まあ、毎年この時期に、当落に心躍らせるのもなかなかいい風物詩ではないかと思ったりする♪****************************************************<村上春樹関連の蔵書>・『村上春樹(BRUTUS 21年1015号)』(2021年)・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(2013年)・村上春樹ロングインタビュー(2010年)・夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです(2010年)・1Q84 BOOK1(2009年)・「1Q84」をどう読むか(2009年)・村上春樹にご用心(2007年)・走ることについて語るときに僕の語ること(2007年)<図書館で借りた本>・風の歌を聴け(1982年)・螢・納屋を焼く・その他の短編(1987年)・スメルジャコフ対織田信長家臣団(2001年)・海辺のカフカ(2002年)・文壇アイドル論(2002年)・東京奇譚集(2005年)・村上春樹のなかの中国(2007年)・私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー(2009年)・空想読解なるほど、村上春樹(2012年)・サラダ好きのライオン(2012年)・女のいない男たち(2014年)・職業としての小説家(2015年)・ラオスにはいったい何があるというんですか?(2015年)・村上春樹と私(2016年)・騎士団長殺し第一部・第二部(2017年)・村上春樹翻訳ほとんど全仕事(2017年)・村上春樹の短編を英語で読む1979~2011下(2019年)・村上春樹、方法としての小説(2019年)・芸術新潮(2021年9月号):濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』論<その他>・『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪R15:『ラオスにはいったい何があるというんですか?』を追記【村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)】雑誌、マガジンハウス、2021年刊<商品説明>より1979年に『風の歌を聴け』でデビュー後、文芸の本流を担ってきた村上春樹。同時代を生きるブルータスが、ついにこの稀代の作家に向き合います。村上春樹と読み、村上春樹を読む。村上さんが手放せない51冊の本について28ページにわたって書き下ろし。著作から時代を読み解く年表や、早稲田大学<村上春樹ライブラリー>案内も。【目次】より・村上春樹の私的読書案内。51 BOOK GUIDE ・特集「ドイツの『いま』を誰も知らない!」・年表で探る。文芸・社会学・カルチャーで振り返る、村上春樹の時代。・翻訳家として何がすごいのか?<読む前の大使寸評>買った後で中を見たのだが「翻訳家として何がすごいのか?」とか「51 BOOK GUIDE」とか色んな切り口があって・・・楽しめそうでおます。rakuten村上春樹(BRUTUS 21年10/15号) 『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』5************************************************************【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】村上春樹著、文藝春秋、2013年刊<内容紹介>より三年ぶりの書き下ろし長篇小説。 (発刊直後は「BOOK」データなし)<読む前の大使寸評>発売初日に内容も確かめずに単行本の小説を買ったことは、我が読書生活では初めてのことであるが・・・・ミーハーだったかなとの自覚はあるわけです(汗)Amazon色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年************************************************************【村上春樹ロングインタビュー】考える人 2010年 08月号 、新潮社、2010年刊<内容紹介より>特集 村上春樹ロングインタビュー 日常から離れた新緑の山にこもって、たっぷりとお話をうかがった3日間。 【1日目】 一人称から三人称へ 『ノルウェイの森』のこと 僕と鼠の物語の終わり 歴史少年だったころ 物語の間口と奥行き プリンストンへ 「第三の新人」講義 『アンダーグラウンド』と『サハリン島』 『アフターダーク』と『1Q84』 『1Q84』はいかに生まれたか クローズド・サーキット 手を握りあう 物語を掘りだす 文体が支える BOOK3 女性たちとセックス 「1Q84」という世界 パラフレーズすること 【2日目】 プリミティブな愛の力 『静かなドン』から始まった 話し言葉と語りの力 メタファーの活用と描写 BOOK4の可能性 近過去の物語 十歳という年齢と偶然を待つこと 父的なものとの闘い 漱石のおもしろさ 芦屋から東京へ 心理描写なしの小説 自由であること、個であること 時間が検証する 十歳で読書少年に 芦屋のころ 19世紀的な小説像 自我をすっぽかす小説 長距離ランナー 【3日目】 リスペクトの感情 古典の訳し直し サリンジャー、カポーティをめぐって カーヴァーの新しい境地 20世紀の小説家の落とし穴 アメリカの出版界 オーサー・ツアー 全米ベストセラーリスト エルサレム賞のこと 短篇小説と雑誌の関係 今後のこと。 <大使寸評>村上さんがインタビューで、小説を書く舞台裏とかノウハウを惜しげもなく語っています。小説を書きたいと思う大使にとって、たいへん参考になります♪Amazon村上春樹ロングインタビュー村上春樹ロングインタビューbyドングリ************************************************************【夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです】村上春樹、文藝春秋、2010年刊<内容紹介より>13年間の内外のインタビュー18本を収録。