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昨年のこの連休は越後湯沢に日帰り弾丸遠征して雪を見てきました。今年もどこかへ雪を見に行こうということで、越後湯沢の先、糸魚川まで一泊で行ってきました。現在の北陸方面への短絡ルートは、越後湯沢で北越急行ほくほく線を経由する特急はくたかが使われていますが、3月14日に北陸新幹線が金沢まで開通すると、このルートは使われなくなって単なる3セクのローカル線になり、はくたかという名前も北陸新幹線の各駅停車タイプの列車に譲られることになります。その前に一度ほくほく線ルートに乗っておこうというのと雪見を兼ねて速攻で行ってきました。越後湯沢で特急はくたかに接続。大清水トンネルを抜けるとこの時期本当に景色が変わりますね。はくたか金沢行き。あと2ヶ月で見られなくなります。せっかくなのでほくほく弁当。お米はコシヒカリ。雪壁に感動。六日町の手前あたり。雪雲なのか低い雲がたなびく独特の風景。上越線から分かれてほくほく線の単線に入ったあたり。ほくほく線は山間部の豪雪地帯をトンネルで通過する高規格の直線の多いルートです。一部区間では160kmという在来線では最高レベルの速度。北陸新幹線開通であまり使われなくなってしまうのが残念です。北陸方面でも直江津とか場所によっては今の方が便利なのでは。飯山線の十日町を越えて信濃川を渡るあたり。このあたり結構吹雪いてました。虫川大杉という駅で反対方向の列車と入れ替えでごく短時間停車。ほくほく線ルートを抜けて北陸本線に合流、日本海が見えるあたりに。直江津駅到着。ここは上越市の中心的な場所のひとつですが、新幹線の駅はここからやや遠い上越妙高というところになります。日本海です。これも。糸魚川駅到着。大宮から2時間ちょっとくらい。糸魚川はヒスイとフォッサマグナが売り。北側の出口は「日本海口」。200mくらいあると日本海に到達。糸魚川駅は今後新幹線駅で最も日本海に近いというのが売りになるようです。雨が結構降っていましたが、所々深い青色がきれい。ここです。糸魚川は糸魚川静岡構造線の北端。北米プレートとユーラシアプレートの境目でもあり、日本で何か所か指定されている「ジオパーク」も売り。ヒスイが古代から産出されているのもそういう背景から。あの展望台は現在立ち入り禁止でした。本当はこのあと市内を回る100円バスに乗って「フォッサマグナミュージアム」に行こうと思っていましたが、改修中のため3月半ばまで休館であることが判明。新幹線開通に合わせて大幅改修されるようです。なので、時間調整のため、売り出し中の糸魚川のB級グルメ「ブラックやきそば」で一服。黒いのはイカスミ。糸魚川駅から大糸線に一駅乗って姫川駅で下車。この日はちょっと暖かく、糸魚川は雨でした。今回は鉄ちゃんで貫徹。。駅の右側には数年前に破たんしたという姫川病院というのが廃墟のように佇んでいます。通院する人向けに30年くらい前に作ったこのあたりでは新しい駅にも関わらず、寂しい状況になっています。この先、大糸線は白馬や信濃大町方面までつながっていますが、直通電車はなく、JR西日本管轄区間である南小谷まで行く列車しか走っていません。姫川駅から徒歩数分のホテル国富アネックスというところに投宿。ここは97度という高い源泉が湧出しています。ここは露天風呂でなく湧出のみですが、周りには特に何もないのでホテルの露天風呂でまったりさせていただきました。。ホテルの横を流れる姫川。夕食のコース。今回は「ひとり旅プラン」を予約。寒鰤のあぶり。このあたりの特産らしいアンコウの鍋。卵がたくさん入ってました。続く。
2015.01.12
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。Facebookですでにアップしたものもありますが、間もなくまる9年になるブログの方もお出かけネタ中心に更新していきますので、良かったらお付き合いください。2日、毎年の恒例になったほったらかし温泉へ。途中の談合坂SAの景色。11時前にほったらかし温泉到着。少し雲がかかっていますが富士山ばっちり。去年はこっちの湯だったので、今年はあっちの湯で温泉初め。風呂上がりの富士山。そして甲府盆地。山梨といえばこれ。ほったらかし温泉のアウトドアの席でほうとうをいただきました。ほったらかし温泉は相当儲かっているのか、毎年施設がどんどんよくなっていくような気がします。ただ、ほったらかし感は変わりませんが。帰路は大菩薩ライン~奥多摩経由で。途中の柳沢峠からの富士山。このあたりマイナス5度くらいになっていました。道路が一部凍結しているところがあったので慎重に運転。。帰路の奥多摩湖。ここからは今日。まず毎年初詣に行っている近くの東京大仏・乗蓮寺に行きましたが、スマホの電池が切れていたので写真なし。その後その代わりといってはなんですが、川越大師・喜多院へ。ここは一度来たことがありますが、それは学生時代なのでほぼ30年前。やはり有名なところは3が日だとすごい人出ですね。お参りは先ほどの東京大仏でやったので、並ぶのはやめてここは見るだけ。川越は周辺の日帰り温泉にはよく行きますが、商店街など駅周辺には来たことが全然ありませんでした。小江戸といわれるだけあって、観光地化もうまく行われていてなかなか面白いところだと改めて思いました。帰りの富士見市あたりの周囲一面田んぼのところからの夕陽。肉眼では夕陽の左側に富士山がばっちり見えているんですが失敗。今年もチャレンジングな年になりそうです。2015年が皆様にとって楽しい一年でありますように。。
2015.01.03
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2014年温泉遠征レポート総集編(2)です。今年の夏休みはクロアチアのドゥブロブニクを中心に旧ユーゴ、イタリアなどを回りました。往路はフランクフルト経由でしたが、乗継時間を使ってフランクフルトからほど近いヴィースバーデンという温泉地へ。写真は源泉。行き先はここ、Kaiser Friedrich Thermeという日帰り施設。大きなローマ風浴槽や各種サウナが充実していました。ドゥブロブニクといえばこの景色。アドリア海の真珠。城壁の中。プラツァ通り。城壁の上を一周。アドリア海に映える旧市街。ボスニア・ヘルツェゴビナへの日帰りツアーにも。途中のボスニア唯一の港があるネウム。ボスニアの古都モスタルのスターリモスト。内戦で破壊されましたが復活。翌日はモンテネグロへ。古都コトルの手前の絶景。コトル旧市街も素晴らしかったです。保養地ブドヴァの海岸もよかったです。ちなみに、このあとドゥブロブニクに戻ったあと、夜旧市街の雑踏でパスポートをすられました。が、奇跡的に翌日無傷で戻って来ました(詳しくは是非本編をご覧ください)。今年はスマホを失くしても見つかり、パスポートを盗まれてもすぐ帰ってくるという幸運があったいい年でした。まだ捨てたもんじゃなさそうです。帰路はローマで2泊。バチカンのサンピエトロ大聖堂に行き、行った国もさらに増えて50になりました。サンピエトロ大聖堂の内部。ほかにもコロッセオとかスペイン広場とかバチカン博物館とかにも行き、ローマを堪能。温泉に行けなかったのは残念。9月には仕事の取材も兼ねて台湾へ。初めて台湾の「新幹線」に乗車。宿泊先は北投温泉。温泉博物館。ここも日本統治時代は温泉だったところ。瀧乃湯はまるで日本の共同浴場そのもの。昔にタイムスリップしたよう。泊まったホテルには個室温泉。最後に北投公園露天風呂で大満足。11月には47都道府県のうち唯一未踏だった宮崎県へ。往路は鹿児島空港から霧島温泉郷の奥の方にある新湯温泉。ここは昨年噴火した新燃岳のふもと。霧島神宮にも立ち寄り。宮崎県南端の都井岬へ。これで47都道府県制覇。。宮崎の西都市・高屋温泉で宿泊。鯉料理に舌鼓。西都原古墳群も印象的でした。高千穂の手前、廃止になった高千穂鉄道の日之影温泉駅の駅舎にある日帰り温泉。天岩戸神社と天安河原ではパワーをもらいました。高千穂温泉に入ったあと、高千穂名物の夜神楽を少々見物。紅葉の高千穂峡に感動しました。八丁原地熱発電所もナイスでした。その近くの筋湯温泉・うたせ湯も良かったです。12月は久しぶりに富士山を近くで見たくなったので、忍野八海へ。山中湖近くの石割の湯にも行きました。台湾への小規模社内旅行の往路、独自で沖縄へ。辺野古を直接見に行ってきました。ブセナビーチの海中展望塔にも感動。今回の台湾で行った九份はとても良いところでした。今年は近場の日帰り温泉を含めても訪問温泉数は72と最近では最も少なくなってしまいました。来年は新たな目標を決めて、仕事もプライベートも現場主義にさらに徹したいと思います。来年が皆様にとって幸せな一年でありますように。。
2014.12.31
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2014年もあと少し。大晦日ということで今年の温泉遠征レポート総集編。。2014年の温泉もほったらかし温泉からでした。たぶん明後日行くと思います。ほったらかしの後に行ったぶどうの丘・天空の湯から見下ろす甲府盆地も秀逸でした。1月の三連休は思い付きで越後湯沢に新幹線で日帰り弾丸遠征。この景色が見えるコマクサの湯で雪見温泉。「いなもと」という温泉旅館でも雪見。越後湯沢駅のエキナカにあるぽんしゅ館併設の酒風呂で弾丸遠征をしめました。温泉ではないですが、3月に行った町田リス園のリス200匹には圧倒されました。。3月は外房に新しくできた道の駅和田浦WA・O!へ。ここはかつての捕鯨基地。養老温泉のごりやくの湯。この日は房総を走るローカル線の駅もまわりました。GWは短期間ながら2年ぶりに東北振興遠征。名取市閖上湊神社からの様子。山形側蔵王に回り、新左衛門の湯。酸性度の強い白濁した最高品質のお湯。蔵王エコーラインの雪壁は印象的でした。ここは中に入らなかったですが、宮城側・遠刈田温泉の神の湯。その近くの鯉のぼりの群れは見事でした。かつて伊達政宗が拓いたという青根温泉不忘閣は秘湯感たっぷりのいい雰囲気でした。伊達政宗が泊まったという部屋などを含め、宿泊者向けに楼閣ツアーが開催される由緒ある宿でした。原発事故の避難地域の周辺を通過したあと、栃木の板室温泉で宿泊。那須の山奥にある北温泉に久しぶりに立ち寄り。ここはテルマエ・ロマエのロケも行われてかなりメジャーになったようです。相変わらずいい雰囲気といいお湯でした。GWのしめは那須の共同浴場、鹿の湯。ここの温度別に分かれた湯船は私のツボに入ります。6月は思い立って栃木県の大谷資料館へ。ここはかつて大谷石の採掘場だったところ。帰りには道の駅うつのみや・ろまんちっく村にある日帰り温泉・湯処あぐりで一服。あと、6月には韓国・プサンへ。この1か月前に仕事でプサンに出張したとき、スマホをタクシーに忘れてきてしまい、ここの警察に預かってもらっていました。スマホを回収しにきただけだともったいないので、プサンの東莱(トンネ)温泉にある虚心庁(ホシムチョン)という大型日帰り温泉施設に行ってきました。さらに高速鉄道(KTX)に乗って古都・キョンジュ(慶州)にも行ってきました。プサンからは高速船で福岡へというルートで帰ってきました。6月末には群馬の倉渕温泉・長寿の湯へ軽く日帰り。帰りには高崎の白衣大観音にも。7月の連休は八ッ場ダムにもうすぐ沈む川原湯温泉へ。写真はすでに営業終了した旧・王湯。 こちらは高台に移転して開業したばかりの新・王湯。万座温泉の万座プリンスホテルの露天風呂にも立ち寄り。今年は万座は一回しか行けず残念。志賀高原の山奥、発哺温泉のサンシャイン志賀という旅館で一泊。翌日はJR最高地点の野辺山駅にも。総集編(2)へ続く。。
2014.12.31
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沖縄&台湾レポートその4、淡水から士林夜市へ。9月にも来た士林夜市です。今回も大混雑。地下の屋台街で今回もここの定番、カキ入りオムレツと麺で夕食。店の人のてきぱきした仕事ぶりにまた感動。このあと、士林のマッサージ屋でこの夜は全身マッサージ60分。地元の台湾人の感覚では、マッサージは台湾発祥でなく、大陸発祥であまり関心ないとも。観光客向けに最近増えたという印象だそうです。確かにそんな気はしますね。ここからは最終日、22日(月)。再び台北から那覇経由で東京へ戻りますが、那覇行きの便は7時発なので、3時過ぎに起きて4時ごろにはホテル出発という早さ。。1時間弱で桃園空港に5時前に到着。深夜便もあるので意外と人はいますね。那覇までは1時間くらい。那覇でのイミグレーションはなんともありませんでしたが、その後の税関ではあれこれいろいろと聞かれ、リュックの中まで奥深く手を突っ込まれました。日本人が沖縄経由のみで台湾から日本に帰るというパターンはあまりなさそうなのと、私の風貌から確実に怪しい運び人と思われたのでしょう。ある意味納得です。しかし、この沖縄経由台湾というルートは、私が前から注目している国境周辺内外観光パック?という新しい分野としてもっと観光ルートとして関心をもたれてもよいと思うのですが。対馬・プサンとか、稚内・サハリンとかそういう組み合わせです。「地方創生」にもつながるし、他国ではこういう国境交流活性化などはよくある話なんですがね。ちなみに、今回は石垣~台北というルートも台湾へのルートとして候補に考えました。で、那覇空港で3時間くらい乗継待ち。帰りもストップオーバーしてもよかったかも。沖縄そばでランチ。帰路の羽田便は左舷窓側席を予約しました。途中までは雲海が厚く広がる景色でした。途中から雲がなくなり、富士山が見えてきました。沖縄からのフライトは陸から結構離れたルートを飛びますが、遠目の俯瞰の中に富士山とその周辺が地図を見ているように見えて感動です。手前は駿河湾と三保の松原のところ、右側に伊豆半島がくっきり。伊豆半島のくびれのところもくっきり。伊豆半島全体を完全に見たのは初めてかも。去年の今頃行った伊豆の松崎あたりが真下に。肉眼では富士山がもっと真ん中にどんと見えている感じ。さらに伊豆半島南側を回る感じで東へ。眼下には下田。伊豆大島が丸ごとはっきり。三原山の火口もこんなにくっきり見たのは初めてかも。数年前にあそこの火口の近くの温泉に行ったなあと思い出しながら。。大島と富士山。房総半島南端の東側、千倉のあたり。ここからも富士山がくっきり。さらに房総沖で左旋回して北東側から羽田に入るルートへ。最後まで飽きさせない沖縄&台湾遠征でございました。。
2014.12.29
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沖縄・台湾遠征レポートその3。台湾・九份の続きから。日本統治時代に建てられたものと思われる小ぶりの映画館。今は博物館的になっているようですが。昔の映画館そのもの。昔の映写機。売店はまるで日本。中国語ですが森永のキャラメルも。炭鉱町の往時を感じさせるところです。もともとは昭和9年に造られたという説明がありますね。日本でも炭鉱が盛んなころは、街中よりずっと炭鉱町のほうが栄えていたなんてことは普通にありましたし。しかし、いいですね、この台湾の雰囲気。。再び海の方向。かつての鉱夫を描いた壁画。いい感じの街並みですね。日本の田舎みたい。「五番坑」の跡に来ました。QRコードでガイドが聞けたりします。九份といえばこれ、というぜんざいで一服。九份を出て山を一気に下ると、途中にこのような滝が。「黄金の滝」というようです。そして、その近くにはかつて鉱山の製錬をしていたと思われる廃墟群。廃墟マニアにもたまらないところです。このあと九份から再び市内に戻り、故宮博物院へ。ここで同行者の友人とはお別れ。大変お世話になりました。故宮博物院はたぶん3回目。最近は大陸の中国人が大挙してここに来るようになったようです。地元の台湾人はあまり来なくなったのかも。中華歴代王朝の「三種の神器」である宝物の大半が台湾にあるということを改めて大陸の中国人がここにきて知るとどう思うんでしょう。台湾が独立できない理由のひとつもこういうところにあるのでしょう。とはいうものの、そういうことを言ったらエジプトのロゼッタストーンとかはロンドンの大英博物館にありますし、あまり深く考える必要もないのかも。博物院内は撮影禁止。WiFiはここでも行けますね。この後1時間少々見学。先般、日本で公開された翡翠の白菜のところは黒山の人だかりでした。その後故宮から淡水へ。淡水河沿いの屋台街で軽食。こちらが屋台街。こんなものを食べながら。道教の寺院に入ってみました。電飾が美しいです。外観はこんな感じ。鶏肉のソーセージ。淡水河・金色水岸の夜景。なかなか悪くないです。このあと淡水から再び市内へ。9月に宿泊した北投温泉の近くを通過。。
2014.12.29
