Life is a Journey 

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モロッコの旅日記(3)

モロッコの旅日記(3)  2007年1月9日~1月16日


2007年1月9日 メルズーガ パリ・ダカール!!

 この日は年に一回のイベント、パリ・ダカールを見に行った。パリ・ダカールとはオート・レースのこと。砂漠の中を走り抜ける過酷なレースとして知られている。昔はフランスのパリ発でセネガルのダカールがゴールだったことから“パリ・ダカール”という名前がついたようだが、現在は年によって出発地点は変わるようだ。今回はポルトガルのリスボンが出発地点だった。モロッコ人のおじさんの話によると、昔はパリダカの利益でアフリカ難民を助けていたらしい。しかし今はそういった主旨はなくなり、歓迎しない人も多いので、パリから場所が移ったとか。そのおじさんはパリダカがあまり好きではないようだった。

 朝5時に起きて、モロッコ人、ハッサンの運転する四駆に乗って出発。砂漠の中の道無き道を走るので四駆でないと砂漠の中を走るのは難しい。砂漠の中を2時間以上走り続けてレースの行われる場所に到着したときには、すでにオートバイのレースがスタートしていた。

 車からふと窓の外を見ると番号をつけたバイクがちょうど真横を走り抜けていくではないか!そうなのだ!気付いたらハッサンはバイクレースの通る道を堂々と運転し、レースの邪魔をしていたのだ。後ろから来るバイクは「どけ!!」と手で合図を送ってきていた。
「ハッサン、まずいまずい!横によけなくっちゃ!私たちレースの邪魔をしているよ!!」
それでもモロッコ人のハッサンは気にしない。生き生きとした顔で走り続けてる。うわっ、このおじちゃん(ハッサン)すごい。全然気にしてない・・・^^; 次に車の横を通り過ぎていったバイクには日本の国旗のシールが貼ってあった。
ああああっ!!!この人日本人だ!頑張れ~!!
誰だかわからないけど、日本人のバイク参加者を真横で見ることができた。とても嬉しかったけど、邪魔をしてしまって申し訳なかった><

 やっとみんなの言うことを聞いてコースから車を出したハッサン。小高い砂漠の丘に車を走らせ、とても見やすいところまで連れていってくれた。ああ、いいおじちゃんだ!
 ハッサンはいつも笑顔で、そんなハッサンの笑顔が私はとても好きだった。

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 バイクのレースの後に場所を移動した。ハッサンのお勧めの第2のスポットへ。
そして、来ました!車とそれを中継するヘリコプターが!!いや~、間近でレースを見るとマジかっこいい。モロッコに来るまではパリ・ダカなんぞに全く興味も知識もなかった私だが、このレースを見てとても感激した。

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 本当に日本車が多かった。半分といっても過言ではないくらいの数の日本車。日本人としてなんだか誇らしかった^^

 ハッサンの車で帰る途中、車が故障して修理している人を見かけた。その車の運転手はもちろんのこと、他のオートレースの番号をつけた車までもが止まって、修理を手伝っていた。競争の中でもこうやって助け合えるって素晴らしいなあ。この過酷なレースの中にはきっといろんなドラマがあるんだろうなあ、と思った。

 実はこのパリ・ダカールの後、私はメルズーガを出発する予定でいた。そしてモロッコを早々に切り上げてポルトガルへ移動するつもりだった。
なのに!!迷ったあげく予定を変更し、ポルトガル行きはキャンセルに。そこまでしてまでメルズーガに居続けた私。ハッサンの笑顔や、毎晩のタムタムの演奏、村人のやさしさ、宿の仲間達・・・。サハラマジックにかかってしまったに違いない。私はサハラを後にすることができず、ギリギリまでメルズーガにいることを決意した。

2007年1月10日 メルズーガ 小学校訪問

 この日は午後からメルズーガにある小学校へ行き、2つのクラスを見学させてもらった。私自身が将来教育に携わる仕事をしたいと思っているので、こうやってちがう国にある学校を見学することはとても興味深い。先生方と短時間にいろんな話をした。聞いたことを忘れないうちに書き留めておこう。

