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ご無沙汰しております。悟風のムスコです。山口“悟風”智著「おかあさんへの手紙」のFacebookページと、悟風の書斎「おかあさんへの手紙」のtwitterページをつくりました。どうぞ、よろしくお願いします。
2011年10月16日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第24回がネット公開されました。タイトルは「地下鉄で外出、人の行き来速く」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100202ddlk27070429000c.html
2010年02月02日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第23回がネット公開されました。タイトルは「松葉杖で散歩、脚の張り心地よく」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100126ddlk27070381000c.html
2010年01月26日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第22回がネット公開されました。タイトルは「両目の鈍痛、吐き気、そして貧血」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100119ddlk27070434000c.html
2010年01月19日
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1年ぶりにメールマガジン「おかあさんへの手紙」特別号を発行しました。今回は、骨肉腫と闘う同期生について書きました。http://archive.mag2.com/0000093984/index.html
2010年01月13日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第21回がネット公開されました。タイトルは「嵐が通り過ぎるのを待つ心境に」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100105ddlk27070273000c.html
2010年01月05日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第20回がネット公開されました。タイトルは「吐き気がつらい」…です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091222ddlk27070375000c.html
2009年12月22日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第19回がネット公開されました。タイトルは「人工関節外せぬ、あぐらと決別」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091215ddlk27070500000c.html
2009年12月15日
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今日、スタートした活動とのことです。ささやかながら、協力したいと思います。「いのちのクリック」クリックからはじめる自殺予防支援
2009年12月10日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第18回がネット公開されました。タイトルは「毒性の強い抗がん剤に耐える」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091208ddlk27070465000c.html
2009年12月07日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第17回がネット公開されました。タイトルは「81日ぶり、松葉づえでわが家へ」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091201ddlk27070763000c.html
2009年12月01日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第16回がネット公開されました。タイトルは「一時帰宅を目指し、リハビリ開始」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091117ddlk27070413000c.html
2009年11月17日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第15回がネット公開されました。タイトルは「『何でも言って』と看護師長、心軽く」です。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091111ddlk27070469000c.html
2009年11月11日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第14回がネット公開されました。タイトルは「高熱で体重急減、看護師にも反発」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091103ddlk27070309000c.html