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沖縄・台湾遠征その2。20日(土)、那覇から台北へ。那覇空港にあったプリペイドSIMカードの自動販売機。SONETのものですが、まだあまり他の空港でも見たことないような気もします。この日、朝の沖縄は大雨でしたが、空港の展望デッキから一枚。空港内でやっていた沖縄の歴史展示。この後10時台のEVA航空で台北へ。台北桃園空港着。台湾は9月以来3カ月ぶり。写真は空港内のプリペイドSIM売り場。主要キャリアのブースが並んでいます。今回も台湾高鐵で桃園から台北へ。今回も板橋駅に感動します。台北駅で先発同行者と落ち合い、駅前近くの店でランチ。周辺はこんなところ。右側に無印良品があったり、左に銀座ラーメンとかあるので言われないとどこだかわからんですよね。この後同行者とは別れ、ホテルにチェックイン。ホテルは市内から結構離れた深杭というところのホテルでした。一休みしてホテル周辺の景色。このあたりは豆腐料理で有名とか。再び市内で同行者及びその友人と夕食のためタクシーで台北101方面へ。台湾のタクシーもカーナビ付きが多くなりましたね。少々早く着いたので台湾101周辺を散策。新光三越という巨大なモール。このあとこの中の店で晩飯。クリスマス前の土曜日ということもあり、多くの人でごった返していました。。夕食後、台北の原宿ともいわれる西門町へ。この建物は日本統治時代からあった劇場を復元したものかと。西門町の風景。この付近で足裏マッサージをしてこの日は終了。ここからは台北2日目の21日(日)。生憎の雨でしたが、同行者の友人が車を出してくれたので、九份に行くことになりました。九份はかつて日本統治時代以降、金鉱で栄えたところですが、その後廃れたものの、台湾の2・28事件を描いた映画「非情城市」で登場してから観光地として復興、さらには「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったという話もあり、人気のスポットとなったところです。ただ、あまり交通の便がよくなく、自力で行くには面倒くさそうだったので、車で行けてラッキーでした。車があれば市内から高速で1時間もあれば着くところです。山の中です。海が見下ろせる絶景。台湾では日本語の説明も充実。セブンイレブンの横の道を入っていきます。この狭い商店街を抜けると九份の中心部。九份といえばここという有名な茶楼で一服。お茶のメニュー。茶菓子のメニュー。味があります。らくがんとミルク粉をまぶした梅。店員がお作法を教えてくれます。周囲には日本人観光客も大勢いましたが、日本人が惹かれるものが台湾にはたくさんありますね。茶館を出て再び散策。。
2014.12.27
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一週間経ってしまいましたが、先週の沖縄・台湾遠征レポート。台湾は小規模社員旅行も兼ねていましたが、せっかくなので私は那覇経由で行くことにしました。19日(金)羽田近くの東横インからの早朝の景色。9時台の那覇行きに搭乗。あらかじめ右舷窓側席をとっていたので、富士山ばっちり。FlightRadarというアプリで飛行ルートを研究するようになってから富士山ばっちりの確度が上がりました。沖縄は2006年に台北の帰りに一泊して以来8年ぶり。今回も往路であること以外はほぼ同じよう亜行動パターン。那覇空港で予約していたレンタカーに乗り換え、沖縄自動車道を北上。途中の伊芸SAで一服。SAから沖縄の海。ラフテー定食でランチ。今回の目的地はここ、名護市辺野古です。報道で頻繁に出てきますが、一度現地に行ってみたいと思っていました。真ん中の看板の上にも書いてありますが、この先に「辺野古社交街」というエリアがあります。普天間飛行場の代替候補地になっている辺野古崎はこの左側の方角。キャンプシュワブという米軍基地があるので見ることはできません。このエリアはかつてキャンプシュワブの米兵で賑わっていたそうで、米軍将校?の名前をとってアップルタウンとも言われていたとのこと。地元ではここにモールを作って再開発する構想もあるようです。しかし、様々な動きに翻弄されて進んでいる印象はないような。。ここも原発立地地域と同じような問題を感じます。。キャンプシュワブとの境界と思われる鉄柵。ここは辺野古交差点。社交街にある看板。平日の昼前ということもありますが、ちょっと閑散とした感じ。このあとキャンプシュワブのゲート前を通過しましたが、付近では少人数の抗議デモが行われていました。ごく短時間の訪問ですが、いろいろ考えさせられます。その後道の駅許田へ。沖縄の道の駅は独特な特産品が多いので楽しいですね。さらにブセナビーチというところに来ました。ここにある海中公園が目的地。ブセナリゾート。ビーチの横を歩いて海中公園へ。美しい砂浜と青い海。あの船に乗って海中を眺めることもできます。あの先が海中展望塔。いざ海中展望塔へ。素晴らしい。私はダイビングは無理なので、これはうれしい限り。水族館でなく、本当の海中です。かなり近づいてきます。ずっと見ていても飽きないですね。ダイビングした気分になりました。桟橋から見えた海中の青色。ナイスな場所でした。沖縄はいろいろな側面があると改めて感じます。次は道の駅かでなへ。ここも8年ぶり。ここの展望台からは嘉手納基地が眼前に広がります。米軍機が頭上を高速で飛んで行ったりしました。このあと那覇へ戻る途中、普天間飛行場の周辺を一周しました。沖縄に来ると、本当に基地が至る所にあることが肌で感じられますね。レンタカーを返し、国際通り近くのホテルにチェックイン後、沖縄料理の店へ。ちょうど島唄のライブをやってました。泡盛サワーを飲みながら、海ぶどう、ゴーヤチャンプルー、アグー豚の餃子。これはモズクの天ぷら。翌日は台北へ。。
2014.12.27
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今日はふと思い立って、最近行っていない富士山方面へ。本格的な冬になってくると、富士山が遠くからよく見えるようになり、思わずこの時期富士山マニアとしては行ってみたくなります。中央道談合坂SA。大月JCTから中央道を河口湖方面に南下。途中で正面にどんと富士山が見える絶好のスポット。肉眼ではこのくらいの距離感。さらにアップ。本日の目的地は忍野八海でしたが、その前に通過した道の駅富士吉田で一服。ここには富士山頂上から役目を終えて移設された富士山レーダーが博物館になっています。前にも一度来たような気がしましたが、前は中には入らなかったかも。富士山頂の気温や風速が体感できるコーナー。最大風速13mで体感温度マイナス18度だったかと思いますが、30秒くらいであればなんとかなりそうでした。。レーダーからの富士山。ちょっと曇ってしまいました。こちらがレーダー。道の駅で食べた吉田うどん。かけうどんですがネギと白菜がたっぷり。もちもち系です。山梨に来るといつもほうとうを食べてしまうので、吉田うどんは初めてかも。忍野村に入りました。まずは県立富士湧水の里水族館から。ここは淡水魚の水族館。この前高千穂峡でもみたチョウザメも。イワナやヤマメのトンネルをくぐります。物凄い数がいるので壮観でした。ダイビングできない私にとってはうれしい瞬間。忍野八海到着。英語名はSpring of Mt. Fujiっていうそうです。富士の伏流水が地上に現れる泉というわけですね。結構賑わっていました。大半は外国人観光客だったと思われます。古民家が展示されている有料の資料館に入ってみました。後北条氏の朱印状というと戦国時代ですね。透明な泉。古民家と富士。ここがメインの泉ですね。深くて吸い込まれそう。底が見えません。忍野八海満喫。富士山周辺はいろいろ行きましたが、ここはどうも初めてだったようです。山中湖畔を通過し、日帰り温泉石割の湯。新たな源泉をボーリング中でした。帰路は道志みち経由。道の駅どうしの裏の渓流。最後は仕事柄WiFiスポットを一枚。富士山と美しい湧水に心を洗われた一日でした。。
2014.12.07
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九州レポート(7)、完結編。大分県の八丁原地熱発電所の続き。こちらはもう一方のタービン。こちらはメンテナンス中。ここは日本最大規模の地熱発電所ではあるものの、その出力は九州電力管内にある原子力発電所(川内、玄海)に比べれば10分の1以下という小さなものだそうです。また、国立公園に熱源があることが多いため、様々な規制の対象になり制約も多いとのこと。原発のウランや火力の石油等と違って、地熱は自然の力以外になにも必要ない超クリーンなエネルギーではありますが、現実はなかなか難しいですね。ただ、九州電力は今後も地熱発電所は増やしていく計画とか。地熱発電所のあとは、すぐ近くの筋湯温泉の共同浴場へ。「うたせ湯」です。文字通り、打たせ湯が上の方から勢いよく出てました。「筋湯」という名前もその打たせ湯で筋をほぐすところから来ているとか。30分ほど堪能させていただきました。もう一軒、薬師湯という共同浴場へ行こうと思ったら、この日は女性専用の日だったので残念。。九重の名水。足湯も。山間にあるひなびた温泉街でしたが、風情があってとてもよかったです。九州の温泉はどこも良いですね。これで今回の遠征の予定していたミッションはほぼ完了。このあと阿蘇に抜けるやまなみハイウェイを快走。途中に鹿も。こんなところでした。阿蘇の山々が見えます。しかし、この日の二日後くらいに阿蘇が19年ぶりにマグマ噴火しましたね。中岳方向?は活火山でもあるので噴気が出ているようでした。その後、道の駅阿蘇へ。道の駅の横にはJR久大線の阿蘇駅。最近仕事でスマートモビリティの原稿を書いていますが、ここにも超小型モビリティの実証実験用車両がありました。ホンダが地元自治体とやっているようです。駅には電車が停車中。JR九州は面白い電車がたくさん走っているので興味深いです。駅のレストランで昼食。熊本の郷土料理、だんご汁定食。山梨のほうとうのように太くて平たい麺とカボチャが入ってますね。ここでも宮崎のチキン南蛮っぽく鶏のから揚げがついてました。少し経つと「あそボーイ」という特急電車が来ました。周りの人がみんな写真を撮っていたので私も一枚。行ってしまいました。九州には「ななつ星」という豪華列車が走っていますが、いつか鉄道でも一周してみたいものです。このあとは熊本空港へ。空港近くのレンタカー屋に車を返し、今回のミッションは無事終了。宮崎県を今回訪問したことで、おかげさまで47都道府県すべて到達することができました。今後何を目標にするか考えないといけないのですが、何か良い案がありましたら是非お知らせください。。
2014.12.03
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九州レポート(6)、高千穂峡の続き。真名井の滝を先ほどとは反対側から見ます。デジカメのモードを替えてみました。周囲の紅葉。淡水魚水族館という小さな水族館もあります。紅葉を堪能。再び先ほど来た道を戻ります。往路で同じような写真を撮っていますが、何枚も撮りたくなってしまいますね。。高千穂峡ツアー完了。このあとは県境を越え、熊本県に入ります。帰りは熊本空港からですが、北上して大分県の九重高原方面へ向かいます。山間の道を快走、途中産山村というところにあるうぶやま牧場で一服。ここには風力発電もありました。牧場の牛乳を飲み、さらに北上。大分県での今回の目的地は、日本最大規模の地熱発電所、九州電力の八丁原(はっちょうばる)発電所でした。筋湯温泉というところに近い、相当山奥にあります。建物の背後から物凄い蒸気が出ています。さすが地熱発電。変電(変圧?)設備ですかね。ここはふらっと来ても、地熱発電所のガイド付き見学ツアーをしてくれます。色紙には勝間和代とか結構著名人も来ているようです。原発のビジターセンターにも何か所か行きましたが、こういうところはどこも充実してますね。まずは地熱発電の仕組みについてお勉強。聴衆は私とあと親子4人のみでしたが。。手前のは地熱源を掘るための先端部。奥のは、鉱物が付着したパイプの断面。外に出て設備見学開始。水冷塔だったですかね。10日前はもう少し仕組みを覚えていたんですが。。工場萌えにも通ずる発電所萌え。冷却された蒸気が下部で大雨のように降り注いでいます。こんな感じで説明を聞いています。途中から少し人が増えました。土砂降り中。この図を見て少し思い出しました。この地下深くにマグマ溜まりがあり、そこで熱せられた地下水の蒸気を取り出してタービンを回し発電する仕組み。地熱源からは一部直接熱水も出るのでそれを混合させてより効率を上げています。タービンを回したあとの蒸気は冷やされて水になりますが、その水は循環させて水冷に使われている、ということだったかと。また土砂降り。。この日はタービン稼働中とかで特に蒸気が多いとか。こちらは建屋の中のタービン。全部で2基が動いていて、1基が点検中。
2014.12.03
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九州レポートその5、だいぶ時間が経ちましたが11月24日(月)の朝、高千穂の続き。ここのホテルは禁煙だったので、ホテルの前で一服中。このあたり、標高が高いのと放射冷却で幻想的な霧の世界。高千穂にはどうやらこういうビジネスホテルはここだけの模様。三連休だったので満室でした。バイキングの朝食後(結構メニューが豊富で食いすぎました。。)、高千穂峡へ向け出発。中心部の真名井の滝近くの駐車場がすでに満車になっていたようで、北側の高千穂大橋の方へ回されました。その大橋からの景色。紅葉が最高の状態。何枚も同じような写真を撮ってしまいます。。デジカメとスマホ両方でばしばし。では、これから真名井の滝方面へ。先ほどこの橋の上から撮影したわけです。お、ボートがここまで来てます。美しいです。真名井の滝が近づいてくるとボートが渋滞状態に。仙人の屏風岩。鬼八の力石。重そうです。。力石と渓谷。お、あれが真名井の滝。そういえば日帰り温泉で真名井の湯というのがありますけど、この滝から命名されたんですねえ。スマホとデジカメ(紅葉モードと通常モード)で連写。。素晴らしい。紅葉の時期は最高ですね。真名井の滝でございます。阿蘇山の噴火活動と関係しているんですね。横の池では、あのキャビアがとれるチョウザメが飼育されていました。名勝・高千穂峡。文字通り名勝に値するところです。まだ続く高千穂峡。。
2014.12.03
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九州レポート(4)、高千穂の天岩戸神社から。さすが神話の里というか日本の歴史発祥の地の総本山、厳かな感じですね。天岩戸神社を抜けて天安河原(あまのやすがわら)へ行きます。ここは天照大御神が祀られています。ここから天安河原へ。こんな景色を見ながら渓流沿いに10分くらい歩きます。天国につながるようないい雰囲気。紅葉の時期に来てよかったです。後光が差しているような。。着きました。この洞穴のようなところが天安河原。独特な荘厳な雰囲気。背後はこんな景色。ぶれましたが、ご本尊です。心霊写真みたいになってしまいました。。拝ませていただきました。石積みと人が一体化してみえます。。感動しました。パワーももらった感じ。帰りもこんな景色を満喫しながら帰ります。ここ、素晴らしいです。天岩戸神社のご本尊です。この何年かで、伊勢神宮、出雲大社、高野山などもろもろのパワースポットに行きましたが、ここはそれらに勝るとも劣らず秀逸ですね。歴史のロマンも感じます。その後高千穂中心部のホテルへ。その前に道の駅高千穂で一服。道の駅にあった巨大な神様のオブジェ。あとであの夜神楽を見に行こうと思います。廃線になってしまった高千穂鉄道の高千穂駅に来てみました。ここは使われていないようですが、軌道跡を使ってカートがたまに走るようです。高千穂町唯一と思われる近代的ビジネスホテルにチェックイン。高千穂温泉という日帰り温泉のチケット付きのプランで申し込んでいたので早速その温泉へ。風呂上りに夜神楽を見に行くことにしました。11月は無料で夜神楽が見れる月かつこの日は三連休で特別に長時間神楽を公開でやっていたので、なかなか駐車場が空きませんでしたが何とか境内へ。お、やってます、夜神楽。しばし夜神楽を堪能。。
2014.12.01
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九州レポートその3。西都原古墳群の続きから。青い空と古墳群。この森の中には前方後円墳が二つ。でも、宮内庁管理なので中には入れません。博物館が立派だったのは、この古墳群は天皇家につながるという特殊な位置づけからなのでしょうか。円墳の上から。古墳群を満喫したので、このあとは宮崎県の海岸沿いを北上。道の駅つの(都農)です。ここはトマトの産地のようです。宮崎県のこのあたりは温暖な気候なのでトマト向きなんでしょうね。左側のトマトラスクを買って車中でかじりながらドライブ。道の駅の駐車場にはこんな表示が。最近仕事で「地方創生」に関心を持ってみていますが、地方に来るといろいろと工夫しようとしているのがよくわかります。日向市の美々津というところに来ました。ここは神武天皇が東征を開始したと伝わる地。神武天皇といえば神話の世界で実在したかどうかという話もありますが、少なくともこの地からかつてヤマトを目指して行った人がいたことは間違いないのではないかと私は考えます。道の駅日向物産館に来ました。日向はもともと「ひむか」と読んだのでしょうか。日向といえば日向夏。日向灘が見えるレストランで昼食をとることにしました。美しいです。この方角が神武東征出発の地。宮崎といえば、なぜかこれが名産。チキン南蛮定食です。東京で食べるのよりもサクサクで柔らかい食感ですね。このあと延岡近辺を通過し、高千穂方面へ山道を進みます。高千穂の少し手前、日之影町の道の駅・青雲橋。眼下に五ヶ瀬川という川が流れます。この橋の下に、日之影温泉駅というのがあるので行ってみます。高千穂鉄道の日之影温泉駅です。とはいうものの、ここにはすでに電車は走っていません。2005年の台風で不通になり、その後残念ながら高千穂鉄道は廃線になってしまいました。駅舎の外には足湯、中には日帰り温泉があります。電車のある右側がかつての軌道跡。レールがわずかに残っています。川沿いを走る絶景列車だったんでしょう。台風で不通になる前はトロッコ列車が走っていたそうでそれなりに利用されていたようです。駅舎の中です。時刻表はそのまま残してあり、今にも電車が来そうな雰囲気ですが。。川の対岸から日之影温泉駅。このあとは高千穂中心部の手前にある天岩戸神社に行ってみることに。天岩戸橋です。神々しい世界へ。。