・子供達は午前、午後に授業(計5時間)がある。
 子供の数が多いのと、教室の数が限られているため、2パターンに時間が分けられている。
  Aパターン
   8:00~10:15  授業
   10:15~12:45 家に帰って昼食
   12:45~15:00 授業
  Bパターン
   10:15~12:45 授業
   12:45~15:00 家に帰って昼食
   15:00~17:25 授業
  今日がAパターンなら明日はBパターンというように、子供達はABを交互に繰り返しながら毎日学校に通う。
・学校が休みなのは日曜日と夏休み、冬休み。
・全生徒数は260人くらい。砂漠に普段住んでいる子供達が時として学校に登校するので、毎日新入生やら学校をやめる生徒(砂漠に帰っていく)がいる。余談だが、モロッコ人は1家庭平均して7人~11人の子供をつくる。子だくさんの国なのだ。子供をたくさん産んで、大きくなったら働いてお金を稼いでもらうのだ。
・先生の数は全部で7人。午前担当、午後担当にわかれて子供達を指導する。
 今日が午前指導担当なら明日は午後指導担当、という具合に先生も毎日学校に来る時間帯が違う。
・小学校だけが義務教育。中学校は車で40分のところ、リッサニにあるが女の子はほとんどいかないとのこと。小学校を卒業すると同時に家の仕事の手伝いに入るケースが多いようだ。
・小学校から大学までのシステムは以下のよう。
  Primary(小学校) 6年
  College(中学校) 3年
  Lycee (高校)  3年
  University(大学) 3年
 ちなみに先生になるためには
  小 → 中 → 高 → 教職用専門学校(2年間) → Student Teacherとして学校で勤務(2年間) → 1年間勉強 → 教師
 という段階を踏むようだ。
・小学校で子供達が学ぶこと
  1・2年生   アラビア語、 数学
  3・4・5・6年生 アラビア語、 数学、 フランス語

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 子供達は学校では学ばないが、スペイン語を聞いたり話したりすることができる。これは全部観光客から学んだもの。毎日聞いているうちに自然に覚えてしまうようだ。
 モロッコ人の中にはイタリア語や英語も話せる人もいる。これも全て観光客から自然に学んだもの。このバイリンガルさにはビックリする。日本人はどんなに英語を勉強しても、話したり聞いたりすることが苦手なのに、モロッコ人は勉強なしで他言語を習得してしまうのだから。ここで気付くのが、モロッコ人は毎日他言語と接点があり、他言語を使うチャンスがある、ということである。ましてや他言語が仕事(観光業)に必要とあらば、覚えるのもはやいだろう。

 休憩時間に先生3人と一緒に話す機会があった。口を揃えて聞かれたのは、日本の教師がもらえるお給料の額。モロッコの先生がもらえるお給料は月に3500DH(49000円)だと教えてくれた。日本の教師の初任給を教えるとビックリして、
「そんなにもらえたらモロッコでは毎日遊んでくらせるよ」
と言われた。先生が言うには、教師という職はモロッコではあまりよくないらしい。
「浮浪者を抜かして教師は下から2番目か3番目だよ」
なんて言っていたが、それはちょっと大げさではないだろうか。

 授業を見ていておもしろかったことが3つあった
1つ目は、子供達が手をあげて発言する際に
「ツーツーツーツー」と身を乗り出しながら人差し指を先生に向けること。
日本の授業風景でいうなら 「はい、はい、はい」と子供たちが手を挙げるのと同じ。子供達は純粋でとてもかわいかった。目がきらきらしていた。教室の後ろに座った私をちらっ、ちらっと見てはニコニコ笑ってきた。私もニコッっと笑うと本当に嬉しそうにクスクス笑った。人なつっこくて、本当にかわいかった。