2009年11月03日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第13回がネット公開されました。タイトルは「布団かぶっても寒気で全身震える」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091027ddlk27070419000c.html
2009年10月27日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第12回がネット公開されました。タイトルは「感染防止でベッドにくぎづけ」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091020ddlk27070510000c.html
2009年10月20日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第11回がネット公開されました。タイトルは「体を動かす楽しさ、しみじみと」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20091006ddlk27070369000c.html
2009年10月08日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第10回がネット公開されました。タイトルは「吐き気止めの薬は酒飲みに効く」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090929ddlk27070506000c.html
2009年09月29日
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こんにちは。山口「悟風」智のムスコです。きょう、9月24日は、悟風が亡くなってちょうど11年になります。早いものですね。つい先日のような気がします。
2009年09月24日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第9回がネット公開されました。タイトルは「抗がん剤投与2日目、胃がむかつく」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090915ddlk27070359000c.html
2009年09月15日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第8回がネット公開されました。タイトルは「思いもせぬ副作用の情報に衝撃」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090908ddlk27070418000c.html
2009年09月08日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第7回がネット公開されました。タイトルは「妻はそばにいてくれるだけで十分」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090901ddlk27070382000c.html
2009年09月01日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第6回がネット公開されました。タイトルは「私の要求に、いら立つ妻」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090825ddlk27070366000c.html
2009年08月25日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第5回がネット公開されました。タイトルは「手術後5日、車椅子に移るのに10分」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090818ddlk27070393000c.html
2009年08月18日
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毎日新聞・佐々木雅彦記者の連載「骨肉腫と闘う」の第4回がネット公開されました。タイトルは「手術前、左脚が悪者に思えてくる」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090804ddlk27070422000c.html
2009年08月04日
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友人で、毎日新聞記者の佐々木雅彦君の連載「骨肉腫と闘う」の第3回が載りました。タイトルは「転移阻止のための化学療法を」。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090728ddlk27070393000c.html
2009年07月28日
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友人で、毎日新聞記者の佐々木雅彦君の連載「骨肉腫と闘う」の第2回が載りました。ネットでは、以下のリンクから読めます。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090714ddlk27070355000c.html
2009年07月14日