2014.12.01
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九州レポートその2。宮崎県南端の都井岬から海岸沿いを北上。宮崎市に入り、日南海岸沿いにある道の駅フェニックスで一服。このあたり、海岸線が隆起して線状になっています。青島の隆起海床というみたいです。その後、宮崎市内を迂回して宮崎道~東九州道と高速を通り、西都市の西都原古墳群にも近い山の中の一軒宿、高屋温泉に到着。ここの温泉は胃腸に効くということでそれなりに有名なところだそうです。静かな森の中にある宿で、離れのような建物が並んでいてとても雰囲気よかったです。まずは温泉に浸かって一休みしたあと、地元の食材中心の晩飯。宮崎といえば、地鶏のたたき。こちらは鯉のあらい。このあたりは鯉をよく食べるそうです。鯉の甘酢あんかけ。鯉こく。卵も入っていてなかなかの美味でした。鯉こくを食べたのは初めてかも。就寝前にもう一回。ここは内湯のみですが、別棟に湯屋があっていい感じを出してました。ここからは23日。朝食前に朝風呂へ。風呂上りに旅館周辺を撮影。いい雰囲気の宿の入口。裏手から街の方向?旅館の裏山。入口の橋。そして朝飯。9時ごろ旅館を出て、西都原(さいとばる)古墳群へ。もともと宮崎市の近くのリーズナブルな温泉旅館ということでここを選んだので、西都市のことはあまりよくわかっていなかったのですが、ここは日本でも古墳が相当集中しているところだったんですね。ということで、西都原古墳群の中心部へ。ビジターセンターにあった神々の系図。最近、このあたりの歴史にも関心あります。特に古代イスラエルの失われた10支族と天皇家の関係、ユダヤと日本の関係などから興味津々。こちらはビジターセンターの建物。レンタサイクルも貸しているので、時間があればそれで回るのもよいところです。こんな感じでだだっ広いところです。6月に行った韓国の慶州の古墳群ともよく似ています。文化や時代的にも近いものがありますし、当然似てくるのでしょう。鬼の窟(おにのいわや)古墳という円墳。中に入ってみます。6世紀末~7世紀初に造られたそうです。まだきれいに整備されていない古墳も含めて、いくつもの古墳が散在しています。これは県立西都原古墳博物館。すごく立派な建物です。ここの展示物や展示方法は秀逸です。地方の博物館とは思えないレベル。銅鐸の数々。国宝だそうです。まだ続く西都原。。
2014.11.30
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少し時間が経ってしまいましたが、この前の三連休に行った九州4県遠征レポートです。これまで47都道府県のうち、まだ宮崎県には未到達でした。今年のうちに全都道府県到達を目標にしていましたが、なかなか時間がとれずこの時期になってしまいました。今回の旅程は2泊3日、鹿児島空港から霧島周辺を通り宮崎県を北上して高千穂などを訪問、その後大分をかすり熊本空港から戻ってくるというコース。幸いにも天気もよく、紅葉もきれいでラッキーでした。22日の早朝便で羽田から鹿児島へ。右舷窓側の席を予約したので富士山もばっちり。飛行機の機体に反射した朝日が雲の上でさらに乱反射して虹のように見えたのがとても幻想的でした。8:30すぎに鹿児島空港着。ここは2010年に指宿方面に行ったとき以来4年ぶり。これからレンタカーでまずは霧島方向へ。霧島温泉郷です。この手前で通過した塩浸温泉とここも4年ぶり。今回はここは通過し、3年前に噴火した新燃岳の麓の秘湯へ。ここです。新湯温泉・新燃荘。かなり山奥ですが、皮膚病やアトピーに効果があるということで有名とのこと。こちらが湯屋。旅館側でお金を払い、ここを下りて湯屋へ。新燃岳はまだ警戒レベルにあるようですね。奥に見えるのが露天風呂。湯量も豊富な白濁湯。こちらは湯屋の中の男女別風呂。あまり長く入りすぎるのはよくないようです。30分くらい堪能しました。九州はこういう白濁した温泉らしい温泉が多くていいっすね。新湯温泉近くの噴気孔。最近火山活動が日本各地で起きていますが、こういうのを見ると緊張感ありますね。次は霧島神宮。去年は伊勢神宮の式年遷宮とか出雲大社の大遷宮とかありましたが、ここも間もなくご本堂の建て替えがあるようです。では、ご本堂へ。これは君が代に出てくる「さざれ石」だそうです。来ました、霧島神宮。紅葉もきれい。相当歴史のありそうなご神木。パワーが感じられます。年をとってくると、こういうところがますます好きになります。。このあと霧島神宮から一気に南下、宮崎県南端の都井岬へ。2時間くらい走って都井岬到着。ここはかつて放牧されていた馬が野生化したところとして有名。都井岬灯台に行ってみます。絶景です。太平洋方向。海の青さが素晴らしかったです。これは大隅半島側かと。美しい青。都井岬灯台を出発。都井岬ビジターセンターです。これは剥製ですが、こんな感じで馬がいます。残念ながら道路からははるか遠くに数頭見えただけなので写真はありませんが、途中プロ野球のチームがキャンプを張る串間とか日南とか聞いたことのあるところを通過したのでなかなか楽しかったです。このあとは宮崎市内方面へ北上。。
2014.11.29
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台北弾丸遠征レポート(6)、完結編。光華商場から台北101へ。こちらが最寄り駅。外にでるとどーんと台北101が目の前に。台北101は2000年代半ばの数年間、ドバイにブルジュ・ハリファができる前まで世界一の高さでした。早速高速エレベーターで展望台へ。こちらは西の方角。北の方角。北西の方角。北投温泉はたぶんこの方向。平日にしては結構混雑。半分くらい工事で見えなくなっていたのが少し残念。たぶん東側。たぶん南東方向。再び西側。これは南東側かと。再び西側。少しアップ。足元。北西?階段を上ってオープンな展望台まで来ました。物凄い強風。建物側。西の方向。ビルの最上部。強風に耐えられず退却。。屋内にあったオブジェ。展望台見学終了。こちらは吹き抜け構造の豪華なショッピングモール。出口で一枚。最後に見上げます。このあとはタクシーで松山空港へ。最近は地下鉄でも行けるようになりましたが、一通り交通機関に乗ってみるのも目的だったのでタクシーにしました。松山空港到着。ここは2006年に金門島往復をして以来。前は国内線専用の空港でしたが、羽田と同じように近隣国との国際線シャトル便も出るようになりました。あと、前回来たときは中国便はまだなく、「小三通」の状況でしたが、今は当たり前のようにここからも上海虹橋へのフライトをはじめ、中台間は普通に直行便が飛んでます。短期間に時代が変わったことを感じますね。ターミナルを背に一枚。空港の周辺もきれいになったように思います。入口の自動ドアにもWiFiマーク。ここにも大型観光端末。こちらはWiFiスポット。前に来たときはもっと野暮ったい感じの空港でしたがきれいになりました。空港で牛肉麺。これで台北弾丸遠征ミッション完了。松山空港は全面禁煙だったのが残念でしたが。。東シナ海上空、石垣島の北あたり。ちょうど飛行機の位置まで高く積乱雲が発達していて、台風が生まれそうな雰囲気でした。結局このときは台風は発生しませんでしたが、一週間後ちょうどこのあたりで台風が大きくなりましたね。台湾弾丸遠征、なかなか効率的にいろいろ見ることができてよかったです。さて、これから資料を作らないと。。
2014.09.22
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台北弾丸遠征レポート(5)、北投温泉のホテルをチェックアウトしたあとは、MRTで「台北の秋葉原」といわれる光華商場へ。MRTの車内アナウンスは、北京語、台湾語、客家語、英語の順番で行われます。語学マニアとしてはとても楽しい瞬間です。台湾語、客家語だけしか喋れないという人はたぶん台湾にはほとんどいなそうですが、そのあたりの細かな配慮も台湾の最近の特徴と思います。その流れで地下鉄の優先席。こちらでは「博愛座」。2006年のブログでも書きましたが、とても良い言い方。中華圏では年寄りが乗ってくると、周囲の人々が我先に席を譲ろうとしますが、良い習慣だと思います。年寄り同士で譲り合っていることもあったりしますが。。これも車内の広告。出産を奨励する内容です。こういうのを見ても台湾のやさしさが伝わってきます。MRTを乗り継ぎ、台北駅からそう遠くない忠孝新生という駅で下車。このあたりにいます。地図では右側に光華商場。途中にあった小学校の壁面。いろいろな学校の活動が紹介されています。光華商場に向かう路地はこんな感じで部品屋がたくさん。光華商場の筋向いにある台北科技大学。「台北の秋葉原」はもともとこの大学の周辺に集まってきたパーツ屋が大きくなったところとのこと。「3C」という看板が多いです。3CとはComputer、Communication、Consumerで、コンシューマ向けのデジタル商品という意味らしいです。この時間帯(11:30ごろ)は人が少なめですが、帰りはこのあたりランチ場所を探す学生たちで大混雑でした。そしてこちらが光華商場のビル。正式には「光華数位新天地」というようです。大陸で「デジタル」は「数字」ですが、台湾では「数位」になります。交差点にあったインフォメーション。光華商場の向いの通り。では、ビルの中に入ります。もともとは細かい店がたくさんあったようですが、何年か前にビルの中に集められたようです。フロアの構成。1Fにはフードコートも。ぶれましたが、基本的に各フロアとも細かい店の集合体。これは大陸のこういうところと同じですね。マルチメディアアキバみたいに量販店が全部抑えているようなことはないです。一番上のフロアにはドキュメント復元の店が集まっていました。写真は展示用の人形。エスカレーターの壁面は日本っぽいです。いまいちよくわかりませんが。。かわいい系だそうです。ビルのテラスからは台北101がみえました。これもテラスから周辺の景色。これも。モバイルバッテリーです。さて、このあとは先ほど見えた台北101へ。今回の最後の訪問地。。
2014.09.22
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台北弾丸遠征レポート(4)、士林夜市へ。屋台が増えてきました。おっさんになっても、こういうの大好きです。ホタテですね。ベジタリアン向け饅頭のようです。これはケータイの店。台湾モバイルのショップ。物凄い人でした。このあたりはアーケードのある市場。何年か前に雑然とした市場を整理したそうで、食べるところは全部地下化してます。地下にこんな店がたくさん並んでいます。いっぱいあって目移りしてしまいますが、空席を見つけてとりあえず注文。私の注文した料理を作るおばさん。台湾ビールと、左上のカキオムレツ、真ん中のビーフンを頼みました。これがカキオムレツ。こちらはビーフン。ちなみにビーフン(米粉)は台湾語ですね。鉄板焼の店も。あとは再び外をぶらつきながら屋台でちょこちょこ買いました。これはウズラの卵の串。ぶれぶれですが、これは肉とネギかなんかの串。駅に戻る途中の宝くじ屋。台湾は一番最初に行った1988年にすでにありましたが、店でもらうレシートが宝くじになっていたりしますね。そのあと、この通りにあったマッサージ屋にふらっと入り、足裏45分でまったり。このあと雨が降って来ましたが、何とか駅まで戻りました。北投支線の車内の観光案内端末です。夜の新北投駅前。このあと、部屋の風呂に温泉を溜め、部屋で北投温泉を満喫。。ここからは9月15日(月)。ホテルでバイキングの朝食後、露天風呂へ。ホテルから坂を下っていきます。昨日営業時間が終わっていた地熱谷にもう一度。このあたりにいます。周りのお店。ここにも温泉。いざ地熱谷へ。と思ったら、月曜は休園でした。残念orz。。ということで、北投公園露天風呂へ。中は写せませんが結構広いです。ここは水着で入りますが、客は月曜の朝ということもあり、地元のおっさんとおばさんが大半でした。岩の上で器械体操をやっているタフなおっさんもいて、なかなか楽しかったです。しかし、このあたりの方々は本当に昔の日本人の伝統を守っているような感じがして、頭が下がります。再びホテルに戻り、昨晩入った温泉をそのまま浴槽に残していたのですが、ちょうどよいぬるさになっていてナイスなしめになりました。最後にホテルからの景色。北投公園にお別れ。新北投駅。青空に映えます。ちなみに自転車もそのまま乗れます。台湾は前に来た時も思いましたが、バリアフリーがとてもしっかりしている印象があります。台湾人の生来のやさしさもありますが、1~2日過ごすだけでもいろいろなところでそれを感じます。大陸の方々とは明らかに違う人々です。駅のホームから一枚。このあとは「台北の秋葉原」、台北駅からほど近い光華商場というところに行きます。。
2014.09.21
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台北弾丸遠征レポート(3)、北投温泉博物館の続き。北投石の発見と研究の歴史について書いてあります。日本っぽい漫画も。2012年が北投石命名100周年だったようです。昔の公共浴場にあった椅子。そして浴槽。ここにも。これは北投温泉のジオラマ。これは個室の浴槽。ここの公共浴場もぜひ復活できないものでしょうか。。昔の桶ですね。湯船は全部で3つ。昔の浴衣。1935年、昭和初期の北投温泉の地図。この博物館の模型。博物館の見学の次は、今もある公共浴場、瀧乃湯へ。これは横にある「熱海大飯店」。瀧乃湯、いい雰囲気出してます。渋い。これは日本の地方の温泉地にある公共浴場そのもの。入口の番台。誰もいないので、中を覗いていたら、脇からおっさんが登場、「100元払ってね。水着はだめ」。100元=400円くらいです。ちなみに公園の中の露天風呂は水着必須なので間違って入ってくる客もいるんでしょうね。pH1.2とはやはり酸性度とても高いですね。秋田の北投石のある玉川温泉と同レベル。中は本当に温泉地の公共浴場そのものでした。地元の年配の客が多かった感じですが、マナーはとてもしっかりしてます。タオル持ち込み不可はもちろん、湯船で体をこすったらだめとか、日本の温泉でもあまり書いていないようなこともあって感動しました。瀧乃湯を堪能したので、ホテルに向かうことにしました。ここにも北投公園百年記念の説明。日本統治時代の写真もあり興味津々。これは露天風呂の入口。この日は30度超えで結構暑かったので、入るのは翌日にすることに。でも、ここもいい感じですね。料金は40元(約160円)、瀧乃湯より安いですね。途中にこんな防空壕迷宮なども。北投温泉街では一番高い位置にあると思われるホテルにチェックイン。ホテルに大浴場はないのですが、個室にこんなすばらしい温泉があり大満足。直前予約で日曜の夜ということもあり、部屋の豪華さにしては相当安かったです。一休み後、晩飯は「士林夜市」という台北で最も賑やかな夜店の集まるところに行くことにしました。その前に近くの地熱谷に寄ってみましたが、開館時間は終わっていました。日本でいえば、湯畑あるいは地獄、といったところでもうもうと湧水しているところです。近くのホテル。食事ついでに立ち寄り風呂を提供するこんな店も並んでます。新北投駅近くの温泉ラーメンの店。入ってみたかったですが。。夜の新北投駅。士林までは5駅くらい。士林駅近くのケータイ(遠伝、Far Eastone)の店。士林夜市へ向かう道は大混雑。畳屋なんかもあり、日本のようです。続く。。
2014.09.21
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台北弾丸遠征レポート(2)。台北駅から北投温泉へ向かいます。北投温泉は日本統治時代に日本人が開発した台北の北の郊外にある温泉地。微弱の放射線が岩盤から出る温泉として有名ですが、「北投石」というのはここと秋田県の玉川温泉にしかないということです。では、MRTで北投温泉へ。語学マニアな話ですいませんが、MRTでは(現総統の馬英九が台北市長だったこともあり)台湾国鉄とは違い2006年はすでに中国式ピンインでローマ字表示され始めた直後でしたが、この線の終点「淡水」はピンインではない「Tamsui」と台湾語系スペル?になっているところ興味深いです(「台北」もピンインの「Taibei」でなく従来からの「Taipei」ですが)。ちなみに、地下鉄は右側通行です。乗り換え駅の北投駅に到着。途中からMRTは高架を走ります。北投温泉へ行く支線のホームにあった温泉オブジェ。一駅「新北投」駅まで行きます。新北投行きの電車は観光電車の趣。車内も観光主体の造り。北投温泉の最寄り駅、新北投に到着。ここにも温泉系のオブジェ。WiFiは充実してます。中央部が今いるところ。南北逆になっていますが、左側に目指す北投温泉。駅前の様子。緑のあるほうが北投温泉の温泉街。日本の地方都市の景色といわれても気がつかないですよね。新北投駅はこんな立派な駅舎でした。北投公園を通って温泉街へ。公園の周辺や中に見どころたくさん。これは石川県の和倉温泉の老舗、加賀屋直営の温泉旅館。なだらかな登り坂を進みます。こちらはかつての温泉施設を改修して作られた温泉博物館。あとで中に入ります。「湯煙天狗」、いい感じです。先ほどの加賀屋の入口。まるで日本。隣の旅館には温泉マーク。いい雰囲気っす。では、「北投温泉博物館」に入ってみます。日本統治時代の北投温泉の絵葉書だそうです。これは1970年代のマッチ箱のデザイン。このころは台湾は公娼制度もあったと聞きますので、歓楽街的なところだったのかもしれません。座敷です。いい感じのテラス。映画も上映されるようです。櫻井廣三郎という日本人がラジウムを放射する鉱石を発見したところから北投の歴史は始まるようです。まだまだ続く北投温泉。。
