アラフィフおやじの温泉やITや中国や道の駅のブログ

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2012年1月佐賀&長崎雲仙遠征


2012年1月佐賀&長崎雲仙遠征



三連休の土日を使って佐賀・長崎方面に一泊で行ってきました。47都道府県のうち未踏の地として残っているあと2件のうちのひとつ、佐賀県を踏破することが最大目的でしたが、そのほかにも前から行ってみたかった長崎・雲仙温泉で一泊、またかつてよく報道された諫早湾干拓事業の水門と一体化した堤防道路や、最近の九電の不祥事でよく名前が出る玄海原発、そのすぐ近く、秀吉が朝鮮出兵した際の居城になった肥前名護屋城跡などいろいろ行ってきました。

1羽田空港の日の出6:11

最近このパターンが多くなりましたが、前日は羽田近辺のビジネスホテルで前泊。朝7時10分の佐賀行きの便に乗ります。6:11、羽田空港の日の出前。

2無料WiFi6:47

6:47、無料WiFiを試しながら搭乗待ち。

3有明佐賀空港9:23

9:23、有明佐賀空港到着。着陸直前に有明海に見えた海苔養殖と思われる整然と並ぶ杭の群れは壮観でした。

4春秋航空が佐賀にも9:23

もうすぐ中国のLCC、春秋航空が佐賀にもやってくるようです。最低価格3000円!このあと予約したレンタカーに乗り、一路唐津方面へ。この日は久しぶりに軽に乗りましたが、最近の軽はアイドリングストップするエコなやつもあるんですね。

5虹の松原11:08

11:08、唐津の海外線に沿って松の木が大量に並ぶ虹の松原の中を快走。

6虹の松原11:09

いい感じ。

7虹の松原11:15

11:15、虹の松原を海側から。ここの砂浜もとても美しいです。

8虹の松原11:15

高島という島です。私は高島平。。

9虹の松原11:16

この寒いのに人が。。

10唐津城11:24

11:24、海の松原からも近い、海岸沿いにある唐津城です。

11唐津城11:25

ちょっと引いてみました。先を急ぐのでここは外からだけ。

12呼子大橋12:05

12:05、玄界灘を望む呼子(よぶこ)まで来ました。写真は加部島との間を結ぶ呼子大橋。

13呼子といえばイカ12:08

呼子といえばイカということをこの前知ったので、港の横のイカの店に入りました。ちょっと高いですが折角なのでこの活き造り定食いきます。

14イカ活き造り12:16

12:16、来ました!イカはそれほど好きというわけではないですが、イカしてますね、この透明さ。

15動くイカ12:16

写真がぶれたのはイカが生きているからです。店によってはゲソをそのまま踊り食いさせるところもあるとか。

16イカしゅうまい12:29

こちらはイカしゅうまい1。 17イカの天ぷら12:31

先ほどのゲソが天ぷらになって出てきました。満足。

18河太郎12:45

12:45、河太郎という店でした。結構有名店のようで、私の入ったあとくらいから列ができていました。まだイカは続く。。



佐賀&長崎遠征その2です。呼子のイカの続きから。

19イカ12:49

イカの活き造りを食べたすぐ近くにある道の駅のような市場で泳ぐイカ。

20呼子台場みなとプラザ12:50

呼子台場みなとプラザというところです。打っている魚介類をこの場で調理してもらって食事もできるしくみ。

21呼子台場みなとプラザ12:51

12:51、呼子台場みなとプラザを出発、次の目的地へ。

22道の駅桃山天下市13:03

13:03、道の駅桃山天下市です。

23道の駅桃山天下市13:04

今このあたりにいます。

24道の駅桃山天下市13:04

この道の駅に戦国武将ののぼりがどうしてはためいているかというと・・

25名護屋城跡13:14

13:14、名護屋城跡に来ました。ここは豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に居城を置いた肥前名護屋城があったところです。先ほどののぼりに名前のあった武将の陣がこの周囲に点在しているわけです。当時、この城は大阪城に次ぐ巨大な規模だったとのこと。