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友人で、毎日新聞記者の佐々木雅彦君が、今日付の新聞から連載「骨肉腫と闘う」を毎日新聞の大阪面でスタートしました。http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090707ddlk27070415000c.html毎週火曜日付で載る予定です。ただし、火曜日の新聞が休みの日(新聞休刊日)には、載りません。
2009年07月07日
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山口悟風のムスコです。悟風の孫2人(千畝と公平)が生まれた98年と99年、私は近鉄関係の仕事をしていました。そのころお世話になった方が24日、亡くなりました。大野博子さん。59歳。あまりに急なことで、信じられません。ご冥福を心からお祈りします。
2009年05月24日
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お久しぶりです。山口悟風のムスコです。今朝の毎日新聞「ひと」欄に、「方言で憲法前文を書き替えてみよう」と呼び掛けている人が出ていました。↓http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20090502ddm008070003000c.html楽天のブログをやっていらっしゃる方なので、お気に入り登録させていただきました。↓http://plaza.rakuten.co.jp/tenamonya/トップページに行くと、日本地図。青く塗られたのが、「お国言葉で憲法前文」が届いた都道府県。父「悟風」智が生涯過ごした北海道は白いままだったので、「いっちょがみしてやろう」と、ザッと訳して、先ほど、送っておきました。↓http://plaza.rakuten.co.jp/tenamonya/bbs/それにしても、法律の言葉って、難しいな。何十回読んでも(汗)あすは、憲法記念日。
2009年05月02日
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3年ぶりにメールマガジン「おかあさんへの手紙」特別号を発行しました。今回は、父・山口“悟風”智の孫について書きました。http://blog.mag2.com/m/log/0000093984
2008年12月17日
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こんにちは。山口「悟風」智のムスコです。皆さん、ご無沙汰しておりました。長く、書き込んでいませんでしたが、2月7日は、父「悟風」智が生きていたら、73回目の誕生日だと思い出して、久しぶりに書き込んでみました。亡くなったのが98年で、63歳でしたから、早くも10年になります。赤ちゃんだった上のおいっこが小学3年生、まだ生まれてなかった下のおいっこが2年生なんですから、それだけ時間が経ったということですね。
2008年02月07日
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今回は、前回発行(2005年6月末)からかなり日が開いたので、ごあいさつを兼ねて、近況報告をさせていただきました。http://blog.mag2.com/m/log/0000093984
2005年12月31日
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書籍版「おかあさんへの手紙」(アース工房)が読める公立図書館について、ムスコこと、メルマガ発行者で長男の一朗が書きました。詳しくは、バックナンバーをごらん下さい。特別号 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 に掲載しています。
2005年06月30日
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奈良に住んでいた。直前まで、ぐっすりと寝ていた。が、大男に揺り起こされるような気がした。当然、目が覚めて、布団から、身体を起こした。枕元の本棚から、不安定に積んであった本が10冊ほど落ちてきた。「倒れてきたら、どうしよう」と思った。経験したことのない、長い揺れだと思った。揺れが収まって、テレビをつけた。奈良は震度4。大阪が震度5。しばらくして、神戸が震度6だと出た。当時、神戸に住んでいた年下の友人に電話した。「大丈夫か?」「大丈夫です」「テレビ、つけておいたほうがいいよ」「(泣き声で)テレビ、もう壊れています」「え?」一瞬、沈黙。「タンスとかは?」「倒れてます!」「そりゃ、だめだよ、家自体が壊れるかもしれないよ。すぐに近くの小学校か中学校に避難して!」すぐに会社に出た。最初に考えたのは、奈良には社寺が多いということ。文化財が壊れていないかが気になった。報道の仕事に携わっているので、県内の社寺に電話して尋ねた。薬師寺の灯篭が倒れていると分かり、写真を撮りに行った。だが、そのころ、神戸では、高速道路が倒れていると分かった。昼近くなって、本社から応援に来いと言われた。徐行運転を始めていた近鉄電車に乗って、大阪・難波まで出た。だが、大阪市営地下鉄は、まだほとんど動いてなかった。その辺りを走り回って、やっとタクシーを1台見つけた。そして本社へ。着くなり、本社の上司が「あ、ご苦労さん。これ、今、刷り上った夕刊。じゃあ、神戸に行って」。普段なら、神戸までは電車で20~30分で行ける。でも、動いていない。会社が出す車に乗って行けと言われた。夕刊1部だけ持ち込んで、後部座席に乗った。午後1時過ぎだった。道はあちこち通行止めになっていた。回り道、回り道。大渋滞だった。