2014.09.20
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今週の日月の連休を使って、台北まで一泊弾丸遠征してきました。もともと行く予定はなかったのですが(夏休みのパスポート盗難の反省もあり)、仕事で台湾について話す必要が生じたので、1週間くらい前にまた思いつきで手配しました。台湾は2007年以来7年ぶりになります。日曜の朝、往路は成田から。時間があったので展望デッキに出てみると、カメラを持ったマニアの方々が多数いました。そしてこちらが搭乗するEVA航空の機体。機内アナウンスは北京語、英語、台湾語、日本語という順番だったような。久々に聞くライブの台湾語にマニアとしては感動。3時間ちょっとで台北の北側、淡水河の河口あたりがみえてきました。このあと桃園空港に到着。前回までは「蒋介石空港」でしたが、いまは「桃園」。日本語では音読みで「とうえん」が正しいことになっていますが、「ももぞの」と言ってしまいますね。以前は桃園空港から台北市内まではバスのみでしたが、試しに高速鉄道(台湾新幹線、高鐵)で行ってみることに。空港から高鐵桃園駅へはバスで10分ちょっと。都バスみたいな雰囲気のバス。上にある高架駅が高鐵の駅のように見えますが、あれは建設中のMRT(市内は地下鉄)。高鐵はこちらの地下駅。自販機で切符購入。簡単です。プサンから乗ったKTRもそうですが、一見の旅行者からすると、日本より台湾や韓国の方が切符が買いやすいと思います。日本も2020に向けてもっと旅行者目線で考えるべきかと。翌日の帰路で羽田空港で北京から来て新幹線で三島まで行くという中国人に道を聞かれて京浜急行で品川まで一緒、その中国人の不安感がよくわかりましたが、東京はちょっと難しいと思いますね。さて、まだ時間があるので駅構内を見学。北上(台北方面)、南下(高雄方面)という意味。駅構内のファミマ(こちらでは「全家」)。中央部に「関東煮」(おでん)。テイクアウト系は日本のより充実感あり。これは高鐵グッズの自販機。あとでも出てきますが、台湾は随分と鉄ちゃん化してます。こちらはFree WiFiスポット。では「北上」のホームへ。地下ホームです。来ました。台湾新幹線。車内は日本の新幹線そのものですね。韓国のKTRもそうでしたが、ここも左側通行。なぜか新幹線系は日本と同じ左側通行が多いですね。桃園から台北まで2駅。途中の停車駅はこの「板橋」。前々回来たときも開通前の高鐵の板橋駅を見学しましたが、板橋区民としてはこの駅は深い親近感を感じてしまいます。今はこのあたりの住所は「新北市板橋区」というらしいので、まさにいい感じです。「板橋」のスペルは「Banqiao」。前々回(2006年)のスペルは台湾式ピンインの「Banciao」でしたが、大陸式に統一されてしまったようです。。台北駅に到着。これから地下鉄(捷運・MRT)で上の方にあるピンク色の支線「新北投」まで行きます。その前に台北駅前で一服。MRTの駅。駅前の「秋葉原」の看板に目を奪われます。1Fに無印良品もありますね。駅前の雰囲気は日本の地方駅とそっくり。博多駅前とかに似てますね。駅前の看板。英語の下にベトナム語とかタイ語が並んでいるので、そのあたりの方々がポイ捨てが多いということでしょうか。駅地下の駅弁屋。台湾では弁当は旧字体で「便當」。そのとなりの鉄ちゃんグッズ屋。日本みたいです。台湾には日本統治時代に敷設された渋いローカル線もたくさん走っていますので、嗜好もとても似ていると思います。大型観光端末。プサンにもありましたが、自撮りしてメールで送れるタイプのもの。これは驚き。台北郊外を走るローカル線平渓線と日本の江ノ電のコラボ。ゆるキャラも日本にそっくり。駅構内のマッサージ屋。これは中華っぽいです。こちらは観光端末。隣にWiFiスポット。
2014.09.20
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2014年夏・欧州6カ国遠征レポート(20)、最終回です。8月21日(木)夕方のサンピエトロ大聖堂内部の見学の続き。こちらは歴代ローマ教皇の名前。2代前、ヨハネ・パウロ2世の名前まで刻まれています。十分堪能してサンピエトロ大聖堂から退出。外側の衛兵。もしかしてここを今のフランシスコ教皇が通過するのでしょうか。サンピエトロ広場とサンピエトロ大聖堂。これ、我ながらなかなかいけてる一枚です。欧州遠征最後の夕食は、ホテルの近くのローカルなオープンレストランでラビオリとサラダ。そして店のおばさんがデザートを進めてきたので、このフルーツ。こちらが宿泊したRelais Vatican Viewというホテル。左の戸が入口。右側がショップを兼ねたレセプション。一見ここがホテルという感じはしませんね。こちらがたぶん私が泊まった1階(欧州式)の部屋。翌日また朝早いので、荷物をまとめ穏やかに就寝。。ここからは最終日22日(金)。事前にテルミニからの空港直通特急の時間を調べていたので、それに合わせ4:30起き。地下鉄A線のオッタヴィアーノ駅まで10分少々。早朝なのに意外と客がいました。テルミニ駅に予定通り到着。6:20のレオナルド・エクスプレスの切符を買ったあと駅の外で一服。一服中。乗車前にも一服。いずれは欧州の鉄道の旅でもしたいものです。電車の中。フィウミチーノ空港に予定通り着きました。チェックインを済ませたあと、出発までまだ2時間あるのでまた一服。仕事も兼ねて空港内の通信系端末を調査。右側はコーリングカードの自販機。左側のは、搭乗券のバーコードで無料で電話できる模様。左側だけ拡大。このあと、9:35のチューリヒ行きスイス航空(今はルフトハンザグループになっていて、単に「スイス」というのが正式名称みたいです)に搭乗。しかし、往路のフランクフルトからローマ入国もそうだったですが、ローマの空港ではシェンゲン協定の関係から協定国間の便は国内線みたいな扱いになっているので、出入国のイミグレとかなく(もちろんセキュリティチェックはあります)、私のパスポートにはひとつもイタリアに滞在したということを示すようなスタンプがないのでちょっと残念です。まあ、ドブロブニクで一度なくなったパスポートなのでよしとしましょう。チューリヒ空港で乗継の成田便搭乗前に一枚。後ろにANAの機体も見えて、少し日本に近づいた気持ち。チューリヒでは2時間弱くらいの待ち時間でしたが、セキュリティチェックしたあとちょっと余裕をこいていると、シェンゲン協定国から出る際のイミグレーションがまだあったので一瞬あせりました。4年前のヘルシンキではそこが長蛇の列で搭乗口まで走る羽目になったことをまた思い出しました。最後に今回立ち寄った各空港でのFree WiFiの状況。こちらはチューリヒ空港。搭乗券で60分無料。これがiPadで接続したときの画面。ドブロブニク空港のFree WiFi。こちらは15分無料。ケータイ番号をSMS経由で登録するパターンだったかと。こちらは往路のフランクフルト空港。これは単にメアドの登録だけだったかと。そんなことで欧州レポート完結です。冗長なレポートにお付き合いいただき、ありがとうございました。今回はドイツ・ヴィースバーデンの温泉、アドリア海の真珠・ドブロブニク、旧ユーゴのボスニアとモンテネグロの日帰りツアー、ローマとバチカンという6カ国訪問でいろいろなものが見れました。ただ、なんといっても、パスポート盗難から半日足らずで手元に戻ってくるというドブロブニクの奇跡が思い出深かったです。あそこでもしパスポートが戻ってこなかったら、クロアチアの首都ザグレブに行っていたわけですが、その場合このような悠長なレポートは書いていなかったかも。改めて皆様のおかげで生かされていることを実感した7泊9日の旅でございました。。
2014.09.07
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欧州レポート(19)、8月22日(木)、ローマの観光スポット数か所を周遊中。スペイン広場の上からの景色。遠くのほうのがサンピエトロ大聖堂かと。このあとちょっと疲れたのでホテルに戻り休憩。ホテルで仮眠後、まだサンピエトロ大聖堂の中をみていなかったので、18時過ぎにまたバチカンへ。サンピエトロ大聖堂を背に。では、入場。圧倒される大きさと美しさ。ここらが中央部。バチカンの財力を感じさせますね。いやあ、言葉での説明は不要ですね。レポートは完結編へ。。
2014.09.06
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欧州レポート(18)、8月21日(木)午後のローマ、コロッセオから。地下鉄の出口を出て通りを渡るとコロッセオをはじめ昔のローマ帝国の遺跡群ばばーんと。コロッセオの中に入りたかったのですが、かなり長蛇の列。ここもバチカンと同じように予約ができるので、その場でネットで調べたものの、残念ながらこの時間帯の予約は終わってました。ローマの観光名所見学は予約していくのが効率的ですね。入れないので中が見えるところを遠巻きに。しかし、2000年以上前によくこんなものを作った者です。ぐるっと周囲を半周中。コロッセオ周辺、ナイスでした。再び地下鉄に乗り、A線のバルベリーニ駅で降ります。駅周辺の風景。これからトレビの泉へ。しかし、残念!トレビの泉はこんな感じで大規模工事中。水は抜かれた足場が組まれた状態。それでもコインは投げられています。。通常の状況ならここらがメインの角度なんでしょうが。。続いて周辺を散歩。これはコロンナ広場にあるマルクス・アウレリウスの記念柱。この近くのオープンカフェでイタリアではじめてのカルボナーラ。麺はアルデンテでした。その近くのアウグストゥス帝の廟。その後ぐるぐる回ってスペイン広場にやってきました。ローマといえばということでよく出てくる風景。広場の階段を上がっていきます。広場の上からの景色。これでメジャーなスポットはとりあえず回った感じでしょうか。続く。。
2014.09.06
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欧州レポート(17)、さらにバチカン博物館。写真をばしばし撮りたくなります。たぶんこのあとがバチカン博物館最高の見どころ、システィーナ礼拝堂のはずですが、撮影は禁止。。このあたりから再び東の方角へ進みます。これは中世のころの地球儀。日本はこんな感じです。別の地球儀ではこんな感じ。窓からサンピエトロ大聖堂。出口近く、バチカン全体のジオラマ。預けていた荷物を受け取り、バチカン博物館見学終了。なかなか面白かったですが、もっと勉強してから行けばよかったかも。入口はこのように長蛇の列。予約してよかったです。こちらが博物館の出口。入口から城壁の沿って続く長蛇の列。この日結構暑かったので、この並びは相当疲れますね。リソルジメント広場で一服。近くのFree WiFiのマーク。オッタヴィアーノ駅から地下鉄で次はコロッセオに行くことに。地下鉄の壁面は昔のNYの地下鉄のように落書きできたなかったです。残念。テルミニ駅でA線からB線に乗り換え二駅。その名もコロッセオという駅で降りると目の前にコロッセオ。続く。。
2014.09.05
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欧州レポート(16)、8月21日(木)のバチカン博物館入場。歴代の法王が財力に任せて集めた財宝の数々。やたら広くて最低でも1時間半くらいかかりそう。東側から入り西側のシスティーナ礼拝堂あたりで折り返し、再び東側の出口に戻るという、一方通行でいろいろなところをぐるっと回ってくる感じになります。まずはエジプト美術館。ツタンカーメンではないですが、ミイラも展示されてました。途中のテラスから。ピオ・クレメンティーノ美術館。あとでガイドブックをみても写真がどこだったかよくわかりません。。中庭を見下ろす位置。トラムがみえるので、リソルジメント広場かと。「大燭台のギャラリー」というようです。このあたり、いろいろなギャラリーが続きます。まだまだ続くバチカン博物館。。
2014.09.05
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欧州レポート(15)、8月20日(水)のローマの夕方。夕食がてらバチカンの近くを散策。最終日に空港へ行く際、地下鉄でテルミニ駅まで行こうと思ったので、ホテルから最も近い地下鉄A線のOttaviano駅までどのくらいの時間がかかるかの計測も兼ねました。写真はバチカン東側のリソルジメント広場。ここからは路面電車も出ています。Ottaviano駅の場所がわかったので、東方向に針路をとり、Quiriti広場の噴水まで来ました。こういうものがローマにはそこらじゅうにありますね。サンタンジェロ城の北側まで来ました。これは何の建物かわからなかったですが一枚。サンタンジェロ城の周囲を回ります。2世紀にハドリアヌス帝が霊廟として造ったのが最初だそうです。お城に近づいてきました。その先にサンピエトロ大聖堂が見える位置。夕陽モードでナイス。テヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋。お城の中の公園に出店がたくさん出ていました。そのひとつでラザニアを買ってローカルな夕食タイム。お城の中もレストランとかがあるように見えます。さらにデザートにスイカ。Conciliazione通りという、サンピエトロ広場までまっすぐ続く道を歩きます。これは横の水道橋?スマホで一枚。通りを通る車が少ないので、道路の真ん中まで出て撮影。ナイスなショットが続きます。写し方の問題もありますが、だいぶ暗くなりました。。ホテルに戻り、テラスからサンピエトロ大聖堂を一枚。至福なときを過ごしながら20日は終了。ここからは21日(木)。再び朝テラスで牛乳とともに。この日はバチカン博物館見学の日ですが、朝食を買いに外に出てみました。部屋で朝食のパンを食べ終え、バチカン博物館に出発。予約時間は9:30。この先、予約なしの方はやはり長蛇の列になってましたが、すいすいと入場。入口でiPadを使って、メールで届いた予約確認書を見せ、イヤホンガイド(日本語)も借りて入場。これからバチカン博物館の写真が鬼のように続きます。。
2014.09.03
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欧州レポート(14)、8月20日(水)、ドブロブニク出発の日。朝7時半ごろのローマ行きフライトに乗るため、ロープウェイ乗り場発4:55の空港バスに間に合うよう4時ごろ起床。パスポート盗難事件も奇跡の展開になったので短時間ながらよく眠れました。前の晩、部屋は来たときの原状復帰が原則なので、簡単な掃除とゴミ捨てをして最後に5泊6日お世話になった部屋を記念に一枚。結構設備は良かったんです。ゲストハウスのオーナーはまだ寝ているので、カギをドアのところに残して出発。いつものロープウェイ乗り場からゲストハウスやスルジ山の山頂の方向。ちょっと感慨深かったです。思い出深いドブロブニク滞在でした。予定通りバスが来て空港へ。ドブロブニク空港の大型タッチパネル式情報端末。最近こういうのがどこに行っても多くなりました。空港でクロアチア最後の朝飯。出国後になぜか両替がなく、クロアチアの通貨クナのコインがたくさん残ってしまいました。クロアチアに行く予定のある方がいたらお譲りします。この後、飛行機は一路フランクフルトへ。フランクフルトで3時間超の乗継待ちのあと、ローマへ。ちょっと遠回りのルートです。14:30過ぎ、ローマのフィウミチーノ空港到着後の一服。レオナルドダヴィンチ空港ともいうみたいですが、表示は地名の方のフィウミチーノしか見ませんでした。市内では電車で行くことに。レオナルド・エクスプレスという市内までノンストップの特急で行きます。こちらがその電車。車内の路線図。ローマは遺跡の関係で地下鉄が掘りにくくて2路線しかありません。ほかはJRのようないわゆる近郊電車。ローマの中心的な駅、テルミニ駅に到着。30分くらいです。駅前広場をみながら一服。ふつうの建物もすべて由緒があるかのように見えてしまいます。愛想だけは良いいかにもイタリア人っぽい運ちゃんのタクシーでテルミニから20分ほど。運ちゃんは英語がほとんどできないということで、少し勉強したイタリア語でちょっとだけ会話しました。その後バチカン近くのホテルに到着。バチカンに行きやすいところということで、ここを選びました。ここも朝食なしのB&Bタイプ。部屋はとてもおしゃれな感じでしたが、普通の住宅用ビルを改造したようです。ホテルの前の通り。チェックイン直後ですが少し近場を散策。城壁の向こうがバチカンのサンピエトロ広場方向。あっという間にバチカン入国。といってもどこが国境だかわかりません。この道路あたりがたぶんそう。これで今回の遠征での訪問国は6カ国目。通算50か国訪問を達成しました。横には噴水。城壁に見えたのは水道橋?サンピエトロ広場。サンピエトロ寺院。でかいっす。バチカン市国の力を感じますね。サンピエトロ広場を背に。一度ホテルに戻り、宿泊者が自由に行ける屋上のテラスで一服。B&Bタイプだとこのように俄か居住者の気持ちが味わえるのでナイスです。テラスからの景色です。一度部屋に戻り、翌日のバチカン博物館の予約をネットで行いました。地球の歩き方等に予約してから行くと長蛇の列に並ばなくてよいということが書いてあったのですが、これはそのとおりにして正解でした。このあとまた近場の散策に向かいます。まだまだ続くローマ編。
