ポエムガーデン

小説 『遥かなるオーガスタ』



「3度あることは4度ある・・・か」とトムワイスコフ氏はため息まじりにそんな言葉をつぶやいた。
「去年が2位だったから今年は1位ですよ。勝利を信じて頑張りましょう」彼のキャディーを勤める僕は少しでもリラックスしてもらえたらと言葉を返した。

1975年のマスターズゴルフトーナメントは3日目を終えてトップにトムワイスコフ、2位に帝王ジャックニクラウス、3位にミラクルミラーことジョニーミラーがつけていて4日目の最終日は激しい優勝争いが予想されていた。
マスターズといえば救世ボビージョーンズが設計した芸術的ゴルフコース『オーガスタナショナル』にて開催される4大メジャートーナメントの一つだ。プロゴルファーならそのチャンピオンの座に憧れない者はいないほどの名誉ある偉大なゴルフの祭典なのであった。
であるから、このチャンピオンの座にあと一歩というところで届かず涙をのむことはそれは辛いことなのであろうと推測される。
今大会の優勝争いの中の一人トムワイスコフは実力者でありながらこの大会では2位に甘んじることこれまでに3回とマスターズでは悲劇のプレーヤーと同情する人は少なくなかった。これまでどんなにいいプレーをしてもそれよりもわずかにいいゴルフをする者が一人二人現れてしまうのだった。
前年も終盤まで首位に並んでいながら残り3ホールのところで池につかまるなどして勝利を逃してしまったのだった。
「ボビージョーンズに嫌われているのかな?」と彼はつぶやく。
「ボビージョーンズにここまで近づけるだけでも名誉なことですよ」と僕は正直な気持ちを伝えながら手にしていたゴルフ雑誌のボビージョーンズ特集のページをひろげたままテーブルの上に置いた。


ボビージョーンズについて・・・。
アメリカ ジョージア州アトランタ出身。
1923年、21歳で全米オープンの優勝を皮切りに13のメジャーを獲得する。
1930年、28歳で史上初のグランドスラマーとなり、同年にアマチュアゴルファーを貫いたまま引退。
1934年、自らが設計したゴルフコース『オーガスタナショナル』を舞台としたゴルフトーナメント『マスターズ』を創設、開催した。
法律家であり、コース設計者であり、教養溢れる紳士であった。
『救世』の称号を持つ。
『ゴルフコースにはoldman par (パー爺さん)が住んでいる。この老人と競うのがゴルフというゲームなんだ』など数多くの名言を残す。


オーガスタナショナルは既に大勢のギャラリーで溢れていた。爽やかなゴルフ日和。
1番スタートホールではティーショットを打ち終えた選手たちがぞくぞくとコースへと歩き出していた。
最終組スタートのトムワイスコフはまだまだくつろぎの中にあった。待合室のソファーにのんびりと座り込んで鼻の頭を2度3度指でこすると両手を頭の後ろにまわし、スイングのイメージを浮かべているのか、心を集中させているのか、しばらく目を閉じたままでいた。
僕は彼の邪魔にならないように静かな動きでキャデーバッグの中の物をいろいろとチェックしていた。そしてバッグのある一つのファスナーを開けたとたん「ワオー!」と大声を上げて思わずのけぞってしまった。
「へびです!へびです!」と僕はバッグを指差しながらワイスコフ氏に危険を告げた。けれど彼は腹を抱えてソファーで笑い転げるだけだった。
「アハハハ・・・またひっかかったのかい?ゴムでできたオモチャのへびじゃないか。君も何度も同じいたずらにひっかかるものだ。アハハハ・・・」
そうだったのだ。彼は他のプロたちに負けず劣らないいたずら好きのゴルファーでもあったのだった。彼が鼻の頭を指でこすっている時はいたずら心が芽生えているという合図で、僕はそのクセを十分に把握し学習しているつもりだったのに前回とまったく同じパターンのいたずらにひっかかってしまったのだった。いったいこれで何度目だろう。3度4度どころではないはずだ。僕はすっかり見覚えのあるオモチャのへびを手に取るとそれに驚いた自分にあらためて飽きれるのだった。『一流プロは常に遊び心を持っているものだ』とそんな言葉を誰かに聞かされたことを思い出した。いつもすぐに忘れてしまうけれど彼はいたずら好きの一流プロゴルファーで、僕は単純でだまされやすいただのキャディーなのだった。