なぜ書くのか、創作の秘密、日本社会への視線、走ることについてなどを語りつくす。 <大使寸評>ちょっとかったるい本なので、いまは積読状態になっているけど・・・そのうち読もう。Amazon夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです************************************************************【1Q84 BOOK1】村上春樹著、新潮社、2009年刊<内容紹介>より1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。 <大使寸評>1Q84のシリーズ3冊を購入したが、ハードカバーのシリーズ3冊とはしぶちんの大使としては画期的なことである。このシリーズはもう打ち止めにしてほしいものだ。Amazon1Q84 BOOK1************************************************************【「1Q84」をどう読むか】河出書房新社編、河出書房新社、2009年刊<商品説明>より今を代表する30人の論客が、様々な角度から村上春樹の「1Q84」を照射し作品の謎を紐解く。「1Q84」に向けられた評論からの問い。加藤典洋/川村湊/沼野充義/森達也/島田裕巳/斎藤環他。<大使寸評>この3冊シリーズの小説がなぜこれだけ売れたのか気になるし、他の人がどう読むかも興味深いのです。rakuten「1Q84」をどう読むか************************************************************【村上春樹にご用心】内田樹著、アルテスパブリッシング、2007年刊<内容紹介>よりベストセラー『下流志向』のウチダ教授が村上文学の秘密をついに解きあかす! 本文より 「私たちの平凡な日常そのものが宇宙論的なドラマの「現場」なのだということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除をしたりアイロンかけをしたり、友だちに電話をしたりするのである。それはとってもとってもとっても、たいせつなことだと私は思う。」 <大使寸評>追って記入Amazon村上春樹にご用心************************************************************【走ることについて語るときに僕の語ること】 村上 春樹著、文藝春秋、2007年刊<「BOOK」データベースより>1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。 <大使寸評>「継続は力なり」を地で行くような村上春樹のメモワールであり、市民ランナーとして思い当たるふしの多い本である。読破するのが惜しいので、少しづつ読んでいるが・・・これもある意味、積読になります。Amazon走ることについて語るときに僕の語ること<図書館で借りた本>【風の歌を聴け】 村上春樹著、講談社、1982年刊<出版社からの内容紹介より>1970年の夏、海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、〈僕〉の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。<大使寸評>神戸、芦屋あたりが舞台だから土地勘もはたらくし、ものうく軽い、この都会的センスがいいね♪Amazon風の歌を聴け************************************************************【螢・納屋を焼く・その他の短編 】村上春樹著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった…。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。<読む前の大使寸評>先日、NHKで『納屋を焼く』という韓国版映画を観たのだが・・・その勢いでこの本を予約していたわけです。rakuten螢・納屋を焼く・その他の短編 『螢・納屋を焼く・その他の短編』1************************************************************【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団『スメルジャコフ対織田信長家臣団』1************************************************************【海辺のカフカ】 村上春樹著、新潮社、2002年刊<出版社からの内容紹介より>15歳の誕生日、少年は夜行バスに乗り、家を出た。一方、猫探しの老人・ナカタさんも、なにかに引き寄せられるように西へと向かう。暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて。<大使寸評>どうでもいいことかもしれないけど、この小説の全編にわたって土地勘があるのです。ただ、大使の場合、四国の田舎から神戸、東京に向かうところが逆コースなんだけど(笑)Amazon海辺のカフカ************************************************************【文壇アイドル論】斎藤美奈子著、岩波書店、2002年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹に村上龍、吉本ばななに俵万智、みんな「文壇村」のアイドルだったー書評・作家論からゴシップ記事に至るまで周辺の膨大な資料を渉猟し、「一人の物書き」をアイドルにつくりかえる時代の背景に果敢に切り込む。林真理子、上野千鶴子、田中康夫ら、総勢八名の豪華キャスト。