2014.09.02
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欧州レポート(13)、18日(月)の夜、パスポート盗難後、盗難証明をもらいに警察に行ったものの、対応できる人がいなくて空振り。意気消沈しつつゲストハウスへ戻りました。ただ、盗難証明は何とかなりそうなことがわかったので、めげずに次はザグレブまでの足の確保。最初Expediaでフライトの有無を見てみたら全然なさそうだったので、長距離バスをガイドブック等でみてみるとドブロブニクから11時間!何日もここドブロブニクで足止めになり、会社や実家にも迷惑をかけるのではないかと悪い結末になることが頭をよぎりました。気を取り直してネットでクロアチア航空のサイトをみてみると、20日のザグレブ行きフライトが一席残っていることがわかり早速予約(ザグレブの大使館近くのホテルも)。これで21日までにパスポート代わりの証明書が出れば、もとの予約したフライトは無駄になってしまいますが、その後別の経路(イスタンブール経由)で予定通り23日の朝に東京に着けそうです。あとは、戸籍謄本をどうするかですが、これが結構問題。大使館の方からは、原本でなくてもFAXで大使館宛に直接日本から送ってもらってもよい、と聞いたのですが、私の本籍地は品川区で実家の板橋区からは遠いのと、頼むのが80歳代後半の両親。とはいうもののほかに手段がないので、実家に電話し、翌日取りに行ってもらうことに。取れたら会社に速達で送って会社から大使館にFAXしてもらうよう、会社の同僚にも電話でお願いしつつ段取りをしました。その日にできることはそれくらい。盗まれた自分の不注意さが悔しくてこの日の夜はなかなか眠れませんでした。。 翌朝(ここから19日(火))、早めに目が覚めました。警察に行く前に、ザグレブから先の代替フライトも調べておこうと思い、もともと帰路でローマ~チューリヒ~東京という形で予約していたので、ザグレブ~チューリヒ便はないかと調べると、ちょうど良いフライトがここでも1席残っていて早速予約。これであと警察の証明書と戸籍謄本を揃え大使館で手続きすると、何とか予定通りのフライトで東京に戻れます。もうこのあと予定していたローマはまた今度、ということで完全にあきらめ、ローマで2泊予約していたホテルをキャンセルしました。戸籍謄本も、すでに実家の両親が区役所で入手して帰って来たと電話で確認しました。ただ、実家の父は私の会社名(長い)や住所が書けそうもないので、買い物に出かけた母が戻ってくるタイミングで再度実家に電話することにしました。これであとは警察に行くのみ。8時過ぎにタクシーで昨晩行ったドブロブニク警察署を再訪問。今度は話のわかる担当官がいたのですが、パスポートのコピーとかを持っていなかったので、ちょっと難儀しました。日本の運転免許証とツアー予約のバウチャーで何とか本人確認は事なきを得て、盗難証明を作成してもらいました。ちなみに作成には日本でいう収入印紙が必要で印紙は通りの反対側のキオスクで買えと案内されました。日本のかつての運転免許試験場のような感じ。盗難証明はクロアチア語でしたが、公印も押されたもの。私の生年月日、名前、盗難の経緯などが書いてあるようでした。さて、これで書類が揃ったのですが、盗難証明はザグレブまでの国内線フライトに乗るときにとられてしまうかもしれないので、何枚かコピーをとっておこうと旧市街の城壁の西側にあるヒルトンホテルのビジネスセンターに立ち寄ることにしました。まず先に無料インターネットコーナーで、予約したザグレブ便のEチケットやホテルの確認書をプリントアウトしました。その後、盗難証明のコピーのため、ヒルトンのフロントでそれを渡すと・・・「あれ、もしかしてこのパスポートはあなたのですか?」フロントの男性が不意にジッパー付ビニール袋に入ったパスポートと書類一式を見せてくれました。「え?それ私のです!」本当にびっくり。戻ってくることなどないと完全にあきらめていたので、信じられませんでした。まさに「ドブロブニクの奇跡」です!フロントのもう一名の女性の方の話によると、前の日の晩遅く、この袋を拾ってくれた方が、旧市街から最も近くにある外資系ホテルであるヒルトンのフロントまで届けてくれたとのこと。また、袋の中に私の宿泊先の確認書が入っていたので、それを見てホテルからもそこに電話してくれていたようです(ただし、夜遅かったのでゲストハウスのオーナーは電話に出ず、この日は私が警察に出かけたあとにヒルトンがゲストハウスに再度電話してくれたそうですが、私はつゆ知らず・・・)。袋の中のパスポートと書類は完全そのままで無事、ユーロのコインが抜き取られただけで実害はほとんどありませんでした。あの女の子たちは万引き感覚で袋を抜き取り、コインをせしめただけで残りはそのへんに投げ捨てたんでしょう。でも、完全な形で戻ってくるとは、さらにこんなに早く戻ってくるなど、夢にも思いませんでした。どこにも親切な方はおられるんだなあと実感しました(涙)。ヒルトンのフロントの方々には丁重にお礼を伝え、すぐさま実家の両親と会社の同僚にも報告しました。実は年老いた両親に速達で会社に戸籍謄本を送ってもらうところが一番ボトルネックになっていたのですが、余計なご心配をおかけしてすみませんでした。。その後ゲストハウスに戻り(オーナーのじいさんがノー天気に「ヒルトンから電話あったよ」と言ってましたが)、予約したザグレブ行きやその先へのフライトやザグレブのホテルを急ぎネットと電話でキャンセルしました。一部はキャンセル料が出ましたがパスポートが見つかったご祝儀ということでよしとします。また、大使館の方にもご迷惑をおかけしたので顛末をすぐ電話で報告しました。この前のプサンでもそうでしたが、本当、いろいろな人に助けられて生きていることをまたまた改めて実感する次第です。あとは予定どおりの旅程に戻りますが、ローマのホテルをキャンセルしてしまったので、再度Expediaで予約。結果的にはもともとこの日何も予定を入れておらず、予備日として余裕のある日程にしていたことが功を奏しました。そんな、「ドブロブニクの奇跡」のお話でした。この経験が何かのお役に立てばと思い、ありのまま時系列に書いてみました。でも、皆さんもパスポート盗難には気を付けましょう。自分は旅慣れている方なこともあり、最近は油断が多かったので、初心に帰り今後はやはりパスポートのコピーは持っていこうと思います。それと、インターネットやスマホで効率的な対処ができましたが、これ昔のように何もない時代だったらどうなったんでしょう。ドブロブニクかザグレブで何日も留め置きになったかもしれません。。一件落着したので、夕方まで一眠りしたあと、食事に旧市街へ。今度はパスポートは部屋に置いていくことに。クロアチア最後の晩はピザで締めました。こんな猫の写真も撮りたくなりました。最後の旧市街。最後の旧港から見る景色。それの夕陽モード。昨晩このあたりでパスポートを盗難されましたorz部屋に戻り最後の夜景。翌朝は4時起きなのでこれで就寝、激動の一日でしたが、思い出深いドブロブニク滞在となりました。。
2014.09.01
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欧州レポート(12)、18日(月)のモンテネグロからドブロブニクへの帰路。コトル湾を渡るフェリーの船上からです。間もなくフェリーは対岸に到着。このあとは再びクロアチア国境を越え、18時過ぎにはドブロブニクのロープウェイ乗り場に戻って来ました。前日のボスニアといい、この日のモンテネグロといい、日帰りで陸路で簡単に行ける隣国、日本では考えられないですね。あと、そんな隣国と戦争をつい20年前にしていたということも信じられないですね。また晩飯の場所の物色に旧市街へ。大噴水の前。少し見慣れた光景になりました。プラツァ通りに差し込む強い西日。この日の晩飯はまずミニサラダ(といってもでかいですが)から。メインディッシュはリゾットにしました。ムール貝とか入ってます。晩飯を終え、日が暮れたプラツァ通り。ライトアップされた聖ヴラホ教会。かなり暗くなりました。夜の旧市街も雰囲気あります。夕陽モードで撮ってみました。これも夕陽モード。絵になります。ピレ門方向まで散策。再びプラツァ通りを通って帰ることにしました。ドブロブニク出発は二日後の早朝。翌日は何も予定を入れていなかったので何をしようかと考えながら帰路に。いつものように東側のプロチェ門を経由してゲストハウスへ。。さて、ここから思いもよらぬ事件の始まりです。ちょうどその門を出るあたりで左肩にかけたリュックがなんだか引っ張られたような気がしました。後ろには中学生くらいの女の子が2人歩いていましたが、特に気にせず門を出るともう1回引っ張られたような気が。。門のところでリュックをよく見てみると、3つあるファスナーの一つが全開。。もしやと思って中をみると、そこに入れていたビニールのジッパー付の袋がなくなっていましたorzその袋にはパスポートのほか、たぶん1000円以下の20枚くらいのユーロのコイン、それとEチケットや宿泊先の予約確認書等の紙が5~6枚入っていました。もともとドブロブニクの旧市街はスリが多いので最大の注意を、というのが在クロアチア日本大使館のHPにも書いてあったので、「やられた」とすぐに思いました。さっきの女の子たちにたぶんやられたんだと確信しました。周囲を少し見回しましたが、もう暗くなっていてどうしようもなく、大使館に連絡するにしてももう勤務時間外(領事館はドブロブニクにはなく、大使館は首都のザグレブに)なのでNGだと分かったので、まずは対策を考えるためにゲストハウスに戻ることにしました。ゲストハウスへの急な階段をつらい気持ちで上ったことを覚えています。知り合いにもパスポートを盗まれた人はいますが、まさか自分がそれに遭遇するとは。一瞬の油断だったので、とても悔しい気持ちでした。部屋に戻り(WiFi環境があったので助かりましたが)、まずは首都ザグレブにある日本大使館の連絡先をネットで調べましたが、勤務時間外なので明日の朝にならないとNG。でもたまたま持って行った某旅行雑誌の後ろの方に「事件や事故のときの緊急連絡先」というのが書いてあったのでケータイから電話してみました。しかし、誰も電話に出なかったので翌日トライするしかないと思っていると、先方から大変親切なことに電話をいただきました。大使館の方からはパスポート紛失のときの対処方法として、(1)現地の警察で盗難証明書取得(2)日本から戸籍謄本取り寄せ(3)ザグレブの大使館で緊急発行(写真と手数料別途)であると教えていただきました。まずは(1)に着手。警察と言ってもどこにあるのかわからないので、日本でもかけたことのない「110番」にあたるクロアチアの警察の番号に電話をしてみました。「英語が話せるか」と聞くと、同時通訳的な第三者も電話に出ました。事情を話し警察の場所を聞きましたが、地名がよくわからず、断片的にビル名だけなんとか聞いて、ロープウェイ乗り場前にたまたま停まっていたタクシーを捕まえドブロブニク警察署へ(ここには警察署は一か所しかなかったようです)。タクシーの運ちゃんにも同情されましたが、夜遅いので警察前で待っててもらおうかと思ったものの、あっさりドライに去っていきました。警察署の窓口(当直)の警官に事情を説明すると、「申し訳ないが英語ができる担当者は明朝来るので朝9時ごろに来てほしい」と言われ、ゲストハウスにすぐ戻る羽目になりましたが、このときタクシーがなかなか見つからず市内方向へとぼとぼ10数分歩いているときはしんどかったです。。続く。。。
2014.08.31
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欧州レポート(11)、18日(月)モンテネグロのコトル旧市街の続き。城壁の中の教会。厳かな感じがしますが。。横で神父?がイコンなどを売っているのがとても商業的。。こちらがその古い教会。こちらはもう一つの新しい教会の中。こちらは商業的ではありません。外側はこんな感じ。再び広場前。城壁ツアーを終え、そろそろ集合時間が近づいてきたので、外へ出ます。出入口の門です。城壁の外のテラスで一休み。コトル旧市街の地図。STARTの左下あたりにいます。 ここにも豪華客船が。この時期地中海クルーズは相当たくさん出てますね。再びお濠を渡って待合場所へ。いい景色です。コトルの後は、湾の外側のリゾート地、ブドヴァというところに行きます。青い海。ブドヴァ市内が見えてきました。この時期、観光客でとても混雑しているようです。ここはヨットハーバーとか砂浜とかあり、関東地方でいえば葉山みたいなところでしょうか。ガイドによると、このあたりはロシアからの投資やロシア人の観光客が多いとのこと。海辺はオープンなレストランが並びます。ロシア語でレンタルのモーターボートの客引きが多かったです。リッチな雰囲気。この港にも城壁に囲まれた旧市街があるので行ってみることに。大型のプレジャーボートもたくさん。城壁の中のレストランで昼食。ここではツナサラダをいただきました。テーマパークみたいな感じの旧市街城壁。手前には潜水艦。。集合時間まで少しあるので、市内を散策。ハワイに行ったことはないですが、ハワイみたいなところです。南国のこざっぱりした雰囲気。ショッピングモールにも入ってみました。こういうのはどの国に行ってもあまり変わりませんね。グローバル化の賜物って感じ。ブドヴァの砂浜。ブドヴァは今回回ったいろいろな都市とはちょっと違う感じのところでした。ドブロブニクへの復路は、コトル湾を大回りせずに、ショートカットで青い点のところからバスごとフェリーに乗ります。あんな感じの船です。乗船開始。対岸までは5分程度。前に桜島~鹿児島市内で乗ったフェリーを思い出します。フェリーからの景色。続く。。
2014.08.31
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欧州レポート(10)、18日(月)のモンテネグロの古都、コトル到着から。コトルは古代ギリシャ時代からの歴史があり、中世ではベネチアの勢力下に入ったあと、オスマン帝国の拡大に備えてこの城壁が造られたそうです。ここは山が迫っています。「モンテネグロ」という国名は「黒い山」という意味(ちなみに中国語で「モンテネグロ」はそのまま「黒山」)で、黒く見える山から来ています。ガイドによれば、モンテネグロは65万人という人口(広さは福島県くらい)の小国ですが、男性の平均身長は世界で第3位くらいということで、バスケット選手とかでは優秀な選出の産出地であるとか。。ここでローカルのガイドが合流。城壁の中に入ります。後ろの山には上の方まで万里の長城のような要塞があります。市内には内戦時に廃墟になった建物がそのまま残されています。ガイドの説明では、内戦で城壁のある旧市街や外側の市街地も破壊され、一時は誰も住む者がいなくなったそうです。その後復興が進み、最近では観光地として復活。コトルの旧市街は内戦以前から世界遺産でしたが、最近は風光明媚な観光地として人気が上がっているようです。城壁内に入ります。ドブロブニクの旧市街よりさらに小ぢんまりとしていますが、ここも違った趣で良い感じ。歴史のある鐘楼。中には普通に人が住んでいます。右下の人がローカルガイド。このあたりの人はどこに行っても英語が普通にしゃべれますね。ナイスな角度。山に木が少なく、岩がごつごつしているというのがこのあたりの共通ですね。ここに限った話ではないですが、Free WiFiスポットがこんな感じで至るところにありますね。左側がモンテネグロの旗。右はコトル市の旗という説明があったような。。スマホでも撮影。海洋博物館というのがどこの旧市街にもありますね。レストランのメニューを写したつもり。バルカン半島の国はトルコっぽい料理がやはり多いですね。トルコのケバブはここではチェバウとか言っていたような気がします。井戸でしょうか。古い教会か水道か。こちらは新しめの教会。このへんの国は正教ですね。違いがよくわかりませんが。。城壁の東側にある要塞。ここは湧き水だそうです。緑色にみえる水の美しさに目を奪われます。透明度が高いです。クロアチアで最近人気の観光地、プリトヴィッツェ湖群国立公園の湖もこんな感じの美しさなんでしょう。今回はコトルで代わりにそれが見られた気がします。港も緑色です。城壁の上から。真ん中に廃墟も見えますが、こんなところで戦争しちゃいかんですね。。古そうです。城壁をおり、旧市街をもう一回り。続く。。
2014.08.30
