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みなさん、こんにちは!今日は、「強運の持ち主は、常に一貫して『自分らしさを炸裂させている』」というお話です。「運のいい人」というのは、たいてい、健全な自己愛を持っていて、自己肯定感が高いです。「健全な自己愛」「自己肯定感」とは何か、というと、要は、自分の良い部分も悪い部分も平等に受け入れている、等身大の自分を認めている、他人からの承認を必要としない、自分を他人と比べて落ち込むことがない、という、当たり前に聞こえますが、実はとても強い心の持ち主です。相手から見て、自分がどういうキャラクターであるように映るか、という外面上の性格のことを「ペルソナ」と言うのですが、このペルソナが明るく元気である、活発である、逆に穏やかである、物静かではにかみ屋である、などの、見かけ上の印象は関係ありません。たとえどんな性格の印象があったとしても、その人の本質が、ありのままの現実の自分を受け入れている上に、「そんな自分は自分はできることは全てやっている」という確固たる自信があるので、非常にブレない心の持ち主ということになります。落ち込むことがあったとしても、それは「自分自身がベストを尽くせていなかった」という、自分自身への後悔や奮起が多く、他人が自分をどういう風に見ているか、という、「他人軸」では生きていません。価値観があくまでも「自分軸」であるために、自分の決断や行動に、しっかりと責任を持てるタイプです。このブログの「運を自分でコントロールする」というコンセプトをサポートするために、私はよく、その人にとって都合の良いめぐり合わせが連続して偶発する「意味のある偶然の一致」=「シンクロニシティ」についてや、そのシンクロニシティが発生しやすい、極度に集中した快感を伴う精神状態である「フロー」について書いていますが、この「自分軸」で生きることと「運を自分でコントロールする」ことは、本当に表裏一体です。特に「フロー状態」から得られる「フロー体験」は、これを何度か自分の人生で体験したことのある人であれば、その時の「高揚感」「幸福感」「充実感」そして「自己有能感」のハンパ無さに、もう一度あの素晴らしい経験を体験したいと、更に自分を信じて自分の目指す行動に没頭するようになります。フロー体験を発生させる「フロー状態」というのは、とにかく他人との比較で起こる「優越感」や「劣等感」とは無縁です。そんな誰かとの「相対的な比較」など全く無意味で、全身全霊で自分自身が価値を感じる事柄に没頭して、(それも楽しみながら)持てる限りの力を出し切っている時に、「フロー体験」が得られるからです。まさに「自分軸」の在り方です。「フロー状態」というのは、自分のチャレンジしている事柄の難易度と、自分の能力のバランスが絶妙に取れている時に発生します。自分にとって難し過ぎず、逆に簡単過ぎず、自分の現在の能力で達成可能な、ギリギリのレベルの事柄で、しかも自分が興味のある事柄です。自分がチャレンジしている事柄の難易度と、自分の能力のバランスが絶妙に取れている状態では、人はその作業に没頭でき、時間の感覚や「自分自身」という感覚すら忘れて超越します。この時、喜びの感覚を伴って、持てる能力を限界まで使って集中することになるので、その他のことにはほとんど関心が向かず、更に、絶妙な「高揚感」と「自己有能感」を味わうことができるため、自己肯定感もどんどん上がっていきます。まさに「のめり込んでいる状態」、そして「幸福な状態」です。この、「フロー体験」によって得られる「自分が重要だ」という感覚は、私たちに「生きている手ごたえ」を感じさせてくれます。「フロー状態」を何度も経験し、「フロー体験」を日々当たり前のように経験するようになると、自分の過去の経歴やステータスなどではなく、いかに、実際に自分が今現在「実体験していること」によって、自分の内部が肯定感や有能感で満たされ、そして「幸福感じられる」かがわかります。普段から自分が没頭できる仕事内容や研究などがあって、その自分の能力に見合った課題に日常レベルで熱中している人は、自分の内部を満たしてくれる、実体験による肯定感や有能感が、既に超絶レベルで存在してくれているので、他人と比較するようなこともないですし、そんな発想すら湧かなくなります。あまりの高揚感と快感で、他人の目も、嫉妬も、劣等感も、そんなものは全てどうでもよくなっていくのです。まさに「わが道」を行く。「相対観」ではなく「絶対観」で進む。