他府県から応援に来た消防車がその渋滞に巻き込まれていた。そのうち、うとうとした。かなり寝た気がした。でも、大阪府から兵庫県に入ったぐらいだった。朝に、テレビで見た「倒れた高速道」の横を通った。そういえば、数ヶ月前、ここを車を運転して、通ったことがある。背筋に寒気が走った。その後も、時々、うとうとしながら、遠くにいくつものサイレンを聞いた。「着きましたよ」と、運転手さんの声がした。時刻を見た。午後11時前だった。夕刊を持っているのを見た同僚が「夕刊が届いたぞ!」と叫んだ。何人もが駆け寄って来て、1枚ずつバラバラにして、むさぼるように読んでいた。避難所に行ったが、たき火に当たる被災者はただ無口だった。その夜から、兵庫県庁の記者室で寝泊りして、神戸発の記事を書いた。電話が通じにくくて、ワープロに打ち込んだ原稿が、なかなか会社が送れなかった。余震が続いた。消防車や救急車のサイレンの音は鳴り止まなかった。でも、被災した人たちが、譲り合って、助け合って、生きようとしている姿を見た。勇気をもらった。政治家というのは……と何度も思った。兵庫県庁には、日に4人も大臣が来たことがあった。県庁の職員は、遠来のお偉いさんの応対をせざるをえず、仕事量が増していた。水が足りなかった。飲み水は、3、4日後にペットボトル入りのものが買えるようになったけど、断水は続いた。水洗トイレも、流せなかった。弁当は、会社が用意してくれたが、次の弁当がいつ届くか分からんので、2、3食分確保しておいて、朝、昼、晩と同じものを食べた。そんな生活が、応援派遣が解除されるまで、2週間続いた。帰る直前まで、服装は、奈良を出た時のスーツ姿のままだった。忘れたくても、忘れ得ない経験だ。ただ、自分は、まだまだ恵まれていた。阪神大震災が起こったとき、奈良にいたから、けがはしなかった。財産も失わなかった。家族も、友人も無事だった。亡くなった方のご冥福を、心からお祈りします。
2005年01月16日
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今年9月24日(山口“悟風”智の七回忌)にアース工房から出版された書籍版「おかあさんへの手紙」について、紹介してくれたメディアなどと、手軽に注文できるネット書店について、ムスコこと、メルマガ発行者で長男の一朗が書きました。詳しくは、バックナンバーをごらん下さい。通常号 http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/backnumber.cgi? と特別号 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 に掲載しています。
2004年12月31日
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書籍版「おかあさんへの手紙」が、とうとう「本」になりました。今月下旬には、販売スタートします。ネットでも注文できるようになります。具体的に決まれば、お知らせします。
2004年09月16日
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メールマガジンで公開してきた「おかあさんへの手紙」を本として出版するための印刷がスタートしました。今月下旬には、完成の予定です。また、報告します。
2004年09月02日
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書籍化のニュースは、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号を発行してきたhonyaさんの編集後記にも掲載されました。こちらも、見て下さい。
2004年07月30日
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書籍版「おかあさんへの手紙」を9月に出版することは既にお知らせしましたが、出版社「アース工房」のサイトで、28日から「出版ドキュメント」がはじまりました。http://www.earth-kobou.co.jp/news/20040728b/に載っています。ごらん下さい。
2004年07月28日
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書籍版「おかあさんへの手紙」について、ご報告します。21日に東京に行き、出版社の編集者と打ち合わせて来ました。9月24日の命日に向け、現在、どの作品を載せるか、選ぶ作業をしています。今月末から来月初めにかけて、もう少し詳しいことがお知らせできると思います。「この作品は載せて」といったご希望があれば、ぜひ、書き込みかメールでお知らせ下さい。作品は、こちらに載っています。↓通常号 http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/backnumber.cgi特別号 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984
2004年06月23日
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2002年春から配信してきたメールマガジン「おかあさんへの手紙」が今年9月、紙の本として発刊されることが正式に決まりました。予定日は、今年9月24日(山口“悟風”智の七回忌)です。 詳しくは、バックナンバーをごらん下さい。通常号 http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/backnumber.cgi? と特別号 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 に掲載しています。