26名護屋城博物館13:14

まずは名護屋城博物館に入ってみます。無料です。かなり立派な建物。

27名護屋城博物館13:17

当時の名護屋城のジオラマ。

28名護屋城博物館13:17

確かに巨大な敷地だったようです。文禄・慶長の役は1500年代末ですが、その当時よくこんなものが造れたものです。

29名護屋城博物館13:19

秀吉の像。撮影禁止だったようなので、かなり遠目から望遠で撮りました。。

30名護屋城博物館13:20

こちらも同様。教科書で見たことがあるような。。

31名護屋城跡13:25

13:25、名護屋城跡に向かいます。

32名護屋城跡13:26

城は徳川家康が関ヶ原後に実権を掌握してからすぐ破壊されたそうですが、敷地の広さはなかなかのものです。

33名護屋城跡13:26

石垣はそのまま残っています。

34名護屋城跡13:27

場所はこのあたり。

35名護屋城跡13:27

詳しい説明はこちらを。

36名護屋城跡13:28

37名護屋城跡13:29

太閤道とは秀吉が通った道でしょうか。このあと本丸跡に上ります。

38名護屋城跡13:29

39名護屋城跡から呼子大橋13:31

13:31、本丸に上る途中から見えた呼子大橋。先ほどイカを食べたのは橋の右側あたり。まだまだ続く名護屋城跡。。



佐賀&長崎遠征その3です。肥前名護屋城跡の続き。

40名護屋城跡13:34

13:34、名護屋城・天守台があった一番高いところまで来ました。

41名護屋城跡13:35

これです。

42名護屋城跡13:35

天守台跡から北の方角。きっと豊臣秀吉はここから朝鮮方向を眺めて大陸侵攻の夢を描いたことでしょう。。

43名護屋城跡から呼子大橋13:36

再び呼子大橋の方向。

44名護屋城跡から遠くの島々13:36

この先の方に対馬、そして朝鮮半島があるわけです。

45名護屋城跡から遠くの島々13:36

アップにしてみました。ちなみに秀吉の朝鮮出兵から300年遡ると、逆に蒙古軍が攻めてきた来た元寇があったわけですが、その上陸地もこのあたりから意外と近くにあります。この近くの鷹島という島には「モンゴル村」というテーマパークもあったりします。

46名護屋城跡13:36

47名護屋城跡13:37

名護屋城天守台跡、とあります。しかし、改めてこんなところに巨大な城を造ったものだと感心しつつ、次の目的地へ。

48玄海エネルギーパーク13:57

13:57、次は玄海エネルギーパーク。隣接する玄海原発の広報用施設。1か月前は愛媛県の伊方原発の同様の施設にも行きましたが、原発関連施設は新潟の柏崎刈羽、茨城東海村の旧JCOの施設なども見学しております。。

49玄海エネルギーパーク14:00

実物大の原子炉の模型。

50玄海エネルギーパーク14:00

51玄海エネルギーパーク14:03

実物大の原子炉模型を囲む螺旋階段状の展示スペース。

52玄海エネルギーパーク14:04

制御棒と燃料棒です。

53玄海原発14:07

最上階にある展望台から玄海原発。奥にあるのが本物の原子炉で1~4号機があります。九電の不祥事でさらにここの名前が知れ渡ったわけです。

54玄海エネルギーパークから14:07

右側には風力発電も。

55玄海エネルギーパーク14:09

1~4号機の説明。この周辺、原発のある玄海町以外はすべて市町村合併で唐津市になってしまいましたが、柏崎刈羽原発のある刈羽村も合併されずに周囲を柏崎市に囲まれていたりするように、やはり交付金のメリットが大きいんでしょうね。

このあとは再び南下、宿泊予定の長崎・雲仙方面に一気に向かいます。

56本牟田部駅14:57

14:57、JR唐津線の本牟田部駅通過。呼子方面の行き帰りにここを通過しましたが、なにか風情を感じるローカルな駅だったので思わず一枚。

57川登SA15:32

その後長崎自動車道に乗り、15:32、途中の川登SAで一服。雲仙まではまだあと1時間半くらいの距離。。



佐賀&長崎遠征その4です。雲仙に向けて長崎道を南下中。。

58大村湾PA15:55

15:55、大村湾に面した大村湾PA。

59大村湾PA15:55

南国のような雰囲気ですが、とても寒かったです。ちなみに長崎空港はこの左奥の方の海の上。

60大村湾PA15:55

こちらはPAの建物。

61九州ホテル17:29

そして17:29、予約していた雲仙の九州ホテルに到着。これは部屋からの眺め。温泉が湧く雲仙地獄のすぐ隣にあります。

62九州ホテル17:31

このホテルは大正時代創業の100年を超す由緒あるところ。開業当初は外国人のリゾート客が中心だったそうな。雲仙自体も最初の国立公園だったそうで国際観光地としてのさきがけだったようです。ホテルの名前もきっと九州で第1号のホテル、ということで「九州ホテル」っていうんでしょうね。高そうに見えますが、じゃらんで意外と安く泊まれました。

63雲仙地獄17:31

17:31、隣の雲仙地獄に来ました。ものすごい蒸気です。硫黄の匂いもしてきます。ちなみに、もともとは「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいたとのこと。「雲仙」とはある意味「ザ・温泉」といったような意味なんですねえ。