渾身の同時代論。<読む前の大使寸評>中を覗くと、アイドルとして村上春樹に村上龍、俵万智、立花隆、田中康夫らが取り上げられていて・・・ええでぇ♪rakuten文壇アイドル論************************************************************【東京奇譚集】村上春樹著、新潮社、2005年刊<「BOOK」データベース>より五つの最新小説。不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語。【目次】偶然の旅人/ハナレイ・ベイ/どこであれそれが見つかりそうな場所で/日々移動する腎臓のかたちをした石/品川猿<読む前の大使寸評>村上春樹の小説を昔にさかのぼって読みたくなるわけです。・・・はまってしまったんでしょうね。rakuten東京奇譚集東京奇譚集byドングリ************************************************************【村上春樹のなかの中国】藤井省三著、朝日新聞出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹は中国から深い影響を受けている。「中国行きのスロウ・ボート」『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』など作品中で中国を「記号」として登場させている。一方、中国語圏では台湾、香港、上海、北京と、時計回りに村上春樹現象が出現した。「すっごくムラカミ(非常村上)」という流行語が生まれ、村上作品から影響を受けた「村上チルドレン」が多く輩出され、東アジアに与えた文化的な影響は大きい。近代文学において大きなテーマであった「中国」を村上春樹はどのように描いているのだろうか。また村上受容から見えてくる東アジアの姿とはいかなるものだろうか。魯迅からウォン・カーウァイまで「村上春樹」を軸に中国文学研究者が、東アジアの文化と社会を探る。<読む前の大使寸評>帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。rakuten村上春樹のなかの中国************************************************************<『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』2>図書館で『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』という本を、手にしたのです。レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。それから、本の表紙に「村上春樹翻訳ライブラリー」とあるのだが、村上さんの翻訳者としての実力がしのばれるのである。【私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー】村上春樹編訳、中央公論新社、2009年刊<「BOOK」データベース>より密なる才能、器量の大きさ、繊細な心…カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だったーJ・マキナニー、T・ウルフ、G・フィスケットジョンほか、早すぎる死を心から悼む九人が慈しむように綴ったメモワール。<読む前の大使寸評>レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。rakuten私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』1************************************************************【空想読解なるほど、村上春樹】小山鉄郎著、共同通信社、2012年刊<「BOOK」データベース>より青いティッシュペーパーはなぜ嫌いか?青豆はなぜ生き延びたのか?あの青いあざとは何か?『ノルウェイの森』刊行時唯一のインタビュアーであり、『アンダーグラウンド』刊行を特報した著者が、ハルキの謎にせまる、愛に満ちたブックガイド。<読む前の大使寸評>このところ村上春樹関連の本を集中的に読んでいるいるのだが・・・ツボが疼くとでもいいましょうか♪rakuten空想読解なるほど、村上春樹************************************************************【サラダ好きのライオン】村上春樹, 大橋歩著、マガジンハウス、2012年刊<「BOOK」データベース>より男がオムレツを作るとき、どんな風景がいちばんふさわしいでしょう?おたくの猫には、音楽の好き嫌いがあると思いますか?村上春樹さんは占い師として、はたして大成したでしょうか?最新のムラカミ情報満載の「村上ラヂオ」第三作。<読む前の大使寸評>この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪rakutenサラダ好きのライオン『サラダ好きのライオン』1『サラダ好きのライオン』2************************************************************【女のいない男たち】村上春樹著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より絡み合い、響き合う6編の物語。村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。【目次】ドライブ・マイ・カー/イエスタデイ/独立器官/シェエラザード/木野/女のいない男たち<読む前の大使寸評>村上春樹の短編小説集ってか・・・『1Q84』ブームの後に、こんな本が出ていたとは、春樹ファンを自認している大使としては不覚であった。