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仲間で出かけた際、私の年代ではめずらしくいつの間にか写真を撮ってくれる女性がいる先日熱海に集合してMOA美術館に行ってきたまだ梅雨らしくない晴天が続いていたころ携帯でいつの間にか撮って送ってきてくれたねっ!なかなか良い写真でしょ!構図といい、明るさといい、、、そしてモデルといい!!ちなみに去年長崎旅行をした3人です撮ってくれた彼女はグループで一番若くなんでもチョコチョコと動いてくれるKちゃんいつもありがとう!
2015年06月24日
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梅雨時は水まきものんびり・・でも夏に向かって蚊と戦いながらの水やりと雑草取り覚悟せねば!玄関横のゴーヤカーテンがこの時期恒例になったゴーヤはわたしのような、にわか庭師にはうってつけしかもこの環境が適しているのか毎年失敗が無くすごい勢いで葉を茂らせてくれるしかし実は小さい・・・(ちゃんと食べてるよ)さて最近苔に恋している・・・茶畑のなかウォーキングしながら石垣に苔むしているミドリにうっとり少しずつシッケイしている・・・拙宅の狭い庭は以前、芝がびっしりと綺麗な時期もあった・・・やがてオオバコなどの強力な雑草どもに負けた梓の木や紅葉の木の下には苔があった、、、そう日当たりは狭い故に良い方ではないのだ庭の芝は細々生きながらえていたが去年少し追加したり雑草を狂ったように引っこ抜いたりしたそしてシッケイしてきた苔も植え付けたりしている今日この頃・・・さて性格の正反対のこの植物同士どうせめぎ合うのだろうか・・・
2015年06月19日
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年2回集まる高校時代のクラブの仲間今回卒業以来40数年ぶりの仲間が福井から来てくれた不思議だけどすぐにあの時代にひとっ飛びTちゃんが今回は幹事で御殿場の秩父宮記念公園とその周辺を企画7人のメンバーで今日がお誕生日の福井の彼女はみんなより一足早く65才に湖畔のレストランで小さな声で「ハッピーバースデイ」の歌を合唱したキャッシー中島のキルト館や岸元総理大臣の別荘やお庭そして「とらや」菓子工房とにかくず〜〜〜〜〜〜〜とず〜〜〜〜〜〜〜〜〜とお喋りお喋り
2015年05月27日
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山友のSちゃんといつものJRの50+のフリーとレンタカーをつけ九州大分の旅へ今年新しくなった大分駅に12時着、ランチ後すぐに駅レンタカーでビッツをお借りし別府へゴー70才になったSちゃんは運転しません・・だから三日間のドライバーは私・・覚悟しました大分は温泉県!楽しみです・・・まず地獄めぐりで海地獄と坊主地獄・・温泉卵を食べたら早々に温泉です市営の竹瓦温泉は落とせません・市営はどこも安くてここは100円です指定駐車場なら一時間無料です以前駅前の高等温泉にも行ったけどレトロな風情は益々グッドです地元の方とのお喋りも旅の思い出・・湯煙のなかで良い時間連泊のビジネスホテルは大分市街の繁華街にある法華クラブ、駐車できないとこまるので早めにチェックイン16時ころ着通り沿いに今年4月にオープンした県立美術館があるのでぶらぶら歩いて行ってきました斬新なデザイン、大分の竹細工をイメージしたデザインは圧巻企画展は「百花繚乱」のタイトル通りピカソ・モンドリアン・カンディンスキー・ルソー・若沖・蕪村・かなりの幅紘です館内もゆったり良い感じさて夕飯はどこへ、、町をぶらりぶらり見つけた「わんこ食堂」でお安くあげました明日は久住へ・・早朝出発だから早めにベットへ潜り込み。。。Z〜Z〜Z〜 翌日の23日は4時前にホテルを出発高速の大分道を飛ばす・・暗い・・西に来ると夜明けがこんなに遅いとは湯布院ICで下りてやまなみハイウェイにはいる牧ノ戸の駐車場は早く着かないと置けないのでとにかく早く早く・・・5時半ころ到着し楽勝朝食をとり、登り始めたのが6時頃ミヤマキリシマは残念。。。まだ早い。。。でも6月の山開きのころは山を紅に染めることだろう午後から崩れるお天気が気になりまず久住山に行きお天気次第で星生山経由で下山の計画久住山に8時15分なんと伸びやかな山容の山たち・・静岡とはたいぶ違う景色だな〜と思いながら眺める・・・阿蘇や由布岳が見える・・そして久住の山の連なりお天気も持ちそうなので久住わかれから星生山へでも11時頃から強くはないがパラパラと雨が降り出してきた12時ころ駐車場に戻る・・・そしてソフトクリームで〜す そして山を下りたらやっぱり温泉いくつも曲がり下りして筌ノ口共同浴場へ・・・ナビを使ってもチョイと分かりずらい・・しかし良い雰囲気・・・脱衣場な入ると正面に石仏鎮座する社が・・・拝んでから入浴です大分に戻りまたぶらりぶらり。。県庁近くの公園に大分ゆかりの人物の彫刻が並んでいる読みふけった飯嶋和一の「出星前夜」にも登場した宣教師アルメイダの手術する像があった西洋の医術を持ち込んだアルメイダ、、、小説にもよく出てきた人物夕食はこつこつ亭で郷土料理を食べたかったけど満席・・・あきらめてホテル近くの小料理屋屋へカウンターの席を詰めて頂き、郷土料理の「りゅうきゅう茶漬け」を注文、おいしかった!「りゅうきゅう」というのはアジなどの切り身を醤油味につけ込みドンブリやお茶漬けにするらしいこの日は鯛だった三日目の24日はホテルで朝食バイキング法華クラブはサービスも良く朝食は郷土料理満載で大満足大分からの乗車ソニックは15時一寸過ぎホテルは8時頃チェックアウトして臼杵へ国宝の臼杵石仏、磨崖仏です平安後期から鎌倉時代に彫られたらしいのどかな田園地帯に石仏群がいくつもあります満月寺前の仁王様も素朴で気に入りました頭にモヒカンのような植物が根をおろして・・後ろ姿もたくましき・・ のどかでゆったりとした臼杵市街に入りレンタサイクル(無料)で回ります二王座歴史の道や作家野上弥生子の実家の酒蔵古い建物と麦焼酎の瓶を見せていただいたランチはお屋敷を利用した「かわ村」で海鮮丼そして大友 宗麟の臼杵城 ついつい欲張ってしまうスケジュールだったけど充実した三日間でありました
2015年05月22日
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お絵描き家業は締め切りより早くに仕上げた、、えらい!!そして世の中並にゴールデンウィーク山歩きは久しぶり 夫と富士五湖の西湖を見下ろしながら紅葉台から三湖台そして五湖台さすが富士山がおみごと!!そして新緑の気持ちよいことその日は裾野に居を構えた娘の処に泊まるGWも過ぎた5月11日Sちゃんと山行きの約束Sちゃんは5才も上の先輩だけど元気元気最近も四国八十八も巡礼しこれからカナダも行くらしいそんな彼女と山行きを考え富沢の篠井山と奥山温泉がいいと計画ところがヒルがいる山のようで5月にはそろそろ・・・かもかもそこで静岡の真富士山にした平野の林道「車来ないで〜〜〜」9時ころから登りまず第二真冨士山へのんびりしてから峠に下り第一真富士山へ富士山もかすんでいるけどみごと!!そして清水の港もはっきりと見える山道には石仏がいたるところにあり麓の人たちの信仰の山なんだろうかメジャーなハイキングの山だったけど登ったことがなかった思っていたいた以上にいい山だった2回道に迷ってしまったが早めに戻り軌道修正イワカガミ・コバイケイソウが群生していたとにかく新緑が目にしみる・・いいなあ・・・やっぱり山はいい!!頂上に一時間以上のんびりして15時過ぎに登山口へ 久々の山歩き、翌日は足がぱんぱんに・・・早く出たから若いってこと?
2015年05月13日
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しばらくぶりの日記ですこの春はホント忙しかったっす・・お絵描き家業隣町の博物館より展示用のコマ漫画、お寺さんからリーフレットの絵いつものキャラクターものが3っつも・・・一年分をやった感じですその間にも予定していたイベントははずせませんまず母の米寿祝いまず集まることが大事で母の子供と連れ合いそして孫達なんと全員が集合できた駅前のカラオケハウスを5時間借りて紅白歌合戦なにより母を囲んで全員の記念写真を撮れたのが意義深かったプレゼントもとても喜んでくれたみんなで描いた日めくりも毎日楽しんでいるようだ子供の親グループでアクアラインを走り千葉へドライブ東京の友人宅に泊まり大江戸見物こちらから3人ででかけ東京の友人の企画でおもしろい二日間だった田舎のおばさんを本当に楽しませてくれ感謝感激神田のお蕎麦・甘味処500円で楽しめた落語と講談千鳥が淵の名残の桜スカイツリーそして駒形のどぜう浅草の神谷バーで電気ブラン・・・忙しかったけどおもしろいっけ!!友人宅でまたびっくり・・マンションのエレベーター下りると家の中だった翌日は日本橋から季節特別便の花見舟で川遊び隅田川や小名木川・・いくつも個性的な橋をくぐり不思議な東京を眺めた そしてもう一人友人も来てくれ銀座でランチオシャレなレストランで人気のランチ
2015年04月30日
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少し前に歴史の小和田哲男先生と春風亭昇太のトークショーに行ってきた静大の小和田先生はテレビでもわかりやすく大好きな歴史の先生人気の先生だからこの辺りの講演会ではいつも超満員この日も開場前からなが〜い列!ふだんの日にもかかわらず城マニアの春風亭昇太も楽しいししかも無料ですもんね・・期待通りとにかく楽しかった、面白かった!!周辺のお城の話トークにもたびたび出た牧ノ原に残る武田が築いた山城、諏訪原城跡家からクルマで10分ほど久しぶりに行ってきた武田の城作りは丸馬出しの三日月の堀が特徴らしいそんな薬研堀の三日月がみごとに復元していた鳥肌がたった・・・そして木がだいぶはらわれ大井川から志太平野がみごとに見渡せるようになってきた最高な場所に陣取った山城だやがて徳川に渡ったけど武田の城は堅固なり・・お城に入る時は攻めての気持ちで出るときは守り手の気持ちで見るという昇太の話はなるほど・・昨日は図書館でお城の本を何冊も借りてきてしまった友川カズキの本を読み終え飯嶋和一の本を読み出したのに・・「日本の城」これは一つの大きな趣味の世界・・ああ足を踏み入れてしまうかもしれない・・・昨日は3・11東北の震災の日あれから4年がたったのか・・・ずっと関連番組を見ていた
2015年03月12日
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とうとう寡作の作家飯嶋和一の一番最近出版された小説に辿り着いた「出星前夜」「黄金旅風」「神無き月十番目の夜」「始祖鳥記」「雷電本紀」「汝ふたたび故郷へ帰れず」この順番で読みふけりすっかり飯嶋和一のファンになった逆流的に読み、初版が一番最後になったけど汝ふたたび・・も読後感はすごく良かった歴史の着眼点もさることながら、希望が最後にある、それが魅力かな・・読んだ甲斐があるってかんじ収録のプロミストランドも良かった、、最初は現代物だったんだ・・・歴史物は高橋克彦の「炎立つ」以来の没頭だった出版されていた本をすべて読み切るとタイミングよく6年ぶりという新刊が今年に入って出た「狗賓童子の島」待ってましたと購入いつも表紙が気に入っている今回もミルキー・イソベの装丁だが今回の絵は月岡芳年の浮世絵がベースにこの最後の浮世絵絵師芳年も天才だと思う・・すごいよ・・残酷な絵ばかりじゃない寡作でも現在連載中があるらしいからそれも楽しみ・・・読み始めた頃NHKのフォークの番組で友川カズキを知った同年の東北弁がいいステキなおっさん風・・首を振って歌う・・驚いた・・いい!知らなかったこんな人、、、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」の作者でもあるそうなその歌を歌った、、、歌にこんな世界があるんだ・・・歌手というより詩人ですね静岡に出た際に本屋で彼の本を見つけた「友川カズキ独白禄」脳トレの本と一緒に購入飯嶋和一の本を半分読んだところで乗り換えてしまった現在こちらに没頭・・・すると夫に「狗賓童子の島」を取られてしまったま・いっか・・・後のお楽しみ雨降りや空いた時間の読書、特に午前中は贅沢だな・・・おいしい珈琲が飲みたくなる・・・
