わくわく探検隊長(o^∇^o)ノ

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われ一粒の籾なれど



六ヶ所村の地元で、農産物、海産物を作り生活する者たちの、真剣な声として、以下の文章をお読みいただきたい。

1988年の事、ベルギー海岸にアザラシ一万七千頭余りが、口から血を吐き打ち上げられ、ドイツの研究所で解剖、検死の結果、150種類もの科学物質による細胞破壊が認められ、それは胎内にいた子供にまで及んでいた、というショッキングなテレビ報道がありました。植物連鎖と体内濃縮の結果であるとの事でした。

日本でも、マッコウ鯨あるいはイルカの集団が、海岸で大量死している事件が、数年前に報道された事がありました。化学工場の廃液を日本海溝(黒潮)に、秘密裏に船で投棄していたという事実も明るみにだされました。また最近においても、狂牛病、鳥インフルエンザ等など、我々が日々、口にする食べ物に直接つながる奇病異変が伝えれれています。

これらの現実は何を物語り、意味するのでしょうか?

ここ六ヶ所村には、全国の原発から出る放射性廃棄物の集まる、巨大な貯蔵基地がすでに稼動し、そこに新たに再処理工場なるものが加わろうとしています。MOX燃料製造工場、各地の原発の廃炉などと、止めどない計画まで含めずとも、それは世界最大級の核廃棄物基地だといっても過言ではないでしょう。当然、そこから排出される放射性物質を含む廃液、廃棄ガスは、質量とも原発の比ではないと言われます。猛毒のプルトニウムの使い道の不明確、不透明の問題は置くとしても、海へ、大気へと一旦排出された廃液、気ガスは、日本列島を巡る海流、大気の流れにより、どのような影響を及ぼすのか。本来なら全国民が自覚し、熟考し、反省すべき問題であるはずです。

特に再生処理工場から出る高いレベル廃棄物は、まづ先に科学的解決を見なければ成らないはずの安全な処分方法の確立、最終処分地の確定、そして十年~五十年後の人体への影響など、どれ1つとして問題の解明、回答を得ないまま、国も県も村も盲目的に先走りしているとしか思えません。それは、つまり責任の回避にほかなりません。

交付金や施設建設の利権など、一時的な繁栄がいつまで続くのでしょう。そんなものに目をくらまされて、私たちの、次の世代の、そして農産物、海産物の安全が脅かされる様な事があってはたまりません。これまでトラブル、工事ミスが何度あったでしょう。更に(根本的な)設計ミスまで!報じられました。これはその技術が未だ安全の確立からは程遠い、綱渡り的な危うい物である事を自ら証ししたことに他なりません。ここまできて、何をもって安全の保証を、六ヶ所村民、青森県民に対して口に出来るでしょう。


本来、毒性物質を一極集中させるべきではない事は、ものの判断のつく者なら、誰の目にも明らかです。移動、貯蔵、巨大な管理、その他あらゆる面において莫大な危険が生ずる事の不合理は、どう考えても納得が得られるものではありません。

これは九電力会社の責任であり、各原発立地県の責任です。それぞれの電力会社、原発立地県には発生者責任、自己管理責任がそもそもあるのではないでしょうか。自分の所で出た汚物毒物を他県へ運び出してしまえば、後は知らぬ顔というのは、余りにも人の道に反すると言えましょう。これが溜まりつづける廃棄物と日々向き合って生活する者の率直な見方です。

施設建屋でのトラブルが一向に絶える事無く報じられるたびに、この地に生きるしかない村民は、大事故への恐怖、生命の危険、農産物、海産物への汚染、更には次世代への影響不安と、幾重にも身を刺すような、血の気の失せるような苦痛を味わっている事を知っていただきたいのです。

子をもち、孫を持つ者の責任として、今なすべき事は何なのか。次世代へ残すべきものは何なのか。世界に目を向ければ、すでに原子力エネルギーからの後退が始まり、自然エネルギーへの開発、転換が主流のようです。

日本は原爆の悲劇を味わった唯一の国である、とはよく言われる事です。そうした天罰にも似た壊滅的打撃を受けぬ限り、日本民族は、自ら立ち止まり、もう一度自らを振り返って見る、という事の出来ぬ国民性なのでしょうか。終局まで一人突っ走ってみない事には納得できぬ、そんな傲慢な気性なのでしょうか。過去の戦争の過ちばかりでなく、あるいは水俣を始めとする公害病の数々も同じです。悲劇となり惨禍となり、しなければ目覚め反省できぬ民族なのでしょうか?

しかし一旦事が起こってしまえば土も水も元には戻りません。

はたして「核燃料サイクル」なるものを中心とする原子力政策は、時間をかけて検討、討議を尽くしたものなのか。そして県民、村民の合意、国民的合意が得られたものなのでしょうか。そこに出来る限り民意を汲み、反映しようとする姿勢、真の民主主義が存在したとは考えられません。そうした施政者側の一方的な、あるいは操り人形のようにも映る姿は、いつか、あるいはすでに、この国の平和をも脅かす糸引きになりはしまいか、危惧されるところです。

日本が過去の歴史において経験して来たように、悲劇が起こり、犠牲者が出てからでは遅いのです。歴史に三度はありません。

この小さな地球の上で、いつまでどこまで各国がしのぎを削り、経済の拡大一点張りのスローガンを掲げ、走りつづけられると言うのでしょう。

こえからの時代を生きる我が子、我が孫たちの未来に向けた明るい笑顔と、つぶらな瞳の輝きを、改めて見つめてほしいと思います。幼い者たちのその瞳に対し、恥ずべき事はしていないか、後悔するような事はないだろうか、一人の責任ある大人として、しばし立ち止まり、過去を振り返り、次の時代に思いを馳せ、自らのやっている事をもう一度、自覚し、反省してほしいと切に願います。

自然とともに生活し、自然から産するものを糧としなければならない人間としての立場から、命を第一義に守り育む、真の政策を望みます。

読後の感想を返書下さい。

2005年
生活環境保全の会
小泉金吾、外

ご連絡先は、ご本人に確認を取ってからにします(^_-)ネッ


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