2004年06月04日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 3週間ぶりの発行になりました。新年度、バタバタしていて、少し時間があいてし まいました。 今回配信した「★『第六学年』 “学級経営の方針”」と「★さんかんび ごくろ うさまでした!!」は、これまでの「おかあさんへの手紙」では、あまりなかった内容 だと思います。ゆえに貴重だと思います。義務教育だけどお金はかかるということ や、学校外活動の一つとして、NHKラジオの「基礎英語」を聴くよう児童や保護者 に勧めていたことが分かります。小学校で英語を教えることや、教えないまでも家庭 などで英語に触れる機会を持つように教員が勧めることは、いろいろな意見があると 思います。私はどちらかと言うと賛成です。もっと言えば、英語だけじゃなく、他の 言語にも触れる機会があった方がいいだろうと思います。 「★給食」を読むと、当時の富良野市の小学校では、フライなどのおかずは、食管 などからそれぞれの児童・生徒や教員に配布していたのだなと分かります。風連中央 小学校のある風連町も同じような方法でした。他方、智南小学校のあった名寄市は、 おかずがすべて1人分にあらかじめ分けてあったと記憶しています。例えば、スープ やシチューだと、タッパーウエアのようなプラスチックの容器に1人分が入ってい て、硬いラップが外れないようにかけてありました。学校に届くころには当然さめて いて、お代わりも出来ない。どうしてこういう給食になったのだろうと、食べ盛り は、子どもながら思いました。 給食と聞いて、皆さんには、どんな思い出があるでしょうか。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年04月30日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 1週間のお休みをいただき、再開しました。先週も発行したいと考えていましたが、実は先週、仕事で使っているパソコンにお茶をこぼして、故障させてしまいました。「おかあさんへの手紙」作品も含め、かなりあったデータのバックアップなどに手間取っていました。普段からバックアップしておくべきでした。 さて、前回発行の通常号第104号(http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20040326 )にも書きましたように、今回から1983年度北海道富良野市立鳥沼小学校6年学年通信「つながり」で紹介された作品を掲載していきます。 この年度の作品にほぼ共通しているのは、文字の横にルビや「・」や「丶」を打っていることが多いということです。メールマガジン版では、( )内がルビです。また、「 」でくくってある言葉の大部分が、例えば、本文では、・・・・めんどうのように記してあります。 父“悟風”智にしたら、これらの文字を強調したかったのでしょう。ちなみに、この年は手書きの学年通信でした。手書きの方が、書いている人の味が出しやすいとは思います。でも、作品を打ち込むこちらとしては、けっこう「めんどう」です。 内容としては、いろいろと書いています。年度始めで張り切っていたのでしょう。 「★『い ざ な い』」にも書いてあるように、このころから、NHKラジオ第2放送の「基礎英語」を受け持った児童らに聴くようにすすめていたようです。 「★ご挨拶」にある「池田高の蔦監督」は、徳島県立池田高校野球部監督だった故・蔦文也さんのことです。「攻めダルマ」と呼ばれ、「さわやかイレブン」や、東京読売巨人軍の水野雄仁投手らを育てた日本高校野球史に残る人です。 「★修・学・旅・行!!の概要」には、富良野市内の小規模4校が一緒に修学旅行をやったということが書いてあります。当時の北海道では、小規模の小学校の中には、他校と合同にするだけでなく、5、6年生が一緒に修学旅行に行くケースもありました。特別号( http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 )で近く紹介する名寄市立智南(ちなん)小学校などがそうでした。 「★担任紹介」で、我が家のルーツについて、父が書いています。ただ、一部間違いがあります。私は1993年に、我が家のルーツを探るために、父祖の地である新潟県を旅行したり、同県立文書館などで資料を探しました。また、父を含めた親類からもいろいろと聞きました。 この文章で、父は、祖先が「漢方医」と書いていますが、私は「御典医」と聞いています。また、「山口道庵 ― 玄暢 ― 道之助 ― 勝保 ― 智 ― 一朗」のうち、戸籍をさかのぼると、「玄暢」は、正しくは「玄揚」です。その父は「道庵」ではなく「三郎」になっています。「愛別に屯田に入り、後、永山に移住」というのも、新潟から愛別(上川郡愛別町)を経ずに、直接、永山(現・旭川市永山地区)に入っています。 それから、調査の過程で、新潟県の医師や医学の歴史に詳しく、新潟県立ガンセンター新潟病院副院長や日本医史学会理事長などを歴任した蒲原宏医師に尋ねたところ、「玄揚」という医師は記録に残っていないということでした。(発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年04月09日
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今週は、新年度の「おかあさんへの手紙」について、メルマガ発行者で長男の一朗が書きました。本文は、以下のアドレスのバックナンバーに、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ に掲載しています。