いたずらの結果に満足したのかすっかりリラックスした様子のワイスコフ氏はいつものようにゆっくりとストレッチを始めた。僕は彼の鼻の頭と指先に注意を払いながらストレッチの様子を横目で眺めていた。
体を右にひねって、左にひねって、僕と目が合うと息をはずませながら口を開いた。
「あの時は愉快だったなぁ」
「あの時と言いますと?」と僕は顔を彼の方に向けて問い直した。
「チャリティーゴルフトーナメントでラウンド途中僕と君とが役割を変えてコースをまわった時のことだよ。君が僕の代わりにショットを放ち、僕はキャディーバッグをかついで君にクラブを渡す」
「はい、あの時ですね。あれは愉快でした。というか光栄でした。数ホールでしたが、こんな一流のプロにキャディーをしてもらってプレーができたなんて。僕のゴルフ人生においてこの上ない想い出となりました」
「君は僕のスイングや仕草のマネが上手かったよね。飛距離だって僕に負けていない」
「ありがとうございます。実はあなたのスイングに憧れてまして色々と参考にさせてもらっています。本人の前でマネなんかしたりして失礼しました」
「いやいやプロのスイングを参考にすることは大切なことだよ。どんどん続けたまえ。それにしてもスイングといい仕草といい本当に僕そっくりだったよな。まるで鏡で自分を見ているようだったよ。あのパフォーマンスを我々だけのものにしておくのはもったいないくらいだ。もっと大勢の人に披露させたいよ。機会があればまた僕の代わりにショットを打ってくれるかい?僕もまたキャディーをやってみたいんだ」とプロ。
「もちろん打ちますとも。いつでもおっしゃって下さい。喜んでやらさせていただきます。今日でも明日でもいつでもOKです!」と僕はすっかり浮かれた気持ちでニコニコしながらそう言った。が、彼が鼻の頭を指でこすっている仕草を目にしたとたん何かの不安がよぎりその笑顔を止めた。
「今日?なるほどね・・・good idea!」とワイスコフ氏の笑顔。指でOK!のサインを僕に送りながら陽気なステップとともに部屋の外へと立ち去ってしまった。
僕の頭をまさかの予感が駆け巡った。マスターズで代打?
僕は慌ててドアの外へ顔を出して彼に叫んだ。
「ここはオーガスタですからねトムさん!これはメジャー大会マスターズですからね!忘れないで下さいよ!」
オモチャのへびを握りしめて僕は、この声は間違いなく彼の耳に届いてくれた・・・とそう願うばかりだった。


美しくも過酷なゴルフコース、オーガスタナショナル。
このコースを完璧に制覇できる人物なんて果たしているのだろうか。攻めたくても簡単には攻めさせてくれないピンの位置、池の存在、複雑なアンジュレーション、更に気まぐれな風のいたずら。それでも男たちは戦うのだ。時にはオーガスタの罠に泣かされながら、時にはその罠をパワーと技で克服しながら、その先にある栄光を信じて・・・。


トーナメントは例年通り、いやそれ以上に緊迫感溢れる好ゲームが展開されていた。1ホール1ホール、一打一打、最高の集中力で選手たちはホールをこなしてゆく。パトロンと呼ばれるギャラリーたちも選手たちと共に一喜一憂を繰り返す。
そしてゲームが消化されていくごとにリーダー争いのメンバーが絞られていった。マスターズ4勝の経験を活かしマイペースなゲームを展開していた最終組の一つ前をプレーするジャックニクラウス。着実にスコアを伸ばしながら粘りのゴルフで虎視眈々と首位をうかがう最終組のジョニーミラー。そして前の週の優勝の勢いをそのままに去年の汚名返上に燃える同じく最終組のトムワイスコフ。

