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みなさん、こんにちは!今日も、引き続き、【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズ第8弾です。今回は、私が「運に関わる3つの才能」としてお話している才能のうちの3番目にあたる、「良心となる才能」について、解説していきます!「良心となる才能」とは、今までお話していきている「3つの才能」のうち、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』(限られた人が持つ『天才型』の才能)2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』(私達誰もが持つ『秀才型』の才能)この2つの才能をそれぞれ発揮する上での『「良心」となる才能』のことなのですが、私は、この3番目の才能が、私達人間にとっては『一番重要な才能』だと思っています。************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない【運と才能の秘密】⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~【誰も知らない【運と才能の秘密】⑦】~『大器晩成型』の成功者たちに見る実践的な「秀才型の才能」~************************************************************************『「良心」となる才能』とは、一体どういう才能かと言うと、どんな時にも、自分が持って生まれた『才能』・自分が磨いてきた能力や『技術』を、「良い目的のために使う」ことに徹することができる才能です。要は、その人ならではの能力や技術を使う上で必然的に発生する「他者への個人的影響」や「社会的影響」に対しての「責任感」を、自発的に感じられるかどうか、ということです。「才能」とは、望む・望まざるに関わらず、周囲の人達や環境に大きな影響を及ぼすことがあります。「才能」が作用することでそれが刺激となって、今現在は安定している状況が、良くも悪くも「変革」されることがあるからですね。「良い目的のために才能を使う」とは、利己的な目的に自らの能力や技術を使うのではなく、自分の「才能」が作用することで、結果的に、関わる人や社会全体に『貢献』することになるような、才能の使い方です。なぜなら、現実問題として、高い能力や技術を持っている人が、この『貢献』というコンセプトを理解できていないままでいると、本人の強い自己愛を満たすことだけにエネルギーを使うようになってしまうからなんです。本人が自分の才能や高い能力を誰のためにどう使おうが、基本的にその本人の自由ですし、その基本的権利が当の本人にあることは確かなのですが、私は、才能や高い能力を与えられた人には「社会的責任がある」と思っています。その「責任」とは、人並み以上の才能や能力を与えられた人は、その恩返しとして世の中に『貢献』するという姿勢を持つべきだ、ということですね。実際、才能を使って世の中に『貢献』したほうが、自分自身の才能をより有意義に生かせるし、自分自身が多くの人の役に立っていることに対する幸福感や至福感も違ってくるはずです。『貢献』とは、『WIN-WINの関係』を常に念頭においてベストを尽くしていくということでもあるのですが、『WIN-WINの関係』を構築していくのにはとても責任が伴うんですね。それが個人であっても、所属する団体であっても、社会全体であっても、いずれも「相手あってのこと」だからです。この、『才能』を使っていくときの『責任』というのは、「義務」という意味での責任ではなく、「自発的な責任感」であることが好ましいですね。要は、『自分の才能をミッション(使命)として捉えられるかどうか』ということに尽きると思います。なぜなら、与えられている類まれな才能や高い能力を、自分の『ミッション(使命)』としてしっかりと生かして伸ばしていく、という責任感があるのとないのとでは、ずっと謙虚に学び続ける姿勢や、世の中に貢献できる実現度が大きく変わってくるからです。逆にこの「責任感」がないまま自らの才能に溺れてしまうと、「才能が暴走するリスク」も高まります。「責任感」が欠如した状態だと、『才能』と『人格』のバランスが取れなくなるからですね。実際に、『才能』溢れる人達がその才能に驕ってしまった結果、「落ちて」いってしまうようなことはよく起こります。『貢献』という意識が欠落していることにより、多くの人からの支持が次第に得られなくなっていくからなんですね。更に、『「良心」となる才能』を持ち合わせていない人が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』や2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』の突出した能力部分だけに溺れてしまい、『貢献』という意識が欠落してしまうと、それを『利用』してこようとする存在が現れてくる、というのも忘れてはなりません。例えば、詐欺師などに代表されるような「人格障害系」の人物が、その『才能』を悪用しにかかる、ということが起こってくるのです。常に損得で生きているような「自己愛性人格障害者」系の人達などが典型ですね。もちろん、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人を、そういった人格障害系の人達が利用しにかかる場合がほとんどですが、稀に、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人自身の「自己愛」が「肥大」してしまって、人格障害系の人達と同じような行動をとり始めてしまう場合もあります。この場合は、本来『才能』に溢れていたはずの「天才」や「秀才」が、誰か別の人にとっての「詐欺師」に身を落としてしまうようなことも起こり得ます。これこそ「才能が悪用される典型的なパターン」ではないでしょうか。また、良心を持って才能を使いこなそうとすれば、必ず何らかの形で社会に貢献でき、自分自身も心の平和や生きがいなどの幸福感を得続けることができるのですが、その『良心となる才能』が欠けて、突出した才能部分だけが暴走した結果、世の中からの正当な評価を得ることができずに自分の世界に籠るようになってしまう人達も、歴史上ではかなり存在していました。こちらは「才能が埋もれてしまった典型的なパターン」ですね。才能を、自分のためだけに使おうとすればするほど、人は「孤独」に陥っていきます。「その才能の持ち主が、幸せな形で才能を開花させることができるかどうかの『分かれ目』」とも言えますね。通常、『良心となる才能』というは、特に「共感性」や「感受性」が強い、相手の立場になって考えることのできるタイプの人達には、天性的に備わっているものです。「共感性」によって、自分以外の人にも思いや願いがあるということ、「感受性」によって、相手の欲しているものが即座にわかるということ、この感性は、本人の能力や才能を伸ばして生かす上での「強力な武器」になるのです。芸術的才能であっても、学術的才能であっても、ビジネス的な才能であっても、その「才能」が際立つのは、その「才能」が社会において、他者の役に立つ時なんですね。その時初めて、「才能」は強力な意味と意義を持ちます。つまり「影響力」です。世の中に対する強力な影響力。個人の中で「才能」が完結しているだけの状態よりも、才能が『貢献』に向かった時のほうがその威力は何倍にも増加します。なぜ沢山の人達が、「才能」に憧れたり、「才能」に大きな価値を置いているかというと、この「影響力」のためなんですね。「役に立つ」ということは、実に強力な「影響力」なんです。それもとてもポジティブな。だから、私達は、「共感性」や「感受性」を育みつつ、いつも自分の持てる能力を「役立てる」という意識を持っていたほうがいいのですね。結果的にそのほうが、「自分本位」であるよりも何倍も成功しやすいのです。逆に「自分本位」である人というのは、能力的・才能的なことだけに限らず、あらゆる場面・事柄において「自分本位」で判断したり行動したりするために、意識が「自分が得をすることだけ」に向きやすい。だから「影響力」を発揮できない。できたとしても「本物の影響力」ではなく、威圧だったり、ごり押しだったり、忖度による「押し付けの影響力」に留まるのですね。相手がプレッシャーを感じるような利己的な影響の与え方しかできません。わかる人にはわかってしまうから。私がよくこのブログでお話している「WIN-WIN」にしてもそうです。誰もが魅了される「本物の影響力」というのは、この「WIN-WIN」により発生するものなのですね。「あなたが勝つことによって、私まで勝ってしまう」この、なんとも言えない誰もが嬉しいポジティブな展開こそが、真の「影響力」なのですね。『影響力』はとても威力があります。『影響力』は沢山の人や様々な状況・環境に絶大な「刺激」を与えて、物事に「変革」をおこしてしまう力があります。人の考え方を変えてしまったり、既存のルールを変えてしまったり、トレンドや慣習さえ変えてしまう力がありますよね。『才能』が世の中の役に立つことによって、今までよりももっと「良い方向」に流れを変えることができる。それが、人々や社会に『貢献』することができる一番大切な「良心としての才能」の凄さです。自分のできる範囲から、自分の能力や才能を見つけて生かし始めようとする時、是非このことを覚えておいてくださいね!『才能』は神様から与えられたギフトです。ギフトであり同時に「使命(ミッション)」ですからね。世の中にお返ししましょう。************************************************************************【編集後記】少し前のブログ記事で、運に絡めて「IQ・EQ」についてのお話をしているのですが、【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~読者の方から質問をいただきました。それは、『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?というものです。一般に、私達の平均IQというのは100前後なのですが、例えば、学校などで成績が良かったり、子供・大人問わずに利発な印象を受けるのは、だいたいIQ112~115くらいの人達です。東大生の平均IQが120くらいだとも言われていますね。前々回のブログで「ギフテッド」についてもお話していますが、ギフテッドは飛び抜けている分野と不得意な分野との落差が激しいために、パフォーマンスとしての優秀さが他者から見えにくいものの、彼らのIQは130~135以上と言われています。【誰も知らない【運と才能の秘密】⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~IQが130を超えるのは、人口全体で約2%だそうです。それでも、40人クラスで1人は存在しているということになりますよね。その中で、大人になってから社会的に成功しやすい人のIQは115~120が多いんだそうです。それ以上のIQの持ち主である場合、もちろんズバ抜けてその優秀さを社会に役立てることができている人達も、もちろん一定数いますが、逆に、「IQが高すぎることによる弊害」「IQが高すぎることによる苦労」に苛まれてしまっている高IQの人達もたくさんいるのだそうです。では、なぜ、人口の2%を占めるIQ130超えの人達の中で、社会で成功しにくい人達が出てきてしまうのか。理由は2つ考えられます。1つ目が、「IQが高すぎること」により、「一般的な人の感覚がわからなくなる場合がある」ということです。一般的に、IQは高いほうがよいように思われますよね。ちゃんと高IQを生かしている人達は沢山います。しかし、そもそもIQの代表的指標とは「パターン認識能力と論理的思考力」のことですよね。もちろん、高IQの人達が持つポテンシャルと能力の種類はこれだけではないのですが、特にこの2つの能力に優れているのが高IQの持ち主です。でも、これが「高すぎる」とどうなるか。「高IQの人は、そうでない人が彼らと同じようには『理解できない』ということが理解できない」という現象が起こってくるわけです。「パターン認識能力と論理的思考力」が高いと、複雑で難しい事柄を、簡易的に考えることができます。どういうことかというと、例えば、事実→分析→仮説→検証→結論・問題解決という段取りで、高IQの人達が頭の中で考えたことの内、事実→(分析→仮説→検証)→結論・問題解決のように、(分析→仮説→検証)の部分を省略して事実→結論・問題解決でいきなり結論・問題解決をやってのけてしまいます。彼らにとっては「説明をすっ飛ばしている」というだけで、ちゃんと(分析→仮説→検証)できているのですが、いきなりそれを聞いたり目にしたりした普通のIQレベルの人達にとっては、全く理解できません。また、高IQの人達は、科学的証拠があれば、それを頭の中で即座に「検証」できてしまうため、その「検証」部分をいちいち人にわかりやすく伝えたりする必要性を感じないことが多いのです。彼らは「抽象化」が得意なため「答え」や「本質」が「わかってしまう」ために、具体的な事象を必要としないのですね。論理的過ぎて、理屈上不要な事柄を「試行の無駄」として排除してしまう、という傾向を持っています(あくまで「傾向」です)。多くの人にとっては、具体例を挙げてもらったり、詳細を逐一説明してもらったり、問題の「流れ」を時系列で一から説明してもらったほうが、当然「わかりやすい」わけです。それは、「具体例が、問題の内容の理解を促進する」からなのですが、高IQの人達は「理解でき過ぎてしまう」ので、逆にそのことが「理解できない」という、実に逆説的なことが起こってしまうというわけです。勉強のできすぎる子が、勉強が苦手な子の気持ちが「理解できない」仕事のできすぎる人が、よりマイペースな仕事のやり方を好む人の気持ちが「理解できない」料理や家事が得意すぎる人が、そうでない人の料理や家事に対する気おくれが「理解できない」ということになってくるわけです。そうすると、社会的生活や活動において、いろいろと不協和音が出てきます。ある程度の協調性が必要とされる場面で孤立してしまうこともあるでしょうし、高IQでも出世できないとか、ビジネスで顧客のニーズがつかめないとか、そういった「弊害」がでてくるわけです。ここで、少なくとも「共感力」があれば、その高IQの人は、そうでない人達の気持ちや立場を「想像することはできる」となりますね。ここが、『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?の分かれ目の1つだと思います。また、IQ130超えの人達の中で、社会で成功しにくい人達が出てきてしまうの2つ目の原因が、高IQの場合、突出した能力の影でその他の能力が大きく欠如しているということが考えられます。あまりにも突出したある特定の能力に脳の機能が全て使われてしまい、別の能力が犠牲になってしまっている、とうケースです。例えば、空間認識能力や数学能力が高すぎるが、文章を読んだり書いたりするのが苦手である、とか音楽や絵画の能力が突出しているが、計算が苦手である、とか、言語能力や語彙能力が著しいが、全く地図が読めない、とか、学主能力はとても高いのに、精神年齢がとても引く印象を受ける、とか(その逆もあります)本来バランスよく脳の各部分が機能するばずなのに、高いIQ故に、ある特定の部分に脳の労力が集中してしまっている結果、「得意なことと苦手なことの差が激しすぎてしまう」というパターンがとても多いのですね。難しいことはよくできるのに、逆に簡単でシンプルなことがなぜか苦手、とか、普通の人ができないことがよくできるのに、なぜか普通の人が容易にできてしまうことこそできない、とか、とても「アンバランス」なパフォーマンスを見せる高IQの人達も沢山います。この「アンバランスさ」が、高IQなのに社会で成功しにくい人達が出てきてしまう要因の2つ目なのですね。だから、この場合、やはりアンバランスさを持っているパターンの高IQの人達は、その「特化した分野の能力」を生かせる環境を追求していくことが成功への近道ですし、逆に自分に合った分野に進めている高IQの人達は、大きな成功を収めることができていると思います。平均的なIQを持つ私達のほとんどが、高IQの人達に合わせるのも至難の業ですが、130超えなどの高IQの人達にとっても、「そうでない人達に合わせる」ことは非常に大変なことなのですね。だから、『IQが高すぎる』と、不幸になってしまうこともあるのではないか?は一理あり得ます。でもそれは、やはり、高IQであってもそうでなくても、自分の特性というものを熟知して、常にどの分野・どの環境で勝負していくかを見極める姿勢でいることが大切になってくると思います。これは、平均的なIQを持っている私達にとっても、実は同じことが言えますよね。自分の今ある能力を精一杯生かしていくのであれば。************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~【誰も知らない『運と才能の秘密』⑤】~「アイデアを無限に生み出す『ひらめき』を自分の才能にする~************************************************************************
Nov 23, 2020
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みなさん、こんにちは!今日も、引き続き、【誰も知らない【運と才能の秘密】】シリーズ第7弾です。今回は、私が「運に関わる3つの才能」としてお話している才能のうちの2番目にあたる、一般の私達にとって、一番に身近で実用的、かつ発見しやすく開花もさせやすい②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』について、解説していきます!ここ数回にわたって、結構長く『才能』についてお話しています。最初から夢のないようなことを言いますが(笑)、私達が「天才」である可能性って、決して「ゼロ」ではありませんが、限りなく低いですよね。これはもう、生まれ持った遺伝子的にも、宿命づけられた成長期の環境的にも、どうしようもないことです。どんなにピアノ演奏を愛していても、誰もが辻井伸行氏にはなれないし、どんなにフィギアスケートに人生をかけていたとしても、誰もが羽生結弦選手にはなれないのと同じです。なぜなら、「天才」が生まれるのにはいくつかの「条件」があって、その「条件」が全て揃わない限り「天才」は絶対に生まれないからです。本人が「天才としての遺伝子」を持っているだけではダメなのです。天才の能力や才能を徹底的に伸ばしていけるような「生育環境」「教育環境」、「周囲の人の「天才性」に関する理解」、更には「才能を見出してプロデュースしてくれるるサポーターの存在」といった様々な要素が絶妙に重なり合って、初めて「天才型の才能」は開花していくものですから、そのどれか一つの要素が欠けただけでも「天才」は生まれません。「天才性」とは「突き抜けた才能」ですから、その天才性を秘めている本人の周囲を含めて、全てのベクトルがその「才能」を育むことに集中していなければ、「天才が生まれる条件」を満たすことはできないからです。中途半端ではダメなのです。そして普通、一般の私達は「バランス」を取りながらなんとか自分と社会との折り合いをつけて生きています。そこには現実的に「中途半端」なこともたくさんあるし、また逆に「中途半端」にしておいてこそ、私達の人間関係や生活がスムーズにいくことも多々あります。そして、それはごく「あたりまえ」のことでもあります。だからこそ、逆に、一般の私達にとってはむしろ生きやすい世の中でもありますが、「天才としての遺伝子」を持って生まれたものの「サポート」がない天才の人達にとっては、非常に辛い世の中になってしまっている場合も多いのです。誰が見ても素晴らしい能力を持っていて、これからその「才能」が開花しそうに思えた人でも、その後成長と共に「普通の人」になっていってしまうざる得ない人達が大勢存在しているのはこのためですね。これは、本人が天才としての「遺伝子」を有していたにも関わらず、その才能や天才性を促進する「生育環境」や「才能を見出してプロデュースしてくれるるサポーターの存在」に恵まれなかったことによる悲劇です。「悲劇」などと勝手に表現してしまいましたが、もちろん「本人」が幸せであれば、たとえその「才能」が開花せずに終わったとしても、そんなに問題はないのです。しかし、その「本人」がかなり早い段階で自分の「天才としての遺伝子」に気づいており、その「才能」を伸ばしていきたいと強く願っていた場合にこのパターンに見舞われると、それは本人にとっての「悲劇」になり得ます。ついでに言うと、それは、本来であれば社会に多大な利益をもたらすはずだった、その「開花できなかった天才的才能」を見殺しにすることにもなり、結果的に、社会的にも莫大な「損失」になり得ます。なので、「天才型の才能」が開花して世に出る、というのは、もう確率・統計の世界になってしまうんですね。数学でいうところの「組み合わせ」レベルのお話になってしまいます。「天才としての遺伝子」を確実に持った人達にとってすら、「才能開花」って一筋縄ではいかないことなんですね。『才能』を扱うのは、容易なことではないのです。では一般の私達が目指べき才能確立のスタンスって、いったいどうなるのか、というと、過去記事でもお話していきてる『3つの才能』のうちの2番目である②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』にフォーカスして才能を探すべき、ということになります。************************************************************************参考記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない【運と才能の秘密】⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~************************************************************************「秀才型の才能」というのは、「天才型の才能」とは全く性質が違っていて、「天才型の才能」が特化した分野の突出した能力であるのに対し、「秀才型の才能」は、そのレベル、分野、社会に対する貢献度が実に多岐にわたっています。家庭生活や仕事や人間関係で実際に使える「実践的」で「実学的」な能力ですね。要は「スキル」です。「秀才型の才能」は、各分野での具体的なピンポイントでの才能(天才型の才能)とはまた違い、生活に密着して実際に社会で使えるような、コアの部分以外の全てを網羅しています。例えば、●IQやEQの高さそのもの●博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)●IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)●新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ●高い問題解決能力、臨機応変さ●天性のリーダーシップ●天性のユーモア●人の心を掴む人柄●何かにハマれる集中力●強い知的好奇心●苦労と思わず努力できる性格●手先の器用さや技術的な能力●人に何かを教える技術●他人への共感力●人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性●多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)●世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力●仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力●基礎体力などで、実際の人生に必要な「サバイバルスキル」とも言い換えられるかもしれませんね。なので、同じ『才能』として、その価値や素晴らしさに一切の優劣はないものの、『実践的であるかどうか』だけで言ったら、適用範囲、お役立ち度、自分の人生を円滑にする度、他人や社会への貢献度という点で、一般の私達にその強みがある2番目の「秀才型の才能」の方が、ある意味「天才型の才能」よりも「上」なんですね。実際に学校や職場やビジネスの場で役に立つ『実学的な才能』なので、つぶしも応用もきくし、なんといっても「需要」が多い。なので「開花」しやすいのです。これは、一般の私達にとっては朗報かもしれませんね。【大器晩成型の成功者から学べる、『秀才型の才能』の見つけ方】では、私達が、その『秀才型の才能』を見つけて伸ばしていくには、どういったアプローチが必要となってくるのでしょうか。私は、「運」の研究をしているのと同時並行で、「才能」についてずっと興味を持って調べてきているのですが、その中でも特に「大器晩成型」の人達に、こよない感心を持っています。なぜかというと、「大器晩成型」で目標を達成したり成功したりしてきた人達、というのは、「天才型の才能」を開花させている人達、特に比較的若い年齢で成功していった人達と比べて、一般の私達がその人生の中でごく普通に経験していくような道のりを、同じようにたどってきているというパターンが多いからです。だから当然、たくさんの苦労もしているし、困難や逆境も経験してきている。