『森野福朗日記』~We are the MUSIC-MAKERS~

『森野福朗日記』~We are the MUSIC-MAKERS~

吹奏楽部顧問見習



 ある時、今から考えるに連合音楽会のようなものであろうか、フォーレの「ラシーヌ賛歌」を他校の吹奏楽部と共演することになった。本番前に初めて吹奏楽とあわせた時に指揮者の先生が言った言葉をいまだに覚えている。「合唱を消してどうするんだ!もっと音量を抑えて!」

 今から考えるとアホらしいのだが、とても悔しかった。合同合唱団と吹奏楽合同バンドとの共演だった筈なので、人数は舞台からはちきれんばかり。私らの合唱部は「俺ら全国大会レヴェルだもんね」的エリート意識に毒されていたから、その指揮者の言葉に発奮し、あのゆるやかな素晴らしい名曲を思いっきりガナりながら演奏した。。。



 ★★★



 次に覚えているのは高校の時である。私の所属した高校には「音楽部」と呼ばれる合唱部、それに「吹奏楽部」、高校としては珍しい弦楽を中心とした「室内楽部」、少しポップス系の「ハーモニカ部」と4つの音楽系部活動がひしめき合っていた。私はもちろん音楽部に所属し、学生指揮者を務めていたのだが、同期の吹奏楽部の学生指揮者がこれまた非常に有能なヤツで、音楽を本格的には勉強していなかった自分にとっては常に劣等感を抱かせてくれる存在だった。。。

 その吹奏楽部が定期演奏会でムソルグスキーの「展覧会の絵」を取り上げた。ひたすら劣等感に苛まれていたので聴きに行く気になれなかったのだが、室内楽部でコントラバスを弾いていた友人がトラで出演するから来い。と言われ、しぶしぶ聴きに行った。

 今から思うに、高校生があれだけの曲を演奏するのには多分並々ならぬ努力があったことだろう。本番も決して悪い演奏ではなかった筈である。閉演後、少し興奮気味のコンバスの友人に感想を聞かれたが、自分はその夜の演奏を酷評した。「オケ曲をわざわざ吹奏楽にすることないじゃん」。。。



 ★★★



 それから10年余りの間、私の音楽体験からは「吹奏楽」という言葉は無かった。もしかすると無意識に自分の苦手分野というレッテルを貼って、脳味噌の奥深くに封印していたのかも知れぬ。プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」にショナール役で出演した時、2幕のフィナーレでバンダがステージを横切っても、その封印は解かれることが無かった。。。



 ★★★



 その封印が解かれる時がやってきてしまった。余りにも突然に。教員採用試験に合格し、首尾良く某中学校へ赴任が決まり、その中学の校長と初めて会話を交わした時、こう言われたのだ。

「本校には素晴らしい吹奏楽部があります。ちゃんと指導できますか?」
「へ?」。。。

 少し気が遠くなったのを覚えている。がーん。がーん。がーん。。。
今まで自分はもう関わる事は無いと思っていた吹奏楽。音楽の教員なら指導しなさいと校長は求めているのだ。できるか!んなもん!!

 冷たくなった脳味噌と破裂しそうな心臓とは裏腹に、私の口は校長に向かって答えていた。
「自分はこれまでやった事はありませんが、これも仕事の一つですから精一杯勉強させていただきます」。。。
年恰好は一人前でも、教員としては駆け出しのヒヨっこである。こう答えるより仕方ないではないか。。。



 ★★★



 かくして、吹奏楽との格闘の日々が始まったのである。



 ★★★


 そんなこんなで、非常に頼りない吹奏楽部の顧問が生まれた。何も分からない。楽器のことも知らぬ。オーケストラのスコアを読むのは趣味だったから、吹奏楽のスコアを見て「そのパート、音が違うよ」と指摘は出来る。その先が出来ない。。。

「先生。この音、どうやって出せばいいの?」
「うーん。。。先輩に聞いて。。」
「先生。指使いが分からない。」
「うーん。。。準備室行って教則本見て来い。」

これが指導者か?部員の自主練に付き合っているただのおじさんではないか。。。当時の部員には「とても頼りない顧問」と移ったことだろう。実際頼りないのだから。。。だからといって、自分は一応音楽の専門家だからというプライドもある。今から思えばそのプライドがとても邪魔をしていたように思う。でもその段階では気づかなかった。


★★★


吹奏楽部に限らずどんな部活動でも悩みの種になることだとは思うが、練習をサボる部員が少なからずいた。吹奏楽部には年度を通して様々な演奏の機会がある。入学式・卒業式。対面式の部活動紹介。運動会。文化祭。校外でもコンクール。連合音楽会。招待演奏。んで、やっぱり本番のステージは目立つ。演奏がまあ下手でも、やたら大きな音でドカシャカやっていれば、それは目立つ。
本番直前にちょっと練習に出てきて自分のパートをさらい、本番では思いっきり目だって、また次の本番までさようなら。真面目にやっている部員は腹立たしく思うし、せっかく練習しても積み重ねが無いからなかなか上手くならない。