rakuten女のいない男たち************************************************************【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でミッケ、借出し)>rakuten職業としての小説家『職業としての小説家』1『職業としての小説家』2『職業としての小説家』3『職業としての小説家』4『職業としての小説家』5『職業としての小説家』6************************************************************【ラオスにはいったい何があるというんですか?】村上春樹著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より『ノルウェイの森』を書いたギリシャの島再訪、フィンランド、トスカナ、熊本など…。旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない。<読む前の大使寸評>おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪rakutenラオスにはいったい何があるというんですか?『ラオスにはいったい何があるというんですか?』2:ギリシャの島への滞在記『ラオスにはいったい何があるというんですか?』1:大いなるメコン川の畔で************************************************************【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私『村上春樹と私』6:文学鑑賞と年齢の関係『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労************************************************************【騎士団長殺し第一部・第二部】村上春樹著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりその年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降っていたが、谷の外側はだいたい晴れていた…。それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。<読む前の大使寸評>16ヵ月も待ったのか…個人的には最長待機の予約本ということになるのです。もう本屋の店頭では見かけないもんね。主人公は職業的な絵描き(肖像画家)であるが、妻から要求されて離婚に応じたのです。その後、自分が描きたいものを探すかのように、エージェントをたたんで彷徨するわけです。・・・と直球勝負のような、サマセット・モーム『月と6ペンス』を髣髴とするかのような純文学と言いましょうか。<図書館予約:(4/12予約済み、8/30受取)>rakuten騎士団長殺し第一部・第二部『騎士団長殺し第一部・第二部』1:騎士団長の登場************************************************************【村上春樹翻訳ほとんど全仕事】村上春樹著、中央公論新社、2017年刊<「BOOK」データベース>より同時代作家を日本に紹介し、古典を訳し直す。音楽にまつわる文章を翻訳し、アンソロジーを編む。フィッツジェラルド、カーヴァー、カポーティ、サリンジャー、チャンドラー。小説、詩、ノンフィクション、絵本、訳詞集…。1981年刊行の『マイ・ロスト・シティー』を皮切りに、訳書の総数七十余点。小説執筆のかたわら、多大な時間を割いてきた訳業の全貌を明らかにする。<大使寸評>めくってみると、村上さんが訳した本が、それぞれの表紙の画像と寸評が並んでいて・・・見るだけで楽しくなるビジュアル本でおます。個人的にはレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』、『さようなら、愛しい人』やスコット・フィッツジェラルドの『マイ・ロスト・シティー』がお気に入りです。rakuten村上春樹翻訳ほとんど全仕事************************************************************【村上春樹の短編を英語で読む1979~2011下】加藤典洋著、筑摩書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「デタッチメント」から「コミットメント」へー村上春樹の創作姿勢の移行は、はたして何を意味するのだろうか。その物語世界はどのように深化を遂げたのか。デビュー以来の80編におよぶ短編を丹念にたどりながら、長編とのつながりをも探り出すことで、新たな像が浮かび上がる。下巻では、『ノルウェイの森』の大ベストセラー化を契機にもたらされた深刻な孤立と危機にはじまる「中期」の作品群を読み解き、そして、日本の戦後にとって節目となった1995年の二つの出来事を誰よりもしっかり受け止めた小説家の「後期」の転回を掘り下げる。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten村上春樹の短編を英語で読む1979~2011下************************************************************【村上春樹、方法としての小説】 山愛美著、新曜社、2019年刊<「BOOK」データベース>より洞窟の中のストーリーテラー、村上春樹。その創作の原点はどこにあるのか?幼少期のエピソード、作品・インタビュー中の言葉に着目し、独自の方法で紡ぎつづける物語の秘密に迫る!【目次】序章 自発的に語り始める「物語」/第1章 方法としての小説、そしてはじまりの時/第2章 初めての物語としての『風の歌を聴け』/第3章 デレク・ハートフィールドの世界/第4章 言葉・身体/第5章 記憶・イメージ/第6章 創作過程を探る/終章 想像力と効率<読む前の大使寸評>村上さんの物語の秘密が載っているとのことで・・・借りる決め手になりました。