一般の私達が、努力しても努力してもなかなか目標を達成できなかったり、成功できていなかったりするその期間中、悔しかったり、時には自信を無くしかけたり、一喜一憂しながらまた再チャレンジしてみたり、といった、「試行錯誤」や「失敗体験」を実にたくさん経験してきている。それでも、ある分野でその試みや行動を「継続」し続けていった中で、何かの「きっかけ」を掴む。その「きっかけ」を皮切りに、今までの長年の試行錯誤や(失敗体験を含む)経験値といった『実力』が市場とマッチする。その時、「満を期す」という現象が、その本人にもその周囲にも起こるのです。その大器晩成型の実力の持ち主が世の中に認められる時が来た-「時が熟した」-ということですね。とにかく、そこには「人それぞれに『きっかけ』がある」ということなんですね。●【長年の試行錯誤・失敗体験を含む経験値などの『実力』】+【人それぞれに訪れる『きっかけ』】=大器晩成への入り口という構図が出来上がります。それでは、その「大器晩成への入り口」に立つことができた人は、次にどのようなステップを踏んでいけばいいのでしょうか。大器晩成型で結果的に成功していく人というのは、働き盛りの時代から常に「第二の人生について思いを巡らせている」のが特徴です。また、子供の頃から得意だったこと、興味のあったこと、夢だったことの中に、大人になってからの今現在の自分の現実・スキル・実力と噛み合う部分・分野がないか、常にアンテナを張り続けてきています。先ほどの「第二の人生」というのは、何も60歳、65歳の定年退職などの「年齢的な人生の後半戦」だけではありません。男性にとっても女性にとっても、「第二の人生」がスタートするタイミングは人それぞれです。会社を辞めて自分でビジネスを始めた時、子育てが落ち着いたタイミング、海外移住して新たに生き方を変えたタイミング、大病を患って回復した後、引きこもりや不登校を経験した後、など、人生のターニングポイントは全て、「第二の人生の入り口≠大器晩成への入り口」になり得ます。大器晩成型の人達の特徴をリストアップすると、●今ある「現実」の中に、子供時代の「夢」と重なり合う部分を見出している●「ビジョン」を持っている●「試行錯誤」を天性にしている●「挫折」や「劣等感」をエネルギーに変えている●一度直面した「きっかけ」は必ず掴んでいる●「人生に無駄はない」とう確固たる思いがある●「成功」にとって、年齢は本当に関係ないと知っているこういった「一本筋の通っている信念」のようなものを、大器晩成型で成功するずっと前の下積み時代から、一貫して持っているのですね。大器晩成型の成功者の例は実にたくさんあります。私達が勇気づけられるような人達ばかりです。私が、得に「大器晩成型」としての『社会への貢献度が高い』、と思う人は、作家:松本清張(スタート時・41歳)日本地図の確立者:伊能忠敬(スタート時・51歳)本田技研創業者:本田宗一郎(スタート時・41歳)山崎製パン創業者:飯島藤十郎(スタート時・歳)ケンタッキーフライドチキン創始者:カーネルサンダース(スタート時・65歳)ミシンの改良発明者・俳優・起業家:アイザック・メリット・シンガー(スタート時・40歳)タイヤの発明者・ダンロップ創業者:ジョン・ボイド・ダンロップ(スタート時・48歳)といった方々です。例に挙げたい方々はまだまだたくさんいらっしゃいますが、米ハーバード・ビジネス・レビュー誌による、米国の国勢調査局のデータを用いた「成功者」に関する調査では、成功したスタートアップ創業者たちの平均年齢は45歳です。つまり、後に成功を収めることになる事業や取り組みを「一から始めた年齢の平均が45歳」ということです。これは、実は凄いことだと言えます。通常、新しく新規ビジネスを立ち上げた場合、まずその80%が1年内に挫折するというのは現在では周知のことですが、そのビジネスを継続して大きくしていくのには、数年~10年単位の時間を必要とします。インターネットビジネスのように、20代・30代の創始者がスタートさせて急激に伸びるビジネスももちろんありますが、「リアルビジネス(実業)」の場合、それは例外のパターンであることが多く、短期間で急激に伸びすぎると、その後同じように短期間で急激に衰退することが多いのです。これは「リアルビジネス」という、物や人が実際に動く種類のビジネスの性質上当然のことであり、真にビジネスを定着させるためには、一定の時間が必要となります。これは、ビジネスの分野が不動産投資であっても店舗経営であっても教育ビジネスであっても全て同じです。「信用」「実績」を積み重ねることとビジネスの成長は常に表裏一体だからですね。なので、「45歳で一から始める」ということは、そのビジネスや取り組みがある程度の軌道に乗り、なおかつ「大器晩成型で成功する」のには、そこから更に10年~20年という歳月が必要になってくるわけです。そこで初めて「形」になる。つまり、「平均45歳でスタートさせた」事業や取り組みが花開くのは、彼らがだいたい60歳以降の年齢になった時ということです。つまり皆、事業や取り組みを「開始」するまでの別の人生+第二の人生をスタートさせてからそれが「開花」するまでの長い年月の間、努力や逆境や挫折を何度も体験してきており、例外なく「苦労人」なのですね。その分、実力も人間性も素晴らしい方たちばかりなのです。私は、大器晩成型の人達の「人の気持ちがわかる」という共感性が高い部分に、とても尊敬の念を抱いています。何か目標を達成しようと私達が行動に移してからの流れとか、だいたいどれくらいの期間・どのタイミングで最初の「壁」にぶつかるだろうとか、どういうパターンで信用できる人とそうでない人との区別がつくようになるかとか、分野によってある程度の違いはあるものの、そういったことを含めて、私達が必ずぶつかるであろう「困難」や「逆境」・その時の私達の「不安」「焦り」「怒り」などを、彼らは間違いなく理解できるからです。自分達が通ってきた道ですからね。そして、「大器晩成型」の人達の人生の歩みというのは、「螺旋階段」に似ているんです。「螺旋階段」って、段数が多くなると、いつまでも同じところをグルグルと回っているような錯覚に陥りますが、「確実に高さを重ねている」のですね。知識や経験や実力を積み重ねていくときに、この「螺旋階段」の歩みというのはとても強力です。ある高さまで昇りついた時に、その「知識や経験や実力」は相当のものになっています。これは、一般の私達が何かを学ぶ勉強や、スキルを得る時のトレーニングと全く同じです。彼らは「遠回りだからこその効能」をよく知っているのですね。大器晩成型の人達の特徴●今ある「現実」の中に、子供時代の「夢」と重なり合う部分を見出している●「ビジョン」を持っている●「試行錯誤」を天性にしている●「挫折」や「劣等感」をエネルギーに変えている●一度直面した「きっかけ」は必ず掴んでいる●「人生に無駄はない」とう確固たる思いがある●「成功」にとって、年齢は本当に関係ないと知っているを先ほどリストアップしていますが、どれも、非常にわかりやすいですよね。まだここで解説していない項目を非常に端的に説明できる記事を、このブログで既に書いていますので、もしよかったら読んでみてください。●一度直面した「きっかけ」は必ず掴んでいる→「ひらめき」を活用している************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』⑤】~「アイデアを無限に生み出す『ひらめき』を自分の才能にする~【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係③~『アハ体験』と『フロー状態』~強運と知性のお話************************************************************************ ●「ビジョン」を持っている************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~************************************************************************●「試行錯誤」を天性にしている************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【『特許・発明』に見る『運のコントロール』】~視点や発想を変えると『凄いもの』が見えてくる~************************************************************************●「人生に無駄はない」とう確固たる思いがある●「挫折」や「劣等感」をエネルギーに変えている***********************************************************************関連ブログ記事☟☟☟「些細な事の中にも意味をみつける」~現代版「わらしべ長者」と「運のコントロール」のお話「運の科学」を研究する研究者の「成功」と「失敗」************************************************************************●「成功」にとって、年齢は本当に関係ないと知っている***********************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係①~高IQ高EQはどのように「運」に影響するのか~【自分自身の秘密!】あなただけの才能~1人に1つの「成功パターン」をみつけよう、というお話***********************************************************************特に、●一度直面した「きっかけ」は必ず掴んでいる の項目は、少し「スキル」が必要になってくる上に、このブログのメインテーマである「運」と密接に関係してしますので、【きっかけの掴み方】として、このシリーズで更に掘り下げてお話していく予定です!************************************************************************【編集後記】みなさんは「ファーストペンギン」という言葉を知っていますか?「ファーストペンギン」って、南極のペンギンコロニーの大勢生息しているペンギンたちの中で、「獲物を求めて最初に海に飛び込むペンギン」のことらしいです。極寒の南極で、陸上での「天敵」が限られているペンギンたちにとっても、「海の中」は危険でいっぱいです。その海の中に、獲物を求めて飛び込まなくてはならない。その時に、孵化前の卵を温める役の雄ペンギンの代わりに、コロニー中の雌ペンギンたちが「ハンター役」としてエサとなる獲物を採りにいかなければなりません。海際に到達した大勢の雌ペンギンたちは、そこでかなり長い間、海の中に飛び込むのを「躊躇」するそうです。そして、ある時、一匹の雌ペンギンがいを決して海の中に飛び込みます。これが「ファーストペンギン」です。「ファーストペンギン」が安全なのを確認してから、そこで初めて、その他大勢の雌ペンギン達が次々と海の中へと飛び込みます。最近、この有り様を私達の社会で、特に起業や新しい取り組みを行う「パイオニア」に例えて、「ファーストペンギン」と呼んでいるようです。でも、起業や新しい取り組みにおける「ファーストペンギン」って、実は「その分野を初めて開拓した人」とはちょっと違うんじゃないか、と私は思っています。以前、【『特許・発明』に見る『運のコントロール』】~視点や発想を変えると『凄いもの』が見えてくる~の記事でもお話したことがあるのですが、「その分野を初めて開拓した人」って、実は世界中にたくさんいるんです。これだけの世界人口です。同じ時期・別の時期に関わらず、古今東西、いろんな場所・年齢・立場で、同じようなアイデアを温めてきたり、同じような新規分野を追求していた人達はごまんといるんですね。それを「公開した・公開しなかった」「自分の権利にした・自分の権利にしなかった」の違いだけなんです。そこで、「ファーストペンギン」のコンセプトを見た時に、これは、「その分野を初めて開拓した人」というよりも、「その分野の『勝ちパターン』を最初にみつけて『とりあえず世に公開した』人」なんじゃないかな、と思っているわけです。その人達よりも早くその分野(海)に飛び込んだ人、その分野(海)の中で新規のものを発見した(獲物を見つけた)人は既にいくらでもいたかもしれない(というか、いくらでもいるんです)。でもその時、タイミングだったり、社会情勢だったり、本人の意向だったりと様々な要因が影響した結果、獲物を逃したり、獲物を捕らえても腐らせてしまったり、採った獲物をアザラシたちに横取りされたりしたかもしれない。いずれにしても、その時はその人が「ファーストペンギン」だったにもかかわらず、それが「成就しなかった」わけです。それを、ある時、あるタイミングで、ある要因が重なった結果、「その分野の『勝ちパターン』を最初にみつけて『とりあえず世に公開した』人」のものになった、その人が「ファーストペンギン」ということになった、というのが、現実だと思っています。『勝ちパターン』って、どんな分野でも大切ですね!『勝ちパターン』さえ見抜いてしまえば、大抵のことは成就できてしまうのではないかと思います。これも【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~で詳しくお話しているので、時間があったら除いてみてください!いつも長くでごめんなさいね(笑)。************************************************************************************************************************************************関連ブログ記事】☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~【誰も知らない『運と才能の秘密』⑤】~「アイデアを無限に生み出す『ひらめき』を自分の才能にする~【誰も知らない【運と才能の秘密】⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~************************************************************************
Nov 20, 2020
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みなさん、こんにちは!今日も、引き続き、【誰も知らない【運と才能の秘密】】シリーズ第6弾です。今回は、私が「運に関わる3つの才能」としてお話している才能のうちの1番目にあたる、①『天才型』の才能と呼ばれる『コアの部分にかかわる才能これに密接に関係する『ギフテッド』について、サブテーマとして少しだけお話させていただこうと思います。なぜここ数回にわたって、結構長く『才能』についてお話してるのかというと、『才能』とうのは、程度や分野の違いはあれ、実は、「私達誰もが持っている可能性の高い」特別でユニークな能力であり、生まれてきたからには、その『才能』を見つけて正しく生かすことで、私達の人生が今よりも更に豊かなものになる場合が多いからです。ついでに言うと、『才能』とは、私達が生まれてきた『使命(ミッション)』に関わることなので、私達がその「使命(ミッション)」を首尾よく見つけられた場合、その後の「幸福度」が見違えます。自分を十分に生かせているという健全な「自己有能感」を得ることができ、なおかつ、周囲の人達や社会の役に立てているという「貢献度」を感じることができるからですね。少しでも自分の「やりがい」や「生きがい」を見つけた人は、その後非常に「強い」です。だから、本来ならば、私達は何としてでも「自分の才能」を見つけて、一刻も早くその「才能」を育てて生かす段階に入った方がいいのです。「自分の才能」を見つけるのが20代・30代と比較的早い時期であった人は、その後の人生の時間のかなりの部分を「才能を育てて生かす」という実践段階として使えるので、とても幸運です。しかし、たとえそれが40代・50代以降であっても、それはそれで貴重な素晴らしい「人生」です。私は、『大器晩成型』の才能開花のパターンや成功パターンも『運の研究』と同時進行で調べているので、人生のどの段階で本人の才能が開花したとしても、結果的に人は「幸福」になれるのを知っています。単に、私達個別に与えられている『使命(ミッション)』の分野が違うのと同じように、それが開花したり世に出るタイミングが異なっているだけです。そういう風に、私達の『才能=使命(ミッション)』というのは、千差万別に(かつ個人ごとに)『プログラミング』されているということです。だから、これから自分の『才能』を見つけていこうとしている人は、他の誰かと比較する必要など全くありません。ただただ、自分の意識やエネルギーを『自分自身に集中する』ことだけに向けることが大切です。さて、過去記事でも、一般の私達が自分の『才能』を見つけようとする時には、ずっとお話していきてる「3つの才能」のうちの2番目である②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』にフォーカスして才能を探すべき、とお伝えしてきています。************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~************************************************************************1番目の①『天才型』の才能と呼ばれる『コアの部分にかかわる才能とは、オリンピック選手のようなアスリート、ノーベル賞を受賞するような学問的才能、天才ピアニストのような芸術的才能などの、一般の私達のレベルとは次元が違う才能のことですね。「天才型」の才能をいかんなく発揮している代表格が、例えば、フィギアスケートの羽生結弦選手などでしょう。でも「才能」というのは、そのレベルや分野や貢献度は実に様々で多岐にわたっており、こういった「天才型」の才能のほうが、むしろはるかに範囲は狭く、また実際の社会への貢献度という点では、一般の私達にその強みがある、2番目の「秀才型の才能」の方が上なんですね。(*繰り返しになってしまうと恐縮ですが、初めて記事を読む読者の方のためにも、再度説明します。「秀才型の才能」とは、各分野での具体的なピンポイントでの才能(天才型の才能)とはまた違い、そのコアの部分以外の全て-例えば、★俳優・女優さんのような人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性そのもの、★IQやEQの高さそのもの、★博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)、★IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)、★新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ、★リーダーシップ、★人の心を掴む人柄、★何かにハマれる集中力、★強い知的好奇心、★手先の器用さや技術的な能力、★人に何かを教える技術、★多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)、★世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力、★仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力など-具体的にピンポイントで突出した才能以外の全ての部分になります。つまり、実際に学校や職場やビジネスの場で役に立つ、実践的な才能ですね。だから一般の私達にとってはより親しみがある分野の才能です。この『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』こそ、一般の私達が実生活に生かせそうな、現実世界に強い実践的な能力の性質を持っているのですが、この2番目の「秀才型の才能」に属している才能の種類は本当に多岐にわたっており、1番目の「天才型の才能」よりもはるかに多いのが特徴です。)この2番目の「秀才型」の才能の見つけ方や磨き方は、もちろん次回以降の「運と才能シリーズ」で、まさに一般の私達が自分の人生で『実践』していくために、詳しくお話していきますが、今日の、サブテーマとしての本題である『ギフテッド』は、1番目の「天才型」の才能に分類されます。世の中には『ギフテッド(Gifted)』と呼ばれる人たちがいるのを、読者のみなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。『ギフテッド』の概念は心理学でも脳科学でも、かなり以前から存在してはましたが、実際には、ここ最近になって特に目立って聞くようになった言葉だと思います。『ギフテッド』とは、『特別な才能を天から与えられた人』という意味ですね。ギフテッドと呼ばれる人の中には、世間離れした類まれな才能を持っているケースが非常に多いです。『ギフテッド』という用語自体は、心理学用語でも医学用語でもありません。いわゆる「まるで、神様から特別な才能を与えられたかのような存在』という意味を強調する目的で、通常の頭脳や能力の「範囲」とは明らかに区別するために、あえてそのような表現を使っているものです。類似語で『タレンティッド(Talented)』と言われることもあるようですが、知的能力が際立って高い人(ギフテッド)と、より芸術的才能に優れている人(タレンティッド)を区別するために、あえてそのように分けて使う専門家などもいるようです。通常、『ギフテッド』は、20歳以下の子供や青年を指して使われることが多いのですが、大人になってから改めて『ギフテッド認定』される人も結構います。ギフテッドかどうかの判断というのは、今までは主に、知能指数であるIQスコアを参考にしてました。基準はIQ130以上で、人口でいったら、約2.4%の割合でギフテッドが存在していることになりますね。ギフテッドは、単に知能指数やその知的好奇心が極度に高い、というだけではありません。例えば、ギフテッドの子供たちの顕著な特徴として、●その実年齢に対して、物の見方や捉え方が非常に成熟している、●共感性・感受性が非常に高い、●大人レベルの考え方をする、●創造性が高く、独特の新しい方法を使って目の前の問題を解こうとする、●視点が常にユニークである、●自意識が高まる前の幼児期から既に思いやりの精神が非常に高い、などの、独特の傾向を持っています。【海外では、ギフテッドの子どもたちに対する特別な教育がある】ところが、同時に、ギフテッドの子供たちの場合、現実には「生きづらさ」を抱えているケースが多々あります。例えば、●その実年齢をはるかに超える、知的能力の高さや共感性・感受性の高さから、周囲の同年齢の子供たちに馴染めない●その繊細さゆえに、完璧主義になりやすく、また独特の「こだわり」を手放せない場合がある●大人顔負けの論理力や言語力を持つために、周囲の大人や学校の先生などに反発したり、生意気だと思われることがある●興味の対象範囲が広すぎる・レベルが高すぎる、好奇心が強すぎる、独自のやり方にこだわる等のために、学校のカリキュラム内容や勉強の進度が簡単過ぎてやる気を失ってしまう●大人の間違いなどを指摘し過ぎてしまう●論理的に正しくないことは認められないという信念や態度のために、一般の子どもの中では浮いてしまい、イジメにあってしまうことがある●「ギフテッド」の性質や存在への理解が社会に浸透しきっていないため、周囲の大人たちがその才能や可能性をうまくサポートすることができず、特に日本の教育現場では環境的に潰されていってしまう場合がある●結果的に、不登校、鬱病、適応障害などになってしまうケースもあるという問題を抱えている「ギフテッド」の子供たちも少なくありません。その点、海外では、以前から「ギフテッド教育」という概念が日本よりも浸透していて、特にアメリカ、スイス、マレーシア、シンガポール、香港などでは、国家レベルでそういったギフテッドの可能性のある子どもたちを積極的に見出して、独自の教育方法でその「才能」や「能力」を伸ばし、かつ、本人が健康で幸せでいられる環境を一緒に作り上げていく、という試みが行われてきています。なぜ海外では、ギフテッド教育が早い段階で行われてきたかと言うと、知的レベルの高い子ども達を国がサポートしていくことにより、将来的に、その本人も国家自体も、国際的に強い立場を得ることができる、ということがまず挙げられます。更に、ギフテッドの子ども達というのは、一般の子ども達と同じ環境で一緒に学習したり成長していくことが非常に難しい傾向を有していることがあります。例えば、その共感性や感受性の高さから性格が激しかったり、独自の「こだわり」ゆえに自分勝手であると誤解されたり、対人関係で問題が出る場合があったりするため、一般の子供達とギフテッドの子供達の両方の「幸せ」を考えた時に、その性質の違いに合わせて、教育環境や方法を分けた方が、双方の利益になる、という考えが教育現場に浸透していったからです。【『ギフテッド』にも3種類ある】ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができた幸運なパターンは、もちろん沢山あります。そういったギフテッド達が、世界的な学者や研究者、ピアニストやバイオリニストやアスリートになって(健康的に幸せに)活躍している、という例は世界中にちゃんと見られます。しかし、ギフテッドには、才能に3種類のパターンがあるのと同じように、大きく分けて3つのパターンがあります。