14番ホールを終えた時点でワイスコフは2位のニクラウスを一打おさえて11アンダーの首位に立っていた。3位のミラーには2打差をつけていた。
そして向える15番ホール。
ここからがオーガスタナショナルの本当の勝負だということを優勝争いをする選手たちはみんな知っていた。
14番グリーンから15番ティーインググランドヘと向う僕とワイスコフは、ここはコミュニケーションが必要だと暗黙の中で感じていた。
「ワイスコフさん、いよいよここからが勝負ですよ!」と僕は真剣な眼差しで声をかけた。
「ああ、いよいよだ!」とワイスコフ氏ももちろん真剣な表情で・・・と思いきや、僕はその仕草に目を疑った。
えっ?どういうことだい?手袋をはずした彼の手の指がなんと鼻の頭をこすり始めているではないか。ここはオーガスタだよな!これはメジャー大会マスターズトーナメントだよな!僕はあらためてあたりを見渡して確認した。間違いなくここはオーガスタナショナルだった。ジョークなんて必要ない場所だった。
次の瞬間ワイスコフ氏に背中を押されながら僕はトイレの中へと姿を消して行くのであった。あっという間にお互いの衣装は交換され、仕上げにツバの大きめのキャップを深々とかぶせられ、あらためて僕はプロゴルファー、トムワイスコフとしてトイレより登場させられたのであった。
「最悪だ!」と僕はつぶやいた。
ワイスコフ氏は何事もなかったようにキャディーバッグからドライバーを取り出すと「はい、ドライバーでございます」と僕に・・・。
僕は手渡されたクラブを眺めると「うん、間違いなくドライバーだ」と思った。
戸惑いの僕に笑いを必死にこらえているワイスコフ氏。なぜにこんな時に鼻に手がいってしまったのか、とうてい理解できるはずもなかった。
彼の無邪気な笑顔に僕はあきらめの表情で肩をすくめるしかなかった。
「で、どういたしましょう?」と僕は試しにそう訊ねてみた。すっかり開き直ってゴルファーになりきっていた僕はもうすっかり前しか見ていなかった。
「そうですねぇ、まずは風向きでも見てみましょうか」とキャディーとなったワイスコフ氏の声は微かに笑っていた。
なるほど。僕は芝生を小さくむしり取ると素人のようなぎこちない動きにならないように気をつけながら高々とまき上げてみた。芝生が美しく風に舞うと僕はどこか小さな感動さえ覚えた。
「ヘイキャディー!狙いはどこだい?」と僕はそう言った後にこれはプロらしからぬ発言のように思えた、が既に取り消しはきかないのだった。『初めてのコースでもあるまいに』とそんなギャラリーの声が聞えてきやしないかと不安を覚えたが幸いその声は聞えてこなかった。
そんな心配もおかまいなしにワイスコフ氏。「ハイハイ、え~とここのパー5は左へ曲げることだけは避けまして、そしてツーオンを狙いたいところなのでそこそこの距離も必要かと・・・」
「ふむ。OK!」僕の声は裏返りそうになる。
さあそしていよいよティーショットの時。僕はこれまで培ってきたトムワイスコフ氏のゴルフスイングのそのままのホームで精一杯のショットを放った。ヘッドの芯で捕らえたボールはフェアウェイのセンターへと運ばれる快心の一打だった。大きな拍手が沸いた。僕は名プレイヤーのトムワイスコフなのだと自分に言いきかせながら冷静さを保ちつつ本物のワイスコフを従えティーインググランドから歩き出すのだった。
テレビ中継のゴルフ解説者を含め、どうやら誰一人僕らの演技に気づいている者はいないようだった。