2015年02月22日
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あ、あ、、、最近書いてないなぁ・・・忙しいこともあったけど日記のノリがなかった・・1月末伊豆の叔母の処へ上の叔母と従兄弟とで行ってきた従兄弟Tくんは50代オトコ10才近く違うから子供のころは可愛い坊やだった大学からずっと福祉畑の仕事をしているだから独り暮らしの叔母のことで相談していたそしたら出かける日は「休みだから同行させてください」とメールがきたなんと嬉しくも謙虚な言葉・・うるっと来た現れたTくんは歳のわりにオシャレな出で立ちそして自分をさして「これぜ〜んぶ自分で作ったんだ」という・・え〜〜〜っ!!チェックのズボン・ダブルのジャケット・斜めに掛けてる皮のバック彼は若い頃からヨットをやっていたからたぶんなんでもやる習慣はあるだろうけど・・洋裁?レザー?すご〜い!!最近手作りにはまっていて奥さんや娘の服も作るそうな・・・彼の優しさや謙虚さには脱帽の一日だった叔母もとても喜んでいた・・・わたしにはお気に入り場所がいくつかある空港近くに県が整備した森がある先日気が向いたので家から歩いた、、1時間半作ってきたおむすびをかじりながらボンヤリ・・・良い時間スケッチも始めた・・・良い時間突然カラスが近くの裸の木にとまり「おいおいおいおい」と鳴く数羽が西の空に横切って飛んでいくやけにカラスが多くなった・・カラスは「かあかあ」と鳴くだけじゃないんだ・・・やがてキツツキのような「かかかかかか」と木をつつくような鳴き声とにかく仲間と話をしているこは確かだった林に私ひとり・・・時折カラスの羽の音も聞こえる私のことからかってるの?落ち着かない・・・スケッチも早めに切り上げ退散・・・真ん中のオレンジ色はキセキレイだと思い描いてますそんなかわいい小鳥もいたんだけど・・・
2015年02月18日
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今年もスタートして幾日かがたった・・早いな去年は終盤に来ていろいろありまして・・・私には姉とも言える叔母達が3人いまして「若草物語」のような個性のはっきりした叔母達です一番歳の近い叔母はもうすぐ80才傘寿だその叔母は生涯独身で若き日は美大を出て彫刻家を志していた馬に惚れ込み牧場にいたこともあった伊豆に暮らしていたが住まいのことで問題発生11月から全勢力をこの問題についやした電話が苦手な私があらゆるところに電話した・・躊躇しなかった、自分でも驚いた市の窓口や弁護士事務所にも初めて伺ったいろいろあったけど人の親切にも触れることが出来た一つ一つの親切が困ったときはなんと身にしみてありがたいことか・・叔母には母親が言うようなことを言い放ち、その姉の叔母達には経費を請求した自分がクールだと思った同情するなら金をくれ・・・どこかで聞いたセリフだが実感だったなんとか引っ越しも済み新年を迎えることができた、、さてさて今年はどんな年になるだろうアルバイトのガッポリ屋のレジ家業も4時間ほどを週4日、、今年で終わりだと思っていたらまだ働けそう・・週2日だけでもやろうかな・・おこずかい稼ぎとシャンとするには良い職場だ今年の目標もないけど始めたウクレレ・マンドリン・日舞・短歌は続けよう短歌では刺激し会える同年の友を得た先日からまた飯嶋和一の本を読み始めた彼の小説は最初が辛い・・・進まない・・・読者にやさしくなくて展開もついていくのがやっとこさ・・・なのに途中からぐいぐい引き込まれていくもう少しもう少しと読みたくなるただ今傍らにこの3冊がある・・・
2015年01月08日
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10月28〜30日またもJR50+で長崎に行ってきました同年代で年金の話に余念がない熟女三人組み私の独断のコース作りで、2泊3日は交通費ホテル代込みで静岡〜長崎30100円駅レンタカーを2日間借り私とKさんがドライバー・Mさんが会計ガソリン代、高速代、すべての食事代や入場料などで会計さんは2万円徴収(3千円以上おつりが出た)今回は長崎の教会群めぐりをテーマにした13時半ころ長崎に到着、ランチは博多の駅弁をカモメ内で済ますさっそくレンタカーで平和公園へ・・修学旅行生が一杯でボランティアガイドさんがあちこちに平和の像の前で最初の記念撮影をして浦上天主堂へそして二十六聖人記念聖堂へここは日本に初めてガウディを紹介した今井兼次の設計だそうだ壁面には陶磁器の皿や椀の欠けらが埋め込まれてタイルの効果を出している秀吉の命によって磔(はりつけ)になった人たちが京都から長崎まで連れてこられたんだけど、その間の焼き物らしいボランティアのご婦人が丁寧に説明してくださった、やさしい語り口でとても親切だった懺悔の部屋もカーテンを開けて見せてくれた・・・聖書にステンドグラスの赤色がスポットライトのようにあたっていた去年の長崎は原城を訪ね歴史の旅だったけど、今回はきっと巡礼とまではいかずともこころの旅ができそうな気がした こころの旅でもお腹はすきます・・・ホテルに車を置いてオランダ坂を歩きながら中華街、、途中差し出される試食はけして断らず・・今宵のディナーは浜町の「吉宗」蒸し寿司と大きな茶碗蒸し、角煮もおいしかった・・眼鏡橋から賑橋、そして路面電車で大浦天主堂前下車三日月と教会の取り合わせが綺麗だったそこから夜のグラバー園へ、この期間は20時まで開園しているあまり観光客はいなくて悪いくらいゆったりのんびり・・稲佐山方向の夜景が美しい、、、若い頃ならデートコースに絶対したい 前日は20時まで出歩き1万3千歩、二日目も覚悟を決めて朝6時にはホテルからドライブスタート朝飯前のドライブで高速を飛ばし相浦漁港へネットでみつけた「もったいない食堂」へ・・630円だったかな・・定食は日替わりで一種類のみご馳走様でしたと料金を払いながら静岡から来たと言ったらアジのお刺身を小皿にもってくれたそしてビルの屋上の展望台にも連れていってくれた九十九島の絶景です・・ 平戸に入る前に田平教会堂へここは天草で感動した大江の教会を建てた同じ鉄川与助の設計だ(1918年)レンガ作りが素朴で力強い印象だ平戸大橋を渡り平戸城へ松浦の殿様の系図の長〜〜いのにビックリ天守に登ると海風が・・・眼下に汐見台や対岸にはオランダ商館・・交流広場まで移動してザビエル記念教会まで歩く・・が途中迷子に・・そんなオーラが出ているのか「どこ行くとですか?」と小父さんが声を掛けてくれた教会は反対方向でした・・やれやれ ランチはこれまた漁協の「旬鮮館」へあご(トビウオ)飯とお刺身、イカはいけすのアオリイカを指名してお刺身に三人で食べきれないほど・・美味でしたです満腹でふんぞり返りながらススキの穂が広がり揺れる川内峠をめざす峠に車を止めて九十九島の眺めに深呼吸その後は紐差教会・宝亀教会へ教会は小高いところにあるため一寸怖い場面も何回かでも教会に入るとステンドグラスから差し込む光に思わず手を合わせ、本当にこころが洗われる気持ちがするのでしたどこも無料で気軽に見学できるのもありがたく献金だけはチャリンと気持ちだけ入れてきました 途中波佐見焼きにもより長崎には17時半ころ帰着、レンタカーをお返しする今宵のディナーはアミュプラザの「ゆとりの空間」料理研究家栗原はるみのお店でバイキング敷物にはレシピ集が印刷してあり、今宵の料理のレシピもご自由にどうぞとコピーが大満腹で次はタクシーで稲佐山へ向かう宝石箱をひっくり返したような夜景を堪能、、、車移動だったけどスマホの万歩計は7500歩くらいだったかな・・めいっぱい動いて三人ともベットにバタンきゅう〜〜おやすみなさい3日目はのんびり起きてガストで朝食ホテル周辺を歩く、、、孔子廟と県立美術館と水辺の公園歩いていると軽自動車が止まった「どこ行くとね」私が「カステラの長崎屋を探しているんです」と言ったもんだから長崎人の魂に火をつけてしまった自動車から降りてきて松翁軒が一番だとかどこそこは大量生産だからダメだとか・・・カステラ談義が始まってしまったなんなら乗せていってもいいよなんて宣い怖くなってしまった、、、これってシニアのナンパですか?なにはともあれ14時半ころのかもめで「長崎よさようなら」たぶんこれから何度も来るような予感をかんじながら・・・
2014年11月01日
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恒例年2回の高校時代の体操部の集まり今回は私とMちゃんの当番でーす集まり悪かったでーす埼玉の2人と当番の2人・・・企画は良かったのにな・・・10時JR新居町駅競艇場口集合目的地は浜名湖競艇4人とも初体験駅から競艇場への連絡通路・・・おじさま達に混じって場違いな4人圧倒的に男性陣そして年齢層も高い、水曜日だしねまずは初心者コーナーへ若者2人も先客でいて初心者レッスンツアーでお勉強格好いいユニホームのお姉さんがわかりやすく説明してくれ勇気が湧いてきた まず100円を握りしめ2連複(2連勝複式)で舟券を買う・・・敗退結局5レースやって100円で160円が一回のみでも仲間で380円が2回の人・740円が一回の人、とにかく全員がじゃらじゃらとお金が戻る経験をして大はしゃぎまっ1000円ほどで遊べるし施設はいいし広いし満足みんな知らない世界を経験できて大満足でしたあとは弁天島の開春楼で大部屋を部屋借りしてお喋りお喋りで一日が終わりました
2014年10月23日
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台風一過静岡に上陸して我が町も朝8時頃はすごい風雨だった昨日も雨が結構強かったがボーイスカウトのビーバーカブさんの地区大会が予定通り開催された久々にお手伝いにでかけたが寝起きには「ぜったいありっこない」と思いながら連絡を待った集合時間のメールが入った・・・甘かった・・・ボーイはやるんだよねそれでもさすが台風が近づいているためプログラムは半分に縮小された江戸時代がテーマで各団のブースは大工や魚やコマ屋、甘味処と色々なお店がありスカウトは仕事(チャレンジ)して稼いだお金(一文銭)でお菓子などを買うというもの我が団はありがたいことに博物館分館の中庭にブースがあり、雨で濡れる心配はなかったわたしは江戸時代のおばさんに扮して受け付け懐かしい指導者がスカウトをつれてやってくる「やあお久しぶり、まだいたんだ」みたいな会話そうかと思うと以前一緒に息子と共にボーイスカウト活動していた子たちがお父さんになって自分の子供をスカウト入れてお手伝いに来ていたり・・「おばさん、かわんないね」などと言われて・・やっぱりいい居場所だ・・年に数回しか参加していないけど・・そろそろ足を洗うかと思ったりするけどヤッパいいんだなぁ・・ここは泳ぎやすい水なんだなあと思う終了して一斉に駐車場から引き上げようとしたとき、私の前の車がバックしていて側溝にタイヤを落とした「脱輪!」と叫ぶと一斉にみんなが集まり素早く持ち上げた・・大雨の中こんな光景もこたえられません・・・