例えばもし、あなたが「ギフテッド」であったとします。遺伝環境、生育環境、教育環境などでこの3つのパターンのどれかに「傾倒」していった場合、その後の生き方や人生展開に大きな違いが生まれてきます。この「ギフテッドの3つのパターン」とは、①1つ目は、先ほどの「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」②2つ目が、ギフテッドの才能や知能を持ちながら、社会的に不適応を見せる「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」③3つ目が、自閉症傾向やADHD(ADD)などの発達障害傾向とギフテッドの両方を同時に持つ「Two Exceptional(2E)」です。①「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」は、当然、先ほどの「ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができた幸運なパターン」ですね。その本人の「ギフテッド」としての性質や才能がスムーズに開花されていき、周囲の人達の理解を得ながら、大人になってからも「ギフテッド」として一定の活躍をすることができるパターンです。②ギフテッドの才能や知能を持ちながら、社会的に不適応を見せる「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」は、「ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができなかったパターン」で、あくまでも「ギフテッド」としての性質や才能は損なわれることなく、本人の意思でいつでもその能力を発揮させることはできるのですが、周囲の人達の理解が得られなかったり、「ギフテッド」としての才能を抑圧するような環境で育ったために、当の本人に「ギフテッド」としての『自覚』が芽生えず、その才能を社会で生かすレベルに至っていないパターンです。また、同時に、先ほどお話してきた「ギフテッド」ゆえの「苦労」から、努力することをあきらめてしまったり、自分の才能を伸ばしていこうという意識が欠落していたりするため、「才能・実力」のわりに「結果・社会的評価」が伴わない『アンダーアチーバー』となっていってしまうパターンです。(*『アンダーアチーバー』とは、本人の高い知能水準から期待されるよりも、実際にははるかに低い学業成績や業績を示す人達のことです。)③自閉症傾向やADHD(ADD)などの発達障害傾向とギフテッドの両方を同時に持つ「Two Exceptional(2E)」は、「ギフテッド」としての高いIQや、認知・非認知ともに優れた性質を持ちながら、発達障害の傾向を同時に有しているタイプのギフテッドです。「ギフテッド」認定された人に発達障害の傾向が同時に見られる場合、多くは、高機能自閉症(アスペルガー症候群)やADHD(注意欠如・多動症)、ADD(不注意優勢型ADHD)の場合が多いのですが、このタイプを『Two Exceptional(2E)(直訳すると、『2重に特別な要素を持つ』ということになります)のギフテッド』と言います。特別な要素を2重に持つので、そのポテンシャルは計り知れません。通常、「発達障害」に関しては、一般にネガティブな捉え方をする人がまだまだいますが、実は「発達障害」と診断される人達が高い能力や優れた才能を持つパターンは非常に多いです。実際、潜在的には素晴らしい才能や知識を持っている知的な子ども達ではあるにもかかわらず、要領よく生きることが苦手な傾向にあり、「生きづらさ」を感じている場合が多いのです。「定型」と呼ばれる、発達障害の診断がつかない人(つまり「発達障害」ではない「一般」であるとされる人達)が、どちらかというとバランス感覚に優れ、学力から日常の基本的な生活習慣をまんべんなく「平均的」にこなすのに対し、「発達障害」の人達は、ある特定の分野の能力に秀でていたり、好奇心が非常に強く、興味のある分野や対象に対する極めて高い集中力を発揮する傾向が高いのです。その分、学力や生活に直結する技術や能力に「凹凸」が見られるのが特徴で、「強み」と「弱み」が両極端である場合が多いです。実際、近年、心理学者や発達科学分野の研究者達が、「発達障害」傾向を有する人達の非常に高いポテンシャルを、ある「才能」としてポジティブに捉える傾向が高まってきています。要は、「発達障害」は「脳のクセ」のようなもので、個性の一つである、という見方が強くなってきているのも事実です。「障害」と捉えるのは、その興味や能力の「凹凸」により、生活習慣や日常生活に直結する技術や能力において、また、本人の「脳のクセ」が極端であることから、その「クセ」に合わない環境や仕事内容に遭遇した場合に、実際に本人が「生きづらさを感じる」ところから、そう捉えられているにすぎない、という見方です。「発達障害」と診断された人達や、いわゆる「グレーゾーン」であると思われる人達が、その苦手な部分とある程度折り合いをつけることができ、なおかつ、得意な部分を存分に伸ばして生かせた時、この場合もまた特性を生かすことで『才能』が開花していきます。【ギフテッドの『隠れた才能』を見抜く】しかし現実的には、高い知能や才能を持った「ギフテッド」を、一般の私達が見抜くのは並大抵のことではありません。なぜなら、彼らにあふれるばかりの『才能』を感じ取ったり、「この子は違う」という印象を持ったとしても、①の「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」出ない限り、②の「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」や③の「Two Exceptional(2E)」を即座に見抜くのは困難です。なぜなら、先ほどもお話したように、②や③の「ギフテッド」達の成績や業績が、必ずしもクラスで一番というわけではないですし(場合によっては、優れた頭脳を持っているにもかかわらず「成績がクラスで最下位」というパターンの「ギフテッド」は沢山います!問題児扱いされている「かくれギフテッド」も沢山いるんです!!)、本当は「ギフテッド」である彼らが必要としている環境や教育方法や接し方に、必ずしも周囲の大人が気づくとはかぎらないからです。更に、自分が「他の子供達と違う」ことを恐れて、「ギフテッド」としての能力や才能を「隠そう」としてしまう子供たちもいます。わざとできないふりをしたり、イジメられるのを恐れて空気のように周囲に同化してしまっている「ギフテッド」達も大勢いるのが現状です。だから、実は「ギフテッドである」とは気づかれないで、大勢の中の一人、として扱われてしまっている「ギフテッド」達が、この世の中には沢山存在してるのですね。実の親でも気づかない場合が多い。ましてや学校の先生やコミュニティの大人がそのことに気づくのは、更に困難を極めます。学校の先生側にとっても、通常の授業に加えて、興味や好奇心が凄まじい「ギフテッド」を満足させるような授業を常に生み出していかなければならないのは、かなりの負担です。他の子供達の気持ちや、彼らとの兼ね合いもあるからです。「ギフテッド」の子供達は、のみ込みや理解も早いため、通常の授業内容や進度ではすぐに「飽きて」しまいます。彼らを飽きさせないために、常に彼らの知的好奇心を満たす「新しい刺激」を与えていくためには、単に教材や試験の数を増やすだけではなく、教師側の強い忍耐や創造力も必要となってきますが、これは容易なことではないのですね。 それでも、ギフテッドの『隠れた才能』を見抜く姿勢を私達一人一人が持つことは、社会全体にとっては非常に大切なことです。なぜなら、先程もお話しているように、「ギフテッド」は1つ目の「天才型の才能」として、それでも比較的目につきやすい突出型の才能に属しているからです。それは後々、一般の私達が、社会に役立つ、より実践的な2つ目の「秀才型の才能」を見つける時の、判断の助けにもなってくるからです。今日はちょっとサブテーマになりましたが、『才能』について考える時、「ギフテッド」という才能の分類がある、ということを知っているだけでも、自分の『才能』を見つけていく上で損はないと思います。もしかしたら、自分や、自分の身近な人や、自分の子供が、実は『ギフテッド』だったりすることも、十分あり得ますからね。その時に、あなたがすぐ行動できるようにしておくためにも。。。************************************************************************【編集後記】以前、アインシュタインの伝記の中で、「相対性理論を提唱したアインシュタインは、自然の法則を研究すること『だけ』に興味があり過ぎて、その他の事柄には全くと言っていいほど興味を示さず、実生活ではかなりルーズで変わり者だった」というような逸話を読んだことがありました。アインシュタインは、興味のある事柄に対する探究心が強すぎたため、大学時代までずっと「質問魔」として、教師や教授達に煙たがられる学生だったようですね。15歳にして学校を中退し、独学でなんとか受けた入試にも落ち、やっと入ることができた大学では、上のように教授達に嫌われてしまい、同級生たちの中でただ一人、研究室に残ることができなかったそうです。当時のアインシュタインは、とても「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」と言える状況ではなかったのですね。それでも、その後、公務員として「特許庁」で仕事をする機会に恵まれ、発明品などに関する特許出願の内容を精査して可否を判断する業務を行っていた時期が、彼にとっては、その後の物理学者としてのキャリアへの布石を敷いた、最高の時期だったようです。アインシュタインは教授達に煙たがられていた学生時代から、数学や物理に関して他の学生に頻繁に意見を求めたり、当時の学者達の意見や協力をあおいだり、過去の数学者・物理学者達の理論や業績をしっかりと参考にしたりなど、多くの人達の知恵を借りながら、「相対性理論の確立」という偉業を成し遂げていきました。そうですね。「相対性理論」は、ギフテッド・天才としてのアインシュタインが彼一人が組み立てたものなのではなく、実は、多くの人の協力があって、そのアイデアや発見が「全体として」完成していったものなのですね。やはり、どの分野でも、たとえ「天才」に関しても、「全ては繋がっている」とうことをあらためて実感したひと時だったと記憶しています。伝記はいいですね。実にいろんな人達の人生や考え方を「疑似体験」できるので!************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~【誰も知らない『運と才能の秘密』⑤】~「アイデアを無限に生み出す『ひらめき』を自分の才能にする~************************************************************************
Nov 17, 2020
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みなさん、こんにちは!今日も引き続き、【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズ・第5弾です。今回は、「ひらめき」とは何か?というところから、才能と運の関係をアプローチしていきたいと思います!このブログでも、「運と才能」のテーマ以外で、何回か『潜在意識』についてお話しています。普段、私達は『潜在意識』を1つのみの概念としてとらえてしまっていますが、実は『潜在意識』には大きく分けて2種類あって、一つが『個人の潜在意識』(通常、私たちが「潜在意識」と理解しているのはこちらです)もう一つが『集団潜在意識』(個人の潜在意識が集合となった「集合潜在意識」でもあり、またその「フィールド(領域)」のこと)です。私達の『才能』には実に様々な種類があるのですが、ここ数回のブログ記事の『運と才能』のテーマでも取り上げているように、『才能』を大きく分類すると、次の3つのカテゴリーに分けることができます。①いわゆる『天才型』の才能と呼ばれる『コアの部分にかかわる才能「芸術分野」や「科学分野」で顕著に際立った才能で、音楽(楽器演奏、声楽、指揮)、美術(主に絵画、彫刻、建築など)、文学・映像(小説、映画、舞台芸術など)、数学(新しい数学の定理や方式を発見・構築するなど)、科学(ノーベル賞級の発見や発明を化学分野、物理分野、医学分野などで達成するような学問的能力)などの、要は、各分野の「コア」の部分に関わる、非常にわかりやすく突出した才能=「ピンポイントの才能」です。)これがビジネス分野であると、短期間に社会に多大な影響力を与えつつ、大きな利益を出し続けるような才能になります。②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』各分野での具体的なピンポイントでの才能とはまた違い、そのコアの部分以外の全て-例えば、俳優・女優さんのような人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性そのもの、IQやEQの高さそのもの、博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)、IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)、新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ、リーダーシップ、人の心を掴む人柄、何かにハマれる集中力、強い好奇心、手先の器用さや技術的な能力、人に何かを教える技術、多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)、世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力、仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力など-具体的にピンポイントで突出した才能以外の全ての部分になります。③『「良心」となる才能』1つ目の『コアの部分にかかわる才能』、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』をそれぞれ発揮する上での『抑制力』となったり、才能を正しく使って世の中に「貢献」するための『責任感』の部分となる才能です。『WIN-WINの関係』を常に念頭においてベストを尽くしていく姿勢、自分の才能を『ミッション(使命)』として捉える自覚は、この『「良心」となる才能』があって初めて、その人の生き方に反映されてきます。ある意味、3つの才能の中で一番大切な才能です(この『「良心」となる才能』がないのに「能力」だけが突出して高い場合、そのような人は、往々にして社会にも貢献できないし、自分自身が幸福にもなれないことが多いです)。この3つのカテゴリーの中で、一般の私達がその発掘を目指すべきなのが、特に現実の社会で有用で実践的な、2番目の②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』なんですが、これも過去記事で詳しくお話しています。************************************************************************参考記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~************************************************************************さて、その『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』こそ、一般の私達が実生活に生かせそうな、現実世界に強い実践的な能力の性質を持っているのですが、この2番目の「秀才型の才能」に属している才能の種類は本当に多岐にわたっており、1番目の「天才型の才能」よりもはるかに多いのが特徴です。そしてその中でも、ダントツに有用で価値が高い才能が「アイデアを生み出す才能」です。これはもう、ある程度の社会人経験がある方々だけではなく、起業などに関心のある学生の方々でも、よく理解できることだと思います。「アイデア」とうのは、全ての産業において、そのビジネス活動や存在自体の「原点」だからです。この世の中の既存のビジネスのほとんど全ては、伝統的な分野であっても、新興分野であっても、リアルビジネスであっても、オンラインビジネスであっても、ほぼ間違いなく、『経済的利益』と人々の生活をより良くするという『貢献』を同時に満たすための『アイデア』に支えられています。芸能関係やテレビ・映画業界、出版業界などが『アイデア』の宝庫であるのは当然のこととして、様々な商品を開発・改良しているメーカーや小売分野の業界でも同じです。たとえ配送関係やクリーニング屋さんといった、一見『アイデア』に関係なさそうな分野の業種にも、現在では、お客様の満足度にこだわりつつ売り上げも上げていくための『アイデア』が、ところどころにちりばめられています。「思考停止」しているような業界は、実際にはほとんどありません。規模や新規性に関わらず、必ず何らかの『アイデア』を常に生み出し続けて、自分達のビジネスを成長させていっているのです。『アイデアを生み出す才能』は、私達個人にとってもとても価値のある魅力的な能力ですよね。そして、ここがとても重要なところなのですが、私達に「アイデア」をもたらしてくれる『ひらめき』というのは、確実に私達に降りてきていながら、もし何もしないと、そのまま私達の中を「通り過ぎて」サッと記憶から抜けていってしまいます。これが、私達が日常で普通に行っている「記憶」(長期記憶・短期記憶の両方を含む)とは決定機に違う、「ひらめき」の特性です。読者のみなさんも、思い当たることが沢山あると思います。何か「自分って天才!」と思えるくらいの良い「ひらめき」が自分に降りてきた時に、これを絶対に「アイデア」にまで落とし込もう!と意気揚々としていたその瞬間、誰かから電話がかかってきたり、家族や同僚に呼び止められたりする。すると、今まで絶対に「自分のものだ!」と思っていた(絶対に覚えていると思っていた)その「ひらめき」の内容が、いつのまにか自分の中から抜けていて、どんなに思い出そうとしても、もう記憶に帰ってこない、という、非常に悔しい経験をしたことは、誰にでもあるかと思います。そうです。なぜなら、「ひらめき」によりもたらされたアイデアというのは、私達の通常の脳の状態で得られた情報ではないからなのです。だから私達の通常の「記憶」では対処できない。記憶に留めておくことが非常に難しい。そのため、様々なアイデアでビジネスに成功している経営者や、情報発信等を行っている人達は、一貫してこう言うのです。「自分に降りてきた『ひらめき』や『アイデア』は、その瞬間に必ず書き留めておかなければならない」と。「その瞬間に」というのが重要なポイントです。流れるようにあなたに降りてきた「ひらめき」は、時間の経過共に、同じく流れるようにあなたから抜けていってしまいます。これは、先ほどお話した「ひらめき」によりもたらされたアイデアというのは、私達の通常の脳の状態で得られた情報ではないからなのですが、もっと落とし込んで説明すると、「ひらめき」によりもたらされたアイデアというのは、厳密に言うと私達が自分で考えたり作り出した情報ではなく、「個人の潜在意識」が、その外側にある「集団潜在意識」をはじめとした別の潜在意識のフィールド(領域)に飛び交っている情報の数々を「瞬時に」捉えて、その情報が自分の経験値や知識と混ざり合って、「瞬時に」別の価値ある新規の情報が構成されたものなんですね。それを私達の脳が潜在意識レベルで「キャッチ」しているわけです。これが「ひらめき」が起こる仕組みです。なので、「ひらめき」が発生した段階では、まだその「ひらめき」により得られた「アイデア」というのは、厳密にはまだ「あなたのアイデア」にはなっていないわけです。「あなたが一時的にキャッチしている」という状態にすぎません。だから「書き留めておかないといけない」わけです。ちょっと微妙な例(?)かもしれませんが(苦笑)、オークションで言ったら、お目当ての商品を「あなたが入札している段階にすぎない」わけです。まだ「落札していない」。落札できていないのですから、別の入札がこれからどんどん入るかもしれないし、当然他の人に商品を入手する権利が行ってしまうかもしれないわけです。これが「ひらめきが流れていってしまう⇒記憶に残らなくなってしまう」ということですね。だから、あなたが「ひらめき」を得たら、その瞬間にでもすぐに書き留めて置けるような状態を、常に作っておいた方がいいです。「ひらめき」は、本当に瞬間的にあなたに降りてきて、そして本当に次の瞬間にあなたを通り過ぎてどこかへ行ってしまいます。ほんの数分遅れただけでも、得られた「ひらめき」をあなたが書き留めておく前に、既にあなたが何を「ひらめいた」のかが、あなた自身わからなくなってしまうことがよくあるからです。そして、「ひらめき」にはある特徴があって、一度「ひらめく」と、その状態を脳が記憶していて、次の「ひらめき」をキャッチしやすくなる、ということです。あなたが一度「ひらめいた」後に、短期間に連続的に次の「ひらめき」が次々と降りてきた、ということが、過去になかったでしょうか。私などは、一度1つの「ひらめき」が降りてくる機会に恵まれると、その後20分くらいにわたって、10個くらいの新たな「ひらめき」が芋ずる式で降りてきます。これは、非常に「お得」な機会なので(笑)、是非このチャンスを逃さないように、速攻で「ひらめき」の内容を書き留めておくようにしてください。先ほどもお話したように、「ひらめいた」段階では、その「ひらめき」と付随してくる「アイデア」は、まだ完全にあなたのものになっていません。あなたが書き留めて、完全にあなたの記憶に定着した段階で、初めてその「ひらめき」と付随してくる「アイデア」は本当にあなたのものになります。もう1つ、よくい理解しておかなければならないことは、「ひらめきが降りてくる」状態というのは、「個人の潜在意識」が「集団潜在意識」と上手くリンクできている、という状態でもあります。また、「集団潜在意識」を更に超えた「宇宙の潜在意識(知恵の宝庫)」にまで繋がって、そこに溢れて飛び交っている知恵をランダムに「キャッチしている」状態、ということでもあります。そう考えると、「ひらめき」を頻繁に得ることができる性質を身に付けられたら、もうそれ自体が『才能』になる、と言っても過言ではないかもしれませんね。自由に「ひらめき」を得て、それを「アイデア」として掘り下げて具現化していくことができる才能。これが、「才能」の中でも一番凄い部類なのではないでしょうか。ところで、私達が何か新し発想を得たいのに上手く思い浮かばず、意識的に発想を得ようとしている時には、自発的にアイデアを思い浮かべようとしたり、能動的に「考えること」によりアイデアを導き出そうとしている状態になっていますが、こういった状態の時に「ひらめき」が降りてくることは非常に稀です。なぜなら、この時の私達の脳は「β(ベータ)波優勢」となっており、脳が緊張している状態だからです。「ひらめき」は、私達の脳が「α(アルファ)波優勢」の状態にある時に降りてくることがほとんどです。「α(アルファ)波」の状態である時、脳そのものや、脳により自律神経で制御されている身体全体は適度にリラックスしてる状態であり、かつ、肝心の脳機能は完全に覚醒しています。余計なストレスや負荷がかかっていない状態で、脳が全開で活動できている状態です。私がこのブログでよくお話している、高揚感や幸福感を伴った極度の集中状態である「フロー状態」に私達が没頭している時も、当然脳波は「α(アルファ)波」になっています。そして、私達の脳が「α(アルファ)波優勢」の状態にある時、私達の「個人の潜在意識」の活動もまた全開になっています。そもそも「脳波」とは、私達の脳に生じている「電気的活動」を、頭皮上、蝶形骨底、耳内の鼓膜、脳表、脳深部などに設置した電極を使って脳波計により測定した「脳電図」上の測定値のことなので、脳の活動状態が目に見えるわけではありません。しかし、私達の脳が確実に「α(アルファ)波」の状態になっていることを日常で確認することはできます。その状態とは、過度の精神的ストレスとは無縁な状態で、なおかつ、私達の心や体が気分よくリラックスしていながら、一方で脳が活発に働き、思考力が最大になっているような状態です。こういう状態は、試験や仕事がうまくいった放課後や仕事帰りにもよく起こりますし、スポーツなどで良い試合ができたり、自己ベストが出せた後の休憩中など、日常のあらゆる場面で「満足感」や「達成感」を得られた後に頻繁に起こり得ます。そして、その最もたる状態が「フロー状態」なんですね。************************************************************************参考記事☟☟☟【フローマスター】幸運の流れを自ら発生させてコントロールできる人達のお話************************************************************************「フロー状態」というのは、単によく集中できている状態とは明らかに異なります。ただ集中しているだけなのではなく、言葉では言い表せないようなくらいの「高揚感」と「幸福感」を伴って、今自分自身が取り組んでいることに「我を忘れて没頭している」しているような状態です。