rakuten村上春樹、方法としての小説『村上春樹、方法としての小説』2:「騎士団長殺し」あたり『村上春樹、方法としての小説』1:初期の三部作************************************************************【芸術新潮(2021年9月号)】雑誌、新潮社、2021年刊<出版社>より【追悼特集】はじめてであう安野光雅・作品篇 :ふしぎな絵本の王国で遊ぶ、見つける、考える・人生篇 :空想と独学に生きる・安野さんとわたし【art news movie】濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』論<読む前の大使寸評>表紙のコピーに見られるように、安野光雅さんの追悼特集とのことであり、興味深いのです。shinchosha芸術新潮(2021年2月号)濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』論<その他>『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪このところ、エキゾティックな満州、上海など気になるのだが・・・この本にという歌が出ているので、見てみましょう。なるほど、という歌のとは天国のことだったのか♪この歌のメロディーは知らないが、暇な大使は“『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪”としてフォローしていたのです。ちなみに、村上春樹はこの曲に、死の気配を感じたそうだが・・・この辺りが作家的感性なのか?(大使、深入りし過ぎでは?)<以降省略、全文は村上春樹アンソロジーR9による>
2022.07.10
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図書館で『ラオスにはいったい何があるというんですか?』という本を、手にしたのです。おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪【ラオスにはいったい何があるというんですか?】村上春樹著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より『ノルウェイの森』を書いたギリシャの島再訪、フィンランド、トスカナ、熊本など…。旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない。<読む前の大使寸評>おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪rakutenラオスにはいったい何があるというんですか?ミコノス島ギリシャの島への滞在記を、見てみましょう。p83~87 <懐かしいふたつの島で> 今から24年ほど前のことになるが、ギリシャの島に住んでいた。スペッツェス島とミコノス島。「住んだ」といってもせいぜい合わせて三ヶ月くらいのことだけど、僕にとっては初めての「外国で暮らす」体験だったし、それはずいぶん印象深い体験になった。ノートに日々の記録をつけ、あとになって『遠い太鼓』という旅行記の中にそれをまとめた。 その後も何度かギリシャに行くことはあったけれど、それらの島をもう一度訪れたことはなかった。だから今回はそのとき以来の「再訪」ということになる。「ピルグリメイジ(巡礼)」という英語の表現がある。そこまで言うのはいささか大げさかもしれないが、要するにおおよそ四半世紀昔の自分の足跡を辿ることになるわけで、懐かしいといえばたしかに懐かしい。とくにミコノス島は小説『ノルウェイの森』を書き始めた場所だったので、僕の中にはそれなりの想いのようなものがある。 1986年9月にローマに着いて、その初秋の美しい光の中で1ヶ月ほどを過ごし、それからアテネに行き、ピレエフス港から船でスペッツェス島に渡った。イタリアに本格的に住み始める前に、ギリシャで数ヶ月を送りたかった。10月も半ば、ギリシャの観光シーズンは既に終わって、働き疲れたギリシャ人たちがホテルやレストランや土産物屋の店仕舞いを始める頃だ。 この時期になると、いくらギリシャとはいえけっこう寒くなってくるし、天候もだんだん悪くなる。曇りの日が多くなり、冷ややかな風が吹き、雨もよく降るようになる。クルーズ船で夏の陽光溢れるエーゲ海の島を訪れたことのある」人は、空きが深まったときそこがどれほどひっそりとした場所に(ある時には陰鬱なまでの場所に)なり得るかを知ったら、きっとびっくりするに違いない。 どうしてそんな魅力的とは言いがたい季節を選んで我々(というのは僕と奥さんのことだが)がギリシャの島に住むようになったのか? まずだいいちに生活費が香具師勝ったから。高物価・高家賃のハイシーズンの時期に、ギリシャの島で何ヶ月か暮らせるような経済的余裕は、当時の我々にはなかった。それから天候のよくないオフシーズンの島は、静かに仕事をするのに向いているということもあった。 夏場のギリシャはいささか騒がしすぎる。僕は日本で仕事をすることに当時疲れていて(それにはまあ、一口では言えないいろいろな理由があったのだが)、外国に出て面倒な雑事を逃れ、ひっそり仕事に集中したかった。できれば腰を据えて、長い小説も書きたかった。だから日本を離れて、しばらくのあいだヨーロッパに住むことに決めたのだ。■1 ミコノス島 今回もやはり、同じ「あまりぱっとしない」オフシーズンの時期を選んで島を訪れることにした。季節の設定をおおよそ揃えて訪れた方が、今と昔とで何が変わったか、何変わらなかったか、比較しやすいだろう。 ミコノス島まではドイツからジェット機の直行便が飛んでいる。このことにまず驚かされた。昔はミコノスに行くには、アテネからオイルサーディンの空き缶みたいなぺらぺらのプロペラ機に乗るか、ピレエフスからのろいフェリーに乗るしかなかった。島の滑走路が短くて、ジェット機の離着陸なんてとてもできなかったからだ。だからちょっと強い風が吹くとすぐに便が欠航した。三日も強い風が吹き続けると、島は足止めをくらった旅行者であふれたものだ。 でも今では新しい長い滑走路ができたので、多くの観光客が時間をかけず、足止めをくらう心配もなく、この島にヨーロッパ各地から直行することができる。もちろん便利なことは便利なんんだけど、いささか淋しいような気がしなくもない。不便さは旅行を面倒なものにするが、同時にまたそこにはある種の喜び(まわりくどさがもたらす喜び)も含まれている。『ラオスにはいったい何があるというんですか?』1
