鉛筆画の記録。

鉛筆画の記録。

はっきりしたモノ。



私ははっきりしないモノって嫌です。

確率とか変域とか円周率とか可能性とか運とか・・・


勝負だってそうですよね。

不戦勝って勝ち方もあるし、チーム全員がケガしたり、麻薬を所持していたら出場停止とか・・・

そうするとチームのはっきりした力なんか分かりません。


何が起こるか分からないし、何があるのかも分からない。




じゃあ何が「はっきりしたモノ」なのか?


それは今自分が感じているモノなんですよね。

自分が今見ているモノ、書いているモノ、していることが全部事実であり真実です。


逆の言い方をすれば、自分が見たり書いたり、したりしなければ真実は分からないんですよね。

「百聞は一見に如かず」とか、そんな感じかな??


はっきりも何も、自分が何か行動してから始まる。

時には周りに左右されることもあるかもしれない。(さっき述べた麻薬とか・・・)



最近思うんです。

自分ははっきりしていない。

だから自分のことが嫌い。

自分の少ないボキャブラリーで言えば、

「優柔不断」とか、「曖昧」とか・・・

ロボットみたいに寿命は決まっていないし、

はっきりしたモノなんて何も無いのかもしれない。



いや、そんなことはないか。

数字の8は「8(はち)」だってはっきりしてるし、

人がケガをしたときに運ぶ車は「救急車(きゅうきゅうしゃ)」って言う名ではっきりしていますね。




いや、待てよ?

数字の8は横にすれば「∞(むげん)」って誰かが言う。

救急車だって誰かは「救助車(きゅうじょしゃ)」って言うかもしれない。

そもそも誰がこれらの言葉を創ったのだろう?



このように、はっきりしたモノって人それぞれなんですよね。

だから今自分が感じていることがはっきりしたモノだと思うのです。

自分が感じていること=はっきりしたモノ=事実・真実

みんなそれぞれのはっきりしたモノに向かっていくのが人生であると思います。

そして時にはそれぞれのはっきりしたモノ(感じたこと)で考えを共有したり、議論したりするのです。


・・・なんだかおもしろそうですね。



この世からはっきりしないモノをなくすことは不可能です。

しかしはっきりしたモノが無いわけではないのです。

さっきからしつこいぐらいに述べているように、自分が感じたりしたことがまぎれもない真実です。


そう思いながらそれら(はっきりしたモノとしないモノ)の混ざった世界で生きていこうと思います。













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・・・って昨日の夜中に考えてました。(どんだけだし。)

書き殴ってますので矛盾してたり、変な文章な部分もあるかと思います。

さらっと流していただけると幸いです。



しっかし、考えることがどんどん「哲学」っぽくなってっているような気がする。

思春期だから?ティーンエイジャーだから??


でも「かく」のは楽しい。

「描く」も「書く」もww






         H21.6.14(SUN) 林 李音。



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