2つ目におもしろかったこと。
アラビア語の授業では先生が黒板の文字を右から左に向かって書いていたこと。日本やアメリカと書く向きが反対だ~。

3つ目におもしろかったこと。
2つの授業を見学したが、両方の先生が授業そっちのけで私の横に座ってひたすら私に話しかけてきたこと。もしかしたらこれは“おもてなし”だったのか!?上記にあげたような学校のスケジュールやモロッコの教育システムについていろいろ教えてくれた。
そして2人とも、私のメールアドレスを聞いてきた。やっぱり異国から来た私に興味があったのだろうか(笑)。授業が終わると、
「明日暇だったら遊ぼう」
とまで誘ってきた^^

2007年1月11日 メルズーガ イスラムの女達

 この日はメルズーガで仲良くなったモロッコ人のお姉さんの家を訪問。初めてモロッコ一般家庭にお邪魔した。家の中は閑散としていており、その中を3人の子供達が楽しそうに走り回っていた。途中、友人は急用ができたと家を出てしまったので、部屋の中にはベルベル語しか話せない彼のお姉さんとはしゃぎまわる子供達だけが残った。どうしたものか・・・。私はベルベル語わからないのに・・・。
 部屋を見渡すとテレビが。お姉さんが私のためにつけてくれた。土の家の中に近代的なテレビ。文明の普及とはすごいもので、こんな場所でもテレビを見ることができたのだ。

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 お姉さんが部屋を出たので、隠し持っていた(?)カメラを取り出してパチリ。ここしばらくモロッコ人と触れ合う際には極力デジカメを使用しないようにしていた。もちろんカメラで撮りたいものいっぱいあったけど、物珍しさにカメラを撮りまくるのはあまり良くないような気がした。カメラを出して喜ぶ人もいたけど、何でもカメラに映像を納めたがる観光客にうんざりしている現地人もいた。それにカメラを出した瞬間に会話が止まるのは確か。現地人とは自然に触れあいたかったので、印象に残ったことはカメラではなく心の中に記憶させるようにした。

 しばらくするとお姉さんが自分で焼いたパンとジャム、スナックを持ってきてくれた。もちろんモロッコ人が毎日飲むミントティーも。お姉さんに聞いてみたいことたくさんあったのに、言葉がわからないから十分な会話ができなかった><パンを食べる手を止めるとすかさず
「モンジェ、モンジェ(ベルベル語で食べなさい)」
と促してきた。結局気付いたら大きなパン、全部食べ終えていた。その時には予定していたアラビア語教室を見学する時間に。一生懸命知っているベルベル語で話した。
「ニッキーン(私) アッドゥ(行く) マドラサ(学校)」
ってな感じで。なんとか手振り身振りでこれから学校に向かう旨を伝えた。その時ちょうど友人が帰ってきたので、ほっとした。
「まだお茶を飲んでいきなさい」
と誘ってくれたお姉さん。本当にありがとう~!!


 次に向かったのは学校。モロッコ人女性がアラビア語を勉強する教室があると聞いたので参加してみた。今度はモロッコ友人のお母さんが学校に連れて行ってくれた。今は小学校が義務教育で、女性もアラビア語、フランス語を学べるが、少し前は勉強する機会がなかったようだ。若い女性からおばさんまで、いろいろな世代の人が一つの教室に集まった。

 まずここで私のイスラム教女性に対して持っていた疑問。彼女たちはいつも頭にスカーフを巻き、肌を外にみせない。ほとんど家の中におり、外を出歩かない。観光していてもイスラム女性と話す機会は希だった。正直私だったら耐えられない!!!と思った。静かに家事をしながらずっと家の中にいるなんて・・・。でも本当にイスラム女性って私のイメージ通りの人なの?