要は、今自分が取り組んでいる事柄自体が自分自身の存在価値を高めてくれるような、強烈な「喜び」の感情を伴った、極度の集中状態のことです。今取り組んでいることに必要な自分自身のレベルが、低すぎず高すぎず、ちょうど自分がチャレンジしやすいような「ちょとだけ上のレベル」に挑戦している時などは特に、私達人間というのは健全な「自己有能感」と「自己価値観」に満たされやすいです。そして、こういう状態というのは、私達の「やる気」や「チャレンジ精神」をどこまでも高めてくれる上に、私達の思考力をも各段に高め、脳機能にまで良い影響を与えてくれるのです。「フロー状態」に入ることが最大のカギではありますが、通常の状態でも、私達が日常でそれなりに経験する過度の精神的ストレスとは無縁な状態で、なおかつ、私達の心や体が気分よくリラックスしていながら、一方で脳が活発に働き、思考力が最大になっているような状態では、私達の「個人の潜在意識」もより広がります。個人の潜在意識という枠を超えた、もっと広い「集団潜在意識」や「宇宙意識」にまでその広がりが伸びていきます。そしてそのより広い潜在意識のフィールド(領域)に飛び交っている様々な知恵を、よりキャッチしやするなっていきます。その結果、「ひらめき」はより起こりやすくなっていくのですね。普段の生活の場でも「ひらめき」は起こります。でもそれは、日常で、私達の心&体のリラックスと、脳のコンディションがより「α(アルファ)波」に近くなっている、という状況がたまたま重なり合った時に発生した「偶発的なひらめき」にすぎません。もちろんその「偶発的なひらめき」自体も素晴らしいアイデアを私達にもたらしてはくれます。しかし、コンスタントに「ひらめき」が降りてくるような素質を見つけられたら、それこそ、それは私達一人一人にとって、素晴らしい『才能』になり得ます。私は『運』の研究をしているのと同時に、この『才能』には並々ならぬ関心を持っています。お話してきた『3つの才能』ごとに、個人によってそれぞれ強みや持ち味が違うものの、私は、誰もがある程度の『才能』を持っていると考えています。個人の『才能』は、その個人にとっての『使命(ミッション)』であるとも思っていますから、誰もが自分の『才能』を見つけてそれを社会で発揮していくべきですし、そのためのお手伝いとして、少しでも役に立つお話ができていけたらと考えています!ところで、ブログ記事の最中に私個人のことで恐縮なのですが、私は、昔から『人の才能を見抜く』のが抜群に得意です!おそらくその時点で、その本人自身すら自分で気づいていないようなその人の強み、向いている分野、能力などに私が先に気づいてしまって、何気なく指摘したりお話してしまったことで、その人の生き方を変えてしまったことが何度もあります(もちろん結果は全てオーライでしたよので良しとしましょう!)。私自身も、気づいてしまった相手の能力や才能を本人にお伝えするかどうかは、相手の現在の立場や状況や性格等を考慮して、十分気を付けていてはいるのですが、とにかく他人の人生にある種の影響を与えてしまうことになるので、賛否両論ありますね。いいのか悪いのか判断が分かれるところでもあるのですが、特に本人が希望する場合は、なるべくお伝えするようにはしています。ある意味、これも私の『使命(ミッション)』のうちの一つになり得るのかな?プロデューサー向きなのかもしれません(笑)。余談でした(苦笑)。まだまだ続きます!『運と才能の関係』シリーズ。************************************************************************【編集後記】「ある種のネット記事・サイトには気を付けよう」というお話です。先日、調べものでネット記事やあるサイトを検索・閲覧していた時のことです。そのネット記事やサイトを見つけた時には、関連する情報が盛りだくさんでとても嬉しかったのですが、読み進めていくうちに、なぜか、あるタイミングで「極度の疲労」に襲われました。「あれ?この「疲れ」はなんだろう?」と思い、そのネット記事やパソコン上でサイトを開いたまま画面を見ずに休憩に入ったのですが、もう、あり得ないくらいの消耗感で、これはまずい!と思って、そのネット記事とサイトを速攻で閉じました。閉じた後も、30分くらい調子が悪く、本当に30分前までの元気だった自分とは思えないくらいの疲労でした。その間、やっていたことと言えば「そのネット記事とサイトを閲覧していただけ」です。実は、ある種のネット記事、サイトは危険です。そのネット記事、サイト自体が、ポジティブなエネルギーや運を持つ純粋な人、強運の持ち主から、「オンラインでエネルギーを奪う」バンパイア記事・バンパイアサイトである場合があるからです。これは本当のことなので、もし同じような経験のおありになる読者の方がいましたら、今後、ネット検索・閲覧中の自分の体調の変化に注意していてみてください。その記事やサイトがあなたのエネルギーを奪う「バンパイア記事・バンパイアサイト」であるかどうかは、パっと見ではわかりません。そのサイトを訪れている時や、その記事を読んでいる時には、違和感はまったく感じないのが第1の特徴です(これは相手が「人」の場合であえっても同じですね。第一印象や接しているその時よりも、「後からじわじわと」気分や体調が悪くなっていく感じです!)。むしろ、興奮したりわくわくしたりしながら楽しく読んでいたはずなのに、そのサイトや記事から離れる頃に、急に体調がおかしくなったり、突然急激な疲れに襲われるのが第2の特徴です。そう。体調や気分が悪くなるのが「読み終わる頃」「そのサイトに関わりきった後」というのが胸糞悪いですね。その時の「疲れ」といったら、ちょっと通常の疲れとは違う、なんとも説明しがたい「猛烈な疲れ」です。普通の頭痛や目痛ではなく、ちょっと異常な感じの、「極度に消耗する」ような感じですね。「あれ、私、今まで調子よくネットサーフィンしていたのに、なぜ急にこんなに疲れるんだろう。。。。。」と思うことがあったら、気を付けてください!そのネット記事やサイトは、あなたにとって、あなたのエネルギーや運を奪う「バンパイア記事」「バンパイアサイト」の可能性があるかもしれません!こういう、人のエネルギーや運を奪っていくネット記事、ネットサイト、というのは、確実に存在しています。私も、今でもたまに「ひっかかってしまう」ことがありますね(苦笑)。だいたいは、こういった怪しいマイナスの影響を及ぼすネット記事やサイトを瞬時に見抜けるようになってはきているのですが、まだたまに、思いもよらないパターンで、「あるタイミング」でスッとエネルギーを抜かれることがあります(苦笑)。はっきりと言いますが、そのネット記事やネットサイトを運営しているブロガーやサイト管理者によって引き起こされている現象ですね。このブログをずっと定期的に読んでくださっている読者の方であれば、何を言わんとしているか、おわかりになっていただけると思います(苦笑)。ブログ記事やネット記事、サイトを閲覧する時には、十分に気を付けましょう。せっかく有益な情報やアイデアを得ようと、ネットサーフィンなどで検索や閲覧をしているのに、逆にエネルギーや運を持っていかれてしまうのは、何とも残念ですからね。それにとにかく疲れますし。。慣れていないと、回復にもそれなりの時間がかかります。気を付けていても、たまに運悪くやられてしまうことは(私のように)あるかもしれませんが、それでも、心構えで「本当に有益なネット記事やサイトだけを見ていこう!」と思っているだけでも、随分自分を守ることができますよ。オンラインは便利ですが、人のエネルギーや運を奪う「エナジーバンパイア」や「人格障害者」たちが、リアルの場で直接私達のエネルギーや運を奪っていくのと同じように、「オンラインの世界」でも、ネットを介したバーチャルな「接触」で、私達のエネルギーや運を奪おうとしてくる人達は確実に存在していますからね。特に、入口の段階ではとても「心地よい」印象を受けて夢中になるような記事・サイトでも、後半、なぜか尋常ではない「疲れ」や「違和感」を感じたら、そして、記事やサイトの内容に関わらず、胸糞が悪くなるような「後味の悪さ」に襲われたら、その記事やサイトには、再び訪れることはしないようにしましょう。最終的に自分を守れるのは「自分だけ」です。自分自身の「勘」や「違和感」を信じましょう!************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ【誰も知らない『運と才能の秘密』➃】~成功と失敗の『パターン』を見抜く能力を磨く、というお話~************************************************************************
Nov 12, 2020
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みなさん、こんにちは!今日も、引き続き【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズ・第4弾です。自分に起こる「成功」と「失敗」の「パターン」を即座に見抜いて、最も効率的に成果を実現する『パターン認識能力』のお話です。「パターンに認識能力」とは、規則性のあるパターンの中から、異なるものを抽出して認識する能力のことです。この世界は、実に様々な情報や事柄に溢れかえっていますよね。その、溢れかえる情報や物事の中から、ある共通した「規則性」や「類似性」(場合によっては「規則のある」非類似性)を即座に見抜いて、パターンをみつける能力のことです。この「パターン認識能力」に優れていると、一見同じように見えるものの中から、スピーディに必要な情報だけを抽出したり、逆に間違いを見つけることができるため、選択や決断や危機管理の場面で大いに役立つ能力なんです。そして、この「パターン認識能力」は、学校での勉強や受験勉強、会社での日々の仕事や、日常での事故・危険回避に至るまで、私達の人生全般にわたって非常に役に立つ能力なのですね。代表的なのが「IQテスト」で測定できる「認知能力」としてのパターン認識能力です。IQの高低は、パターン認識能力の高低であるとまで考えられています。IQが高いといわれている人達は、このパターン認識能力が優れているというわけです。IQ高い人は頭が良いといわれる理由の一つとして、IQが高い人達というのは論理的な思考が得意です。全ての物事をロジカル(論理的)に考えることができるため、普通の人が難しいと感じることでもスムーズに問題を解決していくことができます。また、IQが高い人達の集中力は非常に高く、目の前にある物事や課題一つ一つに全エネルギーを注ぐことができます。複数の問題に同時に取り組むようなマルチタスクではなく、問題を「一つづつ」「高速で」解決していくのです。そのため、普通の人だと相当な時間を要してしまったり、マルチタスクで脳が疲労してパフォーマンスが下がってしまうこともなく、課題や問題を短時間でクリアできてしまうのです。集中力が高い故に、周囲に溢れかえる情報に惑わされることもなく問題に集中できます。そのため、結果的に最適な答えを短時間で見つけ出してしまうことが可能です。そして論理的思考が得意であるからこそ、「規則性」「法則性」を伴った「パターン」を認識する能力にも長けているわけです。「IQ」とは、また「物事を抽象化する能力」とも密接に関係しています。先ほどお話したように、「パターン認識能力」とは、いかに「規則性」「法則性」に気付くかどうかがカギとなってくるものですが、例えば、ある知能検査で「人間の頭と腕の関係は、枝と何の関係に例えられるでしょうか」という問題が出されたとします。この場合、頭と腕がどういう関係に例えられるか、ということだけを抽出して、それ以外の頭や腕に関する詳細な情報(例えば、皮膚の色、頭や腕の長さ、髪型、腕を覆っている服や装飾品の有無・デザイン等)は排除する必要があります。あくまで、その情報のポイントになる最も大切な部分だけを抜き出す、そして、その「最も大切な部分」が他の物事にも適用できるかどうか、更に他の物事の中も存在していないかどうか、にフォーカスする思考法ですね。これが「抽象化」です。要は「対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する思考法」です。こういった「抽象化する能力」が、「規則性」「法則性」に気づく「パターン認識能力」とセットになって、私達の思考力-特にIQに特化した「認知能力」を形成しているのです。なので、例えば物理や数学などの理系分野というのは、実際に最も抽象的な思考と関わっている分野なのですね。(*ところで余談なのですが、小学校・中学校時代に「算数」や「理科」の授業が好きだったり得意だったりした人が、高校以降になって急に高等数学や物理などの「理系科目」に苦手意識を持ち始めてしまうという逆転現象の原因の一つは、この「抽象化」にあります。小学校・中学校時代の「算数」や「理科」の内容というのはより「具体的」で「実学的」なんですね。算数の計算や文章問題にしても、理科の実験や化学・生物・地学に関連した内容にしても、テーマがより「具体的」なんです。高校や大学の授業で「化学」や「生物」が得意でも、数学や物理に苦手な生徒さんはたくさんいます。「数学」や「物理」ではより「抽象的」な思考が求められるため、「抽象的な思考法」が訓練できていないと難しく感じるわけです。)IQに関しては、「運とIQ・EQとの関係」のテーマで、このブログでも何回かに分けてお話していますので、まだ読まれていない読者の方がいましたら、是非読んでみてください。************************************************************************関連記事☟☟☟【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係①~高IQ高EQはどのように「運」に影響するのか~【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係②~「運」と「IQ・EQ」と「集団潜在意識」~ 【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係③~『アハ体験』と『フロー状態』~強運と知性のお話************************************************************************更に、「IQとしての認知能力」と対照的なのが、「EQ」としても知られる「非認知能力」ですね。「非認知能力」とは、感情をコントロールしたり、ストレスを自分で軽減させたり、物事を前向きに捉えたり、粘り強さを持って努力したり、人間関係で共感力を発揮したりといった、脳の機能で認知できる知覚能力とは別の能力です。これに、問題解決能力や臨機応変さといった「PQ」が加わって、私達は「IQ」「EQ」「PQ」をバランス良く備えた存在として生きていくことが可能となっていきます。私達が自分の持つ能力や才能を発揮していく時、この「IQ」「EQ」「PQ」をバランス良く高めていくことが大切なのはもちろんなのですが、まず自分の「能力」や「才能」を見つるための初期の段階では、この「IQ」に関連する「パターン認識能力」を特に意識して、今まで以上に高めていく心構えが大切になってきます。なぜかというと、最初に「能力」や「才能」を見つけるにしても、その後にその「能力」や「才能」を発揮していくにしても、その両方のプロセスにおいて、 自分に起こる「成功」と「失敗」の「パターン」を即座に見抜いて、最も効率的に成果を実現することがキーポイントになってくるからです。【自分に起こる「成功」と「失敗」の「パターン」を即座に見抜いて、最も効率的に成果を実現する】「パターン認識能力」が高まると、自分の人生全般におこる「成功」と「失敗」の「パターン」を即座に見抜くことができるようになります。これは学校の勉強でも受験勉強でも、就職活動でも転職活動でも、実際の仕事の場面においても同様です。自分の人生全般におこる「成功」と「失敗」の「パターン」を即座に見抜けるようになると、各場面で、より自分にふさわしく有利な選択、判断、決断ができるようになるため、それだけで自分の全体的な運の良さも上がっていきます。物事が自分にうまく働く要素が、それだけ増えていくからですね。自分にあった環境、分野、やり方、人間関係等の条件がそろってくると、あなたが取り組んだり関わっている物事が最も効率的に運んでいきます。 その結果、当然ですが「失敗」の確率も低くなっていきます。自分の「能力」や「才能」を見つける時、それを伸ばす時も同じです。「才能を見つける」ということは、自分自身の中に組み込まれている「プログラミング」を解く、ということです。また同様に、「才能を伸ばす」ということは、その見つけた自分の才能を、更に上のレベルへと「再プログラミング」する、ということです。その自分自身の「プログラミング」を解いていく時に、また更に上のレベルへと「再プログラミング」する時に、先ほどの「パターン認識能力」と「抽象化」で、自分自身の最も大切な部分を抽出し、どの部分が自分自身の「オンリーワン」なのかを、自分自身で振り分けていくわけです。そうして自分自身がオンリーワンでいることが可能な「能力」や「才能」を見つけ出していくわけです。いいですか?ここでは「ナンバーワン」の概念なんて無視してください。自分の「能力」や「才能」を見つけて発揮していくのに必要なのは「オンリーワン」の概念です。以前のブログでもお話したように、私達一般人が目指すべきなのは、「天才性」ではないんです。自分の「能力」や「才能」を世の中に生かして「貢献」しつつ、自分自身も満たされて幸せになる。以前にもお話しましたが、「能力としは『コア』の部分である『天才としての才能」ではなく、「コア以外の全ての『技術的な才能』である『秀才的な才能』」、これを目指すねきなのです。それには、ナンバーワンではなく、あなたしか提供できない価値のある「オンリーワン」になることが大切なのですね。これは、一握りの天才の人達だけではなく、私達誰もが目指せる境地です。自分で人生をプログラムする⇒才能を見つける、生かす、貢献する、輝かせる、WIN-WINにするですね。そして、それには、①先ほどの「パターン認識能力」プラス「抽象化」の思考法をマスターしていくことが大切②同時に、冒頭でお話したように、私達が自分の持つ能力や才能を発揮していく時、この「IQ」「EQ」「PQ」をバランス良く高めていくことが大切 更に、①と②を実践できるようにするために③「自分で考える」クセをつける(思考停止はダメ)ということが大切ですね。自分で人生をプログラムしていく、ということは、大変な反面、かなり面白いことにも沢山恵まれます。例えば、初期の段階では、私達に学歴がない、社会的な基盤や地位がない、人脈がない、お金もない、という状態であったとしても、なんだかんだ言いながら、そんな私達に手を差し伸べてくれる人は実際には現れます。結果的に仕事を頼んでくれる人もいます。こんな私達のことを「面白い」と思って接してくれるくれる人も、実はこの世の中にはいるんですね(多くの人が、このことに実は思い当たるはずです)。いろいろな人たちと出会いながら、「思考停止」することなく自分なりちゃんと考えて行動に移していくと、チャンスが訪れる頻度は上がっていくんですね(これは私自身にも実体験がたくさんあるので断言できます)。ですから、当然「頭を使う必要」がでてきます。 今の自分のレベルでいいから「パターン認識力」や「抽象化」を意識していく、今の自分のレベルでいいから、持てる「IQ」「EQ」「PQ」を駆使することを意識していく、そうすると、「今までこの発想はなかった!」という時点まで、自分自身を高めることができてきます。これが更にあなたの脳に快感を与える。私がこのブログでよくお話している「フロー状態」にも入りやすくなる脳の状態に、自分を持っていくこともより容易になります。(*このブログ自体のトピックが、既に「抽象的」なものが多いのはそのためですし、もちろん「抽象的」に説明しつつ、実際にはとても「具体的」なものになっているはずです。それは、これから「実践」していくための布石を敷いているからなのですが。。)よりアイデアや発想も豊かになっていきますし、とにかく、日常が、人生そものもが見違えるように「楽しく」なっていくはずです。【『世界中が変わっていく時に、自分は何ができるのか?』という視点で、あなた自身を大切にする】自分の「能力」や「才能」を見つけてそれを更に伸ばしていこうとする時、世の中への「貢献」と自分自身を生かしているという「幸福感」の両方を意識することが大切、と、このブログでずっとお話していきていますが、特にここ数年は、その意識が特に大切なのではないかと思います。例えば、今はコロナで世界中が大変なことになっていますよね。コロナ以前の世界と、今後のコロナ後の世界では、価値観が一変してしまっている可能性も否定できません。個人の学業や仕事や生活全般のレベルから始まって、グローバリズムがどんどん進んでいたコロナ前の世界が崩壊し、今後グローバリズムが縮小してローカリズム(その国や地域への意識が高まる「地域化」)へと移行するかもしれない状況など、私達を取り巻いている環境や状況が激変しています。そんな時、この大変さをどう乗り越えていくのか。乗り越えながら、こんな時代に、更に私達の「能力」や「才能」をどう見つけて伸ばしていくのか。もはやこれは、私達人間の「知的体力」の問題にも関わってきているんですね。そんな、世界中が変化してきているその真っただ中に「自分はなにができるのか」ということを常に考えながら、意識的に日々を過ごしてみましょう。************************************************************************【編集後記】最近、「大器晩成型」の成功者について興味を持って調べています!どこかの段階で「大器晩成型」の人達の成功の秘訣や生き方を、このブログでまとめて考察してみようと思っています。個人的に、「大器晩成型」の成功者や実力者の人達に共感することがとても多いからです。「大器晩成」と言うからには、現在活躍されている大器晩成型の成功者や、歴史上の大器晩成型の成功者の方々はみな、それ相応の年齢を重ねている方々が多いのですが、やはり、順風満帆な方は少なく、相当の苦労を経験していたり、何度も逆境を乗り越えてきていたり、大きな失敗を経験していたり、何といっても深く悩んだりしてきているというところに、人間性の高さを感じさせるからです。また、人間性が高いのに、そういう「泥臭い」ところが共存しているところがとっても人間らしく、私にはすごく魅力的に見えるんですね。個人的に尊敬している「大器晩成型」の成功者の例は、41歳から始めた執筆で大作家になった松本清張。60歳で「ケンタッキー・フライドチキン」のビジネスモデルの原点を作ったカーネルサンダース。71歳で全国を測量して回って「日本地図」を完成させた伊能忠敬。です。まだまだたくさんいるんですが。。(笑)。自分の現在の年齢や経歴なんて、まったく関係なしにいつでも再チャレンジできるような勇気をもらえます!************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ************************************************************************
Nov 10, 2020