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欧州レポート(9)、8月18日(月)のモンテネグロ日帰りツアーの続き。陸側に深く入り込んだコトル湾の入口あたり。 田舎道にあるドライブインでトイレタイム。しばし周囲の景色をどうぞ。この車は乗っていた中型バス。クロアチアから来てこの先モンテネグロの東側の国、アルバニアへ続く道路なので、結構交通量が多かったです。ガイドによれば、アルバニアからは欧州諸国へ出稼ぎが多いのですが、お金を稼いだアルバニア人は国に戻るときは飛行機でなく、車を買ってそれで運転して帰るのを周囲に見せつけたいので、そのせいでアルバニアに向かう道路は結構混雑するということだそうです。途中のヘルツェグ・ノヴィという街。街中は結構賑やかなところです。その少し先、コトル湾の対岸までが数百mしかない最も狭い海峡のようなところで撮影タイム。ここが対岸まで最も狭いところ。ガイドは、そう遠くない将来にここに橋がかかるだろうと言っていました。確かに車で湾をぐるりと回ると相当距離があり、もう少し海側にはフェリーが運航されています(復路はフェリーでした)。こちらは遠いほうの対岸。そこをアップで。これは海に続く方向。これは観光客が立ち寄ると活発になる売り子の方々。そういえば右端の車のような、キャンピングカーを昨日からの道中でたくさん見かけました。裕福な人が多いですね。モンテネグロあたりはロシア人の金持ちが海辺の家を買い占めたりとか、ロシア企業が結構この地域に投資しているとかがわかりました。これは湾の奥のほうですね。こんな場所(真ん中の一番湾が細いところの左岸)で撮影してます。目的地のコトルはぐるっと湾を回って一番奥。モンテネグロ語で「Welcome」という意味です。スマホのカメラでもばしばし。いい景色っす。対岸には人工島も。こんな感じでほかの方々もばしばし。ようやくカメラスポットを出発。走行中も車窓からの景色をばしばし。この角度、手前みそながらいいっすね。先ほどの撮影スポットのちょうど反対側に来ました。湾を回りきってコトル到着。この要塞の向こうに城壁と旧市街があります。昨日のボスニアのモスタル同様、最初の30分ほど現地ガイドが同行して説明し、あとは2時間くらいのフリータイムになります。続く。。
2014.08.29
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欧州レポート(8)、17日(日)のボスニア・モスタルツアーからの復路。ボスニアのネウムからクロアチアのドブロブニクの途上。ここからは再びクロアチア領内。復路は右側座席が海側になるので、綺麗な景色にシャッター連射。。美しい青。ドブロブニク市内に戻って来ました。旧市街はまだ少し先。この橋のあたりで数名のツアー客が下車。このあと何か所かホテルを回り、私は最後から二番目でロープウェイ乗り場近くで下車。ボスニア・ヘルツェゴビナ日帰りツアー、大満足でした。モスタルも良かったですが、二度の国境越えもとても感動しました。。さて、ドブロブニク旧市街へ戻ったので、そのまま夕食の場所を物色。ゲストハウスへ帰るためには長くて急な階段を上らないといけないので、なるべくその回数を減らすために直行。日課となりつつある広場前に来たら、サッカーのサポーターのような団体が大声でエールを上げていました。この日の晩飯はカルボナーラ。ここはイタリアとはアドリア海を挟んで対岸になるので、パスタとかピザとかイタリア料理も豊富。食事も終え、少し旧市街を散歩したり、飲み物などを買物したりして俄か住民気分を味わいます。このような現地化が最近の海外遠征のテーマです。。ゲストハウスに戻り、アドリア海と城壁を観ながら一服。至福のひとときです。。 さて、ここからは18日(月)。この日は東側の隣国モンテネグロへの一日ツアーです。モンテネグロへも前日のボスニアツアーと同じ会社の一日ツアーを前もって日本から予約していました。やはり同じようにロープウェイ乗り場前に8時少し前の約束した時間にバスがやって来ました。前日のボスニアツアーより一回り小さい、マイクロバスくらいの大きさ。人数も10数名と平日のためなのか少人数でした。この日も右側の座席でしたが、東へ向かう道なので往路に素晴らしい景色が連続。こちらの島はドブロブニクから簡単に船で行けるロクルム島。ドブロブニク旧市街を振り返る角度。少しずつドブロブニクから遠ざかります。助手席の同行ガイドの真後ろに座ったので、ドライブ気分で一枚。山道の途中にあるモンテネグロとの国境の検問所です。山側はこんな感じ。ここで運転手がまとめて我々ツアー客のパスポートを持って行って何か手続きをしていましたが、ここもボスニアと同様、パスポートにスタンプは押されませんでした。モンテネグロに入国。陸路の国境越えは楽しいです。緊張感は全くありません。ここでの主な目的地はコトルという古都。フィヨルドのような入り組んだ海岸線を通っていくので、かなり大回りをしていきます。続く。。
2014.08.28
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欧州レポート(7)、17日(日)のモスタルの続きから。旧市街のバザールと要塞などを散策し、再び橋を渡って戻ります。また橋の上から。こちらは先ほど上った要塞。橋の真ん中から川へダイビングしようとしている人がいます。ここでダイビングコンテストも行われるとのこと。ただ、なかなか飛び込もうとしません。。川のほとりのレストランで昼食をとることに。まずは地元のビールSarajevsko。サラエボビールというような名前なんでしょうね。Japlakという地元料理。挽肉をホウレンソウの葉っぱで包み。ヨーグルトを添えて食べる素朴な料理ですが結構私の好みでした。なんとなく、去年行ったトルコの料理とやはり通じるところがあります。レストランからは見える橋。川も美しい緑色。対岸のバザール。旧市街を抜けて、集合場所近くまで戻ってきましたが、まだ時間があるのでその辺を適当に散策。旧市街と打って変わってその外側はとても近代的な建物ばかり。左へ行くとドブロブニク、右へ行くとサラエボ。行きにも見えた銃弾跡の残る放置された建物。とはいうものの、上に看板が乗っているので、戦争の傷跡を残すためにそのままにしているようです。少し歩くとここにも半分廃墟になった建物。今の復興されている部分の街並みととても対照的ですが、わずか20年前に本当にここで銃撃戦や空爆があったとは信じられないです。ガソリンスタンドが気になりました。集合場所のランドマークを確認。早めに集合場所に戻ったので、しばしオープンカフェで一服。軒下から霧のようなものが出ていますが、今回行った国では多くの店でこのようなミストを強力に噴射させているところが多かったのが印象的でした。最近仕事でデータセンターの冷却にミストを使うのが主流になりつつあるということを知りましたが、同じ流れの話ですね。首都高の山手トンネルでもミスト冷却してますし。ここも銃弾跡。。このあとバスはモスタルを出発。車窓から見えたブドウ畑。このあたりは温暖な気候なのでワインの産地です。延々と続くブドウ畑。往路で通過したクロアチアへの国境は渋滞が予想されたため、山の中の別のルートを通りました。ボスニア~クロアチア国境の検問所。ここは渋滞なくすっと通りました。その場所がここ。右上の方にモスタル。しばらくネレトヴァ川沿いに南下。アドリア海が近づいてくると急に低地が広がり、格別の景色に。アドリア海に到達。入江にビーチも見えます。この先、再びボスニア領のネウムに入ります。青い建物が検問所。再びボスニアのネウムに入りました。ビーチが混雑しているのがよく見えます。海もきれいですね。ドブロブニクまではあと1時間くらいの距離。。
2014.08.27
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欧州レポート(6)、17日(日)のボスニア日帰りツアーの続き。あと30分くらいでモスタルという位置にあるポテチリのトイレタイム。地元の民族衣装が美しいです。眼に入るものになんでも感動してしまいますね。。モスタルに向かう道路の車窓から。モスタル市内が見えてきました。旧市街近くにあるこの教会そばの駐車場でバスを下ります。ここからはローカルのガイドが30分ほど旧市街中まで案内し、そのあと自由時間になります。15時にこのランドマークの塔の下に集合。この教会は内戦後に建てられた新しいものの模様。左に行くとモスタルの観光の中心、旧市街とスターリモスト。左の建物は内戦時の銃弾跡が多数残ったまま。。このあたりが旧市街の入口。真ん中にたなびくのはボスニア・ヘルツェゴビナ国旗。ガイドから「スリに気を付けて」と言われました。もうすぐスターリモストが見えてきます。来ました。眼鏡橋のような急峻なこの橋がスターリモスト。「古い橋」という意味です。この橋はオスマン帝国時代の建設でしたが、ユーゴ内戦で破壊され、戦後ユネスコ等の支援により2005年に復建されました。世界遺産です。橋の上から見えるモスク。下を流れるネトレヴァ川の緑色の水も美しいです。これは下流の一つ先の橋。このあたりの山はどこも急峻でごつごつとした岩山が多いですね。橋を渡り終えました。旧市街の中を散策。途中何回かガイドから説明がありましたが、このモスタルはかつてオスマン帝国が西に張り出してきたときに最も西側の中心地にあたるところ。なので、アジア風の雰囲気が味わえるというのが売り。ただし、この土地の統治者は数百年の間で何度も変わり、住民はそれに翻弄され、その結果いろいろな宗教、民族がモザイク状になる結果となったということで、それが痛ましい内戦につながったわけです。改めてバルカン半島の歴史を勉強させてもらいました。さて、これがスターリ・モストの全景。こんなところが戦場になったとは、俄かに信じがたいのですが。。ユネスコの世界遺産認定の表示。要塞の上から眺めてみます。眼下の橋。下流方向。要塞から降りる階段。まだまだ続く。。
2014.08.27
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欧州レポート(5)、17日(日)はドブロブニクから日帰りでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルまでのツアーの日。朝、部屋から見える城壁の景色。テラスに出てみました。朝は爽やかな風が吹き、涼しくて嬉しいです。手前の紫色の花にピントを合わせてみました。モスタル日帰りツアーには、5月末ごろに日本からネットで探したサイトから予約。往復のバスとモスタルでの一部ガイドツアー(英語)とフリータイムという内容で、日本円で6000円程度ととてもお得。ネットのおかげで本当に便利になったものです。8時すぎにロープウェイ乗り場前に迎えの車が来て、他の客(20人くらいいたでしょうか)とともに別のホテル前から大型バスで出発。写真はその近くのドブロブニク新港。新港近くのドブロブニク橋の近くの景色。こちらが橋の全景。眼下に停泊する大型客船。バス右側の席をとってしまったのが失敗でしたが、途中まで左側にアドリア海にたくさん浮かぶ島や半島を観ながら西方向へ走ります。万里の長城みたいな遺跡がみえます。クロアチアの飛び地であるドブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くには、2回国境を越えます。ボスニアがアドリア海に接する唯一の街ネウムの手前で1回目の国境を越えます。国境の検問所。ここは比較的車もすいていて、高速の料金所みたいな感じ。国境越えはいつも感動しますが、陸路の国境は特に嬉しいです。ネウムで最初のトイレタイムになったドライブインからの景色。ネウムのある海岸線20km部分がボスニア唯一の海岸線。ここはボスニアが港を作るために海岸線を要求したからというわけでなく、歴史的にはオスマン帝国とかオーストリア=ハンガリー帝国の勢力範囲を分けるための緩衝地帯として設けられたらしいです。対岸はクロアチアの半島。細長い湾の先にアドリア海があるという位置関係。こんなところです。建物の階下にスーパーがありましたが、何故かこれらの国旗が。ここはクロアチアの通貨クナがそのまま使えます(ボスニアは「兌換マルク」というかつてのドイツマルクと固定レートになっている通貨を使っています)。ネウム対岸のクロアチア領にはクロアチアのチェッカーの印。アドリア海方向をアップ。このあとネウムを出発、再びクロアチア領内を走ります。再びボスニアとの国境のすぐ手前に来ました。この小屋は国境警備関係者の小屋の模様。通過中の道路は、ボスニアのサラエボ方向への幹線道路のようなので、国境手前で長蛇の渋滞になっていました。ボスニア・ヘルツェゴビナの看板。ボスニア語はラテン文字とキリル文字の両方を使います。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナというのが国全体の名称で、かつてムスリム人といったボスニャック人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「スルプスカ共和国」の二つから成り立っているという複雑さ。前者がラテン文字を使い、後者がキリル文字を使っています。この地域の難しさが改めてよくわかります。さらに国名の看板。その先にボスニア側の検問所。ここで同乗のガイドがツアー客のパスポートをまとめて手続きを行っています。ツアー客だからなのか、パスポートにはスタンプは押されませんでした(ボスニアはシェンゲン協定非加盟かと)。ここがボスニアとクロアチア間の中間になる建物のようです。こちらが背後のクロアチア側の検問所と思われる建物。国境から北上、モスタルに向かう途中の車窓の景色。田舎の景色ではありますが、家はみんな結構立派です。モスタルの前にトイレタイムでポテチリという遺跡のある小さな町で停車。これはモスクっぽいですね。モスタルはイスラムとキリスト教の接点の街ですが、ここもそんな感じのようです。続く。。
2014.08.26
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欧州レポート(4)、16日(土)昼です。城壁の上を引き続き一周中。見下ろすと、家が崩壊しているところがあります。ここは遺跡なのか、20年前のユーゴ内戦のときの爆撃跡なのでしょうか。。さらにこんなところを進んでいきます。右側はロクルム島。城壁の内側は普通に人も住んでいますし、こんなコートもあるわけです。振り返ると城壁の下が狭いビーチになっています。このあたり、景色は最高ですが砂浜のビーチというのはあまり多くないです。パラセーリングな方も。海の色が独特。小さな潜水艦も見えます。山側を見てみます。写真中央の右側、赤い屋根のない白い建物がたぶん私が宿泊しているゲストハウス。先ほど行った旧港の上まで来ました。城壁の上にある最も高い位置にある要塞からの景色。この要塞から先ほどの景色を見ていたわけです。城壁一周終了。途中の喫茶店で一休みしたりしたので、1時間くらいかかりました。再び地面におりて昼食の場所を物色。路地にあるオープンなレストランでこの魚とポテトの料理をいただきました。昼食後、再び旧市街をぐるぐる回ります。旧港の近くの城壁にある海洋博物館に入ってみました。これは昔の船乗りのパスポートに相当するもの。中世ごろ、ラグーサと呼ばれていた時代のドブロブニクでしょうか。港にはこんな最新鋭のボートも。旧港を観ながらしばし一服。海賊船?クルーズもあります。このあと、一度ゲストハウスに帰って一眠り。海外でこのような俄か普通の生活をするのが至上の喜びであります。。夕方、晩飯のために再び旧市街へ。まずは大聖堂の中に入ってみました。教会のパイプオルガンって何か惹かれるところがあります。。この日の晩飯。ナスとパプリカとハムとチーズの何とかという料理。。食後にまた散策。昼間は30度以上あり日本並に暑いですが、夜になると結構過ごしやすかったです。プラチャ門の衛兵。ロープウェイ乗り場前のバス停そばの店にあった空港行きバスの時刻表。4日後のドブロブニク発フライトが朝早いので、足をどうしようかと思っていたのですが、思ったより便利なところに投宿したようです。翌日は隣国、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへの一日ツアーです。。
2014.08.25
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欧州レポート(3)、15日(土)のお昼、旧市街の城壁の中から。プロチェ門を進んで振り返ったところ。さらに進んでいきます。左に行くと旧港。突き当たって右が中心部。ルジャ広場にある聖ヴラホ教会。これがメインストリートのプラツァ通り。隙間をみると、路地と山側へ連なる長い階段。あの階段は伊香保温泉のそれとも似ています。。聖ヴラホ教会の祭壇。ちょっとリアルな感じもします。。こちらは大聖堂。旧港に出てみました。港は私の宿泊するゲストハウスの方向。真ん中に先ほどロープウェイで行ったスルジ山の頂上が見えます。オウムの群れ。正門ともいえるピレ門近くの「オノフリオの大噴水」。15世紀に造られた水道用の源泉ですが、今も現役、飲用も可能。その近くにあるフランシスコ会修道院の建物の中にあるクロアチア最古の薬局がある博物館。修道院の中庭。昔の様子。撮影禁止でしたがかつての薬屋が復元されていました。さらには現代的な本当の薬局もありました。再びオノフリオの大噴水。一旦、西側のピレ門から城壁の外に出てみました。ここからもきれいなアドリア海。ピレ門を外側から。また山の方向を見てみます。またピレ門。この写真でFacebookにチェックイン。ピレ門を背にすると、屋根の色は統一されていますがかなり近代的な街の雰囲気。城壁外の見晴らしのよいところを少し散策。カヤック体験ツアーもたくさん出ていますが、私にはムリです。遠くに豪華客船。青が濃いのは透明度が高いからなのでしょうか。今度は城壁の上に上ります。約1時間くらいかけて城壁の上を一周します。あれが一番城壁で高いところですが、反時計回りの一方通行なのであそこは最後に。先ほどの大噴水を見下ろします。プラツァ通り。西の山側。クロアチア国旗。 ピレ門と城壁外を見下ろします。ここは海が緑色に見えますね。素晴らしいっす。振り返って山側。城壁の最西南端へ登っていきます。さらに城壁一周続く。。
2014.08.24