 教室に入ると、そこには想像していた静かなイスラム女性ではなく、パワーあふれる女性達がいた。
「あらー、どこから来たの?」
「日本人?私のおいはねえ、日本人の嫁さんがいて日本にいるのよ」
「なに、アラビア語習いたいの?」
「私の名前はねえ・・・」
「ここ座りなさい!ここ!」
みんな興味深そうに私のことをジロジロ見てはベルベル語で話しかけてきた。私はなんだかとっても嬉しかった。何が嬉しいって、イスラム女性がパワーを持っていたこと。大きな声で話し、笑い、世間話で盛り上がる、そんな女性特有の性質を垣間見て“女性パワーは世界どこにいっても健在なんだ~”って思った。
 今の小学生が大人になる頃には女性のあり方もまた変わってくるのではないだろうか。なぜなら義務教育のおかげでフランス語とアラビア語を話せるようになっているから。もっと外との接点が生まれるのではないだろうか。。。

 授業が終わると友人のお母さんが家に招待してくれ、ミントティーを入れてくれた。私がヘナに興味があることを知ると、娘(13歳)を呼んで準備をするよう言った。13歳の女の子がやってくれたヘナはこちら!!

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 それにしてもこの13歳の少女、もう許嫁(いいなづけ)がいるから驚きだ。すごい美人さん。親が決めた縁なのだそうだが、2年後に結婚するんだって。今は毎朝早くに起きてパンを焼いたり、家事をこなしたりと厳しいお母さんの元で修行をしているようだ。うむ・・・。遊びたい盛りだろうに。

 夜は宿の日本人の友達とモロッコ人の友人と砂漠へ行き、たき火をしながら夜空を眺めた。モロッコ人すごいなあ、と思ったのが視力。もちろん夜は街灯なんてないから暗闇なのに、モロッコ人ずんずん進む。先が見えるんだって!すご~い。ここメルズーガに住むモロッコ人はみんな視力がいいんだって。
 砂漠の中で育ち、方向感覚も抜群。ラクダ引きのヨセフもすごかった。どこへ行っても砂漠しかない同じ風景なのに、ちゃーんと目的地まで私たちを連れて行ってくれたのだから。
 たき火をするときも、火のくべ方をよく知っていた。きっと日常でもやるんだろうな、こういうこと。たき火のパチパチという音を聞きながら見上げた空一面の星々。これって都会じゃできない経験だよな~。


2007年1月12日 メルズーガ 再びサハラ砂漠へ!

 前回砂漠ツアーの時にお世話になったラクダ引きのヨセフが朝、宿に遊びに来ていた。
「あ~ ヨセフ!!サラマリコン!」
と挨拶。ヨセフとはすっかり仲良くなっていた。
「今日、砂漠のツアーが入って1泊2日で砂漠に出かけるんだよ。一緒に来る?2回目だし安くしとくよ。でもラクダ無しで歩きだけど。」
ヨセフに誘われ、
「行くー!!」
即答で決まり。
実は前回砂漠ツアーに参加したときは月が満月に近い状態で、その月の明るさのせいで星々がよく見えなかったのだ。砂漠の中で満天の星々を見てみたかった。

 ということで、宿を4時に出発。ラクダツアー参加者の日本人一人に歩きの私とヨセフ。砂漠の中を裸足でズンズン歩いた。最初は余裕を見せていたものの、最後の方はヘトヘトに。歩くたびに足が砂にずぼずぼ入るものだから疲れる、疲れる。夕食はがっつり食べて一休み。

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  歩いた甲斐ありました!!夜にたき火をしながら見上げた夜空。前日見上げた夜空よりさらに星がくっきり、たくさん見えた。あ~、普段見えないけど、空にはこんなにいっぱいの星があったんだ~。あまりに美しくて胸がいっぱいになった。流れ星に天の川。ずっと、ずっと、ずうーっと見ていたかった。これからも私はこの夜空を忘れることはないだろう、いや、忘れたくない!

 砂漠の夜は冷えた。セーターにダウンジャケットを着込み、ズボンは二枚重ね、それに毛布3枚。それでも寒くて眠れなかった><隣で寝てたヨセフは毛布2枚でイビキかいてたけど(笑)

2007年1月13日 メルズーガ モロッコ人宅でタジン、そして夜は飲んだくれ!?

 朝日を砂漠でながめ、宿にもどった。もちろん歩きで。前日に砂漠を歩き、普段使わない足の筋肉を使ったせいで筋肉痛になっていた。この日も疲れたが、最後の方には砂漠を歩くコツみたいなものがつかめてきたので、幾分楽になっていた。宿に着いた時には砂漠を歩ききった達成感に満ちていた。

 昼はモロッコ人の友人が宿の日本人の友達を家に招待してくれ、タジンをご馳走してくれた。タジンはモロッコの煮込み料理。それをパンと一緒に食べた。モロッコ人の一般家庭のタジンをご馳走になれるなんて思ってもみなかったので、いたく感激した。

 夜は飲みつぶれた。イスラム教の人はお酒を飲んではいけないのだが、モロッコにもお酒はあったのだ。ラクダ引きのヨセフがこっそり持ってきてくれた。ヨセフと宿の日本人と3人で乾杯!

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 なんとアルコール度数41度。味は日本酒に近い。久しくお酒を飲んでいなかった私。密かにお酒には強いと思っていた私だが、ストレートでコップ1杯半飲んだらダウンしちゃった。顔真っ赤にしてその場で横になったっきり、動けなかった。
「つ・強い!!!」
その場を運悪く、モロッコ人の友人が通りかかった。イスラム教の彼には女性の私が酔っぱらってソファーで寝ている様が“ありえない”ようだった。自分自身でも、飲み過ぎたことは反省・・・。
 次の日にそのモロッコ人に説経された。
すみません><もうモロッコでは飲みません!!
でも宿の人が教えてくれたんだけど、このお酒どんなに飲んでも二日酔いしないんだよね。それは天然の実を搾って作ったものだからなんだって。このお酒のおかげでこの晩はぐっすり寝て、次の日は実にさわやかな朝を迎えることができた。

2007年1月14日 メルズーガ 小学校見学

 この日はまたまた小学校にお邪魔した。朝になると小学生のミナが宿まで私を迎えに来てくれた。
今回、見学させてもらったのはミナの担任の先生のクラス。本当に良い先生だった。
「私は子供達が発言する時に、間違いをおそれて欲しくないんだよ。だから何でも発言できる環境を大切にしている」
と話してくれた彼の教え方は、ただ単に一方的に教えるのではなく、生徒の意見もよく聞き、それらをとても大切にしていた。そして子供達が悪さをすれば、納得のいくよう説明をしていた。子供達も先生が大好きで、よく指示に従って生き生きと勉強をしていた。
いいな~、こういうの。

 メルズーガを次の日に出ることを決めていた私は、ちょっぴり感傷的な気分になっていた。そしてメルズーガを出ることがなんだか信じられなかった。この大地ともお別れなのか~。

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2007年1月15日
さようならメルズーガ!

 まず朝に小学校を再び訪問。前日見学させてもらった先生の授業をもう一度見たかった。私の訪問を喜んでくれた先生。算数のかけ算の授業を見せてもらった。日本で学んだやり方とはちょと違う方法を扱っていたのがおもしろかった。私が学校を離れる時、先生の顔がとても淋しそうだった。
「またいつか来れたらいいなあ」
と話すとすかさず
「いつ??」
と聞いてきた。
「イン・シャー・アッラー(神の思し召し)」
と答えると彼も
「そうだね。イン・シャー・アッラー!!」
と笑顔で返してくれた。このイン・シャー・アッラーはモロッコでは欠かせない言葉のように思う。どんなに友人と大切な約束をしたって、約束をした日に事故が起きたり、洪水が起きたりして約束を守れないかもしれない。そんな意味合いを込めて彼らは「Yes」とか「OK」ではなく、「イン・シャー・アッラー(神の思し召し)」という言葉を使うのだ。最初はよく「イン・シャー・アッラー」と言うモロッコ人が、約束を守れなかった時の言い訳を作っているように聞こえたものだ。実際、常に「イン・シャー・アッラー」を使うか、というとそうでもない。仲良くなったモロッコ人に「明日遊ぼう」と誘われて「イン・シャー・アッラー」と返したら、「何でYesじゃないの?Yesって言ってよ」とせがまれたこともある。“自分がいつも使っている言葉じゃん。こういう時に限って(笑)”と思ったこともあった。