2014年10月06日
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9/21,22で娘夫婦とあちらのご両親と6人で初島へそして24日は娘の高校の部活の父母会の流れの親奏会で上高地その合間をぬって23日レジ家業が終わったあと車を飛ばし静岡でこの映画を見た良かった・・・見た後もすっきり気持ちいい映画だった映画の最後のシーン、中井貴一と広末涼子の佇まいも実にいいその後の幸せな生活もきっとあったに違いないと思わせる阿部寛も藤竜也も中村吉右衛門もキャストが良かった明治には時代にのりきれない武士がきっとたくさんいたんだろうな・・我が町も台地を耕しお茶の栽培を手がけたのは江戸幕府の武士達江戸から明治の変革に、あまたのドラマがあったはず桜田門外の変で水戸の浪士に討たれた井伊直弼を守れなかった彦根藩の武士の中井敵とする水戸の浪士を演じる阿部(車夫になっている)13年の年月が流れ会い対した時の会話が実に深くていい・・・人力車は雪の柘榴阪をゆっくりと登るクライマックスだ・・私の頬を涙がつたう・・・すると隣から嗚咽が・・つい声がでちゃったんでしょうね
2014年09月24日
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三回目となるグループ展が終わった案内状はあまり出さなかったが制作には熱が入った今回はパソコンは使わず墨一色青春時代を思い出しシコシコ描いた描くことが本当に楽しかった・・ 「仏像修復には霊抜きをするっていうけど・・・」「そっ俺そのタマってやつ」っていうことを描いたつもりです千の手のせめて一本我に来てつたう涙をぬぐってくれぬか・・・というのを描いたつもりです5年で廃校になったデザイン学校の卒業生と中途で放り出された者たちが今は跡形もない新橋のあの学校を拠り所に奇跡的に集まりそれぞれの作品を掲げ今年で3回目となる5期生の私達には先輩の存在が嬉しくてたまらなかった・・今回も30数名が参加した打ち上げも実に楽しかった・・黒沢映画で盛り上がりセリフまで覚えている先輩には脱帽夜の銀座をシニア年代のグループがふらつく図もなかなかオツな風景でしたまた来年も会いましょう!おいで下さった方々本当にありがとうございました来年もよろしくお願い致します
2014年09月06日
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孫が8月後半にしばらく来ていた我が家のテレビに、なにげにチャップリンの「モダンタイムス」を録画しておいたいつからか小1の孫がそれを見るようになった孫は御多分に漏れず戦隊物やゲーム大好きでもチャップリンも好きらしい「髭のおっさん見たい」と言う来るたびに何度もみている「キッド」も入れておくとこれもしんみり見ているモダンタイムスは笑い転げて見ている私は感動した・・・いくら時代が流れてもチャップリンはこんな子供をも夢中にするチカラを持っている私も20代のころ、リバイバルの「モダンタイムス」を初めて映画館で見たことを忘れないあのときも妙に感動して紙粘土でチャップリンのブローチを作ったっけ・・・我が町の大井川に沿って走る鉄道にトーマス機関車が走っている孫は三回も見にいっている線路沿いにはパトカーも出たりしてすごい人気に驚いた写真は代官町のホーム「あっトーマスが来た!!」
2014年08月31日
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H先生が亡くなった・・・葬儀に夫と出かけたH先生は私達の仲人をしてくれた夫の恩師だ私にとっても夫と共に実家に私をもらいにきてくれた人・・・「ローマの休日」のグレゴリー・ペックに似ていると思った夫よりも背が高く180近いと思う、、、カッコいい先生だったH先生は中学では体育と生物と美術の先生だったそうだ山の絵は先生のご家族から頂いてきたもの話はずっと昔に遡る現在66才の夫が小学6年生の頃、先生が突然やってきて越境して自分の中学に来ないかと言ってきたそうだ夫はめっぽう走るのが速い子供だったらしい先生は市内の優秀な子を集め陸上競技で育てる夢があったようだそれも科学的理論を持って先進的な指導方法だったようだその中学校は生徒数が増えすぎたため新しく作られた学校だった夫は団塊の世代、当時の生徒数は半端ではなかっただろう九回生の夫が中学に入学したとき芝生のある立派なグラウンドに驚いたそうだ中学校のグラウンドで一周300Mのコースがあり中は芝生なんて今だって考えられないそこにはH先生の情熱と先輩達と校長先生をはじめ多くの先生方、そして父兄の汗と奉仕の賜だった芝生は近隣に対する砂塵対策もあったようだ・・土壌からのグランド整備、焼却場から焼却土を運んだりレンガの二等品を運んだり・・・体育の時間はもちろんグランド作り、土を掘ったりでリヤカーで運んだり・・先輩の方々は熱く語ってくれた、芝生に寝ころぶと気持ちが何とも良かったそうだ夫は越境のため自転車通が許されたが、家が貧しかったため先生が中古の頑固な自転車を探してきてくれたそうだしかし、それがあまりにも頑固なものでとても恥ずかしかったそうだ下の絵は陸上の部の歴史を数年前にまとめた記念誌が作られ表紙を先生が描かれた 先生は体操部と陸上部の顧問だったそうだが陸上からは県内一位や全国的レベルの選手を毎年輩出したなんと中学でハードルや棒高跳びの選手を出したのだからすごいな・・・夫は100mで県内2位の記録を出し期待された2年生の冬、トレーニング中に肉離れを起こし後の一年を無念に過ごしたようだ後年、私達夫婦と旅行した際、車の中で言われた先生の言葉が印象に残る「あれは私が悪いんです、あの時期にスパイク履かせた私の責任だ」と・・・40有余年もたちながら昨日のことのように・・高校時代も先生の指導は続き熊本のインターハイにリレーの選手として出場したその際もいろんな面で先生は援助をしてくれたそうだH先生はそんな風に夫だけでなく多くの生徒の生活面から精神面、そして進学先まで腐心してくださった数多くの陸上人を育てたのだ10年ほどたったころ異動があった、やがて教頭や校長をされ大学の先生もされた知らなかったけど勲章も数年前にもらわれていた退職後は地域でも活躍され、家業だった農業にも精を出されていた凝り性な先生は肥料から研究されていたから真っ赤なトマトは最高においしかった!そんなH先生の葬儀は多くの人が駆けつけ弔辞もいくつも感動的だった夫も読ませていただいた(やれやれ・・)そして先生の教え子達(みなさん壮年期)は立ち上がり「仰げば尊し」を歌った私は後ろの席にいたが座ったままいっしょに歌っていた・・・まわりからも歌声が聞こえた・・そして精進落としには図々しくわたしも陸上部の方々にまじって席についてしまった「献杯」・・・そして懐かしい話に首をつっこみお喋り・お喋り・・「あなた何回生?」と尋ねられ首を振って苦笑い・・・(夫もその光景が不思議だったそうだ、まさしく・・)私に出来ることはと考え先生の似顔絵を描いた葬儀場では先生の山や植物の絵の横に並んで置いてくださった「これ私でしょう」と夫の同窓生も喜んでくれたH先生は本当に先生らしい先生だった教わってはいないのに私にとってはグレゴリー・ペック先生先生ありがとうございましたいつも私をちゃん呼びしてくれて本当に嬉しかったですいつまでも忘れません 合掌
2014年08月04日
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ヨーロッパ旅行のきっかけはもより空港よりニュージーランド行きのチャーター便が出ることから6月なかばの一回のみ・・大自然が魅力だったやっと決心して問い合わせしたらあちらの都合で飛行機が飛びませんとのこと・・え〜〜〜このテンションをどう収めればいいの・・てなわけで探し出した旅行だった私はスペイン・連れはスイス希望・・・迷ったあげくヨーロッパのつまみ食い的ツアーに決まった私にとっても40年以上続いているフランスのペンパルにうまくすればパリで会えるかも・・そんな魂胆があった・・・弾丸ツアーだから時間を作るのは難しいからホテルのフロントでハグするだけでも、、、慌ただしい中レンヌから出てきてもらうのは悪いかな・・でも・・連絡したのは間際だった(事ある前に体調崩すのが常なので・・)残念・・・彼女はバカンスでマルタに行くことになっていたでもなんだかほっともした・・・彼女とは高校か・・中学の頃から文通をしている学習雑誌のペンパル探しだった今考えても楽しいな、、、世界でたった一人のお友達に縁ができたのだものハイティーンのころは話題はもっぱらビートルズだったでも年に二三度のやりとりだったと思うそれでもお互い還暦過ぎても続いているここ数十年は年に一度クリスマスプレゼントの交換だけになっていたそれが今回は頻繁にメールしあったパリではスリに気をつけてと言われた先日は旅行はどうだったかとメールが来た今回旅行の様子を尋ねられこのブログを伝えたとても喜んでくれて嬉しかった彼女は現代の人間ではないから自分はやっていないとメールにあったColette、いつまでも[Your Friend]でいましょうね・・・
2014年08月03日
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思い切ってヨーロッパにいってきました山友のSちゃんと添乗員付きツアーでしかも、もよりの空港から添乗員さんと一緒(小心者なんで・・)上海の乗り継ぎでフランクフルト行きはかなりの待ち時間、次第に添乗員のFさんやツアーのみなさんとも親しくなっていった80代のお爺さんが二人いらしてお一人は一人参加愛すべきお爺さんで人気者に、、、でも年齢相応のお忘れ物も多く、おかげで32名のツアーが結束を強めた感があるあいた席があれば「Aさんここ!」「チケット持った?」「上着着ないと寒いでしょう?」あ〜思い出しても笑いが出ますフランクフルトに二日目の朝6時頃到着、バスに乗り込みリューデンハイムに・・石畳の古い家並みの良い感じ、でもまだお店は開店前が多かったワインテイストのあとライン川クルーズしながらランチ32名は夫婦参加が半分、友人や一人参加が半分といったところ女性3組の6人がすぐに親しくなりテーブルを一緒することが多く、ライン川ではもう一緒していた ドイツ最古の大学があるハイデンブルクも良い町だお城から見たカールテオドール橋も絵になる・・・二人の青年がアコーデオンを弾いていたカンにコインを入れたかったけど、まだ一日目で緊張してたかな・・ダンケシェーンもなかなか言えなくて・・今宵の宿は城壁の街ローデンブルクで城壁内にホテルがあった夕食後Sちゃんとお散歩・・フリータイムはやっぱりいいね旅気分 ・・なんたって城壁は歩かなきゃって決めていたローデンブルクの夕暮れ・・といっても午後の9時過ぎです・・明るくてビックリです屋根の上に大きな鳥の巣みっけ!!