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欧州レポートその2、8月16日(土)クロアチアのドブロブニクの朝から。朝、ゲストハウスのテラスに出てアドリア海と旧市街を観ながら一服。このゲストハウスはExpediaで予約したものですが、一泊7000円くらいと安価。かなり年配のじいさんのオーナーが一人で面倒を見ていますが、部屋はなかなかきれいで一通りの設備やアメニティも揃っていました。前の晩到着したときに中から返事がなくて一瞬宿泊なしかと思ってちょっとビビりましたが。。急斜面にへばりつくようなところにありますが、景色はナイス。こういうところは最近B&B(Bead & Breakfast)といって、安価で地元生活を味わえるので人気がありますね。ただ、ここは朝食は自己解決なので、最初の朝は坂の下のパン屋で買ったパンだけでしたが。。ゲストハウスの入口。庭にあったミカンの樹。温暖な気候なので、なんでもよく育つそうです。では、出動。長い階段を下りて城壁に囲まれた旧市街の方へ。その前にロープウェイに乗り、旧市街を見下ろすスルジ山の頂上に行くことにします。ゲストハウスからは至近で、ここは空港行きのバスの停留所もあり便利なところです。ロープウェイが発車。私の滞在するゲストハウスはちょうど写真の左上あたり。だいぶ上がってきました。頂上に到着しました。これです、アドリア海の真珠。左側には十字架が。ドブロブニクといえばこの写真の角度でしょうか。旧市街をアップ。ちなみに、ドブロブニクはローマ時代から歴史がありますが、中世はラグーサという都市国家。ベネチア共和国が栄えたころに双璧だったことも。1ヶ月ごとに総督を替えて独裁者が出ないようにして民主的に国を運営していたり、疫病を中に入れないように40日間外部からの訪問者を隔離するルールを作り、それが後の「40」という意味もあるQuarantine(検疫)の語源となったり、世界最初の薬屋を作ったり、欧州でも先進的な地域だったそうです。その後ベネチアの影響圏に入ったあと、近世・近代ではナポレオンに占領され、オーストリア・ハンガリー帝国に編入されます。第二次大戦中はナチスの傀儡国家になり、戦後はユーゴスラビアの一部に。そして20年前のユーゴ内戦ではここもセルビア軍に攻撃されました。そんな悲しい歴史があったとは思えない美しさ。青色が濃いです。頂上の背後はこんな荒涼とした景色。このロープウェイは数年前に開通したらしいですが、歩きだと私には到底来れませんので助かりました。頂上のアンテナとクロアチア国旗。では、山を下ります。再び乗り場前のバス停。今度は城壁の中へ。東側のプロチェ門から入ります。プロチェ門近くから見た旧港。かつてはここがドブロブニクの交易の中心だったわけです。ちなみにここからずっと数km西に行った方に豪華客船なども停泊できる近代的な港湾があります。かつての砲台。向こう側に見えるのはロクラム島という小島ですが、あの島があるおかげで海風が抑えられてドブロブニクの気候にも貢献しているとか。ちょうど地図の右上から城壁の中に入ったところ。さらに続く。。
2014.08.24
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さて、15日(金)から今日の早朝まで欧州方面に遠征してきました。今回の主目的は、クロアチアのドブロブニクと、それをベースに旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、モンテネグロのコトルのそれぞれ日帰り、帰りにローマに寄り、バチカンを訪問という形で訪問済の国を5つ増やすということでした。旅程中いろいろありましたので、かなり冗長なレポートになりますが、よかったらお付き合いください。14日(木)の夜に自宅を出発、15日の未明便で羽田からまずはフランクフルトへ。機体はANAですが、私はコードシェアのLH便。現地15日の朝6時ごろフランクフルト空港到着。ここで乗継9時間くらいあるのでドイツ入国。事前に調べていたのですが、ここから電車で30分くらいのところにあるヴィースバーデン(Wiesbaden)という街は温泉で有名(「世界温泉遺産」というTV番組で情報を得ました)です。まだ早いので、空港内のIT系設備などを情報収集(フリーWiFiも各所で試してみました)。これはITと関係ないですが、リサイクル用のマシン。これはSIMの自販機。外で一服。聞いたことのない航空会社がたくさんあります。空港駅からヴィースバーデンへこの電車で。切符の自販機。欧州はこのパターンの自販機が多いですね。多言語、クレジット対応は当たり前。途中のマインツ駅。ヴィースバーデン駅に到着。駅の建物はどこも立派ですね。駅舎を背に市の中心部方向。こちらに目的地のKaiser Friedrich Thermeがあります。小雨も降ったりして気温は13度前後と寒かったです。駅構内のWiFiスポット。Thermeまでは駅から歩いて15分くらいでしょうか。途中にあった源泉。結構暖かかったです。日本にもあるような温泉成分分析書でしょうか。広場にあった旅行者向け端末。通信キャリアがやっているもので、公衆電話も兼ねているようです。こちらがKaiser Friedrich Thermeの裏側。朝10時営業開始なのでしばし周辺を散策。裏門です。こちらが表の入口。荘厳な建物で日帰り温泉という感じにみえませんね。こんな感じです。ここは由緒あるので昔のローマ時代のような男女混浴です。広場にあった源泉を処理する機械。真ん中が源泉が湧出するところ。右奥がThermeです。10時を過ぎたので入場します。中は写せませんが大きなローマ風浴槽や各種サウナが充実しています。料金が意外と安く1000円ちょっとくらい。日本の日帰り温浴施設とそれほど変わりません。1時間くらい滞在したあと、再び駅に戻ります。こちらは電車の切符。再びフランクフルト空港へ戻ります。欧州の温泉も悪くないですね。ハンガリーの温泉は欧州でも有名ですが、まだ行ったことがないので次の目的地候補にしたいと思います。フランクフルトからクロアチアのドブロブニクに到着。フライトは2時間弱くらい。途中からアドリア海の海岸線に沿って旧市街の上空からアプローチするのでとても美しい景色を空からも堪能できました。クロアチア、入国です。予定より1時間遅れて18:30に到着しましたが、まだこの明るさと暑さ。寒かったフランクフルトとは対照的です。タクシーに乗り海岸線の道路を西日の刺す方向へ。30分くらいで旧市街近くのゲストハウスに到着。景色はよいところなのですが、急斜面の結構上の方にあり、険しい階段を上がっていかないといけないのでかなり難儀しました。。これは階段の途中からの景色。7~8階くらいの高さがあったのでは。まずはようやく落ち着いたところでゲストハウスから旧市街方向の景色を一枚。翌日から本格的なドブロブニク散策が始まります。。
2014.08.23
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昨日・一昨日の連休は、直前に思い立って志賀高原方面に一泊で行くことにしました。土曜日は天気が悪かったのでちょっと心配でしたが、基本的に問題なし。関越道駒寄PAも混雑。最初の目的地は川原湯温泉。川原湯の共同浴場・王湯が代替地へ移転してごく最近開業しました。まずは八ッ場ダム建設のため、カウントダウンが進みつつある川原湯温泉の入口へ。上に見えるのはダムの近くにかかる橋。この右側、下流の方にダムができます。こちらは6月末で閉館した旧・王湯。数年前に一度来ましたがやはり寂しいものです。この周辺の有名な温泉も大半が営業停止してるようです。代替地に向かう途中。まだ道路は工事中のところが多いです。トンネルを抜け、川原湯温泉街の裏側のようなところにある打越という代替地にやって来ました。奥の方に見えるのが新・王湯。代替地から見た先ほど見上げたダム近くにできる橋。新・王湯です。今月開業したばかり。新しい木の香り。露天風呂もこじんまりとはしていますが、森の中のいい感じのお風呂でした。川原湯温泉のルーツ。1000年以上の歴史。道の駅八ッ場ふるさと館です。ダム第2橋のふもとにあります。2回目の訪問。その後草津を通過、白根山に上るケーブルカーの山麓駅で一服。万座温泉の万座プリンスホテルの露天風呂で一服。万座は私の隠れ家的存在ですが、万座プリンスホテルの露天風呂は相当久しぶり。温泉らしい温泉で嬉しいです。写真はホテルから空吹きの方向。このあと白根山の付近を通過しますが、最近の火山活動活発化のために駐停車禁止でした。横手山ドライブインで一服。そこからの景色。横手山の少し先の日本国道最高地点を通過し、志賀高原へ。この日の宿は志賀高原・発哺(ほっぽ)温泉のサンシャイン志賀というところ。熱めのお湯でした。晩飯。このあたりスキーシーズンは混みそうですが、この日の宿泊者は私を含めて3組程度でした。こちらはそのホテル。山奥のさらに奥の方といった感じ。冬は大変なところですね。部屋からの景色。ここからは月曜日。天気がよさそう。最近のスマホのカメラはとてもきれいに映るものです。。ホテルをチェックアウトし、発哺温泉のリフト乗り場のある広場から。眼下に雲。志賀高原のご由緒など。志賀高原を下り、長野側の湯田中温泉に近い道の駅・北信州やまのうち。その後菅平高原を南下、小諸を経てJR小海線(八ヶ岳高原線)の野辺山駅。ここはJR日本最高地点の駅。キャベツ100円、白菜200円です。裏手にはSLが。遠目に見た野辺山駅。このあと清里近くを通過。道の駅南きよさとです。道の駅で売っていた様々なカボチャの仲間たち。このあと中央道経由で帰路へ。総走行距離500km超、久しぶりによいドライブができました。次の遠征は長大距離の夏休み遠征へ。。
2014.07.22
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今日は明け方結構な雨が降っていたので出かけるのはやめようかとも思いましたが、8時過ぎになると天気も落ち着いてきた感じになったので群馬方面へ軽めに出陣。。関越道上里SAです。きれいな青空になっています。群馬といえば、あののぼりにあるように、富岡製糸場が世界遺産に認定されたので、いろいろなところで盛り上がっている感じです。一か所目は、群馬県で最も新しい、29番目の道の駅「くらぶち小栗の里」です。倉渕町は今は高崎市の一部になっていますが、長野県にも接しています。別の角度から。この背後に以前の町役場で高崎市役所の倉渕支所があり、それらとなった敷地と一体になっています。青空ですが、このあと急に雨が降って来ました。。倉渕は小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)の墓があり、道の駅の名前にもつけられています。といっても、小栗上野介ってあまり知られていないと思いますが、幕末、徳川幕府側で井伊直弼に仕え、条約の批准に関わったり、造船所建設を行ったり、幕府の要職について数々の成果を上げていたのですが、あまりに切れ者だったためか明治新政府から恐れられ、明治維新の年に斬首されたということです。坂本龍馬と双璧をなす偉人だったとのこと。次は倉渕温泉・長寿の湯。山間部の道路沿いにある一軒宿。露天風呂のお湯はかなりぬるめでしたが、この時期にはよいかもしれません。裏手の渓流の先には源泉らしきやぐらが見えます。倉渕温泉からさらに先に行くと、浅間隠温泉さらには長野原や草津方面に抜けます。なので、ここはこれまでもその帰りに何度か通過して気になっていたのですが、ようやく懸案が解決。次は長野新幹線の秘境駅・安中榛名駅へ。駅の手前の山越えの道路はちょうど大雨がやんだ直後だったようで、写真ではわかりにくいですが、まさに道路から湯気が上がっていて、霧が発生している最中。上昇気流が発生する仕組みがわかるような気がします。安中榛名駅です。先日の韓国・プサンからKTXで行った新慶州駅を訪れた際に、この安中榛名駅と似ている、と思ったのはこの前のブログで書いたとおりです。こちらの安中榛名駅が元祖・新幹線秘境駅だと思います。この駅には数年に一回、変化の状況を定点観測していますが、開業から15年経ってもあんまり変わらないですね。この先の方にJR東日本が開発している別荘型宅地がありますが、それ以外は閑散としてます。でも景色は抜群。駅の中は駅員と売店の人と観光案内書の人だけしかいなかったような。。新幹線は1時間に一本程度来ますが、それに合わせて駅前の駐車場にパーク&ライドをする客が来るといった雰囲気です。さて、その後は高崎市内へ。これは途中のJR安中駅前近くから見えた、山の斜面に張り付く工場。何を作っているかわかりませんが、秘密基地のような趣。工場萌えな人からきっと注目されていることでしょう。高崎の観音山に来ました。ここの売りは何といってもこれ。白衣大観音です。これまでも近くは何度か通り過ぎましたが、ついに近くでご尊顔を拝することができました。こちらはご本堂。真下から。このあと観音様の胎内に入ります。一番高いところから高崎市内方面の景色。これは反対側の山側。高崎のあとは東へ針路をとり、これもまた比較的最近できた道の駅・おおたへ向かうことに。このあと局地的に大雨に遭遇したりして、天気も下り坂に。ちょうどこのころ、自宅の方では物凄い雨が降っていたようです。。道の駅おおたです。太田市といえば、富士宮、横手とならび、日本三大焼きそば聖地ですが、太田ではいつも真黒な焼きそばで人気のある岩崎屋というところしか行っていなかったので、それ以外の焼きそばを食べようと思ったわけです。。ちょうどこれが売ってました。中が見えていませんが、これは黒くなく普通の感じではありました。そんなことで明日で6月も終わり、いろいろなものが来週から新しくなる前に、つかの間の効率的な遠征でした。
2014.06.29
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慶州観光を終え、再びプサンへ戻ります。短時間でしたが効率的にスポットを回れました。今度はタクシーで新慶州駅に戻りました。運ちゃんが吹っ飛ばしたので往路よりもかなり早く着きました。早めに駅に着いたので、駅でこの旅程最後の韓国めしへ。。このビビンバセット、皿がたくさんあって嬉しいです。韓国の味噌汁も素朴でいいですね。先頭車両の18号車だったのでホームの端っこが乗車位置。結構歩きます。反対方向。先に通過電車が来ました。目の前を高速で通過していく列車はちと恐いですね。。その後プサン駅に到着、あとは福岡への高速船ビートルに乗るため、国際旅客ターミナルへ。プサン駅から地下鉄に一駅乗って中央(チュンアン)駅から歩いて行けます。が、あとでわかりましたが、プサン駅から無料のシャトルバスも出ていました。。「出国」と書いてあるところからターミナルへ。チェックイン開始まで結構時間があるので外で一服。出航1時間前までにチェックインすればいいらしいです。15分前に乗船。船の旅、いいっすね。ちなみにビートルはJR九州と韓国の会社の共同運航のようです。ここからはほかに対馬行きの船なども出ています。高速船は通常のフェリーからは少し離れたところまで桟橋が伸びています。15:45、まもなくプサン港を出発。福岡までは3時間弱。船の中はこんな感じ。ゆったりしていて飛行機よりはくつろげますね。これまでフェリーやジェットフォイルはサハリン~稚内間、ヘルシンキ~タリン間のほか、国内では佐渡島とか伊豆大島、桜島、鳥羽とかで乗りましたが、飛行機と違って旅行してるなあという気持ちを感じさせますね。出航、プサン港の景色。クレーンがたくさん。出航してしばらく経つと、プサン方向へ向かう同型の船とすれ違いました。1時間くらいすると右舷に対馬が見えてきました。あのあたり、5年前の夏に行ったところです。対馬北端の日帰り温泉に行ったりしました。。ちなみに、先ほどの地点の少し前でキャプチャーした船の位置。韓国のキャリア、SKテレコムをバリ3くらいでつかんでいます。対馬の北端を通り過ぎても、まだSKテレコムの電波をつかんでいます。最近のケータイの電波は本当に遠くまで飛ぶものです。ここでやっと圏外になりました。このあたりは一旦電源を切るとソフトバンクの電波をバリ5で拾いました。やはり日本領内。でも、もう少し南下するとそれも圏外になってしまいましたが。。なお、船の中は無料WiFiがあったので常時接続状態でした。そして博多港に定刻どおり18:40に到着。福岡あたりに住んでいたら、頻繁に乗りたくなってしまいそうな良い船旅でした。このあと天神近くのビジネスホテルに投宿。少し休憩したあと、近くの西鉄の薬院駅から天神へ。西鉄に乗るのは初めてですが、福岡に行っても今はSuicaが使えるので本当に便利ですね。天神から中洲方面へ散策。中洲の屋台街。いいっすね、博多の街って。最後はラーメン屋で「焼きラーメン」。明太子マヨをお好みでかける形。そんなことでプサンで紛失したスマホ回収+慶州へKTX往復+福岡ということで無駄のないミッションを完了。最初の福岡行きフライトの予約日が間違っていて肝をつぶしましたが、結果オーライということで手元には似たようなスマホが二台。さて、このスマホはどうしましょうかね。。
2014.06.18