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みなさん。こんにちは!今日は【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズの第三弾、「~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ」についてのお話です。今日のブログテーマを端的に行ってしまうと「性格と才能の関係」なのですが、ここにもう一つ、「多様性の中を自由に行きしてアウトプットに繋げる能力」 が、個人の才能を発揮させていく上で非常に重要になってくる、というお話をしてきます。唐突ですが、みなさんは、自分の「性格」というものが、本当は「1つ」ではない、ということをご存じでしょうか。よく、「私の性格は●●だ」とか「自分のキャラクターは●●っぽい」など、「自分とはこういうものだ」と、自分自身の性格や傾向を、無意識のうちに決めつけて日々を過ごしてしまっている場合があります。もちろん、自分自身に関する性格や傾向は、その本人が一番よく理解しているはずだと思うことは当然ですし、家族や友人、職場の人達など、日常生活でよく関わっている身近な存在の人達のあなたに対する「印象」や「評価」を、彼らから直接聞いたりして、あなたが自分自身の性格や傾向を「こうである」と更に思い込んでいくことは、実によくあります。しかし、私達の「性格」や「傾向」というのは一言で言い表せるようなものではありませんし、実際には、私達が自分で思っているほど単純なものでもありません。「性格は1つのみ」ではないのです。なぜかというと、私達が自分で意識できている認知、思考、感情というのは非常に「あいまい」なもので、実際には、外からの膨大な情報や立場・環境の変化によって「常に揺らいでいる」からなのですね。自分が絶対にそうだ!と信じていた考えが、ある出来事や経験から「揺らぐ」、今まで好んでいたやり方や通用していたやり方が、あるアドバイスで「揺らぐ」、心から信頼していた(又はその逆に信頼できなかった)人に対する評価や印象が「揺らぐ」、などこういった「揺らぎ」は、日常の様々な場面で起こり得ます。また、「揺らぎ」が発生しても、その「揺らぎ」が自分を取り巻く結果に対してプラスに働くのか、マイナスに働くのかどうかは、周囲の状況や本人の捉え方によっても本当に大きく変わってきます。実際に、意思決定や的確な判断が必要とされる場面で「揺らぎ」がプラスに働いて何らかの変更が行われた結果、事態が一気に好転した、ということも起こり得ます。その反対に、信用が必要とされるような場面で「揺らぎ」がマイナスに働いて物事を見誤った結果、事態が一気に悪化した、ということも起こり得ます。みなさんの実際の仕事や人間関係の中で、こういった「揺らぎ」によるプラスの変化やマイナスの変化を経験している方は意外に多いはずです。そして、この「揺らぎ」というのは、プラスの現象として私達の現実に反映されれば、「臨機応変さ」として、マイナスの現象として私達の現実に反映されれば、「優柔不断さ」として、そのまま個人の「長所」と「短所」として、そのどちらへにも転び得ます。そしてここからがとても大切なのですが、その個人にとって、「揺らぎ」が「臨機応変さ」として個人の現実にプラスに働く作用がより強い場合、同時に、その個人にとって、マイナス作用に転じるパターンが少ない場合、この傾向は、その個人にとって『才能』の一つになり得ます。まず、私達の(認知・思考・感情をトータルで含めた)「性格」や「傾向」の中で、なぜ「揺らぐ」ことがあるのかというと、高度な思考や合理的判断をすることができる私達人間には「価値観を重要視する」という傾向があるからです。更にその「価値観」というのは、時代背景、本人の置かれた環境、本人が関わっている人々からの影響、世間のトレンド、本人の経験則から得られた気づき等によって、実に様々に「変化」するものです。また、実に「多様」な性質を持っています。文化の数だけ「価値観」が存在する、物事の数だけ「価値観」が存在する、もっと突き詰めれば、人の数だけ独自の「価値観」も存在しているわけです。だから、この変化しやすく、かつ多様性そのものの「価値観」に支えられている私達の「性格」や「傾向」は、「揺らいで当然」なのです。また、「揺らぐ」からこそ、新しい考え方ややり方を受け入れたり、場合によっては自ら生み出したりすることもできるようになっていきます。要は、「新たな価値観の創造」ですね。この「価値観を重要視する」という傾向は、ホモ・サピエンスである人間だけが持っている傾向で、当然のことながら、人間以外の哺乳類にも、生体ピラミッドや食物連鎖上にあるその他のあらゆる動物種にも見られない傾向ですね。当然、優位に活動している「脳の部分」、優勢になっている「脳の機能」が違うからにほかならないのですが、「性格」「傾向」というのは、この「脳の機能」のうち、上のように「優勢になっている部分」に密接に関係しています。そして、「脳の機能」のうち「優勢になっている部分」は、大きく「本能優勢脳」「感情・思考優勢脳」の2つに分けられます。「種の進化」は「脳の進化」でもあります。無脊椎動物→脊椎動物(魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類→更にヒト類)と進化していく中で、脳の大きさや機能もどんどん進化してきていますよね。「脳の進化」の観点から物凄くおおざっぱに区別すると、①「爬虫類」までが、「本能を司る脳」優位②「哺乳類」が、「本能を司る脳」優位のまま「感情を司る脳」を併せ持ち③私達「ヒト類」が、「感情を司る脳」を併せ持ちながら「思考を司る脳」優位という分類ができるのです。そして上でお話した「本能優勢脳」「感情・思考優勢脳」 をあてはめると、①「爬虫類」までが、「本能を司る脳」優位→「本能優勢脳」②「哺乳類」が、「本能を司る脳」優位のまま「感情を司る脳」を併せ持ち→(①と②の中間)③私達「ヒト類」が、「感情を司る脳」を併せ持ちながら「思考を司る脳」優位→「感情・思考優勢脳」ということになります。ここまでは誰にでも簡単に理解できると思うのですが、実は、ヒト類である私達「人間」の中でも、「より本能優勢脳が優位な人」「より感情・思考優勢脳が優位な人」というように、段階分けすることができてしまいます。よく、人の性格を判断する上で、「あの人は怒りっぽい」「機嫌が良い時と悪い時の落差が激しい」「攻撃的な印象を受ける」「白黒をはっきりつけたがる」という印象を受ける人がいる場合、こういった人は「本能優勢脳」がより優位な人である、と判断できます。同様に、日常生活のあらゆる場面で、本来私達人間がより人間らしい所以である「合理的判断」や「思慮深さ」を保つことよりも、「感情的になる」ことが多い場合、こういった人も、より「本能優勢脳」が優位な感情型の性格傾向が強い人である、と判断できます。確かに、私達人間は情緒豊かな「感情」を持っていますし、それは素晴らしいことなのですが、本来、人間の脳というのは明らかに「思考優勢脳」です。「思考優勢脳」こそ、人間が合理的判断や複雑な思考をできる所以でもあります。そこで、先ほど出てきた、本来高度な思考や合理的判断をすることができる私達人間には、「価値観を重要視する」傾向がある、という部分なのですが、先ほどからお話しているように、高度な思考や合理的判断をする私達人間は、日々膨大な知的情報を処理したり、環境の変化に曝されています。私達が自分で意識できている「認知」「思考」「感情」というのはかなりの確率で、外からの膨大な情報や立場・環境の変化によって「常に揺らいでいる」=「常に臨機応変に変化している(又は常に優柔不断さに苛まれている)」わけです。しかし、冒頭でも少しお話したように、この「揺らぎ」をコンスタントに、「臨機応変さ」としてプラスの現象へと反映させ続けていけば、それは様々な可能性と多様性に対応できる、個人にとっての強力な強みとなります。そして、この世の中に起こる事象というのは、常にポジティブなものではありません。現実には、問題解決能力やストレスに打ち勝つレジリエンス、場合によってはその物事自体に反応しないでダメージを回避する「スルー力」も必要となってきます。その時に、合理的判断や冷静な思考で対応しなければ解決できない問題と、「火事場の糞力」的な瞬発力や、とにかく気合で乗り切るしかないものと、に分かれてきます。この時に、実は、「思考優勢脳」だけではなく、「本能優勢脳」も「感情型脳」もまんべんなく働かせないと太刀打ちできない状況、というのが発生してくるのです。問題解決の場面だけではありません。それこそ、ここ数回お話している『才能』に関しても同様です。想像力やアイデアを使って何かを「創造」していかなければならない場面や、新しい「価値」を生み出していかなければならない場面に、「価値観を重要視する」私達人間は、「新たな価値観の創造」に着手するわけですが、この時にも、私達には全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせる必要がでてきます。私がこのブログでよくお話している、高揚感と知的快感を伴った極度の集中状態である「フロー状態」になっている時にも、この、全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせているという脳の状態に、非常に近い状態となっています。そして、この「全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせる状態」を私達が理解して、この状態に自分を持っていくためのとても分かりやすい具体例の一つが、俳優さん、女優さんなのですね。俳優・女優さん方というのは、映画でも舞台でもテレビドラマでも、「あらゆる『役』になり切る」のがお仕事ですね。ハリウッド映画や海外ドラマから、日本の邦画やテレビの連続ドラマまで、私達はたくさんの俳優さんや女優さんの演技を見てきていますよね。実力派の俳優・女優さんから天才肌の俳優・女優さんまで、実に様々なバックグラウンドを持った方たちが多いのですが、主演・助演・脇役を問わず、私達が彼らの演技を見ていて「一流だな」と思う時、というのは、とにかく「その『役』になりきっている」ということです。その役に、ピッタリとハマっている、とでも言いましょうか。1人の俳優・女優さんが、ドラマのストーリーや演じる登場人物のキャラクターによって「全く別人格のように」あらゆる性格の役どころを演じる。それも「一流」になると、あらゆる別人格の登場人物に完璧になりきってしまう。演じる役どころの登場人物の性格や能力は実に様々で、多岐にわたっています。それを完全に「具現化」するわけです。視聴者に全く違和感を持たせずに。そしてそれこそが、俳優・女優さんたちが持つ『才能』なのですが、その彼らの『あらゆる役になりきるという演技の才能』というのは、そのまま『演技しているあらゆる登場人物の「人格」を吸収して自分のものにする』ということでもあるのですね。俳優・女優さんたちが「その役になりきっている」時、彼らは、なり切っている登場人物の「人格」を自分に乗り移らせながら、その登場人物に深く感情移入します。演じている登場人物の人格そのままの感じ方・考え方・思考法・能力・嗜好・希望・苦悩・喜び・悲しみ・憎しみ等、全て「実際に自分のことであるかのように錯覚する」まで、その登場人物になりきるのです。つまり、俳優・女優さんというのは、上でお話した「本能優勢脳」「感情優勢脳」「思考優勢脳」の全てを全部駆使して、登場人物の役どころを再現しているわけです。「本能優勢脳」で、役どころの狂気や嫉妬を演じ分け、「感情優勢脳」で、役どころの愛情や友情やユーモアや怒りを演じ分け、「思考優勢脳」で、役どころの冷静さや合理的な行動やモラルを演じ分けるのですね。更にここに、「鮮明な想像力」と「イメージ力」が加わります。役どころの人生そのものを詳細に鮮明に想像して、登場人物象を視聴者の前に具現化する。台本に書かれていない役どころの信念や生き方にまで鮮明にイメージを膨らまして、よりリアルな登場人物象を表現する。俳優・女優さんというのは、この「本能優勢脳」「感情型脳」「思考優勢脳」を意識的に行き来でき、また、その状態を自由自在に変化させることができるのですね。まさに臨機応変に「多様性」を吸収して、それを表現できる。演じてきた大勢の登場人物の人生をバーチャルリアリティのように「仮体験」して、別の人格の人生経験を積める。一人の人間なのに、多くの別の人間の生き方を仮体験できる。そしてその分、自身の「多様性」は広がり続けますし、人間としての「器」も大きくなりやすい。「本能優勢脳」「感情型脳」「思考優勢脳」を意識的に行き来できる、ということは同時に、先ほどお話した人間としての「揺らぎ」を自分でコントロールできる、ということでもあり、「新たな価値観の創造」のために「揺らぎ」をポジティブな作用として利用していく能力に長けている、ということでもあります。まさに、ブログ冒頭でお話した 「多様性の中を自由に行きしてアウトプットに繋げる能力」 ですね。更に、私達が俳優・女優さんたちから学べるのは、この「揺らぎ」を発生させるものの正体というのが、実は、私達自身が自覚していない、まだ気づいていない、若しくは表面的には自分自身でも到底理解できない人間が持つ「多重人格性」であるとうことです。俳優・女優さんは、常に「多重人格」の状態で演技に邁進してくれているわけです。そして、最初にお話したように、人間というのは本来、「1つの決まった性格・傾向」に縛られている存在ではありません。私達自身の中に、既に今まで積み上げてきた様々な経験・体験・知識・知恵という「多様性」がしっかりと存在していて、その「多様性」によって「揺らぐ」存在-「多重人格性」を備えているのですね。その「多重人格性」が、私達の中で実に様々な「能力」「才能」として、時に見え隠れしているわけです。様々な多様性が一人の人間の中にある、ということは、ごく自然なこと。むしろ、才能はそこから生まれます。個人の「性格」や「傾向」のお話というのは、「潜在意識」と「顕在意識」との関係にも非常に似ていますね。「顕在意識」があなたのコアであると思われる人格の部分(先ほどからお話している、私達が「性格は1つである」と思っている部分)、そして「潜在意識」が、あなたの中の「多様性」を備えた「多重人格」の部分、ですね。そもそも、1人の人間の中に「いろいろな人格(性格)が存在する=人間はもともと『多重人格』である」というのは、私の見解からするとごく「当たり前」のことです。そして「様々な多様性が一人の人間の中にある」ということは、当然、その人の中には「光の部分」と「影の部分」が同時に存在していて当然です。「陰と陽」のようなイメージですね。明るいだけの人、優しいだけの人、丁寧なだけの人、というような「くくり」をもって、「この人の性格(人格)はこうだ」とは言えないはずなのです。必ず相反する要素を、私達はみな持っている。これを「清濁併せ持つ」という表現をされる人もいますね。今日は、「才能の性格の関係」について、~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ~を引き合いに出してお話してきました。まだまだ続きます!『運と才能』シリーズ。********************************************************************【編集後記】「私のブログを読んで絶対に損はさせない!」と、いつも思って記事を書いているのですが、それよりも「読んでくれた読者の方が、何等かの形で『必ず得する』ようなブログを心がけてます!」のほうが、心構えとしてはいいかもしれませんね。。(笑)だって私のモットーは『WIN-WIN』だから。これからも「じっくり」生きたいと思います!焦らず急げ~。************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【誰も知らない『運と才能の秘密』②】~「シャーロックホームズの思考術」に見る才能の見つけ方~************************************************************************
Nov 5, 2020
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みなさん、こんにちは!前回のブログ記事で、才能には3つの種類①『コアの部分にかかわる才能』②『コアの部分以外の全てを網羅する才能』③1つ目の『コアの部分にかかわる才能』、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』をそれぞれ発揮する上での『「良心」となる才能』に分類することができる、というお話をしています。************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~************************************************************************少しだけ前回のブログから一部抽出して復習してみますが、『才能』を3つに分類して掘り下げることで、自分がどのタイプの『才能』に近いかを把握することから、『才能の発掘』は始まります。1つ目の「才能」の種類は、『コアの部分にかかわる才能』です。「コアの部分にかかわる才能」とは、誰が見てもすぐに突出した才能であるとわかる具体的な才能です。「芸術分野」や「科学分野」で顕著に際立った才能、と言えばわかりやすいでしょう。音楽(楽器演奏、声楽、指揮)、美術(主に絵画、彫刻、建築など)、文学・映像(小説、映画、舞台芸術など)、数学(新しい数学の定理や方式を発見・構築するなど)、科学(ノーベル賞級の発見や発明を化学分野、物理分野、医学分野などで達成するような学問的能力)、などの、要は、各分野の「コア」の部分に関わる、非常にわかりやすく突出した才能=「ピンポイントの才能」ということになります。これがビジネス分野であると、短期間に社会に多大な影響力を与えつつ、大きな利益を出し続けるような才能、となります(ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、マークバッカーザーグなどが、非常にわかりやすい例ですよね)。普通、一般に「才能」と呼ばれる突出した能力は、この1つ目の『コアの部分にかかわる才能』のことを指す場合が多いようです。だから、その突出したピンポイントの『才能』がノーベル賞級であったり、オリンピック級であったりするために、私達のような一般人が、通常の生活では体験できない・(ましてや)自覚しずらい才能の分類なのです。2つ目の才能は、『上のコアの部分以外の全てを網羅する才能』です。各分野での具体的なピンポイントでの才能とはまた違い、そのコアの部分以外の全て-例えば、俳優・女優さんのような人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性そのもの、IQやEQの高さそのもの、博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)、IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)、新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ、リーダーシップ、人の心を掴む人柄、何かにハマれる集中力、強い好奇心、手先の器用さや技術的な能力、人に何かを教える技術、多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)、世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力、仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力など-具体的にピンポイントで突出した才能以外の全ての部分で、なんらかの好ましい特性がある場合に、この2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』が、私達一般人の多くが実は有している『才能』の種類です。目に見えて分かりやすい1つ目の才能とは違った、いわゆる、生きていく上での技術、世渡りの上手さ、人間関係を円満に築くスキルなどに関係する才能ですね。この2つ目の、様々な種類のコア部分以外の才能は、人によっては、複数をまんべんなくバランス良く持っていたり、人によっては、これらの才能の内、ある一定の範囲の能力に特化して長けている場合もあります。そして3つ目の才能が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』をそれぞれ発揮する上での『「良心」となる才能』です(これが実は一番重要な種類の「才能」かもしれないと、私は思っています)。『「良心」となる才能』とは、一体どういう才能かと言うと、どんな時にも、自分が持って生まれた『才能』・自分が磨いてきた能力や『技術』を、「良い目的のために使う」ことに徹することができる才能です。要は「責任感」を自発的に感じられるかどうか、です。「良い目的のために才能を使う」とは、それこそ、関わる人や社会全体に『貢献』することを指すのですが、現実問題として、才能や高い能力を持っている人が、この『貢献』というコンセプトを理解できていない場合や、本人の自己愛が強い場合、この才能や高い能力を「利己的な目的のためだけ」に行使しようとするんですね。本人が自分の才能や高い能力を誰のためにどう使おうが、基本的にその本人の自由ですし、その基本的権利が当の本人にはあります。しかし、才能や高い能力を与えられた人には「責任がある」というのが、私の考えです。その「責任」とは、人並み以上の才能や能力を与えられた人が、その恩返しとして世の中に『貢献』するという姿勢を持つ、ということです。また才能を使って世の中に『貢献』したほうが、自分自身の才能をより有意義に生かせるし、自分自身が多くの人の役にたっていることに対する幸福感や至福感も違ってくるからです。先ほどもお話しましたが、『貢献』とは、『WIN-WINの関係』を常に念頭においてベストを尽くしていくということです。『WIN-WINの関係』を構築していくのにはとても責任が伴います。「義務」という意味での責任ではなく、「自発的な責任感」が必要となってくるのです。要は『自分の才能をミッション(使命)として捉えられるかどうか』ということです。与えられている類まれな才能や高い能力を、自分の『ミッション(使命)』としてしっかりと生かして伸ばしていく、という責任感があるのとないのとでは、ずっと謙虚に学び続ける姿勢や、世の中に貢献できる実現度が大きく変わってきます。逆にこの「責任感」がないまま自らの才能に溺れてしまうと、「才能が暴走するリスク」が高まってしまうのです。なぜなら、この「責任感」が欠如した状態だと、『才能』と『人格』のバランスが取れなくなるからです。『「良心」となる才能』を持ち合わせていない人が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』や2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』の突出した能力部分だけに溺れると、世の中のパターンとして、人格に障害がある「サイコパス」や「ソシオパス」などの人格障害系の人物が、その『才能』を悪用しにかかる、ということが起こってくるのです。これは、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人を、そういった人格障害系の人達が利用しにかかる場合と、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人自身が、自己愛のために人格障害系の人達と同じような行動をとって、別の被害者が発生してくる場合と、があります。また、良心を持って才能を使いこなそうとすれば、必ず何らかの形で社会に貢献でき、自分自身も心の平和や生きがいなどの幸福感を得続けることができるにもかかわらず、良心となる才能が欠けて、突出した才能部分だけが暴走した結果、世の中からの正当な評価を得ることができずに自分の世界に籠るようになります。才能を、自分のためだけに使おうとすればするほど、「孤独」に陥っていくのですね。才能に溢れる人や、歴史上の天才たちの中で、残念ながら自分達の才能を生かしきれずに、また貢献することもできずに、埋もれてしまった人達もまた、活躍している才能に溢れる人達の影に沢山います。自分の存在が自分自身の『才能』を支えきれずに、押しつぶされてしまった結果です。だから、私達のような一般の人達が自分の『才能』を見つけてそれを生かしていく一番の王道は、まずは3つ目の『良心の部分としての才能』を持てるように自分自身を律し、なおかつ、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』を見つけて伸ばすことにフォーカスする。更に、より現実的に自分の能力生かしていくために、しっかりと「努力」していくことなのです。まとめると●1つ目の『コアの部分にかかわる才能』が、天才的な能力としての『才能』●2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』が、(守備範囲の広さとバランス感覚の良さでいうところの)秀才的な『才能』●3つ目の『良心となる才能』が、人格的な『才能』のような感じで捉えることができるかと思います。また、★1つ目の『コアの部分にかかわる才能』は天才型の才能として、世の中に多大なインパクトを与える能力である ⇒人々に感動や喜びを与えるという形で世の中に『貢献』する才能★2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』は秀才型として、より実社会に役に立つ実践的な能力の数々である。 ⇒実際に人々の生活や社会の発展に役立つ知識や技術と言う形で、世の中に『貢献』する才能★3つ目の『良心となる才能』は人格型として、上2つの才能が正しく発揮されてるように制御する才能 ⇒本人を含めて、関わる人全てが幸せになれるようなパターンを作り上げるという形で、世の中に『貢献』する才能である、と定義することができますね。以上のことを踏まえて、私達が自分の『才能』を本格的に発掘していくステップ①どうやったら自分の「才能」を見つけられるか?②どうやったら見つけた自分の才能を発揮できるのか?③どうやったら発揮し始めた才能を潰されなようにできるのか?の部分の①どうやったら自分の「才能」を見つけられるか? について、次にお話していきます。自分の『才能』を見つける方法については、自分の『強み』や『得意分野』、能力を発揮できそうな『スキル』にフォーカスして発掘していくための記事や書籍が、結構出ていますよね。ただ、コンセプト的なことと、実際に『才能』を見つけるための実践的な方法には、微妙な違いがあります。なぜなら、先ほどお話してきたように、『才能』にはそれぞれ3つの異なった種類があるため、それを一括して捉えることには、最初から無理があるからです。1つ目の『コアの部分にかかわる才能=天才型の才能』と、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能=実践的な才能』との間には決定的な違いがあり、土俵が違うので才能発掘のアプローチが全然違ってきます。また、3つ目の『良心となる才能=自分の能力を「使命(ミッション)としてとらえる責任感)』に至っては、その本人の元々の性格や人格をベースとした「本人の意識の変革」が必要になってくるため、とにかく本人が「自覚を持てるか持てないか」が、この3つ目の才能を生かせるかどうかの決め手になるからです。このブログで、「運とIQ・EQの関係」や「運の勉強の法則」に関連する記事でもお話していますが、いずれの場合も、あなたの『洞察力』が決めてとなります。