★★★


ここで顧問としてはきっと「お前は全然練習に出てこないから退部!」とか「もっと練習に出て来い!」とか言うべきなんだろう。しかし私は「吹奏楽のことがまるっきり分かっていない指導者」というレッテルを自分自身に貼ってしまっていたし、その不安がきっと部員にも伝わっていたのだろう。だんだんと「顧問としての権威」がなくなっていくのを肌で感じていた一番辛い時期。。。


★★★


2校目の勤務校でのお話。
なかなか活動が上手く行かない吹奏楽部のミーティング。少ない部員の前で自分としてはできる限りの事をやろうと色々話しかけた。でも部員からの反応はほとんど無い。ミーティングを終らせて音楽室を閉めようとピアノ周辺を片付けていたとき一枚のメモを見つけた。ある部員の字だ。二人分。

「このオヤジ、自分が何も分かっていないこと分からないのかな?」
「こんな部活じゃどうしようもないね」。

多分ミーティング中に私語が出来ないから筆談をしていたのだろう。このメモを読んだ時には「もうどうでもいいや」と思った。いい加減にやっているわけではない。自分に不足している指導を補うために、八方手を尽くして外部指導員(コーチ)をお願いしたりしていた矢先の出来事。


★★★


この出来事は部活動だけでなく、授業や日頃の職務にも大変大きく影響した。生徒の前に立つのが怖い。生活も荒れてくる。初めて専門医の門を叩き、管理職と相談して病気休暇を取らせていただいた。あの時の担任クラスや同僚には本当に迷惑をかけたと今でも悔いている。


★★★


もう私と吹奏楽の絆は切れた。そう思って新しい学校へ移ったのであるが・・・。


★★★



転任のための現任校での面接は、前年度の3月。おりしも前任校の担当学年の卒業行事「3年生を送る会」の日であった。その行事は卒業生が合唱曲を5~6曲歌いながら進めていくステージがあり、音楽科としての私は担当学年ということもあってとても入れ込んでいた。そんな時の呼び出しであったので、本当に不精不精行ったのを覚えている。

校長に会い、音楽科の先生に会い、引継ぎを済ませた。吹奏楽部が10名余しか居ないという。それならば。と思った。この際、吹奏楽部は廃部にして、自分の得意分野である合唱部を作ろう。そう考えると気が楽になった。


★★★


後から聞いた部員たちの話によると、私は赴任当日に「校歌の歌い方がなってない」と全校生徒を怒鳴りつけたらしい。そんな私を見て吹奏楽部のメンバーは「嫌なヤツだったら吹奏楽部辞めてやろうぜ」と耳打ちしていたらしい。

吹奏楽部をつぶそうと思っていた音楽科の教員と、吹奏楽部を辞めてやると思っていた部員が始業式の日の放課後に出会った。翌日の入学式の演奏の為の練習。

「おや。」と思った。人数は12名。パートも全然そろっていない。しかし何も口は出さずとも全て自分たちでやってしまうのだ。最初のセッティングからチューニング、練習も。これまで顧問をしてきた部活では何をやるにしてもこちらがお膳立てしてやらないと何も出来なかったのだ。


★★★


もちろんすごく下手くそである。だけど一人一人が音楽をやりたいんだ。という気持ちは伝わってきた。やりたいんだけど、人数をそろえるにはどうすればよいか分からない。迷っている様子が感じられた。しかし翌日の入学式の演奏を自分たちの力だけで何とかやり遂げた。

その翌日だろうか。ミーティングの招集をかけた。怪訝そうに集まってきた部員の前で吹奏楽部の顧問を引き受ける事を告げた。しかし今まで受けたようなストレスを抱えたくなかった。「私は吹奏楽のことは何も知らない。」と正直に告げた。「多分、頼りない顧問だとは思うがそれでもいいか?」と。


★★★


「君たちのやりたい事は何なんだ?」
「・・・?」
「音楽がやりたいことは分かっている。下手でもいいから楽しんで居たいのか?それとも少しは上手くなりたいのか?」
「・・・。」

しばらくの沈黙の後、当時の部長が重い口を開いた。
「・・・僕たち、そんなこと考えたこと無かった。」と。
「そうか。ただ楽器やっているのが楽しいというなら、それなりの事をするし、私は指導しきれないけどもっと上手くなりたいというのなら自分に出来ることはやると約束するよ」。


★★★


結局、部員たちは「楽しみたいし、上手くなりたい」と言う結論を出した。実はその二つは相反するものではないことは分かっていた。上手くなれば楽しくなるし、楽しければ上手くなろうと努力するはずだ。そんなこんなで3校目の吹奏楽部顧問見習が始まった。


★★★


まずは部員を増やそう。と言うところから始まった。せめてバンドに最低限必要なパートを揃えるところからはじめよう。フルートからパーカスまで25名ほどだろうか。それでも現在所属している部員の倍は必要である。