逆に言えば、「ある能力を持った人が、その能力を使わないように制限されることほど、人間として一番不自然で苦しいことはない」ということです。そして、既に過去となったステータスや経歴にしがみつくことや、他人と比べて優越感に浸ったり、逆に劣等感に苛まれたりするというのは、「今現在の実体験」に集中も没頭もしていない、実はとても「惰慢」な心理状態なのです。幸福感が得られるわけがない。人間は、自分の能力を、取り組む課題との絶妙なバランスで100%出し切っている時に、その「パフォーマンス」で生きているエクスタシーを得るのです。その「パフォーマンス」が実際に形になった時の喜びもまた、次の「フロー状態」への原動力となります。「アッハー体験」なども、まさに「今を生きている」状態で実体験を積むことによって、瞬間的に訪れる幸福の体験現象です。アッハー体験を多く経験した人の自己有能感・自己肯定感も、正しい方向性で確実に上がっていくことは、心理学の分野でも通説となっています。*「アッハー体験」とは、自分にとって未知の分野であった事柄が、ある瞬間に知覚的に瞬時に理解できた、突然ひらめいた、というその体験そのものと、その体験によって、自分が深く感心することで脳に与えられる成功体験のことです。なので、自分の興味のある事柄に対して、日々、自分の能力とタスクとの絶妙なバランスでフロー状態に没頭することで、全ての「他人軸」の要素を吹っ飛ばし、自分らしさを炸裂させて生きることが大切です。何度も言っていますが、「フロー」は、運をコントロールする原動力となる「シンクロニシティ」を発生させます。言い換えると、「意味のある偶然の一致」=「シンクロニシティ」を発生させる必須条件が「フロー」です。運のコントロールには、「フロー」が不可欠です。人によっては、自分の中に凝り固まってしまった「他人軸」の生き方や考え方があると思いますが、少しづつでいいので、他人軸で生きることを辞める方向に意識していきましょう。まずは「自分」。自分の興味、自分の喜び、自分の幸せ。「絶対観」で行きましょう。
Aug 16, 2020
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この世の中には、どういうわけか、自分の思い通りに生きられている人、とうのが一定数存在しています。はたから見ていてあまりにも不自然なくらい次々と夢を実現していったり、目標をスルスルと達成していったりしている人達です。何も海外のセレブのような、そういった「大成功」の仕方だけを言っているのではありません。もっと日常の生活に落とし込んだ「身近」な成功を次々と達成している人達です。みなさんも不思議に思ったことがありませんか?「あの人はなぜいつもうまくいくのだろう」と。この「運のよさ」は、本当に小さい些細な事柄から、結構大きなことまで実にいろいろです。あと、こういう人達に限って言えるのは、その「運のよさ」に支えられて彼らの目が達成されていく頻度の高さとスピードの速さです。人によってはそのスピードが尋常ではない速さなのです。普通の人が1つの目標を達成していく間に、こういった幸運な人達はもう10くらいの目標を次から次に達成していて、更にその次のステージに向かっているのです。印象としては、まるで螺旋状にグングン上昇していくような感じです。それもとにかく「楽しそう」にやってのけているわけです。努力はしているのだけれど、全く苦しそうな素振りがない。こんな人達には、当然ながら、「意味のある偶然の一致」が頻発しています。いわゆる「シンクロニシティ」というやつです。運に味方されてどんどん物事がうまく進んでいくこのような人達に起こる、この意味のある偶然の一致は、そのほとんどが本人にとって「嬉しい」情報を含んでいます。それは今まさに必要としている情報であったり、誰かからの具体的な援助であったり、それこそ臨時収入であったり、これから行おうとしてる物事を何等かの形でサポートしてくれる要素が満載の「偶然の一致」です。それも本人にとってのみ「意味のある」、他の人にとってはそれが何の意味もなさないか、または他の人が同じ偶然で同じようにうまく物事を進めようとしてもそれができないようなものです。この「意味のある偶然の一致」は、最初はとてもシンプルな形で始まります。ちょうど必要としていた情報が、たまたま手に取った雑誌に克明に書いてある(それもパッとめくって出たそのページに)とか、連絡を取ろうと思っていた人から偶然にも電話がかかってくるとか、狙っていたポジションがあなたを待ってました、とばかりにちょうど空く、とか、単発で起こるのです。