コウノトリくらいの大きな鳥がいました 翌日の3日目ローデンブルク観光本番です朝のブルク公園は気持ちよかった・・犬の散歩もほほえましい開館前だったけど犯罪博物館の玄関にあった見せしめの道具駕籠の鳥のようにして見せしめにする馬車や駕籠、、、中世のドラマが湧いてきます見せしめ台にちょっと手を通してみました・・・みなさん「やだ〜」と言ったお顔、ギロチンと勘違いしてるのでは・・ローデンブルクではシュネーバルというお菓子を食べなきゃ・・・パイ生地を細くして巻いたようなお菓子観光用に小さな箱入りもあったけど普通のパン屋さんで正統派の大きなシュネーバルを一つ買ってみた・・4ユーロくらいだったかな・・市庁舎前のマルクト広場には市場がそろそろ開店中世風に木の樽で絞っていたリンゴジュースを一杯買いすぐに一緒に食べてみました、おもしろくておいしい果物屋さんも店を広げていました、カラフルでおいしそう!!ちょっとずつ色々入っているカップのを買ってみた「アラッテアル」と言って笑顔のすてきな髭の濃いおじさんが袋に入れてくれた「ダンケシェーン」・・やっと言えました・笑顔で!木組みの町並みヤコブ教会そして石畳すっかり気に入ってしまったそして、どこまでも続く牧歌的なロマンチック街道をバスで移動しますロマンチック街道のロマンチックはローマへ続く巡礼の道という意味らしいディケンズビュールだったかな「おにぎり」と日本語で書いた看板のスーパーがあったネルトリンゲンの街に面白い看板、日本語が・・・いかに日本人の観光客が多いか・・ここでも面白いフルーツを1キロ買ってみた桃がペチャンコになっている・・・味は桃の堅い感じ、皮のまま食べちゃった例の愛すべきおじいちゃんと仲良し6人組で山分けヨーロッパは水が有料でびっくり、しかもワイン、ビールの方が安いランチはソーセージ料理、あんまり飲めない私も「そりゃービールでしょう」雨が降り出しました最後は牧場の中にあるような世界遺産ビュース教会、ロココ調のここまでやるかというくらいの装飾祭壇には奇跡の木彫のキリスト像が・・・静かです誰も喋りません天井のフレスコ画は素晴らしくてため息がでますやがてロマンチック街道終点のフュッセン到着、今宵の宿でロールキャベツの夕食もちろんビール夜もホテル主催のドライブに5人で参加・ライトアップされたお城を見ますドライバーがばんばん飛ばすので怖かった 翌朝4日目はゆっくり目のスタートだったのでお散歩・・・ホテルから離れるのを嫌がるSちゃんをなだめて歩くそしてなかなか言いずらい「ノインシュバンシュタイン城」へバスのドイツ人ドライバーから何度もレッスンを受けてみなさん発音よく「ノンシュバンシュタイン」といえるようになった吊り橋マリエン橋から見たお城・そしてお城から見たマリエン橋ルートビッヒ2世の趣味で作られた贅沢なお城ですばらしいけど彼の人生は淋しくもありミステリアス近くにお父さんの城ホウエンシュバンガウ城も見える、シュバンというのはスワン白鳥の意味だそうだ、ちなみにノインは新しい駐車場まで林の中を歩く、馬車も行き交う そしていよいよスイスへ向かってひた走る・・・
2014年07月07日
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四日目の7月3日20時ころ、、かな?インターラーケンに到着・・でもとにかく明るい商店の二階のガラスに映ったアルプスの白が美しい・・・広場ではパラグライダーがいくつも空を飛んでいた夕食はフォークロアディナーショー、どういう訳か一番前の席になってしまった案の定ご指名を受けてしまった、ハンドベルをならして「エーデルワイス」・・・やったね! 翌5日目の7月4日グリンデワルドから電車でクライネシャイデックヘ登山電車に乗り換えユングフラウヨッホへ、ヨーデルが聞こえてきそうな風景にうっとりです・・・お花もいっぱい・・アイガー・メンヒ・ユングフラウ贅沢に三つの名峰が手に取るように眼下に迫りますスフィンクス展望台からユングフラウを背にやったね!!アレッチ氷河も大迫力展望台内部は氷の廊下や作品が並び楽しませてくれます富士山と姉妹関係で日本の赤いポストがある、もちろん孫に葉書を投函 帰路乗り換えのクライネシャイデックで一時期読みふけった新田次郎の分骨された墓標に会えた・・感慨無量 ジュネーブから新幹線TGVでパリへノボテルホテルに到着したのは24時をだいぶ回っていた・・・かなりの強行軍です6日目7月5日、フロント前に集合すると初老の三姉妹は着物姿、、、旅を楽しんでるな〜〜と感心する片隅に静岡の大理石の彫刻家、南さんの作品があり感激する車窓からパリの街や凱旋門、ノートルダムなど眺めルーブル美術館へ日本語ぺらぺらのフランスのおじさんがガイドしてくれたナポレオンの戴冠式の油絵の大きさに度肝を抜かれたミロのビーナスも近くでみれるし写真も撮って良いなんて感激・・・でもすごい人人そして人モナリザもあの近さでツーショットに収まってもらえれば嬉しいっす、かき分けていかないとこの近さに到達しないベルサイユ宮殿もすごい人・・・マリーアントワネットの寝室も(革命の時ここまでパリの民衆がなだれ込んだのだ)エスカルゴのランチのあと一旦ホテルにもどりました2時間の自由時間がありセーヌちかくの街を歩きました、、メリーゴーランドがあちこちに・・・このときもホテルから離れたがらないSちゃんを説き伏せて・・・ミラボー橋(ミラボー橋の下をセーヌ川が流れわれらの恋が流れる・・ ・・・アポリネール)で想いにふけったポーズでパチリ日没を待ってセーヌ川クルーズ、、、シャンソンが流れ川縁には恋人達パリだなあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 七日目の7月6日ドゴール空港からヨーロッパよさようなら「オルボア・・・」すべてに「メルシーボクー」です八日目7月7日帰宅・・・やれやれの間もなくすぐにお洗濯モード仲良しになった6人組みとは夏の終わりに写真会の予定・・・思い出に残る良き旅でした
2014年07月03日
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5月28日年2回の高校体操部の集まり「ももの会」今回は5人、埼玉のKちゃんの計画で巣鴨に集合半年ぶりの再会だがこの仲間は合宿の同釜の友で思い出が濃いい〜〜〜幹事Kちゃんの計画はいつも完璧です巣鴨のとげ抜き地蔵で健康祈願(最近はみんな切実)そしておばあちゃんの原宿でお買い物そしてランチは巣鴨らしい食堂、鰺のフライが絶品でした東京駅にもどりハトバスで一時間の東京見物オープンバスで風も気持ちよかった次は東京駅丸の内前のKITTE(旧中央郵便局)ビル一階の千疋屋でプリンアラモード本日のランチよりもディナーよりも高価ざんす 屋上庭園からは丸の内が良い眺め風も気持ちよくしばらく東京の風に吹かれながらお喋りお喋り
2014年06月02日
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自宅から一時間も車を走らせれば登山口の大札山今回はガッポリ屋のレジの若い子Oちゃんとヤングママだと思っていたけど息子ははや、中学一年生今回感じたことは自分の体力の低下、逆にOちゃんの山女の雰囲気がグッドになってきたこと、足取りもいいOちゃんは「山女?・・・山ガールじゃないの?」と言うが・・・それはずうずうしいんじゃないの!彼女が家族で山に行きだした5年ほど前はスパッツ、アイゼンなどを貸したりして私は先輩面してアドバイスしたりしていたあれから家族でいろいろな山に行き装備も充実してきたね「なかなかいい佇まいになって来たじゃん、、、」と思いながら後ろをゼイゼイしながら付いていった(なさけなや・・)この山は赤ヤシオで知られている、しかし赤はもうおしまいかな・・・しかし白はまだ早いだろう花はハズレでも新緑をたっぷり味わえたらそれでいいと思っていたそして、のんびりスタートの11時に南尾根にとっついた驚いたことになんと白ヤシオ満開、しかもこんなにたくさんの白ヤシオ(五葉ツツジ)の木ががあったとは!奥の高塚山に行かずとも充分堪能できた 新緑もなんとみずみずしいことか!途中展望台が増えていてベンチができたてのほやほや・・・頂上には13時過ぎにとうちゃこうっすら富士も見え遠く聖岳が雪を輝かせていたいつ来てもいいね、この山は・・・車までの林道歩きは長いけど近場にこんな山があることは幸せスイーツ食べ過ぎました・・・なのに帰りも川根大福を買いまして・・・
2014年05月14日
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いつもゴールデンウィークの前半に集合する大人8人(4夫婦)26日車2台で当地出発、蓼科でピラママ&パパと合流男子はゴルフで女子は出歩くのがいつものパターン今回の出歩き先は下諏訪の三角八丁まつり町内のお店や名所が舞台となって町内の方々がいろいろ歓迎してくださるスタンプを押してもらいながらぶらぶらと歩き町内の温泉にも入ってきたある美容院はお蔵を改造しお庭も素敵、しかも足湯があり待ち時間はそこで・・・いいね万治の石仏そうそう下諏訪の前に御座石神社によりました明日の「どぶろく祭り」の準備中ピラママがスポーツタイプのレクサスで狭い入り口を突然入って行くので助手席の私は悲鳴モノだったピラママは常に興味あるものには果敢に突進する私達はひたすらそれについて行く一人のおじさんが喜んでいろいろ説明してくれたこのお祭りは町内の当番が泊まり込みでどぶろくを造り出来たお酒を参拝者に振る舞うのだそうです酒税がけっこうかかるのだとか・・売る免許はないので売らずに振る舞うそうです蔵の前には杉玉この神社は御柱を鳥居にするそうだ、原木の鳥居は初めて見た馬頭観音がいくつも木漏れ日をあびて並んでいた 一晩目の夜はピラママ&パパの別荘でご馳走をたらふく食べてドンチャン騒ぎピラママとわたしで100円ショップでパーティグッズを揃えていた還暦過ぎのおっさん、おばはんが変身して馬鹿笑いしながらゲームに興じたお腹をよじって大笑いカーリーヘアーや膨らむおっぱいや金髪よりも馬鹿受けはオーソドックスな眼付きメガネだった翌日は1台に8人が乗って上田の真田幸村まつりにでかけた松本を一寸小さくしたような良い町だった道中は桜が満開で春の息吹を感じながら気持ちの良いドライブだった二晩目の夜のイベントは持ち寄った結婚式のアルバム毛のないおっさんにも毛のある時代・貫禄のおばはんも可憐な時代そして何より希望に満ちたういういしい一コマが詰まったアルバムだった夕食は男子が自然薯をすってくれトロロを作った「旨かったっす・最高!」今回はホントよく笑ったいつもながらピラママ&パパありがとう!
2014年04月26日
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孫がこの四月に小学校に入学したそして四月から消費税が8%になった・・・葉書は52円になった・・・よりにもよってこんな時期から絵手紙に興味が湧いてきた習ったわけではないけれど身近なものを描いて一言添えてお便りをするこれってなかなかいいんじゃないの・・って最近の身近なものはやはり日に日に大きな葉っぱを広げていく窓際の柿の木くるくるとしていた小さな葉が最初は赤ちゃんのようにうっすら赤い色をしていたのが次第に元気な緑色になっていく春から初夏にむかっていく若葉色ですそこで何枚か柿の枝葉を描いて何人かに用事もないのに葉書を出してみたこれは孫に・・・学校から帰るとすぐに遊びに行ってしまうというがいつか返事もくるだろうこれは2通目だがしつこく出していくつもり最初はそら豆を描いて「これな〜んだ」としたでもな・・・彼は今、別世界に飛び込み婆ちゃんどころではないでしょう・・奈良に住む孫の小学校は市立の学校だが制服があり今では懐かしい学帽もある返事は期待しない文通が始まった、さて次は何を描こうかな!