************************************************************************関連記事☟☟☟【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係①~高IQ高EQはどのように「運」に影響するのか~【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係③~『アハ体験』と『フロー状態』~強運と知性のお話【★絶対保存版★】『運』と『勉強』の法則~「フロー状態」が運も勉強も突き抜けるカギ、というお話~************************************************************************この、自分の才能をみつけるために必要不可欠な『洞察力』について、よりわかりやすいように、今日は、世界的に有名な、もちろん日本でもおなじみの架空の名探偵「シャーロック・ホームズ」を例に、具体的に解説していきます。サー・アーサー・コナンドイルの名著「シャーロック・ホームズ」の推理小説を知らない人は、ほぼいないといっても過言ではないかもしれませんね。このブログの読者の方の中にも、シャーロック・ホームズの物語に夢中になったことのある方は多いかもしれません。私も大の、シャーロック・ホームズファンですね(笑)。シャーロック・ホームズは、その類まれな頭脳と特異な「観察力」「推理力」で、ロンドンを中心に、イギリスやヨーロッパの国々の難解事件を次々と解決していく私立探偵です。相棒のドクター・ワトソンも、物語中ではホームズの良き理解者・パートナーとして描かれていますよね。シャーロック・ホームズ自身が、既に『才能』の塊のような人物像として描かれていますが、彼の推理の手法や思考そのものが、なんと、私達自身の『才能』や『能力』を見つける上で、大きなヒントを含んでいるのです。シャーロック・ホームズの思考法は、多くの点で、とても先見性があったようです。事実、彼の思考法が推理小説として出版されたその100年以上後に、ようやく同じような思考法が心理学や神経科学の分野で取り入れられ始め、体系化されて現在の『科学的思考法』として確立されていったのですね。『科学的思考法』とは、シャーロックホームズの思考法に見て取れる「独特のマインドセット」で成り立っています。「独特のマインドセット」とは、私達が日常生活で様々な事柄に対応する時、その行動の開始から目的の達成までのプロセスに、ある特徴的な認知状態・思考状態で挑む、ということです。その、ある特徴的な認知状態・思考状態である「マインドセット」とは、「マインドフルネス」という状態です。「マインドフルネス」という概念自体は、決して新しいものではなく、既に19世紀末にはアメリカの心理学者・哲学者のウィリアム・ジェームス博士や、現代では1970年代にハーバード大学心理学教授であるエレン・ランガー博士などにより提唱されています。「マインドフルネス」とは、私達が「注意力」や「観察力」を鍛えることによって、洞察力・判断力・創造力・生産性などが劇的に高められ、私達の人生における幸福度や成功度により貢献してくれるような高い能力を開花させてくれる状態です。私がこのブログでもよくお話している、高揚感や幸福感を伴った極度の集中状態である「フロー状態」にもかなり似ている状態ですね。要は、「マインドフルネス」とは、無意識で物事を流して見てしまうのではなく、「能動的」に「意識的」に「注意を持って」物事を「分析しながら」見る、という心の状態と思考形態です。私達はに日常生活の多くの場面で、自分の目の前に起こっている事柄を何も考えずに「無意識」に見ていることが多いのです。そのため、その事柄の裏で起こっている別の現象や、伏線のように関連している重要な情報やヒントなどの多くを見逃していることが多いのです。つまり、「マインドフルネス」とは正反対の「マインドレス」の状態です。言ってみれば「思考停止」のような状態ですね。「注意力」と「思考」というのは密接に関係していますから、「マインドレス」の状態とは、まさに「考える」ということをしない状態です。「マインドレス」の状態により、私達は多くのチャンスや貴重な情報を見逃しており、更にはその「損失」に自分では全く気付いていない、という状態に陥っている場合が、非常に多いのです。例えば、「子供」というのは「マインドフルネス」の達人です。皆さんも子供の頃のことを思い返してみてください。子供の頃というのは、実に様々なことに非常に良く気が付いたのではないでしょうか。大人になってからでは到底追いつけないようなスピードで、新しい知識や情報を吸収したり理解したり記憶したりできる。初めて見たり聞いたりした事柄、初めて学んだ事柄、初めて出会った人々や環境に対して、驚くべき適応能力で習得していく。何もかもが斬新で刺激的で、全てに好奇心が生まれ、時間の感覚すら大人のそれとは違う。要は、ずっと「夢中」な状態でいられる。ずっと「マインドフルネス」な状態でいられるんですね。当然、物事を学習する時の「注意力」も良好な状態です。しかし、大人になるにつれ、私達は徐々に様々な事柄に「慣れて」しまって、日常生活の中で「無関心」になる要素が急激に増えていきます。これはもうやったことがある、そこへはもう行ったことがある、これにはもう注意しなくてもできる、と、外の世界に対する「意識」や「注意」や「感心」が徐々に薄れていくのです。そして様々なことを「能動的」「マインドフルネス」に習得していった子供時代と比べて、より「受動的」で「マインドレス」な状態に陥っていくのです。もちろん一概に全ての人に当てはまるわけではありません。「傾向」としてのお話です。大人になってからも「マインドフルネス」に満ちた人達は一定数存在しています。私が良くお話している「フローマスター」の人達ですね。大人になると「マインドレス」な状態により陥りやすい、という根拠の一つとしては大人の生活の中では「マルチタスク」が増えるからという見解を持っている学者も多いようですね。大人には、仕事でも家庭生活でも、とにかく「マルチタスク」をこなしていかざるを得ない状況が沢山ありますからね。脳科学的にも、人間の脳は「一つのことに集中的に取り組む」「その後、別のことに再度集中的に取り組む」ということを繰り返した方が、「マルチタスク」で意識が分散するよりも、結果的に生産性が上がる、という報告がなされています。いずれにしても、この「マインドフルネス」という独特のマインドセットを持つことで初めて、『科学的思考法』を習得することができるのですが、今日のメインテーマである ①どうやったら自分の「才能」を見つけられるか? という問いに対して、この『科学的思考法』が見事に使えるのです。ここで、シャーロック・ホームズの推理小説の中で、ある「逸話」を例に出して、この『マインドフルネス』と『科学的思考法』をより詳しく説明していきます。シャーロック・ホームズとドクター・ワトソンは、ある時期、イギリス・ロンドンのベイカー街221B番地の下宿先で共同生活を送りながら、様々な事件を共に解決していくのですが、そのベイカー街221B番地の部屋へ続く階段について、二人が何気ない話を始めるのです。シャーロック・ホームズの自宅兼探偵事務所となっている部屋の肘掛け椅子に座って、ホームズがワトソンに唐突に質問を投げかけるのです。「ベイカー街221B番地のこの部屋への階段は、一体何段あるか?」そして、毎日、ベイカー街221B番地のその部屋で生活しながら共に探偵業の補佐をしているはずのワトソンは、この質問に答えることができません。そこでホームズは、ワトソンに『見ること』と『観察すること』の決定的な違いを教授していくのです。毎日そこで生活し、何百回も上り下りしているはずの馴染みの階段を、ワトソンはただ受動的・無意識に「見ている」のですが、決して意識的に「観察」していたわけではありません。しかしホームズの場合、彼はこの単なる「階段」だけにとどまらず、彼が事件で類まれな推理力を発揮していく前段階の、この意識的な「観察」というものを、実に「マインドフルネス」な状態を日常的に保ちながら、行っているわけです。更に、ホームズは、事件を解決する糸口となる推理を、意識的な「観察」に基づいて、次のような『科学的思考』を使って手順良く行っています。『科学的思考法』は、幅広い基礎知識をつける、事実に対する的確な理解(偏見、思い込みを排除する)、これから自分が取り組もうとする問題の「概略(全体像)」を把握することから始まり、これを、『科学的思考』を行う上での『基礎(エレメンタリー)』といいます。そしてこの『基礎(エレメンタリー)を土台として、次に『仮説』を生み出す段階に入ります。この時、誰が見ても明らかにわかる表面上の可能性にこだわるのではなく、自分の想像力を使って、他に考え得るあらゆる調査の方法を模索します。また、『仮説』をたてる時にはただやみくもに推論するのではなく、あくまでも最初の『基礎(エレメンタリー)』にのっとって、自分の経験値(実際の過去の経験)・非経験値(まだ経験していないが、知りうる知識を使った推測)の両方から得られた『予測』により、『観察』と合わせて行います。そして、次に『検証』の段階に入ります。自分が立てた『仮説』から得られたを示唆が何を意味しているのか?考え得る可能性を一つ一つ全て調査して、検証に見合わない事柄を消去していきます。そして「最後に残ったものが、どんなに「ありえなさそう」な事柄でも、それが真実」であるという結論に至ります。この時、あらゆる角度から考える『球体思考』という思考の形態を使います。『球体思考』とは、以前このブログでもお話していますが、何か一つの事柄について考える時、その事柄のに関連する事柄を、あらゆる角度から立体的に(イメージとしては、上・下、前・後、横の全ての角度)考える思考法です。同時に、時系列では、今目の前の事柄・問題(「現在」)を、その事柄に関連しそうな「過去」「未来」にわたって考える、という思考法をとります。例えば、先ほどの、その問題に適用できる基礎知識(『基礎(エレメンタリー)』も、時代や状況が変わるにつれて、常に「最新のもの」にしていかなければなりません。そこまで考えて、環境が変わる度に『仮説』を常に修正し、再度『検証』していくことが大切なのです。************************************************************************関連記事☟☟☟【自己組織化】「運のよい人」が持っている思考法~「螺旋ループ」と「芋ずる式」と「球体思考」~************************************************************************つまり、簡単にまとめると、『科学的思考法』とは、問題点を理解して組み立てて、観察し、仮説を立て(もしくは想像・予測し)、検証して『推理』する、これらを繰り返していくことです。外部から得られた情報や手がかりだけを当てはめて結論を出すのではなく、自分の頭に浮かんだ「あらゆる考えにも当てはめて推論」していく、そして、状況に応じて、今目のまえに繰り広げられている事柄に関する他人からの評価や印象自体を「疑ってみる」、突き詰めると、自分の考えすら「疑ってみる」ということです。つまり、最終的には、問題の概略(全体像)を把握すること、観察、仮説、調査、検証、推論)を、全て「自分の頭で考える」とうことです。「自分の頭で考える」ということは、「思考停止」の全く反対の状態ですね。「思考停止」とは、まさに先ほど、ホームズとワトソンとの「階段の数」のやりとりで、残念ながらワトソンが見せてしまった状態そのものです。自分で考える能力の高い人、観察力の豊かな人というのは、日常生活の中で遭遇する全ての事柄を、的確に系統的に(更に意識的に)観察することによって、普通の人が思いもよらない事柄、気づくことができない細部の情報に至るまで、実に多くの「本質」を見抜き、また学普通の人の何十倍の速さで、あらゆることを学んでいくことができるのですね。「1を聞いて(見て)10を知る」そのものです。『基礎(エレメンタリー)』を駆使して意識的に「観察」することで、一見意味のないような事実から「重要な意味」をくみ取って推理することができるようになる。一つ一つの観察と訓練、一見単純に見える事実から引き出される単純な推論をあらゆる角度から検証する(球体思考する)ことで、本質や真実を引き出すことのできる必要複雑な考え方をする能力を高めてくれます。これを『洞察力』を駆使しつつやる。『才能』を見つける時にもそうですが、この『科学的思考法』は、生活のありとあらゆる場面で使えます。一見何気ないことのように見えますが、そうすることで、観察力が驚くほど鋭くなり、目の前の事柄を「ただ受動的に見る」のではなく、問題の本質を見抜くために、どこに目を向けるべきか、何を見るべきか、が必然的にわかってきます。何かを選択する時(学校選び、就職、転職、勉強、結婚するかしないか、子供をもつかどうか、何かを購入する時、進路全般の選択)、相手の嘘を見抜こうとする時、信用に値するかどうかを見極める時等、全ての事柄に応用できる思考法です。この、『基礎(エレメンタリー)』と『観察』をベースにした『科学的思考法』を、日々の訓練によってあなたの『第二の天性』にしていくことで、人生における重要な場面であらゆるチャンスを即座にに着けて掴んでいけるようになります。自分の『才能』を見つける時も同じです。「あなた自身」に対して、この『基礎(エレメンタリー)』と『観察』をベースにした『科学的思考法』を使って、あなたの『才能』や『能力』を『分析』していくのです。『科学的思考法』を身につけると 自分自身を理解することも容易になります。より自分自身の長所や短所も把握できるようになります。そしてこの『科学的思考法』は誰にでもできるものです。特に『基礎(エレメンタリー)』の部分をしっかりと身に付けることができれば、文系出身であっても、学生さんであってもできる。(*ちなみに、読者の皆さんは、アメリカの人気推理ドラマ『エレメンタリー』をご存じでしょうか?『エレメンタリー』は、シャーロック・ホームズの原作を、現代のニューヨークを舞台に「リメイク」した『現代版:シャーロック・ホームズの事件簿』です。ホームズ役を俳優のジョニー・リー・ミラーが、そしてなんとワトソン役を女優のルーシー・リューが演じています!ホームズの相棒ワトソンが「女性である」という設定で作られたドラマですね。ここでも、ドラマのタイトルにしっかりと「エレメンタリー(基礎)」というキーワードを使用しているあたり、シャーロック・ホームズの思考法そのものが『科学的思考法』に基づいているものであることを、脚本家がちゃんと理解していることが伺えますね!)エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY シーズン1<トク選BOX>*************************************************************【編集後記】みなさんは、「知的変容型の性格」というのをご存じでしょうか。性格にもいろいろあるのですが、この「知的変容型の性格」というのは、本人のキャラクターというよりも、その本人の「知的レベル」が、接している人の知的レベル、置かれている知的環境のレベルに合わせて「変容する」という、大変珍しいタイプの人のことです。こういう人は、周囲の人からの「評価」が極端にバラバラなのが特徴です。つまり、その「知的変容型の性格」の人に対する評価が、ある人にとっては大変高く、逆にある人にとってはとても低いんですね。もしあなたが、「自分から見てレベルが高いと思える人ほど、あなたのことを高く評価してくれる。逆に、自分から見てあまり尊敬できない人ほど、あなたのことを低く評価してくる」ということがあったら、あなたは「知的変容型の性格」の持ち主かもしれませんね。あなたのことを高く評価してくれる人の高い知的レベルを、あなたがいい意味で吸収して、相手と同じレベルになっている逆に、あなたのことを必要以上に低く評価してくる人の知的レベルを、あなたが感じ取って拒絶しているのかもしれません。「知的変容型の性格」の人については、実は私もとても興味があって、以前から調べています。今度、次期をみて是非記事にしてみようと思います!************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【誰も知らない『運と才能の秘密』①】~運に関わる「3つの才能」からあなたの才能を読み解く~【自分自身の秘密!】あなただけの才能~1人に1つの「成功パターン」をみつけよう、というお話【★絶対保存版★】『運』と『勉強』の法則~「フロー状態」が運も勉強も突き抜けるカギ、というお話~*************************************************************************
Oct 30, 2020
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みなさん、こんにちは!今日は、「運」とも密接に関係のある、私達の「才能」について、お話していこうと思います。どうやったら自分の「才能」を見つけられるか?どうやったら見つけた自分の才能を発揮できるのか?どうやったら発揮し始めた才能を潰されなようにできるのか?誰もが、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。「自分の才能」について。結論から言うと、実はどんな人にも、ある程度世の中に役立つことのできる「才能」というものはあります。ただ、その「才能」を、自分自身で自覚できていない人の、なんと多いことか。「運」の研究をしてきている私から見ても、「この人には才能がある!」と感じられる人は、実は本当に沢山います。みな、ごく普通の生活を送っている一般の方々です。ただ、いろいろな場面で、彼らの「才能」に触れる機会があって、私がそのことをそれとなく伝えてみると、みな、意外な顔をして尻込みしてしまうのですね。「それとなく」でも結構ストレートに私が話すからでしょうか(苦笑)。その度に、いつも思うことなのですが、「もったいないな」というのが正直な印象です。「才能」と聞くと、何か特別な価値を備えたカリスマみたいに受け止める人が多いのかもしれませんが、「才能」というのは、その本人の内側から自然に溢れ出す得意分野の能力の中で、その才能を発揮する自分自身を幸福にし、なおかつ自分以外の人々や社会全体にとって、なんらかの役に立つ能力のことです。そして、「才能」と「貢献」は必ずセットになるべきものです。逆に、その「才能」と思える能力に「貢献」が伴っていない場合、それは本当の意味での「才能」ではない、というのが私の見解です。自分の能力を自分のために使うだけの段階では、その「能力」は、まだその本人にとっての「ある一種の能力」でしかありません。そこに世の中に「貢献」していく、という意識が伴って、初めて「才能」へと進化していくのではないかと思っています。そこでようやく、実践レベル・具現化レベルで「才能」が輝き出すのです。多くの人に「愛される」のが「才能」ですから。「貢献」とは、「WIN-WINの関係」です。自分の才能を発揮することによって、その本人が生きがいや遣り甲斐で満たされてより「幸福」になり、同時に「貢献」を受ける人々や社会全体がどんどん発展していく。双方にとってとてつもない意義と可能性を秘めているのが、「本物の才能」なのです。しかし、世の中の現実として、幼い頃その「才能」の片鱗が見え隠れしていたのにもかかわらず、また、元々誰が見てもはっきりと確認できていた本人の「才能」が、なんらかの「外的要因」によって本人の中に抑え込まれていってしまう、ということがよくあります。場合によっては、ある程度その「才能」を発揮し始めたところで、やはりなんらかの「外的要因」によって潰されてしまう。「才能」が日の目を見なかったり、ある時点で消されてしまうことの原因のほとんどは、本人の「内的要因」ではなく、だいたいは「外的要因」-環境的なミスマッチ、周囲の人々の「才能」に関する不理解、その「才能」そのものが社会的に認知されていない-等によるものです。もし本人に「内的要因」がある場合、それは、先ほどの「外的要因」によって心理的に負荷がかかった結果、その本人の「才能」が委縮して、長期的に発揮されない状態に陥ってしまっている、ということがほとんどです。そうやって、自分でも気づかないうちに、日々の忙しさに押し流されてどんどん「才能」が埋もれていってしまい、まさか自分自身に、世の中に貢献できるような能力があるかもしれないことなど、忘れ去ってしまうというわけです。なので、このブログの読者の方の中にも、本当はある「才能」を秘めていているのに最初から気付いていない方、随分昔にそういった「才能」を使っていたことを忘れてしまっている方、自分でもなんとなくそのことに気づいているところがある方、実際に「外的要因」のためにその「才能」を追求すること自体をあきらめてしまった方、というのが、一定数いらっしゃるかもしれません。「才能」を見抜くポイントは、「他の人達と比べて、あまり苦労なく上手くできる事柄」に隠されていますが、「才能」という言葉自体、何か、漠然とした特別感だけが独り歩きしてしまっているような印象を与えてしまうこともあります。だからこそ、最初にお話したように、一般の私達が、誰か別の人に「才能あるね」と言われた時に、なんとなく気恥ずかしさとあいまって、尻込みしてしまったりするのです。もっと「才能」を細分化して、具体的にどのような能力に関係することなのか、私達自身が掘り下げて認識したほうが、より自分自身の隠れた「才能」を自覚しやすいのです。基本的に、私は「才能」を3つの種類に分類して診るようにしています。1つ目の「才能」の種類は、『コアの部分にかかわる才能』です。「コアの部分にかかわる才能」とは、誰が見てもすぐに突出した才能であるとわかる具体的な才能です。「芸術分野」や「科学分野」で顕著に際立った才能、と言えばわかりやすいでしょう。音楽(楽器演奏、声楽、指揮)、美術(主に絵画、彫刻、建築など)、文学・映像(小説、映画、舞台芸術など)、数学(新しい数学の定理や方式を発見・構築するなど)、科学(ノーベル賞級の発見や発明を化学分野、物理分野、医学分野などで達成するような学問的能力)、などの、要は、各分野の「コア」の部分に関わる、非常にわかりやすく突出した才能=「ピンポイントの才能」ということになります。)これがビジネス分野であると、短期間に社会に多大な影響力を与えつつ、大きな利益を出し続けるような才能、となります(ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、マークバッカーザーグなどが、非常にわかりやすい例ですよね)。普通、一般に「才能」と呼ばれる突出した能力は、この1つ目の『コアの部分にかかわる才能』のことを指す場合が多いようです。だから、その突出したピンポイントの『才能』がノーベル賞級であったり、オリンピック級であったりするために、私達のような一般人が、通常の生活では体験できない・(ましてや)自覚しずらい才能の分類なのです。2つ目の才能は、『上のコアの部分以外の全てを網羅する才能』です。各分野での具体的なピンポイントでの才能とはまた違い、そのコアの部分以外の全て-例えば、俳優・女優さんのような人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性そのもの、IQやEQの高さそのもの、博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)、IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)、新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ、リーダーシップ、人の心を掴む人柄、何かにハマれる集中力、強い好奇心、手先の器用さや技術的な能力、人に何かを教える技術、多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)、世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力、仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力など-具体的にピンポイントで突出した才能以外の全ての部分です。イメージとしては、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』が、天才的な能力としての『才能』、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』が、(守備範囲の広さとバランス感覚の良さでいうところの)秀才的な『才能』、のような感じで捉えることができるかと思います。この2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』が、私達一般人の多くが実は有している『才能』の種類です。目に見えて分かりやすい1つ目の才能とは違った、いわゆる、生きていく上での技術、世渡りの上手さ、人間関係を円満に築くスキルなどに関係する才能ですね。この2つ目の、様々な種類のコア部分以外の才能は、人によっては、複数をまんべんなくバランス良く持っていたり、人によっては、これらの才能の内、ある一定の範囲の能力に特化して長けている場合もあります。1つ目の『コアの部分にかかわる才能』が天才型の才能として、世の中に多大なインパクトを与える能力であるとすれば、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』は秀才型として、より実社会に役に立つ実践的な能力の数々です。