その時あなたは、なぜか非常に心地よく、「正しい時に正しいことをしている感覚」になるでしょう。この単発で起こる「意味のある偶然の一致」に素直に従っていくと、今度はその頻度が更に増してきて、束になってシンクロニシティが発生し出すようになります。本当に芋ずる式に、です。それが次々に繋がっていき、やたらと幸運な出来事が増えていきます。そのうち、それが日常の些細な望みであっても、自分の具体的な目標や夢であっても、その具体的な目標を後押しするような出来事まで頻発するようになるのです。こうなってくると、その本人は一種の無敵状態に入ります。おもしろいように物事が滞りなく進み、必要なものが次々と手に入り、それをサポートしてくれる人が現れたり、行き詰っても、そこで意外なヒントが意外な場所からもたらされたりするようになります。こうして、目標が次々に達成されていく最中でも、「意味のある偶然の一致」であるシンクロニシティは更に起こり続けていきます。こうして次の目標達成に拍車がかかり、その人の幸運には更に拍車がかかっていくわけです。当然、目標達成のスピードが桁違いに上がっていきます。これを、意識的に、または無意識的にできる人達がいます。言い換えると、この「意味のある偶然の一致」を自分で発生させることができる人達です。私は彼らを「フローマスター」と名付けています。先ほども言っていますが、彼らはいずれも世界的な成功者ばかりではありません。本当に私たちの身近にいる、ごく普通の人達の中にも存在しているのです。それも、決し大勢ではありませんが、それでもある一定数いるのです。それこそ学生さんであったり、主婦の人であったり、経営者たちばかりでなく、サラリーマンである人もしますし、芸術家の人達や音楽家、有名になってくれば、それこそテレビでよくみかけるような有名人の中にもこういった人達は存在しています。彼らには共通するある特徴がありますが、これに関しては「フローマスター」のテーマで今後どんどん書いていこうと思っています。私たちには、この「フローマスター」になることを目指す価値があります。「なる」というより、フローマスターであることを「習得する」と言ったほうがいいかもしれません。ただ、ここに気を付けなければならいことがあります。こういう「運」に味方されたような人達は「2種類いる」とうことなのです。一件表面上は、どちらも同じ「フローマスター」に見えるのですが、私のようにずっと「運」について研究してきていると、「フローマスター」とは似ても似つかぬ、(残念ながら)悪魔のような存在を発見してしまうことがあります。「フローマスター」は自ら意味のある偶然の一致を引き起こすことができ、なおかつ自ら「運」をコントロールできる人達です。シンクロニシティもある種の「エネルギー」であり、彼らは「エネルギー」を自由にコントロールできる、言い換えれば「エネルギー」を自分たちで作りだしたり増幅させたりできる人達です。ですから彼らの内面や周りには非常に「善き」オーラのようなものが流れています。しかしこれと反対に、実はこの「エネルギーを奪って」自分の運の向上に充てている人達が存在しています。彼らに奪われる「エネルギー」とは、それこそ運であったり、場合によっては「能力」や「才能」であったり、健康を司る「生命エネルギー」であったり、時には「魅力」や「人気」であったりもします。要は、「エネルギーのあるところ、溢れるところから奪う」ことが日常化している人達です。こういう人達には、奪ったエネルギーにより、まるでフローマスターのように次から次へと運に味方されているような現象が起こります。「エネルギーの法則」をまだ理解していない人が端から見ていると、まったく区別がつかないのですが、実はこれは大変恐ろしいことです。こういった人達は、最近ではよく「エナジーバンパイア」などと呼ばれているようですが、その数は本当に多く、また奪っているのは「エネルギー」だけではないことがわかってきています。シンクロニシティやフローの観点からは、彼らは個人にたまたま起こる意味のある偶然の一致や、フローマスターたちが華麗に起こしているシンクロニシティの束、その場に流れている「うまくいきそうな気」や世界的に上昇しようとしている幸運を、エネルギーを奪うのと同時にことごとく破壊して塞き止めてしまいます。「フロー」にしてもそうです。「フロー」とは「流れ」という意味ですが、フローは物事が落ち着くべきところに落ち着き、様々な障害が消え去り、チャンス、時間、お金、情報といった必要なものが全て必要な時にタイミングよく手に入ったり、適切な場所で適切なことをしているという強い感覚を伴って、物事がスムーズに進みながらどんどんそのいい状態が展開していく流れのことであり、意味のある偶然の一致であるシンクロニシティが束になって発生しだして、そのままフロー状態へと展開されていきます。よく興味のある物事に没頭しているときに、時間を忘れて集中してしまい、気づいたら時間の感覚もなくなったまま、大きな成果を上げていた、それも素晴らしい満足感を伴って、ということがありますが、あれが「フロー状態」でもあります。この「フロー」を、先ほどの「エネルギーを奪う人達」はことごとく壊していきます。「奪った上で、他の善い流れを破壊していく」わけです。そうしながら多くの物、本来、誰かが自分の力と努力で正当に享受するはずだった成果、能力、満足、地位、お金、人間関係などを、ことごとく奪っていきます。「運を奪う人」は本当に傍目には凄くうまくいっているように見えます。ただ、こうしたことをずっと研究してきた私から見ると、こういう人達の「輝き方」はどこか不自然で人工的であり、お会いしてから人によって多少の時間差があっても、ほぼ100%の確率で「奪う人」であることを見抜くことができます。幸運を自らコントロールして、場合によっては関わる人までも一緒に「幸運にしてしまう」力量を備えたフローマスターたちとは、まったく正反対の生き方なわけです。「運」を研究している観点から言うと、こういう人たちが「運を奪う(エネルギーを奪う)」のを安易に許してしまうということは、本来非常に危険なことです。巷の自己啓発書やカウンセラーの方々はよく「自分も許し、相手も許そう」「許せない相手を許していきましょう」とか「許すことが自分自身の解放につながります」などと説かれています。確かに、カウンセリングの分野では、「許す」ということは自浄効果にもなり、怒りや悲しみへの執着を防ぐことができるので、心理的には大変効果的ですし、本人の気持ちは楽になります。しかし、エネルギーの動きを理解して、運をコントロールしていくという分野に限っては、「奪う人を許す」ということはご法度です。なぜなら「奪う人を許す」のは「奪う行為を許す=奪う行為を認める」ということにつながるからです。先ほども書きましたが、「許す」ということ自体はとても大切です。世界的に見ても、私たちはまだまだ「性善説」で生きている部分が多いのです。人は間違いを犯すこともあるし、誤解することもあるし、まだ実力が足りずに時が熟していなかったり、時には嫉妬したり、いろいろいな要因で、「一時的に」自分にも相手にも不本意な状況を作り出してしまうことがあるからです。でも多くの場合、思い直したり反省したりして、再び前向きに捉えるようにもなります。しかしこの「エネルギーを奪う人」に限っては底無しの状態です。私は多くの「奪う人」を見てきてその傾向がわかってきましたが、エネルギーを奪う程度の差はあれ、こういう人たちは残念ながら反省して変わることはありません。相手から「エネルギーを奪うことで何かを容易に得る」ことに慣れきってしまっており、その安楽さと欲は底無しだからです。更にやっかいなのは、自分が相手から運やエネルギーを奪っている、という自覚がありません(一部、自覚ありありで意図的にやっている場合もあるので、これはまたどこか別の記事で。)。 これを「許す」ということは、自分の貴重なエネルギーを好きなだけ搾取させて、自分の幸運をないがしろにする、ということになるのです。これは運やエネルギーを奪われる本人だけではなく、その他のフローマスターを犠牲にすることになったり、コミュニティ全体が善い運気で充満しているところに、突然運気の低迷がもたらされてあっという間に組織自体が解体してしまったりする危険性をはらんでいます。(実際に「エネルギーを奪う人」はデストロイヤー(破壊者)であったりします!彼らの利己的な搾取で、良い人間関係の環に亀裂が入ったり、優秀なプロジェクトがことごとく破壊されていたりします)運やエネルギーを奪う人達というのは、何もエネルギーで満たされているような個人ばかりを狙うわけではないからです。彼らはとにかく、エネルギーがあるところから容赦なく奪っていきます。こうした「奪う人」たちから上手に距離をとりつつ、どんどん「幸運の循環」で自分も周囲も満たしていける、本物の「フローマスター」を目指していきましょう。
Jun 6, 2020
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