2014年04月21日
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お天気もいい・・とくれば出歩きたい性分特に計画もないしと休日の夫とお弁当をつめて家から歩き出した茶畑はお茶積みを今か今かと待つ状態大井川を見下ろし広い茶畑の中でランチそして空港近くの私の庭(県が整備している森)の東屋へここは実にいいところ・・・常に雑草も刈られ上にはお手洗いもある(きれいで一応水洗です)コーヒーとクッキーでおやつさらに空港に寄ってちょいと一休みそして石雲院という山寺に・・・ここはずっと以前早朝の座禅会に参加していたことがある近所の友人ときていたがそのころは車で上がってくるのも怖かったあんまりきれいになっていたので驚いた突然「シュッ!」という音 脇の弓道場からだった10時に家を出て帰宅したのは16時をまわっていた・・けっこうなハイキングだったわたしは自分の住む地域が本当に好きだ・・本当にいいところだと思う
2014年04月11日
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青春18切符の残り1枚をもらったそこで以前見たポスターで気になっていた野口哲哉の展覧会「武者分類図鑑」なるものを見に東京にでかけた知らない人だったけどポスターが妙に脳裏に残っていた彼はまだ30代半ばの美術家です歴史や武者の甲冑などをおもしろく愉快に発想し空想・・すばらしい今後の活躍に期待大です青春18でこの美術館に行くには、東京から池袋、そして西部池袋線で中村橋混雑の中はやだな・・・他にいいルートはないかネットで検索しているうちグッドなコースみっけ!中央線で荻窪まで行きバスで中村橋へ・・本数も結構あるそしていつかもう一度ブラつきたいと思っていた荻窪経由だ実はこっちのほうが魅力が大きくなった荻窪駅に降り立つ、ここは高校を卒業して3年間を過ごした町だ40年以上も年月は流れ変わってしまっているけど改札を抜け駅の南口階段を上ると不思議な感情がわき上がってきた通りは商店も様変わりだけど道幅やカーブの加減やらが「なつかしい・・・・」見上げるとビルがずいぶん増えたな・・・駅前の屋台でよくたこ焼きを買った・・初めて食べてたたこ焼きだった・・・安い立ち食い蕎麦屋があった・・おつゆがおいしかったバイト先のむかえのスパゲティ屋さん、ミートソースがおいしかった・・それ以上の味に出あったことがない中央軒のA定食・B定食もいろいろあっておいしかったぁ・・奮発するときはここだったここかも?・・と思える食堂が北口の右側(ここは面影が残っている)の狭い通りに開店前だったが営業していた友人のコップにゴキブリの半分が入っていたことがあったたまご丼二つというと「たま丼リャンコ」と言うんだコーヒーが100円〜120円の時代ここの玉子丼は同じくらいの値段だった近くのカレーショップもそのくらいで食べれたがお腹を膨らますためにゆで卵をつけたな・・海老フライをつけるのは想像もできなかった・・駅前の鯖の押し寿司も安かったからよく買った食べ物の記憶はすごい、、味も覚えているこのころのものはすべてがおいしかった!!ベニスという喫茶店ではコーヒー1杯で5時間くらいもいたことがあったねいやみなく若者を受け入れてくれていた閉店間近には太った友人にむかって「関取お引き取りください」と言われお笑いしたねクリーニング屋の二階の油絵教室にも通った先生に居酒屋にも連れてってもらったお金がないから教室をやめるといったらヌードモデルのバイトを勧められたがこわくて断った下宿までの道を辿るが途中から分からなくなってしまった大家さんはチェリストでお弟子さんが出入りしていた、奥さんもハープを教えていた良い環境だった弟が泊まったことがあった深夜階段から大家さんが「ちょっと」と呼ぶ「誰だね」と怖い顔・・・「弟です」と答えた笑い話だけどありがたい時代だった商店街には兄弟でやっている食料品を売っていたお店があったけど・・・ニッスイのハンバーグよく買ったな・・西口の方面に歩くと「すずらん通り」いずみビル・・角にあった「いずみ」という工芸品のお店、焼き物のコーヒーカップをお小遣いの中からはたいて買ったな・・・ビルの裏に回ると地下にまだお店があった私がドヤガイといっていたいくつものお店ががちゃがちゃ並んでいたところは素敵なショッピングモールになっていた私が上京してすぐにバイトしたクラシック喫茶が当時の場所から移転してビルの2階に今もあったたった数ヶ月の期間だったけど記憶は鮮明に残っている見取り図だって性格に書ける自信がある時給はコーヒーと同じくらいで超安かったクラシックファンがお客さんのほとんどでリクエストをする指揮者まで指定されたり・・・それを膨大なレコードの中から探してかけるのですよしかもレコードの途中から針を降ろす時もあって手が震えた・・・そして黒板に今かかっている曲を書くのです・・・バッハは{BACH}って書くわけです黒板は二階にもあり駆け上がります時にはコーヒーもたてます、、、ネルの大きなので漉しましたお客さんで決まってビバルディの「四季」の「春」をリクエストする男性がいましたママはほとんど出てこなくてバイトが三人でまわしていましたここと絵のモデルで生計をたてお金が溜まると旅にでる女性大学生で学生運動もやっていた年上の男の人女性はお姉さんのようにやさしかった・・・これが大人の女性なんだと思った「雨の日はシタールが似合うのよ・・」と煙草の煙をくゆらせ言うんだな〜インド楽器でまったく知らなかったのにレコードを買ったっけ・・そして同じように言ったね「雨の日にはシタールだなぁ・・」大学生のお兄さんはすぐに憧れの人になったたくさん話せたらもう嬉しくて嬉しくてるんるんで下宿に帰った時々ヘルメットを肩に掛けバイトにやってきた、、、何色だかは忘れてしまった当時大学生はヘルメット持ち歩いていた、それが普通の姿だったお兄さんの指に絆創膏がはってあるとデモに参加してケガをしたと想像した・・そうにちがいないって私の通っていたデザイン学校が廃校になりもめているころ、店の奥の席に呼んで「どうするつもりだ」と心配してくれた今でも思い出すと<胸きゅん>ですそんな思い出の現在の「ミニヨン」の扉を開けてみたクラシックの音につつまれてカウンターに女性とお客の女性コーヒーのソフトをクラシックと思い出とにつつまれて味わった帰り際に「40年前にここでバイトしていました」と言ったら驚いていたバイト先と下宿への間にあった地下道がまだ健在であったゆるやかな階段を歩くと昔の空気感がよみがえってきた18、9のわたしが薄暗いむこうから歩いてきた・・・・・・「やあ!」
2014年04月04日
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私の父は9人兄弟の長男だった一人は海軍に志願し病死・一人は戦中の栄養不足で幼くして亡くなったそうだ私は叔母や叔父達に囲まれ育ち年の近い叔父は5才しか違わないだから長女だったが姉や兄の存在に囲まれていた叔母三人は若草物語の姉妹のようだった三人三様個性がハッキリ分かれていた姉のように慕っていたから「せつこねえちゃん・あつこねえちゃん・ひろこねえちゃん」と呼んでいた叔父達とは今も「りょうちゃん・ひでちゃん・よっちゃん」だ叔母達はいつしか○○おばちゃんと言うようになった父の兄弟姉妹は7人となり、それぞれの連れ合いを含めると13人になったいつからか男組みは「あほう会」という会を結成したそれに対抗するかのように女組は「おりこう会」を結成した14年前に父は亡くなり義理の叔父も亡くなったあほう会はいつしか消滅したがおりこう会は健在で今も年に何度か集まっているようだ祖父母も生前は二つの会をそれは嬉しそうに眺めていたなぁ・・・先日、草加の叔父夫婦がお墓参りにやってきたので久しぶりに清水の叔父の所に集合しためずらしくきょうだい6人が揃った私はいつも姉妹づらして参加してしまうこの日は弟も来ていたお葬式以外でこんなに揃うことは久しぶりだった理由は分かっているある失敗でこの兄弟の実家であり私の実家でもある家屋敷が人手に渡ってしまったからだ良き時代を知っているだけに辛い・・しかし人生は波があるものね・・さてさて!こんなに揃うと賑やかでワイワイがやがやみんな耳も遠くなりちんぷんかんぷんな会話も飛び交うそこでひでちゃんがおもむろに箱からハモニカを二本出した草加の叔父ひでちゃんは10才違いで山男(若い頃はよく相談にのってもらったものだ)懐かしい曲を吹きだし、みんなも年老いた声を張り上げ歌った、歌った・・叔父のりょうちゃん(この家の主)は80才の声を絞り相撲甚句を詠いだした肩をすくめて笑う姿は懐かしく最高に嬉しそうだったところで、この兄弟姉妹が集うと決まって戦争で亡くなった「朗おじさん」の話になる次男だったがとにかくやさしくて良き兄だったらしい長男である私の父は病弱で戦中部隊から返されてしまったそうだそこで朗おじさんは責任を感じて海軍に志願したのではと口を揃えて言うグライダーに乗っている朗おじさんは私も写真で見たことがある以前の実家の祖父母の部屋には軍服の朗おじさんの遺影が掲げてあった「あきらにいさん」という時の兄弟姉妹の表情は違う、声の色も変わるこの日はりょうちゃんの長男、つまり私とイトコのこうじ君も奥さんと一緒に山梨から来ていた現在イトコは14人いつも話は出ているのだがイトコの会ができるならその名前だ父たちの「あほう会」母たちの「おりこう会」その子供だから「どっち会」だって・・・・やりますか・・・ドッチ会声を上げるのは私しかいないナ、、年長だし今までさんざん威張ってきたからな・・・
2014年03月23日
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2011年の6月から月一回町内の美容院をお借りしてフォークの会をやってきた東北の震災の後、歌にはチカラがあると実感したチラシを配ったり歌集をコピーしたり一人で試行錯誤した最高で22人の時もあったでも最近は低調で先月はうちの夫婦とギタリストOさんと3人美容院のMさんんも都合悪く3人でお喋りだけで終わった継続はチカラなりと思ってやってきたけどギタリストのOさんや貸してくださる美容院のMさんにも申し訳ない気持ちが強くなり、もう潮時かなと一旦停止とした昨日が月一回のフォークの日、もうかえって少ない方が踏ん切りがつくと思っていた私・ギタリスト・場所のオーナーを抜いて純粋のゲストは2人だったそしてしばらくの停止を提案したわたしの盛り上げ方が下手なのが悪いんだけど・・・歌うこと、みんなで歌うことは想像していた以上には楽しみにしてもらえなかったと思うというより自分自身のテンションが下がってしまった歌は下手だけどみんなで歌うことは大好きカラオケで一人で歌うのは苦手だけどみんなで歌うと楽しい・・・昨日も話したけど参加者の一人は茶道に通じ陶芸もやっている公民館で茶道を教えてもらってその後歌うのはどうかという話も出た私の住む団地は400軒もあり同じ世代が多い今後フォークの灯火もなにかの形でもう一度灯らせたいとは思っている
2014年03月08日
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飯嶋和一の小説は全部読もうとおもっているおもしろい!実に面白いんだけど入り込んでいくまでに時間がかかる・・・これも序のあたりでずいぶん時間がかかり数ページ読んではおやすみなさい・・しかし入り込んでしまうと本を閉じるのが惜しくなり次に次にとページをくくってしまう先日のサイクリングに行く前日は止まらなくなり1時ころまで読みふけってしまった飯嶋和一の登場人物はとにかく善人だと思う人間味のある愛すべき善人なのだそしていろんな善人が次ぐ次と登場するから痛快なのだな・・雷電為右衛門という江戸時代の実在の相撲取りの話通算黒星はたったの10回197センチ172キロの巨体だったそうだが教養がありやさしい表紙の絵はいつもミルキィ・イソベだけどいいねこれも雷電をよく表している天明の飢饉や江戸の火事をおりまぜすごいストーリーする飯嶋和一の小説は実在感があるし説得力がある報土寺の鐘楼の話も実際あったこと実在の人物を歴史をふまえ膨らませる技はおみごと脇がまたいい金物屋の助五郎、麻吉・・・じつにいいただ最後に助五郎が牢屋で死んでしまうのは・・・なんとかならなかったのでしょうか・・・あんな善人の「ぼつぁん」助五郎が・・・こればかりは残酷・・なんとかしてほしかった、飯嶋さん
2014年03月06日
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2月28日車に自転車を積んで渥美半島にむかった赤羽根ロコパークに自動車を置きそこから伊良湖にむかう20キロないしと軽く見ていた・・・とんでもなかったまず向かい風、途中の山道・・・海岸線は波の音より喘ぐ息のほうがすさまじいウインドブレーカーの袖がパタパタ音をたてるでも雨の予報が一転晴れになったからお天道様には感謝しながらペダルを漕ぐまたも派手に一回転んだ・・・坂道でのUターンで足がつかなかった・・・ 菜の花に励まされやっと伊良湖に到着お目当ての灯台茶屋でランチだぁ!岩牡蠣のでかいこと あさりのでかいこと・・・ごっつぁんです!帰りは来た道を戻ったが、途中一休みで茶屋のおばさんがくれたパイナップルをかじる「おいし〜〜〜〜〜〜〜」シルバー夫婦はくたくたで車に戻った次第みたらし味のソフトクリームをやれやれとしてナメなめその日は三谷温泉に泊まりひたすら「疲れた〜〜〜〜〜〜〜〜ぁ」と連発 翌日は宿の上にある子安観音まで散歩鳩が抱かれる子供のあたりに群がってとまっていたラバーズヒルで昔乙女は鐘を鳴らすのでした宿で入場券半額チケットもらったゆえに蒲郡のラグナシアにいく宮崎アニメ「紅の豚」のポルコがいたアトラクションは見ているだけ、、、観覧車に一つだけ乗った豊橋にでて豊橋美術博物館へハローキティアート展は賑わっていたもう一つの吉田藩の地図コレクション柴田家文書展は興味深かったインターネットもない時代、地理に対するどん欲な知識欲エネルギーはすごい!近場ののんびり旅だったけど・・疲れたっす・・・・