2004年03月26日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 6年生トラック最後の作品は、父“悟風”智が1987年1月に書いたものでした。この作品が載ったのはこの年発行の第17号でした。発行回数が前年度 (44回)に比べて著しく少なくなっています。6年生の担任は忙しいのかなと思います。 私は、実は、「大島みち子」という名前にすぐに反応できませんでした。ですが、インターネットで検索したところ、「愛と死を見つめて」と出て来て、 やっと「ああ、ミコとマコのか!」と分かりました。おそらく、私よりも若い人(30歳代半ば以下)だと、「愛と死を見つめて」も知らないかもしれませ ん。マコこと、河野實さんは大学卒業後に、ジャーナリストとなりました。河野さんのお名前で検索すると、二つのホームページが出てきます。 悟風作品としては、穏やかで、説教じみた部分もなく、いい文章だなと思いました。他人の作品や話をうまく引用できるのは、さすがに学校の先生だなあと 思いました。 ところで、通常号での定期発行の作品紹介は、今回が最後とする予定です。2002年春の段階で、「04年秋の七回忌に紙の本の出版を間に合わせたい」 という意向があり、その時点で「2年間のメールマガジン」という方針を決めていました。予定通りだと、来週号がその最終便となるのです。あっという間の 2年間でした。 ただし、まだ紹介していない作品がかなりあります。そこで、残った作品は、これまで週刊で続けてきた通常号を適宜発行としたうえで、もともと不定期刊 の特別号( http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 )もうまく組み合わせて、紹介を続けたいと思います。併せて、出版準備の進み方も報告して行こうと思います。 次号は、出版について、大まかな方向性をお知らせします。(発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年03月19日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 5年生トラック最終回も、5編とたくさんの作品が載りました。このうち、「★新発売の時計」「★祝 進 級! “四月から君たちを”」の2編は、多少 添削されていますが、実質は再掲です。時計は、2002年11月8日発行の通常号第32号「白いもの」他( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20021108 )に掲載しました。また、2004年2月29日発行の特別号第7号( http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200402292150000000093984000 )にも同様の作品が載っています。「★祝 進 級! “四月から君たちを”」は、2003年3月14日発行の通常号第50号( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20030314 )に載っています。 「★長生き」は、個人的に感慨深く読みました。というのは、2004年2月6日発行の通常号第97号( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20040206 )で紹介した「★42歳の誕生日」を思い出したからです。覚えていらっしゃいますか。 私事ですが、実は、このときの編集後記で紹介した祖母(父“悟風”智の生みの母)が、3月8日に亡くなりました。95歳でした。同僚の理解が得られ、 北海道士別市(風連町の南隣)で営まれた9日の通夜、10日の葬儀に参列することが出来ました。 1年ほど前から、「ばあちゃんに、会いにいかなきゃならないな」と思いながら、昨年春の転勤や、その後の仕事を理由に行かないままでした。第97号に も書いたように、祖母は父を産んですぐに山口の家を出ました。その後、縁のあった家では、先妻の子を6人育てましたが、子供は産みませんでした。通夜に は寺の本堂を埋め尽くす人が来てくださいましたけど、血縁者は私一人だけでした。翌日の葬儀は妹と甥っ子たち2人も来たので、この世にいる血縁者4人が 全員揃いました。葬儀の前、5歳と4歳の甥っ子たちに「ひいばあちゃんがいなかったら、ちう君(千畝)も、こう君(公平)も、お母さん(妹)も、おじ ちゃん(私)も、じいじ(父)も、生まれてなかったんだよ」と言うと、幼いなりに理解したのか、葬儀の間、けっこうお行儀よく、座っていました。祖母の 最後に、4人が揃って見送ることが出来たのは、少しは供養になったかなと思います。 「★卒業式」に書いた「人間が 大好き/健康が 大好き/生きていることが 大好き」という言葉は、学年通信には、ワープロで字を拡大して掲載してい ました。実際にバレー少年団の子どもたちに贈ったのと同じと思われるものが、先日、広島の私の自宅の荷物から見つかりました。紙の本にする時に、カット 写真に使えるかなと考えています。 今回も俳句が計3句載っています。「泊雲」は西山泊雲、「弘」は秋野弘、「黄枝」は相馬黄枝でしょう。 このほか、3月24日付の「つながり」には、当時受け持った児童のおかあさんたちの名前とタイトルが並んでいます。学年通信の反応として随時掲載して いた「ひとこと」の投稿者です。保護者や児童の反応は掲載してもいいかなと思います。ただ、分量が多くなったので、今回の掲載は見送りました。