2022.07.08
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図書館で『ラオスにはいったい何があるというんですか?』という本を、手にしたのです。おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪【ラオスにはいったい何があるというんですか?】村上春樹著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より『ノルウェイの森』を書いたギリシャの島再訪、フィンランド、トスカナ、熊本など…。旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない。<読む前の大使寸評>おお 村上春樹のエッセイ集ってか・・・まあ外れではないでしょう♪rakutenラオスにはいったい何があるというんですか?この本のタイトルにもなっている一篇を、見てみましょう。p149~153ルアンプラバン <大いなるメコン川の畔で> 日本からラオスのルアンプラバンの街に行く直行便はないので、どこかで飛行機を乗り継がなくてはならない。バンコックかハノイを中継地点にするのが一般的だ。僕の場合は途中ハノイで一泊したのだが、そのときヴェトナムの人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問された。その言外には「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか?」というニュアンスが読み取れた。 さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。 しかしそう問われて、あらためて考えてみると、ラオスという国について自分がほとんど何も知らないことに気づく。これまでとくにラオスに興味を持ったこともなかった。それが地図のどのあたりに位置するのか、それさえろくに知らなかった。あなたもおそらく同じようなものではないかと、僕は(かなり勝手に)推察してしまうのだけれど。 いくつかのウィキペディア的事実――ラオスは東南アジア唯一の内陸国で、海にはまったく面していない。たぶんサーファー人口は少ないだろう。そのかわり(というか)メコン川という大河が、国土を南北に貫いて流れている。川はそのままミャンマーとタイとの国境をなしている。国土の面積は日本の約三分の二、人口は日本の二十分の一。国全体のGDPは、鳥取県の経済規模の約三分の一に相当する。 IMFによって「後発開発途上国」とカテゴライズされている。国民の78パーセントが農業に従事している・・・と言われても、どんなところだかさっぱり見当がつかないですよね。僕にも見当がつかない。だから実際に行ってみるしかない。 僕が目指すルアンプラバンは、メコン川沿いにある、かなりこじんまりとした街だ。街そのものより、街外れにある飛行場の方がたぶん大きいだろう。玄関がやたら大きくて立派で、部屋数が少ない家に似ている。居間を通り抜けて、その奥のドアを開けたらもう裏庭だった、みたいな。 人口は2万余り。そこに数え切れないほどたくさんの(きっと数えきれるのだろうが正確な数は不明)大小の寺院がひしめいており、一般的に「仏都」と呼ばれている。その昔はランサン王国の実際の首都だったのだが、防衛上の理由で、16世紀にビエンチャンに遷都したため、今ではちょうど奈良みたいに、宗教的な趣きのある静かな「古都」となっている。 外国人観光客に人気のある街だ。ちなみに「世界遺産」にも登録されている。高層建築物やショッピング・センターみたいなものはまったくない。スターバックスもマクドナルドもない。パーキング・メーターもないし、交通信号さえない。
2022.07.06
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図書館で『江戸の女たちの暮らし』という本を、手にしたのです。パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。【江戸の女たちの暮らし】藤田誠×高木まどか著、グラフィック社、2022年刊<「BOOK」データベース>より日常のたしなみ、季節の催し、食に旅…。浮世絵に描かれた女性から、江戸の生活を読み解きます。【目次】1章 賑ー話題の物事/2章 季ー時節の催し/3章 個ー私的な時間/4章 味ー食のこだわり/5章 華ー刺激的な街/6章 愉ー遊興、冒険、熱狂<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。rakuten江戸の女たちの暮らし神無月はつ雪のそうか国貞が初雪の夜鷹を描いているので、見てみましょう。p102~103 <神無月はつ雪のそうか> タイトルは「初雪の夜鷹」と言い換えられます。街頭に立って客を引く最下層の娼婦は大坂では惣嫁、江戸では夜鷹と呼ばれました。 彼女たちの出で立ちは、黒い着物で手拭いを軽く被りその端を口にくわえ、ゴザを抱えているというのが定番です。柳の下に立っている絵も多くあります。 作品を見てみましょう。 雪が降っています。地面にも屋台の屋根にも傘の上にも雪が積もっています。ぼたん雪でしょうか。まだ止みそうにありません。(中略) 屋台に集まる人たちは 三枚続きの作品になっています。左の登場人物から見ていきましょう。 ほっかむりをしたおじさんが下駄の鼻緒をすげ替えていますね。 黒い着物の左の女性は、手ぬぐいこそ被っていませんが夜鷹という風情です。持っている傘に「當」という文字と玉のような紋があります。