2014年03月02日
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17人のツアーで白馬乗鞍スキー場の牧の入りコースのスノーシューに参加したマイクロバスには電車の都合上清水駅から乗ることに白馬へ日帰りとくればそりゃ忙しいお天気は最高時折見せる青い空、周りの山々の稜線の木々がはっきり線となって絵になる忙しく上がって下りただけだったけどパウダースノーに戯れるのは楽しかった携帯の充電ミスで1枚しか写真がないのが残念ガイドさんの忠告は良かった「冬の山歩きの基本は汗をかかないこと」ついつい厚着になってしまう私には大事な忠告でしたこまめに体温調整も必要ですね
2014年02月22日
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少し前にテレビでタイガース再結成ツアーの最終コンサートを見たタイガースは私が高校生のころから爆発的人気だったわたしは何たってビートルズだったからあまり関心はなかった長い年月を経てそれぞれおっさんになったけど良い味が伝わってきてとても印象的だったハンサムボーイは嫌いなへそ曲がりだったからジュリーは好きではなかったしかしおっさんになったジュリーは言うことも歌もなかなかいい岸辺一徳は俳優として好きだったけど歌う彼には惚れ直した白髪のトッポ、変わらないタロー、イエスタデイがしみじみシロー、格好いい人生のピーなんだかとても感動した年を取るってまんざらでもないね・・元気をもらった気がしたそんな感慨を持つとき、決まって青春時代がオーバーラップするそして先日、料理研究家の「小林カツ代さん」の亡くなられたことを知ったオーバーラップする青春時代に1年ほどの短い期間縁があったショートカットのヘアースタイルは出会った40年ほど前からだ、変わらないやはり一本線がすっきり通った女性っだったと思う料理研究家として彼女は多くのレシピを主婦や女性達に残した青春時代東京デザインカレッジという学舎で同窓だった昭和44年そこには漫画部(漫画科・アニメ課)がありたぶん日本で最初だったデザイン科・建築科などもあり新橋駅近くのビル一つが学校だったしかし5期の私が入学した年の夏休み経営が立ちゆかなくなり廃校へまっしぐらその後生徒達で研究所を立ち上げいろいろなドラマがあったそんなことを同じ5期の彼女は一冊の本にして出版したマリさん(当時カツ代さんはそう名乗っていた)はグリーティングカードの制作をしたくてこの学校に入学したようだすでに主婦であり13才もお姉さんだったそれは次第にわかってきたことで特に特別ではなかった私のように田舎から東京に出た娘にしたらまぶしい大人の女性だったその後のカツ代さんはすごい活躍でテレビでもお馴染みとなり同期のなかでは飛びぬけた存在だったわたしの回りでもカツ代さんのファンが多く彼女のレシピは評判だった「じつは同窓なんだぁ」と得意げに自慢したりした十数年前にくも膜下出血で倒れたと誰かから聞いたその後はテレビでも見かけなくなり気になっていた3年前に奇跡的に、廃校になった学校の先輩達とグループ展を開いたその際もカツ代さんは昔の作品を出してこられたみんなで色紙にメッセージを書きやがて会える日もあると信じていた思い出して埃を払い上記の昔の本をめくってみた新妻の彼女がわたしたちと一緒に活動していた頃の話、ドキュメントだ仲間の数人が紹介され日々の出来事が軽妙に書かれている何十年ぶりに本を読んでみて深く感謝の気持ちがわいた忘れてしまっていたことが彼女が活字として残してくれたことで残っていることに入学金のこと、4万円維持費1万円施設拡充費2万円授業料半年分3万円教材費半年分3千円しめて103000円払ったこと仲間には北海道から九州の離島から、社会人から新卒からいろんな人が集まっていた理不尽な廃校だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなことが語られその後の顛末も苦労して自分たちで教室をつくったことの一部始終最後のページに近づくとささやかなクリスマスパーティを恩師とともにやったことがあった300円の会費だった・・・彼女の私生活とともに私達の青春時代もそこにあったありがとう、マリさん(これはNHKでドラマにもなった、マリさんは樫山文枝だった)多くの家庭に幸せなレシピをたくさん残し、私達仲間に青春時代の記録を残して小林カツ代さんは逝かれたネットでグッグるとなんと多くの記事がありカツ代さんの大きさを感じたお疲れ様でした息子さんのケンタロウさんの快方を祈りつつご冥福をお祈りいたしますカツ代さんのレシピのフライパンで肉じゃが、やってみようかな
2014年02月07日
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私の実家の一族はいたってのんびり屋ののんきな性格が多いその中で一番しっかり屋の叔母がそのまた上をいくしっかり者のおじさんと結婚した子供は私といとこになるんだけどやっぱりしっかり者(長男は大学教授でっせ)そのおじさん・おばんさんの所に遅くなったがお年始に行ったすると聞いてはいたけど庭にど〜〜〜んとタワーが建っていた家の後ろは湾になっていてすぐ海です以前は貯木場でしたチリ地震の際は床上浸水もあった土地柄その後松の木を植え地盤も少し上げて家を建てたそして3年まえの東日本の大震災しっかり者で慎重なおじさんは移転なども考えたらしいけど年齢も90に近く引っ越しは断念慎重なおじさんのこと本当にいろいろ考えたらしい調べたり足を運んだり・・充分想像できる二人の偉いところは子供にけして頼らないのが基本なのだ、見習いたい玄関を出たらすぐタワーの階段で両側に夜になると自動で光るライトが階段はトレーニングにもなっているとか太い鉄骨で途中まではコンクリも入っている地盤にはベタに鉄筋が敷かれているそうだ申請には物見の塔ということでないと通らなかったそうだ、、変なの?上がってみると良い景色!!椅子が二つ置いてあったいつまでも物見のタワーであってほしいですね今後タワーの上にカメラを据え付け家から海の様子が見えるようにするとか・・さすが!!いろんなことに感心して帰宅した次第
2014年01月14日
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今年のお正月は初めて息子の暮らす奈良で過ごした春日大社にお参りに行ったが・・わあああ、、、すごい人の波、大波です初詣に行ったわが町の大井神社も賑わっていたけど比ではないっす高校時代か中学の頃か、、とにかく遠い昔からのペンパルColetteから荷物が昨日届いたフランスのレンヌの女性で、ほぼ同い年つたない英語で文通を始めたティーンのころはビートルズで盛り上がったな・・・もう40年以上続いているけど会ったことはない最近はクリスマスと新年のころのプレゼント交換だけになってしまったでも最初は船便で出していたプレゼント、届くかどうかも不安だった今はすぐにメールでありがとうと言える今回はプレゼントのTシャツを着て写真を添付した好きな色ので嬉しいな(一番好きなのは紺色、ソックスは紺色だった)今年はどんな年になるのかな・・・体操みたいなぎこちない日舞の教室も乗りかかった船だ、もう少し頑張るか・・冬は教室で着替えるのは寒いから着ていくどっこいしょと車に乗り込み裾も乱れて運転車には暮れにCDをいくつも入れた、今年の初練習の日流れてきたのはビートルズ70年代の懐かしのビートルズ・・でもいつまでも新しいな、、着物きてビートルズ聴きながら山道飛ばしている自分が「カッコいじゃ〜〜ん」って思った星空を見上げる自分も好きだ「あ・・オリオン」なんて言っちゃってさ・・不格好になっていく自分だけど、そんな自分を好きになって自分に正直に2014年を過ごそう
2014年01月09日
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生涯学習にはいろいろ通っている短歌・日舞・日本史・ウクレレどれも楽しい初めて日本史の研修旅行に参加した今までは泊まりで遠くにも出かけていたらしいけど今回は日帰り(去年は京都の冷泉家)郷土史と日本史を教えているN先生は元高校教師で神主さんでもあるらしいとにかくすごい記憶力で、話も実に楽しい(すぐに横道に・・なかなか戻らない・・)先生の研究テーマは郷土を襲った明応の地震と大津波そして賄賂で有名になってしまった田沼意次と相良藩のことさて今回は教室合同でマイクロバス2台人生の先輩方が多くわたしはここでは若手です(こんな環境はいいね) 藤枝市にある国指定史跡・志太郡衙跡は興味深かった奈良平安時代の役所ですそして焼津の曹洞宗林曳院も良かった「そうどうしゅう」と言ったら「そうとうしゅう」と人生の先輩に注意されたわたしは漢字の読みを思いこみで間違っていることが多い極めつけは「団塊の世代」をずっとダンコンノセダイと言っていたこれは十数年前に「きみっ君さぁ・・」とある男性に注意された話戻ってこのお寺は焼津の小川湊のすぐ近くにあったのだが、ある日旅の僧が「なにやら嫌な気がする」と言い残し出て行ったそうな住職もつねづね嫌な気を感じていたので思い切って高草山の麓に移したのだそうだそしたら翌年の明応7年(1498年)の大津波で志太平野いったいがやられてしまったのだそうだ「あらら、、、」お寺の上がり端にスティーブ・ジョブスの本が仏教の本に混じって並んでいた数日前にテレビの番組でジョブスがある禅僧に影響を受けていたことを知ったばかりだったなんとその禅僧はこのお寺の先代のご住職だったサンフランシスコで布教活動をしていたとのことそんなおまけの感動もありとても楽しい一日だった
2013年11月14日
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久しぶりの山行き、もちろん山友のしんちゃんと・・何かにつけていく川根の大札山、今回は不安のある腰膝の具合見の山行きですいつも通りのコースタイムの二時間くらいで頂上、その頂上で「うっそーーーえっなに?これって・・うっそ〜」大興奮なんと見たこともない、みごとな虹が手の届きそうなところに待っていてくれた頂上ではいつもこの展望台の場所でランチをしている向こう側には大無間や天水、板取山、前黒法師などの山々峰峰を連ねているそれらを眺めながらのランチは最高なのだ、いつもは富士山もみえるこの日は富士さんは見えなかったけど、大虹がくっきりはっきりアーチを描いていた虹に沿って下を覗くと木々の間に虹がまだ続いている・・・怖くなった足下のずっと下まで虹があるなんて信じられますか?そこには神様がいるような気さえしてマジ怖くなった「写真・写真!!」携帯を探すがなんで??な〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い・・・焦るちっ!車に忘れて来たんだ、、、くやしい!自分の馬鹿相棒は携帯をもたない、カメラも今日は二人とも持ってはいない、、、あ〜〜〜くやしい晴れてはいたけど時折小雨が、、そして太陽は後ろにしかしすごいシュチュエーションです、対峙する山の間にいつまでも虹が橋をかけ薄くなったりぐっとはっきり現れたり繰り返して・・・その上、大きな音とともにヘリコプターが現れた、、、ごく近くで虹の間を通過していったもう絵本の世界ですなんどもここには来ているけどこんなこと初めて去りがたく1時間ほど見ていたあまりの感動に手を合わせた、そしてもちろん願い事写真を撮れなかったから虹はしっかり脳裏に納め、紅葉の落ち葉を拾って歩いた肩の口登山口に下り林道を紅葉を満喫しながら車を止めた樅の木平らまで歩いた車まで着くとまずすぐに携帯を探した、、、、ところがまたしてもな〜〜〜〜い!!どこかに置いて来ちゃったのかしら?またまた大慌てところが、、あ、あ、ところが・・・なにげに開いたポシェットの奥から携帯が出てきた「うっそ!持っていたじゃん私」あの虹を撮れていたのに・・・・・・ ・・・ せめて車周辺の景色を撮った・・・すごくむなしいでも相棒のしんやちゃんといつまでも興奮していた ちはやぶる神の仕業か虹の円 大札山の渓より現る
2013年11月11日