(発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年03月12日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 5編掲載しましたが、日付でお分かりのように、発行回数は3回です。「★兵者ど もの 夢の跡」と「★さあ 四年生!! ガンバロウ」は、本でいうコラムや巻頭言 に当たる部分として掲載していました。 話題としては、スキー、スケート、俳句、新学期、転勤と、今回も豊富でした。 個々に詳しく感想などを書くとかなり長くなりそうです。少し絞ることにします。 「★スキー検定、受けてみませんか」に書いてある全日本スキー連盟のスキーバッ ジテストは、当時からあった級別テスト(1級~5級)をベースとして、その後、さ らに上の「テクニカル・プライズ」と最高位の「クラウン・プライズ」が出来まし た。また、中学生以下が対象のジュニアテスト(1級~6級)も実施されています。 このほかに、準指導員、指導員の資格や、スノーボードの検定なども行われていま す。(参考サイト→ http://www.saj-edu.ne.jp/education/license.html ) 父も書いている通り、スキー検定で2級に合格していれば、安全第一で滑れば、た いていはどんな斜面でも、けがをしないで、降りて来られるでしょう。1級があれ ば、スキー学校で助手として採用されることもあります。 地域名で分かりにくいのは、「日進」でしょう。風連町の市街地から南東数キロに ある地区です。風連中央小の通学区域ではなく、地元に日進小中学校があります。 「★兵者どもの 夢の跡」に載ったスケートリンクは、以前も何度か取り上げまし たが、風連中央小学校の校庭(つまり、山口宅の目の前)にあったリンクです。「こ れっきり」とは、当時はやっていた山口百恵さんの歌「横須賀ストーリー」のさびの 部分を使ったのでしょう。 「★悟風の雅号」では、このメールマガジンで数え切れないほど出てきた「悟風」 の由来が初めて明らかになりました。父は、風連中央小に勤務していた当時、俳句は ほとんどやってなく、書道でこの号を使っていました。晩年に俳句を再び始めまし た。残っている俳句全作品は、www.honya.co.jpで既に公開しました。「おかあさん への手紙」通常号バックナンバーの2002年分( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/backnumber.cgi?2002 )、2003年分( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/backnumber.cgi?2003 )をご覧下さい。 「★転勤の内示が出ました」には、校名が書いてありませんが、父はこの年(77 年)の4月1日付で、風連中央小学校から名寄市立智南(ちなん)小学校に転勤しま した。全校児童は、父の転勤に伴って転校した私(当時新6年生)と妹(同じく新3 年生)を含めて、12人でした。教職員は校長先生と、教諭3人。そのほか、母が非常 勤講師になりました。4月の段階では、2、3年生で1クラス(3人)、4、5年生 で1クラス(3人)、6年生のみで1クラス(6人)で、父は、妹も私もいない4、 5年生の担任となりました。 ところが、「僻地であっても、教員数に比べて児童数が基準よりも多い」といった お達しがあり、8月1日付で教諭が急きょ1人減らされました。その結果、夏休み明 けからは、2~4年生で1クラス(5人)と5、6年生で1クラス(7人)となり、 父は、2学期のスタートから卒業式まで、私の担任教諭になりました。 智南でのことは、いろんな思いがあって、もしかしたら、本が1冊書けるかもしれ ません。ですから、今回は、ここまでにしておきましょう。 なお、智南小学校の学校通信「どんぐり」に父が書いた作品は、「おかあさんへの 手紙」特別号( http://www.mag2.com/m/0000093984.htm )で近日中に公開する予定 です。通常号の読者の方は、半数程度しか特別号を読んでいただいていないようで す。こちらも無料で講読できます。ぜひ、お読みください。 ところで、一つお知らせがあります。通常号第95号 (http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20040123 )でジンギス カンについて書いた時に紹介した千石涼太郎さんの「やっぱり北海道だべさ!!」が今 年3月10日、大幅加筆した「スペシャル版」として、双葉文庫からリニューアル発刊 されることになりました。出版社が倒産したため、単行本は絶版になっていました。 道産子の常識が満載された本だったので、絶版は、非常に残念でした。事実上の復刊 が決まり、友人としても、ファンとしてもうれしく思います。北海道のことについて 知るにも、「おかあさんへの手紙」の背景を知るにも、非常にいい本だと思います。 私の個人サイト内書店「電脳いっちゃん書店」 ( http://myshop.esbooks.co.jp/myshop/ichiro15 )でも手に入れられるように準 備しています。興味のある方は、ぜひ、入手して、お読みください。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年03月05日