64雲仙地獄17:32

前が見えないほどもうもうとしています。

65雲仙地獄17:33

「○○地獄」という名前のついた場所がいくつかあります。

66雲仙地獄17:33

地獄を一周してみることにしました。

67雲仙地獄17:34

68雲仙地獄17:36

69雲仙地獄17:36

70雲仙地獄17:38

壮観です。上から見下ろしている位置にいますが、左が九州ホテル。

71雲仙地獄17:40

いくつも「地獄」は見てきましたが、ここほど建物が隣接しているところは初めてかも。

72噴火まんじゅう18:49

その後、ホテルの温泉を満喫。酸性の強いいいお湯でございました。あとで地獄側から移したホテルの露天風呂の写真も出てきます。こちらは18:49、風呂上りに売店で見かけた噴火まんじゅう。飛行機には持ち込めないそうです。。

73もみじ豚コース19:35

19:35、ここからは晩飯。予約したときに「もみじ豚コース」というのを頼みました。これは前菜。

74もみじ豚コース19:45

島原の豚ブランド「もみじ豚」の逸品が続きます。

75もみじ豚コース19:58

76もみじ豚コース20:03

77もみじ豚コース20:13

78もみじ豚コース20:24

これが最後。ちょっと食べすぎ。。

79もみじ豚コース20:30

20:30、もみじ豚コース終了。こちらがメニュー。食べすぎたので、運動がてらちょっと夜の地獄を見に外に出ることにしました。。



佐賀&長崎遠征その5です。土曜のホテルでの夕食のあとから。

80雲仙地獄20:49

20:49、夜の雲仙地獄です。相変わらずすごい蒸気。左側は道路ですが、車の姿も霞んでみえます。

81露天風呂20:49

道路側から九州ホテルの露天風呂。露天風呂と地獄は塀で隔てられていますが、露天風呂側に一段高くなっているところがあって、そこから雲仙地獄が目の前に見える絶景。私もそこに何度か立って地獄の迫力を味わいました。

82朝の雲仙地獄7:49

さて、ここからは日曜。朝風呂のあと、再び7:49、朝の雲仙地獄にやってきました。

83朝の雲仙地獄7:49

相変わらず激しい蒸気。硫黄臭に窒息するのではないかと思いながら、蒸気の中を突き抜けます。

84朝の雲仙地獄7:50

九州ホテルの露天風呂方向。

85朝の雲仙地獄7:50

なんだかよくわかりません。

86朝の雲仙地獄7:51

ホテルが霞んでます。

87朝の雲仙地獄7:51

雲仙地獄の迫力、堪能させていただきました。

88朝食8:09

8:09、ホテルの朝飯です。和食膳を選択。

89朝食8:11

箱膳です。

90朝食8:11

島原地鶏のひつまぶし風。また食べすぎ。。

91ホテル出発8:53

8:53、ホテル出発前に部屋から雲仙地獄を見おさめ。

92今ここ8:57

ちなみにここにいます(青い点のところ)。今からほぼ真東の方向の島原市方向へ。

93俵石展望所9:33

9:33、山を下りる途中の俵石展望所というところ。ここは南島原市。

94俵石展望所からたぶん天草方向9:33

俵石展望所からたぶん天草方向です。

95雲仙岳災害記念館から雲仙岳9:52

9:52、雲仙岳が正面にどんと見える雲仙岳災害記念館に到着。ここは1991年に火砕流で多くの被害者を出したあの雲仙普賢岳の災害を記念した記念館なわけです。

96雲仙岳9:52

普賢岳の噴火で、今は普賢岳より高い平成新山という頂が増えています。

97雲仙岳災害記念館9:53

こちらが雲仙岳災害記念館、通称「がまだすドーム」。「がまだす」とは地元の言葉で「がんばれ」という意味だそうな。ちなみにこの建物の向こうはすぐ海。

98雲仙岳災害記念館9:54

この周辺一帯が自然の博物館ということなのでしょう。実際、周辺にはかつて火砕流や土石流に襲われた家々や学校などがそのまま保存されています。また、このあたりは「世界ジオパーク」の日本認定第一号にもなっているということです。

99雲仙岳災害記念館10:05

記念館の中には、91年当時の火砕流に襲われた町が復元されています。

100雲仙岳災害記念館10:10

こちらは火砕流に巻き込まれて亡くなった日本テレビのカメラマンの方が最後まで回していたカメラ。火砕流の激しさを彷彿とさせます。このあたりは元々火山活動が活発なところですが、普賢岳の災害より遡ること数百年、島原市にある眉山という山が大崩壊して津波が起き、対岸の熊本まで被害を及ぼしたことなどもあったそうです。日本は昔から大災害と隣り合わせで生きてきた国であることを改めて認識させられます。。



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