1つ目の『コアの部分にかかわる才能』は、人々に感動や喜びを与えるという形で世の中に『貢献』し、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』は、実際に人々の生活や社会の発展に役立つ知識や技術と言う形で、世の中に『貢献』することができます。そして3つ目の才能が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』をそれぞれ発揮する上での『「良心」となる才能』です(これが実は一番重要な種類の「才能」かもしれないと、私は思っています)。『「良心」となる才能』とは、一体どういう才能かと言うと、どんな時にも、自分が持って生まれた『才能』・自分が磨いてきた能力や『技術』を、「良い目的のために使う」ことに徹することができる才能です。要は「責任感」を自発的に感じられるかどうか、です。「良い目的のために才能を使う」とは、それこそ、関わる人や社会全体に『貢献』することを指すのですが、現実問題として、才能や高い能力を持っている人が、この『貢献』というコンセプトを理解できていない場合や、本人の自己愛が強い場合、この才能や高い能力を「利己的な目的のためだけ」に行使しようとするんですね。本人が自分の才能や高い能力を誰のためにどう使おうが、基本的にその本人の自由ですし、その基本的権利が当の本人にはあります。しかし、才能や高い能力を与えられた人には「責任がある」というのが、私の考えです。その「責任」とは、人並み以上の才能や能力を与えられた人が、その恩返しとして世の中に『貢献』するという姿勢を持つ、ということです。また才能を使って世の中に『貢献』したほうが、自分自身の才能をより有意義に生かせるし、自分自身が多くの人の役にたっていることに対する幸福感や至福感も違ってくるからです。先ほどもお話しましたが、『貢献』とは、『WIN-WINの関係』を常に念頭においてベストを尽くしていくということです。『WIN-WINの関係』を構築していくのにはとても責任が伴います。「義務」という意味での責任ではなく、「自発的な責任感」が必要となってくるのです。要は『自分の才能をミッション(使命)として捉えられるかどうか』ということです。与えられている類まれな才能や高い能力を、自分の『ミッション(使命)』としてしっかりと生かして伸ばしていく、という責任感があるのとないのとでは、ずっと謙虚に学び続ける姿勢や、世の中に貢献できる実現度が大きく変わってきます。逆にこの「責任感」がないまま自らの才能に溺れてしまうと、「才能が暴走するリスク」が高まってしまうのです。なぜなら、この「責任感」が欠如した状態だと、『才能』と『人格』のバランスが取れなくなるからです。『「良心」となる才能』を持ち合わせていない人が、1つ目の『コアの部分にかかわる才能』や2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』の突出した能力部分だけに溺れると、世の中のパターンとして、人格に障害がある「サイコパス」や「ソシオパス」などの人格障害系の人物が、その『才能』を悪用しにかかる、ということが起こってくるのです。これは、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人を、そういった人格障害系の人達が利用しにかかる場合と、『「良心」となる才能』が欠如した状態でいる才能ある本人自身が、自己愛のために人格障害系の人達と同じような行動をとって、別の被害者が発生してくる場合と、があります。また、良心持って才能を使いこなそうとすれば、必ず何らかの形で社会に貢献でき、自分自身も心の平和や生きがいなどの幸福感を得続けることができるにもかかわらず、良心となる才能が欠けて、突出した才能部分だけが暴走した結果、世の中からの正当な評価を得ることができずに自分の世界に籠るようになります。才能を、自分のためだけに使おうとすればするほど、「孤独」に陥っていくのですね。才能に溢れる人や、歴史上の天才たちの中で、残念ながら自分達の才能を生かしきれずに、また貢献することもできずに、埋もれてしまった人達もまた、活躍している才能に溢れる人達の影に沢山います。自分の存在が自分自身の『才能』を支えきれずに、押しつぶされてしまった結果です。だから、私達のような一般の人達が自分の『才能』を見つけてそれを生かしていく一番の王道は、まずは3つ目の『良心の部分としての才能』を持てるように自分自身を律し、なおかつ、2つ目の『コアの部分以外の全てを網羅する才能』を見つけて伸ばすことにフォーカスする。更に、より現実的に自分の能力生かしていくために、しっかりと「努力」していくことです。***************************************************************【編集後記】私は、8年ほど前にブログを立ち上げてから、日々のあまりの忙しさに一時期情報発信を中断していたのですが、数か月前からより新しいコンセプトで再び記事を書くようになりました。私はある強烈な経験がきっかけとなって、22歳の時には既に「運の研究」をライフワークの一つにしよう!と心に決めていました。それをやっと実行に移しだせたのが30代以降だったのですが、本当に、誰にとっても生きているといろいろなことが起こります(苦笑)。 私自身のことをちょっとお話しますと、私は、運勢的に「ジェットコースター運」という超波乱万丈気味の宿命を持っています(苦笑)。要は、人生が平坦に平和にゆったりとは行かないんですね。良いときと悪いときの落差が激しすぎたり、物事の展開が早すぎたりするわけです。その分、非常にユニークな経験をたくさんできたり、普通の状態よりも多くの物事を成し遂げることができたりするのですが、精神的・肉体的負荷も相当あります。同じように頑張っている周りの人達が小休止でつかの間の休憩をしたり、次のステップに進むまで比較的自由に過ごす時間が得られていても、私の場合、間髪入れず、克服しなければならない事柄が矢継ぎ早に次から次へとやってくるのです。ここでちゃんと向き合って、受け止めて乗り越えると、その都度、問題解決能力が各段に上がるのですが、受け止めきれずに流してしまうと、速攻で代わりの似たような問題が発生して、私を絶対に逃がさないわけです(乗り越えるまで・苦笑)。思い返しても、この「ジェットコースター」という言葉は自分の今までの人生全般にピッタリと当てはまっていると思います。もの凄い人生トレーニングをさせていただいていることはわかっていても、あまりにも辛いと「なぜ自分だけが!?」と思うことも多々ありました。でも今では、その意味も理由も実感できるんです。「苦労が多い人生」「逆境や困難に見舞われやすい人生」って、実はとてもユニークなことだからです。それを乗り越えるだけのエネルギーや、ここぞという時の「火事場の糞力」的パワーに、実は恵まれている人が多いです。それだけ運勢的に「負荷」をかけられているのには必ず理由がありますし、また負荷をかけられればかけられるほど、魂も、心の強さも、現実世界での実力も鍛えられるんですね。「厳しい運を生まれ持ったのには『意味がある』のです。そして、「運」とは「エネルギー」だ、とよくお話していますが、「物事は全ては繋がっている」ということを常に意識して日々を送ることで、苦労や逆境が、実はそのまま「次の運の到来」へと絶妙に繋がっていることが、徐々に理解できるようになっていきます。日常的な事柄も、心理学的な心の問題も、哲学的な本質も、スピリチュアルな考え方も、科学的な現象も、体や脳などの肉体的なことまで、本質的には全て繋がっており、自分を高めるためにいい意味で利用できるものなのですね。それをこのブログで少しづつお伝えしています。これからもいろいろなアプローチとトピックで、説明できていけたらと思っています。特に、私達が上手に扱おうとしている「運」もそうなのですが、私達の「幸せ」に密接に関係している『自己肯定感』や、私達の「生きがい」に密接に関係している「才能」についてのお話などは、これからもブログのあちこちでお話していこうと思っています!************************************************************************関連ブログ記事☟☟☟【自分自身の秘密!】あなただけの才能~1人に1つの「成功パターン」をみつけよう、というお話【運と『本物を見抜く目』の関係】~周囲にも幸運を振りまく『カリスマ的強運男・強運女』になる方法~************************************************************************
Oct 28, 2020
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今日のテーマは「自分自身の秘密」。以前のブログ記事で、「自分の望むような人生を手に入れるには、『運』の後押しが絶対に必要」それでいて、「この世界で成り立っているコンセプトやビジネスや出来事は、全て『無限のアイデアパターンの組み合わせ』である。」「これと同じように、この世に存在する、全ての人の人生にそれぞれ起こる『出来事』には、どれ一つとして同じパターンがない。」「だから、ある人にとって重大な『現実』は、別の人にとっては全く意味がない。ある人にとっての『成功の秘訣』は、他の人にとってあまり役に立たなかったりする。」というお話をしています。つまり、私たちが幸運の波に乗るきっかけとなる、「意味のある偶然の一致」であるシンクロニシティは、「その人のみに『意味』がある」ということです。その人のバックグラウンドや源氏進行形で携わっている事柄にシンクロして、その人独自の幸運のパターンに沿って起きている現象だからこそ、その人『個人』の成功により貢献してくれる。結果、誰にも真似のできない「まるで独り勝ち」のような状態になっていく。他の人が同じようにやっても、そうはならないし、あなたと同じようなパターンで別の人が成功できるとは限らないわけです。「DNA」みたいな感じですね。どれ一つ同じ型のDNAが存在しないみたいに。その人個人に起こる『意味のある偶然の一致』は、その人の今までの生き方、経験、想い、モットー、才能、環境の組み合わせによって、『独自の現象として』その個人に発生するからです。本当に千差万別。しかも、その人個人の現象である『意味のある偶然の一致』は、まさにその個人のみに『意味がある』ので、結果的に「その人独自の成功パターン」として幸運が起きてくるという現象です。考えてみたら、これは実はとても凄いことです。他の人が真似できないわけです。100%「独り勝ち」なわけです。それも「誰もが」この独り勝ちの成功パターンを享受できる、というものです。こうなると、「1人に1つの成功パターン」ですから、まず他人と比較する必要が全くなくなります。「比較する」という発想自体が、何の意味も持たなくなります。だって、この「1人に1つの成功パターン」は「相対的なもの」ではなくて、「絶対的なもの」だからです。「1人に1つ」なんですから。100%「自分に集中」する流れになります。周囲の思惑や状況とは関係なく、ただただ、自分がどんどん「幸運の流れ」に乗っていくようになります。これがどれほど「心地よい」感覚か、わかりますでしょうか。自分の全てのエネルギーを「自分自身に」注ぐことができるようになります。まさにDNAと一緒。「オンリーワン」の存在となっていきます。実はここに、冒頭の「自分の秘密」が隠されているのです。「自分の秘密」とは、あなたの「才能」のことです。なぜ「秘密」なのか、というと、まだ、あなたにとっても、この「才能」は未知のものだからです。つまり、あなた自身がまだ「自覚」していない。あなたが解き明かすべき、自分自身に関する「秘密」なわけです。何かワクワクしますね!あなたに「のみ」起こり得る「成功パターン」と、あなた固有の「才能」との間には、実は密接な関係があります。どちらも「オンリーワン」の概念が当てはまります。「才能」といっても、何かだ大天才の人達に共通するようなイメージのカリスマ的才能、というよりは、どちらかというと、もっと実生活に密着した「得意分野」のような、あなた固有の能力のことです。(もちろん、あなたが、ある分野の潜在的な「大天才」である可能性だって、限りなくあり得ます!)「運」と「才能」とは、切っても切れない特殊なバランス構造で成り立っていますが、以前のブログ記事では、才能が豊かなほど「運」に恵まれない傾向にある、というお話をしています。☟☟☟【現代の恐怖!】「才能」の神隠し~あなたは「世に出ない」ようにされている!?これは、結局、もともと強い運勢を持っているエネルギーの強い人や、才能のある人達からその「運」や「エネルギー」を奪い、ついでにその人達の才能を「封じ込めて」、自分たち以上に彼らが脚光を浴びることがないように周到に「予防線」を張っている、「運泥棒」のような人達の影響のためである、とお話しています。しかし、本来、才能に溢れる人というのは、その「エネルギーレベル」も非常に高いのが常です。それだけの才能を生かすための「インプット」と「アウトプット」ができるくらいの器と力量を持っている上に、人格まで優れていることも多いことから、本当は誰よりも「運がよい」はずなの部類の人達です。もちろん、先ほどお話したように、このブログは大天才やカリスマの人達のことも研究しつつ、一般の私たちの実生活に役立てるための「運のコントロールの仕方」を中心に書いていますから、ここでは、一般の私たちの中にまだ眠っている(もしかしたらまだ自分でも気づいていない)「能力」のことを「才能」と呼んでいます。「才能」は誰にでもあります。それこそ、1人に1つの成功パターンがその人のバックグラウンドや生まれ育った環境、今まで経験してきたこと、得意分野、周囲の人間関係などの無限のパターンの組み合わせから生まれるように、様々な要因の無限のパターンの組み合わせの結果として、私たちの「才能」が形成されています。「運泥棒」たちに、運や能力やエネルギーを不自然に奪われている状態の時には発動できていなかった「才能」が実生活の表に浮き上がってくると、次のような変化が日常生活に現れ始めます。★自分にとって「正しい」時に「ベストなタイミング」で「最善の選択」ができるようになる★適切な場所に引き寄せられ、自分にとって価値あることをしている感覚になる。★関わっている「全ての物事」が落ち着くべきところに落ち着き、トラブル・障害、人からの否定や反対が自然と消えていく。★必要なお金、情報、人脈、チャンスが、自分にとって完璧なタイミングで引き寄せられ、それぞれの出来事が「相乗効果」でうまく運ぶ。★自分の計画ややるべきことが「流れるように」滞りなく運んでいく。★「行き詰まり感」がなくなり、興味深い変化で満たされるようになる。自分と周りの人達、起こる出来事が、全て繋がっているという実感が湧く。★「自分の外部で起こる出来事」が、「自分の内部でめぐらされている思考や感情」と連動するようになる。自分が強く望んだり、イメージしたことが「外部に反映」されて現実化するようになる。★自分が「大きな力の源」と繋がっているような感覚になる。自分の存在や行動が「正しい」と思えるようになり、圧倒的な「感謝」の気持ちが湧いてくる。もちろん、これらの変化は「徐々に」起こってくるわけですが、その流れは時間と共に大きくダイナミックになっていきます。ある時点までこの変化が続いてくると、そのダイナミックさが自分でも明らかに自覚できるようになるほど、物事が本当にスムーズに運ぶようになります。自分が「幸運の波に乗っている」のが、確実に理解できるようになります。こうなると、先ほどから何度も出てきている「独り勝ち」の状態が、下手したら何年も続く、というようなことも可能になってきます。だからこそ、「集中」すべきは常に「自分自身」なのであり、自分自身に集中することで、自分のエネルギーが不用意に他へ流れることなく、自分の能力と才能を具現化することに、そのエネルギーを使うことができるわけです。「自分の秘密」である「才能」は、「運をコントロール」できるようになることと同様に、「フォーチュンメンタリティ」を鍛えることで、より見つけやすくなります。☟☟☟【フォーチュンメンタリティー】「幸運を自ら引き寄せる心の在り方と知性」のお話自分の才能とフォーチュンメンタリティを鍛える具体的な方法については、次回のブログより数回に分けてお話していこうと思います!
Jul 8, 2020
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すぐ嫉妬してくる人、イヤですね。あなたの身近にもいるんじゃないでしょうか。あなたにやたらと突っかかってくる人。あなたの生活で、何かあなたにとって嬉しいことが起こった時、あなたが学業た仕事や首位で、何か目立って上手くいった時、あなたが幸せそうにしている時、脚光を浴びる機会があった時、あなたが彼氏の上手く行っている時、家庭が円満で充実している雰囲気がでている時、欲しかったものが手に入った、行きたかった場所に旅行に行けた、子供の成績が上がって、旦那さんが昇進した、マイホームを買った、車を新調した、、、、、あなたが直接「報告」してもしなくても、変な自慢にならないよう、話題を最小限に抑えても、場合によっては、誰にもしられないように頑なに秘密にしていようとも、謙虚な気持ちでいようとも、いいことが起きたおかげで、あなたのオーラは、あなた自身ではとても隠し切れないくらい輝き全開です。そう。本来あなたにとって、とってもいいことなんですが、そこに水を差してくる人達が一定数いる。友達のはずなんだけれど、家族のはずなんだけれど、恋人のはずなんだけれど、どれは同僚かもしれない、ママ友かもしれない、近所の人達かもしれない、義理の両親かもしれない、「なぜか」あなたの輝き全開オーラに対して冷ややかに構える。言動はいつも通りなんだけれど「目」が笑っていない。さっきまで普通に人間の目の表情だったのに、いつの間にか「爬虫類の目」みたいに細くなってる。そんな相手に、あなたは何か違和感を感じて、輝くオーラを萎ませる。そんな風に思いたくないけれど、相手が凄んでいるような気がする。そんなはずはないんだけれど、「調子に乗るなよ」と言われているような気がする。あなたに自覚があろうとなかろうと、こんなパターンを、無意識下で、数秒の内に行うこと、今まで数知れず。そしていつの間にか、あなたの「幸せで嬉しい気持ち」はどんどん縮んでいく。なかったことにもされる。。。それでも優しいあなたは、相手に感じる「違和感」までも前向きに捉えて、その場を和やかに終わらせようと頑張る。反対に、あなたにちょとした「不幸」が訪れた時、同情するフリをしているんだけれど、あれれ?今度は逆に瞳が「嬉しさを隠せないくらい」開いてる!?あなたの話を聞きながら、なんだか急に生き生きし出す。これ「フレネミー」ですね。友達のフリをした敵。もしくは、自己愛性パーソナリティ障害か、エネルギー・バンパイアの可能性が大です。「自己愛性パーソナリティ障害」に関しては、近年徐々に一般に知られてきており、「サイコパス」や「ソシオパス」「境界性パーソナリティ障害」と並んで、私たちが彼らの「ターゲット」にされると、本当に人生が破綻しかねないほど、ネガティブなインパクトをもたらし得る、要注意なパーソナリティをっ持った人達です。私たちが「運」をコントロールして理想の生き方を目指していく上で、この「自己愛性パーソナリティ障害」を持った人達の存在は、大変厄介です。人の運や才能やエネルギーを奪う、世の中の強烈なエネルギー・バンパイア達というのは、ほとんど全員がこの「自己愛性パーソナリティ障害」に該当するのではないか、というほど、薄気味悪いくらい、出会う人出会う人、その「特徴」が酷似しています。私mぉ今までの人生の中で、相当数の「自己愛性パーソナリティ障害」と思われる人達に遭遇してきました。「自己愛性パーソナリティ障害」って、意外や意外、かなりの割合と数で、普通に私たちの身の回りにいるんですよ。最近よく耳にする「毒親」であるとか、会社や家庭でパワハラ、モラハラ、DV(ドメスティック・バイオレンス)をする人達とか、執拗にマウンティングしてくる人達とか、それこそさっきのフレネミーであるとか、あなたが尋常でない「違和感」を感じる場合は、その可能性大です。「自己愛性パーソナリティ障害」に関しては、「運の科学」において見過ごすことのできないテーマであるため、このブログ内で個別のテーマを立ち上げるつもりです。理想の生き方を実現していく上で、運をコントロールしたり、自分のエネルギーを上げたり、シンクロニシティを頻発させて幸運の流れに乗っていくためにも、何よりもまず最初に、自分の物理的・心理的テリトリーに入れない、影響されない、シャットアウトしておくべき人達だからです。さて、この「自己愛性パーソナリティ障害」(気味)の人達は、事あるごとにあなたに「嫉妬」してくるはずです。彼らは、あなたがいろんな事柄を犠牲にしながら必死で努力してきたこと、その結果今まさに得られている、実力や能力や評価、それから派生してきた恩恵や幸運というものを、まるで簡単に「奪える」かのようなつもりで軽んじてきます。「わざと」軽んじるんです。本当は、嫉妬によって自己愛が深く傷つけられて暴走してしまっており、本人の頭の中では、目の前で輝くあなたを消し去りたい程の「自己存在意義」の危機に陥っているんです。普通の人が「ちょっと」妬んでしまった、羨ましく思ってしまった、というレベルではないのです。自己愛性パーソナリティ障害の場合は。嫉妬するあなたの評判を落とすような噂を流してみたり、あなたの人間関係の中に無理やり割り込んで壊してみたり、加害者のくせに被害者のフリをしてみたり、自分にとって都合のよいことは無くても「あったこと」にして、自分にとって都合の悪いことはあるのに「無かったこと」にするなど、捏造、揉み消し、裏工作は日常茶飯事です。なんの羞恥心や罪悪感もなく、平気で自分の認知を歪めて「脳内変換」してしまいます。全ては「自分こそ最高である」と無理やり思い込んでいないと、肥大した自己愛が、とてもじゃないがもたないんですね。だから軽率で浅はかで思慮深さに欠けた嫌がらせや嫉妬をしてくる。あなたの方が輝いている、という現実は、彼らにとってはあってはならないわけです。こういう、あきらかに誰の特にもならない一方的な「嫉妬」を受け続けるということは、「運」を自ら上げていこうとする私たちにとって、痛恨の打撃・痛手となります。現実に物理的な被害が及ぶだけではなく、それこそ「目に見えない世界」において、ネガティブで低い周波数の「負の念」が波長となって、私たちに突き刺さってくるからです。一方で、「運の科学」の観点からは、「別の種類の嫉妬」が、「私たちの潜在的な能力や才能を測るバロメーター」として、使える、ということがわかっています。嫉妬には、先ほどのネガティブな想念としての嫉妬と、私たちの「潜在的な能力や才能を測るバロメーター」としての嫉妬の2種類があるのです。英語で嫉妬を表す単語はいくつかあって、代表的なのは「Jealousy」と「Envy」です。この2つの単語の場合、嫉妬の意味合いとしてはネガティブな感情を伴った「妬み(ねたみ)」と「嫉み(そねみ)」です。そのままの意味ですね。もう1つ「Longing for」という語句もありますが、これは妬みなどのオドロオドロしい意味あいとは違って、むしろポジティブな感情にもなり得る「あこがれ」「憧憬」という意味です。この「あこがれ」「憧憬」としての嫉妬の場合、「嫉妬」がそのまま「処世術」になることもあります。どういうことか、というと、「同じような能力や才能やセンスがあなた自身の中に眠っているのを、潜在意識のレベルでわかっている」時に、人が感じるのが「嫉妬」という感情である、ということです。いてもたってもいられないわけです。潜在意識が。今現在、その「能力や才能」を使っていない、使えていない、気づいていない自分自身に。もともとあなたにそのセンスがある、同じような能力の片鱗が垣間見える、才能として輝く余地がある。かつて、人生のどこかの時点で、意識的であっても無意識であっても、そのことに気づいていた「自分」がいたのかもしれません。その能力を伸ばす、追及する術が、当時まだなかったのか、家族や友人にそれとなく止められていたのか、その人個人個人のバックグラウンドにより、様々な事情があったのかもしれません。気づいていて既に挑戦していたのか、どこかであきらめたのか、あきらめた上で、自分自身でその「能力た才能」を忘れてしまったか、「無かったこと」にしたのか、もしくは、まだ気づいていなかった、でも潜在意識はわかっていた、まだ追及することに挑戦していない、でも自分には何かあるはずだ。その段階で、たまたま「嫉妬する相手」が現れた。なんなんだろう、この気持ちは。ただ悔しい、気に入らない、というレベルの感情ではない。何か、「突き動かされる」感じ。潜在意識の奥から。この種類の「嫉妬」とは、実は、自分の未来の「自己実現」を見ているのと同じことなんです。もしあなたが、まるで突き動かされるような「嫉妬」を感じていたら、もしあなたが、まだ「自分が本当にやりたいことが見つからない」というのであれなば、もしあなたが、「自分の能力や才能が何なのかわからない」のであれば、ぜひ一度、あなたが日常生活で「突き動かされるように感じる嫉妬」に注意していてみてください。もっと突っ込んで、あなたはどんな時に、どんなパターンで、どんなこと(人)に対して「突き動かされるように嫉妬するのか」に、より敏感になってみてください。その分野に、あなたの本当の能力や才能が眠っていることがあるのです。あなたが「突き動かされるように嫉妬する」ことを、一度徹底的に追及してみると、思いもよらない展開が、あなたの人生にもたらされるかもしれませんよ。この「突き動かされるような嫉妬」の正体と、「潜在意識が知っている能力・才能」との関係・構造については、もっともっと書いていきたいと思います!