看板の常紋の真ん中にも同じデザインの模様が見えます。「當」の文字が描かれた傘は国貞の他の作品にも見られます。この作品が当たりますようにという願いですね。 その横の明るい色調の着物女性は、未婚のお嬢さんです。前髪に鹿の子絞りの布をつけているのでわかります。振袖を内側から外側にくるっと巻いていますね。振袖も未婚女性のスタイルです。食べ終わった器を返そうとしています。 中央の二人を見てみましょう。 左の立っている女性が持っている傘は国貞が多くの作品で描いています。当時流行の蛇の目傘です。手拭いで姉さん被りをしています。これは塵除けですが、寒い時に頭巾的な使われ方もしました。縞の着物の上に袖のない黒襟の陣羽織のようなものを羽織っていますね。これはあまり見ないものです。 しゃがんでいる女性は、これから蕎麦をを食べようとしているところです。娘の「ごちそうさま」という声に振り向いたところでしょうか。黒い着物で頭に手拭い、夜鷹の出で立ちですが、前垂れをしているように見えます。『江戸の女たちの暮らし』2:かぎやお仙『江戸の女たちの暮らし』1:俗ニ云ばくれん
2022.06.28
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図書館で『江戸の女たちの暮らし』という本を、手にしたのです。パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。【江戸の女たちの暮らし】藤田誠×高木まどか著、グラフィック社、2022年刊<「BOOK」データベース>より日常のたしなみ、季節の催し、食に旅…。浮世絵に描かれた女性から、江戸の生活を読み解きます。【目次】1章 賑ー話題の物事/2章 季ー時節の催し/3章 個ー私的な時間/4章 味ー食のこだわり/5章 華ー刺激的な街/6章 愉ー遊興、冒険、熱狂<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。rakuten江戸の女たちの暮らしかぎやお仙春信が当時のアイドルを描いているので、見てみましょう。p18~19 <かぎやお仙> か・わ・い・い。 会えるアイドル、お仙(1751~1827年)ちゃんです。 谷中の笠森稲荷にある水茶屋『鍵屋』の看板娘お仙は、明和の頃に大フィーバーした実在の人物です。浮世絵師・鈴木春信によって何枚もの浮世絵が描かれ、ブロマイドのように発売されました。 いわば街の喫茶店の女の子ですが、とっても可愛いかったようで、彼女に会いたくてたくさんの人がお店に行きました。 当時のスーパースターは花魁でしたが、花魁はそう簡単には見られません。吉原に行って運良く花魁道中に出会えたとしても、話なんてできません。でも、水茶屋の娘さんなら、気楽に話せる。何杯も飲めば長時間いることも不可能じゃない。場合によってはスキンシップもあるかもしれない。今ならさしずめ握手会なんかするAKBみたいな感じでしょうか。会えるアイドルなんです。 鍵屋では浮世絵だけでなく、手ぬぐいや絵草子、すごろくなどいわゆるお仙グッズも販売されました。それだけにとどまらず、歌舞伎や狂言にもなり、ちまたでは、「♪向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげてざっとおがんで お仙の茶屋へ…」 なんて、手毬歌なんかも唄われたほどです。水茶屋の娘らしくない さて作品を見てみましょう。華奢で清楚でかわいい美人さんです。足元を気にして振り向いているところがまたかわいい。「あれ、なにか踏んじゃったのかしら」的な感じでしょうか。江戸で多いもの「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」なんて言葉がありますが、ワンちゃんの落とし物を踏んだとは思いたくありません。 振り向いた拍子に白い足が見えてしまいました。そのうえ着物がシースルーで腕が透けて見えているのも男心をくすぐります。 切れ長の涼しげな目、鼻筋が通り顎のラインなんかもシュッとして素敵です。手や足の指の表情までかわいさがでていますね。 髪は年頃の女の子の島田髷。櫛一枚、簪一本の町娘らしい風情です。手に持っているものや、後ろの三方に載っているのはお供え用の団子です。黒と白の2種類があり、黒は土で作ってあり願掛けのとき、白は米粉で作ってあり、願いがかなったときにお供えしました。三方にのっていた白いお団子をひと皿取り上げて、お客様にお渡ししようとしているところでしょうか。 注目したいのは、一般的な茶屋娘の必需品が描かれていないことです。それは前垂れと手拭いです。前垂れは、前掛け、いわゆるエプロンです。手拭いは多くの場合、肩に掛けて描かれます。ところが、鈴木春信が描くお仙にはこの作品に限らず見当たらないようです。実際に前垂れをしていなかったのか、あるいは美人画という視点から美的省略なのでしょうか。 おそらく水茶屋の必需品ではあるんですが、美人さんは働かなくてもいるだけで客が来たそうなので、ほとんど前垂れをしなかったのではないかと思われます。まさに看板娘ですね。『江戸の女たちの暮らし』1:俗ニ云ばくれん
2022.06.27
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図書館で『江戸の女たちの暮らし』という本を、手にしたのです。パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。【江戸の女たちの暮らし】藤田誠×高木まどか著、グラフィック社、2022年刊<「BOOK」データベース>より日常のたしなみ、季節の催し、食に旅…。浮世絵に描かれた女性から、江戸の生活を読み解きます。【目次】1章 賑ー話題の物事/2章 季ー時節の催し/3章 個ー私的な時間/4章 味ー食のこだわり/5章 華ー刺激的な街/6章 愉ー遊興、冒険、熱狂<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、江戸名所、時節の催し、食のこだわりなどいろんな視点で江戸の女たちが描かれていて、面白そうである。