闘魂 サバイバル生活者のブログ

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売国奴たちへ―日米の違い




国によって、土地集約型産業が比較優位か、労働集約型産業が比較優位か、資本集約型産業が比較優位かなど違いがある。また、財にしたって、プロダクトサイクルのどの段階にあるかなどタイミングが違って来る。どの国でどの産業が栄えるかは、これらの変数によって決まってくる。

ただし、前提条件は自由貿易体制に参加していることであって、だからWTOが大事なんだが、これは1930年代にブロック経済に陥って、世界経済が壊滅的打撃を受けて、世界大戦に突き進んだことを教訓にしているとのこと。

80年代以降、NIESが台頭し、その後、ASEANが上昇し、21世紀に入って、BRICSの力が増してくる。これは自由貿易体制下で、成功した日本をモデルにしているのであって、自由貿易体制万歳の結果がグローバリゼーションである。

グローバリゼーションが受ける理由は、各国が各国の強みで勝負することにより、各国が豊かになり、世界全体も豊かになる点だ。だから、大きな視点に立つビッグなひとにはロマンに映るし、国民も大勢においてはそれを支持できる。

これはグローバリゼーションの光の部分なのだが、陰の部分は産業構造の転換に伴う労働力市場の調整、つまり痛みが伴うことだ。日本の農協や米国のAFL(労働組合)のような圧力団体があって、経済の効率化が阻害されると、各国の経済厚生を高めていけない。理屈ではそうなんだが、現実には力と力のぶつかり合いがあって、血と汗と涙が流れる。

以上の議論を前提にすると、日本における労働ビッグバンの議論は立ち位置がおかしいことに気づく。労働ビッグバンは日本が労働集約型産業に向けて、舵を切ることを意味するからだ。それって違わなくない?

リカードそしてサミュエルソンによれば、各国が各国の特性に応じて、国際分業することが各国の経済厚生を高める。それが自由貿易体制の真骨頂だった。それはすでに述べた。

ここで日本の特性なんだが、資本集約型産業と技術集約型産業に比較優位があって、事実、労働力は長い年月をかけてそれらの産業にシフトしてきた。長い年月だ。

繰り返す。日本の強みは豊富な労働力でもなく、広大な土地でもない。豊富な資金力と高い技術水準、ずばりこれが強みだ。労働力市場はその強みを生かすよう長い年月をかけて変化してきた。

なのに労働ビッグバンって、おまえ、日本と米国は、持ち味が違うやろが。同一視するなっちゅうんだ。そもそも労働力市場の変化は世代間の変化であるべきだ。この日本では、個体としては大きな変化に対応できない。

つまり、国際分業への志向につきまとう陰の部分たる労働力のシフトはソフトランディングでなきゃならないのであって、セーフティーネットを充実させて、せめてオランダ並にして、それから労働力の流動化が結果として図れたらいいくらいの構えが必要だろう。

それなのにいきなり労働ビッグバンでは当事者はたまったものではないし、そもそも日本の国が少子高齢化を迎えていくこの局面で労働集約産業を志向するのはおかしい。繰り返す。少子高齢化の日本と移民で労働力豊富な米国を同一視してはいけない。

安倍よ、よく聞け。絶対おかしい。ひとを大切にしないとバチが当たるぜ。ロートルのしかも家族を抱えた当事者としては引き下がる訳にはいかないのだ。安倍首相に欠けているものがあるとすれば、それは知性と見識、そして想像力だ。


2007年5月13日 根賀源三

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