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韓国・慶州編の続き。プサンからKTXで約25分、あっという間に新慶州に到着。半分くらいはトンネルでしたが。。これは新慶州駅のトイレ。古都の感じが出てますね。ではこのあとは慶州市内へ。まだ新しいのでとてもきれいな駅です。「新慶州駅」とあります。駅の外はこんな景色。長野新幹線の秘境駅・安中榛名駅のような周囲にはなんにもなさそうな山の中のKTX単独駅。ここから慶州市内へはバスで20分ほど。結構離れてます。普通の路線バスで市内中心部へ。もっと時間があれば慶州で最も有名な観光地・仏国寺(プルグクサ)に行きたかったのですが片道50分くらいかかるとのことで断念。市内に入りました。慶州は新羅のときの都です。在来線の慶州駅前でバスを下りました。素朴な地方都市の駅の趣。駅構内の慶州観光地図。駅前の交差点。交差点側から駅を見たところ。駅すぐ近くの市場。この時期小型のカボチャ?がたくさん売られてます。慶州駅から10分ほど歩くと、こんな景色が見えてきます。慶州市内には至るところにこんな古墳があります。大陵苑(テヌンウォン)というところの北側まで来ました。スマホとタブレットの地図を使って歩くと、初めてでも迷いませんね。便利になったものです。その対面にあったお寺。大陵苑の北門。こちらは対面の建物。大陵苑の中にはこんな古墳がたくさん。丸っこい感じがいいです。全部新羅の時代のものですから、5~6世紀のものらしいです。松林もいけてます。南側の門まで来ました。こちらが正門の模様。大陵苑の説明です。新羅時代のこのあたりの地図。さらに南の方に向かうと広大な公園のようなところが。「世界遺産・慶州歴史遺跡地区」とあります。訪問済世界遺産がまた増えて嬉しいです。観光用の馬車とか。いい景色。東洋最古の天文観測施設といわれる瞻星台(チョソンデ)。それがこちら。その後市内中心部へ戻ることに。途中の街中にある古墳。たくさんありすぎて、このようにあまり整備されていない古墳もあったりするわけです。先ほどの古墳は交差点の左側のあんなところにあります。1時間くらい散策して再び慶州駅に。構内には昔の慶州駅や駅員の写真などもろもろ展示されていました。日本統治時代の駅の様子もあり興味津々。慶州駅のホームに入ってみました。右側の王族のキャラクターがいい雰囲気を出してます。再び駅前の市場を散策。なんだか大阪の商店街のようでもあります。。
2014.06.17
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金曜日のプサンの続き。ササン警察での紛失スマホのゲットがあっという間に終わってしまったので拍子抜け。そのままタクシーをつかまえて、プサン駅前の東横インに直行。前回の出張では繁華街西面(ソミョン)の東横インでしたが、プサンには東横インがたくさんあります。ホテルは16時からチェックイン可能なので、荷物だけ置いてプサン駅を散策することに。KTXが開通してからこんな立派な駅になったんでしょうね。駅前の大きな噴水。日差しは強かったのですが、日陰に入るとひんやりと涼しくとてもいい感じでした。KTXのホームです。欧州式で改札口がないので、ホームまで簡単に行けます。アテンダントのおねえさんのおじぎが素敵でした。こちらは在来線の特急ムグンファ号。改めて翌日これに乗ってみる決心をしました。さて、これは駅構内にあった大型タッチパネル式観光ガイド。4か国語対応。プサンはこのような観光用公衆端末が充実しています。これは前回の出張時の写真ですが、こんなものも。この大型端末からは、観光スポットを背に自分撮りができ、かつメールでその写真を送れるという優れもの。帰路の福岡のホテルでも同じようなものを観ましたが、韓国や西日本のほうがこういうの充実しているような気がします。東京も五輪に備えて参考にすべきかと。これはプサン駅前の横断歩道にあったもの。反対側にもう一本同じようなものがあり、赤信号のときにこの間を超えて道路側に出てしまうと、「危ないので下がってください」みたいな注意喚起の音声が流れてきます。こちらは駅前のチャイナタウンですが、最近ではロシア語の看板が目立つようです。極東ロシアからのロシア人も多いのかもしれませんが、見た目ではウズベキスタンとか中央アジアの人が多そうでした。韓国からも第二次大戦後の混乱でウズベキスタンやカザフスタンに強制移住させられた人がこれらの国には多いので関係あるのかもしれません。こちらは近くの草梁(チョリャン)市場。その後チェックインして部屋へ。プサン駅を見下ろすなかなか良い景色。このあとは前から目をつけていたプサン市内の中央やや北側にある東莱(トンネ)温泉にある虚心庁(ホシムチョン)という大型日帰り温泉施設へ。地下鉄でプサン駅から一本、温泉場(オンチョンジャン)という駅で下車して10分弱くらい。中は写せませんが、巨大な温泉施設で大満足。ついでにアカスリとマッサージもしてもらいました。豪華なつくり。東莱温泉は日本統治時代に日本人が開発。豪華な設備ですが、それほど値段は高くなく、風呂に入るだけならうちの近くの日帰り温泉、スーパー銭湯とほとんど変わらない感じ。締めはその近くの普通の店で晩飯。プサン名物?らしい「カルグクス」という麺。いろいろな色の麺があり面白いです。温泉場駅に向かう途中のケータイの店。「携帯電話」は「ヒュデ(携帯)ポン(Phone)」ですが、店の名前は「ヒュデポンランド」。温泉場駅です。再びプサン駅です。部屋からの夜景。充実した一日でした。ここからは土曜日。早起きしてプサン駅の自動販売機で新慶州(シンキョンジュ)往復のKTXチケットをゲット。とても簡単に買えます。新慶州はプサンからふたつ先、片道25分くらいで行けますが、新慶州に停車するKTXの本数はあまり多くないので、帰りの船便に遅れないように慎重に時間を確認。では、これからKTXに乗車。車内もきれいです。車内では専用の無料WiFiも。韓国は自動車は右側通行ですが、電車は左側なんですね。中国の東北部も確かそうだった気がしますが、かつての日本統治地域の名残でしょうか。続きはまた。
2014.06.16
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GW直後に韓国・プサンに出張したのですが、帰路プサン市内から空港へ向かうタクシーにスマホを置いてきたことを出国手続きのときに気がつきました。ズボンの右ポケットに通常スマホを入れている私ですが、前もスルッと座ったときにこぼれることがあったので、常時気を付けていたつもりでした。タクシーでは同行者に「慣れると油断して失敗することがあるから気を付けないとね」と偉そうに言っていた矢先の失敗でした。プサンの金海(キメ)空港でスマホがないことに気がついたのは、出国手続き前のセキュリティチェックのところ。ここで普通は手持ちのケータイとかを出すわけですが、「ない」。これまでも通常入れない鞄のどこかにあったりする場合もあったので、探してみましたがそれでもない。忘れて来そうなところを考えつつ、この日はいていたポケットが浅めのズボンを考えると、さっきのタクシーの可能性大。そういえば一人のときはいつも振り返って座席を確認するのに、さっきは確認しなかったような。。タクシーの領収書にはタクシー会社の連絡先があったはず。ただ、その領収書を預かっている同行者とは空港到着後別行動にしてしまったので、出国手続きを終えてからロビーで確認することにしました。金海空港の出国後のロビーはたいして広くないので同行者を見つけてタクシーの領収書と連絡先、ドライバー番号は確認。ただ、電話しても韓国語では無理なので、同行者の発案でGoogle DeviceManagerというやつ(忘れてきたスマホがGmailが立ち上がっているので追跡可能)を使ってスマホをリモートで何回か鳴動させました。Google Map上でもスマホがあるとおぼしき場所が探索できました。その後気がついたタクシードライバーが電源を切ったようです。さらにドコモのコールセンターにも電話し、サービス停止手続きをしてもらいました(翌日家の近くのショップで代替機を買ってサービスは復活)。帰国後、会社の韓国語堪能な同僚にタクシー会社に電話してもらって、該当のドライバーを探してもらったところ、空港から数kmのところにあるササン警察署というところに届けたということがわかりました。また、警察の預かり先の係と担当官の名前も教えてもらいました。韓国語が話せる人が身近にいなかったら、この確認はできなかったのでとても助かりました。このあと、自分でプサンの日本総領事館に電話をし、どうしたらよいか相談しました。あわよくば送ってもらおうかとも思いましたが、安全上の問題で紛失物を総領事館が代わって送るのは不可能とのこと(前はそういうこともしていたらしい?)で、その代わりに該当の警察署に連絡して少し長めに保管(通常は2週間くらいで遺失物扱い?)をお願いしておくが1か月くらいでしょう、とのことでした。取りに行く時間なども同僚から何度かササン警察に電話してもらって、確実にゲットできるようにしました。ということで、長くなりましたが、今回休みを一日とって自分で取りに行くことにしました。完全に紛失したものらしょうがないですが、警察に預かってもらっているわけですし、見つけ出すのに同僚や領事館の方にも尽力してもらったし、まあ、なかなか韓国の警察署(日本でも数回しか行ったことないですが)に入るのは得がたい経験なので、ピンチをチャンスに、みたいな感じで前向きで行くことに。木曜の夜、仕事を終えたあと羽田から福岡へ到着。実は羽田でチェックインするとき、予約していた便が翌日のものだったので慌てました。同時刻便に空席があったので事なきを得ましたが、また大失敗するところでした。。予約したときに再確認すればよかったのですが、慣れと油断は本当に禁物ですorz あと、周囲の人のおかげで生かされているみたいなことも改めて感じます。。木曜夜10時すぎに博多ラーメンでやっと落ち着いた感じ。さて、翌日は福岡からプサンへ。福岡~プサン間はわずか55分(フライト時間は35分くらい)。韓国にはGW直後の出張が19年ぶりでしたが、2か月連続で行くとは。。金海空港では時間調整を兼ねてレストランで昼食。冷麺です。韓国は無料WiFiが多いですね。仕事を兼ねた実測調査。プサン市の観光WiFiのページ。ところで福岡市も無料WiFiが充実していますね。WiFiだけではなく、福岡とプサンはなんだかとても雰囲気が似通っている気がしたのは私だけでしょうか?金海空港からライトレールでササン駅へ。ちなみにライトレールは韓国語で「軽電鉄(ヒョンジョンチョル)」っていうんですね。ちょっと中国語っぽい。電車が来ました。ゆりかもめと同じような無人運転の2両編成。ササン駅から一駅地下鉄に乗り継いでトクポ(徳浦)駅で降り、徒歩10分ちょっとでササン警察署へ。これです。ササン(沙上)警察署。これはGoogle Streetviewの画面。事前にこれでチェックしていたので、迷わずに到着。門の左側に守衛の警官がいて、パスポートを見せながら事情を話して何とか入場。ふつうは受付表に自分で名前を書くようですが、外国人なのでよいということでIDカードをもらって建物へ。私のスマホを預かってもらっている担当官がいる3Fの係の部屋の前で少しためらっていると、同じ係の人が来たので、「○○さん、いらっしゃいますか」と聞いてみました。「どうぞ」ということで係長以下5~6名程度がいる部屋に入ると、その女性担当官がいらっしゃいました。「何ですか?」と聞かれたので「紛失したスマホを・・・」と答えると、「あ、あれですね」という感じで1カ月ぶりにスマホとご対面。「何かサインとか?・・」「いえ、特に」ということでとてもあさり。福岡で買ったお菓子を持って行ったのですが、それを見せるとなんだか失笑気味に「ダメですよ」という感じの手振り。まあ、警察なのでお土産はどうかと私も思ってはいたのですが。。そんなことでその部屋にいたのはわずか1分程度。あまりにあっさり終わってしまったのでちょっと拍子抜けしてしまいました。大昔、中学生のときに自転車を盗まれたときの手続きで近くの警察に行ったときはとても印象悪かったのですが、ここの警察はみなさん親切でしたね。ササン警察のみなさんとタクシー会社のみなさん、それと同僚のみなさんありがとうございました。これで用事は済んでしまったので、ここからは通常の遠征レポートみたいになります。。
2014.06.15
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今日は朝から結構雨が降っていたのでやめようかとも思いましたが、なんだかとてもどこかへ行きたい気がしたので、前から気になっていた栃木県の宇都宮の近く、かつて大谷石を採掘した現場を見学できる大谷資料館に行くことにしました。あと、道の駅ラーとしては不本意ながら栃木県南部に結構たくさん新しく道の駅が増えていることを知ったので、これもタッチアンドゴーでいくつか回ることに。東北道方面ではお決まりの佐野SAのウサギ。雨が結構降っていたので外に出ているウサギの数が少なかったですね。。まずは一つ目の道の駅にしかた。鹿沼ICでおりましたが、その前の都賀西方PAあたりからはもっと近そうです。地元のトマトの赤さが印象的でした。間もなく大谷資料館というところまで来ると、すぐ手前にこの奇岩怪石。さて、大谷資料館に到着。運のよいことに、この瞬間はあまり雨が降っていませんでした。資料館の裏手がかつての坑内。振り返ると、こんな不思議な景色も。。では入ります。事前にHPで見ていましたが、坑内の温度は8度だとか。。まずは坑内手前にある昔の採掘に関する展示物。手掘りで巨大な石を切り出していたわけですから信じがたいですね。さて、坑内へ。確かにひんやり。写真ではわかりにくいですが、中はとても広いです。雰囲気を出すためにBGMも流れています。コンサートとか、映画の撮影とかもここでやったりします。戦争中は地下軍事工場でもあったんですね。手掘りと機械で掘られたとはいえ、まっすぐな感じが素晴らしいです。分かりにくいですが、天井はすごく高いです。1年前くらいに行った首都圏外郭放水路の地下宮殿にも似た感じ。こちらの方が歴史が長いですが。外から差し込む光が幻想的。下にあるのはオブジェ?横長の写真はスマホで撮ったもの。何にもしなくてもこんなに鮮明に撮れるんですねえ。まさにこれも地下宮殿。写真はたまたま青色ですが、光のページェントみたいな感じ。入口方面を見上げたところ。再び地上へ。なかなか面白いところでした。最近富岡製糸場が世界遺産にほぼ確定しましたが、ここの大谷石採掘場も世界遺産にしたいレベルです。こちらはスマホの写真。大谷資料館、堪能させていただきました。再び道の駅めぐり。大谷資料館からもほど近い道の駅うつのみや・ろまんちっく村。ここは道の駅というよりは広大な複合施設といった感じ。もともとあった施設が最近道の駅認定されたんでしょう。ここの日帰り温泉「湯処あぐり」で一服。雨は結構降ってましたが、露天風呂は広くてよかったです。次は宇都宮市の東側、市貝町にある道の駅サシバの里いちかい。「サシバ」とは差し歯でなく、タカの一種です。次は高速道路みたいな新4号バイパスの途中にある道の駅しもつけ(下野市)。最近の高速のSAみたいな大型の道の駅でした。最後は茨城県古河市の道の駅まくらがの里こが。ここも最近開設されたようですが、一つ前のと同様、バイパス沿いの大型道の駅でした。今日はほとんど最後の方まで雨が結構降っていて、土砂降りにも何回か遭遇しましたが、その分道路や観光施設はすいていてとても順調でした。大谷資料館は行く価値ありますね。来週は順調にいけば?ちょっと遠くからレポートするかもしれません。。
2014.06.08
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遠征最終日、那須温泉の秘湯、北温泉へ。那須の中心部はすでにものすごい渋滞が始まっていましたが、北側に迂回し、裏側から那須頂上方向を目指します。北温泉は那須岳のふもとの深い谷にあります。ここに来たのは2008年6月以来6年ぶり。前に来たときはこんなきれいな駐車場ではなかったと思います。隣に観瀑台もあるし。北温泉はテルマエ・ロマエのロケ地にもなりましたし、結構潤っているんでしょうか。。駐車場から徒歩で400mほど下ると北温泉旅館の渋い建物がみえてきます。この景色は6年前と変わっていません。いい感じ。入口右側にある「泳ぎ湯」という温泉プールのようなでかい露天風呂。入っていきます。木造の由緒ある建物。露天風呂「河原の湯」に来ました。人口の滝が目の前に。渓流と鶯の声を聴きながらいい気分。誰もいなかったのでもう一枚。写真は今回ありませんが、ここは天狗のお面が四方に掛けられている「天狗の湯」が有名。廊下にはこんなレトロなポスターも。猫も。下が温泉で温かいのか、微動だにしませんでした。。こちらは泳ぎ湯の脱衣所横にある内湯。泳ぎ湯にも入ってみました。北温泉、久しぶりですがこの静けさと情緒は6年くらいでは全然変わりませんね。テルマエ・ロマエ気分でした。再び駐車場へ戻りますが、上り坂が長いので結構ハードでした。。でもそこからの滝の絶景は感動。水が青っぽくとても美しかったです。ちなみに北温泉はこの滝の上流の左側の方角。その後那須岳から那須温泉街方向へ向かいますが、途中の展望台から。素晴らしい景色。山もきれい。ここは恋人の聖地だそうです。私には関係ないですが。。日本の景色とは思えない広大な眺め。そして、最後の目的地、那須温泉の共同浴場「鹿の湯」。ここの酸性の強いお湯で、今回の短めの遠征をしめたいと思います。ここのお風呂は、硫黄臭漂う41度から最高48度までという温度別の木製の渋い浴槽が6つ。41度→43度→46度→44度→42度という順番で入りました。48度はさすがに避けましたが、つい30代くらいまで熱い風呂が苦手だった私としては信じられない状況です。。さて、あとは帰るだけ。14:11、那須高原SAのスマートICから東北道へ。15:00、上河内SA。宇都宮の近くということで、宇都宮餃子で軽く昼食。このあと渋滞を避けようと一般道へ出たら、完全裏目になり一般道のほうが混んでいたため、帰宅まで2時間以上を費やしてしまいました。今回はかなり思いつきのGW遠征でしたが、次の遠征はもっと計画的に行きたいと思います。。
2014.05.06
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