 ともあれ、この便利な「イン・シャー・アッラー」という言葉が私は好きだ。彼らが使う言葉の中には「アラハン・ドゥリラー(Thanks God!)」という言葉もある。いつもアッラーの神様に感謝しながら毎日を生きるイスラム教について、少しでも知ることができたことは今回の旅の収穫の一つとなった。世の中にはいろんな宗教があるが、共通しているのは神に祈ること。私も無宗教だとはいえ、何かあれば神社に行って祈ったりするもんな~。こうやって、サハラ砂漠で初日の出を見て、モロッコ人と触れあい、モロッコを最高にエンジョイできたこと、これはもしかしたら神様が導いてくれたことなのかもしれない。アラハン・ドゥリラー!!

 メルズーガを出るバスが午後3時に宿まで迎えにきてくれた。18日にバルセロナを出発する飛行機に乗るためにはもうこれ以上メルズーガに留まるわけにはいかなかった。みんなに別れをつげ、バスがエルフードに向かって動き出すと、無性に淋しくなった。隣に座っていたおじさんが、なにやら紙に絵を描いてきて、私としゃべりたい様子であったが、そんな気分にはなれなかった。車の後方を見ると、赤土のサハラ砂漠がどんどん遠くに遠のいていった。あ~、私は帰るんだ。さようならメルズーガ!!

 バスは1時間ほどでエルフードに着き、午後6時半に出発するタンジェ行きの夜行バスを待った。何もすることがないとよけいメルズーガのことを考えてしまって淋しくなるばかりだった。バスを待ってると例のごとく、モロッコ人が次々と話しかけてきた。モロッコ人から干渉されるのももうこれが最後か、と思うとそれもなんだか淋しかった。午後6時になるとバスの出入りが激しくなってきた。心配になった私は
「これがタンジェ行き?」
と毎回訪ねた。バスを取り仕切るお兄さんが
「大丈夫だよ。来たらちゃんと教えてあげるから」
と笑っていた。だって飛行機に乗れなかったら大変だもの。なんとしてでも順調にバルセロナに向かわなければ!
「これだよ、君の乗るバスは!」
と教えてもらったバスは今まで乗ってきたバスの中で一番上等なバスだった。こんなバスもちゃんとあったんだ~。
「窓側に座りたいんだけど、リクエストできる?」
と聞くと
「友達が運転手なんだ、ちょっと待ってて。」
と言って、席を確保してくれた。
「シュクラン(ありがとう)」
モロッコの旅最後にして、最高の席(最前列、窓側)だった。
バスは真っ暗闇をびゅんびゅんとばしていった。車窓からは美しく輝く星々が見えた。ずっと起きていたい気分ではあったのだが、持っていた毛布にくるまっていたら眠くなり朝まで熟睡した。

2007年1月16日 さよならモロッコ!

朝6時40分にバスは港町、タンジェに着いた。そこからフェリー乗り場まで、同じバスに乗っていたモロッコ人が案内してくれた。

8時20分にフェリーはタンジェを出発し、スペインへ向かった。あ~、ついにモロッコの大地を離れてしまった~。

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 船のデッキからタンジェの街が見えなくなるまで見つめていた。

 船の客室に入り、でかい荷物をおろしてほっとため息をつくと、今度はアルゼンチン人の観光者に会った。彼はエジプトを観光した後、モロッコを観光し、これから母国に帰るところだと話してくれた。なんやかんやと彼と話し込んでいたらフェリーはスペインのタリファ(スペイン最南端の港)に到着した。よくもまあ、ここまで次から次へといろんな人と出会えるものだ、と自分でもびっくり。これが一人旅の醍醐味ってやつですな。二人で旅したら、こんないろんな人と出会って話す機会なんてなかっただろうから。

 タリファで無事スペイン入国のスタンプをもらった私は、アルゼンチン人の彼と大型バスの発着場所アルヘシラスへ向かった。バスで40分くらいだっただろうか、バスは無事アルヘシラスに到着し、そこで彼とは別れた。

 そして、いよいよバルセロナへ向かうことに!


旅はまだ続く・・・ スペインの旅行記へ!!

作成中。。。








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