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夫は再々就職をしてまたまた電車通勤がはじまりました週休は3日あります休日は身体を動かそうと心がけているようです子供達は良い物を贈ってくれました、自転車(もくろみ成功です)休日はチャリダーに変身するのだ!といってもシニアチャリダーは無理をしません・・ほどほどサイクリングですところがこの日はチョイと無理しちゃいましたね家を9時に出て牧ノ原台地を走り浜岡に出て御前崎そして海岸線を走り湯日川を遡り帰宅15時15分73キロ静岡空港までの坂道、牧ノ原や浜岡からの150線の坂道いくつかのアップダウンをあえぎました翌日のコスモス祭りの準備をする畑がありました、、きれい浜岡の風力発電放射能とは関係のない代替エネルギーに期待大ですけどこれも低周波が問題とか・・エネルギーを他に依存しない自転車は最高の道具だと常々思っている御前崎の海岸がぱ〜〜〜っと開けシニアチャリダーもそっそうと風になります若者たちは黒いウェットスーツで海鳥のように波に乗っています波乗りを見ながら海岸でランチ灯台付近の海岸は岩場が面白いいろんな生物がいそうです相良から吉田町が長かったな〜〜体力はなくなるし自動車は多いし、夫はずんずん行っちゃうし・・・「なんで振り向いてくれないの?!」やっぱり文句の一つも出てしまうのだ
2013年11月02日
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高校の部活の同窓会、今回はふるさと清水Tちゃんが幹事で清水駅にエルグランドでお出迎え参加者は7人、ゆったり座れてご機嫌です今回は85才のお元気な恩師もおいでくださり、私達は一気に女学生に戻ってしまいますあいにくの小雨模様のなか、まずは三保の松原へ!世界遺産認定があり観光バスも何台も並んでいました思い出話をしながら三保の浜辺を歩く松林の中で「ふるさと」のメロディーが・・・ふりむくとTちゃんがオカリナを吹いていた幹事の心憎い演出でんなぁ〜〜一同感動・・・・・・そして口ずさむ(昭和の女学生ぽいね・・)彼女はもう長いことオカリナを習っている次回はみんなで楽器を持ち寄ろうなんて冗談を言いあった(もちろん私はウクレレだな)ランチは人気の日本平ホテルのビュッフェ。。。。。満腹(食べ過ぎ)そしてお決まりのようにロープウェイで久能山東照宮へいつもI先生のお元気な様子に刺激されるランチの時「先生はもちろん恋愛結婚ですよね」と尋ねると苦笑いしてこういった「みんなである時山に登ったのよ、その当時登山靴なんて履いてる人いなかったの、、だけど主人だけ登山靴履いていてその登山靴をジーと見ながら登ったわけ。登山靴に恋しちゃったのよ」階段も手を貸すどころかご自分ですいすい東照宮の階段は敵の侵入をしづらくするため一段が高いそれもグイグイ登られたが、途中で「あたしはここで待っているから行ってらっしゃい」雨の石の階段、判断の速さにこれも感服戻ってくるとしっかりボランティアガイドさんの話を聞いていらした好奇心旺盛な85才・・かくありたい趣味の油絵は抽象画、キャンバスは100号・・・あっぱれでやんす!先生をご自宅まで送り私達は懐かしい清水銀座を銀ブラです(その前に追分羊羹本店へ)アーケードは閑散として居酒屋ばかりが目立ちますでも専門店ががんばっていて帽子屋さんに傘屋さん、乾物屋さん「この店は昔もあったよね」などといいながら歩くそして居酒屋でお喋り・お喋り・お喋り19時ころかな西は浜松、東は埼玉の今回の参加した仲間は散っていった私はなんだか淋しくて電車に揺られながら仲間にいくつもメールしていた
2013年10月29日
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仲良し夫婦でピラパパ・ママの別荘に出かけたいつも4夫婦の集合だけど今回はT夫妻はお祭りに婿殿が出ているのでそちらにお呼ばれで、3夫婦の集合です恒例男子はゴルフ 蓼科カントリーはお気に入りのようです女子は茅野青少年の森の館長さんに会いにいったちょうど広場で縄文祭りが開催されていた ラッキー!コンサートあり、猪のお肉たっぷりの汁(カップ持参)、気球体験もちろん子供達は縄文体験がいろいろあったみたい、縄文食とか焼き物びっくりは豚の一頭丸焼き・・写真も撮ったけど載せるのはやめておく。。。高原の気持ちよい空気の中楽しかった!!(気球は風が出てきて乗れず残念) 夜は鱧しゃぶ、新蕎麦も打ってもらい豪華食い倒れです鱧は山口からのお取り寄せ、新鮮ぷりぷりです翌日はピラパパが別荘地の散歩山歩きに連れていってくれました唐松のふかふかした落ち葉の山道「白樺の葉が小さくヒラヒラするのがいいよ」とピラパパおいしい紅茶ごちそうさま
2013年10月13日
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我が町の大祭です夫と自転車でお祭りが練り歩く商店街まで出かけました屋台がいくつもの会場で踊りを披露していたり大奴の大名行列がいくつもの通りをねっていますそんな追っかけは自転車が便利 3才の男の子が「やだやだ!!」と屋台に乗るのを拒否していた衣装にカツラそして白塗り、、やだくなっちゃったのね、、、どうなったんだろう・・・
2013年10月12日
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最初に上高地に誘ってくれたウーさんは今は天国(連れて行ってくれてありがとう)そのウーさんと2回北穂高登山で1回、4夫婦大人会で1回今回は娘夫婦と私達4人でカッパ橋から明神池をのんび〜〜〜り歩いた10時半から16時までたっぷり味わいました梓川の河原で食事したり小梨平らのベンチでおやつしたり五千尺ロッジのアップルパイをテラスで食べたり、あんなにゆっくり上高地を歩いたのは初めて・・この日は最高のロケーションでしたまだ足腰に不安がある私は去年の夏から山歩きをしていない明神池から山を見上げる・・・ ほうの木の葉っぱが黄色に大きな手を広げていた婆様の朴葉巻きを思い出す・・・トワサンクのアップルパイもベリースウィート
2013年10月06日
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昨日は秋晴れ!とくりゃアウトドアでっせ・・自転車を積んで浜名湖のガーデンパークに・・・ところがすごい車すごい人なにか駅伝のような大会をやっているようで、あの広い駐車場もいっぱいです湖岸沿いの駐車場に移動して自転車を降ろす出来たら一周、、でなきゃ舘山寺あたりで引っ返そうと軽いノリでペダルをこぎ出しましたう〜〜ん爽やか!!ところがアクシデント浜松動物園前の信号機の所でひっくり返ってしまった歩道を走ってきたけどグループが歩いていたので、いったん車道に出て追い越しまた歩道に乗ろうとしたその角度がいけなかった・・・そのグループの目の前で実に派手にひっくり返ってしまった転び方はうまい・・と思いつつ風景が大回転していった「斜めに入っちゃ駄目じゃないか!」夫が怒鳴りますいつもだったら怒鳴り返すけど、このときは救いでしたとにかく穴があったら入りたいのです地面に転がって居た私は「そうそう」といいながら苦笑い横の緑地帯に引き上げると夫がまた叫んでいます「なんで俺のチェーンがはずれるんだよぉ」大笑い・・・なんで?しかし久々の大ぱっじ!膝をすりむき、手首に青あざでもこれで済んだのは転び方がうまかった!えっへん!気賀や浜名湖SAや三ヶ日青年の家、瀬戸など湖畔を快適に通過していった釣りする人がどこにもいた、ほんとに多い水上スポーツを楽しむ人、私達のようにサイクリングする人、、平和な景色ですしかし知波田や湖西市にはいると国道や山道さらに農道に迷い込んでしまったり、、、スマホの地図を何度も見るNHK・BSの「こころ旅」を思う、同年代の火野正平「正平ちゃんはえら〜い」と尊敬しつつ坂道も降りずに頑張りました・・・と言いたいところだけど実は何度も降りました・・・ふ〜〜エンジンが付いてるんじゃないの?と思える自転車に何度も追い越されました舘山寺や奥浜名湖くらいまでは「浜名湖一周サイクリングロード」とりっぱな看板があったのに後半は放り出された印象です・・・しかも新居や弁天島付近は浜名湖を渡る橋の怖いこと・・・自動車量も多い上に白線だけだったり自転車道の標識もないし命がけ猪鼻湖はカットしてしまったけど浜名湖とにかく一周です「やったね!」5時間半
2013年09月30日
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なんと遊んでいるワタシでしょう奈良から帰り翌日は東京です娘の高校時代の親の仲間で銀座へくりだしましたランチは以前グループ展の際によく利用した7丁目の888ビルの「方舟」個室の畳で足はおろせてとにかくゆっくりできるのが気に入っている日替わりランチは1450円だったかな、、これにお好みの豆のコーヒーが付く、、、いいよね! それから新しくなった歌舞伎座へ、、一幕見を見れたら見ようと軽いノリ次代を担う若手勢揃いの新作「陰陽師」市川染五郎・尾上菊之助・片岡愛之助・中村勘九郎・中村七之助・市川海老蔵・尾上松緑こんなに勢揃いしたら歌舞伎座も新しいしそりゃ〜〜人気ですよね一幕見もすごい列、立ち見でもいいとしてチケット購入 一幕2000円こんな風に気楽に見る歌舞伎がいい平将門の怨霊と阿倍清明のお話、迫力があって面白かった1時間半の立ち見は体力がいったけど、やっぱり歌舞伎はおもしろい!でも今度はもう少し早く並んで一幕見でも座りたいな・・・
2013年09月18日
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15日台風18号の進み具合を気にしながら奈良へ向かうホントは延暦寺に行きながら大阪に向かうつもりで大阪駅周辺の駐車場もチェック済みだったのに台風が・・予定変更、天理の息子の家に車を置いてから大阪に電車で向かうことにした近鉄を乗り換え不慣れな大阪駅に着いた目的は、転職した息子の仕事場をのぞきに・・・大学を卒業して12年いた会社を去年突然に辞めた家のローンもあるのに心配でたまらなかったその時の嫁の言葉はありがたかった「いざとなったら私が働きますから」「慌てて探してほしくない」すでに看護師としてパートで働いているのに「いざとなったら」というのはフルでといことでしょう・・見上げたもんです・・さすが看護師それに甘えるなと母は願っていたし神社のお参りもして遠くから祈っていたすると今までのやってきたことを生かせる仕事につけた(神社のお礼参りも行きましたよ・お賽銭もふんぱ〜〜つ)本当に嬉しかった・・なにより仕事場の環境を語る息子の活き活きとした表情が嬉しかった、やれやれだった・・大阪の夜、仕事の終わる息子を待った台風で電車が止まらないことを祈りつつ大阪で息子に韓国料理をおごってもらったさらに慌ただしく夫が以前から行ってみたいと言っていたので法善寺横町を案内してもらった苔むす水掛お不動さんにも手をあわせ降り出した雨に急いで電車に乗りこんだ 息子のもとにやって来たもう一つの目的は孫の保育園の運動会があったからだ「誓いの言葉」をやるから是非!!と嫁の強い要望があったところが翌日は晴れてきたのに洪水警報が消えず、使用する体育館が避難場所になっているため延期となってしまった突然ですが嫁の兄弟は7人です女5人男2人、みんな良い子で、今どき親のスネをかじらなで成長しているのが偉い女5人のうち4人が看護師、そんな兄弟の3人が孫の運動会にも来てくれた孫はもうメチャメチャかわいがってもらっている運動会が延期となり一台の車でぶらぶらした7人プラス・ガキ1人=車中、孫はもう行ったり来たり汗だくですその日の夜は宴会の席を用意してくれていた息子の家族は筋向かいにの家と仲が良い主のT君は息子と受験の際に隣同士だったそうな、、以来大学・社会人とずっと友人、親友でしょうねさらに嫁同士も仲良くなり、家を購入するさいも嫁達が主導したみたい孫も同じ保育園で同学年最近保育園の催しの後は<じじ・ばば>も呼んでくれて一緒に食事するようになった縁もゆかりもなかった京都のTさんじじ・ばば夫婦ともほぼ同世代嫁達の計らいで年に数回会ううちに気心も知れ、とても親しくさせてもらっているTさんたちは完全にリタイアして悠々自適、海外旅行が楽しみのようだ娘も同い年でいて結婚したのも似たようなころだったいつだったかは娘たちも同席して食事をしたそんなことをいつもセッティングしてくれる嫁達には感謝です特にこの日は忙しい息子達も同席してかなり盛り上がった・・孫達も大騒ぎ、息子達の大学時代の思い出話に花が咲き大笑いした帰宅しても別れがたく、お互いの家に入る前も京都のTさんは夫に握手をもとめハグしていた(笑)さらに息子とも抱き合っていたほほえましくて、ありがたい、ありがたいと何度も思った帰りの3日目はスーパーに飾られている孫の絵を見てからランドセルをじじ・ばばは買ってやるのでした
2013年09月15日
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急な計画で御殿場ビールで娘夫婦と一杯やることになったガッポリ屋のレジ家業を早番で済ませ自転車を車に積み込み2時過ぎにGO!夫と手軽に一泊を前日に計画すると娘がすぐに食いついてきた4人で御殿場ビールのバイキングにいく3150円でバイキングでビール飲み放題はやっぱりお得・・かな?生演奏のバンドが席までやってくる婿殿の乗りのいいのには驚いた・・大声でいい反応です娘達は沼津に帰り我らはロッジ泊安い旅行しかしない私めにはロッジ2人利用では朝食付きで7500円はけして安くないと思ったでも噴水ショーが見られたり朝の気楽坊という温泉施設に無料で入れるし利用してみたらなかなかいいでも4人で利用すれば5000円・・・これはだんぜんお得夕食のバイキングは4人でよく飲んで食べました・・・もう駄目・・翌日はとにかくどこかをサイクリングしようと思ってでてきていたこれも娘が食いついてきた婿殿は仕事だったが娘は休みなのでいったん娘を迎えに沼津へそして山中湖一周に決定!娘の自転車はレンタルで4時間1500円サイクリングロードに入ると娘もサイクリングの風が最高に気に入ってきたようだ娘が走りながら撮ってくれた一枚・もちろん母が一番乗っています思いのほか早く一周してしまいそうなので諏訪神社に寄り道ここは富士山一周ウォーキングの際よったところだと思い出す なかなかコウノトリが飛んで来ない娘は絵馬を奉納ここは子授け安産の歴史ある神社のようだそこから花の都公園まで走らせる百日草が満開だったまだまだ快調・・忍野八海まで足を伸ばしたびっくり月曜だというのにごったがえしています自転車を降りても気が引けるほど・・中国語が飛び交っています富士山世界遺産が多くの人を呼んでいるんですね 美しい富士山の湧き水にそろそろ秋の気配を漂わせた青空が映っていた須走道の駅で足湯につかったが足湯であんなに気持ちが良かったのははじめてです・「最高!」