手始めに新入生歓迎コンサートをやった。とはいっても、それまでに譜読みをしていた曲を並べただけ。しかし1年生だけでなく2,3年生も噂を聞きつけて音楽室まで足を運んでくれた。その場で部長が声を張り上げた。「ご覧の通り、全然パートが揃っていません。興味のある人、未経験者でも結構です。入部してください!」。

部長の叫びが通じたか、1年生だけでなく2年生も数人入部してくれた。何とか目標を達成して、運動会でのマーチ演奏にむけての練習に励んだ。しかし楽器の指導が出来ない顧問では初心者の指導などできぬ。そこでコーチを頼んだ。知り合いの吹奏楽団で教員を目指している方が格安で引き受けてくれた。また、もう退職された音楽科の先輩教員が毎日のように部活を見に来てくれた。

今から思うと「技術的な指導担当コーチ」と「あくまで雰囲気を盛り上げる顧問」という分業が上手く行ったからこそ、何とか結果が出せたのだと思う。部員のモチベーションも高かった。

自分自身が「吹奏楽って面白い」とようやく思い始めた頃のことである。


★★★



昨年、所ジョージの司会する番組で「日本全国吹奏楽部の旅」と言うのを取り上げていた。吹奏楽コンクールにかける部員達の情熱。といったところであろうか。

★★★

私は前述したとおり、自分の中学校時代に合唱で全国レヴェルの部活動に所属していた。実力のある顧問の下で日々朝から晩までひたすら歌っていた。昔の中学校は生徒の人数が多かったといっても、ひとつの部活動に120名を超える所属部員がいると言うのは尋常ではない。平日は夜7時、8時は当たり前。土日の練習も当たり前。コンクールのある夏休み、家族旅行で部活動を休もうと許可を取りに行くと「へえ。休むんだ。コンクールには出られないね」と一言のもとに言われ、中学校3年間はろくに旅行にも出られなかった。

しかし当時は何の疑問も感じなかった。「NHKコンクールの全国大会で入賞するためにはそれが当たり前」と思っていた。当時の私の代の部長が中学生にしてはませたヤツで、顧問のやり方に多少反発を覚えているのを知った時、「え。なんで」と思っていた。「あの先生についていけば上手くなれるじゃん」。

でもその中学校を卒業して某都立高校へ進学し、音楽部に入部してから自分の考えが少しずつ変わってきた。顧問は名ばかりの部活動。練習も本番も全て学生指揮者に任されていた。全て自分達の力で作る合唱。もちろん高校生のやることだから、とんでもない回り道をしていたんだ。と言うことは後で気がついた。上手くなるためならもっと効率の良いやり方はある。色々分かっている指導者に見てもらえば話は簡単である。

だが、私の音楽に対する基本的な姿勢はこの高校時代に育てられたと言っても過言ではない。「自分等で汗をかきながら一つ一つ作っていくハーモニーの豊かさ」。「何度も何度も試行錯誤しながら、ようやくできた音楽の素晴らしさ」。「誰のものでもない、自分達が作り上げた演奏」。いつしか中学校時代の「顧問が何もかも引っ張っていく部活動」のやり方に反発を覚えるようになっていった。

★★★

「中学生くらいじゃ、自分達で考えて色々やるのは無理なんだから、顧問が引っ張って行かなきゃダメなんだ」という議論がまことしやかに語られている。特に音楽を指導するコーチや教員の中で。果たして本当にそうなんだろうか。せっかく全国レヴェルまで上手くなったのに、音楽を極めたつもりになって「もう吹奏楽はいいや」と進学先で楽器を手放す部員達も多いと聞く。もちろんその時の経験がきっかけとなってプロを目指す部員も居る。

「コンクールで良い成績を収めること」が第一義になってやしないか。本当に音楽を楽しんでいるのか?

もちろん上手くならなければ音楽は楽しめない。上手くなれば誰かに聞いてもらいたいし、コンクールでよい賞が取れれば励みになる。しかしそのために「自分自身が音楽を楽しむ」ことを忘れているのだとしたら、そんな部活動は意味も無い。と言うのは「なかなか良い賞の取れない出来損ない顧問」の戯言なのだろう…。

★★★

そんな経過と自問自答があった上で、現任校の最初の部員達が「吹奏楽コンクールに出たい」と言い出した。さてどうしよう。。。



★★★


してそれは自分の中で出たいから出ていたわけではない。1校目では予定に組まれていたというだけでの理由で。2校目では部員達と良いコミュニケーションが取れないまま。

もうすでに気づいていた。
「私は、指導者として、顧問としてガンガン引っ張っていくようなバンド運営は出来ないんだ」。

まずは自分自身の中での決断だった。楽しくやりたい。義務感に駆られての演奏などまっぴらだし、自分で面白いと思わなければ、きっと無理が出るだろう。

でもコンクールとなればいい加減な取り組みは出来ない。なにしろ課題曲が発売される前年度の3学期から、この日へ向けて切磋琢磨している中学生達と同じステージを踏まなければならないのだ。「これぞ自分達の演奏だ!」と胸を張って出場できるくらいにバンドを育てなければならない。できるのか。俺に?

★★★

(以下、工事中です)

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: