酔眼教師の乱雑日記

『祝卒業 贈漢語集』



ご卒業おめでとう。一緒に「学び、遊んでもらった」二年間は一瞬だったように思います。楽しかった思い出をいっぱい作ってくれた16期生の卒業される皆さんに心から感謝します。
 ビジネスの社会は、君たちが想像しているよりも、一層厳しいものです。とくに、未曾有の100年に一度の経済不況の中、企業はますます厳しく社員に仕事の質を求め、新入社員だからと「大目に」認め、成長する時間を与えてはくれないと思います。

仕事の苦しさに逃げ出したくなることは一度ではないでしょう。その時、愚痴を言って、逃げては、人生の道は開けません。目前の課題に、自らの全知全能を傾けて、チャレンジしてください、かならず道は開けると思います。どんなに夜が暗くても、時間がたてば、朝日は昇ってきます。「朝の来ない 夜はありません」、輝かしい朝日を求めて努力してください。
 昨年は「change」を掲げたオバマ大統領が誕生し、世相を反映する1文字は「新」でありました。社会が変革の時を迎えていることの象徴的な出来事でした。これから皆さんが生きていく社会はどのようなものになっていくのでしょう、変革がなければ社会は変わりませんが、人間の思考・行動として変らない本質的なこともあります。それを、13の漢語の教訓として、卒業する皆さんに贈るとともに、これを読まれる卒業生の皆さんにも自己反省の機会としていただければ幸いです。 

(1)『石火光中、争長競短、幾何光陰。蝸牛角上、較雌論雄、許大世界』
(せつかのこうちゅうに、ちょうをあらそい たんをきそう、いくばくのこういんぞ。かぎゆうのかくじょうに、しをくらべ ゆうをろんず、きよだいのせかいぞ)
   石火(石を打ちつけたとき飛ぶ火花)にも似たこの短い人生にありながら、人はつまらないことで長短を争っている。いったいどれだけ生きられるつもりなのか。また、人はまるでカタツムリの角の上のような狭い見地に立って、優劣を競っている。そもそも、人間の住むこの地上など、いったいどれだけ大きいというのか。
(訓)広い視野で行動し、広い心をもち、人と争わないこと

(2)『出乎爾者、反乎爾者也』
(なんじにいずるものは、なんじにかえる)
あなたのなした言行は、あなたにかえる。すなわち善には善がかえり、悪には悪がかえる。
(訓)自分の行動に責任を持つこと。

(3)『學而時習之、不亦説乎』
(学びて時に之れを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや)
   一度学べば、それでわかったよう気がする。しかし、実際には、よくわかっていないものである。ところが、学んだことを折にふれて復習・練習してみると真の意味がわかってくる。体得するわけである。その体得のよろこびこそ、学ぶことの、真の喜びなのだ。
(訓)常に学んだことを生かすように心がけること。


(4)「辞達而已矣」
(已矣辞(じ)は達(たつ)のみ)
   ことばは、意思が正確に相手に達すれば十分で、やたらに飾ったり、ながながと語ることは好ましいことではないとある。
(訓)美辞麗句は必要ない、素直な言葉で話すこと

(5)『夭夭如也』
(ようようじょたり)
おだやかに笑みをたたえてまことに美しい、桃の花のようだ
(訓)常に笑顔をたたえること。

(6)『楽在常』
(楽しみは常にあり)
楽しいと思う物事は、常に自分自身の中にある。たとえ今は苦しくともその中には既に楽しみが内在し芽生えている。苦と楽はとは一枚の銅貨の裏表である。楽しみは我が手中にあり、と思えば、人生もまんざらではない。
(訓)愚痴を言わないこと。

(7)『苟日新 日日新 又日新』
(苟(まこと)に日に新たに、日々に新に、また日に新たなり)
今日の行いはきのうよりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくなるように修養を心がけねばならない。
(訓)日々新たな気持ちで、チャレンジすること。

(8)『未爲一簀 止吾止也』
(未だ一簀(いつき)をなさずして、止むは吾が止むなり)
 あとわずか一かごの土を盛れば山が出来るという場合でも、中止して功をなしとげなければ、その責任は自らの努力の不足にある
(訓)途中で諦めないこと、仕事は全うすること。

(9)『退歩即進 歩的張本』
(歩を退くるは、即ち歩を進むるの張本なり)
一歩退くことが、実は自分を一歩進める根本である。
(訓)前進することのみ考えず、時には退く大切さを知ること。

(10)『落葉花開自有時』
(葉落ち花開くおのずから時あり)
 秋に葉が落ち春に花が開く、自然の理法はその時をきちんと決めている。それと同じように、人間の場合も、時節や因縁が整わないうちは芽が出ず努力が実を結ばないけれど、それらが熟せば必ず花が開くから、その時を待って無心に地道に積み重ねることが大切であること。
  『非無安居也、我無安心也』
(あんきょなきにあらず、われにあんしんなきなり)
   安心している場所がないわけではない。安んじる心がないから安居がないのである。安心、満足があれば、いかなる境遇でも安居はあるはずだ。
(訓)自然の摂理(時の流れ)に掉さして、無理をしないこと。

(11) 『閑日』
(かんじつを楽しむ)
 字の如く、のどかで静かな日。情報社会となり、世界が縮小され、時間も縮小された科学技術文明という鎧を着せられた現代人には、自我を開放する時間が必要である。心をゆったりと開いて、自己の本源を自省するには、無為自然の『閑日』が必要である。
(訓)仕事は忙しい、のんびりする時間をつくること

(12)『内無賢父兄 外無嚴師友 而能有成者少矣』
   (内に賢父兄なく、外に嚴師友無くして、能く成ることある者少なし)
たまには、説教されに遊びに来ること(素直に意見を聞ける人を作りなさい)。
人間には、りこうな父兄、あるいは厳格な師友が必要である。内に賢父兄がなく、外に厳師友がなくては、そこで成功することは少ないものである。
(訓)たまには、説教されに遊びに来ること(素直に意見を聞ける人を作りなさい)。

(13)『士別三日、即當刮目相待』
(士別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし)
有為の人物というものは、別れて三日のちに会ったときには、目をこすって見直さなければならない、必ず進歩しているものだ
(訓)成長した姿を、時には見せに来ること


最後に大好きな漢語1つ

『黙々行吾道』


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