2013年09月08日
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しばら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くのご無沙汰暑いのとなんだか忙しかったのと無精になったのと・・・思い出すままに飯田と名古屋に家のある妹夫婦の所に実家の母が遊びに行くことになり母を送っていくことになった夏の始まりのころ・・妹が諏訪まで出てきて私は母を乗せ車で高速で岡谷で降りる私たち3人は足の形が似ている、、母の母も同じような形だったスマートではない諏訪湖で遊んだ後は飯田に行って妹の家に一泊妹たちは生活のベースは名古屋に移ったがいったりきたりしているようだひさしぶり3人でのんびりお喋りができた翌日は妹の活動していたリンゴ並木のエコハウスを訪ねる妹がやってきたことも改めて関心などした私は一泊で帰ったが母は名古屋もまわりいい旅行ができたようだ生涯学習の習い事もまじめに通ってまっせ1ヶ月2回のウクレレ教室・2回の日舞・1回の日本史・1回の短歌・気まぐれ参加のヨガそれに歯医者と整体などが入るとけっこう毎日が忙しいのだ週4日のバイトレジ家業3時間45分とハローワーク通いもあり〜の〜短歌教室は6月から始まったが先生がとてもいい、わかりやすい!高校の教師をやってこられたので入門生にとってはわかりやすいのが嬉しい限りホントは俳句を勉強したかったけど町の生涯学習には短歌教室しかなくしぶしぶだった・・けれどなかなかいい、、五七五七七は自分にはあっているかも・・新じゃがを乱切りにして片手鍋テーブル半分つくづく二膳丈夫なる義母の終わりは認知症帰って来れるや初盆の家現在提出はこの二首っすやっぱり「調べ」がイマイチだな・・子供達とディズニーランドに行った全員集合はディズニーシーで・・人気のトイ・ストーリーにも忍耐で並びました買ってもらったバズをザックに大事に背負う孫がきゃわいい・・今夏で定年退職した夫に子供達が自転車をプレゼントしてくれたさっそく吉田公園へ私の自転車はブリジストン・夫のはビアンキ・・・いいな〜〜チョー軽い!昨晩は仲良し3夫婦で飲み会釣り名人のシゲさんが飛騨川ででっかい鮎を釣ってきたのだお呼ばれですこんなおっきい鮎見たこと無い「旨い!」
2013年08月29日
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三日間の上京を終え昨夜帰郷しました帰郷と言っても静岡は日帰り区間・鹿児島や山口からの先輩お疲れ様です5期で廃校になったデザインカレッジのグループ展が在京の先輩達のおかげで第2回目を催すことができた銀座中央通りの地球堂画廊で5/27〜6/1の開催です多くがが27日のオープニングに集った1回目には参加されていた二人の先輩があちらの世界に旅立たれたたくさんの作品を残されお疲れ様でした!人ごとではないですね、みんなそんなお年頃です1回目では初対面の先輩たちが多く緊張していたけど今回は再会の喜びで親しくさせて頂いた2次会は新橋の「天狗」へ30人以上がきゅっきゅで座りました時間も忘れ楽しい楽しい!同期・先輩・・・共通の漫画が繋いでくれる在京の三日間、私の友人やお世話になった編集さん、身内も含め多くの方々が来てくれ本当に感謝しています友人も十年以上ぶりの友人だったり、漫画の読者だった友人、都内をはじめ松戸、横浜、川崎、埼玉やさらに焼津ほんとうに遠くからありがたかった「ありがとうございました!」そして別々の友人同士がランチを一緒することで親しく話せたのが本当に嬉しかったもちろん同期の仲間とも久しぶりに笑えたことおまけに帰りに奈良から出張してきた息子と東京駅でしばし会えたこと、濃い三日間だったね・・・まだ展覧会は続いている梅雨入りに入り見て下さるかたはどうでしょうか・・・搬入・搬出も手伝えなくて申し訳ないです無事盛況の内に終わることを祈っています濃い三日間を終え、今はちょっと祭りの後のような淋しい感じさて夕刻からはいつものパート「日常」が始まるざんす
2013年05月30日
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45年ほど昔の高校時代の体操部、その同窓会「ももの会」私達は集団体操だったけど1年前から器械体操にいたKさんも参加するようになった今回私とMちゃんが幹事浜松駅に7人が集合してレンタカー・ステップワゴンに乗り込みますドライバーの私は挨拶もできずナビとにらめっこまずは浜名湖のガーデンパークへGO!そしてやっとご挨拶「おひさしぶり〜」と「むら茶」ティータイムさて今回幹事の私はタイムキーパーもしなくては・・・「このへんで腰をあげて〜!」園内には川があります、人工の川だけどゆったりと大きい、、そこを舟に乗って一番奥までクルージング舟から降りると園内はいろいろなお花が咲き乱れ百花繚乱おしゃべりも百花繚乱ここは以前Sちゃんと来たことがある・・懐かしいな・・その時はたしか12月、公園内は人もまばらだったけど花の季節の5月は平日でも賑やかです 浜名湖湖畔を騒がしくドライブして舘山寺通過、ランチは奥浜名湖国民宿舎食べながらおしゃべり、おしゃべり航空自衛隊のエアーパークへ飛行機に乗って写真を撮ったり撮られたり浜松市内にあるMちゃんのお店によっていたらもう夕食の時間お腹もいっぱい、笑いもいっぱい・・満足、満足無料で楽しめるところを廻ったからランチ・ディナー込み、レンタカーとガソリンすべてで一人6600円也愛知県からのIちゃん、埼玉のダブルKちゃん県内のT、K、Mちゃんお疲れ様!次回は秋ですね、それまでみんながんばろっ!
2013年05月21日
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飯嶋和一の「黄金旅風」「出星前夜」この2冊を読んでから島原・長崎は行きたくてたまらなかったJR50+長崎2泊のフリータイム一番安い時期で27600円なりホントは一人旅がしたかったけど、このプライスは二人でないと駄目ウクレレの友人を誘ったら彼女も長崎の友人に会いたいとお互いの利点が合致した二日目のレンタカーが12時間で4000円二人で割れば2000円合計実費29600円(ホテルは食事無し)は不思議なほど安い!13日のぞみで博多に着きかもめで長崎到着が13時48分駅には「世界新三大夜景」の垂れ幕、のんびり眺めていたら忘れ物かもめの列車内に旅行の資料をがっぽり忘れてきてしまった若い駅員さんが走ってくれ清掃後のゴミ箱から探してくれた・・すんませんなんだか不安なスタートですグラバー邸(と言うのは古い人だって、、今はグラバー園なんだそうだ)近くのホテルモントレに一旦入る市内を縦横無尽に走る路面電車に乗り公会堂前下車・・ここは昔牢屋敷があったところか?向かうは長崎歴史文化博物館5分ほどさるく(歩く)と途中に桜町小学校があるここはサンドミンゴ教会、後に長崎代官末次平蔵の屋敷だったところにある門構えがおもしろい、この門構えから小学生が出てきた 歴博はおもしろい!!!老若男女が楽しめる学べる仕掛けがいっぱい長崎の貿易、オランダや中国との交易ポルトガルからのカトリック宣教師そして鎖国体制にはいるとキリシタンの受難長崎には独特の文化歴史があって日本史かじりの幼虫にとってはたまらない友人のKさんはすぐにお友達に会うために出て行き私は19時閉館すれすれまでいた隣の奉行所ゾーンも足早に見学して出る頃は私ひとりだった夕食は敷地内のレストランでトルコライスコーヒーを注文したらマスターがお店からですとサービスしてくれた2つ手前の築町まで電車を降りホテルまでさるく中華街で月餅を買いオランダ坂を歩く、ぶらぶら歩くさるく空には三日月・・・いいな、旅してる・・良い感じ先には大浦天主堂がライトアップされ森の中から浮かび上がっている長崎の夜空、宗次郎のオカリナ「天空のオリオン」が聞こえてきそう・・・良い気分で歩いていたらホテルをだいぶ行き過ぎていた14日レンタカーのナビの言う通りに島原にドライブまずは島原城と武家屋敷りっぱなお城で驚いた大和の五条から松倉重政が入部して領民から過重の年貢を取り立てて新築したお城なんでしょうね・・城内には資料が並べられている、、、とそこに鳥のさえずり館内にツバメが飛び交い巣を作ろうとしていた ランチは一揆の人たちが食べたとされる具雑煮そして南島原市の原城跡にむかう途中道の駅で雲仙普賢岳の噴火災害の被災家屋を見る、、、すごい保存だと思った原城駐車場で14時の約束で観光ガイドのUさんと待ち合わせUさんも同じ小説を読んでいて一気に盛り上がります一緒に来た友人のKさんも前勉強をしたらしく、たっぷり2時間あっという間でした誰に聞いても「なんにもないですよ」と言われたとおり観光地ではないでも激戦の島原の乱の地に立ち海よりの風に吹かれイメージはむくむくと膨らんだ原城は有馬晴信が支城として築いたが海に囲まれ自然の要塞、広くて立地がいい一国一城令が出たため廃城になっていた海の向こうには天草と島原の人が談合したという湯島、またの名を談合島天草四郎の像が立ち骨かみ地蔵もある大八事件で甲斐に移封され切腹した(キリシタン故切腹できず家臣に首をきらせたとも)有馬晴信や関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の元家臣達は島原・天草で農民となっていた者も多いしかし朝鮮出兵を経験した強者たち苛政に立ち上がった農民や元は武士達、弾圧されたキリシタンたち・・・たんなる農民一揆ではない、キリシタンの一揆だけでもない1637年冬、、、寒かっただろうな最初は優位に戦いハライソ(天国)だと思えたんだろうな援軍かと思ったであろうオランダ船に大砲を撃ち込まれたときはショックだっただろうな・・カリスマの天草四郎の居住していた場所もUさんの説明でわかった四郎が重箱山からの発砲で袖を打たれたときの動揺はいかばかりであったろう もう一度小説を読みたくなったレンタカーを19時過ぎに返し夕食は生ビールと皿うどんと長崎チャンポンと餃子ホテルに向かうタクシーで稲佐山からの世界三大夜景の話になり私は酔っていたのでお財布がゆるんでしまった5800円の観光タクシーとなり稲佐山にゴーゴーゴー運転手さんはなかなかの演出上手、道中は夜景をみないようにして稲佐山の展望台で一気に見せる「きゃ〜〜すごーーーい!!」宝石箱をひっくり返したような美しさそして人もすごい!帰りは路地に入り表札を読んでみなさいと言う「FUKUYAMA」福山雅治の実家だそうだ15日もう帰る日だガストでモーニングしてホテルに荷物を置いたまま水辺の公園を歩いて県立美術館へジブリ作品などの背景を描いている「山本二三展」を見る彼は五島列島の出身らしいラッキーにもこの企画展とぶつかった印象深い「ほたるの墓」「もののけ姫」その背景画はすばらしい表現力、ため息をつくほどの緻密さに感動した迫っている東京でのグループ展のお絵描きにも良い刺激になったそしてこの美術館のデザインもいい、素晴らしかった長崎はおもしろい、興味深い・・・また来るかも・・と思いつつかもめに乗り込んだ14時20分、さよなら長崎
2013年05月13日
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やってしまいました・・・お絵描き仕事のデーターが消えてしまいましたぁぁ あ〜〜〜〜〜〜〜ぁ「ウソでしょ?!ねぇ!!!!」昨夜のことですぅグループ展に出品する作品を毎日少しずつ手を加えていた今回はフォトショップで着色、いろんな方法を試しながら進めていたもうすぐプリントアウトまでこぎ着けていたその都度保存していたああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜保存先が悪かったUSBメモリーを差し込むと「このディスクは認知されません」と突然の拒否東京の師匠にあわてて助けを求めた本体に差し込んでみろの指示通りに従うが駄目・・・「なんでそんな不安定なものに保存するんだ」「高い授業料を払った思うんだね・・・」もう諦めるしかないんですね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐすっでも「たいがいの場合、再制作の方が良い物ができるよ」とフォローしてくれたその言葉を希望にさあ〜〜〜〜〜〜〜ぁぁぁぁぁ・・・・一からやり直しだ・・・がんばれ!自分ファイト!自分
2013年05月09日
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