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★編集後記「人並みだったとしておこう」★ こんにちは。山口“悟風”智の長男、一朗(通称・ムスコ)です。10回シリーズ「校長室からコンニチハ」の最終回となりました。連日、お読みいただきまして、ありがとうございました。 2カ所、文中の説明をしましょう。6月に書いた文章で、「大運動会」を開いたと書いてあります。内地の方には分からないかもしれません。北海道では、運動会はたいてい6月にやります。梅雨がないですし、10月には雪が降るからです。 もう一つは「汽車」。北海道では、列車のことを「汽車」と呼ぶ人が今でも多数派だと思います。 さて、この文章の中で、父は「頑張って歩こうと思います。これも、年令に応じただと思います」と書いています。しかし、この文章を書き、間もなく病気だと分かり、何度も手術を受け、約5年後には、車椅子生活となり、寝たきりとなり、最後は意識を回復しないまま、他界しました。 ここで、このメールマガジンを紹介するサイト「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.htmlhttp://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/に出ている父と、初孫・鈴木千畝(ちうね)の写真を見ていただきたいと思います。実は、父が亡くなる約3カ月前に撮影したものです。 63歳にしては、髪は黒々としていますし、元気そうにも見えますよね。父はよく「お父さんみたいに、とろろ昆布を食べたら、髪は黒いままになるんだ」と自慢していました。確かに、私はとろろ昆布があまり好きではなく、体質が母に似たせいもあって、30歳代後半で、かなり白髪があります。 髪は黒々とした父でありましたが、実は、病院嫌いでした。学校での定期健康診断で、詳しい検査をするように指摘されても、ほったらかしていたようです。それが、文字通り、命取りでした。ですから、あの自慢はなんだったんだと思うこともあります。 「年令に応じた」と述べるなら、年齢に応じて病院での検査も軽んじてはいけなかったはず。そうすれば、孫たちとももっと長く過ごせたことでしょう。もっと言えば、夢だった「自分の本」も手にすることができたのかもしれません。(発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」特別号(不定期発行)の講読申し込み窓口http://www.mag2.com/m/0000093984.htm で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 で読めます。なお、週刊発行の「通常号」については、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html を、ご覧下さい。
2004年03月03日
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★編集後記「人並みだったとしておこう」★ こんにちは。山口“悟風”智の長男、一朗(通称・ムスコ)です。連日、お邪魔します。 今回は、「菩薩の相に学ぶ その1」となっていますが、実は「その2」がありません。「校長室からコンニチハ」は10回シリーズで、今回紹介するのが9回目。明日配信予定の最終回が10回目です。ですが、最終回は、菩薩の話ではありません。おそらく、書こうと思っていて、機会を失ったのでしょう。No・9の書き出しが「平成5年度がスタート」ですから、4月か5月に書いたものでしょう。というのは、No・10は、日付がきちんと入っていて、「平成5年6月24日記」と書いてあります。 また、「カットは、鞍馬寺の観音菩薩の絵です」と書いていながら、父が遺した冊子には描いていません。これは、学校通信「二小だより」には載ったけれど、父が書いた部分(抜粋だけが残っています)には載っていないということだと思います。二小だよりも、一部は残ったものがありますが、ほとんどが欠落しています。 三つ子ちゃんの取材については、北海道新聞(道新)のデータベースを調べました。「東川第二小」と「山口智」をキーワードに調べたものの、掲載がありませんでした。この二つのキーワードで出てきたのは、人事異動で校長就任時の1992年3月27日付と、退職時の95年3月24日付のみでした。 ただ、確かに以前、NHKのニュースに出たことは、データベースで確認を取ったことがあります。ここは、創作ではありません(苦笑)。 短文ですが、当時の北海道北部の小学校を取り巻く状況が現れていると思います。一つは、保護者の職業に農家がないということ。東川第二小学校の周囲は田畑なのに、離農したり、保護者(世帯主=たいていはお父さん)は会社勤めだということでしょう。 もう一つは、以降の新入生は以降1けたという少子化の事実です。 中西さんの三つ子ちゃんがいなければ、この年の入学者も9人になります。 以前、仕事で出会った小学校の校長先生が「校庭で遊んでいた子どもたちは、どこに行ったんかのう」と話しておられたのを聞いたことがあります。塾やテレビゲームかなと思っていたのですが、実際に子どもが少なくなっていることを、改めて感じてしまいます。(発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」特別号(不定期発行)の講読申し込み窓口http://www.mag2.com/m/0000093984.htm で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000093984 で読めます。なお、週刊発行の「通常号」については、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html を、ご覧下さい。
2004年03月02日
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