Jul 4, 2020
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「運」を研究している私ですが、最近重大なことに気づき始めています。「才能の神隠し」というものです。この世の中には、いろいろと飛びぬけた才能や能力を持った人達が一定数いますが、「才能」や「能力」というのは、何もある特定の天才や秀才だけが持っているものではありません。私たち誰もが、自分の得意分野や強みを持っており、それが「プロのレベル」とまではいかなくても、その知識や技術を持っていない他の人達の助けになったり、場合によっては貴重な貢献になったりすることはいくらでもあります。セミプロレベルの一般の人達はたくさんいますし、「自分には才能や強みがない(悩)!」と思っている人でも、何かしら他の人より秀でている能力分野、というのがあるものです。また、「飛びぬけた才能や能力を持っている」ということと「運の良さ」との間にも、特に相関性はありません。普通、才能や能力に恵まれていたほうが「運が良い」ような気がしますが、「才能や能力」と「運の良さ」というのは全く別物です。もちろん一流のアスリートや芸術家、企業家など、運と才能の両方に恵まれて活躍している人達も当然たくさんいますが、はっきりいって「氷山の一角」です。これは、「運」を研究していると統計上よくわかるのですが、意外なことに、いわゆる「才能や能力に恵まれている人」であると思われる人達のほうが、そうではないと思われる人達よりも、実際には「運がよくない」というパターンが往々にしてあります。とても不思議なことです。才能や能力には恵まれているけれど、努力は苦手、とか才能や能力には恵まれているけれど、性格や人間性に問題がある、とかそういったことが特にないにもかかわらず、です。これは決して変な「優劣」のお話では全くなく、年齢、性別、健康状態、社会的地位に一切関係なく、学生さん、主婦の方、サラリーマンの方、自営業の方、経営者の方、スポーツ、文芸、経済、福祉、教育、ありとあらゆる分野において、実際統計を取ってみると、例えばIQが高め目の人、EQが高めの人、スポーツで秀でたスコアを出している人、ビジネスやクリエイティブな分野で活躍している人、アイデアが豊富な人、コミュニケーション能力が高めの人、多くの人から好かれる人望のある人、多くの賞を取っている人、よく昇進する人、ユーチューブやSNSなどのネット環境で活躍している人、どれをとっても、なんと「本当にトップ上位5~10%くらいの人の運の良さが、だいたいその下の30~10%くらいの範囲にいる人達に劣っている」というあり得ない大逆転現象が起こっているのです。私はこの結果を見た時に、正直大変驚きました。本当に不思議でなりませんでした。普通、才能や能力に恵まれていて、かつ人間性も豊かで世の中にすごく貢献している範囲の人達が、どちらかと言えばそうではない範囲の人達よりも「運がよくない場合が多い」などとは思いもしません。そこでハッとするのが、逆に「天才は短命である」とか「才能ある人ほど不幸である」といった、歴史上の才能あふれる人達が「活躍できなかった」逸話の数々です。場合によっては、亡くなってから何百年もたって、やっとその才能が認められてブレイクする天才たちもいますが、彼らがまだ存命だった頃、いったいどんな気持ちで自分の生き方をとらえていたのか、とても興味があります。また、存命中に才能を世に認められながらも、「運」のサポートを得られなかったように思われる天才たちも多数います。シンガーソングライターの尾崎豊さん、XJapanのヒデさん、宇多田ヒカルさんのお母さんである藤圭子さん、画家の山田かまちさん、みなさん、素晴らしい才能の持ち主で、多くの人を感動させてきましたよね。凄い貢献力を発揮していたはずでした。また、これはあくまで私個人の意見であり、人それぞれ好みや志向というものがあるのを分かった上で、賛否両論はあるかとは思いますが、例えば、現在活躍中のアーティストやクリエイター、アントレプレナーたちの中で、素晴らしい才能をお持ちで、かつ人格的にも優れていると思われ、ある程度の地位や多くのファンがいながら、業界でそのお評価があまりにも不自然なくらいに「過小評価」されてしまっている、と私が感じる人達としては、オランダのシンガーソングライター、バレンシアさん、(1990年代に「ガイア」のシングル及びアルバムで一世を風靡しました)日本のシンガー&ダンサー、三浦大知さん、(ユニットフループ「Folder」で、小学六年生でやはり一世を風靡した天才シンガーです)映画「ロード・オブ・ザ・リング」で魔法使いガンダルフを演じた、俳優、イアン・マッケランさん、(数々の映画や舞台で一流の演技を見せ、イギリスの「ナイト」の称号も授与されていますが、未だにアカデミー賞を受賞されていません)日本の起業家・経営者である、堀江貴文さん、(異端児のようなパワーでその言動が賛否両論を生んでいますが、私は、彼の才能は歴史上の「科学者」達のように、時代が彼に追い付けていないのだと思っています。)まだまだ例を挙げたらキリがないので、ここで終わりにしますが、正直なところ、みなさんも日常で身近に感じたことはないでしょうか。本当に正直に、正直に。どう考えても、巷に出回って流行っているものよりも素敵に感じられる、こんな素晴らしい音楽や絵などのアートを生み出しているのに、なぜか売れなかったアーティストたち。どう考えても、世間でベストセラーになっている本よりも内容が濃くて心に響く、名著や良書の名もない著者や作家。どう考えても、芸能界で売れている俳優・女優・タレントよりもはるかに存在感のあるユニークな名優、脇役、タレント。でもなぜか、世間ではこういう「真に実力と才能のある努力家」達が「不自然なまでに」日の目をみないことが多々起こっています。「不自然なまでに」というのがポイントです。この素晴らしさであれば、絶対にある程度のポジションまでは行くはず、行かなくてはおかしい、サポートしてくれる人達も一定数ちゃんといる、そくらいの逸材であっても、です。こういう「逆転現象」が普通にまかり通り過ぎているのが、現代の世の中です。90年代以前の昔、特に60年代、70年代、80年代~90年代までは、もっと素直にストレートに「本当に素晴らしい才能たち」がちゃんと評価されていた時代でした。これは、映画界でも、テレビ界でも、文芸界でも、音楽界でも、もちろん一般の私たちの教育現場や仕事現場でもそうでした。ではなぜ?現代では特に「真に才能のある者」たちが「不自然なまでに」まるで「わざと」評価されないでいるような事態になっているのでしょうか。その横で、なぜか「(正直)そこまででもないんじゃ?(謎)」と思われる人や団体や企業がやたらと持ち上げられて、スポットライトを浴びているような現象が頻発している。。(実際には、優れた面を持ち合わせているからこそ、それなりのスポットライトを浴びることになってはいます。ご了承ください。ただ、それがちょっと「不自然」なんですね。。なぜか「(光り輝く)こちら」を無視して、それより微妙に光が弱い「あちら」を選択する不可解。。?)これにはある理由があるからです。この世というのは「2対8の法則」というもので成り立っています。「2対8の法則」を聞いたことのある人は多いと思います。例えば、会社でモーレツに仕事ができる人が全体の2割いて、その2割の仕事のできる人達が、その会社の仕事の実に8割の生産性を上げている、学校でモーレツに勉強のできる生徒が全体の2割いて、その2割の勉強のできる生徒たちが、その学校の成績全体の8割に影響を与えて、学校偏差値を上げている、世界の資産の8割を、世界の人口の2割のお金持ちが所有している、など、要は、全体の「2割」が残りの「8割」のインパクトを全体に与えている、という法則ですね。実際に数字的に「2割」というよりも、「2割」が影響力のある「マイノリティ」「8割」がその他の「マジョリティ」である、という概念です。そして、天才だけでなく、私たち一般人が持っている、真に素晴らしい有益な「才能」や「能力」というのは、立場や環境が違っても「その全体」の中では明らかに「マイノリティ」です。だからこそ、「素晴らしいものの影響力(マイノリティの影響力)が計り知れないほど強いため、それを「排除」しようとする動きが8割のマジョリティから出ざるを得ないのです。2割が活躍し過ぎると、残りの8割にはにはあまりにも都合が悪すぎるわけです。だって8割こそが「大多数(マジョリティ)」なのですから。これは、才能や能力が凌ぐ「天才の世界」だけのお話ではなく、本当に身近な一般人である私たちの普通の現実生活にも、そっくりそのまま当てはまるのが、このお話の恐ろしいところです!そこで「やっと」本題です(長い!苦笑)一部の天才方はここでは置いておいて、まず私たち。一般人である私たちが、大なり小なり持っている能力や強みを生かして何かしようとする時に、「あなたを押さえつけようとする力」を感じるときはありませんか?実際に誰かに邪魔をされるとか、アクシデントが起きて予定がキャンセルになるとか、といった「現実に起こる妨害」もあると思いますが、ここではその逆です。「自分で何か物事を起こそうとすると『意地でもそれが起きない』」という妨害。*「現実に起こる妨害」については、過去記事☟【魔界の意図!?】上手くいき出すと必ず「邪魔」が入る人には、一体何が起きているのか!?【これも魔界の意図!?】あなたの能力&才能、ひょっとして「封印」されたりなんかしていませんか?に詳しく書いています。ちょっとややこしい表現で申し訳ないのですが、この「自分で何か物事を起こそうとすると『意地でもそれが起きない』」という妨害。多分、これ、多くの人が「それわかる!」と思われるのではないでしょうか。目に見えて発生する妨害はわかりやすいものですが、この『意地でもそれが起きない』という可逆的妨害。とても気持ちの悪いものです。私たちが何か善い目標を作って、達成しようと努力する、ちゃんと順序を踏んで準備する、周囲の人からも承認や協力をいただく、喜んでくれる人達も現れ始める、もっともっと頑張る、自分の能力が生かされ始める、普通、ここまでやったら何かしら形になるはず、実際にこのパターンで形になっている人達は他にもたくさんいる、そのパターンよりも、もしかしたら自分の目標には勢いがあるかも?そして周囲を巻き込んでどんどん上昇気流に乗っていって、さあ!いよいよ結果がでるよ~~と思った瞬間。あれ?突然波が引く。あれ?あれれ!?どうした、この後退感。。。(焦)何の理由もないのに、何の障害物も(一見)ないのに、あと一歩、二歩、なんだけれど。。この不自然なほどの「波の引き方」は何?あれ!?いつの間にか、このプロジェクトもその進行具合もあのエネルギッシュな上昇気流も、ええ~っつなんか、全部「無かったこと」になっている!!!初めから「何も起きてなかった」かのように。。。この非常に不気味な後味の悪い感覚、わかりますでしょうか?これが、一度や二度ではなく、何か善い目標を達成する行動をあなたが起こしだすと、その途端に、この『意地でもそれが起きない』という現象に苛まれる。。そしてもう一度気を取り直して一からやり直そうとするも、すでに何か強力な見えない力に押さえつけられて、身動きができなくなっている感覚。。まるで何かに押さえつけられているような感じで。ガリバー旅行記の主人公ガリバーが、小人たちに「磔つけ」にされているような感覚です。その横で、何やら別の団体が、次から次へとミラクルを起こし始める。。。でも、あれ?そのプロジェクト(目標)、よく観察していると、あまり善い目的に感じられないのですが。。。あまり能力も生かされていない感じがする上に、誰かの自己愛を満たすだけになっているような。。おまけに周囲に貢献している気配がない。。。運を研究しているにもかかわらず、私などは、日常茶飯事でこの「あなたを押さえつけようとする力」に遭遇しています。これ、あなたの能力や才能の「神隠し」です。あなただって、あれだけミラクルを起こし始めて、それも自分の能力を生かしてる。誰かの役に立っている。とても素敵なアイデアや目標だった。。。これが形なっていたら、きっと幸せになっていた人達がたくさん現れていただろうに。。。。。「いいもの」を持っている人が、その素敵な能力や才能を「隠されてしまう」ことはよくあります。この記事の始めのほうに書いた、今世の中に出回って流行っているように見える、音楽や文芸やビジネスよりも、本来はるかに輝いている「名もない天才」。いつか必ず何かに貢献できるような、とてもいい能力を持っている、磨けばもっともっと輝くはずの一般の私たち。どちらにも起きている現象は同じです。「才能の神隠し」。あれだけ輝いている、あれだけポテンシャルを放っているあなたの「能力」が、他の人達や世間に見えないわけがないのです。あれだけ光っているんですもの。実はちゃんと見えているはずですよ。「脅威」として。微妙に意図的に「無かったこと」にされている、されてしまった「才能」や「能力」は、至る所に倒れています。。。(泣)むしろ、私たち一般の人達のほうが、その持っている能力や才能を「無かったこと」にされる頻度が高く、深刻なことかもしれません。そうして何度挑戦しても、不自然なくらいに自分の能力や才能や努力は「無かったこと」にされるので、ついには本当に「自分はたいしたことない」と認めさせられるというわけです。本当は「たいしたこと大有り」なのに!そして記事の最初で書いたように、能力や才能があるのに「運」がついてこない、という負のスパイラルにどんどん陥っていきます。「才能の神隠し」は、「あなたを押さえつけようとする力」です。「自分はこんなもんじゃない!」と思うことは、実はとても大切です。「運」を研究していて、たくさんの「幸運」に恵まれている人達を見てきましたが、実際に「あなたはこんなもんじゃない!」ということが多いです。あなたが「こんなもんじゃない」からこそ、神隠しに遭遇するんです。神隠し側も人を選んでいますから。。(苦笑・全く迷惑な話ですが。。)では、「あなたを押さえつけようとする力」が強大な場合は、一体どうすればいいのでしょうか。押さえつけようとする力が強大な場合、それなりの覚悟をもって事にあたらなければなりません。これはあなたが「運」をコントロールしようとする時の大きな障害になるからです。関連記事☟【幸運泥棒】~あなたから運も才能もエネルギーも奪う「運泥棒」の話「運泥棒」と「才能の神隠し」はセットで発生します(怒)。稀に全く別の現象として別々に起きることもありますが、だいたい「才能の神隠し」の被害の真っただ中にある人が、更に「運泥棒」に目をつけられて、運やエネルギーを持っていかれていることが多いですね。光っているから。輝いているから。徐々に体系的に記事をテーマごとにまとめていく予定ですので、どうぞ、気長にお付き合いいただければ嬉しいです!
Jun 30, 2020
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「幸運」をコントロールしながらいろいろな夢を一つづつ実現してきた私ですが、最近になって、それでも「本当の自分はまだまだこんなものじゃない」という感覚が(それこそ「津波級」で!)日々押し寄せてきています。特にここ1年くらいでしょうか。 みなさんもそんな気持ちになることはないでしょうか。凄く頑張っている、凄く努力している、やれることは結構全部やっている。でもやっぱり「本当の自分はまだまだこんなものじゃない」と。その感覚は十中八九正しいです。おそらくかなりの確率で「あなたはまだまだそんなものじゃない」です。「運をコントロールする方法」をずっと研究していると、それと同時に、いつも対になって考えていかなければならないコンセプトがあって、その中でも、特に「運」と表裏一体いなっているのが、私たち一人一人が持っている、私たちなりの「能力」と「才能」です。これは決して誰かと比較する前提に立ったものではなく、あくまで「あなた個人の強み」としての能力・才能のことです。私は以前の著書の中で、いくら成功者の真似をしても意味がない、ある人の「成功の秘訣」は他の人には「実現不可能」、「万人に通用する手っ取り早い『成功法則』なんてこの世に存在しない」、と、少々辛口気味で書いています。私も相当数の成功哲学本や自己啓発本を読破してきており、その経験から思うのは、「私たちはとても『固有の存在』で、その生まれた時の状況、育った環境、出会ってきた人、選択してきたもの事、取ってきた行動、そして決断してきた内容、その全てにおいて、「どれ一つ同じ人なんていない」ということです。成功したい、上手く行きたい、運を上げたい、自分を生かしたい、と思う人の数だけ、「千差万別の人生」があるわけです。ついでに言うと、この世の中に存在する、全ての人の人生にそれぞれ起こる「出来事」には、どれ一つとして同じパターンはありません。私は「特許」に関わる仕事もしているためか、例えば、歴史の中で私たちの生活を劇的に飛躍・向上させてきた画期的な発明や新規の科学技術、思想や文化などは、人間が作り出す「無限のアイデアパターンの組み合わせ」であることをよく理解しており、更にその「無限のアイデアパターンの組み合わせ」からできた1つの新規のアイデアに、更に追加された新しいアイデアを少しづつ追加していくことによって、全く別の最新のアイデアに進化していき、別の新たな特許や発明や科学技術や思想が生まれてくる、という仕組みで物事が成り立っているのを沢山見てきています。何がいいたいのかというと、私たちの「人生」も全く同じである、ということです。誰一人「同じ人」ではない、全員「千差万別」の経験と生き方をしてきている、当然持っている能力や才能も「千差万別」、人生に起こる出来事のパターンとその組み合わせも「千差万別」、だからこそ、ある人にとって重大な「現実」は、別の人にとっては全く意味がなく、だからこそ、ある人にとっての「成功の秘訣」や「能力開発法」は、他の人にとっては「実現不可能」なことが多い。そんな「矛盾」が起こってしまうわけです。つまり、私たちにとって本当に必要なのは、他の人が真似しようのない「あなただけに通用する」成功法則」や「運のコントロール方法」を知ることなのです。そこで次に大切になってくるのが「あなたの能力と才能」の見分け方です。自分になんてたいした能力はない、自分の才能がわかならいので模索している、という人から、この能力が強みだと思うからもっとレベルを上げたい、おそらくこの部分が自分の才能の可能性があるから鍛えたい、という人まで、いろいろだと思います。自分の能力の知り方、自分の才能の見つけ方についてなどは、また徐々にブログにアップしていこうと思っていますが、今日はまず、それ以前に、「最も大切なこと」を皆さんに気づいてもらおうと思います。これは皆さんの中で、「薄々このことに気づいている」方もいらっしゃるのではないか、と思っています。こんな風に思うのは、もしかしてちょっと恥ずかしい?こんな気がしてしまうのは、もしかして私ってちょっと傲慢?と気恥ずかしくなりながらも、でもどこかで「ちょっと待って、でも。。。」なんとなくこういう風に思った経験はないでしょうか。自分の能力は何か、才能は何か、の云々以前に「もしかして、自分の『能力』と『才能』が『封印されている』のではないか」という思いです。自分としては何の根拠もない、周りの人に話したら絶対に笑われるにきまってる、でもある分野で自分はいつも結構いいせんまで行く、出そうでで切らない能力、なんとも言えないもどかしさ、でも何となく「自分の能力や才能」が見えて隠れしている微妙な感じ。。。でもやっぱりなぜか「形」にならない。。。。これって実は大アリなのです!おそらく、みなさんの中で、何とも言えないもどかしさを感じている、あなた自身のその「能力的部分」、これは「開花したら相当ヤバい」レベルになる可能性が秘められている「宝物」だと思っていてください。絶対そうだから。十中八九あなたのその「感」は正しい。場合によっては、自分の中で見え隠れしている「自分の能力・才能」と思わしき部分だけではなく、むしろあなたが「苦手」だと思い込んでいた分野が、実は思いっきりあなたの才能であったりする場合もあります。このパターンは本当に多くて、前回の「魔物」のお話ではありませんが、「苦手だと思い込まされるている」場合が非常に多いのです。あなたが能力を発揮しだしたり、あなたの才能が開花してしまうと「都合が悪い」存在、というのは絶対にいるんです。要は、能力や才能を「封印」されていることがあるのです。これはちょっと怖いことですね。だって自分の最も強い部分を、生涯にわたって「封印」されて「無いもの」とされるんです。人生にかかわるような大問題です。それで大きくキャリアが変わってしまうかもしれません。それで大きく幸福感を(それも長期にわたって)奪われてしまっているかもしれません。もしかしたら生涯収入にも大きく影響しまくっているかもしれません(コレ、実際よくあります。)大問題です。例えば、私は今でこそ理系分野で能力を発揮することができていますが、今まで生きてきた人生の4分の3以上の時間、「理系分野こそ私の最大の弱点」だと思い込まされていました。理系に強い方であれば、なおのこと理解していただけると思いますが、理系の思考法や技術者の仕事というのは「逃げ場」がありません。数学でも化学でも物理でもそうですが、自分が間違っている限り永遠に結果は出ませんし(実験やっていればよくわかります)、製品開発の分野、ましてや「特許」の分野などは、何百通りの手順を試して失敗、また試して失敗、の繰り返し。まさにエジソン状態に延々に向き合いながら、ベストな道を模索していくしか、「正解」にたどり着けないのです。「文系」がそうではない、と言っているのではありません。文系と理系では、この世での「存在意義と使命」が全く違います。いずれにしても、「能力や才能」というものは、その規模や深さに関係なく、私たちに与えられた「ギフト」です。それを、最初は自分のために、徐々に人のために、最終的には世の中のために、開花させて役立てていくために「能力や才能」があるんです。料理が上手、話し上手、聞き上手、思いやりがある、忍耐力がある、努力家である、こういった、「分野」ではなくもっと抽象的な「能力・才能」だって立派に世の中に貢献できます。だから「封印」されたままではダメなのです。そこで大事になってくるのが、「まず、自分の能力や才能はちゃんとあって、それが封印されているかもしれない」という可能性をまずは認識してみることです。意識してみるのです。そうすると、「思い当たること」が芋ずる式ででてくるかもしれませんね。私はそうでした。そしてそこで「遠慮」しては絶対にいけません。あなたが「あなたの能力・才能」を自分で認識して使えるようにすることは、あなたの絶対的権利です。「封印」を解いていく方法、心構えについても、また徐々にブログで書いていきますね。誰もが、自分の「能力・才能」にどんどん気づいて、それを自分のため、人のため、世の中のために思う存分使っていけるような時代が、ようやくこれからやってくるみたいですけれどね。これはまた別のお話で。。
Jun 16, 2020
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