rakuten江戸の女たちの暮らし歌麿がばくれん(あばずれ)を描いているので、見てみましょう。p96~97 <俗ニ云ばくれん> 若い女性がグラスで白ワインを飲んでいる!? 果たして江戸時代にそんなことがあるのでしょうか。 おそらくは銭湯帰り。髪型が崩れないように紐で鬢を支え、浴衣姿で、胸ははだけ左手でカニを一匹丸ごと掴み、ギヤマンのグラスを傾けています。まさかカニを丸ごとかじるわけではないでしょうが、上品とはとても言えない風情です。 タイトルの「ばくれん」は、「あばずれ」とか、「すれっからし」という意味合いです。この『教訓親の目鏡』シリーズは10種類発売されました。こんなことをさせてはいけませんよ、という親への指導教訓の体裁を取った美人画の連作です。 浮世絵に特定の人物を表す名前を入れてはいけない。判じ絵で名前を記すのもダメ。美人画もダメ。時代が進むごとに幕府による規制が増えていきました。――だったら働いている女性なら描いてもいいでしょ。家族の光景ならどうです。教育的な指南書なら大丈夫でしょ。と、出版規制を通り抜けようと画策した歌麿の苦心の作品群の一つがこのシリーズです。 シリーズタイトルの『教訓親の目鏡』が当時のメガネのレンズに書かれているところなんか、歌麿の遊び心が感じられます。 教育的指導の文言は・・・ 文字が書かれています。「一たいミヘのなきをてがらところへ あだ口のこハたか 物かたりも 人におくする事なかれバ またいやしくもなく ただ いろけなきとのミ見すれども実情にあらず よき事を見聞せぬあや まりの面にあらはるる事いと はかなき事にあらずや ひとたびハ ミやつかへせぬ女の所業かつてとるに たらず」 超訳で要約すると。「人目を気にせず、つまらない事ばかり大声で言って、素晴らしい事を見聞することもなく、一度も人に仕えない女性のやることはダメダメでしょ」 こんなふうに娘を育ててはいけませんよ、というご指南です。 でも、本当はそんなことを言いたいんじゃない。これはあくまでお上への方便で、歌麿は女性がしどけない姿でお酒を飲んでいる艶っぽい姿を見せたかったんです。 どうです。この色香。 僕には柳の下で涼んで飲んでいるように見えますね。ところで、飲んでいるのは本当にワインなんでしょうか。 ワインはポルトガル人の宣教師によって安土桃山時代の日本へもたらされました。とても珍重され、一部の大名や役人が主に薬酒として飲んだそうです。(中略 ワインの製造は明治以降とのこと) 飲んでいるのはワインではなく日本酒であると考えるのが妥当のようです。ワイン好きの僕には、ワインであってほしいと思うんですが。
2022.06.27
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図書館で『村上春樹と魯迅そして中国』という新書を、手にしたのです。村上春樹の初期作品に「中国行きのスロウ・ボート」があるように、思いのほか中国が出てくるわけで・・・なんでや?と思うのです。【村上春樹と魯迅そして中国】藤井省三著、早稲田大学出版部、2021年刊<「BOOK」データベース>より「猫好きの村上春樹」と「猫嫌いで小鼠好きの魯迅」二人を合わせ鏡にして迫る文学世界ー。【目次】第1章 村上春樹と魯迅/第2章 男子学生の帰省と中年男の帰郷/第3章 裏切りと再会、遠い中国と懐かしい日本/第4章 満洲国の記憶ー『羊をめぐる冒険』と高橋和巳『堕落』/第5章 「トニー滝谷」と『ねじまき鳥クロニクル』/第6章 中国における村上批判/第7章 村上文学の中の戦争の記憶<読む前の大使寸評>村上春樹の初期作品に「中国行きのスロウ・ボート」があるように、思いのほか中国が出てくるわけで・・・なんでや?と思うのです。rakuten村上春樹と魯迅そして中国第3章で「中国行きのスロウ・ボート」が語られているので、見てみましょう。p77~80 <第3章 裏切りと再会、遠い中国と懐かしい日本>(八) なぜ中国はあまりに遠いのか『風』の中年中国人ジェイが「帰ってみたい」と願うように、「中国行き」では「30歳を超えた」「僕」が小学時代と大学時代の二度の裏切りという「記憶」を出すことにより、「喪失と崩壊のあとに来るもの」をもはや恐れず、中国行きの船を待つ港にたどり着いたのだ。それは「僕」の贖罪継承の覚悟ではなかったか。 それにしても「中国行き」がその表題とテーマにもかかわらず、日本の文芸界ではほとんど村上の中国への関心という視点から論じられることがなかった点は興味深い。ジェイ・ルービンは近代日本文学専攻のアメリカ・ハーバード大学名誉教授で村上春樹の翻訳家・研究者としても著名である。彼は現役教授時代に、この作品が「中国にたいする村上の根強い関心を暗示」している、と指摘している。 この短編は婉曲な書かれ方をしていたために、1983年に評論家青木保からこう論じられた。「ここまでくると、読む側にとっては、中国人のことはもうどうでもよくなってしまって、語られようとするのは60年代から80年代にかけての『僕』の辿った道筋の里程標であることがわかる・・・『スロウ・ボート・トゥ・チャイナ』の曲が鳴って、局が終わってみると、そこに時代があって、しばし読者は己の辿った道筋を考えさせられる」。たしかに初期の村上読者にとっては、こうした力が働いたかもしれない。だがいまでは、日本人にとってかなり厄介な記憶として、村上が中国と中国人を一貫して意識してきたと見ることができるだろう。 村上の魯迅への共感、「僕」の最初の裏切りの記憶が魯迅「藤野先生」と相似した構造を持つことに気づく時、「中国行き」は私たちの前にこれまでとは異なった様相を現すのである。だが、アメリカナイズされた作家、という村上春樹の一面があまりにも強調されてきたため、そして村上を論じる文芸批評家の多くが中国に対し十分な関心を払ってこなかったためもあるのだろう、「中国行き」という作品は、永いあいだ批評の海を虚しく漂流し続けてきたのだ。『村上春樹と魯迅そして中国』1:ジェイや鼠について
2022.06.19
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