無我夢中。手に汗握る必死のプレイの連続だった。
15番ホールのティーショット以降、僕がどんなプレーをしたのか途切れ途切れにしか思い出せない。
グリーン上の大歓声のあとにリーダーボードを見るとトムワイスコフのスコアが一つUPしていた。
美し過ぎる池に見とれたパー3では必要以上のストロークをたたいてしまったようだった。
一つホールを終えるごとにキャディーに戻るためのトイレの場所をワイスコフ氏に尋ね求めていた。
そして気がつくと僕は最終18番ホールのグリーン上でジャックニクラウスとのプレーオフをかけたパットのラインを読んでいたのだった。マスターズにおけるワイスコフ氏の名誉がかかった大切なパットだった。この4日間で最も集中すべき場面。僕は冷静な自分でいることに努めそして100%それができていた。
何度も腰をかがめてあらゆる角度からラインを読んだ。
下りのわずかに左にきれる3ヤード弱のライン。はっきりとイメージされたそのラインに僕はバーディーを確信した。
アドレスを決める。イメージどおりにストロークされパッティングされたボールはゆっくりとなだらかな傾斜を転がってゆく。そしてここから曲がるぞというところにきて僕は目を疑った。ボールは方向を変えることなくまっすぐカップの横を通り過ぎてしまったのだ。「信じられない!」と思わず声が出た。ギャラリーたちのなんともいえないどよめきが湧いた。
完璧に読みきっていたライン。受け入れることのできない結末。
けれどこの事実は誰にも曲げることはできなかった。現実を認めるしかなかった。ゲームは終わった。


僕はワイスコフ氏の方へ目をやった。彼は笑顔で大きくうなづいていた。
『予想以上の大健闘!』と彼が心の中でそう賞賛してくれていることはその表情から読み取ることができた。
僕は残されたパットを入れてホールアウトすると肩を落としてキャディーであるワイスコフ氏の元へ歩み寄りパターとボールを手渡した。
「申し訳ありません。あなたにまたしても2位という不名誉な記録を残してしまいました」
「いやいや、いいものを見せてもらったよ。最高にエンジョイさせてもらった」と僕の肩を叩きながら優しく言葉をかけて下さるのだった。けれどもその光景は端から見るとゴルファーとキャディーの立場を逆にしているものであきらかに不自然であった。それに気づいたワイスコフは慌ててキャディー役に戻って演技を再開した。
「トムさん。あなたは最高のゴルファーだ。あなたのキャディーを努めることができて僕は幸せ者でした。ありがとう。今年もたまたまあなたより一打優れたゴルファーがいたというだけで、あなたは限りなくチャンピオンと言えるにふさわしいゴルファーです。僕は今日という日とあなたを誇りに思います」
ワイスコフはその言葉をトムワイスコフを演じている人物に言っているのか、自分自信に言っているのか本人にも定かでなかった。



クールな紳士たちは既に次なる戦いの準備を始めていた。
熱気を残した18番グリーンでは優勝セレモニーが行われようとしていた。
キャディーの姿に戻った僕はスタート前にくつろいでいた部屋のソファーに体をあずけ、両手を頭の後ろにまわし「あんなにいいゴルフをしたのに・・・」とあきらめきれない気持ちをもてあましていた。
トムワイスコフはこのような気持ちをこのトーナメントで何度となく味わってきたのだ。時間が刻まれるごとに彼のこれまでの無念さがひしひしと感じられてくるのだった。
そして表彰式の歓声が微かに聞えてくる中、僕は僕のゴルフキャリアにおいてかけがえのない4ホールとなった15番ティーショットからの一つ一つのシーンを目を閉じて回想してみるのだった。あの時のショット。あの時の歓声。あの時のため息。あの時のガッツポーズ。そして何度思い出しても悔やみきれない18番グリーンでのあのパット。
何故あのボールは曲がらなかったのか。何故ボールはカップへ向かわずにまっすぐとすり抜けてしまったのか。
きっとボビージョーンズなら知っているだろう。
「そうだろ?ボビー」僕は壁にかけられていたボビージョーンズの肖像画に少しふざけたような薄目を開けてそう問いかけてみた。すると一瞬、額縁の中のボビージョーンズが鼻の頭を指でこすっているように見えたのだった。僕はいったん目をそらして2、3度早い瞬きをし、目をこすってあらためて見直してみたけれどやはりそれはただの肖像画でしかなかった。

「パー爺さんか・・・」とジョーンズの『oldman par』の名言が思い出されてきた。『ゴルフコースにはパー爺さんが住んでいる・・・』
こんなにもゴルファーを喜ばせたり、落ち込ませたりと・・・きっとこの爺さんはいたずら好きな老人に違いない、と僕は心の中でそうつぶやくのだった。
マスターズチャンピオンになること。それはきっとパー爺さんのいたずらを最も快く受け入れた者に与えられるごほうびなのかも知れない・・・と。

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